後藤裁判 控訴審 判決文(その4)-ついに「12年5ヶ月間」「監禁状態」認定!!宮村、松永、後藤兄らの主張を一蹴し、ほぼ全面的に後藤徹氏の主張を認定!
後藤徹氏の勝訴判決となった控訴審判決の判決文の第3回目を掲載します。
今回UPしたのは、以下の青字部分です。
今回は、3つのマンションの中で最長(約10年間)監禁場所となった荻窪フラワーホームの滞在時における認定です。

<JR有楽町駅前で支援者と共に拉致監禁被害を訴える後藤徹氏(2011年7月ころ)>
<目次>
主 文
事 実 及び 理 由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
2 被控訴人<兄>ら
3 被控訴人宮村
4 被控訴人松永及び被控訴人法人
第2 事案の概要
第3 当裁判所の判断
1 <賠償額の提示>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
2 <原判決の補正>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
3 <認定範囲の検討>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
4 被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否について
(1)平成7年9月11日のパレスマンション多門に向かった移動について
(2)平成7年9月11日から平成9年6月22日までのパレスマンション多門における滞在について
(3)平成9年6月22日の荻窪プレイスに向かった移動について
(4)平成9年6月22日から同年12月頃までの荻窪プレイスにおける滞在について
(5)平成9年12月頃の荻窪フラワーホームに向かった移動について
(6)平成9年12月頃から平成20年2月10日までの荻窪フラワーホームにおける滞在について
(7)<被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否についての結論的解説>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
(8)<消滅時効の抗弁について>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
5 被控訴人松永及び被控訴人宮村の控訴人に対する不法行為の成否について
6 被控訴人法人の控訴人に対する不法行為の成否について
7 損害額について
(1)被控訴人<兄>らの不法行為について
ア 逸失利益
イ 治療費
ウ 慰謝料
エ 弁護士費用
(2)被控訴人松永及び被控訴人宮村の不法行為について
8 結論
以下、判決文を掲載する。
※判決文の本文中、重要と思われる部分を太字で表記した(最重要の箇所は下線を付けた)。
※解説部分は青字で表記した。
※後藤氏の兄は<兄>、妹は<妹>、兄嫁は<兄嫁>と表記する。
今回UPしたのは、以下の青字部分です。
今回は、3つのマンションの中で最長(約10年間)監禁場所となった荻窪フラワーホームの滞在時における認定です。

<JR有楽町駅前で支援者と共に拉致監禁被害を訴える後藤徹氏(2011年7月ころ)>
<目次>
主 文
事 実 及び 理 由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
2 被控訴人<兄>ら
3 被控訴人宮村
4 被控訴人松永及び被控訴人法人
第2 事案の概要
第3 当裁判所の判断
1 <賠償額の提示>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
2 <原判決の補正>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
3 <認定範囲の検討>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
4 被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否について
(1)平成7年9月11日のパレスマンション多門に向かった移動について
(2)平成7年9月11日から平成9年6月22日までのパレスマンション多門における滞在について
(3)平成9年6月22日の荻窪プレイスに向かった移動について
(4)平成9年6月22日から同年12月頃までの荻窪プレイスにおける滞在について
(5)平成9年12月頃の荻窪フラワーホームに向かった移動について
(6)平成9年12月頃から平成20年2月10日までの荻窪フラワーホームにおける滞在について
ア<控訴人が外出できなかった理由について>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
イ<控訴人が長期断食した理由から分かる自由の著しい制約>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
ウ<控訴人に対する食事や健康管理は適切だったのか?>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
エ<控訴人が、後藤兄らから出て行くように言われた件については?>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
(7)<被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否についての結論的解説>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
(8)<消滅時効の抗弁について>(注意:世話人が便宜的に付けたもの)
5 被控訴人松永及び被控訴人宮村の控訴人に対する不法行為の成否について
6 被控訴人法人の控訴人に対する不法行為の成否について
7 損害額について
(1)被控訴人<兄>らの不法行為について
ア 逸失利益
イ 治療費
ウ 慰謝料
エ 弁護士費用
(2)被控訴人松永及び被控訴人宮村の不法行為について
8 結論
以下、判決文を掲載する。
※判決文の本文中、重要と思われる部分を太字で表記した(最重要の箇所は下線を付けた)。
※解説部分は青字で表記した。
※後藤氏の兄は<兄>、妹は<妹>、兄嫁は<兄嫁>と表記する。
(6)平成9年12月頃から平成20年2月10日までの荻窪フラワーホームにおける滞在について
ア 控訴人が外出できなかった理由について
そして,更に,平成9年12月頃には,控訴人は荻窪フラワーホームに移動しているが,この荻窪フラワーホームおいても,常時,控訴人の外に家族が滞在し,構造上,控訴人が起居する部屋から玄関に向かうためには被控訴人<兄>らや<母>が使用していた部屋を通る必要があったこと,荻窪フラワーホームの部屋も,容易に飛び降りて逃げ出すことは困難であったとうかがわれること,このような状況下で,控訴人は全く外出することも外部と連絡を取ることもしなかったことなどはパレスマンション多門や荻窪プレイスにおける滞在と同様である。

<804号室は、最上階(8階)手前側の部屋である。>

<荻窪フラワーホーム804号室の間取り図。徹氏は、ベランダに隣接する6畳間に監禁されていた。>
しかも,この間,控訴人が偽装脱会をしていたことを告白した後には,控訴人は荻窪フラワーホームから退出しようとするところを取り押さえられたり,

