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後藤徹氏裁判判決文④―裁判所の判断

更新が遅くなり申し訳ありません。
第3 当裁判所の判断 の続きからです。
下記の青字の部分が今回の掲載箇所になります。

主文

事実及び理由 

第1 請求 

第2 事案の概要

1 本件の概要

2 前提となる事案

3 争点及び当事者の主張

(1)被告被告■<後藤徹氏の兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否
ア 原告 イ 被告■<後藤徹氏の兄>ら ウ 被告松永 エ 被告法人 オ 被告宮村

(2)損害額     
ア 原告 (ア)逸失利益 (イ)治療費 (ウ)慰謝料 (エ)弁護士費用
イ 被告ら

(3)被告法人の使用者責任     
ア 原告 イ 被告法人

第3 当裁判所の判断

1 前記前提となる事実に証拠

(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
   ①ア~コ(ア)(イ)(ウ)(エ) 
   ②サ~ニ

(2)裁判所が採用しない主張
ア 原告の供述について イ 被告宮村と松永の供述について


2 被告■<後藤徹氏兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について

3 損害賠償について

4 被告法人の使用者責任について

5 まとめ


(ウ) 亡■<後藤徹氏の父>は,平成7年夏頃,被告松永に対して電話をかけ,原告が信者であることについて相談をしたい旨を告げた。
  被告松永は,亡■<後藤徹氏の父>に対し,新津教会を訪問するよう勧め,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らは,その頃から,新津教会に通い,その勉強会において,元信者や脱会説得に成功した経験を有するその家族らの作成したビデオを見たり,被告松永の話や,元信者やその家族らの話を聞いたりして,原告に対する説得を行うための準備を進めた。
松永堡智
<後藤徹氏の父が相談を持ちかけ松永牧師>


(エ) 両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らは,新潟市内の当時空き家となっていた被告■<後藤徹氏の兄嫁>の祖父の所有に係るパレスマンション多門において,被告松永の協力を得ながら,原告に対する説得を行うこととし,平成7年9月11日に原告が亡■<後藤徹氏の父>宅を訪れる予定になっていたことから,同日をその決行の日と定めた。
  両親及び被告■<後藤徹氏の兄>らは,同年6月頃,被告宮村の元を訪れ,被告宮村に対し,原告との話合いを新潟において被告松永の協力を得て行う旨を報告した。
宮村
<後藤徹氏の両親および兄が後藤氏との話合いを新潟の松永牧師の協力を得て行うことを上記の宮村氏に事前に報告した>


亡■<後藤徹氏の父>は,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の兄であるHTに対し,原告を亡■<後藤徹氏の父>宅からパレスマンション多門まで移動させるための車の準備及び運転を依頼し,また,原告の伯父であるOに対しても,協力を依頼した。また,被告■<後藤徹氏の兄>にあっては,元信者であるタップの男性従業員に対し,協力を依頼した。なお,被告■<後藤徹氏の妹>は,原告との話合いに備え,同年8月頃,当時勤務をしていた大学の書店における勤務を辞めた。

 原告の平成7年当時の統一教会での活動
  
  原告は,平成7年当時,東京都北区所在の統一教会のホームに生活の本拠を置き,統一教会の実践トレーニングの隊長と呼ばれる地位に就いて,専ら伝道活動や教育活動に従事する生活をしていた。
 原告は,当時,他の信者に対し,上記隊長として統一教会の教えや伝道の方法を指導するほか,家族から信者であることについて反対を受けた際の対応の仕方などを指導をしていた。また,原告は,自宅に帰省して脱会の説得を受ける可能性のある信者に対し,統一教会に反対する牧師が両親とつながっており,拉致・監禁や改宗の強制をされるおそれがあることから,そのような事態になった場合には偽装脱会をして戻ってくるよう指導をしていた。

 原告への2回目の拉致監禁(保護説得) 

