宮村峻氏の陳述書-その2
宮村氏の陳述書もいよいよ後藤徹氏と接点を持つところに入ってくる。
文中にしばしば後藤徹氏の陳述書(甲9)が引用されている。よく読み比べていただきたい。
なお、宮村氏の陳述書の中にあきらかな誤りがあるので指摘しておく。
後藤氏が"家族と話し合いをしていた"マンションは荻窪フラワーマンションではなく、荻窪フラワーホームである。
宮村氏から言わせると家族に請われてちょっと後藤氏とお話しただけだから、正確なマンション名なんて覚えていないということなのであろうか?
このマンション"荻窪フラワーホーム"は、後藤氏が人生の中で一番過酷な10年間をすごした場所である。
これを機会に是非、正確なマンション名を覚えていただきたい。
文中にしばしば後藤徹氏の陳述書(甲9)が引用されている。よく読み比べていただきたい。
なお、宮村氏の陳述書の中にあきらかな誤りがあるので指摘しておく。
後藤氏が"家族と話し合いをしていた"マンションは荻窪フラワーマンションではなく、荻窪フラワーホームである。
宮村氏から言わせると家族に請われてちょっと後藤氏とお話しただけだから、正確なマンション名なんて覚えていないということなのであろうか?
このマンション"荻窪フラワーホーム"は、後藤氏が人生の中で一番過酷な10年間をすごした場所である。
これを機会に是非、正確なマンション名を覚えていただきたい。
宮村峻氏の陳述書-その2の構成 第1.私の経歴
第2.統一教会とは
第3.信者との話し合い
1.話し合いとは
2.基本的視点
3.統一教会主張の「脱会強要」について
4.私が取り組む理由
5.私と統一教会とのかかわり
6.水茎会について
7.私の話し合いのかかわり
8.他のカウンセラーや説会者
第4.後藤徹君とのかかわり
1.87年1月から
2.95年6、7月頃
3.97年4月頃
4.98年1月
5.初めての話し合い
6.原告の虚偽主張について
7.98年10月頃
8.行かなくなって後のこと
第5.統一教会の特異性と徹の主張
青印が今回アップしたもの
6.水茎会について
後藤徹君は、水茎会は私か組織した父兄の会のように主張しています(甲9のP3など)がとんでもない誤りです。
水茎会は統一教会の信者や脱会した信者の親の自発的な集まりであり、そのご家族たちが中心になって運営されてきた会です。これほど長くつづくとは思いませんでしたが、自分の子が脱会したあとも、ことの重大性を痛感して他のご両親やご家族の悩み苦しみを人ごとと考えられず、ボランティア精神でその家族をサポートし、助言し、相談に乗って下さっている親たちや元信者たちがたくさんいてくれるのです。
その親・家族が信者との対話が通じなくなっていることを悩んで勉強会などに通ってこられるのですが、そのような信者の親たちが月会費を出し合って運営されている会なのです。私はこの水茎会の運営に口をはさむことはありませんし、会計処理も水茎会の皆さんでなさっていることであり、私には判りません。
水茎会では月に何回か勉強会をしています。信者の家族や脱会者やその家族が参加して牧師が聖書について話をするのを聞くのが中心です。私か統一教会の最新情報をお話しすることもありますし、脱会した信者が体験を話すこともありますが、毎回ではありません。このような話が終わったあとは、小グループに分かれて相談や話し合いをしていますが、その会に私は特別関わりません。
特に話しを聞いてほしいなどと求められたら聞いてお話しすることもあるので、基本的に別室で待機しています。正直、仕事や、脳出血のため体の不自由な私自身の妻の介護、それに家事や信者との話し合いなどで疲れているので、その体を休めています。信者の家族にとって、脱会した信者の生の声を聞き、また、脱会した信者の家族の苦労話を聞くことが何よりも励ましになるし、自分のこれからの参考になるので私があまり出ない方がよい面もあると思っています。
この勉強・話し合いの中心は、信者が統一教会信者になって組織のいいなりに活動していることの問題は、宗教の問題ではなく、家族・家庭の問題であり、信者の人生・人権の問題だということです。自主性を奪われ自分で考えることができなくなった本人とその本人との対話が成り立たなくなってあせり、憤り、いらだつ家族の関係をどうするのかという問題であることを十分認識してもらうことが重要なのだということを判ってもらうよう努めているつもりです。
このミニサークルでの話し合いの過程で、それぞれの親が、自分たちが信者であるわが子との話し合いをする機が熟したか、そのために自分たちはどうするかを決めていくのです。家族が信者としての心情を理解して、家庭内での問題を十分理解して、それを共に考えていく姿勢がもてるようになることが大切のようです。
いつ誰と話し合いをするのかについて私か決めるようなことが後藤徹君の陳述書に書かれていますが(甲9のP3)そんなことはありません。「順番待ちの父兄の名簿を見ました」と書いていますが(甲9のP3)、そんな名簿はありませんからありもしない名簿を後藤徹君が見たと言うのは嘘です。
7.私の話し合いのかかわり
私は話し合いの具体的な方法をご両親やご家族に指導することはありません。信者とどう話し合うかはそれぞれの家族で決めることであり、外部の者には判りようのない家族関係やそれまでのいきさつがあるので、私が指導できることではありません。
私がすることは、話し合いに入った信者の家族から、本人が会ってもよいと言っているので統一教会問題について本人と話をして、問題点を指摘してほしいと頼まれることがあるので、そのような依頼を受けると、私は時間など条件が整えば話し合いの場に赴いて私自身本人と話をすることに尽きます。
この話し合いのしかたやどんなことを話すかについては、私か知る限りでも、カウンセラーや牧師さんによって本当にまちまちのようです。聖書をどう評価するかなどカウンセリングをする牧師によって、本当にそれぞれの信念をもって取り組んでおられます。それを誰もどうこう言うことはできません。何が正しいのかということも、それぞれの事情があると思うのです。
後藤徹君は甲9のP21以下で、私がパスカルさんが運営している「マインドコントロール研究所」編の『親は何を知るべきか』という書籍に寄稿した文章の一部を引用して、私が「信頼できるカウンセラーを見つけ、その先生を信頼するしかない」と書いていることをとりあげて、私かご両親やご家族に対して信者の監禁の指導をしていると決めつけて書いていますが、とんでもない事実の歪曲です。
ご両親やご家族は、自分たちの状況や信者本人の状況を度外視して、一日も早く、カウンセラーに頼って自分の子や妻を脱会させることを切望して相談に来ます。それこそ「脱会屋」みたいな人がいて、その人にお金を払えば息子や娘を脱会させてくれるなどと全くまちがった前提認識をもってる親もいます。後藤徹君が主張するような「脱会屋」などいるはずもなく、そんなことはありえないのですが、中にはそう思って来る人もいるのです。そのような人に対し、私はまずは統一教会について勉強し、どのように話し合うべきかを学ぶことが先だと強調します。「脱会屋」などありえないし、人まかせにしていて家族の脱会などありえないことを説明します。
多くの牧師さんもたぶんそのような助言をしていると思います。そんなカウンセラーの対応に、一日も早くと願う親は、もどかしく感じて別の牧師やカウンセラーのもとに相談をしたり、さまざまな伝手を頼って自分たちに都合のよいこと、思いどおりのことをいってくれる人に頼ろうとするのです。私はそんなふうに、フラフラするのでなく、最初はいろいろなカウンセラーに会い、沢山の情報を聞き、最後は自分達が本当に信頼できると思ったカウンセラーの助言に即して勉強し、話し合いをしてみようと考えたほうがいいと強調しているのです。
その最大の理由が前述したとおり、カウンセラーや牧師それぞれが聖書についての考え方がちがうし、統一教会の問題点をどう把握して、信者本人との話し合いでもどういう角度で話し合うか全く方向性がちがうのです。統一教会の教義が聖書のまちがった解釈によるものであることを強調する方もいるようですし、それよりも統一教会の霊感商法やマインドコントロールの手法、合同結婚式等の社会問題をとりあげる人もいると聞きます。
まことのメシアだと信者が信じ込んでいる文鮮明が実際にはどんな人で、どんなことをしてきたのかについて資料をもとに説明して、本当にメシアではないかもしれないと考えるようにきっかけを提供することに努める人もいました。それぞれの話し方や話のポイントがちがうので、いつまでも複数のカウンセラーのもとに相談していると家族も信者も混乱するのでやめた方がよいと強調しているのです。
8.他のカウンセラーや脱会者
(1)私は私の信念で信者との話し合いをしてきました。当初は森山諭牧師が信者と話し合っておられるのを同席して聞き、それを勉強させていただきましたが、それから同牧師が19 8 8年7月18日に脳出血でお倒れになり、回復もおぼつかず、水茎会の方々もそれを機会に事実上休眠状態になりました。このため家族の中には、荻窪栄光教会から離れて、独自の活動をした方が良いという考えの方が増えて、栄光教会以外の場所で勉強会をもつようになりました。私は森山先生の闘病中に、いったんこの活動から離れましたが、その後水茎会の方々から懇願されて、また話し合いに行くようになりました。