平成16年,平成17年,平成18年にそれぞれ断食をしたりするなどして,事実上の拘束状態にある現状に対する不服の意思を表示するなどしていたものと認められる。
これらの事実を勘案するならば,控訴人は,被控訴人<兄>らによって荻窪フラワーホームから自由に外出したり,退出したりすることを妨げられ,行動の自由を制約されていたものといえ,このような状況は,荻窪フラワーホームで同居していた<母>が内科,整形外科,眼科等の病院に通い,被控訴人<妹>も病院やスポーツクラブに通っていた状況(乙イ1)と比べても対照的である。
このような状況下で,設備点検その他の機会に第三者が荻窪フラワーホームに立ち入ることが皆無ではなく,その際,控訴人において,その第三者に対して助けを求めることはなく,控訴人とは体格差のある被控訴人<妹>や<母>に対し直接的に有形力を行使するような手段によって荻窪フラワーホームから退出しようとすることもなかったとしても,
それは,控訴人において,それまでの経験や近隣に脱会説得の関係者が存在している状況等からして,安易に抜け出そうとしても阻止されてしまい,かえって監視が厳しくなるなど逆効果であることを熟知していたからであって,控訴人において任意に荻窪フラワーホームに滞在する意思を有していたことによるものではないというべきである。
【解説】:控訴審において、徹氏が監禁下になかったことの根拠として後藤兄らが繰り返し主張していたのが、「第三者に助けを求めなかったこと」「徹氏と常駐していた母、妹との体格差」であった。
しかし、裁判所は、ここでも徹氏側の主張を採用している。当時の状況を冷静かつ客観的に俯瞰して見れば、上記判決文のような認定にならざるを得ない。
イ 控訴人が長期断食した理由から分かる自由の著しい制約
なお,上記の断食について,被控訴人<兄>らは,日頃,控訴人は,ノートやボールペン,シャープペンの芯や赤鉛筆,青鉛筆などの欲しいものがあると,これをメモ書きにして<母>に渡し,被控訴人<妹>が要求された品を控訴人に渡していたが,平成17年4月頃,控訴人が<母>に対して韓国語のテキストを所望したものの,<母>や被控訴人<兄嫁>及び被控訴人<妹>からこれを拒絶されたため,立腹して2回目の断食を始め,
その後の平成18年4月頃にも,控訴人が<母>に対しノートが欲しいと何度か頼んだものの,被控訴人<妹>からこれを拒絶されたため,3回目の断食を始めたものであると主張し,被控訴人<妹>作成の陳述書(乙イ47)にもおおむね同旨の記載があるところ,
そもそも上記のような書籍やノートは,高価な品とか何か特別な品というわけではなく,一般に相応の価格で容易に入手することができる物であり,控訴人に行動の自由があったのであれば,ちょっと外出して近隣の文房具店や書店等に出向くなどして買い求めれば足りたはずであるから,

上記のことは,控訴人が<母>ら家族に依頼して書籍やノートを入手するしかない状況に置かれていたことや,それも拒絶されていたことを示すものであって,荻窪フラワーホームにおける被控訴人<兄>らによる控訴人の行動の自由に対する制約が,著しいものであったことを裏付けているものである。

<荻窪フラワーホームの隣にはコンビニがあった
>
【解説】この写真で確認できるように、荻窪フラワーホームの隣の建物(茶色のビル)の1階には、コンビニがあった。
しかも、荻窪フラワーホームは、JR荻窪駅から徒歩5~6分の場所にある。
従って、判決文の「ちょっと外出して近隣の文房具店や書店等に出向くなどして買い求めれば足りたはずである」との認定は、極めて妥当な判断と言える。
(参照:荻窪フラワーホーム)
ウ 控訴人に対する食事や健康管理は適切だったのか?
また,控訴人の供述等によれば,上記3回目の断食の後,被控訴人<妹>は,控訴人に対し,約70日間にわたって流動食を用意し,その後も控訴人と同様の身長のある一般の成人男性に必要とされるカロリーに満たない食事を供していたことが認められるが,

<A~Cは、30日断食後、後藤徹氏が家族から提供された食事内容です。>
A:直径7㎝深さ5㎝の小鉢に7分程度の重湯×3回,水で希釈したポカリスエット500cc×2回
<2006年5月~7月10日頃までの70日間>
B:(a)直径11㎝深さ6㎝汁椀に重湯+同容器に薄い味噌汁 3食
C:朝食:6枚きり食パン1枚に青汁1杯
Cの昼食・夕食のおかず

<2006年12月頃~2008年2月10日の約1年2ケ月>
2番目の表は、一般成人男性の必要栄養量です。
必要栄養量に比べ、後藤さんの摂取量がどの程度かが3番目の表になります。
被控訴人<妹>において十分な栄養学等の知識があったとか,提供された食事が医学上又は栄養学上の専門的な知見に基づく控訴人の身体状況等に相応しい食事であったことなどを認めるに足りる証拠はない。
しかも,被控訴人<兄>らは,断食中の,あるいは断食を終えた控訴人について,医師の診察を受けさせたりしたことはなく,それ以前にも,控訴人を事実上,拘束状態に置いていたにもかかわらず,その体調を心配して医師の診察を受けさせたりしたこともないのであって,
そのような一連の被控訴人らの行為等によって,その後,平成20年2月10日に荻窪フラワーホームから解放された時には,身長182センチと長身で約70キログラム程度あった控訴人の体重は,多くとも約50キログラム程度に低下し,全身筋力低下,廃用性筋萎縮症などと診断されるまでになっていたことが認められる。
これらの事情は,被控訴人<兄>らの控訴人に対する行動の自由の制約が,控訴人の体調等について十分に配慮してなされたものではなく,控訴人の健康を損なわせる結果になっていたことを示すものであって,荻窪フラワーホームにおける滞在についても,控訴人に対する行動の自由の違法な制約が継続し,拘束が長期化する中で,控訴人の体調等に対する管理や配慮が十分ではなく,違法性の高いものになっていたと認めるのが相当である。
【解説】:上記の荻窪フラワーホームにおける徹氏の身体状況に関する認定は、一審判決の認定と全く逆転した。一審判決では、以下のような認定であった。
(一審判決文60頁より引用
)
なお,原告は,被告<兄>らにおいて,原告が荻窪フラワーホームに滞在中にハンガーストライキを終えた後においても,原告に対して粗末な食事しか与えずに食事制裁を行い,原告を虐待した旨主張するが,・・・上記滞在中の原告の食事は<母>及び被告<妹>において用意されており,被告<妹>は,かつて信者であった頃に断食を行った経験を生かして,原告の断食明けの食事について配慮し,原告の体調を気遣っていたこと等が認められるところであって,原告が3度目の断食を行った後に出された普通食が原告と同等の身長の一般男性に必要とされるカロリーを摂取するに十分なものではなかったことも,原告において再度断食を行う意向を表していたことを踏まえてのことであったことを考慮すれば,上記の原告の食事に係る事情については,直ちに違法な点を見いだすことはできず,原告の上記主張は採用しない。
(
引用終わり)
このように、一審判決は、「原告の体調を気遣って」食事を減らしていたと認定していた。しかし、控訴審判決では、上記判決文(下線部分)の通り「体調等に対する管理や配慮が十分ではなく,違法性の高いもの」と認定している。
さて、改めて、下の徹氏の監禁後3日目の写真を見て頂きたい。このガラボシ状態が「原告の体調を気遣って」などと安易に言えないことは、一目瞭然だろう。一審判決を変更した控訴審判決は、全く妥当だと言える。