(ア) 原告は,亡■<後藤徹氏の父>から招かれ,平成7年9月11日,亡■<後藤徹氏の父>宅を訪問し,両親及び被告らと共に食事をした。原告が亡■<後藤徹氏の父>宅を訪問した際には,亡■<後藤徹氏の父>宅の前には,ワゴン車は停まっていなかった。また,タップの男性従業員は,後記のとおり,原告が亡■<後藤徹氏の父>宅の玄関からワゴン車の方へと移動するまでの間,原告の前に姿を現していなかった。

(イ)a 亡■<後藤徹氏の父>は,食事を終えた頃,原告に対し,前記オの話合いの際にはその話合いが終わる前に原告がホームに戻ってしまったことが残念である旨を述べるとともに,再度,場所を移動して原告が信者であり続けることの是非について話し合いたい旨を述べた。

 原告は,話合いであれば亡■<後藤徹氏の父>宅において行うべきであるなどと述べ,「当初は亡■<後藤徹氏の父>の求めに応じていなかったが,その後,1時間程度話をした後に,渋々ではあったものの,自ら立ち上がり,靴を履き,亡■<後藤徹氏の父>らや亡■<後藤徹氏の父>宅において待機をしていたOに付き添われて,玄関から亡■<後藤徹氏の父>宅の外に停められていたワゴン車の方へと向かい,これに乗り込んだ。なお,原告が玄関を出て上記ワゴン車へと向かう際には,亡■<後藤徹氏の父>宅の庭先に,万が一の場合に備えて,タップの男性従業員が待機をしていた。

タップ社員
<後藤氏の実家に万が一の場合に備えて待機していたタップの社員>

もっとも,原告においては,亡■<後藤徹氏の父>らと真摯に話合いを行う意思はなく,前記の統一教会における教えに従い,亡■<後藤徹氏の父>らから求められるままに形式的には話合いに応じ,偽装脱会を行い,時期をみて,統一教会のホームに戻ることを企図していた。

b 原告は,前記aのワゴン車の後部座席の中央に,亡■<後藤徹氏の父>と■<後藤徹氏の母>又は被告■<後藤徹氏の兄>のいずれかとにその両脇を挟まれる形で座り,パレスマンション多門に到着するまでの間,行き先を告げられることはなかった。また,原告は,その間,一度も上記ワゴン車から降りることはなく,原告がトイレに行きたい旨を述べた際も,上記ワゴン車が停車することはなく,原告は,上記ワゴン車内に予め用意されていたポータブルトイレを用いて用を足した。
パレスマンション多門
<後藤氏の家族は後藤氏をワゴン車に乗せ,行き先を告げることもなく,上記のパレスマンション多門に連れてこられた。>


 新潟での生活
 
(ア) 原告は,平成7年9月12日から平成9年6月22日まで,パレスマンション多門に滞在した。パレスマンション多門には3部屋があり,そのうちの1部屋は閉ざされていて誰も立ち入ることのできない状態にあった。両親,被告■<後藤徹氏の兄嫁>及び被告■<後藤徹氏の妹>は,残りの2部屋のうちベランダに面した部屋を使用し,原告は,上記のベランダに面した部屋と閉ざされていた部屋とに挟まれた部屋を使用していた。また,原告が使用していた部屋から玄関に向かうためには,構造上,両親らが使用する部屋を通る必要があった。なお,上記のベランダに面した部屋の窓は,開かない状態にされていた。
パレス多門607号室見取り図

当時,原告の身長約182センチメートル,体重は約70キログラム前後であり,これに対し,■<後藤徹氏の母>の身長は約148センチメートル,体重は約36キログラム,被告■<後藤徹氏の兄>の身長は約173センチメートル,体重は約63キログラム,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の身長は約158センチメートル,体重は約63キログラム,被告■<後藤徹氏の妹>の身長は約153センチメートル体重は約39キログラムであった。

 (イ) パレスマンション多門には,当初の約1か月間,両親,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>及びOが滞在し,亡■<後藤徹氏の父>を中心として,原告との間で話合いを行っていた。また,原告は,亡■<後藤徹氏の父>の求めに応じて,家族らに対し,原理講論を用いて統一教会の教義の講義を行うなどしていた。

