後藤徹氏裁判判決文③ー裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
今回より3回に分けて第3の「当裁判所の判断」を掲載させていただきます。
裁判所がどのように判断されて,判決をくだされたのか,一番知りたいところです。
難解な表現もありますので,ゆっくりじっくり吟味しながら読まれることをお勧め致します。
※青字の部分の途中までアップしました。
(第3の1(1)はア~ニまでありますが、今回はア~コの(イ)まで。)
裁判所がどのように判断されて,判決をくだされたのか,一番知りたいところです。
難解な表現もありますので,ゆっくりじっくり吟味しながら読まれることをお勧め致します。
※青字の部分の途中までアップしました。
(第3の1(1)はア~ニまでありますが、今回はア~コの(イ)まで。)
主文
事実及び理由
第1 請求
第2 事案の概要
1 本件の概要
2 前提となる事案
3 争点及び当事者の主張
(1)被告被告■<後藤徹氏の兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否
ア 原告 イ 被告■<後藤徹氏の兄>ら ウ 被告松永 エ 被告法人 オ 被告宮村
(2)損害額
ア 原告 (ア)逸失利益 (イ)治療費 (ウ)慰謝料 (エ)弁護士費用
イ 被告ら
(3)被告法人の使用者責任
ア 原告 イ 被告法人
第3 当裁判所の判断
1 前記前提となる事実に証拠
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
①ア~コ(ア)(イ)
②サ~ニ
(2)裁判所が採用しない主張
ア 原告の供述について イ 被告宮村と松永の供述について
2 被告■<後藤徹氏兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について
3 損害賠償についてI
4 被告法人の使用者責任について
5 まとめ
第3 当裁判所の判断
1 前記前提となる事実に証拠
(・甲1から5まで,8から12まで,17,18,20,21,23から27まで,29,35,40から45まで,48,49,51,59,92から102まで, 114, 123から126まで,139,140,153,
・ 乙イ1,乙イ4から7まで,乙イ10,乙イ23,乙イ25,乙イ37から39まで,乙イ41,乙ロ1,乙ロ3,乙ロ12,乙ロ14,乙ロ16,乙ロ19,乙ハ2,乙ハ4,乙ハ10,乙ハ21,乙ハ25,乙ハ45から47まで。
・枝番のあるものは,いずれもそれを含む。
・原告本人,被告■<後藤徹氏の兄>本人,被告■<後藤徹氏の兄嫁>本人,被告■<後藤徹氏の妹>本人,被告宮村本人,被告松永本人。


<原告側証拠>


<被告側証拠>
・なお,被告松永は,前記第2・3(1)ウ(ウ)aのとおり,前掲各証拠のうち一部のメモ(甲98の1,98の3, 102)やビデオ(甲101の1)が信者による盜取に係るものである旨主張し,その証拠として元信者であるMKの各陳述書(乙ロ18, ロ 2 0)を提出するところ,当該主張は,上記メモ及びビデオにつき本件証拠から排除されるべき旨の主張をも含むものと解されるが,上記各陳述書は氏名不詳者による供述内容を伝聞の形で記すにすぎないものであって,信用性が乏しいものといわざるを得ず,本件証拠上,他に上記盗取の事実自体やそれについての原告自身の何らかの関与を窺わせる事情を認めることはできないことから,当該主張は失当であり,採用することができない。)
及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認めることができ<第3の1(1)>,前掲各証拠中,これに反する部分は採用せず,他にこれを左右するに足りる証拠はない。
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
ア 統一教会
(ア) 統一教会は,昭和29年に韓国ソウルで誕生した宗教団体である。統一教会の教義は「統一原理」と称されるものであり,その教義創始者は文鮮明であり,その教義解説書は「原理講論」である。
統一教会の教義は,昭和33年頃,崔奉春(日本名「西川勝」)により日本国内に持ち込まれた。
![20090820093059-thumbnail2[1]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207215512a00s.jpg)
(イ) 信者による伝道活動には,街頭における手相鑑定やアンケート,物品販売などを端緒として行われるものもあるが,それらの端緒の段階においては,その対象者に対して統一教会の伝道活動の一環であることを告げられないことも多くある。
![yjimage[3]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207224741ba4s.jpg)
(ウ) 統一教会については,昭和58年頃から,マインドコントロールによって信者を増やしており,また,その信者が伝道の過程等において行う物品販売等がいわゆる霊感商法であるなどと指摘する書籍等がみられるようになり,昭和61年頃には,テレビ等のマスコミにおいて上記の問題が多く取り上げられ,報道されるに至っていた。
![yjimage[1] (2)](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207220759ce4s.jpg)
イ 被告宮村,被告松永,原対協
(ア) 被告宮村
a:被告宮村は,昭和59年8月頃,高校時代の恩師であるYHから,その娘であるYC(以下「C」という。)が統一教会の学生組織である原理研究会のメンバーとして活動するようになったことについての相談を受けた。
被告宮村は,統一教会に関係する文献等を読むなどして調査をしたところ,被告宮村の自宅の近くにある荻窪栄光教会において牧師を務める森山諭(以下「森山牧師」という。)が統一教会の問題に通暁しており,統一教会からの脱会のための信者との話合いを手がけていることを知り,森山牧師の元を訪れ,森山牧師に対し,Cとの話合いの依頼をした。
Cは,同年11月5日,その母親と,待ち合わせ場所である土浦駅で会い,その後,母親らと共に,ワゴン車で荻窪栄光教会へと向かい,荻窪栄光教会において,5日間にわたり,その両親と共に森山牧師との話合いを行った。
なお,Cは,土浦駅でその母親と待ち合わせを行い,その後に上記ワゴン車に乗るまでの間において,その後に森山牧師と話合いをするために荻窪栄光教会に行くことについて告げられていなかった。
また,被告宮村は,荻窪栄光教会へ向かう上記ワゴン車に同乗し,Cが荻窪栄光教会に滞在している間も,時折,荻窪栄光教会における話合いに同席していた。
<YC手記はこちら>
b:被告宮村は,前記aの出来事があった以降も,荻窪栄光教会に通い,森山牧師の下で聖書の勉強をするなどしていたが,昭和59年の夏頃から,森山牧師の依頼を受けて,信者に対する説得活動を手伝うようになった。
当時,荻窪栄光教会には,森山牧師を頼って,信者の家族らが数多く訪れており,被告宮村は,それらの家族らに対し,自身が統一教会について知るところを話すなどしていた。
また,被告宮村は,森山牧師と共に,又は森山牧師の指示の下,脱会説得を受けている信者の元を訪問し,当該信者に対し,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や統一教会の実情等を教示するなどしていた。

