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松永堡智氏の準備書面(3)

松永堡智氏の準備書面(3)を掲載する。
後藤徹氏の準備書面(4)及び(5) に対する反論である。
後藤氏の兄らが後藤氏の"居座り"を主張しているのに対し、松永氏は偽装脱会して家族との話し合いの場から逃げろというように統一教会が指導していると主張している。
となると、後藤氏は、教会の指導に背き、勝手に、自分の頭で考え、家族を伝道していたのだろうか?

被告側のそれぞれの主張をじっくり読んでいると頭が混乱してしまう。
どうつじつまの合うようにまとめてくれるのか楽しみである。

とにかく、松永氏の準備書面を注意深く読んでいただきたい。








準備書面(3)


                      
平成24年2月21日

東京地方裁判所民事第12部 御中

     
被告松永堡智代理人弁護士  中  村   周   而

             
同       東     麗  子

                                            
第1 原告準備書面(4)に対する反論

 同書面は,被告■<後藤徹氏の兄>らに対する原告の反論書面であるが,被告松永にも言及してある箇所があるため,その点について,反論する。

1 第2の4について(原告準備書面(4) 16頁)
 原告は,「本件においては,原告は,監禁途中から偽装脱会を行ったものの,未だ被告松永や被告宮村から許可が出ていなかったために,被告■<後藤徹氏の兄>等においても原告の監禁を解かなかった」などと述べ,監禁されていたことを前提に,これを解放する許可を与える権限を被告宮村あるいは被告松永が持っていたかのように主張している。
 しかし,被告■<後藤徹氏の兄>らが述べるように,原告を拉致監禁した事実はない。新潟のマンションでも,原告が出ようと思えば出られたのである。
 また,本件は,原告が主張するような,強制棄教のための拉致監禁ではなく,家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合いが目的である。そうである以上,被告松永としては,このような話し合いを終えるのは,一般的には家族がお互いの心を通わせて,嘘をつくことなく本心で話し合え,理解しあえたと家族が感じたときであると考えており,結局,被告■<後藤徹氏の兄>らと原告との話し合いが終わらなかったのは,原告が被告■<後藤徹氏の兄>らとの真剣な話し合いを,信仰の面だけでなく,いろいろな面ではぐらかし,ごまかし,本心を隠し続けて,結局お互いの真の相互理解というものを得られなかったからであろう。このことは,被告松永が原告との話し合いに行かなくなったあとも,被告■<後藤徹氏の兄>らと原告は話し合いを継続し,また,■<後藤徹氏の父>も原告と話し合いを続けることを希望していたという事実からも,容易に推測される。同様に,これらの事実経過に照らせば,被告松永や被告宮村が,拉致監禁はもとより話し合いを終了させる権限をもっているはずもないのである。

2 第3の1について(原告準備書面(4) 18頁)
 原告は,「被告松永が関与した本件も同様に玄関ドアを内側から施錠しないはずはない。」と主張する。しかし,本件において,被告■<後藤徹氏の兄>らが述べるように,原告は新潟に移動し,話し合いをした際も,決して拉致監禁などされておらず,玄関ドアも内側から施錠されていなかった,というのが事実である。にもかかわらず,統一協会の拉致監禁キャンペーンの象徴として,原告は,拉致監禁状態だったと主張するために,何ら客観的な証拠もなく,自ら確かめてすらいないのに玄関ドアが内側から施錠されていたと決めつけ,さらに,それが被告松永の指示があったと決めつけているだけである。
 被告松永は,家族が主体的な話し合いを持つ際に,玄関ドアを内側から施錠するようになどと指示をしたことはない。あくまでも家族の話し合いであり,家族の自主性を重んじているから,指示をだすことはない。ましてや,原告の主張するような拉致監禁などをして,家族間の対話など取り戻せるはずもないから,被告松永が信者とその家族の信頼関係を失わせる指示を出すことはないのである。

