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後藤徹氏兄らの最終準備書面-この訴訟は統一協会による拉致監禁キャンペーンの一環だ

昨日、控訴審の期日についてお伝えしましたが、今日は、すでに以前に掲載した後藤徹氏の兄らの最終準備書面を再掲載します。

いまさら・・・という感じは否めませんが、実は、以前に掲載した記事が忽然と姿を消してしまい、複数の方から問い合わせをいただいていました。

まあ、たぶん、間違えて削除ボタンを押してしまい、記事が消えてしまったのだとは思うのですが・・・・。

すぐに復活できればよかったのですが、宮村氏の準備書面や、判決文などの掲載が続いていましてずるずると延びてしまいこのタイミングになりました。

遅くなりまして申し訳ありません。

また控訴理由書などの書面も順次当ブログで掲載していきますので引き続きご愛読よろしくお願いいたします。



目次

第1 はじめに
第2 原告の主張する第1回目の監禁がないことについて

 1 京王プラザホテルにおける話し合いについて
   (1) 原告の主張について
   (2) 原告供述に信用性がないことについて
   ア 騙し討ちのように拉致監禁された旨の供述について
   イ ドアの鍵の施錠について
   ウ 信者2名について来てもらったことについて
   (3) 拉致監禁がなかったことは原告の供述からも明らかであること

 2 荻窪のマンションにおける監禁行為がなかったこと
   (1)原告の主張について
   (2)原告の供述に信用性がないこと
   (3)話し合いが監禁ではなかったことは,原告の供述からも明らかであること
     
第3 原告の主張する第2回目の監禁や棄教の強要がないことについて

 1 平成7(1995)年9月11日の新潟への移動について監禁行為がないこと
   (1)原告の主張について
   (2)原告の供述内容に信用性がないこと
   (3)連行監禁がなかったことは原告の供述からも明らかであること

 2 新潟のマンションでの監禁や棄教の強要がないことについて
   (1)原告の主張について
   (2)原告の供述内容に信用性がないことについて
    ア マンションの玄関の状態について
   イ 窓の状態について
   ウ マンションにおける生活状況
   (3)新潟のマンションでの話し合いが何ら監禁にあたらないことは,原告の供述内容からも明らかであること

 3 荻窪プレイスでの監禁がないことについて
   (1)新潟から東京への移動について
   (2)故後藤■<後藤徹氏の父>の葬式について
   (3)荻窪プレイスでの話し合いについて
    ア 荻窪プレイスへの移動について
    イ 荻窪プレイスでの話し合いの状況について
     (ア)原告の主張について
     (イ)原告の主張に信用性がないことについて
     (ウ)荻窪プレイスでの話し合いが監禁ではないことは原告の供述からも明らかであること

 4 荻窪フラワーホームでの監禁や棄教の強要行為がないこと(被告宮村や元信者が来なくなる迄)
   (1)荻窪フラワーホームへの移動について
   (2)南京錠,鍵の状況などについて
    ア 原告の主張について
    イ 原告の主張に信用性がないことについて
    (ア)玄関の南京錠について
    (イ)原告の被告■<後藤徹氏の兄>に対する抗議について
    (ウ)偽装脱会表明後の脱出を試みた行為について
    ウ 南京錠を使用していた平成9(1997)年12月から平成10(1998)年5月頃までの話し合いが監禁にあたらないことについて
    (ア)南京錠の使用目的,使用時期について
    (イ)監禁にあたらないことは原告の供述からも明らかであること
   (3)被告宮村や元信者と原告の話し合いについて

 5 荻窪フラワーホームでの監禁や棄教の強要行為がないこと(被告宮村や元信者が来なくなった以降)
   (1)被告宮村や元信者が来なくなったこと
   (2)被告後藤家は原告に対し,荻窪フラワーホームからの退去を促していたこと
   (3)荻窪フラワーホームにおける居住状況について(全体として,乙イ1)
    ア 被告■<後藤徹氏の兄>の居住状況
    イ 被告■<後藤徹氏の兄嫁>の居住状況
    ウ 原告がマンションを出ようと思えば,出る機会は幾らでもあったこと
   (4)原告が自らマンションの外に出ようとしたり,助けを求めたことはないこと。
   (5)原告が強行突破しようと思えば出来たが,そのような試みをしていないこと
   (6)荻窪フラワーホームには,家族以外の業者等の出入りがあったことが,原告が助けを求めた事実がなかったこと(原告が助けを求めなかったことについては,争いなし)
    ア エアコンの修理業者の立ち入り
    イ 荻窪フラワーホームの外壁工事
    ウ 被告■<後藤徹氏の兄>,トイレに閉じ込められる
    エ マンションの外側の雨樋の修理
    オ その他の定期的な工事
    カ 検察審査会の認定
    キ まとめ
   (7)平成12年(2000)年12月末頃から平成13年(2001)年2月頃まで,玄関とリビングの間のドアノブを鍵のかかるものに取り換えたことについての評価
   (8)平成16(2004)年8月,被告■<後藤徹氏の兄>がタップに再就職したことの評価
   (9)原告が祖母の葬式に出席していないことの評価
   (10)原告による三回の断食と断食後の食事についての評価
    ア 断食のきっかけ
    イ 断食後の食事について
    ウ 原告に選択の自由があったこと
   (11) 平成20(2008)年2月10日,原告を荻窪フラワーホームから外に出したときの様子,及び,その原告の健康状態について
    ア 外に出した意図
    イ 原告の体力,健康状態
   (12)原告が実家を訪問したことについて
   (13)棄教の強要を否定する事実について
   (14)まとめ

 6 話し合いが長期間に及んだ理由について
   (1)初めに
   (2)被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>の供述
    ア 初めに
    イ 被告■<後藤徹氏の兄>の供述
    ウ 被告■<後藤徹氏の妹>の供述
    エ まとめ
   (3)原告の供述
    ア 原告の主張
    イ 原告の供述
   (4)統一協会信者との話し合いが長引く理由
    ア 統一協会信者になるということ
    イ 話し合いを困難にする統一協会の教育
    ウ 話し合いの目的
    エ 話し合いの方法について
    オ なぜ,話し合いが長期間に及んだのか
   (5)乙イ2(祝福と氏族メシア)の記載内容と原告がマンションを出て行かなかった理由
   (6)まとめ

  7 本件訴訟は,あくまでも,統一協会による拉致監禁キャンペーンの一環であり,被害の救済を求めるものではないこと
   (1)初めに
   (2)原告の位置づけ
   (3)拉致監禁キャンペーンの欺瞞性
   (4)まとめ
第1 はじめに

  原告が主張する本件における被告後藤■<後藤徹氏の兄>(以下,「被告■<後藤徹氏の兄>」とする。),後藤■<後藤徹氏の兄嫁>(以下,「被告■<後藤徹氏の兄嫁>」とする。),被告■<後藤徹氏の妹>(以下,「被告■<後藤徹氏の妹>」とする。)3名(上記被告3名をまとめて「被告後藤家」とする。)による不法行為は,原告が,被告後藤家から,平成7(1995)年9月11日に実家でワゴン車に監禁され,その後,新潟のマンション及び荻窪の2個所のマンションで監禁され,栄養失調等の傷害を加えられ,脅迫,棄教を強要されたというものである。
  しかし,被告後藤家による監禁行為,傷害行為や脅迫,棄教行為がなかったことについての主張は,既に提出済みの準備書面で述べたとおりであるし,原告が主張する事実がなかったことは被告らの供述によって明らかであるが,原告に対する本人尋問や捜査機関への供述内容からより明らかになったことを,以下に述べる。
  なお,原告は,本件において主張する不法行為と全く同一の内容の告訴事実で,平成20(2008)年4月に荻窪警察署宛に刑事告訴を行い,同告訴は同署で受理された後捜査が行われたが,東京地検は,平成21(2009)年12月9日付で不起訴処分とし,その後,検察審査会においても,平成22(2010)年10月6日付で,監禁や傷害行為,脅迫,強要は認められないとして不起訴相当の議決がなされている(乙イ1号)。
検察議決書
<検察審査会議決書 乙イ1号>


第2 原告の主張する第1回目の監禁がないことについて

1 京王プラザホテルにおける話し合いについて

(1) 原告の主張について
 原告は1987年(昭和62年)10月の京王プラザホテルでの被告後藤■<後藤徹氏の兄>ら家族との話し合いについて,原告陳述書(甲9),本人尋問,準備書面等において,故後藤■<後藤徹氏の父>から「■<後藤徹氏の兄>が会いたいと言っている」と言って新宿に呼び出されて待ち合わせをした後,京王プラザホテルの一室に入室したところ,騙し討ちのように拉致されて,部屋の入り口のドアに何らかの施錠をされて監禁された,など主張している。また,原告は,拉致監禁されることを警戒して,2名の信者について来てもらった旨も主張している。

(2) 原告供述に信用性がないことについて

 ア 騙し討ちのように拉致監禁された旨の供述について

 原告は,故後藤■<後藤徹氏の父>から,「■<後藤徹氏の兄>が会いたいと言っている」と言って新宿に呼び出された後,ホテルの一室に入った途端に教会の話しを持ち出されて,入り口のドアに何らかの施錠をされて,騙し討ちのように拉致監禁された旨主張する。
 しかし,呼び出された経緯について,原告は,本人尋問において,当初は,「統一教会のことで話しをしたい」と言って新宿に呼び出されたことを明確に否定していたにもかかわらず(原告調書60頁13ないし17行目),はっきり覚えていない旨に変遷した(原告調書60頁23行目ないし61頁13行目)。

 また,そもそも,原告は,訴状及び本件の提訴前に書いた陳述書(乙イ31号)において,明確に「教会のことで話しをしたい」と言われて新宿に呼び出された旨を述べている。
 原告は,当初から,統一教会のことで話し合うことを告げられ,■<後藤徹氏の兄>がいることも併せて了解の上で待ち合わせをし,一緒にホテルの一室に入ったのであるから,被告後藤■<後藤徹氏の兄>や,故後藤■<後藤徹氏の父>が,ホテルの一室に入った途端に原告を拉致監禁行為するなどということはあり得ない。原告の供述は信用性がない。

イ ドアの鍵の施錠について
 原告は,ドアの鍵に何らかの細工がされて開かないように固定されていた旨を主張するが,真実,原告が鍵に何らかの施錠をされて監禁の被害に遭っていたのであれば,毎日いつでも見ることができた鍵の状態(原告調書65頁15ないし25行目)について記憶がないなどということは到底考えられない。
 原告の鍵に何らかの細工がされていたとの供述には信用性がない。

ウ 信者2名について来てもらったことについて
 原告は,拉致監禁されることを恐れて,信者2名について来てもらった旨主張するが,実際に信者2名が拉致監禁対策でついて来ていたのであれば,原告と連絡が取れなくなったにも関わらず,何らの行動も起こしていないのは極めて不自然であるし,警戒してついて来てもらった信者2名とエレベーターではぐれたにも関わらず,原告がそのままホテルの一室に入っていくことは不自然であり,原告の供述は信用性がない。

(3) 拉致監禁がなかったことは原告の供述からも明らかであること
  原告は,訴状及び本件の提訴前に書いた陳述書(乙イ31号)において,明確に「教会のことで話しをしたい」と言われて新宿に呼び出された旨を述べている。統一教会のことを話し合うことを知って来てくれた原告を,いきなり拉致監禁する必要性がないことは既に述べたとおりである。
  また,原告は,京王プラザホテルの一室に嫌がることもなく,有形力を何ら行使されることなく普通に入室し(原告調書64頁4ないし12行目),部屋での話し合いが平穏に行われていたことを認めている(原告調書68頁12ないし15行目)。

 さらに,原告は,京王プラザホテルの一室で,バストイレの中で一度だけ大声で叫んだ以外は部屋の中で大声を出して騒いだり,暴れたりしたことはなかったこと,及びそのバストイレの中からも非常連絡用の電話を使用しなかったことを認めている(原告調書66頁17ないし68頁11行目)。
 そして,京王プラザホテルから荻窪のマンションへの移動についても,ホテルの部屋から車に乗り込むまでの間,多数の一般人がいる状況であるにもかかわらず,何ら騒ぎを起こさなかったことを認めている(原告調書69頁1なし13行目)。
 かかる原告の供述内容からも,原告と故後藤■<後藤徹氏の父>,故後藤■<後藤徹氏の母>,被告■<後藤徹氏の兄>との話し合いが,拉致や監禁にあたるようなものではなかったことが明らかである。

