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「後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(2)」を俯瞰する

先に「後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(2)」を掲載したが、簡単に検討しただけでも、そのほとんどが虚偽または基本的誤解によって書かれていることが分かった。以下にそれらの諸点を一世話人として指摘する。かなりの長文になるが、後に掲載しないといけない書面類がたくさん控えているので、この分析記事は1回で掲載する。被告らの準備書面からの引用文、及び検察審査会よりの引用文を茶字で、その他の引用文を青字で記す。
(原田和彦)



事実を無視した統一協会の組織方針に基づく「拉致監禁キャンペーン」の主張そのものにすぎない。


統一教会の拉致監禁反対キャンペーンは、その内容においては被害者の供述に基づくものであり、拉致監禁反対キャンペーンで取り上げている内容自体は事実である。ただし、過去数十年に及ぶ拉致監禁被害に対し、本格的キャンペーンを張り始めたのはおととしからというお粗末さには、唖然とせざるを得ない。とはいうものの、キャンペーンの中で取り上げられている事例自体は事実に他ならない。従って、「事実を無視した統一協会の組織方針」というのは虚偽である。
男性信者とはぐれたのはホテルのエレベーターであったことを新たに主張した。
原告が、統一協会のことについて家族と話し合いをすることを了解した上で、何らの有形力の行使を受けることなく自らの意思で、故<後藤氏の父>とともに京王プラザホテルの一室に入ったことを端的に示すものである。

この二つの記述に矛盾がある。すなわち「はぐれた」のであれば、拉致監禁の危険性を排除するために男性信者が後藤徹さんについてきたことになるが、「統一協会のことについて家族と話し合いをすることを了解した上で、何らの有形力の行使を受けることなく自らの意思で、故<後藤氏の父>とともに京王プラザホテルの一室に入ったことを端的に示すものである。」のならば、拉致監禁の危険性は想定外ということになるからである。その場合は「はぐれた」のではなく、「別れた」という表現になるはずである。つまり、エレベーターホールで教会信者と「別れた」のであれば、了解のうえで別れたことになる。被告側準備書面で「はぐれた」という表現がなされているのは、無意識的に拉致監禁という暴力を伴う脱会説得を是認している。
エレベーターで離れた途端に周囲に助けを求めれば、容易に入室しないでその場を立ち去ることが出来ることは明らかである。

この記述は、信者が家族に寄せる複雑な思いを理解しないためにこのような表現になったと断じざるを得ない。なぜなら、見知らぬ者たちに連れ去られるのならば、命の危険を感じて必死に助けを呼ぶであろうが、拉致監禁の可能性があると言っても、相手は家族。監禁されるという危険性はあっても、まだ相手がその行動も取っていない先に、「助けてください」と叫びまわる者はいないからである。○「原告自身も、準備書面(2)において、偽装脱会によるとの理由はともかく、ホテル内でまたその後の移動先で平穏に話し合いが行われていたことを認めている。」との記述は原告後藤徹さんの準備書面(2)での「原告が『出せ!』と叫んだところ両親及び兄と取っ組み合いになり,すぐに多勢に無勢で取り押さえられたものであり,」との記述と明らかに相違する。つまり今回の準備書面のこの部分の記述は、明らかに虚偽である。
当時まだ統一協会信者であった被告<後藤氏の妹>と統一協会内の施設で話をしたことがある。この際、原告は、被告<後藤氏の妹>に対し、『宮村さんと話をして、霊人体はぐちゃぐちゃになって、1回は落ちた。けど、どうしても確かめたいことがあって、その疑問点を確かめるために統一協会に戻ってきた。』と述べており、故<後藤氏の父>、被告■<後藤氏の兄>及び被告宮村らによって拉致監禁され、棄教を強要されたなどとは一切述べていなかった。

この部分は、統一教会の信仰用語を全く知らない記述がされており、唖然としてしまう。「宮村さんと話をして、霊人体はぐちゃぐちゃになって、1回は落ちた。」という部分は、統一教会員でない読者に分かりやすいように“翻訳”すれば、「宮村さんと話をして、精神的に病気になるほどにぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに傷つけられ、一度は脱会した」という意味である。つまり、精神的に病気になるほどに脱会説得を受け、脱会したというのである。これはとりもなおさず、PTSDを患うほどに拉致監禁による脱会説得を受けたということを言っているのである。したがって、そのあとの文章である「<後藤氏の父>、被告<後藤氏の兄>及び被告宮村らによって拉致監禁され、棄教を強要されたなどとは一切述べていなかった。」とは全く反対のことを意味しているのである。したがって、今回の準備書面(2)はここでもまた虚偽を申し立てている。
自宅で話し合いを始めた場合、統一協会信者らが多人数で押しかけてきて話し合いを拉致監禁と決めつけて妨害することが十分予想されたからである。現に、原告の述べるところによっても、被告らは知らなかったが、家族での話し合いをするに過ぎないにもかかわらず、統一協会信者が2人もついて来ていたようである。

