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原告後藤徹氏側準備書面(2) ─その2

原告後藤徹氏側準備書面(2) ─その2


原告後藤徹氏側準備書面(2) の構成
第1 はじめに
第2 第2について
第3 第3について
第4 第4について
第5 第5について

第6 第6について
第7 第7について
第8 第8について
第9 第9について
第10 第10について
青印が今回アップしたもの




第3 第3について


1 被告<後藤氏の兄>らは,「原告は突然統一協会のイベントに両親を誘うために実家に戻ってきた」などと主張するが,これも事実に反する。この当時は,父親が「もうあんなことはしない」と明言し,拉致監禁をしない旨約束をしていたことから,原告は家族との交流が再びできるようになり,時々実家に帰省して家族と夕食をともにしていた。

これは毎回,原告が寝泊まりしていたホーム宛てに父親から電話による誘いを受けて帰省していたものであり,予告もなく突然,原告から帰ったという事実はない。予告もなく突然に原告が帰ったところへ,被告らが統一教会に関する話し合いを切り出し,タイミング良く新潟のマンションに行く手はずが整っていて,見た事もない他人の大型ワゴン車までもが準備され,他の男性らも自宅付近で待機していたということなどあり得ない。

実際には,被告<後藤氏の兄>らが用意周到に原告を拉致監禁する手はずを万端整えた上,これを実行に移すべく父親において原告を実家に呼び出したものであることは自明である。

2 また,被告<後藤氏の兄>らは,「原告の実家近辺は,閑静な住宅街であるから,真実原告の主張のような事実があれば,すぐに騒動になるはずであるが,当然のことではあるが,そのような騒動は全く起こらなかった。」ということを根拠に,原告が自ら靴を履いて自動車に乗り込んでおり,移動することを承諾していたと主張する。

しかしながら,原告はこの時,「もうやらない」と約束していたにもかかわらず,再び拉致監禁されたショックと恐怖,また,用意周到に見知らぬ他人まで動員して逃走を防ぐかのように庭に配置しているのを目の当たりにし,多人数に取り囲まれて絶望感に襲われ,激しく抵抗する気力さえも萎えてしまったものに過ぎない(甲9「原告陳述書」7頁)。

新潟のパレスマンション多門に着いたときも同様で,原告は,両脇にいた兄と父に押し出されるようにして車から降ろされたとき,もう拉致監禁はやらないと約束していたにもかかわらず,このように用意周到に監禁場所まで準備して拉致監禁が計画されていたことにショックを受け,もはや激しく抵抗する気力を失せ,父と兄に両脇をつかまれて家族や運転手の男らに周りを取り囲まれたまま607号室に連行されていたものである。

 また,被告<後藤氏の兄>らは「原告が実家を出るときに,原告に付き添っていたのは原告の父母である」と主張するが,これは嘘である。実際には原告は「兄と父に左右両脇を抱えられ,力づくで持ち上げられて(同7頁)」しまったのであり,さらに母,兄嫁,妹,及び見知らぬ男性らによって四方八方を囲まれ,抵抗できない状態にされたものである。

被告<後藤氏の兄>ら引用の検察審査会議決書にも「ワゴン車で待機していたA及び<後藤氏の父>宅にいたB」とある通り(乙イ1の2「検察審査会議決書」3頁),「見知らぬ他人」まで用意周到に動員配置しておきながら,拉致監禁ではなく家族の話し合いであったとする被告<後藤氏の兄>らの主張など白々しいにも程がある。

3 また,被告<後藤氏の兄>らは新潟に向かう途中で給油のためにガソリンスタンドにも寄っていると主張しているが,前掲検察審査会議決書によれば,被告<後藤氏の兄>らは刑事事件の被疑者であった際には「ノンストップで行った」と供述しており(同3頁),矛盾している。このように,被告<後藤氏の兄>らは,刑事事件以来,自らの犯行を隠蔽するために場当たり的に虚偽を述べ連ねているものである。

  簡易トイレについても,被告<後藤氏の兄>らは刑事事件において父親がトイレが近いことから常備していたなどと主張しているが,実際には父親はこの5時間半の中で全く簡易トイレなど使用しておらず,原告が「トイレに行きたい」と言い出したとき,車外のトイレ施設から逃走することを防ぐために予め準備したものであることは明らかである。

仮に父親のために簡易トイレが準備されたとしても,原告が兄嫁他女性や他人が同乗する車内で簡易トイレに用を足さなければならない理由などない。原告が頼んでも被告<後藤氏の兄>らが休憩所に寄らなかったため,仕方なく車内で用を足さざるを得なかったものであり,かかる屈辱を強要されるなど,明らかに異常な事態であって,原告の自由意思に基づく移動ではない。