後藤徹君が京王プラザホテルで話し合いをして間もなく行方をくらました昭和62年11月当時は、水茎会は森山諭牧師を中心として活動しておりし、私はそれをお手伝いする立場でした。
このようないきさつで、森山牧師や栄光教会のもとにあった水茎会は、1988年7月以降、そこから離れて、自主的に集まったご家族たちが活動をするようになったのです。
(2)私は信者の家族の住んでいる場所や、信者本人の性格経歴などから私が話し合いや家族のカウンセリングを担当するよりも、別の方に担当してもらったほうがよいと思う場合には、別の牧師さんやカウンセラーに相談したらどうかと勧めることもあります。
また、別のカウンセラーのもとで話し合いをして脱会することを決めた後、その信者と一緒に活動していた人がいるとか、親から一時期離れて脱会後の人生を考えたいなど様々な事情で、別のカウンセラーの近くに移り住んで、そのカウンセラーや脱会者と交流するような人もいます。
(3)信者と私との話し合いに元信者が同席したり、私ぬきで元信者が話し合い過程の信者と話し合ったりすることはよくあります。私が話し合いの場に元信者と行くことが多いのは、信者本人にとって、脱会すると本人や家族などが地獄におちるとか病気する、不幸になるなどとさんざん脅されているので、脱会してもこのように元気に明るく元信者も家族も過ごしているよと伝えるのが最大の目的です。また、私には気がつかない信者の個性や悩み、ポイントなどを元信者特有の感覚で気付いて指摘してくれることも多いのです。元信者にとっても、自分が家族と話し合いつつ苦しみ悩んできたことを話し合い相手の信者と接している過程で対象化できるので、自分の体験を相対化して精神的自主性を得ていく糧になるとも思っています。
私は信者と話し合うにあたって、元信者の誰をつれていくとか誰々と一緒に行くなどを指示することはありません。甲第24号証『親は何を知るべきか』でコピーされていない部分で重要と思う部分をコピーして乙第ハ-4号証として提出します。
この冒頭に[友へ]として[元会員]が書いています。[私たちはかつてあなたがたと一緒にいました。そしてあなたがたから出たものです。だから、あなたがたの気持ちを知っています。でも、あなたがたを忘れたことは一度もありません。」
本当に元信者の人たちは、一緒に統一教会で活動していた信者(兄弟姉妹と称しています)のことを人ごとでなく自分のことのように心配し「自分は脱会して本当によかったと思っているけど、自分が誘ったAさん、B君、自分とともに活動していたCさん、D君は今どうしているかなぁ」といつも気にかけています。ですから、元信者の中には自らすすんで私と信者との話し合いに同席したいと希望したり、私と関係なく気になる話し合い最中の信者のもとにいって自ら話し合う者が少なくないのです。私はそのような元信者の心情はとても大切なものだし、信者にとってもよいことだし、自分をとり戻すきっかけになることもあると考えて、そのような希望や意欲は尊重し、それぞれの自主性にまかせていました。
第4.後藤徹とのかかわり
次に後藤徹氏とのかかわりについて陳述いたします。
1.8 7年1月から
1987年1月ころ、本件原告である、後藤徹君の御両親、故■<後藤氏の父>氏とその妻■<後藤氏の母>さんが森山先生を訪ねて、荻窪栄光教会に来られました。その時初めてご両親にお会いしました。ご両親は、「長男■<後藤氏の兄>君、二男徹君、長女■<後藤氏の妹>さんの3人を、統一教会に取られて(確かにそう表現されていました。)大変苦しんでいる。何とか3人を普通の人生に戻したい。」と涙ながらに訴えておられました。
森山先生と私は、「1人でも大変なのに、子供三人では、大変なことです。先ずは統一教会について色んな本を読んで、情報を集めるように。」と話しました。この時はそれだけでその後お二人にはあっていません。
その年の夏頃だったと思います。別件で神戸に行った際、森山先生の友人である尾島氏から、両親に頼まれて■<後藤氏の兄>君と話し合いをしていると聞きました。その時私は両親から、■<後藤氏の兄>君と会って欲しいと頼まれたのです。多少の時間はあったので、私は神戸市内で彼と会い、二時間ほど話をして、翌日東京に帰りました。その後、■<後藤氏の兄>君は、統一教会を脱会し東京に戻ったとのことでした。彼が私の所にご両親と挨拶に来たのは、1987年10月頃だったと思います。
その後1988年2月に、■<後藤氏の兄>君は私の会社、株式会社タップに就職しております。ちなみに岩本徹陳述書3頁の7行目から19行目にかかる記述は、全くのでたらめです。前述したとおり水茎会は私か組織したものではなく、父母などの自主的な歴史ある任意団体です。■<後藤氏の兄>君が私の会社である株式会社タップに入社したのも徹君のことが関係しているのではありません。
当時私の会社は忙しくて、人手がほしいと思っていました。彼は脱会してこれからどうしようかと考えている状態で暇だったのです。
■<後藤氏の兄>君が広告代理店に興味があるというので採用しただけのことです。
入社した■<後藤氏の兄>君には、当社の営業として、取引先をまわって仕事をとってくることをやってもらっていました。
1987年10月、後藤徹君の御両親、長男の■<後藤氏の兄>君から、「徹が、京王プラザホテルに滞在していて、話を聞きたいと言っているので、会って話をして欲しい。」と頼まれました。そこで私は京王プラザホテルに出向いて行ったのです。家族で話し合いに入って3日目だったと思います。それから1日に一回、二時間ほど、徹君と統一教会について話をし、5日間ほどで、話は終わったと記憶しています。私は徹君との話し合いも大分進んでいると思っていたのですが、その後、後藤徹君が、荻窪栄光教会から、いなくなったと、ご両親から聞きました。
私は当時の徹君は、統一教会の教義上の問題や社会的活動の問題を理解し、脱会する気になっていたと思います。しかし、父親の■<後藤氏の父>さんが勤務を優先して徹君のもとを離れて仕事をしていると聞いたので大丈夫かなあ、誰が徹君の心の空洞をフォローしているのかと心配していました。統一教会を脱会することにした人は、それまで心の中心にあって多くのことを犠牲にしてきたことが打ち消されてしまうので、何を信じたらいいのか、どう考えたらいいのかなど、大きな悩みをかかえ心の空洞ができるのです。当時は、徹君に隆君とお母さんがつきそってはいたようですが、彼がいなくなったと聞いて、「やっぱり徹君は心の空洞に耐えられなかったのか。むつかしいもんだな」と痛感したことをおぼえています。
その■<後藤氏の兄>、徹の妹の後藤■<後藤氏の妹>さんとの話し合いをご両親に頼まれました。■<後藤氏の父>さんから連絡かおり、長女■<後藤氏の妹>さんが、「話を聞きたいと言っているから会ってください。」と言われたのです。 1988年3月から5-6回■<後藤氏の妹>さんと話し合いをした後彼女は脱会することを決めました。その■<後藤氏の妹>さんから、1987年1月頃統一教会に戻ってきた徹君と会った時、■<後藤氏の妹>さんに「宮村さんが統一教会の教義のまちがいをいろいろ話してくれて一回はやめる気になった。でも、どうしても確かめたいことがあって、統一教会に戻ってみた」と言っていたと聞きました。
そんなやりとりを信者同士の兄徹と妹■<後藤氏の妹>でしたくらいだから、当時の徹君は、統一教会についで相当疑問を感じるようになっていたのだとは思います。私は、そのあとの家族のフォロが不十分だったのかもしれないとは思っていました。
なお、後藤徹君は、この頃、「近隣のマンションの一室で監禁されている統一教会信者の脱会説得に同席させられました」と陳述しています(甲9のP4、5)。しかし、私か信者と話し合うのに徹君をつれて行った記憶はないのでそんなことはなかったはずです。
また、水茎会は当時荻窪栄光教会のすぐ近くに一軒家を借りて、栄光教会での日曜礼拝のあとなどに「親の会」などの会合をもったり、そこで前述した小グループの話し合いをしたりしていました。しかし、そこで、私か「父兄らを拉致監禁による脱会の指導をしている場面を目撃した」という甲9のP5の後藤徹君の陳述は絶対ありえないことであり、嘘です。私や水茎会で拉致監禁を指導することはしていないし、私がそんな指導をしている場面などあるはずがないのです。
更に、甲9のP4で、徹君は兄■<後藤氏の兄>が「宮村は脱会説得活動を手助けしたため、私を脱会説得する順番を早めてもらったということを後に兄から聞かされました」と述べていますが、これもありえないことです。そもそも前述したようにこの話し合いに順番をつけたりすることはないし、私か順番を決めることもあり得ません。まして■<後藤氏の兄>君のおかげで徹君を他に優先したようなこともありません。
なお、私が■<後藤氏の兄嫁>さんと初めて会ったのは1991年1月3または4日でした。新潟に行ったついでの折に、彼女の御両親か松永牧師から連絡を頂き、彼女の両親から頼まれて、彼女と2日間、それぞれ2時間位話をしたと思います。
2.95年6、7月頃
1995年6月か7月頃だったと思います。後藤徹君の御両親、長男■<後藤氏の兄>君夫妻、長女■<後藤氏の妹>さんの5人が私の所に来て、「徹君との話し合いを、新潟で行なうことにした。」と言ってきました。当時長男の■<後藤氏の兄>君は、私が経営する、株式会社タップの社員であり、かなり重要なクライアントの担当をさせていたので、私は「仕事に支障がないように、それからこの件は仕事とは関係ないので、社内では話題にしないように。」と言ったことを憶えています。