c:昭和60年頃,荻窪栄光教会において,森山牧師を頼って集まってくる信者の家族らや元信者が互いの悩みや経験について語り合ったり,集まって勉強を行ったりする場として,水茎会という勉強会が組織された。
水茎会においては,森山牧師が聖書についての話をしたり,被告宮村が信者の家族らに対して統一教会の実情に関する講義をしたり,元信者が自らの脱会に至るまでの体験を語ったりしていた。
(イ) 被告松永
a:被告松永は,昭和60年頃,ある女性から電話で友人が宗教問題で家族を苦しめているので助けてほしい旨の連絡を受けたことを契機として,信者の家族らからの相談を受けるようになった。
b:被告松永は,昭和61年頃,森山牧師が記した統一教会を批判する内容の本を読み,森山牧師からより詳しい話が聞きたいと思い,荻窪栄光教会を訪ね,森山牧師及び被告宮村と面会を行った。被告松永は,その後も,複数回にわたり,荻窪栄光教会に赴き,森山牧師や被告宮村と面談した。
(ウ) 原対協
a:昭和62年頃,信者の家族らが,右翼団体に対して金員を支払って依頼したり,強引な方法を用いたりして,信者である子弟を統一教会から連れ戻すも,そのような子弟が時間が経つと統一教会に戻っていってしまうといった事態が相次いでいた。
そのような事態を受け,同年10月頃,森山牧師を中心とするキリスト教の牧師らにより,統一教会に関する問題に取り組む者の間において意見交換を行うことなどを目的として,原対協が組織された。
b(a)ⅰ:昭和62年9月3日,森山牧師の呼びかけの下,荻窪栄光教会において,原対協の発足準備会が開かれ,これには,森山牧師のほか,尾島,被告松永,被告宮村らが参加していた。
ⅱ:前記ⅰの発足準備会においては,発足する団体の名称が定められるとともに,その活動内容等についての話合いがされた。被告松永は,同日,上記発足準備会において確認された事項をメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)に書き留めた。
ⅲ:前記ⅱの確認に係る事項につき後日作成された合計3枚の報告文書(甲96の1・2)には,その1枚目(甲96の1)に「議事録に関しましては,鋭意作成中でありますが,何分にも問題が問題であるだけに,あえて確認事項についてのみ文章化しました。ご賢察下さい。」,「尚,くれぐれも内容の機密性を徹底して下さい。」と記されているほか,その2枚目(甲96の2・1丁)には,「9月3日の準備会において確認を致しました事項に関し,下記の如くご報告致します。」との文言に続き,原対協の目的については「統一教会にとらえられた魂とその家族の救出相談を目的とする。」旨が,その活動については救出の為の全国の連絡網をつくること,情報の交換並びにキリスト教会及び一般社会への啓蒙活動を活動内容とする旨が,その他「キリストの福音に恥じないありかたを大前提として,救出活動を実施し,幅広い組織化を図る」旨,「救出等にあたり,目的のみならず,手段に関しても潔癖で,ふさわしいものとする。」旨等が記されている。
なお,上記報告文書に記載されている上記の内容は,前記ⅱの被告松永の作成に係るメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)の記載内容とも概ね一致するものである。
(b)ⅰ:昭和62年10月16日,原対協の発足会が開催された。
上記発足会においては,信者の脱会のための説得に当たった経験を有する者らにより,被告松永を含む参加者に対し,それらの者が用いた脱会説得の方法が伝えられた。
ⅱ:被告松永は,前記ⅰにおいて聴取した内容を書き取り,その後,自らが説得を行う際の参考とすべく,これを整理して,メモ(甲98の3)を作成した。
上記メモは,
①「子の救出に際して」と題する部分,
②「車に乗せる前の話し合い」と題する部分,
③「家族との話し合い」と題する部分,
④「両親に対して」と題する部分,
⑤「説得中」と題する部分,及び
⑥「判定規準」
と題する部分から構成され,当該各部分には,それぞれ,以下の記述が含まれている。
①上記①の部分
「本人の願うことをしていくならば必ず出てくる。」,
「家か親戚の家で一論争し,ひとあばれさせる。そして,逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である。」,
「その時電話をさせない。電話のない部屋で話し合う。」

②上記②の部分
「人と場の設定」,
「①電話に注意 必ず報・連・相をして指示を受ける。」,
「②逃げる トイレ」,
「③人数は5~6人,男が4~5人」,
「④1時間くらい,家族として納得できない。少し時間をかけて話し合う,場所を変えて→移動。」,
「⑤警察(110)が入ると信教の自由を盾に逃げる。」

③上記③の部分
「1 1晩ないし2晩は家族で話し合う。」

④ 上記④の部分
「1 説得者の許可なく外出はしない。」,
「2(1)のことは絶対に本人に言わない。」,
「3 親の目から見てまだ信用できないということにする。」,
「5 最初の一週間位は4人を準備する。その後は3人準備する。本人が脱会宣言を電話でし,荷物の引き上げを終了したら,2人でもよい。それでも,説得者の許可なく外出はさせない。必ず逃げるから。」,
「6 外出する時があったら,二人以上で,本人の前には歩かない。必ず,本人を視野に入れて歩く。」

⑤ 上記⑤の部分
「1.外部との関係をシャットアウトする。少しでも協会関係者が近くにいることがわかると本人は耳を傾けなくなり,自信を取り戻す。<絶対に逃げられないのだという意識がない限り聞こうとはしない。>それで4人~6人でとり囲む必要があるのです。」,
「2.ベランダなどに出ようとしたら注意をする。外部の様子を見るから注意を要する。」,
「3.親の権威をもってつぎのことは制止する。
①外にだしてくれ・・・話しを聞け。それは信用できない。
②話したくない・・・私がお願いしてきてもらったのだ,話を聞きたくないならいつまでもこの状態が続く・・・真理なら話してみんなに知ってもらったらいいでは,ないか・・・そんなに自信がないなら聞いたらどうか・・・恐いんだろう!!
③断食‥・どうぞどうぞ断食して卞さい。動けなくなったら逃げられないぞ。」,
「4.24時間・・・誰かが起きていること」

⑥ 上記⑥の部分
「判定基準・・・以上をクリアーして,外出は許される。」,
「1.手記を書く。
①誠実な態度か,
②固有名詞が出ているか,
③霊の子,授けた被害者の名があるか,
④救済しなければならないという意識が見られるか」,
「7.ホーム生活をしている人の救出に申し出るか」

(c)ⅰ:被告松永は,新津教会にその子弟が信者となったことについて相談に来る家族らが増えたことから,昭和62年10月頃,それらの家族らに見せるため,自ら講義を行い,これを録画したビデオを作成した。また,被告松永は,上記講義に先立ち,講義用のレジュメ(甲98の1)を作成した。

ⅱ:前記ⅰの講義において,被告松永は,統一教会の実態,働き,信者の生活の実態等について述べるとともに,脱会説得に当たる際の心構えとして,統一教会の信仰の内容を含めて信者となっている子弟のことを十分に理解する必要がある旨,信者が統一教会において指導を受けて嘘をつくようになっている旨,信者が他人の指示を受けなければ行動することができない人間になっている旨,統一教会においては統一教会に反対する牧師らが行う説得への対策として講座が開かれている旨を述べ,さらに,信者はすぐに統一教会に電話をかけるので電話のない部屋で話合いを行うか,電話線を切っておく必要がある旨,信者は風呂に入るふりをして逃げたり,トイレの窓から逃げたりすることがあるので注意をする必要がある旨,玄関ドアには鍵をかければ足りるが,窓については逃走の際の出口として注意が向きにくいことから留意をする必要がある旨,玄関ドアを開ける際には,他の信者が侵入しないように注意する必要がある旨等を述べた。