2 荻窪のマンションにおける監禁行為がなかったこと

(1)原告の主張について
 原告は昭和62(1987)年10月からの荻窪のマンションや荻窪栄光協会に徒歩で移動しての話し合いについても,家族らに厳重に監禁,監視下に置かれており,逃走することができなかったと述べ(原告調書70頁13ないし17行目),また,統一協会に戻った後も,再度拉致監禁されることを恐れて勤務先である大成建設を辞めざるを得なかったと主張する。

(2)原告の供述に信用性がないこと
  原告は,マンションから徒歩で20分位かかる荻窪栄光教会に,何ら物理的に拘束されることなく,途中バス通りや環状八号線もある道程を歩いて通っていたのであるから(原告調書70頁18行目ないし71頁9行目),仮に原告の両親や被告■<後藤徹氏の兄>が近くにいたとしても,その場を立ち去ろうと思えば,いつでも容易にその場から立ち去ることが可能であったことは明らかである(逃げようとする成人男性を,路上で逮捕,拉致することは,逮捕術の訓練を十分に積んでいる男性警察官ですら容易な行為ではない)。
荻窪栄光教会
<荻窪栄光教会>

 また,原告は,脱会説得を始める前に故後藤■<後藤徹氏の父>が大成建設の上司に直接事情を説明し,長期間会杜を休んでも無断欠勤にならないように話をつけ,そのことを原告にも告げたということを否定しつつ(原告調書9頁9ないし15行目),故後藤■<後藤徹氏の父>と原告の上司が,話し合いを始めるにあたって原告を休暇扱いとしてもらうように措置してもらえるほど親密であったことを,大成建設に復職しなかった理由として述べている(原告調書143頁12ないし26行目)。

 原告は,故後藤■<後藤徹氏の父>と原告の上司との問の原告の欠勤についての扱いの話しを知らないと述べつつ,一方では,知っていたので怖くて復職できなかったと全く矛盾する供述をしているのであって,原告の供述は信用できない。
 なお,原告は,欠勤中に大成建設から給料を受領していたことを否定しているが(原告調書10頁5ないし8行目),原告が給与を受領していたことは,乙イ45号証の原告の預金未記帳取引照合表によれば,原告が昭和62年10月から被告後藤家らと話し合いを始めた以降も,大成建設から給与が支払われていた事実及び原告が荻窪栄光教会から立ち去った後の同年12月15日に,原告が預金を引き出している事実が明らかであるから,原告の供述は明らかに虚偽である。

 原告は,栄光教会から立ち去った後の統一協会での活動についても,野の花会での活動を否定するなど(原告調書121頁17行目ないし122頁3行目),明らかに虚偽の供述をしている(乙イ36号証)。

(3)話し合いが監禁ではなかったことは,原告の供述からも明らかであること
 原告は,京王プラザから荻窪のマンションに移動しての話し合いについて,外形上平穏に移動して,平穏に教会に通って,平穏に戻ってきて,平穏に話しをしていたことを認めている(原告調書74頁1ないし3行目)。
 また,原告は,栄光教会から立ち去って統一協会に戻った後,弁護士や警察に何らの被害相談すら行っていないことを認めている(原告調書141頁14行目ないし142頁24行日)。
 かかる原告の供述からも,荻窪のマンション及び栄光教会における話し合いが,何ら監禁にあたらないものであったことは明らかである。

第3 原告の主張する第2回目の監禁や棄教の強要がないことについて

1 平成7(1995)年9月11日の新潟への移動について監禁行為がないこと

(1)原告の主張について
原告は,訴状や陳述書(甲9)において,同日の実家から新潟への移動のためにワゴン車に乗車する際の様子について,原告の意思に反して,四方八方を囲まれ,左右両脇を抱えられ抵抗できない状態にされ,家の中から引きずり出され,ワゴン車に連行監禁されたと主張している。

(2)原告の供述内容に信用性がないこと
しかし,原告の供述内容は,検察審査会の議決書(乙イ1の2,2頁)が,「後藤■<後藤徹氏の父>宅からパレスマンション多門607号室までについて」という項において,検討した結果として,「申立人(原告)は,家から引きずられて家を出る際,靴を履いたか否か記憶がないと述べている。■<後藤徹氏の父>宅からワゴン車までの距離は10メートル弱で,この間を引きずられるようにして裸足同然の状態で歩いたとなれば,当然記憶として残るものと考えるが,記憶がないということは靴を履いたものと考えられる。そうであれば同行を拒否し,引きずられてという主張には疑問がある。■<後藤徹氏の父>宅は,閑静な住宅街にあり,公道から10メートル弱の私道を奥に入った袋小路の突き当たりにあり,私道の両脇には,後藤宅の他に3軒の住宅がある。公道に出ると公道に面した家々が建ち並んでいる。■<後藤徹氏の父>宅を出た時間は午後9時前後ころであるから,申立人が大声を出して救助を求めることは容易にできたのに,行っていない。ワゴン車で待機していたA及び■<後藤徹氏の父>宅にいたBも申立人は普通に一人で歩いて来て車に乗り,降車してからも同様だったと述べている。」,「ワゴン車がパレスマンション多門に着いたのは午前2時半前後と,静寂な時間帯であり,申立人が大声を出して助けを求めれば,多くの人達が異変に気付くことができたと思われるが,申立人は助けを求める行動を取っていない。」と認定しているとおり,全く信用性がない。

(3)連行監禁がなかったことは原告の供述からも明らかであること
 原告は,実家からワゴン車に乗る際,靴を履いていたかも知れない旨を述べ,また,ワゴン車に乗り込む際に怪我はなかったと述べていることからすれば(原告調書76頁5ないし17行目),靴は履いていたと推認するのが自然であるし,原告は両足を押さえられた旨は一切述べていないのであるから,靴は自ら履いたことは明らかである。
 また,原告の実家は,閑静な住宅街であり,午後9時頃に大声を出すなどして騒げば,直ぐに近所で騒動になることは明白である状況であるにもかかわらず,原告は,縷々言い訳は述べるが,実際には大声で助けを求めたり,暴れたりしなかったことを認め(原告調書77頁18行目ないし78頁20行目),夜中に新潟のマンションに着いた際にも大声を出して騒いだりしなかったことを認めている(原告調書78頁21ないし23行目)。
 このように,原告の供述からも,原告が意思に反して,ワゴン車に監禁されて新潟のマンションに連行された事実がないことは明白であり,被告後藤家の主張するとおり,原告は,家族の真剣な態度に話し合いに応じることにしぶしぶながらも同意していたと考えるのが自然である。
 なお,原告は,携帯用トイレで用を足したことについて縷々主張するが,新潟への移動は,原告の同意のもとに行われているのであるから,特に問題となるようなことではない。

2 新潟のマンションでの監禁や棄教の強要がないことについて

(1)原告の主張について
 原告は,訴状や陳述書(甲9)において,新潟のパレスマンション多門において,窓は全てストッパーで固定され,玄関は内側から施錠されて監禁され,原告の両親,被告■<後藤徹氏の妹>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が常駐して原告を監視し,原告と被告■<後藤徹氏の妹>の二人だけになったことはない旨主張し,棄教を強要されたと主張している。

(2)原告の供述内容に信用性がないことについて

ア マンションの玄関の状態について
 原告は,パレスマンション多門の玄関の状態について,松永牧師らを迎えに向かう父親の手に解錠するための鍵が握られていたことから,玄関が内側から施錠されていたことに間違いない旨供述する(陳述書(甲9),原告調書78頁24行目ないし79頁3行目)。
 しかし,原告は,捜査段階の供述調書において,窓が内側から開けられない状態であったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思った。」と述べている(乙イ1の2,3頁。)。
 原告が,真実,「後藤■<後藤徹氏の父>がパレスマンション多門607号室の玄関鍵を解錠するための鍵を持って玄関に迎えに出たのを見た。」という供述をしていたとすれば,検察審査会は,「玄関の鍵の状態がどのようになっているのか見ていない。単なる憶測による主張に過ぎない。」との認定をするに際し,検討せずに無視することが出来ない供述であり,検察審査会が何ら言及していないことに鑑みれば,そのような供述はなされていないとしか考えられないし,読み聞かせの段階で,単なる推測でしかない旨の供述内容に,告訴人としての立場の原告が異議を述べないことは到底考えられない。

議決書3頁
<検察審議会議決書の一部>


 しかも,原告は,1回玄関を見た際に,何もなかった旨供述しており(原告調書79頁19,20行目),玄関の鍵に細工などされていなかった状態を見たことを自白している。原告の供述は信用性がない。

イ 窓の状態について
 原告は,窓は全てストッパーで固定されていたと主張するが,一方で,原告は,どのような状態で施錠されていたか覚えていない,施錠されていたと思う,と述べており,単なる推測でしかない旨を自白しているのであって(原告調書85頁3ないし11行目),窓が全てストッパーで固定されていたという原告の主張には信用性がないことは明らかである


ウ マンションにおける生活状況
 原告は,マンションでの生活状況について,原告の両親,被告■<後藤徹氏の妹>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が常駐して原告を監視し,原告と被告■<後藤徹氏の妹>の二人だけになったことはない旨主張している(原告調書80頁26行目ないし81頁18行目)。

 しかし,検察審査会の議決書(乙イ1の2,4頁)によれば,原告は,捜査段階において,パレスマンション多門において,平成8年3月以降は,原告と被告■<後藤徹氏の妹>だけの状態が多かったこと認めていたとのことである。検察審査会の議決書に,原告自身がそのような状態であったことを認めている旨記載されている以上,同内容の供述調書又は捜査報告書が存在していたことは明らかである。

 また,実際に,故後藤■<後藤徹氏の父>は,平成8(1996)年3月に心臓病で倒れて入院し,以後,退院後はこのマンションに戻らず,東京の実家に戻っている(乙イ41号)。故後藤■<後藤徹氏の母>は,平成8(1996)年3月以降,故■<後藤徹氏の父>の看病等のために東京に戻ることも多く,また,平成9(1997)年3月に故■<後藤徹氏の父>がガンで入院した以降は,看病のため東京に常駐している(原告調書82頁4ないし6行目)。
 また,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は平成8(1996)年4月20日から平成9(1997)年3月20日までの間,平日の午前9時から午後6時まで「株式会社●●●●」に勤務している(乙イ38号)。

 原告は,平成8(1996)年3月以降は,大部分の時間は女性とのみ一緒にいる状況であり,また,原告は,本人尋問においても,上述のような事実を突き付けられるや,「最低限食事のときには二人はいたと思います」などと述べて,被告■<後藤徹氏の妹>と二人だけの状況があったこと認めるに至っている(原告調書82頁7ないし10行目)。
 原告の被告■<後藤徹氏の妹>と二人だけになったことはない旨の供述内容には信用性がないことは明らかである。

(3)新潟のマンションでの話し合いが何ら監禁にあたらないことは,原告の供述内容からも明らかであること
 原告は,1回玄関を見た際に,何もなかった旨供述しており(原告調書79頁19,20行目)玄関の鍵に細工などされていなかったことを自白しており,物理的に監禁状態にあったという原告の主張は虚偽であることは明白である。
 また,原告は,被告■<後藤徹氏の妹>と二人だけのときにも,マンションから立ち去ろうという行動を起こしていない(原告調書82頁4行目ないし83頁24行目)。原告と被告■<後藤徹氏の妹>,■<後藤徹氏の兄嫁>らとの圧倒的な体格差,体力差からすれば,仮に玄関に施錠がなされていたとしても,マンションから立ち去ることが容易であることは明白であるから,原告と家族との話し合いが,何ら監禁というような状況にはなかったということは明らかである。

