原告後藤徹氏側準備書面(3)
久しぶりに、準備書面の掲載を再開する。
今回掲載分は、原告側の準備書面である。原告側からの準備書面としては3回目となる。
宮村、松永両被告の準備書面についての反論となっているが、それぞれの準備書面を読み比べていただきたい。
また、このあとも、順次、被告側の準備書面、陳述書と掲載をしている予定となっているので、こまめに当ブログをチェックしていただければ幸いである。
なお、準備書面本文に記載されている「岩本陳述書」とは、後藤徹氏の陳述書のことである。
今回掲載分は、原告側の準備書面である。原告側からの準備書面としては3回目となる。
宮村、松永両被告の準備書面についての反論となっているが、それぞれの準備書面を読み比べていただきたい。
また、このあとも、順次、被告側の準備書面、陳述書と掲載をしている予定となっているので、こまめに当ブログをチェックしていただければ幸いである。
なお、準備書面本文に記載されている「岩本陳述書」とは、後藤徹氏の陳述書のことである。
平成23年(ワ)第2796号 損害賠償請求事件
原 告 岩本 徹
被 告 ■<後藤氏の兄> 外5名
準備書面(3)
平成23年8月16日
東京地方裁判所民事第12部 御中
原告訴訟代理人弁護士 福 本 修 也
本準備書面では,平成23年6月28日付被告宮村準備書面(1)及び平成23年7月1日付被告松永準備書面(1)に反論する。
記
第1 被告宮村準備書面(1)に対する反論等
1 被告宮村が,原告の拉致監禁の方法を指導・統括していたこと
被告宮村は,「被告■<後藤氏の兄>のほか原告の家族らに対し,原告の拉致監禁の方法を事前指導・統括し・・・従業員を拉致実行行為者として送り込んだ」事実は全くないと主張する。
しかしながら,原告が2回目の拉致監禁を受けた際,被告■<後藤氏の兄>ら家族だけではなく庭に潜んでいた見知らぬ男性らに取り囲まれ,抵抗できない状態にされたものであり,この庭に潜んでいた男性が,被告宮村経営の株式会社タップの従業員だったことが後日判明している(甲9「岩本陳述書」7頁)。
そもそも,被告宮村は『親は何を知るべきか』という書籍において,同被告が「保護」と称する信者救出活動なるもにつき,「家族では手に負えない」,「救出カウンセリングをお願いする先生を見つけて信頼するしかない」と述べて,「保護」実行前の事前カウンセリングの必要性について自ら強調し(甲24「親は何を知るべきか-破壊的カルトとマインド・コントロール-」119~152頁),現に自ら信者の家族らに対して拉致監禁の事前の具体的指導をしているものである(甲18「監禁250日証言『脱会屋』の全て」151~158頁)。
さらに,実際に被告宮村指導下に統一教会信者を拉致監禁して強制棄教に成功した元信者家族の体験談においても,反統一教会学者浅見定雄から「宮村さんを頼って学ぶように」と勧められたことに始まり拉致監禁実行時における被告宮村の密接な関与が描写され,最後に「家族だけでこれらを行うことは到底無理だった」と述懐までしているのである(甲24「親は何を知るべきか-破壊的カルトとマインド・コントロール-」180頁,187~212頁)。拉致監禁(被告らの主張による保護)が家族らが行ったものであって,「被告宮村ら脱会屋は関与していない」などという主張は,家族を利用した隠れ蓑に過ぎず,本件を含め信者拉致監禁の首謀者・指揮者は家族ではなく被告宮村ら脱会屋なのである。
本件においては,第1回目の監禁から被告宮村が関与していた事実,原告の兄である被告■<後藤氏の兄>が当時被告宮村の会社の社員であったという事実,第2回目の拉致の実行犯に被告宮村の会社の社員が送り込まれていた事実,拉致監禁時の人の配置や新潟のマンションの準備など用意周到に計画がなされていた事実に鑑み,被告宮村が被告■<後藤氏の兄>ら家族を指揮・指導していたことは明らかである。
