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後藤徹氏の兄嫁の陳述書ーその1

今回から後藤徹氏の兄嫁の陳述書を3回ほどに分けて掲載する。



後藤徹氏の兄嫁の陳述書 ─その1の構成

第1 はじめに
第2 後藤家の一員となったこと
第3 義父母の心配

第4 再度話し合う決意
第5 新津教会での集会
第6 新潟のマンションへ
第7 新潟での話し合い
第8 東京へ
第9 荻窪フラワーホーム804号室に移ってから
第10 最後に
青印が今回アップしたもの



乙イ第5号証(陳述書・GY<後藤徹氏兄嫁の名前>)



第1 はじめに
1 略歴
 私は1965年(昭和40年)に新潟市で父S、母Mとの間に、3人兄弟の末っ子として生まれました。1986年6月頃、友人のYYさんに正体を隠して勧誘されたことをきっかけに、正体を知らないまま、統一協会のセミナーなどに参加させられて、統一協会の教義を教え込まれて統一協会信者にさせられ、霊界の存在や先祖因縁などについての教えこみによって植え付けられた恐怖心などのため約4年半の間統一協会信者として、違法な資金獲得活動や、正体を隠した伝道をさせられてきました。

1991年に、両親らとの話し合いを経て、統一協会に騙されて入信させられていたことや統一協会の矛盾などに気付き、脱会しても地獄に堕ちることはないと確信することが出来て、また、統一協会の活動が、どのような理由があっても絶対に許されない違法な活動であることを理解し、統一協会を脱会しました。この経緯については、私か他の元信者らとともに原告となって、統一協会を訴えた新潟での裁判(結果勝訴。乙イ号証)で提出した陳述書に詳しく記載されていますので、一緒に提出します。

2 私か脱会した経緯
(1)はじめに
 私が統一協会に騙されて入信させられてから脱会するまでについては、上述した陳述書に詳しく記載されているので、それを読んでいただきたいと思いますが、私が家族と話し合いをして脱会する経緯について、統一協会は拉致監禁と決めつけているようですから、ここでもう少し詳しく述べます。

 (2)合同結婚式に参加
 私は、統一協会に入信して2ヶ月ほどで、会社を退職してホーム生活をし、収入を全部献金させられるようになりました。その5ヶ月後くらいには、統一協会の献身者にさせられ、社会的に何の保証もなく、連日24時間統一協会の伝道活動や経済活動に没頭する生活をさせられてきました。毎月、1万5千円の小遣いをもらうだけで、健康保険も年金もなく、それが当り前の生活でした。親に生活のことや仕事の内容を聞かれても、常識はずれの生活だったので、本当のことは話せず、嘘をついたり、いい加減にはぐらかしてきました。挙句の果てには、親に何の相談も報告もせず、黙ってアべルに指示されるまま、統一協会の合同結婚式に参加し、教祖文鮮明が決めたとされる会ったこともない韓国人の男性と結婚させられ籍を入れました。

このことを知ったとき、親は、嘆き悲しみました。私も、親の気持ちも考えると心が痛みましたが、統一協会の上からの指示には、従順に従わなければならないと思い込まされており、それが当たり前の精神状況だったため、アベルの指示で、両親に事前に知らせず合同結婚式に参加しました。両親へは、これもアベルの指示で、韓国へ出発する2日前くらいに手紙をかきました。事後報告であれば、親も手出しは出来ないし、手紙が着くころ私はすでに韓国で合同結婚式に参加した後で、両親が私を止めようにも止められずに既成事実を作ってしまえるからでした。

(3)渡韓
 私は、合同結婚式のために渡韓しましたが、その後すぐに夫婦生活を送るわけではなく、聖別期間としてしばらく夫婦別々に過ごさなければなりませんでした。これは教えに基づきアべルから指示されるのですが、実際は夫婦生活を始める前に、統一協会のために働かせて最後の最後まで絞りとろうとしているのです。韓国での合同結婚式に参加して、その後1週間ほど相手の家族や親族に挨拶回りした後、私は、相対者(結婚相手)と分かれて韓国の統一協会の指示で南仁川教会に移動しました。教会で寝泊まりして、伝道の活動をさせられていました。

