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後藤徹氏最終準備書面④-宮村氏の嘘を必死に取り繕う山口広弁護士

後藤氏の準備書面もこれで4回目となりました。
先回は、第6章の2まででしたので、その続きからになります。

相変わらず、陳述書や調書などの引用が多くあります。
宮村氏の陳述書と法廷の証言での食い違い,それを取り繕う山口広弁護士などのやり取りは,興味深いです。

宮村氏が後藤氏の監禁にかかわっていないことをことさら強調しようとしてついた嘘が,矛盾を生じさせ,結局のところ,宮村氏の証言の信憑性をぐぐっと低めているのではないかと思います。

今回の掲載箇所は下記のとおりです。


第6 新潟パレスマンション多門における拉致監禁・脱会強要
  3.新潟パレスマンション多門での監視状況
  4.被告■<後藤徹氏の兄>らの言う「話し合い」の目的
  5.新潟での監禁中における被告らの共謀
   (1)被告松永と被告■<後藤徹氏の兄>らの共謀
   (2)被告松永と被告宮村の共謀
   (3)被告宮村と被告■<後藤徹氏の兄>らとの共謀

第7 荻窪プレイス605号室での監禁   
  1.監禁状況
  2.被告宮村と被告■<後藤徹氏の兄>らとの連携に関する被告宮村の供述の虚偽性

第8 荻窪フラワーホーム804号室での監禁
  1.監禁状況
  2.南京錠の鍵が下駄箱の上にあったとの供述の虚偽性
  3.被告宮村が南京錠を外すように言ったとの被告らの供述の虚偽性
  4.原告による玄関状況の確認及び玄関ドアと木戸の施錠時間
  5.被告宮村の脱会強要
  6.実力行使事件
  7.トイレ事件
  8.原告を部屋から出そうとしたとの供述の虚偽性
  9.業者問題
  10.荻窪フラワーホームにおける「氏族メシヤ・家族の救い」
  11.2008年2月10日に原告を部屋から出したこと
  12.荻窪フラワーホームでの監禁に対する被告宮村の共謀
   (1)被告■<後藤徹氏の兄>らの被告宮村に対する報告・連絡・相談体制
   (2)偽装脱会を表明した事実を知らなかったとの被告宮村の供述の虚偽性
   (3)原告の断食について被告■<後藤徹氏の兄>から聞いていた事実
   (4)被告宮村が原告を解放しなかった事実
3.新潟パレスマンション多門での監視状況
パレス多門607号室

 被告■<後藤徹氏の妹>は,1996年3月以降,同被告と原告だけという状態が多かったなどと供述するが,陳述書においては,原告と母と被告■<後藤徹氏の妹>とが,新潟に残って新潟で生活したと述べているのであるから(乙イ7号証22頁6行),実際には同被告と原告だけという状態は殆ど無かったものである。なお,父<後藤徹氏の父>は心筋梗塞で新潟市民病院を退院後,直ぐには新潟パレスマンション多門607号室に戻らず,リハビリのため一旦東京の実家で生活したようであるが(乙イ41号証3頁),原告は■<後藤徹氏の父>が退院後に新潟パレスマンション多門607号室に戻って来たのを見ており(原告調書24頁25行~26行),父■は上記手紙にも記された本人の希望通り,その後再度マンションに戻り,原告の監視に当たったものである。

 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,翌1997年3月頃,原告の母が父の看病のため東京に行くことになり,部屋に原告以外は被告■<後藤徹氏の妹>しか残らない状況が生じることとなった時,被告■<後藤徹氏の妹>が非常に不安になったので,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は部屋に戻ったと供述する(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書7頁6行~13行)。出入りの自由な部屋に原告と被告■<後藤徹氏の妹>がいただけだとしたら,部屋に兄妹がいるというだけのことであり,「不安」などないはずである。これは,実際には原告を監禁している状況であり,原告以外に女性が1人だけでは,万一原告が玄関ドアの施錠を破壊するなどして脱出を試みた際,阻止できるか心配だったというもにに<ママ>他ならない。このことからも明らかなように,1996年3月以降1997年3月までの間においても,原告以外に最低2人は部屋に常駐し原告を監視していたものである。現実的に考えても,監視役が1人であれば,食料の買い出しに行くこともできず,監禁継続は不可能となることは自明である。

4.被告■<後藤徹氏の兄>らの言う「話し合い」の目的

被告■<後藤徹氏の兄>は,新潟パレスマンション多門607号室において原告が脱会表明したにもかかわらず新津教会のリハビリにさえ行かせなかった理由について,1987年の京王プラザホテルに始まる「話し合い」に次いで今回が2回目であり,被告■<後藤徹氏の兄>らが原告の偽装脱会を疑う目も厳しくなっていたからだと供述する(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書32頁12行~22行,同33頁4行~6行)。したがって,リハビリに行かせるかどうかについても,本人の意向とは関係なく,家族が決めていた事実が明らかである。ところで,原告が偽装脱会していたのだとしたら,それは被告松永や被告■<後藤徹氏の兄>らによる脱会説得を回避したいからに他ならず,被告■<後藤徹氏の兄>もその旨認める(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書33頁4行~11行)。このように,原告が脱会表明しても偽装ではないかと疑い,原告に被告松永や被告■<後藤徹氏の兄>らの話を聞く意思がないことがわかっていながらも,なお原告を監禁から解放せず,「話し合い」を継続したというのであるから,被告■<後藤徹氏の兄>らの言う「話し合い」継続の目的が,原告を偽装ならぬ真の脱会に至らしめることにあったことは明らかである。

 また,被告■<後藤徹氏の妹>は「私たち家族は,徹が合同結婚式で祝福を受けた可能性も踏まえ,相対者(合同結婚式における結婚相手)と家庭を持つ前に,何とか話し合いをしたいと徹と話し合いの時を持ちたいと考えていました」(乙イ7号証17頁21行~24行)と述べる通り,被告らにおいて,原告が1995年8月の36万双の国際合同家婚式に参加した可能性を認識しつつ,これほど長期間原告を監禁したことの背景には,原告の結婚妨害があったことは明かである。
 このように被告らには原告の意思を尊重する意識など微塵もなく,原告が真に脱会し,国際合同家婚式で結ばれた相手との結婚も放棄するまで原告を監禁から解放しない意向であったのである。

5.新潟での監禁中における被告らの共謀

(1)被告松永と被告■<後藤徹氏の兄>らの共謀
 被告松永作成のマニュアル(甲98号証の3)の4枚目「両親に対して」の「5」には信者に関して「説得者の許可なく外出はさせない」との記載があるのみならず,「1」において両親に対してもまた「説得者の許可無く外出はしない」との記載があり,被告松永のもとにおける「保護」「救出」なる活動が,両親といえども被告松永の指示に完全に従わなければならない性格のものであることは明らかである。
甲98-3④
<被告松永作成のマニュアル(甲98号証の3)の4枚目>


また,信者を監禁中の父兄が被告松永に連絡を入れるべきことは,甲49号証の5の2枚目に「報告の時」として信者の反応などを報告すべきことが記されていることから明らかであるが,甲102号証1枚目右下に連絡時間として,「7:00-7:30」「9:00-10:00」とあるように,原告に対する監禁中も,毎日一定の時間に原告を監禁していた家族等が被告松永に報告の電話を入れていたことは間違いない。
甲102-1
<甲102号証1枚目>

 被告■<後藤徹氏の兄>らは原告を新潟パレスマンション多門607号室に監禁後は,被告松永の指示・指導を受けつつ,原告に対する脱会強要に当たったものである。

(2)被告松永と被告宮村の共謀

 原告が新潟パレスマンション多門607号室に監禁されて以降の被告松永と被告宮村との共謀について被告宮村は,原告の父が心筋梗塞で倒れた1996年3月の直前に被告松永に連絡したところ,被告松永が「脱会届を書いた」と話した旨述べ,それまで被告松永は,原告が新潟で話し合っていることについて被告宮村が知らなかったと思うなどと供述する(被告宮村調書37頁13行~38頁24行)。しかしながら,「第1」で述べたごとく,原対協の会合の趣旨は,統一教会信者の「救出」に向けて,「同志が緊密かつ,迅速に連絡しあい,協力しあって,これからの対策を積極的に推進」することにあるというのであり(甲95号証1枚目挨拶文),甲96号証の2「4」においては,原対協自体が活動内容として,「救出活動」,即ち統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を「実施」することが明記されている。したがって,被告松永及び被告宮村が,こうした方針に則り互いに連携しつつ原告に対する拉致監禁,脱会強要に当たったことは明らかであり,1996年3月頃に至るまで原告のことで連絡を取り合っていなかったなどということはあり得ない。

 加えて言えば,被告松永の場合,教会建設のため当時巨額の借入れまで行って資金集めをしていたというのであるから(甲27号証35頁,被告松永調書73頁14行~74頁6行),資産家が新津教会に繋がることが,経済的にも大きな助けとなったであろうことは火を見るより明らかである。この点,原告の父は十條板紙株式会社の取締役を務めるなど(被告■<後藤徹氏の兄>ら準備書面(2)4頁1行)資産家であったのであるから,そのような顧客を被告宮村から回して貰ったことに対して被告松永が感謝しないはずはないのであり,何らの挨拶も報告もしないなどという不義理を行うわけがないのである。そして実際には,「第1」で述べた被告宮村の原対協参加牧師等に対する指導的立場からも明らかな通り,被告松永が原告に対する拉致監禁,脱会強要に際し,その状況を逐一被告宮村に伝え,被告宮村の指示・判断を仰いだことは間違いない。