第2 原告準備書面(5)に対する反論

1 第1「被告宮村準備書面(2)に対する反論等」の1 (1)「ウ 被告宮村と被告松永との共謀」(3頁)について

(1)原告と話し合いをするにあたって,被告松永は被告宮村と「共謀」などしていないこと
 原告は,TFらの陳述書を引いて,被告宮村と被告松永が,「統一教会信者に対する拉致監禁・脱会説得において,1980年代から同じ目的で熱心に取り組んでいる仲間」であると主張し,ひいては,1995年9月11日から原告と■<後藤徹氏の父>らとの間で開始した話し合いにおいても,被告松永と被告宮村との間に共謀関係が存在したと主張する。
 しかし,まず,1995年9月11日に原告らが話し合いに入る前から,同日の話し合いについて,被告宮村と被告松永が共謀していた事実はない。
 被告松永が,原告と■<後藤徹氏の父>らとの話し合いに関与するようになったのは,■<後藤徹氏の父>から相談を受けたのがきっかけである。そして,■<後藤徹氏の父>が被告松永に相談をもちかけたのは,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が被告松永に世話になったつてをたどったからである。そして,被告松永が,■<後藤徹氏の父>らが相談に来ていることについて被告宮村にわざわざ話したりすることはない。
 このように,被告宮村は■<後藤徹氏の父>らが被告松永に相談していた事実すら知らなかったのであるから,被告松永と被告宮村との間に「共謀」などありえないし,当然,原告のかかる主張について,客観的な事実の裏付けは皆無である。
 にもかかわらず,原告はかかる主張を強引に主張し続けるために,本件とはまったく関係のない別の統一協会信者の陳述書を提出している。
 しかし,そもそも,本件と陳述書を作成した各統一協会信者の件はまったく別件であり,何ら関連性がない。また,これらの陳述書は,統一協会信者らが統一協会の指示をうけて作成したものであり,事実を歪曲した虚偽の内容に他ならない。しかし,かかる虚偽歪曲の点をのぞいても,これらの陳述書には,具体的に被告宮村と被告松永とが,当該信者のカウンセリングに際して,当該信者が両親や家族らと話し合いに入る以前から連携していたことを裏付ける客観的事実は何も記載されていない。陳述書において,単に,被告松永と話し合いをしている最中に,被告宮村が訪ねてきたというだけで,あたかも家族と話し合いに入る以前から,当該信者と家族との話し合いについて,被告宮村と被告松永が協力し合っていたかのように決めつけるのは,全く論理が飛躍していると言わざるをえない。原告らは,かかる統一協会信者の被害妄想ともいうべき推測をまるで事実であるかのように記載された陳述書を作成させ,判で押したかのような同じ決めつけの内容の陳述書を複数証拠として提出している。そして,これらの陳述書には,被告松永と被告宮村の共謀をうかがわせる事実の記載は全くないのにもかかわらず,これらの陳述書の推測にしか過ぎない部分を,あたかも事実であるかのように記載して,1995年9月11日から始まる原告と■<後藤徹氏の父>らとの話し合いに際し,被告宮村と被告松永との間に「共謀」があったなどとむちゃくちゃな主張をしている。特にH(現K)Cのノート(甲44号証)を引いて,「共謀」があったと決めつける原告らの議論は乱暴この上ない。

被告宮村も,被告松永も,統一協会信者家族の問題にかかわるようになったきっかけや,また,その問題に取り組もうと考える動機やスタンスなどは全く異なるものであり,特に被告松永が被告宮村に対して,教えを乞うたり,そのやり方を学んだりしたことはない。また,被告宮村も被告松永も,統一協会信者との話し合いについては,お互い自分の考えを持って臨んでいることであるから,自分のところに相談にきた特定の統一協会信者と話しあいを行うにあたって,「共謀」などしたりすることはない。
 被告松永が,荻窪で被告宮村らと話し合いをしている最中の原告と会ったのも,まったく偶然のことであった。被告松永が東京に行く用事があって,被告宮村と会って話しをする機会があったところ,たまたま被告宮村が原告と話しあいをしていることが判明し,被告■<後藤徹氏の兄>らからも,会ってみて欲しいと言う話があった。そこで,被告松永は,自分が話しあいをしたことのある原告の事を気にかけて,会いに行ってみたのである。このときの面会時間は30分程度で,ほんの少し顔を見に行っただけであり,特に込み入った話をすることもなく,到底,被告宮村との事前打ち合わせとか連携などをうかがわせるような態様の訪問ではない。