原告監禁中も,原告の抗議行動の後には直ぐに家族から連絡を受けた被告宮村がマンションに駆け付けており(甲9「岩本陳述書」26~27頁),マンション内で何かあった時はすぐに被告宮村に連絡をするように事前に打ち合わせがなされていたこと,原告拉致監禁の指揮・命令・監督者が同被告であったことにつき疑いの余地はない。
2 被告宮村との話し合いについて
被告宮村は「話し合いは原告の同意の下行われた」,「原告を脅迫して強制棄教したことはない」,「原告から拉致監禁だと抗議を受けたこともない」などと主張する。
まず,原告は母■が被告宮村との話し合いを勧めてきたために渋々承諾したものであって,原告自らが望んだものではない。原告としては,第1回目の監禁の際の苦しい記憶から,夢の中にまで被告宮村が登場して苦しめられるほどであったが(甲9「岩本陳述書」17頁),被告宮村と会わなければ一生監禁から解放されることもないと思ったために仕方なく了承したものである。
原告が拉致監禁について人権侵害だと抗議したこと,被告宮村が被告■<後藤氏の兄>ら家族や元信者らとともに原告に対して非難・中傷・罵倒を浴びせかけたことは紛れもない事実である(同18~19頁)。
第2 被告松永準備書面(1)に対する反論等
1 被告松永が,原告の拉致監禁の方法を指導・統括していたこと
被告松永は,「被告松永が,原告の家族らに対し,原告の拉致監禁の方法を事前指導したり,これを統括した事実はない」と主張する。
しかしながら,被告松永は,当時,自らが主任牧師を務める新津福音キリスト教会で,統一教会信者である子供の脱会を望む父兄等を数十人集めて子供を脱会させるための勉強会を行い,信者父兄に対して拉致から監禁,監禁後の手ほどきを解説し,かつ,監禁解放の許否の権限を握って監禁を統括していたものである(甲9「岩本陳述書」11頁,甲26「■陳述書」4~8頁,甲27「小出陳述書」23~28頁,甲28「■陳述書」6~7頁)。
特に■(甲26)は、被告松永に娘(■)の脱会を依頼した本人であり,同被告から具体的な拉致監禁指導を受けた状況,監禁解放の許可を受けた状況,報酬等を要求されて一財産を奪われた状況を告白しており,同被告の言い逃れは通用しない。
被告松永は原告が新潟のマンションに監禁された後,間もなく,原告の説得にマンションを訪れるようになっているものであり,事前に被告■<後藤氏の兄>ら家族が被告松永主催の勉強会に参加し,指導を仰いでいたことは明らかである。
被告松永の上記手法に照らし,被告■<後藤氏の兄>ら家族と何ら事前の打ち合わせもなく,家族らが単独・独立して拉致監禁した原告を新潟まで連行するはずもなく,また被告松永が当該監禁場所を原告説得のために訪問するはずもない。
2 被告松永との話し合いについて
被告松永は,話し合いは「原告の家族や原告の希望により行われた」,「原告の主張するような発言はしていない」,「面談は主に聖書に関する諸問題について原告が質問し,被告松永がこれに答える形だった」などと主張するが,原告が被告松永及び元信者と会うことを希望した事実などない。被告松永は,原告の意思を無視し,原告を棄教させるため,監禁場所を自ら訪れ,かつ,配下の元統一教会信者ら(多く脱会後に被告松永の教会所属信者となっていた)を訪問させたのである。
また,被告松永の説得内容は,原告が聖書について被告松永に質問してこれに答えたということもあったが,むしろ,被告松永が自らのキリスト教信仰観に基づいて統一教会の教理及び教祖を異端として一方的に批判するのが中心であった。なお,原告が被告松永に対して聖書に関する質問をしたのは,同被告の統一教会を異端視し馬鹿にする批判に対し,同被告が絶対視する聖書が果たして絶対的と言えるのかという観点で抗議する意味で行っていたものである。
また,被告松永が訪れるようになってしばらくしたころには,原告は信仰を持ったまま監禁から逃れることは困難と判断し,偽装脱会をして機を見て逃走することを考え出していた。そこで,突然,脱会を表明しても信用されないことから,被告松永と何かしら議論を交わして説得されたふりをする必要があったのである。このように,あくまでも「監禁から脱出する目的で」,やむを得ず被告松永に質問をしていたものに過ぎず,決して統一教会の原理を検証しようと自分から積極的に質問をし,平穏な話し合いがなされていたというものではない。原告は,拉致監禁期間中の12年余りの期間,偽装脱会をしていた期間を含め,本心において信仰を失ったこともなければ,統一教会の教えを疑ったことすら一度もない。
