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後藤徹氏の準備書面(7)ーその1

この準備書面は、後藤徹氏の兄らの準備書面(4)及び(5)に対する反論である。今回と次回2回に分けて掲載する。
なお、文中には,すでに提出された双方の準備書面及び,陳述書の引用が多数ある。
すでにブログに掲載されたものについては、リンクを貼って置いたので、読み比べていただきたい。

原告後藤徹氏側準備書面(7) ─その1の構成
第1 被告■<後藤徹の兄>ら準備書面(4)に対する反論
1 「第2」について
2 「第3」について
3 「第4・1」について
4 「第5」について

5 「第5(註:第6の誤記と思われる)」について
6 「第6(註:第7の誤記と思われる)」について
7 「第7・1(註:第8の誤記と思われる)」ついて」
第2 被告■<後藤徹の兄>ら準備書面(5)に対する反論
青印が今回アップしたもの




準備書面(7)

平成24年4月2日

東京地方裁判所民事第12部 御中


原告訴訟代理人弁護士  福 本 修 也


 本書面においては,被告■<後藤徹氏の兄>らの2012年2月20日付準備書面(4)及び準備書面(5)に対する反論を行う。

第1 被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(4)に対する反論
1 「第2」について
(1)「1」について
ア「(1)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは「原告が主張するような『監禁のための細工』なるものは存在しないし,原告は騙されたのではなく,話し合いを拒絶して立ち去ることが出来たにもかかわらず,自ら納得した上で話し合いに入ることに応じ」たという。しかし,既に,原告準備書面(4)「第1」「1」「(1)」(1頁~2頁)で述べた通り,原告は,監禁に都合の良い場所までおびき出されて,「騙し討ちのように監禁された」(甲9「原告陳述書」4頁)のであり,決して自ら納得して京王プラザホテルにいたわけではない。また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「実際に京王プラザホテル内,また,その後の移動先において平穏に話し合いが行われている(争いなし)。」と述べるが,事実ではない。既に述べたように,原告は,監禁下におかれるや,大変なショックを受け,騙し討ちのように監禁されたことに憤慨し,トイレに入って騒ぎ立て,被告■<後藤徹氏の兄>ら家族と取っ組み合いになり,取り押さえられたのであった。こうした被告■<後藤徹氏の兄>らの暴力的な対応の結果,原告は,信仰を持ったままでは部屋から出られないと判断し,「偽装脱会」せざるを得なかったものである。偽装脱会中は原告は,被告■<後藤徹氏の兄>らに偽装脱会の事実を悟られないよう表面上は反抗的な態度・行動をとることができなかったが,これは被告■<後藤徹氏の兄>らの暴力的対応によって自由意思を制圧された状態に他ならず,このような状態は何ら平穏なものではない。

イ「(3)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「仮に,原告が男性信者2人に同伴を頼む程,「監禁」を警戒していたのであれば,エレベーターではぐれるのを避けるため,合図をするなり,あるいは,トイレに立ち寄る等の適当な口実を設けて2人が追いつくのを待てば済むだけのことである」などと主張する。しかしながら,原告は二人の位置関係などを振り返って確認したりすれば,被告■<後藤徹氏の兄>に二人が付いてきている事が知れてしまうので,二人が追いついているかどうかを確認できなかったものである。
また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「男性信者2名が原告と連絡が取れなくなったのであれば,ホテルに申し入れをするなりの対応を取ることが自然であり,何らの行動も起こしていないのは極めて不自然である」などと述べるが,単に原告を見失ったというだけの事実をもって警察やホテルの従業員に助けを求めたところで,何らの協力も期待できるはずもない。

ウ「(4)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らも認めているように,原告が留め置かれたのは隣接する二つの部屋のうちの一つであったが(甲9号証43頁の図1参照),同室には電話は備え付けられておらず,またルームサービスが食事を同室に運んだ事実もない。仮にホテルの電話やルームサービスがあったとすれば,それは隣接するもう一つの部屋(同図1左側の部屋)でのことである。また,同図1,および,原告陳述書4頁9行にあるように,原告が監禁された部屋の廊下に面したドアは,厳重な施錠がなされ,一度も開かれることはなかった。また,図1の左右の部屋の間にはドアがあったものの,原告の逃走を阻むべく,被告■<後藤徹氏の兄>らが常に原告を監視していたものである。既に述べた通り,わざわざ2つの部屋がつながった高価な(一泊10万円以上)部屋を借りてまで脱会説得を行ったのは,原告の逃走を防ぐのに都合がいいからである。また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「部屋の手配をしたのは,故■<後藤徹氏の父>であったため,当該部屋を選んだ理由は不明である」などと述べる。しかし,原告と同様被告宮村に脱会説得を受けた鳥海豊が1991年4月に監禁されたのも京王プラザホテルの同タイプの部屋であった(甲18:19頁)。東京都内だけでも数多くあるホテルとその部屋のタイプの中で,原告及び鳥海の双方の親族が偶然にも同じホテルで同じタイプの部屋を選択することは有り得ず,両家の背後にあった被告宮村が監禁説得の場所を指導していたことは間違いない。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「他の『事例』に関する詳細については,被告■<後藤徹氏の兄>らの知るところではなく,本件とも関連性が無い」などと述べる。しかしながら,本件は被告宮村が統一教会信者らに対する拉致監禁を日常的に反復・継続する中で起きた事件であり,被告■<後藤徹氏の兄>らも,被告宮村がそのような活動をしていることを頼みとして,被告宮村の指導を得て本件に及んだものであり,同被告関与の他の「事例」との比較をするのは当然である。