<監禁解放後3日目の写真>
さらに、この変更に関しては、徹氏の体重と摂取カロリーに関して、控訴審で新たに採用された証拠である甲176号証と甲192号証の存在が効いていると思われる。
※「甲176」は、後藤徹氏が監禁解放後に入院した一心病院の体温表で、入院期間中の50日間で体重が約50キロから65キロまで増加していることを示すものである。
「甲192」は、同じく一心病院の「約束食事箋」で、一心病院で入院患者に出る病院食のカロリー等を記したものである。この2つの証拠から、荻窪フラワーホームで後藤兄らが1日2000カロリーもの食事を後藤徹氏に出していたという嘘が暴露された。
甲176号証と甲192号証についてはこちら
エ 控訴人が、後藤兄らから出て行くように言われた件については?
もっとも,被控訴人<兄>らは,平成10年頃から控訴人に対して何度も荻窪フラワーホームから出て行くよう言ったのに,控訴人が自ら出て行こうとしなかっただけであると主張しており,
なるほど,少なくとも平成18年4月に3回目の断食を行った後に,被控訴人<兄>らが控訴人に対してそのような発言をしたことや,
また,平成20年2月10日に控訴人が荻窪フラワーホームから退出するに至った際にも,被控訴人<兄>と<母>が控訴人に対し出て行くよう求め,出て行こうとしない控訴人を被控訴人<兄>らが荻窪フラワーホームの外に押し出したものであることは,控訴人も認めているところである。
しかしながら,当時,控訴人には何らの身の回りの品も渡されておらず,控訴人は所持金もなく,

外出着も着ていないまま,荻窪フラワーホームを退出させられたことが認められるが,

<左:監禁解放時着ていた服(一審提出写真)
徹氏が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームから解放された時に着ていた実際の服。
マンション内で暖房が使えなかったため、冬の寒い時期はいつも7~8枚を重ね着していたという。
右:監禁解放時の格好(一審提出写真)
徹氏が解放時の服を実際に着た様子。
この写真撮影の時は、体重が戻っていたのでかなり着ぶくれ状態であることがわかる。徹氏は、この着の身着のままの状態で極寒の中、一文無しでマンションから追放される形で解放された。>
そもそも控訴人は,平成7年9月11日に行動の自由を制約されて以来,約12年5か月もの長期間,全く外出することもなく,ただ狭い部屋に監禁状態にあって,社会的生活への適応能力が著しく減退させられていたものであるのに,

被控訴人<兄>らは,控訴人に対して所持金も与えず,住居等も用意しないまま,ただ追い出しただけであるから,
そのことは,それまで何回か被控訴人<兄>らが控訴人に対して荻窪フラワーホームから退出するよう求めたといっても,上記と同様に,控訴人に対して何の所持金も与えず,当面の衣食住を確保するための方策も講じてやらないまま,出て行けというだけであったと推認することができるのであって,
そのようなことは,長期間にわたって自由を制約され続け,生活の手段を断たれ,すぐには行き場のない控訴人をただ困らせるだけのものであり,

控訴人が荻窪フラワーホームを退出することができなかったのも,もっともなことである。
【解説】:上記の部分「何度も荻窪フラワーホームから出て行くように言った」との主張も後藤兄らが監禁を否定するために繰り返し主張していた内容である。
しかし、ここでも控訴審は徹氏側の主張を認定している。
長年に亘りあらゆるものを奪っておいて、その上、身体に虐待を加え、着の身着のままの一文無しで「出てけ」と何回か言ったからといって、監禁していないことにはならないとの認定は、至極まっとうである。
上記下線部分は、12年5ヶ月の全期間に亘り監禁状態にあったことが認定されている。
結局,そのような所持金も与えず,生活の場も確保してやらず,ただ出て行けと言っただけの被控訴人<兄>らの行為は,真摯に控訴人の行動の自由を回復させようとしてなされたものと認めることはできないのであって,
困れば自分から戻って来るであろうなどという考えでなされたともうかがわれるのであるから,控訴人が直ちにこれに従わなかったとしても,控訴人の行動の自由が違法に制約され続けていたことと何ら矛盾するものではない。
また,被控訴人<兄>らは,控訴人は,控訴人提出の書証(甲9,57の3等)からも明らかなように,日常,部屋の中で運動に努めており,平成20年2月10日に出て行くよう求めた時にも控訴人には十分な体力があったなどと主張しているが,
一般に室内における運動に努めたからといって殊に10年を超える長期間にわたり健常な体力が維持されると認めるのは困難であるほか,前記認定事実のとおり,控訴人は,退出後,全身筋力低下等の診断を受け,同月11日から同年3月31日まで一心病院に入院して治療を受けていたことなどの事実に照らしても,上記の主張を採用することはできない。
【解説】:上記の部分「部屋で運動していたから十分体力があったはず」との内容も後藤兄らが、繰り返し主張してきたことだが、高等裁判所は、一蹴している。
下の写真の足の状態を見れば素人でも、長年の運動不足で筋肉が萎縮したことが分かる。

