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後藤徹氏の兄嫁の陳述書ーその2

いよいよ今回は、後藤氏が新潟のマンションに連行され、監禁下での説得が行われる場面だ。
今回のポイントは、後藤氏の拉致監禁の主張に対し完全否定している点。そして後藤氏にとっては、過酷な監禁生活であったが、むしろ後藤氏の家族は後藤氏のわがままに付き合わされ、苦労したと主張していることである。
どちらの主張が真実なのか注意深く読み検証していただきたい。

後藤徹氏の兄嫁の陳述書 ─その2の構成


第1 はじめに
第2 後藤家の一員となったこと
第3 義父母の心配
第4 再度話し合う決意
第5 新津教会での集会
第6 新潟のマンションへ
第7 新潟での話し合い

第8 東京へ
第9 荻窪フラワーホーム804号室に移ってから
第10 最後に
青印が今回アップしたもの

第4 再度話し合う決意
1 再度話し合いをもつこと
 このように、家族は、徹さんが一度統一協会の問題点に気付きかけ、家族と問題意識を共有しかけだのに、結局アベルに確認しに行ってしまったことによって、その気付きの芽を潰されてしまった、もう一度、アべルの影響のないところで、徹さんによく考えてもらいたい、もう一度徹さんときちんと話し合いたいという気持ちがありました。特に義母は強い希望を持っており、家族みんなで、もう一度徹さんと話し会うことにしたのです。
 私か結婚した1995年の9月に徹さんが実家に帰ってくる予定があるとのことで、義父の提案でその機会にもう一度家族で徹さんと話し合う機会をもとうという話しが徐々にまとまっていきました。

 このとき、家族での話し合いの場所は自宅ではなくどこか別の場所で行なおうと考えていました。保谷の自宅で話し合うことはできないと思っていました。前のときは、京王プラザホテルで話し合いをしたということでしたが、私もやはり自宅など他の統一協会信者に知られている場所で話し合いをすることは無理だろうと思います。徹さんは一度「落ちた」ものの、自分の疑問点を解消するためとはいえ再度アべルに会ったことによって統一協会に戻ったこと、そして再び統一協会信者として違法な組織活動に何の疑問も抱かずに従事していること、その後夫が葛西に通っても話し合いにはならなかったこと、そして次に述べるような理由から、やはり自宅での話し合いは無理だろうと思っていました。

2 信者との話し合いが難しいこと
(1)家族がサタンの支配下にあると思いこまされていること
 というのも、信者は自分よりも堕落した存在である家族の話をまともに聞こうとはしません。世間話ならともかく、統一協会について全くわかっていない(と信者は考えている)家族と、統一協会のことについて本心から話し合いをするつもりはないのです。なぜなら相手は真理をわかっていない可哀想な人で、霊的に無知に陥っている人だから統一協会の真理がわからないと思い込まされているのです。(これは脱会した者についても同じように思っています。)霊的に無知なのだから、いくら自分たち信者が話しかところで話が通じるわけはないと思い込まされています。それが特にサタンの支配下の者であればなおさらです。家族をサタンの支配下から取り戻すには、神の前に蕩減条件(信者が、ある目的を果たすために、一定の期間、神に祈りや断食、水行などの行為を行い、それを成し遂げることによって神が直接働くとされる神の前に立てる条件)を立て、神に直接働きかけてもらうしかないと考えています。そうすれば、反対している家族も奇跡的に統一協会の教えや活動を受け入れてくれるようになると考えるのです。

 また、サタンは、信者を惑わしその信仰を奪おうとする存在なので、その支配下の者と、まともにやり取りすると霊的にサタンが働きかけきて自分の信仰が奪われるとも教え込まれています。それゆえ、信者は、最初から、統一協会に関して家族と話すことをシャットアウトしてしまうので、家族と真剣に向き合って話し合いを始められるようになるまで、つまりきちんと統一協会や宗教、信仰について宗族と腹を割って話が出来るようになるまで時間がかかります。

(2)統一協会とアべルから距離を置く必要があること
 統一協会ではアベルカインの法則といって、聖書に出てくるアべルカインの話を元にして、自分よりも神に近い立場のアべルに絶対服従しなければならないと教え込んでいます。また自分は原罪を背負って、堕落した存在であり、サタン圏にいるのだとも教え込まれており、何事も自分で判断してはならず、アべルに、報告・連絡・相談して指示を仰がなければなりません。

