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被告後藤兄の陳述書-カレンダーの紙片メモは、原告が氏族メシアとして居座った証拠!?

先回まで、原告・後藤徹氏がマンション内で書いたノートとカレンダー紙片メモに関する、原告自身による陳述書を3回に亘り掲載しました。

今回は、このカレンダー紙片メモに関して解説した、被告後藤兄による陳述書を紹介します。

元々、このカレンダーの紙片メモは被告側(後藤兄・妹・兄嫁)が法廷に提出した証拠でした。もちろん、被告側は自分たちの主張に利すると確信したからこそ、出してきたわけです。おそらく、一審判決を覆すための「切り札」として出してきたのでしょう。

しかし、今まで紹介した原告側の陳述書等を見ると、このカレンダー紙片メモは、その様態(カレンダー紙片に細かい字でビッシリ)や書かれている内容(苦しみを耐え忍んでいる記載等)から、被告側の主張に利するどころか、逆に原告が監禁状態にあったことを雄弁に物語っているように見えるのは私だけでしょうか。

さらに、「被告へのカウンターパンチ!! 原告後藤徹氏が刑事告訴の際に荻窪警察署に提出したノートとカレンダー紙片メモに関する陳述書」で紹介した通り、原告が刑事手続きの際に提出した陳述書によって、被告側が多くのノートやメモの中から、自分たちに都合のいいものを選別して出してきた疑いが濃厚になってしまいましたね。

これは、まさに「墓穴を掘る」という慣用句がピッタリ嵌まる気がしてなりませぬ。

さて、それでは、今回紹介する被告側の後藤兄による陳述書は、原告側の主張を覆し、一審判決を逆転せしめるほどの、説得力があるものなのでしょうか?じっくりと読んでいただきたいと思います。

ちなみに、以下が今回紹介する陳述書の「立証趣旨」です。「立証趣旨」とは、その証拠で立証しようとしている事柄の説明のことです。

<立証趣旨>
一審原告は、家族の中で唯一の統一協会信者として、氏族メシアの使命を果たすため、また、一族の蕩減を進めるためにマンションに居続けたこと。

以下、陳述書です。
陳述書
乙イ第49号証(カレンダーの紙片メモ)について


東京高等裁判所第14民事部 御中
平成26年7月30日

後藤兄


1.今回母の遺品の中から見つかったカレンダーの紙に徹が書いたメモ(乙イ第49号証)の中に、徹が「統一教会員として家族を救うのだ。」という強い思いを持っていたことを明確に裏付ける証拠となる表現がありましたので、それについて述べさせていただきます。
カレンダー
<乙イ第49号証>


2.かつて、私が統一協会で活動していた頃も繰り返し教えられましたが、統一協会員は、自分の氏族の中で特別に選ばれた存在であり、過去から未来までの一族郎党を天国に導く責任を負っていると信じています。それは神から与えられた最も重要な使命であり、信者としてはまず家族を救わなければいけない、つまり統一協会の信者にしなければならないと教育されます。徹が書いたメモの中にある「彼らのメシアとして彼らを愛して愛して愛して救ってあげろ!救え!まような!愛して救ってあげるんだ!」という表現は統一協会員の発想としてごく自然な発想と考えます。「彼らのメシア」というのは、家族を統一協会でいう救いに導く(具体的には統一協会の信者にさせる)使命を持った立場ということです。

3.徹はフラワーホームの居室で共に生活していた間に、「神が働けば奇跡は起こる。兄貴たちだって救われるんですよ。」とよく私たちに語っていました。メモの中で例えば「イエス・アボジ(文鮮明)と同じように愛して愛して愛しまくれ!そして(サタン)が(讒訴)するに対する(蕩減)の返済が終われば、(蕩減)が満ちれば法則として(サタン)が認め⇒(家族)の救いその日、その瞬間が必ず来る!そこを目標として戦え!」とありますが、これは「イエス・キリストや再臨のメシア文鮮明師のように家族を愛して愛して愛して救ってあげろ!そしてサタンが讒訴(訴えて来る)する罪の蕩減(つぐない)が終われば、サタンも認めざるをえず、家族も必ず救いに導かれる。その時その瞬間が必ず来る。そのように家族を救う、つまり信者にすることを目標としてサタンと戦え!」という内容なのです。

