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宮村峻氏の準備書面(第2)

宮村氏の準備書面(第2)を掲載する。
宮村氏の準備書面としては、3点目となるが、なぜかタイトルは、準備書面(第2)である。

後藤徹氏の準備書面(4)及び(5)の反論となる。かなりの長文である。
後藤氏の準備書面及び、原告側の関係者の陳述書の引用が多数見られるが、関係者の陳述書に関しては、小出氏のもの以外、いまのところ掲載に至ってない。原告側関係者のよる陳述書の記述に関しては、「強く否認する」という言葉を連呼しているため、読者としては、関係者の陳述書が気になるところであろう。

被告側の準備書面の掲載がすべて終了した時点で、随時、当事者以外の陳述書も掲載する予定である。

まずは、宮村氏の準備書面(第2)を読んでいただきたい。
        
準備書面(第2)

               
2012 (平成24)年2月7日
(次回期日2月21日)


東京地方裁判所民事第12部合議係 御中


        
被告宮村峻訴訟代理人          
弁護士  山   口       広
弁護士  木   村       壮


第1 原告準備書面(4)に対する認否反論
 1 本件は、原告の兄夫婦、妹、母親、父親など近親者が、原告の統一協会信者としての活動の継続の是非について、原告自身でじっくり考えてほしいと希望し、原告と話し合おうとしたが、原告が真摯な対応をしないまま12年もの間、マンションの一室に居座った状態となり、それがあまりに長期に及んだため、兄夫婦らが原告の自覚を促すため話し合いの場から外に押し出したところ、原告が統一協会信者としての立場に立って、その離教の説得のために監禁され続けたなどと主張して、刑事告訴しそれが不起訴に終わるや、更に民事訴訟を提起したものである。
 しかも、原告は、被告宮村のこれまでの活動について、統一協会が組織をあげて嫌悪し、その活動を抑止せんとしていることから、何の具体的根拠もないにもかかわらず、他の信者らの被告宮村に対する誹膀中傷や個人攻撃などを最大限援用しつつ、「信者A、B、Cが宮村についてこう主張しているのだから、原告についても、そうだったに違いない」などと決めつけて、被告宮村をことさらに論難している。
 被告宮村としては、元信者A、B、Cが宮村について主張している事実について強く否認するものであり、必要と思われる範囲で反証する。更に、「A、B、Cがこう主張しているから原告についてもそうだったに違いない」という著しく飛躍した多くの主張について強く否認するものである。
 被告宮村は、原告の了解のもと、原告のために、原告が滞在しているマンションに、原告主張が正しければ73回(この回数については、被告宮村は数えていないので、特に争うものではない)赴いて、原告が、統一協会信者でありつづけること、信者としての活動をつづけることの是非を自分なりに考えることを手助けするべく話し合ったものであり、それ以上の関わりをしたものではない。
  以下、原告準備書面(4)(以下本項では「同書面」という)の被告宮村についての主張部分について認否反論をなす。

2 同書面P4、5(第1. 1. (4))について
 京王プラザホテルでの原告と家族、その後宮村との話し合いについて、「監禁」と決めつけ、当初より「宮村が関与していた」とする原告主張は事実に反しており否認する。
 原告が引用するTYの主張(甲18の18頁)は事実を歪曲したものであり、同ホテルに同TYを監禁したものでも、それに宮村がかかわったものでもない。
 また、OFの手記(甲24のP 175以下)を読んでも、信者OBを家族が監禁したという事実を述べたものであるとは到底認められない。ましてその「監禁」を、宮村が指導したことを述べたものであることも認められない。むしろ甲24のP175以下のOFの文面は、激しく動揺して部屋の中で暴れる信者OBを家族が懸命にたしなめ、その結果信者OBも本気で自分で考えるようになった経過が記述されている。まして、宮村がOBの監禁について「家族と共謀して…常習的に行ってきた事実」はない。

3 同書面p 15、16(第2 .4 )について
(1)原告は被告宮村が書いた書籍の文章(甲24のP118-152)を著しく曲解しつつ引用して、宮村が「統一協会信者を脱会させるためには何年間であろうとも信者を監禁すべきだと考える異常な思想の持主なのである」と決めつけているが、強く否認する。
 わが子や妻が統一協会の信者になってしまった場合、通常の家族間の対話は成り立たなくなるし、子や妻は社会的に許されない行為を「正しいこと、なすべきこと」と信じ込まされて、家族の反対を押し切りあるいは家族の目をごまかして行い続け、周囲の人々をも新たな被害者にしていく現実がある。
 そうであるからこそ被告宮村は、相談に来た家族に対して、大変だけど懸命にかつ辛抱強く努力すれば、相談者の子や妻が自分で考えることができるようになるはずであり、現にそのようにして対話を取り戻した実例がたくさんあることをていねいに説明しているのである。
 現在では、お金さえ払えば、誰かその道の専門家に頼めば、わが子や妻を「脱会」させてくれるのではないかと安直に考えている人が少なくない。そこで、宮村はこれは誰かに頼めばすむことではではなく、家族自ら学び、考え、模索し、辛抱強く努力することで道が開けるのであって、誰かに頼るのでは駄目だと強調している。
 その上で、カウンセリングの考え方や話し合いの際の中心的テーマなどは牧師やカウンセラーによって違うので、信頼できる、家族と波長のあうカウンセラーとよく相談しつつ、取り組むことが大切であることを強調している。
 家族にとって都合のよいことや思い通りのことを言ってくれる牧師やカウンセラーなどに頼ろうとすることをやめて、本当に信頼できる牧師などを決めたら、複数の牧師やカウンセラー間でフラフラせず、特定の人によく相談した方がよいと述べているものである(乙ハ第2号証P20、21もその趣旨を述べている)。

(2)宮村が信者OBに対し「5年でも10年でも整理がつくまでここにいなさい」と述べたのは(同書面P16の5-6行目)、当時OBが精神的に混乱の極みにあって、考え方を整理しきれていなかったので、あせらずよく考えてほしいという趣旨で述べたことである。勿論、当時OBは監禁状態にあったのではなく、自ら納得して話し合いの場にとどまって、統一協会の信者でいつづけることの是非を考え始めていたのである。決して、OBを5年、10年間にわたって監禁しつづける趣旨を述べたものではない。妹のOFもそう受け止めたからこそ宮村のこの発言を紹介しているのである。
 同書面P16の3行目の「統一協会信者と脱会させるためには何年間であろうとも信者を監禁すべきだと考える」のが被告宮村だと決めつける原告主張は、全く事実に反する。宮村に対する名誉毀損の主張であり、強く否認する。

(3)同書面P16の13行目以下でも、原告は甲24の一部を引用して、宮村が被告■<後藤徹氏の兄>らの監禁を解くことを許可しなかったなどと主張するが著しく誤った主張である。
 「マインドコントロールから本人がいつ解放されるか、それはどうしたら確認できるのか」については、結果的には本件原告徹の例を見ても容易でないことは明らかである。しかし、その判断はあくまでも、家族と本人とが話し合い、それをふまえて家族自ら判断することであり、誰かが、とりわけカウンセラーの宮村が判断できることではない。
 原告はこの判断はむつかしいので宮村がすると書いていると主張しているが、甲24のどこにもそのような記述はない。また、この判断と「監禁を解く」ことが連動するかの如き主張も全くの誤りである。宮村はそもそも監禁などすべきではないと考えているのであって、甲24のどこにも、
・監禁すること
    ・マインドコントロールが解けたと宮村が判断したら監禁を解くこと
    ・監禁は宮村が指導すること
  以上3点は書かれていないし、宮村が考えかつ行ってきたこととも全く異なっている。

 同書面P23-25(第4、3(2))について
(1)原告の事件12.16についての主張は不正確である。
 事件12の京都の事件は、信者Aが統一協会と連絡がとれなくなり、しかも、警察が統一協会側のAについての被害届などについて刑事事件として対応しなかったため、信者らがAを強引に奪還しようとして実力行使に及んだものである。

(2)事件16の岡山の事件は、乙ハ第5号証の1ないし7で刑事事件のほぼ全容が明らかとなる。統一協会は信者Mと連絡をとれなくなったことから、Mが監禁されていると思いこみ、しかもこれに高山正治牧師がかかわっているものと思いこんで、同牧師をつけ回した。そして、同牧師が入ったマンションにMが監禁されていると思いこんで5名の信者らがバットを持って、有形力を用いて強いてドアをこじ開け、マンションの部屋に押し入ってMを強いて取り戻そうとしたという事件である。

(3)事件16は、幸い刑事裁判の記録が残っているので、信者の脱会をめぐる問題についての統一協会側の対応の問題点が次のとおり明らかになる。

 ア.統一協会は、信者と連絡が取れなくなると、信者が自らの意志で、統一協会と連絡を取らなくなったとは考えず、家族に監禁されたと決めつける。

 イ.しかも、監禁は牧師などカウンセラーが指導しているものと決めつけ、特定の牧師などを尾行するなどの行為まで行う。

 ウ.信者の滞在場所を探し出すことを組織をあげて追及する。
そのために信者の実家を再三探ってみたり、上記の尾行なども行う。

 エ.信者の滞在場所らしいところが判明したら、手段を選ばず、複数の信者らが共謀して、暴力を用いてでも、信者本人の意思にかかわりなく、しかも家族や周辺住民の迷惑を顧みることなく、強いて「取り戻し」を追及し実行する。

