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YS氏の陳述書ー後藤氏を"落とす"チャンスを虎視眈々と待っていた宮村氏

米本氏の陳述書に続き、後藤徹氏サイドから提出されたYS氏の陳述書を紹介する。
YS氏は後藤氏と同様、宮村氏に監禁下で強制脱会説得を受けた被害者である。

後藤氏の一回目の監禁と二回目の監禁の間、1989年に監禁された。
監禁された期間は10日と短いが、偽装脱会中に宮村氏が後藤氏を「落としてやる」と言ったのを聞いている。
宮村氏は、家族に請われて説得をしたという主張をしているようだが、YS氏によれば、むしろ積極的に後藤氏を脱会させようとその機会を待っていたということだ。

なお、プライバシー保護のために、本人の名前だけでなく、属性についても、適宜 伏字とさせていただいた。







陳 述 書


YS



 私は1989年10月,後藤徹さんが提起した民事裁判の被告の1人である宮村峻から拉致監禁の被害を受けました。部屋から一歩も外に出られなかった期間は10日間ほどですが,1991年10月まで偽装脱会(脱会した振りをすること)をしていたことから,その間,水茎会という父兄組織の勉強会に何度か参加させられ,拉致監禁に向けた宮村の父兄らに対する指導の様子を目撃しました。また,宮村と共に監禁現場に同行させられ,宮村が組織的・計画的に行う脱会説得の手法について目の当たりにし,その中で後日,後藤さんが連れて来られて監禁された荻窪フラワーホームというマンションにも連れて行かれました。更には,宮村が拉致監禁の謝礼を受け取っている事実を母から聞くことができました。そこで,本書面においては,後藤さんの事件における真実究明に少しでも役立つことができればと思い,私が見聞してきた事実について記したいと思います。

1.略歴(学歴,職歴,家族状況)
 私は19◯◯年◯◯月◯◯日,■■県■■市で父■(2009年7月逝去),母同■の次女として生まれました。兄弟は姉■と,妹■とがいます。父は,■■■にある■■■■と、その後、■■市にある■■■■にて■■として勤務し、2009年に他界しました。
 私が小学校1年生の時,父の仕事の都合で私達一家は■■から東京都■■区に転居しました。その後,私は■■区内の■■中学,及び■■高校を卒業し,1983年4月に中央大学法学部に入学し1987年3月に卒業しました。
 1992年8月25日統一教会主催の国際合同結婚式に参加し,韓国人男性と結婚しました。
 現在は東京で,夫と娘,息子の4人で暮しつつ,派遣社員として勤務しています。

2.統一教会に入会した経緯
私は小学校低学年の頃からもしイエス・キリストのような人がいたとしたらどんなことがあっても会ってみたいと思っていました。ところが,キリスト教会が余りにもたくさんあるので真の教会はいったい何処にあるのだろうと疑問を持っていました。小学生の頃は,家の近所にあった日本基督教団・■■教会に通って聖書の勉強をしましたが,小学校6年生になると受験勉強もあり,次第に教会から足が遠のいてしまいました。しかし聖書や真理に関する勉強はしてみたいとずっと思い続けていました。

 1980年6月,高校1年の時,私は渋谷の駅頭で,KHさんという統一教会信者の女性から声を掛けて頂き,統一教会の友好団体である全国大学連合原理研究会(以下,「原理研究会」と言う)の渋谷の高校生部を紹介して頂きました。当時私は高校に入学したばかりで何もかもが新しく新鮮な毎日を過ごしていましたが,小さい頃より神やイエス・キリストに大変な関心があったので,願ってもないことだと思い快諾しました。そして,ようやくキリスト教のことを勉強できる時が来たのだと思いました。高校生部では統一教会の教理である統一原理を勉強しましたが,当初私が思い描いていたキリスト教とは違うことと,親の反対があったことから,しばらく高校生部に行くのを止めていた時期もありましたが,間もなくまた高校生部に通うようになりました。
 その後,中央大学に入学した私は,中央大学原理研究会に入会しました。大学の原理研究会では,講義を聴く中で統一原理が説く歴史観に深い感銘を受け,この教えが真理であるとの確信を深めました。

3.両親が反対するようになった経緯
 1983年,大学1年の夏休み前に,私は統一原理の勉強をしていることを両親に話し,長期の研修会に行きたいと話を切り出しました。するとそのとたん,両親は統一教会も原理研究会もどんな団体か知らないはずなのに反対してきました。私が,急に長期研修会に参加したいと言ったため驚いたからということもあったようです。その後,両親は,いろいろな所から統一教会に対する悪いうわさを聞いたようで益々私の信仰に反対するようになりました。
 大学2年の春,両親は私を山梨県都留市にある日本基督教団谷村教会に連れて行きました。同教会にて私は,統一教会に反対している川崎経子牧師から3日間にわたって脱会説得を受けました。また大学3年の秋には,自宅で両親及び姉によって統一教会に反対しているセブンスデー・アドベンティスト教会の和賀信也牧師と面談させられ,同牧師より4~5時間にわたって脱会説得を受けました。和賀牧師の話を聞いても私の信仰は変わりませんでしたが,姉は,その後もエクレシア会(統一教会に反対する父兄の会)の集会には参加し続けたようです。姉は,どちらかというと拉致・監禁といった過激な手段を採らない和賀牧師の考え方に影響を受けたようです。しかし同じ時期,私の母は宮村峻が主催する,水茎会という組織の勉強会に参加するようになりまいた。後で詳しく言及しますが,水茎会は,東京都杉並区にある日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会(以下,「荻窪栄光教会」と言う)を拠点として統一教会信者に対する脱会説得活動を行っていた宮村峻が主催する組織で,同会には統一教会信者を子弟に持つ父兄達が集まり,宮村らから,拉致・監禁を手段とした強制的脱会説得(宮村等はこれを「救出」と呼ぶ)の方法等について指導を受けていました。