(3)被告宮村と被告■<後藤徹氏の兄>らとの共謀

 被告宮村は陳述書にて,1996年春,■<後藤徹氏の父>が心筋梗塞で倒れたので,家族と原告との話し合いが「いよいよ大変なことになった」と心配したと述べる(乙ハ2号証26頁8行~11)。しかし,これは一見不可解な供述である。原告は1995年2月頃に脱会届を出し,ホームの荷物も引き上げ,反省の手記まで書いていたのであるから(乙イ7号証21頁19行~26行),被告宮村にとっては何ら憂う必要はなく,あとは原告が新潟のマンションを引き払って東京に戻ってくるのを待つだけだったはずだからである。にもかかわらず,被告宮村が「いよいよ大変なことになった」と心配したというのは,原告が偽装脱会をしていたことについて同被告が確信を持っていたからに他ならない。しかも,■<後藤徹氏の父>が入院した場合,新潟パレスマンション多門607号室で原告の監視に当たれるのはせいぜい女性3人となり,しかもその中で<後藤徹氏の父>の看病で抜ける者が出れば,部屋には女性2人しか残らないのである。マニュアル(甲98号証の3)の4枚目「5」には,「本人が脱会宣言を電話でし,荷物の引き上げを終了したら2人でも良い」とあるが,本人は偽装脱会中なのでこれには当たらず,その直前の「3人準備する」に該当するところ,その3人の確保すらままならない状況だったのである。これでは原告の逃走を防げないかも知れないと思ったために,「いよいよ大変なことになった」と心配したのであって,それ以外に心配すべき理由はない。
甲98-3④
<甲98号証の3 4枚目>

 被告宮村は陳述書にて,翌1997年4月頃,■<後藤徹氏の父>より,「徹は明らかに偽装脱会をしている。なんとか徹と話をして家族と普通に対話ができる状態にするお手伝いをしてもらえないか」と懇願されたと述べる(乙ハ2号証26頁16行~17行)。しかし,脱会説得について素人の<後藤徹氏の父>が,脱会説得のプロである被告宮村を前にして,原告に関して「明らかに偽装脱会をしている」などと断定できるはずはない。この点,被告宮村は,『親は何を知るべきか』(甲24号証)において「マインド・コントロールから本人がいつ解放されるか,そしてそれはどうしたら確認できるのか。とても重要なことですが,答えは,残念ながら明らかにはできません」と述べ(144頁16行~末行),信者の脱会判定が自身の専権であることを誇示しつつ,マニュアル(甲98号証の3)6枚目の「判定規準」に基づいて信者の脱会を判定していたものであり,実際にも,被告宮村の許可無く親が勝手に信者を解放した事例など一件もないというのであるから(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書15頁15行~25行),実際にはこの時,被告宮村こそが,■<後藤徹氏の父>に対し,原告が偽装脱会しているとの判定を下したものと言える。更に,これ以上被告松永のもとで脱会説得を続けても何らの進展もないと判断した被告宮村は,追って原告を荻窪に移すよう指示したに違いないのである。

第7 荻窪プレイス605号室での監禁

1.監禁状況

荻窪プレイス605号室の玄関ドアはダイヤルロック式の鍵によって開閉不能にされていたものである(甲9号証15頁21行~24行,原告調書27頁3行~8行)。窓について原告は施錠状況を記憶していないものの,6ヶ月間一度も開けられたことがなかったという事実の異常性(原告調書27頁9行~12行)及び前後の2つのマンションで窓が開閉不能であったことから,荻窪プレイス605号室においても窓が開閉不能であったことは間違いない。被告■<後藤徹氏の兄>らは玄関ドアの施錠について否定するが(乙イ10号証18頁13行~15行,被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書13頁17行~19行),新潟パレスマンション多門607号室の場合と同様の理由から,被告■<後藤徹氏の兄>らの供述は嘘である。

 そもそも,同室は水茎会会員の父兄の名義で借りて水茎会が管理し,統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要のために使い回ししていた部屋である。この点,被告■<後藤徹氏の兄>も,同室は水茎会の知人から借りた事実を認め(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書13頁10行~13行),同室にあった小型冷蔵庫について,部屋を退去するとき同室に置いていった旨供述するが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書37頁4行~9行),通常の賃貸であれば家財道具を置いて行くなど許されず,同室が水茎会によって使い回しされていた監禁部屋であったことは明らかである。
 なお,被告■<後藤徹氏の兄>は,荻窪プレイスの次に移転した荻窪フラワーホーム804号室について,杉並教会が近く荻窪駅を利用する統一教会信者が前の道を通るので,危険を感じて玄関ドアを南京錠で開閉不能にしたが,荻窪プレイスにはそのような危険がなかった旨供述する(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書40頁12行~41頁8行)。しかし,荻窪プレイスも荻窪駅付近には違いない。被告■<後藤徹氏の兄>が言うように原告が統一教会信者に目撃されることが危険なことだとしたら,原告が荻窪駅周辺を歩くことも,原告がベランダに出ることも阻止しなければならなかったはずである。

 被告■<後藤徹氏の兄>は荻窪プレイス605号室を借りるに先だって同室を借りることを原告に伝えていないと供述する(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書32頁23行~25行)。一方,被告■<後藤徹氏の兄>は,東京に場所を移すことを原告に言った旨述べるが(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書13頁4行~8行),これは原告が保谷市の実家に連れて来られてより後のことであって,新潟では原告は東京に場所を移すことなど一切聞かされていない。そうであればこそ,原告は財布を新潟パレスマンション多門607号室に置いてきたものであり,原告が財布を置いてきた事実自体は被告■<後藤徹氏の兄>も認める(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書14頁9行~11行)。ここでも原告の意思は全く無視されているのであり,原告の意思を一切尊重しないという本件の特徴が顕著に窺える。これもまた,統一教会信者の人権を一顧だにしないマニュアル(甲98号証の3)によって父兄を扇動してきた被告宮村及び被告松永の指導・教育が被告■<後藤徹氏の兄>らに浸透した結果に他ならない。

 なお,被告■<後藤徹氏の兄>らは,荻窪プレイス605号室に移ってから最初の1ヶ月間は被告■<後藤徹氏の兄>と母とは同室には居なかったと供述するが(乙イ5号証37頁1行~5行,被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書13頁20行~24行),実際には被告■<後藤徹氏の兄>も母も用があって出かけることはあっても,夕方以降は荻窪プレイスに戻ってきて必ず寝泊まりをしていたのである(原告調書28頁3行~14行)。

2.被告宮村と被告■<後藤徹氏の兄>らとの連携に関する被告宮村の供述の虚偽性

被告宮村は陳述書では,■<後藤徹氏の父>の葬儀には出たものの,原告がいつどのように新潟から東京に移りどこのマンションにいるかなど,知らなかったと述べ(乙ハ2号証26頁23行~25行),主尋問においては,■<後藤徹氏の父>の葬儀後に出社してきた被告■<後藤徹氏の兄>から,原告と共に東京に来ていると言われ,原告の了解が取れたら話に来て欲しいと頼まれたものの,そのとき後藤家がどこのマンションにいるか知らなかったと述べる(被告宮村調書29頁5行~20行)。この点被告■<後藤徹氏の兄>も陳述書において,「宮村さんには,父が生前に母と一緒に,徹に話をしてやって欲しいとお願いしており,荻窪プレイスに入ったころには,徹が話を聞きたいと言ったらお願いしますと私の方からも伝えてありました」と述べるが(乙イ10号証20頁19行~21行)被告■<後藤徹氏の兄>が被告宮村に対し,原告に会いに来るよう依頼しておきながら,東京のどこに原告がいるのか伝えない(被告宮村のお膝元である荻窪に居るにもかかわらず)などということはあり得ない。被告宮村は反対尋問では,被告■<後藤徹氏の兄>が被告宮村の会社の従業員なのに,荻窪にいることも言わなかったのかとの質問を受けた際,「聞いていない」と述べる(被告宮村調書99頁17行~21行)。しかし,従業員がどこから会社に通って来ているかは交通費の計算や緊急連絡先の関係で会社にとって重大な事項であり,「聞いていない」では済まされないのであるから,被告宮村の供述が嘘であることは言うまでもない。

 また,被告宮村は,原告が荻窪フラワーホーム804号室に連れて行かれてより後,原告が偽装脱会の事実を表明してより後に被告■<後藤徹氏の兄>から電話があるまでの間,原告が同室にいたことを知らなかった旨供述する(被告宮村調書102頁8行~15行)。しかし,荻窪フラワーホームは被告宮村が30年来,統一教会信者の脱会説得のために訪れているマンションであり,原告の監禁中も,証人OBや証人MKに対する脱会説得のため,被告宮村が同マンション505号室に来訪するなど,同マンションの数室を水茎会で確保して反復継続して利用しているものである。しかも,被告■<後藤徹氏の兄>は被告宮村が経営する会社の従業員であり,毎日顔を合わせている関係にある。また,804号室に滞在した原告の家族等も,水茎会に通って原告に対する「話し合い」に向け被告宮村と謀議を重ねてきた関係である。原告が同室に連れて来られていることを被告宮村が知らなかったなどということは絶対にあり得ないことである。

