後藤徹氏の兄らの準備書面(5)
後藤徹氏の兄らの準備書面(4)に引きつづき、後藤徹氏の兄らの準備書面(5)を掲載する。
大変短い文章であるが、後藤氏が荻窪フラワーホームを解放されてからたどった道のり(10キロ余)を後藤徹氏の兄及び、同弁護人である山口貴士弁護士自ら歩き、したためた"渾身"の作である。
当ブログの読者から、山口貴士弁護士が会議に忙殺されて忙しい日々を送っているのではないかという指摘の声もあがったが、忙しい弁護士活動のさなか、このような時間を裂くのは大変なことだったと推察される。山口貴士弁護士には、敬意を表したいと思う。
ただし、書面の中身については、遠慮なく突っ込んでいきたい。
以下、原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張及び一心病院における診断内容について、被告■<後藤徹氏の兄>ら訴訟代理人山口貴士(以下、「山口」という。)が本年2月4日午後4時41分から同日午後6時58分にかけて実際に歩いた経験を踏まえ、以下のとおり、反論する。
第1 初めに
荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動距離は、約10.2km、所要時間は、信号待ち等も含めて約2時間17分であった。途中で休憩はしていないし、飲食物は何も口にしていない。
中野坂上の交差点に到着したのが、午後6時1分で約1時間20分かかっており、中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までの所要時間が約57分である。
健常人であっても、約2時間以上かかる道のりであり、これは、到底、原告がその主張通りに衰弱していたとすれば、到底歩き通せる距離ではないことは明らかであるが、以下、それを敷衍して、原告の主張に信用性が乏しいことを明らかにする。
第2 荻窪フラワーホームから中野坂上の交差点までの移動について
1 青梅街道沿いは、通行人、通行車両の数が多いこと
(1)原告の主張によれば、荻窪フラワーホームから中野坂上の交差点までは、青梅街道沿いを歩いている。
(2)青梅街道沿いは、2月4日土曜日の夕方であっても全体的に人通りは多く、特に、人の往来の激しい店舗の集合している場所が何か所も存在する。2008年2月10日日曜日においても、人通りの様子は変わらなかった筈である。南阿佐ヶ谷駅、東高円寺駅、新高円寺駅、新中野駅付近には店舗が集合し人通りは多いし、鍋屋横丁一帯は商店街になっており、特に人通りが多い。
原告は、通行人に助けを求めることは容易であったし、誰にも助けを求めていないのは不自然である。
2 警察署、交番、消防署、コンビニ等、原告が助けを求めることが出来た場所が多数存在していたこと
原告は、「荻窪フラワーホームから数百メートル離れた交番までは、支障なく歩くことはできた。警察官が栄養失調状態に気付かなかったのはそのためと思われる」(原告準備書面・40頁)、「原告は公衆電話で無料で救急車を呼べることを知らなかったため、そのような考えは浮かばず、他にあてもないためひたすら統一教会本部を目指して歩いたのである。」(同)等と主張する。
しかしながら、中野坂上の交差点までの青梅街道沿いには、成宗交番、杉並消防署、杉並区役所、杉並警察署、東田町交番、杉並消防署馬橋出張所、新高円寺駅前交番、高円寺交番、中央5丁目交番、鍋屋横丁交番、中野消防署、中野警察署、中野坂上交番が存在し、原告が助けを求めることが出来る公的な機関は幾らでも存在した。
また、上記道程には、サンクスが3軒、デイリーヤマザキが1軒、ファミリーマートが7軒、セブンイレブンが6軒、ローソンが6軒、その他のコンビニが3軒、ガソリンスタンドが2軒、公衆電話が22か所存在し、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した。
さらに、前述したとおり、原告は通行人に幾らでも援助を求めることが出来た。
3 小括
原告は助けを求めることは幾らでも出来た筈であるから、本当に助けを求めずに歩き続けたというのであれば、その事実自体、原告に十分な体力と気力があったことを裏付ける重要な事実であり、栄養失調で衰弱していたという原告の主張は全く信用性がないと言わざるを得ない。
第3 中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までの移動について
1 山手通り沿いも、通行人、通行車両の数が多いこと
中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までは山手通りを歩いたことになっているが、青梅街道程ではないにせよ、通行人の数も多い。
原告が主張するように、前屈みになり膝に手を添えて歩いたり、木の棒を杖代わりにして歩いていたのであれば、必ずや通行人の関心を引き、声をかける人の一人や二人は必ずいる筈である。
2 原告か助けを求めることが出来た場所が多数存在していたこと
松濤2丁目に至るまでの山手通り沿いには、清水橋交番、初台2丁目交番、渋谷消防署富ヶ谷出張所が存在し、また、ローソンが2軒、セブンイレブンが2軒、ヤマザキが1軒、サンクスが2軒、その他コンビニが2軒、ガソリンスタンドが2軒存在し(暗いため公衆電話の数はチェックできていない)、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しないこと
(1)山手通りと方南通りが交差する清水橋の交差点から山手通りは、上り坂となる。この頃、原告は、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにして歩いていた筈であるから、この上り坂を克服することは相当の試練であった筈であるが、これまで、この点については何一つ言及がないのは不自然であり、原告の主張には体験者のみが語りうる、迫真性が欠け、借用性が乏しいというべきである。また、清水橋の交差点には、上り坂の手前に清水橋交番が存在し、原告が真に衰弱していたのであれば、助けを 求めて然るべきであるところ、この点について何ら言及が存在しないのも不自然であるとしか言いようがない。
(2)山手通りと井の頭通りが交差する富ヶ谷の交差点には横断歩道がなく、歩道橋を渡るしかない。真実、原告が、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにしなければ歩けない状況であれば、この交差点は「難所」であり、超えることが出来ない筈であり、あるいは、超えることが出来たとしても、その労苦は当然、印象に強く残る筈であり、自らの衰弱ぶりを捜査当局、あるいは、裁判所に理解されたい筈の原告としては、これを準備書面なり陳述書に記載しない筈がないが、何ら、言及はない。
(3)このように、原告の主張には、真実、衰弱していた者であれば、当然に強く印象に残って然るべき、体験事実が何一つ存在しない。むしろ、このような原告の供述内容からは、真実、原告は衰弱などしておらず、健康で十分な体力と気力があり、であるからこそ、渋谷にある統一協会まで歩こうということを決意で来たものであり、途中で助けを求めることもせず、また、途中の坂や陸橋についても、普通に歩いて超えることが出来たからこそ、特に印象にならなかったことを伺うことが出来る。
第4 まとめ
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
大変短い文章であるが、後藤氏が荻窪フラワーホームを解放されてからたどった道のり(10キロ余)を後藤徹氏の兄及び、同弁護人である山口貴士弁護士自ら歩き、したためた"渾身"の作である。
当ブログの読者から、山口貴士弁護士が会議に忙殺されて忙しい日々を送っているのではないかという指摘の声もあがったが、忙しい弁護士活動のさなか、このような時間を裂くのは大変なことだったと推察される。山口貴士弁護士には、敬意を表したいと思う。
ただし、書面の中身については、遠慮なく突っ込んでいきたい。
準備書面(5)
2012 (平成24)年2月20日
東京地方裁判所民事第12部合議係 御中
被告■<後藤徹氏の兄>、同■<後藤徹氏の兄嫁>、同■<後藤徹氏の妹>
訴訟代理人弁護士 山 口 貴 士
同 荻 上 守 生
以下、原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張及び一心病院における診断内容について、被告■<後藤徹氏の兄>ら訴訟代理人山口貴士(以下、「山口」という。)が本年2月4日午後4時41分から同日午後6時58分にかけて実際に歩いた経験を踏まえ、以下のとおり、反論する。
第1 初めに
荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動距離は、約10.2km、所要時間は、信号待ち等も含めて約2時間17分であった。途中で休憩はしていないし、飲食物は何も口にしていない。
中野坂上の交差点に到着したのが、午後6時1分で約1時間20分かかっており、中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までの所要時間が約57分である。
健常人であっても、約2時間以上かかる道のりであり、これは、到底、原告がその主張通りに衰弱していたとすれば、到底歩き通せる距離ではないことは明らかであるが、以下、それを敷衍して、原告の主張に信用性が乏しいことを明らかにする。
第2 荻窪フラワーホームから中野坂上の交差点までの移動について
1 青梅街道沿いは、通行人、通行車両の数が多いこと
(1)原告の主張によれば、荻窪フラワーホームから中野坂上の交差点までは、青梅街道沿いを歩いている。
(2)青梅街道沿いは、2月4日土曜日の夕方であっても全体的に人通りは多く、特に、人の往来の激しい店舗の集合している場所が何か所も存在する。2008年2月10日日曜日においても、人通りの様子は変わらなかった筈である。南阿佐ヶ谷駅、東高円寺駅、新高円寺駅、新中野駅付近には店舗が集合し人通りは多いし、鍋屋横丁一帯は商店街になっており、特に人通りが多い。
原告は、通行人に助けを求めることは容易であったし、誰にも助けを求めていないのは不自然である。
2 警察署、交番、消防署、コンビニ等、原告が助けを求めることが出来た場所が多数存在していたこと
原告は、「荻窪フラワーホームから数百メートル離れた交番までは、支障なく歩くことはできた。警察官が栄養失調状態に気付かなかったのはそのためと思われる」(原告準備書面・40頁)、「原告は公衆電話で無料で救急車を呼べることを知らなかったため、そのような考えは浮かばず、他にあてもないためひたすら統一教会本部を目指して歩いたのである。」(同)等と主張する。
