後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)─その4
後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)─その4
「後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)」も今回で終わりとなる。統一教会に行くことさえできなかった後藤徹氏の12年5カ月にわたる拉致監禁を、兄、兄嫁、妹を再伝道しようとした後藤徹氏の信仰熱に置き換えようとした論理は、12年5カ月にわたる長期教会活動欠席により破たんしている。後藤徹氏が自由に外に出られる環境にあったとする兄、兄嫁、妹らの準備書面の主張は、12年5カ月にわたって後藤氏が伝道意欲を持ちながらも教会活動には欠席し続けたという矛盾を説明できない。この点を今後後藤氏がどのようについて行くか、注目したい。
今回掲載分は、後藤徹さんの陳述書の中では「原告(後藤徹氏)陳述書(4)」、「原告(後藤徹氏)陳述書(5)」、「原告(後藤徹氏)陳述書(6)」に当たる。
第7 原告の居座り
「後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)」も今回で終わりとなる。統一教会に行くことさえできなかった後藤徹氏の12年5カ月にわたる拉致監禁を、兄、兄嫁、妹を再伝道しようとした後藤徹氏の信仰熱に置き換えようとした論理は、12年5カ月にわたる長期教会活動欠席により破たんしている。後藤徹氏が自由に外に出られる環境にあったとする兄、兄嫁、妹らの準備書面の主張は、12年5カ月にわたって後藤氏が伝道意欲を持ちながらも教会活動には欠席し続けたという矛盾を説明できない。この点を今後後藤氏がどのようについて行くか、注目したい。
今回掲載分は、後藤徹さんの陳述書の中では「原告(後藤徹氏)陳述書(4)」、「原告(後藤徹氏)陳述書(5)」、「原告(後藤徹氏)陳述書(6)」に当たる。
後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)の構成
第1 はじめに
第2 1987 (昭和62年)年10月─京王プラザホテルでの話し合いについて
第3 1995(平成7)年9月11日の新潟への移動について
第4 新潟での話し合いについて
第5 1997 (平成9)年6月からの荻窪プレイスでの話し合いについて
第6 1997 (平成9)年12月以降の荻窪フラワーホームでの話し合いについて
第7 原告の居座り
第8 原告の健康状態にっいて
第9 原告を外に出したことについて
第10 最後に
青印が今回アップしたもの
第7 原告の居座り
1 被告後藤らからの再三にわたる退去勧告にも出て行かなかったこと
被告後藤らは,原告が,まじめに話し合いもせず,統一協会の考え方に共感しない家族を馬鹿にするような態度を取った時,「真面目に話し合う気がないならここを出て,ちゃんと自分で働いて食べていけば。」などと何度も原告に伝えた。しかしながら,そのように被告後藤らが話すと,原告は,黙ってしまったり,「そう言われましても」などと話しをはぐらかすなどして,出て行こうとしなかった。
2 体重40キロにも満たないような母と妹しかいない時間が大部分であったにもかかわらず,原告が,出て行こうとしなかったのは,むしろ,家族を根負けさせて,統一協会への信仰を認めさせ,統一協会の信仰を「捨ててしまった」被告後藤ら家族を救おうとして,居座っていたのである。
3 統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,統一協会の組織的教え込みによる精神的呪縛の強さや,統一協会からの離脱の困難性からすれば,十分にあり得ることである。
現に,家族が,原告が出て行かないので,半ば無理矢理にマンションから外に出したところ,原告は,今や,統一協会において,「勝利者」「天宙の聖人」などと英雄視されているのである。
4 ちなみに,原告は,フラワーマンションを出てから約5ヶ月後の2 0 0 8(平成20)年7月20日,一人でふらりと被告■<後藤氏の妹>と母■<後藤氏の母>が住む西東京市内の実家にやってきた。原告は,被告■<後藤氏の妹>らに監禁されていた旨主張するが,原告が真実監禁されていたのであれば,監禁されていた人物が,自分を監禁した「加害者」のところを一人で訪れることなどあり得ないことである。
5 なお,東京第四検察審査会の平成22(2010)年10月6日付の議決文では,3(1)カ「荻窪フラワーホーム804号室について」の項において,検討した結果として,「申立人は,統一教会の教えとして,家族に教え広めて手を差し延べる対象であることや,■<後藤氏の兄>,■<後藤氏の兄嫁>,■<後藤氏の妹>が教祖を裏切っており,当然天罰を受けることになるとの思いから,家族に誤解を解いて救いたいという気持ちがあったと述べており,そのために留まっていたものと考えられる。」と認定されている。
第8 原告の健康状態について
1 原告は,『全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血』との診断を受けたとのことであるが,全く信用できない。
原告は,3度の断食後の食事は重湯などで通常の食事に戻すまでに時間をかけたものの,断食後の一定の期間を除けば,母である訴外■<後藤氏の母>と妹の被告■<後藤氏の妹>が,栄養面もきちんと考えて食事を用意しており,原告もきちんと食べていた。
原告は,「フラワーホーム」を出る平成20(2008)年2月10日まで,通常通り3食を食べていたし,出て行くまで毎目のように,夕食後, 10kg以上はありそうな机を持ち上げるなどしで健康と体力維持のために筋カトレーニングを30分間程度しでいた。実際に,原告を玄関の外に出そうとした時も原告は強い力で被告後藤らに抵抗していた。
実際,原告は,荻窪から渋谷まで徒歩で歩こうと思う程体力があり,実際,渋谷区松濤2丁目の交差点まで歩いたことを自認している。
2 平成17(2005)年の二度目の断食後に,体重をはかったところ,断食直後でさえ約4 5kgの体重であったことを母■<後藤氏の母>と被告■<後藤氏の妹>,同■<後藤氏の兄嫁>らが確認している,
