後藤徹氏陳述書(控訴審)④-食事制裁は拷問だーーー
後藤徹氏の陳述書の最終回です。
原判決では、12年5ヶ月も監禁されたのに逸失利益が0円、慰謝料では食事制裁は全く考慮されておりません。
またこのような不当に低い慰謝料については海外からも糾弾の声が上がっています。
第1 第1回目の拉致監禁について
1 統一教会の対策講座について
2 私が脱会したとの認定について
3 退職の経緯
第2 第2回目の拉致監禁について
1 実家での拉致
2 偽装脱会の意図についての事実誤認
3 保谷の実家において私が激しく抵抗できなかった理由
4 監禁についての事実誤認
5 荻窪フラワーホームでの監禁
第3 逸失利益及び慰謝料について
1 逸失利益及び慰謝料の不当性について
2 慰謝料の不当性について
今回は、青字部分をアップ致します。
原判決では、12年5ヶ月も監禁されたのに逸失利益が0円、慰謝料では食事制裁は全く考慮されておりません。
またこのような不当に低い慰謝料については海外からも糾弾の声が上がっています。
第1 第1回目の拉致監禁について
1 統一教会の対策講座について
2 私が脱会したとの認定について
3 退職の経緯
第2 第2回目の拉致監禁について
1 実家での拉致
2 偽装脱会の意図についての事実誤認
3 保谷の実家において私が激しく抵抗できなかった理由
4 監禁についての事実誤認
5 荻窪フラワーホームでの監禁
第3 逸失利益及び慰謝料について
1 逸失利益及び慰謝料の不当性について
2 慰謝料の不当性について
今回は、青字部分をアップ致します。
第3 逸失利益及び慰謝料の不当性について
1.逸失利益の不当性について
原判決は、逸失利益について「原告は、逸失利益についても被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為と相当因果関係のある損害に当たる旨主張するが、前記のとおり、原告は、昭和62年に統一教会のホームに戻った後に自らの意思に基づき大成建設を退職し、統一教会の信徒組織において専ら伝道活動や教育活動に従事する生活を送り、平成7年当時においてもそのような生活を続けていたことに加え、同年9月11日から平成20年2月10日までの間の原告の生活費の一切は両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて負担していたことが窺われることなどからすれば、逸失利益に係る原告主張の事情は、後記の慰謝料算定に当たって勘案するにとどめるのが相当であると認める。」と認定していますがこれは全く納得のできない不当な認定です。
まず、大成建設の退職手続は、前述の通り亡父■<後藤徹氏の父>が私に無断で勝手に行ったことで(■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書16頁26行~17頁1行)、「自らの意思に基づき大成建設を退職し」との認定は明らかな事実誤認です。

<後藤徹氏兄の証人尋問調書16頁から17頁。後藤氏の兄はしっかりと後藤氏が逃げたあと退職扱いにしてくださいとこちらからいったと証言しています。>
私は二回目に拉致監禁された1995年9月時点では信徒会のスタッフでしたが、当時既に31歳でしたから合同結婚式で婚約したS・Kさんと近々所帯を持つ予定でした。そして、所帯を持つに当たっては、妻子を養っていかなければならないので、いつまでも信徒会のスタッフとしてボランティアのような生活ができるわけもなく、一般の仕事に就くことを考えていました(甲9号証7頁4行~10行、甲90号証S・K陳述書4頁8行~15行)。信徒会では通常、信徒会のスタッフで特に妻子持ちの男性は30歳を過ぎると、妻子を養うだけの生活が出来る収入を確保するために、企業に就職するなどして一般の仕事に就くか、統一教会の職員となります。従って、私が1995年9月に拉致監禁されなかったなら、その後12年5ヶ月間に亘り何の職にも就かないなどということは絶対にあり得ないことです。従って、逸失利益が全く認められないとうことは極めて不当でありとても受け入れることができません。