 実際には,被告宮村の許可がなければ信者は部屋から解放されないものである以上(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書15頁15行~25行),どの部屋がいつ空く予定であるとか,いつどの部屋が空いたといった状況を一番把握していた人物は被告宮村であり,荻窪プレイス605号室も荻窪フラワーホーム804号室も,その空室状況を把握していた被告宮村が被告■<後藤徹氏の兄>らに入室を指示したものである。即ち,■<後藤徹氏の父>の訃報に接し,原告を上京させざるを得ない状況を知った被告宮村は,本来なら部屋の構造から最も監禁に適してた荻窪フラワーホーム(甲9号証添付図4)を脱会強要の部屋として用いたかったものであるが,あいにく水茎会で確保していた部屋が満室であったため,やむなく荻窪近辺にある荻窪プレイス605号室に一時原告を監禁するよう指示し,荻窪フラワーホームが空くまで待機させたのである。そして1997年12月になって804号室が空いたことから,同室に原告を移動させ,自ら脱会強要に乗り出したものである。
荻窪フラワーホーム804号室間取り図


第8 荻窪フラワーホーム804号室での監禁

1.監禁状況

荻窪フラワーホーム804号室では入居当初より玄関ドアが防犯チェーンで施錠された上,その防犯チェーンに南京錠が施錠されることによって開閉不能にされていたものであり,また,全ての窓も施錠できるタイプのクレセント錠によって開閉不能にされていたものである(甲9号証16頁7行~10行,同13行~15行,原告調書29頁25行~30頁6行)。

 玄関ドアの南京錠については,検察審査会議決書において「入居前に取り付け」たと記されている(乙イ1号証6頁14行)。この点,被告■<後藤徹氏の兄>は反対尋問において一旦は,入居後1週間くらいして南京錠を取り付けたと供述したものの,検察審査会議決書を示されるや,同被告の記憶違いであり,検察審査会議決書通りであった事実を認めた(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書39頁23行~40頁5行)。入居前から南京錠があったというのは一般にはあり得ないことであるが,これは,荻窪フラワーホーム804号室が元々水茎会の父兄の名前で借りて拉致監禁,脱会強要のために使い回しされていた部屋だからに他ならない。この点,被告■<後藤徹氏の兄>も,同室を水茎会の知人から借りた事実を認める(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書13頁10行~13行)。また被告■<後藤徹氏の兄>は,同室にあった超特大冷蔵庫について,入居前からあったことを認めるが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書45頁18行~46頁2行),これも,同室が水茎会によって使い回しされていたためである。したがって,施錠できるタイプのクレセント錠や木戸の施錠できるタイプのドアノブも,当初より監禁用に取り付けられていたものであって,被告■<後藤徹氏の兄>が取り付けたものではない。

 荻窪フラワーホームは,水茎会が1980年代後半頃から被告宮村による拉致監禁,脱会強要のために管理してきたマンションである。同マンション705号室は原理研究会の伊勢谷俊昭が作成した「栄光教会アジト監禁場所」(甲127号証の2)にも掲載されているが,同マンションを水茎会が管理し,「保護」即ち拉致監禁,脱会強要のために繰り返し利用してきた事実は被告■<後藤徹氏の兄>も認めるところである(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書12頁7行~21行)。実に原告が監禁されていたと同時期に同マンション505号室では1996年2月乃至3月に証人OBが(乙イ19号証2頁16行),また1996年3月乃至1998年9月に証人MKが(甲11号証4頁22行~24行,同9頁33行~34行),それぞれ監禁されており,被告宮村も同室が2人の「保護」に使用されていた事実を認める(被告宮村調書102頁22行~24行)。したがって,原告が監禁された804号室においても,南京錠,木戸の鍵付きドアノブ,窓のクレセント錠などは最初から備え付けられていたものに他ならない。即ち同室は最初から監禁用に改造された部屋だったのである。

 窓に鍵付クレセント錠を付けて窓の開閉を不能にした理由について,被告■<後藤徹氏の兄>は陳述書では,「信者が家族と話し合いをしている最中に,興奮のあまり,突然窓から飛び出してしまったことがあると聞いていたため」だと述べていたものであるが(乙イ10号証23頁17行~19行),実際には,統一教会信者が窓から飛び出すというのは玄関からの脱出ができないからに他ならない。既述の通り,神戸地裁で証言した高澤守牧師も,マンション高層階のベランダから信者が脱出を図って重傷を負った事件で,玄関ドアが開閉不能であった事実を認める証言を行っている(甲20号証の1の50頁10行~51頁13行)。したがって,信者が窓から出ようとするということ自体,玄関ドアが開閉不能であることを意味する。通常の部屋での話し合いの途中に窓から飛び出すとしたら精神異常者に他ならず,被告■<後藤徹氏の兄>らは,自分達が原告を異常な環境に追い込んでいることを棚に上げ,原告をはじめ統一教会信者を精神異常者のごとく表現することによって,人権侵害を正当化しようとしているものである。さすがに,検察審査会議決書はこうした差別的見方を採用してはおらず,鍵付きクレセント錠によって窓の開閉を妨げたことの正当化理由は記されていない(乙イ1号証)。

 なお,被告■<後藤徹氏の兄>及び被告■<後藤徹氏の妹>は,荻窪フラワーホーム804号室の窓を鍵付きクレセント錠に取り替えた時期について,原告が偽装脱会を告白した後であるなどと供述し,以前と違って原告が感情的になることがあったために取り替えたなどと供述する(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書16頁17行~22行,被告■<後藤徹氏の妹>調書12頁20行~24行)。しかし,同室のクレセント錠は当初から鍵付きのものだったのであり,原告の入室後に取り替えられたものではない(甲9号証16頁13行~17頁4行)。この点,被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書にも「念のためにつけていた」とはあるが(乙イ10号証23頁19行),原告の入室後に「取り替えた」とは書かれていない。また,被告■<後藤徹氏の兄>は,反対尋問においては,南京錠による玄関の施錠とクレセント錠による窓の施錠の理由について,両者をとりたてて区別することなく,杉並教会が近かったこと,被告宮村に対する尾行の可能性及び統一教会からの奪還防止を理由として挙げる(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書39頁2行~9行)。そうであれば,「感情的になることがあったために取り替えた」などという供述は虚偽のものに他ならず,奪還防止という以上は,原告が窓から救出要請メモ等を放出するなどし,これに応じて統一教会側が人身保護請求等により原告を救出することを防止するために窓を開閉不能にしていたとしか考えられず,鍵付きクレセント錠は当初から窓に取り付けられていたものである。

 なお,KCノート(甲44号証)の甲21頁には,監禁中の信者から「何故窓にカギがかかってるの?」と聞かれたら「新聞やTVで5階から飛び下りてケガをした子がいて,心配だからだよ」と回答すべきことが記されている。被告■<後藤徹氏の兄>らは,新津教会で受けたこうした指導・教育に基づき,本件でも似たような主張・供述を行っているものに他ならず,本件裁判においては,被告松永に指導・教育された通りの主張・供述を行っているものである。

2.南京錠の鍵が下駄箱の上にあったとの供述の虚偽性

被告■<後藤徹氏の兄>は陳述書において,南京錠は,外からの侵入を防ぐためのものであり,南京錠の鍵は玄関に置いてあったと述べる(乙イ10号証23頁下20行~22行)。しかしながら,被告宮村は南京錠を有害な物との観点でしか述べておらず,統一教会からの奪還防止機能などに言及してはいない(被告宮村調書47頁3行~8行)。しかも被告宮村は準備書面においては,南京錠の故に原告の自由が制限されていた事実を認めているのであって(宮村準備書面(第4)6頁3行~6行),南京錠の鍵が玄関におかれていたはずはない。

 既述の通り,荻窪フラワーホーム804号室は元々統一教会信者を監禁する目的で使用される部屋であり,南京錠は原告が自由に使えるような場所には置かれていない。そもそも,脱会届を書き,荷物を引き揚げた信者を統一教会側が救出に来ることはなく,その事実は被告■<後藤徹氏の兄>も認める(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書35頁23行~36頁4行)。被告■<後藤徹氏の兄>は,統一教会の人達がドアチェーンを切って入って来たという話をどこかで聞いたと供述するが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書43頁12行~14行),仮にそのような事実があったとしたら,中の信者が信仰を保っており,外部の信者に救出要請を行ったからに他ならない。脱会した信者に関してそのようなことをすれば,間違いなく刑事事件化したはずである。ちなみに,原告を監禁中,ドアチェーンを切られることを防ぎたいなら,そもそも不用意に玄関ドアを開けなければいいだけのことであって,南京錠で防犯チェーンを施錠する意味はない。

 また,仮に被告■<後藤徹氏の兄>が供述するように統一教会からの奪還防止目的で南京錠による施錠をしたのだとしたら,原告に対しても趣旨説明をした上で,解錠のための鍵の置き場所を説明し,入室時には必ず南京錠を施錠すべきことや,外出時には一人で出歩かないようにすべきことなど説かなければならないはずである。ところが,被告■<後藤徹氏の兄>の供述によれば,同被告は原告に対して,何故南京錠で施錠するのか,鍵がどこにあるのか,一切伝えておらず(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書43頁17行~23行),結局原告は,玄関ドアから出ることができない状況にあったと言う(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書44頁2行~7行)。だとすれば,結局のところ南京錠による施錠目的は,統一教会からの原告の奪還防止などではあり得ず,監禁目的であった事実は明らかである。被告松永が指導ビデオの中で指導する通り,玄関ドアに特殊な施錠をして統一教会信者を拘束することなど,拉致監禁,脱会強要に携わる者の間では常識化していたので,原告に説明せずに厳重な施錠をすることなど被告らの間ではごく当然のことだったのである。