エ「(5)」について
上述の通り,原告は京王プラザホテルに監禁されていた間に既に偽装脱会を始めたため,荻窪のマンションに移って以降も被告■<後藤徹氏の兄>らの指示に従わざるを得なかったものである。また,荻窪において監禁されていたマンションの一室から荻窪栄光教会に通うまでの間は,常に被告■<後藤徹氏の兄>ら数名が原告の周りを取り囲み,行動を共にしていたために,逃走及び脱出はできなかったものである。原告においては常に逃走及び脱出の機会を伺っていたものであり,日曜礼拝の際に初めてその機会が訪れたからこそ機を逃さず荻窪栄光教会から脱出するに至ったものである。荻窪において監禁されていたマンションの一室から荻窪栄光教会に通うまでの時間が徒歩で片道20分かかるという主張は,不知である。
なお,原告が自由意志により,被告■<後藤徹氏の兄>らと話し合っていたのであれば,原告において敢えて「トイレに行ってくる」などと偽って(乙イ第10号証・■<後藤徹氏の兄>陳述書8頁最下行)荻窪栄光教会から脱出せずとも済んだはずである。この時,原告が家族らに嘘をついてまで逃走を図ったのは,原告が自由に行動できる状況にはなかったからに他ならない。
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,1回目の監禁後,原告が統一協会内部で問題にしたり,弁護士に相談した形跡もないなどと述べる。しかし,当時信徒会内部で問題にしたからこそ,原告は名前を変え所属部署を変えて潜伏生活を送ったのである。一方,弁護士に相談しなかったのは,第1回目の京王プラザホテルおよび荻窪栄光教会付近のマンションにおける監禁時には,監禁期間が比較的短かったこと,原告が特に傷害を負うなどの事実がなかったこと及び原告が比較的容易に脱出に成功したこと等から,法的手続を採ることまで考えなかったものに過ぎない。当時は統一教会信者に対する拉致監禁事件が頻発しており,精神病院に違法に強制入院させられた信者が人身保護請求によって解放される事件や,麻酔を打たれた信者がセスナ機で札幌に拉致監禁され,信者仲間が人身保護請求を起こすという事件も起きていたものであり,こうした事件に比べれば,原告が受けた被害は相対的に軽度であった。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が実家に顔を出したり,原告が所属する信徒会施設において被告■<後藤徹氏の兄>と顔を合わせることもあったことから,「潜伏生活を余儀なくされた」者の取る行動ではないなどと述べる。しかし,原告は荻窪栄光教会から脱出後,しばらくは再度の拉致監禁を恐れ,名前を変えたり,被告■<後藤徹氏の兄>に場所が知られている教会施設から離れ,居場所を隠すなどして潜伏生活をしていたものである。これら事実については,被告■<後藤徹氏の妹>も陳述書で認めている通りである(乙イ第7号証11頁13~15行目)。もし仮に原告が監禁された事実が存在しなかったとするなら,このような潜伏生活をする必要など毛頭なかったであろうことは言うまでもない。

一方,京王プラザ等における最初の拉致監禁から年月を経る中,原告は少しずつ家族との関係を修復するようになり,1992年頃には故■<後藤徹氏の父>が電話での会話の中で「もうあんなことはしない」と明言したこともあり,葛西で被告■<後藤徹氏の兄>と会ったり,保谷市の実家に帰るようになったものである(甲9原告陳述書6頁23~30行目)。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が大成建設を解雇されることもなく,給料も支給されていたのは,会社側が家族との話し合いについて原告からも説明を受け,事情を承知していたからに他ならないなどと述べる。しかし,原告が第1回目の監禁下において大成建設と連絡を取ったことは一切ない。被告■<後藤徹氏の兄>らによると,「十條板紙株式会社の取締役であった故■<後藤徹氏の父>は,原告を重要な取引先であった大成建設に紹介した経緯もあり,統一協会の件についての話し合いに入ることについて,予め大成建設の原告の上司には事情を説明して了解を得ていた」というのであるから(被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(2)4頁「第2・4」),仮に同社から原告に給与が支払われた事実があったとしても上記「了解」によるものであって原告からの説明によるものではない。
また,原告が1回目の監禁から脱出後も会社と連絡を取らなかったのは,会社と連絡を取り,再び会社に出勤するようになれば,当時,大成建設と関係の深かった故■<後藤徹氏の父>に原告の動向が知れてしまい,原告が再度拉致監禁される危険があったからである。もし,同社了解のもとに任意で自由な話合いが行われていたに過ぎないのであれば,原告が脱出後に会社と連絡を絶つはずもない。