ここも、先に指摘した通りの論理のすり替えがある。統一協会信者らが多数で押し掛けてくれば、自宅であろうとホテルであろうと、物議を醸すことは必然的であり、信者家族のような、騒動を持ち込む迷惑なお客には早く出て行ってくれというであろう。
原告は、マンションから、徒歩で20分位かかる荻窪栄光教会に歩いて通っていたのであるから、その場を立ち去ろうと思えば、いつでも容易にその場から立ち去ることが可能であったことは明らかである。原告の主張は、荻窪栄光教会へ徒歩で通っていたことを殊更に無視するものであり、不当である。

ここもまた拉致監禁被害者の精神的状況をあえて隠している記述である。新潟少女拉致監禁事件でも、逃げようと思えば逃げられる機会はあったはずだ。しかし、言葉巧みに逃げても無駄という精神状況に被害者を追い込み、拉致監禁を続けた。被告らは自らは、マインドコントロールは正しいなどと主張しながら、都合のいいところでは、逃げようと思えば逃げられたはずだと主張する。脱会説得者陣営の論理破たんがここに表れている。
そのことは原告にも伝えたし、当時の原告の上司に原告自身が会った時、直接『仕事のことは心配しなくていいから。』などといった言葉をもらっている。この間、原告は欠勤扱いではなく、給与も支給された。原告は統一協会に戻った後、このような経過を無視し、辞める必要もないのに、勝手に大成建設を退職してしまった。原告の主張は虚偽である。

この部分、特に「原告の上司に原告自身が会った時、直接『仕事のことは心配しなくていいから。』などといった言葉をもらっている。」などという部分は、原告か、被告かがその当時の原告の上司を探して証言してもらうといいかもしれない。そのあとの部分「統一協会に戻った後、このような経過を無視し、辞める必要もないのに、勝手に大成建設を退職してしまった。原告の主張は虚偽である。」の部分は、被告側の社会人としての見識が疑われる。統一教会に戻った後、再び同じようなことが起きれば、再び会社に迷惑をかけ、同僚にも迷惑をかけ、仕事に支障をきたす、と思うのが常識的社会人である。辞める必要がないどころか、大ありなのである。つまりこの部分でも被告側準備書面(2)は虚偽を申し立てている。
<後藤氏の父>は、原告が実家に帰省するようになっていたことから、もう一度、原告の了解のもと、統一協会の問題についてきちんと話し合いをすることができるのではないかと考え、話し合いの場所及び移動のための車を準備した上で、原告に対し、話し合いに応じるように説得したところ、原告は、しぶしぶではあったものの、話し合いに同意したため、車に乗って新潟に移動したのである。

この部分、大変不可解な部分である。後藤徹さんはこの京王プラザホテルのときに逃走しているのだから、たとえ帰省するようになっていたとしても、実家以外の別の場所で原告が話し合いに応じることはあり得ないと、容易に判断できたはずである。しかも今度は新潟。なぜ信仰の問題を話し合うというだけで、首都圏を遠く離れた新潟なのか。棄教を強要する以外に、その正当な理由を見いだせない。そしてここの記述「しぶしぶではあったものの、話し合いに同意したため、車に乗って新潟に移動したのである。」がそのことを証明している。「しぶしぶではあったものの、話し合いに同意した。」もう一度読んでいただきたい。しぶしぶではあったものの、話し合いに同意した。このことを世間では強要と呼んでいるのだ。つまり、強要はあったと自ら証明しているのである。
簡易トイレを準備したのは故<後藤氏の父>であったが、高齢の故<後藤氏の父>は自分のためにこれを購入したと被告<後藤氏の兄>らに話していたのであり、訴外川嶋英雄についての主張とは関係がないことである。