 被告■<後藤徹氏の兄>は,統一教会からの奪還防止を殊更に理由づけるため,荻窪フラワーホームの場所の危険性を強調するが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書40頁12行~41頁6行),被告■<後藤徹氏の兄>らは元々自宅で話し合いができない理由として,自宅では統一教会が奪還に来ることを理由として挙げていたはずである(乙イ10号証6頁7行~10行)。にもかかわらず,何故統一教会が奪還に来るような危険なマンションを原告との話し合いの場所として選ばなければならないのか,矛盾しとしか言いようがない。そもそも水茎会は1980年代後半より荻窪フラワーホーム及びその向かいの「犬猫マンション」を繰り返し利用してきものであるが,当時から統一教会杉並教会は青梅街道沿いの同一の場所に存在していたものであり,実際にはこれらマンションに被告■<後藤徹氏の兄>らが強調するような危険など一切存在しなかったものである。

 以上の次第であって,玄関ドアの南京錠も窓のクレセント錠も全て統一教会からの奪還防止のためではなく,原告に対する監禁目的で利用したものに他ならない。また,入居当時原告は既に脱会表明しており1995年9月の新潟への連行から2年3ヶ月経っていたのであり,そのような原告をも監禁した事実から明らかな通り,実際にはそれ以前の新潟パレスマンション多門607号室及び荻窪プレイス605号室においても,被告■<後藤徹氏の兄>らは継続して原告を監禁してきたものである。したがって,原告の供述通り,これらの部屋は特殊な施錠やダイヤルロック式の鍵によって玄関が施錠され,窓も全て開閉不能にされていたのである。そして,原告がさほどこれら監禁用器具について注意を払っててこなかったのは,そもそも被告松永及び被告宮村等の行う拉致監禁・脱会強要が,「絶対に逃げられないのだという意識」を抱かせる態様で行われるものだったからである(甲98号証の3の5枚目本文4行~7行)。

3.被告宮村が南京錠を外すように言ったとの被告らの供述の虚偽性

被告■<後藤徹氏の兄>は,被告宮村から1998年1月頃,南京錠は必要ないと言われ,同年4月頃南京錠を外したと供述し(乙イ10号証23頁20行~22行,被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書16頁5行~13行),被告宮村は陳述書にて,1月頃に804号室でベルを鳴らした際,南京錠に気づいたとの趣旨を述べる(乙ハ2号証38頁12行~18行)。しかし,被告宮村が南京錠を必要ないと言ったなどという記録は検察審査会議決書にもなく,本件訴訟に至って作出した嘘である。

 まず,被告■<後藤徹氏の兄>によると,804号室では部屋のブザー(呼び鈴)は鳴らなかったというのであり,被告宮村を含む来訪者は玄関ドアをノックしていたという(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書42頁5行~11行)。したがって,「804号室でベルを鳴らした際」との被告宮村の陳述書における供述は全くの作り話である。なお,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は呼び鈴は最初は鳴っていたが途中から鳴らなくなったなどと供述するが(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書14頁5行~11行),ブザーが鳴った時期があったなら,被告■<後藤徹氏の兄>が「鳴りませんでした」と断定的に供述することはあり得ず,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の供述は,被告■<後藤徹氏の兄>の上記法廷供述を聞いて被告宮村に不利になると悟った被告■<後藤徹氏の兄嫁>が被告宮村を擁護するためにした作り話に他ならない。

 また,被告宮村は陳述書では,「南京錠は同年3月頃にはなくなったので,外したんだなと思いました」などと述べる(乙ハ2号証38頁18行~19行)。ところが反対尋問では,4ヶ月くらい南京錠のある状態で原告のもとに行って説得したのかとの質問を受けると,これに対しては,南京錠について被告■<後藤徹氏の兄>に指摘した後には外れていたと認識していたので「確認していない」と供述する(被告宮村調書106頁21行~107頁3行)。このように,被告宮村の本人尋問における供述が陳述書の記載と全く齟齬するのは,そもそも南京錠を外すよう言ったとの供述自体が作り話だからに他ならない。

 また,被告宮村は反対尋問で,原告の時以前にも,南京錠について注意したことがあったかと聞かれた際,「2~3人いたかな」などと供述するものの,TU,小出,MK,富澤の各事件に関しては,「そういう記憶がありません」などと供述する(被告宮村調書106頁13行~20行)。 
 特に富澤に関して被告宮村は,富澤は部屋から自由に外出できたと言い,玄関ドアにはドアチェーンがあっただけで南京錠は認識していないと供述する(被告宮村調書87頁2行~88頁2行)。しかし富澤の事件で富澤の提出した陳述書には,被告宮村が訪れた藤和シティコープ新大阪801号室の玄関ドアについて「防犯チェーン及び鎖がかけられていて,それぞれに南京錠が一つづつ計二つ施錠され,南京錠の鍵がなければドアが開かないようになっていました。南京錠の鍵は父が持っていました」(甲52号証富澤陳述書(三)1頁16行~2頁1行)と記されているところ,こうした証拠に基づき鳥取地裁は富澤が同室に監禁されていた事実を認定し,同判決は高裁で確定している(甲53号証の1,2)。
甲53_事実認定
<甲53号証 9~10ページ 裁判所が判決文で事実認定について言及した部分>
これだけの厳重な施錠があれば,玄関ドアの開閉に時間を要し,チェーンの解施錠の際の金属音もするのであるから,同室を訪れた被告宮村が同室玄関ドアの施錠に使われた南京錠に気づかなかったはずはなく,まして,自由に出て行ける状態にあったなどと言えるはずがない。 

 また,小出に関して言えば,勤務先の一心病院から人身保護請求が申し立てられたにもかかわらず,被告宮村は小出を被告松永のもとに連行してまで監禁を継続したのであるが,小出の著書によれば,荻窪のマンションの玄関ドアには鎖による施錠があったとのことであり(甲29号証19頁1行~3行),被告宮村は平田広志弁護士を同室に連れて来て,確認させているのである(甲29号証28頁2行~7行)。

 また,1996年3月から1998年9月まで荻窪フラワーホーム505号に監禁された証人MKの場合,「第2」で述べた通り,同証人を監禁した弟のMMも陳述書において,同室の玄関ドアに南京錠による施錠があった事実及びフラワーホームに監禁中のMKがいつまで同所に滞在しなければならないか被告宮村が指示していた事実を認めている(甲43号証2頁14行~19行,同2頁37行~39行,同3頁27行~33行)。

 以上の通り,実際には被告宮村が玄関ドアの南京錠等の施錠について,外した方がいいなどの指摘をすることなどあり得ない。

 南京錠を取り外した時期について,検察審査会議決書には「はっきりしないが,遅くとも平成10年5月のゴールデンウイーク前」と記されていたものであるが(乙イ1号証6頁14行~15行),被告■<後藤徹氏の兄>は陳述書にて,1998年4月頃には取り付けるのをやめたと述べる(乙イ10号証23頁20行~22行)。しかし,証人MKは,原告がいた荻窪フラワーホーム804号室に1998年5月に入室した際,玄関に南京錠による施錠があったと証言しており(甲11号証8頁29行~9頁2行,証人MK調書16頁1行~17頁25行),被告■<後藤徹氏の兄>らの供述は事実を偽るものである。

 なお,被告らは荻窪フラワーホーム804号室玄関の下駄箱は室内から玄関に向かって右側にあったとして,乙イ40号証を提出する(水茎会が現在も804号室を監禁部屋で使用していることが裏付けられている)。しかしながら,乙イ40号証に写っている下駄箱がどうあれ,原告が同室に監禁されていた頃は,原告も図示している通り,玄関向かって左側にも靴入れがあったものである(甲9号証添付図4)。
荻窪フラワーホーム804号室間取り図
そして,同靴入れが壁からはみ出した部分が,防犯チェーンに南京錠を施錠する者にとって邪魔となり,ドアノブの正面に立つことができなかったからこそ,MKは南京錠の施錠を目撃できたのである(証人MK調書71頁1行~5行)。
MK調書70頁
<証人MK調書71頁1行~5行>



 「第2」で述べた通り,信者の解放に際しては被告宮村の許可が必要であるが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問15頁15行~25行),被告宮村はマニュアル(甲98号証の3)の判定基準を元に信者を解放するか否かを判断しているのであるから,信仰を失っていない信者を解放することなどあり得ないのであり,信仰を失っていない信者につき南京錠を外した方が良いなどと指摘することなどあり得ない。

 ところで,証人MKは1996年12月には脱会者の忘年会に参加したというのであるから,この時点では信仰を失っていたものであるが,それでも監禁からは解放されず,玄関ドアの南京錠が撤去されたのは1998年9月に解放される直前頃になってからだと言う(甲11号証7頁37行~8頁7行,9頁29行~34行,証人MK調書22頁13行~15行)。まして未だ統一教会の信仰を失っていない原告においては2008年2月10日の解放時まで,南京錠による施錠が継続していたことが明らかである。

 また,常識的に考えても,被告■<後藤徹氏の兄>らは既に2年数ヶ月に亘って原告を監禁し続けていたものであり,仮に被告宮村の指示によって南京錠を外し,原告が逃走した場合,被告宮村は大失態を犯したことになる。いかに被告宮村が統一教会信者の脱会説得に長けているとはいえ,荻窪フラワーホーム804号室にて数回しか会っていない原告について絶対に逃げないなどの判断などできるはずはなく,南京錠を必要ないなどとは言うわけがない。