しかしながら、中野坂上の交差点までの青梅街道沿いには、成宗交番、杉並消防署、杉並区役所、杉並警察署、東田町交番、杉並消防署馬橋出張所、新高円寺駅前交番、高円寺交番、中央5丁目交番、鍋屋横丁交番、中野消防署、中野警察署、中野坂上交番が存在し、原告が助けを求めることが出来る公的な機関は幾らでも存在した。
また、上記道程には、サンクスが3軒、デイリーヤマザキが1軒、ファミリーマートが7軒、セブンイレブンが6軒、ローソンが6軒、その他のコンビニが3軒、ガソリンスタンドが2軒、公衆電話が22か所存在し、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した。
さらに、前述したとおり、原告は通行人に幾らでも援助を求めることが出来た。
3 小括
原告は助けを求めることは幾らでも出来た筈であるから、本当に助けを求めずに歩き続けたというのであれば、その事実自体、原告に十分な体力と気力があったことを裏付ける重要な事実であり、栄養失調で衰弱していたという原告の主張は全く信用性がないと言わざるを得ない。
第3 中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までの移動について
1 山手通り沿いも、通行人、通行車両の数が多いこと
中野坂上の交差点から松濤2丁目の交差点までは山手通りを歩いたことになっているが、青梅街道程ではないにせよ、通行人の数も多い。
原告が主張するように、前屈みになり膝に手を添えて歩いたり、木の棒を杖代わりにして歩いていたのであれば、必ずや通行人の関心を引き、声をかける人の一人や二人は必ずいる筈である。
2 原告か助けを求めることが出来た場所が多数存在していたこと
松濤2丁目に至るまでの山手通り沿いには、清水橋交番、初台2丁目交番、渋谷消防署富ヶ谷出張所が存在し、また、ローソンが2軒、セブンイレブンが2軒、ヤマザキが1軒、サンクスが2軒、その他コンビニが2軒、ガソリンスタンドが2軒存在し(暗いため公衆電話の数はチェックできていない)、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しないこと
(1)山手通りと方南通りが交差する清水橋の交差点から山手通りは、上り坂となる。この頃、原告は、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにして歩いていた筈であるから、この上り坂を克服することは相当の試練であった筈であるが、これまで、この点については何一つ言及がないのは不自然であり、原告の主張には体験者のみが語りうる、迫真性が欠け、借用性が乏しいというべきである。また、清水橋の交差点には、上り坂の手前に清水橋交番が存在し、原告が真に衰弱していたのであれば、助けを 求めて然るべきであるところ、この点について何ら言及が存在しないのも不自然であるとしか言いようがない。
(2)山手通りと井の頭通りが交差する富ヶ谷の交差点には横断歩道がなく、歩道橋を渡るしかない。真実、原告が、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにしなければ歩けない状況であれば、この交差点は「難所」であり、超えることが出来ない筈であり、あるいは、超えることが出来たとしても、その労苦は当然、印象に強く残る筈であり、自らの衰弱ぶりを捜査当局、あるいは、裁判所に理解されたい筈の原告としては、これを準備書面なり陳述書に記載しない筈がないが、何ら、言及はない。
(3)このように、原告の主張には、真実、衰弱していた者であれば、当然に強く印象に残って然るべき、体験事実が何一つ存在しない。むしろ、このような原告の供述内容からは、真実、原告は衰弱などしておらず、健康で十分な体力と気力があり、であるからこそ、渋谷にある統一協会まで歩こうということを決意で来たものであり、途中で助けを求めることもせず、また、途中の坂や陸橋についても、普通に歩いて超えることが出来たからこそ、特に印象にならなかったことを伺うことが出来る。
第4 まとめ
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
2012-04-10(Tue)
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山口貴弁護士の珍道中記を読んで(その1)
山口貴士弁護士の“2時間の旅”を読んだ。世話人さんは「渾身の作」とか「敬意を表したい」といった感想を抱かれたようだが、私の感想はやや異なる。
なぜ、このウォーキング体験記を評価に値しないのか。
世話人さんは「忙しい弁護士活動のさなか、このような時間を裂くのは大変なことだったと推察される」と評価されている。私も一読したときはそのように思った。しかし、再読し、あれこれ考えるうちに、考えは変わった。
その理由は以下の通りである。
弁護士の報酬はどうなっているのか。そのことを考えた。
この案件の訴額は約2億円である。
山口弁護士が所属するリンク総合法律事務所は透明性を重視しているのか、報酬規定を明らかにしている。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kito/link-fee.pdf
棄却判決が出た場合、被告側の経済的利益は2億円である。(被告たちが払わなくて済む金額)
訴額2億円の着手金は「3%+69万円」となっているから、669万円である。
成功報酬は「6%+138万円」となっているから、1338万円である。
合計すれば、約2000万円である。
ただし、今回の訴訟で、被告側が雇った弁護士は3つのグループに分けられる。リンク法律事務所の報酬規定に、他の弁護士グループが束縛されることはないから、それぞれの具体的な取り決めはどうなっているのかわからない。
仄聞情報だが、宮村氏の代理人(山口広・木村壮弁護士=東京共同法律事務所に所属)は、宮村氏から400万円の着手金を受け取ったと聞くから、正直、どんな案配になっているのかわからない。
まあ、どんなに安く見積もっても、ルポライターの原稿料より、桁は2つは違うだろう。
それぐらいの金額がもらえるのなら、荻窪から渋谷まで3往復ぐらいはするさ。
なぜ、このウォーキング体験記を評価に値しないのか。
世話人さんは「忙しい弁護士活動のさなか、このような時間を裂くのは大変なことだったと推察される」と評価されている。私も一読したときはそのように思った。しかし、再読し、あれこれ考えるうちに、考えは変わった。
その理由は以下の通りである。
弁護士の報酬はどうなっているのか。そのことを考えた。
この案件の訴額は約2億円である。
山口弁護士が所属するリンク総合法律事務所は透明性を重視しているのか、報酬規定を明らかにしている。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kito/link-fee.pdf
棄却判決が出た場合、被告側の経済的利益は2億円である。(被告たちが払わなくて済む金額)
訴額2億円の着手金は「3%+69万円」となっているから、669万円である。
成功報酬は「6%+138万円」となっているから、1338万円である。
合計すれば、約2000万円である。
ただし、今回の訴訟で、被告側が雇った弁護士は3つのグループに分けられる。リンク法律事務所の報酬規定に、他の弁護士グループが束縛されることはないから、それぞれの具体的な取り決めはどうなっているのかわからない。
仄聞情報だが、宮村氏の代理人(山口広・木村壮弁護士=東京共同法律事務所に所属)は、宮村氏から400万円の着手金を受け取ったと聞くから、正直、どんな案配になっているのかわからない。
まあ、どんなに安く見積もっても、ルポライターの原稿料より、桁は2つは違うだろう。
それぐらいの金額がもらえるのなら、荻窪から渋谷まで3往復ぐらいはするさ。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(その2)
後藤さんの訴状の中に、こういう一節がある。
<「全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血」の傷害を与えた>
刑事事件で言えば、たんなる監禁罪ではなく監禁致傷罪であり、罪はより重くなる。
当然、民事事件でも「傷害を与えた」となると、裁判官は<被告に大いに不利になる>ような心証が形成される。
それゆえ、被告側の代理人たちは、何としてでも一心病院の診断書を否定する必要があった。
そのために、山口(貴)弁護士は、弁護団を代表して、2時間のウォーキングをしただけのことである。
もし、このウォーキング体験記によって、裁判官の心証を有利にすることができれば、ウォーキングの経済的利益はいかばかりか。
(蛇足)世話人は「忙しい弁護士活動のさなか」といった表現をしているけど、弁護士の活動はボランティアではない。着手金をもらい、依頼に有利な判決が下れば成功報酬をいただく経済活動である。
弁護士が忙しいのは、収入を得たいために、次から次と事件を引き受けるからにほかならない。
日弁連はこうした日本の弁護士の有り様を「落ち葉拾い的な仕事」と評した。
<「全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血」の傷害を与えた>
刑事事件で言えば、たんなる監禁罪ではなく監禁致傷罪であり、罪はより重くなる。
当然、民事事件でも「傷害を与えた」となると、裁判官は<被告に大いに不利になる>ような心証が形成される。
それゆえ、被告側の代理人たちは、何としてでも一心病院の診断書を否定する必要があった。
そのために、山口(貴)弁護士は、弁護団を代表して、2時間のウォーキングをしただけのことである。
もし、このウォーキング体験記によって、裁判官の心証を有利にすることができれば、ウォーキングの経済的利益はいかばかりか。
(蛇足)世話人は「忙しい弁護士活動のさなか」といった表現をしているけど、弁護士の活動はボランティアではない。着手金をもらい、依頼に有利な判決が下れば成功報酬をいただく経済活動である。
弁護士が忙しいのは、収入を得たいために、次から次と事件を引き受けるからにほかならない。
日弁連はこうした日本の弁護士の有り様を「落ち葉拾い的な仕事」と評した。
鬼畜の浅はかさ
米本さんのおっしゃる通り!