3 荻窪プレイスでの監禁がないことについて

(1)新潟から東京への移動について
 原告は,新潟のパレスマンション多門から東京への移動について,ワゴン車に監禁されて東京の自宅に連行されたと主張する。
 しかし,原告は,東京への移動について同意していたこと,特に有形力を行使されていないことを認めているのであって(原告調書84頁6行目ないし85頁2行目),東京への移動について,監禁だの連行といった行為がなされていなかったことは,原告の供述からも明らかである。

(2)故後藤■<後藤徹氏の父>の葬式について
 原告は,被告後藤家が,故後藤■<後藤徹氏の父>の葬式に原告を参加させなかったなどと主張するが,そのような事実はない。
 確かに,原告及び被告■<後藤徹氏の妹>,■<後藤徹氏の兄嫁>は,故後藤■<後藤徹氏の父>の葬式に出席していないが,これは,統一教会の信者である原告と話し合いをしている被告後藤家としては,大手企業の元重役であった故後藤■<後藤徹氏の父>の葬式の存在を覚知され,統一教会信者が押しかけてくることを懸念して出席を見送った方が良いと考えたに過ぎないし,また,原告自身も出席したいと希望を述べていないのであって(原告調書27頁13ないし26行目),被告後藤家が,原告の意思に反して出席をさせなかったという事実はない。
 なお,統一協会信者は,京都地裁の刑事事件のように建造物損壊,住居侵入のような暴挙に出たり,脱会届けを提出した後も拉致監禁であると主張してビラを頒布したりするなどの事例が存在するように,家族と信者の話し合いは全て拉致監禁であると決めつけ,話し合いの場所が判明すれば現実に押しかけてくるのであって,元信者である被告後藤家らが懸念することはむしろ当然のことである。

(3)荻窪プレイスでの話し合いについて
ア 荻窪プレイスへの移動について
 原告は,実家から荻窪プレイスへの移動について,ワゴン車で連行されたなどと主張する。
 しかし,原告は,陳述書や尋問において、何らかの有形力を行使されたことや,原告が騒いだり抵抗したりした旨を一切供述していないことからすれば,マンションへの移動について原告の同意があったことは明白である。

イ 荻窪プレイスでの話し合いの状況について
荻窪プレイス
<荻窪プレイス>

(ア)原告の主張について
 原告は,荻窪プレイスでも,玄関はダイヤルロック式の鍵で施錠されており,原告の母,被告■<後藤徹氏の妹>,■<後藤徹氏の兄嫁>らに監視されて監禁されていたと主張する。

(イ)原告の主張に信用性がないことについて
 原告は,荻窪プレイスの玄関のドアノブのあたりにダイヤルロック式の鍵がはっきりと見えたと供述している。(陳述書甲9の15頁,原告調書85頁12ないし16行目)
 しかし,原告は,捜査段階では,「トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ,番号の付いた鍵が見えた感じがした。」としか供述していないのであるから(乙イ1の2,5頁,原告調書85頁12ないし26行目),ダイヤルロック式の鍵がはっきり見えた旨の原告の供述は信用性がない。
 なお,原告は,刑事事件捜査時においても,「玄関に番号付きの鍵がついていた」と明言していると主張するが,検察審査会で引用されている原告の供述調書は,供述調書である以上,原告に対する読み聞かせが行われ,署名押印されていることは明らかであり,原告自身も読み聞かせを受けたことを認めている(原告調書85頁23ないし26行目)。ましてや,刑事事件上,原告は「被害者」であるから,被疑者の場合と違って,その調書は完全に任意,かつ,必要であれば訂正を求めることが可能な状況で作成されたことは明らかである。また,告訴人代理人として,元検事である福本修也弁護士がついている以上,自己の意図が正確に調書に反映されるよう,打ち合わせと必要な助言がされていたことは明らかである。検察審査会で引用されている供述調書は,「番号の付いた鍵が見えた感じがした。」となっており,むしろ,原告が自分が閉じ込められていたと主張するためにとっさについた嘘であると考えるのが自然である。被告後藤家の供述のとおり,荻窪プレイスでは,鍵に何らの細工もなされていなかったのである。

(ウ)荻窪プレイスでの話し合いが監禁ではないことは原告の供述からも明らかであること
 原告は,荻窪プレイスでは,被告■<後藤徹氏の兄>は仕事で日中おらず,母,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,■<後藤徹氏の妹>のうちいずれかがいない状況が日々あったことを認めている(原告調書86頁1ないし18行目)。
 また,部屋の中では特に紐で縛られたりするなどの物理的拘束を受けていなかったことや,部屋の中を自由に歩けたということを認めている(原告調書86頁19ないし23行目)。
 さらに,女性3人に取り押さえられてしまうような体力の状況ではなかったこと,ベランダから逃げようということは考えなかったことを認めている(原告調書87頁1ないし13行目)。

 体重40kgに満たない女性二人しかいない状況で,圧倒的に体格,体力に勝る原告が,マンションから立ち去ることは極めて容易である。仮に全ての鍵が施錠してあったとしても,家具か何かで,窓ガラスを破壊し,ベランダに出て,隣室との壁を蹴飛ばせば,容易に隣室に移動できるのは自明である。
 防災上の避難経路を確保するために,隣室のベランダとの間にある仕切りの強度は弱く出来ていることを,大学の建築学科で真面目に勉強して卒業した原告が知らないなどということはあり得ない。
 このように,原告の供述からも,荻窪プレイスでの話し合いが,原告の同意のもとに行われていたのであって,何ら監禁にあたるようなものではなかったことは明らかである。

4 荻窪フラワーホームでの監禁や棄教の強要行為がないこと(被告宮村や元信者が来なくなる迄)

(1)荻窪フラワーホームへの移動について
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<荻窪フラワーホーム>

 原告は,平成9(1997)年12月に,被告後藤家,故後藤■<後藤徹氏の母>及び多くの指名不詳の男によってワゴン車に監禁され,荻窪プレイスから荻窪フラワーホーム804号室に連行されたと主張している。
 しかし,原告自身,何らの物理的拘束を受けることなく移動したことを認めており(原告調書87頁14ないし23行目),また,特に,騒いだり,逃げようとするなどの行為を行った旨の供述も一切行っていない。
 荻窪フラワーホームの入り口の数メートル先にはコンビニエンスストアもあるし,人通りの多い青梅街道もすぐ近くの場所であるから,何ら物理的拘束力を受けていない状態の原告が,逃げようと思えば容易に逃げることは可能であるし,騒ぎを起こせば,直ぐに通行人の知れるところとなることは明白であるから,移動に際しての原告の供述からすれば,荻窪フラワーホームへの移動は,原告の承諾のもと行われたものであることは明らかであり,何ら拉致監禁にあたるものではない。

(2)南京錠,鍵の状況などについて

ア 原告の主張について
 原告は,平成9(1997)年12月に荻窪フラワーホーム804号室に到着後間もなく,玄関から出ることが可能かどうか確認しようとして,玄関が見える位置まで行ってみたところ,玄関が内側からクサリと南京錠で開かないようにされているのがはっきりと見えた,その状態については甲9の陳述書添付の写真2の状態であったと述べ(甲9陳述書16頁,原告調書29頁25行目ないし30頁6行目),玄関がクサリと南京錠で開かないようになっていた状態であることを認識していたと主張している。
南京錠による玄関ドアの施錠状態の再現写真

 そして,この南京錠を確認した場面において,「これじゃまるで犬扱いじゃないか。俺は人間だぞ。」と言って被告■<後藤徹氏の兄>に抗議したと述べるとともに,偽装脱会をしていたことを表明して間もない頃,脱出を試みて玄関に向かって行ったところ,被告■<後藤徹氏の兄>に取り押さえられたと述べている(甲9陳述書17頁,原告調書31頁3ないし9行目)。

イ 原告の主張に信用性がないことについて
(ア)玄関の南京錠について
 原告は,玄関がクサリと南京錠で施錠されている状態をはっきりと見えたと述べているにも関わらず,被告代理人の質問に対しては,甲9添付の写真2のような状態であったのか,捜査段階で「玄関ドアの取っ手の部分にはクサリがかけられ,その鎖をつなぐ形で南京錠が取り付けられており」と述べていたような(乙イ1の2,6頁)乙イ34号証のチラシ2枚目裏側のような状態であったのかよく覚えていない旨のあいまいな供述をしている(原告調書88頁24行目ないし90頁20行目)。
 甲9添付の写真2と乙イ34の写真の状態は全く異なるものであるから,はっきりと見えたのであれば,両者の違いも記憶していないなどということは到底考えられない。玄関の様子を見ることは,偽装脱会中の慎重な行動を取っていたとの原告の供述(甲9陳述書13頁15ないし25行目)とも矛盾する。
 むしろ,原告は,玄関の様子を見ていないと考えるのが自然であり,原告の玄関,南京錠に関する供述は信用できない。

(イ)原告の被告■<後藤徹氏の兄>に対する抗議について
 原告は,南京錠を確認した際に被告■<後藤徹氏の兄>に抗議したとの供述についても,原告は,偽装脱会中の行動に関する原告の供述と矛盾しており(甲9陳述書13頁15ないし25行目),信用性がない。

(ウ)偽装脱会表明後の脱出を試みた行為について
 原告は,偽装脱会を表明して間もなく,玄関に向かって脱出を試みたところ,被告■<後藤徹氏の兄>に取り押さえられた旨供述しているが,この荻窪フラワーホーム804号室での話し合いを始めた時期は,被告■<後藤徹氏の兄>は仕事で日中は在室していないことが多かったのであるから,原告が,部屋から脱出することを試みるのであれば,当然に男性である被告■<後藤徹氏の兄>のいない時間帯に行うはずである。
 わざわざ被告■<後藤徹氏の兄>がいる時間帯に部屋から脱出を試みるなどということは,部屋から出たいと思っている者の行動とは到底相容れない行動である。
 したがって,原告が,玄関に向かって脱出を試みて被告■<後藤徹氏の兄>に取り押さえられたという供述は信用できない。

ウ 南京錠を使用していた平成9(1997)年12月から平成10(1998)年5月頃までの話し合いが監禁にあたらないことについて

(ア)南京錠の使用目的,使用時期について
 被告後藤家が,荻窪フラワーホームでの入居当初,玄関の鍵に南京錠をつけていたのは,統一協会信者らが話し合いの妨害や原告を取り戻すなどの名目で多人数で押しかけてくる可能性があったため,これに備えての措置である。
 被告後藤家らは,現実に統一教会の信者が,牧師などカウンセラーを尾行して家族と話し合いをしている信者の住居を突き止め,親等と一緒にいる信者を連れ戻すために,ドアの鍵を何らかの方法で開けた後に,チェーンカッター等でドアチェーン錠を切断する等して家の中に入ってきて信者を連れ戻そうとしたことなど,複数の統一協会信者による暴力的な行為が行われてきたことを知っていた(実際に,京都,岡山で統一協会信者による取り戻しが刑事事件となっていた。そのため,被告後藤家らは,本件においても,統一協会信者らによって話し合いが妨害されることや,原告の意思に反して連れ戻そうとして信者らが多人数押しかけることを危惧していた。

 なお,被告後藤家らは,荻窪フラワーホームへの入居後,仮にドアの鍵が開けられたとしても,チェーンカッター等を差し込むことが出来ないように,ドアチェーンを短くするために南京錠をかけていたものの,それも平成10(1998)年5月頃までの時期だけである。南京錠は,あくまでも,外部からの侵入を防ぐためのものであったから,使用していた際にも,南京錠の鍵は,玄関の下駄箱の上に見てすぐに分かる場所に置いてあり,内側から南京錠を外して開けて出ようとすれば容易に鍵を外せる状況であった。
 その後,被告後藤らは,原告との話し合いに来てくれる被告宮村や統一協会の元信者などから,南京錠はないほうがいいのではないかなどと言われたので,統一協会信者らによる連れ戻しに対する不安は拭えなかったが,遅くとも1998(平成10)年5月頃には南京錠を外している。

 なお,MKは,1998年5月に荻窪フラワーホーム804号室を訪問した際に,南京錠を被告後藤家の誰かの背中越しに見たと証言しているが,同証言が虚偽であることは,乙イ40号証により明らかである。