<監禁解放後3日目の写真>
(7)被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否についての結論的解説
前記認定事実とこれまでに述べたところを併せ考えるならば,被控訴人<兄>らについては,もともとは父親である亡<父>の強い希望に基づき,親子兄弟の情愛に基づいて控訴人の統一教会に対する信仰を放棄させ,その真意に基づいて統一教会を脱会させようとしたものであって,
社会的には,そのような動機には十分に汲むべきものがないわけではないが,そうはいっても,控訴人は被控訴人<兄>らによって新潟に連れ去られた平成7年9月11日の時点において,既に31歳の成人男子であって,その意思能力や身体状況等において,被控訴人<兄>らが問題とする統一教会の信者であるという一点を除いては,特段の問題は認められなかったのであるから,
これまで認定した被控訴人<兄>らの控訴人に対する行為は,控訴人の信仰を放棄させるためになされた有形力の行使であって,しかも,控訴人の任意の承諾に基づいてなされたものではないから,違法なものといわざるを得ない。
しかも,被控訴人<兄>らの控訴人に対する監禁等は計画的なものであって,その後,平成20年2月10日まで,約12年5か月の長期間にわたって継続されたものであり,控訴人に重大な被害が生じたことも明らかである。
【解説】:上記部分では、たとえ親兄弟の愛情が動機であったとしても有形力を行使して信仰を放棄させようとすることは、違法行為であることが明確に認定されている。
また、12年5ヶ月に亘った監禁が計画的なものであったことが明記されている。
これに対し,被控訴人<兄>らは,被控訴人<兄>らの家族が控訴人と同居していたのは,控訴人と話し合う場所と機会を十分に確保し,いわばマインドコントロール下にある控訴人に改めて冷静に考える時間を与えるためであって,棄教そのものを目的としてなされたものではないなどと主張しているが,
わざわざ東京都内から新潟市内のパレスマンション多門に連れ去り,その行動の自由を著しく制約し,父親の死後,東京都内に戻ったものの,
統一教会からの脱会に反復継続的に関与している被控訴人宮村又はその関係者の斡旋等により,事実上,そのための施設として使われている荻窪フラワーホームなどにおいて,異常な長期間にわたって身の回り品等を取り上げた上,行動の自由を制約し続けたものであって,
本当に控訴人に対して冷静に考えさせるだけであれば,これほど長期間にわたって控訴人の行動の自由を著しく制約する必要はなかったというべきであるから,
本件で認定されている被控訴人<兄>らの一連の行為は,控訴人に対し,統一教会に対する見方を改め,その真意に基づいてその信仰の誤りを認めさせ,統一教会から脱会させることを目的として,計画的になされたものであることは明らかであって,
控訴人においても,そのことを十分に理解していたからこそ,互いに根比べのような状態となって,これほどまでに長期化したものと認められる。
【解説】:上記部分は、宮村、松永、後藤兄らの監禁、棄教強要を否定するにあたっての中心的な主張であった。
すなわち、マインド・コントロール化にあった徹氏が冷静に考え、じっくりと話し合う機会を与えるために家族が付き添ったのであって、棄教目的ではなかった、という主張である。
しかし、一審判決同様、控訴審判決でも、全く相手にされず一蹴されている。

<「家族の話し合い」と聞けば、このイラストのように和気あいあい、ほのぼのとした状況が想像されるが、実際には、とても「話し合い」などという生やさしい環境ではなかった。>
また,被控訴人<兄>らは,控訴人が上記の期間,パレスマンション多門や荻窪プレイス,荻窪フラワーホームに滞在したのは,控訴人が「氏族メシア」などの統一教会の教義に従い,家族を救済する目的の下に居座り続けたためであるなどと主張し,
当審において追加書証(乙イ48【ノート】,49【カレンダー紙片メモ】)を提出するなどしているが,本件では,そもそも被控訴人<兄>ら自身が統一教会の元信者であって,父親である亡<父>や被控訴人宮村らの説得等を受けて統一教会から脱会したものであり,
控訴人においても,そのことは十分に承知した上で,被控訴人<兄>らによる脱会のための説得に負けまいとしていただけで,事実上,被控訴人<兄>らによって全てを奪われた状態であった控訴人が被控訴人<兄>らを説得するなどということは不可能な状態にあったことは明らかである。
また,仮に控訴人が上記の目的を抱いていたものとしても,10年を超える期間,一歩も外出せず,全く外部と連絡を取らずにこれを遂行する理由もないのであるから,被控訴人<兄>らの上記主張を採用することはできない。
【解説】:上記の「徹は、氏族メシアの使命を果たすために、家族を救おうとして、自らの意思で居座っていた」との記載部分は、この裁判のウオッチャーなら誰でも知っている、後藤兄らが監禁を否定するために繰り返し主張してきた荒唐無稽な釈明である。
一審判決で、この主張はあえなくボツにされたため、控訴審では切り札となる証拠(甲49・カレンダー紙片メモ)を出してきたわけだが、控訴審でも一蹴された。嘘の釈明を後付してもそう簡単には通らないことの良い例であると言える。

<被告側が「切り札」として提出した徹氏が荻窪フラワーホームで記した「カレンダー紙片メモ」。この中の「それでも私は彼らを愛しているのだ! それが私の心情だ。彼等のメシヤとして彼らを愛して愛して救ってあげろ! 救え! まような! 救ってあげるんだ!」との記載から監禁を否定しようと目論んだが、判決結果を見れば、この「カレンダー紙片メモ」は、逆に監禁事実を立証するのに役立ったと言え、被告側は墓穴を掘ったことになる。>
参照
(8)消滅時効の抗弁について
なお,被控訴人<兄>らによる控訴人に対する不法行為は,上記のとおり,平成20年2月10日まで継続していたものと認めることができるから,平成18年12月末日までには不法行為が終了していたことを前提とする被控訴人<兄>らの消滅時効の抗弁には理由がない。
【解説】:上記「平成18年12月末日までには不法行為が終了していたことを前提とする被控訴人<兄>らの消滅時効の抗弁」とは、後藤兄らは、平成18年12月末日には、「出て行けばよい」と言ったが出て行かなかったことをもって、この時点での不法行為が否定されると主張している。
そして、後藤兄らは、この日を起点として、原告が提訴した平成23年1月31日には、既に時効3年期間が過ぎているから時効であったと主張していたのである。
*次回は、松永堡智牧師、及び宮村峻に対する不法行為の成否についてです。
今後も後藤さんの応援宜しくお願いします。
未だ拉致監禁事件は続いていて、現在監禁中の統一教会員もいます。
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ア 控訴人が外出できなかった理由について
そして,更に,平成9年12月頃には,控訴人は荻窪フラワーホームに移動しているが,この荻窪フラワーホームおいても,常時,控訴人の外に家族が滞在し,構造上,控訴人が起居する部屋から玄関に向かうためには被控訴人<兄>らや<母>が使用していた部屋を通る必要があったこと,荻窪フラワーホームの部屋も,容易に飛び降りて逃げ出すことは困難であったとうかがわれること,このような状況下で,控訴人は全く外出することも外部と連絡を取ることもしなかったことなどはパレスマンション多門や荻窪プレイスにおける滞在と同様である。

