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後藤徹氏最終準備書面⑤ー国際社会は、日本の人権意識をどう見ているか?

後藤徹氏の最終準備書面の第9~第12を公開致します。
後藤徹氏の最終準備書面紹介は、今回で最後になります。
後藤さんがこの裁判を通して訴えたかったことは何なのかを、統一教会の信仰の有無関係なしに皆さんで考えていただきたいと思います。

第9の後半、第10で後藤さんに対する食事制裁(傷害)について訴えています。
誰もが、後藤さんの解放当時の姿を見れば、「栄養失調状態」と思います。しかし、検察審議会の議決書では、「深刻な栄養不良状態にあったとは思えない。」と結論づけられています。
その理由について、栄養不良の時低下すると思われる検査データが正常であったからと述べられています。被告側より意見書を提出した医師2名も、検査データを根拠に、「栄養不良状態ではない。」と記載しています。
しかし、検査データのみでそう結論づけてよいものか?原告側から意見書を提出した医師たちが後藤さんのカルテを見直し、様々な文献を読み、当時どのような状態であったかを述べています。
当ブログにも2回コメントをくださり、リンクさせていただいております内海医師の意見書の一部も掲載させていただいてます。

第11で「被告らの責任について」、第12で「その他本件との関連事項」が述べられています。
特に第12の最後の「国際社会の非難」は短いですが、興味深い内容が記載されております。
この件につきましては、当ブログでリンクしてますyoshiさんのブログに詳しく述べられてますので、そちらもお読みいただけたらと思います。

今回も長文ですので、休み休みゆっくり吟味しながらお読みくださいね。

※医師の意見書について
被告側から意見書を提出した医師:IY医師、KK医師
原告側から意見書を提出した医師:内海医師、KH医師、GY医師、NY医師、HH医師、宮崎医師

※朱光会関係について
朱光会によって自宅に帰された信者:MK、TJ、SM、 TT、 HK、 UH
原告側から陳述書提出:TJ、 SM
被告側から陳述書提出:MK




第9 原告に対する人権侵害

1.信教の自由,居住移転の自由,人身の自由等に対する侵害
 
 被告らが原告を12年5ヶ月間に亘って拉致監禁し,脱会強要を行ったことはそれだけで,信教の自由,居住移転の自由及び人身の自由など憲法で認められた基本的人権を侵害する行為である。
 原告の境遇を刑事被告人や受刑者と比べた場合,まず,懲役12年というのは殺人等の相当な重罪を犯した被告人に下される刑罰であって,原告のように何の罪もない者が令状もなく,裁判も経ずして逮捕監禁され,12年以上に亘って狭い部屋に監禁されるというのは日本の刑事司法の体系と比較して見ても全くあり得ない事態である。しかも,受刑者の場合なら,外気に触れ青空の下で運動・スポーツをする時間も与えられ食事も栄養的配慮がなされている。
ところが原告は,マンション間の移動時以外は外気に触れることもできず,青空を見ることもできなかったのであり,餓死寸前に至るほどの過酷な食事制裁を受けたのである。これだけの人権侵害は,前代未聞であり,そうであればこそ,検察審査会に対しては,国内外の多くの有識者等から意見書が送られて来たのである。

2.父及び祖母の葬儀に参加させなかったこと

千の風になって

 原告の父の葬儀については,被告■<後藤徹氏の兄>は訃報を見て統一教会の人達が押しかけて騒動になることを心配したので原告は出席しなかったと供述したが(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書12頁4行~9行),反対尋問では,既に脱会届を出し,荷物も引き揚げた信者に関し,統一教会が奪還に来る例はないこと,また葬儀場に来ることもないことを認めた(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書35頁23行~36頁4行)。
したがって,統一教会が奪還に来るなどということが原告を葬儀に出席させなかった理由ではあり得ない。
また,被告■<後藤徹氏の兄>は,原告が葬儀に出るか出ないかについて何故被告■<後藤徹氏の兄>らが決めるのかとの趣旨の質問に対して,原告が偽装脱会していたからということを理由として述べた(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書34頁25行~35頁1行)。
即ち,これは,偽装脱会していた以上,葬儀に出せば逃げる可能性があったからということに他ならない。偽装脱会中の原告を葬儀に参加させたら最後,第1回目の監禁の時と同様,トイレに行った隙などに逃走する可能性があったことを言っているものである。
同じ東京にいながら原告を葬儀に出席させないことの異常性について被告■<後藤徹氏の兄>が,「この問題に取り組む上で,別にそういうこともあり得るという感じでおりましたけど」などと平然と言ってのけるが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書36頁19行~24行),「保護」中は親が入院しようが他界しようが断じて監禁からは解放しないという,被告宮村から教育された方針をそのまま語っているものである。
 原告の祖母SuKは2006年4月3日に他界し,同年4月5日に原告の母と被告■<後藤徹氏の妹>とが葬儀に参加しているが,原告は祖母が他界したことも葬儀のことも聞かされていない。葬儀当日になって,母と被告■<後藤徹氏の妹>とが部屋におらず,被告■<後藤徹氏の兄>が部屋にいたため,不思議に思った原告が被告■<後藤徹氏の兄>にその理由を問い,渋々ながら被告■<後藤徹氏の兄>が答えるに至って初めて祖母の他界の事実と当日葬儀が行われている事実を知らされたのである(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書60頁3行~5行,同60頁19行~21行,同61頁11行~17行)。
祖母の他界という重大な事実を原告にだけ隠していたのは,逃走の機会を与える葬儀に原告を参加させる意思などさらさらなかったからにほかならない。なお,被告■<後藤徹氏の兄嫁>は最終尋問で,祖母のことを原告に伝えたのは被告■<後藤徹氏の兄>であり被告■<後藤徹氏の兄>がどの時点で祖母の他界の事実を伝えたかは分からないなどと述べる(被告■<後藤徹氏兄嫁>調書67頁7行~19行)。
しかしながら,原告に隠す意図がなかったなら,祖母が他界した4月3日の時点で祖母の他界のことや葬儀のことが家族中で話題とったはずであり,祖母の他界の事実を原告に伝えたのが被告■<後藤徹氏の兄>に限られるということ自体不自然なことである。また,本来であれば,実の孫である被告■<後藤徹氏の兄>も葬儀に参加すべきであって,同被告が被告■<後藤徹氏の兄嫁>と共に東京に残って特に何をするでもなくフラワーホーム804号室に留まったことも異常である。
被告■<後藤徹氏の妹>は,原告が3回目の断食期間中でとても一緒に行ける状況ではないと思ったので,原告を葬儀には連れて行かず,帰ってからそのことを原告に伝えたと供述する(被告■<後藤徹氏の妹>調書18頁末行~19頁6行)。
しかし,原告は同年4月に断食を開始したものであり,仮に開始日が4月1日であったとしても,断食を中断して4月3日の葬儀に参加することは可能であり,そのことを決めるべきは原告なのであるから,祖母の他界の事実すら原告に伝えなかったというのは異常なことである。
そもそも,祖母が危ないという事実を事前に知らされ葬儀に行く可能性があるということになっていたならば,原告は何もこの時断食を開始しなかったはずである。結局のところ,被告■<後藤徹氏の兄>らは,最初から原告を葬儀に参席させる意思など全くなく,葬儀当日に原告から問われるまで祖母の他界の事実を原告に秘していたものであり,被告■<後藤徹氏の兄嫁>と被告■<後藤徹氏の兄>は原告の監視のためにわざわざ部屋に残ったものである(甲9号証36頁14行~18行)。
 被告■<後藤徹氏の兄>らは「親子関係の回復」が話し合いの目的だなどと強弁するが(被告■<後藤徹氏の妹>調書9頁5行~7行),だとしたら何故原告の父が心筋梗塞で新潟市民病院に入院中や癌で帯津三敬病院に入院中,見舞いに行く機会を一度も与えなかったのであろうか。
特に原告の父が他界した際には,最後まで見舞いの機会を与えず,他界後にようやく一度だけお別れの機会を与えたというのであるから,「親子関係の回復」とは著しく矛盾した行動をとっていたものである。
結局のところ,「親子関係の回復」などという綺麗事のために「話し合い」をしていたものではなく,原告の脱会が確実となるまで監禁を継続したという以外の何ものでもない。