また、原判決では私の家族が生活費を負担していたので逸失利益と相殺されるような認定をしていますが、とても受け入れられないとんでもない認定です。私は監禁されていた12年5ヶ月間、仕事をして収入を得る貴重な機会を奪われただけでなく、全ての自由を奪われ棄教を強要されたのです。従って、その間において私が生命を維持するための(実際には命の危険もあるほどの虐待も受けたが)最低限の生活費を負担したからといって、それでもって逸失利益が相殺されることは断じてあり得ない、というのが控訴人である私の率直な気持ちです。そもそも「原告の生活費の一切は両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて負担」といっても、彼らが実際に支払ったのは、マンションにおける建物の賃料、光熱費、及び食費に限られ、監禁されていなければ当然生活費からまかなわれるはずの衣類などはほとんど与えられていません。また、水虫の薬は要求しても途中から支給されなくなり、インフルエンザにかかっても病院に行かせて貰えなかった関係で医療費を支払って貰ってはいません。

<水虫になっても途中から薬は支給されなくなり、放置した結果このように爪が変形してしまった>
更に、特に3回目の断食開始後においては、粗末な食事しか与えられず、到底生活費を支給されたとは言えない状態にありました。解放されたときにおいても、1円の小遣いも渡されていません。
本来、彼らの都合で私を12年5ヶ月も閉じ込めたのですから、就職に要する期間の当面の住居費、光熱費、食費など支払われて当然と思いますが、解放された当日の食費すら渡されてはいなかったのです。これでどうして生活費の一切を彼らが負担したと言えるのか、余りにも無慈悲な、人の痛みを度外視した判断としか言いようがありません。まるで、「統一教会信者は脱会しないならのたれ死んでしまえ」という被控訴人等の意識を肯定するかのような判断であると言えます。
2.慰謝料の不当性について
慰謝料算定にあたり原判決は「原告は、被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為により、10年以上もの長期間にわたり、その明示の意思に反してその行動の自由が大幅に制約され、外部との接触が許されない環境下に置かれ、その心身を不当に拘束され、棄教を強要されたものであり、そのことにより原告が被った精神的苦痛は極めて大きいものと認められる。」と認めています。しかし、一方で原判決は「もっとも、前記のとおり、被告■<後藤徹氏の兄>らが前記不法行為に及んだのが原告を案ずる家族としての愛情からであることは、容易に推察されるところであるほか、一連の経緯において、原告が身体に対する物理的な拘束を直接加えられた証跡は存しないところであって、慰謝料の算定に当たっては、これらの事情も考慮されるべきである。」とし慰謝料400万円相当と認定しています(判決文63頁15行~24行)。
私は、この慰謝料額の低さに愕然としました。12年5ヶ月間、自由を奪われ言語に絶する精神的肉体的苦痛を被ったことに対する代価としては、とても受け入れがたい金額であるというのが私の率直な思いです。
現代日本は自由と権利が全国民に等しく保証され、その土台の上で国民一人一人が幸福を追求できる国であると私は信じています。日本における最高法規である日本国憲法では、基本的人権について「侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と規定されています。しかし、私は人生これから花開くという31歳の時に監禁され30代はおろか44歳までの12年5ヶ月間、憲法で保障された信教の自由、集会、結社、言論、出版、表現の自由、居住、移転、職業選択の自由、学問の自由、婚姻の自由、財産権、相続、住居選定の自由、選挙権、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などことごとく奪われたのです。