(イ)監禁にあたらないことは原告の供述からも明らかであること
 原告の供述(甲9陳述書,原告調書)によれば,原告は,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,■<後藤徹氏の妹>,故後藤■<後藤徹氏の母>らの原告に比して圧倒的に体格の劣る女性しかいない時間帯には,何らの部屋を出ようとする行動を取っていないのであるから,原告が部屋を出ようとする意思がなかったこと,すなわち,監禁などなかったことは明らかである。
 なお,原告は,被告宮村が73回会いに来た後来なくなったことについて,「たった9ヶ月で呆れるくらいの,そんなものなんでしょうか。本当に私のことを心配で何とかしたいと思うんだったら,その後もこのかわいそうな人を何とかしたいと。それから,もう知らんよというのは,どうでしょうか。」と述べており,まさに,原告自身が,9ヶ月の話し合いが短いと考えていたこと,及びさらに話し合いたいと考えていたことを事実上認めているのであって,やはり,監禁にあたるようなものではなかったことは明らかである。

(3)被告宮村や元信者と原告の話し合いについて
 原告は,被告宮村や元信者からあらゆる誹謗罵倒中傷され,一方的な人格攻撃,統一協会批判をされて,棄教を強要されたと主張する(甲9陳述書18頁,原告調書92頁9ないし15行目)。
 しかし,原告は,原告と被告宮村との話し合いの内容について,被告宮村の陳述書の記載内容について,録音をしたとしか思えない,と述べて,極めて正確な再現内容であることを認めている(原告調書93頁26行目ないし94頁3行目,135頁13ないし20行目)。この原告と被告宮村の話し合いの内容は,あらゆる誹謗罵倒中傷をされ,一方的な人格攻撃,統一協会批判などという類のものではないことは明らかである。
 また,原告は,被告■<後藤徹氏の兄>が,「統一協会を辞めろと言っているのではない」と発言していることを認めている(原告調書94頁14ないし19行目,甲9陳述書20頁)。
 原告の供述によっても,棄教強要行為など行われていなかったことは明らかである。

5 荻窪フラワーホームでの監禁や棄教の強要行為がないこと(被告宮村や元信者が来なくなった以降)

(1)被告宮村や元信者が来なくなったこと
 被告宮村や元信者は,平成10(1998)年9月以降は来なくなった。その理由は,原告が話し合いの最中に,被告宮村に対し,「統一原理が真理でないということも分かった,文鮮明がメシアでないことも分かった」「だけど,俺はこれをやりたいんだ」「俺がやりたいことをやるのに,なぜ他人のあなたに文句を言われなきゃならないんだ」と述べたことがあり,それを聞いた被告■<後藤徹氏の兄>は,被告宮村に対し,後は家族で話をすると伝えたため,被告宮村は,これ以上,原告が自身と話し合いを続けることは望んでいないと考え,原告のもとを訪れなくなったのである(被告■<後藤徹氏の兄>15回調書42頁)。

(2)被告■<後藤徹氏の兄>原告に対し,荻窪フラワーホームからの退去を促していたこと
 被告後藤家は,原告に対し,平成10(1998)年9月か10月頃から,原告に対し,出て行きたいなら,荻窪フラワーホームから出て行くようにと促しており(被告■<後藤徹氏の兄>調書27頁,被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書15,16, 61頁),また,同じ頃,被告■<後藤徹氏の兄嫁>と被告■<後藤徹氏の妹>は,原告を玄関の方に引っ張ってマンションの外に出そうとしたが,原告の力が強く,これを動かすことは出来なかった(被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書15,16頁)。なお,平成16年(2004年)頃にも,被告■<後藤徹氏の兄嫁>と被告■<後藤徹氏の妹>は,原告を玄関の方に引っ張ってマンションの外に出そうとしたが,やはり,原告を動かすことは出来なかった(被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁)。

 このように,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告に対し,荻窪フラワーホームから出て行くようにと促していたことに鑑みれば,原告が拉致監禁されていたという主張が成り立たないものであることは明らかである。
 なお,原告自身,3度目の断食が終わった頃から,被告■<後藤徹氏の兄>らは,出て行きたいなら出て行ってもいいと述べていた旨を認めている(原告本人調書49頁,甲9・34頁)。

(3)荻窪フラワーホームにおける居住状況について(全体として,乙イ1)

ア 被告■<後藤徹氏の兄>の居住状況
 被告■<後藤徹氏の兄>は,平成13(2001)年1月末でタップを辞めるまでは,昼間は不在であり平日や週末の夜も新座の自宅に帰ることが多く(被告■<後藤徹氏の兄>調書17頁),荻窪フラワーホームにはいないことが多かった。タップを辞めてからは,平日の昼間は,荻窪フラワーホームにいる生活をしていたが(なお,1週間に1回以上は自宅に帰っていたし,マンションにいた日であっても,図書館等に出かけて不在のときもあった。乙イ1),平成16(2004)年3月に派遣の仕事を始めて以降は,1,2年位は,荻窪フラワーホームには全く顔を出していない(被告■<後藤徹氏の兄>調書17頁,乙イ1)。

イ 被告■<後藤徹氏の兄嫁>の居住状況
 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成10(1998)年春頃から平成11(1999)年末頃まで,体調を崩し,週2,3回程度,フラワーホームに顔を出すような状況であり(被告■<後藤徹氏の兄>調書17頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書14頁)その後も,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成12(2000)年5月から平成15(2003)年12月にかけて,被告■<後藤徹氏の兄嫁>がアルバイトのため,荻窪フラワーホームにはたまに顔を出す程度であり,荻窪フラワーホームにおいて生活するようになったのは,平成16(2004)年2月頃ないし春頃のことである(乙イ1,被告■<後藤徹氏の兄>調書17,18頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書14頁)。

ウ 原告がマンションを出ようと思えば,出る機会は幾らでもあったこと

(ア)上記したとおり,平成9(1997)年12月に荻窪フラワーホームにおける話し合いが始まってから,被告■<後藤徹氏の兄>が平成13(2001)年1月末にタップを辞めるまでの間は,荻窪フラワーホームにいたのは,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>及び母親の女性3人だけであったし,しかも,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成10(1998)年春頃から平成11(1999)年末頃まで,体調を崩し,週2,3回程度,フラワーホームに顔を出すような状況であり,平成12(2000)年5月から平成15(2003)年12月にかけては,アルバイトのため,荻窪フラワーホームにはたまに顔を出す程度であったから,話し合いを開始してから,被告■<後藤徹氏の兄>が平成13(2001)年1月末にタップを辞めるまでの問は,荻窪フラワーホームにいたのは,被告■<後藤徹氏の妹>及び母親の2人だけということが多く,原告と母親2人だけのこともかなりあったし,原告と被告■<後藤徹氏の妹>2人だけのこともかなりあった(被告■<後藤徹氏の妹>調書61頁)。

(イ)また,被告■<後藤徹氏の兄>が派遣の仕事を始めた平成16(2004)年2月以降は,荻窪フラワーホームにいたのは,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>,母親の女性3人だけであり,買い物等にも出かけることもあり,また,被告■<後藤徹氏の妹>は,平成19(2007)年1月から1年程スポーツクラブに通い(被告■<後藤徹氏の妹>調書14頁,乙イ1・4枚目)(なお,原告は被告■<後藤徹氏の妹>に,運動でも行ったらと言っており,また,自分がスポーツクラブに行きたいとは言わなかった(被告■<後藤徹氏の妹>調書56頁)),母親は内科,整形外科,眼科等の病院通いをしており(乙イ1),部屋に常駐していたのは,女性が1人か2人だけであり,それも,被告■<後藤徹氏の妹>か母親であることが多かった。

(ウ)母親と■<後藤徹氏の妹>の体格は華奢であり,原告と比べて体力差は歴然としていた(被告■<後藤徹氏の兄>調書18頁)。原告は,大部分の時間を,体重40kgにも満たない女性二人または一人といたのであり,男性である原告との体格差,体力差を考えれば,話し合いの楊を立ち去ろうと思えばいつでも容易に立ち去ることができたことは,明らかである。

(エ)この点について,検察審査会は,「このマンションに平成9年12月末から申立人が追い出された平成20年2月10日までに一緒に住んでいた者は,■<後藤徹氏の母>,■<後藤徹氏の兄>,■<後藤徹氏の兄嫁>,■<後藤徹氏の妹>の4人であるが,■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成10年の春頃から平成11年年末まで体調を崩して自宅に戻っており,マンションには週に2,3日の頻度で通っていた。平成12年3月には病気で3週間入院し,同年5月からはアルバイトを始めたので,平成15年末まではマンションには偶に行く程度で,平成16年2月ころからはずっと同居していた。■<後藤徹氏の兄>は,仕事を平成13年1月で辞め,平成16年3月に就職するまでは一緒に生活していた。
 しかし1週間に1回以上は自宅に帰っていたし,マンションにいた日であっても,図書館等に出かけて不在のときもある。平成16年3月に仕事に就いてからは1,2年の間はマンションに全く行っておらず,その間,申立人とは一切会っていない。したがって■<後藤徹氏の母>と■<後藤徹氏の妹>の3人だけの生活がほとんどであり,一人が買い物等で外出すると部屋には申立人と二人だけになる。■<後藤徹氏の母>は内科,整形外科,眼科等の病院通い,■<後藤徹氏の妹>も通院やスポーツクラブに通っていたことから,二人だけという機会は少なくはない。」と認定した上で,「平成13年2月の行動を抗議行動というのであれば,何故この1か月間だけ行ったのか,どうして■<後藤徹氏の兄>がいるときだけに行ったのか,より効果的な女性だけのときに行わなかったのか,みんなが寝静まってから行わなかったのは何故か,また脱出する意思があるなら,自分が今いる場所はどこであるのかを知ることは重要なことであるが,申立人はマンションを追い出されて初めて知ったと述べている。調べる気持ちがあるなら,配達された郵便物や新聞の領収書,電気の使用量の通知書等で容易に分かることであり,調べようとした形跡は,記録上認められない。」と原告の主張の信用性に強い疑問を呈している(乙イ1)。

(4)原告が自らマンションの外に出ようとしたり,助けを求めたことはないこと。

ア 原告が荻窪フラワーマンションにいる間,外に出ようとしたことはない。
 この点,原告は,平成13(2001)年2月に被告■<後藤徹氏の兄>と揉み合いになった時のことについて,脱出しようとした際に取り押さえられたものであると主張するが,原告は,被告■<後藤徹氏の妹>や母親しかいないときに暴れた事は無いことに鑑みれば(被告■<後藤徹氏の妹>調書17頁。なお,原告自身も被告■<後藤徹氏の妹>や母親しかいないときに暴れたことがある旨は主張していない。),霊の兄弟であり,反発の対象である男兄弟である被告■<後藤徹氏の兄>に対するパフォーマンスに過ぎないことは明らかである(被告■<後藤徹氏の妹>調書17,18頁,被告■<後藤徹氏の兄>調書18,19頁)。念のためであるが平成13(2001)年2月に揉み合いになった時,被告宮村を呼んだり,原告が風呂場から助けを呼んだ事は無い(被告■<後藤徹氏の兄>調書22頁)。

イ 原告が荻窪フラワーマンションにいる間,外部に叫ぶ等して助けを求めたことはないし,自分の居場所を知ろうとしたこともない。風呂場の換気扇からは,外に対し声を聴かせることは可能であるが,原告が風呂場で叫んだことは,平成10(1998)年夏頃の一度だけである(被告■<後藤徹氏の妹>調書18頁)。なお,原告は,何時も,風呂には毎日一人で入っており(被告■<後藤徹氏の妹>調書18頁),助けを呼ぼうとすれば,何時でも呼ぶことが出来た。

ウ この点について,検察審査会は,「平成13年2月の行動を抗議行動というのであれば,何故この1か月間だけ行ったのか,どうして■<後藤徹氏の兄>がいるときだけに行ったのか,より効果的な女性だけのときに行わなかったのか,みんなが寝静まってから行わなかったのは何故か,また脱出する意思があるなら,自分が今いる場所はどこであるのかを知ることは重要なことであるが,申立人はマンションを追い出されて初めて知ったと述べている。調べる気持ちがあるなら,配達された郵便物や新聞の領収書,電気の使用量の通知書等で容易に分かることであり,調べようとした形跡は,記録上認められない。」との判断を示し,原告に「脱出」する意思が認められない旨を認定している(乙イ1)。