3.住民票の勝手な移動
 
原告の住民票は,原告が新潟パレスマンション多門607号室にいた1997年2月1日付で保谷市の実家に移されている(甲159号証)。
当時原告は保谷市の実家には住んでいなかったのであるから,こうした住民票の移動を届け出ることは虚偽の届出であるが,原告の意思など一顧だにせずにこうした一方的な届け出がなされるところにも本件の本質が表れていると言える。

4.選挙権侵害
 被告■<後藤徹氏の兄>らによって原告の住民票は保谷市の実家に無断で移されていたことから,同所に国政選挙,及び地方選挙の度に投票用紙が送られて来たはずであるが,被告■<後藤徹氏の兄>らは投票用紙を一切原告には渡していないと供述する(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書52頁20行~53頁5行)。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,統一教会信者には人権は認められないとの差別意識から,国民の基本的権利である投票権の行使すら認めなかったのである。

5.婚姻の自由,家庭生活の自由の侵害 
 
 既述の通り,被告■<後藤徹氏の妹>らは国際合同結婚式で結ばれた相手との原告の婚姻や家庭生活を妨害することも一つの目的として拉致監禁,脱会強要に及んだものであり,実際,原告は1995年8月に婚約したSKaとの関係を破綻させられたものであり,かつ,12年5ヶ月間に亘って婚姻の自由及び家庭生活の自由をも侵害され続けたものである。

6.財布の奪取 

原告は東京に移動する際,滞在場所を東京に移すなどとは一切聞かされていなかったため,免許証を財布に入れたまま新潟パレスマンション多門607号室に置いていったものであるが,その後財布は返してもらっていない。被告■<後藤徹氏の兄>は,財布は母が返したなどと弁明するが(被告■<後藤徹氏の兄>主尋問調書14頁9行~11行),陳述書においては,原告を荻窪フラワーホーム804号室から追いだした際,原告が無一文であった事実を認めている(乙イ10号証36頁15行)。
この点を反対尋問で聞かれた被告■<後藤徹氏の兄>は,苦し紛れに「財布の中にお金が入っていなかった」などと供述するに至った(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書38頁14行~20行)。
しかし,原告は1995年9月11日に日帰りの予定で保谷市の実家に帰宅したものであって,帰りの電車賃すら入っていないはずはなく,財布にお金が入っていなかったなどということはあり得ない。この点を追及された被告■<後藤徹氏の兄>は答に窮しているが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書38頁21行~39頁1行),これは母が財布を返したという供述がそもそも作り話であるからに他ならない。

じゃ,財布だけでいいです。財布は返したということですか。
  ええ,だったと思いましたけど。


ところが,最終的に彼をフラワーホームから出したときには,一銭も持たせなかったと書いてあったね。持たせてないと。これは,どういうこと。返したんじゃないの。

そのときは・・・聞いたことですけど,財布の中にお金が入ってなかったということだったと思いますけど。


1万円入ってたと言ってます,本人。誰が抜き取ったのかな。
  いや,分かりません。

原告は,12年前に家に帰るときに無一文で来たと思いますか。無一文で来たと思いますか,財布の中。
  ・・・・・。

出たときは無一文だよ。その間に,お金はどうなったの。
  ・・・・・。


兄反対尋問一部>

被告■<後藤徹氏の兄>らが原告を監禁中原告に財布を返さなかったのは,もとより原告を監禁から解放する意思はなく,原告に財布もお金も必要ないと判断したからに他ならない。また,2008年2月10日に原告を荻窪フラワーホーム804号室から追い出した際,財布を返さなかったのは,統一教会信者には人権はないとの,被告宮村等から植え付けられた差別的思想によるものに他ならない。なお,原告の財布は未だに被告■<後藤徹氏の兄>らの手元にあるか,お金だけ抜き取られて破棄されたかのいずれかであろう。仮に被告■<後藤徹氏の兄>らが財布を持っていても,恥ずかしくて証拠提出もできないでいるものである。

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<財布は何処に?

7.免許の失効

 マンションに12年以上も居れば,当然運転免許の書き換え時期も巡ってくるが,原告はマンション間の移動時以外は一切外出が許されなかったものであり,このため免許の書き換えもできなかったものである。
 免許証は就職にも必要になることが多いが,免許証が失効した場合,再度取り直すには相当な時間と費用が必要となる。そのような多大な損失を招く免許の失効という事態を原告が好んで招くわけはないのである。また,仮に原告が氏族メシヤや家族の救いを目指していたとして,免許の書き換えに行くだけで家族の伝道や救いに支障をきたすなどということはあり得ず,勿論そのような教義もない。したがって,原告が免許を失効したというこの一事だけでも,原告が監禁されていた事実は明らかである。ちなみに原告は,監禁中に免許が失効したものであるが,現に就職に支障を来たしたため,監禁から解放後に運転免許を取り直すことによって,ようやく乳製品販売店に就職をすることができたものである。

image[2]

8.食事制限による虐待
 
 原告は長期監禁に抗議し,2004年4月に21日間,2005年4月に21日間,2006年4月に30日間のハンガーストライキを決行したものである。
被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が断食中,餓死するのではないかと心配したと供述しつつも(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書53頁13行~19行),監禁を解放しなかったのであるから,それだけでも重大な虐待である。
ところで,被告■<後藤徹氏の兄嫁>等は,2004年の第1回目の時には1ヶ月で普通食に戻したにもかかわらず,2005年の第2回目の時には7ヶ月間,粗末な食事しか出さず,2006年の第3回目のときには断食後も70日間は流動食しか出さず,その後は重湯から粥に変化し,4ヶ月経ってようやく普通食が出るようになったものの,朝はパン1枚に飲物1杯,昼はご飯1杯,味噌汁1杯,のり4枚,漬け物と小魚少々,梅干し等,夜は,ご飯1杯,味噌汁1杯,漬け物,小エビ,納豆といった粗末な食事しか出さず(甲139号証の1,甲140号証の1),こうした食事制裁が2008年2月10日に解放されるまで続いたのであり,その精神的・肉体的苦痛は過酷を極めたのであった(甲9号証32頁7行~9行,同頁25行~30行,同33頁30行~31行,原告調書44頁1行~46頁19行)。

食事内容1
食事内容2


その結果,身長182センチの原告が解放時には体重52キログラムほどに痩せ細っていたものであり,その痩身状況は2008年2月13日にルポライターの米本和広が撮影した甲1号証によって明らかである。

入院直後の後藤さんの激やせ状態 ハンガーストライキ

被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告はマンションの中ではこれほど痩せてはいなかったと供述するが(乙イ5号証49頁1行~2行,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書21頁14行~22頁2行),甲1号証の写真は統一教会に批判的な記事も書く中立な立場のルポライターが撮影したものであり(甲106号証の1の2頁24行~4頁10行),日付もこの日撮影されたものであることは間違いない(甲114号証)。
更に,北里大学病院の宮崎医師は2008年4月18日付最終報告書(甲94号証)の中で,「鉄欠乏性貧血,栄養失調」との報告を行ったことに関し,2012年(平成24年)7月17日付意見書の中で,こうした数値は短期間で出るものではなく,相当期間の低栄養状態の継続があったことは明らかですと述べており(甲113号証2頁29行~30行),原告解放時の痩身状態は医学的にも間違いない。

北里最終報告書1 北里意見書1 北里意見書2 北里意見書3
<北里大学病院の宮崎医師の最終報告書(2008年4月)と意見書(2012年7月>
<注:意見書:2012年7月に後藤徹氏が再度北里大学病院の宮崎医師の診察を受け、血液検査をしました。2012年7月の所見から、2008年4月の後藤徹氏はどのような状態であったかを述べられています。クリックすると大きくなりますので、興味のある方はご覧ください。>