なお,厳重な監禁下にあって脱出の不能を悟り,逃走の機会を窺うために偽装脱会をし,監禁者らに迎合するかのような態度を示すというのは,一人原告だけにとどまるものではなく,他の拉致監禁被害者らの多くが試みる自衛手段である(甲18「監禁250日証言『脱会屋』の全て」77~,甲19「拉致監禁120日間」10~19頁,甲25「■陳述書」3~5頁,甲27「小出陳述書」11~,甲29「■陳述書」5~7頁)。
監禁者らはこの偽装脱会中の被害者の言動を捉えて任意でその場に留まっていたなどと主張するのが常であるが,偽装脱会中の被害者の迎合的言動など監禁を正当化する根拠になどなり得ない。これら偽装脱会信者が脱出後に統一教会に戻っているという事実がそのことを雄弁に物語っている。
3 手記を書くことを強要したことについて
被告松永は,「手記を書いてみてはどうかと提案し,原告が自らの意思で手記を書いた」などと述べ,手記を書くように強要したことを否定する。
しかし,監禁下に置かれている原告にとって「手記を書くように」との提案が「手記を書かなければ解放されない」の意味に受け止めるのも当然であり,到底拒否できるものではなかった。原告としては,本当に信仰を失ったかどうかを確かめるための踏み絵のような手記を書かされるのは苦痛以外の何ものでもなかったが,監禁から一刻も早く解放されたい一心で意に反して本心を偽り,被告松永や家族の意に沿うような内容の手記を書いたものである(甲9「岩本陳述書」13頁)。
4 被告日本同盟基督教団との関連について
被告日本同盟基督教団(以下,「被告教団」という。)が,被告松永の拉致監禁指導・棄教強要行為に関して使用者責任を負うことは,原告準備書面(1)3頁で主張した通りである。
被告松永は自らの活動を個人的信念に基づく牧会活動であるなどと強弁するが,被告教団が認めるように同教団は被告松永に対する研修,牧師の資格停止・剥奪などの人事権を少なくとも有しており,かつ,被告松永が主任牧師を務める新津教会の不動産は被告教団の所有である(甲31の1~5「登記事項証明書」)。
それにもかかわらず,被告松永の活動が個人的信念に基づく牧会活動であるという論理はおよそ成り立たない。もし,そのような論理がまかり通るとすれば,被告教団は宗教法人,キリスト教団としての体をなしていないというべきである。
そもそも,被告松永は拉致監禁強制棄教により信仰を失わせた元統一教会信者の多くを自らの教会の信者に取り込み(甲27「小出陳述書」22~23頁),同被告に子供等の脱会説得を依頼してきた親に報酬及び教会建設等のための献金を求めているものであって(同35頁,甲26「鈴木陳述書」8~9頁),被告教団の教勢拡大の一環として,原告に対する本件拉致監禁強制棄教を行っていたものであることは明白であり,これが被告教団の事業の執行について行われたものであって,同被告が使用者責任を負うのは当然である。
原 告 岩本 徹
被 告 ■<後藤氏の兄> 外5名
準備書面(3)
平成23年8月16日
東京地方裁判所民事第12部 御中
原告訴訟代理人弁護士 福 本 修 也
本準備書面では,平成23年6月28日付被告宮村準備書面(1)及び平成23年7月1日付被告松永準備書面(1)に反論する。
第1 被告宮村準備書面(1)に対する反論等
1 被告宮村が,原告の拉致監禁の方法を指導・統括していたこと
被告宮村は,「被告■<後藤氏の兄>のほか原告の家族らに対し,原告の拉致監禁の方法を事前指導・統括し・・・従業員を拉致実行行為者として送り込んだ」事実は全くないと主張する。
