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後藤徹氏陳述書(4)

原告(後藤徹氏)陳述書(4)
後藤徹さんの拉致監禁が荻窪フラワーホームに移った後、いよいよ核心メンバーである宮村峻氏の登場となる。この箇所が今回の裁判の、一つの大きなポイントして争われるであろう。

後藤徹氏陳述書の構成
1.略歴
2.統一教会への入会
3.第1回目の監禁
4.第1回目の監禁から脱出後の経緯
5.第2回目の監禁
(1)新潟のマンション(パレスマンション多門607号室)での監禁
(2)東京のマンション(1カ所目・荻窪プレイス605号室)での監禁
(4)宮村等による脱会説得(今回)
(5)ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)
(6)ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)
(7)ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)
(8)監禁からの解放
6.入院後の経緯
7.最後に
青印が今回アップしたもの


荻窪フラワーホーム
荻窪フラワーホーム

監禁されている時,私は自分が今,どこに居るのかさえ知らされませんでした。マンションの移動は夜間に行われたので,なおさら場所の確定は困難でした。一度,兄に「ここの住所を教えてくれ」と尋ねたことがありましたが「必要ない」と一蹴されました。今,私が監禁されていた3か所のマンションの場所と名前と部屋の号数が分るのは,監禁解放後,監禁実行者達を刑事告訴した際の警察官と検察官から情報を得たからです。荻窪フラワーホームの場所が荻窪3丁目付近であることを知ったのは,確か,2003年の衆議院議員総選挙の際に近くを走る選挙カーから聞こえてきた「荻窪3丁目の皆様,石原伸晃でございます」というウグイス嬢の声によってでありました。

そういうわけで,荻窪フラワーホームに移った直後,自分がどこにいるのか知る由もありませんでしたが,前述したとおり,兄は統一教会を脱会後,宮村峻の経営する広告代理店(株)タップに就職し,荻窪を拠点とする宮村の監禁下での脱会説得活動に元信者の一人として関っていましたので「おそらくここは荻窪で,この後,宮村が出てくるだろう」と予想していました。このため,1987年,京王プラザホテルに監禁された際,宮村に聞きたくもない批判を聞かされた時の苦しい記憶がよみがえってきて,夜中,夢の中にまでも宮村が登場し苦しめられました。

案の定,1998年1月初旬から同年9月頃にかけて,宮村峻が元信者等を引き連れて804号室に来訪し,棄教強要を行うようになりました。宮村等が同室に滞在する時間帯は午後6時頃から午後8時頃までで,当初宮村は毎日来訪しました。同行した元信者は,(女),(女),宮村の会社の従業員(男),夫婦,(男),(男),(女)といった者達です<注1>。宮村の会社の従業員(男)は,私が1995年9月11日に自宅から新潟に連行された際,自宅の庭に潜んでいて,私に対する逮捕監禁に加担した人物でした。

私ひとりに対し,宮村,家族,元信者等,合計7人~12,3人が私が監禁されていた一番奥の部屋に集まり,彼らは,同室に来訪する度,あらゆる非難,中傷,罵倒を私に浴びせかけました。宮村が最初に同室に訪れた際に「おう,徹くん,久しぶりだね」と言い,私が「いきなり来ますね」と言うと,宮村は「いきなり来ないと君たちは逃げるからな~」と自ら監禁していることを表明するかのような発言をしました。

は最初に804号室に来た際,不作法にもあぐらをかいて座り,タバコを吹かし,「卑怯者,あの時あんた逃げたでしょ!」などと言って,1回目の時(1987年)私が脱出したことを厳しく非難しました。私は,自由を奪われ人間扱いされない仕打ちに憤り,拉致監禁という許されざる犯罪と人権侵害を行いながらも,全く悪びれない宮村等に対して,「ここから出せ!」,「あんたら,統一教会は人権侵害をしていると言うが,統一教会は人を監禁したりしないぞ!あんたらの方が人権侵害をしているじゃないか!」,「信教の自由を何だと思っているんだ!」と言って激しく抗議しました。