3 原告は,平成20(2008)年7月2日,何食わぬ顔で西東京市の実家に来て,自分のノートなどがないかたずねてきた。この時に,原告は,被告■<後藤氏の妹>と母■<後藤氏の母>に対し「20キロ太った。」と話していたが,その時の体重はどう見ても70kg以上はあった。このようなことから,「荻窪フラワーホーム」を出された時には,少なくとも原告の体重は50kgはあったと思われるのである。
4 一心病院について
(1)原告が当初入院したとされる一心病院は,統一協会信者の医者,看護師らで構成され,かっては統一協会の医療局と呼ばれていた病院である。現院長の上川床裕は,原理研出身で,昭和63(1988)年の合同結婚式にも参加している(6516双,「双」というのは合同結婚式に参加した夫婦数を示す数と言われており,これによっていつ合同結婚式に参加した信者か,古参の信者かどうか等がわかるようになっている。同数の夫婦数が参加したとされることによる呼称)。
元院長の上埼(こうさき)道子は昭和45(1970)年の会同結婚式に参加した(777双)古参信者,前院長の,渡辺泰博も昭和57(1982)年の合同結婚式に参加(6000双),元院長の菅原暁は昭和50(1975)年の合同結婚式に参加している(1800双),いずれも筋金入りの古参の統一協会信者である。
(2)一心病院は,統一協会の組織の方針に従って活動している病院であって,全く中立
性・公平性がない。統一協会は,拉致監禁と騒ぎ立てて,家族との話し合いを妨害するために,事実のねつ造などをしてきた団体である。
「目的は手段を正当化する」という理屈で,文鮮明の指示の実現のため,統一協会のためであれ,ば,社会的に違法な行為でも統一協会の組織内においては正当化されてしまうのである。現に,統一協会が組織的に展開している資金集めのための霊感商法について,統一協会は,今でも,信者が勝手にやっていることであると白々しく述べていることが,その実例である。
5 なお,東京第四検察審査会の平成22(2010)年10月6日付の議決文では, 3 (3)において,検討した結果として,「入院した一心病院の内科病歴要約には,申立人の体重は3 9.2キログラムとあるが,同病院の医師作成の診断書には,『脱水が改善したと思われる入院後5日日でも体重は52.1キログラム』とある。栄養管理計画書の入院時栄養状態に関するリスク欄には,体重38キログラムとの記載が53キログラムと訂正されている。一心病院が作成した診療録等を検査した大学病院の医師の報告によれば,2月11日に体重が39.2キログラム,2月17日が5 2.1キログラム,2月24日が51.1キログラム,2月27日が53キログラムとなっているが,2月11日から6日後に12,9キログラムも増加するということは考えられず,体重値が誤っていると判断している。また一心病院で体重測定に立ち会った看護師は,体重を測る際,体重計に乗った後,倒れないよう手を貸したまま測定したと述べていることなどから,39.2キログラムとした測定結果には疑問がある。
看護基礎情報では,入院時診断が「栄養失調」と記載され,身長の記載があるのに,栄養失調に重要な情報である体重欄の記載は空欄となっているのも不可解である。栄養失調の点についで東京警察病院の管理栄養士によれば,後藤家での食事は,必要カロリーからは不足しているが,基礎代謝が著しく低下していると思われるので,外出せず,運動量が少なかったこと等から消費カロリーが通常より少なかったとすれば,直ちに健康を害するほどのカロリー不足だったとは思われない。血液検査の結果を見る限りは,深刻な栄養不良状態であったとは思えないと述べている。」と認定されている。
第9 原告を外に出したことについて
1 結果として,被告後藤である家族らは,平成20(2008)年2月10日,原告を「荻窪フラワーホーム」から外に出すことになったが,これは,突然の思い付きによる行動ではない。
家族としては,出来れば話し合って,原告が自分で真剣に考えるようになって欲しいという望みもあって,居座り続ける原告に対し,敢えて力ずくでマンションから追い出すことまではしなかった。
しかし,原告がいつまでも居座り続け,しかもマンション内ではただ我が儘に振る舞い続けるだけなので,このままマンションにいても進展がないと考えて,敢えて玄関の外に出して,事の重大さを自覚させ,このことをきっかけに真剣に話し合いをするようになってほしいという期待をこめて原告の決断を促すべく,とりあえずマンション内から外に出すことにしたのである。
2 家族らは,その頃,原告に対して, 2,3時間にわたって,家族それぞれが,統一協会の問題点を指摘し,本当に原告のことを心配していることや,真剣に話し合う必要性を改めて話したが,原告の返事は相変わらず,家族の問いかけをはぐらかすようなものであった。このため,家族らは,原告に対し「それならここから出て行けばいい」と本気で再三述べたが,原告が一向に態度を改めないため,一且部屋の外に出すことにしたのである。原告は玄関扉を数分間たたき続けていたが,間もなく姿が消えた。家族は原告がこれまでの態度を真剣に考え直すきっかけになればと考え,敢えて一度部屋から出したのである。このためお金を持たせることはしなかった。靴については,原告が裸足だったため,革靴を外に出してあげたものである。
第10 最後に
以上のとおり,被告■<後藤氏の兄>ほか家族と原告の共同生活は,原告の同意のもと話し合いを始めたものであるし,原告はいつでも立ち去ろうとすれば立ち去ることが可能な状態であり,決して逮捕・監禁,強要にあたるものではなく,不法行為を構成するものではない。
原告と被告後藤らの共同生活が結果として長期間になったのは,主には原告が統一協会の教えに従って信仰を保ちつつ家族と共に生活を続ける事が家族の救いに繋がる,自分が統一協会の教えを捨ててしまったらもはや家族の救いの道が断たれるし,一方,自分一人で統一協会に戻れば家族との関係が切れてしまう,と思いこんで居座り続けたからである。家族は12年もの間,原告が勇気を持って統一協会の活動や教えの問題点に真剣に向き合えるよう,見守っていたのである。
以上
被告後藤らは,原告が,まじめに話し合いもせず,統一協会の考え方に共感しない家族を馬鹿にするような態度を取った時,「真面目に話し合う気がないならここを出て,ちゃんと自分で働いて食べていけば。」などと何度も原告に伝えた。しかしながら,そのように被告後藤らが話すと,原告は,黙ってしまったり,「そう言われましても」などと話しをはぐらかすなどして,出て行こうとしなかった。