(4)被告宮村は、後藤家で起こったことが事件12、16と「似たような事例であると言いたい」(同書面P24の末尾2行)のではない。事件12、16から上記ア、イ、ウ、エの如き統一協会側の考え方や行動パターンが認められるのであり、その考え方や行動パターンが本件についても同様に認められることを主張するものである。
 その意味で同書面P27の7行目以下の主張も事実に反する。上記事件16では、統一協会幹部がカウンセラーを尾行して話し合いを行っている居場所を突き止めて、話し合いを妨害しようとした典型的事件である。

5 同書面P28、29(第5、2(1))について
(1)「荻窪フラワーホームは、被告宮村がこれまでに統一協会信者多数を監禁」したとする主張及び、「原告に対する被告宮村による脱会説得を同マンションで行うことを予め共謀していた」とする主張は強く否認する。
 被告宮村が、信者を監禁したり、監禁するよう指導してきた事実はない。また、宮村は■<後藤徹氏の兄>から、後藤徹が宮村と会って話し合うと言っていると言われて話し合いを頼まれたので、当時徹が滞在していたマンションに出かけたのであり、徹も現に話し合いに応じたから何回も通ったのである。予めどこかのマンションにおいて脱会説得することを決めて「監禁」したなどという事実は断じてあり得ない。

(2)甲28の141頁の記述についての原告主張(同書面P28の末尾9行以下)は、その記述をことさら歪曲しており誤りである。
信者の親が生半可な知識と思いこみとでわが子を脱会させるべく説得してもうまくいかないことが多く、かえって事態をこじらせることになるという事実は、宮村が甲24のP141に書いたとおりである。しかしその事実は、だから信者を監禁し、宮村が判断するまで解放してはならないなどということとは全く反することである。
 逆に、家族が安易に脱会説得を試みることや、信者を監禁するなどの行為は控えるべきだと宮村は主張してきたのである。

(3)また、同書面P30の高澤守牧師とOKの事件についての原告主張も著しく正確性を欠くので否認する。また、この事件は本件とは全く無関係である。

6 同書面P32(第5、2(3)の末尾)について
 甲24のP189の記述は、精神的に混乱の極みにあった信者OBが家族に当たり散らすなど理不尽な行動をとることについて、一緒にいた家族から宮村が相談を受けた時に、OBを腫れ物にさわるように対応するのではなく、理不尽な行動をとった信者(家族)に対しては、おかしいことはおかしいし、理不尽な行動には改めるよう、普通に対応したらどうかと助言したにすぎない。
 少なくとも宮村が信者OBの違法な身柄拘束を指示したり、「腕にかみついてでも拘束するよう厳命」した事実はない。

7 同書面P37(第6、2(2))について
 2008年8月、高澤守牧師が信者から訴えられて、2000年8月31日の鳥取地裁判決で信者の両親とともに15万円の損害賠償を命じられた事件があることは認める。
 しかし、この判決にかかる事件と本件とは全く性格を異にする。この鳥取での事件は、信者の両親が多人数の応援を頼んで、娘がいた統一協会鳥取教会に暴力的に押し入って文字通り娘を有形力を行使して強いて車に乗せ、マンションに入れ、そこに高澤牧師が即日赴き、その日から連日通い続けて脱会を説得しようとしたという事件である。被告宮村はこのような両親の行動や、それに一部加担したと認定された高澤牧師の行動は明らかに行き過ぎであると考えている。本件と上記の如き事件は全く関連性がない。

8 同書面P38(第6、2(3)の末尾)について
 甲24のP195の記述はそのとおりであって、被告宮村は、信者の断食は一緒にいる家族にとってたいへんな負担となるが、それに動揺する必要はないとOBの妹に話したのである。
 そのことと本件原告の断食についての対応は全く関連性がない。
 統一協会信者はその教義上「蕩減条件」として、自分の望みが神に伝えられ、神がそれをかなえてくれるよう願って、日数を決めて断食をすることがよくある。
 宮村は原告が断食していることは当時■<後藤徹氏の兄>から聞いていたが、原告が統一協会信者としての信仰を固めるためにやっているものと考えて、「断食後の食事には気をつけてあげないと内蔵<ママ>こわすよ」とコメントしたことがあるだけである(乙ハ2のP40)。

第2 原告準備書面(5)に対する認否反論
 同書面第1(P1ないし9)の「被告宮村準備書面(2)に対する反論等」の原告主張に対し、被告宮村は次のとおり認否反論する。

1(1)(P1)について
 宮村が1987年11月以降、原告の両親等と共謀、指揮監督して、■<後藤徹氏の兄>、原告、■<後藤徹氏の妹>の順に拉致監禁した事実はないし、1995年9月11日以降2回目の「拉致監禁」を「事前及び事後において共謀して実行した」事実もない。全く思いこみによる、ためにする虚偽主張である。

2 1(1)ア(P1、2)について
 YSの虚偽の主張に満ちた陳述書(甲34)に基づく原告主張は全く信用性がなく、強く否認する(乙ハ第13号証、NI陳述書参照)。
 甲24の記述は、前述したとおり、信者の家族を励ましたものであり、何ら非難される理由はない。
 原告が礼拝中に逃げ出したことは事実であり、そのことを原告の両親や兄がひどく悲しんでいたことはある。しかし、それについて宮村がYSら(元)信者に対して「今度は絶対に落としてやる」などと言った事実はなく、また言うはずがない。

3 1(1)イ(P2)について
 被告■<後藤徹氏の兄>の脱会説得に宮村は直接かかわっていない。
 ■<後藤徹氏の兄>がタップの従業員になったことと、同■<後藤徹氏の兄>が宮村の「脱会説得」に協力したことがあることとは関係がない。かえってタップの従業員としての業務が忙しいため、被告■<後藤徹氏の兄>は、他の信者の脱会の話し合いにあまりかかわることができなかった。
 もとより、宮村が「複数のマンションに…拉致監禁して脱会説得」した事実はない。
 推測と決めつけに基づいて、「宮村の指揮監督を受けなかったなどということはあり得ず」とか、「殆ど関与していないなどということはあり得ない」とする原告主張は誤りであり、強く否認する。

4 1 (1)ウ(P3、4)について
 宮村と松永が「仲間として、密接に連携・共謀していた」との主張は否認。お互い忙しく、現代のような携帯やメールの通信手段もなかった1980年、90年代において、お互い「密接に連携」する時間的余裕さえなかったのが現実である。松永の牧師としての立場と宮村の小企業の経営者兼カウンセラーとしての立場も違うので、「連携・共謀」は困難な面が多かった。
 TF(甲36)や小出浩久(甲27)の各陳述書はあまりにも虚偽が多く、かかる陳述書の記述に基づく原告主張は強く否認する。
 宮村が■<後藤徹氏の兄嫁>との話し合いを、1991年1月に、2日間、各2時間程したことがあり(乙ハ2のP25 )、松永が原告と東京のマンションで会ったことは一度ある。しかし、これらのことは、いずれもついでがあった時に会ったにすぎず、宮村と松永牧師とが連携していたためわざわざ新潟や東京を訪問したものではない。
 甲44のHYのノートや甲45の小出浩久のノートのコピーの内容については、宮村には全く関係のないことである。しかし、これらのノートの記述が松永の「拉致監禁、脱会強要の指導内容」だとする原告主張は、ノートの記述を見ても到底認められない。
ノート1
 
<甲44のHYのノートの一部> 


 もとより、松永も宮村もそれぞれの考え方で信者の家族の相談を受け、家族と信者との話し合いのあり方について助言してきたものであり、宮村は「拉致監禁を手段とした脱会強要の手法」なるものを行っていない。松永についても同様だと宮村は認識して、必要に応じて情報交換などをしたことがあったものである。

 新潟のマンションにおいて原告と話し合いを追及したのは、故■<後藤徹氏の父>ら家族の判断であって、このことに宮村は全く関与していない。まして、その後の東京での話し合いは、故■<後藤徹氏の父>の病気治療との関係及び同人の死という不慮の不幸な事態を受けてのものであって、当初から東京での宮村の「脱会強要」が計画されていたかの如き主張は全く事実に反する。原告の思いこみと推測に基づく誤った主張である。