(ウ) その後,平成7年10月頃から,原告は,亡■<後藤徹氏の父>から求められ,パレスマンション多門において,被告松永との面談を行うようになった。
被告松永は,週に2,3回の頻度で,パレスマンション多門を訪れ,原告に対し,家族が何を心配しているのかについて問うとともに,原理講論の教えについて検証を行うよう勧め,原告は,被告松永に対し,聖書の内容を質問するなどしていた。

(エ) 原告は,平成7年12月頃,両親,被告■<後藤徹氏の兄嫁>及び被告■<後藤徹氏の妹>に対し,統一教会の教えが誤っていると考えるに至ったので統一教会を脱会する旨を告げ,統一教会宛ての脱会届を作成した。その後,原告は,被告松永の勧めに応じ,平成8年3月頃,統一教会に入信してから脱会を決意するに至ったとする経緯に関する手記を記した。
その後,被告■<後藤徹氏の兄>と亡■<後藤徹氏の父>は,原告が平成7年9月頃まで滞在していた統一教会の施設を訪れ,原告の荷物を引き揚げた。

(オ) 原告がパレスマンション多門に滞在していた間,被告■<後藤徹氏の兄>は,最初の数日を除き,パレスマンション多門には滞在しておらず,仕事の休みの日などに時折訪れる程度であり,Oは,最初の1か月ほど滞在したのみであった。また,亡■<後藤徹氏の父>は,平成8年3月に心臓病により入院し,更にその後に膵臓ガンに罹患していることが判明したこともあり,同月以降は,亡■<後藤徹氏の父>宅に戻り,■<後藤徹氏の母>は,そのような亡■<後藤徹氏の父>の看病のために亡■<後藤徹氏の父>宅に戻るなどしていた。被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,同年1月に実家に戻り,その後は平成9年3月に亡■<後藤徹氏の父>が再度体調を崩したことにより■<後藤徹氏の母>が亡■<後藤徹氏の父>宅に戻るまでの間,時折パレスマンション多門を訪れる程度であったが,被告■<後藤徹氏の妹>は,常時パレスマンション多門に滞在していた。

  原告は,パレスマンション多門に滞在していた間,自由に外出することを許されず,また,パレスマンション多門には電話機が設置されていなかったため(なお,亡■<後藤徹氏の父>は携帯電話を所持しており,その電話を用いて外部との連絡を取っていた。),合同結婚式に一緒に参加したSはもとより統一教会の関係者の誰に対しても連絡をとることができない状況にあった。

 両親から被告宮村への依頼 

(ア) 亡■<後藤徹氏の父>は,平成9年3月頃,■<後藤徹氏の母>と共に,被告宮村の元を訪ね,被告宮村に対し,自らが末期ガンの状態にあり,余命3か月であると宣告されている旨,原告が偽装脱会をしていることは明らかであり,被告宮村において原告との話合いを行ってほしい旨を述べ,被告宮村は,亡■<後藤徹氏の父>の意向に応ずることとした。

(イ) 被告■<後藤徹氏の兄>は,前記(ア)のような亡■<後藤徹氏の父>の意向をかなえるべく,水茎会からの紹介を受け,亡■<後藤徹氏の父>と原告との話合いの場所として,荻窪プレイスを準備した。
荻窪プレイス

<話合いの場所は新潟のパレスマンション多門から東京の荻窪プレイス(上記)へ>


 父死亡後 

(ア) 平成9年6月22日,亡■<後藤徹氏の父>が死亡し,原告,被告■<後藤徹氏の妹>及び被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,亡■<後藤徹氏の父>宅を訪れ,亡■<後藤徹氏の父>の遺体と対面した。
原告がパレスマンション多門から亡■<後藤徹氏の父>宅へと向かう際には,ワゴン車が準備され,当該ワゴン車には,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の2人の兄,元信者であるTらが同乗していた。なお,原告は,パレスマンション多門を発つ時点において,パレスマンション多門には戻らない予定である旨を告げられていなかったため,再度パレスマンションに戻るものと考え,自身の免許証等の身の回りの品をパレスマンション多門に置いたままにしていた。