しかし,宮村は,「えらそうなことを言うな。お前に人権を主張する資格などない」,「俺はお前を監禁なんかしてない。家族が保護しているんだ。出して貰いたければ家族に言え」,「お前は全然人の話を聞いていない」,「頭を使え。自分の頭で良く考えろ」,「自分の頭で考えられるようになるまではここから出られないぞ」などと私を愚弄し,「もし自分の子供が統一教会を辞めなければ,家に座敷牢を作って死ぬまで閉じこめておく」と脅迫し,私に棄教を強要しました。また,宮村や(女)は,脱会説得の最中,私に対して「馬鹿」,「あほ」といった言葉を頻繁に使い,私を侮辱し続けました。

宮村は,「もし,(教祖である)文鮮明がメシアで(統一教会の教理である)原理が正しければ,おれは,この場で腹を切ってやる。しかし,もし,文鮮明が偽物で原理がでたらめだったら,お前は腹を切る覚悟があるか」と言って脅しつけ,「いったい原理のどこが真理なんだ。説明してみろ。」と言い,私が答えずにいると,統一教会の教理解説書である原理講論や,文鮮明師の説教集である「み旨と世界」を批判し,「こんなものを信じ続けることができるのは,マインド・コントロールされている証拠だ」と言って私を愚弄しました。

また,「統一教会の初期には教祖と信者のセックスリレーが行われていた」と言い,そのことを「血分け」と述べ「文鮮明は,何であんなに女が好きなんだ」,「今まで何人の女と寝たか見当もつかない」等,証拠もなく伝聞に過ぎない,聞きたくもない教祖のスキャンダルを無理やり聞かせ,私は極度の精神的苦痛を受けました。

また,私が「それじゃあ,統一教会に帰って,自分で調べてみるから出してくれ」と言うと,宮村は「だめだ。それに統一教会はいつもウソをつく。どうせ帰ったって本当のことは分らんよ」と一蹴されました。監禁され自由を奪われた上,尊い信仰対象をめちゃくちゃに批判され,心をボロボロにされ,それに対し,自分が得たい情報を自由に得ることもできない,極めて不当な環境の下,私は,「このマンションだけ法律が及んでいない。ここだけ無法地帯ではないか」と嘆かざるを得ませんでした。

また,宮村は1997年の6月22日に父が亡くなったことを指摘して「お前が父親を殺したんだ」,「父親はお前に殺されたんだ」,「どうするつもりだ」と繰り返し私を糾弾しました。そのあまりにも理不尽で心ない詰問に対し,私は,はらわたが煮えたぎる怒りを覚え「私が殺したと言うなら今すぐ警察に突き出せばいいだろう!さあ連れて行け!」と叫びました。

宮村に同行してきた元信者らも,宮村に同調して私に罵声を浴びせました。(女)という元信者は,私と話をしている最中,突然,出されていた緑茶を私の顔面に浴びせかけました。このため私は,着ていたTシャツがびしょぬれになりました。

更に,私の家族も宮村等による棄教強要に加わりました。兄は,私を糾弾している最中に急に立ち上がり,「お前のその態度はなんだ!本当ならぶん殴って半殺しにしてやるところだ!」などと絶叫したこともあります。また妹は,「こんな調子だったら一生このままだから覚悟して」などと言って,私を脅迫しました。

また,宮村らが帰ると,その直後から今度は家族等による糾弾が午後9時頃まで続きました。ある時兄は,「お前,ここまで言ってもまだわからんのか,目を醒まさせてやる」と言って,私の顔を平手打ちで叩きました。

また,私が運動不足と気分転換のために屈伸運動をしていると,兄嫁に「こんな時によくそんなことしてられるわね!」と怒鳴られました。私は,なぜ,このくらいのことで怒鳴られなければならないのかと,心が痛みました。

以上の様な,家族及び宮村や等による,監禁下での人間性を無視した数々の言葉,罵声,暴力による棄教強要によって極度に苦しい日々が続きました。一日の彼らの糾弾が終わると身も心も疲労困憊し,明日もまたこれが続くかと思うと,精神が持たず,破たんしてしまうのではないかと恐怖感が募り言いようのない絶望感に襲われました。そのため,しばしば「私はもういっそのことここで死んでしまいたい」と思うほどでした。