  そもそも,拉致現場から監禁マンションへ連行する車中に簡易トイレを用意する手法は,拉致監禁者にとって,連行中の信者の逃走機会を出来る限り減らすために用いる常套手段である。

  例えば,被告松永の関与のもとに1995年6月10日から4カ月間新潟のマンションに監禁された統一教会信者川嶋英雄(最後の1ヶ月は原告と監禁期間が重複)も,富山の実家から新潟県内のマンションに連行される途中,車内で簡易トイレの使用を強要されており,この事実は1996年4月1日付で発行された著書『拉致監禁百二十日間』(甲19:5頁)<注1>やルポライター米本和広の著書『我らの不快な隣人』(証拠後出:194頁)にも記載されている。

  この手法は,被害者が女性信者であっても例外ではなく,例えば,2001年10月に親族によって横須賀市で拉致され車とフェリーで移送された後,約半年間札幌市のマンションに監禁されていた<女>によると,同女の連行途中にワゴン車がパーキングエリアに停まったものの,同女は車内から一歩も出ることが許されず,車中に用意されていた簡易トイレで用を足すことを強要されるという屈辱的な経験をしている(甲21「陳述書」13頁)<注2>。

ちなみに,同女の夫は同女監禁中,同女の親族を訴えたが,後日,同女も加わって和解が成立し,同夫婦は拉致監禁を行った両親から200万円の慰謝料を得ているものである(甲「和解調書」)。

  さらには,監禁下での脱会説得を長年続け,「これまで800人を脱会させた」と公言して憚らない高澤守牧師は,民事裁判に証人として出廷し,統一教会信者を車で連行する際,必ず車内に「ポータブルトイレ」を用意するということを証言しているものである(甲20の2「高澤尋問調書」39~42頁)<注3>。

この高澤牧師は被告宮村及び被告松永と相互に連絡を取り合って協力し合う関係にあり,原告の監禁現場にも一度訪問しているものである。

  なお,拉致現場から監禁場所のマンションに向かう車中,原告を監禁状態にしていたという事実は,被告らが当初から原告をマンションに監禁する意思であったことを示す証拠である。

4 そもそも,被告<後藤氏の兄>らが主張するように,平穏な家族の話し合いをするだけであれば,わざわざ見知らぬ他人まで配置して原告を新潟のマンションに連れて行く必要など全くなく,実家において話し合いを重ねれば済むことであったはずである。

原告は第1回目の拉致監禁から年月を経る中で,家族との関係を修復しようと家族との交流を始めていたものであり,上述の通り父親の呼出しに応じて夕食をともにする機会もあったのであるから,実家でも話し合いをすることは十分に可能な状態であった。

それまで信徒組織で活動しながらも家族と交流し,祝福も受けた矢先であったのに,突然,婚約者はおろか仲間の信者にも何の連絡もせず,縁もゆかりもない新潟に行くことに原告が同意し,その後引き続き12年余りの長きにわたって外部との連絡を一切絶つなど,およそあり得ないことである。

第4 第4について
1 被告<後藤氏の兄>らは,検察審査会の議決書を引用して,「玄関の鍵は原告の推測」と主張するが,原告がちょうどトイレから出たときに被告松永と元信者が同室を訪れ,父親が解錠するための鍵を持って玄関に迎えに出たのを原告が見ており,間違いない(甲9「原告陳述書」8頁)。

また,監禁後2年以上経つ「荻窪フラワーホーム」入居の際に玄関に南京錠を付けていたにもかかわらず,逃走をより強く警戒していたはずの監禁初期に玄関に鍵を付けていなかったとは到底考えられない。

  また,被告<後藤氏の兄>らは,平成8年3月以降は,原告と一緒にいたのは被告<後藤氏の妹>だけという状態が殆どであったため,原告が出ようと思えばいつでもマンションから抜け出ることが可能であったと主張する。しかし,これは被告<後藤氏の兄>らの嘘であって,パレスマンション多門においては常時2人以上の人間が監視しており1人だけになることはなかった。

父親も入院して手術後1~2ヶ月のうちには同室に戻ってきて監視を続けていたものであり,再び入院したのは平成9年3月からである。さらに,同室は,窓が全て防犯錠で内側から開けられないようにロックされており,玄関も上述の通り内部から脱出を防ぐ施錠がされていたのであるから,逃走は困難であった。