(イ) 原告は,亡■<後藤徹氏の父>の遺体と対面した後,被告■<後藤徹氏の兄>から,新潟には戻らない旨を告げられ,そのまま,車で被告■<後藤徹氏の兄>らと共に荻窪プレイスへと移動した。

(ウ) 原告は,平成9年6月22日から同年末頃まで,荻窪プレイスに滞在した。荻窪プレイスには2部屋があり,そのうちキッチンがある部屋を被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>が使用し,ベランダに面した部屋を原告が使用していた。原告が使用していた部屋から玄関に向かうためには,構造上,被告■<後藤徹氏の兄>らが及び■<後藤徹氏の母>が使用する部屋を通る必要があった。また,荻窪プレイスの玄関にはカーテンが引かれており,原告が使用していた部屋からは玄関のドアの様子を窺うことはできなかった。
荻窪プレイス605号室間取り図


  原告が荻窪プレイスに滞在していた間は,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>も荻窪プレイスに居住しており,被告■<後藤徹氏の兄>が日中に仕事に出かけたり,他の家族らが買物に出かけたりすることはあったが,原告のほかに家族の誰かが必ず常駐している状態であって,原告が1人になることはなかった。

  また,原告は,荻窪プレイスに滞在していた間も,自由に外出することを許されず,統一教会の関係者の誰に対しても連絡をとることができない状態にあった。

(エ) なお,前記のとおり,原告が荻窪プレイスに滞在している間,亡■<後藤徹氏の父>の葬儀が執り行われたが,原告,被告■<後藤徹氏の兄嫁>及び被告■<後藤徹氏の妹>は,これに列席しなかった。

 荻窪フラワーホームでの生活 

(ア) 原告は,平成9年12月,被告■<後藤徹氏の兄>から,場所を移動する旨を告げられ,車で荻窪フラワーホームに移動した。
ogikuboflowerhome2
<話し合いの場は荻窪プレイスから荻窪フラワーホーム(上記)に移された>

荻窪フラワーホームは,被告■<後藤徹氏の兄>が水茎会の紹介により借り受けたマンションの1室であり,原告が荻窪プレイスから荻窪フラワーホームに移動する際には,原告の家族らのほか,被告■<後藤徹氏の兄>の知人3名がこれに立ち会った。なお,信者及び元信者の中には,原告と同様,荻窪フラワーホームと同じマンションの別の室において,家族や被告宮村から脱会の説得を受けた者が複数存在している。

(イ) 原告は,平成9年12月から平成20年2月10日までの間,荻窪フラワーホームに滞在した。荻窪フラワーホームには,3部屋があり,キッチンのある中央の部屋を挟み,玄関側にある部屋を被告■<後藤徹氏の兄>らが,その反対側のベランダに面した部屋を原告がそれぞれ使用していた。
荻窪フラワーホーム804号室間取り図

原告が使用していた部屋から玄関に向かうためには,構造上,被告■<後藤徹氏の兄>らが使用する部屋を通る必要があった。また,被告■<後藤徹氏の兄>らは,玄関のドアの内側のドアチェーンの部分に南京錠で施錠をしており,当該南京錠を解錠しなければ上記ドアを開けることができない状態にしていたほか,
南京錠による玄関ドアの施錠状態の再現写真

ベランダに面した部屋の窓についても,鍵の付いた錠を設置し,開閉ができない状態にしていた。
鍵付きクレセント(窓用防犯錠)による窓の施錠

(ウ)a 原告は,荻窪フラワーホームに移動してまもなく,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>に対し,自らが偽装脱会をしていたことを告白し,「嘘をついていてすみませんでした。」と述べた。その頃,原告が,荻窪フラワーホームの外へ出ようと玄関に向かっていったところ,被告■<後藤徹氏の兄>から取り押さえられたということがあった。

  b(a) 原告が偽装脱会の告白をした後の平成10年1月頃,被告宮村が,元信者らと共に原告の元を訪れ,原告に対し,再度,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話について語るなどした。また,同年2月又は3月頃には,被告松永が,被告宮村と共に,原告の元を訪れた。
  原告は,被告松永及び被告宮村が共に原告の元を訪れた際,被告松永に対し,偽装脱会をしていたことを告げた。これを聞いた被告宮村は,原告に対し,「そんなことするから長引くんだ。」などと述べた。