エ 以上のとおり,原告が自らマンションの外に出ようとしたり,助けを求めたりしたことはない。

(5)原告が強行突破しようと思えば出来たが,そのような試みをしていないこと
 原告は,毎日,スクワットや10kgもある重いテーブルを持ち上げる運動を一日15~30分程度していた(被告■<後藤徹氏の妹>調書22頁,被告■<後藤徹氏の兄>調書29頁,乙イ7・34頁)。なお,甲第57号証の3の世界日報「拉致監禁の連鎖」においても,原告が,「毎日欠かさず体を動かした。スクワットと腕立て伏せ,3分ほどの足踏みなど,1日15分ぐらいは運動を続けていた。」と述べている(なお,原告調書107頁)。この点について,原告は,未だに,極度の運動不足とハンガーストライキ後の食事制裁により体が衰弱し,女性からも簡単に取り押さえられるような体力しか残っていなかった,等と述べているが,信用性がないことは明らかである。

 このように,原告には十分な体力があったものであるから,原告が真に監禁されていたのであったとしても,例えば,室内にあったちゃぶ台で,窓ガラスを破壊し,隣室との境のベランダの壁を蹴飛ばし,簡単に隣室に移動することも出来たが,原告はそのような行為を取っていない。なお,マンションの隣室とのベランダの境が,火災時の避難の必要性から容易に破壊できることは,日大建築学科出身の原告は,当然に知っている知識である。

(6)荻窪フラワーホームには,家族以外の業者等の出入りがあったことが,原告が助けを求めた事実がなかったこと(原告が助けを求めなかったことについては,争いなし)

ア エアコンの修理業者の立ち入り
 平成12(2000)年7月9日には,原告がいた奥の部屋のエアコンの修理のために,統一協会問題に全く関わりのない業者が原告の部屋に入り,原告と同室する状態が1時間以上あった。にもかかわらず,原告はこの業者に対して助けを求めるような発言を一切していない。

イ 荻窪フラワーホームの外壁工事
 また,平成12(2000)年の3月から7月まで,荻窪フラワーホームの外壁工事が行われており,マンション外壁を囲むように足場が組み込まれ,多くの職人が,窓の外を頻繁にうろうろしており,原告が助けを求めようと思えばいつでも出来る状態であったが,原告は,部屋に来た業者らに対して,助けを求めることは一切なかった。

ウ 被告■<後藤徹氏の兄>,トイレに閉じ込められる

(ア)平成15(2003)年11月頃には,被告■<後藤徹氏の兄>がトイレ使用中にトイレのドアの鍵がこわれてトイレ中に閉じ込められて出られなくなったことがあった。この時,マンションには当然鍵などはかかっておらず,母と被告■<後藤徹氏の妹>しかいなかったので,外に出ようと思えば格好のチャンスとでもいうべき時であったが,原告は退出しようともしないどころか,ドライバーでトイレのドアをガチャガチャやって開けようとし,誰か,助けを呼ばなくてはならないと言っていた(被告■<後藤徹氏の妹>調書17頁,被告■<後藤徹氏の兄>調書21頁)。

(イ)そして,原告は,OBがバールを持って助けに来たが,その様子を原告は心配そうに一部始終を見ていたものであり(乙イ19・8頁),原告が,OBに対し,助けを求めたりした事は無い(被告■<後藤徹氏の兄>調書21頁,乙イ19)。
 この点につき,原告は,そもそも,OBが来たこと自体を知らない等と述べるが,原告は,被告■<後藤徹氏の兄>がトイレに閉じ込められていたことを認識しており(原告本人調書48,49頁),そして,同じマンションの室内のそれも近くにいて,OBが来て,ドアをバールで壊す作業をしていることに気が付かないことはあり得ないので,原告が虚偽を述べていることは明らかである。

エ マンションの外側の雨樋の修理
 さらに,平成19(2007)年頃,原告のいた部屋の外側の雨樋の修理の際にも業者が部屋に入ったが,このときも,原告はこの業者に対して助けを求めるような発言を一切していない。

オ その他の定期的な工事
 荻窪フラワーホームでは,上記した以外にも,毎年排水管の清掃業者が年に1~2回入室していたし,給湯配管の交換工事,水もれの点検確認など,外部の業者が数多く出入りしていたが,原告はこれらの業者がマンション管理組合によって選定された業者で自分たちとは全く関係のない業者であることは分かっていたにもかかわらず,これらの外部の者に対してさえ助けを求めるような言動は一切しなかった。

カ 検察審査会の認定
 この点について検察審査会は,「マンションの点検等で修理業者等が部屋に入ったこともある。エアコンの取り付け業者,給湯管交換業者,配水管清掃業者,外壁工事等の多数の業者が出入り等をしていたが,申立人はこれらの人達に助けを求めたり,その際に脱出をしようとしたこともない。申立人は,業者が被疑者と内通している可能性があると考えたので,助けを求めなかったというが,それは自分の思い込みだけであり,1度も行動していないことを考えると,真実そのように考えていたのか疑問である。」と適切な認定をしている(乙イ1)。

キ まとめ
以上のとおり,荻窪フラワーホームは,古いマンションだったので,配水管,給湯管,ガス,外壁改修業者等が出入りしており,原告は,業者が荻窪フラワーホームに出入りしているのは認識していたが(原告本人調書100頁),助けを求めたことはなく(被告■<後藤徹氏の妹>調書15,16頁,被告■<後藤徹氏の兄>調書20,21頁),また,原告の主張によれば拉致監禁強制改宗を行おうとしていた被告■<後藤徹氏の兄>がトイレに閉じ込められるという脱出の為の絶好の機会が到来していたにもかかわらず,逃げようとするどころか,これを助けようとしていたものであり,原告が拉致監禁等されていなかったことは明らかである。

(7)平成12(2000)年12月末頃から平成13(2001)年2月頃まで,玄関とリビングの間のドアノブを鍵のかかるものに取り換えたことについての評価
甲9・添付図面4・Dに鍵を付けたのは,原告を外に出さないためではなく,タップの仕事を辞めることになり,引継ぎや残務整理に集中する必要があったが,被告宮村から残業するなと指示をされていたためであり,退職した後は,元のドアノブに取り替えている(被告■<後藤徹氏の兄>調書23,24頁,乙イ1)。
図四

ドアノブの鍵は,居間の衣装ケースの上に置いてあったが,実際に,原告が,甲9・添付図面4・Dの鍵を開けて外に出ようとしたことはなかった(被告■<後藤徹氏の兄>調書24頁)。なお,検察審査会は,この点について,「鍵のかかるドアノブに取り替えたことも,■<後藤徹氏の兄>の退職の時期とも合致しており,虚偽であるとは言えない。」と被告■<後藤徹氏の兄>の弁解の正当性を認めている。このように,玄関とリビングの間のドアノブを鍵のかかるものに取り換えた理由は,あくまでも,被告■<後藤徹氏の兄>が仕事に専念するためであり,原告を閉じ込めておく目的のためではない。

(8) 平成16(2004)年8月,被告■<後藤徹氏の兄>がタップに再就職したことの評価
 被告■<後藤徹氏の兄>は,株式会社タップを退社した後,人材派遣会社で派遣社員として勤務しながら正社員として就職先を探していたが,なかなか就職先が見つからなかった。そのような折,株式会社タップの先輩社員から同社で欠員が出たからもう一度一緒に働かないかと誘われ,平成16(2004)年8月に株式会社タップに再就職した(被告■<後藤徹氏の兄>調書19頁)。このような経緯からも明らかなように,被告■<後藤徹氏の兄>の株式会社タップへの就職と原告との話し合いは全く関係がなく,平成16(2004)年8月に被告■<後藤徹氏の兄>が株式会社タップに就職したことは,被告宮村がその後の被告■<後藤徹氏の兄>らと原告との話し合いに相談,関与したことを意味するものでは決してない。

(9)原告が祖母の葬式に出席していないことの評価
 原告が祖母の葬式に出ていないのは,第三回目の断食中であったためであり(被告■<後藤徹氏の妹>調書18,19頁),原告は祖母の葬式に行きたいとも言っていない(被告■<後藤徹氏の兄>調書26頁)。それだけのことであり,原告が拉致監禁されていたが故に,祖母の葬儀に出席しなかった訳ではない。

(10)原告による三回の断食と断食後の食事についての評価

ア 断食のきっかけ
(ア)原告の断食のきっかけは,監禁に対する抗議等ではなく,ノートや韓国語のテキストが欲しいという要望に対し,家族の者が応じなかったことがきっかけであり,統一協会の教義で言うところの蕩減条件を立てることが目的であり,恐らくは,家族に統一原理を受け入れてくれるようにと願っていたものである(被告■<後藤徹氏の兄>調書25頁)。統一協会信者にとって,断食とは,決して大げさなものではなく,日常的なものに過ぎず,ひんぱんに行われるものである。そのことは,被告■<後藤徹氏の兄>ら代理人荻上と原告との間の以下のようなやりとりからも明らかである。

それから,1回目の断食,甲9の30ページを見ると,21日の断食の後,約1か月かけて重湯からお粥,お粥から普速食にと戻していきましたと,さらっと書いてあるんだけど,これ自体は別に特に普通のことということで,よろしいですか。断食明けの食事として。
    違いますよ。5か月間ですから,それ。
1回目だよ。
    1回目はそれでいいと思います。
これは別に特に問題ないんだ。
    問題ないです,はい。

 すなわち,統一協会信者である原告にとっては,3週間の断食をすることも当たり前で,普通食に戻すまで1ヶ月かけることも当たり前であるという認識があり,この認識は,元統一協会信者である被告■<後藤徹氏の兄>らにも共有されていたものである。裁判所においては,被告■<後藤徹氏の兄>ら兄弟の間においては,断食をすることも,断食をした後,普通食に戻すまで一月かけることも当たり前であるという共通認識が存在したという御理解の元で本件の審理に臨まれる必要があるのである。

(イ)なお,この点について,検察審査会も「平成16年,17年,18年の4月に断食を行ったことは事実であるが,被疑者は,断食は統一教会の行いの一つであり,一般的な言葉で言い換えると願掛けのようなものであると述べ,1回目の断食を行うに至った理由ははっきりしないが,申立人のトレーニングをしているかけ声がうるさいと■<後藤徹氏の兄嫁>が注意したことから口論になり,それから断食を始めた。2回目はハングル語の教材の要求を拒否されたことから,3回目はノートを要求して拒否されて,それぞれ始めており,監禁に抗議してというものではなかったという被疑者の主張は理解できる。」と被告■<後藤徹氏の兄>らの主張の信用性を肯定している。
 このように,原告による三回の断食は,拉致監禁に抗議したものではない。

イ 断食後の食事について
 2回目の断食後の食事が普通食に戻ったのは,原告が主張するように7か月ではなく,1ヶ月程度であり,3回目の断食後の食事が普通食に戻ったのは,2か月後であった(被告■<後藤徹氏の妹>調書19頁)。これ自体,前記したような,数週間に亘る断食をすることも,断食をした後,普通食に戻すまで一月かけることも当たり前という被告■<後藤徹氏の兄>ら兄弟の間における共通認識を前提にすれば,別段奇異なことではないのである。3回目の断食は,断食期間が30日と長かったため,普通食に戻すまでの期間が延びていたに過ぎない。実際,原告が食事について文句を言ったことはないが(被告■<後藤徹氏の妹>調書60頁),これは,被告■<後藤徹氏の兄>ら兄弟の聞において断食することも,断食後,時間をかけて普通食に戻すことも当たり前であるという共通認識があった以上,当然である。

 なお,これに対し,原告は,2回目の断食後の食事が普通食に戻るまで7か月間かかり,その間は,調味料,生米,生ごみを漁り,飢えをしのいでいた旨を主張するが(原告本人調書44頁)荻窪フラワーマンションにおいては,毎日,食事を作っていたので,冷蔵庫や棚には食材が入っており,生米,生ごみや調味料を漁る必要はないし(被告■<後藤徹氏の妹>調書19,20頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書20, 21頁),間食を咎めたこともないし(被告■<後藤徹氏の兄>調書26頁),炊飯器を買い替えたこともないから(被告■<後藤徹氏の兄>調書26頁),かかる原告の主張は事実に反することが明らかである。

