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後藤徹氏の陳述書(控訴2)-超重要証拠「秘密の小型ノート」を原告が隠し持っていた!これも被告側が証拠隠滅か?!

先回は、被告側が提出した「ノート」及び「カレンダー紙片メモ」に対して、原告側が提出した陳述書(刑事手続きの際に作成・提出したもの)を紹介しましたが、今回は、「ノート」及び「カレンダー紙片メモ」に関して、これらを書いた原告本人による陳述書(甲194号証・控訴審で提出されたもの)を紹介します。

まず、陳述書の目次を以下に記します。今回は、青字部分をUPします。
陳述書(控訴2)←(注:控訴審での2度目の陳述書という意味です)
1.小型ノート(添付資料1)
2.「1」以外のメモについて
3.乙イ48号証のノートについて
 (1)ノートに統一原理の内容等記した経緯と理由
 (2)ノート(乙48号証)の内容から明らかな事実
 (3)<被告後藤兄>らの虚偽証言と証拠隠滅

4.カレンダー紙片に書かれたメモ(乙イ49号証)について
 (1)~(14)
5.乙イ49号証以外のカレンダー紙片のメモについて
6.マンションから解放時の抵抗について


陳述書を掲載する前に、今回UPする内容を少し説明しておきます。

陳述書の冒頭部分で、原告は、自身の監禁状況を克明にメモしたという「小型ノート」の存在に関して新たに言及し、解説しています。この「小型ノート」は、荻窪フラワーホームの秘密の場所に保管していたようで、その置き場所を図解した書面を刑事告訴の手続きの際に荻窪警察署に提出したとのことです。この手書きの書面(陳述書の添付書面)が、かなり生々しいです。当時、監禁事実を立証する証拠を原告がこのようにして密かに隠し持っていたとは・・・。

また、原告が荻窪フラワーホームで、なぜ、100冊ものノートに教理などを書く行動をとったのか。当時、原告が監禁下にあって刻々と年月が経過する中で極限まで追い込まれたその心境等が生々しく吐露され、胸が締め付けられます。

これを読むと、被告らが証拠隠滅を行っているとしか思えませんね。






陳述書(控訴2)

                            
2014年7月23日 
                                    
                                  後藤 徹


 本書面では、<被告後藤兄>らが提出したノート(乙イ48号証)とカレンダー紙片のメモ(乙イ49号証)等、私が荻窪フラワーホームで書き留めたメモ類について記します。

1.小型ノート(添付資料1)

 私は荻窪フラワーホームでの監禁状況を小型のノートに克明にメモしていました。このノートは私が監禁解放後に警察に証拠物の所在を説明するために作成した添付資料1に記されている通り、被告等に分からないように、私が常駐させられていた部屋の押し入れに入れてあった4つの箱のうち、一番大きな箱の中のティッシュペーパーの箱の中に入れていました。

<添付資料1>

ノート隠し場所押し入れ




 この小型ノートには、特に2001年2月に脱出を試みた時の状況が日付とその日起きた出来事を日記として記してありました。内容は、脱出を試みるに至った当時の心境や、どのように脱出を試みたか、その具体的方法、連日、何と叫んでいたか、私の脱出行動に対し、<被告後藤兄>らがどのようにして私を暴力的に取り押さえ、脱出を阻止したか、また、この時期に宮村が訪れ脱出を阻止したことなども書いてありました。また、その後の出来事や心境も折に触れて書いていたと思います。

 ちなみに、添付資料1のNO1の下部分に記してある4つの箱の図部分に記してあるように、祈祷内容をメモした乙イ49号証のカレンダー紙片は、重ねて置いておいた4つの箱の中の一つ(一番上の箱)に入れておきました。従って、一審被告<後藤兄>らが箱の中に入れておいた乙イ49号証のカレンダーメモを所持しているということは、一番下の箱の中に入れておいた小型ノートも所持しているに違いありません。<被告後藤兄>らは、自分達に都合のいいものだけを選んで出してきていることは間違いなく、その卑劣極まりないやり方には怒りを感じます。

 私は荻窪フラワーホームから解放された際、突然、力ずくで荻窪フラワーホームから追放されたため、その小型ノートを確保して脱出することができませんでした。しかし、このノートは、犯罪の立証に直接役立つものだと思いましたので、被告等を刑事告訴した際、添付資料1の書面を警察に提出して、ノートがあった場所を警察に知らせたのでした(しかしながら,警察は一切家宅捜索を行わなかったのでした。)。