(2) 「2(1)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,統一教会信者が押しかけて話し合いを妨害する旨主張する。しかしながら,被告■<後藤徹氏の兄>らも認めている通り,統一教会は信者が親と会ったり帰宅することを一切禁止していないのであるから,統一教会信者が押しかけて信者と家族との話し合いを妨害することなどあり得ない。被告らが挙げる事例は,いずれも統一教会信者の家族らが,信者を監禁して脱会を強要していた事件に関するものである。岡山における事件は,単に救出に向かった信者らが,監禁場所を間違えたことから刑事事件化したものに過ぎない。

(3) 「3」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは「被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を監視していたという事実は存在しない」,「原告は何時でも自由に去ろうと思えば去ることができる環境にあった」などと述べるが,既述の通り原告は被告■<後藤徹氏の兄>らの監視下にあり,自由に立ち去ることができなかったために,礼拝時に「トイレに行く」との口実の下,逃走したのであり,逃走後も潜伏生活を余儀なくされたのである。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「他の『事例』に関する詳細については,被告■<後藤徹氏の兄>らの知るところではなく,本件との関連性が無い」などと述べる。しかし,YSは,監禁下で被告宮村から脱会説得を受けた本人であり,被告宮村らの共著『親は何を知るべきか』(甲24)のOFの手記は,被告宮村に指導を受け,統一教会信者であった兄を脱会説得した妹の体験を記したものであって,どちらも被告宮村が監禁下にある統一教会信者の「偽装脱会」に対してどのような態度を採るかを示す証拠として大いに本件と関係がある。
 なお,被告宮村が監禁された統一教会信者が偽装脱会をしてまでも脱出を図ろうとする事実を十分知悉しており,信者が脱会の意思を表明しても容易には解放しない事例は,既述のYS等の他にも多数ある。監禁下で被告宮村から脱会説得を受けたHYも,脱出のため偽装脱会を試みたが,その際,被告宮村はHYの両親に対し,「そうやって偽装脱会して,ここから逃げ出そうとしたやつがいる。お父さん,お母さん,こいつらの言う事を信じちゃだめですよ」と戒めているものである(甲47号証「HY陳述書」11頁最終行~12頁2行目)。また,荻窪のマンションでの監禁下で被告宮村から脱会説得を受けた際,偽装脱会をして監禁から逃れたTFは,2年半後,再度拉致監禁され今度は,新潟のマンションで被告松永から脱会説得を受けた。TFが再び偽装脱会をして逃走の機会を窺っていたところ,被告宮村が東京から訪ねてきて,「脱会すると言っても誰が信じるか。今みたいに偽装脱会を考えているのであれば,いつまでもそうしていたらいい」と言っているものである(甲36号証「TF陳述書」21頁12行目)。これらのことからも,信者が監禁から逃れるために偽装脱会したとしても,被告宮村は簡単にはこれを信じず,脱会意思が確実になるまで絶対に監禁から解放しないことが明らかである。

(4) 「4」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「故■<後藤徹氏の父>が会社側との間で話をつけようとも,原告が話し合いに応じなければ,そもそも,話し合いは成立しない」などと述べる。しかしながら,被告■<後藤徹氏の兄>らは,京王プラザホテル及び荻窪のマンションにおける被告宮村らによる脱会説得について,原告に一切知らせないまま原告の会社の上司に内密に欠勤の了解を得ていたというのであるから,被告■<後藤徹氏の兄>らの言う「話し合い」が,原告の都合や意思などを一切度外視して一方的に行われる性格のものであったことは明らかである。