当時、私は会社の仕事のことで忙しかったので、松永牧師のもとで話し合って徹君がご両親が何を心配しているのか気が付いて、自分で考えられるようになったらいいなと思ったものです。それ以降、どういう状況で徹君が新潟に行ったのか、新潟での松永牧師による徹君の説得がどうなったかについて私は聞いていません。
■<後藤氏の兄>君も私も忙しかったし、松永牧師に頼んだことに遠慮があったのか、新潟にいる徹君と家族の状況について■<後藤氏の兄>君から直接聞いたことはありませんでした。念のために言っておきますが、広告代理店としての業務の多くは外部での取引先との打ちあわせが殆どなので、2人とも事務所にいて事務などをしていることは殆どありませんでした。しかも1995年当時、私以外に社員が6名いました。そのうち3人が元信者でしたが、元信者でない社員も3人いたのです。ですから、■<後藤氏の兄>君の弟や外の信者のことなどについて事務所内で話すことは控えるようにしていたし、そうするように元信者の社員にも話していました。
なお、1995年9月11日夜、後藤家に帰ってきた徹君と家族が新潟に移動する時、当社の従業員である元信者が「庭に潜んでいた」と徹君が書いています(甲9のP7)。しかし、私は知りません。従業員が就業時間外に何をしているかいちいち私はチェックできません。また、そのような報告を■<後藤氏の兄>君や従業員から聞いたこともありません。
1996年春だと思いますが、隆君からお父さんが心筋梗塞で倒れて入院したと聞いたので、家族と徹君との話し合いはいよいよ大変なことになったと心配していました。後藤家の取り組みの中心はお父さんだったので、その方がいなくなったあとの取り組みは誰がどうするのか私は判りませんでした。
3.97年4月頃
1997年4月頃、後藤徹君の御両親が、私を訪ねてきました。その時お父さんがご自分で、「肝臓がんの末期である。医者からは、余命3ヵ月であると宣告された。しかしこのままこの状態で、徹を置いてゆくわけにはいかない。徹は明らかに偽装脱会をしている。なんとか徹と話をして家族と普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらかないか。」と懇願されました。そしてたとえ自分がかどんなに苦しかろうと、1分1秒でも長く徹のそばにいたい。そのためには、自分の治療もあるから、徹と共に上京するので、話し合いをして欲しい。」と頼まれました。
私は、「徹君が話を聞くというのなら、話し合いをしてみます。」と答えました。ご両親は私に希望を託して帰られたのです。
その後、治療の甲斐なく■<後藤氏の父>氏が死去されたと聞き、長男の上司としてその葬儀に参列したことはあります。しかし徹君がいつどのように新潟から東京に移ったのか、どこのマンションにいるのかなどは聞いていませんでした。
1997年12月末の頃だったと思います。■<後藤氏の兄>君が私に電話をかけてきて、「今荻窪のフラワーマンションの部屋に私と徹といるんですが、徹が宮村さんと会って話をすると言ってるんです。都合がついたら来ていただけませんか」
と言ってきました。
4.98年1月
1998年1月、とても寒い日だったのをおぼえています。私は元信者とともに荻窪フラワーマンション804号室を訪問しました。部屋に入っていくと、徹君がくつろいだ格好でテーブルを前にして、立膝をし、両手を後ろについていました。
当時私は後藤君のお父さんから聞いていましたから、後藤君が脱会したことを装っているが、本当に辞める気になっているわけではないと思っていましたが、1回目の話し合いで、まだ脱会する決心をしかねていることが判りました。
なお、徹君の陳述書によると、フラワーマンションに移って間もない頃、徹君は兄■に対して「偽装脱会していた旨を伝えました」し、「うっくつした思いを一気にぶちまけました」と書いています(甲9のP17)が、そのようなことがあったと私はマンションで聞いたように思います。徹君は、統一教会の教義の誤りや活動の反社会性は判っているけど、まだ脱会する方向での心の整理が全くできていないことは、彼に会ってしばらく話しをしているうちに判りました。
私は脱会しても明るく元気に過ごしている元信者がたくさんいることや、それらの元信者が今どんなことを考えているかについて直接徹君に聞いてもらうことは徹君白身が自分の今後の今後の事を考える上で意味があると考えていたので、私か話し合いに行くと聞いて、自分も一緒に行きたいという元信者を連れて行ったことは何回もあります。私か行かない時でも、フラワーマンションに行った元信者もいると思います。
甲9のP18にフラワーマンションに来た元信者の氏名が書かれています。彼らが当時話し合いに同席するなどしてくれていたとは思いますが、いつどんな機会に同席したかはいちいち覚えていない、記録もしていません。なお、当社の従業員を徹君との話し合いに連れて行った記憶はありません。
後藤徹君は、水茎会は私か組織した父兄の会のように主張しています(甲9のP3など)がとんでもない誤りです。
水茎会は統一教会の信者や脱会した信者の親の自発的な集まりであり、そのご家族たちが中心になって運営されてきた会です。これほど長くつづくとは思いませんでしたが、自分の子が脱会したあとも、ことの重大性を痛感して他のご両親やご家族の悩み苦しみを人ごとと考えられず、ボランティア精神でその家族をサポートし、助言し、相談に乗って下さっている親たちや元信者たちがたくさんいてくれるのです。
その親・家族が信者との対話が通じなくなっていることを悩んで勉強会などに通ってこられるのですが、そのような信者の親たちが月会費を出し合って運営されている会なのです。私はこの水茎会の運営に口をはさむことはありませんし、会計処理も水茎会の皆さんでなさっていることであり、私には判りません。
水茎会では月に何回か勉強会をしています。信者の家族や脱会者やその家族が参加して牧師が聖書について話をするのを聞くのが中心です。私か統一教会の最新情報をお話しすることもありますし、脱会した信者が体験を話すこともありますが、毎回ではありません。このような話が終わったあとは、小グループに分かれて相談や話し合いをしていますが、その会に私は特別関わりません。
特に話しを聞いてほしいなどと求められたら聞いてお話しすることもあるので、基本的に別室で待機しています。正直、仕事や、脳出血のため体の不自由な私自身の妻の介護、それに家事や信者との話し合いなどで疲れているので、その体を休めています。信者の家族にとって、脱会した信者の生の声を聞き、また、脱会した信者の家族の苦労話を聞くことが何よりも励ましになるし、自分のこれからの参考になるので私があまり出ない方がよい面もあると思っています。
この勉強・話し合いの中心は、信者が統一教会信者になって組織のいいなりに活動していることの問題は、宗教の問題ではなく、家族・家庭の問題であり、信者の人生・人権の問題だということです。自主性を奪われ自分で考えることができなくなった本人とその本人との対話が成り立たなくなってあせり、憤り、いらだつ家族の関係をどうするのかという問題であることを十分認識してもらうことが重要なのだということを判ってもらうよう努めているつもりです。
このミニサークルでの話し合いの過程で、それぞれの親が、自分たちが信者であるわが子との話し合いをする機が熟したか、そのために自分たちはどうするかを決めていくのです。家族が信者としての心情を理解して、家庭内での問題を十分理解して、それを共に考えていく姿勢がもてるようになることが大切のようです。
いつ誰と話し合いをするのかについて私か決めるようなことが後藤徹君の陳述書に書かれていますが(甲9のP3)そんなことはありません。「順番待ちの父兄の名簿を見ました」と書いていますが(甲9のP3)、そんな名簿はありませんからありもしない名簿を後藤徹君が見たと言うのは嘘です。
7.私の話し合いのかかわり
私は話し合いの具体的な方法をご両親やご家族に指導することはありません。信者とどう話し合うかはそれぞれの家族で決めることであり、外部の者には判りようのない家族関係やそれまでのいきさつがあるので、私が指導できることではありません。
私がすることは、話し合いに入った信者の家族から、本人が会ってもよいと言っているので統一教会問題について本人と話をして、問題点を指摘してほしいと頼まれることがあるので、そのような依頼を受けると、私は時間など条件が整えば話し合いの場に赴いて私自身本人と話をすることに尽きます。
この話し合いのしかたやどんなことを話すかについては、私か知る限りでも、カウンセラーや牧師さんによって本当にまちまちのようです。聖書をどう評価するかなどカウンセリングをする牧師によって、本当にそれぞれの信念をもって取り組んでおられます。それを誰もどうこう言うことはできません。何が正しいのかということも、それぞれの事情があると思うのです。
後藤徹君は甲9のP21以下で、私がパスカルさんが運営している「マインドコントロール研究所」編の『親は何を知るべきか』という書籍に寄稿した文章の一部を引用して、私が「信頼できるカウンセラーを見つけ、その先生を信頼するしかない」と書いていることをとりあげて、私かご両親やご家族に対して信者の監禁の指導をしていると決めつけて書いていますが、とんでもない事実の歪曲です。