2 体重40キロにも満たないような母と妹しかいない時間が大部分であったにもかかわらず,原告が,出て行こうとしなかったのは,むしろ,家族を根負けさせて,統一協会への信仰を認めさせ,統一協会の信仰を「捨ててしまった」被告後藤ら家族を救おうとして,居座っていたのである。
3 統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,統一協会の組織的教え込みによる精神的呪縛の強さや,統一協会からの離脱の困難性からすれば,十分にあり得ることである。
現に,家族が,原告が出て行かないので,半ば無理矢理にマンションから外に出したところ,原告は,今や,統一協会において,「勝利者」「天宙の聖人」などと英雄視されているのである。
4 ちなみに,原告は,フラワーマンションを出てから約5ヶ月後の2 0 0 8(平成20)年7月20日,一人でふらりと被告■<後藤氏の妹>と母■<後藤氏の母>が住む西東京市内の実家にやってきた。原告は,被告■<後藤氏の妹>らに監禁されていた旨主張するが,原告が真実監禁されていたのであれば,監禁されていた人物が,自分を監禁した「加害者」のところを一人で訪れることなどあり得ないことである。
5 なお,東京第四検察審査会の平成22(2010)年10月6日付の議決文では,3(1)カ「荻窪フラワーホーム804号室について」の項において,検討した結果として,「申立人は,統一教会の教えとして,家族に教え広めて手を差し延べる対象であることや,■<後藤氏の兄>,■<後藤氏の兄嫁>,■<後藤氏の妹>が教祖を裏切っており,当然天罰を受けることになるとの思いから,家族に誤解を解いて救いたいという気持ちがあったと述べており,そのために留まっていたものと考えられる。」と認定されている。
第8 原告の健康状態について
1 原告は,『全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢),栄養失調,貧血』との診断を受けたとのことであるが,全く信用できない。
原告は,3度の断食後の食事は重湯などで通常の食事に戻すまでに時間をかけたものの,断食後の一定の期間を除けば,母である訴外■<後藤氏の母>と妹の被告■<後藤氏の妹>が,栄養面もきちんと考えて食事を用意しており,原告もきちんと食べていた。
原告は,「フラワーホーム」を出る平成20(2008)年2月10日まで,通常通り3食を食べていたし,出て行くまで毎目のように,夕食後, 10kg以上はありそうな机を持ち上げるなどしで健康と体力維持のために筋カトレーニングを30分間程度しでいた。実際に,原告を玄関の外に出そうとした時も原告は強い力で被告後藤らに抵抗していた。
実際,原告は,荻窪から渋谷まで徒歩で歩こうと思う程体力があり,実際,渋谷区松濤2丁目の交差点まで歩いたことを自認している。
2 平成17(2005)年の二度目の断食後に,体重をはかったところ,断食直後でさえ約4 5kgの体重であったことを母■<後藤氏の母>と被告■<後藤氏の妹>,同■<後藤氏の兄嫁>らが確認している,
3 原告は,平成20(2008)年7月2日,何食わぬ顔で西東京市の実家に来て,自分のノートなどがないかたずねてきた。この時に,原告は,被告■<後藤氏の妹>と母■<後藤氏の母>に対し「20キロ太った。」と話していたが,その時の体重はどう見ても70kg以上はあった。このようなことから,「荻窪フラワーホーム」を出された時には,少なくとも原告の体重は50kgはあったと思われるのである。
4 一心病院について
(1)原告が当初入院したとされる一心病院は,統一協会信者の医者,看護師らで構成され,かっては統一協会の医療局と呼ばれていた病院である。現院長の上川床裕は,原理研出身で,昭和63(1988)年の合同結婚式にも参加している(6516双,「双」というのは合同結婚式に参加した夫婦数を示す数と言われており,これによっていつ合同結婚式に参加した信者か,古参の信者かどうか等がわかるようになっている。同数の夫婦数が参加したとされることによる呼称)。
元院長の上埼(こうさき)道子は昭和45(1970)年の会同結婚式に参加した(777双)古参信者,前院長の,渡辺泰博も昭和57(1982)年の合同結婚式に参加(6000双),元院長の菅原暁は昭和50(1975)年の合同結婚式に参加している(1800双),いずれも筋金入りの古参の統一協会信者である。
(2)一心病院は,統一協会の組織の方針に従って活動している病院であって,全く中立
性・公平性がない。統一協会は,拉致監禁と騒ぎ立てて,家族との話し合いを妨害するために,事実のねつ造などをしてきた団体である。
「目的は手段を正当化する」という理屈で,文鮮明の指示の実現のため,統一協会のためであれ,ば,社会的に違法な行為でも統一協会の組織内においては正当化されてしまうのである。現に,統一協会が組織的に展開している資金集めのための霊感商法について,統一協会は,今でも,信者が勝手にやっていることであると白々しく述べていることが,その実例である。
5 なお,東京第四検察審査会の平成22(2010)年10月6日付の議決文では, 3 (3)において,検討した結果として,「入院した一心病院の内科病歴要約には,申立人の体重は3 9.2キログラムとあるが,同病院の医師作成の診断書には,『脱水が改善したと思われる入院後5日日でも体重は52.1キログラム』とある。栄養管理計画書の入院時栄養状態に関するリスク欄には,体重38キログラムとの記載が53キログラムと訂正されている。一心病院が作成した診療録等を検査した大学病院の医師の報告によれば,2月11日に体重が39.2キログラム,2月17日が5 2.1キログラム,2月24日が51.1キログラム,2月27日が53キログラムとなっているが,2月11日から6日後に12,9キログラムも増加するということは考えられず,体重値が誤っていると判断している。また一心病院で体重測定に立ち会った看護師は,体重を測る際,体重計に乗った後,倒れないよう手を貸したまま測定したと述べていることなどから,39.2キログラムとした測定結果には疑問がある。