 統一協会信者として、長年こういった習慣が続くと、信者は自分で考えることをしなくなり、全てアべルに報連相して、アベルの指示に従うようになるのです。
 また、このとき徹さんは東京で活動していましたから、東京で話し合いをすると、その所属先の統一協会信者らが話し合いの場に押し寄せて妨害をしてくる可能性もありました。統一協会は、信者が家族らと話し合うことで、自分たちが統一協会に欺されていたと気付くことを知っています。統一協会にとって、信者らは、重要な資金源であり労働力なので、統一協会のやることに疑問を呈さず、救いのためといえばいうとおりに行動する信者をやすやす手放すわけにはいかないのです。(逆にそうでない信者については、統一協会から離れても、ほっておくこともしばしばです。)

そのために、予めアベルに申告していた予定どおり戻って来ない信者の居所をつきとめ、信者等が数や勢いに物を言わせて、家族と平穏に話し合っている信者の家に押しかけてくることはよくあることでした。話し合いをしている信者としても、頭では間違いではないかと考え始めていてもまだ習慣として染み込んだ統一協会的な考え方が抜けきっていない時に、信者がきて「話をやめて帰りましょう。今家族と話し含っているけど、それはあなたの意思ではないはずだ。」などと、言われると、信者は、自分より神に近いアべルのいうことに絶対服従しなければならない、という統一協会的思考がよみがえり、アベルの言うことが正しいのではないか、自分はサタンと相対基準を結びそうになっていたのではないか、などとふと考えてしまうのです。

また、日頃から、アべルとの面談などをとおして、どんな偶然にせよ、神様からのメッセージとして統一協会を正当化する方向に結びつけて考える習慣を付けられていますから、こういった横やりにも、あやうく相対基準を結ぶところだったのを神がそうしないようにしてくれたので、と思い直して、いったんは自分でいろいろと考えて家族と話し合いをする気になっていても、それはサタンとの授受作用だったと思い直し、その後家族と腹を割った話し合いを再び拒否するようになってしまうのです。

(3)統一協会から離れる恐怖
 さらに、統一協会では、一度統一協会の信仰をもって、尚且つ祝福を受けた立場であればなおさら、もし信仰を失ったら、救いようがないほど罪深いとされており、永遠とも思えるほど長い期間地獄で苦しまなければならないと教えています。生きていても、「落ちた(不信して信仰を失うこと)ら病気、事故、家庭不和など不幸な人生を送り、死んだら永遠に続く霊界では地獄に落ちていつまでも苦痛を味わい続けるのだ。」また、私を氏族の代表としてメシアに出会わせるために善行の条件を立ててくれた数えきれないほどの先祖の霊も、私かメシアに出会い、「成約聖徒(統一協会の信者の栄光ある立場を表現する呼び方)」として救われて天国に行くことによって、その先祖たちも救われることを待ち望んでいると教えられているので、

もし、信仰を捨てると、それは、背信行為であり、先祖からも延々と責め立てられ、サタンにも責められ、苦しみ続けることになると教えられています。ですから、統一協会から欺されていたのかもしれない、と思うようになっていても、常に、もしも、統一協会のいうことが本当だったらどうしよう、今こうして思っていることでも大変なことになってしまう、という迷いから離れられず、気づき初めても不安定な時期が続くのです。こういったときにアベルから「あなたはわかっていないだけだ。」などといわれるだけで、やはり、自分はサタンに惑わされでいたのだ、サタンと授受作用をしてしまうところだった、と思い込んで、うわべは家族と話しはするものの、本音で話し合いをすることを拒絶するようになるのです。

(4)統一協会の影響を受けないところで真剣な話し合いをする必要があること
信者が、自分で考えずにアべルの指示や統一協会の教え込みに従って、自分の頭で考えることもせずに家族との真剣な話し合いを避け続けるのでは、話し合いは全く意味かおりません。これは、別に最終的な結論が脱会に至るかどうかという問題ではありません。家族は、結論はともかくとして、騙されて入ってしまった子どもが、自分がいったい何に人生を捧げているのか、統一協会の精神的呪縛下にない状態で今一度冷静に考えて欲しい、と願っているだけなのです。

 このように、信者と本気で話し合いたいと考えるのであれば、統一協会の影響を断って(そうでなければ統一協会について客観的に自分の頭で考えることはしないからです)、話し合いをする必要があることから、妨害してくるかもしれない信者に場所がばれている自宅では集中して話し合いが出来ませんし、アべルに報連相をできない環境で話し合うことが必要となってくるのです。