ご両親やご家族は、自分たちの状況や信者本人の状況を度外視して、一日も早く、カウンセラーに頼って自分の子や妻を脱会させることを切望して相談に来ます。それこそ「脱会屋」みたいな人がいて、その人にお金を払えば息子や娘を脱会させてくれるなどと全くまちがった前提認識をもってる親もいます。後藤徹君が主張するような「脱会屋」などいるはずもなく、そんなことはありえないのですが、中にはそう思って来る人もいるのです。そのような人に対し、私はまずは統一教会について勉強し、どのように話し合うべきかを学ぶことが先だと強調します。「脱会屋」などありえないし、人まかせにしていて家族の脱会などありえないことを説明します。
多くの牧師さんもたぶんそのような助言をしていると思います。そんなカウンセラーの対応に、一日も早くと願う親は、もどかしく感じて別の牧師やカウンセラーのもとに相談をしたり、さまざまな伝手を頼って自分たちに都合のよいこと、思いどおりのことをいってくれる人に頼ろうとするのです。私はそんなふうに、フラフラするのでなく、最初はいろいろなカウンセラーに会い、沢山の情報を聞き、最後は自分達が本当に信頼できると思ったカウンセラーの助言に即して勉強し、話し合いをしてみようと考えたほうがいいと強調しているのです。
その最大の理由が前述したとおり、カウンセラーや牧師それぞれが聖書についての考え方がちがうし、統一教会の問題点をどう把握して、信者本人との話し合いでもどういう角度で話し合うか全く方向性がちがうのです。統一教会の教義が聖書のまちがった解釈によるものであることを強調する方もいるようですし、それよりも統一教会の霊感商法やマインドコントロールの手法、合同結婚式等の社会問題をとりあげる人もいると聞きます。
まことのメシアだと信者が信じ込んでいる文鮮明が実際にはどんな人で、どんなことをしてきたのかについて資料をもとに説明して、本当にメシアではないかもしれないと考えるようにきっかけを提供することに努める人もいました。それぞれの話し方や話のポイントがちがうので、いつまでも複数のカウンセラーのもとに相談していると家族も信者も混乱するのでやめた方がよいと強調しているのです。
8.他のカウンセラーや脱会者
(1)私は私の信念で信者との話し合いをしてきました。当初は森山諭牧師が信者と話し合っておられるのを同席して聞き、それを勉強させていただきましたが、それから同牧師が19 8 8年7月18日に脳出血でお倒れになり、回復もおぼつかず、水茎会の方々もそれを機会に事実上休眠状態になりました。このため家族の中には、荻窪栄光教会から離れて、独自の活動をした方が良いという考えの方が増えて、栄光教会以外の場所で勉強会をもつようになりました。私は森山先生の闘病中に、いったんこの活動から離れましたが、その後水茎会の方々から懇願されて、また話し合いに行くようになりました。
後藤徹君が京王プラザホテルで話し合いをして間もなく行方をくらました昭和62年11月当時は、水茎会は森山諭牧師を中心として活動しておりし、私はそれをお手伝いする立場でした。
このようないきさつで、森山牧師や栄光教会のもとにあった水茎会は、1988年7月以降、そこから離れて、自主的に集まったご家族たちが活動をするようになったのです。
(2)私は信者の家族の住んでいる場所や、信者本人の性格経歴などから私が話し合いや家族のカウンセリングを担当するよりも、別の方に担当してもらったほうがよいと思う場合には、別の牧師さんやカウンセラーに相談したらどうかと勧めることもあります。
また、別のカウンセラーのもとで話し合いをして脱会することを決めた後、その信者と一緒に活動していた人がいるとか、親から一時期離れて脱会後の人生を考えたいなど様々な事情で、別のカウンセラーの近くに移り住んで、そのカウンセラーや脱会者と交流するような人もいます。
(3)信者と私との話し合いに元信者が同席したり、私ぬきで元信者が話し合い過程の信者と話し合ったりすることはよくあります。私が話し合いの場に元信者と行くことが多いのは、信者本人にとって、脱会すると本人や家族などが地獄におちるとか病気する、不幸になるなどとさんざん脅されているので、脱会してもこのように元気に明るく元信者も家族も過ごしているよと伝えるのが最大の目的です。また、私には気がつかない信者の個性や悩み、ポイントなどを元信者特有の感覚で気付いて指摘してくれることも多いのです。元信者にとっても、自分が家族と話し合いつつ苦しみ悩んできたことを話し合い相手の信者と接している過程で対象化できるので、自分の体験を相対化して精神的自主性を得ていく糧になるとも思っています。
私は信者と話し合うにあたって、元信者の誰をつれていくとか誰々と一緒に行くなどを指示することはありません。甲第24号証『親は何を知るべきか』でコピーされていない部分で重要と思う部分をコピーして乙第ハ-4号証として提出します。
この冒頭に[友へ]として[元会員]が書いています。[私たちはかつてあなたがたと一緒にいました。そしてあなたがたから出たものです。だから、あなたがたの気持ちを知っています。でも、あなたがたを忘れたことは一度もありません。」
本当に元信者の人たちは、一緒に統一教会で活動していた信者(兄弟姉妹と称しています)のことを人ごとでなく自分のことのように心配し「自分は脱会して本当によかったと思っているけど、自分が誘ったAさん、B君、自分とともに活動していたCさん、D君は今どうしているかなぁ」といつも気にかけています。ですから、元信者の中には自らすすんで私と信者との話し合いに同席したいと希望したり、私と関係なく気になる話し合い最中の信者のもとにいって自ら話し合う者が少なくないのです。私はそのような元信者の心情はとても大切なものだし、信者にとってもよいことだし、自分をとり戻すきっかけになることもあると考えて、そのような希望や意欲は尊重し、それぞれの自主性にまかせていました。
第4.後藤徹とのかかわり
次に後藤徹氏とのかかわりについて陳述いたします。
1.8 7年1月から
1987年1月ころ、本件原告である、後藤徹君の御両親、故■<後藤氏の父>氏とその妻■<後藤氏の母>さんが森山先生を訪ねて、荻窪栄光教会に来られました。その時初めてご両親にお会いしました。ご両親は、「長男■<後藤氏の兄>君、二男徹君、長女■<後藤氏の妹>さんの3人を、統一教会に取られて(確かにそう表現されていました。)大変苦しんでいる。何とか3人を普通の人生に戻したい。」と涙ながらに訴えておられました。
森山先生と私は、「1人でも大変なのに、子供三人では、大変なことです。先ずは統一教会について色んな本を読んで、情報を集めるように。」と話しました。この時はそれだけでその後お二人にはあっていません。
その年の夏頃だったと思います。別件で神戸に行った際、森山先生の友人である尾島氏から、両親に頼まれて■<後藤氏の兄>君と話し合いをしていると聞きました。その時私は両親から、■<後藤氏の兄>君と会って欲しいと頼まれたのです。多少の時間はあったので、私は神戸市内で彼と会い、二時間ほど話をして、翌日東京に帰りました。その後、■<後藤氏の兄>君は、統一教会を脱会し東京に戻ったとのことでした。彼が私の所にご両親と挨拶に来たのは、1987年10月頃だったと思います。
その後1988年2月に、■<後藤氏の兄>君は私の会社、株式会社タップに就職しております。ちなみに岩本徹陳述書3頁の7行目から19行目にかかる記述は、全くのでたらめです。前述したとおり水茎会は私か組織したものではなく、父母などの自主的な歴史ある任意団体です。■<後藤氏の兄>君が私の会社である株式会社タップに入社したのも徹君のことが関係しているのではありません。
当時私の会社は忙しくて、人手がほしいと思っていました。彼は脱会してこれからどうしようかと考えている状態で暇だったのです。
■<後藤氏の兄>君が広告代理店に興味があるというので採用しただけのことです。
入社した■<後藤氏の兄>君には、当社の営業として、取引先をまわって仕事をとってくることをやってもらっていました。
1987年10月、後藤徹君の御両親、長男の■<後藤氏の兄>君から、「徹が、京王プラザホテルに滞在していて、話を聞きたいと言っているので、会って話をして欲しい。」と頼まれました。そこで私は京王プラザホテルに出向いて行ったのです。家族で話し合いに入って3日目だったと思います。それから1日に一回、二時間ほど、徹君と統一教会について話をし、5日間ほどで、話は終わったと記憶しています。私は徹君との話し合いも大分進んでいると思っていたのですが、その後、後藤徹君が、荻窪栄光教会から、いなくなったと、ご両親から聞きました。
私は当時の徹君は、統一教会の教義上の問題や社会的活動の問題を理解し、脱会する気になっていたと思います。しかし、父親の■<後藤氏の父>さんが勤務を優先して徹君のもとを離れて仕事をしていると聞いたので大丈夫かなあ、誰が徹君の心の空洞をフォローしているのかと心配していました。統一教会を脱会することにした人は、それまで心の中心にあって多くのことを犠牲にしてきたことが打ち消されてしまうので、何を信じたらいいのか、どう考えたらいいのかなど、大きな悩みをかかえ心の空洞ができるのです。当時は、徹君に隆君とお母さんがつきそってはいたようですが、彼がいなくなったと聞いて、「やっぱり徹君は心の空洞に耐えられなかったのか。むつかしいもんだな」と痛感したことをおぼえています。