この仁川教会に来て間もなく、私か日本でアベルに指示されて書いた両親宛ての手紙をアベルが投函したらしく、それが両親に届いたようです。それで両親がパニックになり、統一協会の新宿教会に抗議の電話や問い合せをして騒ぎになりました。アべル等が想像した以上に私の両親が騒ぎたてたようで、新宿教会から私に電話があり、私から両親に電話をして何とかなだめるよう指示されました。そこで私から両親に電話してなだめようとしましたが、さんざん泣いて怒られ取りつく島のない状態でした。それでも私はもうすでに合同結婚式に出席して祝福を受けていましたし、両親の嘆きはわかりましたが、私の実家の家族をはじめとした多くの人々の救いのためには私がしていることは正しいのだ、と思っていました。

(4)一時帰国
 それから、間もなくして、合同結婚式に参加するために取得した1ヶ月の旅行ビザの期限が近づいてきました。そこで、一旦帰国して、再度韓国で活動するためのビザを取り直して渡韓するようにとの指示がありました。この再渡韓も決してすぐに結婚生活を始めるためではなく、その前に韓国で伝道や経済活動をするためでした。そして、統一協会からは、再渡韓する前に、韓国での活動費と韓国の統一協会に献金するための費用として、日本で、100万円を工面してくるようにとの指示がありました。

 日本に戻って、両親に会いましたが、両親は、私に裏切られた怒りと心配から嘆き悲しみで泣き叫び、収拾のつかない状況でした。父はショックのあまり短期間で、一気に白髪になってしまっていました。しかし、両親から何を言われても、統一協会の上からの命令は、絶対守るよう教育されていました。それに、反対する言葉をまともに聞くと信仰を失い地獄に行ってしまうという恐怖が根底にあるため私は耳を貸しませんでした。

実家には、1ヶ月くらい滞在しました。その間、親をなんとか安心させるためもありましたが、先の100万円のノルマを達成するために、実家が経営している店でアルバイトさせてもらいましした。まずは実家に戻って家族をなだめることも、100万円を工面する方法についても、事前にアべルと相談し指示を受けて計画案を提出させられていました。

 実家に滞在している間にも、統一協会から、相対者との婚姻届を出すための戸籍謄本を韓国に送るよう指示がありました。しかし、この入籍も、決して結婚生活を始めるためではなく、韓国で統一協会の活動が出来るだけ長くできるよう、観光ビザではなく配偶者の資格で長期滞在のためのビザを取得することが主な目的でした。もちろん、入籍してしまえば別れにくくなり、それだけ統一協会から抜ける危険も薄まるという思惑もあったと思います。

 アベルからの指示で、私は急いで入籍することになりました。入籍するために必要な書類を相対者に送ったあと、戸籍は見れば親にもわかってしまうと思って、話しました。親は反対しましたが、押し切りました。

(5)再渡韓と両親との話し合い
 さらに私は、100万円を工面して、再度渡韓しなくてはならなかったのですが、両親が易々納得するわけはないので、アベルからは両親に嘘をつくよう指示されました。すなわち、入籍してもすぐに、韓国人の相手と一緒には暮らさず、大学に留学して韓国語の勉強をすると話し、とりあえずの生活費や学費がいるので、お金を出して欲しいと両親に必死で話しました。両親は、完全に納得したわけではなかったと思いますが、言っても私が全く言うことを聞かないし、私の生活も心配だったのでしょう、70万円を出してくれました。