(2)統一協会信者に対する拉致監禁等の指導は一切行っていないこと
 原告は,上述したとおり,準備書面(5)の4頁でHCが作成した甲44号証のノート及びこれを解説したと称する小出浩久作成の甲45号証をもって,被告松永が,「拉致監禁・脱会強要を指揮・指導・共謀していた」と主張するが,かかる主張は,証拠をわざと曲解しており,事実とは異なる。
 甲44号証に,被告松永の話として記載されているのは,家族が統一協会信者との話し合いをする際に,決して信者らを頭ごなしに責めてはいけないこと,家族が一番心配し,愛情を持っているのだということを理解してもらうように努めることであり,拉致監禁の指導内容ではない。甲45号証で小出氏は,あたかも自分がとったノートであるかのように解説している。しかし,実際のところ,かかるノートに記載されている事項と小出氏の関連性は,単にノートに名前が記載されている人物と会ったことがある,という程度の話である。小出氏のノート解説自体は,統一協会が,信者向けに,反対牧師はこうやって拉致監禁するのだとの教え込みに基づくバイアスのかかった視点からの決めつけに過ぎず,全く客観性を欠くものである。

 また,原告は,甲45号証の他にも,甲13号証のKH氏作成とされるノートについて,信者である川嶋英雄氏が,やはり,統一協会の教え込みにしたがった信者の視点で感想を述べた何の客観性もない陳述書(甲16)を提出している。このように,原告は,統一協会による教え込みをうけた信者が,客観性を無視して,その教え込みにそった解説をつけて無理矢理原告主張に引きつけて結びつけようとしているだけの,本件とは無関係の資料を証拠として多数提出して,そもそもそのような実態はないにもかかわらず,なりふり構わず,統一協会が主張してやまない「反対牧師による拉致監禁が存在する」と決めつけているだけである。

2 「第2 被告松永準備書面(2)に対する反論等」について
(1)1(1)について(原告準備書面(5) 9~10頁)
 原告は被告松永に対する反論においても,統一協会から受けた教え込みのとおりの決めつけによって事実を曲解して書かれた,本件とは関連性がなく客観性もない各陳述書等を引いて,被告松永による統一協会信者の家族らに対する拉致監禁指導があり,また監禁解放の諾否の権限を握っていたなどと主張しているが,かかる主張はその裏付けとされている各陳述書と同様,根拠のない決めつけにすぎない。
 もし仮に,統一協会及び原告が主張するように,被告松永が父兄等を唆して信者を拉致監禁し,棄教をせまる指導を行っているのだとすれば,なぜ,被告松永が,父兄等に対して,「まずは自分たちの心の対応を変えるように」とか「信者を責めてはいけない。」などと指導するのか。被告松永が,相談にきた信者の家族等に常々言っていることは,人の気持ちは決して強制的には変えられないということ,また,棄教を目的とするのであれば,信者の心を家族に取りもどすことは絶対にできない,ということである。被告松永が,勉強会において,信者家族らに話しているのは,家族間の信頼を取りもどすために話し合いを行っているからこそ,信者に変われ,と強制するのではなく,家族の信者に対する対応を変化させるべきということである。
 これらの被告松永の統一協会信者及びその家族に対するスタンスからすれば,統一協会が主張するように信者をその意思に反して閉じこめ,根拠なく教祖を罵倒し,強制的に棄教させることなどあり得ない。そのような中で,家族の信頼関係回復など望めないからである。