4.原告による玄関状況の確認及び玄関ドアと木戸の施錠時期

原告は同室に監禁された当初,玄関ドアの施錠状況を確認している(甲9号証16頁7行~10行,添付図写真2,原告調書29頁25行~30頁2行)。被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,原告が玄関ドアまで行ってドアを確認したことはないなどと供述するが(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書14頁25行~末行),原告は実際に玄関ドアの施錠状況を目撃したからこそ,被告らの供述を待つまでもなく,その特異な施錠状況について刑事手続において供述することができたのである(乙イ1号証6頁7行~8行,乙イ31号証15頁29行~30行)。

 原告が偽装脱会していた事実を表明して以降は,原告は玄関に近づくことを暴力的に阻止され(甲9号証17頁8行~13行,20頁28行~21頁7行),玄関に近づくことができなくなったため玄関の状況を確認することすらできなくされた。

 2001年2月,原告が実力行使をもって脱出を図った際,玄関先に被告■<後藤徹氏の兄>がいたため,原告は直ちに取り押さえられ,この時も原告は玄関の施錠状況を確認することすらできなかったものである。被告■<後藤徹氏の兄>らは原告の実力行使を受けて直ちに玄関廊下と部屋を隔てる木戸にも施錠をした。このため,実力行使開始後,原告が被告らの隙を突いて玄関に向かったことがあったが,木戸が施錠されていたために,玄関に近づくこともできなかったものである(甲9号証25頁8行~26頁22行,原告調書38頁7行~39頁18行)。このとき原告は木戸を開けようとしても開けられなかったからこそ,被告らの供述を待つまでもなく,木戸の施錠について刑事手続において供述することができたのであった(乙イ31号証23頁23行~24行)。

 なお,被告■<後藤徹氏の兄>は木戸のノブを施錠できるものに取り替えたのは,玄関側に個室を作って仕事に集中するためだったと供述する(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書23頁16行~24頁17行)。

 しかしながら,1月という厳冬の時期に専用の照明もない玄関前で仕事をするなど異常であり,仮に部屋でできない仕事があったならわざわざ持ち帰らずとも会社で残業すれば良かったはずである。また,木戸を施錠せずとも,監視者である他の家族が夜中に頻繁に外出することも考えにくい。被告■<後藤徹氏の兄>は,鍵を掛けていれば,そこで仕事をしていることが家族に分かると言うが,狭いマンションの中で,家族は木戸を挟んだリビングに居たのであるから,鍵など掛けずとも被告■<後藤徹氏の兄>がいれば分からないはずはないのである。被告■<後藤徹氏の兄>の供述は荒唐無稽な作り話でしかなく,実際には原告が玄関に近づくことを阻止することを目的として木戸を施錠していたものである。

 荻窪フラワーホーム804号室においても原告は一度も外出したことはなく,また,被告らは一瞬たりとも原告を一人同室に残して外出したことはない。これは,同室においても2008年2月の解放時まで,玄関ドアに南京錠による施錠が継続したことを意味する。即ち,原告以外に玄関ドアの南京錠による施錠・解錠要員が最低でも必ず一人は室内に必要であったために,被告らは必ず誰かが部屋に残ったのである。したがって,玄関ドアの南京錠による施錠が2008年2月の解放時まで継続した事実は,こうした被告らの異常行動からも明らかである。

5.被告宮村の脱会強要

 被告宮村は統一教会信者に対する脱会強要において他に抜きんでた実績を上げ,拉致監禁・脱会強要に携わる牧師も行き詰まれば被告宮村に協力を求めていたものであるが,被告宮村がの脱会強要において他の牧師等にない特徴は,①「馬鹿」「アホ」といった言葉を連発して人格攻撃を加える,②「自分に非があっても相手に非があるかのごとく押しつける」という手法によって監禁下の信者をやりこめ,自分の意のままに従わせるようにする,③相手が嫌がっていても頑として脱会説得をやめない,といったところにある。

 本件においても,被告宮村や同行した元信者のTYが原告に対して「馬鹿」「アホ」といった言葉を連発して人格攻撃を加えたものであるが(甲9号証18頁29行~30行,原告調書32頁22行~23行),被告宮村がこうした人格攻撃を加えることは,証人MKを始め他の被害者等も一様に証言しているばかりか(甲11号証5頁3行~7行,同5頁34行~35行,証人MK調書10頁18行,甲27号証4頁25行~5頁11行,甲34号証8頁9行~15行,甲47号証7頁13行~18行,同9頁17行~23行,甲50号証3頁30行~4頁13行,甲131号証4頁34行~35行),「馬鹿」との発言については被告■<後藤徹氏の兄嫁>も認めているのである(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書59頁25行~60頁2行)。

 また,本件において,被告宮村は被告■<後藤徹氏の兄>らと共謀して原告を既に2年間以上も監禁しておきながら,原告が偽装脱会によって監禁から解放されようとしたことに対して,「卑怯」だと述べるなど,自分に非があるのに原告に非があるごとく理不尽な非難を行っている(乙ハ2号証28頁1行)。

 また被告宮村は,同被告の陳述書に再現されている通り,原告が被告宮村との対話を避けようとしているにもかかわらず,非生産的な会話を延々と続け,原告を精神的に疲弊させたのであり(乙ハ2号証28頁19行~35頁15行),しかも,同被告が「コンニャク問答」と名付けるこうした会話をその後も何度も何度も繰り返したというのである(同号証36頁8行~12行)。

 非生産的なこうした会話を繰り返し強いるために原告を監禁することなど許されるはずもないが,こうした会話を繰り返したとしても,被告らの言う家族の信頼関係が回復されるはずもない。ところが,被告宮村は,12年5ヶ月間も一切外出できない生活を強いられた原告について,自分が原告の立場だとしたら,過去にしてきたことを考えるにはいい機会だと思うなどと平然と述べ,一切反省もない(被告宮村調書109頁9行)。いかに被告宮村が人権感覚の欠如した異常な人物であるかということが窺える。

6.実力行使事件

2001年2月,原告は「このままでは世の中から隔絶されたまま一生ここから出られない」との押さえがたい不安感に襲われたため,玄関をめがけて突進し,脱出を試みるという実力行使に出たものである(甲9号証25頁8行~10行,原告調書37頁20行~24行)。被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告のこの行動は被告■<後藤徹氏の兄>が居たときに限って行われたもので,デモンストレーションであるなどと供述する(乙10号証24頁9行~11行,被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書18頁末行~19頁7行)。しかしながら,そもそも原告は,被告■<後藤徹氏の兄>が出勤したと思って最初の行動を起こしたところ,たまたま出勤が遅く,まだ被告■<後藤徹氏の兄>が玄関にいたために,被告■<後藤徹氏の兄>によって取り押さえられたものである。また,この事件を期に,被告■<後藤徹氏の兄>が勤務先の株式会社タップを辞め,原告に対する監視を強化し逃走を図る原告を実力で取り押さえることに専念したために,その後の実力行使の際は被告■<後藤徹氏の兄>が居合わせたのである(甲9号証26頁12行~13行,原告調書37頁25行~38頁5行)。

 この点につき,被告■<後藤徹氏の兄>は2001年1月に既に仕事を辞めていたと供述するが(乙10号証30頁8行~9行,被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書17頁9行~10行),勤務先の経営者である被告宮村が陳述書において被告■<後藤徹氏の兄>の退職時期を同年2月と供述していることからも明らかな通り(乙ハ2号証40頁6行),被告■<後藤徹氏の兄>の退職時期は同年2月である。この点,検察審査会議決書には,前記木戸に関し「玄関とリビングの扉のドアノブを鍵のかかるものに取り替えたのは,平成12年末から平成13年2月ごろまでである。これは■<後藤徹氏の兄>が仕事に集中するために個室として使用するためであり,退職した後は,元のドアノブに取り替えたと述べている」との記載がある(乙イ1号証6頁25行~28行)。これは,2000年12月末から2001年2月頃まで木戸に施錠して個室を作り,そこで会社の仕事をしたが,その後退職し,ドアノブも元通りにした旨被告■<後藤徹氏の兄>が供述していたことを受けたものである。同記載から,刑事手続段階では被告■<後藤徹氏の兄>も2001年2月頃勤務先を辞めたとの供述を行っていた事実が明らかである。被告■<後藤徹氏の兄>は,同被告が部屋にいる時に限って原告が実力行使を行ったとの主張を補強すべく,民事手続では退職時期を殊更に2001年1月に遡らせて虚偽の供述を行っているものである。こうした虚偽の供述を行ってまで原告の実力行使をデモンストレーションと構成しようとする被告■<後藤徹氏の兄>らの供述姿勢からしても,実際には原告の行動が脱出を目的としたものであったことが明らかである。更に決定的な事実は,原告がこの実力行使を開始後,玄関に行こうとした際,木戸が施錠されており,しかも被告■<後藤徹氏の兄>がこれを解錠しなかったために,結局室外に出ることができなかったという事実である。木戸が施錠されていたという事実は,被告らが認める以前から原告が刑事手続き段階で供述していたことであり,正にこの時の体験がもとになっている。したがって,原告はデモンストレーションのために騒いでいたのではなく,実際に室外への脱出を試みたのであり,木戸の施錠によってそれが妨げられたのである。被告■<後藤徹氏の兄>は,タップ退職後に木戸の施錠を外したと供述するが,上記事件に遭遇した被告らが木戸の施錠を外すはずがなく,原告が解放されるまで施錠は続いていたものである。