体は衰弱、所持品も小銭も着替えもなく,知り合いがどこにいるかも分からない。
だいいち、解放されたその日(2月10日)は真冬で、その日のうちに寒さで野たれ死ぬ危険性すら感じたでしょう。
身分証明書もなく、誰に頼んでも相手にされないことは一度、交番を尋ねてみて、肌身で感じたことでしょう。
<道程には、サンクスが3軒、デイリーヤマザキが1軒、ファミリーマートが7軒、セブンイレブンが6軒、ローソンが6軒、その他のコンビニが3軒、ガソリンスタンドが2軒、公衆電話が22か所存在し、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した>
山口弁護士は本当、想像力に欠けますね。
それはそうと、被告側の主張はこうじゃなかったっけ。
・当初、原告は統一協会の思想から抜け出せずに自分で考えられなかった。
・話し合いを続けるうちに、いつしか原告はマンションに居座るようになった。
・兄が出て行けと告げても、原告は出て行こうとしなかった。
・逃げだそうと思えば逃げ出せたのに、逃げずにマンションに居座った。
12年5ヶ月もマンションの一室に引きこもり、出て行こうとしなかった人間(世捨て人)が、一般人なら考えそうな110番通報、119番通報とかをするもんですかねえ。
しかも、自らの意思ではなく、無理矢理、外に追い出されたわけでしょ。
もう頭の中はパニック。常識的な行動なんてできないでしょ。
12年5ヶ月も世間から完全に隔離された人間を真冬に無一文で外に突き出すような鬼畜たちの考える言い訳は、本当、うすっぺらすぎます。
体は衰弱、所持品も小銭も着替えもなく,知り合いがどこにいるかも分からない。
だいいち、解放されたその日(2月10日)は真冬で、その日のうちに寒さで野たれ死ぬ危険性すら感じたでしょう。
身分証明書もなく、誰に頼んでも相手にされないことは一度、交番を尋ねてみて、肌身で感じたことでしょう。
<道程には、サンクスが3軒、デイリーヤマザキが1軒、ファミリーマートが7軒、セブンイレブンが6軒、ローソンが6軒、その他のコンビニが3軒、ガソリンスタンドが2軒、公衆電話が22か所存在し、原告が真に衰弱し、困窮していたのであれば、駆け込んで助けを求め、110番、あるいは、119番通報を頼む先は幾らでも存在した>
山口弁護士は本当、想像力に欠けますね。
それはそうと、被告側の主張はこうじゃなかったっけ。
・当初、原告は統一協会の思想から抜け出せずに自分で考えられなかった。
・話し合いを続けるうちに、いつしか原告はマンションに居座るようになった。
・兄が出て行けと告げても、原告は出て行こうとしなかった。
・逃げだそうと思えば逃げ出せたのに、逃げずにマンションに居座った。
12年5ヶ月もマンションの一室に引きこもり、出て行こうとしなかった人間(世捨て人)が、一般人なら考えそうな110番通報、119番通報とかをするもんですかねえ。
しかも、自らの意思ではなく、無理矢理、外に追い出されたわけでしょ。
もう頭の中はパニック。常識的な行動なんてできないでしょ。
12年5ヶ月も世間から完全に隔離された人間を真冬に無一文で外に突き出すような鬼畜たちの考える言い訳は、本当、うすっぺらすぎます。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(3)
(管理人さん、(3)を修正しました。前の(3)を削除してください。修正前原稿に投稿してくれたみんなさん、ごめんなさい)
で、本題である。
山口(貴)弁護士のウォーキング体験記がそもそも間違っているのは、はなから、後藤さんの主張は「虚構」だと思い込んでいることにある。
ルポライターの場合、かつての有田さんも同じだと思うが、後藤さんの主張が正しいか作り話か、どちらに与することなく、淡々と歩く。そこが山口弁護士との決定的違いである。
山口氏は、はなから嘘だと決め込んで歩いていてしまった。
<後藤の主張が正しいのであれば、助けを求めるはずだ。そのためには人通りの多さ、交番の数、公衆電話の設置状況、コンビニの有無を準備書面に書き込めばいい>
山口氏に欠けるのは、チンパンジーと人との違いである「想像力」である。
12年間も!社会と遮断された人間の気持ちである。
後藤さんは荻窪のマンションから追放されたあと、どこに行けばいいのか、途方にくれた。
彼が覚えているのは、12年前にいたホームか渋谷の教団本部である。
ホームが今でもあるとは思えないから、渋谷を目指そうと思った。ごく自然なことである。
山口氏は、このときの後藤さんの気持ちを「助けて欲しい」と勘違いした。
そうではなく、後藤さんはひたすら教団本部に辿り着きたかった。
助けを求めたいという気持ちはあった。しかし、それは病院に運ばれることではなく、自分が教団本部に辿り着く手助けをしてもらいたかったのだ。
後藤さんの陳述書を引用する。http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-29.html
12年以上も社会との断絶を余儀なくされたため,行くあてもなく,監禁から解放されたとしても,路頭に迷いホームレスにでもなりかねない,そんな状況でありました。そのため私は,家族に対し「それなら少しでもお金をください。そうでないと電車にも乗れないでしょう」と言って家族に頼みました。それに対し,兄は「ダメだ」と拒否しました。
青梅街道を東にしばらく歩くと交番(成宗交番杉並区阿佐谷南3-12-2)が見えたので,そこに入り,「この近くの荻窪フラワーホームというマンションに監禁されていて,先ほど解放されました」と言って,つい先ほどまで監禁されていたことを訴えました。
私の言葉に,警察官は最初驚いた様子でしたが,私が,統一教会の信仰を棄教させるために家族が拉致し監禁したという事の顛末を話すと,警察官の態度が急に変わり,訝しげにものを見る目になっていきました。いくら説明しても「親が一緒だったんでしょ」「食べ物も食べてたんでしょ」と,まともに対応されない中で,私は,「これはダメだ。まるで話にならない」と思わざるを得ませんでした。そこで,せめて電車賃ぐらいは借りたいと思い「とにかく一文無しなので,お金を貸してくださいませんか」と頼みました。すると,東京に知り合いはいないのか,などと聞かれ,私は,「いや,だから12年もマンションに監禁されていて,そこから出てきたのだから,頼るところはないし,・・・」と言うしかありませんでした。結局,身元不詳ということで,それも拒否され,仕方なく目指すことにした渋谷方面への行き方を略図で書いてもらい,それを握って再び歩き始めました。
この記述からもわかる通り、後藤さんは教会に戻るための手助けつまり交通費が欲しかったのである。
ちなみに、警察は少額のお金なら貸してくれる。ただし、身分証明書の提示が必要である。身分証明書がなければ、家族に電話し、身許を確かめる。
山口(貴)弁護士は、通行人に助けを求めることは可能だったはず。110番、119番に電話することも可能だったはずと主張する。
<私は統一教会員です。統一教会の本部に行きたいです。タクシー代を貸してくれませんか>
こう訴えて、お金を貸してくれる人がいるというのだろうか。
後藤さんとて、そんな訴えをすることはできなかった。
しかし、松濤2丁目の交差点に来たところで、後藤さんの体力は限界にきた。
思い切って通行人に統一教会本部への道順を尋ねました。すると,2人目に声を掛けた通行人の女性がたまたま帰宅途中の統一教会信者でした。
私は,この奇跡的な出会いに驚き,偶然であったとはいえ,天の助けを感じ,感動でうち震えました。その女性に事情を説明すると,親切にも道順を教えて下さいましたが,私がもはや歩行困難であることを告げると,タクシーを拾って下さり,タクシー代として千円を出して下さいました。
で、本題である。
山口(貴)弁護士のウォーキング体験記がそもそも間違っているのは、はなから、後藤さんの主張は「虚構」だと思い込んでいることにある。
ルポライターの場合、かつての有田さんも同じだと思うが、後藤さんの主張が正しいか作り話か、どちらに与することなく、淡々と歩く。そこが山口弁護士との決定的違いである。
山口氏は、はなから嘘だと決め込んで歩いていてしまった。
<後藤の主張が正しいのであれば、助けを求めるはずだ。そのためには人通りの多さ、交番の数、公衆電話の設置状況、コンビニの有無を準備書面に書き込めばいい>
山口氏に欠けるのは、チンパンジーと人との違いである「想像力」である。
12年間も!社会と遮断された人間の気持ちである。
後藤さんは荻窪のマンションから追放されたあと、どこに行けばいいのか、途方にくれた。
彼が覚えているのは、12年前にいたホームか渋谷の教団本部である。
ホームが今でもあるとは思えないから、渋谷を目指そうと思った。ごく自然なことである。
山口氏は、このときの後藤さんの気持ちを「助けて欲しい」と勘違いした。
そうではなく、後藤さんはひたすら教団本部に辿り着きたかった。
助けを求めたいという気持ちはあった。しかし、それは病院に運ばれることではなく、自分が教団本部に辿り着く手助けをしてもらいたかったのだ。
後藤さんの陳述書を引用する。http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-29.html
12年以上も社会との断絶を余儀なくされたため,行くあてもなく,監禁から解放されたとしても,路頭に迷いホームレスにでもなりかねない,そんな状況でありました。そのため私は,家族に対し「それなら少しでもお金をください。そうでないと電車にも乗れないでしょう」と言って家族に頼みました。それに対し,兄は「ダメだ」と拒否しました。
青梅街道を東にしばらく歩くと交番(成宗交番杉並区阿佐谷南3-12-2)が見えたので,そこに入り,「この近くの荻窪フラワーホームというマンションに監禁されていて,先ほど解放されました」と言って,つい先ほどまで監禁されていたことを訴えました。
私の言葉に,警察官は最初驚いた様子でしたが,私が,統一教会の信仰を棄教させるために家族が拉致し監禁したという事の顛末を話すと,警察官の態度が急に変わり,訝しげにものを見る目になっていきました。いくら説明しても「親が一緒だったんでしょ」「食べ物も食べてたんでしょ」と,まともに対応されない中で,私は,「これはダメだ。まるで話にならない」と思わざるを得ませんでした。そこで,せめて電車賃ぐらいは借りたいと思い「とにかく一文無しなので,お金を貸してくださいませんか」と頼みました。すると,東京に知り合いはいないのか,などと聞かれ,私は,「いや,だから12年もマンションに監禁されていて,そこから出てきたのだから,頼るところはないし,・・・」と言うしかありませんでした。結局,身元不詳ということで,それも拒否され,仕方なく目指すことにした渋谷方面への行き方を略図で書いてもらい,それを握って再び歩き始めました。
この記述からもわかる通り、後藤さんは教会に戻るための手助けつまり交通費が欲しかったのである。