北里最終報告書
<北里大学病院の宮崎医師の最終報告書の一部>

北里意見書2-2
<北里大学病院の宮崎医師の意見書2頁一部>

加えて言えば,AT牧師<宮村氏説得を受けた(元)信者のケアをしていた>は原告の痩身写真(甲1号証)を見たとき原告の姿に驚き,水茎会で親しくしている人に「あれ本当ですか」と聞いたところ,その人が本当だと答えたと述べている(甲155号証の2の35頁16行~20行)。
原告が食事制裁により痩せ細っていた事実は,水茎会では有名な話しであったのである。

 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は,第3回目の断食後,普通食に戻した後も1年半原告だけ別メニューの粗末な食事を与えたとことについて,原告が何度も断食を繰り返すのではないかと思って再度断食をする場合に備えて体に負担がかからないように配慮したなどと供述する(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書19頁末行~20頁11行)。
しかしながら,原告の意向も聞かずに勝手に決めつけてこのような粗末な食事を与えるなど異常なことであり,後付けの荒唐無稽な弁明に過ぎない。
そもそも,一方では原告の自立を願っていたようなことを供述しつつ,他方では,原告を栄養失調に陥れているのであって,被告■<後藤徹氏の兄嫁>の供述には全く信憑性がない。
 被告<後藤徹氏の妹>は,断食明けの食事を1ヶ月も続ければ胃腸が元に戻ることを認めつつ,原告が何度も断食を繰り返したので原告の体にいいと思って別メニューにしたと供述する(被告■<後藤徹氏の妹>調書54頁9行~18行)。
しかしながら,真に原告のことを考えていたのなら,まず原告の意向を聞いてしかるべきであるのに原告の意向は一切聞いていないというのであるから(被告■<後藤徹氏の妹>調書54頁4行~8行,55頁13行~19行),被告■<後藤徹氏の兄嫁>同様実に異常なことであり,これも後付けの弁明に他ならない。
また,被告■<後藤徹氏の妹>が参考にしたという『断食・小食健康法』には生野菜や海草類を必ず献立に入れるよう書いてあるのに(被告■<後藤徹氏の妹>調書53頁1行~7行),原告の朝食には生野菜はなく,昼食と夕食に小皿に乗る程度のごく少量のキャベツ等の漬け物があった程度である(140号証の1写真)。

Hirt Yoru

これでは原告の体のことを考えたなどとは到底言えない。この点,GY医師も意見書の中で,原告の血液データ上の葉酸欠乏に言及する中で「岩本氏の食事内容を検証しても,葉物野菜,果物,レバーなどが含まれておらず,葉酸はこれらの中に含有しているものなので,これらの食材が与えられなかったことによる,栄養失調の可能性が高い」と述べている(甲137号証3頁4行~7行)。

GY医師意見書
<GY医師意見書一部>

また,原告がとりたてて乳製品を受け付けない体質ではないにもかかわらず,家族が食べていた自家製ヨーグルトを一切原告には与えていない(被告■<後藤徹氏の妹>調書50頁15行~51頁6行)。そして,他の家族がカレー,ハンバーグ,カツどんを食べている傍らで,原告をして粗末な食事を食べさせていたというのであるから(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書54頁14行~18行),これは原告に対して精神的苦痛を与える目的以外の何ものでもない。被告らは,食事制裁によって原告に対し肉体的・精神的虐待を加え続けていたのである。
 被告■<後藤徹氏の妹>は,2013年5月27付で原告に与えていた食事の写真を提出した(乙イ37号証)。
被告■<後藤徹氏の妹>はこの点を反対尋問で質問された際,原告側から提出した食事写真(甲140号証の1)には,味噌汁がなかったので提出したと供述するが(被告■<後藤徹氏の妹>調書50頁6行~14行),乙イ37号証の写真は,味噌汁だけでなく,19センチの皿に相当量のおかずが乗せてあり,原告の提示した小皿に乗った少量のおかずと全く異なる。しかし,乙イ37号証の写真にあるほどの食事を摂っていたなら,原告が解放直後,甲1号証及び甲17号証の写真にあるような痩身状態であったはずはなく,また,次の断食に備えたとの同被告の苦し紛れの弁明とも矛盾する。被告■<後藤徹氏の妹>が提出した再現写真は,正に被告ら常習の事実偽りの証拠である。
食事写真
<妹が提出した再現写真>
 
 なお,被告■<後藤徹氏の妹>が真に原告の健康のことを考慮していたのなら,新潟パレスマンション多門に居た時から,「たまには外に出て散歩でもしたらどうか?」といった会話があってもよさそうなものだが,そのような話しは一切ない。のみならず,荻窪フラワーホームでは,原告がインフルエンザにかかっても病院にも連れて行かず(甲9号証21頁8行~12行,原告調書40頁25行~41頁6行),被告■<後藤徹氏の妹>は自分だけフィットネスクラブに通う傍ら,原告には何年間も外出せず,陽の光も浴びさせない生活を強いたものである(被告■<後藤徹氏の妹>調書56頁8行~13行)。
被告■<後藤徹氏の妹>らが原告の健康状態など一切配慮していなかったことはこのことからも明らかである。まして,原告の健康を気遣って粗末で少量の食事を出していたなどとは笑止というほかない。

9.原告に対する暴行 

 被告■<後藤徹氏の兄嫁>は2度に亘って原告の顔面を平手打ちで叩くなど,暴行をはたらいた事実を認める(乙イ5号証46頁9行~10行,被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書16頁18行~22行)。
実際には,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が認めた以外にも,被告■<後藤徹氏の兄>らは原告に対して暴行を加えてきたものであるが,本来,自分達が原告を拉致監禁しておきながら,その原告に対して監禁中に暴行を加えるなど鬼畜の仕業である。
ところが,「自分に非があっても相手に非があるかのごとく押しつける」という被告宮村の特異な方針を教育された父兄等においては,監禁中の証人OBに対して腕に噛みついてでも制止するよう指導を受けたOF<OBの妹>が命じられてた通り行うことを誓わされたごとくに,異常な人格侵害を却って正当な行為であるかのごとく錯覚して行動するようになるのである。
したがって,被告■<後藤徹氏の兄>らがこうした異常行動に出たのも,被告宮村の教育が浸透した結果と言うことができるのである。

第10 原告に対する傷害

1.原告の体重
 
 2008年2月10日に解放された原告は,翌11日の午前0時頃,一心病院にて受診し,宿直医のS医師の診察を受け,SK看護師が原告の体重測定を行った。
この時,中村医科工業株式会社製のデジタル体重測定器(LW-7000)で計測したところ体重測定値は39.2kgであった(甲93号証の1,甲93号証の4の1,甲117号証1頁末行~2頁3行)。

93-1.png
<甲93号証の1(内科病歴要約)の一部>

この時点では原告は自立歩行が極めて困難な状況にあり,SKe看護師としては,原告が足の痛みを訴えていたこともあり,デジタル表示が一旦止まった後,原告を直ちに体重計から下ろしたのであった(甲117号証2頁3行~6行)。

看護師陳述書
<SKe看護師陳述書2頁一部>

体重測定はいつでもできるため,SKe看護師としては原告を一刻も早く休ませることに重きをおいていた。これに対し,同院での6日後の17日の体重測定値が52.1kgで(甲93号証の5の1)6日間で体重が10kg増えたことになることから,同院内では2月11日の時点での測定値が誤りでないかと取り沙汰されたが,原因が判明しなかったため,記録上は修正されなかった。

93-5-1
<甲93号証の5の1(後藤徹氏入院中のフローシート一部)>

ところがその後,中村医科工業株式会社の説明によると,デジタル表示が止まった後,しばらくしないと正確な測定値が計れないこともあるとのことであった。そこで,後日刑事が調査に来た際,上記経緯を説明したものであった。この時刑事は特に調書はとらなかった。
ところが,検察審査会議決文(乙イ1号証10頁)には,SKe看護師が原告に手を貸して体重測定したために測定結果には疑問があるとの判断が記されたのであった。