 なお,検察審査会議決書は,室内に女性だけのときは原告が実力行使を行っていないことをもって,原告が同室に自ら滞在したことの根拠とするが(乙イ1号証8頁12行~14行),結論ありきの偏った判断であり,その良識を疑う。こうした判断は,既に5年半ほども狭いマンションの一室に閉じ込められ,その後も死ぬまで外出できないかも知れないとの精神的苦痛によって絶望の淵にいる人間を前提とした判断ではあり得ない。2001年2月に原告が行った実力行使は精神的に追い詰められて決死の覚悟で行ったものに他ならず,原告としてはそれでも脱出できなかったため,遂に精魂尽き果てたというのが実情であり,甲9号証添付図4のMの部屋の襖を閉め切り,隣室で誰と誰とが監視役で残っているかなど,殆ど関心すら持たなかったのである(乙イ7号証30頁末行~31頁2行,甲9号証27頁15行~30行,原告調書40頁19行~24行)。

 確かに監視者が女性だけであれば実力行使により原告は木戸までは辿り着けるかも知れない。しかし,木戸の施錠を破り更に玄関の施錠を破るのは困難であり,直ちに被告宮村,被告■<後藤徹氏の兄>及び元信者らが駆けつけ,たちまちにして取り押さえられることは目に見えていたのである。

 なお,原告が風呂場の浴槽によじ登り通気口に口をあてて助けを求めて叫んだ際,被告宮村が原告の後ろから襟首を掴み浴槽から引きずり落としたと述べたとの原告の供述に関し(甲9号証27頁5行~9行,原告調書145頁17行~26行),被告宮村は,被告宮村の身長が168センチであり,風呂場の縁に上がっている身長182センチの首根っこをつかむことができないと供述する(被告宮村調書35頁7行~11行)。しかし,身長168センチの宮村が腕を上げた場合に届く高さは2メートル以上である一方,通常,浴室の壁に取り付けてある通気口の高さは2メートルほどであり,原告は屈んだ姿勢で通気口に口をあてていたものであるから,被告宮村は原告の襟首に手が届いたのであり,被告宮村の供述は嘘である。

7.トイレ事件

 証人OBは1998年(平成10年)頃荻窪フラワーホーム804号室を2,3度訪れた際,マンションに南京錠等はなかったと述べる(乙イ19号証7頁7行~8行,証人OB調書3頁2行~3行)。しかしながら,同証人の証言は,相互に矛盾する証言や不自然な証言が余りにも多く,専ら被告宮村や被告■<後藤徹氏の兄>らを殊更利するための証言に終始しており,全く信憑性はない。

例えば,証人OBは,2003年(平成15年)冬頃,被告■<後藤徹氏の兄>が荻窪フラワーホーム804号室のトイレに閉じ込められた際に同室を訪れた時のことについて,陳述書ではトイレのドアが開くまで約30分以上,原告が証人OBのすることを心配そうに見守っていたなどと述べていたものであるが(乙イ19号証8頁11行~17行),主尋問では原告が「ははっ」と「ざまあみろみたいな感じの笑い」をしていたと証言する(証人OB調書6頁15行~17行)。ところが反対尋問では,主尋問で「ざまあみろ」というような顔をして見ていたと証言したことを指摘されると「言ってませんよ」などと言って証言自体を否定し,最後には認めたものの(証人OB調書46頁9行~22行),同証人の陳述書では原告の様子をどのように述べているかを尋ねられても答えることができず,「(原告が)心配そうな顔をしていた」と陳述書に記載されている旨指摘を受けても「そうですかね」といい加減な返答をし,改めて聞かれると「ざまあみろ」という顔をしていたとは言っていないと証言した(証人OB調書47頁11行~12行)。これは同証人が当時の記憶に基づいて証言をしていないことを表している。すなわち,この時,証人OBは原告の顔など見ていないのである。実際には原告はこのとき,甲9号証添付図4のMの部屋に襖を閉めて閉じこもっていたのであって(乙イ7号証30頁末行~31頁2行),証人OBの来訪にすら気づいていないのであり,証人OBが原告を見たとの証言は嘘である。実際,証人OBは原告が座っていたテーブルの位置については「私の記憶違いかもしれませんけど」と述べ,原告が座っていたとの証言についても「じゃないかと思いますよ」と述べるなど(証人OB調書48頁9行~12行,17行~18行),その証言は極めて曖昧である。

 ところで証人OBは,上記原告の様子について陳述書に何と書いたか尋ねられても答えられず(証人OB調書46頁25行~47頁3行),同証人自身が脱会説得を受けていた間に断食した理由について同人の陳述書の記載を反対尋問で指摘されても「覚えていない」と証言する(同58頁18行)。要するに,同証人の陳述書自体,同証人の記憶・認識に基づいて書かれたものではなく,被告ら代理人の作文に過ぎない。

 証人OBは,証人MKがいた部屋に訪れた事実を認めつつも,同室玄関ドアの南京錠を見ていないと証言する(証人OB調書49頁17行~19行)。しかしながら,同室に南京錠による施錠があった事実はMKを監禁した側のMMも認めている事実である(甲43号証2頁37行~3頁5行)。証人OBは殊更に被告らに不利にならないよう,事実を歪曲して証言しているものであり,同証人には真実を証言する姿勢が全く見られない。

8.原告を部屋から出そうとしたとの供述の虚偽性

被告■<後藤徹氏の兄>は陳述書にて,荻窪フラワーホーム804号室において原告に対し「出て行きたければ出て行きなよ」とか「出て行って働けば」と言っても出て行こうとしなかったし働こうとしもしなかったと述べ(乙イ10号証28頁14行~17行,同28頁19行~23行,同35頁17行~18行),また被告■<後藤徹氏の兄嫁>も陳述書にて,原告に対しマンションから出て行って自立しろと何度も言ったが一向に自分では出て行かなかったし働くこともしなかったと述べる(乙イ5号証42頁20行~21行,同50頁18行~20行,同51頁13行~14行)。

確かに原告が3度目のハンガーストライキを行った後に「もう出て行ってもいい」といった意味のことを言ったことは何度かあったが,食事制裁中,原告が飢餓状態(甲1号証)にあった時期のことであり,後日原告が被告■<後藤徹氏の兄>らを訴えた際,監禁との非難を免れるためのアリバイ作りとして,殊更にそのようなことを言ったものであり(原告陳述書甲9号証34頁31行~35頁5行,原告調書49頁15行~24行),それ以前の段階で被告■<後藤徹氏の兄>らが上記言動をした事実はない(原告調書31頁23行~末行)。既述の通り被告らは最後まで木戸を解錠しなかったものであり,被告らが本気で出て行って働くようになどと言うわけがないのである。しかも,被告らは原告の財布を返しておらず,原告は所持金もなく,住む場所もなかったのであり,特に3度目の断食後は十分な食事が与えられず解放後緊急入院が必要なほどの栄養失調状態に陥っていたのであるから,仮に原告を追い出したとしても自立できる状況にはなかったのである。こうした状況で自立を促したなどというのは著しく矛盾した供述である。

 また,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,本人尋問では更に,1998年に被告■<後藤徹氏の兄嫁>が単独で原告を部屋から引きずり出そうとし,2004年には,被告■<後藤徹氏の兄嫁>と被告■<後藤徹氏の妹>とで原告を力ずくで部屋から引っ張り出そうとしたと供述するが(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書15頁1行~16頁14行,同21頁10行~13行),被告■<後藤徹氏の妹>は1998年に原告を部屋から引きづり出そうとした際にも同被告が関わっていた旨供述する(被告■<後藤徹氏の妹>調書15頁17行~24行)。供述内容が両被告で異なるのは,作り話だからである。更に被告■<後藤徹氏の兄嫁>の陳述書には,「私たちも,まだ望みをもっていましたから,これ(原告)を敢えて追い出そうとはしませんでした」と述べているのであるから(乙イ5号証50頁20行~21行),力ずくで引っ張り出そうとしたなどということ自体が尋問向けに作出した作り話の嘘である。

 そもそも,住む場所も所持金もない原告にとって行くあてがあるとしたら統一教会以外にはなく,解放したら最後,原告が統一教会に戻ることは火を見るより明らかであった。ところが,被告■<後藤徹氏の妹>は原告を統一教会に返すことは望んでおらず,最後まで「話し合い」を試みようとしたという(乙イ7号証39頁23行~26行)。また被告■<後藤徹氏の兄嫁>も,夫婦別居状態になり子も産めなかったとしても原告との「話し合い」を第1に優先してこれを続けたというのであり(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書22頁3行~16行),あくまでも原告を脱会させることを優先していたのであるから,原告を統一教会に返すことは望んでいない。また被告■<後藤徹氏の兄>は陳述書において,明日は原告が自分の頭で考えるようになってくれるのではないかと希望をもって日々繰り返すうちに12年間が過ぎたと述べており(乙イ10号証38頁1行~7行),被告■<後藤徹氏の兄>が最後まで原告の脱会を諦めていなかったことは明らかである。したがって,被告らは誰も原告が統一教会に帰ることを望んでいなかった以上,原告を監禁から解放したはずはなく,まして本気で出て行くよう言ったり,2回に亘って原告を部屋から出そうとしたなどということはあり得ない。

 そもそも,2008年2月10日に原告を解放したときでさえ,半年前から話が持ち上がり,前年の12月から被告らで話合ってきた結果であったというのである(乙イ10号証35頁12行~16行,同35頁21行~36頁1行)。したがって,被告■<後藤徹氏の兄嫁>らがこの時とは別に独自の判断で軽々に2回も原告を外に出そうとしたなどというのは(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書21頁10行~13行),全くの作り話でしかない。