ちなみに、警察は少額のお金なら貸してくれる。ただし、身分証明書の提示が必要である。身分証明書がなければ、家族に電話し、身許を確かめる。
山口(貴)弁護士は、通行人に助けを求めることは可能だったはず。110番、119番に電話することも可能だったはずと主張する。
<私は統一教会員です。統一教会の本部に行きたいです。タクシー代を貸してくれませんか>
こう訴えて、お金を貸してくれる人がいるというのだろうか。
後藤さんとて、そんな訴えをすることはできなかった。
しかし、松濤2丁目の交差点に来たところで、後藤さんの体力は限界にきた。
思い切って通行人に統一教会本部への道順を尋ねました。すると,2人目に声を掛けた通行人の女性がたまたま帰宅途中の統一教会信者でした。
私は,この奇跡的な出会いに驚き,偶然であったとはいえ,天の助けを感じ,感動でうち震えました。その女性に事情を説明すると,親切にも道順を教えて下さいましたが,私がもはや歩行困難であることを告げると,タクシーを拾って下さり,タクシー代として千円を出して下さいました。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(4)
山口(貴)弁護士が<後藤さんの助け>を勘違いしたことは、意図があってのことではない。
一心病院の診断書の印象が強烈だったからだ。
「全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血」
これを読めば-読者もそうだろうが-、当然、荻窪のマンションから追放された後藤さんは、110番、119番に電話して助け(病院への搬送)を求めるのがふつうではないのか-と考えるだろう。
しかし、統一教会の本部職員とて、すぐに病院に搬送しなかった。
再び、陳述書を引用する。
本部で夕食を出して貰い,この日は1階の奥にある和室で泊めて貰うことになりました。ところが,就寝する頃,トイレに行こうとしても這ってしか行けず,トイレまで行っても用を足せない状態になっていました。このため,「何かあったらいけない」ということで,夜中の0時頃に教会本部からタクシーで豊島区北大塚の一心病院まで送って貰いました。一心病院で夜間診療を受けたところ,栄養失調と診断されました。また,歩行不能であったため,私は同病院に緊急入院しました。
時間の整理をしておく。
2月10日の夕方4時に荻窪のマンションから追放される。
約4時間かけて、夜8時に渋谷の本部に辿り着く。
夜中の0時に一心病院にタクシー送ってもらう。
本部職員とどれくらい話したのか定かではないが、職員は後藤さんと会った段階ですぐに病院に運ぶ必要があるとは思わなかったのである。
また、「トイレまで行っても用を足せない状態」であることを知っても、職員は119番に電話することなく、タクシーで遠方の一心病院に送っている。
後藤さんが一心病院に入院した期間は、2月11日から3月31日までの約50日間である。
当時の本部職員は、後藤さんの外見を見て、これほど長期の入院が必要な状態になっているとは思わなかった。
ここが重要なところである。
それほど、後藤さんが気丈に見えたということなのである。
荻窪から渋谷までの歩行は、何としてでも本部に辿り着かなければならないという執念の4時間だったのだ。
山口弁護士の歩行時間は2時間17分。同じように歩いたオーストラリア在住のYoshiさんは2時間20分。
http://humanrightslink.seesaa.net/archives/201104-1.html
これに対して後藤さんは約4時間(彼にとっては最高の速度)である。
試しに、通常の半分の速度で歩いてみた。まるで花見見物の速度である。
山口弁護士は通常の半分の速度がどの程度のものか想像することができなかったのか、次のように断じている。
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
荻窪から渋谷まで歩いてみたいという人がいれば、後藤さんと同じように、4時間かけて歩いてみて欲しい。
一心病院の診断書の印象が強烈だったからだ。
「全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血」
これを読めば-読者もそうだろうが-、当然、荻窪のマンションから追放された後藤さんは、110番、119番に電話して助け(病院への搬送)を求めるのがふつうではないのか-と考えるだろう。
しかし、統一教会の本部職員とて、すぐに病院に搬送しなかった。
再び、陳述書を引用する。
本部で夕食を出して貰い,この日は1階の奥にある和室で泊めて貰うことになりました。ところが,就寝する頃,トイレに行こうとしても這ってしか行けず,トイレまで行っても用を足せない状態になっていました。このため,「何かあったらいけない」ということで,夜中の0時頃に教会本部からタクシーで豊島区北大塚の一心病院まで送って貰いました。一心病院で夜間診療を受けたところ,栄養失調と診断されました。また,歩行不能であったため,私は同病院に緊急入院しました。
時間の整理をしておく。
2月10日の夕方4時に荻窪のマンションから追放される。
約4時間かけて、夜8時に渋谷の本部に辿り着く。
夜中の0時に一心病院にタクシー送ってもらう。
本部職員とどれくらい話したのか定かではないが、職員は後藤さんと会った段階ですぐに病院に運ぶ必要があるとは思わなかったのである。
また、「トイレまで行っても用を足せない状態」であることを知っても、職員は119番に電話することなく、タクシーで遠方の一心病院に送っている。
後藤さんが一心病院に入院した期間は、2月11日から3月31日までの約50日間である。
当時の本部職員は、後藤さんの外見を見て、これほど長期の入院が必要な状態になっているとは思わなかった。
ここが重要なところである。
それほど、後藤さんが気丈に見えたということなのである。
荻窪から渋谷までの歩行は、何としてでも本部に辿り着かなければならないという執念の4時間だったのだ。
山口弁護士の歩行時間は2時間17分。同じように歩いたオーストラリア在住のYoshiさんは2時間20分。
http://humanrightslink.seesaa.net/archives/201104-1.html
これに対して後藤さんは約4時間(彼にとっては最高の速度)である。
試しに、通常の半分の速度で歩いてみた。まるで花見見物の速度である。
山口弁護士は通常の半分の速度がどの程度のものか想像することができなかったのか、次のように断じている。
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
荻窪から渋谷まで歩いてみたいという人がいれば、後藤さんと同じように、4時間かけて歩いてみて欲しい。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(5)
山口(貴)弁護士の先の結論は、裁判所に提出された証拠を無視したものである。
それは、私が撮影した2月13日の後藤さんの写真である。
この証拠に対する評価・判断は被告側からまだ提出されていないようだが、素直に受け取れば、この写真の3日前に、痩せ細った萎びた足で、荻窪から渋谷まで歩いたことを考える必要がある。
ただし、このときの写真は、渾身の力を4時間出し切ったあとのものであり、2月10日段階は車椅子は必要としなかった。
写真を見れば、「同人が十分に健康であり、体力と気力があった」と思う人はいないだろう。
写真をどのように評価するのか楽しみである。
「写真は2月13日のものではなく、一心病院で断食させたあと、米本に連絡して撮らせたもの」といった荒唐無稽な主張をするのだろうか。あるいは「統一教会の御用ライター」が撮った写真は信用できないと、レッテル貼りに終始するのだろうか。
いずれにしても、写真を否定的に評価する場合、その根拠を示さなければならない。
唯一考えられるのは、アメリカ国務省のレポートの翻訳文(訳者は山口貴士弁護士か)である。
しかし、これについてはYoshiさんによって“粉砕”されている。
【関連記事】意図ある意訳は誤訳である:「やや日刊カルト新聞」を評す by yoshi=http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-265.html
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
証人尋問のときには厳しい反対尋問を期待しています。
それは、私が撮影した2月13日の後藤さんの写真である。
この証拠に対する評価・判断は被告側からまだ提出されていないようだが、素直に受け取れば、この写真の3日前に、痩せ細った萎びた足で、荻窪から渋谷まで歩いたことを考える必要がある。
ただし、このときの写真は、渾身の力を4時間出し切ったあとのものであり、2月10日段階は車椅子は必要としなかった。
写真を見れば、「同人が十分に健康であり、体力と気力があった」と思う人はいないだろう。
写真をどのように評価するのか楽しみである。
「写真は2月13日のものではなく、一心病院で断食させたあと、米本に連絡して撮らせたもの」といった荒唐無稽な主張をするのだろうか。あるいは「統一教会の御用ライター」が撮った写真は信用できないと、レッテル貼りに終始するのだろうか。
いずれにしても、写真を否定的に評価する場合、その根拠を示さなければならない。
唯一考えられるのは、アメリカ国務省のレポートの翻訳文(訳者は山口貴士弁護士か)である。
しかし、これについてはYoshiさんによって“粉砕”されている。
【関連記事】意図ある意訳は誤訳である:「やや日刊カルト新聞」を評す by yoshi=http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-265.html
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
証人尋問のときには厳しい反対尋問を期待しています。
不足です
<原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過>を体験されたのなら、12年5ヶ月の経過も体験していただきたい。
果たして一歩も外に出ることなく居座り続ける、ということを貫き通せるものか。
あるいは、自由を拘束されながらも、解放の日を迎えるという希望を失わず、あらん限りの力をして抵抗し続けるからこそ、生還することが可能であるのか。
12年5ヶ月の間薄暗い部屋に閉じ篭もられてから、荻窪-松涛の経過を体験していただきたい。
果たして一歩も外に出ることなく居座り続ける、ということを貫き通せるものか。
あるいは、自由を拘束されながらも、解放の日を迎えるという希望を失わず、あらん限りの力をして抵抗し続けるからこそ、生還することが可能であるのか。
12年5ヶ月の間薄暗い部屋に閉じ篭もられてから、荻窪-松涛の経過を体験していただきたい。
そうやねん。
虹の葉葉さんのおっしゃる通り!