  (b) 被告宮村は,平成10年1月頃から同年9月頃までの間,合計73回にわたり,元信者らを連れて原告の元を訪れ,繰り返し,原告に対し,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話をするなどした。そのような際,被告宮村は,時折,原告に対し,「お前は全然人の話を聞いていない。」,「頭を使え。自分の頭で良く考えろ。」,「自分の頭で考えられるようになるまではここから出られないぞ。」,「もし自分の子供が統一教会を辞めなければ,家に座敷牢を作って死ぬまで閉じ込めておく。」,「もし文鮮明が正しくて統一原理が真理であれば,俺はこの場で腹を切る。もし文鮮明が偽物で統一原理が真理でなかったらお前はこの場で腹を切る覚悟があるか。」,「原理のどこが真理なんだ,説明してみろ。こんなものを信じ続けることができるのは,お前がマインドコントロールされている証拠だ。」と述べたり,統一教会の初期に教祖とのセックスリレーがあったという話をして,「文鮮明は何であんなに女が好きなんだ。何人の女と寝たか,分からない。」などと述べるなどした。

 (c) 被告■<後藤徹氏の兄>は,原告に対し,「お前に統一教会をやめろと言っているのではない。ただ,家族としては,これほど問題のある団体でお前を活動させておく訳にはいかない。だから,いったんニュートラルになって考えてほしい。」などと頻繁に述べて,原告との話合いの機会を持とうとしていたが,原告は,これに対し,「拉致・監禁して閉じ込めておいて,ニュートラルになって考えろもないだろ。」,「監禁なんかして」などと述べ,抗議をしていた。

 (d) 原告は,平成10年9月下旬頃,被告宮村に対し,「宮村さん。私はもう,統一教会がでたらめで間違っていることも分かった。文鮮明がメシアでないことも分かっている。でも,私はどんなに間違っていてもこの活動を続けたい。私がやりたいからやるのであって,他人のあなたにとやかく文句をつけられる筋合いではない。」などと大声で述べた。それを聞いた被告■<後藤徹氏の兄>は,被告宮村に対し,しばらく家族だけで話し合うこととしたい旨を告げ,被告宮村は,その日以降,原告の元を訪れなくなった。

(エ) 原告は,平成13年2月頃から,荻窪フラワーホームの自らが使用していた部屋の中で暴れるようになり,窓の内側にある障子戸の障子を破ったり,障子戸の桟を壊したりするなどした。また,原告は,時折,玄関の方に向かっていったが,そのような場合には,被告■<後藤徹氏の兄>らによって取り押さえられ,大声を出すも被告■<後藤徹氏の兄>らからその口を押さえつけられるなどした。
  被告■<後藤徹氏の兄>は,その頃,荻窪フラワーホームの玄関と居室とを隔てる箇所に設置されていた木戸のドアノブを,施錠が可能なものに取り替えた。

(オ) 被告■<後藤徹氏の妹>及び■<後藤徹氏の母>は,原告が荻窪フラワーホームに移動した後,原告と共に荻窪フラワーホームに居住していた。
被告■<後藤徹氏の兄>は,移動直後は荻窪フラワーホームに寝泊まりしてタップに通勤していたが,平成13年1月頃にタップを退社した後,平成16年3月に人材派遣会社に就職するまでは,常時荻窪フラワーホームに滞在して,原告と共に生活を送っていた。なお,被告■<後藤徹氏の兄>は,同月以降,約2年間は荻窪フラワーホームに滞在していなかった。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成10年春頃から平成11年年末までは,体調を崩して埼玉県新座市にある自宅に戻っており,その頃から平成15年末頃までは,荻窪フラワーホームに週2,3日の頻度で通う生活を続け,平成16年3月頃から,荻窪フラワーホームで生活をするようになった。