(5)専門家の助けが必要なこと
 また、先程も述べたように、信者は、家族が統一協会のことをわかってない(信者は脱会した元信者のことも同じように思っています。 自分が真理だとわかることのできた原理を中途半端にしか理解できなかったから脱会したのだと思っているからです。)と考えています。統一協会のことを誤解と偏見でしか見ることのできない(と信者が教え込まされている)家族と正面から統一協会の教えの正しさやその信仰といったものについて話しても、家族等はサタンの策略に乗せられて信仰を奪うことが目的なので、理解しようとは思わないだろう、と考えています。ですから、そういった統一協会の精神的呪縛から離れて、対話の中で徹さんが統一協会について客観的に考えられるようになるためにも、統一協会にも詳しく、また統一協会がよりどころとする原理講論やキリスト教と聖書に詳しい方に徹さんと話してもらう必要があると考えていました。今回、義父は、新潟の松永牧師にこの役割を引き受けてもらいたいと考えたようでした。

 松永先生は私も家族との話し合いのときにお世話になっていました。松永先生は、穏やかな物腰で、信者の話をまず聞いて、とつとつと話す方でした。
 私かお世話になったということもあり、松永先生の話を聞いてくれれば、徹さんも自分で考えるようになるのではないかと思ったのだと思います。

3 徹さんとどこでどのように話し合うか
 このように、信者とは、普通の当たり障りない話はできても、実際に家族が信者を心配していること、家族との間に溝が出来ており、これを埋めたいと家族が望んでいることを信者に理解してもらい、お互い心から話をして信頼関係を取りもどすための話し合いをするのはとても難しいことなのです。

統一協会のことを何も知らないで、ただそんな団体にはまった方が悪い、そして違法な活動をいているから悪い、と決めつけて話すのではもちろんうまくいきませんし、そういう決めつけはしていなくても、ちょっとやそっと話をしたくらいで、信者と心を通わせて話し合いをすることは難しいのです。

家族が、統一協会の妨害を受けずに、時間をかけてじっくりと信者に向き合うことで、信者に家族の気持ちをわかってもらうこと、家族が信者の気持ちを理解していることを知ってもらうことが必要なのです。

 徹さんが東京で活動しているので地方の方が統一協会に妨害される危険性が低いのではないかということ、松永先生は私がお世話になった方なので相談しやすかったことなどの理由から、義父母や夫たちが中心になって話し合った結果、新潟で松永先生に協力していただいて、再度、徹さんと話し合いをしようと言うことになりました。また、ちょうど新潟に私の祖父が所有していたマンションがあり、何年か前に祖父が亡くなった後私の叔母が住んでいたのですが、しばらくして叔母が仙台に引っ越したため何年か空き家になっていました。人が住まないと、家が傷むということもあり、誰かにマンションを使ってもらえればありかたいという状況だったので、私の母が間に入って叔母と交渉して義父が借りることにし、そこを話し合いの場にすることにしました。

第5 新津教会での集会
 そこで、義父が松永先生に連絡をとり、事情を話して、協力してもらえないか、とお願いしたのだと思います。松永先生も、統一協会の問題はよく理解しておられるので、こちらの事情を聞いて、家族との話し合いの時がもてて、徹さんが聖書の話や統一協会の教えについて話を聞きたいと言うことであれば、話に来てくれるとのことでした。

 そこで、家族で、1995年4月くらいから半年間かけて、5~6回、新津の教会に行きました。そこで、礼拝に参加したり、子どもや親や伴侶が統一協会に入信して問題をかかえて悩んでいる家族の会に参加したりしました。礼拝は、普通の礼拝で、松永牧師が信徒の方に向けて、聖書の内容を語りますが、統一協会がその聖典の一つとしている聖書の内容を知ることもまた勉強の一つでしたので、家族そろって礼拝に出席していました。また、家族の会では、統一協会に家族が入信して悩んでいる家族や、元信者の方と統一協会に入った信者の心理状態や、家族自身の問題、統一協会の社会的な問題などを聞いたり話したりし、家族として今後、どういう姿勢で話し合いの場に望んだらいいのか、信者とどう向き合うべきかなどについて考えることができました。私自身もまた、夫や<後藤氏の妹>さんも元信者で経験者ではありましたが、統一協会信者を持つ家族として、客観的に自分自身や家族のあり方を考える機会になりました。

 私たち家族に松永牧師や新津福音キリスト教会から会堂献金やその他の献金の要請など一切ありませんでしたし、そのようなことは、新津教会の信者でもないから関係ないので、あるはずがありません。