4.拉致監禁に至るまでの経緯
 1987年3月に中央大学を卒業後,私は自宅からアルバイトに通っていました。
 1988年4月,私と同じ中央大学原理研究会に所属していた1年後輩のHTという女性が突然失踪しました。当時,統一教会ではたくさんの教会員が拉致監禁による強制的脱会説得の被害に遭っていたため,私はHTさんのことが心配になり,当時,統一教会信者を監禁下で脱会させる活動をしていた荻窪栄光教会の森山諭牧師により強制的脱会説得を受けているのではないかと思い,同じ月の日曜日に思い切って荻窪栄光教会の礼拝に一人で参加しました。礼拝が終わった頃,TYさん(宮村の脱会説得によって脱会した元統一教会信者。後藤徹さんの監禁マンションにもしばしば訪れている)という人が私のところにきて,「貴方は統一教会の人でしょう?」と聞かれました。なんで私を統一教会信者と思ったのか分りませんでしたが,TYさんはさらに「統一教会からスパイのために来たのか?」,「悩んでいるのだったら話を聞く」などと言ってきました。私は統一教会信者であることを認めた上で少し話をしました。しかし,私は行方不明になっていたHTさんを探すことを優先しようと思い,早々に切り上げ,彼女を探し始めました。すると,すぐにHTさんを探し出すことができましたが,HTさんは既に脱会説得によって信仰を失っていました。しかも,この時HTさんは宮村と一緒にいました。

荻窪栄光教会
< YS氏が宮村氏と遭遇した日本イエスキリスト教団 荻窪栄光教会の外観 >
宮村は私を荻窪栄光教会の図書室のようなところに通し,宮村が脱会説得して脱会したと思われる元統一教会信者を何人か連れてきて,話を始めました。私が「拉致監禁のような手段で統一教会信者を脱会させるやり方は絶対に許せない」と話したところ,宮村は「拉致監禁などしていない」と主張し,一緒にいた元統一教会信者達に「この中に俺に拉致監禁されたものはいるか?」と問いかけました。すると全員がまるで判を押したように「されていません。」と答えました。その時は,宮村も元信者も一貫して私を威圧し,嘲笑するような態度でした。
 またこの時,私の母が水茎会に入会しているのではないかと思い,宮村にそのことを問いただすと,宮村は拍子抜けするほどあっさりとその事実を認め,母が書いたと思われる入会書類まで私に見せました。私は宮村自身から,私の両親が水茎会の勉強会に参加していることを聞いて,両親が私を監禁して脱会説得する機会を狙っていることは間違いないと思い,恐怖を感じました。

 この日帰宅後,私は両親に対して宮村に会ったことを伝え,拉致監禁はしないで欲しいと再三にわたって切実に訴えました。しかし,両親は明確な回答をせず,私と私以外の家族とで,双方弁護士を立てて話し合おうと言い出すありさまでした。私は,いつもの両親とは違う態度に唖然とし,本当に悲しくなりました。おおよそ,親子の会話とは思えないこの話の展開から,両親が宮村等の教育の影響を相当程度受けていることは間違いないと確信しました。その日以降,私は,いつ拉致監禁されるともしれない不安な日々を過ごさざるを得なくなりました。両親には,監禁ではなく,実家で自由な環境の中で信仰について話し合おうと何度も提案をしましたが,両親はまったく話し合おうとはしませんでした。

 1989年4月,私は生命保険会社に就職しました。これから社会人として頑張っていこうと心を新たにすることができましたし,また,一般企業に就職したことにより拉致監禁のリスクが低くなるのではないかという思いも持つことができました。私は教会では,勤労青年として毎週日曜日に礼拝に参加し,信仰生活を送りました。当時は,統一教会信者以外の人と過ごしている時間の方が圧倒的に多く,会社の同僚としばしば一緒に遊びに行くなど,教会信者以外の人達との交流の機会も大切にしました。即ち,私は統一教会の信仰をもっていることを除けば,一般の人と何等変わらない生活を送っていました。しかし,水茎会の勉強会等を通して宮村の徹底した指導を受けていた私の両親は,統一教会から私を脱会させずにはおれなかったようです。家族らは,宮村の指導,教育を受けつつ,私に対する拉致監禁,脱会強要の準備を進めていました。

5.拉致監禁から偽装脱会まで
 1989年10月初旬の日曜日,私は久しぶりに家族と共に外で夕食を食べました。このあと実家マンションに帰ると,叔母のAKとその夫のAK,それに従兄弟のAYが家に来ました。更に,余り家に来たことのない従兄弟のMAと札幌在住の叔父MHとが訪ねてきました。程なく父が「統一教会のことについて話し合おう」,「親戚一同心配しているので,信頼できる第三者に会って聖書について勉強しよう」と言い出しました。
 私は自分がこれから拉致監禁されることを感じ,「話ならここですればいいでしょう」「行きたくない」と何度も言いましたが,家族や親せきは,全く聞こうとはせず,執拗な説得が続きました。私は,とうとうこのような日が来てしまったと悔しい気持ちで一杯になりました。私は,家族が宮村と関わりをもっていることが発覚してからというもの,家族と何度も統一教会について話し合う機会を持とうと努力しました。しかし,私が話を持ちかけても結局,両親は相手にしませんでした。私は悔しい気持ちで一杯になり,この異常な状況から逃げ出したいと思い,自室に逃げ込み,ドアを締めようとしました。ところが,その日,食事に出かける前までは正常だった自室のドアの下の部分に金具がはめてあり,いつの間にか締まらないように細工がされていました。私はここまで用意周到に準備していたのかと改めて思い知らされ,愕然としました。

 家族等との押し問答の最中,宮村とおぼしき人物から家に電話がありました。後で母に聞いたところによると,マンションの近くで道路工事が始まり,人が夜中でもたくさんいるので,道路工事のところを通らずに済むよう道を変更するようにという指示だったそうです。逃げることのできない中,やがて私は親戚や家族に両腕をつかまれ車に乗せられました。私は,後部座席の真ん中に座らせられ,両脇を母と姉に挟まれました。運転は妹がしました。あとで聞いた話によれば,このとき,私の実家マンションの外には,私が逃げ出した場合に備えて水茎会の父兄らが見張りをしていたそうです。私は夜中に杉並区の荻窪駅近くの青梅街道沿いにあったマンションに連行され,6階の一室に監禁されました。同室の玄関ドアには2ヶ所に鍵がかかっており,その他に錠がかけてありました。窓という窓は木枠がはめられて窓を開閉できないように固定されていました。隙間があるとすれば換気扇と風呂場の小さな窓だけでしたが,いずれも人が出入りできるようなものではありませんでした。同室には既にM家の叔母と従姉妹が来ていました。まもなく宮村も現れましたが,私の様子だけ見てその日は帰りました。