その■<後藤氏の兄>、徹の妹の後藤■<後藤氏の妹>さんとの話し合いをご両親に頼まれました。■<後藤氏の父>さんから連絡かおり、長女■<後藤氏の妹>さんが、「話を聞きたいと言っているから会ってください。」と言われたのです。 1988年3月から5-6回■<後藤氏の妹>さんと話し合いをした後彼女は脱会することを決めました。その■<後藤氏の妹>さんから、1987年1月頃統一教会に戻ってきた徹君と会った時、■<後藤氏の妹>さんに「宮村さんが統一教会の教義のまちがいをいろいろ話してくれて一回はやめる気になった。でも、どうしても確かめたいことがあって、統一教会に戻ってみた」と言っていたと聞きました。
そんなやりとりを信者同士の兄徹と妹■<後藤氏の妹>でしたくらいだから、当時の徹君は、統一教会についで相当疑問を感じるようになっていたのだとは思います。私は、そのあとの家族のフォロが不十分だったのかもしれないとは思っていました。
なお、後藤徹君は、この頃、「近隣のマンションの一室で監禁されている統一教会信者の脱会説得に同席させられました」と陳述しています(甲9のP4、5)。しかし、私か信者と話し合うのに徹君をつれて行った記憶はないのでそんなことはなかったはずです。
また、水茎会は当時荻窪栄光教会のすぐ近くに一軒家を借りて、栄光教会での日曜礼拝のあとなどに「親の会」などの会合をもったり、そこで前述した小グループの話し合いをしたりしていました。しかし、そこで、私か「父兄らを拉致監禁による脱会の指導をしている場面を目撃した」という甲9のP5の後藤徹君の陳述は絶対ありえないことであり、嘘です。私や水茎会で拉致監禁を指導することはしていないし、私がそんな指導をしている場面などあるはずがないのです。
更に、甲9のP4で、徹君は兄■<後藤氏の兄>が「宮村は脱会説得活動を手助けしたため、私を脱会説得する順番を早めてもらったということを後に兄から聞かされました」と述べていますが、これもありえないことです。そもそも前述したようにこの話し合いに順番をつけたりすることはないし、私か順番を決めることもあり得ません。まして■<後藤氏の兄>君のおかげで徹君を他に優先したようなこともありません。
なお、私が■<後藤氏の兄嫁>さんと初めて会ったのは1991年1月3または4日でした。新潟に行ったついでの折に、彼女の御両親か松永牧師から連絡を頂き、彼女の両親から頼まれて、彼女と2日間、それぞれ2時間位話をしたと思います。
2.95年6、7月頃
1995年6月か7月頃だったと思います。後藤徹君の御両親、長男■<後藤氏の兄>君夫妻、長女■<後藤氏の妹>さんの5人が私の所に来て、「徹君との話し合いを、新潟で行なうことにした。」と言ってきました。当時長男の■<後藤氏の兄>君は、私が経営する、株式会社タップの社員であり、かなり重要なクライアントの担当をさせていたので、私は「仕事に支障がないように、それからこの件は仕事とは関係ないので、社内では話題にしないように。」と言ったことを憶えています。
当時、私は会社の仕事のことで忙しかったので、松永牧師のもとで話し合って徹君がご両親が何を心配しているのか気が付いて、自分で考えられるようになったらいいなと思ったものです。それ以降、どういう状況で徹君が新潟に行ったのか、新潟での松永牧師による徹君の説得がどうなったかについて私は聞いていません。
■<後藤氏の兄>君も私も忙しかったし、松永牧師に頼んだことに遠慮があったのか、新潟にいる徹君と家族の状況について■<後藤氏の兄>君から直接聞いたことはありませんでした。念のために言っておきますが、広告代理店としての業務の多くは外部での取引先との打ちあわせが殆どなので、2人とも事務所にいて事務などをしていることは殆どありませんでした。しかも1995年当時、私以外に社員が6名いました。そのうち3人が元信者でしたが、元信者でない社員も3人いたのです。ですから、■<後藤氏の兄>君の弟や外の信者のことなどについて事務所内で話すことは控えるようにしていたし、そうするように元信者の社員にも話していました。
なお、1995年9月11日夜、後藤家に帰ってきた徹君と家族が新潟に移動する時、当社の従業員である元信者が「庭に潜んでいた」と徹君が書いています(甲9のP7)。しかし、私は知りません。従業員が就業時間外に何をしているかいちいち私はチェックできません。また、そのような報告を■<後藤氏の兄>君や従業員から聞いたこともありません。
1996年春だと思いますが、隆君からお父さんが心筋梗塞で倒れて入院したと聞いたので、家族と徹君との話し合いはいよいよ大変なことになったと心配していました。後藤家の取り組みの中心はお父さんだったので、その方がいなくなったあとの取り組みは誰がどうするのか私は判りませんでした。
3.97年4月頃
1997年4月頃、後藤徹君の御両親が、私を訪ねてきました。その時お父さんがご自分で、「肝臓がんの末期である。医者からは、余命3ヵ月であると宣告された。しかしこのままこの状態で、徹を置いてゆくわけにはいかない。徹は明らかに偽装脱会をしている。なんとか徹と話をして家族と普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらかないか。」と懇願されました。そしてたとえ自分がかどんなに苦しかろうと、1分1秒でも長く徹のそばにいたい。そのためには、自分の治療もあるから、徹と共に上京するので、話し合いをして欲しい。」と頼まれました。
私は、「徹君が話を聞くというのなら、話し合いをしてみます。」と答えました。ご両親は私に希望を託して帰られたのです。
その後、治療の甲斐なく■<後藤氏の父>氏が死去されたと聞き、長男の上司としてその葬儀に参列したことはあります。しかし徹君がいつどのように新潟から東京に移ったのか、どこのマンションにいるのかなどは聞いていませんでした。
1997年12月末の頃だったと思います。■<後藤氏の兄>君が私に電話をかけてきて、「今荻窪のフラワーマンションの部屋に私と徹といるんですが、徹が宮村さんと会って話をすると言ってるんです。都合がついたら来ていただけませんか」
と言ってきました。
4.98年1月
1998年1月、とても寒い日だったのをおぼえています。私は元信者とともに荻窪フラワーマンション804号室を訪問しました。部屋に入っていくと、徹君がくつろいだ格好でテーブルを前にして、立膝をし、両手を後ろについていました。
当時私は後藤君のお父さんから聞いていましたから、後藤君が脱会したことを装っているが、本当に辞める気になっているわけではないと思っていましたが、1回目の話し合いで、まだ脱会する決心をしかねていることが判りました。
なお、徹君の陳述書によると、フラワーマンションに移って間もない頃、徹君は兄■に対して「偽装脱会していた旨を伝えました」し、「うっくつした思いを一気にぶちまけました」と書いています(甲9のP17)が、そのようなことがあったと私はマンションで聞いたように思います。徹君は、統一教会の教義の誤りや活動の反社会性は判っているけど、まだ脱会する方向での心の整理が全くできていないことは、彼に会ってしばらく話しをしているうちに判りました。
私は脱会しても明るく元気に過ごしている元信者がたくさんいることや、それらの元信者が今どんなことを考えているかについて直接徹君に聞いてもらうことは徹君白身が自分の今後の今後の事を考える上で意味があると考えていたので、私か話し合いに行くと聞いて、自分も一緒に行きたいという元信者を連れて行ったことは何回もあります。私か行かない時でも、フラワーマンションに行った元信者もいると思います。
甲9のP18にフラワーマンションに来た元信者の氏名が書かれています。彼らが当時話し合いに同席するなどしてくれていたとは思いますが、いつどんな機会に同席したかはいちいち覚えていない、記録もしていません。なお、当社の従業員を徹君との話し合いに連れて行った記憶はありません。
2011-12-01(Thu)
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宣伝です。
アップされたばかりのブログはまだ読んでいないけど(でも、ちょっと面白そう)、ちょうど、私も宮村先生に関する、つまり宇佐美裁判の書面を愚直に火の粉ブログにアップしたところです。(ぜひ一読を)
しばし、紅白歌合戦ですね。
宮村翁、ヒッヒッ、俺はこんなにもてるのかと、満足至極の様子(あっ、これは宮村内部情報ではなく、あくまで仄聞情報ですよ)
しばし、紅白歌合戦ですね。
宮村翁、ヒッヒッ、俺はこんなにもてるのかと、満足至極の様子(あっ、これは宮村内部情報ではなく、あくまで仄聞情報ですよ)
知らぬ、存ぜぬ
よく読めば、知らぬ、存ぜぬのくりかえし。自己正当化もいいとこ。一番驚いたのは、「脱会屋」などいるはずがない。ありえないと堂々と言ってるところ。統一教会員を脱会させるため、奔走して、お金をもらっていて、脱会屋を否定するなんて。信じられない陳述書。(これから”灯”という名で書かせていただきます)
なぜ、マンション内で?