5 1(2)(P5)について
 原告は、再三にわたって甲24のOF(信者OBの妹)の手記を援用する。 この手記のP181以下は、OBの家族らが宮村に相談しはじめて以降の事実経過を述べたものであるが、その記述は拉致監禁、脱会強要がなされたとか、それを宮村が指導推奨したなどという事実を記したものではない。
 そもそも、信者OBは「おれは逃げも隠れもしない。話は聞きますよ」として、自らワゴン車に乗って話し合いのために自宅からマンションに移っている( P182、3)。
 2日目に、OBは障子を蹴り壊したり、暴言を吐いたりしたが、マンションを出ようとしたのではない(P187)。
 2日目に話し合いに来た宮村があきれて席を立つと、OBも「ここから出る」と立ち上がったのに対し、家族は「本人にしがみつき、本人を押さえる」ことはあったが、これをもって監禁と評価するのは誤りである。本人もその後落ち着いて食事をとり、再度訪れた宮村との話し合いにも応じている。
 その後もOBの精神的動揺や、父親の対話のまずさなどのために、家族間で何回か感情的やりとりもあったが、宮村や元信者らのOBとの話し合いも奏功して、本人は自分なりに統一協会とのかかわりについて考えをまとめられるようになっていったことが書かれている。

 原告はこの過程全体を監禁と決めつけているが、そのような評価は誤っている。OBについてなされた家族の行動は、家族間で対話を取り戻すための言動として許容される範囲内のものと言うべきである。
 もとよりこの行動はあくまでOBの両親と妹らによって決定され実行されているのであって、宮村は話し合いのあり方などについて助言しているにすぎないのである。
 従って、原告の同書面P5の7行目の「宮村は…具体的な拉致監禁の指導を行っているものであることを自認している」という主張は明らかに誤りである。
 また、「脱会には、特別な知識と経験を持つ『先生』が必要」(P5の11、2行目)という記述は甲24のP152にはない。宮村は「いろいろな先生に会い、情報収集と勉強を続ける」よう述べ、「あわてず焦らず、あきらめずに取り組めば必ず解決します」と励ましているのである。決して拉致監禁を指導しているのではない。
 なお、MM(甲43)とTYの記述は事実を偽っており、それに基づく主張は強く否認する。

 ちなみに乙ハ第5号証の4のNKの検察官調書の供述では、NKとしても、家族との話し合いを拒否しないでマンションに自ら入ったものの、当初10日間程は、自分でも家族と口をきかないようにしていたし、食事もあまりとらなかったと述べている。このように、信者と家族との話し合いは、信者自ら納得の上始めたものであっても、決して容易なことではないのである。家族は信者の理不尽な言動にも節度をもって我慢強く対処する必要があると、宮村はかねて信者の家族等に強調してきたものである。

6 1(3)(P5、6)について
 前項で述べたとおりであって、甲24の記述は、決して拉致監禁の事実を認めたり、推奨するものではない。

7 1(4)(P6)について
 本書面3項で述べたとおりである。
 宮村が原告の拉致監禁を2度ともに「指揮・監督・命令」した事実は断じてない。そもそも拉致監禁はなかったと被告■<後藤徹氏の兄>らは主張している。

8 1(5)(P7)について
 原告主張は全く事実に反する。宮村が「家族から連絡を受け」て「マンションに駆け付けたこと」はない。また、そのような「事前に打ち合わせがなされていたこと」もない(乙ハ2のP39)。
 MMの甲43の陳述は事実に反するし、本件とは関係がない。

9 2(1)(P7、8)について
 宮村が原告との話し合いにおいて、「非難・中傷・罵倒を浴びせかけた」事実はない。そのようなことをしたら、話し合い自体成り立たないので、してはならないことである。
 甲11のP8のMKの陳述は事実に反するもので、統一協会による作為的ねつ造である(乙ハ第13号証、NI陳述書参照)。
 小出(甲27)やTT(甲18)の記述も虚偽であって、本件と関連性がない。両名が主張する如き脅迫的言辞がなされれば話し合いが成立する余地がないことは明白である。

10 3(1)(P8、9)について
 宮村が原告との話し合いを原告が言う73回行ったことは確実ではないが敢えて争うものではない。また、一回の話し合いは午後6時から8時の間であったことも争うものではない。宮村は土・日は他の用があって原告のもとに行くことはできなかったのであり、多い時期は、平日のみ、一週間に3ないし5回、原告のもとに赴いたのであった。

11 3(2)(P9)について
 宮村と原告との話し合いについての原告主張は全くの虚偽である。原告の主張のとおりであれば、宮村が73回も原告のもとを訪れ、2時間にわたる話し合いを継続できる余地はない。また、脅迫的言辞を宮村が述べる理由もなく、そのような事実もない。

第3 被告宮村の信者やその家族とのかかわり方
1 原告は宮村が家族に拉致監禁を指導してきた「脱会家」であるなどと決めつけ、あらん限りの悪意に満ちた誹謗中傷を繰り返しているので、本項では被告宮村はどのような考え方に基づいて、信者の家族の相談に対応してきたか、また、どうのように実践してきたかについて主張する。

2 そもそも宮村の行動についての違法性を判断するにあたっては、その行動の目的とその目的達成のためにとった手段がどのようなものであったかを正確に事実認定した上で、宮村がどのような目的で、どのような助言や行動をとったかを総合的に判断しなければならない。
 かかる視点に立って、本項では、まず宮村はなぜ、如何なる目的で家族や信者らと話し合ってきたかについて述べ、次に、そのためにどのような話し合いをしてきたかについて述べる。

3 被告宮村の統一協会についての認識
(1)そもそも『統一協会信者との話し合い』とは、信者と家族を通常の生活に戻すことを目的とすることである。
 そして、被告宮村の『統一協会信者との話し合い』における関わりはあくまで信者とその家族の統一協会問題についての悩みを解決するための助言と話し合いに尽きる。

(2)被告宮村の統一協会についての認識は乙ハ第2号証の2ないし10頁に述べたとおりであり、これは被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(第3)の1ないし9頁の主張とも合致するので、被告宮村はこの主張を援用する。

4 TN、FJら有限会社新世事件について
(1)有限会社新世の組織的位置付け
 ア 乙ハ第9号証の1ないし5は、有限会社新世の代表取締役TNらが、統一協会信者である販売員5名などに指示して、5名の被害者に印鑑セットなどを売りつけた行為が、客を威迫し、困惑させたもので、特定商取引法6条3項、70条1号、74条2号に違反するとして、執行猶予付きの懲役刑に処せられた刑事事件記録の一部である。5名の販売員であった女性信者は、いずれも罰金100万円の刑に処せられた。この5名の販売員の活動を指揮、統括していたのが、代表取締役社長のTNと営業部長のFJである。両名と有限会社新世は公判請求され、2009年11月10日に上記判決(乙ハ9の1)の言渡が下され、控訴されず確定した。

 イ これら販売員やTN、FJらはいずれも、統一協会の東京域内の地方組織である第1地区の中の南東京教区に所属していた。
 FJ(乙ハ9の3)によると、有限会社新世では、未婚食口即ち献身者の青年と、南東京教区本部、成真教域、渋谷教域、豪徳寺教域、玉川教域に所属する信者らがスタッフとして稼働していた。
 更に、元信者TF(乙ハ9の4)によると、これら各教域所属の信者のうち、販売員として「優秀」な者(TFら壮婦・既婚女性)が集められて特別伝道機動隊が組織されて販売活動に従事させられていた。つまり、I,Hら献身者は南東京教区本部において、販売担当者として抜てきされた者らであった。

 ウ TNは、かつて統一協会南東京教区の運営部長だった者であり、2002年2月には統一協会南東京教区の運営部長の立場でIA(乙ハ10の陳述者)やKら東東京教区の信者らが江戸川教会に集められた場で、乙ハ第9号証の2のメモの内容を講演している。
 このように、有限会社新世とは言っても、実質は南東京教区所属の信者らが、霊感商法の手口で印鑑セットなどを売却して様々な名目で献金の資金を稼ぐとともに、購入したゲストをフォローしてビデオセンター(「渋谷フォーラム」もしくは「池尻503」)に通わせて信者にしていき、ゲストの財産状況次第では大金を献金させることを企図して、組織し、運営していた経済活動組織であった。

(2)多く霊感商法の被害を生み出してきたこと
 ア これらの刑事記録によって、多くの霊感商法の被害者が、先祖の因縁を強調されて再三にわたって大金を支払わされていく事実経過と、ほとんど同じ手口が有限会社新世で計画的・組織的に行われていたことが明らかとなる。被害者であるTCや信者で加害者側のI、S、Hらが供述する手口は、他の霊感商法の被害者がなされた説得とほとんど同様のものであった。
 有限会社新世で採用されていた乙ハ第9号証の2のマニュアルと同様のマニュアルに従って、多くの被害者への働きかけがなされていたのであるから、手口が似かよっているのは当然のことである。

イ ちなみに被害者TCは、平成19年10月19日、印鑑セットを120万円で購入させられた後、渋谷フォーラムに通わされ、そこで家系図の先生と称するYを紹介され、このYから4000万円を天に捧げるよう説得されて、平成20年1月28日、1000万円を献金させられた。
 もとより、被告■<後藤徹氏の兄>、同■<後藤徹氏の兄嫁>らも信者としての活動の過程でこのような活動をさせられていたのである。