 翌日から,宮村及び元統一教会信者等が毎日のように同室に来て執拗な脱会説得を行いました。当初,同室には家族,親戚や父の職場の男性2人(そのうちの一人はNさん),それに,水茎会の父兄が合計7~8人常にいて私を監視しました。宮村と共に同室に来た元統一教会信者は,TY(女),NI(女),AM(女),YC(女),KI(女),WK(男),AE(女),KY(女),HT(女)といった人達でした。TYはタバコを吸い,胡座をかき,とても高圧的な態度を採りました。宮村もかなりのヘビースモーカーで,宮村がいる時はいつも部屋の中が煙で白っぽく見えました。換気のできない空間で,空気が白く見えるくらいタバコを吸う姿に,人としての思いやりのなさ,常識のなさを感じました。しかし,私の両親は,そんな宮村やTYに何も言えず,ひたすら平身低頭でした。
 宮村はよく,「そんなに原理(統一教会の教理の統一原理のこと)が正しいのなら自分で両親を説得して,堂々とここを出たらいい」と言いました。私は,宮村のやり方に怒りを覚え,「監禁され自由が奪われているこの場所は真理を追求するところではない」と強く訴え,こんなやり方を即刻止めるよう糾弾しました。しかし,それに対し宮村は「S子ちゃんの言動が家族の情を踏みにじっている」と言って私を怒鳴りつけ,家族の情を引き合いに出して監禁を正当化しました。

 また,宮村は,「S子ちゃんがたとえ統一教会に逃げ帰ってもどこまでも追いかけていく」と言い,また「もしS子ちゃんが教会に逃げ帰ってもすぐに居所が分かる」と言って威嚇しました。宮村は,私を誹謗中傷しながら,時折,取り巻きの元統一教会信者らに同意を求めました。彼女達は,宮村に合わせて笑いながら頷きました。悪質な犯罪行為に加担させられていながら,笑っていられる彼女達の態度に私は強烈な嫌悪感を感じました。
 またあるときは,元教会員だけがマンションに訪れて来たこともありました。彼女たちは,私を馬鹿にした態度で罵倒し,私が返答すると答えになってないとか,ずれているとか言いながら笑っていました。あまりにも威圧的な態度に驚き,私は「宮村の説得に屈してしまった人たちは,こんなにもきつい性格に変わってしまうのだろうか。だったら私は絶対にこういう人達のようにはなりたくない」と思い,更に,嫌悪感が強まりました。後日,HTさんから,宮村からの指示でわざと私を怒らせるために威嚇したということを聞かされました。彼女たちが,一糸乱れず宮村の指示で動いているのだということが分かると,私は宮村に対する怒りが湧いてきました。命がけで信じてきた統一教会の教えが,監禁下における宮村の説得によって強制的に崩れされてしまった脱会者の心の空洞は計り知れないものだと思いました。その空洞を埋めるために,元信者たちは必死に統一教会を悪なる団体だと信じ込むようにしているのだと思いました。そして,拉致監禁により脱会させることが,統一教会信者に対する救いだと信じて,指示されるままにこのような悪質な犯罪行為に加担したのだと思いました。そういう意味で私は,宮村の脱会説得は人格破壊行為だと思っています。

 マンションに監禁されてから5日目くらいに私は,宮村らから一方的に聞かされる様々な情報に対して事実かどうか検証する自由は一切与えられず自分の主張も一切認められ中で,もはや,ここを出るには脱会を装う(偽装脱会)以外にないという結論に達しました。しかし,「統一教会の教えが間違いだった」ということは口が裂けても言いたくないー言でした。そこで私は,偽装脱会することを躊躇していました。ところが,監禁されてから1週間ぐらい経った時に,宮村が「脱会するまでパスポートは絶対に渡さない」と言ってきました。このことをきっかけに,私は偽装脱会を決意しました。私は国際合同結婚式に参加することを切望していましたが,当時合同結婚式は,韓国で行われていましたので,参加するためには絶対にパスポートが必要だったからです。宮村は私に「どんなことがあっても脱会するまでパスポートを渡さないし,外務省にはコネがあるのであなたのパスポートを再発給できなくすることは容易なことだ」と言って威嚇しました。たとえ脱出に成功してもパスポートがなければ合同結婚式に参加することができません。私は「偽装脱会してパスポートを取り戻してから統一教会に戻ろう」と心に決めました。
 宮村はいつも「偽装脱会を見破ることはわけない」と言っていまし,また,偽装脱会がばれてしまってそのまま監禁が長引いた例も話していましたので,実際に偽装脱会を実行に移すにはかなりの恐怖感が伴いました。私は,偽装脱会を実行するにあたっては,ばれないように涙を流して迫真の演技をしなければいけないと思いましたが,宮村の前で涙を流す屈辱に耐える自信がなかった私は,元教会員の中でも比較的温和そうな人がマンションを訪れた際に,屈辱を感じつつも涙を流して脱会の意思を表明しました。しかし,宮村は,統一教会信者は脱会後,社会復帰のために“リハビリ期間”が必要だと主張し,私は,監視付きのリハビリ生活を強いられることになりました。