 2 「第3」について
(1)「1」について
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が故■<後藤徹氏の父>から説得され,統一協会のことについて話し合いに応じることに同意したなどと述べるが,事実に反する。既に,原告準備書面(4)の「第2」「2」(11頁~13頁)で述べた通り,京王プラザホテル等における第1回目の監禁の被害を受けた原告にとって,実家以外の,いずことも場所も告げられぬ話し合いの場に行くことに同意することはあり得ない。原告が自分の意思に反して拉致された経緯は,既に原告陳述書(甲9号証7頁~8頁),原告準備書面(4)「第2」「2」(11頁~13頁)において述べた通りである。
 また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「原告からは合同結婚式の相手方や統一協会の役職についての懸念は一言も表明されていない」などと述べる。確かに原告は,新潟のパレスマンション多門に監禁され偽装脱会を開始して以降も合同結婚式参加の事実を家族に話さず,原告がこの事実を伝えたのは,故■<後藤徹氏の父>から「36万双の合同結婚式に参加したのではないか」と詰問された際のことである。これは,原告は信仰に強硬に反対していた被告らに同事実を内密にしておきたかったためであり,これは,保谷市の実家における拉致監禁前の段階においては,被告■<後藤徹氏の兄>らによる拉致監禁を誘発する危険を危惧したためである。また,拉致監禁後においては,被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて婚約関係を完全に引き裂くため監禁からの解放を慎重ならしめ,結婚妨害を受ける恐れを危惧したからに他ならない。即ち,原告が同事実を被告■<後藤徹氏の兄>らに内緒にしていた事実自体が,自由な話し合いの場ではなかった事実,原告が保谷市の実家から連れ出されて以降,被告■<後藤徹氏の兄>らによって拘束されていた事実を裏付けているものと言える。故■<後藤徹氏の父>から詰問された際,合同結婚式参加の事実を認めざるを得なかったのは,原告が偽装脱会していた最中であり,恭順の意を示す以外,解放される途は無かったからに他ならない。
 なお,被告■<後藤徹氏の妹>の陳述書(乙イ第7号証16頁22行~29行)によれば,被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が3年前の1992年8月に3万双の合同結婚式を受けようとした時点で既に反対の立場を表明し,故■<後藤徹氏の父>は当時の統一教会会長神山威宛らに対し内容証明郵便を送って原告の合同結婚式参加に反対する意思を表明したということである。更に,1995年8月の36万双の合同結婚式後のことについて,同人の陳述書(乙イ第7号証17頁21行~27行)には,「この頃,私たち家族は,徹が合同結婚式で祝福を受けた可能性も踏まえ,相対者(合同結婚式における結婚相手)と家庭を持つ前に,何とか話し合いをしたいと徹と話し合いの時を持ちたいと考えていました」と記されている。従って,被告■<後藤徹氏の兄>らにおいては,原告が合同結婚式で結ばれた相手と結婚生活を送ることを妨害しようとする結婚妨害の意図もあって,第2回目の拉致監禁を計画し実行した事実,及びことさらに監禁期間を長期化させた事実が明らかである。
 次に,被告■<後藤徹氏の兄>らの言う「役職についての懸念は一言も表明されていない」というのは事実ではない。当時,信徒会組織でスタッフの立場にあった原告は,保谷の実家での家族とのやり取りの際,当然のことながら,このことに対する懸念を表明したのである。
 また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「信徒会」が実在せず,統一教会の会長(当時)である徳野英治自身が平成21年7月13日に記者会見において認めているなどと述べるが,徳野元会長は,統一教会の中には信徒会が存在しない旨発言したものに過ぎず,統一教会と別個に信徒会が存在する事実まで否定したものではない。

(2)「2」について
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,故■<後藤徹氏の父>は,結果的に携帯用トイレを使用しなかったに過ぎないなどと述べ,「他の『事例』」と本件との関連性を否定する。しかしながら,川嶋英雄は,被告松永主導の下,新潟県のマンションに監禁され,被告松永から脱会説得を受けており,しかも,その監禁期間は原告が新潟のパレスマンション多門に監禁されていた時期と重なっている。また,高澤守は,統一教会信者に対する拉致監禁に関し,被告宮村や被告松永と緊密に連携し情報交換している牧師である。
なお,統一教会信者である娘の脱会を被告松永に依頼し,同被告の指導により拉致監禁を実行したSKは,新津福音キリスト教会での父兄勉強会に参加した際に,信者を拉致する際には,「ワゴン車には飲料やポータブルトイレを用意したほうがいい」との指導を受けているものである(甲26号証5頁)。
また,被告松永主催の父兄勉強会の講義内容を記録したHCのノート(甲44号証)には,車で移動する際の注意事項として,「トイレの問題」と記されている(6枚目右)。ノート1
これは,このノートを解説した小出浩久の陳述書(甲45号証6頁1~4行目)にある通り,車での連行中に信者がトイレに行きたいと言ったときの対処のことで,車外のトイレに行かせれば逃走される危険があるので,逃げられないように車内にポータブルトイレを用意すべきことを意味している。
そもそも,被告松永らは,統一教会信者を脱会させることを希望する父兄らに対して,鎖と南京錠による玄関の施錠や全ての窓についての施錠など具体的な指示を行っているが(甲44号証(甲45号証小出浩久陳述書添付のノートにおける21頁4行目),甲41HY陳述書3~4頁,甲26SK陳述書5~7頁),同人の指導する監禁は,統一教会信者が外部に救出要請文を投じる隙間さえ与えないほどに厳重を極めた態様の監禁である(甲41号証HY陳述書4頁20~24行目)。従って,被告松永の勉強会に参加し指示指導を受けていた被告■<後藤徹氏の兄>らが(乙イ10号証■<後藤徹氏の兄>陳述書13頁等),原告を連行中にも,原告の逃走及び原告の外部との連絡を妨げるため,ポータブルトイレを用意してまで原告を厳重な監禁下に置いていたことは疑いの余地がない。