ここ数年、高齢者用に車内に簡易トイレを常備することが一般化してきたようである。ただ、後藤徹さんが拉致監禁されて新潟に移送された1990年代初頭では、まだそのような風潮はなく、当時としては、車内に簡易トイレを常備するということは異常なことであっただろうと思われる。また簡易トイレを常備するにしても、簡易トイレは後藤氏の父のものであり、後藤徹さんが使ってしまったら後藤さんの父はどうなるのだろうか。簡易トイレを使用したものでないと分からないが、また途中後藤徹さんのために使ってしまった簡易トイレを洗浄して、父がもよおした際にまた使うということはできるのだろうか。まわして使うことができなければ、後藤徹さんが父用の簡易トイレを使うことは厳禁ということになるではないか。ノンストップで、車中を使用済み簡易トイレを回して使う……異常だ。
原告は、平穏な話し合いをするだけであれば、新潟のマンションに連れて行く必要はなく、などと述べるが、平穏な話し合いをするためにこそ、自宅以外の場所での話し合いが必要だと考えて、原告の承諾も得たのである。

この記述には、平穏無事な話し合いをするのなら自宅でもいいではないかという後藤徹さんの主張と、平穏無事な話し合いをするのには自宅以外の場所でなければならないという被告側の主張の対比が見られる。この対比でどちらが自然な発想とみられるであろうか。ちょっと読むと、自宅で親子水入らずで話し合うのが自然であろう。普通の話し合いをするのに、自宅外でなければならないという被告側の主張は、不自然さを感じる。しかも、普通に話し合うのに、新潟まで出かけて行ってマンションを借りてまで話し合うという。とても平穏な話し合いと思えないのである。
原告は、12年余りの長きにわたって外部との連絡を一切絶つことなど、およそあり得ないことであるなどと述べるが、現に、原告は、その後、長期間に渡り、同室内に母と妹しかいない状況においても退出しようとせず、被告後藤らの退去勧告を無視して長期間にわたってマンションに居座り続けたのである。(なお、被告<後藤氏の妹>も、原告と一緒にマンションで生活している期間中殆ど外部との連絡を取れない状況にあったのである。)

ここもまた、事実に違反する。被告らが依拠する東京第四検察審査会議決文の中に以下の記述がある。
このマンションに平成9年12末(原文ママ)申立人が追い出された平成20年2月10日までに一緒に住んでいた者は、<後藤氏の母>、<後藤氏の兄>、<後藤氏の兄嫁>、<後藤氏の妹>の4人であるが、<後藤氏の兄嫁>は平成10年の春頃から平成11年年末まで体調を崩して自宅に戻っており、マンションには週に2,3日の頻度で通っていた。平成12年3月には病気で3週間入院し、同年5月からはアルバイトを始めたので、平成15年末まではマンションには偶に行く程度で、平成16年2月ころからはずっと同居していた。<後藤氏の兄>は、仕事を平成13年1月で辞め、平成16年3月に就職するまでは一緒に生活していた。しかし1週間に1回以上は自宅に帰っていたし、マンションにいた日であっても、図書館に出かけて不在の時もある。平成16年3月に仕事に就いてからは1,2年の間はマンションに全く行っておらず、その間、申立人とは一切会っていない。したがって<後藤氏の兄嫁>と<後藤氏の妹>の3人だけの生活がほとんどであり、一人が買い物等で外出すると部屋には申立人と二人だけになる。<後藤氏の兄嫁>は内科、整形外科、眼科の病院通い、<後藤氏の妹>も通院やスポーツクラブに通っていたことから、二人だけという機会は少なくはない。

いかがであろうか。被告らが依拠する東京第四検察審査会議決文には、被告らが主張する「原告と一緒にマンションで生活している期間中殆ど外部との連絡を取れない状況にあったのである。」という記述とは全く逆のことが書いてあるのである。検察審査会の議決文のうち、都合のいい部分をつまみ食いし、まったく相反する部分は無視するという、引用の仕方は問題があると言わざるを得ない。
また、検察審査会の議決文4頁ウによれば、原告は、新潟から荻窪への移動の際に有形力の行使がなかったことを認めていたとのことであり、また、何ら騒ぎになってもいないことからすれば、原告がこの移動について承諾していたことは明らかである。