6.偽装脱会から解放まで
(1)宮村から聞いた話
 偽装脱会して間もなく,ストレスのせいか鼻血を出しました。偽装脱会後,宮村の口調はトーンが低くなり,マンションを訪れる回数も減りました。また,脱会表明後は,罵詈雑言を浴びせられることもなくなり,宮村の話を聞いているだけでよかったので,少し楽になりました。そして,この頃から監視つきであれば時々は外出もできるようになりました。とはいうものの,私は偽装脱会がいつばれるかも知れないという恐怖におののき,心が休まることは全くありませんでした。
 拉致監禁後10日目には,水茎会の父兄らの監視付きながら始めて外出が許されました。その後間もなく,父は職場に,2人の姉妹は学校にそれぞれ復帰しました。
 宮村は,よく自分の脱会実績を自慢していて,「成功率は限りなく100パーセントに近い」「俺はそのへんのへっぽこ牧師とは違う」などと言って鼻高々でした。宮村が脱会させた取り巻きの元信者も,まるで合いの手を打つように,宮村の求めに応じて頷いていました。そんな自信満々の宮村でしたが,1989年11月ごろでしたが,一度,悔しそうな顔をして,「荻窪栄光教会から礼拝中に逃げて行った馬鹿な男がいる」「今度は絶対に落としてやる(脱会させてやる)」と言っていたことがありました。私は,その時,この人物はどんな人なのかと興味を持ったのですが,後にこの人物こそ,本件の原告である後藤徹さんであることを知りました。この時,明らかに宮村は,後藤さんを再び拉致監禁して脱会説得する日を虎視眈々と待っていました。なお,宮村が「今度は絶対に落としてやる」と言っていた人物が後藤さんであると分かったのは,ルポライターの米本和広氏がブログ「火の粉を払え」に掲載した後藤さんの陳述書を読んだことがきっかけです。この陳述書は後藤さんが刑事事件用に作成したものでしたが,後藤さんが1987年に1回目の拉致監禁の被害を受けた際の顛末を読んで,時期や状況から後藤さんに間違いないと確信しました。

(2)元信者の親御さんらから聞いた話
原理研究会で1年下の後輩で宮村に脱会説得を受けて脱会した前記HTさんのお母さんが,私が監禁されたマンションに良く来ました。ある時,HTさんのお母さんは私に「Y子ちゃんのようになってはだめよ」と言いました。Y子ちゃんというのは,TYさんのことです。TYさんのお母さんは娘を統一教会から脱会させることができたものの今度は宮村のところに行ってしまったので,宮村という人間を嫌うようになったとHTさんのお母さんはハッキリと言っていました。元統一教会信者や宮村と共に食事に行ったある父兄は,宮村から財布を預かったTYさんが宮村の代わりに食事代を支払うところを見て「宮村の愛人みたいで不快に思った」と話していたそうです。私はHTさんのお母さんの話を聞いて,宮村は相当問題のある人だという印象を受けました。
私の母もこの話は横で聞いていましたが,問題のある人物に娘の将来を託す親に私は心底失望しました。そこで,私が今後統一教会に戻っても,私の両親が2度と宮村に頼ることがないようよくよく釘を刺しておかなければならないと思いました。

 また,元統一教会信者のAMさんという人からは,宮村が自分に来る年賀状の枚数が少ないことをぼやいていたという話を聞きました。宮村は普段,誰に対しても不遜な態度を採り,統一教会信者の親御さん達は宮村の前に平身低頭していますが,自分の子供を脱会させることができさえすれば,宮村には関わりたくないという思いを持つ親御さん達が多いのではないかと思いました。
 また,これもHTさんのお母さんから聞いた話ですが,宮村の夫人が水茎会の父兄達を前に,「主人に活動をやめさせて下さい」と涙ながらに訴えた事があったそうです。その理由まではさだかではありません。

(3)宮村による荻窪フラワーホームの利用
1989年11月ごろ,リハビリ生活を強いられていたある日,私は,自分が監禁されていたマンションとは別の「荻窪フラワーホーム」というマンションの高層階の一室に連れていかれました。そこには,既に宮村の脱会説得により信仰を失った元統一教会信者がいました。名前は覚えていませんでしたが若い青年でした。そこには,当時日本基督教団新宿西教会(以下,「新宿西教会」という)の有馬歳弘牧師も来ていました。有馬牧師は,監禁下での宮村の説得によって脱会した元統一教会信者を相手に聖書の話などをしていた牧師です。私は,若い青年とともに,聖書の話などを有馬牧師から聞かされました。
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<荻窪フラワーホームの外観>

このマンションは,変わった間取りのマンションだったのでよく覚えています。細長く奥の部屋から玄関脇まで一直線で,監禁された統一教会信者を監視するにはちょうどよい間取りであると思いました。
荻窪フラワーホーム804号室間取り図


 2008年2月に後藤さんが12年5ヶ月に亘る監禁から解放されてより後,このマンションの一室が,後藤徹さんの監禁に使われた部屋であることを知って私は愕然としました。1996年にもMKさんという統一教会信者が,このマンションの5階の一室に監禁されたと聞きました。更に,統一教会の合同結婚式に参加し婚約者がいたにもかかわらず,2008年1月に実家に帰ったまま失踪し,約1年間に亘って音信不通となった女性信者が,その間宮村の脱会説得を受けて統一教会を脱会しましたが,その女性信者も2009年8月頃,同マンションにいたことが判明しています。宮村は,同マンションのうちの数室を20年以上にも亘って確保し,拉致監禁のために繰り返し利用して来たのだと思います。

(4)監禁現場への同行
 ある時宮村から,監禁されている統一教会信者の脱会説得に同行するよう命じられました。これは,リハビリの一環として脱会したばかりの人に対しての教育的な意味も含めて行われるとのことでした。しかし,私にとっては大変な苦痛でした。目の前に監禁されている信者がいるのに助けることもできず,むしろ加害者側に立って同席することは,身を裂かれるように辛いことでした。この時,私が宮村に連れて行かれた荻窪のマンションには,AYさんという統一教会信者の青年が監禁されていました。
 宮村が,AYさんが監禁されている部屋の玄関ドアを合図のように3回ノックすると,中から鍵があけられ,宮村と私とを入れました。AYさんの家族は宮村に対してひたすら平身低頭で,素晴らしい先生が来て下さったと言わんばかりの態度で宮村を迎え入れました。中に入ると,AYさんは怯えるような表情で座っていました。おそらく連行されてからまだ日が浅かったのだと思います。宮村に対し,監禁の不当性を訴えていましたが,宮村は,「俺は監禁なんかしてない」とうそぶいていました。更に宮村は,横にいた私に,「S子ちゃんは俺に監禁なんかされたかー?」と尋ねてきました。私が「はい,監禁されました」とつい本当のことを言ってしまったところ,急に宮村の表情が険しくなりました。もう一度同じことを聞かれましたが,同じように「監禁されました」と答えたところ,宮村は話題を変えてしまいました。
 AYさんが監禁されていたマンションには,AYさんのご両親をはじめ,親戚の方も大勢いました。宮村が何か言うと,中にいた人達は一様に深く頷いていました。統一教会の教えの中に,神はすべての万物を陽陰の二性につくられたという二性性相という教えがありますが,宮村は二性性相を否定し,人間には男と女以外にも性があると言い出しました。私は驚いてしまいましたが,更に驚いたことに,この荒唐無稽な宮村の話に対し,周りにいたAYさんの親戚の方々は皆さん深く頷いていました。宮村が,カラスが白いと言ってもそうだといいかねない異常な空気を感じました。
 AYさんはその数日後,脱会の意思を表明しました。AYさんはその後,後藤徹さんの監禁現場にも夫婦で度々足を運んだと聞いています。