看護基礎情報では,入院時診断が「栄養失調」と記載され,身長の記載があるのに,栄養失調に重要な情報である体重欄の記載は空欄となっているのも不可解である。栄養失調の点についで東京警察病院の管理栄養士によれば,後藤家での食事は,必要カロリーからは不足しているが,基礎代謝が著しく低下していると思われるので,外出せず,運動量が少なかったこと等から消費カロリーが通常より少なかったとすれば,直ちに健康を害するほどのカロリー不足だったとは思われない。血液検査の結果を見る限りは,深刻な栄養不良状態であったとは思えないと述べている。」と認定されている。
第9 原告を外に出したことについて
1 結果として,被告後藤である家族らは,平成20(2008)年2月10日,原告を「荻窪フラワーホーム」から外に出すことになったが,これは,突然の思い付きによる行動ではない。
家族としては,出来れば話し合って,原告が自分で真剣に考えるようになって欲しいという望みもあって,居座り続ける原告に対し,敢えて力ずくでマンションから追い出すことまではしなかった。
しかし,原告がいつまでも居座り続け,しかもマンション内ではただ我が儘に振る舞い続けるだけなので,このままマンションにいても進展がないと考えて,敢えて玄関の外に出して,事の重大さを自覚させ,このことをきっかけに真剣に話し合いをするようになってほしいという期待をこめて原告の決断を促すべく,とりあえずマンション内から外に出すことにしたのである。
2 家族らは,その頃,原告に対して, 2,3時間にわたって,家族それぞれが,統一協会の問題点を指摘し,本当に原告のことを心配していることや,真剣に話し合う必要性を改めて話したが,原告の返事は相変わらず,家族の問いかけをはぐらかすようなものであった。このため,家族らは,原告に対し「それならここから出て行けばいい」と本気で再三述べたが,原告が一向に態度を改めないため,一且部屋の外に出すことにしたのである。原告は玄関扉を数分間たたき続けていたが,間もなく姿が消えた。家族は原告がこれまでの態度を真剣に考え直すきっかけになればと考え,敢えて一度部屋から出したのである。このためお金を持たせることはしなかった。靴については,原告が裸足だったため,革靴を外に出してあげたものである。
第10 最後に
以上のとおり,被告■<後藤氏の兄>ほか家族と原告の共同生活は,原告の同意のもと話し合いを始めたものであるし,原告はいつでも立ち去ろうとすれば立ち去ることが可能な状態であり,決して逮捕・監禁,強要にあたるものではなく,不法行為を構成するものではない。
原告と被告後藤らの共同生活が結果として長期間になったのは,主には原告が統一協会の教えに従って信仰を保ちつつ家族と共に生活を続ける事が家族の救いに繋がる,自分が統一協会の教えを捨ててしまったらもはや家族の救いの道が断たれるし,一方,自分一人で統一協会に戻れば家族との関係が切れてしまう,と思いこんで居座り続けたからである。家族は12年もの間,原告が勇気を持って統一協会の活動や教えの問題点に真剣に向き合えるよう,見守っていたのである。
以上
2011-08-05(Fri)
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あり得ねぇ
「統一教会の信仰の正しさを家族に認めさせるために、10年間も居座り続けるていること」
あり得ねぇ。
あんま笑わさないでくれよ。
そんな骨のある信者、統一教会にはいねえよ。
事実、後藤のとっちゃんも、早々に脱会届け書いてるじゃん。つまりは早々に諦めてるわけ。情けねぇ、男。
統一教会信者でストーカーで捕まった奴いるけど、そいつを訴えた女の元アベルとやらが、裁判で言ってたらしいぞ。
その女、拉致監禁される恐れがあるから、偽装脱会の練習してたって。アホくさ。
詳しくは知らんけど、聞いた話しによると、脱会説得の対策講座は、反対派の言うことに動揺しないように、免疫をつけるための内容らしい。それで落ちた奴がいるという位だからな。
そもそも統一教会信者は、文の妄想王国を実現するため、日夜、人集め、金集めで忙しいわけ。
そんな奴らが、たった4人を伝道するために、12年も無駄にするわけないだろう。
思うに、後藤のとっちゃんより、あほ集団統一教会を真面目に相手にしようとした後藤家族の方が、宮村だか松永に徹底的にしこまれてるよ。
早くそれに気づいて、青春を返せ裁判でも金返せでもやれば。
ほんと、12年も無駄にしたよな。
あり得ねぇ。
あんま笑わさないでくれよ。
そんな骨のある信者、統一教会にはいねえよ。
事実、後藤のとっちゃんも、早々に脱会届け書いてるじゃん。つまりは早々に諦めてるわけ。情けねぇ、男。
統一教会信者でストーカーで捕まった奴いるけど、そいつを訴えた女の元アベルとやらが、裁判で言ってたらしいぞ。
その女、拉致監禁される恐れがあるから、偽装脱会の練習してたって。アホくさ。
詳しくは知らんけど、聞いた話しによると、脱会説得の対策講座は、反対派の言うことに動揺しないように、免疫をつけるための内容らしい。それで落ちた奴がいるという位だからな。
そもそも統一教会信者は、文の妄想王国を実現するため、日夜、人集め、金集めで忙しいわけ。
そんな奴らが、たった4人を伝道するために、12年も無駄にするわけないだろう。
思うに、後藤のとっちゃんより、あほ集団統一教会を真面目に相手にしようとした後藤家族の方が、宮村だか松永に徹底的にしこまれてるよ。
早くそれに気づいて、青春を返せ裁判でも金返せでもやれば。
ほんと、12年も無駄にしたよな。
出て行け、でも三度の食事
誰が書いたのか、よくもまあ、こんな話を作れるものだと感心します。
論理矛盾がはなはだし過ぎます。
<統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,(中略)十分にあり得ることである>
親の住む実家ならまだしも、全く無関係なマンションを相手に借りさせて、そこに通うのでもなく、そこに居座り続けて、明らかに嫌がっている相手を伝道する―。
しかも10年以上にわたって。こんなこと、イメージすらできませんよ。
<被告後藤らからの再三にわたる退去勧告にも出て行かなかった>
<母である訴外■<後藤氏の母>と妹の被告■<後藤氏の妹>が,栄養面もきちんと考えて食事を用意>
出て行け、と言いつつ、三度三度の食事は栄養のある食事を用意した―。はぁ~?。どういうこと?