しかし、大学の留学など真っ赤な嘘でしかし、その70万円とアルバイトして稼いだ10万とをたして80万円を、統一協会に献金しました。その後、私と同じような韓日祝福の日本人女性信者らと一緒に渡韓し、そのうちの40名ほどと忠清南道の大田市にある統一協会の大田教会で共同生活をしながら、韓国の統一協会の運営する世界日報の配達や購読拡張活動や伝道活動などを半年ほどしていました。その後、アべルからの指示で、再び日本に戻ることになりました。今度は、実際に家庭生活を始める前に、さらに、120万円の献金と3人の霊の子復帰(3人を自分で伝道して信者にすること。伝道した人は霊の子という立場になる。)を指示されました。

そこで日本に戻り、今度は日本で、ワゴン車に7人くらいで寝泊まりしつつ、地方などを回ってアフリカ難民のためなどと称して安いコーヒーを高値で売りつけたりする活動をしたり、霊感商法の手口で印鑑販売をして人を騙して収益をあげるような活動に従事していました。そしで、このころ、両親に韓国人の相対者を紹介するために新潟の実家へ連れていきました。両親は[そちでも親に無断で、見ず知らずの韓国人男性と統一協会の合同結婚式で結婚しただのと言って納得できるか。認めるわけにはいかない。」と言って、結婚を認めてくれず、私も、なぜ合同結婚式が必要かなど親に納得してもらえる説明など出来ず、平行線をたどるばかりでした。

また、その頃、両親は、知人から合同結婚式をあげたカップルが大変貧しく、生活が困難で夫婦仲も悪い人がいると聞いたりしていたようでした。両親には私が統一協会に関わって、人生を悪い方向に進んでいく一方に思えたようで、私に対する心配をつのらせているようでした。そんな中、両親は、知人から、頭ごなしに否定して、娘を無理やり統一協会からやめさせようとしても無理だ、統一協会は、大変な組織だから、ちゃんとこの問題を理解して娘さんと話し合った方がいいといわれ、この問題に詳しいキリスト教の牧師である松永先生を紹介してもらい尋ねていったそうです。

 そして両親は、新津福音キリスト教会に1年ほど通って、元信者やその家族などから、統一協会の組織のこと、信者の精神状態、親子の関係回復の経験などを聞いたり、礼拝に出て聖書の勉強をしたりしたとのことでした。

(6)両親との話し合い
 私は、1990年(平成2年)の終わり頃、アベルから韓国に戻って家庭を持つようにという指示を受けていました。韓日祝福を受けた時、当時西東京ブロックのHブロック長などアべル的立場の人から、「韓国で骨を埋めるつもりで韓国に嫁にいきなさい。」と繰り返し言われていましたし、いつ日本に帰れるかわからないと聞かされていましたので、今回渡韓したら、両親や家族といつまた会えるかわからないと思いました。そこで、これで会うのは最後という覚悟で、年明けの正月くらいに新潟の実家に帰省をすることにしました。

両親もこの機会を逃したら、いつ私と話ができるかわからないということで、お互い後悔のないように私としっかり時間を取って話し合う決心をしていたとのことでした。そして、私か帰省した際、両親から、「本当にお前が何をやっているのかさっぱりわからないし、理解できない。このまま韓国に行ったら、どうなるのか。お父さんもお母さん私心配でたまらない。ちゃんと話をしないと家族としても信用もできないし、韓国に行ったらいつ帰れるかわからないだろう。」と言われました。両親は、私のことが心配で、いろいろと統一協会のことも調ベたと言っていました。普通のキリスト教の教えとの比較のためにキリスト教の牧師さんの話も聞いてみたらどうだと言われました。

 さらに、両親がこれから場所を移動しようと言うので、とっさに私は、これが統一協会で聞かされていた「拉致監禁か?」と思いました。そして、この場を逃れてなんとか統一協会に戻らないと韓国にも行けず、万が一話し合いをして信仰を失ったら永遠に地獄に落ちてしまうと思いました。そこで、両親の問いには答えずに、この場をやり過ごそうと思って、とにかく両親やその場にいた親戚に対して統一協会の教えの骨子を語ることにしました。私の想像に反して、みんな、一生懸命私の話を聞いてくれました。

