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被告宮村峻氏の主尋問-水茎会では"雑用”係だった??

 さて、最終弁論まであと一週間をきりました。

 まだ残っているのは,あと1人だけです。
 そうです。宮村峻氏です。大トリはやはりこの方をおいてはいませんね。

 宮村氏は,水茎会では主導的立場ではなかったと証言。"お手伝い"だの"お世話係"だの雑用をしていたと主張しています。
 また,拉致監禁を指導したこともないといい,松永牧師らとの連携も否定しています。

 水茎会からは,旅行費用などのカンパを得ているだけで,報酬をもらってはいないと主張しています。

 また,自身が話し合いをして脱会にいたった元信者の人数も80人程度と証言。
 宮村氏は,自身の脱会実績を自慢し,他の脱会説得牧師を"へっぽこ牧師"などとばかにする発言をしていたといわれていますが,この80人という数字は,"へっぽこ牧師"以下ではないでしょうか?

宮村
<尋問の大トリをつとめた宮村峻氏>



<宮村峻と荻窪栄光教会森山諭牧師との出会い>

被告宮村代理人(木村)
木村弁護士
<向かって右側>

乙ハ第2号証(陳述書),乙ハ第25号証(陳述書(その2))及び乙ハ第47号証(資料説明書)を示す
乙ハ2号証と乙ハ25号証ですが,この陳述書は,あなたが作成して,署名押印したものですね。

はい。


間違いないですね。

はい。


乙ハ47号証ですが,これは,あなたが作成した資料説明書ということでよろしいですね。

そうです。


乙ハ2号証で,3カ所訂正があるということですね。

はい。


まず2ページ目,第1の4段落目ですが,「私は,1984年9月ころ」が1985年9月ころ」の誤りということですか。

はい。


あと17ページ,一番下の段落冒頭の「その年の夏頃だったと思います。」が,「1984年の冬頃」ということですね。

はい。


24ページの第2段落ですが,3行目に,「1988年3月から5-6回■<後藤徹氏の妹>さんと話合いをした」とあるのが,これは「1989年」の誤りということですか。

はい,そうです。


それ以外は,誤りはないですね。

はい。


あなたの陳述書によると,1982年から荻窪栄光教会の森山牧師のもとに通っていたということですね。

はい。


荻窪栄光教会
<荻窪栄光教会>

なぜ森山牧師のもとに通ってたんですか。

聖書の勉強をするためです。


なぜ森山牧師のもとで,聖書の勉強をしてたんでしょうか。

知人のお嬢さんが,統一教会に入って,相談を受け,いろいろ調べて,森山先生のところにたどり着いたら,まずあなたが聖書の勉強をしなさいと言われたので,勉強を始めました。


1982年から,ずっと聖書の勉強のために通っていたということですか。

はい。


その知人というのは,YCさんのことですか。

そうです。


それで,聖書の勉強をしていたあなたが,YCさん以外の統一教会信者と話合いをするようになったのは,どういう経緯からでしょうか。

84年の冬頃,森山先生から,ご両親と信者のお嬢さんが教会にいるから,話をしてくれないかと,あなたの知っていることを話せばいいからと言われて,話をしたのがきっかけです。


どうして,あなたが森山牧師から,統一教会信者と話をしてくれとお願いされたんですか。

当時,個人的に統一教会のこともよく調べていたし,それから聖書のことも,よく森山先生に相談したし,大学時代に統一原理という教えのことが書いてある原理講論という本を読んだことがありますんで,それを森山先生が知ってたから,そういうことを私に命じられたと思います。