<私が話し合いの場に元信者と行くことが多いのは、信者本人にとって、脱会すると本人や家族などが地獄におちるとか病気する、不幸になるなどとさんざん脅されているので、脱会してもこのように元気に明るく元信者も家族も過ごしているよと伝えるのが最大の目的です>
宮村氏はなぜ、わざわざ話し合いの場に出向いて行くのでしょうか。どうして「こっちに来てください」と言わないのでしょうか。
一般的に、カウンセラーは、自らのカウンセリングルームに相談者を呼びます。牧師の場合も「教会に来てください」と言うのが普通でしょう。
マンションにいる信者は、「脱会して元気に明るく過ごしている」元信者の話を聞いて、共感し、考えが変わり、その元信者についていきたい、という気持ちにならないのでしょうか。
「今日はいい話を聞いたなぁ。もっとあの人(元信者)の話を聞きたいなぁ。あの人は日曜日、休みだと行っていたから、今度の日曜日、あの人のところに行ってみよう」ってことにはならないのでしょうか。
話し合いを始めた信者はなぜ、一様に、宮村氏や元信者をマンションに招く、という方法しか選択しないのでしょうか。
宮村氏は、司法試験くずれの人のようですから、裁判に通用する文章を書いているおつもりなんでしょう。
でも、ちょっと想像しただけで、信者(ここでは後藤さん)がマンションから出してもらえなかったことが、ありありと読み取れますね。
宮村氏はなぜ、わざわざ話し合いの場に出向いて行くのでしょうか。どうして「こっちに来てください」と言わないのでしょうか。
一般的に、カウンセラーは、自らのカウンセリングルームに相談者を呼びます。牧師の場合も「教会に来てください」と言うのが普通でしょう。
マンションにいる信者は、「脱会して元気に明るく過ごしている」元信者の話を聞いて、共感し、考えが変わり、その元信者についていきたい、という気持ちにならないのでしょうか。
「今日はいい話を聞いたなぁ。もっとあの人(元信者)の話を聞きたいなぁ。あの人は日曜日、休みだと行っていたから、今度の日曜日、あの人のところに行ってみよう」ってことにはならないのでしょうか。
話し合いを始めた信者はなぜ、一様に、宮村氏や元信者をマンションに招く、という方法しか選択しないのでしょうか。
宮村氏は、司法試験くずれの人のようですから、裁判に通用する文章を書いているおつもりなんでしょう。
でも、ちょっと想像しただけで、信者(ここでは後藤さん)がマンションから出してもらえなかったことが、ありありと読み取れますね。
説得か話し合いか?目的は?
> 1997年4月頃、後藤徹君の御両親が、私を訪ねてきました。その時お父さんがご自分で、「肝臓がんの末期である。医者からは、余命3ヵ月であると宣告された。しかしこのままこの状態で、徹を置いてゆくわけにはいかない。徹は明らかに偽装脱会をしている。なんとか徹と話をして家族と普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらかないか。」と懇願されました。そしてたとえ自分がかどんなに苦しかろうと、1分1秒でも長く徹のそばにいたい。そのためには、自分の治療もあるから、徹と共に上京するので、話し合いをして欲しい。」と頼まれました。
後藤パパは、徹さんが偽装脱会していたのを気づいていた。それで、宮村氏に「普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらえないか」と懇願した。
偽装脱会=統一教会員・・普通に対話できない
ということは、普通に対話ができる状態とは、統一教会を本脱会すること・・
後藤パパは、宮村氏に徹さんを本脱会させて欲しいと懇願した。そして、それを宮村氏は受けた。
ということは、
宮村氏は、徹氏、本脱会のために話し合いに入った。
でも、本脱会させるという目的なら、話し合いと呼べるのか?
話し合いは双方の意見を言い合い、お互い相手の言うことを理解し、何とか歩み寄ろう、譲歩しようというもの。
ということは、徹氏が統一教会に残るという道もあり、それを家族なり宮村氏が認めることもありだ。
しかし、目的が本脱会だけなら、(それ以外の選択肢を認めず、家族もそれ以外を考えられないようなら)これは話し合いではなく、説得。
し~か~も~
すでに偽装脱会している。ということは、徹氏が偽装脱会しなければいけない理由があるわけ。
自由な話し合い、もしくは普通の説得なら、徹氏も偽装脱会などせず、自分の主張をしているはずだ。
偽装脱会の理由は、偽装脱会しないといけない何らかの強制力があったから?脱会以外の選択は認めてもらえない、と徹氏が感じたから?
う~ん・・・考えすぎか?
頭わりい俺にはわからんぜ。
後藤パパは、徹さんが偽装脱会していたのを気づいていた。それで、宮村氏に「普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらえないか」と懇願した。
偽装脱会=統一教会員・・普通に対話できない
ということは、普通に対話ができる状態とは、統一教会を本脱会すること・・
後藤パパは、宮村氏に徹さんを本脱会させて欲しいと懇願した。そして、それを宮村氏は受けた。
ということは、
宮村氏は、徹氏、本脱会のために話し合いに入った。
でも、本脱会させるという目的なら、話し合いと呼べるのか?
話し合いは双方の意見を言い合い、お互い相手の言うことを理解し、何とか歩み寄ろう、譲歩しようというもの。
ということは、徹氏が統一教会に残るという道もあり、それを家族なり宮村氏が認めることもありだ。
しかし、目的が本脱会だけなら、(それ以外の選択肢を認めず、家族もそれ以外を考えられないようなら)これは話し合いではなく、説得。
し~か~も~
すでに偽装脱会している。ということは、徹氏が偽装脱会しなければいけない理由があるわけ。
自由な話し合い、もしくは普通の説得なら、徹氏も偽装脱会などせず、自分の主張をしているはずだ。
偽装脱会の理由は、偽装脱会しないといけない何らかの強制力があったから?脱会以外の選択は認めてもらえない、と徹氏が感じたから?
う~ん・・・考えすぎか?