(5)退職
 “リハビリ期間”を終え,自宅に帰るには宮村の許可が必要でしたが,宮村の許可はなかなか出ず,折角就職した生命保険会社に行くこともできませんでした。私としては会社を辞めたくはありませんでしたが,宮村から「会社に行くよりもまずは聖書の勉強だ」と言われたため,これ以上長期休暇を続けることはできないと思い,断腸の思いで退職届を出しました。大学を卒業してより後,一念発起して就職した会社でしたが,わずか半年で退職に追い込まれてしまいました。この頃から私は,日本基督教団・新宿西教会で毎週行われていた有馬牧師の聖書勉強会に参加させられるようになりました。牧師としてこのような拉致監禁にかかわったこと自体は残念でしたが,脱会を表明した後は,有馬牧師にバトンタッチをし,宮村との接点がほぼなくなったので,そういう意味では助かりました。また,有馬牧師は時々,宮村のことも批判していたので,バランス感覚のある人だという印象も持ちました。この頃になるとずいぶん自由になりましたが,パスポートを取られたままであったため,教会に戻ることはできませんでした。
 脱会した元統一教会信者は,拉致監禁という言葉を使わず,“救出 “という言葉に置き換えて話していましたが,私にはできず,私は相変わらず拉致監禁という言葉を使っていました。その度に母や水茎会の父兄から注意されましたが,どんなにいやな顔をされても元統一教会信者の人達と同じように”救出”という言葉を使うことはできませんでした。私が宮村や家族によってされた行為は“救出“などではなく“拉致監禁”だったからです。母や,水茎会の父兄からいやな顔をされることはあったとしても,本当のことを表明することで心がすっきりし,精神の安定のためにはよかったと思います。自由を奪われ自力では脱出できない明らかな監禁下で,あれだけの人格否定,罵倒を受けながら,その行為を“救出”と呼ばなければならない元統一教会信者達は,果たしてずっと健全な精神を保っていられるのかと不安に思いました。

(6)水茎会の集会
 マンションに連行されてから1ヶ月ぐらい経った頃から,中野区新井薬師にある日本基督教団聖書之友教会(以下,「聖書之友教会」という)で行われていた水茎会の集会に参加させられるようになりました。初回参加時には,多数の父兄の前で脱会宣言と言われるスピーチをするように宮村から指示されました。脱会宣言は,脱会者にとっては“踏み絵”の意味があり,父兄達にとっては,自分の子供もいつか脱会させることができるという希望を持たせる狙いがありました。私は信仰を失った振りをしているとはいえ,大勢の前で,脱会宣言することだけは憚られ,本当に緊張しました。
 その後も何回か水茎会の集会に参加させられましたが,この集会に参加することは本当に苦痛でした。参加者の中には,私が知っていた統一教会信者の親御さんもいました。
 また集会では,参加者が有馬牧師や宮村の話を聞いた後,宮村及び元統一教会信者による“救出”に向けた個別相談会が行われていました。“救出”というのは拉致監禁を手段とした統一教会信者に対する脱会説得活動のことで,水茎会ではこの活動を“救出”と呼んでいました。ある統一教会信者の家族は,親族の中に“救出”に前向きでない人がいるということで,最初TYさんがその家族の中に入り,相談に乗っていましたが,やがて宮村も入って,その件で打ち合わせをしていました。監禁現場では,「自分は監禁なんかしていない」と常日頃うそぶいていた宮村でしたが,実際には拉致監禁に前向きでない親族を前向きにさせるための相談にまで乗っていたのでした。水茎会に参加する中で知ったことですが,家族の中に拉致監禁に否定的な考えの人がいる場合は,失敗する可能性が高まるからという理由で拉致監禁はしないことになっていました。宮村は,統一教会の影響の及ばないところでの説得によらなければ,子供を脱会させることはできないと常日頃指導していました。統一教会の影響の及ばない状態を造り出そうとしたら,統一教会信者が外部に連絡できない状況を作り出す以外になく,信者を監禁して部屋から外出できない環境を準備することが,宮村の指導する脱会説得においては不可避でした。
 水茎会の会費は,当時月5000円でした。宮村による“救出”を待ちわびている人たちは,1000人ほどいました。宮村が得意げに“救出”待ちの人達の情報を記載した書類の束を私に見せたことがありましたが,書類に連番で振られている数字を見て,1000人ほどというのが事実であることを確認しました。そうすると会費収入だけでも5000円×1000人=500万円で相当なお金になると思うのですが,当時,このお金はどのように使われているのだろうかという疑問を持ちました。

(7)水茎会の事務所-西央マンション
 水茎会は,西央マンション(杉並区南荻窪4-11-10)の一室に事務所を構えていました。同室にはパソコンも置いてあり,電話には録音機能がついていました。おそらくこの事務所の経費は会費からまかなっているのだろうと思います。更に,宮村は他にも監禁用にマンションの部屋を数部屋確保していたので,その家賃も会費等でまかなっているのではないかと思います。私がマンションに居た時は,他にも別の部屋で監禁され脱会説得を受けていた人達が何人かいましたし,その後も次々と,統一教会信者が拉致監禁されていました。これらのマンションは,水茎会が組織的に準備し,維持していたものと確信しました。
ある時,宮村から西央マンションに呼ばれ,知っている統一教会信者の名前を全員リストアップするようにと言われました。私が知っている信者の名前をリストアップすると,それをTYさんが,パソコンで1人1人検索しました。私が名前を挙げた人の名前がすでにパソコンに入っている場合もありましたが,ない場合は,パソコンに入力していました。かなり多くの信者の名前やその他の情報がパソコンに既に入力されていました。宮村は,当時パソコンを使える人がいなかったのでわざわざ習いにいかせたと言っていました。統一教会信者の情報をデータベース化することによって,新たな”顧客”の開拓に利用するつもりだったのではないかと思いました。
12月末,ようやくマンションを出てもいいとの許可が宮村から出て,私は自宅に帰ることができ,自由の身となることができました。