ウ 後藤氏両親
両親は,昭和62年1月頃,荻窪栄光教会を訪ね,森山牧師及び被告宮村に対し,被告■<後藤徹氏の兄>,原告及び被告■<後藤徹氏の妹>を統一教会に取られてしまい,苦しんでいる旨を訴えた。
エ 被告■<後藤徹氏の兄>
(ア)a:被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和62年当時,統一教会の「ホーム」と呼ばれる施設に生活の本拠を置き,専ら伝道活動や教育活動に従事する生活を始めており,伝道機動隊という組織の副隊長の地位にあった。
b(a):被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和62年5月頃,亡■<後藤徹氏の父>から,亡■<後藤徹氏の父>宅に呼び出され,当時その信仰において上位の立場にある信者である「アベル」の一人に対し,その日のうちにホームに戻る旨を告げた上,亡■<後藤徹氏の父>宅へ赴いた。
なお,被告■<後藤徹氏の兄>は,亡■<後藤徹氏の父>宅に赴く前において,統一教会に反対する牧師らに対する対策の講座を受講しており,当該講座において,統一教会に反対する牧師らによって信者が精神病院に入れられて廃人にされることがあるなどと指導され,また,統一教会に反対する牧師らの話を聞かないよう指示されていた。
(b):被告■<後藤徹氏の兄>は,亡■<後藤徹氏の父>宅から帰路につこうとしたところ,亡■<後藤徹氏の父>から,亡■<後藤徹氏の父>宅の前に予め準備されていたワゴン車の前において,場所を移した上で話合いをすることを求められ,亡■<後藤徹氏の父>のかけ声とともに亡■<後藤徹氏の父>以外のその場にいた人々によって,強引に上記ワゴン車に乗せられた。
被告■<後藤徹氏の兄>は,上記ワゴン車に乗せられた後,踏切で停車した際に,車窓から外に出ようとして,亡■<後藤徹氏の父>らともみ合いとなり,何者かが通報したことにより,亡■<後藤徹氏の父>らと共に八王子警察署において事情聴取を受けるに至った。
![300px-Hachioji_Police_Station[1]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207230409032s.jpg)
<八王子警察署>
(c) 被告■<後藤徹氏の兄>は,その後,亡■<後藤徹氏の父>らと共に再度ワゴン車に乗り,亡■<後藤徹氏の父>が準備していた神戸にあるアパートに向かい,同所に滞在することとなり,その間,両親,尾島及び被告宮村からの説得を受け,統一教会を脱会することを決意した。
なお,被告■<後藤徹氏の兄>が上記アパートに滞在している間,被告宮村は,元信者3名と共に,上記アパートに被告■<後藤徹氏の兄>を訪ね,被告■<後藤徹氏の兄>に対し,統一教会の教えの矛盾点などについて教示した。また,被告■<後藤徹氏の兄>は,脱会を決意するまでの間,1人で上記アパートから出歩くことはなく,また,統一教会の関係者に連絡をとることもなかった。
(イ) 被告■<後藤徹氏の兄>は,統一教会からの脱会を決意した後,両親と共に大阪に居住していたが,被告宮村の勧めにより,昭和62年6月頃から,荻窪にアパートを借りて1人暮らしを始め,荻窪栄光教会に通って森山牧師の下で聖書の教えを学び,また,水茎会において自らの体験談を語り,家族らから脱会説得を受けでいる信者を訪ねて話をするようになった。
また,被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和63年2月,タップに入社した。
オ 被告■<後藤徹氏の兄>と両親の原告への脱会に向けての関わり
(ア)a:被告■<後藤徹氏の兄>は,荻窪において生活を始めた後,両親と相談をしながら,当時信者となっていた原告及び被告■<後藤徹氏の妹>を統一教会から脱会させるための話合いを行うことを計画し,まず,原告との間で話合いを行うための準備を進めた。
b:原告は,昭和62年当時,東京都台東区にある統一教会のホームにおいて生活をしながら,大成建設において勤務をしていた。
原告及び被告■<後藤徹氏の妹>は,当時,統一教会の講座等において,家族らから自宅以外の場所において話合いをすることを求められた場合には,話を聞くふりをし,間違いに気付いたという姿勢をみせて偽装脱会を行い,その後戻るように指示されていた。
また,原告及び被告■<後藤徹氏の妹>は,上記講座等において,牧師らや家族らが信者に対して拉致・監禁を行っている旨等の話を耳にしており,昭和62年5月頃から突如連絡が取れなくなった被告■<後藤徹氏の兄>について,拉致・監禁の被害にあったのではないかという心配をしていた。
c:亡■<後藤徹氏の父>は,昭和62年10月,電話で原告を呼び出し,待ち合わせ場所である新宿駅に現れた原告と共に,予め準備してあった京王プラザホテルの客室へと向かった。
同客室は,2部屋が1つのドアでつながっているタイプのものであった。

<京王プラザホテル客室見取り図>
なお,信者の中には,原告と同様に京王プラザホテルの上記の客室と同様の客室において,家族や被告宮村から脱会の説得を受けた経験がある者もいる。
原告が上記客室に到着すると,既に室内には被告■<後藤徹氏の兄>が原告を待っていた。被告■<後藤徹氏の兄>は,原告に対し,統一教会を脱会することにした旨を述べるとともに,自身で統一教会のことを調べた結果,とんでもない団体であることが分かったとして,話し合って統一教会の教えや活動のことについて再度考えるよう告げた。
なお,原告は,上記客室に到着するまでの間に,亡■<後藤徹氏の父>又は被告■<後藤徹氏の兄>から,当日以降しばらく上記客室に滞在することになる旨やその後は荻窪にあるアパートに滞在することになる旨等を告げられてはいなかった。
また,亡■<後藤徹氏の父>は,原告が上記客室に到着するのに先立って,大成建設の原告の上司に対し,原告をしばらくの間休ませる旨を伝え,その旨の了解を得ていたが,原告は,そのことを知らされていなかった。
d:原告は,前記cの客室において,亡■<後藤徹氏の父>から予め依頼を受けていた被告宮村や被告宮村が帯同する元信者らの訪問を受け,被告宮村から,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話を聞いた。
原告は,前記cの客室に入ってから数日後,統一教会の教えやその活動に疑問を持つようになったとして,亡■<後藤徹氏の父>らに対し,統一教会から脱会する旨の意思を表明した。
しかし,その後も,原告は,上記客室に滞在することを余儀なくされ,程なく,亡■<後藤徹氏の父>らと共に,上記客室から荻窪にあるマンションの一室へと移動し,約1か月間同所に滞在した。
e:原告は,前記dのマンションに滞在しながら,被告■<後藤徹氏の兄>の勧めを受け,被告■<後藤徹氏の兄>や両親に付き添われて荻窪栄光教会の礼拝に参加し,また,森山牧師の元を訪れて話を聞くなどしていたが,昭和62年11月下旬頃のある日曜礼拝の際,■<後藤徹氏の母>に対してトイレに行く旨を告げてその場を離れ,そのまま,統一教会のホームへと戻った。

<荻窪栄光教会礼拝堂>
f:原告が前記eのとおりホームへと戻るまでの間,原告は,常に両親や被告■<後藤徹氏の兄>が原告と行動を共にしていたため,統一教会の関係者と連絡をとることはもとより,電話を使用することもできなかった。
また,原告が前記cの客室から前記dのマンションの一室へと移動する際には,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>のほか,元信者の男性も原告に同行した。
g:原告は,統一教会のホームに戻った後,「鈴木祐司」という偽名を名乗って生活をしていた。
原告は,昭和63年頃に被告■<後藤徹氏の妹>と会った際には,被告■<後藤徹氏の妹>に対し,前記cからfまでの自らの体験について語るとともに,「宮村さんと話をして,霊人体がぐちゃぐちゃになった。1回は落ちたけど,どうしても確かめたいことがあって,その疑問点を確かめるために統一教会に戻ってきた。」などと述べ,被告■<後藤徹氏の妹>に対して注意をするよう述べた。
カ 森山牧師が脳出血を患った後の水茎会
(ア) 昭和63年7月頃,荻窪栄光教会の森山牧師が脳出血を患い,荻窪栄光教会における水茎会の活動は,一時休止の状態となった。
被告宮村は,同年10月頃,それまで上記の活動を共にしてきた他の者らとの間で種々の点において意見の相違がみられるようになったことから,荻窪栄光教会における水茎会という上記の活動の場から離れた。
(イ)a:その後,信者の家族らにより,荻窪栄光教会とは関係を有しない団体として,新たな水茎会が結成された。
被告宮村は,それらの家族らから求められ,その新たな水茎会において,統一教会の実情や統一教会の教義について話をするようになった。
被告宮村は,東京都新宿区所在のキリスト教の教会である新宿西教会において催される水茎会の集まりの場や荻窪にあるマンションの一室において,信者の家族らに対し,その求めに応じて,信者と脱会説得のための話合いをするに際しての助言を行ったり,自らも家族らからの依頼を受けて直接信者に対する脱会説得に当たったりするなどしていた。