<804号室は、最上階(8階)手前側の部屋である。>

<荻窪フラワーホーム804号室の間取り図。徹氏は、ベランダに隣接する6畳間に監禁されていた。>
しかも,この間,控訴人が偽装脱会をしていたことを告白した後には,控訴人は荻窪フラワーホームから退出しようとするところを取り押さえられたり,

平成16年,平成17年,平成18年にそれぞれ断食をしたりするなどして,事実上の拘束状態にある現状に対する不服の意思を表示するなどしていたものと認められる。
これらの事実を勘案するならば,控訴人は,被控訴人<兄>らによって荻窪フラワーホームから自由に外出したり,退出したりすることを妨げられ,行動の自由を制約されていたものといえ,このような状況は,荻窪フラワーホームで同居していた<母>が内科,整形外科,眼科等の病院に通い,被控訴人<妹>も病院やスポーツクラブに通っていた状況(乙イ1)と比べても対照的である。
このような状況下で,設備点検その他の機会に第三者が荻窪フラワーホームに立ち入ることが皆無ではなく,その際,控訴人において,その第三者に対して助けを求めることはなく,控訴人とは体格差のある被控訴人<妹>や<母>に対し直接的に有形力を行使するような手段によって荻窪フラワーホームから退出しようとすることもなかったとしても,
それは,控訴人において,それまでの経験や近隣に脱会説得の関係者が存在している状況等からして,安易に抜け出そうとしても阻止されてしまい,かえって監視が厳しくなるなど逆効果であることを熟知していたからであって,控訴人において任意に荻窪フラワーホームに滞在する意思を有していたことによるものではないというべきである。
【解説】:控訴審において、徹氏が監禁下になかったことの根拠として後藤兄らが繰り返し主張していたのが、「第三者に助けを求めなかったこと」「徹氏と常駐していた母、妹との体格差」であった。
しかし、裁判所は、ここでも徹氏側の主張を採用している。当時の状況を冷静かつ客観的に俯瞰して見れば、上記判決文のような認定にならざるを得ない。
イ 控訴人が長期断食した理由から分かる自由の著しい制約
なお,上記の断食について,被控訴人<兄>らは,日頃,控訴人は,ノートやボールペン,シャープペンの芯や赤鉛筆,青鉛筆などの欲しいものがあると,これをメモ書きにして<母>に渡し,被控訴人<妹>が要求された品を控訴人に渡していたが,平成17年4月頃,控訴人が<母>に対して韓国語のテキストを所望したものの,<母>や被控訴人<兄嫁>及び被控訴人<妹>からこれを拒絶されたため,立腹して2回目の断食を始め,
その後の平成18年4月頃にも,控訴人が<母>に対しノートが欲しいと何度か頼んだものの,被控訴人<妹>からこれを拒絶されたため,3回目の断食を始めたものであると主張し,被控訴人<妹>作成の陳述書(乙イ47)にもおおむね同旨の記載があるところ,
そもそも上記のような書籍やノートは,高価な品とか何か特別な品というわけではなく,一般に相応の価格で容易に入手することができる物であり,控訴人に行動の自由があったのであれば,ちょっと外出して近隣の文房具店や書店等に出向くなどして買い求めれば足りたはずであるから,

上記のことは,控訴人が<母>ら家族に依頼して書籍やノートを入手するしかない状況に置かれていたことや,それも拒絶されていたことを示すものであって,荻窪フラワーホームにおける被控訴人<兄>らによる控訴人の行動の自由に対する制約が,著しいものであったことを裏付けているものである。

<荻窪フラワーホームの隣にはコンビニがあった

【解説】この写真で確認できるように、荻窪フラワーホームの隣の建物(茶色のビル)の1階には、コンビニがあった。
しかも、荻窪フラワーホームは、JR荻窪駅から徒歩5~6分の場所にある。
従って、判決文の「ちょっと外出して近隣の文房具店や書店等に出向くなどして買い求めれば足りたはずである」との認定は、極めて妥当な判断と言える。
(参照:荻窪フラワーホーム)
ウ 控訴人に対する食事や健康管理は適切だったのか?
また,控訴人の供述等によれば,上記3回目の断食の後,被控訴人<妹>は,控訴人に対し,約70日間にわたって流動食を用意し,その後も控訴人と同様の身長のある一般の成人男性に必要とされるカロリーに満たない食事を供していたことが認められるが,

<A~Cは、30日断食後、後藤徹氏が家族から提供された食事内容です。>
A:直径7㎝深さ5㎝の小鉢に7分程度の重湯×3回,水で希釈したポカリスエット500cc×2回
<2006年5月~7月10日頃までの70日間>
B:(a)直径11㎝深さ6㎝汁椀に重湯+同容器に薄い味噌汁 3食
(b)(a)と同じ容器で三分粥+豆腐入り味噌汁 3食
(c)(a)と同じ容器で七分粥+豆腐・野菜入り味噌汁 3食
<2006年7月10日頃~12月頃の約5か月間 a→b→cと移行>
C:朝食:6枚きり食パン1枚に青汁1杯
昼食:胚芽米ご飯1杯と味噌汁1杯(味噌汁の具は日によって違うが
①ニンジン、キャベツ、ジャガイモ、大根、カボチャなど野菜
②エノキ、椎茸、エリンギなどのキノコ類
③さつま揚げ、魚肉ボール、ちくわ等を2×2㎝ほどに切断したもの4~5きれなどのバージョン有り),
味付けのり(4×7㎝)4枚,漬け物と小魚少々,梅干し
夕食:胚芽米ご飯1杯,味噌汁1杯,キャベツ,ニンジン,大根などの漬け物,小エビ少々,納豆(1パック40~50g),昆布佃煮
Cの昼食・夕食のおかず