頭わりい俺にはわからんぜ。
脱会屋
宮村さん。
あなたは立派な正真正銘の脱会屋さんです。
靴屋、パン屋、八百屋、お金をもらってその分野の仕事をしている人たちは、”屋”をつければいいだけのこと。統一教会員の脱会をしているのだから、脱会屋でしょう。この後に及んで、ちと恥ずかしくないですか。
あなたは立派な正真正銘の脱会屋さんです。
靴屋、パン屋、八百屋、お金をもらってその分野の仕事をしている人たちは、”屋”をつければいいだけのこと。統一教会員の脱会をしているのだから、脱会屋でしょう。この後に及んで、ちと恥ずかしくないですか。
ボロが出た
<当時私は後藤君のお父さんから聞いていましたから、後藤君が脱会したことを装っているが、本当に辞める気になっているわけではないと思っていましたが、1回目の話し合いで、まだ脱会する決心をしかねていることが判りました>
ハルとまりさんのコメントで、気付かされましたが、なんと、宮村氏は陳述書で、徹さんが監禁下に置かれていたことを、書いてしまっているんですね。
徹さんは父親らによって、ある状態に置かれ、父親から「偽装脱会」を疑われるような言動をしていた(せざるを得なかった)。
ハルとまりさんのおっしゃる通り、純粋な話し合いなら、偽装する必要などありません。
なぜ、徹さんは偽装する必要があったのか。なぜ、「俺はもう脱会する。統一教会を信じたのは間違いだった」などと嘘をつかなければならなかったのでしょうか。
それは、そうしなければ、自由の身にしてもらえなかったからでしょう。
1995年6月の段階で、新潟での“話し合い”がスタートしたことを聞いていた宮村氏は、1997年12月にそのマンションを訪ねていき、徹さんの「偽装脱会」を確認している。
すでに、3年以上も“話し合い”が継続していることを知っているわけですが、そこで、宮村助言者はどうしたか。
徹さんの思想・信条の自由を尊重して、「だったら、自分の好きなように生きたらいい」と言ったのではなく、元信者らを連れて行って、徹さんの考えを変えるように働きかけを続けたのです。
これは、「偽装脱会」状態にある徹さんを許さず、マンションでの“話し合い”を継続させた(継続することが望ましいと助言した)、ということです。
宮村氏は、拘束された環境から嘘をついて出ようとする徹さんを、家族が出さないようにしている(監禁している)ことを認識し、その状態の継続させるよう助言した、と白状しているわけです。
徹さんが自由の身になってしまえば、元信者を連れて行ったりはできませんからねえ。
ついに、ボロが出ましたね。
黙秘権を行使して、知らぬ存ぜぬと言っていりゃあ良かったのに…。
ハルとまりさんのコメントで、気付かされましたが、なんと、宮村氏は陳述書で、徹さんが監禁下に置かれていたことを、書いてしまっているんですね。
徹さんは父親らによって、ある状態に置かれ、父親から「偽装脱会」を疑われるような言動をしていた(せざるを得なかった)。
ハルとまりさんのおっしゃる通り、純粋な話し合いなら、偽装する必要などありません。
なぜ、徹さんは偽装する必要があったのか。なぜ、「俺はもう脱会する。統一教会を信じたのは間違いだった」などと嘘をつかなければならなかったのでしょうか。
それは、そうしなければ、自由の身にしてもらえなかったからでしょう。
1995年6月の段階で、新潟での“話し合い”がスタートしたことを聞いていた宮村氏は、1997年12月にそのマンションを訪ねていき、徹さんの「偽装脱会」を確認している。
すでに、3年以上も“話し合い”が継続していることを知っているわけですが、そこで、宮村助言者はどうしたか。
徹さんの思想・信条の自由を尊重して、「だったら、自分の好きなように生きたらいい」と言ったのではなく、元信者らを連れて行って、徹さんの考えを変えるように働きかけを続けたのです。
これは、「偽装脱会」状態にある徹さんを許さず、マンションでの“話し合い”を継続させた(継続することが望ましいと助言した)、ということです。
宮村氏は、拘束された環境から嘘をついて出ようとする徹さんを、家族が出さないようにしている(監禁している)ことを認識し、その状態の継続させるよう助言した、と白状しているわけです。
徹さんが自由の身になってしまえば、元信者を連れて行ったりはできませんからねえ。
ついに、ボロが出ましたね。
黙秘権を行使して、知らぬ存ぜぬと言っていりゃあ良かったのに…。
頭いいな
みんなさんが、俺がもやもやしてわからなかったことをズバリと言ってくれた。
あんがと。
そうか、宮村氏、ついにボロを出してしまったか。
アホやねん。
だ~か~ら~
最初っから、拉致監してたっていや~いいんだよ~。
統一の目を覚ますには、ぜってえ必要なことと言やあいいんだよ~。
で、兄ちゃん達も「俺達も拉致監されたけど、お陰で目が覚めました。宮村先生には感謝してます。」と言やあいいんだよ。
それは置いといて
この宮村氏陳述書、当然、広君もみてるんだよな。
あの切れ者広君も、ボロが出たことを見破れなかったか?まさかね・・何かふか~い意味があるかもしんないから、油断は禁物。(って、誰も油断してねえか。)
あんがと。
そうか、宮村氏、ついにボロを出してしまったか。
アホやねん。
だ~か~ら~
最初っから、拉致監してたっていや~いいんだよ~。
統一の目を覚ますには、ぜってえ必要なことと言やあいいんだよ~。
で、兄ちゃん達も「俺達も拉致監されたけど、お陰で目が覚めました。宮村先生には感謝してます。」と言やあいいんだよ。
それは置いといて
この宮村氏陳述書、当然、広君もみてるんだよな。
あの切れ者広君も、ボロが出たことを見破れなかったか?まさかね・・何かふか~い意味があるかもしんないから、油断は禁物。(って、誰も油断してねえか。)
宮村さん。統一信者を軽くみないで。
>この勉強・話し合いの中心は、信者が統一教会信者になって組織のいいなりに活動していることの問題は、宗教の問題ではなく、家族・家庭の問題であり、信者の人生・人権の問題だということです。自主性を奪われ自分で考えることができなくなった本人、、、、
拉致監禁された人たちは、けっこう自主性もあり、自分でよく考えることのできる人たちではないですか。 後藤さんは特にそうです。宮村氏はどうして、そのようにきめつけているのですか。その決め付け(陳述書)はおかしのではないですか。拉致監禁の場所から、脱出した人たちの証は、すごいです。自主性のない人はそういうことはできないでしょう。
拉致監禁された人たちは、けっこう自主性もあり、自分でよく考えることのできる人たちではないですか。 後藤さんは特にそうです。宮村氏はどうして、そのようにきめつけているのですか。その決め付け(陳述書)はおかしのではないですか。拉致監禁の場所から、脱出した人たちの証は、すごいです。自主性のない人はそういうことはできないでしょう。
嗤う
>特に話しを聞いてほしいなどと求められたら聞いてお話しすることもあるので、基本的に別室で待機しています。正直、仕事や、脳出血のため体の不自由な私自身の妻の介護、それに家事や信者との話し合いなどで疲れているので、その体を休めています。
妻の介護?笑わせるな!
妻をさっさと介護施設に入れたのは誰だっけ。
ときおり見舞いに行くのかもしれないが(おそらく放置)、「見舞い」を「介護」とは決して言わないものだ。
家事?笑わせるな!
家事とは、家族のために行う「食事・洗濯・掃除・育児など」、家での仕事のこと。自分で自分の食事づくりや洗濯することを「家事」とは言わないものだ。
その食事だって、だいたいが外食ではないか。
疲れている?笑わせるな!
疲れてりゃあ、家で横になっていればいいじゃないか。
夜な夜な、「魚河岸」などの行きつけの店で、元女性信者と酒を飲みながら、寿司をつまんでいるのはどこの誰だっけ?(そんな体たらくだから、白い旅団氏に写真を撮られるのだ!)
昼間っから、元女性信者たちとゴルフを楽しんでいるのは、どこの誰だっけ?
ときに元信者たちを連れて、海外旅行を楽しんでいるのは、どこの誰だっけか。
その旅費をお大尽気取りで払っているのは、どこの誰でしたか。
刑事さんが漏らしていましたよ。「宮村は散財してるぞ」と。
宮村よ!嘘をつくにもほどがあるというもの。チャンチャラおかしいぜ。
宮村氏の陳述書を真面目に読もうと思ったら、冒頭からデタラメ文にぶつかり、裁判と関係のない瑣末なところで嘘をつくのだから、争点部分はもうデタラメもいいとこだと思いましたとさ。
あっ、拙ブログにも関係している記述があったので、もう1つだけド嘘の指摘を。
>私がすることは、話し合いに入った信者の家族から、本人が会ってもよいと言っているので統一教会問題について本人と話をして、問題点を指摘してほしいと頼まれることがあるので、そのような依頼を受けると、私は時間など条件が整えば話し合いの場に赴いて私自身本人と話をすることに尽きます。
ほんとかいな。
「ストーカー裁判」のこと。
2008年1月1日に、宇佐美氏の婚約者Kさんは実家に戻ったあと、所在不明になった。Kさんは証人尋問で、「1月1日に実家から別の場所に移った。宮村さんがやってきたのはその日のこと」と“正直”証言した。
彼女は信仰歴10年のマザー。その日の夜、家族から宮村氏に会って欲しいと言われて、すぐに承諾するわけがない。
そのK氏と宮村氏は、2011年1月2日の未明に監禁されたM子さんのところに、M子さんの了解も取らずにやってきた。
<本人が会ってもよいと言えば、話をする>だとぉ、嘘をつくにもほどがあるぜ、宮村よ!
ただ、宮村さんにはお礼を言わなければなりません。
<スネに傷がある場合には、陳述書は冗舌にならず、短くするに限る>。教訓になりました。感謝です。クスッ
妻の介護?笑わせるな!
妻をさっさと介護施設に入れたのは誰だっけ。
ときおり見舞いに行くのかもしれないが(おそらく放置)、「見舞い」を「介護」とは決して言わないものだ。
家事?笑わせるな!
家事とは、家族のために行う「食事・洗濯・掃除・育児など」、家での仕事のこと。自分で自分の食事づくりや洗濯することを「家事」とは言わないものだ。
その食事だって、だいたいが外食ではないか。
疲れている?笑わせるな!
疲れてりゃあ、家で横になっていればいいじゃないか。
夜な夜な、「魚河岸」などの行きつけの店で、元女性信者と酒を飲みながら、寿司をつまんでいるのはどこの誰だっけ?(そんな体たらくだから、白い旅団氏に写真を撮られるのだ!)
昼間っから、元女性信者たちとゴルフを楽しんでいるのは、どこの誰だっけ?