 また,原告は,SK氏の陳述書(甲26号証)を引いて,被告松永による「厳格な指導」のもと,原告と被告■<後藤徹氏の兄>らが新潟へ移動して話し合いが行われた旨主張する。しかし,甲26号証はそもそもSK氏が当時のことをありのままに記載しているとは到底言えない陳述書であり,例えば3頁目で自分の娘の名前であるのに「■■」と表記するなど<娘の名前を変換ミスにより誤って表記してしまったと思われる>,SK氏本人が陳述して確認したものか非常に疑わしい。
 本件において,■<後藤徹氏の父>らが,新潟で話し合いを行うにあたって新津教会の勉強会のために新潟に通ったこともあったが,このときも,被告松永が勉強会で■<後藤徹氏の父>を含む統一協会信者の家族らに語ったのは,「心の対応」についてであり(乙イ5号証),■<後藤徹氏の父>らもその「心の対応」を学んでいたのである。原告は準備書面(5)10頁において「被告松永の父兄等に対する厳格な指導に照らせば,被告■<後藤徹氏の兄>等が被告松永の許可も得ずに原告を東京から新潟のマンションに拉致監禁することはありえず,また,被告松永が原告の監禁されたマンションに脱会説得に訪れることもあり得ない」と主張する。原告の主張の趣旨が若干不明であるが,本件に限らず,被告松永が相談にきた家族に対して,原告の主張するような「厳格な指導」を行うはずがなく,また行っていないことは前述したとおりであり,これは■<後藤徹氏の父>らに対しても同様である。
 さらに,「被告■<後藤徹氏の兄>等が被告松永の許可も得ずに原告を東京から新潟のマンションに拉致監禁することはありえない」と主張するが,被告■<後藤徹氏の兄>らが準備書面で述べるとおり,本件は拉致監禁にはあたらない。当然,被告松永は,■<後藤徹氏の父>が原告と話し合いをするにあたり協力してもらいたいという趣旨で相談に訪れていたのであるから,いずれ原告が新潟で■<後藤徹氏の父>らと話し合いをし,自分にも来てもらいたいとの声がかかるだろうということはわかっていたが,いつ,どこで話し合いを行う予定なのかは知らないし,当然■<後藤徹氏の父>らから,新潟にいつ行く,との連絡も受けていない。
被告松永は牧会者として,依頼があれば統一協会信者であれ,障害児であれ,訪ねていく活動をしているのである。被告松永が,特段■<後藤徹氏の父>らに対し,指導監督していなくても,■<後藤徹氏の父>に依頼されて,新潟のマンションにいる原告に会いに行くことはあり得ることである。
 また,実際に■<後藤徹氏の父>らが新潟に訪ねてきたのは,被告■<後藤徹氏の兄嫁>のつてをたどってきたのであり,被告宮村との連携は一切ない。

(2)1(2),(3)について(原告準備書面(5) 11頁)
 原告は,ここでも「集会を主催して集会の場で主に講義を行ったのは被告松永自身である」と決めつけ,だからこそ,被告松永は父兄らに対して拉致監禁指導をしており,■<後藤徹氏の父>らにも同様の指導をしていたと決めつけている。
 しかし,原告がこの根拠とする小出氏らの陳述書は,そもそも統一協会の教え込みを受けた統一協会信者らにより,統一協会の主張に即して,事実を歪曲した一方的な見方で推測に推測を重ねてさらに決めつけをした陳述書にすぎず,客観的な正確性に乏しく,その信用性は極めて低い。このような,統一協会の指示によって,内容まで指示されて作成された陳述書をいくら積み重ねたところで,各陳述書の信用性が高まるものではない。かかる陳述書群の内容の信憑性については,さらに追って反論する。
 原告は,これらの信用性を欠く陳述書に基づいて,他の客観的証拠は無視し,被告松永による統一協会信者の家族に対する拉致監禁指導があったと決めつけた上で,「被告■<後藤徹氏の兄>ら原告の家族に対しても同様の指導・監督がなされていたことは疑いの余地はない。」と主張するが,これらの主張は,推認に推認を重ねるだけでなく,客観的な事実を無視した一方的な決めつけに基づいた主張に過ぎず,まったく根拠がない。

(3)「2 第2」について(原告準備書面(5) 13頁)
ア 手記について
 原告は,家族と話し合いをしている信者らが書く手記について「脱会表明した信者に手記などを書かせ,確実に脱会したことが確認出来なければ解放しないのであり,棄教を目的にしたもの以外にはありえない」(原告準備書面(5)13頁)と主張するが,かかる主張も,これまでの原告の主張と同じく,全くの決めつけであり,根拠がなく事実ではない。
 人が自分の考えを整理するために文章にして紙に記す,ということは通常よく行われることである。ことに,統一協会信者の場合,今まで教え込まれ信じこまされてきた価値観が全て間違った教えに基づくものであったとわかったとき,それまでの物の見方が180度変わってしまうのであるから,これについて何故そうなったのかなどの経緯をきちんと客観的に整理して,見直すことが,その価値観の逆転を自分なりに理解していくことに非常に役に立つことは想像に難くない。このような,通常あり得る心の整理方法さえも,棄教目的の証拠だと決めつけていること自体,統一協会がいかに一方的なものの見方を信者に教え込んでいるかということの証左である。
 また,奇しくも原告が「見ず知らずの人に監禁され,あらゆる自由を奪われ,唯々諾々と脱会説得を受け入れ,本心から話しに応じる人間などいるわけがない。」(原告準備書面(5) 14頁5行目)と主張するとおり,信者の意思に反して話し合いをすることなどできないのである。