また,原告は,3ヶ月半程監禁が続く中でこのままでは監禁状態から解放されることは不可能であると感じ,前回同様に偽装脱会をすることとし,平成7年12末に脱会届を書いている。しかし,原告が脱会を表明しても,前回監禁の際に偽装脱会して逃走した経緯があるため,警戒した被告らによって監禁を解かれることはなかった。

このため,成算もなく脱出を図って失敗した場合には現状以上に監禁が強化されて脱出が困難になると考えた原告は,監視が女性だけになったときでも,安易に脱出のための行動を取ることを控え,ひたすら完全に脱出することができる機会が訪れるのを辛抱強く待つしかなかったのである(同13頁)。

第5 第5について
1 被告<後藤氏の兄>らは,原告が父との最期の対面をするためにパレスマンションを出る際に財布や免許証などを持っていかなかったことをもって,逃げるつもりがなかったと主張するが,原告が所持品を置いて行ったのは単にまたパレスマンションに戻されると思ったからに過ぎない(甲9「原告陳述書」14頁)。

この移動の日は,被告<後藤氏の兄>らも認めている通り被告<後藤氏の兄嫁>の二人の兄を含め男性数人が待機しており,拉致されたときと同様,多勢に無勢で原告が逃走することなど不可能であった。

この時原告と一緒に行動したのは,妹,兄嫁,兄嫁の2人の兄,元信者男性2人,元信者女性1人の合計7名であり,新潟から東京に移動する際に使用した8人乗りワゴン車は,原告も含めて全ての席が埋まっていた。実家に安置されていた父の亡骸と対面するのにこのような無関係な者が一緒にいたのは,原告に対する監禁が継続されていたことの証左である。

また,心情的にも,原告はこの時は父親が亡くなったショックと悲しみ,そして偽装脱会が露見しないようにという緊張感の中で,完全に脱出できる瞬間を待つしかなかったのである。そして,父の亡骸と対面した後再び家族や元信者に取り囲まれながらワゴン車に乗せられ,ワゴン車の中で初めて原告はもう新潟には戻らないことを知らされ,荻窪プレイスに連行された(同15頁)。

2 また,被告<後藤氏の兄>らは,この荻窪プレイスでの監禁生活についても,検察審査会議決書を引用して,「玄関の鍵については原告の推測」,「女性だけになることが多かったため逃走は可能だった」と主張しているようであるが,上記に述べた通り,偽装脱会中である原告にとって,確実に逃走できる見込みもなく軽率な行動を取ることは不可能であった。

玄関の鍵については原告が隙を見て玄関のカーテンをめくってダイヤルロック式の鍵を確認しているものであり(同15頁),6階の部屋のため窓から飛び降りることも難しく,確実に脱出できる見込みは極めて低かったものである。

3 そもそも,東京に戻ってきたのであれば父との対面後引き続き自宅で生活させれば良いのであって,父親の死で上京するのに合わせてマンションが用意されていたこと,しかも,同マンション移動後に父の葬儀にすら参席が許されなかったこと自体が,本件が被告<後藤氏の兄>らの主張する「家族の話し合い」などではないことを如実に物語っている。


<注1>『拉致監禁百二十日間』(甲19:5頁)
→移送中、「トイレに行きたい」と言うと、逃げだそうとするからダメだと言われました。「権利がある」と言うと、「携帯トイレがある」と言ってゴム状の携帯トイレを渡され、屈辱に身をふるわせながら、車の中で用を足しました。

<注2>(甲21「陳述書」13頁)
→車は途中、群馬か栃木あたりのパーキングエリアに停まりました。このとき兄二人は車を降りて行きました。私は両親に対して「トイレに行きたい」と言いましたが、父が「ダメだ。トイレは後ろにある」と言い、続いて母が「カーテンの後ろにあるからそちらでしなさい」と言いました。私は驚きましたが、母が座席のシートをまたいで後部の荷台に行ったので、私も荷台に行きました。するとそこには簡易式トイレが乗せてあり、母が「こうやって使うのよ」と言って使い方を示しました。私はやむなくその簡易式トイレで用を足しました。後部荷台の扉には取っ手の部分に木が打ちつけられてあり、内側からは開けられないようになっていました(添付図4)。私は荷台側面の窓ガラスを覆っているカーテンを開けて外を見ようとしましたが、このカーテンも針金で固定されていたため、僅かの隙間しか開きませんでした。また、荷台側面の窓自体も固定されていて開きませんでした。結局パーキングエリアでも私は一歩も車外に出してもらえませんでした。