2.「1」以外のメモについて

 上記「1」以外のメモについても、監禁中に書いたものであるだけに犯罪の立証に役立つものがあり得ると考えました。そこで私は警察による捜索差押を促すために、上記「1」以外のメモ類について解説を加えた陳述書(甲189号証)を2008年6月4日付けで作成し、荻窪警察署に提出しました。この陳述書にわざわざ確定日附を取ったのは,後々に<被告後藤兄>らが自分らに有利な箇所だけを証拠として出して来ることを想定し、その時点で私が弁明したと言わせないためです。

 1997年12月に荻窪フラワーホームに移された後、私は約100冊のノートに統一原理等の内容を書き記しましたが(甲189号証1頁9行)、これらのノートの中には、同号証「1.⑥」(2頁3行~4行)に記してあるように、1995年9月11日に西東京市の実家で拉致されて以降の逮捕監禁の経緯について時系列的に図示し注釈を書き加えたノートもありました。

 また、2006年4月にノートの支給を拒絶されて以降、当時監禁下での食事制裁により<被告後藤兄>らから虐待されていたことを示唆する内容をカレンダーの紙片に書き留めたメモもありました(同号証「2.(2)」2頁20行~3頁10行)。

3.乙イ48号証のノートについて

 乙イ48号証は、私が荻窪フラワーホームで監禁されていた2002年頃に、統一教会の教理である統一原理の内容を書き記したノートです。

(1)ノートに統一原理の内容等を記した経緯と理由

 私は、荻窪フラワーホームに移された後、同マンションにおいて約100冊のノートに統一原理等の内容を書き記しました(甲189号証1頁9行)。書き記した時期は、殆どが2001年2月以降であったと思います。2001年2月当時、私は、31歳の時に拉致監禁されてから既に5年半が経過しており、年齢は37歳になっていました。その間にも世の中は進歩し変化を続けていましたが、私は働き盛りの年齢でありながら監禁部屋の中で無為な時間が刻々と過ぎて行く状況下で、背筋が寒くなるほどの焦燥感と絶望感がひしひしと迫り、いても立ってもいられなくなり、一か八かの脱出を試みたのでした。

この間、約1ヶ月間に亘って私は荻窪フラワーホーム804号室から脱出するためになしうる限りのことを命がけで行いました。その時の状況は甲9号証25頁~27頁に記した通りです。しかし、<被告後藤兄>らや宮村によって暴力的に脱出を阻止され、結局脱出することはできませんでした。それどころか、玄関と部屋Bの間の木戸(甲9号証46頁<図4>「D」)まで施錠されてしまい、言いようのない虚脱感と絶望感に襲われるようになりました。婚約者である<S・K>さんとも統一教会の仲間とも全く連絡を取ることができないばかりか、世の中から隔絶され、どんどん取り残されていく中で、もし自由の身であったなら今頃は<S・K>さんと所帯を持って子供も生まれ、新たに勤めた会社でスキルを磨きながら充実した30代を満喫していたであろうと思うと、悔しさに身体が打ち震えました。この時の悔しさと絶望感と惨めさとは、当時のことを回想する度に未だに涙が出てくるほどです。
 そのような絶望感と虚脱感と孤独感の中で精神が破綻し、発狂する恐怖に苛まれ、極限状態に追い込まれていた私は、自身の精神を正常に維持していくために、また、無為な時間を少しでも有意義なことのために使って過ごしたい、時間を無駄にしたくないという強烈な思いから、原理講義の内容を板書の代わりにノートに記して原理講義の練習をしたのでした。一心不乱に書き留めることに集中することによって、私は受け容れがたい辛い現実を一時でも忘れることができ、また、記述したノートが目に見える形で何冊も蓄積することで、自分が無駄な時間を過ごしているのではないと自分に言い聞かせることができ、少しでも精神的安定を図ることができました。

 原理講義のノートを含むこれらノートは、最終的には100冊ほどになりましたが、監禁途中で被告<後藤兄>等が約30冊ほどを処分したため、私が804号室から解放されたときには約70冊ほどに減っていました。この点、<被告後藤兄嫁>も、「80冊くらい」と表現するなど、私が尋常ではない冊数のノートを書き留めていていた事実を認めていますが(乙イ5号証53頁22行~24行)、<被告後藤兄>らが提出した乙イ48号証は、その中の1冊です。私は、久しぶりにこのノートを見て、監禁下で刻々と過ぎて行く時間を少しでも有意義にしようと必死でノートに向かっていた当時の切迫した心境がまじまじと蘇ってきました。