私は、監禁される1月ほど前に統一教会の合同結婚式に参加しました。私は素晴らしい伴侶と出会うことができたことを心から感謝し婚約者であるS・Kさんと将来りっぱな家庭を築いて幸せになることをお互い誓いつつ、近々所帯を持つことを約束していました。当時31歳の私は夢と希望に満ちあふれていました。しかし、1995年9月11日に勃発した悪夢のような出来事により、その夢は無残に破壊されました。S・Kさんとは結局その後12年5ヶ月の間電話一本することもできませんでした。監禁されて以降、私は私の安否を心配し必死で祈りながら待ち続けているであろうS・Kさんのことを思うと心が張り裂けんばかりになり、S・Kさんに本当に申し訳ない思いになりました。S・Kさんは突然失踪し音信不通になった私を3年間待ち続けましたが結局、断腸の思いであきらめざるを得ませんでした。
人間は誰しも心に何かしらの拠り所があると思いますが、特に信仰者はその信仰対象がその人にとってかけがえのない貴重なものであり、時に自分の命よりも大切なものであります。統一教会信者である私にとって統一教会の創始者である文鮮明師とその教理である統一原理はまさに自分の命より貴重なものなのです。被控訴人らは、私が自分の命よりも大切にしている信仰を破壊し統一教会から脱会させる目的で12年5ヶ月間監禁し続けたのです。法に則った裁判の手続きもなく身体が不当に拘束され自由を奪われるということは、表現しようのない屈辱と苦痛を伴います。しかし、棄教目的の拉致監禁の場合、自由を奪われるだけでなく自分の心の中の命よりも大切な信仰が破壊され奪われるまで逃げ場のない狭いマンションの一室で一人に対して複数の人間で執拗に聞きたくもない話を聞かされ、話したくもない話をするように強要されるのです。既に述べたように監禁中にマンションの高層階から飛び降りたり、洗剤を飲んで救急車で運ばれることで脱出を試みたり、自殺に追い込まれたり、後遺症に苦しみ続けたりする信徒等の例を見ても監禁下での棄教強要がどれほどの精神的苦痛と苦悩を伴うものであるかご理解いただけると思います。
私の場合にも時には10人もの人間が狭い一室にずらりと並ぶなか、嘲笑と愚弄の視線に晒されながら連日聞きたくもない教会や教祖の悪口を聞かされ、監禁に抗議すると「不真面目」「馬鹿」「アホ」と罵られる中で気が狂いそうになったり、いっそのこと死んでしまいたいと思わされたことが度々ありました(甲9号証11頁1行~6行、20頁6行~11行)。
さらに私の場合、以上のような精神的苦悩だけではなく監禁による長年の運動不足に加え食事制裁による虐待により餓死する間際まで追い込まれた結果、監禁解放後には緊急入院を余儀なくされ、入院先の病院で栄養失調、廃用性筋萎縮、全身筋力低下、貧血という診断を受けるまでの身体的ダメージを被ったのです(甲9号証39頁13行~17行)。特に食事制裁は拷問に他ならず、「餓死したくなければ信仰を棄てろ」という形で棄教強要の手段として用いられたのであり、慰謝料の算定においても、拷問を受け餓死寸前の苦しみを被ったことの重大性を直視すべきです。

<左:空腹を免れるため、残版を漁った後藤徹氏の漫画 左:空腹は拷問より辛いと証言した脱北者、シンドンヒョク氏>
また、原判決は家族の愛情を根拠に慰謝料の算定を考慮していますが、私はこの認定に対しても強い憤りと違和感を持ちました。既に述べたように家族が私を監禁し続けたのは愛情からだけではありません。常識的に考えて本当に本人のことを思い愛しているのなら実際12年間も監禁し続けるでしょうか。また、インフルエンザにかかっても病院に連れて行かないと言うことがあるでしょうか。断食後に飢餓状態に陥った家族をさらに餓死寸前まで追い詰め、その後1年以上に亘って甲1号証や甲17号証の写真のような栄養失調にならざるを得ないような粗末な食事しか与えないようなことをするでしょうか。そして、飢餓状態にある家族を真冬に無一文で外に放り出すでしょうか。そんなことはあり得ません。原判決は家族が私を監禁し続けた動機として荻窪フラワーホーム804号室での監禁中に愛情とは異質な屈折した感情、憎悪の感情に変容したことを見逃しています。特に12年5ヶ月の後半に入ってからは、ほとんど会話らしい会話がない冷え切った雰囲気になり次第に家族の顔は能面ように無表情になりました。さらに、家族の思惑に反して何年経っても統一教会の信仰を棄てずに頑として反抗し抗議し続ける私に対して、家族の表情(特に目)は憎悪を隠しきれなくなりました。このように、家族は私に対する愛情よりも憎悪の感情から私に対する監禁を継続したのです。