しかしながら,原告が2回目の拉致監禁を受けた際,被告■<後藤氏の兄>ら家族だけではなく庭に潜んでいた見知らぬ男性らに取り囲まれ,抵抗できない状態にされたものであり,この庭に潜んでいた男性が,被告宮村経営の株式会社タップの従業員だったことが後日判明している(甲9「岩本陳述書」7頁)。
そもそも,被告宮村は『親は何を知るべきか』という書籍において,同被告が「保護」と称する信者救出活動なるもにつき,「家族では手に負えない」,「救出カウンセリングをお願いする先生を見つけて信頼するしかない」と述べて,「保護」実行前の事前カウンセリングの必要性について自ら強調し(甲24「親は何を知るべきか-破壊的カルトとマインド・コントロール-」119~152頁),現に自ら信者の家族らに対して拉致監禁の事前の具体的指導をしているものである(甲18「監禁250日証言『脱会屋』の全て」151~158頁)。
さらに,実際に被告宮村指導下に統一教会信者を拉致監禁して強制棄教に成功した元信者家族の体験談においても,反統一教会学者浅見定雄から「宮村さんを頼って学ぶように」と勧められたことに始まり拉致監禁実行時における被告宮村の密接な関与が描写され,最後に「家族だけでこれらを行うことは到底無理だった」と述懐までしているのである(甲24「親は何を知るべきか-破壊的カルトとマインド・コントロール-」180頁,187~212頁)。拉致監禁(被告らの主張による保護)が家族らが行ったものであって,「被告宮村ら脱会屋は関与していない」などという主張は,家族を利用した隠れ蓑に過ぎず,本件を含め信者拉致監禁の首謀者・指揮者は家族ではなく被告宮村ら脱会屋なのである。
本件においては,第1回目の監禁から被告宮村が関与していた事実,原告の兄である被告■<後藤氏の兄>が当時被告宮村の会社の社員であったという事実,第2回目の拉致の実行犯に被告宮村の会社の社員が送り込まれていた事実,拉致監禁時の人の配置や新潟のマンションの準備など用意周到に計画がなされていた事実に鑑み,被告宮村が被告■<後藤氏の兄>ら家族を指揮・指導していたことは明らかである。
原告監禁中も,原告の抗議行動の後には直ぐに家族から連絡を受けた被告宮村がマンションに駆け付けており(甲9「岩本陳述書」26~27頁),マンション内で何かあった時はすぐに被告宮村に連絡をするように事前に打ち合わせがなされていたこと,原告拉致監禁の指揮・命令・監督者が同被告であったことにつき疑いの余地はない。
2 被告宮村との話し合いについて
被告宮村は「話し合いは原告の同意の下行われた」,「原告を脅迫して強制棄教したことはない」,「原告から拉致監禁だと抗議を受けたこともない」などと主張する。
まず,原告は母■が被告宮村との話し合いを勧めてきたために渋々承諾したものであって,原告自らが望んだものではない。原告としては,第1回目の監禁の際の苦しい記憶から,夢の中にまで被告宮村が登場して苦しめられるほどであったが(甲9「岩本陳述書」17頁),被告宮村と会わなければ一生監禁から解放されることもないと思ったために仕方なく了承したものである。
原告が拉致監禁について人権侵害だと抗議したこと,被告宮村が被告■<後藤氏の兄>ら家族や元信者らとともに原告に対して非難・中傷・罵倒を浴びせかけたことは紛れもない事実である(同18~19頁)。
第2 被告松永準備書面(1)に対する反論等
1 被告松永が,原告の拉致監禁の方法を指導・統括していたこと
被告松永は,「被告松永が,原告の家族らに対し,原告の拉致監禁の方法を事前指導したり,これを統括した事実はない」と主張する。
しかしながら,被告松永は,当時,自らが主任牧師を務める新津福音キリスト教会で,統一教会信者である子供の脱会を望む父兄等を数十人集めて子供を脱会させるための勉強会を行い,信者父兄に対して拉致から監禁,監禁後の手ほどきを解説し,かつ,監禁解放の許否の権限を握って監禁を統括していたものである(甲9「岩本陳述書」11頁,甲26「■陳述書」4~8頁,甲27「小出陳述書」23~28頁,甲28「■陳述書」6~7頁)。