この部分を含めて有形力の行使がなかったということ、騒ぎがなかった、したがって原告は承諾をしていたという論法がいたるところで使われている。しかしながら、この承諾というのは、被告らは「しぶしぶ」の承諾も承諾の中に入れるので、しぶしぶなのか、自ら進んで積極的になのかはここでは触れられていない。つまり、しぶしぶの承諾であったと推測される。すでに指摘した通り、「しぶしぶの承諾」は「強要されて承諾」の別表現に他ならないのだ。有形力がなくても、騒ぎがなくても、また指示に従っても、それが原告の本意でなかったという主張も、意味をなさない。なぜなら、被告の後藤兄や兄嫁が関わっている青春を返せ裁判でのかれらの主張の根底に流れるのは、有形力がなく、なんら騒ぎを起こさず、しぶしぶではあるが承諾し教会活動をしたのは、強要されたのであるという主張であるまた今回の訴訟の被告らが理論的に立脚しているマインドコントロール理論そのものが、それを裏付けている。したがって、この有形力がなかった、騒ぎがなかった、指示に従った、だから監禁されてはいなかったという被告の主張は、今回被告となっている後藤兄、兄嫁がすでに過去にかかわった裁判において、自分で葬り去った主張なのである。
原告は、検察審査会の議決書5頁エによれば、捜査段階では、「申立人の供述調書には、「トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ、番号の付いた鍵が見えた感じがした。」と述べており、玄関の鍵の状態がどのようになっているのか確認していなかったことを認めていたにもかかわらず、準備書面(2)においては、「ダイヤルロック式の鍵を確認している」などと断言しており、その供述には信用性がない。

この箇所は「統一教会脱会請負人・牧師「宮村峻・高澤守」研究」でもその虚偽性が指摘されている。引用すると「パレスマンション多門607号室での監禁については、松永牧師の来訪時に、父は玄関を開けるためにわざわざ解錠のための鍵を手にして玄関に向かっていたので、同室での玄関ドアに内側から施錠できるタイプのものが取り付けられていたことは間違いない。荻窪プレイスマンション605号室の玄関ドアの鍵については番号の付いた鍵をハッキリと見ており、「見えた感じがした」という程度のものではありません。このことは、警察での取調以来、終始証言してきた。荻窪フラワーホーム804号室の監禁状態について、被疑者等も玄関のドアチェーンに南京錠を付けていたこと、窓を特殊な鍵で施錠していたことを認めている。」ということになる。
また、原告は、荻窪プレイスにおいても、原告と一緒にいたのは女性だけであった時間が多かったのであるから、退出しようと思えば容易に退出できたことは明らかであり、自らの意思でマンションにとどまり続けていたのである。原告が、確実に逃走できる見込みもなく軽率な行動を取ることは不可能であったなどと述べているのは、拉致・監禁キャンペーンと整合させるための詭弁に過ぎない。

これについても、ちょっと踏み込んで考えると、虚偽が見えてくる。まず、原告と一緒にいたのは女性だけであった時間が多くても、厳重な施錠がされていれば、監禁には何ら影響しない。さらには、被告らはしきりに「自らの意思でマンションにとどまり続けた」という表現を用いており、この文言は随所に出てくる。しかし、親兄弟を伝道する目的で居続けたという被告らの主張を認めるとすると、後藤さんが統一教会に通うことは自由だということになる。ところが、被告らがマンションを借りて後藤さんと話し合うのは、統一協会の会員が大挙して押し寄せることを防ぐためだったはずだ。つまり、統一教会と接触させないためだ。となると、後藤さんが自らの意思でとどまり続けたということ、つまり統一教会に通うことは自由であったという被告らの主張は、二律背反的な主張となってしまう。後藤徹さんが自らの意思でとどまっていたのなら、統一教会に通うことも自由だったはずだ。しかし他方で、統一協会の影響のない場所で話し合いをする防ぐためにこのマンションを借り、玄関に施錠したのも統一教会員が大挙して押し寄せることを防ぐためだとも言う。どちらが本音なのか?どちらも本音だということはあり得ない二律背反的な主張。これを裁判官はどう考えるだろうか?
原告を、故<後藤氏の父>の葬儀に参加させなかったのは、統一協会の信者らが、拉致・監禁と決めつけて、大挙して押しかけてくることを恐れたからである。

これもまたおかしな話だ。統一教会の影響のないマンション、つまり統一教会員と後藤徹さんが接触できないマンションで監禁しているのに、統一教会員がどうして後藤さんの父の葬儀の日取りを知って押し寄せるというのだろうか。後藤徹さんが父親の葬儀に参加すれば、統一教会員が大挙して押し寄せてくるという被告側の主張を是認するならば、後藤さんの父親の葬儀日程が統一教会側に伝わっていたことになり、統一教会の影響のないところで話し合いをするという、マンションを借りる目的そのものが否定されてしまうのだが。裁判官はどう判断するのだろう?
検察審査会の議決文5頁オによれば、原告は、荻窪プレイスから荻窪フラワーホームヘの移動の際に有形力の行使がなかったことを認めていたとのことであり、また、何ら騒ぎになってもいないことからすれば、原告が自らの意思で移動したことは明らかである。