<2006年12月頃~2008年2月10日の約1年2ケ月>
2番目の表は、一般成人男性の必要栄養量です。
必要栄養量に比べ、後藤さんの摂取量がどの程度かが3番目の表になります。
被控訴人<妹>において十分な栄養学等の知識があったとか,提供された食事が医学上又は栄養学上の専門的な知見に基づく控訴人の身体状況等に相応しい食事であったことなどを認めるに足りる証拠はない。
しかも,被控訴人<兄>らは,断食中の,あるいは断食を終えた控訴人について,医師の診察を受けさせたりしたことはなく,それ以前にも,控訴人を事実上,拘束状態に置いていたにもかかわらず,その体調を心配して医師の診察を受けさせたりしたこともないのであって,
そのような一連の被控訴人らの行為等によって,その後,平成20年2月10日に荻窪フラワーホームから解放された時には,身長182センチと長身で約70キログラム程度あった控訴人の体重は,多くとも約50キログラム程度に低下し,全身筋力低下,廃用性筋萎縮症などと診断されるまでになっていたことが認められる。
これらの事情は,被控訴人<兄>らの控訴人に対する行動の自由の制約が,控訴人の体調等について十分に配慮してなされたものではなく,控訴人の健康を損なわせる結果になっていたことを示すものであって,荻窪フラワーホームにおける滞在についても,控訴人に対する行動の自由の違法な制約が継続し,拘束が長期化する中で,控訴人の体調等に対する管理や配慮が十分ではなく,違法性の高いものになっていたと認めるのが相当である。
【解説】:上記の荻窪フラワーホームにおける徹氏の身体状況に関する認定は、一審判決の認定と全く逆転した。一審判決では、以下のような認定であった。
(一審判決文60頁より引用

なお,原告は,被告<兄>らにおいて,原告が荻窪フラワーホームに滞在中にハンガーストライキを終えた後においても,原告に対して粗末な食事しか与えずに食事制裁を行い,原告を虐待した旨主張するが,・・・上記滞在中の原告の食事は<母>及び被告<妹>において用意されており,被告<妹>は,かつて信者であった頃に断食を行った経験を生かして,原告の断食明けの食事について配慮し,原告の体調を気遣っていたこと等が認められるところであって,原告が3度目の断食を行った後に出された普通食が原告と同等の身長の一般男性に必要とされるカロリーを摂取するに十分なものではなかったことも,原告において再度断食を行う意向を表していたことを踏まえてのことであったことを考慮すれば,上記の原告の食事に係る事情については,直ちに違法な点を見いだすことはできず,原告の上記主張は採用しない。
(

このように、一審判決は、「原告の体調を気遣って」食事を減らしていたと認定していた。しかし、控訴審判決では、上記判決文(下線部分)の通り「体調等に対する管理や配慮が十分ではなく,違法性の高いもの」と認定している。
さて、改めて、下の徹氏の監禁後3日目の写真を見て頂きたい。このガラボシ状態が「原告の体調を気遣って」などと安易に言えないことは、一目瞭然だろう。一審判決を変更した控訴審判決は、全く妥当だと言える。

<監禁解放後3日目の写真>
さらに、この変更に関しては、徹氏の体重と摂取カロリーに関して、控訴審で新たに採用された証拠である甲176号証と甲192号証の存在が効いていると思われる。
※「甲176」は、後藤徹氏が監禁解放後に入院した一心病院の体温表で、入院期間中の50日間で体重が約50キロから65キロまで増加していることを示すものである。
「甲192」は、同じく一心病院の「約束食事箋」で、一心病院で入院患者に出る病院食のカロリー等を記したものである。この2つの証拠から、荻窪フラワーホームで後藤兄らが1日2000カロリーもの食事を後藤徹氏に出していたという嘘が暴露された。
甲176号証と甲192号証についてはこちら
エ 控訴人が、後藤兄らから出て行くように言われた件については?
もっとも,被控訴人<兄>らは,平成10年頃から控訴人に対して何度も荻窪フラワーホームから出て行くよう言ったのに,控訴人が自ら出て行こうとしなかっただけであると主張しており,
なるほど,少なくとも平成18年4月に3回目の断食を行った後に,被控訴人<兄>らが控訴人に対してそのような発言をしたことや,
また,平成20年2月10日に控訴人が荻窪フラワーホームから退出するに至った際にも,被控訴人<兄>と<母>が控訴人に対し出て行くよう求め,出て行こうとしない控訴人を被控訴人<兄>らが荻窪フラワーホームの外に押し出したものであることは,控訴人も認めているところである。
しかしながら,当時,控訴人には何らの身の回りの品も渡されておらず,控訴人は所持金もなく,

外出着も着ていないまま,荻窪フラワーホームを退出させられたことが認められるが,


<左:監禁解放時着ていた服(一審提出写真)
徹氏が、2008年2月10日に荻窪フラワーホームから解放された時に着ていた実際の服。
マンション内で暖房が使えなかったため、冬の寒い時期はいつも7~8枚を重ね着していたという。
右:監禁解放時の格好(一審提出写真)
徹氏が解放時の服を実際に着た様子。
この写真撮影の時は、体重が戻っていたのでかなり着ぶくれ状態であることがわかる。徹氏は、この着の身着のままの状態で極寒の中、一文無しでマンションから追放される形で解放された。>
そもそも控訴人は,平成7年9月11日に行動の自由を制約されて以来,約12年5か月もの長期間,全く外出することもなく,ただ狭い部屋に監禁状態にあって,社会的生活への適応能力が著しく減退させられていたものであるのに,

被控訴人<兄>らは,控訴人に対して所持金も与えず,住居等も用意しないまま,ただ追い出しただけであるから,
そのことは,それまで何回か被控訴人<兄>らが控訴人に対して荻窪フラワーホームから退出するよう求めたといっても,上記と同様に,控訴人に対して何の所持金も与えず,当面の衣食住を確保するための方策も講じてやらないまま,出て行けというだけであったと推認することができるのであって,
そのようなことは,長期間にわたって自由を制約され続け,生活の手段を断たれ,すぐには行き場のない控訴人をただ困らせるだけのものであり,