第6 新潟のマンションへ
 1995年9月11日、徹さんが実家に戻ってきて、家族で夕食を囲みました。私が徹さんと会うのは、結婚直後の会食以来久しぶりでしたが、和やかに食事をしました。
 食事が終わって落ち着いた頃、義父が、徹さんに、徹さんと一度統一協会の問題について話し合いを持った時のことや、話し合いがまだ終わらないうちに徹さんがいなくなった時のこと、その後家族が徹さんのことをずっと心配してきたことなどを話し始めました。徹さんは、それまで和やかに話していましたが、身構えていました。このときには、OY伯父も山形から徹さんのことを心配して駆け付けてきてくれていました。
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 義父が、やはり統一協会がやっていることはいいことではないと思う、社会的には、人を騙す行為で、それに加担するようになっていることが、親としても家族としてもいたたまれないことでいいことではないと思うし、納得がいかない、場所を移してきちんと話し合いたいと徹さんに語りかけ、一時間半くらいそこで話をしていました。私は、一度「もう行きましょうよ。」と声をかけましたが、徹さんは動こうとせず、さらに、義父と夫は、徹さんに、切々と、家族が徹さんと話し合いたいと思っていることを訴えました。話し合いですから、徹さんが納得するまでは移動して話をするなどということは出来るはずもありませんでした。でも、その後も、義父がねばり強く、家族での話し合いが必要だと話すと、渋々という感じでしたが、徹さんも立ち上がりました。徹さんが立ち上がったのを見て、支度等もありましたから、私は先に居間を離れました。

 その後、私が車のところで待っていると徹さんや他の家族が出てきました。義母が徹さんの腕に手をさしのべていました。徹さんのことが心配でたまらないという様子でした。徹さんは義母と一緒に自分で歩いて車に乗りました。

徹さんは陳述書で、「家の中から引きずりだされた」と言っているようですが、私が見た限りでは、きちんと靴を履いて、義母に寄り添われながら家から出てきて、自分で車に乗り込んでいました。

 新潟までは、新潟の地理がわかるという理由で義父が私の兄のHTに車の運転を依頼していました。私は兄の隣の助手席に座りました。後ろの席には、夫と義理の妹の<後藤氏の妹>さん、OY伯父さん、一番後ろの座席には、義母、徹さん、義父が座っていたと思います。

 新潟までの道中では、誰も車を降りず、一度車の給油をしただけでした。
 家族は誰もトイレに行きたいと言うものはありませんでした。徹さんは陳述書で、簡易トイレで用を足したと主張していますが、確かに早く到着したいという思いから義父がトイレに行きたくなったときのために簡易トイレを用意していたかも知れません。特に徹さん用というわけではなかったと思います。ただ徹さんが外にトイレに行きたい、簡易トイレじゃ嫌だ、などといって車内でもめたという記憶はありません。結局4時間くらいで新潟の多門マンションに到着したと思います。時間は、午前1時を過ぎたくらいでした。

 マンションで私たち家族をおろした後、兄は、車を返しに行かなければならなかったので、そこで別れ、私たちはマンションに入りました。このとき徹さんが抵抗して暴れたりするようなことはありませんでしたし、騒ぎにもなっていません。徹さんは、普通にみんなとエレベーターに乗り、6階でおりて部屋に入っていきました。マンションについてから、間もなく皆寝ました。

第7 新潟での話し合い
1 家族との話し合い
 次の日から、徹さんと家族の話し合いを続けました。夫は東京での仕事があったので2~3日後には自宅に戻り、マンションに残ったのは、義父、義母、<後藤氏の妹>さん、私でした。1ヶ月くらいはOY伯父さんも一緒にいたと思います。徹さんとは主に義父が話をしていました。私も徹さんと話をしたと思いますが、細かい話の内容は、よく覚えていません。なかなか話がかみ合わず、徹さんは、統一協会の教えは素晴らしいとか自分は真理だと信じているなど、ただひたすら繰り返していたという印象です。義父は、家族がどうして徹さんと話し合いをしたいと思っているか、統一協会が反社会的活動をしていることを心配しているということを話していましたが、徹さんは、自分はそうは思わない、などというばかりで、どうしてそう思わないのか、なぜ許されるのかなどについては一切話さず、話は平行線をたどりました。

一方で、徹さんが統一協会の本など10冊ほどをリストアップしてこれをもってきて欲しいといいだしましたので、リストにあった統一協会の本々歴史の本などを少しずつ用意しました。徹さんはこれらの本を使って勉強したりしていたようです。

 このときのことについて、徹さんは白由を奪われていたなどと主張しているようですが、はっきりいって、新潟のマンションに移動したあと、徹さんはみんなに甘やかされていました。徹さんときちんと話しをしたい一心で、徹さんを怒らせて対話そのものを拒否されるようなことになりたくなかったからです。特に、義母は統一協会に欺されている徹さんが不欄だという思いもあって、徹さんに優しくしていたと思います。徹さんは、毎晩、遅くまで起きて一人で何か勉強をしていました。初めは、部屋数の関係で、義父と義母も徹さんと同じ部屋で寝ていましたが、電気が点いて眠れないので、リビングに移って寝るようになり、結局徹さんは、部屋を独占して生活していました。