議決書10頁
<議決書10頁一部>

SKe看護師は,原告に手を貸したことはない。これは,刑事が起訴を回避するため聴取内容と異なる捜査報告書を作成したためと考えられる(甲117号証)。

看護師陳述書2頁

看護師陳述書3頁
<SKe看護師陳述書2頁一部と3頁一部

 なお,内海聡医師は,断食終了時に45kgであったとする被告側の主張(乙イ5号証47頁22行)も踏まえ,2008年2月10日に解放された時点での原告の体重を45kgないし48kg程度と推測する(甲136号証3頁13行~16行)。

内海医師意見書
<内海医師意見書一部>

被告■<後藤徹氏の兄>らは,原告が断食中餓死するのではないかと心配したなどと供述するが(被告■<後藤徹氏の兄>反対尋問調書53頁13行~19行),実際には被告等が食事制裁を行ったたために,原告の体重は断食終了時の飢餓状態から殆ど回復しなかったものである。

2.解放時の原告の栄養状態 
 
 入院時における原告のアルブミン値が正常を示していることを主な根拠に(甲93号証の1),IY医師及びKK医師は,原告は栄養失調状態にはないと述べる(乙イ23号証,乙イ25号証,乙ハ23号証)。

I医師意見書
<IY医師意見書一部>

K医師意見書1頁
K医師意見書2頁
K医師意見書2頁②
<KK医師意見書一部>

しかしながら,日本病態栄養学会理事を務めるなど,日本の栄養学会における権威であるNY教授によれば,アルブミン値は,従来は栄養状態を表す指標としてよく用いられてきたものの,実際にはアルブミン値は炎症の程度と関係しているのであって,必ずしも栄養状態を表してはおらず,特に原告のように栄養摂取不足による単純な飢餓の場合はアルブミン値の低下は軽度であるため,アルブミン値だけで栄養状態を評価することに問題があるとのことであり,現在世界で最も多く用いられている米国の栄養評価ツール(SGA)によれば,2008年2月17日時点で原告は全ての項目で「重傷<ママ・重症>の栄養不良」に分類されるという(甲153号証3頁~4頁)。

NY教授意見書3頁 NY教授意見書4頁NY教授意見書4頁②NY教授意見書4頁③

NY教授意見書5頁

<NY教授意見書3頁~5頁一部。クリックすると大きくなります。興味深い内容なので、是非お読みください。>

したがって,被告等が原告に対し一日1000カロリー程度の食事しか与えず,原告を飢餓状態にしたことに疑いの余地はない。 
そもそも,IY医師やKK医師が患者である原告を診察もせずに診断を下しているのは医師法に照らしても異常なことであり(甲135号証の1の1頁6行~11行),その姿勢に対し,内海医師は「医師としての視点に則ったものであるとは言い難い」と述べ(甲136号証4頁末行~5頁1行),元衆議院議員のHH医師は「医者として異常なこと」(甲138号証1頁)と酷評する程であり,IY,KK両医師の意見書は,殊更に被告側を利せんとする立場からのものに他ならない。
 特に,KK医師は,被告宮村と連携しつつ,小出医師に対する拉致監禁事件に直接関与した人物であり(甲135号証の1の7頁9行~18行),中立公平な立場ではあり得ず,被告宮村の影響下,偏った意見書を提出したものと見られる。
 なお,検察審査会議決文には,「血液検査の結果を見る限りは,深刻な栄養不良状態であったとは思えない」との東京警察病院の管理栄養士の所見が記されているが(乙イ1号証10頁24行~25行),こうした見方も,血液データだけから栄養状態を判断するという誤った見方に他ならない。かつて同じ警察病院で医師を務めた内海医師も,「栄養不足の診断は,病歴,食事歴,身体測定,血液生化学検査などで総合的に判断されるもの」との立場から,原告が「重度の低栄養状態であり病的状態であることには疑う余地がない」と述べている(甲136号証4頁33行~34行)。
管理栄養士の所見は,本件を不起訴に持ち込まんとする捜査機関の意向を受けたものとすら疑われるところである。

議決書10頁②
<議決書10頁一部>

内海医師意見書4頁①
<内海医師意見書4頁一部>

内海医師意見書4頁②
<内海医師意見書4頁一部>

内海医師意見書「マラスムス」
<内海医師がアルブミンについて、原告の当時の身体状態についてわかりやすく意見書で解説していますので、追加添付しておきます。>

3.解放時の原告の免疫力低下 
 
 前記東京警察病院の管理栄養士も述べる通り,原告はマンションに長期滞在中,低栄養状態が継続したため,基礎代謝を著しく落とした状態にあったものであり体を維持するのに最低限のエネルギーで1年10ヶ月間過ごしてたものであるが(乙イ1号証10頁20行~22行),このため亜鉛欠乏をも一因とするところの全般的な免疫力低下をきたしていたものであり,カロリーの蓄え(皮下脂肪,筋肉など)が殆どない中,ウイルスの侵入を受けたなら,生命の危険も生じる状態であった。この点,前記管理栄養士は「直ちに健康を害するほどのカロリー不足だったとは思われない」との表現でごまかしているが(乙イ1号証10頁22行~24行),「直ちに」とは,「ウイルスに感染していない状況では」ということに他ならず,ウイルスに感染した場合の危険性を殊更に無視したものとなっている(甲135号証の1の8頁18行~28行)。
 実際にも原告は,2月10日の解放時に極寒の中,免疫力が低下した状態でいきなり約10キロの距離の歩行を余儀なくされた結果,胃腸炎を起こす系統のウイルスに感染したものと見られ,潜伏期間を経た2月13日には急性胃腸炎を発症するに至っており,体温が39度4分まで上昇し,血圧も上が100を切るなど,極めて危険な状態にあったものである。また,2月10日に原告が低カロリー状態で一晩路上に放置され呼吸器系ウイルスに感染し肺炎を患ったならば,一夜にして絶命する危険も十分あったものであり,そもそも,身長182センチ,体重が健常時に69キロの成人男性に1年9ヶ月間にも亘って1日1050kカロリー程度以下の食事しか与えないこと自体,危険な行為であり,虐待に当たると言える(甲135号証の1の8頁29行~9頁28行)。
 被告等がこうした異常行動をとるのも,妊婦拉致監禁事例や医師拉致監禁事例に見られるごとく,人の生命身体の安全まで軽視する被告松永,及び被告宮村の指導・教育の結果に他ならない。

後藤氏フローシート
<甲93の5の1(後藤徹氏のフローシートの一部)>
<青線が体温、赤線が脈。体温(T)の上から2つ目の太線から上が39℃代。看護記録によると、2月13日夕方より、気分が悪くなり、2月14日深夜に下痢をし、午前中に38.6℃から39.4℃まで発熱した。>

4.廃用性筋萎縮

後藤徹氏衰弱写真

 原告は整形外科医によって「関節症所見あり」との判断が下され,移動に歩行器を用いるなど,廃用性筋萎縮と見られる旨はIY医師も認めるところであり,廃用症候群は医学書に出てくる病気であって,その原因が12年5か月間も狭い部屋に監禁され続けたことにあることは明らかである。
にもかかわらず,IY医師が意見書で「病気は特に認められず健康な様です」と結論づけているのは(乙イ23号証),著しく事実を偽るものである(甲116頁1頁「1」)。
この点,元衆議院議員のHH医師も疑問を呈し,「統一教会信者であれば,廃用性筋萎縮状態に陥っていても『健康』と診断してもいいなどというのは誤った考え方であり,関係諸機関や医療者は,こうした考え方を根底から改めるべき」であると述べている(甲138号証4頁11行~末行)。

IY医師意見書②
<IY医師意見書一部>

IY医師意見書①

<IY医師意見書一部>

5.傷害の事実
 
 以上の次第であり,12年5か月間もの間,原告を狭い部屋に監禁し続け,かつ,30日間に及ぶハンガーストライキ後の原告に対し,1年9ヶ月間にも亘って食事制裁を加え,粗末な食事しか与えなかった被告らの行為自体が傷害に当たると言える。