あなたが持っていた知識について,話してほしいというふうに指示されたということですか。

はい。


あなたが1982年に森山牧師のもとに通うようになる前は,統一教会信者との話合いにかかわったことはありますか。

ありません。


あなたは,当時,荻窪栄光教会の信者だったんですか。

いいえ。


どういう立場で,荻窪栄光教会に通ってたんですか。

聖書の勉強をするという立場と,森山先生のお手伝いが始まっていたということです。


1985年に,荻窪栄光教会に水茎会が結成されたということですね。

はい。



<水茎会での宮村の役割は単なる世話係!?>

水茎会は,どういう経緯で結成されたんですか。

当時,森山先生を頼って,いろんな親御さんが日本中からお見えになって,それで,いわゆる父母の会を作ろうじゃないかということで,水茎会が結成されたと聞いています。


そうすると,水茎会を結成したのは,主体的に結成したのは,誰ということになるんですか。

統一教会の被害者のご家族たちということになりますね。


あなたは,その水茎会の結成には,かかわっているんですか。

かかわっていません。


この当時,既にあなたは森山牧師に指示されて,統一教会信者と話合いをしてたりしていたわけですね。

しょっちゅうではないですけど,そういうことがありました。


それでも,あなたは,水茎会の結成にはかかわらなかったということですか。

はい。


それは,なぜでしょうか。

私は森山先生の単なるお手伝いですから。


それ以上のことはしなかったということですか。

はい。


1985年の水茎会結成当時から,水茎会の勉強会には参加していたんですか。

当初は時折,以後は年に5回とか6回とか,数回です。


年に数回程度ですか。

そうです,当初は。


その後は,どれくらいの頻度で通うようになったんですか。

毎週日曜日の礼拝の後に会の集会がありましたから,礼拝に出たときは,必ず顔を出すようにしました。


毎回出てたわけではないんですか。

はい。


水茎会では,あなたはどういう役割を果たしていたんですか。

来る親御さんの世話係でして,駐車場だとか車の手配,運転だとか,それから名簿受付をしたり,お茶を出したり,森山先生に言われてプリントを作ったりしてました。


uketsukebo1.jpg
<宮村氏が受付をした水茎会受付簿>

あなたは,水茎会の運営自体には,かかわっていたんですか。

いません。


当時,あなた自身が,水茎会に通っている家族から求められて,統一教会信者と話合いをすることはあったんですか。

私が独自ですることは,ほとんどないんですが,森山先生が行きなさいと言われれば,行きました。


相談を受けていたのは,ほとんど森山先生だということですか。

そうです。


水茎会に通っている家族以外から,森山先生が頼まれて,あなたが話合いに行くということもあったんですか。

ありました。


どういうところから頼まれてたんですか。

役所だとか人権擁護委員会だとか警視庁の生活安全課だとか,そういうところで,結局親御さんが困って相談に行って,それでいろいろ調べて,当時,森山先生がこの件では第一人者でしたから,森山先生のところへ連絡が来て,それで森山先生が行けないときには,僕に行きなさいと言われたんで,行ったことはかなりありました。


あなたが森山先生に指示されたときは,1人で統一教会信者と話をしに行くということですか。

そうです。


それ以外に,森山牧師と一緒に話合いに同席することはあったんですか。

ありました。


どちらのほうが多かったですか。

圧倒的に森山先生の横で同席して話を伺ってることが多かったですが。


そうすると,あなたが1人で行くときは,森山牧師はあなたに対して,何を話してくるように指示してたんですか。

森山先生から教わった教義の間違いとか,聖書の信仰観とか,聖書の教えとか,統一教会の実態とか,そういうことを話してこいと言われました。


そういう特定の話をしてこいというふうに指示を受けたということですか。

はい。


森山牧師からあなたが,あの統一教会信者を脱会させてこいというふうに言われたことはないですか。

全くありません。


1988年7月に,森山牧師が脳出血で倒れましたね。

はい。


森山牧師が倒れた後も,あなたは統一教会信者との話合いを続けていたんですか。

いえ,私はその年の10月過ぎに,水茎会から身を引きました。


どうして水茎会から身を引いたんですか。

当時,森山先生がお倒れになって,どうするかという話が,教会の役員さんとか会ったときに,やっぱりいろいろ話していて,信仰観とか聖書観の違いというのが浮き彫りになりまして,これはちょっと無理だなと思ったから,身を引きました。


誰との間の聖書観とか信仰観が違うということですか。

役員さんたちです。


荻窪栄光教会の役員たちと,意見が違うということですか。

そうです,はい。


そうすると,あなたが統一教会信者の拉致監禁,強制改宗を行っているから,荻窪栄光教会から追い出されたということではないですか。

違います。


あなたとか森山牧師は,当時,統一教会信者を拉致監禁してたということはありましたか。

ないです。


その後,今の水茎会ですけど,新しく水茎会が結成されたんですね。

そうです。



<新生水茎会での宮村の役割は雑用!?>

どのような経緯で,新しく水茎会が結成されたんですか。

残っていた親御さんたちの中から,森山先生がお倒れになって,先のいろいろ心配をした中で,教会の中でこれ以上迷惑をかけられないからということで,外で,教会とは関係なく,水茎会を作ろうよという動きがあったようですね。それで,新たに作ったようです。


あなたが荻窪栄光教会とは離れて,水茎会を結成したということではないんですか。

違います。


当時,荻窪栄光教会の水茎会からは離れてたわけですよね。

はい。


どうしてあなたが,新たに結成された水茎会にかかわるようになったんですか。

新しい水茎会ができて,そこのご父兄の皆さんが,統一教会や聖書に詳しい人にどうしても来てもらいたいという話合いになって,何人かが何度も何度も私のところへ来て懇願されたので,根負けをして行くようになりました。


あなたは,新しく結成された後に,水茎会の会合には出席していたんですか。

はい,できるだけ出るようにしてました。


どれくらいの頻度で,出てましたか。

月に三,四回は。


毎回出てたわけではないんですか。

はい。


どっちですか。毎回出てた。

毎回出てたわけではありません。


新しく結成された水茎会では,あなたはどういうことをしていたんですか。

基本的には雑用なんですけども,過去,親御さんが個別に統一教会のこういうことについて知りたいとか,教義のこういうことについて知りたいとか,それから聖書のこういうことはどういうことだろうとか,そういうことについて個別に聞かれれば,その都度お答えをしてました。あるいは,やっぱり話合いのときに,親の対応はどうしたらいいかというようなことも,話しました。