統一協会では、統一協会の話しなんかすれば家族から頭ごなしに否定されると教えられていましたが、そうではなく、意外にちゃんと聞いてくれるんだな、と思いました。そこでさらに私は考えました。もしこの場から逃げて統一協会に戻ってアべルにこの状況を報告したら、私の家族は統一協会に「反対家族」との焙印を押されてしまう、そしたら、私はきっとすぐに韓国に行かされ、家庭を持たされて何年も実家には戻れず、家族とも会えなくなるだろうと思いました。そうなると家族ともほぼ永遠に別れる決意が必要とも思われ、今生の別れのような気分になって切なくなり涙が出てきました。私が信者として両親や家族を救う使命を果たすためにも、両親の思いを断ち切らなければならないと思っていましたが、一方で両親が私を心配する気持ちもわかり両親に対する受情もありましたので、その狭間で葛藤がありました。

しかし、自分が家族を傷つけたことはわかっていましたし、家族が無理やり辞めさせようとしているわけではないようなので、とりあえず、話し合いをしてみようと思いました。それで、もし、わかってくれないようなら、頃合いを見て脱会したふりをして両親を騙して、また統一協会に戻ればいいかなと思い、両親らと新潟市内の新潟ミナミプラザホテル(現在は、スターホテル新潟に変わっています)の一室で話し合いを持つことになりました。

(7)松永牧師らとの話し合い
 ホテルでは、父と母と3人で過ごし、話し合いをしました。しかし、自分自身も統一協会の教えをうまく説明できませんでした。両親も一生懸命話は聞いてくれましたが、やはり、お互い納得のいく話し合いができませんでした。そこで、しばらくしたころ、両親から、統一教会が聖書を使って教理を説いているのだから、統一協会の問題に詳しく、聖書に精通した人の話を聞いてみたらどうかと促されました。

私は統一協会の中で、統一協会に反対する牧師、いわゆる「反牧」は、統一協会を妬んで反対しており、統一協会信者の家族に脱会の手ほどきをしている、共産党が統一協会の信者を迫害して棄教させたり、信者の家族を惑わして金儲けのために活動しているのだと繰り返し聞かされていました。統一協会に反対する人たちは、サタンに支配されて、悪の働きをしている人たちなので、まともにやり取りをすると霊的に惑わされサタンの虜とされ信仰を奪われ、地獄に行くと教えられて、話をしないようにと教育されていました。

そのため、いわゆる反牧と正面切って話しをすると、霊的に惑わされて信仰を奪われてしまうかもしれないから、やはり話をするのはやめたほうがいいという思いがありました。しかし、一方で、このまま統一協会に戻れば、家族との関係に亀裂も入ったまま韓国に行って一生家族にも会えなくなり、この世で家族を救うこと(家族を信者にすること)も難しくなるかもしれないから、なんとか家族に理解してもらうために話をするべきなのではないかという思いもありました。

この二つの思いの間で葛藤しました。しかし、両親の心配する気持ちもわかりましたし、いままで統一協会の活動をするために (もちろん統一協会の指示でしたが)両親にいろいろ嘘をついてきたこと、そして結婚すら統一協会の指示で親に黙って勝手にしたことなど、今まで親を騙して苦しませてきたという負い目がありました。

そこで、両親に勧められたときに、両親の気持ちを汲んでいわゆる反対派の牧師と会うことにしました。とはいえ、相対基準を結んだり(相手とまともに話し合うこと)、授受作用をしたりするのは絶対にしないようにしよう、と心に堅く誓っていました。

 私か会うことを承諾してすぐ、松永牧師がホテルを訪ねてきました。松永先生は、話し方も穏やかで質素な服装をしておられ、統一協会から聞かされていた反牧から想像する人物像とはかけはなれていたので、意外な感じがしました。しかし、統一協会の対策で、「反牧は、表面では、親切そうでも、中身は、強欲で人を惑わす悪いやつもいる。」などと、聞いていたので、「騙されないようにしよう。」と思いました。まず、松永先生は、家族が何を心配しているかわかっていますか、と尋ねました。私は答えられませんでした。