第11 被告らの責任

1.被告■<後藤徹氏の兄>らの責任 
 被告■<後藤徹氏の兄>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>及び被告■<後藤徹氏の妹>は,被告宮村及び被告松永から法令無視,司法手続無視・軽視の教育を受けた立場とはいえ,共謀の上,原告を12年5ヶ月間にも亘って監禁し,暴行傷害を加え,食事制裁によって虐待し,選挙権や婚姻生活の自由を侵害するなど未曾有の重大かつ深刻な被害を及ぼしたものである。
原告にとって失われた12年5ヶ月間の人生の浪費は決して取り返すことなどできないのであるから,被告■<後藤徹氏の兄>らの責任は極めて重大である。

2.被告宮村の責任

  被告宮村は『親は何を知るべきか』(甲24号証)において,統一教会信者をマインド・コントロールされたものと決めつけ(120頁3行~6行),本件のごとき脱会説得を「どんなに苦しくても,どんなにつらくても,途中でくじけたり,あきらめたりしないでほしい」(118頁末行~119頁1行),「子どもを救い出すために,親に命がけで考えて行動してほしい」(152頁10行~11行),「失敗は許されない」(144頁3行~),「絶対的にかかる時間は短くすることはできない」(144頁15行~),説得に要する時間について「何か月,ときには何年という場合も少なくありません」(145頁2行~3行)と述べOB<被告側証人>に対して,「五年でも十年でも整理がつくまで,ここにいなさい」と言渡すなど(189頁12行~13行),統一教会信者を脱会させるためには何年間でも信者を監禁すべきだと考える異常な思想の持ち主であるが,本件においても被告■<後藤徹氏の兄>らに対しこうした思想を植え付け,犯行に至らしめたことは間違いない。
そして反対尋問においては,偽装脱会しなければならない状況に統一教会信者を追い込むことを何ら問題視していない旨供述し(被告宮村調書106頁2行~12行),自分が12年5ヵ月間一切外に出ない生活を強いられたらどうかと聞かれたことに対しても,自分がしてきたことを反省するには十分いい機会だと思う旨述べるなど(被告宮村調書109頁7行~13行),本件において原告が被った被害を容認する発言を行っている。

あなたは,自分の立場を入れ替えてみて,12年5ヵ月間,一切外に出ないと,もしそういう生活を強いられたら,どうですか。

自分がやってきたことを考えるには,いい機会だと思いますね。


12年5ヵ月間。

はい。10年以上も反社会的行為や・・・。


反省するには,十分いい機会だというふうに,あなたは思ったのね。

私は,そう思います。


そう思うわけね。

はい,3食昼寝つきで,本も読めるし。



<宮村氏反対尋問一部>

こうした認識をもって被告宮村が,1987年10月の第1回目の事件に関与して以降,被告■<後藤徹氏の兄>らと謀議を積み重ね,その結果として第2回目の事件が発生していることからすれば,被告宮村が原告にとっての第2回目の拉致監禁・脱会強要事件である本件全般についても責任を負うべきは当然のことである。
 しかも,被告宮村が行う自称「保護活動」の目的が私利私欲の営利目的であることを考えれば,その責任は極めて重い。

3.被告松永の責任 

被告松永は被告■<後藤徹氏の兄>らと共謀の上,原告に対する新潟における拉致監禁・脱会強要に関与したものであるが,その後も原告に対する監禁・脱会強要が継続したことに対して何らこれを中止させる措置を執らず,また,一度被告宮村と共に荻窪フラワーホーム804号室を訪れ,原告の状況を認識しつつもなお被害の継続を容認したものであって,共謀からの離脱は認められない。したがって,被告松永もまた,原告にとっての第2回目の拉致監禁・脱会強要事件である本件全般について責任を負うべきは当然のことである。
 被告松永も,被告宮村同様,自称「保護活動」を私利私欲の営利目的及び自らの教会の教勢拡大(信者獲得)という目的で行っているものであり,その責任は極めて重い。

4.被告日本同盟基督教団の責任
 
 被告法人は,牧師・伝道師に定期的研修を行い,著しい非行があった場合にはその資格を停止・剥奪する権限を有し,牧師の人事について各個教会,当該牧師との合議による人事権を有していることを認めるが(被告法人答弁書3頁),この点被告松永も反対尋問において認めるところである(被告松永調書75頁4行~9行)。
 本件を含む被告松永による拉致監禁指導・棄教強要行為は上記「著しい非行」に該当し,本来であれば同被告の牧師の資格停止・剥奪権を行使すべきものであることは疑いの余地がなく,しかも,同被告自身これを「牧会活動」と称し(被告松永答弁書2頁),脱会させた元統一教会信者らを自らの教会に所属させ,更なる信者脱会活動に従事させていることなどからすれば(上記第1・1③参照),被告法人の宣教活動・教勢拡大活動の一環としてこれを遂行していることは明かであって,被告法人の使用者責任を免れることはできない。被告松永も,牧師が強制改宗や監禁作業をしている場合,被告法人としては調査すべき問題であることを一般論としては認める一方(被告松永調書75頁15行~19行),被告松永が統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要を行っていることが記された雑誌や書籍が流布しているにもかかわらず,被告法人が一切調査を行わなかった事実を認める(同75頁20行~76頁1行)。
それどころか,被告法人は,被告松永の新津教会には,統一教会の元信者が通っており,彼らがいるため教会が復興しているというということで,復興する教会というモデルケースとして注目していたというのであるから(甲36号証26頁8行~11行),被告法人が被告松永の保護活動の実態について調査及び処分を怠ったのは,重大な過失であり,使用者責任(民法715条)を負うのは当然である。

第12 その他本件関連事項

1.原対協と朱光会との関係

<解説:朱光会が関連した事について(元信者の陳述書より)
①親⇒朱光会に150万円を支払う。⇒統一教会は信者を家に帰す。
②親が牧師の話を聞くことを勧める。⇒信者はマンションに行って牧師の話を聞く。
③信者は統一教会より、親や牧師の話を聞いて納得したふりして偽装脱会するよう指示された。
④偽装脱会した信者のうち2人がリハビリをしたいと嘘をついて、牧師の教会に泊まりこんでいた。>


 被告松永は,3回に亘る朱光会事件を取り上げた上で,暴力団の関わる強引な方法が根本的解決にならないことを踏まえて森山牧師が原対協の会合を呼びかけたとの経緯を述べ(乙ロ12号証5頁~7頁),あたかも原対協が,朱光会事件が終わった後に発足したものであり,朱光会の暴力的方法を全面的に否定する組織として結成されたものであるかのごとく述べる。
また,被告宮村は父兄に対し強引な手法は採らないように指導していると供述する(被告宮村調書45頁6行~14行)。
 しかし,以下に詳述する通り,実際には原対協は第2回目の朱光会事件の直前に準備会が開催されており,しかも,乙ハ45号証に掲載された名簿のうち,新潟に帰された6名中5名までが被告松永の脱会説得を受けるなど,朱光会事件に乗じて,自宅に帰される信者等を一網打尽に拉致監禁して脱会させることも,原対協の一つの目標であったことは明らかである。
 被告松永も陳述書で述べる通り,第1回目の朱光会事件は1986年頃に起きており,この時は親元に返された信者等が再度統一教会に戻っている。
1987年9月3日付の甲95号証の3枚目上部には「右翼・・・2ヶ月したら戻ってこい」との被告松永の書き込みがあるが,これは,右翼によって家に返された信者に対して統一教会側が「親元に帰って2ヶ月したら統一教会に戻って来い」との指示を出していたとの趣旨を準備会で聞いて記録したものに他ならない。