部屋は3部屋ありましたが、徹さんがいう「奥の部屋(図2のA)」は、結局前に部屋を使っていた私の叔母の荷物が一杯入っていて開けられず、使っていませんでしたので実質は二部屋でした。徹さんはその一部屋をまるまる自分用に使っていました。徹さんは「窓が全て『ウインドロック』という防犯錠が取り付けてあった」と主張していますが、「ウィンドロック」などつけていませんでした。滞在中徹さんが、どこそこに鍵がかかっているとか、文句を言ったりすることはありませんでしたし、西寄りの窓からよく外を眺めていました。

また、徹さんは遅くまで起きているため、ほとんど毎晩10時頃になると義母にうどんやラーメンなどの夜食を作ってもらって食べていました。

 このように徹さんに気を遣いつつ、家族は、徹さんに対し、統一協会に入ってから平気で反社会的な行動をするようになったことを指摘し、そんなに素晴らしいといえるものを信じているといいながら、なぜ統一協会が反社会的活動と言われるほど問題があるのか、とか、騙されているのではないかとか、教えに問題があるのではないか、などと疑問を投げかけ、徹さんと本心から話し合うきっかけを得ようとしていました。

 しかし話しが平行線をたどったため、家族がまず自分かちの気持ちや疑問点を徹さんに投げかけるのではなく、「原理が本当に正しいのであれば、家族に説明してほしい。こちらも聞く。そのかわりおかしなところがあれば指摘するよ。」と話しました。そこで、徹さんが家族に対し「原理講論」を使って統一協会の教義を講義することになりました。徹さんは、意気揚々と声を大きく張り上げて、言葉に抑揚を持たせ、流暢な講義を家族に聞かせていました。しかし、徹さんは講義のなかで、根拠のないことををあたかも事実であるかのように断定して話しをしたりすることが多々ありました。

そこで、断定する根拠に欠けることを家族が指摘すると、徹さんは、露骨に不機嫌になりました。そして、家族からの質問に正面から答えずにはぐらかしたり、不満げに言い返したりしていました。徹さんは、家族に原理講義を聞かせるといいつつ、この時は、家族の疑問に対して、彼は、あまり真剣に答えようとはしませんでした。むしろ難癖つけられていると受け止めているようでした。自分の力だけでは、統一協会を問題視している家族(=サタン)に、統一協会の教義が真理であると納得させることは難しいかもしれないと考えているらしく、自分から一方的に正当性を述べることはあっても、家族からの根拠を問う質問は受け付けなかったり、ごまかしたり、家族の質問が悪いかのように不満げに言い返したりしていました。

統一協会信者の典型的な対応だと思いました。家族も、これが徹さんとの腹を割った話し合いの契機になればいいと思って疑問を投げかけたりしましたが、徹さんが答えず、機嫌が悪くなってしまうので、ここで徹さんの機嫌を損ねて、話し合うきっかけを失うのはまずい、と思って、とりあえず黙って講義を聞くようにしていたと思います。

2 松永牧師の来訪
 徹さんからひととおり統一原理についての講義をきいたので、今度は家族から徹さんに講義や教義に対する感想を話したり疑問を質問したりしました。しかしやはり徹さんは、正面からこれに答えようとはしませんでした。

 これらの疑問について何一つ家族が納得できるような返事や、答えができず、家族だけでは話し合いが膠着してしまいました。私たちが、「理論はともかく(徹さんが、)『原理講論』の教えを真理と信じ、人類、世界の救い、幸せ、平和を説いているこの教えを信じていることは、わかったけれど、私達家族からすれば、正しく生きることを願う信者が、嘘をついたり、社会的に悪いことをして活動しているのは、教えに矛盾があるのではないか?」と話すと、「真理がわからないとなかなか理解することが難しいんですよ。」といった感じで家族の疑問については真剣に応えようとはしませんでした。

徹さんは相変わらず、自分が話しても、サタン圏にいる哀れむべき家族は、宗教すらわかっていないし、真理を理解することはできない、と考えているようでした。私たちも、家族だけでの話し合いに限界を感じ、松永先生に話し合いに加わってもらいたいと考えるようになりました。松永先生と徹さんとで話しをしてもらうことも、新潟に来た目的の一つでしたから、いずれ、松永先生と話し合ってもらいたいと考えていましたが、最初から松永先生に話しをしてもらうと、信者は、反牧だなどと言って、警戒してしまい、全く本心を明かさないことになるので、最初から来てもらうようにはお願いしていませんでした。