9.業者問題

 被告■<後藤徹氏の兄>は荻窪フラワーホーム804号室に複数回外部の業者が来たと述べ,特に配水管清掃業者は毎年来たと述べる(乙イ10号証31頁15行~17行)。しかし,同じマンションの505号室に監禁された証人MKによれば,同人が黙り込んでいた期間とリハビリ生活を含め1年間くらいは業者は来なかったとのことである(証人MK調書14頁10行~13行)。業者といえども居住者の同意無く勝手に作業できるわけではないのであるから,804号室においても配水管清掃業者が毎年来たということはあり得ない。

 被告らは原告が業者に助けを求めなかったことをもって原告が監禁に同意していたと言いたいようであるが,仮に原告が業者に助けを求めたとしても,被告宮村や被告■<後藤徹氏の兄>らと通じた業者であれば何の助けにもならない。現にエアコンを修理に来た男性は被告宮村の名前に言及していたのであるから(甲9号証35頁12行~14行),被告宮村と意を通じた業者であった可能性は高い。また仮に被告宮村等と関係のない業者であったとしても,他の家族が「監禁ではない」と言えば業者といえどもどうすることもできないのであるから,無駄な努力としか言いようがない。原告が無駄な努力をしなかったことをもって,監禁に対する同意があったと見るべきでないのは,保谷市の実家から連行されたときと同様である。特に荻窪フラワーホーム804号室においては,原告は何年間も監禁された状態が続いていたのであって,その精神的プレッシャーは尋常なものではなく,特に2001年2月に決死の覚悟で実力行使を行っても脱出できなかったという体験をして以降は,原告は既に精魂尽き果てていたため甲9号証添付図4のMの部屋の襖を閉め切り,隣室で何が起きても殆ど関心を持たなかったのである(乙イ7号証30頁29行~31頁2行,甲9号証27頁15行~30行)。

10.荻窪フラワーホームにおける「氏族メシヤ・家族の救い」

 荻窪フラワーホーム804号室においても,原告の行動は氏族メシヤや家族の救いとは全く正反対である。既述の通り,被告■<後藤徹氏の兄>が陳述書において引用する『40日研修教材シリーズNo.12・祝福と氏族メシヤ』には「皆さんは氏族を救うために,どんなに困難でも生涯迫害されても逃げてはいけません。それを歓迎し続け,正面で受けます。正面から困難なサタンの行為を歓迎しなさい。それが先生のとった道なのです」と記されているが(乙イ2号証32頁5行~8行),例えば被告宮村から脱会強要を受けた際,文鮮明師が何故メシヤなのか聞かれても,原告は,「それは難しい問題です」「何というかそこが難しい」などと言ってかわすばかりで殆どまともに答えようとしてはいない(乙ハ2号証28頁21行~29頁13行)。また,被告■<後藤徹氏の妹>の陳述書にも家族と原告が同じ話を繰り返し行ったという会話が記されているが(乙イ7号証27頁1行~28頁11行),家族の「なんで原理は本物だと言えるの?」「もしそれが本当だったら私達だってやらなきゃいけないじゃない」との質問に対し原告は「いやー,難しいですね。誤解されてるし」と回答を避け(同27頁18行~22行),「いずれわかるときが来ますから」と家族に説明することを避けている(同27頁11行)。要するに,真に「氏族メシヤ」を目指そうとするなら,正面から文師が何故メシヤなのか説いて,被告らの伝道に努めなければならないはずなのに,「生涯迫害されても逃げてはいけません」との文師の言葉とは裏腹に,被告らとの「話合い」を逃げようとばかりしているのである(被告宮村調書108頁23行~24行)。また,荻窪フラワーホーム804号室に移り偽装脱会していたことを表明して以降は,原告は数え切れないくらい「拉致監禁」だと言って抗議したという(被告■<後藤徹氏の妹>調書60頁9行~15行)。仮に原告が拉致監禁されておらず,家族を救うためにマンションに滞在していたのだとしたら,数え切れないくらい「拉致監禁」だと言って被告■<後藤徹氏の兄>らを非難しても何ら伝道にはならず,家族の救いにもならないのであるから,ここでも「氏族メシヤ・家族の救い」といった被告らの供述は,事件の本質を誤魔化すための詭弁でしかない。

 検察審査会議決書に,原告が家族の誤解を解いて救いたい気持ちがあったと述べた旨記されているのは(乙イ1号証8頁28行~9頁1行),刑事手続の際に原告が捜査官から家族を救いたい気持ちがあったかと執拗に聞かれたのに対し,「その時は難しくても将来的には救われて欲しい」といった程度のことを言ったのに対し,捜査官が事件を不起訴に持ち込むに都合良く調書にまとめたものと考えられる(原告調書47頁末行~48頁7行)。

11.2008年2月10日に原告を部屋から出したこと

 被告■<後藤徹氏の兄>は,2008年2月10日に原告を部屋から出したことについて,原告の頭を冷やすために一旦外に出してみただけだと供述する(乙イ10号証35頁21行~36頁1行)。しかし,その程度のことであれば,半年前から話が持ち上がり,2007年12月から家族で協議するような重大事(同号証35頁13行~36頁1行)ではないはずである。実際には,荻窪フラワーホーム804号室の家賃を支払い続けるだけでも大きな出費であり,資金繰りが続かなくなったために,原告を追い出したのである。しかし,無一文で泊まる当てもない原告を2月の厳寒時に追い出したとなるとその非人道性が問われることから,一時的に外に出しただけとの弁明を今になって行っているものに他ならない。単に原告の頭を冷やすだけのために外に出したのなら,外に出した後,靴まで投げつける必要はなかったはずであるが,靴を投げつけたということは(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書57頁15行~17行),実際に追い出す意図であったものに違いない。そして,原告を部屋から解放するのに2ヶ月間も協議を重ねたというのは,原告を解放したら最後,統一教会に戻ることが分かっていたからであり,実際には原告を部屋から力ずくで出すことの是非の協議に時間を要したのではなく,監禁から解いて統一教会に返してもいいかの協議に時間を要したのである。加えて言えば,原告の解放について被告宮村は難色を示したはずであり,被告宮村の意向に反して原告を解放する決断をするのに2ヶ月を要したものと言えるのである。

 ちなみに,被告宮村は2011年1月時点でも統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を行っていたものであり,たとえ刑事事件にされようが統一教会信者に対する拉致監禁を全く思いとどまる気配もなく,現在も継続しているのである。甲157の1号証は,2011年1月2日から3日まで調布市つつじヶ丘のマンション「エスポワール白川」の301号室にて監禁され,被告宮村から脱会強要を受けた統一教会女性信者のY(旧姓M)A<以下YAと記載する>の陳述書であり,甲158の1号証は,同人が被告宮村に送付した通知書である。
エスポワール全景
<エスポワール白川全景>

YAが監禁された部屋から玄関に向かうには木戸を開けてリビングを通らなければならなかったが,木戸の前にバリケードとしてソファーが置かれ,就寝時にはそこで姉が就寝したために玄関ドアからの脱出ができなかった。一方,本件刑事手続が終了後間もない時期であったためか,YAが監禁された301号室ではベランダのガラス戸は開閉可能であった。このためYAは夜中にベランダから出て電柱を伝って脱出できたものである。
エスポワール電柱
<エスポワール白川に監禁されていたYA氏はこの電柱を伝って真夜中に決死の脱出をした>

同人の脱出について被告宮村は反対尋問で,「窓を開けて,ベランダから出て,ベランダから飛び降りた」と家族から聞いた旨述べるが(被告宮村調書74頁5行~15行),何故玄関から出られなかったのかとの質問に対しては「皆さんが寝てたからでしょう」などと述べ(同74頁10行~11行),YAの姉がバリケードのソファーの上で寝ていたことを知っていたものと言える。それでも被告宮村は,監禁されていないからこそYAは逃げられたのだと供述するが(同74頁16行~18行),30代の女性が夜中に3階のベランダから電信柱を伝ってしか脱出できない状況をも監禁でないと強弁するに至っては,もはや人権感覚は無いに等しい。また被告宮村は,1月2日の午前2時から3時頃に,同被告がYAを訪問したことに関し,本人が了解したのかとの質問に対しては,「はい,私は親から,そう聞いてます。私は統一教会の信者より,普通の社会の普通の親のほうを信じますから」などと供述するが(同74頁22行~75頁1行),本人が了承するはずはなく,嘘である(被告宮村はそもそも本人の了承があるか否かなど親には尋ねていない)。


12.荻窪フラワーホームでの監禁に対する被告宮村の共謀

(1)被告■<後藤徹氏の兄>らの被告宮村に対する報告・連絡・相談体制
 『親は何を知るべきか』のOF手記から,被告宮村に信者の脱会説得を依頼する家族が常に被告宮村に信者の様子を報告してはその判断を仰ぐシステムがあったことは明らかであるが,既述の通り,AT牧師も,信者を監禁して脱会強要を行っている父兄が信者の様子等を被告宮村に報告・連絡・相談してその判断を仰ぐ仕組みができあがっていたと述べ,父兄がミスをすれば,被告宮村から怒られたというのであるから(甲155号証の2の28頁26行~29行),当然のことながら,被告■<後藤徹氏の兄>らも常に原告の様子を被告宮村に報告してその指示を仰いでいたものである。