甲95-3
<甲95号証3枚目上部>
 
 第2回目の朱光会事件は1987年9月に起きている。MKも陳述書で述べる通り1987年9月7日に朱光会と親との第2回目の取引が行われ(乙ロ18号証3頁4行以下),統一教会側は父兄等に対し同年9月12日付の念書(乙ハ45号証)を差し入れている。M(旧姓K)Kが親元に返されたのはこの時であり,第2回目の事件で親元に返された信者らの殆どは統一教会には戻っていない。

Mさんはどういう経緯で脱会された方ですか。

Mさんは87年に,実は朱光会という右翼団体で,そこで出された。要するに家族がお金を払って,そして統一教会から家に帰りなさいと言われた。そういう中で帰された人です。



後に提出する乙ハ第45号証(念書),乙ハ第46号証の1及び2(いずれも名刺)を示す
これは宮村さんのほうが持ってた書類なんですが,ご覧になったことはありますか。

あります。


この念書の趣旨はどういう趣旨ですか。

これは・・・朱光会っていうのがあって,その朱光会が仲介して,統―教会の信者を自宅に帰すという,その約束を統一教会のKさんと朱光会が話し合って,その念書だと思います。


この下に名簿がありますが,この方々を,そういう意味では本人の意思にかかわりなしに右翼が統一教会と話をして,右翼のほうに妥協して,統一教会のほうがこの人たちを返すということになったと,こういうことですね。

そういうことです。



<松永牧師主尋問の一部> 
 
 被告宮村は資料説明書(乙ハ47号証)において,乙ハ45号証及び乙ハ46号証を持参した父兄の話を聞いて,「親も右翼も何と酷いことをするのかと驚いた」(2頁2行~3行)などと述べ,乙ハ45号証を見た時初めて朱光会事件について知ったかのごとく述べる。
しかし,乙ハ45号証が1987年9月12日付であるところ,上述の通り同年同月3日に開催された原対協準備会において既に朱光会事件が話題となっており,被告宮村や森山牧師が朱光会事件について知ったのは,乙ハ45号証が作成されるよりも前である。
また,被告宮村は,同号証に記載された21名が一旦家に帰ったものの再び統一教会に戻った旨述べる。
しかし既述の通り,家に帰った全員が再び統一教会に戻ったのは1986年の第1回目の朱光会事件においてであって,乙ハ45号証が作成された第2回目の事件の時ではない。
即ち,被告宮村及び森山牧師が朱光会事件について父兄から最初に相談を受けた時点では,まだ乙ハ45号証は作成されていなかったのであって,正確に言えば被告宮村と朱光会事件との関わりは以下の経緯を辿っている。
  ①1986年頃,第1回目の朱光会事件発生。
  ②親元に返された信者らが全員統一教会に戻る。
  ③父兄が朱光会側の名刺(乙ハ46号証)をもって被告宮村及び森山に相談し,被告宮村が朱光会事件について知る。
  ④1987年9月3日,被告宮村及び森山が原対協準備会を発足し,朱光会事件について参加者らに情報提供(甲95号証3枚目)。
  ⑤1987年9月7日,第2回目の事件における朱光会と父兄の間の取引。
  ⑥1987年9月12日,統一教会側が父兄に念書(乙ハ45号証)差し入れ。
  ⑦念書(乙ハ45号証)を入手した父兄が被告宮村にこれを見せ,被告宮村がそのコピーを入手。

 ところで,乙ハ45号証に掲載された名簿のうち,新潟に帰された6名全員の親に被告松永が関与し,6名中5名までが被告松永の脱会説得を受けている。
朱光会によって自宅に帰されたことを自認するMKは6名の信者が新潟に帰された旨述べた上で(乙ロ18号証2頁17行~19行,同3頁10行~12行),「数日後,牧師の話を聞いた方が良いと両親にマンションに連れて行かれたが,偽装脱会をした。他の5人も全て偽装脱会をし」たと述べるが(乙ロ18号証2頁22行~23行),この6名とは,TJ及びSMによれば(甲161号証の1,甲162号証の1),M(旧姓K)K(乙ハ45号証の名簿欄中央列上から5行目では「KK」と表記),T(旧姓Y)T(同右列5行目),HK(同左列6行目),S(旧姓I)M(同中央列6行目),U(旧姓N)H(同右列6行目),T(旧姓O)J(同左列7行目)の6名である。
この6名のうち実にTJ以外の5名が新潟県内のマンション・アパートに監禁され,被告松永の脱会説得を受けているのである。
MKの陳述書には「他の5人も全て偽装脱会をし」とあり,6名全員がマンションに連れて行かれて牧師の話を聞かされた趣旨に読めるが,TJの父は,被告松永側から監禁説得の勧誘を受け,自宅二階を改造して監禁を準備したものの,「娘が帰ってくればそれでいい。監禁までしたくない」と言って実行日当日に拉致監禁を拒んだため,TJにおいては監禁を免れるに至っているのである(甲161号証の1の2頁34行~3頁10行,甲162号証の1の6頁1行~5行)。
被告松永は陳述書で,「朱光会などの右翼団体を通じて信者を脱会させたり,家族が強制的に脱会させるという手段が到底正しいとはいえ」ないと述べるが(乙ロ12号証8頁3行~),実際には被告宮村からの情報提供によって新潟に返される6名についての情報を得た被告松永が,これに乗じて父兄らに監禁説得を勧誘し,5名については実際に監禁説得を実施したというのが事実である。
ちなみに,1988年4月17日に開催された会合の案内状(甲129号証)の裏に「YK」<TTの父>と併記された「T」とは前記念書のT(旧姓Y)T(乙ハ45号証右列5行目)であり,また,甲102号証の計画書は,後述の通りU(旧姓N)H(乙ハ45号証右列6行目)に対して拉致監禁・脱会強要をした被告松永が作成した計画書である。
 原対協は,第2回目の朱光会事件において21名の信者が自宅に戻されることを父兄からの情報提供で事前に察知した被告宮村及び森山牧師が,この情報を全国の牧師らに知らせて自宅に戻される信者らを一網打尽に拉致監禁して脱会させるべく,原対協準備会を発足したと言えるのであって,原対協は,朱光会事件に乗じて,これを利用する形で活動を全国化するために立ち上げられた組織とも言えるのである。

2.甲95号証ないし甲102号証の入手経路

(1)被告松永の供述の虚偽性

 被告松永は陳述書(2)乙ロ12号証にて,甲95号証ないし甲100号証の文書,甲101号証の1のビデオ,及び甲102号証の文書は,いずれも新津教会に保管していたのを何者かが無断で持ち出したと述べ,被告松永自身はコピーも含めて他人に渡したことはないなどと述べる(乙ロ12号証1頁)。
しかし,甲99号証は,「コピーも含めて他人に渡したことはない」どころか,相談依頼をする父兄に広く配布されたものである。

甲99
<甲99号証>

また,甲100号証は被告松永の陳述書の別の箇所の記載によれば1988年4月17日の会合向けに被告松永がレジュメとして作成したものということである(乙ロ12号証22頁19行~21行)。
最終尋問では被告松永自身,甲100号証に記された「Tよう」なる人物にに交付した事実を認める(被告松永調書92頁1行~8行)。「Tよう」とは「T用」の意で,甲100号証はYTに交付したものと見られる。甲95号証ないし甲97号証は,被告松永が甲100号証を作成配布して「新津地区原理対策協議会」を発足しようとした際,その上部組織である「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」(原対協)の準備会及び発足会のことを会議参加者に伝えるためコピーして配布したものと見られる。
また,甲102号証は後述の通り朱光会事件で家に帰されたU(旧姓N)H(乙ハ45号証の名簿欄右列6行目)を拉致監禁・脱会強要するための計画書であり,被告松永がコピーしてUの父兄に渡したものである。