 被告松永のところに,統一協会信者の家族が相談に訪れるとき,必ずしも,これが家族の問題であることを認識しているとは限らない。むしろ,信者が統一協会に財産を根こそぎ献金させられて困っているので脱会させて欲しい,という相談を持ちかけられることもある。しかし被告松永は,こういった家族に対しても,自分が脱会をさせることは出来ないこと,それよりも家族間の信頼関係を育めているのかどうかきちんと考えるように話し,問題は脱会か否か,ではなく,家族の信頼関係を取り戻せるか否かである,と話しをしている。家族らは家族間の信頼関係を見直し,家族で話し合うことの重要性を認識する。
このように,被告松永は,あくまでも家族間の信頼関係を取り戻す手伝いをすることが目的なのであるから,相談に来た家族らに対して,信者の意思に反することを行うように指導するはずがない。また,被告松永が,統一協会の主張するような方法で話し合いを行うよう指導しているのであれば,原告が主張するように,被告松永に相談した家族は,誰も家族と信者間の対話と信頼関係を取りもどすことは出来ないはずである。しかし,被告松永のもとに相談にきた多くの家族が,再び家族間の信頼関係を築き,対話を取りもどしているのである。かかる事実からすれば,被告松永が,家族間の絆を裂くような方法を指導していることなどあり得ないことは明らかである。

イ 偽装脱会について(原告準備書面(5) 14頁)
また,原告は,偽装脱会をした理由についての主張に対する被告松永の批判について,かみ合わない議論をしている。
統一協会は,真剣にお互いに心を開いて信者と話し合いたいと望む家族に対して,「教義を真正面から説いて,議論して埋解しあうように。」という指示はしていない。逆に「これは拉致監禁による棄教強制である。偽装脱会することによって家族との対話を回避し,家族をあざむけ。そうすれば信仰が保たれて,地獄に堕ちずにすむ。」と指示している。かかる統一協会の指示が,家族の信頼関係を回復させるどころか,溝をさらに深めさせていることは明白である。統一協会は,信者に家族との対話を回避させて,信者が対話によって外部から客観的で正確な情報を得て,統一協会の矛盾や欺瞞に気付くことを阻止しようとしている。このように,信者は統一協会の指示で偽装脱会の意思表明をしているのにもかかわらず,統一協会は,この偽装脱会の意思表明をありもしない拉致監禁が行われている証だと主張しているのであり,ここでも統一協会による論理のすり替えが行われている。
結局,本件において,原告が,平成7年末に脱会を表明し,年明けに手記を書き,その後平成8年3月頃に被告松永がマンションを訪れなくなっても,家族との話し合いは続けられていた。このように手記を書いたことと,被告松永が原告を訪ねなくなったこととの間に関連性はなく,その後も家族の話し合いが継続されていたことが明らかである。これらのことが,まさに,偽装脱会は家族との真剣な対話を拒否する手段でしかないこと,手記は単に原告が,自分の気持ちの整理のために書いていたものであること,話し合いは原告と被告■<後藤徹氏の兄>ら家族の意思によって行われていたこと,を如実に表している。

また,原告は,手記について「早く解放されたい一心で,意に反して本心を偽り,被告松永や家族の意に添うような内容の手記を書いた」と述べているのであるから,原告の主張どおり,原告が被告松永の指導により拉致監禁されていて,解放権を被告松永が握っており,その条件が脱会表明や手記なのであれば,原告にかかる手記を書かせたとされる被告松永が手記を読めば,その指示によって原告はすでに解放されているはずである。しかし,原告が手記を書いた後も,被告松永は原告のもとを訪れて話し合いを行い,その後,被告松永が来なくなっても,原告は家族との話し合いを継続している。このことは原告が,被告松永の指示あるいは統括のもと(拉致監禁はもとより)家族との話し合いを継続していたのではないこと,脱会表明や手記なども原告の主張するような,拉致監禁の解放の条件ではないことの証左である。