(カ) 原告は,荻窪フラワーホームに滞在していた間,自由に外出することを許されず,また,Sはもとより統一教会の関係者の誰に対しても連絡をとることができない状態にあった。
  荻窪フラワーホームには,電話は設置されていたものの,その着信音が鳴ることはなく,原告がその電話を使用することも許されていなかった。被告■<後藤徹氏の兄>においては,専ら携帯電話を使用して外部との連絡をとっていた。

(キ) 原告が荻窪フラワーホームに滞在していた間,時折,設備点検等の作業のため,業者が室内に立ち入ることがあったが,そのような際にも必ず家族の誰かが立ち合っており,原告がそれらの業者に対して助けを求めることはなかった。
 また,平成15年11月頃には,荻窪フラワーホームのトイレのドアの鍵が壊れ,被告■<後藤徹氏の兄>が1時間以上もトイレ内に閉じ込められるという事件が起きた。その際,荻窪フラワーホーム内には,被告■<後藤徹氏の兄>のほか,原告,被告■<後藤徹氏の妹>及び■<後藤徹氏の母>がおり,被告■<後藤徹氏の兄>の携帯電話で助けを求められた被告■<後藤徹氏の兄>の知人が,持参したバールでドアをこじ開けることにより,被告■<後藤徹氏の兄>を救出したが,そのような機会にも,原告は,荻窪フラワーホームから退出を試みようとする素振りを見せなかった。

(ク)a 原告は,平成16年,平成17年,平成18年にそれぞれ断食を行った。なお,2回目の断食直後の原告の体重は,約45キログラムとなっていた。

  b ■<後藤徹氏の母>及び被告■<後藤徹氏の妹>は,日常的に,原告の食事を用意していた。被告■<後藤徹氏の妹>は,かつて信者であった頃に断食を行った経験を有していたことから,原告が断食を終えた際には,自身の経験に基づき,原告の食事を普通食に戻すまでの間に時間を置き,その間は,重湯やスポーツ飲料等を摂取させるようにしたり,粥の濃さを徐々に調整したりするなどして,原告の体調を気遣っていた。

  なお,1回目及び2回目の各断食の終了後の原告の食事は,いずれも約1か月をかけて普通食に戻されたが,平成18年4月に原告が3回目の断食を行った後は,前2回に比して断食の期間が長かったことから,約70日間にわたって流動食が用意され,その後に普通食に戻された。また,その普通食についても,原告が再度断食を行う旨の意向を表していたことから,身体に負担のかからないものが用意されていたため,原告と同等の身長のある一般の成人男性に必要とされるカロリーを摂取するのに十分なものではなかった。
Hirt
Yoru
<原告側の主張する食事内容>
食事写真
<被告側の主張する食事内容>

 原告を外に出した経緯

 (ア) 被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>は,平成19年頃以降,原告に家族と向き合う姿勢がみられないとして,一度無理にでも外に出すことを検討するようになっていた。

 (イ) 被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>は,平成20年2月10日午後,原告に対し,3時間程度をかけて,統一教会には問題となる点があり,そのことで自分達がいかに原告のことを心配をしているかを繰り返し伝えるとともに,原告に対して自分自身で統一教会のことを検証するよう求めたが,原告は,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>が望むような姿勢を見せなかった。
  そのため,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>は,同日午後4時頃,原告に対し,荻窪フラワーホームから出ていくよう求め,抵抗する原告を4人で玄関まで連れて行き,力ずくで原告を荻窪フラワーホームの外に押し出した。

 原告が外に出された後 

(ア) 原告は,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>により荻窪フラワーホームから外へと押し出された後,徒歩で東京都渋谷区松濤に所在する統一教会の本部教会へと向かった。原告は,その道中,交番に立ち寄り,警察官に監禁の被害を訴えたが,相手にされることはなかった。原告は,平成20年2月10日夜,統一教会の本部教会に到着した。

 一心病院入院当時

  原告は,平成20年2月11日早朝,一心病院において診察を受け,同日から同年3月31日まで,一心病院において入院治療を受けた。
後藤徹氏
<入院して間もない後藤徹氏>
  原告が入院してから約1週間後に測定された原告の体重は,約52キログラムであった。