<新宿西教会入り口>
被告宮村は,脱会説得についての助言を行う際,信者の家族らに対し,親戚にも事情を話してその協力を仰ぐ必要がある旨,親や兄弟,親戚が一致団結しなければ,脱会説得は成功しない旨,信者は命がけで信仰をしているのであるから,家族らも命がけで説得に当たる必要がある旨,信者に対する脱会説得を行うに当たっては,事前に長期の休みをとることができるよう準備をしておく必要がある旨,脱会説得は統一教会との接触を遮断した環境下で行うことが必要であり,絶対に信者に統一教会との連絡をとらせてはいけない旨,たとえ信者本人が脱会を表明した場合や辛そうにしている場合でも,偽装脱会のおそれがあるから,信者を退出させる旨の判断については,家族らが,これを独自に行うべきではなく,被告宮村の意見を聞いた上で行う必要がある旨などを述べていた。
b:また,被告宮村は,前記のとおり,水茎会において,信者の家族らの要望に応じて統一教会の話をしたり,説得についての相談に乗ったりしていたほか,そのような家族らに対し,住んでいる場所や信者本人の性格,経歴等に照らして,他の牧師やカウンセラーに相談をすることを勧めることもあった。
c:被告宮村は,平成元年11月頃,当時偽装脱会をした状態で被告宮村による他の信者の説得に同行していたある信者に対し,「荻窪栄光教会から礼拝中に逃げていった馬鹿な男がいる。」,「今度は絶対に落としてやる。」などと述べていた。
<参照:YS陳述書>
キ 被告■<後藤徹氏の妹>の脱会
(ア)a:被告■<後藤徹氏の妹>は,平成元年3月当時,亡■<後藤徹氏の父>宅に1人で住み,東京都渋谷区にある婦人服のメーカーに勤めながら,統一教会の活動を行っていた。
同月のある日,被告■<後藤徹氏の妹>が亡■<後藤徹氏の父>宅に戻ったところ,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>が被告■<後藤徹氏の妹>を待っていた。
被告■<後藤徹氏の妹>は,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>から,被告■<後藤徹氏の妹>が信者であることについて話合いをしたい旨の申出を受け,前記の統一教会での指示に従い,これに応じることとして,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>と共に,荻窪にあるマンションの一室へと移動した。
b:被告■<後藤徹氏の妹>は,約3か月間,前記aのマンションにおいて,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>と共に滞在した。
被告■<後藤徹氏の妹>は,上記マンションに滞在している間,被告宮村や元信者の訪問を受けた。
被告■<後藤徹氏の妹>は,当初,被告宮村が訪問した際,室内の押入れの中に閉じこもり,被告宮村との対話を行うことを拒んでいたが,やがてこれに応ずるようになり,被告宮村からその考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話などを聞いた。
そして,被告■<後藤徹氏の妹>は,平成元年4年,統一教会から脱会した。
被告■<後藤徹氏の妹>は上記マンションに3か月にわたって滞在した間のうち,当初は外出をすることができない状態にあったが,1か月ほど経過して統一教会の教えが誤りであると考えるようになり,脱会を表明し始めた頃から,両親らと共に外出や外食をするようになった。
また,上記の滞在期間中において,被告■<後藤徹氏の妹>が統一教会の関係者に対して連絡をとることはなかった。
(イ) 被告■<後藤徹氏の妹>は,前記マンションを退去した後,両親と共に,亡■<後藤徹氏の父>の転勤先であった大阪で過ごし,その後,平成3年頃からは,被告■<後藤徹氏の兄>及び大阪から東京に戻った両親と共に,亡■<後藤徹氏の父>宅において生活していた。
ク 被告■<後藤徹氏の兄嫁>の脱会
(ア) 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成3年1月当時,信者であったところ,その頃,新潟市内のホテルの一室において,両親との間で,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が信者であることについての話合いを持った。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,上記話合いを行っている間,被告松永の訪問を受けてその話を聞き,また,被告松永の紹介により,被告宮村の訪問を受け,被告宮村からその考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点等についての話を聞いた。
そして,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,統一教会からの脱会を決意し,同年2月,脱会届を書き,これを統一教会に宛てて提出した。
なお,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,脱会を表明した後,被告松永から,脱会に至る経緯等について手記を書くよう勧められたことがあったが,これには応じなかった。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,上記の脱会届を提出した後の同年3月頃,新津教会において寝泊まりし,被告松永の下で,聖書の勉強を行ったり,家族らと話合いを行っている信者の元に出向いて自らの体験を語ったりしていた。
(イ)被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,その後,再び上京した。
ケ 原告が荻窪栄光教会から統一教会のホームに戻った後
(ア) 原告は,前記オ(イ)eのとおり荻窪栄光教会から統一教会のホームへと戻った後,大成建設を退社し,統一教会の信徒組織において,専ら伝道活動や教育活動に従事するようになった。
なお,当時,統一教会においては,その活動に献身的に従事することを目指す者が多くおり,原告もそのような活動に従事することを従前から望んでいた。
(イ)a:原告は,統一教会のホームに戻ってからしばらくの間,両親や被告■<後藤徹氏の兄>との連絡を絶っていたが,平成4年8月頃,両親に対し,統一教会の合同結婚式に参加する旨を連絡した。
b:亡■<後藤徹氏の父>は,原告からの連絡を受けて,当時の統一教会の会長及び統一教会第10教会会長宛てに,原告の家族らが原告の合同結婚式への参加を反対している旨を記した文書を内容証明郵便で送付した。

c:原告は,平成4年8月,当時信者であったSYと共に,韓国において催された統一教会の合同結婚式に参加したが,帰国後,SYがその家族らの説得により信仰を失ったことから,その婚姻生活を開始することができなかった。
(ウ)a:原告は,その後,時間の経過とともに,次第に家族らと連絡をとるようになり,平成5年頃には,亡■<後藤徹氏の父>宅を訪れて,夕食を共にするようになった。
また,原告は,同年2月には,亡■<後藤徹氏の父>や被告■<後藤徹氏の妹>と共に,葉山に旅行に出かけるなどしていた。
b:被告■<後藤徹氏の兄>は,原告が統一教会に所属していることについてなお強い懸念を抱いており,平成5年頃は,約半年間にわたって,1週間又は2週間に1度の頻度で,当時原告が所属していた葛西にある統一教会の伝道の拠点であるビデオセンターに通い,原告との話合いのきっかけを探るなどしていた。

コ 原告への2回目説得のための準備
(ア) a:被告■<後藤徹氏の兄>は,前記エのとおり,統一教会から脱会した後,昭和62年6月頃からは荻窪栄光教会における水茎会の,被告宮村が荻窪栄光教会から離れた後は新たに結成された水茎会の各活動に参加し,被告宮村の手伝いをするなどして,信者に対する家族らの説得活動に協力をしていた。
b:また,被告■<後藤徹氏の妹>は平成3年頃に再び上京した頃から,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は遅くとも平成5年頃までには,それぞれ水茎会の会合に通うようになっていた。
(イ)a:被告■<後藤徹氏の兄>ら及び両親は,遅くとも平成6年12月頃から,再度原告に対して説得を行うための具体的な計画の策定を始めた。
被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>は,後記(ウ)のとおり,新津教会に通い始める平成7年夏頃までは,水茎会の会合に通い,被告宮村や水茎会の家族らの助言を受けながら,原告に対する説得の方法等について検討を進めていた。
そして,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び両親は,原告に対する説得を,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の説得に当たった被告松永の関与の下に行うこととした
b:新津教会では,平成7年当時,毎週日曜日の午後に元信者やその家族らによる勉強会が開催されており,当該勉強会は,信者の家族らの相談の場となっていた。
当該勉強会においては,その子弟を統一教会から脱会させることに成功した経験を有する家族らにより,信者に対する説得のための手法について,子弟を統一教会から脱会させるには統一教会の影響が及ばない場所で説得を行うことが必要である旨,親族の全面的な協力が必要であり,最低でも4人程度の親族の協力が必要である旨,信者を話合いの場所に連れて行くには,通常の乗用車ではなく,ワゴン車を準備する必要がある旨,ワゴン車には,飲料やポータブルトイレを準備する必要がある旨,ワゴン車の中では,両親等の近しい者が子弟の両脇に座る必要がある旨,被告松永の指導には必ず従う必要があり,従わない場合には被告松永は脱会の説得には協力することができない旨,子弟が部屋から出してほしいと述べても,家族らの判断でこれに応じるべきではなく,被告松永の判断に従って判断する必要がある旨などの指導が行われていた。
また,被告松永は,その子弟に対する脱会説得の実行の時期が迫った家族らを集め,脱会説得を行うために用意した部屋への移動をさせる手はずについて打合せを行うとともに,それらの家族らに対し,移動の際に信者に対してどのようにして話すのか等について指導を行い,「救出に際してはお子さんの状況などについて私と連絡を密にとってください。」,「救出に際しては私の言葉に従ってください。従っていただけないのなら,救出を引き受けることはできません。」などと述べていた。