荻窪→渋谷散策だけでなく、引きこもりも経験しないと、片手落ちです。
尤もは引きこもりは、オタッキーのお家芸。
だから、伝道のために居座ったという発想がでるのね。
荻窪→渋谷散策だけでなく、引きこもりも経験しないと、片手落ちです。
尤もは引きこもりは、オタッキーのお家芸。
だから、伝道のために居座ったという発想がでるのね。
振り出しに戻りたくないという心理
家族から放り出された後、自分の人権を守ってくれると信じて立ち寄った交番で、拉致監禁被害者として認められず、無事に教会に送致してもらえないばかりか、交通費すら借りられないと分かった時、後藤さんの心の中には、誰も自分の側に立って協力してくれないという不安が広がったことでしょう。
そんな不安の中、救急車を呼んだりして公的機関に身を任せたら、その時は楽になれるかもしれませんが、病院のベッドで目覚めた時、身元引受人として連絡を受けた兄・兄嫁・妹が、ベッドの周りを取り囲んでいるかもしれないという恐怖があったのではないかと思うことがあります(後藤さんに、本部に行くこと以外に考える余裕が残っていれば…の話ですが)。
それは、まるで、すごろくで振り出しに戻ったも同然…。
そこから、また、
「面倒かけてくれたもんだ」
という小言が加算された監禁が始まるかもしれないという恐怖が、チラッとでも頭をかすめたら、
<不用意に助けを求めず、とにかく這ってでも本部までたどり着くしかない>
というのが、当然の心理ではないでしょうか?
最後、松寿2丁目で、女性(偶然、教会員だった)に声をかけた事と、一見矛盾するようですが、そこにこそ、荻窪から、半ば真っ白な頭で、ひたすら渋谷の本部を目指した徹さんの道中の厳しさと、精魂尽き果て、途方に暮れた真実があるというものではないでしょうか。
もし元気が残っていれば、目と鼻の先に本部教会があると知って、再び早々に歩き出さない訳がありません。
山口弁護士が不可解に感じる部分にこそ、多くの<徹さんの真実>があるように思います。
そうそう、山手通りから少し西に、新宿~代々木公園というホームレスが多く暮らす地域で、意識のある不審者(たとえ足を引きずって歩いていても)に声をかける人は、実際にはいないと思います。徹さんが、完全に意識を失い、行き倒れて何時間かしたら、誰か、通報してくれる人は、いたかもしれません。
都会の冷たさを感じますが、それが現実です。
そんな不安の中、救急車を呼んだりして公的機関に身を任せたら、その時は楽になれるかもしれませんが、病院のベッドで目覚めた時、身元引受人として連絡を受けた兄・兄嫁・妹が、ベッドの周りを取り囲んでいるかもしれないという恐怖があったのではないかと思うことがあります(後藤さんに、本部に行くこと以外に考える余裕が残っていれば…の話ですが)。
それは、まるで、すごろくで振り出しに戻ったも同然…。
そこから、また、
「面倒かけてくれたもんだ」
という小言が加算された監禁が始まるかもしれないという恐怖が、チラッとでも頭をかすめたら、
<不用意に助けを求めず、とにかく這ってでも本部までたどり着くしかない>
というのが、当然の心理ではないでしょうか?
最後、松寿2丁目で、女性(偶然、教会員だった)に声をかけた事と、一見矛盾するようですが、そこにこそ、荻窪から、半ば真っ白な頭で、ひたすら渋谷の本部を目指した徹さんの道中の厳しさと、精魂尽き果て、途方に暮れた真実があるというものではないでしょうか。
もし元気が残っていれば、目と鼻の先に本部教会があると知って、再び早々に歩き出さない訳がありません。
山口弁護士が不可解に感じる部分にこそ、多くの<徹さんの真実>があるように思います。
そうそう、山手通りから少し西に、新宿~代々木公園というホームレスが多く暮らす地域で、意識のある不審者(たとえ足を引きずって歩いていても)に声をかける人は、実際にはいないと思います。徹さんが、完全に意識を失い、行き倒れて何時間かしたら、誰か、通報してくれる人は、いたかもしれません。
都会の冷たさを感じますが、それが現実です。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(6)
山口書面(第5)については、これまでの5つの論評で、ほぼ言い尽くした。
と思っていたのだが、時間が経つにつれ、逆に不安定な気分になってしまった。
何かがオカシイ。それで、再度、丁寧に読み直して、オカシサの正体が分かった。
それは、冒頭に書かれている書面の趣旨を私が軽視したことにある。
こう書かれている。
原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張について(~)反論する。(診断書の証拠についてはここでは省略)
主張(準備書面)に反論すると書いてあるだけで、原告側準備書面のどの書面を指しているのか明示されていない。
これまで原告側準備書面は、(第1)から(第6)までが提出されている。(ブログにアップされているものに限る)
<いったい、どの書面のどの部分を指して、反論しているのだろうか>
裁判官とて疑問になるはず。
というのは、書面の応酬が行われる場合、たとえば原告側書面の第◆の何頁について反論するといったように、反論の対象となる相手側の主張部分を明示するのが一般的だからだ。(他の被告側書面はそうなっている)
その意味で、この書面(5)は弁護士らしからぬ書面、厳しく言えば「欠陥書面」である。
そこで、斜め読みだが、原告書面の第1から第6まで読んで見たのだが、<荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張>は、なされていない。
<移動の経過>が載っているのは、後藤さんの「陳述書」(証拠=甲9号証)だけである。それも詳細にではなく、あくまで概略である。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-22.html
後藤さん側が「主張」(準備書面)していないことを、自分(山口弁護士)の歩行体験をもとに反論する。弁論ではあってはならないことである。
山口氏は狡賢くわざとそうしたのか。それは考えられない。善意に解釈すれば、書面の応酬が多く、おそらく書面のどこかに<移動の経過>が書かれていたはず、と混乱したのだと思われる。
山口弁護士に忠告しておきたい。反論・再反論する場合は相手の論を引用すべきといった高校生レベルことは抜きにして、書面・証拠は注意深く読むべし。さもないと、裁判官から釈明を求められる。
と思っていたのだが、時間が経つにつれ、逆に不安定な気分になってしまった。
何かがオカシイ。それで、再度、丁寧に読み直して、オカシサの正体が分かった。
それは、冒頭に書かれている書面の趣旨を私が軽視したことにある。
こう書かれている。
原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張について(~)反論する。(診断書の証拠についてはここでは省略)
主張(準備書面)に反論すると書いてあるだけで、原告側準備書面のどの書面を指しているのか明示されていない。
これまで原告側準備書面は、(第1)から(第6)までが提出されている。(ブログにアップされているものに限る)
<いったい、どの書面のどの部分を指して、反論しているのだろうか>
裁判官とて疑問になるはず。
というのは、書面の応酬が行われる場合、たとえば原告側書面の第◆の何頁について反論するといったように、反論の対象となる相手側の主張部分を明示するのが一般的だからだ。(他の被告側書面はそうなっている)
その意味で、この書面(5)は弁護士らしからぬ書面、厳しく言えば「欠陥書面」である。
そこで、斜め読みだが、原告書面の第1から第6まで読んで見たのだが、<荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する主張>は、なされていない。
<移動の経過>が載っているのは、後藤さんの「陳述書」(証拠=甲9号証)だけである。それも詳細にではなく、あくまで概略である。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-22.html
後藤さん側が「主張」(準備書面)していないことを、自分(山口弁護士)の歩行体験をもとに反論する。弁論ではあってはならないことである。
山口氏は狡賢くわざとそうしたのか。それは考えられない。善意に解釈すれば、書面の応酬が多く、おそらく書面のどこかに<移動の経過>が書かれていたはず、と混乱したのだと思われる。
山口弁護士に忠告しておきたい。反論・再反論する場合は相手の論を引用すべきといった高校生レベルことは抜きにして、書面・証拠は注意深く読むべし。さもないと、裁判官から釈明を求められる。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(7)
山口弁護士は、勘違いしたのである。
何を何と?