その後、松永先生と、お互いの考え方を確認しつつ、統一協会の教えの核となる「原理講論」と聖書を付き合わせたりしながら話し合いをしました。私か松永先生に質問したり、あるいは松永先生が私に質問したりしました。松永先生は私の質問に丁寧に分かりやすく答えてくれました。松永先生の話は、根拠があり、筋が通っていました。統一協会から聞かされていたような「嘘々根も葉もない情報を信者に教え込んで惑わす」ようなものではないと思いました。相対基準を結んではいけない、と頑なに思っていましたので、すぐに、松永先生のことを信用するわけにはしきませんでした。

 そのうち、松永先生から「統一協会のことをよく調べて知っている宮村さんという人が新潟に来るけど会ってみますか?」とお話があり、どんな人なのか、どんな話をするのか参考に聞いてみることにしました。宮村さんは、私が知らなかった、統一協会では決して教えない内容(例えば、教祖文鮮明の権威を裏付けるものとして教えられた経歴や内容が嘘だったことや、聖書の教えが都合良く書き換えられていることなど)を話してくれました。統一協会の活動が反社会的なことで、初めで聞く話で正直驚きました。宮村さんは、「あなたは、統一協会の教えや、活動のことをよく知らないのではないか?世の中に迷惑をかけているのではないか?もし、ちゃんと話が聞きたければ、また明日話をします。」と言いました。

宮村さんは、私のことを本当に心配して気迫をもって話していることが伝わってきました。私か統一協会に指示されてやってきたことが、社会的には犯罪となることはわかっていました。しかし、統一協会の教えは正しく、目に見えない霊の世界が働いていると信じていたので、そんな統一協会の活動も正しいのだと思い込まされていました。でも、宮村さんの一言で、確かに毎日の協会の活動の忙しさの中で、自分で統一協会の教理について、客観的に内容を確認したり、調べたりしたことがなかったと気付きました。私か統一協会の指示で信者として行ってきた活動は、世の中に影響を及ぼす大変なことであることはわかっていましたから、宮村さんの話しを聞いて、私には統一協会が言っていることが本当に正しいのか、ちゃんと納得がいくように確認する社会的責任があると思うようになりました。

そこで、自分から翌日も宮村さんと話しをしたい、といいました。結局、宮村さんとは、2、3時間ずつ2日間にわたって話し合いをしました。宮村さんから聞いた話は私の想像していたものと全く違っていて、自分か間違っていたら大変なことになると思い、さらに話しを聞きたいと思いました。

その後、再び松永先生と話をしました。松永先生から、「Y〈後藤徹氏の兄嫁の名前〉さんは、どうして文鮮明師が、再臨のメシヤであると信じたのですか?その根拠はどこにあるのですか?」と質問され、考え込んでしまいました。あらためて、自分か信じてきた教えの根本となる原理講論をちゃんと確認していないことに気づかされ、それから原理講論と聖書を照らし合わせながら確認していきました。そうしていくうちに、信者の時には目が見えなくなっていて気がつかなかった統一協会の教えの間違いがわかり、その活動も許されるものでないこと、自分が完全に騙されていたことに気付きました。

(8)気づきと脱会
 これらの話し合いをとおして私は、自分が統一協会に組織的に騙されて、犯罪を正当なこそとしでやらされていたことがわかりました。メシアだと思っていた文鮮明に騙されていたことや、自分も嘘だらけの活動で人や社会に迷惑をかけていたと気付いたときのショックはもう言葉で表せないくらい大きなものでした。自分が全身全霊で取り組んできた活動が、世界を救う活動などでは全くなく、許されるものではないとわかり、自分が犯してきた罪の大きさに押しつぶされそうになりました。

また、統一協会によって心も操作されて世間から隔絶した生活をしてきたため、普通の友達というのがなく、社会性も乏しくなっていました。ですので、気持ちを安定させ、統一協会の思考習慣から抜け出すのに時間がかかりました。統一協会では、自分で考えるな、全てアべルに聞け、と言われてきたのです。そのため、脱会した後も思った以上に自分で考えるということが出来なくなっており、社会復帰をするのがとても大変でした。