<お金を持たせることはしなかった>
おいおい、話し合いのために、原告の財布を被告が預かっていた、って?。なんじゃ、それ。
見知らぬ町で、お金も身分証明書も預かった状態にしておきながら、<原告はいつでも立ち去ろうとすれば立ち去ることが可能な状態>だった、って、どこにどうやって立ち去るの?
<家族は12年もの間,原告が勇気を持って統一協会の活動や教えの問題点に真剣に向き合えるよう,見守っていた>
要するに、統一協会の信仰を棄てるまで監禁していた、ってことでしょ。
下手な弁明で、ボロ出まくりですよ。
論理矛盾がはなはだし過ぎます。
<統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,(中略)十分にあり得ることである>
親の住む実家ならまだしも、全く無関係なマンションを相手に借りさせて、そこに通うのでもなく、そこに居座り続けて、明らかに嫌がっている相手を伝道する―。
しかも10年以上にわたって。こんなこと、イメージすらできませんよ。
<被告後藤らからの再三にわたる退去勧告にも出て行かなかった>
<母である訴外■<後藤氏の母>と妹の被告■<後藤氏の妹>が,栄養面もきちんと考えて食事を用意>
出て行け、と言いつつ、三度三度の食事は栄養のある食事を用意した―。はぁ~?。どういうこと?
<お金を持たせることはしなかった>
おいおい、話し合いのために、原告の財布を被告が預かっていた、って?。なんじゃ、それ。
見知らぬ町で、お金も身分証明書も預かった状態にしておきながら、<原告はいつでも立ち去ろうとすれば立ち去ることが可能な状態>だった、って、どこにどうやって立ち去るの?
<家族は12年もの間,原告が勇気を持って統一協会の活動や教えの問題点に真剣に向き合えるよう,見守っていた>
要するに、統一協会の信仰を棄てるまで監禁していた、ってことでしょ。
下手な弁明で、ボロ出まくりですよ。
いつか映画に!!!
一気に読ませていただきました。読んでて涙が出てきました。いつか、この事実が映画になることを願ってやみません。
ただ、家族だけとの和解だけは拒否でお願いしたいものです。いつか、このことが万民の前に白日にさらされることを願っています。後藤様頑張ってください。
ただ、家族だけとの和解だけは拒否でお願いしたいものです。いつか、このことが万民の前に白日にさらされることを願っています。後藤様頑張ってください。
一心病院って?etc
<原告が当初入院したとされる一心病院は、統一協会信者の医者、看護師らで構成され、かつては統一協会の医療局と呼ばれていた病院である。>
そんな病院があったとは驚きですが、本当に信者の医者、看護師のみで構成されているのか?という疑問が出たので、インターネットで一心病院を調べてみました。
病床数144、看護職員数210人の総合病院。
これだけの規模の病院職員が信者で構成されていたら、統一協会はすごい集団なんだ、と思っていたら、インターネットで職員募集してました。インターネットで募集しているってことは、信者以外の人の応募もありますよね。どこにも統一教会系病院とは書いてませんでしたし。まさか、職員になった人を全て統一協会員にしているってことはないですよね?ならない人は首とか・・
それはともかくとして、統一協会系の病院だから、診断名、データに信用できないというのは、どうでしょうか?
例えば、キリスト教系の病院だから、創価学会系病院だから、共産党系の病院だから信用できないと言っているようなものです。
看護師に支えられながら体重を量った後藤さんは、40代ですよね。障害のない40代男性が、看護師に支えられないと体重計に立ってられない、ということ自体が診断名を裏付ける1つになると思いますけど。
支えられて測った体重が信用できないのは確かだと思います。でも、2月17日時点での52.1kgもBMI15.72(体重÷身長(m)÷身長(m))も十分低栄養状態なのですが。(18.5未満が低栄養)
ちなみに182cmの標準体重は、72.8kgです。
そんな病院があったとは驚きですが、本当に信者の医者、看護師のみで構成されているのか?という疑問が出たので、インターネットで一心病院を調べてみました。
病床数144、看護職員数210人の総合病院。
これだけの規模の病院職員が信者で構成されていたら、統一協会はすごい集団なんだ、と思っていたら、インターネットで職員募集してました。インターネットで募集しているってことは、信者以外の人の応募もありますよね。どこにも統一教会系病院とは書いてませんでしたし。まさか、職員になった人を全て統一協会員にしているってことはないですよね?ならない人は首とか・・
それはともかくとして、統一協会系の病院だから、診断名、データに信用できないというのは、どうでしょうか?