<甲102-1>
なお,被告松永は,その子弟に対して脱会説得を行う意向を有する家族らに対し,脱会説得のための部屋を紹介することもあったが,その一つである新潟市(現在の新潟市中央区)古町通11番地1696所在のシャルム五菜堀301号室については,窓の部分にその開閉ができないようにする器具が設置され,玄関ドアは内側からも施錠することができる仕様にされていた。

<シャルム五菜堀>
次回は、第3の1(1)のコ(ウ)から,1の最後までアップ致します。
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1 前記前提となる事実に証拠
(・甲1から5まで,8から12まで,17,18,20,21,23から27まで,29,35,40から45まで,48,49,51,59,92から102まで, 114, 123から126まで,139,140,153,
・ 乙イ1,乙イ4から7まで,乙イ10,乙イ23,乙イ25,乙イ37から39まで,乙イ41,乙ロ1,乙ロ3,乙ロ12,乙ロ14,乙ロ16,乙ロ19,乙ハ2,乙ハ4,乙ハ10,乙ハ21,乙ハ25,乙ハ45から47まで。
・枝番のあるものは,いずれもそれを含む。
・原告本人,被告■<後藤徹氏の兄>本人,被告■<後藤徹氏の兄嫁>本人,被告■<後藤徹氏の妹>本人,被告宮村本人,被告松永本人。


<原告側証拠>


<被告側証拠>
・なお,被告松永は,前記第2・3(1)ウ(ウ)aのとおり,前掲各証拠のうち一部のメモ(甲98の1,98の3, 102)やビデオ(甲101の1)が信者による盜取に係るものである旨主張し,その証拠として元信者であるMKの各陳述書(乙ロ18, ロ 2 0)を提出するところ,当該主張は,上記メモ及びビデオにつき本件証拠から排除されるべき旨の主張をも含むものと解されるが,上記各陳述書は氏名不詳者による供述内容を伝聞の形で記すにすぎないものであって,信用性が乏しいものといわざるを得ず,本件証拠上,他に上記盗取の事実自体やそれについての原告自身の何らかの関与を窺わせる事情を認めることはできないことから,当該主張は失当であり,採用することができない。)
及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認めることができ<第3の1(1)>,前掲各証拠中,これに反する部分は採用せず,他にこれを左右するに足りる証拠はない。
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
ア 統一教会
(ア) 統一教会は,昭和29年に韓国ソウルで誕生した宗教団体である。統一教会の教義は「統一原理」と称されるものであり,その教義創始者は文鮮明であり,その教義解説書は「原理講論」である。
統一教会の教義は,昭和33年頃,崔奉春(日本名「西川勝」)により日本国内に持ち込まれた。
![20090820093059-thumbnail2[1]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207215512a00s.jpg)
(イ) 信者による伝道活動には,街頭における手相鑑定やアンケート,物品販売などを端緒として行われるものもあるが,それらの端緒の段階においては,その対象者に対して統一教会の伝道活動の一環であることを告げられないことも多くある。
![yjimage[3]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207224741ba4s.jpg)
(ウ) 統一教会については,昭和58年頃から,マインドコントロールによって信者を増やしており,また,その信者が伝道の過程等において行う物品販売等がいわゆる霊感商法であるなどと指摘する書籍等がみられるようになり,昭和61年頃には,テレビ等のマスコミにおいて上記の問題が多く取り上げられ,報道されるに至っていた。
![yjimage[1]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207221030ef1s.jpg)
![yjimage[1] (3)](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/201402072209402fbs.jpg)
![yjimage[1] (2)](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207220759ce4s.jpg)
イ 被告宮村,被告松永,原対協
(ア) 被告宮村
a:被告宮村は,昭和59年8月頃,高校時代の恩師であるYHから,その娘であるYC(以下「C」という。)が統一教会の学生組織である原理研究会のメンバーとして活動するようになったことについての相談を受けた。
被告宮村は,統一教会に関係する文献等を読むなどして調査をしたところ,被告宮村の自宅の近くにある荻窪栄光教会において牧師を務める森山諭(以下「森山牧師」という。)が統一教会の問題に通暁しており,統一教会からの脱会のための信者との話合いを手がけていることを知り,森山牧師の元を訪れ,森山牧師に対し,Cとの話合いの依頼をした。
Cは,同年11月5日,その母親と,待ち合わせ場所である土浦駅で会い,その後,母親らと共に,ワゴン車で荻窪栄光教会へと向かい,荻窪栄光教会において,5日間にわたり,その両親と共に森山牧師との話合いを行った。
なお,Cは,土浦駅でその母親と待ち合わせを行い,その後に上記ワゴン車に乗るまでの間において,その後に森山牧師と話合いをするために荻窪栄光教会に行くことについて告げられていなかった。
また,被告宮村は,荻窪栄光教会へ向かう上記ワゴン車に同乗し,Cが荻窪栄光教会に滞在している間も,時折,荻窪栄光教会における話合いに同席していた。
<YC手記はこちら>
b:被告宮村は,前記aの出来事があった以降も,荻窪栄光教会に通い,森山牧師の下で聖書の勉強をするなどしていたが,昭和59年の夏頃から,森山牧師の依頼を受けて,信者に対する説得活動を手伝うようになった。
当時,荻窪栄光教会には,森山牧師を頼って,信者の家族らが数多く訪れており,被告宮村は,それらの家族らに対し,自身が統一教会について知るところを話すなどしていた。
また,被告宮村は,森山牧師と共に,又は森山牧師の指示の下,脱会説得を受けている信者の元を訪問し,当該信者に対し,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や統一教会の実情等を教示するなどしていた。

c:昭和60年頃,荻窪栄光教会において,森山牧師を頼って集まってくる信者の家族らや元信者が互いの悩みや経験について語り合ったり,集まって勉強を行ったりする場として,水茎会という勉強会が組織された。
水茎会においては,森山牧師が聖書についての話をしたり,被告宮村が信者の家族らに対して統一教会の実情に関する講義をしたり,元信者が自らの脱会に至るまでの体験を語ったりしていた。
(イ) 被告松永
a:被告松永は,昭和60年頃,ある女性から電話で友人が宗教問題で家族を苦しめているので助けてほしい旨の連絡を受けたことを契機として,信者の家族らからの相談を受けるようになった。
b:被告松永は,昭和61年頃,森山牧師が記した統一教会を批判する内容の本を読み,森山牧師からより詳しい話が聞きたいと思い,荻窪栄光教会を訪ね,森山牧師及び被告宮村と面会を行った。被告松永は,その後も,複数回にわたり,荻窪栄光教会に赴き,森山牧師や被告宮村と面談した。
(ウ) 原対協
a:昭和62年頃,信者の家族らが,右翼団体に対して金員を支払って依頼したり,強引な方法を用いたりして,信者である子弟を統一教会から連れ戻すも,そのような子弟が時間が経つと統一教会に戻っていってしまうといった事態が相次いでいた。
そのような事態を受け,同年10月頃,森山牧師を中心とするキリスト教の牧師らにより,統一教会に関する問題に取り組む者の間において意見交換を行うことなどを目的として,原対協が組織された。
b(a)ⅰ:昭和62年9月3日,森山牧師の呼びかけの下,荻窪栄光教会において,原対協の発足準備会が開かれ,これには,森山牧師のほか,尾島,被告松永,被告宮村らが参加していた。
ⅱ:前記ⅰの発足準備会においては,発足する団体の名称が定められるとともに,その活動内容等についての話合いがされた。被告松永は,同日,上記発足準備会において確認された事項をメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)に書き留めた。
ⅲ:前記ⅱの確認に係る事項につき後日作成された合計3枚の報告文書(甲96の1・2)には,その1枚目(甲96の1)に「議事録に関しましては,鋭意作成中でありますが,何分にも問題が問題であるだけに,あえて確認事項についてのみ文章化しました。ご賢察下さい。」,「尚,くれぐれも内容の機密性を徹底して下さい。」と記されているほか,その2枚目(甲96の2・1丁)には,「9月3日の準備会において確認を致しました事項に関し,下記の如くご報告致します。」との文言に続き,原対協の目的については「統一教会にとらえられた魂とその家族の救出相談を目的とする。」旨が,その活動については救出の為の全国の連絡網をつくること,情報の交換並びにキリスト教会及び一般社会への啓蒙活動を活動内容とする旨が,その他「キリストの福音に恥じないありかたを大前提として,救出活動を実施し,幅広い組織化を図る」旨,「救出等にあたり,目的のみならず,手段に関しても潔癖で,ふさわしいものとする。」旨等が記されている。
なお,上記報告文書に記載されている上記の内容は,前記ⅱの被告松永の作成に係るメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)の記載内容とも概ね一致するものである。
(b)ⅰ:昭和62年10月16日,原対協の発足会が開催された。
上記発足会においては,信者の脱会のための説得に当たった経験を有する者らにより,被告松永を含む参加者に対し,それらの者が用いた脱会説得の方法が伝えられた。
ⅱ:被告松永は,前記ⅰにおいて聴取した内容を書き取り,その後,自らが説得を行う際の参考とすべく,これを整理して,メモ(甲98の3)を作成した。
上記メモは,
①「子の救出に際して」と題する部分,
②「車に乗せる前の話し合い」と題する部分,
③「家族との話し合い」と題する部分,
④「両親に対して」と題する部分,
⑤「説得中」と題する部分,及び
⑥「判定規準」
と題する部分から構成され,当該各部分には,それぞれ,以下の記述が含まれている。
①上記①の部分
「本人の願うことをしていくならば必ず出てくる。」,
「家か親戚の家で一論争し,ひとあばれさせる。そして,逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である。」,
「その時電話をさせない。電話のない部屋で話し合う。」