宮村や家族が頻繁に使う言葉に,「お前は全然人の話を聞いていない」「自分の頭で良く考えろ」といった言葉があり,私は監禁中,何百回この言葉を聞かされたか分かりません。私は彼らの話を良く聞いた上で,自分で考えて反論していましたので,「聞いている」「自分で考えている」とその度に反論しましたが,彼らは「いや,聞いていない」「考えていない」と言って頑として受け入れませんでした。

結局のところ,彼らの言う「聞いていない」の意味は,実際には,「お前は俺たちが言う統一教会批判を全然聞き入れようとしない」の意であり,また,「自分の頭で考えろ」の意味は,「統一教会信仰の誤りを認めろ」という意味だったのです。即ち,私が彼らの統一教会批判を聞き入れ統一教会信仰の誤りを認めて棄教するまでは,絶対に監禁から解放しない,というのが,彼らの変わらない主張だったのです。

また,兄は「お前に統一教会をやめろと言っているのではない。ただ,家族としては,これほど問題のある団体でお前を活動させておくわけにはいかない。だから,いったんニュートラルになって自分の頭で考えてほしいんだ。統一教会にいては,じっくり考える暇もない。それでも統一教会が真理で正しいというなら,お前には我々に説明する義務がある。あれだけ問題があるのだから当然だ。」とよく言いました。

それに対し私は,「拉致監禁して閉じ込めておいて,ニュートラルになって考えろもないだろ。信教の自由は憲法で保障されているんだ。これこそ拉致監禁,強制棄教だ。」と,反論すると,兄は「これは拉致監禁ではない。緊急避難的保護だ。」と言うので,私が「そんなはずはない。現に出られないじゃないか。」ほら,といって部屋から出ようとすると,兄がすかさず取り押さえ,激しいもみ合いになりました。

そこで私が「ほらみろ。出さないじゃないか。これが,監禁でなくて何だ。これが保護だと言い張るのは欺瞞だ。たとえ,家族であっても,こんなやり方は拉致監禁だ。犯罪だ。私が訴えたら皆さんは犯罪人になりますよ。私は皆さんを犯罪人にしたくはない。いい加減にここから出しなさい。」と言うと,兄は,大声で「じゃあ他に,どういう方法があるって言うんだ。教えてくれ」と叫びました。

宮村らが804号室に来始めて間もない頃,インフルエンザが猛威を振るい,私も含め家族のうち何人かがインフルエンザに罹りました。このため私は40度近くの高熱が出て寝込みましたが,医者には行かせて貰えませんでした。そして,インフルエンザに罹った他の家族が病院に行った際,その家族のために処方された薬を私も飲まされました。私がインフルエンザに罹っている間は,感染を恐れて宮村らは来ず,兄は「小休止だ」などと言っていましたが,私が治ると,直ちに宮村等が来訪し激しい棄教強要が再開しました。私は,この時,高熱にうなされながらも,医者にさえ行かせてもらえぬ悔しさをかみしめつつ,今後,もし,もっと深刻な病気に罹った場合,医者に連れて行ってもらえず,下手をすると死んでしまうのではなかろうかと思うと,恐ろしくなりました。

荻窪に移動して以降の私に対して行われた拉致監禁による脱会説得は,宮村の監督と指導の下で行われたものです。そのことを以下に記します。私がフラワーホーム804号室に監禁され,宮村から脱会説得を受ける1998年の前年の1997年4月1日に「親は何を知るべきか」(いのちのことば社)という書籍が発行されました。宮村は,その本に寄稿し,次のように述べています。

『あなたがもし親であるならば,とてもつらいことですが,「わが子」はもはや昔の「わが子」ではないと知ることです。破壊的カルトが行うマインド・コントロールは,洗脳とは違い,より高度な,より洗練された方法です。本人でさえ気がつかないうちに,操られていく方法なのです。

・・・中略・・・
それよりもっと大事なことは,それ(本人がどれくらいマインド・コントロールされているか)をあなたが判断することは,非常に危険だということです。後でまたふれますが,これはもう,豊富な経験をもつカウンセラーに頼るしかありません。しかし最低限度の基準として,本人が以前と「何か違っている」と思えたら,もうあなたの手には負えないと判断した方がよいでしょう。これはとても重要なことです。