第2 後藤家の一員となったこと
1 <後藤氏の兄>との結婚
 私は脱会後、上京し、同じく元信者である<後藤氏の兄>と出会い、1995年に結婚しました。お付き合いをしているときから、夫には、夫が勧誘したことがきっかけで統一協会に入信した弟妹かおり、妹の<後藤氏の妹>さんは脱会したが、弟の徹さんの方は現役信者として活動していることは聞いていました。徹さんは一度家族と話し合いをして統一協会の誤りがわかったといって、脱会まで表明していたが、ある日突然失踪し、その後、統一協会戻ってしまったということも聞きました。夫はそのことについて「黙っていなくなってしまいとても残念だ。」と言っていました。徹さんのことが、二人の間で頻繁に話題にのぼるわけではありませんでしたが、たまに徹さんの話題になったときは、いつか弟さんも気付いてくれるといいね、などと話したりすることもありました。

2 徹さんと初めて会う
 徹さんとは1995年1月16日に田無のホテルのレストランでおこなった、私たちの結婚式の時に初めて会ったと思います。その時は挨拶を交わす程度でほとんど話はできませんでした。その後だったか、一度夫の実家で、家族みんなで夕食を一緒に食べたことがありました。このとき初めて徹さんと話をしました。その時は、自己紹介をしたりして普通に世間話をして、お互い笑ったりしながら食事をしましたが、当たり障りのない会話を表面的にしただけという印象でした。

 当然、徹さんは今自分がどこに住んでいて、何をしているかを正直にいえなかったでしょうから自分の身辺の話をするのは避けていましたし、そもそも徹さんは統一協会に反対しているいわゆるサタン圏にいると決めつけている家族のことは信用していなかったと思いますから、仕方のないことだと思いました。また、ふとした瞬間に、家族の会話に加わり切らずに一線を置く感じが、統一協会信者特有の人を見下す態度をとっているな、と思いました。

統一協会信者にとって、統一協会に反対する家族や、脱会者は、真理を理解できずにサタン側の堕落人間に堕ちた人なので、真理を知ることのできない可哀そうな人という認識なのです。そういった徹さんの態度は少し気になりましたが、それでも私は新しい家族に会うことができて良かったなと思いました。

第3 義父母の心配
 私も以前は.統一協会信者として活動させられていたので、徹さんが今でも統一協会の末端信者として、資金獲得のための違法な経済活動や信者獲得のために正体を隠した違法な伝道活動に従事させられているだろうということはわかっていました。長くなってしまうのでその活動についてここで詳しく述べることはしませんが、真の父母のため、全世界の救いのため、という名目で(しかし私たちは本当にそう信じ込まされていました)、様々な違法活動に従事させられていましたから、後藤家の人たちが、徹さんを心配している状況は十分理解することができました。なかでも、義母が一番徹さんの心配をしていました。

毎日、「徹は、ちゃんと食べているだろうか。」「無理をさせられて体を壊していないだろうか。」「悪いことをさせられて、人様に迷惑をかけていないだろうか。」と心配していました。心配のあまり、よく眠れないとも言っていました。

 また夫も、私と結婚する前、葛西にあった統一協会の伝道拠点であるビデオセンターに何回か通い、そこでスタッフとして働いていた徹さんと話しをしようとした、と言っていました。このころ徹さんは他の信者とともに献身者としてホーム生活をしていたようです。夫は、徹さんに対して自分が勧誘したという責任も感じていたでしょうが、むしろ兄として、大切な弟を、自分と同じような大変な目にあわせたくない、違法な行為を平気でやる人間になっでほしくないという思いから、とにかく会って話をすることが大切と思ってわざわざ葛西まで徹さんに会いに行っていたようです。