ウ 乙ハ第11号証の1、2の判決でその請求が認められた訴外KM、IAが被った被害のうち、原告IAが、1995年2月に印鑑3本セットを12万円で購入させられた時の説得内容や、それに先立ってビデオセンターに通うことを承諾させられた際の説得内容も、これら刑事事件記録に認められる説得内容と同様のものであったことは、乙ハ11の1、2の判決文の記述から明白である。

(3)金銭収奪行為の計画性、悪質性
 ア しかも乙ハ9の2のマニュアル等の刑事記録によって、統一協会組織において、システム化された印鑑等物品販売が決してそれで終わるのではなく、更に財産的収奪を企図し、あわよくば信者にして、加害者側つまり資金稼ぎや、人集めをする側にさせていく入口として位置付けられていることが明白となる。
 これを裏付ける供述は各被告人がしているし、元信者TFも供述している。例えばHは、印鑑販売は「お客様を統一協会の信仰に導くための入口の役割を果たしていましたから、私としては、伝道活動の一環だと思って励んでいました」(乙ハ9の5のP3)と供述している。

 イ 更に、有限会社新世でなす印鑑販売には、乙ハ第9号証の3のFJ供述に資料として添付されている「新規ゲスト進展」表に、記入されているようにシステム化されており、「Z(財産)」を把握して表に書き込むこととされていた。各ゲストについて、家系図やニードポイントを記入させることで、統一協会信者らが組織的に掌握して、各ゲストにどのようにアブローチして次につなげていくかについて周到に計画していることが判る。

ウ 乙ハ第9号証の3のFJ供述に資料2、3、4として添付された「新規ゲスト進展」の表は悪質性、計画性を裏付ける。
 資料2、3の中央の欄は「g数」であり、ゲストが有する財産を100万円単位で記入するようになっている。資料3を見ると、30グラム、つまり3000万円を保有していることを把握されたゲストTCについては2008年1月には3000万円のSK(献金)をさせる計画になっている。20グラムのSNは2007年12月にすでに400万円、70グラムのIYは2007年12月に5500万円を、それぞれ献金したことが記されている。
 資料4を見ると、右側の欄に「塩、家系図、古印供養、真理行、納品」の欄があって、印鑑を納品するまでに様々な口実でゲストと接触して、次の献金やビデオセンターにつなげることがシステム化されていることが判る。

エ このような悪質性、計画性は販売員が憶え込まされ、ロールプレイングの訓練の基本となるマニュアル(乙ハ9の2)からも明白である。
 50、51頁には、「新規からの基本的な流れ」が示されている。その8項以下に「初水コップ届け」「家系図取り」「古印供養」とあり、3項には「財把握」と記されている。
 3項の「姓名判断」も「心情交流」と「ニードの把握」とある。
 このように印鑑販売の段階から、販売担当者は説得の過程でゲストの財産状態をさりげなく探り出すようにシステム化されているのである。

オ このような悪質な霊感商法の手口については、自らも統一協会信者であった被害者■<後藤徹氏の兄>、同■<後藤徹氏の兄嫁>、同■<後藤徹氏の妹>も十分認識しているところであり、自分らの兄弟である後藤徹か同様の違法行為を自ら行い、末端信者にやらせる立場にもあることを知っていた。

(4)統一協会信者人格への変容
 ア このような悪質極まりない金銭収奪行為を担当する統一協会信者らは、これを正しいこと、なすべきことと信じ込んで懸命に実行し、外形的には自分で進んで行っているように見える点が更に深刻である。

 イ 例えば、Hは、毎日100人くらいに声をかけ、事務所に連れて来ることができた場合には、「なんとしてもこの人を救わねばならないと思って、必死でお話し、印鑑を買ってもらおうとしていました。」と供述している(乙ハ9の5のP5-6)。
 このように販売員をしていた信者らは、法的には違法な手口でお金を払わせるのであっても、それは払わせるゲストを救うことになると信じて奔走し、必死で取り組んでいるのである。

 ウ このように販売員である信者らは、自ら行っている販売活動が、違法性を帯びるものであり、社会的に見るとゲストの全財産を収奪するような悪質な行為であっても、それが信者として「精誠を尽くせる」行為だと考えているのである。
 事情を全く理解していない通行人に迫って大金を払わせて統一協会の資金とすることこそ信者としてなすべきことと考え、必死に活動しているのである。
 罰金刑に処せられた5名の販売員らが、幹部信者の言うがままに組織活動に従事し、月例献金や名節献金等の数千円単位のものから100万円を超える献金など、なけなしのお金を統一協会に繰り返し交付しつづけたのも、自らが、そして自らのかかわるゲストが、名目の如何を問わず、統一協会に活動面、資金面で貢献することが、信者としてなすべきことと信じ込んでいたからであった。

 エ 統一協会の教義や組織活動の正しさを信じこみ、その指示に従って活動し、献金をくり返すことこそ正しいと信じていたことは、まさに「船が山に登ること」と同様に通常では考えられないことである。ところが、統一協会の計画的・組織的な教え込みの手口によって、考えられない人格の変容が生起して、違法行為を正しいと信じて行うようになる。
 このようなシステム化された教え込みや、組織活動の結果、違法な活動をして、なけなしの金を献金すること、させることが当然のこと、正しいことと考えるような、滅私奉公、自己犠牲、自己破滅、そして他者侵害的な人格に変容されてしまう実態を、家族も十分認識する必要がある。
 このような人格の変容こそが、信者になってしまった者にとっての最大の被害とも言えるし、家族としてもこれを放置できないと考える最大の理由となる。

(5)K,I事件判決から
 乙ハ第11号証の1ないし4は、統一協会による財産被害についての、最新の東京地・高裁の判決である。
 特に高裁判決では、「信者の勧誘行為は、全体として違法の評価を受ける」とし、継続的に原告らの自由な意志決定が不当に制約された状態があったことを認定している。
 被告宮村は、つとにこの献金等被害事件で認定された事実や、上記新世刑事事件で明らかになった事実を認識しており、このような深刻な事態を信者の家族が知り、信者自身も自ら認識して、その是非を自分で考えることが重要と考え、努力してきたのである。

 5 話し合いの基本的視点
(1)このような統一協会の信者として活動している者の家族から相談を受けて宮村がそれに応じる理由は次の2点に尽きる(乙ハ2のP16、17)。

 第1に、統一協会の信者である限り、他の人々の人権や財産権を違法・不当に侵害し、信者自身の人生や家庭及び勧誘する相手の人生や家庭を破壊することが避けられないからである。

 第2に、このような人権侵害や反社会的な活動が、いやしくもキリスト教の一派の如き名称をもつ集団によって組織的になされることを放置できないからである。

(2)被告宮村がこの問題に取り組む基本的視点は次の3点である。
 第1に、信者やその家族は、統一協会の様々な活動が、その信者及び市民にもたらす人権侵害や様々な精神的財産的被害について、正確な認識をもつ必要がある。

 第2に、信者と家族との問題を解決できるのは家族と信者本人だけであって、宮村はその助言者にすぎない。
 信者自らが信者としてやってきたこと(指示に基づいてさせられてきたこと)を冷静にふり返り、自分の判断力に基づいて、信者であり続けるか否かを選択すれば、当然の帰結として脱会に至る。しかし、自分の判断で選択できるようになるためには、なぜ本人が統一協会にはいってしまったのかということについて十分理解している家族の、信者本人への愛情とけじめと忍耐が必要である。

 そして、第3に、信者が、家族の愛情とけじめと忍耐によって脱会を決意し、自らの人生を自己の判断で歩むようになるにあたっては、基本的に、�家族との話し合い、�信者本人との話し合い、�正確な情報による信者自らの判断、�自立のための助言の4段階を経ることが不可欠である。
 しかも、この4段階は、単純に時系列的に行われるものではない。時として同時進行的になされるものであって事例によって大いに異なる。
 以下この4段階について詳述する。

6 家族との話し合い(第1段階)
(1)宮村に相談に来る殆どの家族は信者になったわが子や妻の豹変にとまどい、怒り、困り果てている。
 「自分の子供が突然別人のようになってしまい、嘘やごまかしばかり言って、まともな会話が成り立たなくなった。自分の預貯金は、全て献金し、次には、家族に嘘をついて金銭を要求した。親戚や友人知人に高額な商品を売り付けた。統一協会に反対する親をサタンと決めて敵視した。突然家を出ていって仕事を辞めて、信者達だけで暮らしはじめた。 しかもその所在を隠している。」(乙ハ2のP11)。
 このような家族の多くが、心配・不安・憤りのため感情的に信者に対応し、冷静さも、話し合いの姿勢も喪失している。
 このため、宮村は、家族に、信者がどのような経過で統一協会に関わるようになり、どんな気持ちで信者として活動しているのかを知ってもらい、統一協会の活動の実情を正しく認識してもらうことから始めるのである。