この最初の段階でしっかりしたカウンセラーに相談し,しっかりしたカウンセリングを受ければ何でもなかったことが,「彼だったらきっとわかってくれる」とか「あの子はそんなばかではない」とか「おれが話せばやめる」とか「そのうち目が覚めるだろう」とか「うちの子に限って」とか,あまりにも安易に考えて,多くの家族が事態をさらに深刻にしてしまいます。一般的な知識による「まだ大丈夫」は,「もう手遅れ」だと思ってください。

・・・中略・・・
子どもが病気やけがをした時は,たとえたいしたものでなくても,すぐ病院や医者に連れていくのに,心の中でもっと大変なことが起きているのに,どうして自分たちだけで解決しようとするのでしょうか。
・・・中略・・・
ここから先の具体的行動については,実際の「救出カウンセリング」をお願いする先生を探し出すことです。そしてできるだけいろいろな先生に会い,情報収集と勉強を続けることです。そして,信頼できるカウンセラーを見つけたら,もう迷うことをやめて,その方を信頼することです。あわてず,焦らず,あきらめずに取り組めば必ず解決します。』


以上の宮村の記述によれば,統一教会信者は「マインド・コントロール」されており,信者の両親や家族が「自分たちだけ」で,信者の状況を判断し,解決しようとすることは「非常に危険」であり,もう「信者家族の手に負えない」状態になっている。これを解決する(子供を脱会させる)には,「信頼できるカウンセラーを見つけ」,その「先生」を信頼するしかない,ということになります。

宮村のいう家族が頼るべき「信頼するカウンセラーの先生」こそがまさに宮村自身であります。家族は,2回目の監禁で,はじめ新潟の松永に脱会説得を依頼しましたが(拉致監禁の実行には兄ともう1人タップの社員が加わっていたので,最初から宮村も関与していたことは間違いありませんが),結局,2年以上かけても脱会させることができませんでした。そこで,家族は,父親の死を契機に1回目の監禁で世話になった宮村自身による脱会説得を依頼したのです。

その時の様子について「月刊TIMES」2010年4月号に掲載された「追いつめられる統一教会の悪あがき」と題する記事において,宮村自身が述べています。宮村は,その記事の中で私を説得するようになった経緯を尋ねられ『95年に,家族が後藤徹君と一緒に新潟へ行った。その経緯について,僕は全く知りません。家族が考えて実行したんでしょう。それから2年以上経って後藤君のお父さんから連絡があって,ご両親が上京された際にお会いしました。その時お父さんは,肝臓がんで余命3カ月と言われていて,「このまま死ぬのはたまらん。宮村さん,どうしても徹と話してもらえませんか」とおっしゃったんです。僕は「後藤君が承諾するのであれば話をします」と申し上げました。ご本人が家族と一緒に東京へ来たのは,それからです。』(p17)と述べています。ここで,宮村は「家族が後藤徹君と一緒に新潟へ行った経緯を全く知らない」などと言っていますが,これはあり得ません。

当時,兄は宮村が経営する会社タップの社員であり,1995年9月11日の夜,西東京の実家から拉致される時,庭に潜んで拉致に加担した見知らぬ男も,後でわかったことですがタップの社員でした。統一教会信者の脱会説得活動に長年に亘り心血を注ぎ,私たち3人兄妹全員の脱会説得に関わり,最後に一人,信者として残った私をいよいよ説得するという時に,しかも,自らが経営する会社(社員は10人以内)の社員の家族の脱会説得でありながら,「全く知らなかった」などとうそぶくこの宮村の発言に彼の欺瞞性を垣間見ることができます。

こうして松永では脱会させることができなかった「手に負えない信者」の脱会説得を宮村が直接請け負うことになったわけですが,その説得に当たり,宮村を頼りにする家族としては,マンションでの監禁の状態から監禁の解放の時期に至るまで,「信頼するカウンセラーの先生」である宮村の指示を仰ぎその指導を受けていたことは間違いありません。

1998年の2月か3月頃,前記松永が荻窪フラワーホーム804号室を一度訪れました。松永は,宮村と一緒に部屋に入ってくると,私の前に座り,宮村はその少し後ろの私が見える位置に座りました。突然目の前に再び現れた松永を目にして,私は全身に電気が走ったような緊張感と嫌悪感に襲われ,新潟で松永から脱会説得を受けた時の感覚がよみがえってきました。