7.監禁解放後の宮村等との関わり
(1)宮村の嘘
 統一教会では,創始者の文鮮明師は早稲田大学の系列校の早稲田高等工学校を卒業したと言われていました。ところが宮村は私を監禁していた間,早稲田高等工学校は早稲田大学の校舎を借りていた専門学校に過ぎず,早稲田大学とはまったく関係がないと言い,文師は学歴を詐称していると言い張っていました。そこで私は監禁から解放されてから真っ先に早稲田大学事務室に電話で問い合わせました。すると,早稲田高等工学校は早稲田大学の系列校で,卒業証明書は総長名で発行することを確認することができました。その後宮村に会ったとき,この事実を突きつけると,宮村は消えるような声で「ほうーそうかー」とつぶやきました。そして「S子ちゃんはまじめすぎるのだよ。もっと遊んだほうがいい」と言ったのでした。

 また別の機会に私は母に,宮村に謝礼をいくら支払ったかを聞きました。母はなかなか教えようとしませんでしたが,最後に常識程度の謝礼を払ったことを認めました。私は母に「宮村さんは,謝礼は一銭も受け取ってないし,父兄の方と打ち合わせをするときの喫茶店のコーヒー代ですら,割り勘にしていると言ってたけど,宮村さんの言っていた事は嘘ってことだよね」と念を押しました。このとき母はただ黙ってうなだれていただけでした。
 私はこのような経験を経て,結局,宮村という人物は,統一教会信者を脱会させるためならば監禁だろうと,嘘だろうと,手段を選ばない人物なのだ,と改めて思い知らされました。 
 私はその後,宮村に会いたくなかったので,水茎会の集会には顔を出さなくなりました。しかし,この頃私は黒い車を街で見かけただけで胃が痛くなりました。宮村は当時黒い車を所持し,説得現場にはその車で来ていました。私は,黒い車を見る度に,宮村に監禁下で説得されたことを思い出し,本当に憂鬱な気分になりました。たとえ,監禁は解かれたとしても,宮村の残像が私を苦しめました。

(2)HNさんに対する拉致監禁
1990年,中央大学原理研究会で一緒に活動していたHNさんという統一教会信者がキリスト教神戸真教会の高澤守牧師の指導の下,監禁されてしまいました。宮村は拉致監禁活動において高澤牧師と連携しており,自分もHNさんの脱会説得に向かうので同行して欲しいと電話で私に要請してきました。宮村は,「一緒について来てくれたら,神戸のオリエンタルホテルのレストランで旨いものを食わせてやる」とまで言ってきました。脱会した元統一教会信者はお礼奉公のような形で自分と関係の深い統一教会信者の脱会説得を手伝うことが常でしたので,断りにくい状況にはありましたが,私は宮村と一緒に神戸まで泊まりがけで行って,さらに,一緒に活動していた信者の脱会説得に行くなど到底考えられず,断りました。電話を切った途端,今度は両親が,脱会説得に加わるよう強く言ってきましたが,私は「拉致監禁のような犯罪行為には加担したくない」と言って頑として断りました。その後水茎会の父兄らからも,HNさんの説得に行かないのかと何度か聞かれました。彼らの言い方は,半分非難めいて聞こえました。行くのが当たり前という雰囲気の中で脱会説得の同行を断ることは大変でしたが,何とか行かずにすみました。しかし,殆どの元統一教会信者は,要請があった場合断りきれずに,監禁下での脱会説得の手伝いをさせられることになるのだと思います。
 HNさんはその後,統一教会を脱会しました。HNさんのご両親は資産家であったため,新宿の京王プラザホテル一階レストランで宮村及び高澤を招いてHNさんの“脱会祝い”のパーティーが行なわれましたが,心ならずも私も同パーティーに出席しなければなりませんでした。久しぶりの宮村と同席のこのパーティーは,私にとっては針の筵以外の何物でもありませんでした。

(3)宮村等の画策による「青春を返せ訴訟」
 HNさんの脱会説得が取り沙汰されていた頃,拉致監禁によって脱会した元統一教会信者らを原告として立てて「青春を返せ訴訟」なるものを全国各地で起こそうとする動きが統一教会に反対する者達の間で出てきました。自分達は統一教会にマインド・コントロールされて入会し,貴重な青春を奪われたと主張して賠償金を請求するというものです。有馬牧師は聖書の勉強会の時に,そこに集まった元教会員達1人1人にこの訴訟に参加するのかどうかを問いただしていたことがありました。中には意気揚々と裁判で闘うといっている元統一教会信者もいましたが,統一教会に貴重な青春を奪われたという悲壮感は,原告となった元信者等からはあまり感じられませんでした。私は当時宮村とは関わらないようにしていたので,宮村から「青春を返せ訴訟」の原告になるよう勧められずに済みましたが,原告の一人となったAMさんは,元統一教会信者を原告にさせる宮村のやり方には問題があると私に漏らしたことがありました。事実,原告等の代理人の1人であったIY弁護士とIY弁護士が代理した原告等は,裁判の途中宮村のやり方に疑問を感じるようになり,遂に裁判から完全に離脱したと聞いています。
 この訴訟問題が持ち上がった頃から,私は偽装脱会生活のストレスがピークに達しました。信仰を表明できないつらさのせいか,私は1人になるといつの間にか独り言を言うようになりました。もしかしたら,周りの人からも頭がおかしいのではないかと思われたことでしょう。しかし,「このままでは本当におかしくなってしまうかも知れない」と思い,偽装脱会を続けることに限界を感じました。取られていたパスポートもようやく返してもらえたこともあり,1991年10月,私は家族に「ここから出て行きます。長い間お世話になりました」と言って家を出て原理研究会に戻りました。拉致監禁されてから約2年ぶりのことでした。私にとり2年間にわたる偽装脱会生活はたいへん苦しいものでした。
 後藤徹さんの場合,信仰を失ったふりをするものの,2年間に亘って解放されなかったため,信仰を保っていることをご家族に告白されたとのことですが,私はその後藤さんのご心中がよくわかります。私は,限定された空間での心の自由を奪われていただけでしたが,後藤さんの場合は体の自由も奪われていたわけですから,私とは比べ物にならないほど苦しかったことと思います。