ここもすでに指摘した通りである。有形力の行使がなかった、騒ぎにならなかった、だから自らの意思で移動したという論法は、後藤徹さんが強要されて移動したということを否定することにつながらないのである。後藤さんが、そうするしかほかに方法がなく、しぶしぶ移動したということであれば、これは強要になるのだ。

原告は、被告後藤らのほかに男性3名がいたことを理由に、成算もなく軽率な行動を取ることは不可能であったなどと述べるが、自らの意思で移動していたことをごまかすための決まり文句の言い訳に過ぎない。検察審査会の議決文が「申立人を縛る等して身体を拘束しない限り、たとえ家族4人が取り囲んだとしても、街中での逃走を防止することは困難である」と判断しているとおりである。

この部分は、もし時間を逆戻りさせることができるなら、青春を返せ裁判で後藤さんの兄、兄嫁が登場したときに、将来あなたはこんな書面を裁判所に提出することになるのだがと、伝えてあげたいものだ。統一教会の活動に、しぶしぶではあるが、自分の意思で参加していたのではないのか?、青春を返せという前に、なぜ逃げなかったのか?と。青春を返せ裁判の時はそのときのこと、拉致監禁裁判の時はそれはそれでその時のこと……なんて理屈が通るのだろうか。
原告は、被告<後藤氏の兄>らが南京錠を付けた目的について縷々批判するが、統一協会は、現に、牧師を尾行して話し合いの場所を突き止め、ドアチェーンを破壊して住居に侵入しようとしたという事件を起こしている。原告はドアを開けなければ良いなどと述べるが、宅配便や書留郵便であるなどと偽ってドアを開けさせられることも十分考えられるのである。しかも、玄関の鍵はいつでも使えるようになっており、原告が外に出る気になれば外に出ることができる状態であった。

この記述も虚偽っぽい。ドアを開けなければ、ドアチェーンを切られることはない。また「宅配便や書留郵便であるなどと偽ってドアを開けさせられることも十分考えられるのである」ということもあり得ない。なぜなら、統一協会の会員が来ないように、常に注意を払っているのだから、誰かが訪ねてきたら、まずドアスコープから見るはずだ。配送今日者や郵便局なら服装で確認できる。
また、窓の鍵付きクレセント錠については、原告の「脱出」を防ぐ目的で付けたものではない。被告後藤らは、信者が家族と話し合いをしている最中に突然窓から飛び出してしまったことがあると聞いていたため、念のために、クレセント錠をつけていたに過ぎない。クレセント錠などなくても、荻窪フラワーホーム804号室の窓から外に出ることは実際上不可能である。

前の記述からすぐ次の段落の記述であるが、ここには、恐ろしい表現がある。通常の家族間の話し合いならば、「信者が家族と話し合いをしている最中に突然窓から飛び出してしまった」などということはあり得ない。この「話し合い」なるものが、いかに過酷なものであるかを裏付ける表現として注目しておきたい。この部分が虚偽でなく、実際にそうであるならば、被告らは、後藤徹さんに対する脱会説得が、後藤さんが窓から身を投げたくなるほどの凄絶な脱会説得であることをあらかじめ知っていたことになる。

ではこの部分が虚偽であるとした場合、本当の目的は何か?それは、拉致監禁被害者が窓を開けて、助けてくださいと書いた紙や布を落とす、窓近くの雨どいなどを伝って逃げる、などの事例がある通り、その部屋が監禁部屋であることを、教会員だけでなく、付近の住民にも知られたくなかったからであろう。記述の部分が虚偽でないとすれば、被告らは空恐ろしい脱会説得を予想していたことになる。虚偽であるとすれば、拉致監禁されていることを知られることを恐れてのクレセント錠設置であった。どっちを取っても、被告らに逃げ道はない。裁判官はどう判断するのだろうか。
原告は、フラワーホームにおいて、大部分の時間は母である、被告<後藤氏の妹>のみが在室していたことについての言い訳として、自力での脱出が不可能であったとか、体力の衰弱を述べているが、いくら拉致監禁キャンペーンとの整合を保ちたいがためとはいえ、全く白々しい虚偽である。……中略……女性の中でも体格の小さな<後藤氏の母>、被告<後藤氏の妹>を相手に脱出できないであるとか、簡単に取り押さえられるなどと、裁判手続において誰にでも分かる嘘を繰り返し主張するのは、いかに統一協会信者であっても許されない。原告の体力の衰弱に関する原告らの主張については、既に準備書面(1)でも述べたとおり、虚偽である。詳しくは後述のとおりである。