私が,松永に恐る恐る新潟のマンションで偽装脱会していたことを告げると,宮村が「そんなことをするから(説得が)長引くんだ」といった意味のことを言いました。松永は,「一度,あなたの頭の中を割って,どのような構造になっているのか見てみたいものだ」と言い,まるで私の頭がおかしくなっているかのような表現をして,私をバカにしました。私は,この時,新潟のマンションで松永から脱会説得を受けていた時,たびたび松永から宮村の話を聞かされていたことを思い出しました。松永は「統一教会の問題で宮村さん以上に詳しい人はいない」「宮村さんの所に(説得のための)あらゆる資料が集まっている」と言い,宮村を高く評価し信頼していました。

私の兄嫁が脱会説得を受けた時もそうでしたが,宮村と松永は,統一教会信者を説得する場合に連携する事例がよくあることから,私の2回目の拉致監禁脱会説得に当たっても初めから連絡を取り合っていたものと思われます。宮村は,私が一向に説得を受け入れないことから,徐々に同室に来る回数が減っていき,1998年9月を過ぎるとしばらく来なくなり,宮村の下にいる元信者だけが同室に来るようになりました。私は,宮村が同室に来る度に,『原理講論』という統一教会の教理解説書に「正」の字を書いて回数を記録しましたが,1998年9月頃までの間,宮村が同室に来た回数は全部で73回でした。

福田さん
写真3

なお,宮村と共に来たという女性は,かつて私と同じ部署にいたことがあり,別途提出の「写真説明書」掲載の写真にも映っていますが(<中略>写真3の前から2列目右端),私が監禁された後に家族等によって連れ去られて脱会させられたのだと思います。

同室では,当初,私が必要とする情報を得ることはできませんでした。私は宮村に「言葉を調べたいので広辞苑を持ってきてほしい」と申し出たことがありますが,「だめだ」と一蹴されました。兄は「本当は聖書と原理講論だけで十分だ」と言い,彼らにとって都合のいい情報のみが同室に持ち込まれました。

1999年5月に突然,頼みもしていないのに同室にテレビが入ってきました。しかし,とてもテレビを見る心境にはなれませんでした。そのため,ほとんど自分でスイッチを入れることはありませんでした。

1999年12月,私は世の中のことが分からないまま年月が経過していくことに著しい不安感を感じ,家族に対し,『現代用語の基礎知識』を持ってくるよう要求しました。ところが,この要求を拒否されたため,家族等との間で激しい言い合いとなりました。私が激怒して,「畜生,出てやる,ここから飛び降りてやる」と言って奥の部屋の窓に突進したところ,窓の内側の障子が破れ,障子のサンが折れました。これに家族は怯んだのか,2000年1月,『現代用語の基礎知識』を同室に持ってきました。また,この頃から産経新聞を私に支給するようになりました。その後新聞は,産経新聞から東京新聞に変わりましたが,2006年6月頃からは東京新聞も支給されなくなりました。

『現代用語の基礎知識』や産経新聞により世の中の情報を知れば知るほど,私はマンションの1室に監禁された状態で世の中から隔絶されてどんどん取り残されていくことに極度の不安を感じるようになりました。そして2001年2月になると,私は「このままでは,世の中から隔絶されたまま一生ここから出られない」との抑えがたい不安感に襲われました。このため私は玄関目がけて突進し,脱出を試みるようになりました。そして家族から取り押さえられる度,私は力の限り近所中に聞こえるくらいの大声で,「出せ」「助けてくれー」「警察を呼べ」と何度も何度も繰り返し叫び,命がけで脱出を試みました。

そして家族に対しては,「統一教会は人権侵害をしているというが,あんたらのやっていることの方が人権侵害じゃないか。統一教会はこんな風に人を監禁したりしないぞ!」「これは拷問だ!」「現代の魔女狩りだ!」「一体何回選挙権を奪ったと思っているんだ!」「こんなことが許されると思っているのか?あんたらのやっている蛮行は必ず白日の下にさらしてやる!」「弁護士を立てて訴えてやる!」「そっちが犯罪者になるぞ!」と言って糾弾しました。