 しかし、マンションにきてから1ヵ月近くたって、家族だけでの話し合いではにっちもさっちも行かなくなったことから、義父が、徹さんに、松永先生に話しを聞いてみよう、と提案し、徹さんも承諾したので、松永牧師に部屋に来てもらって、徹さんと家族とで松永牧師から話しを聞くことにしました。

 はっきり覚えていませんが、松永先生は初めのころ、多い時で週2~3回くらい来てくだざったと思います。

 松永先生が初めて部屋を訪れたとき、徹さんの表情は少しこわばっていて、非常に警戒している様子でした。しかし、松永先生は、相手の話をよく聞いて丁寧に話をされるので、すぐに徹さんも普段どおり話すようになりました。

松永先生が話に来る時問は、日によって違いますが、1時間から長くて2時間くらいだったと思います。松永先生は、家族が何を心配しているのかわかっているのか徹さんに聞いたり、統一協会や合同結婚式の実態などについて、両親に説明しましたか、など質問していたと思います。徹さんは、松永先生の問いにはっきり返答できないでいました。そして、松永先生は、聖書の内容や文章の脈絡を考えで読むこと、統一協会の教えの基本である原理講論の内容を検証するようなことを、徹さんと一緒に考えながら話しをしていました。徹さんは、先生の話を聞きながら、聖書の内容について松永先生に質問したりしていました。逆に、松永先生から統一協会の教えの間違いや矛盾を示されると「う~ん…」と腕を組んで何も言えなくなることもありました。

お互い主張や考え方の違うものがやりとりしているわけですが、興奮したりすることもなく、穏やかに話しをしていました。お菓子など食べて笑いながら話していることもしばしばありました。もちろん、統一協会の話しだけでなく、世間話もしていました。

 また、元統一協会の信者であった人も何人か話に来てくれたり、それぞれ統一協会の時活動していた時のことやさまざまに矛盾や疑問に思ったことなどの経験を話してくれたりしていました。徹さんは、来てくれた元信者を拒絶することもなく普通に会話をして時に楽しそうに笑ったり、将棋やゲームをしたりすることもありました。

3 体調を崩す
 前述したように、徹さんは新潟で、家族が甘やかすのをいいことに、家族の真剣な話に真摯に耳を傾けようとせず、家族の問いかけにも真面目に答えようとせず、夜遅くまで起きで母親に夜食を作らせたり、したいようにしていました。徹さんのこのような生活態度は、元統一協会信者の私から見ても、あまりに我がままで、家族がこうやって必死で話し合いをしたいと考えて話をしているのに、問題を軽く考えてその部分だけはぐらかしているようで、もどかしい思いもありました。松永先生を交えても、松永先生と話はするものの、徹さんのそういった生活態度に変化はありませんでした。私は徹さんの態度は、家族を見下している、家族と共同生活をしているのだから、徹さんを特別扱いするのではなく、白分一人だけ昼夜が逆転したような生活をしないで家族と同じように生活をするように促したり、あまりにも態度が悪いときには注意してもいいのではないかと思ったりしましたが、両親はそうではなく、やはり徹さんには甘いままでした。

 このように新潟で生活をしていく中で、気遣いなどもあって、私はストレスで体調を崩してしまいました。そこで、1995年の年末頃マンションを出て、マンションからも近い新潟の実家で生活するようになりました。そして、生活費の心配もあったので、アルバイトを始めました。私自身は、新潟でアルバイトをしながら、たまに新座にある自宅のマンションに帰り、新潟のマンションにも時々顔を出したりする、という生活になりました。

4 徹さんの脱会表明
 1996年3月頃、徹さんが脱会した旨を書いた手紙を統一協会宛てに書いたと義母と<後藤氏の妹>さんから聞き、突然のことで驚いたことを覚えています。
 その後、彼と会った時、ニコニコして愛想よく話すのですが、元信者同士として、統一協会での印鑑販売活動についての思い出話などをしてもあまり乗ってこないので、脱会は決心したものの何かすっきりしていないのかな、思いました。私の経験でも、統一協会の間違いがわかって間もない頃は、理性で間違いとわかっていでも、統一協会の中で一緒に暮らし活動を共にしていた人たちとの思い出も残っていたり、今まで、慕い求めた存在である教祖なとを簡単に詐欺師などと言えない気持ちも残るので、心の整理ができきれずにいました。徹さんもそういう状態なのかな、と思っていました。いままで全身全言を捧げていたものを否定するわけですから、心の中にぽっかりと空洞がおいたような感じになります。これは頭でわかっていてもどうすることも出来ず、ただ、まわりの助けを得て、少しずつ自分の頭で判断することに慣れつつ、社会復帰をしていくことになります。私も家族や松永先生や元信者の方々の助けを得ながら、少しずつ自分を取戻していきましたから、 この作業を、助けなしに一人ですることは出来なかったと思います。