 3回目の断食後の食事については,普通食に戻した後も,原告だけが特別メニューではあったが,それは,原告が何度も断食をやってやりまくると言っていたので,また,いつ断食をするか分からないと考え,断食中とギャップのない栄養バランスを考えた食事にしようと考えていたためであり(被告■<後藤徹氏の妹>調書20頁),乙イ37のようなバランスのとれた食事であり,甲田光雄という人の本を参照し,健康には配慮し(被告■<後藤徹氏の妹>調書21頁),また,栄養価についても1日2000キロカロリーくらいで計算していたものであり(被告■<後藤徹氏の妹>調書20,49頁),配慮こそあれ,何ら,制裁的な意味合いを持つものではなかった。

ウ 原告に選択の自由があったこと
 そもそも,原告に食事についての不満があるのであれば,被告後藤家としては,原告に対し,平成10(1998)年9月か10月頃から,原告に対し,出て行きたいなら,荻窪フラワーホームから出て行くようにと促しており(被告■<後藤徹氏の兄>調書27頁,被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書15,16,61頁),また,原告自身,3度目の断食が終わった頃から,被告■<後藤徹氏の兄>らは,出て行きたいなら出て行ってもいいと述べていた旨を認めているから(原告本人調書49頁,甲9・34頁),マンションを退去するか,自分で食事を手配すれば済む話であり,何ら不法行為となるものではないことを付言しておく。

(11) 平成20(2008)年2月10日,原告を荻窪フラワーホームから外に出したときの様子,及び,その原告の健康状態について

ア 外に出した意図
 被告後藤家が,原告をマンションの外に出した理由は,あくまでも,真面目に話し合いに向き合わず,被告■<後藤徹氏の兄>がちゃんと話し合いをするか出て行くかを決めてくれと迫っても曖昧な態度を取り続けたため,反省を促すために外に出したものであり(被告■<後藤徹氏の兄>調書29頁,被告■<後藤徹氏の妹>調書21頁),そのまま,原告が立ち去ってしまうことは想定していなかった(被告■<後藤徹氏の兄>調書29頁)。

イ 原告の体力,健康状態
(ア)平成20(2008)年2月10日に原告を家族で引っ張って外に出した時,原告は外に出されることについて抵抗し,かなり力もあったし(被告■<後藤徹氏の兄>調書29頁,被告■<後藤徹氏の妹>調書21頁),甲1の写真の様に痩せてはいなかった(被告■<後藤徹氏の兄>調書28頁,被告■<後藤徹氏の妹>調書21頁,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書21頁)。なお,原告も,39kgという体重は測り間違いであることは認めている(原告調書107頁)。

(イ)原告は,毎日,スクワットや10kgもある重いテーブルを持ち上げる運動を一日15~30分程度していた(被告■<後藤徹氏の妹>調書22頁,被告■<後藤徹氏の兄>調書29頁,乙イ7・34頁)。なお,甲第57号証の3の世界日報「拉致監禁の連鎖」においても,原告が,「毎日欠かさず体を動かした。スクワットと腕立て伏せ,3分ほどの足踏みなど,1日15分ぐらいは運動を続けていた。」と述べており(なお,原告調書107頁),原告には相当程度,体力があったことは明らかであるし,体力がない限り,助けを求めることもなく,渋谷まで歩こうという発想は出て来ない。

(ウ)被告後藤家が,準備書面(5)において詳述したとおり,荻窪から渋谷までは健常人であっても,約2時間以上かかる道のりであり,これは,到底,原告がその主張通りに衰弱していたとすれば,到底歩き通せる距離ではないことは明らかであり,しかも,中野坂上の交差点までの青梅街道沿いには,成宗交番,杉並消防署,杉並区役所,杉並警察署,東田町交番,杉並消防署馬橋出張所,新高円寺駅前交番,高円寺交番,中央5丁目交番,鍋屋横丁交番,中野消防署,中野警察署,中野坂上交番が存在し,原告が助けを求めることが出来る公的な機関は幾らでも存在し,また,上記道程には,サンクスが3軒,デイリーヤマザキが1軒,ファミリーマートが7軒,セブンイレブンが6軒,ローソンが6軒,その他のコンビニが3軒,ガソリンスタンドが2軒,公衆電話が22か所存在し,原告が真に衰弱し,困窮していたのであれば,駆け込んで助けを求め,110番,あるいは,119番通報を頼む先は幾らでも存在し,通行人に助けを求めることも出来た筈であるから,原告が本当に助けを求めずに歩き続けたというのであれば,その事実自体,原告に十分な体力と気力があったことを裏付ける重要な事実であると言え,原告が栄養失調等のために衰弱していたという事実が存在せず,逆に同人が十分に健康であり,体力と気力があったことは明らかであるというべきであり,甲1の写真,原告がその主張の依拠とする医学的な記録の慣用性は疑わしいというべきである。

(エ)原告は,甲1の写真,及び医学的な記録を提出し,自らが栄養失調の為に衰弱していたことを立証せんとしているが,そもそも,39kgという体重の測定値自体が間違っていることを原告本人が認めており(原告調書107頁)原告の主張の大前提は崩れている。
後藤徹氏衰弱写真
<39kgという測定値は間違っていたと原告自らが認めたとはとはいうもののこの激やせぶり>


  また,経験豊富な内科医であるIY医師は,乙イ23の意見書において,甲93の3(栄養管理計画書)について,「日付を見る限り,管理栄養士は栄養計画を入院翌日の2月12日に記載しています。この際,左上の患者名・生年月日・カルテ番号(?)と思しき番号を訂正しています。栄養計画の内容について,管理栄養士は,右上,評価項目の欄で,「食事摂取量が低下している 右側に『なし』に○」,「血清Alba値3.5 g以下(4.4)右側に『なし』に○」,「Hb10/g以下(2.1)記載なし」と記載しています。この記載内容からは,管理栄養士は患者さんは,飢餓状態ではなかったと認識していたと思われます(一般にこの評価項目は飢餓状態の鑑別に使われますが,通常アルブミンが3.5/d1を切ったら低栄養状態とされますが,この患者さんは該当しません。)。」と述べ,また,同医師は,同イ25の意見書において,「小出医師は反論意見書(甲第116号証)の6ページで,リ・フィーディング症候群の存在を根拠に患者が危険な状態であることを強調しているが,入院時の栄養管理計画書には食事は常食(2020kcal)+主食のみ大盛りと記載され,入院指示票にも食事・常食,飲水フリー,安静度病棟フリー,排泄もポータブルトイレ可あるいはトイレ歩行可,入浴も可,血圧一日2検,体温一日2検 体重測定も週1回としており,通常重症患者に行われる血圧4検,体温4検は行われておらず,患者を集中治療室に移して管理した様子は認められない。少なくとも入院指示を出したS医師は患者の状態が深刻な状態と認識していたとは認めがたい。」との意見を述べており,原告の健康状態が深刻な状態ではなかったことは明らかであり,原告の主張には著しい誇張があることを明らかにした上で,乙イ23の意見書においては,「医学的な所見からは,確かに長期外出していないことによる手足の萎縮と痩せは認めるものの,医学的には,元々食事の量が少なく,病的な意味ではなく痩せた人が病院で食事して,ある程度体重が増えた以外のことはこのカルテからは読み取れません。病気は特に認められず健康な様です。」,乙イ25の意見書においては,「医学的には,標準より著しく痩せてはいるが,栄養障害をきたすような病気がない人が,病院で適切な治療を受けて体重が増えた以外のことはこのカルテからは読み取れません。」との所見を述べている。

 そして,東京警察病院の管理栄養士も,「後藤家での食事は,必要カロリーからは不足しているが,基礎代謝が著しく低下していると思われるので,外出せず,運動量が少なかったこと等から消費カロリーが通常より少なかったとすれば,直ちに健康を害するほどのカロリー不足だったとは思われない。血液検査の結果を見る限りは,深刻な栄養不良状態であったとは思えないと述べている。」との判断を示しているが,この判断自体,原告の食事に関する一方的な言い分に基づくものである可能性があり,「後藤家での食事は,必要カロリーからは不足している」という認定については,信用性が定かではないと言うべきである。

(オ)以上のとおり,原告の健康状態,栄養状態には大きな問題がなかったことは明らかである。

(12)原告が実家を訪問したことについて
 原告は,荻窪フラワーマンションを出た後に,1人で実家を訪問しているが,真実,原告が12年間以上も監禁,棄教を強要されていたのであれば,そのような行為に出る筈がない

(13)棄教の強要を否定する事実について
 被告■<後藤徹氏の兄>は,原告の求めに応じて統一協会の本を購入して与えており,原告が統一協会の教義の勉強をすることは自由で,原告は統一協会の教義である統一原理をノートに記載してまとめる等しており,これらをまとめたノート,メモ帳等は数十冊と多数存在していた。
 また,原告が早朝祈祷をしても制止されたことはなく,被告■<後藤徹氏の兄>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>及び被告■<後藤徹氏の妹>もかつては統一協会の信者であったことから,強要して棄教をすることが出来ないということは十分承知していた(この点については,「6 話し合いが長期間に及んだ理由について」において詳述する。)(なお,上記2段落について乙イ1参照)。
 これらの事情に鑑みれば,原告に統一協会の信仰について自分の頭で考え直して欲しいと考えている被告後藤家が,脅迫などの手段により,棄教を強要することはあり得ないというべきである。

(14)まとめ
 以上のとおり,原告に対する監禁,脅迫,棄教強要,あるいは,傷害の事実が存在しないことは明らかである。


6 話し合いが長期間に及んだ理由について


(1)初めに
 本件においては,家族の間の話し合いが12年間以上もの長期に亘って続いているが,これは,通常では考え難い事態ではあるものの,現役の統一協会信者である原告の心理状態について理解すれば,原告が12年間も家族と話し合い,ないし,対峙を続けたことは不思議でも何でもないことが明らかとなる。
 以下,敷術して論ずる。

(2)被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>の供述

ア 初めに
 被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>はいずれも,元統一協会信者であり,原告の肉親であるから,被告後藤家は,家族との関係に関する統一協会信者特有の心理状態について熟知しており,その供述内容は,原告の心理状態について理解する上で有益である。

イ 被告■<後藤徹氏の兄>の供述
 被告■<後藤徹氏の兄>は,概要,以下のとおり供述している。

①原告が話し合いに正面から向き合わないのは,自分の信仰が脅かされるからであり,また,家族の救いは自分の救いにも結び付くものであることから,家族との関係を断ち切ることが出来ないという葛藤していたためであると思われる(被告■<後藤徹氏の兄>調書23,27,28頁)

②原告がマンションから出て行かなかったのは,家族との関係が断ち切れ,家族の救いに支障を来たしてしまうことを恐れたのと,アベルの指示ではなく,自分自身の意思で家族との関係を断ち切るという決断をした場合,自分自身の責任となり,しかも,氏族メシアとしての使命を放棄することに繋がりかねないからである(被告■<後藤徹氏の兄>調書27,28頁)

③原告は,信仰的に神様が働いてくだされば,あなた方も改めて統一原理を受け入れてくれるそういうことだって当然あり得るんですよ,と常日頃から言っていた(被告■<後藤徹氏の兄>調書28,29頁)。

④統一協会の価値観は通常とは異なり,この世で生きている時間よりも死んでからの永遠の時間を重視し,家族と共に天国に入ると教えられているので,10年以上も家族との話し合いで費やすことに対する不安はない(被告■<後藤徹氏の兄>調書28頁)

ウ 被告■<後藤徹氏の妹>の供述
 被告■<後藤徹氏の妹>は,概要,以下のとおり供述している。

①原告は,家族でただ一人の統一協会信者だったので,家族を救わなくてはならないという想いがあり,また,自分から話し合いを止めてしまえば,そこで家族の縁も切れてしまい,家族の救いを自分の手で断ち切るのが嫌だったと考えている(被告■<後藤徹氏の妹>調書22,23頁)