8.脱出後の生活と後藤さんの拉致監禁事件
 私は,ようやく信仰の自由は取り戻したものの,再び拉致監禁されることを恐れ,しばらくは両親に居所を明かせませんでした。しかし,両親を心配させてはいけないという思いから,時々,抜き打ちで家に帰ったり,手紙を書いたり電話をかけたりしながら,欠かさずにコンタクトをとっていました。
 その後,家族の大反対の中,1992年8月統一教会で行なわれた国際合同結婚式に参加し,韓国人男性と結ばれました。その後,父が入院したことをきっかけに拉致監禁の心配はないと判断し,しばしば家に帰るようになりました。1995年には家庭を持ち,1995年に長女,1997年に長男を出産しました。長男を出産した後,私と夫,子供達はそろって実家に迎えてもらえるようになりました。今では,統一教会の話は抜きで,両親だけでなく姉の家族や妹の家族とも仲良く交流しています。
 父は2009年に他界しましたが,月1回の父の墓参りは,家族の恒例行事になっています。統一教会信者の私と,統一教会には反対の立場である母,姉,妹と仲良く交流できているのは,両親が宮村に二度と頼らなかったからにほかなりません。私は子供が生まれてからは,子育てと仕事などに追われ,忙しく充実した日々を送っていたため,宮村のことも,拉致監禁のこともすっかり忘れていました。
しかし,2008年に入り,後藤徹さんが12年5ヶ月ぶりに拉致監禁から解放されたという情報に接し,再び宮村峻の名が頭から離れなくなりました。私が,充実した生活を送っている間,後藤徹さんはあの荻窪フラワーホームの一室で屈辱に耐えながら監禁生活を送っていたとは本当に心が痛みます。なぜ,後藤さんが解放されるまで12年5ヶ月という年月が必要だったのでしょうか?
 私が一番憤りを感じるのは,他でもないこの自分自身に対してです。私は,拉致監禁の被害にあって21年になります。その間にもたくさんの教会員が全国で暗躍している脱会説得者により,拉致監禁の被害に遭い,その後の人生を狂わせられているのです。監禁中に自ら命を絶った人もいます。それなのに私は,被害に遭っている人たちのためになにもしてあげられなかったばかりでなく,耳をふさいで知らん振りをしていたのです。本当に被害に遭われた皆様の前に申し訳なく思います。
 私が,偽装脱会を経て統一教会に戻ってきた後は,宮村の脱会説得は,TYさん,YYさん,小出浩久さんなど失敗続きでした。おそらく,成功率の高さを鼻にかけていた宮村は,こうした失敗を踏まえ,監禁された統一教会信者をいつ解放するかの判断をより厳格に行うようになったのだと思います。後藤さんが12年5ヶ月も解放されなかったのは,宮村から解放の許可が出なかったからに違いありません。家族だけで説得をしているのであれば,このような不毛な時間を費やすことはなかったはずです。
以 上


2012-05-28(Mon)
 

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つまみ食い的4題 

泣ける
(たとえば私のように、相手を一方的に糾弾する人は多い。しかし、自分が被害にあいながら、内省する人はあまりいない。だから泣けるのだ)

 私が一番憤りを感じるのは,他でもないこの自分自身に対してです。私は,拉致監禁の被害にあって21年になります。その間にもたくさんの教会員が全国で暗躍している脱会説得者により,拉致監禁の被害に遭い,その後の人生を狂わせられているのです。監禁中に自ら命を絶った人もいます。それなのに私は,被害に遭っている人たちのためになにもしてあげられなかったばかりでなく,耳をふさいで知らん振りをしていたのです。本当に被害に遭われた皆様の前に申し訳なく思います。

嗤える
(本質を見抜き、言葉を曲げない人と、尊師のためと平気で言葉を曲げる人との差である)
 脱会した元統一教会信者は,拉致監禁という言葉を使わず,“救出 “という言葉に置き換えて話していましたが,私にはできず,私は相変わらず拉致監禁という言葉を使っていました。その度に母や水茎会の父兄から注意されましたが,どんなにいやな顔をされても元統一教会信者の人達と同じように”救出”という言葉を使うことはできませんでした。私が宮村や家族によってされた行為は“救出“などではなく“拉致監禁”だったからです。母や,水茎会の父兄からいやな顔をされることはあったとしても,本当のことを表明することで心がすっきりし,精神の安定のためにはよかったと思います。自由を奪われ自力では脱出できない明らかな監禁下で,あれだけの人格否定,罵倒を受けながら,その行為を“救出”と呼ばなければならない元統一教会信者達は,果たしてずっと健全な精神を保っていられるのかと不安に思いました。

情けなや
(ヘッポコ屋はいつも怯えている)

 ある統一教会信者の家族は,親族の中に“救出”に前向きでない人がいるということで,最初TYさんがその家族の中に入り,相談に乗っていましたが,やがて宮村も入って,その件で打ち合わせをしていました。監禁現場では,「自分は監禁なんかしていない」と常日頃うそぶいていた宮村でしたが,実際には拉致監禁に前向きでない親族を前向きにさせるための相談にまで乗っていたのでした。水茎会に参加する中で知ったことですが,家族の中に拉致監禁に否定的な考えの人がいる場合は,失敗する可能性が高まるからという理由で拉致監禁はしないことになっていました。宮村は,統一教会の影響の及ばないところでの説得によらなければ,子供を脱会させることはできないと常日頃指導していました。統一教会の影響の及ばない状態を造り出そうとしたら,統一教会信者が外部に連絡できない状況を作り出す以外になく,信者を監禁して部屋から外出できない環境を準備することが,宮村の指導する脱会説得においては不可避でした。