控訴人が荻窪フラワーホームを退出することができなかったのも,もっともなことである。
【解説】:上記の部分「何度も荻窪フラワーホームから出て行くように言った」との主張も後藤兄らが監禁を否定するために繰り返し主張していた内容である。
しかし、ここでも控訴審は徹氏側の主張を認定している。
長年に亘りあらゆるものを奪っておいて、その上、身体に虐待を加え、着の身着のままの一文無しで「出てけ」と何回か言ったからといって、監禁していないことにはならないとの認定は、至極まっとうである。
上記下線部分は、12年5ヶ月の全期間に亘り監禁状態にあったことが認定されている。
結局,そのような所持金も与えず,生活の場も確保してやらず,ただ出て行けと言っただけの被控訴人<兄>らの行為は,真摯に控訴人の行動の自由を回復させようとしてなされたものと認めることはできないのであって,
困れば自分から戻って来るであろうなどという考えでなされたともうかがわれるのであるから,控訴人が直ちにこれに従わなかったとしても,控訴人の行動の自由が違法に制約され続けていたことと何ら矛盾するものではない。
また,被控訴人<兄>らは,控訴人は,控訴人提出の書証(甲9,57の3等)からも明らかなように,日常,部屋の中で運動に努めており,平成20年2月10日に出て行くよう求めた時にも控訴人には十分な体力があったなどと主張しているが,
一般に室内における運動に努めたからといって殊に10年を超える長期間にわたり健常な体力が維持されると認めるのは困難であるほか,前記認定事実のとおり,控訴人は,退出後,全身筋力低下等の診断を受け,同月11日から同年3月31日まで一心病院に入院して治療を受けていたことなどの事実に照らしても,上記の主張を採用することはできない。
【解説】:上記の部分「部屋で運動していたから十分体力があったはず」との内容も後藤兄らが、繰り返し主張してきたことだが、高等裁判所は、一蹴している。
下の写真の足の状態を見れば素人でも、長年の運動不足で筋肉が萎縮したことが分かる。

<監禁解放後3日目の写真>
(7)被控訴人<兄>らの控訴人に対する不法行為の成否についての結論的解説
前記認定事実とこれまでに述べたところを併せ考えるならば,被控訴人<兄>らについては,もともとは父親である亡<父>の強い希望に基づき,親子兄弟の情愛に基づいて控訴人の統一教会に対する信仰を放棄させ,その真意に基づいて統一教会を脱会させようとしたものであって,
社会的には,そのような動機には十分に汲むべきものがないわけではないが,そうはいっても,控訴人は被控訴人<兄>らによって新潟に連れ去られた平成7年9月11日の時点において,既に31歳の成人男子であって,その意思能力や身体状況等において,被控訴人<兄>らが問題とする統一教会の信者であるという一点を除いては,特段の問題は認められなかったのであるから,
これまで認定した被控訴人<兄>らの控訴人に対する行為は,控訴人の信仰を放棄させるためになされた有形力の行使であって,しかも,控訴人の任意の承諾に基づいてなされたものではないから,違法なものといわざるを得ない。
しかも,被控訴人<兄>らの控訴人に対する監禁等は計画的なものであって,その後,平成20年2月10日まで,約12年5か月の長期間にわたって継続されたものであり,控訴人に重大な被害が生じたことも明らかである。
【解説】:上記部分では、たとえ親兄弟の愛情が動機であったとしても有形力を行使して信仰を放棄させようとすることは、違法行為であることが明確に認定されている。
また、12年5ヶ月に亘った監禁が計画的なものであったことが明記されている。
これに対し,被控訴人<兄>らは,被控訴人<兄>らの家族が控訴人と同居していたのは,控訴人と話し合う場所と機会を十分に確保し,いわばマインドコントロール下にある控訴人に改めて冷静に考える時間を与えるためであって,棄教そのものを目的としてなされたものではないなどと主張しているが,
わざわざ東京都内から新潟市内のパレスマンション多門に連れ去り,その行動の自由を著しく制約し,父親の死後,東京都内に戻ったものの,
統一教会からの脱会に反復継続的に関与している被控訴人宮村又はその関係者の斡旋等により,事実上,そのための施設として使われている荻窪フラワーホームなどにおいて,異常な長期間にわたって身の回り品等を取り上げた上,行動の自由を制約し続けたものであって,
本当に控訴人に対して冷静に考えさせるだけであれば,これほど長期間にわたって控訴人の行動の自由を著しく制約する必要はなかったというべきであるから,
本件で認定されている被控訴人<兄>らの一連の行為は,控訴人に対し,統一教会に対する見方を改め,その真意に基づいてその信仰の誤りを認めさせ,統一教会から脱会させることを目的として,計画的になされたものであることは明らかであって,
控訴人においても,そのことを十分に理解していたからこそ,互いに根比べのような状態となって,これほどまでに長期化したものと認められる。
【解説】:上記部分は、宮村、松永、後藤兄らの監禁、棄教強要を否定するにあたっての中心的な主張であった。
すなわち、マインド・コントロール化にあった徹氏が冷静に考え、じっくりと話し合う機会を与えるために家族が付き添ったのであって、棄教目的ではなかった、という主張である。
しかし、一審判決同様、控訴審判決でも、全く相手にされず一蹴されている。

<「家族の話し合い」と聞けば、このイラストのように和気あいあい、ほのぼのとした状況が想像されるが、実際には、とても「話し合い」などという生やさしい環境ではなかった。>
また,被控訴人<兄>らは,控訴人が上記の期間,パレスマンション多門や荻窪プレイス,荻窪フラワーホームに滞在したのは,控訴人が「氏族メシア」などの統一教会の教義に従い,家族を救済する目的の下に居座り続けたためであるなどと主張し,
当審において追加書証(乙イ48【ノート】,49【カレンダー紙片メモ】)を提出するなどしているが,本件では,そもそも被控訴人<兄>ら自身が統一教会の元信者であって,父親である亡<父>や被控訴人宮村らの説得等を受けて統一教会から脱会したものであり,
控訴人においても,そのことは十分に承知した上で,被控訴人<兄>らによる脱会のための説得に負けまいとしていただけで,事実上,被控訴人<兄>らによって全てを奪われた状態であった控訴人が被控訴人<兄>らを説得するなどということは不可能な状態にあったことは明らかである。
また,仮に控訴人が上記の目的を抱いていたものとしても,10年を超える期間,一歩も外出せず,全く外部と連絡を取らずにこれを遂行する理由もないのであるから,被控訴人<兄>らの上記主張を採用することはできない。
【解説】:上記の「徹は、氏族メシアの使命を果たすために、家族を救おうとして、自らの意思で居座っていた」との記載部分は、この裁判のウオッチャーなら誰でも知っている、後藤兄らが監禁を否定するために繰り返し主張してきた荒唐無稽な釈明である。
一審判決で、この主張はあえなくボツにされたため、控訴審では切り札となる証拠(甲49・カレンダー紙片メモ)を出してきたわけだが、控訴審でも一蹴された。嘘の釈明を後付してもそう簡単には通らないことの良い例であると言える。