甲57号証として提出された『世界日報』の連載記事(証拠説明文:原告が被告らによる拉致監禁から解放され,渋谷の統一教会本部にたどり着くまでの経緯を取材した記事の内容)http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-70.html
を、後藤さん側が提出した準備書面と勘違いしたのである。
ただし、原告書面(5)の提出日付は2012年2月20日。このときには、まだ原告は甲57号証を提出していなかったと記憶するから、山口弁護士は『世界日報』の連載記事を念頭に、荻窪から渋谷まで、歩いたのであろう。
(注)管理人かの投稿を引用しておく。
被告側証拠説明書を更新しました。
先日の口頭弁論の期日を前に後藤氏の元にダンボールで、被告側からたくさんの証拠書面が届いたとのことです。宮村氏の支援者による陳述書も何点か提出されています。ご確認ください。
2012. 02. 28 管理人 URL 編集
証拠説明書を更新しました。
原告、被告双方から、裁判所に新たに証拠書面が提出されましたので、リストに追記しました。
ぜひご覧ください。
2012. 04. 14 管理人
裁判官が混乱するから、山口弁護士は書面(第5)の冒頭を、後出しジャンケンなのだが、次のように書き直し、修正書面を提出したほうがいい。
<原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する証拠(甲9号、甲57号)について(~)反論する>
最初からこのように書かれていれば、私がオカシナ気分になることはなかった。
すっきりした気分になったところで、さらなる論評を加えておく。
何を何と?
甲57号証として提出された『世界日報』の連載記事(証拠説明文:原告が被告らによる拉致監禁から解放され,渋谷の統一教会本部にたどり着くまでの経緯を取材した記事の内容)http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-70.html
を、後藤さん側が提出した準備書面と勘違いしたのである。
ただし、原告書面(5)の提出日付は2012年2月20日。このときには、まだ原告は甲57号証を提出していなかったと記憶するから、山口弁護士は『世界日報』の連載記事を念頭に、荻窪から渋谷まで、歩いたのであろう。
(注)管理人かの投稿を引用しておく。
被告側証拠説明書を更新しました。
先日の口頭弁論の期日を前に後藤氏の元にダンボールで、被告側からたくさんの証拠書面が届いたとのことです。宮村氏の支援者による陳述書も何点か提出されています。ご確認ください。
2012. 02. 28 管理人 URL 編集
証拠説明書を更新しました。
原告、被告双方から、裁判所に新たに証拠書面が提出されましたので、リストに追記しました。
ぜひご覧ください。
2012. 04. 14 管理人
裁判官が混乱するから、山口弁護士は書面(第5)の冒頭を、後出しジャンケンなのだが、次のように書き直し、修正書面を提出したほうがいい。
<原告の主張する荻窪フラワーホームから松濤2丁目の交差点への移動の経過に関する証拠(甲9号、甲57号)について(~)反論する>
最初からこのように書かれていれば、私がオカシナ気分になることはなかった。
すっきりした気分になったところで、さらなる論評を加えておく。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(8)
書面(5)には、こんな記述がある。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しないこと
(2)山手通りと井の頭通りが交差する富ヶ谷の交差点には横断歩道がなく、歩道橋を渡るしかない。真実、原告が、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにしなければ歩けない状況であれば、この交差点は「難所」であり、超えることが出来ない筈であり、あるいは、超えることが出来たとしても、その労苦は当然、印象に強く残る筈であり、自らの衰弱ぶりを捜査当局、あるいは、裁判所に理解されたい筈の原告としては、これを準備書面なり陳述書に記載しない筈がないが、何ら、言及はない。
山口弁護士と同じように歩いたYoshiさんの記録にも、同じような記述がある。
11:40am 死の歩道橋*(富ヶ谷一丁目歩道橋)を超える
11:58am 松濤二丁目交差点到着
*死の歩道橋というのは、私が勝手につけた名前であり、本当の名前は、富ヶ谷一丁目歩道橋である。普通の人であれば、ただの歩道橋である。しかし、後藤さんにとっては、体力の限界、足、膝の激痛の中、険しい山のように立ちはだかった歩道橋である。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/198053154.html
“難所”であることは確かなようだ。
では、甲57号、世界日報の記事に、この記載がないのか。
立っているのさえつらい中、工事現場の所で落ちていた長い棒が目に入った。<ちょうどいい>と思い、その棒を拾って杖つえ代わりにして体を支えながら歩いた。
小田急線の代々木八幡駅を通り過ぎると、歩道橋が見えた。その階段を上って向こう側に行き、また階段を下りる。健常者ならばいともたやすいその行動も、歩くのすらままならない今の後藤さんにとっては、過酷な障壁がそびえているように映った。
階段を使わないで済むよう<どこかに渡れる信号がないか>と辺りを見渡したが、見つからない。
その際、ふと歩道橋の下に目をやると、ボロボロの乳母車が見えた。<これを歩行器のように使えば、少しは歩きやすくなるかもしれない>と、一瞬考えた。しかし、誰のものか分からないからと、そのままにしておいた。
歩道橋の階段を一段一段とつかんだ手すりにもたれかかるように何とか上り切り、向こう側に下りるのも手すりを頼りにした。もう、息も絶え絶えだった。
<何としても本部へ行かなくては>という思いだけが、後藤さんを支え動かす原動力だった。
この記事には歩道橋の写真が載っており、そこに次のようなキャプションが加えられている。
<後藤さんにとって過酷な障壁に映った小田急線代々木八幡駅近くにある歩道橋(東京都渋谷区富ケ谷1丁目)>
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/100318.html
『世界日報』の記事をもとに、追体験の記録を書面として提出したいと、歩いたはずなのに、この記述部分を見落としたとでも言うのか。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しない。
あるものをないという。これを世間では嘘つきという。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しないこと
(2)山手通りと井の頭通りが交差する富ヶ谷の交差点には横断歩道がなく、歩道橋を渡るしかない。真実、原告が、前屈みになり膝に手を添えて歩き、あるいは、木の棒を杖代わりにしなければ歩けない状況であれば、この交差点は「難所」であり、超えることが出来ない筈であり、あるいは、超えることが出来たとしても、その労苦は当然、印象に強く残る筈であり、自らの衰弱ぶりを捜査当局、あるいは、裁判所に理解されたい筈の原告としては、これを準備書面なり陳述書に記載しない筈がないが、何ら、言及はない。
山口弁護士と同じように歩いたYoshiさんの記録にも、同じような記述がある。
11:40am 死の歩道橋*(富ヶ谷一丁目歩道橋)を超える
11:58am 松濤二丁目交差点到着
*死の歩道橋というのは、私が勝手につけた名前であり、本当の名前は、富ヶ谷一丁目歩道橋である。普通の人であれば、ただの歩道橋である。しかし、後藤さんにとっては、体力の限界、足、膝の激痛の中、険しい山のように立ちはだかった歩道橋である。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/198053154.html
“難所”であることは確かなようだ。
では、甲57号、世界日報の記事に、この記載がないのか。
立っているのさえつらい中、工事現場の所で落ちていた長い棒が目に入った。<ちょうどいい>と思い、その棒を拾って杖つえ代わりにして体を支えながら歩いた。
小田急線の代々木八幡駅を通り過ぎると、歩道橋が見えた。その階段を上って向こう側に行き、また階段を下りる。健常者ならばいともたやすいその行動も、歩くのすらままならない今の後藤さんにとっては、過酷な障壁がそびえているように映った。
階段を使わないで済むよう<どこかに渡れる信号がないか>と辺りを見渡したが、見つからない。
その際、ふと歩道橋の下に目をやると、ボロボロの乳母車が見えた。<これを歩行器のように使えば、少しは歩きやすくなるかもしれない>と、一瞬考えた。しかし、誰のものか分からないからと、そのままにしておいた。
歩道橋の階段を一段一段とつかんだ手すりにもたれかかるように何とか上り切り、向こう側に下りるのも手すりを頼りにした。もう、息も絶え絶えだった。
<何としても本部へ行かなくては>という思いだけが、後藤さんを支え動かす原動力だった。
この記事には歩道橋の写真が載っており、そこに次のようなキャプションが加えられている。
<後藤さんにとって過酷な障壁に映った小田急線代々木八幡駅近くにある歩道橋(東京都渋谷区富ケ谷1丁目)>
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/100318.html
『世界日報』の記事をもとに、追体験の記録を書面として提出したいと、歩いたはずなのに、この記述部分を見落としたとでも言うのか。
3 原告の主張の中に坂道や陸橋に関する言及が存在しない。
あるものをないという。これを世間では嘘つきという。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(9)