甲102-1
<甲102号証1頁一部>

もとより父兄に渡さなければ計画書の意味をなさない。被告松永は,同号証が計画書である点は否定するものの,父兄が自分に連絡すべき時間を書いた旨供述する(被告松永調書51頁13行~17行)。仮にそうだとしても,相手に渡さなければ用をなさないのであるから,原本ないしコピーを他に交付した事実は認めざるを得ないものと言える。
甲101号証の1のビデオは,被告松永が新津教会にて上映して父兄等の教育に用い,更には,個別にダビングしたものを貸し出すなどしていたものである。
被告松永自身,陳述書の他の部分では「このような内容でどうか」と元信者や同僚のH牧師及び大先輩の森山牧師に意見を聞いたと述べ(乙ロ12号証21頁8行以下),さらに本人尋問では,父兄にも見せたと述べている(被告松永尋問調書28頁11行~13行)。したがって,被告松永の供述によってもビデオをコピーして複数の者に交付した事実は明らかである。
また,被告松永は甲95号証から甲102号証までを1987年10月末か12月末に段ボール箱に入れてロッカーに保管し,以来ロッカーも段ボール箱も開けていないと供述し(被告松永調書29頁11行~23行),MKは陳述書にて,新津教会にてリハビリに従事していた偽装脱会中のTがT部長の指示を受け被告松永の書類を書庫から盗んでT部長に流したと1987年10月下旬にTから聞いた旨述べる(乙ロ18号証4頁4行~)。
しかし,前述の通り甲100号証が,1988年4月17日の会合で交付された事実は被告松永も認める通りであり,甲99号証に至っては,その内容からして甲100号証よりも後に作成されたものであるから,どちらも1987年10月ないし12月段階では存在しない。
以上の通り,「コピーも含めて他人に渡したことはない」などの供述は,これら証拠の証拠価値を少しでも低下させようとする虚偽の供述に他ならない。
そもそもリハビリ中は統一教会側と連絡をとれるような状況にはなく,まして被告松永の物を盗み出せるような状態にはない(甲162号証の1の質問書4頁)。
したがって,MK陳述書の記載は,偽装脱会がばれた場合に再度監禁されることへの信者の恐怖心を全く理解しない者の作文に他ならない。

(2)MK陳述書(乙ロ18号証)の虚偽性 

 MKは陳述書にて,家に返される前に統一教会のFから,親や反牧の話を聞いて偽装脱会して帰ってくるようにとの指示を受けていた旨述べる(乙ロ18号証3頁15行~)。
しかし,実際には第2回目の朱光会事件で家に返された信者等は,統一教会側から「親の承諾があるまで教会に帰ってきてはいけない」と言われて家に返されたのであって,偽装脱会して戻ってくるようにとの指示は受けていない(甲161号証の1の2頁25行~26行)。
この点,M(旧姓I)Mは,偽装脱会をしたため却って親の承諾を得られず,統一教会には戻れなくなった旨述べるほどである(甲162号証の1の3頁16行~末行)。
そもそも,信者等が朱光会事件によって家に返される前段階では,よもや朱光会事件に対する被告松永ら反対牧師の関与は統一教会側では想定外のことであるから「反牧の話を聞いて偽装脱会して帰ってくるように」との指示などあり得ない。
そして実にMK自身も,当初作成していた陳述書においては,この事実を認めていたものである。即ち,甲160号証3頁3行目以下には,第1回目の朱光会事件(1976年とあるのは1986年の間違い)では自宅に帰された数人の信者が統一教会に戻ったが,第2回目の事件では彼らもMKら同様,「親の許可がなければ統一協会に戻れなくなった」と述べていたのであり,同記載箇所に削除線が付された状態のものが一旦乙ロ18号証として提出されたが(甲160号証),差替版では完全に削除されるに至っている(乙ロ18号証)。

未修正
<削除線が付された状態の乙ロ18号証(甲160号証)>

この削除線及び左余白の縦線は,ワープロソフト「WORD」の編集履歴表示機能によって他人が削除した箇所を表示した際に現れるものであるが,察するに被告松永代理人が「家に帰される前に,Fからは,親や反牧の話をきいて納得したふりをして偽装脱会して,統一協会に戻ってくるよう指示されていました」(甲160号証3頁20行~22行,乙ロ18号証3頁15行~17行)などという虚偽の事実を殊更に作文で加筆したところ,「親の許可がなければ統一協会に戻れなくなった」との記載がこれと矛盾していることに気づいたためにこれを削除してメール送信し,受け取ったMKが編集履歴を表示して印刷したために,甲160号証は,削除部分に削除線が付されたままの状態で提出されたものと考えられる。
実際の経緯においてもMKは,偽装脱会後,直ちに統一教会に戻れたわけではない。この点,MKは,「1987年11月ころからは本格的に統一協会に復帰する準備を始め」たと述べるが(乙ロ18号証4頁11行~12行),親の許可が無くても統一教会に戻れるなら,「準備」などせずとも第1回目の事件で返された信者らのように直ちに戻ったはずである。
実際には親の許可が無かったために,戻れなかったのである。その後,MKは合同結婚式に参加しているが,あくまでも「両親を説得して,両親の了解のもと」参加したと述べている(乙ロ18号証1頁14行~16行)。
したがって,前記削除線部分こそがMKの実際の行動にも沿うものであり,偽装脱会して戻ってくるようにとの指示をFから受けていたなどという記述は,明らかに事実を偽るものである。同陳述書こそは被告ら代理人の立証活動の本質が垣間見れる証拠であるといえよう。

(3)MK陳述書(2)(乙ロ20号証)の虚偽性
 
 原告側から提出したTJ陳述書(甲161号証の1)及びTJの質問書に対するSMの回答(甲162号証の1)に対し被告松永側は危機感を抱き,MK陳述書(2)(乙ロ20号証)を提出して反論を試みている。ところが,同陳述書では無残にも更に重大な欺瞞を露呈する結果となった。
 即ち,MKは陳述書(2)において,朱光会事件で家に返されたUHの「話し合いの場」に関し「旧新潟市の西の方のマンションで,コーポ矢代田(やしろだ)ではなかった」と述べ,結局朱光会事件で新潟の家に返された信者の中で「コーポ矢代田」を「話し合いの場」とした信者はいなかった旨記載している(乙ロ20号証8頁10行~9頁1行)。
これは,被告松永が反対尋問において,甲102号証に記された「コーポ矢代田」(同2頁図参照)で「保護」された信者に関し,コーポ矢代田に連れて来られる前に「北海道で一度,話し合った」との虚偽の供述をしていたところ(被告松永調書49頁16行~20行),SMがUHは北海道に行っていない旨述べたことから(甲162号証の2の5頁9項),被告松永としては自身の供述の虚偽性が露呈することを回避しようと考え,「UHはコーポ矢代田ではなかった」との虚偽の陳述書をMKをして書かさざるを得なかったものと考えられる。

甲102-2
<甲102号証2頁一部>

ところが,こうした陳述書により新たな矛盾が露呈することとなった。即ち,被告松永は反対尋問の中で,甲102号証の信者は朱光会事件で家に返された旨供述しているのであるから(被告松永調書49頁16行),新潟に返された6人の中にコーポ矢代田を「話し合いの場」とした信者がいなければならないはずである。ところが,上記MK陳述書ではその該当者がいなくなってしまうのである。したがって,UHが「コーポ矢代田ではなかった」とのMKの陳述書は明らかに事実を偽る嘘である。
 もとよりSMは,リハビリ中に被告松永に連れられてコーポ矢代田に行き,同所にてUHを目撃したのであるから(甲162号証の1の3頁8行~9行),同所に行ったこともないMKの陳述よりもはるかに信憑性が高い。
一方,SMにおいて,この点につき虚偽の事実を述べる理由など一切ない。仮に同アパートに別の信者が居たならその名前を挙げれば済むからである。
そして,朱光会事件で新潟の家に返された信者の中から「コーポ矢代田」を「話し合いの場」とする信者を挙げているのであるから,この部分において被告松永の供述とも整合性があり,極めて信憑性が高いのである。被告松永としては,朱光会事件で新潟に返されるUHを待ち構えて拉致監禁した事実を隠蔽するために,「北海道」というワンクッションを置いたものと見られるが,そうした虚偽の供述をしたために,更に嘘を繕わなくてはならなくなり,収拾がつかなくなっているものである。
 またMKは,陳述書(2)ではHKが被告松永の脱会説得を受けた事実を殊更に否定する。しかし,SMは被告松永に連れられてHKの「話し合いの場」に行き,同人と直接会っているのであるから(甲162号証の1の3頁8行~9行),この点においてもSMの回答の方が遙かに信憑性は高い。
しかも,MK自身,最初の陳述書では(乙18号証),朱光会によって新潟の自宅に帰された6名の信者につき,MK以外の5名全員がMK同様,牧師の話を聞かされ偽装脱会したとの趣旨を述べていたものである(乙ロ18号証2頁17行~23行,同3頁10行~12行)。HKにつて今更否定するのは,SM回答書の信憑性を否定しようとする余り,自身の陳述において矛盾をきたすに至ったものである。
 またMKは,SMの「話し合いの場」が同人の親戚の家の2階だったなどと述べるが(乙ロ20号証8頁),SM自身が「新津の秋葉山の公園麓のマンション」と明言しているのであるから(甲162号証の1の5頁一覧表,甲162号証の3),その場に行ったこともないMKの陳述よりも遙かに正確であるのみならず,SMにおいてこの点を偽る理由も利益もないのであるから,SMの回答の方が遙かに信憑性は高い。