<荻窪フラワーホーム全景。このマンションの804号室で後藤氏の家族は愛情を憎悪へと変質させていった。>
前述の通り、宮村が荻窪フラワーホーム804号室に来なくなって以降は、ただただ、私から訴えられるのを避けるために彼らは私を監禁し続けたのであり、その意味では自分達の犯罪の発覚を防ぐための証拠隠滅のための監禁であったと言えます。従って、この時以降、私は家族にとってはやっかいなお荷物でしかなかったのであり、まともな食事を与えることすら腹の立つ、野良犬同然の存在だったのです。従って、家族の愛情を理由に慰謝料を低く算定するなど絶対に容認できません。裁判官は、「統一教会に反対する家族は愛情溢れる善人」という偏った固定観念を捨てたくないようですが、家族だからといって自分達の利益が絡むとなれば、愛情など度外視して骨肉相争う状態になることは世の常識です。統一教会に反対する家族も同じことで、最後まで長期間の監禁という異常行動に従事している家族が愛情溢れる善人でい続けられるなどと考えるのは、余りにも現実離れしています。
また、仮に家族の愛情を考慮したとしても、12年5ヶ月間、自由を奪われたことに対する代価として400万円はあまりにも低すぎる算定だといわざるを得ません。
さらに、原判決が「原告が身体に対する物理的な拘束を直接加えられた証跡は存しない」と述べているのも不当です。確かに、鎖に繋がれたり手錠を掛けられたことはありません。しかし、荻窪フラワーホーム804号室で脱出を試みたときには、その度に■<後藤徹氏の兄>らが私の身体を押さえ込み、私は身体に対する物理的な拘束を直接加えられましたし、そのことは裁判所も認定しているはずです。このような拷問のような虐待を受けたことが見落とされるようなことはあってはならないと思います。
監禁から解放されて早6年が経ちました。12年5ヶ月間、狭いマンションの一室で来る日も来る日も同じ壁と同じ天井を見続け、苦しみ続けたあの日々は今、思い返してみても暗鬱な気持ちになり、当時の怒りと絶望感と憤慨がない交ぜとなった感情がよみがえってきます。私が監禁され社会から隔絶されていた間、社会は刻々と変化し、進歩し続けました。私が2008年2月に監禁から解放された時、監禁された1995年当時にはそれほど普及していなかった携帯電話やパソコンを多くの人が駆使し便利な生活を享受しているのを目の当たりにして驚きました。私は時代と社会から取り残されたことを実感し、この失われた時間を取り戻すにはどれほどの労力を払わなければならないかと暗澹たる気持ちになりました。
また、私の場合、履歴書もまともに書けないため仕事に就くこともままならず、運転免許がなくては仕事に就くことも出来ないため、監禁により失効してしまった運転免許を取り直さざるを得ず、そのためにもお金と時間がかかり苦労しました。
6年経った今でも監禁下で脱会を迫られる悪夢にうなされることがあります。12年5ヶ月間に亘って孤独と絶望感の中で自由を奪われ苦しみを被った私の心は、慰謝料400万円という額では決して晴れることはありません。
また、12年5ヶ月の代価としては極端に低い慰謝料の算定に対し海外の人権の専門家からも糾弾の声が続々と挙がっています(甲169号証、170号証の1、2)。

<甲169号証。世界日報の紙面上で国境なき人権代表、ウィリー・フォートレー氏が後藤徹氏の裁判の判決内容を批判>
どうか、裁判所におかれましては、この自由と権利が保障された日本において二度と私のような被害者が現れないためにも、私の失われた12年5ヶ月の代価として公正で厳格な賠償額を認定していただけますよう、宜しくお願いいたします。
次回からいよいよ被控訴人である後藤徹氏の兄の控訴理由書を掲載します。
これからも後藤徹氏の応援をよろしくお願いいたします。
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1.逸失利益の不当性について