<注3>(甲20の2「高澤尋問調書」39~42頁)
→それから、車で連行する際に、絶対に外に出さないようにとか、あるいは車の窓を開けないようにというような注意をしたようなことはありませんか。
 
 それは、もう自ずから、父兄の方々が、私が言うまでもなく、もう、それは分かってることですから。

 敢えてそんなことは言ってないというんですか。

 それは言う場合もあるかもしれませんけれども、言う程のこともないことなんです。と申しますのは、過去にですね、昔も高速道路を走ってて、本人がトイレ行きたいということで、サービスエリアでトイレに行ってたらいつまでたっても出てこないということで、ノックしたら鍵がかかったままで、それで、エリアの方に来ていただいて、鍵を開けていただいたら小窓から逃げて行ったなんてこともあるわけですから。

 また阿部さんの陳述書なんですが、それの五ページなんですがね、真ん中辺りから、『途中でトイレに行きたいと言うと、同乗者の一人が私の両腕を両側から組んで行ったらと言うと他の一人が、「それは出来ない先生から絶対に車の外に出さない様に言われている。」と言いましたが、最後に父がどうしても辛抱出来なければ、そのままやるしかない、後で洗濯すれば済む』とまで言う始末で、トイレには行けませんでした。フェリー上で車内が耐えられない程に熱くなり窓を開けてくれるように頼んでも「先生が開けるなと行ったのでダメだ」との答えが返ってくるだけだった。」』とありますね。ここで先生というのはあなたのことですね。

 私のことだと思いますけれども、これは私だけが言ってるんじゃなくて、親が誰から聞いたことでも高沢から聞いたというふうにご理解なさったんだろうと思いますから、ですから父兄の方が言ったことであっても、私が申し上げたということになれば私は構わないわけですが、ただ事の重大性としまして、車の窓を開けると、そこから物を投げたりいろんなことをしますし、申し上げたように、トイレに行くとそのまま振り切って逃げちゃいますので。ただここでしろ、後で洗濯すれば済むとか、それは嘘です。何故かと言いますと、必ずポータブルトイレを用意してしますから、そこでするようにということを親御さんから言ってるはずですので、それは違います。事実と。ですから車の中からちゃんと、はい、トイレを用意しますので。





2011-08-17(Wed)
 

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何が話し合いだよ 

<この時(実家に安置されていた父の亡骸と対面するのに)、原告と一緒に行動したのは,妹,兄嫁,兄嫁の2人の兄,元信者男性2人,元信者女性1人の合計7名であり,新潟から東京に移動する際に使用した8人乗りワゴン車は,原告も含めて全ての席が埋まっていた>
<父の葬儀にすら参席が許されなかった>

話し合いをしようと言い出したのは原告の父で、被告らは、長期間のマンション生活は「話し合いのため」だった、と主張する。

その、異常なまでに長期間に及んだ“話し合い”の途中、父は他界した。

“話し合い”を求め、“話し合い”を続けていたはずの父が病に伏しても、原告はその病床に行けなかった。
また、葬儀にも行けなかった。
さらに、冷たくなった父の亡骸に別れの挨拶に行くのに「兄嫁の2人の兄,元信者男性2人,元信者女性1人」が付いてきた。
なんですか、この異常さは。

なんと、“話し合い”は言い出しっぺの父が他界しても、マンションに妹だけがいるという状況になっても終わらず、いつしか、キリスト教牧師やら宮村らが顔を出すようになった。
異常だよ、異常。

<原告に対する監禁が継続されていたことの証左である>

その通りです。
いいぞ、福本弁護士!

2011-08-17 08:42 | みんな | URL   [ 編集 ]

葬儀に参加させない異常さ 

後藤さんのお父様が亡くなった時は、後藤さんが偽装脱会中で脱会届も書いた後。

それなのに、何故お葬儀に参加させなかったか?

後藤さんがお父様の亡骸にご対面した後、何故荻窪の用意された別のマンションに移ったのか?

お兄さん、妹さん、兄嫁さんに、その時の気持ちを聞いてみないとわからないのだが、疑問である。

お父様が亡くなることは一大事。何をおいても優先しなければならないことである。息子がお葬式の参加を許されないなんて、考えられない。
偽装脱会かも、と疑っていても、家族の気持ちからしたら最期は家族皆で送りたいと思うのではないか。

そこまでして、逃走を防ぎたいのか?

いくら、統一教会員でも、お父様のお葬式の途中で逃走はしないと思うのだが、甘いでしょうか?

2011-08-17 21:20 | koyomi | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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