山口弁護士の主張は、後藤さんが「助け」(病院への搬送)を求めながら歩いていたはず、という端からの決めつけがあった。
このことについてはすでに詳述したので、省略する。
ただ一つだけ付け加えておけば、後藤さんは「助け」など求めていなかったから、キョロキョロしながら歩くなどということはしなかった(自販機は目についたようだが)。ひたすら渋谷に辿り着きたかっただけである。
これに対して、後藤さんは助けを求めていたはずだからと、山口氏はキョロキョロしながら歩いた。だから、やたらコンビニとか公共施設の描写が多い。
ところで、私の知り合いは、今回の書面はリアリティがあって説得力があったという。
前にも書いたことだが、私もそう思った。
足でかせいだ記事には、リアリティがある。
それに、山口弁護士のこれまでの書面は、事実よりも、「拉致監禁は虚構である」ことを前提に書いているため、矛盾するところが多く、リアリティと説得力に欠けるものばかりだった。そのために、今回の書面に新鮮さを感じたのは確かである。
しかしながら、再三再四、読んでいくと、足で歩いた割にはリアリティさに欠けることに、どうしても気付いてしまうのだ。
それは明るさ、風、気温の記述がまるでないことである。
後藤さんをインタビューした『世界日報』の記事には、記述は多くはないが、まがりなりにも書かれてあり、だから臨場感があった。
荻窪から渋谷に移動したのは、後藤さんの場合、2008年2月20日である。移動時間は午後4時頃から午後8時頃まで。
山口弁護士は2012年2月4日、午後4時41分から午後6時58分だ。
まず、明るさである。
東京の2月の日の入りは午後5時30分頃。
山口弁護士が歩いた渋谷までの道程の半分ぐらいのところで、日は暮れている。
後藤さんの場合、歩きはじめて、1時間30分したところで、日は暮れている。道程のどのあたりなのか。
次に気温である。
サイトの「過去の東京の天気」によれば、2008年2月20日は晴れ、最高気温は約10度。2012年2月4日も晴れ、約10度。
午後6時頃には4、5度になっていたのではないのか。
風は、2012年2月4日は風速4m。2018年はサイトに記載がない。
体感気温は風速1mで1度冷えるとされているから、山口弁護士の体感気温は0度になっていたはず。
その記述がないからリアリティさに欠けるのだ。(世界日報記事を否定しようとカッカして、熱くなっていたからなのか。クスッである)
必要なら、後藤さんは東京気象台で過去の天気を調べたらどうか。
私が天気にこだわるのは、山口氏の次の記述に首をひねってしまうからである。
原告が主張するように、前屈みになり膝に手を添えて歩いたり、木の棒を杖代わりにして歩いていたのであれば、必ずや通行人の関心を引き、声をかける人の一人や二人は必ずいる筈である。
閉塞感漂う今日日、そんな人が「一人や二人は必ずいる」のだろうか。
いると思う人はよほどのお人好しか、想像力に欠ける人である。
1年でもっとも寒い、空風が厳しい2月。しかも日が暮れた、日が暮れかかった時間である。
通行人はみな衿を立て、家路に急いでいる。
そんなときに声をかける人はいるのだろうか。
困った風の人がいれば、比較的声をかけるほうだと思っている私だが、やはり見てみぬを振りをして、先を急ぐだろう。老人なら、ともかく。
一心病院に緊急入院したという後藤さんを見舞ったとき、外見からはとても痩せ細っているとは思えなかった。そえゆえ、写真を撮るとき、服をすべて脱いでもらったのだ。
このことについてはすでに詳述したので、省略する。
ただ一つだけ付け加えておけば、後藤さんは「助け」など求めていなかったから、キョロキョロしながら歩くなどということはしなかった(自販機は目についたようだが)。ひたすら渋谷に辿り着きたかっただけである。
これに対して、後藤さんは助けを求めていたはずだからと、山口氏はキョロキョロしながら歩いた。だから、やたらコンビニとか公共施設の描写が多い。
ところで、私の知り合いは、今回の書面はリアリティがあって説得力があったという。
前にも書いたことだが、私もそう思った。
足でかせいだ記事には、リアリティがある。
それに、山口弁護士のこれまでの書面は、事実よりも、「拉致監禁は虚構である」ことを前提に書いているため、矛盾するところが多く、リアリティと説得力に欠けるものばかりだった。そのために、今回の書面に新鮮さを感じたのは確かである。
しかしながら、再三再四、読んでいくと、足で歩いた割にはリアリティさに欠けることに、どうしても気付いてしまうのだ。
それは明るさ、風、気温の記述がまるでないことである。
後藤さんをインタビューした『世界日報』の記事には、記述は多くはないが、まがりなりにも書かれてあり、だから臨場感があった。
荻窪から渋谷に移動したのは、後藤さんの場合、2008年2月20日である。移動時間は午後4時頃から午後8時頃まで。
山口弁護士は2012年2月4日、午後4時41分から午後6時58分だ。
まず、明るさである。
東京の2月の日の入りは午後5時30分頃。
山口弁護士が歩いた渋谷までの道程の半分ぐらいのところで、日は暮れている。
後藤さんの場合、歩きはじめて、1時間30分したところで、日は暮れている。道程のどのあたりなのか。
次に気温である。
サイトの「過去の東京の天気」によれば、2008年2月20日は晴れ、最高気温は約10度。2012年2月4日も晴れ、約10度。
午後6時頃には4、5度になっていたのではないのか。
風は、2012年2月4日は風速4m。2018年はサイトに記載がない。
体感気温は風速1mで1度冷えるとされているから、山口弁護士の体感気温は0度になっていたはず。
その記述がないからリアリティさに欠けるのだ。(世界日報記事を否定しようとカッカして、熱くなっていたからなのか。クスッである)
必要なら、後藤さんは東京気象台で過去の天気を調べたらどうか。
私が天気にこだわるのは、山口氏の次の記述に首をひねってしまうからである。
原告が主張するように、前屈みになり膝に手を添えて歩いたり、木の棒を杖代わりにして歩いていたのであれば、必ずや通行人の関心を引き、声をかける人の一人や二人は必ずいる筈である。
閉塞感漂う今日日、そんな人が「一人や二人は必ずいる」のだろうか。
いると思う人はよほどのお人好しか、想像力に欠ける人である。
1年でもっとも寒い、空風が厳しい2月。しかも日が暮れた、日が暮れかかった時間である。
通行人はみな衿を立て、家路に急いでいる。
そんなときに声をかける人はいるのだろうか。
困った風の人がいれば、比較的声をかけるほうだと思っている私だが、やはり見てみぬを振りをして、先を急ぐだろう。老人なら、ともかく。
一心病院に緊急入院したという後藤さんを見舞ったとき、外見からはとても痩せ細っているとは思えなかった。そえゆえ、写真を撮るとき、服をすべて脱いでもらったのだ。
山口貴弁護士の珍道中記を読んで(10)
山口弁護士の書面を読んで、「総括」すれば、あらゆる点で「まえのめり」である。
自分の思考を含め、すべてを疑えの精神で、もう少し丁寧に書面・証拠を読み、論述するときは言葉を吟味すべきだったと思う。
書面の最初と最後を引用する。
健常人であっても、約2時間以上かかる道のりであり、これは、到底、原告がその主張通りに衰弱していたとすれば、到底歩き通せる距離ではないことは明らかであるが、以下、それを敷衍して、原告の主張に信用性が乏しいことを明らかにする。
(ウォークラリー)
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
読者のみなさんは、この論理が飛躍すぎており、あまりにも情緒的であることに気がつかれませんか。
話は飛ぶのだが、つい最近の京都祇園の軽自動車暴走事件のことが浮かんでしまった。
事件直後は、癲癇のために暴走事故を引き起こしたとされていたが、その後の警察の調べでそうではないとされた。
理由は最初のタクシーに追突したとき、いったんバックしてタクシーの横を通り過ぎて、逃走した事実(自分で判断する力があった)が判明したからである。
しかし、警察の判断は沈着冷静であった。
最初の事件は明らかに癲癇とは無関係だが、だからといって、あとに起きた暴走が癲癇とは無関係だったとは言えない、と判断したのである(4月14日現在)。
これはこれ、それはそれ、である。
話を戻す。じっくりとゆっくりと考えて欲しい。
10キロの道のりを健常者が2時間かけて歩く。
それゆえ、栄養失調状態にある人が同じように歩いたという主張は、信用性に乏しい。
栄養失調状態にある人が10キロの道のりを歩いたという主張は、虚偽であり、栄養失調等のために衰弱していたという事実は存在しない、ことを意味する。
どこかオカシイとは思いませんか。
栄養失調状態にあるという人が10キロの道のりを歩いたとの主張が事実なら、体力と気力があったことは明らかである。
これも、どこかオカシイとは思いませんか。
山口弁護士の情緒的論理に則ってその逆を言えば、栄養失調状態の人が体力と気力を振り絞って、10キロの道のりを歩いたというだけのことになりはしないか。
このように言い換えて、何か不自然で、非合理的なところがあるのだろうか。
そして体力と気力を使い果たし、渋谷の本部でトイレに行こうとしたが立つことさえできなくなり、緊急入院となった。
この陳述に変なところがありますか。
後藤さんの陳述書(甲9号)、『世界日報』記事(甲57号)が真実だとすれば、教団本部が品川にあったとすれば、途中で倒れていただろう。
人の歩く速度は1時間4キロとされている。10キロなら2時間半が標準であり、この距離はウォーキングをする人の標準目標になっている。
山口(貴)弁護士が狡賢いのは、後藤さんが10キロを4時間かけて歩いたという説明を無視している点にある。
栄養失調状態の人が10キロを4時間かけて歩くことはあり得ない。そのことを山口氏は立証し主張すべきはずなのに、そこは都合が悪いのか、意図的に無視しているのだ。