しかし,私は兄,妹,母によって取り押さえられ,はがいじめにされ押し倒されました。家族は私の助けを求める叫び声が近所に聞こえるとまずいと思ったらしく,布団で私をくるみ,口を押さえつけました。このため,私は息が出来なくなり,窒息しそうになることもありました。長期監禁によりほとんど運動する機会がなかったために全身の筋力がガタ落ちしており,この頃私は,兄と一対一で揉み合いになっても簡単に取り押さえられ,羽交い締めにされてしまいましたが,更に妹と母が女性であるにもかかわらず半狂乱になり,まるで何かに取り憑かれたごとく怪力を発揮したため,私は3人から取り押さえられると全く歯が立ちませんでした。

こうした揉み合いにより私は顔や手足から出血して血だらけになり,体中アザだらけになり,着ていた上着はボロボロに破かれました。手足からの出血は畳にもしたたり落ち,私はタオルで手や畳を拭きました。また,夜は体中が痛み,寝ることができませんでした。私は風呂に入るとき,アザだらけになった体を兄に見せ,「これを見ろ,ひどいじゃないか!」と激しく訴えましたが,兄は,「俺もそうだ」などと言って私の訴えを相手にしませんでした。私はこうした揉み合いの最中,右手薬指を捻り,骨が曲がってしまいました。この時は激痛が走り(おそらく骨折したものと思われる),この痛みは2~3ヶ月間ほど続き,現在も指が曲がったままになっています。

また,こうした揉み合いの最中,家財が随分と損傷しました。私は,家族等から取り押さえられまいとして台所の棚(数本の金属棒で構成されている棚)の金属棒や,中央の部屋と玄関前の部屋との間のアコーディオンカーテンにしがみつきましたが,家族等が無理矢理私を引っ張ったため,台所の棚の金属棒は変形し,アコーディオンカーテンは破れました。

荻窪フラワーホーム804号室間取り図

この時期,兄は,添付の荻窪フラワーホーム804号室間取り図のAの部屋に常駐して,私を監視し続けておりました。私が隙を見て,Bの部屋まで行き,木戸(図のD)のノブをガチャガチャと回して脱出しようとしましたが,私がいくらノブを回しても,押しても引いてもドアは開きませんでした。

そして,C地点に兄が立って,「まったく油断も隙もあったもんじゃない」と言いました。この兄の言葉はすなわち,「木戸(図のD)を施錠することによって,お前が隙を見て逃げることを阻止できてよかった」という意味であることは明らかです。すなわち家族等は,この頃の私の実力行使による脱出に対する対抗策として,私が脱出することを阻止するために,玄関だけではなく,図のDの木戸までも施錠して開閉できないようにし,私が玄関にたどり着くことすら阻止したのです。

私は,こうした激しい抗議行動を約1ヶ月間に亘って繰り返しましたが,この間,宮村が804号室に2度来ました。最初に来たのは私が抗議行動を起こした最初の日で,私が脱出しようと玄関に向かって行ったとき兄はすぐに私を取り押さえると,妹に「おい」と言って目配せし,妹に携帯電話で電話を掛けさせ,宮村を呼びました。宮村はすぐに804号室に駆けつけ,私が兄によって取り押さえられ,床に押さえつけられているのを見ると,私の顔のすぐ前に歩み寄り,「いったい何をやっている!騒ぐな!」と怒鳴ると,しばらく様子を見て帰りました。この兄と妹が素早く携帯電話により宮村を呼んだ一連の行動と,その後,すぐに宮村がマンションに現れたことから,マンション内で何かあったらすぐに宮村に連絡をするように前もって家族と宮村の間で打ち合わせがなされていたことがはっきりと見て取れました。このことより,私に対してなされた棄教目的の監禁による脱会説得は,家族の背後に宮村がいて,常に家族から連絡を受け,家族は宮村の指示に従って行動していたことは間違いありません。