(2)統一協会に入会する信者は、まじめでこれまで親に反抗したことのないような人、向上心があって人を疑うことのない良い人、などが入会することが多い。そのような信者が、統一協会内で、これまでの人生を投げ捨てて、新たに統一協会=文鮮明のための人生を選択させられているのである。
 このため、宮村は、なぜ本人が統一協会に入ってしまったのかを家族に考えてもらうことにも重点をおいて説明し、考えてもらうようにしている。子供や妻の人格を認めない家族、愛情過多で子供の自立を認めたがらない父母、子供の自立の悩みに気づかぬ父母、夫婦の気持ちなどが認められる家庭も少なくない。
 従って、この話し合いでは、信者になった本人だけの問題としてではなく、家族自身の問題として本人と共に考える姿勢をもつように問題提起し、家族相互で話し合ってもらい、考えてもらうようにしている。

(3)信者らは、教え込みのため、たとえ現行法に反することをなし、あるいは社会的に強く批判されているとしても、自分は正しいことをしていると思わされている。今は家族も反対しているが、将来(死後の霊界でのことも含む)には、必ず自分の統―協会での活動に深く感謝してくれるはずだ、と信じ込まされている。だからこそ自分のためだけでなく家族のためにも、ひいては日本や世界の人々のためにも命がけで統一協会の活動を行っているのである。
 このため、家族がこの信者の心境を十分理解して尊重し、統一協会の考え方は本当に正しいことなのか、彼らの信じ込まされている真の意味での家族関係のあり方や一般社会の現実、あるべき今後の人生などについて、家族が信者本人と一緒に悩み考える姿勢がないと、信者と家族の会話は成り立たない。

(4)このような家族との話し合いには相当の期間を要する。この期間に耐えて学び考えることで、家族と信者とが話し合うことができる基盤が形成されるので、この期間は重要である。

7 信者本人との話し合い(第2段階)
 信者本人と家族の話し合いによって信者が自分なりに統一協会の活動をふり返り、今後も統一協会信者として活動していくか否かを考える気持になった場合でも、統一協会の教義の内容や統一協会の活動の実態、『真(まこと)のご父母様』として信者が絶対的に信奉している文鮮明の実態などについて、正確な情報を提供して信者の判断に誤りなきを期するためには、これらの問題にある程度通暁した人物の介在が望ましい。被告宮村はそのように考えて、信者との話し合いを行ってきた。

8 信者自らの判断(第3段階)
 家族と本人の話し合いの結果、本人が統一協会の事情に詳しい人から資料や情報の提供をうけて、直接会って話し合うことを承諾した場合、宮村は可能な限り本人と会って具体的な資料を示しつつ統一協会の教義や文鮮明の活動の実像などその活動の実態などについて本人に説明し、話し合う活動を行ってきた。
 しかし、宮村の本人への資料提供や話し合いは、本人を統一協会から脱会させるためのものではない。本人が信者として関わってきた活動を自ら客観的に冷静に検証し、今後の自らの人生を決めるための情報を提供するものである。一宮村が脱会するよう本人に対して勧めなくても、本人が冷静且つ客観的に考える姿勢を持つようになれば、自ら結論は出る。被告宮村は、多くの事例に対処するなかで、そのように確信して、信者本人との話し合いを遂行してきたのである。

9 自立のための助言(第4段階)
(1)信者本人が、統一協会で行ってきた霊感商法や詐欺的伝道、宗教団体にあるまじき信者管理の問題点に気付き、その教義や文鮮明の問題点を理解するなどして、統一協会から離脱することを決意したとしても、本人や家族にとって、その後のほうがむしろ大変である。
 信者は、統一協会や文鮮明、活動だけでなく、日常生活をともにしてきた信者たち(「兄弟姉妹」と称している)を絶対に正しいものと信じて長期間に渡ってその指示に従って生活してきたのである。何時に起きて何をし、何を考え、何を目標にして、何に取り組むのか。その全てを組織の指示によって長年活動してきた信者本人にとって、全てのことを自分で考えて決めること自体が非常な負担となるのである。

(2)統一協会にいる間は全てアベル(上司的立場の信者)が傘下の信者を統括しており、全ての信者が組織的な目標(摂理などという)の達成に向けて24時間活動しているので、人間関係で悩むことも少なくてすむ。同じ「ホーム」で共同生活を送り、同じ「目的」のために活動してきた信者相互間の連帯感も非常に強いものがある。これを統一協会内部では「心情的なつながり」と表現する。
 これを放棄するためには相当の決意を要する。まして上意下達の命令系統はアベル(上司)・カイン(部下)とよばれ、「絶対屈服・絶対服従」と教え込まれ厳密に管理されている。
 このような長年の習慣が身についているため、信者本人が自分の判断でものごとを決め、社会人として自立するためには、大変な努力が必要となる。その苦しみを家族が長い目で愛情をもって支えることが必要なのである。

10 被告宮村と統一協会のかかわり
(1)宮村は自宅の近くにあった荻窪栄光教会に通って聖書の勉強をしていた1982年頃、同教会の森山論(さとし)牧師に言われて、統一協会信者女性との脱会に向けた話し合いにかかわったことがきっかけで、その後もかかわるようになった(乙ハ2のP17、18)。

(2)宮村の活動は、「水茎会」という、元信者やその家族のボランティア活動をする任意団体から、個別の信者の家族の相談を頼まれることに応じることに尽きる。
 水茎会は原告主張の如き、宮村が組織した会ではなく、運営も会計処理も宮村とは独立してなされてきた。宮村がいつ誰と話し合うか、家族と信者の話し合いはいつどのようになされるか等のことは、それぞれの家族や水茎会内の小会合で決められることであって、宮村は必要に応じて助言をするにとどめてきた(乙ハ2のP18、19)。
 このような事実は、元信者の父親であるSC(乙ハ8の3)やMM(乙ハ12の3)が明確に陳述しているとおりである。

第4 被告宮村と原告とのかかわり
 1 1987 (昭和62)年1月、宮村は、原告の父と母が森山論牧師に相談した場に同席して、初めて、原告、■<後藤徹氏の兄>、■<後藤徹氏の妹>の3人が統一協会信者になっているので、「普通の人生に戻したい」という相談を聞いた(乙ハ2のP22、23)。

2 同年夏、宮村は、原告の両親から、訴外Oと■<後藤徹氏の兄>(被告)とが話し合いをしているので、■<後藤徹氏の兄>と会って欲しいと頼まれ、神戸市内で■<後藤徹氏の兄>と会って2時間程話し合った。
  その後脱会した■<後藤徹氏の兄>は、両親とともに、同年10月頃、宮村のもとに、脱会して上京した旨あいさつに来た。

3 1987 (昭和62)年10月、宮村は、■<後藤徹氏の兄>と両親から、原告が京王プラザホテルに滞在していて、宮村の話を聞きたいと言っているので会って話をしてほしいと頼まれた。
 宮村は同ホテルに5日通い、原告と各2時間程話し合った。原告は脱会を決めた様子であり、森山論牧師が主催する栄光教会に通うことにしたことから、その後原告と宮村との直接の話し合いはなかった。
 原告は同年11月に、家族とともに同教会での礼拝に参加していて姿を消したと、宮村は後日原告の家族から聞いた。

4(1)同年11月、統一協会のホームに戻って、組織活動に復帰した原告は、統一協会東東京ブロック第10地区その後は東東京教区荒川教会の傘下の青年支部に所属した。

 (2)この頃、原告は、献身せず、自宅から一般の職場に通いつつ統一協会信者として活動していた■<後藤徹氏の妹>(当時、被告)と会い、宮村と話し合ってやめる気になったが、どうしても確かめたいことがあって統一協会に戻ったなどと話している。

5 被告■<後藤徹氏の兄>は、1988 (昭和63)年2月、同宮村が経営する広告代理店である株式会社タップに入社して、営業を担当した。業務は忙しく、■<後藤徹氏の兄>も宮村も原告の脱会等について話し合うことはなかった。

6 1987年10、11月当時、水茎会は荻窪栄光教会のすぐ近くの一軒家で会合をもったり、小グループの話し合いをしていた。そこに宮村が参加するなどして、助言者としてかかわったこともあるが、宮村はそこで「拉致監禁」を指導した事実はない。また、宮村が信者と話し合うについて、原告を同席させたことはない。

7 1988 (昭和63)年7月、森山論牧師が脳出血で倒れ、家族や信者との話し合いにかかわることができなくなったことから、水茎会は一旦休眠状態になった。
 しかし、宮村は水茎会に集まっている家族から支援を頼まれるようになって、同年秋頃から、それまでの森山論牧師の手伝いの立場ではなく、独自のカウンセラーとして活動するようになった。

8 1989年3月、宮村は原告の父故■から「■<後藤徹氏の妹>が話を聞きたいと言っているから会って下さい」などと頼まれて、■<後藤徹氏の妹>(被告)と5、6回会って話し合った。幸い■<後藤徹氏の妹>はその後、統一協会からの脱会を決めた。