 しかし、忙しい中時間をやりくりして徹さんに会いに行っても、徹さんとは表面的なやりとりしかできない、全然話し合いにならない、といって悩んでいました。というのも、統一協会の影響がまったく断たれていないなかで、統一協会信者と統一協会の問題について話し合うのは、信者が統一協会に疑問を持ってたり、真剣に考えてみようという気持がなければ難しいのです。夫は、徹さんにそういう様子が見えれば、統一協会の影響下にあっても、自分と話して統一協会の行状について考えるチャンスがあると思っていたようです。しかし、夫が徹さんに「普通の見かたをすれば統一協会のやってることはおかしく見えるよな。」と言うと「価値観が違いますから。」などと、適当にはぐらかされてそれ以上の話し合いにならなかったそうです。

また、夫と話しをして、多少客観的に統一協会のことを見ることができるようになっても、その後、徹さんは夫とどんな話しをしたかや、夫と話すことによってどんな疑問点を持つたかについてアベルに相談するため、アべルに言いくるめられてすぐに原理的思考に戻ってしまうので、中途半端に話しても免疫(聞いた内容をアべルに報告し、原理的な理屈で言いくるめられて、問題や矛盾を感じられなくなってしまうこと。)をつけられてしまって意味がない、だから会いに行くのをやめたのだと話していました。

 一方で義父は、一緒に荻窪栄光教会に通っていた徹さんが、家族に黙って突然失踪し、統一協会に身を寄せたことについて、ひどく失望していました。
統一協会はやめた、などと言って、家族と行動を共にしていたのに、家族に黙っていなくなってしまったということがとてもショックで、徹さんに裏切られたという思いだったようです。

 家族の前から突然失踪するまえ、徹さんは統一協会をやめると言って一緒に荻窪栄光教会にかよっていたそうですが、おそらく迷いが生じたのだと思います。
 あとから<後藤氏の妹>さんに聞いたことですが、この時のことについて徹さんは「話を聞いて一度は落ちた。でも一ヵ所だけどうしても確認したいことがあったから戻った。」と言っていたそうです。「落ちた」という表現からしても、徹さんはこのとき実際に信仰は失っていなかったけれども、自分が信じていたものが聞違いなのではないか、と感じていのではないかと思います。

それでも、統一協会の信者は、単に論理だけで教義を思い込まされているのではなく、いろいろな神体験とよばれる神秘的な体験を通じて(今は、まったく神秘的な体験とは思いませんが、偶然が重なるような体験をすると、信者たちはそれを神体験とよんで、神が働いた証拠だと思い込まされるのです。)

統一原理が真理だと思い込まされていますから、論理的におかしいかもしれないと思っても、ではあの体験は一体何だったのだろう、という思いが残るのです。こういった感覚に基づく体験は、論理よりもある意味強いですから、この部分で徹さんは抜け切れていなかったのではないかな、と思います。統一協会の呪縛の強さを改めて感じます。いままで自分の全てをかけてきたものが間違いだったと認めることは大変勇気がいることですし、その自分を振り返るのも非常に怖いことです。私も脱会後1年くらいは、サタンに惑わされて自分の判断が鈍くなったために脱会したのかもしれない、もしも、統一協会の教えの方が正しかったらどうしよう。統一原理を知って入信し、祝福まで受けた立場で統一協会を背信したのであれば、罪はさらに重くなると聞いていたが、本当に自分の判断は、大丈夫だろうか?と、ほんの一瞬ではあるのですが、強い不安を覚えることもありました。

統一協会の教えを不信してやめた元信者が、病気や交通事故、または、結婚して子供を産んだら奇形児が生まれたとか、みんな不幸な生活を送っているなどと教えられていたことを思い起こすこともありました。そういう時は冷静になり、自分が統一協会を間違いだと気付いた自分の判断の根拠に立ち返って、大丈夫、間違いないんだ、と不安な思いを振り切るようにしました。そんなことを幾度も繰り返し、時間がたつにつれて、ようやく私は自分が下した統一協会・統一原理は真理ではないという判断に揺るぎを感じることはなくなっていきました。
それほど、統一協会による教え込み、刷り込みは強烈でした。
2012-01-15(Sun)
 

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Yさん、自分の意思はどこに? 