(2)偽装脱会を表明した事実を知らなかったとの被告宮村の供述の虚偽性
 被告宮村は陳述書において,原告が荻窪フラワーホーム804号室にて偽装脱会していた事実を知らないまま,■<後藤徹氏の父>が生前に言っていた原告の偽装脱会に関する情報のみに基づいて同室に行き,原告と話してみて初めてまだ原告が統一教会を辞める決意でないことが分かったと述べ(乙ハ2号証27頁6行~8行),反対尋問でもその旨供述する(被告宮村調書103頁25行~104頁2行)。しかし,被告宮村は同室に原告を始めて訪れた際,挨拶もそぞろに原告の偽装脱会を非難したというのであるから,実際には事前に原告による偽装脱会の告白事実を聞いていたものである。上述の通り,被告■<後藤徹氏の兄>らにおいても原告の様子を逐一被告宮村に報告していたことは間違いなく,被告宮村は事前共謀を問われかねない同事実を殊更に否定しようとする余り,陳述書の記載相互間に矛盾をきたしているものである。

(3)原告の断食について被告■<後藤徹氏の兄>から聞いていた事実

 被告宮村は陳述書においては,原告が荻窪フラワーホーム804号室にて断食したことを,2004年8月に株式会社タップに職場復帰した被告■<後藤徹氏の兄>から聞き,「たいへんだね。断食後の食事には気をつけてあげないと内臓をこわすよ」と話したなどと述べる(乙ハ2号証40頁18行~19行)。2004年8月に聞いたと言う以上,2004年4月に原告が行った第1回目の断食のことであったと言える。
乙ハ2号証40ページ
<宮村峻氏の陳述書乙ハ2号証40ページの一部>

ところが反対尋問では被告宮村は,原告の解放後にルポライターの米本和広からインタビューを受けた際に原告の断食について発言したのは,米本から原告が痩せていると聞かされて原告が断食したのだろうと想像したからであって,■<後藤徹氏の兄>から報告を受けて知ったわけではないと供述するに至った(被告宮村調書110頁20行~111頁16行)。ここでも被告宮村は,自身が陳述書で詳述していたことについて法廷では否定したのである。
宮村調書110-111
<被告宮村調書110頁20行~111頁16行>

 そこで,被告宮村の嘘に気づいた被告宮村代理人山口広弁護士が,再主尋問において被告宮村の陳述書を示し,被告宮村を誘導して供述の訂正を試みたところ,被告宮村は今度は,被告■<後藤徹氏の兄>から原告が「また断食をして」いると言われた事実を認めた(被告宮村調書115頁3行~14行)。「また断食」していると言う以上,2004年4月の第1回目の断食のことではあり得ない。従って被告宮村は,実際には原告の第1回目の断食について被告■<後藤徹氏の兄>から聞いていただけでなく,第2回目ないし第3回目の断食についても全て報告を受けていたのである。そもそも2004年8月以降被告■<後藤徹氏の兄>がタップの従業員で被告宮村と毎日顔を合わせていたにもかかわらず,被告■<後藤徹氏の兄>が原告の状況を被告宮村に伝えないということ自体あり得ないことである。
宮村調書115
<被告宮村調書115頁3行~14行>



(4)被告宮村が原告を解放しなかった事実

被告宮村の許可無く家族が勝手に信者を部屋から解放した事例が1件もない事実は被告■<後藤徹氏の兄>も認めるところであるが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書15頁15行~25行),被告■<後藤徹氏の兄>らが12年5ヶ月間に亘って原告を解放しなかったのは,被告宮村の許可が出なかったからに他ならない。

 この点についてAT牧師は,原告に対する監禁が12年5ヶ月に亘って継続した理由について,被告宮村の判断だとの意見を断定的に述べつつ(甲155号証の2の28頁33行~35行),原告は信仰者として「レベルが高い人」だったため,監禁から解放したらどのような攻撃をされるか分からないとの危機感が被告宮村にあり,また,原告によって情報が漏れることを恐れたとの推測を述べる(甲155号証の2の25頁25行~26頁5行)。統一教会に対する脱会説得を巡って被告宮村との付き合いの長い牧師の見解であるだけに十分傾聴に値する判断である。『親は何を知るべきか』のOF手記(甲24号証)や証人MKの証言(甲11号証9頁11行~28行,証人MK調書21頁3行~22頁12行),MMの陳述書(甲43号証2頁14行~19行,3頁27行~33行),更には伊藤弁護士の供述(甲107号証16頁32行~18頁19行,甲122号証の1,2)からしても,被告宮村の被告■<後藤徹氏の兄>らに対する指揮命令関係は疑いの余地はなく,原告に対する監禁を12年5ヶ月間に亘って継続したのは被告宮村の指示・命令によるものである。

続く・・・


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2013-10-26(Sat)
 

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荒唐無稽 

被告側弁護士による「荒唐無稽な作り話」に、私はいつしかマインドコントロール(紀藤正樹弁護士がよく口にする言葉)されていたようです。
今回の最終準備書面を読んで、まんまと騙されていたことに気づかされました。

もちろん、被告側のいう話がウソであることは承知していましたが、それでも、理屈にかなっているようにみえる部分については「そうなのかなぁ」と思わせられていて、被告側の作るストーリーに半分くらい乗せられていたように思います。

たとえば、ドアの鍵は一時期つけていたが数か月後にはずした、とか、原告を二人して引きずりだそうとした、とか、原告に頭を冷やさせようとして一旦外に出した、とか…。

被告側の仕立てた作り話を勝手にイメージ化して、監禁というより、ソフト監禁≒軟禁のような幻想を思い描いていました。
でも、実態は、血も涙もない極悪非道な監禁だったのですね。準備書面を読んで、目が覚めた、そんな感じです。

これまで、じっくり裁判記録をウォッチしてきた私ですら、こんな感じですから、一般の第三者には被告らの極悪非道さはなかなか伝わっていないのではないかと、ふと不安に思いました。

今回の準備書面で気づかされた点について、挙げてみたいと思います。

●兄嫁は部屋に原告と妹だけが残る状態を「不安」に思った…。
→「原告以外に女性が1人だけでは,万一原告が玄関ドアの施錠を破壊するなどして脱出を試みた際,阻止できるか心配だった」。「監視役が1人であれば,食料の買い出しに行くこともできず,監禁継続は不可能となる」。
なるほど、です。話し合いというより、中に人がいる必要性があったのですね。

●被告は原告が家庭を持つ前にどうしても話し合いを持とうとした…。
→「原告の結婚妨害があった」。
なるほど。
話し合いをしたかったのではなく、原告が婚約者(相対者)に電話できないように連絡を遮断する環境に長期間閉じ込めておきたかった、ってことですね。なんと卑劣な。

●原告はどこに連れて行かれるのか知らされず、財布すら持っていなかった…。
→「原告の意思は全く無視されているのであり,原告の意思を一切尊重しないという本件の特徴が顕著に窺える」。
その通り。
自由に出入りできる人間が財布すら手にできなかったとは…。どこが自由なの?

●突然の飛び出し防止のために、窓に鍵付クレセント錠を付けた…。
→「信者が窓から出ようとするということ自体,玄関ドアが開閉不能であることを意味する」。「原告をはじめ統一教会信者を精神異常者のごとく表現することによって,人権侵害を正当化しようとしている」。
同感。
12年5カ月も開けられない窓なんて住居にとって無意味でしょ。想像しただけで息苦しくなる。

●統一教会がドアチェーンを切って入ってくることを防止するために、南京錠を付けた…。
→「ドアチェーンを切られることを防ぎたいなら,そもそも不用意に玄関ドアを開けなければいいだけのことであって,南京錠で防犯チェーンを施錠する意味はない」。
お見事。
私は「統一教会が襲撃してくる」という話を聞いて、通常ではあり得ない頑丈な施錠が必要だと、つい思い込まされていました。襲撃という言葉のインパクトは思った以上に強烈ですね。
でも、冷静に考えてみれば、仮に暴力団に襲撃されるというシチュエーションでも、南京錠なんかで対抗しようとは思いませんよね。ドアを開けずに、ただちに警察に通報すれば済むわけだから。
まさに、中の者を外に出さないための施錠だね、これは。

そのほか、●室内の木戸にまで鍵をかけていた、とか、●父の葬儀に宮村が参列していた、という話はこれまでもチラッと読んだ気がしますが、今回、実感として、おかしいと思いました。
普通、室内の木戸に鍵を掛ける人はいませんよ。あるとすれば、徘徊老人の外出防止くらいでしょ。
世界にただ一人の父の葬儀に、全く血縁関係にない宮村を招き、実の子は参列させなかった…。
兄、兄嫁、妹の非人間性には憤りを禁じ得ない。
2013-10-29 20:36 | みんな | URL   [ 編集 ]

何をやるかわからないのは議員だけではない 

こんな事件を手がけながら他でまだ監禁実行中だったりして、わからないですよねこういう人は。こんな物騒なことをやらせながら放置している日本という国ってどうなんでしょう。
よほど統一教会が社会的に問題視されてきたということかもしれませんが、とはいえ、だいたい矛先が最初から違う。
それとこれとは別問題という倫理感というか思考が立たないと、日本人が高い民度を維持していると誇ることは出来ないですね。あるいはもともと高くはないということでしょうか。
自分が悪だと決め付ける相手をこらしめたいと思うなら、正攻法でやってください。無茶苦茶なことはやめましょうよ。(といってこの類の人に通じるんだろうか、、、、、)
2013-11-01 21:37 | 失念 | URL   [ 編集 ]

これっていじめそのものじゃん 

テレビをなくす、
生ゴミまでも無くす、
電球をあげない、
小さくても、だいじなものを
次つぎに、取り上げていく様子は、
残酷です。
決して、 家族愛ではありません。

2013-11-20 11:17 | Etsuko1275 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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