怒りというか呆れ
所詮、さえないオッサン。能力を発揮しないままで終る人。ラーメン、ソーメンだ

 私は母に,宮村に謝礼をいくら支払ったかを聞きました。母はなかなか教えようとしませんでしたが,最後に常識程度の謝礼を払ったことを認めました。私は母に「宮村さんは,謝礼は一銭も受け取ってないし,父兄の方と打ち合わせをするときの喫茶店のコーヒー代ですら,割り勘にしていると言ってたけど,宮村さんの言っていた事は嘘ってことだよね」と念を押しました。このとき母はただ黙ってうなだれていただけでした。

 原理研究会で1年下の後輩で宮村に脱会説得を受けて脱会した前記HTさんのお母さんが,私が監禁されたマンションに良く来ました。ある時,HTさんのお母さんは私に「Y子ちゃんのようになってはだめよ」と言いました。Y子ちゃんというのは,TYさんのことです。TYさんのお母さんは娘を統一教会から脱会させることができたものの今度は宮村のところに行ってしまったので,宮村という人間を嫌うようになったとHTさんのお母さんはハッキリと言っていました。元統一教会信者や宮村と共に食事に行ったある父兄は,宮村から財布を預かったTYさんが宮村の代わりに食事代を支払うところを見て「宮村の愛人みたいで不快に思った」と話していたそうです。私はHTさんのお母さんの話を聞いて,宮村は相当問題のある人だという印象を受けました。
 私の母もこの話は横で聞いていましたが,問題のある人物に娘の将来を託す親に私は心底失望しました。そこで,私が今後統一教会に戻っても,私の両親が2度と宮村に頼ることがないようよくよく釘を刺しておかなければならないと思いました。
2012-06-01 19:00 | 米本 | URL   [ 編集 ]

同じ思い 

<私が一番憤りを感じるのは,他でもないこの自分自身に対してです。私は,拉致監禁の被害にあって21年になります。その間にもたくさんの教会員が全国で暗躍している脱会説得者により,拉致監禁の被害に遭い,その後の人生を狂わせられているのです。監禁中に自ら命を絶った人もいます。それなのに私は,被害に遭っている人たちのためになにもしてあげられなかったばかりでなく,耳をふさいで知らん振りをしていたのです。本当に被害に遭われた皆様の前に申し訳なく思います。>

この陳述書で一番心に響き、ガーンときたのはこの部分です。

私は脱会者ですけど、知らんふりしてたのは、同じだからです。

私が拉致監禁に合ったのは17年前。
拉致監禁による説得には疑問をもちながらも、自分が脱会できたんだから、必要悪と思ってました。
周りから「これ以外にどんな方法があるの?」と言われたり、「監禁ではない。保護だ。救出だ。」「親はあなたのために犠牲になって救出してくれた。感謝しないと、ね。」と言われたら何も言い返せなくなり、口を噤んでました。
拉致監禁に疑問を発するのはおかしいことなんだ、これは正しいことで、感謝しなければいけないと思ってました。

長いものにまかれて、日常生活を適当に謳歌してました。

でも、米本さんのブログ、本を通して、後藤さんの12年の監禁事件、また元信者が拉致監禁による後遺症のPTSDで苦しんでいること、他にも様々な問題が起こっていることを知りました。

疑問に思いながら黙っていた、必要悪と片づけていた自分を何て卑怯な奴なんだ、と思いました。

何故、「統一教会も問題あるけど、そこを脱会させるための拉致監禁も問題ある。」ということを言わなかったんだろう、と。

2012-06-02 09:06 | koyomi | URL   [ 編集 ]

コメントありがとうございました。 

米本さん
Koyomiさん
コメントありがとうございました。
この陳述書は私のものです。

私は、米本さんの火の粉ブログを見るまでは、拉致監禁のことには、まったく非協力的でした。なにしろ、自分が拉致監禁の体験者であることもできれば知られたくなかったし、それに自分が何かしたところで、解決にもならない。

被害にあった人は、自分で工夫して出てくればいい。

そんなふうに考えていました。

なんか冷たいですね。真の愛を標榜する教会にいながらにしてこんな考えしかもてないほどこの拉致監禁に関しては、諦めモードでした。

しかし、火の粉ブログに載っていた後藤さんや米本さんの陳述書を見て、かなりの衝撃を受けました。

その後、自殺した藤田さんのこと知りました。(本当に恥ずかしいことですが、知るのが遅すぎました。)
脱会者にも、PTSDで社会復帰が困難な人がいることも知りました。その他にもいろんなことをいっぺんに知りました。


私が、後藤さんを支援する会の世話人をしているのも、後藤さんのためもあるのですが、過去の罪滅ぼしの意味もあります。



2012-06-02 10:22 | YAMA | URL   [ 編集 ]

観念せい! 

<宮村及び元統一教会信者等が毎日のように同室に来て執拗な脱会説得を行いました>
<宮村が,AYさんが監禁されている部屋の玄関ドアを合図のように3回ノックすると,中から鍵があけられ,宮村と私とを入れました>
<“リハビリ期間”を終え,自宅に帰るには宮村の許可が必要でしたが,宮村の許可はなかなか出ず,折角就職した生命保険会社に行くこともできませんでした>

YSさんは、宮村によって脱会説得を受け → 宮村と一緒に信者の説得に加わり →宮村の許可がでなかったことで自宅に戻れず退職までした……。
この証言は決定的ですね。
もはや言い逃れはできないでしょ。

さて、宮村はどう反論するのでしょうか。
証拠がないことをいいことに「すべて、でっち上げだ」「統一協会のキャンペーンの一環で作り上げられたストーリーだ」として、具体的な反論を回避するのでしょうか。

専門的なことは良く分かりませんが、物的証拠がないからといって、こうした証言を軽視していたら、拉致監禁事件は犯人の思うがままになってしまいますよね。

そろそろ、観念したら、どうでしょうか。
宮村も山口弁護士らも見苦しいかぎりです。
2012-06-04 08:58 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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