この記述の中で、後藤徹さんの体力の衰弱が白々しいウソであり、虚偽だとし、詳しくは後述のとおりと書いてあるのだが、その後述の部分がどこなのか、見当たらない。つまり、ウソだ、虚偽だ、後述する、などと書いておきながら、実際ははっきり証明できていないのである。(体力を衰弱していたのなら)救急車を無料で呼べるとの記述が見受けられるが、救急隊員から連絡先を聞かれた場合、自身の家族の連絡先を救急隊員に伝えることができない、かといって、近隣の統一教会の連絡先もわからないし、統一教会本部の連絡先もわからない。統一教会本部に急に救急車から連絡が行っても、対応してくれるかどうかわからない、他に知り合いは……なんて考えているうちに、エイッいけるところまで行ってみようと思うのが普通ではないだろか。
原告は、家族を説得して自分の信仰を認めさせ、あるいは家族らを信仰に導いて救うことなど、監禁状況下において土台無理な話であり、原告にはそのような考えなど微塵もなかったと述べているが、虚偽である。検察審査会の議決文8頁下から3行目から9頁1行目によれば、原告は、捜査機関に対しては、統一教会の教えとして、家族に教え広めて手を差し延べる対象であることや、<後藤氏の兄>、<後藤氏の兄嫁>、<後藤氏の妹>が教祖を裏切っており、当然天罰を受けることになるとの思いから、家族に誤解を解いて救いたいという気持ちがあったと述べていたとのことである。原告は、原告が自らの意思で居座り続けたという被告<後藤氏の兄>らの主張を常軌を逸した論弁などと述べるが、まさに、一般人からすれば常軌を逸した行動でも、統一協会においては教えに基づく正しい行動と評価されることになってしまうのである。

この記述もまったく虚偽である。誤解とか、ミスとかいう言葉ではすまされない、まったくの意図的なウソなのである。被告らは統一教会員であったので、教義を知っている。にもかかわらず、基本的なミスを犯している。ならばそのミスは、知っていながらミスした、つまり意図的な虚偽でありウソなのである。

統一教会員の伝道は、統一教会にその人をつなげることである。つまり、統一教会のイベントや行事などに参加してもらったり、統一原理を受講してもらったりすることである。後藤さんがマンションに自由意思でとどまり、伝道しようとしていたという被告らの主張が真実ならば、後藤さんは統一教会と連絡を取り、イベントや行事日程を確認しなければならないし、そのための相談を統一協会の担当者としなければならない。また統一教会員として伝道しようというのであるから、自らもまた礼拝に参加するなど、統一教会に足を運んだはずである。ここにもまた、被告に主張によれば、自らの意思でとどまっていて、教会に通わず、連絡もとらず、礼拝もさぼっている後藤徹さんが、他方では伝道熱心な信仰者であるという、まことに不可思議な、あり得ない図が浮かび上がるのである。被告らが元統一教会員であるならば、統一教会が礼拝参加を重要視していることを認識しているであろう。伝道においても、断食行においても、報連相(報告連絡相談)を徹底していることを知っているはずである。従って、この部分における被告らの記述は、ミス、誤解を通り越して、意図的な虚偽、まったくのウソであることが分かる。
被告<後藤氏の兄>ら家族は、原告のためを思って、人生の貴重な時間を費やして、話し合いを続けたのである。自己保身などを考えるのであれば、最初から人生の貴重な時間を、原告との話し合いになど費やさない。被害者は被告<後藤氏の兄>らである。原告は、統一協会の指示に従い、居座り続けた結果、現在では、統一協会の正式機関紙であるDays World Japan 2 0 1 0年12月号27頁において「後藤さんは日本の英雄、世界の英雄という次元を超えて、天宙的な英雄です。」、「天国に行けば、聖人聖者の列に加えられるでしょう。」などと英雄視されている。なお、原告が3回行ったのはハンガーストライキではなく、統一協会の信仰を固めるため、あるいは信者としての行動を決意するための断食である。