原判決は、逸失利益について「原告は、逸失利益についても被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為と相当因果関係のある損害に当たる旨主張するが、前記のとおり、原告は、昭和62年に統一教会のホームに戻った後に自らの意思に基づき大成建設を退職し、統一教会の信徒組織において専ら伝道活動や教育活動に従事する生活を送り、平成7年当時においてもそのような生活を続けていたことに加え、同年9月11日から平成20年2月10日までの間の原告の生活費の一切は両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて負担していたことが窺われることなどからすれば、逸失利益に係る原告主張の事情は、後記の慰謝料算定に当たって勘案するにとどめるのが相当であると認める。」と認定していますがこれは全く納得のできない不当な認定です。
まず、大成建設の退職手続は、前述の通り亡父■<後藤徹氏の父>が私に無断で勝手に行ったことで(■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書16頁26行~17頁1行)、「自らの意思に基づき大成建設を退職し」との認定は明らかな事実誤認です。

<後藤徹氏兄の証人尋問調書16頁から17頁。後藤氏の兄はしっかりと後藤氏が逃げたあと退職扱いにしてくださいとこちらからいったと証言しています。>
私は二回目に拉致監禁された1995年9月時点では信徒会のスタッフでしたが、当時既に31歳でしたから合同結婚式で婚約したS・Kさんと近々所帯を持つ予定でした。そして、所帯を持つに当たっては、妻子を養っていかなければならないので、いつまでも信徒会のスタッフとしてボランティアのような生活ができるわけもなく、一般の仕事に就くことを考えていました(甲9号証7頁4行~10行、甲90号証S・K陳述書4頁8行~15行)。信徒会では通常、信徒会のスタッフで特に妻子持ちの男性は30歳を過ぎると、妻子を養うだけの生活が出来る収入を確保するために、企業に就職するなどして一般の仕事に就くか、統一教会の職員となります。従って、私が1995年9月に拉致監禁されなかったなら、その後12年5ヶ月間に亘り何の職にも就かないなどということは絶対にあり得ないことです。従って、逸失利益が全く認められないとうことは極めて不当でありとても受け入れることができません。
また、原判決では私の家族が生活費を負担していたので逸失利益と相殺されるような認定をしていますが、とても受け入れられないとんでもない認定です。私は監禁されていた12年5ヶ月間、仕事をして収入を得る貴重な機会を奪われただけでなく、全ての自由を奪われ棄教を強要されたのです。従って、その間において私が生命を維持するための(実際には命の危険もあるほどの虐待も受けたが)最低限の生活費を負担したからといって、それでもって逸失利益が相殺されることは断じてあり得ない、というのが控訴人である私の率直な気持ちです。そもそも「原告の生活費の一切は両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて負担」といっても、彼らが実際に支払ったのは、マンションにおける建物の賃料、光熱費、及び食費に限られ、監禁されていなければ当然生活費からまかなわれるはずの衣類などはほとんど与えられていません。また、水虫の薬は要求しても途中から支給されなくなり、インフルエンザにかかっても病院に行かせて貰えなかった関係で医療費を支払って貰ってはいません。

<水虫になっても途中から薬は支給されなくなり、放置した結果このように爪が変形してしまった>
更に、特に3回目の断食開始後においては、粗末な食事しか与えられず、到底生活費を支給されたとは言えない状態にありました。解放されたときにおいても、1円の小遣いも渡されていません。
本来、彼らの都合で私を12年5ヶ月も閉じ込めたのですから、就職に要する期間の当面の住居費、光熱費、食費など支払われて当然と思いますが、解放された当日の食費すら渡されてはいなかったのです。これでどうして生活費の一切を彼らが負担したと言えるのか、余りにも無慈悲な、人の痛みを度外視した判断としか言いようがありません。まるで、「統一教会信者は脱会しないならのたれ死んでしまえ」という被控訴人等の意識を肯定するかのような判断であると言えます。
2.慰謝料の不当性について