<乙イ48号証のノートの一部>

同時性再臨論




(2)ノート(乙48号証)の内容から明らかな事実

 ノート(乙48号証)の内容から以下の事実が明らかです。
 第1に、私が監禁され、脱会を強要されていた事実です。宮村の陳述書(その3)(乙ハ57号証)で、宮村が荻窪フラワーホームで私と交わした会話として4頁から16頁まで記してあります。ここに記してある内容には、明らかに虚偽と分かる箇所も多々見受けられますが、4頁の冒頭部分に記載のあるように、「君は統一教会で、統一教会の教典ともいうべき統一原理の講師をしていたのだから、家族に、その正しさを講義して、原理の正しさを納得してもらったらどうですか?」との宮村の発言については、もっと乱暴な言い方でしたが、こうした趣旨の発言があったのは事実です。勿論、監禁下でなければ、家族と言わず誰に対しても聞きたい人には原理講義をして多くの人達に真理を述べ伝えたい意識が私にはありました。しかし、監禁下において原理を殊更に否定しようとしている者から原理講義を強制されるなど信仰者としての尊厳に反することでしたので、私はこれを拒みました。但し、正面から拒めば、いつになったら監禁から解放されるか分からないため、私は「いや、そう言われましても・・・・・」といった煮え切らない答で原理講義の強要をかわしたのです。

 当時私が原理講義をしようと思えばできたことは、乙48号証の詳細な原理講義の記載を見て頂ければ明らかです。従って、原理講義の知識と技能をもった私が、宮村の要請に対して煮え切らない反応で原理講義をすることを拒否した事実自体が、監禁、脱会強要下に私が置かれていた事実を証明しているといえます。

 第2に、<被告後藤兄>らが繰り返し主張しているところの、私が<被告後藤兄>らを救って「氏族メシア」の使命を全うするためにマンションに自分の意思で留まっていたとの主張が虚偽である事実です。上述の通り、当時、私が原理講義をしようと思えばできたことは、乙48号証の詳細な原理講義の記載を見て頂ければ明らかです。従って、私が<被告後藤兄>らを救って「氏族メシア」の使命を全うするためにマンションに自分の意思で留まっていたのだとしたら、当然、家族に対して積極的に原理講義をしたはずです。しかも、上記の通り宮村の方からその機会を準備してくれたわけですから、これを拒む理由はなかったはずです。しかし、マンション滞在中に、有り余る膨大な時間があったにも拘わらず、私は原理講義を一切行わなかったのですから、このことからも、私がマンション内に留まって家族を救うとか、「氏族メシヤ」の使命を全うするなどという意思が全くなかったことは明らかです。

 第3に、宮村や<被告後藤兄>らは、宮村が荻窪フラワーホームに来なくなった理由として、私が「統一教会が間違っていても文鮮明師がメシヤでなくとも自分はこの活動をやる」といったことを述べことにあったなどと主張していますが、私が終始一貫して統一原理を真理と信じ、文鮮明師をメシアと信じていた事実は、乙イ48号証のノートの内容から明らかです。すなわち、乙イ48号証のノートは、宮村が荻窪フラワーホーム804号室に来なくなってより後の2002年頃に私が作成したものですが、既に述べたように、そこに記されているのは統一教会の教理である統一原理を図解で解説する原理講義の内容に他ならず、特に後半部分に書かれた「第6章 再臨論」は、文鮮明師が再臨のメシヤであることを論証する内容です。私がこの時期にこれだけ詳細に原理講義の内容、特に再臨論の内容をまとめたのは、言うまでもなく、統一原理が真理であり、文鮮明師が再臨のメシヤであると確信を持っていたからに他なりません。従って、1998年9月段階で、私が「統一教会が間違っていても」とか「文鮮明師がメシヤでなくとも」といった発言をするはずはないのです。

(3)<被告後藤兄>らの虚偽証言と証拠隠滅

 私は、2008年2月に監禁から解放された後に一審被告らを刑事告訴しましたが、甲189号証の陳述書等を提出してしばらく後の2008年7月頃に西東京市の実家を訪問しました。これは、警察が実家等の捜索差押に踏み切らない中で、拉致監禁の事実の重要な証拠となるメモ等を自力で確保するしかない状況にあったからです。しかし、実家で一審被告<後藤妹>及び母の故後藤<母>から、ノート等を既に処分した旨伝えられたため(乙イ7号証39頁6行)、これら証拠の確保を断念しました。

 甲189号証に記してあるとおり、2008年2月10日に私が荻窪フラワーホームから追放された時には、同室に約70冊のノートが残っていたのです(甲189号証2頁9行~11行)。それに対し、本件裁判一審では、<被告後藤妹>は、既述のように荻窪フラワーホームに残してきたノートについて「もう、捨てたよ」と述べ(乙イ7号証39頁6行)、<被告後藤兄嫁>は「徹さんはノートを80冊くらい持っていましたが、夫がゴミとして捨てたようです。徹さんが読んでいた原理講論や書籍類も捨てたと思います」と供述し(乙イ5号証53頁22行~24行)、<被告後藤兄>は「必要のないものは処分しました」(乙イ10号証37頁8行)と供述したのでした。