例えば、キリスト教系の病院だから、創価学会系病院だから、共産党系の病院だから信用できないと言っているようなものです。
看護師に支えられながら体重を量った後藤さんは、40代ですよね。障害のない40代男性が、看護師に支えられないと体重計に立ってられない、ということ自体が診断名を裏付ける1つになると思いますけど。
支えられて測った体重が信用できないのは確かだと思います。でも、2月17日時点での52.1kgもBMI15.72(体重÷身長(m)÷身長(m))も十分低栄養状態なのですが。(18.5未満が低栄養)
ちなみに182cmの標準体重は、72.8kgです。
すばらしき後藤ファミリー
後藤さんの兄弟姉妹の準備書面を読み終えて、涙が出るほどに感動してしまいました。
だって、統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせたいという後藤徹さんの話を聞くために、母と兄夫婦、妹は西東京市にある自宅に戻らず、わざわざ荻窪のマンションを借り、月10数万円の家賃を10年間も払い続けたのですから。
これを家族愛と言わずして、何と言えましょうか。
統一協会の信仰の正しさを説く徹さんに、外出することなく、24時間つきっきりだったのは妹さんです。1カ月どころではない。10年間も!です。
映画を観たこともなければ、桜見物をしたこともない。
自分が婚期を逸してしまうことなど気にせずに兄に寄り添う。何とすばらしき兄弟愛。
兄夫婦だって負けてはいません。夫婦の営みをすることなく、子どもが授からないことなど気にすることなく、夫婦で公園を散策することさえなく、弟とマンションに閉じこもり、10年間にわたって、信仰の正しさを説く弟の説教に耳を傾ける。
ああ、すばらしき兄弟愛。
古今東西、古(いにしえ)から現代に至るまで、家族愛や兄弟愛が書かれた書物は少なくないけど、ここまで犠牲的で感動的な愛は初めて聞く話です。
兄弟姉妹の準備書面は映画化されて当然の話です。
(でも、映像はなぜか暗いものになりそうだけどぉ~)
次回の裁判では、裁判官は感涙にむせびながら、「こんなにも君のことを想っている家族を訴えるなんてけしからん」と、後藤徹さんを説教するかもしれません。
とまれ、後藤「家族に乾杯!」。準備書面を書いたオタク弁護士、山口貴士さんの才能に乾杯!
だって、統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせたいという後藤徹さんの話を聞くために、母と兄夫婦、妹は西東京市にある自宅に戻らず、わざわざ荻窪のマンションを借り、月10数万円の家賃を10年間も払い続けたのですから。
これを家族愛と言わずして、何と言えましょうか。
統一協会の信仰の正しさを説く徹さんに、外出することなく、24時間つきっきりだったのは妹さんです。1カ月どころではない。10年間も!です。
映画を観たこともなければ、桜見物をしたこともない。
自分が婚期を逸してしまうことなど気にせずに兄に寄り添う。何とすばらしき兄弟愛。
兄夫婦だって負けてはいません。夫婦の営みをすることなく、子どもが授からないことなど気にすることなく、夫婦で公園を散策することさえなく、弟とマンションに閉じこもり、10年間にわたって、信仰の正しさを説く弟の説教に耳を傾ける。
ああ、すばらしき兄弟愛。
古今東西、古(いにしえ)から現代に至るまで、家族愛や兄弟愛が書かれた書物は少なくないけど、ここまで犠牲的で感動的な愛は初めて聞く話です。
兄弟姉妹の準備書面は映画化されて当然の話です。
(でも、映像はなぜか暗いものになりそうだけどぉ~)
次回の裁判では、裁判官は感涙にむせびながら、「こんなにも君のことを想っている家族を訴えるなんてけしからん」と、後藤徹さんを説教するかもしれません。
とまれ、後藤「家族に乾杯!」。準備書面を書いたオタク弁護士、山口貴士さんの才能に乾杯!