②原告が出て行かなかったのは,家族の救いが閉ざされるから(被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁)

エ まとめ
 被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>の供述を纏めれば,原告が氏族のメシヤとして家族を救う使命感を持っており,自分から,話し合いの場から離れ,家族との関係を断ち切ることにより,家族と自分の救済について責任を負うことになるのが嫌であるという心理状態に原告はあったということになる。

(3)原告の供述

ア 原告の主張
 この点,原告は,氏族メシアの使命を果たすためには,国際合同結婚式に参加して,理想家庭を築かなくてはならず,一人では,氏族メシアとしての役割を果たすことは出来ないから,氏族メシアとしての使命感から家族の元に止まり話し合いを続けることはあり得ないと主張する。
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<国際合同結婚式>

 しかしながら,原告は,祝福家庭ではない壮婦に対し,氏族メシアとして家庭伝道をするように勧めることはあったと認めており(原告本人調書111頁),祝福家庭を築くことは氏族メシアとしての必要条件ではないことは明らかであるし,また,原告は,捜査機関に対しては,統一教会の教えとして,家族に教え広めて手を差し延べる対象であることや,■<後藤徹氏の兄>,■<後藤徹氏の兄嫁>,■<後藤徹氏の妹>が教祖を裏切っており,当然天罰を受けることになるとの思いから,家族の誤解を解いて救いたいという気持ちがあったと述べているから(乙イ1),原告のかかる弁明は事実に反することが明らかである。

イ 原告の供述
 一方で,原告は,氏族メシアの使命はとても重要であることを認め(原告本人調書128頁),自分の故郷に帰り,反対する者のところにも赴かなくてはならない(原告本人調書129頁),統一協会に反対する人を屈服させるくらいの決意をもってやらなくてはならないとも述べており(原告本人調書129頁),原告が氏族メシアとしての使命感を有していたことは間違いないところである。

(4)統一協会信者との話し合いが長引く理由

ア 統一協会信者になるということ

(ア)統一協会に献身した信者は,統一協会や文鮮明だけでなく,日常生活をともにしている先輩格の信者達(これを統一協会では「アベル」と称している)の指示を絶対に正しいものと信じて,長期間その指示に従って生活している。
 すなわち,何時に起きて何をし,何を日標にどう考えて何に取り組むか,その全てを組織の指示によって長年活動し続けているのである。統一協会にいる間は,全て先輩格の信者(アベル)が信者の生活や嗜好を統括管理しており,全ての献身者が組織的な目標(「摂理」などと称している)の達成に向けて24時間活動している。同じ統一協会の「ホーム」で共同生活をおくり,同じ「目的」のために活動してきた信者相互間の連帯感も強固にさせられている。統一協会の内部では,このような信者相互の関係を「心情的なつながり」と表現している。

(イ)まして上意下達の強固な命令系統はアベル(上司)・カイン(部下)とよばれ,「絶対屈服・絶対服従」が必要だと教え込まれ厳密に管理されている。
 つまりアべルの命令は絶対であり,そのアベルの一番上のアベルがメシヤとされている文鮮明である。そして「統一原理」によれば堕落人間(一般信者)は自分で考えて自分で判断することを罪と教え,常にアベル(上司)への報告・連絡

・相談(報連相)を徹底させるように繰り返し指導している。
 献身した信者は,統一協会内部での教え込みによって,たとえ現行法に反することをなし,あるいは社会的に強く批判されているとしても,自分は正しいことをしていると思いこまされる。今は家族も反対しているが,将来(死後の霊界でのことも含む)には,必ず自分の統一協会での活動に深く感謝してくれるはずだ,と信じ込むようになる。だからこそ自分のためだけでなく家族のためにも,ひいては日本や世界の人々のためにも命がけで統一協会の活動を行っているのである。「この世の法律より天法(教祖文鮮明の命令)が優先する。」「大いなる善(統一協会の目的)のために小さい悪は許される」という考え方に凝り固まっている信者の価値観は,常識や善意の評価を含めて,すでに大きく変えられているので容易に通常の会話は成り立たないのが実情である。

イ 話し合いを困難にする統一協会の教育

(ア)統一協会員は,家族の話し合いに対する対策として,統一協会・文鮮明に対する信仰を妨げるような話を本気になって聞いてはならない(統一協会では,これを「相対基準を立てない」と言う。)と教育される。そしてサタンに霊的に惑わされ「落とされる」(信仰を奪われる)ことのないように,本気で家族の話を聞いてはならないと教え込まれる。統一協会では,批判的な内容は反対勢力のデマだとか事実ではないなどと教え込み,メシヤに対して不信感を抱かせるような情報はサタンの策略だから本気で受け止めることのないようにと指導するのである。情報を普通に得てそれに基づいて自分本来のまともな頭で正しく判断することをできなくさせるのである。

(イ)統一協会では人間は堕落していて罪深いので,自分で考えると間違ってしまうと教えられており,自分で考えるということ自体が自己中心的で悪いことで,より神に近いアベル(上司)の指示に従わなくてはいけないと教え込まれ,それが習慣づけられる。その上に,統一協会に批判的な情報を拒絶するように教育されているので,自分自身で統一協会の教義や活動内容を検証したり,教えを見直してみるという心理状態になるのは極めて困難である。
 統一協会・文鮮明を一度受け入れておきながらもし裏切ったら,裏切り者として地獄の中でも最悪の場所(地獄の奥底)で永遠にもがき苦しむことになるとも教えているので統一教会の教義や活動内容を疑うこと自体が信者にとって恐ろしいことなのである(乙ハ33・12頁参照)。

ウ 話し合いの目的

(ア)被告後藤家は,自らが元信者であった経験及びその後の統一協会について勉強した情報から,統一協会の活動には,上述した宗教団体にあるまじき極めて重大な問題が内在していると考えていた。被告後藤家は,家族として,原告が統一協会の信者であること自体が原告本人にとって大変な問題であり,違法行為を行わざるを得なくなることを含めて望ましくないことと考えていた。
 先ほど述べたとおり,統一協会においては,「統一原理」により,堕落人間(一般信者)は自分で考えて自分で判断することを罪と教え,常にアベル(上司)への報告・連絡・相談(報連相)を徹底させるように繰り返し指導しているため,統一協会信者本人が自分の判断でものごとを決め,社会人として自立するためには,たいへんな努力が必要なのであり,その苦しみを家族が長い目で愛情をもって支えることが必要不可欠となる。

(イ)したがって,被告後藤家の話し合いの目的は,原告を統一協会から辞めさせることにあるのではなく,原告が,自立した思考をすることができるようになり,自らの頭で,統一協会の問題,家族との関係,今後の人生について考えることができるようになってもらうことである。原告が,統一協会の問題点や家族関係についてどのように考えるか,また,原告が今後どのような道を歩むかについて決めるのは,あくまで原告自身であるし,そうでなければならない。

(ウ)今回の件は,統一協会の言う,脱会ありきの信教の自由を無視した強制改宗というものでは断じてない。また脱会させるという意識が強いほど,本人は反発するので家族と信頼関係が結べず,本人が自分自身を見直し,統一協会との関わり方を自分なりに見直すということがなかなかできない。単に脱会させればいいという考え方こそ間違っており,なぜ本人が統一協会の教えに惹かれていったのか,親子関係は,夫婦関係は,兄弟関係はどうだったのか,親として家族として本人に人生の指針を与えてやれていたのか。家族の中に潜む問題にまで思いをはせ,このことをきっかけに,心のうちを気兼ねなく吐き出せるような家族関係を作り,お互いがお互いを心底信頼できる家族となることこそが本当の目的なのである。

エ 話し合いの方法について
 話し合いにおいて,被告後藤家は,原告に対し,統一協会をやめるべきだと言ったり,そのための説得をしたことはない。原告が正しい情報に基づいて悔いのない人生の選択ができるよう情報を提供し,話し合うことにつとめてきた。
 上述したとおり,統一協会信者は,「この世の法律より天法(教祖文鮮明の命令)が優先する。」「大いなる善(統一協会の目的)のために小さい悪は許される」という考え方に凝り固まっているし,統一協会に反対する家族やカウンセラーをサタン側の人間であると思い込まされている。そのような信者に対し,統一協会を辞めるように強要することは,信者の反発を買い,話し合いをより一層困難にするだけである。
 統一協会の考え方は本当に正しいことなのかどうか,統一協会信者を理解して,彼らの信じ込まされている真の意味での家族関係のあり方や人類の救い,あるべき今後の人生などについて,家族が信者本人と一緒に悩み考える姿勢があって,はじめて会話が成り立つのである。被告後藤家は,元信者であるから,原告との話し合いに臨むにあたっても,頭ごなしに統一協会を批判したり,辞めるように述べることの無意味さを当然に理解していたのであるから,そのようなことをすることはあり得ない。

オ なぜ,話し合いが長期間に及んだのか

(ア)被告後藤家は,なぜ長期間話し合いに付き合ったのか
 原告は,話し合いをする中で,家族の考え(統一協会は宗教団体と言いながら反社会的なことをなぜ偉者にさせるのか等々)を全面的には否定できず,考え込んだり迷うような態度を見せたりもしていたので,被告後藤家はあきらめることなく,集中的に話をしたり,あえて話をすることなく,様子を見たりしながら,試行錯誤を繰り返していた。時には,話し合いを打ち切り,マンションを出るように促したこともあったが,原告は,自ら出て行こうとしなかったので,家族は,期待と希望を持ち続けたのである。

 被告後藤家は,元信者であり統一協会の考え方や行動パターンをよく知っており,価値観を捻じ曲げられ人間性を破壊され,多くの人に迷惑をかけながら生きていかざるを得ない統一協会信者として生活していくことになる原告を放置しておけないと考えるのはしごく当然のことある。
 いずれも元統一協会員として,その心理状況を十分に理解しているので,原告が考え込んだりふさぎこむ様子を見て,原告が統一協会の信仰を続けることについて葛藤していると思うこともしばしばあった。

 また,被告後藤家は,自分達が統一協会の間違い(考え方,教え,活動等)がわかった時の経験や,他の元統一協会員の人たちの経験談を聞いたりして,原告が,何時どういう些細なことがきっかけで間違いに気づくかわからないとも考えていた。
 被告後藤家は,原告が自らの頭で考えて統一協会の誤りに自分で気付いて考えてくれる可能性に期待して,忍耐して話をしたり,あえて話をしないで様子をみたりしていたのである。被告後藤家は,明日,三日後,一週間後,一月後には,ふと我に返るが如く,統一協会の問題点に気がついてくれて変わるかもしれない,と強い期待を持ち続けて話し合いを続けていた。家族があきらめてしまえば,原告が統一協会の間違いに気がついて自分自身の人生を取り戻すことは出来なくなるという想いがあり,原告も,話し合いの場所から出て行こうとしないため,家族としては,期待し続け,あきらめなかった結果,話し合いが長期間に及んだのである。

(イ)統一協会での生活との比較
 統一協会での献身生活は,いつも献金の目標金額や,伝道人数の達成の指示に追い込まれ続けており,切羽詰まった生活である。信者等は,自分たちの働き如何で日本や世界が滅びるかどうかが決まると教え込まれており,強いプレッシャーがかけられており,借金をしてまで献金させられるのである。

 原告にしてみれば,氏族メシヤとしての使命を果たすという大義名分のもと,家族に衣食住の生活の面倒を見て貰いつつ,テレビや新聞を見たり,統一協会の教えの勉強や歴史,経済,思想,語学などの勉強に没頭することが出来る環境は,統一協会の献身者としての生活よりも,精神的,肉体的な負担が少ない状態で借仰者としての責務を全うすることが出来る環境であり,容易に離れがたいものであったのである。

(ウ)統一協会信者は,メシヤの指示に従って生き,原罪が精算され,永遠の命を得て地上天国に入ることが最重要で,そのために必要なことと教えられたことならば,霊感商法や違法な伝道も使命としてやるようになることを考えれば,原告が,自分の救いのため,また,後述する氏族のメシヤとしての責任を全うするために,自由に出ることが出来たにもかかわらず,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を玄関の外に出すまで,マンションに留まり,家族と共に生活し続けたことは,何ら不自然なことではないのである。原告の行動は,統一協会による教え込み,教化を前提にすれば,了解可能な行動なのである。