(4)「第4について」(原告準備書面(5) 15頁)
なお,被告松永と,被告教団との間に,指揮監督関係がないことは,教団の準備書面のとおりである。
被告松永が,統一協会問題に取り組むのは,多くの人が困っていると言って被告松永のもとに相談に訪れるからであって,教勢拡大とは全く関係ない。被告松永のところに相談にきた家族と話し合って,統一協会をやめた後に被告教団の信徒になる人は決して多くはない。被告松永が統一協会問題に携わることで信者が微増したところで,教勢拡大などとはほど遠いのが現状である。信者を獲得したいと考えるのであれば,むしろ,統一協会信者家族の相談にのるという大変な方法でなく,人の集まる他の場所に出かけて話をしたり,教会で地域活動を行ったほうが,よほど現実的な伝道活動である。相談にきた統一協会信者一人一人と莫大な労力と時間をかけて話し合って,そのうちの半分にも満たない人数をようやく伝道するというのは,伝道,教勢拡大の方法としては迂遠であり,とうてい効率的な方法とはいえない。被告松永にとって,信者家族の相談にのること,信者との話し合うことは,被告松永に救いを求めている人達に対する牧師の責任を全うするための牧会活動の一環であって,伝道が目的ではない。
また,被告松永や被告教団にとって,伝道活動とは,心の救いを求めている人に心の救いと平安を得る機会を与える,ということにつきる。しかし,統一協会にとって伝道活動は,労働力獲得及び資金源獲得であり,原告はこれを前提として,被告松永の牧会活動を「教勢拡大のため」などと批判する。統一協会にとって,信者獲得は労働力獲得及び資金源獲得に直結することから,教勢拡大のために正体を隠したり,人を欺したりして,伝道活動を行っている。このような統一協会の伝道目的を前提とするから,被告松永らも同じく教勢拡大の為に拉致監禁のような無茶な活動を行っていると主張しているに過ぎない。全く趣旨・目的の異なる活動を,統一協会の信者獲得・資金獲得活動を前提として論難するものであり,かかる原告の主張は的外れである。

以上

2012-05-06(Sun)
 

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裁判官よ、騙されるな! 

松永たちはこう書く。

「被告松永としては,このような話し合いを終えるのは,一般的には家族がお互いの心を通わせて,嘘をつくことなく本心で話し合え,理解しあえたと家族が感じたときであると考えており,結局,被告■<後藤徹氏の兄>らと原告との話し合いが終わらなかったのは,原告が被告■<後藤徹氏の兄>らとの真剣な話し合いを,信仰の面だけでなく,いろいろな面ではぐらかし,ごまかし,本心を隠し続けて,結局お互いの真の相互理解というものを得られなかったからであろう」

 俗耳(判事の耳)に入りやすいが、 きわめて情緒的。詐術的言辞といってもいい。

 徹氏の家族、すなわち父・母・兄・兄嫁・妹は、「徹は犯罪的な教団に入信している」「犯罪的な教団から徹はマインドコントロールされている」。何としてでも、統一教会から徹を脱会させなければならない-と考えていた。
 統一が犯罪者集団というのなら、当然のことである。だが、しかし・・・
 
 本文を再度、引用する。

「話し合いを終えるのは,一般的には家族がお互いの心を通わせて,嘘をつくことなく本心で話し合え,理解しあえたと家族が感じたときである」

 この一文がポイントなのです。
 至極もっともらしいが、ここに、裁判官を騙す詐術的レトリックがあるのです。
 
 徹氏の両親、兄弟姉妹が「(徹と)理解し合えた」と感じたときに初めて、話し合いを終えることができる。なるほどそうだ。しかし、家族が「理解し合えていない」と感じれば、話し合い永遠に続く-ということになる。

 繰り返しになるが、彼らからみれば、徹は犯罪予備軍であり、犯罪者集団からマインドコントロール(統一のロボットという意味)を受けている。
 その徹氏と「お互い心を通わせる」「理解し合える」「お互いの真の相互理解」を得る。ヒェ~である。
 それが可能になるのは、ただ一つしかない。
 それは、徹氏が脱会し、家族と同じように「反統一」の立場になることだ。

「本件は,原告が主張するような,強制棄教のための拉致監禁ではなく,家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合いが目的である」も、同じである。

 家族間の信頼関係を取り戻すためには、徹氏がどのような状態になればいいのか。それはやはり徹氏が脱会する以外にないのだ。
 
 松永氏の長ったらしい冒頭の文を、簡潔かつ的確に表現すれば、「徹氏が統一教会を脱会するまで、話し合いは続く。話し合いが終らなかったのは、徹氏が脱会しないからだ」ということになる。
 こうストレートに書けないのは、後藤氏の訴因に「棄教強要」が入っているからだ。

 徹氏が脱会するまで、家族の話し合いは永遠に続く。
 外形力のない通常の話し合いであっても、永遠に続く家族の話し合いは、統一教会員でありたいと思っている徹氏には心理的な虐待でしかない。

<話し合いを終えるのは,一般的には家族がお互いの心を通わせて,嘘をつくことなく本心で話し合え,理解しあえたと家族が感じたときである>

 東京地裁の裁判官には、この文章の意味するところをしっかり把握してもらいたいな。次の一文も!