②上記②の部分
「人と場の設定」,
「①電話に注意 必ず報・連・相をして指示を受ける。」,
「②逃げる トイレ」,
「③人数は5~6人,男が4~5人」,
「④1時間くらい,家族として納得できない。少し時間をかけて話し合う,場所を変えて→移動。」,
「⑤警察(110)が入ると信教の自由を盾に逃げる。」

③上記③の部分
「1 1晩ないし2晩は家族で話し合う。」

④ 上記④の部分
「1 説得者の許可なく外出はしない。」,
「2(1)のことは絶対に本人に言わない。」,
「3 親の目から見てまだ信用できないということにする。」,
「5 最初の一週間位は4人を準備する。その後は3人準備する。本人が脱会宣言を電話でし,荷物の引き上げを終了したら,2人でもよい。それでも,説得者の許可なく外出はさせない。必ず逃げるから。」,
「6 外出する時があったら,二人以上で,本人の前には歩かない。必ず,本人を視野に入れて歩く。」

⑤ 上記⑤の部分
「1.外部との関係をシャットアウトする。少しでも協会関係者が近くにいることがわかると本人は耳を傾けなくなり,自信を取り戻す。<絶対に逃げられないのだという意識がない限り聞こうとはしない。>それで4人~6人でとり囲む必要があるのです。」,
「2.ベランダなどに出ようとしたら注意をする。外部の様子を見るから注意を要する。」,
「3.親の権威をもってつぎのことは制止する。
①外にだしてくれ・・・話しを聞け。それは信用できない。
②話したくない・・・私がお願いしてきてもらったのだ,話を聞きたくないならいつまでもこの状態が続く・・・真理なら話してみんなに知ってもらったらいいでは,ないか・・・そんなに自信がないなら聞いたらどうか・・・恐いんだろう!!
③断食‥・どうぞどうぞ断食して卞さい。動けなくなったら逃げられないぞ。」,
「4.24時間・・・誰かが起きていること」

⑥ 上記⑥の部分
「判定基準・・・以上をクリアーして,外出は許される。」,
「1.手記を書く。
①誠実な態度か,
②固有名詞が出ているか,
③霊の子,授けた被害者の名があるか,
④救済しなければならないという意識が見られるか」,
「7.ホーム生活をしている人の救出に申し出るか」

(c)ⅰ:被告松永は,新津教会にその子弟が信者となったことについて相談に来る家族らが増えたことから,昭和62年10月頃,それらの家族らに見せるため,自ら講義を行い,これを録画したビデオを作成した。また,被告松永は,上記講義に先立ち,講義用のレジュメ(甲98の1)を作成した。

ⅱ:前記ⅰの講義において,被告松永は,統一教会の実態,働き,信者の生活の実態等について述べるとともに,脱会説得に当たる際の心構えとして,統一教会の信仰の内容を含めて信者となっている子弟のことを十分に理解する必要がある旨,信者が統一教会において指導を受けて嘘をつくようになっている旨,信者が他人の指示を受けなければ行動することができない人間になっている旨,統一教会においては統一教会に反対する牧師らが行う説得への対策として講座が開かれている旨を述べ,さらに,信者はすぐに統一教会に電話をかけるので電話のない部屋で話合いを行うか,電話線を切っておく必要がある旨,信者は風呂に入るふりをして逃げたり,トイレの窓から逃げたりすることがあるので注意をする必要がある旨,玄関ドアには鍵をかければ足りるが,窓については逃走の際の出口として注意が向きにくいことから留意をする必要がある旨,玄関ドアを開ける際には,他の信者が侵入しないように注意する必要がある旨等を述べた。


ウ 後藤氏両親
両親は,昭和62年1月頃,荻窪栄光教会を訪ね,森山牧師及び被告宮村に対し,被告■<後藤徹氏の兄>,原告及び被告■<後藤徹氏の妹>を統一教会に取られてしまい,苦しんでいる旨を訴えた。
エ 被告■<後藤徹氏の兄>
(ア)a:被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和62年当時,統一教会の「ホーム」と呼ばれる施設に生活の本拠を置き,専ら伝道活動や教育活動に従事する生活を始めており,伝道機動隊という組織の副隊長の地位にあった。
b(a):被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和62年5月頃,亡■<後藤徹氏の父>から,亡■<後藤徹氏の父>宅に呼び出され,当時その信仰において上位の立場にある信者である「アベル」の一人に対し,その日のうちにホームに戻る旨を告げた上,亡■<後藤徹氏の父>宅へ赴いた。
なお,被告■<後藤徹氏の兄>は,亡■<後藤徹氏の父>宅に赴く前において,統一教会に反対する牧師らに対する対策の講座を受講しており,当該講座において,統一教会に反対する牧師らによって信者が精神病院に入れられて廃人にされることがあるなどと指導され,また,統一教会に反対する牧師らの話を聞かないよう指示されていた。
(b):被告■<後藤徹氏の兄>は,亡■<後藤徹氏の父>宅から帰路につこうとしたところ,亡■<後藤徹氏の父>から,亡■<後藤徹氏の父>宅の前に予め準備されていたワゴン車の前において,場所を移した上で話合いをすることを求められ,亡■<後藤徹氏の父>のかけ声とともに亡■<後藤徹氏の父>以外のその場にいた人々によって,強引に上記ワゴン車に乗せられた。
被告■<後藤徹氏の兄>は,上記ワゴン車に乗せられた後,踏切で停車した際に,車窓から外に出ようとして,亡■<後藤徹氏の父>らともみ合いとなり,何者かが通報したことにより,亡■<後藤徹氏の父>らと共に八王子警察署において事情聴取を受けるに至った。
![300px-Hachioji_Police_Station[1]](https://blog-imgs-66-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20140207230409032s.jpg)
<八王子警察署>
(c) 被告■<後藤徹氏の兄>は,その後,亡■<後藤徹氏の父>らと共に再度ワゴン車に乗り,亡■<後藤徹氏の父>が準備していた神戸にあるアパートに向かい,同所に滞在することとなり,その間,両親,尾島及び被告宮村からの説得を受け,統一教会を脱会することを決意した。
なお,被告■<後藤徹氏の兄>が上記アパートに滞在している間,被告宮村は,元信者3名と共に,上記アパートに被告■<後藤徹氏の兄>を訪ね,被告■<後藤徹氏の兄>に対し,統一教会の教えの矛盾点などについて教示した。また,被告■<後藤徹氏の兄>は,脱会を決意するまでの間,1人で上記アパートから出歩くことはなく,また,統一教会の関係者に連絡をとることもなかった。
(イ) 被告■<後藤徹氏の兄>は,統一教会からの脱会を決意した後,両親と共に大阪に居住していたが,被告宮村の勧めにより,昭和62年6月頃から,荻窪にアパートを借りて1人暮らしを始め,荻窪栄光教会に通って森山牧師の下で聖書の教えを学び,また,水茎会において自らの体験談を語り,家族らから脱会説得を受けでいる信者を訪ねて話をするようになった。
また,被告■<後藤徹氏の兄>は,昭和63年2月,タップに入社した。
オ 被告■<後藤徹氏の兄>と両親の原告への脱会に向けての関わり
(ア)a:被告■<後藤徹氏の兄>は,荻窪において生活を始めた後,両親と相談をしながら,当時信者となっていた原告及び被告■<後藤徹氏の妹>を統一教会から脱会させるための話合いを行うことを計画し,まず,原告との間で話合いを行うための準備を進めた。
b:原告は,昭和62年当時,東京都台東区にある統一教会のホームにおいて生活をしながら,大成建設において勤務をしていた。
原告及び被告■<後藤徹氏の妹>は,当時,統一教会の講座等において,家族らから自宅以外の場所において話合いをすることを求められた場合には,話を聞くふりをし,間違いに気付いたという姿勢をみせて偽装脱会を行い,その後戻るように指示されていた。
また,原告及び被告■<後藤徹氏の妹>は,上記講座等において,牧師らや家族らが信者に対して拉致・監禁を行っている旨等の話を耳にしており,昭和62年5月頃から突如連絡が取れなくなった被告■<後藤徹氏の兄>について,拉致・監禁の被害にあったのではないかという心配をしていた。
c:亡■<後藤徹氏の父>は,昭和62年10月,電話で原告を呼び出し,待ち合わせ場所である新宿駅に現れた原告と共に,予め準備してあった京王プラザホテルの客室へと向かった。
同客室は,2部屋が1つのドアでつながっているタイプのものであった。