ときに元信者たちを連れて、海外旅行を楽しんでいるのは、どこの誰だっけか。
その旅費をお大尽気取りで払っているのは、どこの誰でしたか。
刑事さんが漏らしていましたよ。「宮村は散財してるぞ」と。
宮村よ!嘘をつくにもほどがあるというもの。チャンチャラおかしいぜ。
宮村氏の陳述書を真面目に読もうと思ったら、冒頭からデタラメ文にぶつかり、裁判と関係のない瑣末なところで嘘をつくのだから、争点部分はもうデタラメもいいとこだと思いましたとさ。
あっ、拙ブログにも関係している記述があったので、もう1つだけド嘘の指摘を。
>私がすることは、話し合いに入った信者の家族から、本人が会ってもよいと言っているので統一教会問題について本人と話をして、問題点を指摘してほしいと頼まれることがあるので、そのような依頼を受けると、私は時間など条件が整えば話し合いの場に赴いて私自身本人と話をすることに尽きます。
ほんとかいな。
「ストーカー裁判」のこと。
2008年1月1日に、宇佐美氏の婚約者Kさんは実家に戻ったあと、所在不明になった。Kさんは証人尋問で、「1月1日に実家から別の場所に移った。宮村さんがやってきたのはその日のこと」と“正直”証言した。
彼女は信仰歴10年のマザー。その日の夜、家族から宮村氏に会って欲しいと言われて、すぐに承諾するわけがない。
そのK氏と宮村氏は、2011年1月2日の未明に監禁されたM子さんのところに、M子さんの了解も取らずにやってきた。
<本人が会ってもよいと言えば、話をする>だとぉ、嘘をつくにもほどがあるぜ、宮村よ!
ただ、宮村さんにはお礼を言わなければなりません。
<スネに傷がある場合には、陳述書は冗舌にならず、短くするに限る>。教訓になりました。感謝です。クスッ
口があいて
空(ポカ~ン)いた口がふさがらない、とはこういう事を言うのでしょうか?
「徹が強引に引きこもって自分たちを伝道しようとしていた」と、今まで必死で主張してきた後藤さんの家族の証言を、亡き父親が「偽装脱会だと見破っていた」と語ったという陳述を通して、宮村氏が覆してくれたんですね。
偽装脱会なんかしたら、家族を伝道なんてできないじゃないですか!
宮村氏は、結局、後藤氏の家族だけで拉致監禁をしたのであって、自分だけは関わってないとでも主張する方針なのでしょうかねぇ?
「徹が強引に引きこもって自分たちを伝道しようとしていた」と、今まで必死で主張してきた後藤さんの家族の証言を、亡き父親が「偽装脱会だと見破っていた」と語ったという陳述を通して、宮村氏が覆してくれたんですね。
偽装脱会なんかしたら、家族を伝道なんてできないじゃないですか!
宮村氏は、結局、後藤氏の家族だけで拉致監禁をしたのであって、自分だけは関わってないとでも主張する方針なのでしょうかねぇ?
教えて~♪お爺さん~♪
あ~らら、お爺様ったら~、ついに「あの症状」の始まりかしら~?大丈夫~?
せ~っかく、徹様を引きこもり伝道お宅に仕立てあげて、一件落着~だったのに~
パパ様の懇願を明らかにしたばっかりに、
家族が徹様に統一様から足を洗ってもらいたかった、
その為に荻窪のマンションを用意して、宮村のお爺様に依頼した。
というのがわかっちゃったわね~。
あら~、残念~。
今頃、お宅山口弁護士様は、頭抱えてるわよ~。知~らないっと~。
どうする~?お爺様~?
だからね~、
自分はこんなに頼られてる偉い人なんだ~って、自慢したいのはわかるけど~、程々にしなからよ~。もう遅いけど。
せ~っかく、徹様を引きこもり伝道お宅に仕立てあげて、一件落着~だったのに~
パパ様の懇願を明らかにしたばっかりに、
家族が徹様に統一様から足を洗ってもらいたかった、
その為に荻窪のマンションを用意して、宮村のお爺様に依頼した。
というのがわかっちゃったわね~。
あら~、残念~。
今頃、お宅山口弁護士様は、頭抱えてるわよ~。知~らないっと~。
どうする~?お爺様~?
だからね~、
自分はこんなに頼られてる偉い人なんだ~って、自慢したいのはわかるけど~、程々にしなからよ~。もう遅いけど。
やっぱり怪しい
> 後藤徹君は、水茎会は私か組織した父兄の会のように主張しています(甲9のP3など)がとんでもない誤りです。
> 水茎会は統一教会の信者や脱会した信者の親の自発的な集まりであり、そのご家族たちが中心になって運営されてきた会です。これほど長くつづくとは思いませんでしたが、自分の子が脱会したあとも、ことの重大性を痛感して他のご両親やご家族の悩み苦しみを人ごとと考えられず、ボランティア精神でその家族をサポートし、助言し、相談に乗って下さっている親たちや元信者たちがたくさんいてくれるのです。
だと?みんなボランティア、宮村もボランティア、ならなんで莫大なカネがかかるのかな。拉致監禁はお金持ちの子息しかやらないなどと言ううわさが流れている。もちろんお金持ちというほどでなくても、退職間際の人なら、退職金がある。全部つぎ込むくらいに、拉致監禁というのはお金がかかるらしいのだ。みんなボランティアなら、そのおかねはどこに消えるのだろう?
> 水茎会では月に何回か勉強会をしています。信者の家族や脱会者やその家族が参加して牧師が聖書について話をするのを聞くのが中心です。私か統一教会の最新情報をお話しすることもありますし、脱会した信者が体験を話すこともありますが、毎回ではありません。このような話が終わったあとは、小グループに分かれて相談や話し合いをしていますが、その会に私は特別関わりません。
だって?嘘コケ。ここ見ろ(http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/174567524.html)。嘘は宮村の始まりだ。失礼。嘘は泥棒の始まりだ。
>特に話しを聞いてほしいなどと求められたら聞いてお話しすることもあるので、基本的に別室で待機しています。正直、仕事や、脳出血のため体の不自由な私自身の妻の介護、それに家事や信者との話し合いなどで疲れているので、その体を休めています。信者の家族にとって、脱会した信者の生の声を聞き、また、脱会した信者の家族の苦労話を聞くことが何よりも励ましになるし、自分のこれからの参考になるので私があまり出ない方がよい面もあると思っています。
だって?またいい加減な嘘を。脳溢血で倒れた奥さんの看病、別室に控えて拉致監禁の指導なんてしていたら、会社の仕事なんか出来っこないじゃないか。社長がそんな仕事ぶりでは、会社の収益なんかほとんど上がっていないと思うが、生活費はどこで?あの莫大な経費請求からに決まっている。
ちょっと読んだだけでも、ボロボロの陳述書だとわかる。もう一回忠告の言葉を書こう。嘘は宮村の始まりだ。
> 水茎会は統一教会の信者や脱会した信者の親の自発的な集まりであり、そのご家族たちが中心になって運営されてきた会です。これほど長くつづくとは思いませんでしたが、自分の子が脱会したあとも、ことの重大性を痛感して他のご両親やご家族の悩み苦しみを人ごとと考えられず、ボランティア精神でその家族をサポートし、助言し、相談に乗って下さっている親たちや元信者たちがたくさんいてくれるのです。
だと?みんなボランティア、宮村もボランティア、ならなんで莫大なカネがかかるのかな。拉致監禁はお金持ちの子息しかやらないなどと言ううわさが流れている。もちろんお金持ちというほどでなくても、退職間際の人なら、退職金がある。全部つぎ込むくらいに、拉致監禁というのはお金がかかるらしいのだ。みんなボランティアなら、そのおかねはどこに消えるのだろう?
> 水茎会では月に何回か勉強会をしています。信者の家族や脱会者やその家族が参加して牧師が聖書について話をするのを聞くのが中心です。私か統一教会の最新情報をお話しすることもありますし、脱会した信者が体験を話すこともありますが、毎回ではありません。このような話が終わったあとは、小グループに分かれて相談や話し合いをしていますが、その会に私は特別関わりません。
だって?嘘コケ。ここ見ろ(http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/174567524.html)。嘘は宮村の始まりだ。失礼。嘘は泥棒の始まりだ。
>特に話しを聞いてほしいなどと求められたら聞いてお話しすることもあるので、基本的に別室で待機しています。正直、仕事や、脳出血のため体の不自由な私自身の妻の介護、それに家事や信者との話し合いなどで疲れているので、その体を休めています。信者の家族にとって、脱会した信者の生の声を聞き、また、脱会した信者の家族の苦労話を聞くことが何よりも励ましになるし、自分のこれからの参考になるので私があまり出ない方がよい面もあると思っています。
だって?またいい加減な嘘を。脳溢血で倒れた奥さんの看病、別室に控えて拉致監禁の指導なんてしていたら、会社の仕事なんか出来っこないじゃないか。社長がそんな仕事ぶりでは、会社の収益なんかほとんど上がっていないと思うが、生活費はどこで?あの莫大な経費請求からに決まっている。
ちょっと読んだだけでも、ボロボロの陳述書だとわかる。もう一回忠告の言葉を書こう。嘘は宮村の始まりだ。
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