4.罪の蕩減を行うには神とサタンの前に、例えば「家族の救いのために断食を30日間やります。」とか「家族の救いのために毎日統一原理の勉強を3時間以上無期限でします。」などの条件を立てて実行します。そういう考え方と行動が信仰の確立した統一協会員は身についていますので、徹の行動もこういった統一原理的原則に則ったものであったのです。また、徹の主張には早朝祈祷の中で、神から答えとして与えたれた、とありますが、それだからこそ「神体験」としての啓示に従っていたのだと思います。

5.統一協会では、一度信仰を持ちながらそれを棄てたものは、はじめから信じなかった者よりもっと重い罪を犯した者とみなされるので、悲惨な地獄の中でも最悪のところへ落とされ、永遠に苦しみ続けると教えています。私と妹●、私の妻●がいずれも統一協会を脱会したため、家族の中で唯一の統一協会信者となった徹は、氏族が救われる最後の砦として人間の業を超えた神の力を頼りに奇跡を起こすべく、マンションに居続けていたのです。さらに話し合いの途中で他界した父に対しても、統一協会信者である自分の信仰を揺るがすようなことをしたせいで、打たれた(バチが当たるといった意味)に違いない、と考えていたのです。統一協会の教育によって信者なら皆こう考えるようになります。父親を救えなかった後悔も手伝って家族の救いに対する切迫感が強まったに違いありません。

6.統一協会では、自分に振りかかる様々な試練や艱難は、それを甘んじて受け、むしろ主体的に喜んで乗り越えて行く時に、罪の清算が進むと教えられます。ですので、与えられた試練が大変であればある程、蕩減を大きく進めるチャンスと考えます。その表れがメモの中にもあります(乙イ第49号証のカレンダー30、31日の欄)。
→だからが多く激しくなるほど喜べ。で受けると思いと意思力を確立せよ。それは、が早いのだ。早くが進むのだ。これをカンペキ体恤せよ。にをつんで→カンペキ体恤せよ。オトクなのだ。決して損しないのだ。早く罪がされるのだ。→(早く贖罪してあげることができるのだ)

記号化されている部分を文章表現にすると、「反対、迫害、痛み、苦しみが多く激しくなるほど喜べ。主体的に率先して喜んで受ける思いと意志を確立せよ。それは、蕩減が早まることになるのだ。早く復帰(氏族復帰=家族の救い)が進むのだ。これを完璧に体恤せよ。(反対や迫害を受け痛み苦しみを受けることはむしろ自分にとって)お得なのだ。決して損はしないのだ。(それは、むしろ)早く罪が清算されるのだ。早く清算してあげることができるのだ。」となります。

体恤とは、血肉になるほどの会得といった意味です。迫害とか苦しみなどの表現は統一協会の教えや活動を検証する機会に対して、被害妄想的に使っている言葉で、現実に迫害されているとか苦しめられているということとは違います。

7.自分や氏族の過去の罪を清算しなければならないことは統一協会の準教典とも言うべき文鮮明の御言葉集「御旨と世界」の176頁の9行目からにも以下の通り書かれています。


「過去の罪があった場合には大変だね。過去の罪は早く清算せよ。罪ある者が真の父母と一体になることはできません。本当はね。だからまず歴史的な罪を清算せよ。それは、先祖以来今までずっと歴史につながった血統的汚れを清算しなければならない。自分を中心として、今までなしてきたみ旨の路程を中心として比較対照してみた場合に間違ったすべてを、清算しなければならない。それから自分が将来善なる先祖にならなければならない立場である。善なる先祖になるには、善なる後孫に何か自分が残した荷物を残したらいけない。重荷をその後孫に譲ってやるような先祖になったならば、讒訴されるような先祖になった場合には、真の父母の統治主管する圏内に入ることはできません。だから統一教会の祝福された家庭たちは、今、現在においてすべてを蕩減して、それを清算しなければならない。だから復帰路程において誰よりも先頭に立って蕩減の道を自分一代の蕩減の道よりも、国家民族の蕩減を背負って立っていくんだから、後孫においては、誇りの先祖だというんだね。これは国が立った場合には、祝福家庭が先頭に立って、初めて永遠に基台をつくって、地上安息とともに永遠の霊界安息の基準を作る場合には地上に完成される。その時には、歴史は世界的注目の的になるだろう。だから現実においてあんたたちは、あんたたちの足場からじゃない、過去、現在においての、自分より気のあったすべての危害を早く清算しなければならない。清算するには一番良い方法が何かというと、まずもってサタンと闘って勝たなければならない。それはサタンに打ち勝っておかなければ、いくら歴史的清算をしたとしても、再びまたサタンが寄りかかってくる。だからまずもって、根本的サタンを屈服させなければならない。屈服させるために教えるのは我々の原理だよ。」
このように統一協会の中では常識と言える内容なのです。