 被告■<後藤徹氏の妹>母宅を原告が訪れた時 
 
 原告は,平成20年7月2日昼頃,事前の予告なく,被告■<後藤徹氏の妹>及び■<後藤徹氏の母>が住む亡■<後藤徹氏の父>宅を訪れ,被告■<後藤徹氏の妹>及び■<後藤徹氏の母>に対し,自身の保険証や免許証を返還するよう求めた。その際,原告は,自ら亡■<後藤徹氏の父>宅に上がり,リビングにおいて,被告■<後藤徹氏の妹>及び■<後藤徹氏の母>と言葉を交わし,その日のうちに亡■<後藤徹氏の父>宅を去って行った。

 刑事告訴

 (ア) 原告は,平成20年,警視庁荻窪警察署の司法警察員に対し,■<後藤徹氏の母>,被告■<後藤徹氏の兄>ら,被告松永及び被告宮村を,それぞれ逮捕監禁致傷罪及び強要未遂罪により告訴した。

 (イ) 上記告訴に係る各被疑事件の捜査段階において,原告は,取調官に対し,パレスマンション多門については,窓が内側から開けられない状態であったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思っていた旨を供述し,また,荻窪プレイスについては,トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ,番号の付いた鍵が見えた感じがした旨を供述した。

 本件訴訟
 原告は,平成23年1月31日,本件訴訟を提起した。

(2)ア 原告は,平成7年9月11日の亡■<後藤徹氏の父>宅における状況(前記(1)シ(イ)a)に関し,亡■<後藤徹氏の父>及び被告■<後藤徹氏の兄>から両脇を抱えられ,両親,被告■<後藤徹氏の兄>ら,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の兄,O及び元信者であるタップの男性従業員らによって四方八方を取り囲まれて行動の自由を奪われ,亡■<後藤徹氏の父>宅から引きずり出されてワゴン車に乗せられ,拉致された旨主張し,その供述(甲9,原告本人)にもこれに沿う部分が存するが,前掲各証拠によれば,亡■<後藤徹氏の父>宅は閑静な住宅街にあり,周囲に複数の住宅が並んでいることが認められところ,当時の状況が原告の主張し,供述するとおりであったとすれば,原告において大声で助けを呼ぶなどして周囲に覚知されるような騒動となっていたものとみられるが,そのような事態を窺わせる証跡は存しないから,原告の上記供述部分はたやすく信用することができず,前掲各証拠に照らして採用することができない。
  原告の供述中には,他にも,前記(1)の認定に反するとみられる部分が存するが,いずれも前掲各証拠に照らして採用しない。

イ また,被告松永の供述(乙ロ1,12,16,19, 被告松永本人)及び被告宮村の供述(乙ハ2,25,51,被告宮村本人)中にも,それぞれ前記(1)の認定に反するとみられる部分が存するが,それらについては,いずれも前掲各証拠に照らして信用することができず,採用することができない。



次回は2 被告■<後藤徹氏兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について から最後までです。
これからも後藤徹氏の応援をよろしくお願いいたします。
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019_convert_20140131104434[1]
2014-02-16(Sun)
 

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ご苦労様でした。
もう少しですね。
とても参考に成ります。ありがとうございます。
2014-02-17 22:53 | matu8181 | URL   [ 編集 ]

どこに原告の意思が? 

<原告は,パレスマンション多門を発つ時点において,パレスマンション多門には戻らない予定である旨を告げられていなかったため,再度パレスマンションに戻るものと考え,自身の免許証等の身の回りの品をパレスマンション多門に置いたままにしていた>

<荻窪プレイスへと移動>

<荻窪フラワーホームに移動>

原告の意思の及ばないところで、マンションを転々。
戻ってくるのか、また移動するのか…、そんなことも知るよしもない。

免許証も合鍵も、私物も持たず(持たされず)…。

原告の意思をことごとく無視し、蹂躙しつづけた被告たち。
自分たちが原告に付き合わされたかのように言い募り、すべてを原告のせいにした。

何が、被告たちをここまで極悪にさせたのか。
被告たちの断罪もさることながら、被告たちをそういう人間にしてしまった原因についても追究していきたい。
2014-02-18 08:50 | みんな | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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