<京王プラザホテル客室見取り図>
なお,信者の中には,原告と同様に京王プラザホテルの上記の客室と同様の客室において,家族や被告宮村から脱会の説得を受けた経験がある者もいる。
原告が上記客室に到着すると,既に室内には被告■<後藤徹氏の兄>が原告を待っていた。被告■<後藤徹氏の兄>は,原告に対し,統一教会を脱会することにした旨を述べるとともに,自身で統一教会のことを調べた結果,とんでもない団体であることが分かったとして,話し合って統一教会の教えや活動のことについて再度考えるよう告げた。
なお,原告は,上記客室に到着するまでの間に,亡■<後藤徹氏の父>又は被告■<後藤徹氏の兄>から,当日以降しばらく上記客室に滞在することになる旨やその後は荻窪にあるアパートに滞在することになる旨等を告げられてはいなかった。
また,亡■<後藤徹氏の父>は,原告が上記客室に到着するのに先立って,大成建設の原告の上司に対し,原告をしばらくの間休ませる旨を伝え,その旨の了解を得ていたが,原告は,そのことを知らされていなかった。
d:原告は,前記cの客室において,亡■<後藤徹氏の父>から予め依頼を受けていた被告宮村や被告宮村が帯同する元信者らの訪問を受け,被告宮村から,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話を聞いた。
原告は,前記cの客室に入ってから数日後,統一教会の教えやその活動に疑問を持つようになったとして,亡■<後藤徹氏の父>らに対し,統一教会から脱会する旨の意思を表明した。
しかし,その後も,原告は,上記客室に滞在することを余儀なくされ,程なく,亡■<後藤徹氏の父>らと共に,上記客室から荻窪にあるマンションの一室へと移動し,約1か月間同所に滞在した。
e:原告は,前記dのマンションに滞在しながら,被告■<後藤徹氏の兄>の勧めを受け,被告■<後藤徹氏の兄>や両親に付き添われて荻窪栄光教会の礼拝に参加し,また,森山牧師の元を訪れて話を聞くなどしていたが,昭和62年11月下旬頃のある日曜礼拝の際,■<後藤徹氏の母>に対してトイレに行く旨を告げてその場を離れ,そのまま,統一教会のホームへと戻った。

<荻窪栄光教会礼拝堂>
f:原告が前記eのとおりホームへと戻るまでの間,原告は,常に両親や被告■<後藤徹氏の兄>が原告と行動を共にしていたため,統一教会の関係者と連絡をとることはもとより,電話を使用することもできなかった。
また,原告が前記cの客室から前記dのマンションの一室へと移動する際には,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>のほか,元信者の男性も原告に同行した。
g:原告は,統一教会のホームに戻った後,「鈴木祐司」という偽名を名乗って生活をしていた。
原告は,昭和63年頃に被告■<後藤徹氏の妹>と会った際には,被告■<後藤徹氏の妹>に対し,前記cからfまでの自らの体験について語るとともに,「宮村さんと話をして,霊人体がぐちゃぐちゃになった。1回は落ちたけど,どうしても確かめたいことがあって,その疑問点を確かめるために統一教会に戻ってきた。」などと述べ,被告■<後藤徹氏の妹>に対して注意をするよう述べた。
カ 森山牧師が脳出血を患った後の水茎会
(ア) 昭和63年7月頃,荻窪栄光教会の森山牧師が脳出血を患い,荻窪栄光教会における水茎会の活動は,一時休止の状態となった。
被告宮村は,同年10月頃,それまで上記の活動を共にしてきた他の者らとの間で種々の点において意見の相違がみられるようになったことから,荻窪栄光教会における水茎会という上記の活動の場から離れた。
(イ)a:その後,信者の家族らにより,荻窪栄光教会とは関係を有しない団体として,新たな水茎会が結成された。
被告宮村は,それらの家族らから求められ,その新たな水茎会において,統一教会の実情や統一教会の教義について話をするようになった。
被告宮村は,東京都新宿区所在のキリスト教の教会である新宿西教会において催される水茎会の集まりの場や荻窪にあるマンションの一室において,信者の家族らに対し,その求めに応じて,信者と脱会説得のための話合いをするに際しての助言を行ったり,自らも家族らからの依頼を受けて直接信者に対する脱会説得に当たったりするなどしていた。