慰謝料算定にあたり原判決は「原告は、被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為により、10年以上もの長期間にわたり、その明示の意思に反してその行動の自由が大幅に制約され、外部との接触が許されない環境下に置かれ、その心身を不当に拘束され、棄教を強要されたものであり、そのことにより原告が被った精神的苦痛は極めて大きいものと認められる。」と認めています。しかし、一方で原判決は「もっとも、前記のとおり、被告■<後藤徹氏の兄>らが前記不法行為に及んだのが原告を案ずる家族としての愛情からであることは、容易に推察されるところであるほか、一連の経緯において、原告が身体に対する物理的な拘束を直接加えられた証跡は存しないところであって、慰謝料の算定に当たっては、これらの事情も考慮されるべきである。」とし慰謝料400万円相当と認定しています(判決文63頁15行~24行)。
私は、この慰謝料額の低さに愕然としました。12年5ヶ月間、自由を奪われ言語に絶する精神的肉体的苦痛を被ったことに対する代価としては、とても受け入れがたい金額であるというのが私の率直な思いです。
現代日本は自由と権利が全国民に等しく保証され、その土台の上で国民一人一人が幸福を追求できる国であると私は信じています。日本における最高法規である日本国憲法では、基本的人権について「侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と規定されています。しかし、私は人生これから花開くという31歳の時に監禁され30代はおろか44歳までの12年5ヶ月間、憲法で保障された信教の自由、集会、結社、言論、出版、表現の自由、居住、移転、職業選択の自由、学問の自由、婚姻の自由、財産権、相続、住居選定の自由、選挙権、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などことごとく奪われたのです。
私は、監禁される1月ほど前に統一教会の合同結婚式に参加しました。私は素晴らしい伴侶と出会うことができたことを心から感謝し婚約者であるS・Kさんと将来りっぱな家庭を築いて幸せになることをお互い誓いつつ、近々所帯を持つことを約束していました。当時31歳の私は夢と希望に満ちあふれていました。しかし、1995年9月11日に勃発した悪夢のような出来事により、その夢は無残に破壊されました。S・Kさんとは結局その後12年5ヶ月の間電話一本することもできませんでした。監禁されて以降、私は私の安否を心配し必死で祈りながら待ち続けているであろうS・Kさんのことを思うと心が張り裂けんばかりになり、S・Kさんに本当に申し訳ない思いになりました。S・Kさんは突然失踪し音信不通になった私を3年間待ち続けましたが結局、断腸の思いであきらめざるを得ませんでした。
人間は誰しも心に何かしらの拠り所があると思いますが、特に信仰者はその信仰対象がその人にとってかけがえのない貴重なものであり、時に自分の命よりも大切なものであります。統一教会信者である私にとって統一教会の創始者である文鮮明師とその教理である統一原理はまさに自分の命より貴重なものなのです。被控訴人らは、私が自分の命よりも大切にしている信仰を破壊し統一教会から脱会させる目的で12年5ヶ月間監禁し続けたのです。法に則った裁判の手続きもなく身体が不当に拘束され自由を奪われるということは、表現しようのない屈辱と苦痛を伴います。しかし、棄教目的の拉致監禁の場合、自由を奪われるだけでなく自分の心の中の命よりも大切な信仰が破壊され奪われるまで逃げ場のない狭いマンションの一室で一人に対して複数の人間で執拗に聞きたくもない話を聞かされ、話したくもない話をするように強要されるのです。既に述べたように監禁中にマンションの高層階から飛び降りたり、洗剤を飲んで救急車で運ばれることで脱出を試みたり、自殺に追い込まれたり、後遺症に苦しみ続けたりする信徒等の例を見ても監禁下での棄教強要がどれほどの精神的苦痛と苦悩を伴うものであるかご理解いただけると思います。
私の場合にも時には10人もの人間が狭い一室にずらりと並ぶなか、嘲笑と愚弄の視線に晒されながら連日聞きたくもない教会や教祖の悪口を聞かされ、監禁に抗議すると「不真面目」「馬鹿」「アホ」と罵られる中で気が狂いそうになったり、いっそのこと死んでしまいたいと思わされたことが度々ありました(甲9号証11頁1行~6行、20頁6行~11行)。