特に■(甲26)は、被告松永に娘(■)の脱会を依頼した本人であり,同被告から具体的な拉致監禁指導を受けた状況,監禁解放の許可を受けた状況,報酬等を要求されて一財産を奪われた状況を告白しており,同被告の言い逃れは通用しない。
被告松永は原告が新潟のマンションに監禁された後,間もなく,原告の説得にマンションを訪れるようになっているものであり,事前に被告■<後藤氏の兄>ら家族が被告松永主催の勉強会に参加し,指導を仰いでいたことは明らかである。
被告松永の上記手法に照らし,被告■<後藤氏の兄>ら家族と何ら事前の打ち合わせもなく,家族らが単独・独立して拉致監禁した原告を新潟まで連行するはずもなく,また被告松永が当該監禁場所を原告説得のために訪問するはずもない。
2 被告松永との話し合いについて
被告松永は,話し合いは「原告の家族や原告の希望により行われた」,「原告の主張するような発言はしていない」,「面談は主に聖書に関する諸問題について原告が質問し,被告松永がこれに答える形だった」などと主張するが,原告が被告松永及び元信者と会うことを希望した事実などない。被告松永は,原告の意思を無視し,原告を棄教させるため,監禁場所を自ら訪れ,かつ,配下の元統一教会信者ら(多く脱会後に被告松永の教会所属信者となっていた)を訪問させたのである。
また,被告松永の説得内容は,原告が聖書について被告松永に質問してこれに答えたということもあったが,むしろ,被告松永が自らのキリスト教信仰観に基づいて統一教会の教理及び教祖を異端として一方的に批判するのが中心であった。なお,原告が被告松永に対して聖書に関する質問をしたのは,同被告の統一教会を異端視し馬鹿にする批判に対し,同被告が絶対視する聖書が果たして絶対的と言えるのかという観点で抗議する意味で行っていたものである。
また,被告松永が訪れるようになってしばらくしたころには,原告は信仰を持ったまま監禁から逃れることは困難と判断し,偽装脱会をして機を見て逃走することを考え出していた。そこで,突然,脱会を表明しても信用されないことから,被告松永と何かしら議論を交わして説得されたふりをする必要があったのである。このように,あくまでも「監禁から脱出する目的で」,やむを得ず被告松永に質問をしていたものに過ぎず,決して統一教会の原理を検証しようと自分から積極的に質問をし,平穏な話し合いがなされていたというものではない。原告は,拉致監禁期間中の12年余りの期間,偽装脱会をしていた期間を含め,本心において信仰を失ったこともなければ,統一教会の教えを疑ったことすら一度もない。
なお,厳重な監禁下にあって脱出の不能を悟り,逃走の機会を窺うために偽装脱会をし,監禁者らに迎合するかのような態度を示すというのは,一人原告だけにとどまるものではなく,他の拉致監禁被害者らの多くが試みる自衛手段である(甲18「監禁250日証言『脱会屋』の全て」77~,甲19「拉致監禁120日間」10~19頁,甲25「■陳述書」3~5頁,甲27「小出陳述書」11~,甲29「■陳述書」5~7頁)。
監禁者らはこの偽装脱会中の被害者の言動を捉えて任意でその場に留まっていたなどと主張するのが常であるが,偽装脱会中の被害者の迎合的言動など監禁を正当化する根拠になどなり得ない。これら偽装脱会信者が脱出後に統一教会に戻っているという事実がそのことを雄弁に物語っている。
3 手記を書くことを強要したことについて
被告松永は,「手記を書いてみてはどうかと提案し,原告が自らの意思で手記を書いた」などと述べ,手記を書くように強要したことを否定する。
しかし,監禁下に置かれている原告にとって「手記を書くように」との提案が「手記を書かなければ解放されない」の意味に受け止めるのも当然であり,到底拒否できるものではなかった。原告としては,本当に信仰を失ったかどうかを確かめるための踏み絵のような手記を書かされるのは苦痛以外の何ものでもなかったが,監禁から一刻も早く解放されたい一心で意に反して本心を偽り,被告松永や家族の意に沿うような内容の手記を書いたものである(甲9「岩本陳述書」13頁)。
4 被告日本同盟基督教団との関連について