 本件裁判控訴審において、<被告後藤妹>は、乙48号証のノートや乙49号証のカレンダーを提出した経緯として、さいたま家庭裁判所での遺留分減殺調停に提出する資料を探す必要性から改めて家探しをしたところ、母親の部屋の天袋から見つかったなどと供述していますが、全く不自然な供述です。

 そもそも、遺留分減殺請求の調停において必要となる故人の財産目録や預金通帳等は、2012年9月20日に母親が死去した後、遺産相続の手続きの際に当然ながら<被告後藤兄>らが全て把握し口座を解約するなどの整理をしていたはずであり、母親が死去して既に1年半以上経過しているにも拘わらず、これらのことを把握していないなどということはあり得ません。事実、私が調べたところでは、以下の母親(故後藤<母>)名義の口座は、母親の死後、すべて<被告後藤兄>らにより解約されていました。

銀行口座一覧


 
 従って、<被告後藤妹>が、遺留分減殺請求の資料探しのために改めて家探しをした結果、最近になって乙イ48、乙イ49、乙イ50の添付資料1(母のノート)が母親の部屋から見つかったなどというのは、全くの作り話です。しかも、被告<後藤兄>らは原審段階から、氏族メシヤとしての使命を全うするために私がマンションに留まっていたという、統一教会の教義とも相容れない(乙イ2号証39頁1行~40頁3行、42頁5行~7行)、奇妙な理屈を苦し紛れに主張していましたが(一審被告<後藤兄>ら準備書面(第3)13頁~15頁等)、今にして思えば、乙イ49号証にある「彼らのメシヤとして彼らを愛して愛して愛して救ってあげろ!」との記載を神の私に対するメッセージではなく、私自身の認識ないし決意と勘違いした上での主張を展開していたのだと言えます。

 即ち、被告<後藤兄>らは当初より同号証を含む全てのメモ類を確保したまま証拠隠蔽をしていたのであり、それが遂に控訴審になり、一審判決で一部敗訴したことの危機感から、捨てたと偽っていたメモ類の中から自分達にとって都合の良いと見られる部分だけを選別し、苦し紛れにも提出してきたのです。<被告後藤兄>らは、既に亡くなった母親を前面に立て、最近になってこれら証拠が見つかったと弁明し、しかも自分達に都合のいい証拠のみを提出するなど、そのやり方は悪質にも程があり、非常な憤りを感じます。前回の法廷で,私の代理人である福本弁護士が「ノートを全部出されたい。その中には監禁の経緯を詳細に記したノートが1冊ある。」と言って,<被告後藤兄>ら代理人に迫った時の<被告後藤兄>ら代理人両名の苦虫を噛みつぶしたような表情は,このノートを巡る上記背景を如実に表していると思いました。


*次回は、細かい字で暗号のように書かれた「カレンダー紙片メモ」の内容の全貌が明らかになります。お楽しみに。

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2014-09-19(Fri)
 

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提出されるか、その1冊 

<ノートを全部出されたい。その中には監禁の経緯を詳細に記したノートが1冊ある>

この1冊が残っていることを祈ります。
この1冊が法廷に提出されることを祈ります。

ただ…。
被告らは70冊を一つ一つ細かくチェックして、この1冊については「はは~ん、これだな。なるほど、これはまずい」といって、すでに焼却処分していることでしょう。

絶望的な監禁部屋の中で、収納場所を含む事細かな内容をノートに記した、徹さんの執念。
徹さんゆえに12年5ヶ月を耐え抜くことができた(徹さんでなければ途中であきらめていただろう)、ということを改めて痛感します。

この陳述書を読んで、なお、監禁を認めない裁判官がいるとしたら、そいつはアホですね。
徹さんの執念の勝利を確信します。確信が一層強くなっています。
2014-09-22 09:04 | みんな | URL   [ 編集 ]

卑怯な被告達 

被告側の嘘のオンパレードには本当にうんざりです。
2014-09-23 23:39 | 宮石 | URL   [ 編集 ]

甲185号証 「国境なき人権」の報告書 

私のブログ(以下のリンク)にて、後藤裁判控訴審での原告側からの提出書類を掲載させていただくことになりました。

現在、掲載を始めたものは、「国境なき人権」が、国連・自由権規約人権委員会に2013年7月に提出した書類です。ワードで、30ページを超えるレポートです。ぜひ、参考にして下さい。

★後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁(1)
http://humanrightslink.seesaa.net/article/405905180.html
2014-09-26 06:45 | Yoshi Fujiwara | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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