9 被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄嫁>と1991 (平成2)年1月3日か4日から2日間、2時間ずつ位話し合ったことがある。宮村が新潟に行った際、■<後藤徹氏の兄嫁>の両親から話し合いを頼まれたためであった。その被告■<後藤徹氏の兄嫁>は、1995 (平成7)年1月、被告■<後藤徹氏の兄>と結婚し挙式した。

10 ( 1 ) 1995 (平成7)年6、7月頃、原告の両親と■<後藤徹氏の兄>、■<後藤徹氏の兄嫁>夫妻、■<後藤徹氏の妹>の5人が、宮村に対し、原告との話し合いを新潟で行うことにしたとあいさつに来た。宮村は5人の決めたことを尊重するしかなかった。宮村は■<後藤徹氏の兄>に対し、■<後藤徹氏の兄>の前記株式会社タップでの仕事に支障がないようにしてほしいということと、同社内で原告との話し合いのことは話題にしないよう申しわたした。

 (2)この頃原告は、統一協会の東東京教区内の荒川教会傘下の青年支部に所属し、信者の教育を担当する「実践トレーニング」の隊長として、末端信者であったIAらトレーニング生の教育を担当していた。原告は、乙ハ第10号証の添付資料1、2、3の如き内容をIAらトレーニング生に教えていた。また、IAらトレーニング生が家族との話し合いで脱会しないよう、個別に対策を教え指導することもしていた。

1 1 1995年6、7月以降1997 (平成9)年4月頃、原告の両親が宮村を訪ねるまで、宮村は原告と家族との話し合いのことには全くかかわっていない。宮村は、1997年4月頃、原告の父■から、肝臓ガン末期で医者から余命3ヶ月と言われているが、話し合い途中の原告と家族が普通に対話ができる状態になく手伝いをしてほしいと頼まれた。それまで、宮村は原告がどこでどのようになっているかについて被告■<後藤徹氏の兄>らや両親などから直接聞いたことさえなかった。
 もとより、1995 (平成7)年9月11日夜、原告と両親らが話し合って、新潟のマンションに移動して、話し合いを始めたことも聞いていないし、当日夜株式会社タップの従業員が後藤家に行ったなどという事も聞いていない。

12 1997年6月末、原告の父■が死去したので、宮村も自分が経営する会社の社員の父親の葬儀として参列したことはあるが、その時も原告がどこでどうしているか聞いていない。同年12月末頃、宮村は被告■<後藤徹氏の兄>から、「今荻窪のフラワーマンションの部屋に私と徹といるんですが、徹が宮村さんと会って話をすると言っているんです。都合がついたら来ていただけませんか。」と依頼の電話をうけた。

13 ( 1 ) 1998 (平成10)年1月、宮村は元信者らとともに原告がいると聞いたフラワーマンション804号室を訪問した。
 それ以降宮村は同年10月まで、当初は平日夜6時から8時頃の間、毎週5回から3回訪問して原告と話し合った。4月以降は話し合いが平行線であったため、同室に行く回数は減った。

 (2)原告は宮村に対し、質問するなどして一応話し合いには応じたものの、統一協会の教義や統一協会が多くの社会問題を惹起していることなどについて正面から考え、自分自身の頭で、信者として活動しつづけることの是非を熟考する様子はなく、宮村の話しを聞き流すことに終始した。

(3)同年10月原告は、統一協会の教義が矛盾だらけであり、文鮮明がメシアと認められないことを理解したうえでも、他人である宮村にとやかく言われる筋合いではなく、やりたい信者としての活動を続ける旨、宮村に明言した。このため宮村はこれ以上原告と話し合いをしても意味はないと考え、それ以降原告の部屋を訪れるのを止めた。その以降一切同室に行っていない。原告と■<後藤徹氏の兄>らの話し合いについてはそれ以降全くかかわっていない。

(4)同年1月に804号室に通い始めて間もなく、宮村は同室の内側に南京錠の如きものがつけられていることに気付き、被告■<後藤徹氏の兄>にそのようなものは必要ない旨話した。
 遅くとも同年3月頃にはその錠はなくなったことに宮村は気付いた。
 原告が主張する窓枠のクレセント錠に、宮村は気付いていない。
 原告は、自分は804号室に監禁されていた旨主張するが、宮村はむしろ原告が同室に引きこもっていて、被告■<後藤徹氏の妹>、同■<後藤徹氏の兄嫁>らに深刻な負担を負わせていると考えていた。

(5)宮村は同室に訪れる時元信者を同行したこともあった。
  脱会しても明るく元気に過ごしている元信者がたくさんいることや、それらの元信者が今どんなことを考えているかについて直接原告に聞いてもらうことは、原告自身が自分の今後のことを考える上で意味があると考えていたので、宮村が原告との話し合いに行くと聞いて、「自分も一緒に行きたい」という元信者を連れて行ったのである。宮村が行かない時でも、訴外YK(旧姓M)やSHらのように同室に行って原告と話し合った元信者もいると聞いていた(乙ハ第7号証の2、乙ハ第8号証の2)。
 信者らは、自分が統一協会を脱会すると、本人だけでなく家族などが地獄におちて永遠に苦しみつづけることになり、病気や不幸がもたらされると教え込まれている。このため、脱会した元信者らが元気に明るく生活していることを原告に知ってもらうことで、原告が考え方を見直すことになることを、宮村や元信者らは願っていたのである。しかし、原告はそのような働きかけにも応じようとしなかった。
 もとより元信者の同行は、宮村が指示したものではなく、元信者らの申出によるものであった(乙ハ2のP21、22、27及び乙ハ7の2、8の2など)。

(6)宮村が原告と話し合った際、宮村が原告を非難・中傷したり、罵倒した事実はない。宮村が原告から抗議されたこともない。
 前述したとおり、別の用で上京した被告松永から原告の状況を聞かれて、宮村が804号室を訪問する際に松永に同行してもらったことが一度だけある。
 この時松永は冷静沈着に原告と話し合いをしている(乙ハ2のP 37 )。

14 1998 (平成10)年10月に、宮村が804号室に行くのをやめて以降、本件訴訟に至るまで、宮村は前述のとおり一回も原告と会っていない。
 被告■<後藤徹氏の兄>は2001年2月に株式会社タップを退職し、2004年8月に復職し、2009年11月に再び退職したが、このことは原告と■<後藤徹氏の兄>らとの話し合いとは全く関係のないことである。
 2008年2月、宮村は被告■<後藤徹氏の兄>から、原告をマンションのドアから外に出してみたところ原告が戻ってこなかったと聞いた。その話を宮村が聞いたのは外に出した翌日のことであった。

15 以上のとおり、原告と家族との話し合いについて、宮村がかかわったのは1998年1月から10月の間のみであり、それ以前のマンションに赴いたいきさつや、マンションを移動したいきさつ、1998年10月より後のいきさつについては、全く関与していない。原告が、宮村の指示のもと原告の拉致監禁がなされたと主張するのは全くためにする虚偽主張であって、事実無根である。

16 宮村は2000年2月中旬頃、自宅の写真を無断で撮影している訴外米本和宏<ママ>を見とがめてこれを止めるよう注意したことがある。
 その時の米本と宮村の会話は甲10の米本の主張とは全く反するものである。宮村はこの当時、すでに米本が統一協会のおかかえジャーナリスト的存在であると認識していたのであり、米本からあげ足をとられるような対応をしないよう注意して対応した。
2012-05-12(Sat)
 

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お粗末すぎる(1) 

 今回の書面では、原告側陳述書への反論が書かれている。
 長ったらしい紋切り型の文(具体的根拠に基づいて述べていないから!)を辟易しながら読んだが、私への反論(?)も最後に書かれていた。光栄なこって。

 読者は、私がどんな陳述書を書いたのか知らないので、詳細はここでは述べないが、
(といっても、宮村は私の陳述書の内容にはまるで触れていないので、詳しく書く必要もない。世話人の方がいずれアップしてくれるだろうから、そのときにまた書くことにします)
 最低限、コメントしておく。
 まず、私に関する記述を全文コピペしておく。

16 宮村は2000年2月中旬頃、自宅の写真を無断で撮影している訴外米本和宏<ママ>を見とがめてこれを止めるよう注意したことがある。
 その時の米本と宮村の会話は甲10の米本の主張とは全く反するものである。宮村はこの当時、すでに米本が統一協会のおかかえジャーナリスト的存在であると認識していたのであり、米本からあげ足れるような対応をしないよう注意して対応した。

 
「2000年2月中旬頃」
「宮村はこの当時、すでに米本が統一協会のおかかえジャーナリス的存在であると認識していた」

 おいおい、大丈夫かいな!?
 2000年と言えば、南山大学宗教学の教授と元オウム信者と私の3人とでカルト学習会を主催し、勉強会をしていたときですぜ。そこには、この準備書面を執筆された山口広弁護士も参加されていましたよ。

 山口広さんは常連参加者。
 勉強会のあとの懇親会にもほとんどいつも参加され、酒を飲みながら、私と情報交換されていたではありませんか!?
 お忘れか。それとも短期記憶障害?まさかうちの老母(89)じゃああるまいし。

 それなのに、「宮村はこの当時、すでに米本が統一協会のおかかえジャーナリス的存在であると認識していた」ですか?