<新宿西教会入り口>
被告宮村は,脱会説得についての助言を行う際,信者の家族らに対し,親戚にも事情を話してその協力を仰ぐ必要がある旨,親や兄弟,親戚が一致団結しなければ,脱会説得は成功しない旨,信者は命がけで信仰をしているのであるから,家族らも命がけで説得に当たる必要がある旨,信者に対する脱会説得を行うに当たっては,事前に長期の休みをとることができるよう準備をしておく必要がある旨,脱会説得は統一教会との接触を遮断した環境下で行うことが必要であり,絶対に信者に統一教会との連絡をとらせてはいけない旨,たとえ信者本人が脱会を表明した場合や辛そうにしている場合でも,偽装脱会のおそれがあるから,信者を退出させる旨の判断については,家族らが,これを独自に行うべきではなく,被告宮村の意見を聞いた上で行う必要がある旨などを述べていた。
b:また,被告宮村は,前記のとおり,水茎会において,信者の家族らの要望に応じて統一教会の話をしたり,説得についての相談に乗ったりしていたほか,そのような家族らに対し,住んでいる場所や信者本人の性格,経歴等に照らして,他の牧師やカウンセラーに相談をすることを勧めることもあった。
c:被告宮村は,平成元年11月頃,当時偽装脱会をした状態で被告宮村による他の信者の説得に同行していたある信者に対し,「荻窪栄光教会から礼拝中に逃げていった馬鹿な男がいる。」,「今度は絶対に落としてやる。」などと述べていた。
<参照:YS陳述書>
キ 被告■<後藤徹氏の妹>の脱会
(ア)a:被告■<後藤徹氏の妹>は,平成元年3月当時,亡■<後藤徹氏の父>宅に1人で住み,東京都渋谷区にある婦人服のメーカーに勤めながら,統一教会の活動を行っていた。
同月のある日,被告■<後藤徹氏の妹>が亡■<後藤徹氏の父>宅に戻ったところ,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>が被告■<後藤徹氏の妹>を待っていた。
被告■<後藤徹氏の妹>は,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>から,被告■<後藤徹氏の妹>が信者であることについて話合いをしたい旨の申出を受け,前記の統一教会での指示に従い,これに応じることとして,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>と共に,荻窪にあるマンションの一室へと移動した。
b:被告■<後藤徹氏の妹>は,約3か月間,前記aのマンションにおいて,両親及び被告■<後藤徹氏の兄>と共に滞在した。
被告■<後藤徹氏の妹>は,上記マンションに滞在している間,被告宮村や元信者の訪問を受けた。
被告■<後藤徹氏の妹>は,当初,被告宮村が訪問した際,室内の押入れの中に閉じこもり,被告宮村との対話を行うことを拒んでいたが,やがてこれに応ずるようになり,被告宮村からその考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や文鮮明に関する話などを聞いた。
そして,被告■<後藤徹氏の妹>は,平成元年4年,統一教会から脱会した。
被告■<後藤徹氏の妹>は上記マンションに3か月にわたって滞在した間のうち,当初は外出をすることができない状態にあったが,1か月ほど経過して統一教会の教えが誤りであると考えるようになり,脱会を表明し始めた頃から,両親らと共に外出や外食をするようになった。
また,上記の滞在期間中において,被告■<後藤徹氏の妹>が統一教会の関係者に対して連絡をとることはなかった。
(イ) 被告■<後藤徹氏の妹>は,前記マンションを退去した後,両親と共に,亡■<後藤徹氏の父>の転勤先であった大阪で過ごし,その後,平成3年頃からは,被告■<後藤徹氏の兄>及び大阪から東京に戻った両親と共に,亡■<後藤徹氏の父>宅において生活していた。
ク 被告■<後藤徹氏の兄嫁>の脱会
(ア) 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,平成3年1月当時,信者であったところ,その頃,新潟市内のホテルの一室において,両親との間で,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が信者であることについての話合いを持った。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,上記話合いを行っている間,被告松永の訪問を受けてその話を聞き,また,被告松永の紹介により,被告宮村の訪問を受け,被告宮村からその考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点等についての話を聞いた。
そして,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,統一教会からの脱会を決意し,同年2月,脱会届を書き,これを統一教会に宛てて提出した。
なお,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,脱会を表明した後,被告松永から,脱会に至る経緯等について手記を書くよう勧められたことがあったが,これには応じなかった。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,上記の脱会届を提出した後の同年3月頃,新津教会において寝泊まりし,被告松永の下で,聖書の勉強を行ったり,家族らと話合いを行っている信者の元に出向いて自らの体験を語ったりしていた。
(イ)被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,その後,再び上京した。
ケ 原告が荻窪栄光教会から統一教会のホームに戻った後
(ア) 原告は,前記オ(イ)eのとおり荻窪栄光教会から統一教会のホームへと戻った後,大成建設を退社し,統一教会の信徒組織において,専ら伝道活動や教育活動に従事するようになった。
なお,当時,統一教会においては,その活動に献身的に従事することを目指す者が多くおり,原告もそのような活動に従事することを従前から望んでいた。
(イ)a:原告は,統一教会のホームに戻ってからしばらくの間,両親や被告■<後藤徹氏の兄>との連絡を絶っていたが,平成4年8月頃,両親に対し,統一教会の合同結婚式に参加する旨を連絡した。
b:亡■<後藤徹氏の父>は,原告からの連絡を受けて,当時の統一教会の会長及び統一教会第10教会会長宛てに,原告の家族らが原告の合同結婚式への参加を反対している旨を記した文書を内容証明郵便で送付した。

c:原告は,平成4年8月,当時信者であったSYと共に,韓国において催された統一教会の合同結婚式に参加したが,帰国後,SYがその家族らの説得により信仰を失ったことから,その婚姻生活を開始することができなかった。
(ウ)a:原告は,その後,時間の経過とともに,次第に家族らと連絡をとるようになり,平成5年頃には,亡■<後藤徹氏の父>宅を訪れて,夕食を共にするようになった。
また,原告は,同年2月には,亡■<後藤徹氏の父>や被告■<後藤徹氏の妹>と共に,葉山に旅行に出かけるなどしていた。
b:被告■<後藤徹氏の兄>は,原告が統一教会に所属していることについてなお強い懸念を抱いており,平成5年頃は,約半年間にわたって,1週間又は2週間に1度の頻度で,当時原告が所属していた葛西にある統一教会の伝道の拠点であるビデオセンターに通い,原告との話合いのきっかけを探るなどしていた。

コ 原告への2回目説得のための準備
(ア) a:被告■<後藤徹氏の兄>は,前記エのとおり,統一教会から脱会した後,昭和62年6月頃からは荻窪栄光教会における水茎会の,被告宮村が荻窪栄光教会から離れた後は新たに結成された水茎会の各活動に参加し,被告宮村の手伝いをするなどして,信者に対する家族らの説得活動に協力をしていた。
b:また,被告■<後藤徹氏の妹>は平成3年頃に再び上京した頃から,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は遅くとも平成5年頃までには,それぞれ水茎会の会合に通うようになっていた。
(イ)a:被告■<後藤徹氏の兄>ら及び両親は,遅くとも平成6年12月頃から,再度原告に対して説得を行うための具体的な計画の策定を始めた。
被告■<後藤徹氏の兄>ら及び■<後藤徹氏の母>は,後記(ウ)のとおり,新津教会に通い始める平成7年夏頃までは,水茎会の会合に通い,被告宮村や水茎会の家族らの助言を受けながら,原告に対する説得の方法等について検討を進めていた。
そして,被告■<後藤徹氏の兄>ら及び両親は,原告に対する説得を,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の説得に当たった被告松永の関与の下に行うこととした
b:新津教会では,平成7年当時,毎週日曜日の午後に元信者やその家族らによる勉強会が開催されており,当該勉強会は,信者の家族らの相談の場となっていた。
当該勉強会においては,その子弟を統一教会から脱会させることに成功した経験を有する家族らにより,信者に対する説得のための手法について,子弟を統一教会から脱会させるには統一教会の影響が及ばない場所で説得を行うことが必要である旨,親族の全面的な協力が必要であり,最低でも4人程度の親族の協力が必要である旨,信者を話合いの場所に連れて行くには,通常の乗用車ではなく,ワゴン車を準備する必要がある旨,ワゴン車には,飲料やポータブルトイレを準備する必要がある旨,ワゴン車の中では,両親等の近しい者が子弟の両脇に座る必要がある旨,被告松永の指導には必ず従う必要があり,従わない場合には被告松永は脱会の説得には協力することができない旨,子弟が部屋から出してほしいと述べても,家族らの判断でこれに応じるべきではなく,被告松永の判断に従って判断する必要がある旨などの指導が行われていた。
また,被告松永は,その子弟に対する脱会説得の実行の時期が迫った家族らを集め,脱会説得を行うために用意した部屋への移動をさせる手はずについて打合せを行うとともに,それらの家族らに対し,移動の際に信者に対してどのようにして話すのか等について指導を行い,「救出に際してはお子さんの状況などについて私と連絡を密にとってください。」,「救出に際しては私の言葉に従ってください。従っていただけないのなら,救出を引き受けることはできません。」などと述べていた。

<甲102-1>
なお,被告松永は,その子弟に対して脱会説得を行う意向を有する家族らに対し,脱会説得のための部屋を紹介することもあったが,その一つである新潟市(現在の新潟市中央区)古町通11番地1696所在のシャルム五菜堀301号室については,窓の部分にその開閉ができないようにする器具が設置され,玄関ドアは内側からも施錠することができる仕様にされていた。



<シャルム五菜堀>
次回は、第3の1(1)のコ(ウ)から,1の最後までアップ致します。
これからも後藤徹氏の応援をよろしくお願いいたします。
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2014-02-08(Sat)
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