まったくの虚偽がここにまた露呈している。統一教会の信仰観は礼拝重視、伝道重視である。12年5カ月も教会と連絡を絶つ人は、信仰を失った人と見なされるのである。マンションに居続けるかどうかはともかく、礼拝に通わず、各種行事、イベントにも参加しない人を統一教会は信者とはみなさないのである。また後藤徹さんが評価されているのは、12年5カ月もの間、礼拝に通うことを許されず、脱会説得を続けられてもなお信仰を保ってきたからである。また報連相のない断食行は統一教会では認められない。そのことは兄、兄嫁、妹ともに知っているはずである。とんでもない虚偽の羅列が、裁判所に提出される書類の中で見られることは、驚きに値する。
ハンガーストライキ
甲第1号証
宮村峻氏,後藤徹氏,保護説得,統一協会,脱会
甲第17号証
原告は、原告の健康状態について、縷々言い訳を述べた上、検察審査会の議決文によって問題点が指摘されているにも関わらず、これを殊更に無視して、未だに体重が39.2kgであったなどと強弁している。検察審査会の議決文によれば、栄養管理計画書の入院時栄養状態に関するリスク欄において体重38kgとの記載が53kgと訂正されていることや、甲第1号証の写真と甲第17号証の写真におおきな変化がないことからしても、39.2kgが虚偽であることは明白である。なお、甲17号証の写真をみる限り、原告は健康状態に問題があるようには見受けられない。原告は、荻窪から渋谷まで歩かざるを得なかったなどと述べるが、真実原告が主張するような栄養失調で危険な状態であれば、交番の警察官が相手にしないなどということはあり得ない。また、原告は、公衆電話で無料で呼べる救急車すら呼ばず、敢えて、荻窪から渋谷まで歩いて行こうとしたのである。特に健康状態に大きな問題がなかったことの証左である。

この記述の中で、甲第1号証の写真と、甲第17号証の写真に大きな変化がないこと、これは被告側の主張に耳を傾けざるを得ない。確かに拉致監禁解放翌日と、三日後の写真に、外見上大差がなく、7日後の体重が12㎏回復していたということは、3日、あるいは4日間に12㎏回復したことを意味する。計測の仕方に問題がなかったのかどうか、今後の法廷での議論に注目しておきたい。
ただし、後段の、栄養失調ではなく健康状態に大きな問題がなかったという記述は明らかに虚偽である。この二枚の写真を見る限り、明らかに痩せすぎを通り越して、何とか生命を維持している状態である。甲第1号証は支えられて立っている。甲第17号証にしても、アバラ骨の浮き出具合、頬のこけ具合からして、拒食症で生死をさまよっている人の状態に似ている。表情は、解放された後のためか、明るさがにじみ出ているが、写真で見る限りは、健康状態は最悪である。おそらく栄養失調でもあろう。この写真を見て、危険な状態ではない、健康状態に大きな問題がなかったことの証左と言い切る被告側の見識が問われよう。

「敢えて玄関の外に出して、事の重大さを自覚させ、このことをきっかけに真剣に話し合いをするようになってほしいという期待をこめて原告の決断を促すべく、とりあえずマンション内から外に出すことにしたのである。」との主張について、論理、因果関係ともに意味不明と述べるのは、原告や原告代理人が、統一協会の信者であり、そもそも理解しようとしないだけのことである。

ここの記述はやはり意味不明としか言いようがない。真剣な話し合いを促すために後藤さんを放り出したというのであれば、後藤徹さんの飢餓状態が元に戻ってから放り出すべきではないだろうか。真冬の深夜に写真のような状態で路上に放り出されれば、下手をすると凍死という可能性もありうる。真剣な話し合いを望むというならば、後藤徹さんの健康状態が元に戻るのを待って行うのが筋であろう。
以上、後藤徹さんの兄、兄嫁、妹の陳述書は、そのほとんどが意図的虚偽、または基本的な誤解により書かれていることが分かる。
2011-10-30(Sun)
 

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敬服 

いや~、深い洞察ですね。
見事な分析ですね。

一刀両断、快刀乱麻、って感じで、爽快感すら覚えます。

拉致監禁擁護派も、この分析には反論できないでしょう。

心から心から敬意を表します。
2011-10-31 08:50 | みんな | URL   [ 編集 ]

覚えているわよ~♪ 

た~しかに、徹様ファミリーの前の準備書面には、優雅なマンションライフのことが書かれていたわ~。

覚えているわよ。
だって、茉莉ちゃんの地上ブログコメント初デビュー。♪

働かずに、時々スポーツクラブに行く優雅な生活・・本当に羨ましかったんだもん。

茉莉ちゃんは、幽霊になっても、働き詰め。スポーツクラブも行ったことない。

でも、今回の書面は、妄想に捕らわれた伝道オタクの引きこもりの徹様に付き合わされ、犠牲になった憐れ家族物語になってる~。

どっちなの~?
オツムのない茉莉ちゃんにも、わかりやすく説明してよ~。

説明してくれないなら、今話題の落武者みたいに、一晩中金縛りしちゃうから。

それとも、落武者みたいに、裁判であることあること証言してあげようかしら~。♪
2011-10-31 20:39 | ジャスミンの茉莉ちゃん | URL   [ 編集 ]