(3)「3」について
既に原告準備書面(4)15頁「第2」「4」で述べた通り,原告が自宅以外の場所での話合いを承諾した事実はない。被告■<後藤徹氏の兄>らは,統一教会信者の邪魔が入らない場所での話し合いの必要性を主張し,他の信者と連絡をとれないようにしなければならないことを強調するが,信者が統一教会と連絡をとることを防ぐには,信者を監禁する以外に方法はないのであって(外出が自由なら公衆電話等により容易に統一教会と連絡をとることが可能),被告■<後藤徹氏の兄>らの主張は拉致監禁の事実を自白しているものにも等しい。
 また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,『親は何を知るべきか』における記述内容が,単に統一協会員の受けている教え込みによる精神操作の深刻さを説明するものに過ぎないなどと述べる。しかし,既述の通り,被告宮村は,『親は何を知るべきか』(甲24号証)に拉致監禁行為を記述したOFの手記を掲載することによって,事実上,具体的な拉致監禁の指導を行っている事実を自認しているものである(同175頁以下)。
 また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,マンションの部屋に電話は存在したと主張するが,原告はいずれのマンションにおいても電話機を見たことはなく,また,電話機の呼び出し音も聞いたことがない。そもそも被告■<後藤徹氏の兄>らは,「被告■<後藤徹氏の妹>も原告と一緒にマンションで生活している期間中,ほとんど外部との連絡を取れない状況にあった」(被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(2)6頁「第3」「4」)などと主張しているのであるから,マンションの部屋に電話機があったと主張するのは矛盾である。被告■<後藤徹氏の兄>ら自ら述べる通り,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「統一教会信者の邪魔が入らない場所」の作出に腐心していたものであり,そのためには,原告が統一教会に連絡できる機器を置くことなどあり得ないのである(監視者就寝中に電話を掛けられる可能性がある以上,絶対に電話機など置かない)。仮に,マンションに電話機が引かれていたと主張するのであれば,それぞれ誰の名義で電話番号が何番であったのか証拠をもって明らかにすべきである。

3 「第4・1」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,他の「事例」として本件と関連性がないと述べる。しかし,SKとHYとは,統一教会信者の親としての立場から被告松永に娘の脱会説得を依頼し,原告の家族同様,被告松永が主催する新津教会の統一教会信者父兄に対する勉強会に参加し,集会において,同被告から具体的な拉致監禁の指導を受けた状況(甲26号証5頁~6頁,甲41号証3頁)及び信者を拉致監禁した後に監禁解放の判断を同被告に任せるよう同被告から直接指導を受けた状況等を述べている(甲26号証5頁,甲41号証4頁)。従って,両名の陳述書は,原告が拉致監禁の被害に遭った当時における被告松永の常習的な監禁指導の事実を直接裏付ける証拠として,本件との関連性はある。
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,「■<後藤徹氏の父>がパレスマンション多門607号室の玄関鍵を解錠するための鍵を持って玄関に迎えに出たのを見た」という供述に対し,検察審査会が何ら言及していないことに鑑みれば,そのような供述も,マンションから外に出ることを防止するための鍵も存在しないことは明らかであるなどと述べる。しかし,既に原告準備書面(4)の「第3」「1」(18頁)で述べた通り,原告は,刑事事件においても同事実を主張していたのであって,議決書の内容は原告の供述の全てを網羅したものではなく,原告主張は創作などではない。外部との連絡を一切遮断するようにとの被告松永の指導を受け,「統一教会信者の邪魔が入らない場所」の作出に腐心していた被告■<後藤徹氏の兄>らにとって(被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(4)8頁「第3」「3」他),マンションの玄関を開閉可能にしておくなどということはあり得ない。