甲44号証に,被告松永の話として記載されているのは,家族が統一協会信者との話し合いをする際に,決して信者らを頭ごなしに責めてはいけないこと,家族が一番心配し,愛情を持っているのだということを理解してもらうように努めることであり,拉致監禁の指導内容ではない」

 これも俗耳に入りやすい。頭ごなしに「統一教会は悪い」「統一をやめろ」といってはいけない。逆効果になるから、全くもって正しい。

 脱会屋が勉強会等で信者家族に話すのは、「子どもの信仰も理解してあげなければならない」(愛情を示す)ということだ。

 このため、監禁部屋に『原理講論』が用意され、子どもは家族に統一教会の教義をレクチャーする破目になる。「私たちは、統一教会の教義のことを知りたいんだ」と言われると、拒否しにくいからだ。
 こうして何度も『原理講論』をアクビをこらえながら聞いた家族は、「今度はこっちの本も学習しよう」と子どもに頼む。
 ワンパターンである。

 後藤さんが訴えたのは、拉致監禁・棄教強要である。
 これを根拠を示したうえで否定するのは容易でないから、被告側の文章はどうしても曖昧で情緒的にならざるを得ないのだ。真面目に読もうとしてもアクビが出てしまうのは、そのためだ。
 よくこんな眠気を誘うような文章を長々と書いたものだと、中村弁護士と東弁護士に敬意を表したい。 
2012-05-08 14:14 | 米本 | URL   [ 編集 ]

あの時も今も 

家族の信頼関係を取り戻すですか。

あの時も同じようなことがテレビで連日流れておりました。

山崎浩子さんの脱会会見後。
「家族のお蔭で脱会できた」「家族の愛でマインドコントロールが解けた」「まずは理解しようとすることが大切」etcetc



そして今(といってもちょい前)。
某国会議員は、ツイッターで「マインドコントロールを解くには家族の愛情が必要etc」とご丁寧に呟いてくれていた。

ああ、虫酸が走る。

じゃなくて、国会議員のありがたいお言葉にジーン・・・




何かを目的として(マインドコントロール(?)脱却)、人を理解するなんて、それは理解したつもりになっただけ。(上から目線)
本当の理解は、違う考えもあることを知って、考えを認めなくても、その考えを持った人を認めることだと思うのですけど。



そりゃ、同じ考えをもっていれば、結束はするわよ。
家族全員が反統一思考になれば、話しは盛り上がるわよ。理解もし合えるでしょう。ただし、反統一に関することだけ。

それが本当に信頼関係を築いていると言えるのでしょうか?
そもそも家族というのは、腹をわって話しができる関係でなければならないのでしょうか?

どうにも私にはわかりません。

2012-05-08 23:59 | koyomi | URL   [ 編集 ]

名言ですね。 

 何かを目的として、人を理解するなんて、それは理解したつもりになっただけ。
 本当の理解は、違う考えもあることを知って、考えを認めなくても、その考えを持った人を認めることだと思う


 名言ですね。肝に命じることにします。
2012-05-09 15:36 | 米本 | URL   [ 編集 ]

強制棄教のアドバイザー 

以前、こちらのブログに掲載された「拉致監禁(保護説得)関連年表」によりますと、松永被告と後藤家との関わりは、8年近くに及びます。
1991年1月   兄嫁:新潟に帰省する。松永牧師と話す。
1995年初夏   父より松永牧師の元に電話。両親が家族の相談会に参加。
1995年6月   両親、兄、兄嫁:5~6回新津教会に通う。
1995年9月11日 徹:帰宅し、自宅で1時間半話し、新潟へ。
1995年10月   父より松永牧師に話し合い依頼。
その翌日か翌々日より元信者を連れて行く。
週3日合計20~30回。
1995年12月   徹:脱会表明。松永牧師より手記を書くよう勧められ、10枚程書く。
1997年12月   荻窪フラワーマンション804号室移動。
徹:移動後、間もなく偽装脱会していたことを告白。
1998年2月か3月  松永牧師が来る。
1998年4月    南京錠(統一協会員による話し合いの妨害を防ぐためにした)を取り付けるのをやめる。(兄陳述書)