だまされた、入教させられた、やらされた、行かされた、された、されたの連続ですね。1986年、21才の時、統一教会に出会ったわけですよね。いくらなんでも、21才だったら少しは、自分の意思がないですか。最終的にはYさんが決意していることでしょう。
>両親らと新潟市内の新潟ミナミプラザホテル(現在は、スターホテル新潟に変わっています)の一室で話し合いを持つことになりました。
親子水入らずで話すのに、ホテルの一室が必要ですか。監禁されていたのでしょう。
>松永先生から、「Y〈後藤徹氏の兄嫁の名前〉さんは、どうして文鮮明師が、再臨のメシヤであると信じたのですか?その根拠はどこにあるのですか?」と聞かれる。

統一教会は、再臨のメシヤ中心の教団、キリスト教はイエス中心の教団、こんなたぐいの質問攻めじたい、他人の宗教に干渉し始めだんだんと棄教をせまられているということ。

>宮村さんは、私のことを本当に心配して気迫をもって話していることが伝わってきました。

気迫ではなく、脅迫のまちがいでは。
2012-01-16 13:09 | 灯 | URL   [ 編集 ]

飛躍 

兄嫁も監禁によって脱会した人なんですね。兄、兄嫁ともに元信者で、松永牧師の元で結ばれたんですね。

どうりで、話が合うわなあ~。だからですね、12年間というギネス級の“話し合い”が継続できたのは。筋金入りだ。

<両親がこれから場所を移動しようと言うので、とっさに私は、これが統一協会で聞かされていた「拉致監禁か?」と思いました。そして、この場を逃れてなんとか統一協会に戻らないと韓国にも行けず、万が一話し合いをして信仰を失ったら永遠に地獄に落ちてしまうと思いました。そこで、両親の問いには答えずに、この場をやり過ごそうと思って、とにかく両親やその場にいた親戚に対して統一協会の教えの骨子を語ることにしました>

宮村、松永(そして監禁弁護団)らの筋書き通りに、いかにも、拉致監禁されていない風に書いてますねぇ。

でも、明らかに論理的に飛躍していますよ。
「この場を逃れてなんとか統一協会に戻らないと」と思ったのに、どうして「とにかく両親やその場にいた親戚に対して統一協会の教えの骨子を語ることにしました」となるのでしょうか。

こんな見え透いたウソ、やめてほしいですね。どうせつくなら、もっとマシなウソをついてくれ~。

それにしても、こんな筋金入りの監禁家族から、よくぞ、徹さん、生還しましたよね。改めて、徹さんの信念に脱帽です。
2012-01-16 18:40 | みんな | URL   [ 編集 ]

させられた・・か。 

私は馬鹿です。
誰かの歌ではないけど、「失敗ばかりの人生でした~♪やることなすことへまばかり~♪」そのものです。

と、わけわからない前置きはこの位にしまして

私もYさんと同じ元信者です。
統一教会に対する考えは、多分Yさんと同じです。
でも、私はさせられた、なんて思ってません。
確かに、ビデオセンター紹介された時は統一教会の「と」の字も言われませんでした。でも、明かされた後、止めずに勉強続けるのを決めたのは私です。
伝道活動も、展示会動員も献金も、銀行借入etcもアベルの指示もあったけど、させられたなんて思ってません。納得して自分の意思で行いました。

脱会も、きっかけは不本意な拉致監禁で本当は説得者の話しも聞きたくなかったけど、話しを聞いて、脱会を決意したのも自分です。

だから、統一教会も親も説得者も恨んでいません。

お馬鹿な判断と選択をしたのは、私だから、まっ、しょうがないか!と思ってます。

最初、Yさんの陳述書を読んだ時は、「させられた」連発文章に頭にきました。でも、今は心配です。

12年の日々。後で振り返って、また「させられた」と思わないだろうか?と。

2012-01-17 23:58 | koyomi | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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