2回目に宮村が来たときは,私が風呂場の浴槽によじ登り通気口に口をあてて「誰か聞いてますかー,ここに監禁されてまーす!,警察を呼んで下さーい!」と助けを求め叫んでいた時でした。おそらく家族から通報を受けた宮村が,突然,風呂場に入ってきて,後ろから私の襟首を掴み,私を浴槽から引きずり落とし,風呂場から引きずり出し,奥の部屋まで引きずっていきました。その時,私が引きずられまいとしてキッチンにあった電化製品を掴んだため,それらがなぎ倒されてしまいました。奥の部屋に力ずくで無理やり引き戻された後,私は,怒りのあまり,両手の握りこぶしで机をガンガン叩き,「ふざけるな!いい加減にここから出せ!」と叫びました。それに対し,宮村は,「こいつは駄目だな」とつぶやいて部屋を出て行きました。

私は,どんなに力づくで脱出を試みても取り押さえられる上,更に厳重な監禁状態になってしまったことから,言いようのない虚脱感と絶望感に襲われるようになりました。そして,外の景色も見えない針金が入った曇りガラスから入ってくる光をぼんやりと見つめつづけることもありました。この現実を受け止めることがあまりにもつらく,また耐えがたく,このままでは,ついに自分を失い,発狂するのではないかという恐怖におののきました。そして,とうとう,抗議する気力さえも失せてしまい,遂に力づくでの脱出を断念せざるを得ない心理状態に追い込まれました。

一方,この頃,こちらから要求もしないのにビデオテープ,イヤホン,卓上電気スタンドなどが,ベランダに面した部屋に持ち込まれました。また,あらゆるジャンルの書籍を兄が持ってくるようになりました。私は,この頃,あまりにもつらい,受け入れ難い当時の状況から逃れるため,兄が持ってきた書籍を貪るように読みました。また,イヤホンを持ってきたのでテレビも見るようになりました。それらにより,一時的に悲惨な現実を忘れることができましたが,しかし,鬱屈した思いが晴れることは決してありませんでした。

この頃以降,私が2004年4月に第1回目のハンガーストライキを決行するまでの間,家族等による脱会説得は殆どなくなりました。また,宮村及び元信者等は804号室に来なくなりました。今にして思えば,長期監禁に対し後日私が彼らを訴えることを恐れたのだと思います。監禁から解放されてより後に知ったことですが,実に前年の2000年8月には,宮村と懇意にしているキリスト教神戸真教会の高澤守牧師が,同牧師によって逮捕監禁,脱会強要の被害を受けた統一教会信者から訴えられた民事裁判で敗訴していました。

また,同室にて脱会説得活動を殆どしなくなったにもかかわらず彼らは私を804号室に留置し続けましたが,これも,私を解放した場合,私が彼らを訴えることを恐れたためだと思います。即ち家族や宮村等は,自分達の犯行が明るみに出ることを恐れ,口封じのために私を監禁し続けたのです。私が「弁護士を立てて訴えてやるからな!」「そっちが犯罪者になるぞ!」と言って彼らを糾弾したことが,彼らにとっては相当の脅威となったようです。

この頃,私は,監禁から解放されるために “投げ文 ”を思い付き,ノートのページを破り,それに「私は後藤徹といいます。私はこのマンションの高層階に監禁されています。これを拾った方は統一教会に連絡をして下さい。謝礼をさしあげます」と書いたことがありました。しかし,いざ,実行しようとした時,補強用針金の通ったガラス窓は,そう簡単に割れるものでもなく,また,うまく落とせたとしても,ばれた場合,その後,どんな仕返しを受けるかもしれないと思うと躊躇せざるを得ませんでした。すでに,ドアに近づくだけで力ずくで押さえ込まれ,さまざまな暴力を受け,けがをしてきたことが思い出され,気持ちが萎えてしまいました。迷った末,結局,その紙は破って,便所に流してしまいました。私は,絶望感に打ちひしがれ「ここで一生過ごすことも覚悟しよう」と思ったりもしました。

2001年9月12日,1987年の第1回目の脱会説得の際,私と会ったことがあるという脱会説得の専門家(男性)が1日だけ804号室に来て脱会説得をしました。この男性は翌日も来ると言って帰りましたが,その日以降,同室には来ませんでした。