被告日本同盟基督教団(以下,「被告教団」という。)が,被告松永の拉致監禁指導・棄教強要行為に関して使用者責任を負うことは,原告準備書面(1)3頁で主張した通りである。
被告松永は自らの活動を個人的信念に基づく牧会活動であるなどと強弁するが,被告教団が認めるように同教団は被告松永に対する研修,牧師の資格停止・剥奪などの人事権を少なくとも有しており,かつ,被告松永が主任牧師を務める新津教会の不動産は被告教団の所有である(甲31の1~5「登記事項証明書」)。
それにもかかわらず,被告松永の活動が個人的信念に基づく牧会活動であるという論理はおよそ成り立たない。もし,そのような論理がまかり通るとすれば,被告教団は宗教法人,キリスト教団としての体をなしていないというべきである。
そもそも,被告松永は拉致監禁強制棄教により信仰を失わせた元統一教会信者の多くを自らの教会の信者に取り込み(甲27「小出陳述書」22~23頁),同被告に子供等の脱会説得を依頼してきた親に報酬及び教会建設等のための献金を求めているものであって(同35頁,甲26「鈴木陳述書」8~9頁),被告教団の教勢拡大の一環として,原告に対する本件拉致監禁強制棄教を行っていたものであることは明白であり,これが被告教団の事業の執行について行われたものであって,同被告が使用者責任を負うのは当然である。
以 上
2011-10-18(Tue)
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- 後藤徹代表側の準備書面(3)が出ています
- 拉致監禁by宮村の裁判記録の新着記事が掲載されています。 原告後藤徹氏側準備書面(3) 普段は一時的に休憩して記事を書いていますが、 今夜は仕事が長引きそうですので、 感想は後日にさせていただきます。 是非、皆様、後藤さんの準備書面を読んでいただいて、 いかに、…
- [いつも私のとなりに神さま] 2011-10-18 22:03
疑問持たないの?
「被告松永の上記手法に照らし,被告■<後藤氏の兄>ら家族と何ら事前の打ち合わせもなく,家族らが単独・独立して拉致監禁した原告を新潟まで連行するはずもなく,また被告松永が当該監禁場所を原告説得のために訪問するはずもない」
家族:話し合いをしているので、松永先生、ちょっと来てください―。
松永:分かりました。場所教えてください―。
こんなやり取りがあったって?。
不自然だろっ。
原告や家族の居住地と何のゆかりもない遠方のマンションで“話し合い”が行われていることを、普通のカウンセラーだったら、まず異常に思う。
依頼者は誰で、依頼者の意図は何か。
自分はその話し合いの場で、何をしなければならないか(話さなければならないか)。
これらを認識した上で、初めて訪問となる。
複数回、断りもせず、訪問しているわけだから、依頼者の目的が達成されていないことを認識していたことになる。
家族だけでは不可能だから、専門家として呼んだわけだから、松永が専門家として話し合い”を継続させたとみることが自然だ。
松永は第三者ではなく、話し合いの主導者としかみえない。
家族:話し合いをしているので、松永先生、ちょっと来てください―。
松永:分かりました。場所教えてください―。
こんなやり取りがあったって?。
不自然だろっ。
原告や家族の居住地と何のゆかりもない遠方のマンションで“話し合い”が行われていることを、普通のカウンセラーだったら、まず異常に思う。
依頼者は誰で、依頼者の意図は何か。
自分はその話し合いの場で、何をしなければならないか(話さなければならないか)。
これらを認識した上で、初めて訪問となる。
複数回、断りもせず、訪問しているわけだから、依頼者の目的が達成されていないことを認識していたことになる。
家族だけでは不可能だから、専門家として呼んだわけだから、松永が専門家として話し合い”を継続させたとみることが自然だ。
松永は第三者ではなく、話し合いの主導者としかみえない。
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