4 「第5」について
(1)「1」について
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,「TTに確認したところ,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の兄2人に加えて,TTが車内にいたことが確認出来たが,Sは乗っていない」と述べている。しかし,被告■<後藤徹氏の兄>らはこれまで,原告を新潟のパレスマンション多門から西東京市の原告の実家に移動する際のワゴン車に同乗した人物について,2011年5月17日付け準備書面(1)7頁「第5」「1」においては,「このとき原告と一緒に行動したのは被告■<後藤徹氏の兄嫁>の二人の兄HTとHHだけである」と述べ,2011年8月12日付け準備書面(2)7頁「第5」「1」においては,「原告は,被告■<後藤徹氏の兄>らも認めている通り被告■<後藤徹氏の兄嫁>の二人の兄を含め男性数人が待機しており,多勢に無勢で逃走することなど不可能であったなどと述べるが,新潟から荻窪への移動の際に原告といたのは,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,及び被告■<後藤徹氏の妹>の二人の兄だけであるから,前提事実が誤っている。」とまで主張し,TTが乗車していたことを否定していた。しかしながら,今回の準備書面では,これまでの主張を覆し,急遽,TTが乗車していた事実を認めるに至っている。
新潟から東京
2011年10月3日,原告はTT宅に架電し,当時同人が被告■<後藤徹氏の兄>らからの依頼を受け上記ワゴン車の運転をした事実を確認した。察するにTTがこのことを被告■<後藤徹氏の兄>らに伝えたために,被告■<後藤徹氏の兄>らは原告からの反証を恐れ,上記事実を認めるに至ったものと考えられる。パレスマンション多門に頻繁に訪れていたTTは被告■<後藤徹氏の兄嫁>と同様「新潟青春を返せ裁判」の原告であり(甲36号証・TF陳述書29頁~30頁),被告■<後藤徹氏の兄>,及び同■<後藤徹氏の兄嫁>にとって信頼できる人物であったからこそ,TTに運転を依頼したものと考えられる。従って,被告■<後藤徹氏の兄>らがTTのことを忘れることはあり得ず,TTの運転については殊更にこれを否認していたものである。
他の事実も同様であって,被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告において立証できないものと踏んだ事実に関しては,ことごとくこれを否定しているものであり,被告■<後藤徹氏の兄>らの主張態度は不誠実極まりない。なお,新潟のマンションから東京の実家への移動の際には,原告準備書面(4)の「第4」「1」「(1)」(18頁~19頁)で述べた通り,TTの他にも元信者の男性と女性が乗車していたのであり,被告■<後藤徹氏の兄>らは,親族でもない元信者らを同行させ,原告の逃走を阻んだ事実を隠蔽しようとしているものに他ならない。

(2)「2」について」
ア「(1)」について
 被告■<後藤徹氏の兄>らは,荻窪プレイスの玄関の施錠について,原告の「玄関に番号付きの鍵がついていた」という主張に対し,検察審査会で引用されている供述調書は,「番号の付いた鍵が見えた感じがした」となっており,この点の齟齬を主張する。しかし原告は,玄関に番号付きの鍵がついていたのを明確に目撃したものであって,検事らに対してもそのように供述したものである。調書作成段階において,供述調書に数字のついた鍵が見えた感じがしたと記載されているのを見た際には,同記載が番号つきの鍵を目撃した事実と矛盾するものではなかったために,敢えて修正を要請しなかったものに過ぎない。刑事手続の経験がない原告においては,被害者の正当な利益保護の観点から調書を作成するものとの先入観があり,よもや検事が事件を潰すために被害者に不利な記載をするなど思いもよらなかったものである。

イ「(2)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,荻窪プレイスにおいて,被告■<後藤徹氏の妹>や被告■<後藤徹氏の兄嫁>しかいない状況下で,家を出ようと思えば容易に出られることは明らかであったなどと述べる。しかし,既述の通り,荻窪プレイスの玄関ドアは内側から施錠してあり,窓からも到底脱出できるような高さではなかった(6階)のであるから,自力による脱出は不可能であって,脱出の可否は監視者の性別とは無関係である。また,偽装脱会中であったため,原告は,確実に逃走できる見込みがない以上,脱出の手段を探る行動を採ることすらできなかったものである。被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告をマンションに一人にしたことは一度もなく,最低でも2人がマンションに留まり,監視したのであり,原告が脱出の手段を探ることすら妨げたのである。こうした厳重な監視体制を見ても,原告が監禁・監視下にあった事実は疑いの余地がない。
さらに,被告■<後藤徹氏の妹>と被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,故■<後藤徹氏の父>の葬儀の時でさえ,葬儀に参加せずにマンションに留まっていた。これは,原告を監視するために他ならない。仮に原告が自由意思によってマンションに留まっていたのであれば,両被告は故■<後藤徹氏の父>の葬儀に参加しても差し支えなかったはずである。

(3)「3」について
ア「(1)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「『原告が自らの意思で居座っていた』という主張が事実ではなく,自宅ではないマンションでの生活が原告の意思ではない別の意思であったことを被告らが自ら自白しているとも言える」との原告主張を意味不明であると述べる。しかしながら,原告の意向を度外視し,■<後藤徹氏の父>や被告■<後藤徹氏の兄>らの一方的な意向によって新潟から東京のマンションへの移動が決められ,さらには,東京のマンションにおける「話し合い」の継続が決められたと被告■<後藤徹氏の兄>らが主張している以上,「原告が自らの意思で居座っていた」とする被告■<後藤徹氏の兄>らの弁明(被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(1)1頁「第1」他)が全く事実に反することを,被告■<後藤徹氏の兄>ら自ら自白したことになるというのが原告主張であり,意味不明との主張は失当である。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,「被告■<後藤徹氏の兄>らの原告との話し合いの目的は,原告を統一協会から辞めさせることにあるのではなく,原告が,自立した思考をすることができるようになり,自らの頭で,統一協会の問題,家族との関係,今後の人生について考えることができるようになってもらうことである」などと縷々述べているが,被告■<後藤徹氏の兄>らのやり方は,原告が信仰を棄てたことが確実になるまで監禁を解かないというものであるから,強制棄教に他ならない。そもそも原告が意思に反して脱会届を書いたり,反省の手記を書かなければならなかったのは,そうした行動を採らない限り脱出できなかったからに他ならず,脱会が監禁から解放されるための必要最低条件となっていたのである。
 また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「このことをきっかけに,心のうちを気兼ねなく吐き出せるような家族関係を作り,お互いがお互いを心底信頼できる家族となることこそが本当の目的なのである」などと述べる。しかし,意に反して脱会届等を書かざるを得ない状況に原告を追い込むことで,家族間の信頼関係が造成されるはずはない。拉致監禁により強制的に信仰をはく奪される体験は,被害者の心に深い傷を残し,親子,兄弟間に修復しがたい心の傷を残すものであり(本件は正にその典型),現に1997年には京都で女性信者が自殺に追い込まれるという痛ましい事件も発生している程である。拉致監禁を手段とした強制棄教により断絶状態に陥る家族も多数あり,家族間の信頼関係が造成されるなどの主張は脱会説得を生業とする者達が信者の親族らを勧誘する際の建前上のプロパガンダでしかない。