謎の二人の信者 

原田のあんちゃんの記事を読んで、あらためての疑問。

とっちゃんについていった二人の信者は、とっちゃんと離れた後、どうしたのだんだ?ということ。

はぐれた後、
「あっ、はぐれちゃった。仕方ない。帰るか。」で、そのまま帰ったら、アホ。

んで、そのことアベルに報告して、アベルが「じゃ、しょうがないな。」で終わったら、もっとアホ。

京王プラザホテルのエレベーターではぐれたので、京王プラザホテルにいるのは、明らか。

探そうと思えば、いくらでも探せたはず。ほんで、今の文春抗議宜しく、信者が大挙してスイートルーム前を大段幕掲げて占拠したら、面白かっただろうなあ。

ついでに、リレ断つきで。
暴飲暴食組も必要だな。

そしたら、大ニュースになっただろう。
そん時、拉致監禁説得を明らかにしたら・・

京王プラザホテルのスイートって、多分、外国人も泊まっているだろ。
日本人が無視しても、外国人は無視しねえはず。

今も外国の方が、関心もってる位だしな。

惜しかったな。

25年前(位か?)に拉致監禁キャンペーンができたのにな。
2011-10-31 22:07 | 元信者の春 | URL   [ 編集 ]

脱オセロ脳 

統一と反統一は、交わることがないのだろうか?

何か、どちらも自分達の言いたいことだけ言い、相手の非をとことんつき、自分の非は目を瞑る。

「目くそが鼻くそを笑う」という見本みたいな現象で、第三者として、見物している分には、面白い。
(こう書くと、どっちが目くそかで、争いそう。)

どっちも典型的オセロ脳。

一度、自分の意見を引っ込めて、相手の意見を聞いてみたら。
一度、自分の考えはもしかして間違っているかもしれない、と考えてみたら。

そこからいかないと、拉致監禁問題は解決しないような気がする。

だって、ね、滑稽な程、両方共、自分達こそ正義だ!と言ってるんだもん。
2011-11-03 19:19 | koyomi | URL   [ 編集 ]

ガキの使いじゃ 

元信者の春さんの言われたように、後藤さんに付き添って着た二人の信者とはぐれたそうだけれど、その後その信者は、どうしたのか?たしかに?であります。それならそれでそれこそアベルにその事を、報告 相談 連絡し、アベルもそれ相当の、アクションを起こして後藤さんの救出等何らかの行動がなければならないのに...まさにこの二人 ガキの使いじゃあらしまへん。であります。また、原告も しぶしぶながら話し合いに応じた。よって強制はしていない自発的だ。その言い回しが強制を伴っている。それを拒否できない強制が伴う詭弁です多勢に無勢この局面を打開するには強制に従わざるをえない。よってしぶしぶでも応じたのである。
2011-11-05 15:14 | 小川寿夫 | URL   [ 編集 ]

素敵だわッ 

koyomiさん
>統一と反統一は、交わることがないのだろうか?

 さすがkoyomi姉さんネッ。思いもつかない素敵な発想だわッ。でも赤面しちゃったあv-15

 統一と統一が交わったら、神の子ネッ。これは当然のことよね。
 反統一と反統一が交わったら??う~んう~ん、アジュマにはよく分からないけど、「サタンの子」かもね。

 それでよ、統一と反統一が交わったら?
 ヒェ~!
 オツムの弱いアジュマだから、一晩考えたのォ~。
 で、結論を言うわよッ。koyomi姉さん、卒倒しないでねッ。江姫のようにココロ気丈にして聞いてねッ。

 人魚姫のように、上半身が神さまで、下半身がサタンさま。
 ヒェ~

 だったら、上と下が「自分たちこそ正義だ」と毎日、大喧嘩じゃ。
 そんな子が生まれたら、可哀相ッ。

 だからネッ、あたしは交わらないほうがいいと思いましたとさ。
2011-11-07 17:15 | アジュマ | URL   [ 編集 ]

上半身が神で、下半身がサタン 

アジュマちゃん、私の方が赤面してしまいましたわ。

思わず、私の頭の中に妄想映像が~。

今度、米ちゃんに携帯で、特撮してもらいましょう。

アジュマちゃんと米ちゃん合同で脚本書いたら、三谷映画より笑えそう~。
2011-11-07 22:03 | koyomi | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
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世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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