 ヒェ~。

 だったら、宮村が「統一協会のおかかえジャーナリスト的存在であると認識していた」私と、昔も今も(戦前・戦中・戦後一貫して)宮村の代理人・山口さんとは一緒にカルトについて勉強し、酒を飲んでいたことになりますよ。
 依頼者である同志宮村への裏切りではありませんか~。

 ヒェ~、ヒェ~。
2012-05-12 21:37 | 米本 | URL   [ 編集 ]

お粗末すぎる(2) 

お粗末すぎる(2)

 なぜ、年号を間違えたのか。

 準備書面(第3)なのに(第2)と、私の名前は和広なのに和広と(名刺を山口・宮村には渡しているので、確認の作業ぐらいしたらどうかと言いたいけど)誤記されているようだから、たぶん、「2000年2月」も「2008年2月」の誤記だったと思う。

 しかしながら、この書面の該当記述は私の陳述書への反論です。

 論のポイントは「この当時」という言葉にある。

 なぜなら、「米本と宮村の会話は甲10の米本の主張とは全く反するものである」という主張を、具体的な根拠に基づかず、「この当時の宮村の認識」に根拠に置いているからなのです。

 それゆえ、「この当時」の年号を間違えるのは、準備書面としては決定的な欠陥なのです。

 繰り返しますが、山口弁護士は今回の書面を弾劾的なものとして書いているように思われます。

 すなわち、原告側の陳述書は「いい加減なものだよ」と書くことによって、信用性を低めようとしたものです。

 私のことに即して具体的に言えば、「私(宮村)が米本と会話したのは事実だが、この当時の米本への認識は統一協会おかかえジャーナリストというものだったから、注意してしゃべった。だから、米本の陳述書にあるような私との会話は嘘だ」というものです。

 これが宮村の私の陳述書が虚偽という根拠なのです。 

 この主張がすぐに崩れてしまうのは、前述した年号の間違いです。

 いやでしょうが、プライドを捨てて、裁判所に誤記なら誤記と、訂正したほうがいいと提案いたします。
 そうでないと、私は証人尋問で、2000年がどういうときだったか、真実を話しますよ。
2012-05-12 21:48 | 米本 | URL   [ 編集 ]

お粗末すぎる(3) 

 仮に、修正したとして。

 私のことを「統一協会のおかかえジャーナリスト的存在」と評するのは、いかがなものでしょうか。

【お抱え】給与を払って、個人的に人を雇うこと。
用例:お抱えの運転手
(これは、三省堂の『新明解国語辞典』、他の辞典もほぼ同じ)

 統一教会さんが金を払って私を雇った!?

 明大卒の宮村さん、東大卒の山口さん、アタマだいじょうぶですか。

 統一教会が私を雇って、「統一原理こそ真理」と喧伝させるのならともかく、統一さんが拉致監禁反対を声高にしゃべるとうの前(1999年)から、保護説得は良くないと言っているだけなのですよ。

 私がこれまで雑誌等で、以上のことを否定するような文章が一片でもあれば指摘していただきたいなぁ。

 山口先生、拉致監禁は刑法の「逮捕監禁罪」に触れる行為ですから、「緊急避難」以外には、良くないことですよねえ~。
 懲役5年の刑罰も当然ですよね。

 確認を!

 最後に、私の素朴な心情を綴っておく。

 私は今から10年以上前に、初めて「保護説得」なる言葉を知り、さらに「保護」が「拉致監禁」のことだと知って、衝撃を覚えた。

 それから「拉致監禁問題」のことを取材し、文章も発表するようになった。

 しかしながら、拉致監禁の対象である統一さんからは、一部顔をしかめられながら、一部幹部からは「米本は反統一だ。気をつけろ」(全く正しい)と言われながらも、わが反統一さんからは徹底して無視(シカト)され続けてきた。

 それがこのところ、有田国会議員が「統一教会の御用ライター」と何度もつぶやくようになったし、こうして裁判書の書面でも「統一協会のおかかえジャーナリスト」と言われるようになった。

 存在を認められるのは、シカトされるより百倍もいい。

 だが、間違った認められかたをすれば、倍返しにあうと思ったほうがいい。

 山口さんは苦い体験があるでしょっ。
「幸福の科学」の裁判で、書面に構成要件と「はみ出す」ような、余計なことを書いたばっかりに名誉毀損で訴えられ、代理人400人も集めなければならなかった体験が。

 山口さんに言いたい。
もう、反統一でメシを食うことをやめたら。
といったら依怙地になるから、俺と同じで老人は始末に終えない。(オシマイ)
2012-05-12 22:01 | 米本 | URL   [ 編集 ]

訂正 

「お粗末すぎる」(3)の最後のほうで書いた「書面に構成要件と『はみだす』ような」は、「書面に構成要件から『はみだす』ような」の誤記であります。
 訂正します。

 なお、再度読み返しましたが、拙くて荒い表現があり、文意が伝わらないのではないかと思われるようなところがありました。聡明な読者のみなさんに、汲み取っていただけたら、幸いです。
2012-05-13 07:34 | 米本 | URL   [ 編集 ]

思い込みとこうあるべき 

<統一協会にいる間は全てアベル(上司的立場の信者)が傘下の信者を統括しており、全ての信者が組織的な目標(摂理などという)の達成に向けて24時間活動しているので、人間関係で悩むことも少なくてすむ。同じ「ホーム」で共同生活を送り、同じ「目的」のために活動してきた信者相互間の連帯感も非常に強いものがある。>

本当にそうでしょうか?
80年代以前でしたら、そうだったと思います。
しかし、献身制度が少なくなってきた90年代から、ホーム以外で生活しながら教会活動する勤労青年が珍しくなくなりました。

ホーム生活をしてなければ、物理的に全ての生活をアベルが統括するのは無理です。
教会以外の仕事をしていれば、24時間活動するのは無理です。

それに、教会にいれば人間関係に悩まなくていい、なんて本当にそうでしょうか?
連帯感が強いのも本当でしょうか?

何だったら、現役、元問わず、教会にいる間の人間関係の悩みはなかったか聞いてみればいいと思います。

恐らく、気持ち悪くなる位出てくると思います。

連帯感が強いというが、外部の私からは、(言っちゃ悪いけど)バラバラにしか見えないのです。

宮村氏、後藤兄、妹、兄嫁の陳述書、準備書面はじめ統一教会反対派の文章を読んでいると、統一教会はこうだから、信者はこういう思いでこういう行動をとる、と決めつけているように感じます。
信者ならこうあるべきだ、と反対派の方が信者像を作っているようにさえ思います。

反対派教育を受けた家族は、その信者像を見ているような気がします。

信者の気持ちを理解するように、と言っているのは、信者本人を理解するよう言っているのではなく、信者像の気持ちを理解するように言っているように思います。

<信者本人が自分の判断でものごとを決め、社会人として自立するためには、大変な努力が必要となる。>

社会人として自立するために努力が必要なのは、脱会者だけではないでしょう。

そもそも社会人としての自立って何ですか?







2012-05-14 00:37 | koyomi | URL   [ 編集 ]

社会的自立を阻害しているのは? 

宮村氏は、信者が自分で判断し、社会的自立をするには大変な困難がある、と書いています。


例えば、大学在学中に統一教会に入信し、大学卒業と同時に献身し、そのまま10数年~20数年という人なら、脱会後の就職は困難というのは頷けます。

でも、今は献身してない勤労青年信者も多くいます。
そういう人まで苦労しているのは、何故でしょう。

脱会のための保護説得(拉致監禁)による退職が理由でしょう。

事実、後藤さんは1回目の監禁時は大成建設の社員でした。でも、監禁によって辞めざるえなかったです。(辞める必要はなかったはずだ、と兄様はおっしゃってますが。)

後藤さんは脱会しなかったので、再度の拉致監禁を恐れたのも退職した一つの理由でしょう。
でも、脱会した人も長期に(短期でも)職場を無断欠勤(無断でなくても理由がわからぬ欠勤)したら、解雇になるか、退職せざる得ない立場になるでしょう。

私も拉致監禁前に勤務していた職場は退職しました。私とほぼ同時期に拉致監禁され脱会した人も、退職せざる得なかったです。

勤労青年が拉致監禁された場合、拉致監禁によって仕事がなくなるのです。
自立のひとつの要件経済的自立ができなくなってしまうのです。

となると、自立を阻害している原因は統一教会というより、拉致監禁をした側ということになります。

仕事をしている限り、大なり小なり役割と責任があります。しかし、拉致監禁によって、本人の意思と関係なく、その役割が果たせず、責任を放棄することになるのです。

それは、その人の社会的立場を抹殺しているようなものです。

宮村氏の言うように、監禁じゃない、信者本人も合意の上での家族の話し合いだ、と言うなら、信者本人が職場に折り合いをつけて引き継ぎなり、期限付きの休みをもらうのが普通でしょう。