<被告側が「切り札」として提出した徹氏が荻窪フラワーホームで記した「カレンダー紙片メモ」。この中の「それでも私は彼らを愛しているのだ! それが私の心情だ。彼等のメシヤとして彼らを愛して愛して救ってあげろ! 救え! まような! 救ってあげるんだ!」との記載から監禁を否定しようと目論んだが、判決結果を見れば、この「カレンダー紙片メモ」は、逆に監禁事実を立証するのに役立ったと言え、被告側は墓穴を掘ったことになる。>

(8)消滅時効の抗弁について
なお,被控訴人<兄>らによる控訴人に対する不法行為は,上記のとおり,平成20年2月10日まで継続していたものと認めることができるから,平成18年12月末日までには不法行為が終了していたことを前提とする被控訴人<兄>らの消滅時効の抗弁には理由がない。
【解説】:上記「平成18年12月末日までには不法行為が終了していたことを前提とする被控訴人<兄>らの消滅時効の抗弁」とは、後藤兄らは、平成18年12月末日には、「出て行けばよい」と言ったが出て行かなかったことをもって、この時点での不法行為が否定されると主張している。
そして、後藤兄らは、この日を起点として、原告が提訴した平成23年1月31日には、既に時効3年期間が過ぎているから時効であったと主張していたのである。
*次回は、松永堡智牧師、及び宮村峻に対する不法行為の成否についてです。
今後も後藤さんの応援宜しくお願いします。
未だ拉致監禁事件は続いていて、現在監禁中の統一教会員もいます。
この判決を契機に拉致監禁による脱会説得がなくなるよう、1人でも多くの人にこのブログが目に止まるようポチっとクリックお願いします。

↓↓↓↓↓↓

2014-12-27(Sat)
後藤裁判 控訴審 判決文(その5)-松永牧師及び宮村は、監禁行為を「教唆」ないし「幇助」し、「共同不法行為責任」を負う!! « ホーム
» 後藤裁判 控訴審 判決文(その3) ついに「監禁」認定!! 宮村、松永、後藤兄らの違法行為を断罪!
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闘わなければ 拉致監禁は終わらない!
世話人の皆様、今年は、第一審の判決に始まり、控訴審の判決に終わった忙しい年だったと思います。資料の掲載、ありがとうございます。
私のブログでの連載記事 「後藤控訴審判決の歴史的意義」 の最終回の記事:「闘わなければ 拉致監禁は終わらない」 を書きました。参考にして下さい。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/411285240.html
それでは、皆様、よいお年を。また、来年よろしくお願いいたします。
私のブログでの連載記事 「後藤控訴審判決の歴史的意義」 の最終回の記事:「闘わなければ 拉致監禁は終わらない」 を書きました。参考にして下さい。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/411285240.html
それでは、皆様、よいお年を。また、来年よろしくお願いいたします。
困らせるための「出て行け」
<書籍やノートは,高価な品とか何か特別な品というわけではなく,一般に相応の価格で容易に入手することができる物であり,控訴人に行動の自由があったのであれば,ちょっと外出して近隣の文房具店や書店等に出向くなどして買い求めれば足りたはず…>
そうですよね。
誰だって、そう思います。
最初から、無理があったのですよ。ノートを買ってこなかったから断食、って…。
<控訴人に対して何の所持金も与えず,当面の衣食住を確保するための方策も講じてやらないまま,出て行けというだけであったと推認することができるのであって,そのようなことは,長期間にわたって自由を制約され続け,生活の手段を断たれ,すぐには行き場のない控訴人をただ困らせるだけのものであり…>
ただ困らせるだけの「出て行け」。
なるほど。
ここまでは考えていませんでしたね。
流石、裁判長。偉い!
<事実上,被控訴人<兄>らによって全てを奪われた状態であった控訴人が被控訴人<兄>らを説得するなどということは不可能な状態にあったことは明らかである>
そうですよね。
控訴人(徹さん)は絶対不利な状況におかれていた。
「家族を救うために、居座った」。この、分かったような分からないような、信仰という世界ではありえそうな、独特な理屈。
残念ながら、裁判長には通じませんでしたねぇ。
そもそも、誰もいない部屋で、どうやって説得(伝道)する、ってんだ。
紙に書いて説明するにも、その紙すらないんだから~。
カレンダーの書き込みが痛々しい。
被控訴人はよくぞ上告したなぁ。完敗状態なのに…。
そうですよね。
誰だって、そう思います。
最初から、無理があったのですよ。ノートを買ってこなかったから断食、って…。
<控訴人に対して何の所持金も与えず,当面の衣食住を確保するための方策も講じてやらないまま,出て行けというだけであったと推認することができるのであって,そのようなことは,長期間にわたって自由を制約され続け,生活の手段を断たれ,すぐには行き場のない控訴人をただ困らせるだけのものであり…>
ただ困らせるだけの「出て行け」。
なるほど。
ここまでは考えていませんでしたね。
流石、裁判長。偉い!
<事実上,被控訴人<兄>らによって全てを奪われた状態であった控訴人が被控訴人<兄>らを説得するなどということは不可能な状態にあったことは明らかである>
そうですよね。
控訴人(徹さん)は絶対不利な状況におかれていた。
「家族を救うために、居座った」。この、分かったような分からないような、信仰という世界ではありえそうな、独特な理屈。
残念ながら、裁判長には通じませんでしたねぇ。
そもそも、誰もいない部屋で、どうやって説得(伝道)する、ってんだ。
紙に書いて説明するにも、その紙すらないんだから~。
カレンダーの書き込みが痛々しい。
被控訴人はよくぞ上告したなぁ。完敗状態なのに…。
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