さらに私の場合、以上のような精神的苦悩だけではなく監禁による長年の運動不足に加え食事制裁による虐待により餓死する間際まで追い込まれた結果、監禁解放後には緊急入院を余儀なくされ、入院先の病院で栄養失調、廃用性筋萎縮、全身筋力低下、貧血という診断を受けるまでの身体的ダメージを被ったのです(甲9号証39頁13行~17行)。特に食事制裁は拷問に他ならず、「餓死したくなければ信仰を棄てろ」という形で棄教強要の手段として用いられたのであり、慰謝料の算定においても、拷問を受け餓死寸前の苦しみを被ったことの重大性を直視すべきです。


<左:空腹を免れるため、残版を漁った後藤徹氏の漫画 左:空腹は拷問より辛いと証言した脱北者、シンドンヒョク氏>
また、原判決は家族の愛情を根拠に慰謝料の算定を考慮していますが、私はこの認定に対しても強い憤りと違和感を持ちました。既に述べたように家族が私を監禁し続けたのは愛情からだけではありません。常識的に考えて本当に本人のことを思い愛しているのなら実際12年間も監禁し続けるでしょうか。また、インフルエンザにかかっても病院に連れて行かないと言うことがあるでしょうか。断食後に飢餓状態に陥った家族をさらに餓死寸前まで追い詰め、その後1年以上に亘って甲1号証や甲17号証の写真のような栄養失調にならざるを得ないような粗末な食事しか与えないようなことをするでしょうか。そして、飢餓状態にある家族を真冬に無一文で外に放り出すでしょうか。そんなことはあり得ません。原判決は家族が私を監禁し続けた動機として荻窪フラワーホーム804号室での監禁中に愛情とは異質な屈折した感情、憎悪の感情に変容したことを見逃しています。特に12年5ヶ月の後半に入ってからは、ほとんど会話らしい会話がない冷え切った雰囲気になり次第に家族の顔は能面ように無表情になりました。さらに、家族の思惑に反して何年経っても統一教会の信仰を棄てずに頑として反抗し抗議し続ける私に対して、家族の表情(特に目)は憎悪を隠しきれなくなりました。このように、家族は私に対する愛情よりも憎悪の感情から私に対する監禁を継続したのです。

<荻窪フラワーホーム全景。このマンションの804号室で後藤氏の家族は愛情を憎悪へと変質させていった。>
前述の通り、宮村が荻窪フラワーホーム804号室に来なくなって以降は、ただただ、私から訴えられるのを避けるために彼らは私を監禁し続けたのであり、その意味では自分達の犯罪の発覚を防ぐための証拠隠滅のための監禁であったと言えます。従って、この時以降、私は家族にとってはやっかいなお荷物でしかなかったのであり、まともな食事を与えることすら腹の立つ、野良犬同然の存在だったのです。従って、家族の愛情を理由に慰謝料を低く算定するなど絶対に容認できません。裁判官は、「統一教会に反対する家族は愛情溢れる善人」という偏った固定観念を捨てたくないようですが、家族だからといって自分達の利益が絡むとなれば、愛情など度外視して骨肉相争う状態になることは世の常識です。統一教会に反対する家族も同じことで、最後まで長期間の監禁という異常行動に従事している家族が愛情溢れる善人でい続けられるなどと考えるのは、余りにも現実離れしています。
また、仮に家族の愛情を考慮したとしても、12年5ヶ月間、自由を奪われたことに対する代価として400万円はあまりにも低すぎる算定だといわざるを得ません。
さらに、原判決が「原告が身体に対する物理的な拘束を直接加えられた証跡は存しない」と述べているのも不当です。確かに、鎖に繋がれたり手錠を掛けられたことはありません。しかし、荻窪フラワーホーム804号室で脱出を試みたときには、その度に■<後藤徹氏の兄>らが私の身体を押さえ込み、私は身体に対する物理的な拘束を直接加えられましたし、そのことは裁判所も認定しているはずです。このような拷問のような虐待を受けたことが見落とされるようなことはあってはならないと思います。