「10キロ」と「4時間」がポイントなのである。
私とて、栄養失調状態の人が、何も飲まず食わずで、20キロの道(ハーフマラソンの距離)を8時間いや10時間かけて歩いたというのであれば、信用しない。
実体験を話しておく。
私の老母は足と腰が悪く、歩行補助器を使って、毎日100m歩く。私より3倍の時間をかけて。それが限界である。
しかし、年に2回、200m先の菩提寺まで歩くことがある。途中で補助器の椅子に腰掛けて、一度休憩してのことだが。
さらに、お墓に参ることだってある。
お墓は菩提寺裏の山の上にあり、約5、60段の階段に登らなければならない。
お墓に参るときは、家から一度休憩して菩提寺に辿り着き、そこでやや長めの休憩をして、階段を登る。登るときは手すりにつかまって。
お墓に参るのはそろそろ限界に来ている。そんな老母でも、休み休みして、何らかの動機があれば、1キロぐらいは歩くと思う。
近所の人から10年に1度の月桂樹(?)の花が咲いた、見に来ないかと誘われても、「ああ、そうですか」で終わり。
しかし、「息子さんが交通事故にあった」と聞けば、向かわなくてもいいと言われても、老母は1キロの道のりを休み休みしても、執念で、事故の現場に辿り着くだろう。
人間って、そんなもんである。
山口弁護士に欠けるのは、やはり想像力である。そして、欠点は「前のめりすぎる」ということだ。
山口弁護士にかかれば、100m歩くのがやっとの米本の老母が1キロを歩くなんて、信用性に欠ける主張だということになる。
最後っ屁。
山口さんが司法修習生時代、検事を志さなくて、心から良かったと思う。
もし検事になっていたら、冤罪事件の続出であっただろう。
(これで論評はすべて終わり)
自分の思考を含め、すべてを疑えの精神で、もう少し丁寧に書面・証拠を読み、論述するときは言葉を吟味すべきだったと思う。
書面の最初と最後を引用する。
健常人であっても、約2時間以上かかる道のりであり、これは、到底、原告がその主張通りに衰弱していたとすれば、到底歩き通せる距離ではないことは明らかであるが、以下、それを敷衍して、原告の主張に信用性が乏しいことを明らかにする。
(ウォークラリー)
以上のとおり、原告が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームを出て、渋谷の統一協会へと向かった際に栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず、逆に同人が十分に健康であり、体力と気力があったことは明らかであり、これとは明らかに矛盾する一心病院による診断も信用性に乏しいことは明らかである。
読者のみなさんは、この論理が飛躍すぎており、あまりにも情緒的であることに気がつかれませんか。
話は飛ぶのだが、つい最近の京都祇園の軽自動車暴走事件のことが浮かんでしまった。
事件直後は、癲癇のために暴走事故を引き起こしたとされていたが、その後の警察の調べでそうではないとされた。
理由は最初のタクシーに追突したとき、いったんバックしてタクシーの横を通り過ぎて、逃走した事実(自分で判断する力があった)が判明したからである。
しかし、警察の判断は沈着冷静であった。
最初の事件は明らかに癲癇とは無関係だが、だからといって、あとに起きた暴走が癲癇とは無関係だったとは言えない、と判断したのである(4月14日現在)。
これはこれ、それはそれ、である。
話を戻す。じっくりとゆっくりと考えて欲しい。
10キロの道のりを健常者が2時間かけて歩く。
それゆえ、栄養失調状態にある人が同じように歩いたという主張は、信用性に乏しい。
栄養失調状態にある人が10キロの道のりを歩いたという主張は、虚偽であり、栄養失調等のために衰弱していたという事実は存在しない、ことを意味する。
どこかオカシイとは思いませんか。
栄養失調状態にあるという人が10キロの道のりを歩いたとの主張が事実なら、体力と気力があったことは明らかである。
これも、どこかオカシイとは思いませんか。
山口弁護士の情緒的論理に則ってその逆を言えば、栄養失調状態の人が体力と気力を振り絞って、10キロの道のりを歩いたというだけのことになりはしないか。
このように言い換えて、何か不自然で、非合理的なところがあるのだろうか。
そして体力と気力を使い果たし、渋谷の本部でトイレに行こうとしたが立つことさえできなくなり、緊急入院となった。
この陳述に変なところがありますか。
後藤さんの陳述書(甲9号)、『世界日報』記事(甲57号)が真実だとすれば、教団本部が品川にあったとすれば、途中で倒れていただろう。
人の歩く速度は1時間4キロとされている。10キロなら2時間半が標準であり、この距離はウォーキングをする人の標準目標になっている。
山口(貴)弁護士が狡賢いのは、後藤さんが10キロを4時間かけて歩いたという説明を無視している点にある。
栄養失調状態の人が10キロを4時間かけて歩くことはあり得ない。そのことを山口氏は立証し主張すべきはずなのに、そこは都合が悪いのか、意図的に無視しているのだ。
「10キロ」と「4時間」がポイントなのである。
私とて、栄養失調状態の人が、何も飲まず食わずで、20キロの道(ハーフマラソンの距離)を8時間いや10時間かけて歩いたというのであれば、信用しない。
実体験を話しておく。
私の老母は足と腰が悪く、歩行補助器を使って、毎日100m歩く。私より3倍の時間をかけて。それが限界である。
しかし、年に2回、200m先の菩提寺まで歩くことがある。途中で補助器の椅子に腰掛けて、一度休憩してのことだが。
さらに、お墓に参ることだってある。
お墓は菩提寺裏の山の上にあり、約5、60段の階段に登らなければならない。
お墓に参るときは、家から一度休憩して菩提寺に辿り着き、そこでやや長めの休憩をして、階段を登る。登るときは手すりにつかまって。
お墓に参るのはそろそろ限界に来ている。そんな老母でも、休み休みして、何らかの動機があれば、1キロぐらいは歩くと思う。
近所の人から10年に1度の月桂樹(?)の花が咲いた、見に来ないかと誘われても、「ああ、そうですか」で終わり。
しかし、「息子さんが交通事故にあった」と聞けば、向かわなくてもいいと言われても、老母は1キロの道のりを休み休みしても、執念で、事故の現場に辿り着くだろう。
人間って、そんなもんである。
山口弁護士に欠けるのは、やはり想像力である。そして、欠点は「前のめりすぎる」ということだ。
山口弁護士にかかれば、100m歩くのがやっとの米本の老母が1キロを歩くなんて、信用性に欠ける主張だということになる。
最後っ屁。
山口さんが司法修習生時代、検事を志さなくて、心から良かったと思う。
もし検事になっていたら、冤罪事件の続出であっただろう。
(これで論評はすべて終わり)
意外にこの世は優しい。しかし
意外に今の若者は優しい。
困ってる人を見捨てて知らんふりしてスタコラサッサと逃げるのは、団塊の世代。
だから、オタク弁護士の言うことも一理ある。
本当に木の棒を杖代わりにして、息も絶え絶え歩いていたら、誰かしら声をかける。
しかし、である。
紹介された世界日報の記事によると、後藤さんは浮浪者風の身なりだった、と。(失礼)
そうなると、話しは別。
浮浪者風の中年がフラフラにしろ歩いて(動いて)いたら、誰も声かけないだろう。
後藤さんは、渋谷の本部教会に、たどり着いた時も守衛の人に不審者扱いされた。
真の愛をうたっている本部教会ですらそうだったのだ。(嫌味です。)
とにもかくも、後藤さんは気力と体力を振り絞って本部教会まで歩いた。
教会に戻りたい一心だった。
病院に行きたかったわけではない。
立ち寄った交番でも、教会へ戻るための交通費を貸して欲しかったからである。
そのへんをはき違えて救急車云々というのは、論点がずれている。
にしても、
無事に歩き通せてよかったです。
後藤さん兄、兄嫁、妹はそのことに感謝すべきです。
犯罪者にならずにすんだことを。
困ってる人を見捨てて知らんふりしてスタコラサッサと逃げるのは、団塊の世代。
だから、オタク弁護士の言うことも一理ある。
本当に木の棒を杖代わりにして、息も絶え絶え歩いていたら、誰かしら声をかける。
しかし、である。
紹介された世界日報の記事によると、後藤さんは浮浪者風の身なりだった、と。(失礼)
そうなると、話しは別。
浮浪者風の中年がフラフラにしろ歩いて(動いて)いたら、誰も声かけないだろう。
後藤さんは、渋谷の本部教会に、たどり着いた時も守衛の人に不審者扱いされた。
真の愛をうたっている本部教会ですらそうだったのだ。(嫌味です。)
とにもかくも、後藤さんは気力と体力を振り絞って本部教会まで歩いた。
教会に戻りたい一心だった。
病院に行きたかったわけではない。
立ち寄った交番でも、教会へ戻るための交通費を貸して欲しかったからである。
そのへんをはき違えて救急車云々というのは、論点がずれている。
にしても、
無事に歩き通せてよかったです。
後藤さん兄、兄嫁、妹はそのことに感謝すべきです。
犯罪者にならずにすんだことを。
Re 意外にこの世は優しい。しかし
koyomiさん
>にしても、
無事に歩き通せてよかったです。
後藤さん兄、兄嫁、妹はそのことに感謝すべきです。
犯罪者にならずにすんだことを。
統一教会云々とは全く関係なく、万感の思いをもって、「その通りだ」と思います。
>にしても、
無事に歩き通せてよかったです。
後藤さん兄、兄嫁、妹はそのことに感謝すべきです。
犯罪者にならずにすんだことを。
統一教会云々とは全く関係なく、万感の思いをもって、「その通りだ」と思います。
加害者の皆さん
本当に後藤さんが行き倒れなくて
犯罪者にならなくてよかったですね。それとも
行き倒れても、
身元が判明されないように
なにも持たせなかったのかな?
本当に後藤さんが行き倒れなくて
犯罪者にならなくてよかったですね。それとも
行き倒れても、
身元が判明されないように
なにも持たせなかったのかな?
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