<注1>ここの登場人物は「後藤徹氏の訴状(2)」で「当初被告宮村は毎日来訪し、同行した元信者は、H<注3>、I<注4>、被告宮村の会社の従業員の男、J夫婦<注5>、K<注6>、L、M(女性)といった者達であった。」という部分の元信者たちである。詳しくは該当ページの脚注欄をごらんいただきたい。Hとして登場する女性は、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の事務職員。小出浩久氏の『人さらいから~』、また鳥海豊氏の『脱会屋の~』にも登場する元女性信者。宮村俊氏の強制説得によって脱会したあと、宮村氏と一緒に方々の監禁場所を訪問し、強制説得に従事してきた。東京の「青春返せ裁判」の原告の一人。白い旅団氏が最近立ち上げたブログ「正義の仮面を剥ぐ」()にも登場している。



2011-06-19(Sun)
 

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アカデミー賞もの 

この内容はすでに聞いたような箇所もありますが、さらに詳しく書かれているのでしょうか、とても、リアリティがありますね。

壮絶な格闘記録ですね。
これは永久保存版であり、映画にすればアカデミー賞にノミネートされるのではないでしょうか。

これがもし、裁判という非日常的なところでのみ見ることが可能な文書でしたら、恐らく、いいようにもみ消されてしまったことでしょうが、このようにブログにアップしてくださったことに、歴史的価値が増したように思います。

それにしても、後藤さんの忍耐強さには感動を禁じ得ませんね。普通の人間だったら、とっくに気が狂っていたことでしょう。

この陳述内容が広く、一般人の目に止まることを祈ってやみません。
2011-06-20 08:37 | みんな | URL   [ 編集 ]

宮村に怒りの鉄槌を 

解放派
2011-06-20 16:46 | 名無しさん | URL   [ 編集 ]

おまえが言うな。 

 宮村氏のたまう。
「文鮮明は,何であんなに女が好きなんだ」
「今まで何人の女と寝たか見当もつかない」

 自分で発した言葉は自分に返ってくる。
「宮村は、何であんなに女(元女性信者)が好きなんだ」
「今まで何人の女(元女性信者)と寝たか見当もつかない」

 嗤える。
2011-06-20 17:49 | 米本 | URL   [ 編集 ]

これでも 

最初に読んだ時は、あまりの酷さに最後まで読めませんでした。ようやっと、意を決して最後まで読めました。胸が痛くなりました。読んでいるだけで発狂しそうになりました。許せない!人間としてすることじゃない!どんな凶悪な事件より凶悪です。
裁判官へ・・これでも拉致監禁はなかったですか?
宮村初め元信者の方々へ・・本当に拉致監禁してないですか?
拉致監禁容認派の方々へ・・これでも拉致監禁による脱会説得は、容認されるのでしょうか?愛情なのでしょうか?
一度、自分の頭でよく考えてください。
2011-06-20 20:09 | koyomi | URL   [ 編集 ]

ありがとうございます。 

 後藤さん、今日まで戦い続けてくださって本当にありがとうございます。 心から応援しております。
 
 後藤さんは現在を生きるスーパーヒーロー、本当の仮面ライダーです。 仮面ライダー後藤です!

 後藤さんの勇気は日本に、そして世界に必要です。 これからも正義の道を堂々と力強く邁進してください。
 
 正義 万歳! 真理 万歳! 後藤 徹 万歳!
2011-06-21 01:27 | 名無しさん | URL   [ 編集 ]

名無しの投稿は避けてください。 

皆様、投稿ありがとうございます。ところで、名無しの方がいらっしゃいますが、できれば実名で、それが難しい方はハンドルネーム名での投稿をお願いします。名無しが続きますと、2チャンネルの投稿のように、投稿数が多いとどの方の投稿が一つながりになっているのか、分からなくなります。コメント荒れの原因にもなりますので、ご協力お願いします。
2011-06-21 09:48 | 管理人 | URL   [ 編集 ]

どちらを選ぶかは、自由意志と自己責任ですよね。 

マインドコントロール?そのまま、「宮村教」の事!!
信者、元信者、自主脱会者、それぞれの意思で
判断し、残ったり、脱会できます。
私も40万人~50万人の自主脱会者のひとりですが
統一教会という組織は、嫌いでしたが文師は、支持します。
宮村は、人として、下の下ですね。
文師の業績を知ると天地の差ですものね。
どちらを信じるかは、押し付けや「拉致監禁改宗ビジネス」では、ない。
その人の自由意志と自己責任が許されるべきです。
2011-06-21 11:00 | 弥生 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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