監禁から解放されて早6年が経ちました。12年5ヶ月間、狭いマンションの一室で来る日も来る日も同じ壁と同じ天井を見続け、苦しみ続けたあの日々は今、思い返してみても暗鬱な気持ちになり、当時の怒りと絶望感と憤慨がない交ぜとなった感情がよみがえってきます。私が監禁され社会から隔絶されていた間、社会は刻々と変化し、進歩し続けました。私が2008年2月に監禁から解放された時、監禁された1995年当時にはそれほど普及していなかった携帯電話やパソコンを多くの人が駆使し便利な生活を享受しているのを目の当たりにして驚きました。私は時代と社会から取り残されたことを実感し、この失われた時間を取り戻すにはどれほどの労力を払わなければならないかと暗澹たる気持ちになりました。
また、私の場合、履歴書もまともに書けないため仕事に就くこともままならず、運転免許がなくては仕事に就くことも出来ないため、監禁により失効してしまった運転免許を取り直さざるを得ず、そのためにもお金と時間がかかり苦労しました。
6年経った今でも監禁下で脱会を迫られる悪夢にうなされることがあります。12年5ヶ月間に亘って孤独と絶望感の中で自由を奪われ苦しみを被った私の心は、慰謝料400万円という額では決して晴れることはありません。
また、12年5ヶ月の代価としては極端に低い慰謝料の算定に対し海外の人権の専門家からも糾弾の声が続々と挙がっています(甲169号証、170号証の1、2)。

<甲169号証。世界日報の紙面上で国境なき人権代表、ウィリー・フォートレー氏が後藤徹氏の裁判の判決内容を批判>
どうか、裁判所におかれましては、この自由と権利が保障された日本において二度と私のような被害者が現れないためにも、私の失われた12年5ヶ月の代価として公正で厳格な賠償額を認定していただけますよう、宜しくお願いいたします。
以上
次回からいよいよ被控訴人である後藤徹氏の兄の控訴理由書を掲載します。
これからも後藤徹氏の応援をよろしくお願いいたします。
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2014-07-13(Sun)
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生活保障だけでも2,680万円
<仮に家族の愛情を考慮したとしても、12年5ヶ月間、自由を奪われたことに対する代価として400万円はあまりにも低すぎる算定だといわざるを得ません>
監禁下であれ、生活費を家族が出したことを差し引いたとして、徹さんが最低、得ていたであろう所得はどれくらいだっただろうか。
生活費といっても、この場合、食事代と水道光熱費だけになる。なぜなら、電話代も書籍代も衣服代もまったく支出していないし、兄弟と同居していた(させられていた)わけだから。
中小企業に就職したとして、低く見積もって月収は25万円。生活費はあの粗末な食事メニューからみて、どんなに高く見積もっても3万円(食費+水道光熱費)ってところだろう。
〔月収25万円-社会保険等4万円-生活費3万円〕×12年5ヶ月(149ヶ月)=2,682万円
監禁されたことによって被った損害賠償という観点で言えば、2億円もらってもおかしくない。
単純に生活保障という点だけを計算しても、2,682万円以下ということは絶対ありえない。
一審は12年五ヶ月という期間を認めず、一人の男性の所得を考慮することすらしていない。あきらかに不当だ。
監禁下であれ、生活費を家族が出したことを差し引いたとして、徹さんが最低、得ていたであろう所得はどれくらいだっただろうか。
生活費といっても、この場合、食事代と水道光熱費だけになる。なぜなら、電話代も書籍代も衣服代もまったく支出していないし、兄弟と同居していた(させられていた)わけだから。
中小企業に就職したとして、低く見積もって月収は25万円。生活費はあの粗末な食事メニューからみて、どんなに高く見積もっても3万円(食費+水道光熱費)ってところだろう。
〔月収25万円-社会保険等4万円-生活費3万円〕×12年5ヶ月(149ヶ月)=2,682万円
監禁されたことによって被った損害賠償という観点で言えば、2億円もらってもおかしくない。
単純に生活保障という点だけを計算しても、2,682万円以下ということは絶対ありえない。
一審は12年五ヶ月という期間を認めず、一人の男性の所得を考慮することすらしていない。あきらかに不当だ。
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