 しかし、徹さんは、脱会を表明した手紙を書いたものの、朝遅く起きたり、遅くまで起きて夜食を食べて勉強しているなど、家族に対する配慮が全くありませんでした。このようなことからも、本当の意味で、家族として気持ちが通い合っているような状況とは思えませんでしたし、一度溝ができてしまった家族の関係を回復するためには、まだ一緒に生活しながら時間をかけて話し合って理解し合って行くことが必要なんだろうなと思っていました。

 また、私は、徹さんの様子に、違和感を感じてもいたので、ひょっとして「反牧対策」で統一協会に教え込まれたとおりに偽装脱会しているのかとも考えたこともありましたが、そういうときは、徹さんを信じなければと思い直しました。徹さんは、兄も妹も、3人共統一協会の信者でしたし、徹さんも<後藤氏の妹>さんもいわば兄である夫に騙されて入信していることもあり、いろいろ複雑な心境を抱えているのだろうと思いました。<後藤氏の妹>さんも統一協会をやめてしばらくは、自分が統一協会に関わったために失った時間の大きさに愕然としたり、あるいはこれからのことが不安だったことに加え、夫に対して「自分が誘ったくせに。」という反発する気持ちもしばらく持っていて、複雑な心境だったようです。

ですから徹さんも、家族に対して複雑な思いを抱いているのだろうと思いました。統一協会に入信したことによって、価値観や家族との関係も変わっていった経緯から、これから家族の信頼関係を回復していくことは、簡単ではなく、そのためには、普段の生活の中で様子を見ながら、自然にやり取りしていく中で、徹さんが心に抱えている問題や家族のコミュニケーションを図ったりしながら、焦らずに少しずつ、家族の心の通った会話を取り戻していければいいと思っていました。
2012-01-19(Thu)
 

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どこまでやっても矛盾は弥縫できず(泣 

 被告人に肩入れする立場に立って、兄嫁さんの陳述書を読もうと思ったのですが、最初の「再度話し合いをもつこと」を読んだだけで、もういけません。ちょっと赤面しました。

 兄嫁さんたちが後藤徹さんと再度の話し合いをもちたいと思った。麗しき家族愛です。

 ところが、再度の話し合いの場所を自宅ではなく、別の場所をセッティングする。
 その理由を、つまずきかけていた義弟が立ち直ったのは、アベルと会って、ネジをまかれたからだという。

 さもありなん。

 でも、アベルさんが後藤徹さんに会いに来たのではなく、徹さんがアベルに会いに行ったからなのでしょう。
 ならば、徹さんがアベルに会いに行かないようにするしかない。つまり、行動の自由を束縛するしかない。

 あとの選択は、行動の自由を束縛するのをどこでやるのか。自宅でなのか、あるいは別の場所でやるのか。

 どんなに取り繕った弥縫策を考えようが、「拉致監禁」の事実を糊塗するのは難しいですね。ただし、東大卒をはじめとする高偏差値卒の裁判官にこのことが理解できるかどうかは別ですが。

人はどのようにして嘘をつくのか。とても勉強になっています。兄嫁さんに感謝です。文才がある人であれば、推理小説あるいはホラー小説のネタにできるでしょうね。

 あとの章を読んでの感想は、後日書きます。
2012-01-19 18:42 | 米本 | URL   [ 編集 ]

No title 

<専門家の助けが必要なこと> 
<徹さんとどこでどのように話し合うか> 
<早く到着したいという思いから義父がトイレに行きたくなったときのために簡易トイレを用意していたかも知れません。特に 徹さん用というわけではなかったと思います>
<マンションにきてから1ヵ月近くたって、、>