素敵♪
12年の優雅なマンション生活は、徹様への愛の証だったのね~。♪
素敵だわ~♪
今年の夏は、心温まる素晴らしい~お話しをお土産にできるわ~。♪
ありがとう。後藤さん、そして家族の皆さん。
後藤ファミリーは、地上の☆。
いや、家族愛だから、血情の☆かしら~。♪
素敵だわ~♪
今年の夏は、心温まる素晴らしい~お話しをお土産にできるわ~。♪
ありがとう。後藤さん、そして家族の皆さん。
後藤ファミリーは、地上の☆。
いや、家族愛だから、血情の☆かしら~。♪
教会に顔出さずに伝道ですか
教会に通わずしかも、12年5ヶ月も礼拝にも参加せずに家族を伝道していた。同じ屋根の下で外に一歩も出ず外の空気も吸えずまた、教会とも交わらずそんな信仰者っているんでしょうか?兄、兄嫁、妹、母親いやになりませんか?普通教会に通わずいわば脱会状態と同じであります。私なんて、今年の10月で脱会して27年目ですが、全然、伝道するきはないし、教会へ行ってみたいとも思わないし、そもそも伝道うざいです。わたしなら、お帰りはこちら。のくちです。12年5ヶ月もそれに付き合う?1ヶ月2ヶ月ならいざしらず。異常すぎます。
よく読めばウソばかりの話
後藤徹さんの事を知っている人が読むと、怒りがこみ上げますが、知らない人は、あっさりと読みすごすかもしれません。しかし、偽りの文章、作り話であることは、はっきりしてます。
1。<真面目に話し合う気がないなら、ここを出て、、、>もし徹さんが、伝道目的で居座っているならば、被告側は、聞く側の対象にいるのに、能動的な文の書き方、ということは、彼らの方が主体的に原告(徹さん)を説得している証拠。2.<被告後藤ら家族を救おうとして、居座っていた>もし、徹さんが家族を救うため、10年以上も居座っても、被告側まで居座る必要は全くない。徹さんではなく被告側が監禁目的で居座ったと言うこと。3.<原告が出ていかないので半ば、無理矢理に、、、>徹さんが、自分で居座っているのであれば、出て行くのも彼の自由意思であるはず。なのに、なぜこんな表現になるのか。彼の自由を奪っていたということ。外に出るとき誰だって靴を履く。外に出したというが、引きずりだして、靴をなげつけたというのに。この時の徹さんの屈辱は、耐え難いものだと思う。ホロコーストを思わせるような痛ましい体にさせたというのに、いまだに、体重や体力があったなどと弁解するとは、非情である。徹さんのその写真を撮った方、道で会った方、教会にたどり着いたときにいた教会の方、病院の看護婦などの証言を聞いてみたらいいと思う。今でも家族は、背後から説得されているのかもしれない。家族を盾にして、首謀者、弁護士などはまだ弁解するつもりだろうか。家族は、是非、正直に告白してほしい。肩の重荷が軽くなると思う。
1。<真面目に話し合う気がないなら、ここを出て、、、>もし徹さんが、伝道目的で居座っているならば、被告側は、聞く側の対象にいるのに、能動的な文の書き方、ということは、彼らの方が主体的に原告(徹さん)を説得している証拠。2.<被告後藤ら家族を救おうとして、居座っていた>もし、徹さんが家族を救うため、10年以上も居座っても、被告側まで居座る必要は全くない。徹さんではなく被告側が監禁目的で居座ったと言うこと。3.<原告が出ていかないので半ば、無理矢理に、、、>徹さんが、自分で居座っているのであれば、出て行くのも彼の自由意思であるはず。なのに、なぜこんな表現になるのか。彼の自由を奪っていたということ。外に出るとき誰だって靴を履く。外に出したというが、引きずりだして、靴をなげつけたというのに。この時の徹さんの屈辱は、耐え難いものだと思う。ホロコーストを思わせるような痛ましい体にさせたというのに、いまだに、体重や体力があったなどと弁解するとは、非情である。徹さんのその写真を撮った方、道で会った方、教会にたどり着いたときにいた教会の方、病院の看護婦などの証言を聞いてみたらいいと思う。今でも家族は、背後から説得されているのかもしれない。家族を盾にして、首謀者、弁護士などはまだ弁解するつもりだろうか。家族は、是非、正直に告白してほしい。肩の重荷が軽くなると思う。
遅ればせながら家族の準備書面を読みました。
遅ればせながら家族の準備書面を読みました。コメント欄の流れとは外れますが少し言わせてください。家族の言い分がよくわかりません。
1、まずこの異常な12年以上の「話し合い」の主導権が後藤氏の家族にあるのはよくわかります。マンションの移動は必ず家族から持ちかけ、車まで用意して、親戚のマンションや前もって準備をしていたマンションを使ったのですから。そこに「居させた」ならまだわかりますが、「居座った」という言葉が出てくるのが理解できません。1,2か月ならまだわかりますが、何年もガリガリになりながら『居座る』というのはどういう状況でしょうか?ガリガリになりながら『監禁されていた』ならつじつまが合いますが。
2、『「荻窪フラワーホーム」での入居当初,玄関の鍵に南京錠をつけていたのは,統一協会信者らが話し合いの妨害や原告を取り戻すなどの名目で多人数で押しかけてくる可能性かあったため,これに備えての措置であった。』この南京錠をつけた理由も意味不明です。いきなり統一教会員からの襲撃予告でもあったのでしょうか?『被告後藤らは,現実に統一教会の信者が,・・・・・複数の統一協会信者による暴力的な行為が行われてきたことを知っていた』と、、知っていながら今まで厳重な施錠もせず、なぜ突然、南京錠をかけたのでしょう?その時ちょうど誰かからの脅しがあったのでしょうか?それまでは知っていながら南京錠をかけていなかったのですから、急にかけた理由があるはずです。
3、「原告は,玄関からは,常に出入りできる状況であったため、、」教会員の襲撃を恐れている家族がどうして後藤さんが外出できる状態を許しているのでしょうか?「教会に連絡していいよ」と言わんばかりです。いったい教会員の襲撃は怖いのですか?怖くないのですか?
4、『原告が,出て行こうとしなかったのは,むしろ,家族を根負けさせて,統一協会への信仰を認めさせ,統一協会の信仰を「捨ててしまった」被告後藤ら家族を救おうとして,居座っていたのである。』これも想像できません。家族が自分で用意したマンションに、後藤さんを連れてきて、何年間もいったい何の根気勝負をしたのでしょう?家族は自分が後藤さんを連れてきたことを忘れ、要するに主導権は自分たちにあることを忘れてしまったのでしょうか。家族たちはいったいどういう心理状況だったのか想像ができません。
5、『統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,統一協会の組織的教え込みによる精神的呪縛の強さや,統一協会からの離脱の困難性からすれば,十分にあり得ることである。』これも意味が通りません。統一教会の信仰の正当性を訴えるのなら、教会に普通連れて行きます。そのために10年間居座り続けることがどうして『十分にあり得ることである』のでしょうか?外にも出ずただ居座って正当性はどうやって伝わるのでしょう?『組織的教え込みによる精神的呪縛の強さ』『統一協会からの離脱の困難性』がどう転ぶと「居座ることで信仰の正当性」を主張するという発想になるのでしょうか?そういう伝道方法を教会で呪縛するほどに教えているのでしょうか?理解困難です。
6、家族の用意したマンションで、家族は何回も外に出たりまた入ったりし、一方後藤さんは、いったんマンションに入ると外に出ない。そして家族は後藤さんを自由に外に出せるようです。『敢えて力ずくでマンションから追い出すことまではしなかった。』、『とりあえずマンション内から外に出すことにしたのである。』、『敢えて一度部屋から出したのである。』そして出された後藤さんの姿があのガリガリ状態であったなら、これを監禁と言わないで何と言うのでしょうか?