イ「(2)」について
被告■<後藤徹氏の兄>らは,故■<後藤徹氏の父>の葬儀については,大手新聞の訃報欄に掲載されているから統一教会信者に知られる可能性は高かった,などと述べる。訃報欄掲載の事実は不知であるが,統一教会において,行方不明になって2年も経つ信者について,その父兄の名前が訃報欄に掲載されているかなどいちいち注意を払う者はおらず,訃報欄に掲載されているからといって,統一教会信者らが葬儀場に訪れることなどありえない。現に,これまで統一教会信者が,拉致監禁信者の親族に係る葬儀に押しかけたという案件など1つもない。
また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,「(統一協会)の信者は,家族との話し合いの後,脱会届を提出したり,家族が荷物を引き上げても,拉致監禁が継続されているときめつけ,直接会わないと信用しない」と主張するが,同主張において被告■<後藤徹氏の兄>らも認める通り,統一教会信者らは,信者が監禁されているとの認識があればこそ,その救出に向かうことがあったのであって,既に脱会を決意した信者を無理やり連れ去るなどのことは一度もしたことがないのである。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,被告■<後藤徹氏の兄>が葬式に出ることが許され,原告においては許されなかった理由について,原告においては脱会届を書いてはいても,未だ脱会について迷うような態度を見せていたことを理由として挙げるが,ここでも被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が未だ完全に脱会したものと認められなかったが故に自由な外出を認めなかったことを自白しているものである。原告は父親の葬儀にすら自由な参加が認められないほどに,厳格な監禁下に置かれ拘束されていたものである。
脱会説得を受けた信者について自由な外出が許されるか否かは,完全に脱会したか否かにかかっているのであって,統一教会側からの奪還などの主張は責任転嫁の逃げ口上に過ぎない。そして,葬儀の時点ですら原告が拘束されていた事実を被告■<後藤徹氏の兄>らが認める以上,それ以前の東京から新潟への移動,新潟のパレスマンション多聞での滞在及び新潟から東京への移動など全ての過程において,原告が厳格な監禁下におかれていた事実は自明である。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,統一教会による信者奪還例として被告宮村が引用する事件が本件と似たような事案であるというのであれば何故監禁事例であったことを認めるに等しいのか了解不能と主張するが,京都地裁の事件において判決は,その前提としてTHをマンションの一室に拘束していた同人の親族らの監禁行為について違法性を認めて過剰防衛を認定しているのであり(甲56号証8~9頁,13~14頁),被告宮村の認識が本件が同事案と同じであるというのであれば,紛れもなく本件は監禁事件であるということである。


2012-04-16(Mon)
 

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新事実 

<原告が第1回目の監禁下において大成建設と連絡を取ったことは一切ない>
このことは初めて知りました。被告らのウソに、まんまと騙されていました。

<原告が1回目の監禁から脱出後も会社と連絡を取らなかったのは,会社と連絡を取り,再び会社に出勤するようになれば,当時,大成建設と関係の深かった故■<後藤徹氏の父>に原告の動向が知れてしまい,原告が再度拉致監禁される危険があったからである>
確かに、大成建設に下手に連絡してしまうと、それこそ飛んで火に入る夏の虫、になってしまいますね。

<本件との関連性が無い>
弁護士(被告側)がこう言うと、素人なんで「そうなんだ~」「法律的にはそういうことになるんだ~」と思い込んでしまいますね。今後は騙されないぞ。
何百件もの拉致監禁を請け負っていながら、この徹さんのケースは「関連性がない」なんて、あり得ませんよね。

<第1回目の監禁の被害を受けた原告にとって,実家以外の,いずことも場所も告げられぬ話し合いの場に行くことに同意することはあり得ない>
そうですね。誰がついていくか!、って。
どこに連れて行かれるか分からないのに、誰が了解するか!、って。


<被告■<後藤徹氏の兄>らは,マンションの部屋に電話は存在したと主張する…(中略)…、マンションに電話機が引かれていたと主張するのであれば,それぞれ誰の名義で電話番号が何番であったのか証拠をもって明らかにすべきである>
そうだ!、そうだ!
出せるものなら、出してみろー!