img_kouen_01[1]
<秋葉公園>

MKは陳述書(2)においても,朱光会事件で家に帰されたとき,統一教会から,偽装脱会して親を騙して帰ってくるよう指示を受けたとの供述に固執する。しかし,それでは1986年に第1回目の朱光会事件によって家に返された信者等と同じことになるのであるから,甲160号証3頁の削除線が引かれた箇所の記載と明らかに齟齬する。
実際においても,偽装脱会に徹したSM,UH,TT,HKの4名は統一教会には戻れず,SM,UH,TTに至っては国際合同結婚式ならぬ一般の結婚をしており(甲162号証の1の5頁の一覧表),親を説得できたTJとMKだけが国際合同家婚式に参加しているのであるから,MKの陳述書は著しく事実を偽るものである。
 このように被告松永はMKをして嘘に嘘を重ねた空しい援護射撃をさせているが,何よりも被告松永自身が反対尋問で甲102号証に記された「保護」への関与及び朱光会との関係を追及された際の返答の窮し振り(被告松永調書48頁~51頁)こそが,同被告が隠したい上記朱光会と自らによる信者拉致監禁事件との関連性に係る真相を如実に物語っていると言うべきである。

これは先ほど言いました朱光会,暴力団で家に帰された子。この子は北海道で一度,話し合ったんですよ。そして分かったと言って帰ってきたんですよ。でも,帰ってきたとはいえ,まだ親としては心配が,その言動を見てて。それで親が親戚を集めて話し合った。そしてアパートに連れてきて話し合ったと。実はそういう経過なんですが。


原告代理人
そういう話が書いてあるのね。

いや,そういう経過なんですが・・・。


裁判長
あなたが関与したことですかという質問なんです。

原告代理人
あなたが関与してないんだったら,それでいいじゃん。

いえ,説明させてくださいよ。


裁判長
あなたが関与したかどうかをまずお答えください。

原告代理人
この保護にはあなたは関与してないのね。

いいえ。


関与したの。

いえ。


裁判長
イエスかノーかでお答えください。

いいえ,関与したとかしないじゃなくて。


裁判長
イエスかノーかでお答えください。

関与した,しない・・・。


原告代理人
朱光会と言ってたじゃない。関係ないんじゃないの。あなたは朱光会とつるんでたの。

  ・・・・・。


裁判長
関与したかどうかをお答えしてください。関与してないなら先に進みますから。

これは話合いに関与しました。


松永牧師反対尋問一部>

3.国際社会の非難 

 被告■<後藤徹氏の兄>らは,米国国務省の国際宗教自由報告書2010年度版,及び2010年12月版においては,統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要に関し,「統一教会から独立したソースによって確認できなかった」との記載が盛り込まれたと主張していたものであるが(乙イ20号証1頁本文22行~23行),同報告書の2012年版(最新版)においては,「統一教会から独立したソースによって確認できなかった」との記載は削除されるに至っており(甲165号証の2の2頁30行~3頁6行),米国政府も真の事実関係に気づいたものと言える。
 また,米国政府が設置した国際信教の自由委員会は2013年4月に年次報告書を発表し,その中で「日本における拉致と強制的棄教」と題したテーマを設け「統一教会信者の後藤徹氏のように,自らの意思に反して10年以上も監禁されたような極端な例もある」と述べて日本の人権侵害に警鐘を鳴らしている(甲166号証の1の302頁該当項5行~6行,同号証の2の7行~8行)。この報告書は2013年5月3日付ワシントン・ポストのインターネット版でも報道されるに至っている(甲167号証の1,2)。
 被告松永,被告宮村等,及び拉致監禁・脱会強要活動を常習的に反復継続して行って来た者達のために,日本は国際社会から人権侵害を放置している国家として多大な非難を受けるに至っており,日本はこの分野において信用失墜をもたらしたのである。被告松永,及び被告宮村等が国益に及ぼした被害も極めて大きいと言わざるを得ない。

以上

原告 後藤(東京地裁前)


次回より、被告側の最終準備書面です。お楽しみに~。

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2013-11-02(Sat)
 

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宮村の指導 

最終準備書面を参考に、宮村と家族らとの会話を再現してみました。

被告宮村は言った。
「子どもを救い出すために,親に命がけで考えて行動してほしい」

兄は考えた。
お祖母ちゃんの葬儀に、俺は参加しない。徹を放っておいたら、せっかくこれまでやってきた話し合いが水の泡になってしまう。徹を統一教会から救い出す。だから、俺はここに残る。お前(妻)も一緒に残ってくれ。

妻。
はい、分かりました。徹さんは後藤家に残る、ただ一人の統一教会信徒。徹さんが脱会しないかぎり、後藤家に平和は訪れません。お祖母さんも草場の陰からそれを応援してくださることでしょう。

宮村が言った。
統一教会信者にとって「自分がやってきたことを考えるには,いい機会だ」。「五年でも十年でも整理がつくまで,ここにいなさい」。

兄は考えた。
そうだ、徹にじっくり考えさせよう。そのためには、窓は閉め切ったほうがいい。余計なことを考えないように、財布も免許証も預かっておこう。そう言えば、免許の書き換えを知らせる葉書や選挙の投票案内が来ていたが、知らせないほうがいいな。

妹は言った。
そうね。あれこれ考えるといけないので、食事は毎日同じメニューを出すことにするわ。徹はあれ欲しい、これが食べたいと言うけど、無視、無視。

宮村は言った。
統一教会信者は「10年以上も反社会的行為」をやっている。「反省するには,十分いい機会だ」。

兄嫁は考えた。
そうよね。反省させなくちゃね。徹さんには粗末な食事、私たちはカレー,ハンバーグ,カツどん、それからヨーグルト。徹さんも少しは懲りるんじゃないかな。
あれっ、まだ反省してないみたい。ちょっとお仕置きね。バシッ(ビンタ)。

宮村は言った。
「どんなに苦しくても,どんなにつらくても,途中でくじけたり,あきらめたりしないでほしい」「絶対的にかかる時間は短くすることはできない」「何か月,ときには何年という場合も」

妹は思った。
そうは言っても、長すぎる。私たちはすぐに脱会できたのに、徹はしぶといわねぇ。こうも部屋に閉じこもってちゃあ、足腰がなまってしまう。私、フィットネスクラブに通うから、その間は、お兄さんかお義姉さん、ここにいてよね。

宮村は言った。
「失敗は許されない」

それを聞いて、松永はうなづいた。
そうだ。失敗は許されない。
お父さんたち、私の言うとおりにしてくださいよ。車に乗る時はこの位置で…。そして、この時間帯には連絡すること、いいですね。ここに書いておきますからね。
おっと、このメモは絶対に外部には漏らしてはいけませんよ、絶対に。
2013-11-06 09:09 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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