1、まずこの異常な12年以上の「話し合い」の主導権が後藤氏の家族にあるのはよくわかります。マンションの移動は必ず家族から持ちかけ、車まで用意して、親戚のマンションや前もって準備をしていたマンションを使ったのですから。そこに「居させた」ならまだわかりますが、「居座った」という言葉が出てくるのが理解できません。1,2か月ならまだわかりますが、何年もガリガリになりながら『居座る』というのはどういう状況でしょうか?ガリガリになりながら『監禁されていた』ならつじつまが合いますが。
2、『「荻窪フラワーホーム」での入居当初,玄関の鍵に南京錠をつけていたのは,統一協会信者らが話し合いの妨害や原告を取り戻すなどの名目で多人数で押しかけてくる可能性かあったため,これに備えての措置であった。』この南京錠をつけた理由も意味不明です。いきなり統一教会員からの襲撃予告でもあったのでしょうか?『被告後藤らは,現実に統一教会の信者が,・・・・・複数の統一協会信者による暴力的な行為が行われてきたことを知っていた』と、、知っていながら今まで厳重な施錠もせず、なぜ突然、南京錠をかけたのでしょう?その時ちょうど誰かからの脅しがあったのでしょうか?それまでは知っていながら南京錠をかけていなかったのですから、急にかけた理由があるはずです。
3、「原告は,玄関からは,常に出入りできる状況であったため、、」教会員の襲撃を恐れている家族がどうして後藤さんが外出できる状態を許しているのでしょうか?「教会に連絡していいよ」と言わんばかりです。いったい教会員の襲撃は怖いのですか?怖くないのですか?
4、『原告が,出て行こうとしなかったのは,むしろ,家族を根負けさせて,統一協会への信仰を認めさせ,統一協会の信仰を「捨ててしまった」被告後藤ら家族を救おうとして,居座っていたのである。』これも想像できません。家族が自分で用意したマンションに、後藤さんを連れてきて、何年間もいったい何の根気勝負をしたのでしょう?家族は自分が後藤さんを連れてきたことを忘れ、要するに主導権は自分たちにあることを忘れてしまったのでしょうか。家族たちはいったいどういう心理状況だったのか想像ができません。
5、『統一協会の信仰の正しさを家族に認めさせるために,10年間でも居座り続けるということも,統一協会の組織的教え込みによる精神的呪縛の強さや,統一協会からの離脱の困難性からすれば,十分にあり得ることである。』これも意味が通りません。統一教会の信仰の正当性を訴えるのなら、教会に普通連れて行きます。そのために10年間居座り続けることがどうして『十分にあり得ることである』のでしょうか?外にも出ずただ居座って正当性はどうやって伝わるのでしょう?『組織的教え込みによる精神的呪縛の強さ』『統一協会からの離脱の困難性』がどう転ぶと「居座ることで信仰の正当性」を主張するという発想になるのでしょうか?そういう伝道方法を教会で呪縛するほどに教えているのでしょうか?理解困難です。
6、家族の用意したマンションで、家族は何回も外に出たりまた入ったりし、一方後藤さんは、いったんマンションに入ると外に出ない。そして家族は後藤さんを自由に外に出せるようです。『敢えて力ずくでマンションから追い出すことまではしなかった。』、『とりあえずマンション内から外に出すことにしたのである。』、『敢えて一度部屋から出したのである。』そして出された後藤さんの姿があのガリガリ状態であったなら、これを監禁と言わないで何と言うのでしょうか?
ありがとうございます。
kiyさん、貴重なご意見ありがとうございます。
確かに、家族が連れ込みながら、後藤さん自ら居座ったとか、後藤さん自身が教会にも行かず、連絡もしてないのに、伝道しようとしていたと言うのは、大きな矛盾です。
この矛盾をどう説明するのでしょうかね?
私は、元信者で、統一教会には反対の立場ですが、12年も監禁して、最後には無一文で放り出したこと、そして食事制裁をして栄養失調状態にしたことは許せないです。
宮村氏を支援している人達は、この事実を見てどう思うのか、聞きたいです。
全くの統一教会のでっち上げと思っているのでしょうか?
でも、拉致監禁が行われていることは、宮村氏支援者達が一番知っているのです。
kiyさん、これからもコメント宜しくお願いします。
確かに、家族が連れ込みながら、後藤さん自ら居座ったとか、後藤さん自身が教会にも行かず、連絡もしてないのに、伝道しようとしていたと言うのは、大きな矛盾です。
この矛盾をどう説明するのでしょうかね?
私は、元信者で、統一教会には反対の立場ですが、12年も監禁して、最後には無一文で放り出したこと、そして食事制裁をして栄養失調状態にしたことは許せないです。
宮村氏を支援している人達は、この事実を見てどう思うのか、聞きたいです。
全くの統一教会のでっち上げと思っているのでしょうか?
でも、拉致監禁が行われていることは、宮村氏支援者達が一番知っているのです。
kiyさん、これからもコメント宜しくお願いします。
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