拉致監禁の事実を ”話し合い” ということばにうまく刷りかえられているが、よく読めば非常識で、つじつまのあわない陳述書だと思う。家族で話し合いをするのに、夕食後、新潟まで行く?東京なら星の数ほど喫茶店やレストランがあるのに、そこにいけばよいではないか。食後4時間も車に乗っていれば、一度ぐらいトイレに行きたいはず。簡易トイレを用意していたかもしれませんーではなく、用意していましたーでしょう。
大人の徹さん、自分で納得して統一教会に入っていて、本人自身なにも教会に対する不満もなく、社会や家族に迷惑をかけるようなことはしていないのに、統一教会と個人とをごちゃまぜにして、徹さんに強制尋問のようなことをしている。
これは家族の話し合いではないでしょ。家族なら、”徹、元気にやっているか。統一教会は世間で批判されているから、社会に迷惑かけるようなことはするなよ。自分で納得しているなら、それでよい。こまったことがあれば、言いに来い”
家族間の話し合いはこの程度で、30分もあればじゅうぶん。家族だから、お互いのことをしっているから。ホテルやマンションにつれていったり、1ヶ月も話し合いをしているとは、変だと思いませんか。統一教会の精神的呪縛とか、統一教会の活動内容・教義に質問があるのであれば、宮村氏・松永牧師は統一教会を直接たずねて質問をするなり、訴えでもすればよいではないか。
小出氏の陳述書によれば、松永牧師から霊の子や友人など、書くように指示されたという。先に情報を調べていて、実家に帰るときとか、会社から帰るときとかを知っていて、個人ひとりひとりにアタックしているとしか考えられない。
マンションでは徹さんは、読書・勉強しているだけなのに、家族に迷惑?夕食後、すぐに出かけたのだから、徹さんはなにももっていかずに、すでに1ヶ月。家族の話し合いは何が目的? 家族の話し合いに、第3者(宮村氏松永牧師、Yさんも関係ないー徹さんのお兄さんの嫁というだけ)が介入すること自体、おかしいのである。専門家の助けが必要?必要ないでしょう。統一教会に入ってきているのは、成人男女。大人。<専門家の助けによって>、助けているどころか、実際、徹さんと家族は分裂し、血の通った家族なのに、裁判で対峙している。松永牧師や宮村氏は、本当に助けたのですか。

2012-01-20 00:07 | 非常識な家族の話し合い、工作された話し合い。 | URL   [ 編集 ]

非常識な話し合い、工作された話し合い。 

すみません。名前とタイトルとまちがえました。
2012-01-20 00:12 | 灯 | URL   [ 編集 ]

強要を認めてない? 

兄嫁曰く、
<信者は自分よりも堕落した存在である家族の話をまともに聞こうとはしません>
<信者は、最初から、統一協会に関して家族と話すことをシャットアウトしてしまう>
<信者は自分で考えることをしなくなり、全てアべルに報連相して、アベルの指示に従うようになるのです>

兄嫁は、信者は家族と話し合いをすることを拒絶し、アベルの指示を生命視している、と言っているわけです。

ところが、<義父がねばり強く、家族での話し合いが必要だと話すと、渋々という感じでしたが、徹さんも立ち上がりました>

えっ! なんで!?
いつから徹さんは信者ではなくなったの?
話のつじつまが合いませ~ん。

<徹さんが統一協会の本など10冊ほどをリストアップしてこれをもってきて欲しいといいだしましたので、リストにあった統一協会の本々歴史の本などを少しずつ用意しました>

徹さんは外出の自由がなかったんですね。

<徹さんは新潟で、家族が甘やかすのをいいことに、家族の真剣な話に真摯に耳を傾けようとせず、家族の問いかけにも真面目に答えようとせず、夜遅くまで起きで母親に夜食を作らせたり、したいようにしていました>

おやおや?、渋々ながら話し合いに応じていたはずの徹さんが話し合いを拒絶?
それでも、教会(アベルのところ)に戻らなかった?
ってことは、家族側が話し合いを強要した、監禁していた、ってことでしょ。

<人はどのようにして嘘をつくのか。とても勉強になっています>(米本さんのコメント)

その通りですね。
私は拉致監禁グループから人の「卑怯」について教わっています。

<ただし、東大卒をはじめとする高偏差値卒の裁判官にこのことが理解できるかどうかは別ですが>(米本さんのコメント)

裁判官がこんなウソを見抜けないようでは困ります。こんなウソは少年探偵団だって見抜けますよ。
2012-01-20 09:15 | みんな | URL   [ 編集 ]

呟きetc 

みんなちゃんの指摘は鋭いなぁ。

やっぱり惚れてしまう。
(元信から惚れられたくないと思うが。)

私は、後藤ママさんが徹さんに、献身的に夜食を作る姿を浮かべ、虫酸が走った。
いや、違った。
感動で、ウルウルきた。

愛する人を監禁して、尽くす姿・・
ミザリーちゃんを思い出したわ。(ちと違う?いや、飛躍しすぎ?)


2012-01-20 20:37 | koyomi | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
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(自主脱会者)
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