(エ)なお,原告がマンションにとどまり続けた理由について「絶望で抵抗する気力を失った。」「偽装脱会をしていたため,監視がなくなり逃走が確実にできる状態になるまで辛抱強く機会を待つ以外なかった」「体力の衰弱」などと,縷々長々と言い訳を述べている。
 しかし,原告のこれらの言い訳は,むしろ,少なくとも客観的状況としては,原告が話し合いの場所に移動する際の平穏さ,話し合いを継続することについては原告の了解の上でのことであったこと,いつでもマンションから出て行こうと思えば可能な状況であったことを,原告自身が認めているに等しい。「絶望で抵抗する気力を失った」などという言い訳は,長期間の話し合いにもかかわらず,統一協会の信仰を持ち続けた強固な意思の持ち主である原告の態度とは相容れない。原告の上記の如き言い訳は,本当に話し合いをすること自体を拒否するよう指導している統一協会の方針にも反する独自のものを思われる。

(5)乙イ2(祝福と氏族メシア)の記載内容と原告がマンションを出て行かなかった理由

ア 氏族メシヤの考え方
 統一協会における「氏族のメシヤ」の概念は,文鮮明が全人類のメシヤ=救世主であるように,統一協会信者は自分の血縁(氏族)に対するメシヤとなり,命がけで救いに導く責任がある,ということであり,救いとは単純にいえば統一原理を信じさせ,文鮮明を救世主と信じる信仰を持たせ,統一協会の信者にさせるということである。

 統一原理によれば,人類はその始祖アダムとエバの堕落から,まず家庭的に,次に氏族的にさらに民族的に,国家的に,世界的に堕落が広がったと考え,人類救済の道もまず個人,家庭,それから氏族,民族,国家,世界と段階を踏んでなされるとされており,統一協会の信者は,血縁関係のある一族のメシヤの立場に立ち,氏族に統一原理を信じさせなければ世界を地上天国にすることはできない,と教えられており,強烈な使命感と責任感を負わされている。

 マンションから出ていけるのに出て行かない等の,通常では考えにくい行動も,統一原理的には家族を永遠の滅びから救済するための行動であり,何ら不思議ではない。家族に悪徳商法の問題や,組織や教えの矛盾を指摘されても,(統一協会的な)愛のある態度で尊敬と信頼を勝ち取り,統一協会の信仰の正しさを認めさせなければいけないのが「氏族のメシヤ」たる統一協会員の使命である。

イ 原告が,熟読していた乙イ2「祝福と氏族メシヤ」の4ページには,「『氏族的メシヤたれ』とは,成約時代を歩む統一協会の全食口の目的であり,それなくして私たち個人の完成もありえないし,復帰摂理の歴史の目的である地上天国実現もありえません。」と書かれており,「氏族メシヤ」が統一協会における最重要概念であることは明らかにされている。そのほかにも,同書には,「皆さんは氏族を救うために,どんなに困難でも生涯迫害されても逃げてはいけません。それを歓迎し続け,正面で受けます。正面から困難なサタンの行為を歓迎しなさい。それが先生のとった道なのです。」(乙イ2,32頁),「だから,氏族的メシヤである皆さんが,再臨主の前に,皆さんの家庭と氏族的基盤を連結させる,その責任分担がどれほど重要かということを知らなければなりません。すなわち,皆さんの父母は堕落した今の世界で皆さんを生みましたが,皆さんの蕩減復帰によって皆さんの父母圏が天の国に入籍され,そうしてサタン圏を逃れて天の国で皆さんが生まれる,そのような基準まで上がっていくのです。」(乙イ2,43頁~44頁)などと,両親や家族を救うことが,教義的に非常に重要だということが述べられている。また,「メシヤという立場は父母の立湯であり,父母は真の愛をもって子女のために自分のすべてをささげていくのです。父母の心情は堕落世界においても変わらず,荒漠たるこの世において唯一残っている真の心情です。それを感じさせる実体が父母の立場なのです。したがって,子女を愛する父母の心情で完全投入するとき,はじめて氏族の主人として立つことができるのです。」(乙イ2,50頁)などと,統一協会員が自分の親を導く際には,父母の立場で親が子供を愛するように愛さなければならず,親が破滅に向かっている子供を命がけで助ける気持ちで伝道するようにと述べられている(教義的にも子どもが親を救いに導いた場合は子どもが「霊の親」となる)。

ウ 原告は,フラワーマンションで共に生活していたとき,最後まで「神が働けば家族が原理を信じることも不可能じゃないんだよ。」と言っており,統一協会の教えについて語っていた。統一協会の信者にとっては家族を救うということが,自分の救いや地上天国の完成にも密接に関係してくることであり,永遠の命がかかっていると思えばこそ,自分のやりたいように生きる生活よりも,家族とともに生活し,尊敬に値するすばらしい人間であるという証を立てて,愛をもって家族を屈服させ,統一原理を共に信じて生きていけるようにするのが自分の使命=「氏族のメシヤ」である,と原告は考えていたものと思われる。特に後藤家にとっては統一協会信者が原告のみとなってしまい,「自分が統一協会から離れてしまったら家族や親戚が天国に行く道を断ち切ってしまう。自分は氏族にとって最後の砦だ。」と考えていたはずである。統一協会を離れたら死後地獄に落ちるという恐怖ともあいまって(統一協会の機関誌ファミリーには,統一協会を脱会した人は地獄に行くと書いてある。乙ハ33・12,13頁以下),その責任感と使命感はさらに強烈になっていたものと思われる。

(6)まとめ
 以上のとおり,12年間にも亘って,話し合いを続けた原告の行動及びこれに付き合った被告後藤家家族の行動は,統一協会による教え込み,教化を受けている現役信者の心理状態,統一協会による教え込み,教化の中身を熟知している元信者である被告後藤■<後藤徹氏の兄>らの立場を前提にすれば,十分に了解可能な行動なのである。

7 本件訴訟は,あくまでも,統一協会による拉致監禁キャンペーンの一環であり,被害の救済を求めるものではないこと

(1)初めに
 前述したとおり,原告に対する監禁,脅迫,棄教強要,あるいは,傷害の事実が存在しないことは明らかとなった。原告が話し合いの場を離れようと思えば離れられる状況にあったことは明らかであり,その事実は,刑事事件の捜査を通じて明らかとなったにもかかわらず,原告は,本件の民事訴訟提起に踏み切った。その真意はどこにあるのか。それは,統一協会が自らの行っている霊感商法等の違法行為から世間の目をそらし,また,自分達の邪魔になるカウンセラーや弁護士を攻撃するため,あたかも自分達が迫害されている「被害者」のように見せかけるための拉致監禁キャンペーンを広めることにある。

(2)原告の位置づけ
 原告は,統一協会の「拉致・監禁キャンペーン」において,「聖人」,「殉教者」として祭り上げられている(乙イ8,9)。
 また,通常は一介の信徒では到底会えない,日本のトップである洪蘭淑<裁判所の調書作成時のミスと思われる。洪蘭淑という人物が日本のトップだったことはない>だけではなく,文鮮明の子女である文国進(ムン・クッチン)や文仁進(ムン・インジン)と何回も面会し(原告調書114,115頁),世界中で何十回も自身の「体験」を話している(原告調書115頁)。
 原告訴訟代理人の福本和也弁護士も統一協会の現役幹部信者である。
 このように,原告自体が拉致監禁キャンペーンにおいてとても重要な役割を果たしている立場にある。

(3)拉致監禁キャンペーンの欺瞞性

ア 拉致監禁キャンペーンの欺瞞性については,既に,乙イ20, 同イ21,同イ46において詳述したところであるが,統一協会が拉致監禁キャンペーンをよりセンセーショナルなものとするために,明らかに事実を捏造し,また,十分な根拠もなく人を誹誇中傷していることを明らかにし,拉致監禁キヤンペーンの欺瞞性を一層明確にしたい。

イ 例えば,乙イ21には,仁進(インジン)の発言内容として「ディプログラミング組織に150万ドル支払った」なる記述があるが,原告は,かかる内容を述べたことがないと供述しており(原告調書113ないし114頁),統一協会らが,事実を程造していることが明らかとなっているし,乙ハ27においては,被告宮村の愛人であるという根拠がないにもかかわらず,原告はその旨を断定する内容にビラを配布している(原告本人調書140ないし142頁)。

 このように,拉致監禁キャンペーンにおいては,事実の有無は重要ではなく,統一協会の被害者性を強調し,敵対者を手段を問わずに貶めることが目的とされており,その欺瞞性は明らかである。

(4)まとめ
 本件訴訟も拉致監禁キャンペーンの一環をなすものであり,裁判所におかれては,司法が拉致監禁キャンペーンに手を貸すようなことがないよう,適正な判断を希望する次第である。                                  
以上


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2014-03-15(Sat)
 

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拉致監禁キャンペーン 

再掲載ありがとうございます。

先日、私のブログで、「法廷で相手にされなかった『拉致監禁キャンペーン』論」 という記事を書きました。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/389874562.html

今回、再掲された 兄等の最終準備書面にも、松永牧師、宮村氏の最終準備書面同様、「拉致監禁キャンペーンの欺瞞性」 を最後の最後に持ってくる熱の入れようです。

三者とも(兄、兄嫁、妹は一人と数えて)、「拉致監禁キャンペーン論」 にすがらざるを得なかった事情があったものと推察します。

さて、控訴理由書では、彼等は、いったい何を主張してくるのでしょうか? 第一審で、裁判所にも相手にされなかった 「拉致監禁キャンペーン」 を、もう一度持ってくるようなら、よっぽど ”ネタ切れ” ということでしょう。
2014-03-16 07:35 | Yoshi | URL   [ 編集 ]

拉致監禁(反対)キャンペーン、いいと思うけど。 

私は、拉致監禁(反対)キャンペーンって言葉、けっこういいと思います。

世間は、統一教会員への拉致監禁のことは知りません。
逆に統一教会が拉致監禁すると思われたりしてます。

この際だから、大々的にキャンペーンをして、世間にアピールするのは如何でしょう。
まずは、知ってもらうこと、そこから始まります。
知ってもらった上でどう判断するかは、個々人の自由です。

やっぱり統一教会は、胡散臭いから、ある程度の監禁説得は止むを得ないと思うのか、それとも、拉致監禁はイカン!と世間が動くのか・・・

被告側、反対派がキャンペーンっといったら、「そうよ、キャンペーンよ。悪い?」とニッコリ言い返したら、どうでしょう。

キャンペーンやってはダメという法律もないわけだし。
キャンペーンだから、判決が変わるわけではないのですし。

これから、キャンペーンを広げて、反対派に宣伝してもらいましょう。

何かを変えたり、事態を打開するのは、当事者じゃなくて第三者という文章をどこかで読みました。
私もそう思います。

2014-03-16 19:32 | koyomi | URL   [ 編集 ]

気楽な生活でガリガリに 

前にも読んだ内容ですが、本当に、読めば読むほど、バカらしくなりますね。
詭弁、ウソ、フィクションのオンパレードです。

統一協会の指示を絶対的に信じている、と言いつつ、原告はその指示に従わずマンションに居座った、って、なんじゃそれ。
前後で言っていることが180度違う。全く辻褄が合っていないんだよ!

一つだけ。

<家族に衣食住の生活の面倒を見て貰いつつ,テレビや新聞を見たり,統一協会の教えの勉強や歴史,経済,思想,語学などの勉強に没頭することが出来る環境は,統一協会の献身者としての生活よりも,精神的,肉体的な負担が少ない状態で信仰者としての責務を全うすることが出来る環境であり,容易に離れがたいものであったのである>

マンション生活が気軽だったから居座った、って。
だったら、なんで3回も長期の断食をするのよー!?
なんであんなにガリガリになるのよー!!!

適当なこと、言ってんじぇねーよ!(\ /)
2014-03-18 08:56 | みんな | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
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(自主脱会者)
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