宮村氏の言う、社会的自立はどういうことなのか、一度聞いてみたいです。


2012-05-15 01:32 | koyomi | URL   [ 編集 ]

Re・社会的自立を阻害しているのは? 

koyomi さんのおっしゃる通りです。

 これまで数十人の脱会者・偽装脱会者を取材しましたが、監禁説得後、元の職場に復帰(正社員)した人は一人しかいませんでした。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-199.htmlに登場してもらった樹村さんの息子さんだけです。

 みんな「保護」と同時に、koyomiさんと同じように職を失いました。

 この話を続ければ、koyomiさんの投稿と重複してしまうことになるので、話を変えて。

 そもそも、「社会的自立」を他者(親など)に頼らず自分の労働で生活を営むこと--と定義すれば、働きながら統一教会、創価学会、幸福の科学(etc)に通っている人はすべて社会的に自立しています。
 あたりまえの話です。宗教(的)団体に、働きながら、会社が終ってからあるいは休日に顔を出す人を、「社会的に自立していない」と言う人はいません。
 長く“カルト”を取材し、信者の家族から相談を受けてきましたが、「うちの子どもは社会的に自立していない」と、嘆かれたのは、ただの一件もありません。

 宮村氏の言う「社会的自立」とは、「統一教会から自立していない」すなわち「統一教会をやめていない」人ということなのでしょう。

 実に自分に都合のいい自己チュウ的解釈、はなはだしい日本語の誤用です。裁判官尋問で、ぜひ質問してもらいたいものです。

 ところで、横浜・戸塚教会の牧師黒鳥栄氏は、「脱会者」と「元脱会者」とを使い分けしていたそうです。

 「脱会者」が就職し結婚すれば「元脱会者」。「元脱会者」の言葉には、社会的に自立したという意味を込めて、使っていたようです。
 
 黒鳥氏の指示によって、青年は仕事を失ったにもかかわらず、再び職を得たら、社会的自立という称号を与える。実にいい気なもの、上から目線のまさに極楽トンボ。

 極楽トンボによれば、職を得ただけでなく、結婚してはじめて社会的に自立したことになって、「脱会者」を「元脱会者」に昇格させる。この考え方はたぶんに偏った差別的なものですが、宮村氏が脱会させた元女性信者には結婚していない人が少なくないと聞いています。

 ということは、黒鳥(変)女史の手にかかれば、次のようになるでしょうね。

「宮村先生は、脱会させるのはお上手でも、社会的に自立させることは下手ねえ」

 宮村先生、御反論は!?
2012-05-16 15:23 | 米本 | URL   [ 編集 ]

引きこもりを問題視せず 

<原告は、自分は804号室に監禁されていた旨主張するが、宮村はむしろ原告が同室に引きこもっていて、被告■<後藤徹氏の妹>、同■<後藤徹氏の兄嫁>らに深刻な負担を負わせていると考えていた>

「引きこもって」いた、………。
引きこもっていた原告のもとに、連日、統一協会も間違いを教えに、元信者たちと通った、………。

はてさて、そのマンションは引きこもるのに適した環境だったのか?
長期間の引きこもりを誘発する何かがあったのか?

ホビーグッズ、読書、インターネット、ビデオ、ゲーム…。
殺風景な一室に、こんなものは何一つとしてなかった。
誰がみても、引きこもりたくなる空間ではない。

「引きこもり」を裏付ける証拠はどこにもない。
もし、このような環境に12年間引きこもったとするなら、引きこもりを研究している研究機関に、こういう引きこもりもある、と報告すべきだ。

まあ、宮村らがそんなことはするはずはない。
なぜなら、「引きこもり」症状については、宮村も家族も全く問題視していないんだから。
12年間の引きこもりを全く問題視しなかった―。
このことは、「引きこもった」=監禁をごまかすための口実、であることを明確に示している。
2012-05-17 08:34 | みんな | URL   [ 編集 ]

自分で買ってきて食べなさい 

「引きこもった」のか「居座った」のか

「はじめてのひきこもりガイド」というウェブサイトでは、ひきこもりについて『ひきこもりは、家の中に留まり続けているだけで、外出することがないように思われがちですが、8割以上の人が「人通りが少ない時間であれば」「家族と一緒であれば」「車で出かけるならば」と許容できる条件がつけば外出することも可能といわれています』と説明している。

「厚生労働省 知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス」というウェブサイトでは、『ひきこもりという現象は、義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家の外での仲間との交遊などの社会参加を避けて、一応6カ月をめどに、それ以上にわたっておおむね家庭にとどまり続けている状態です。この「おおむね家庭にとどまり続ける」という状態には、他者とは交わらない形で外出はできる、たとえば人目を避けながら本屋へ行く、深夜にコンビニエンスストアに行くといった場合も含んでいます』と説明している。

これらからすると、仮に原告(徹さん)が引きこもっていたのだとしても、コンビニやブックオフとかには行けたはずだ、ということだ。

被告側の山口貴士弁護士によると、
『家族らは、再三にわたり、まじめに話し合わないのならマンションを出て行くように述べたにも関わらず、出て行かなかった。なお、原告と大部分の期間一緒に居だのは、被告■(妹)、被告■(兄嫁)、訴外■(母)のいずれかであったところ、原告の身長は182センチメートル、体重約65から70キログラム前後であり、それに対して訴外■(母)は身長148センチメートル、体重36キログラム、被告■(兄嫁)は身長158センチメートル、体重50キログラム、被告■(妹)は153センチメートル、体重39キログラムであり、3人の女性と比較して、原告は体力的に圧倒的に勝っており、女性だけで原告の意向に反してマンションに強いてとどまらせることなど到底不可能であることは明らかである』
と、鍵などしていない(監禁などしていない)、原告は気力・体力ともにあり、自由に出入りできるのに、マンションに居座った、と説明している。

つまり、「引きこもった」のではなく、明確な意思をもって「居座った」のだ、と。

では、原告が居座った、として考えてみよう。
家族は、12年間にわたって、働きもせず居座っている成人した息子に、マンションの賃料、水道光熱費、食費、日用品代を払い続けた…。
「あれ買ってきて、これ買ってきて」という息子の要求を受けて、あれもこれもすべて買ってきて渡した…。
窓の開け閉めはせず、布団や洗濯物を干すことはしなかった…。
居座って困っているのにもかかわらず、マンションを引き払うこともせず、誰かが必ず、原告と寝食をともにした…。
「引きこもった」(一種の病気)のではなく、「居座った」のなら、
「ここにお金置いておくから、自分でご飯買って食べなさいね」といってお金を渡して立ち去り、時々、様子を見に来る、というのが普通だろうが…。

ところが、常に誰かがマンションにいて、原告の世話をし、一緒に寝た…。

あ、あ、あり得ない話だ。
非現実を通り越して、知性では理解不能だ。
マンガにも書けない、突飛なストーリーだ。

裁判長、こんなウソに騙されないよね。中学レベルの常識があれば、見抜けるウソですよ。

それにしても、山口貴士弁護士ら被告側の人間にはある意味、同情する。
「拉致監禁がなかった」というウソを貫き通すのは、さぞかし大変だろう。
2012-05-18 08:45 | みんな | URL   [ 編集 ]

報道 

報道によりますと、
ボスニア・ヘルツェゴビナで8年間にわたって奴隷にさせられ、虐待を受けていた19歳のドイツ人女性が救出された。警察当局は、女性を奴隷にしていたボスニアの夫婦を監禁罪などの容疑で逮捕。実の母親によって夫婦の元に連れてこられた女性は、外界との接触を断たれ、夜は家畜小屋に寝かせられ、ブタ餌で飢えをしのいでいたという。数年前、虐待を疑った近所の男性が当局へ通報したものの、夫婦が女性を倉庫に隠したため、その時は解放に至らず、今回、女性の写真が提出されたため、当局が踏み込んで逮捕することができたという。

この事件、徹さんが受けた12年間の監禁と似ていると思いませんか。
・親が関与
・外界との接触が絶たれた
・飢えをしのいだ
・隠されたため発見されなかった

徹さんの場合、12年間、一歩も外に出ることができませんでしたから、証拠写真がない。あるのは解放後の痩せこけた写真(これも十分、証拠写真だと思いますが)のみですが。

重労働がなかったことは不幸中の幸いでしたが、12年という長さを考えると、徹さんの家族、宮村、松永は、ボスニア・ヘルツェゴビナの夫婦と同様、逮捕されるべきだ。

この報道を読んで、監禁を発見すること、監禁を辞めさせることがいかに難しいか、思い知らされました。

家族や宮村らの口からは「申し訳ないことをした」という反省の弁が一切ない。

このような報道に触れても、良心の呵責を感じないようなら、もはや人間失格だ。
2012-05-29 18:15 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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