8.統一協会の信仰は一般常識とまるで違います。どんなに不可能に思えても、条件が整えば奇跡が起こる、と考えています。むしろそれが信仰者の醍醐味であってそうでなくては信仰の意味がない、いう感覚があります。

また、この世の人生以上に来世でのあり方を重視しますので、良くも悪くも目先の状態に頓着しない傾向があります。

一審原告控訴審準備書面(3)の25頁15行目の、「勿論イエスキリストのような聖人ならぬ常人の一審原告にとり、一審被告■<後藤徹氏の兄>らを救うなどということは不可能であり、」という表現は、統一協会信者とは思えぬ表現で、裁判対策用に主張しているのに過ぎないことは、現役信者であり代理人の福本弁護士はよくわかっているはずです。
 
9.原判決の58頁から3行目には、「被告■<後藤徹氏の兄>らは、原告が統一教会の教義に従い、家族を救済する目的の下に上記各居室に居座り続けた旨も主張するが、原告自身、これを明確に否定するところであり、本件全証拠によるも、荻窪フラワーホームに滞在中の原告の行動が上記のような目的の下で行われていたことを窺わせる事情は認められず、被告■<後藤徹氏の兄>らの上記主張は採用することができない。」とありますが、これは重大な判断の誤りであることは明白です。徹は家族の中で唯一の信者として、氏族メシアの使命を果たすため、また一族の蕩減を進めるためにマンションに居続けたことはこのカレンダーの記載からも明白です。

統一協会員の思考や行動は、教え込まれる価値観が全て根拠になっています。であればこそ、霊感商法をはじめとする違法な行動も、信仰的な根拠付けにより信者としてやるべきこととしてできてしまうのです。

騙されていたとはいえかつての自分もそのような活動に奔走していたことを思うと、忸怩たる思いですし。もともと善良でまじめな人たちが統一協会に取り込まれてしまって、人生を奪われてしまっていること、またそれに気づけないでいることは本当に気の毒なことです。

東京高等裁判所におかれましては、統一協会員の価値観は普通でないことをよくご理解いただき、適正な判決を下されますようお願いいたします。

以 上
 


*次回から判決日までの間に、被告宮村の陳述書を紹介します。一審判決にて自身の不法行為と責任が認定さた宮村は、控訴審で、どんな言い訳を展開したのでしょうか。こうご期待!
宮村峻氏
<次回登場の宮村峻氏>

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2014-10-16(Thu)
 

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何もしないで「愛する」? 

<家族を愛して愛して愛して救ってあげろ!>

こう書いてあるから、家族を愛するために居座り続けたんだ、と言いたいのでしょう。
笑っちゃいますね。

家賃も払わず、働きもせず、料理もせず、洗濯物を干すこともせず、肩をもむこともせず、ましてや会話もしないのに、どこに「愛する」という行為があったというのでしょうか。

ここで言う「愛する」というのは監禁をする兄妹たちを憎まずに許す、ということ以外には考えられませんよ。


<徹は、氏族が救われる最後の砦として人間の業を超えた神の力を頼りに奇跡を起こすべく、マンションに居続けていたのです。(中略)。統一協会の教育によって信者なら皆こう考えるようになります>

統一教会には、氏族を救うために居座り続ける信者など1人もいません。そんな教えも指導もありません。ましてや12年5ヶ月も。

礼拝にも行かず、活動もせず、アベルに繋がらないで、氏族を教会行事に連れて行かないで、氏族を救えると考える信者も皆無ですよ。

そもそも、お兄さん、あなたは信者だった時に、居座りましたか?。居座ってないでしょ。

ああ、苦しすぎる詭弁…。
正に、墓穴を掘りましたね。
2014-10-16 08:44 | みんな | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
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世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
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