<原告は,玄関に番号付きの鍵がついていたのを明確に目撃した…(中略)…、よもや検事が事件を潰すために被害者に不利な記載をするなど思いもよらなかったものである>
徹さんは明確に目撃していたんですね。その鍵を見て、よほどイヤな思いになったことでしょう。
それにしても、怖いですね~。検事までも拉致監禁容認派かい!

<原告をマンションに一人にしたことは一度もなく,最低でも2人がマンションに留まり…>
よくよく考えてみれば、おかしいですよね。なぜ、徹さんを一人にしなかったのか。
見張り役。まるで悪党の一味ですね。

<『原告が自らの意思で居座っていた』>
自らの意思で、見知らぬマンションを往復し、12年5ヶ月も外に出ないバカがどこにいるか!、って。

婚約者や友達と話したいだろうし、旅行やプール、スキー、ゴルフ、釣り、カラオケ、ボーリング、バッティングセンターをやりたいだろうし、外食もしたいだろうし、新潟の雪を触ってみたいだろう。

もし、自らの意思で12年5ヶ月にわたって一室に居つづけたのだとしたら、ギネスブックに登録だ!
この記録はまず、超えられない。
2012-04-23 19:29 | みんな | URL   [ 編集 ]

裁判はゲームの場 

 みんなさんの感想に深く同意!

 ところで、今回の準備書面を読んで、あらためて裁判のあり方について考えさせられた。
 以下、引用。

>今回の準備書面では,これまでの主張を覆し,急遽,TTが乗車していた事実を認めるに至っている。

>察するにTTがこのことを被告■<後藤徹氏の兄>らに伝えたために,被告■<後藤徹氏の兄>らは原告からの反証を恐れ,上記事実を認めるに至ったものと考えられる。

>他の事実も同様であって,被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告において立証できないものと踏んだ事実に関しては,ことごとくこれを否定しているものであり,被告■<後藤徹氏の兄>らの主張態度は不誠実極まりない。

 不誠実極まりないと思うのは、後藤さんばかりではないはずだ。

 この裁判で、被告が代理人を立てていなかったのであればまだしも、被告は山口貴士・荻上守生両弁護士に事件を委任しているのである。

 <勝つためなら何だってやる>という戦前の弁護士(=三百代言屋)ならともかく、戦後の弁護士は依頼者のために誠実に弁護活動を行うのは戦前と同様であっても、真実の探求(最低限、嘘はつかない)という義務が課せられている。

 にもかかわらず、相手方が反証不可能と思われる事柄については平気で嘘をつく。こうしたことが横行(今回の裁判に限らない!)すれば、裁判はすべての真実を明らかにしたうえで法律に基づいて紛争を解決する場ではなくなり、「裁判ゲーム」の場と化してしまう。

※弁護士の職務規程の解説書では、依頼人が殺人を犯していることを知っていながら、殺人を犯していないと無罪を主張することは許されない-といった例で、真実の探求義務ことが説明されている。

 解説書に例示されるようなハレンチな弁護士はさすがにいないだろうが(バレたら即、業務停止の懲戒処分になる)、今の弁護士は小さなことは平気で嘘をつく。小さな嘘の積み重ねによって、事実をねじ曲げてしまう。京都祇園の弁護士への蔑称は「曲げ屋」である。

 残念ながら、現在の裁判は「裁判ゲームの場」となっており、裁判官はゲーム勝敗の行司役になっている。

 実に嘆かわしいことである。もっと嘆かわしいのは、ゲームと化している裁判の現状について誰も問題視していないことだ。

 山口(貴)弁護士を含め、弁護士を志したとき、何人もゲームの旗手になるためではなかったはず。しかし、いろいろ観察していると、弁護士になったとたんにボス弁(山口氏の場合は紀藤正樹弁護士)に見習って、ゲームの旗手を志すようになるようである。
 ならば、端から難関の弁護士など目指さなくても、任天堂に就職すれば良かったのに、と想う。

 医療事件とか交通事件とかの提訴を報道する記事には、原告の「真実を知りたいと思って提訴した」といったコメントがいつも載っている。

 それを読むたびに、私の唇は歪んでしまう。<裁判で真実が明らかになる?>

 今回の裁判で被告側の代理人になった弁護士たちは、一般の弁護士が依頼者を勝たせ成功報酬をたっぷりいただくという心理に加え、統一教会にはどんなことがあっても負けるわけにはいかないといった運動論的なベクトルが働いている。だから、反証不能な嘘は平気でつく。そこに痛痒さをまるで感じない。

<あんたあの娘(子)の何なのさ>をもじれば、<弁護士って、いったい何なのさ>とつい思ってしまう。
2012-04-25 19:59 | 米本 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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