松永被告の準備書面によりますと、松永被告は1991年から「家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合い」をするよう家族を指導していました。
1995年には30回も。さぞかし、家族は「家族間の信頼関係を取り戻す」ことを意識するようになったことでしょう。

そして1998年2月、引っ越した荻窪のマンションにも松永被告は訪問しています。
さて、「家族間の信頼関係を取り戻」したことを確認できたのでしょうか。

兄の陳述によりますと、南京錠を取り付けるのをやめたのは1998年4月。
松永被告は南京錠によってドアの開かないマンションの中に、話し合いが始まって以来、一歩も外に出ていない(出られていない)原告を見たわけです。

しかも、<原告が被告■<後藤徹氏の兄>らとの真剣な話し合いを,信仰の面だけでなく,いろいろな面ではぐらかし,ごまかし,本心を隠し続けて>いた、と見たのです。

3年間に及ぶ「家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合い」は、まだまだ不十分、その原因は原告の不誠実な態度にある、と見たのです。

その後、家族は、心を開かない原告との話し合いを継続。家族側に問題があるとは考えず、宮村、元信者らを呼んで原告と話をさせています。

つまり、家族は、原告の態度を変えさせない限り、「家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合い」は不可能、と考えたわけです。
要するに、原告の態度を変えさせる行為を延々と12年間続けたことが分かります。

そして、12年目に真冬の外に原告を突き出したところ、原告は一目散に統一教会本部に逃げた。「居座った」はずの原告が脇目もふらず、統一教会本部を目指して逃げた。

「家族間の信頼関係を取り戻すための心を開いた話し合い」。これが詭弁であることは明かですね。

米本さんがコメントされているように、<家族間の信頼関係を取り戻すためには、徹氏がどのような状態になればいいのか。それはやはり徹氏が脱会する以外にない>。
仮に監禁指導の有無が証明できないとしても、松永被告が強制棄教のアドバイザーだったことは否定しようがありませんね。
2012-05-15 08:39 | みんな | URL   [ 編集 ]

母を訪ねて三千里、信頼もとめて・・・ 

みんな姉様ったら、面白いわッ。姉様苦心の年表を見ていたら、何だか興奮してきちゃったァ。

 だってだってネッ。

 後藤サマ家族は、信頼関係を失いつつあると感じていた徹サマと、信頼関係を回復したいと、話し合いに入ったというのでしょッ。
 美しいわッ!

 今日日、閉塞感漂うらしいニッポンの社会にあってですよ(韓国いやソウルはもっとひどいと思うけど)、「絆」って言いながら瓦礫を寄越すなと抗議殺到のニッポン社会にあってですよ、「家族の信頼関係を回復する」というテーマのもとで、家族が真剣に向き合う。
 ああ、なんて美しい!

 さらに美しいのは、ときおり、韓国料理屋さんに行って、焼き肉を食べマッコリを飲んだりせずに、ひたすら荻窪だとかのマンションに閉じこもって、「家族向き合い、家族向き合い」でしょッ。

 さらにさらに失神しそうなほど美しいのは、家族向き合いの真剣勝負は12年にも及んだというじゃない。まるで宮本武蔵の小説みた~いィ。
 妹御は婚期を逃し、新婚の兄夫婦は今流行りのレスなんとか(正確に書くと不正投稿とみなされた。ボリボリ)。まるで修行僧みた~いィ~。(悶絶)

 母を訊ねて三千里、家族の信頼関係の回復を求めて12年(ニッポンでいう一世代ねッ)。

 あたし夫に言ってやったのぉ。

 文先生のご家庭も、家族の信頼関係の回復のために、ヒョンジンニムをどこかのマンションにお連れして、みんなでお隠れになったら、いかがでしょうか。って。

 そしたら、ひどいのよッ。好きなサダマサシ風。

♪あたしの頭は白菜キムチ♪
2012-05-16 19:32 | アジュマ | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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