親の対応をどうすればいいかというのは,あなたが水茎会で拉致監禁の方法を教えていたという意味ではないんですか。

違います。


いつ,どこで,どのようにして,統一教会信者と話合いを持つかということについて,家族に説明をしたことはありますか。

ないです。


なぜ説明しないんでしょうか。

それは,ご家族が主体的になって決めることだからです。


甲第126号証(水茎会受付簿)を示す
これは,原告側によると,この文書の右上,20と書いてありますね。この20という数字は水茎会の会員番号で,この順番であなたの脱会説得を待っているというふうに主張しているんですが,それは事実ですか。

違います。


この文書は,どういう文書なんでしょうか。

相談に見えた親御さんが,相談される内容を全部がみんな覚えているわけにはいきませんから,最初のときに内容を書いてもらって,受け付けた票です。


受付をした際に書いたということなんですけど,受付はあなたがしてたんですか。

いや,私ももちろんしてましたし,ほかの人間もしてましたから。


そうすると,この右上20番,1枚目は20番と書いてありますね。

はい。


2枚目を示しますが,194番と書いてありますね。

はい。


これは,どういう番号なんでしょうか。

当時,教会にご相談に見えた方の受付順の番号です。


会員番号ではないということですか。

会員という明確な規定はないもんですから。


そうすると,水茎会に通うようになれば,会員だということなんでしょうか。

そうですね,はい。


この文書自体は,荻窪栄光教会時代の水茎会の文書ですね。

そうです。


新しく荻窪栄光教会から分かれてからも,こういう文書を作ってたんですか。

はい。


相談に来た人の数字だということなんですが,相談に来た人のうち,まず荻窪栄光教会時代でいいんですが,どれくらいの割合の人が,水茎会に通うようになるんですか。

100人のうち五,六人くらいですか。


それでは,荻窪栄光教会から分かれて新たに結成された水茎会では,どうですか。

100人のうち8,9,10,そんな感じです。


それ以外の圧倒的多数の人が,水茎会に来なくなったということなんですけど,そういった方たちは,話合いとかは,どうしてたんでしょうか。

追跡調査をしたわけではないから分かりませんが,大体ご自分の家族を早く救い出してほしいという思いがきっとあるから,早くやってくれるところに行ったり,二股三股をかけていたり,それからあきらめたりということだと思います。


早くやってくれるところというのは,ほかの牧師にいろいろ相談に行ってたんじゃないかということですか。

そうです,はい。


ちょっと話を戻しますが,実際に話合いを始める時期については,どのように決めてたんですか。

ご家族がお決めになってました。


あなたが調整をしてたということはないんですか。

ないです。


ただ,あなたが家族から,いつから話合いを始めるべきかということで,相談を受けることはあったんじゃないですか。

ありました。


そういうときは,あなたはどういうふうに回答してたんですか。

ご本人についてのことですから,お父さん,お母さん,ご家族で意見の対立があったり,それから中にはやめるだけでも,やめればそれでいいんだというような意見が出たりして,ご家族の意見がばらばらだと,そこのところはもう少しご家族で話し合って,意見を統一してくれませんかというような話を,アドバイスをすることはありました。


あなたのほうで,どうぞ話合いを始めてくださいとか,まだ話合いをしてはいけないということを言うことはなかったんですか。

はい,ありません。


そうすると,家族が話合いを始めてしまったら,あなたはその家族の話合いに参加することになるんですか。

はい。ご家族と本人が話を聞きたいと言えば,伺います。


ちょっと話を変えますが,あなたは水茎会の運営には,かかわっていたんですか,新しく結成されて以降のことですが。

かかわっていません。


いつ,どのような会合を開くかとか,会費として幾ら集めるかということを,あなたは決めてたんではないんですか。

違います。



<謝礼は5万円~30万円、20家庭から。それだけ!?>

甲第12号証(書簡)を示す
水茎OB会

これは,MKさんのところに届いた会費の納入を募る水茎会の書類ですね。

はい。


こういう書類のこういう手紙を出すことについて,あなたはかかわってたんですか。

いや,全く存じ上げません。


こういう手紙が出ていることも,知らなかったということですか。

はい。


あなたは,水茎会からお金をもらうことはあったんですか。

給料のようなものは,もらっていません。


それ以外に何かお金をもらうことがあったんですか,給料以外の名目で。

みんなで旅行に行くときに,会のほうから食事にどうぞとか,皆さんで食事してくださいといって,旅行先でおいしいものを食べなさいとかって言われて,旅行費のカンパをいただいたことはあります。


それは,幾らくらいですか。

5万とか10万とか。10人くらいで行くことが多いですから。


それは,どれくらいの頻度であったことなんでしょうか。

年に二,三回くらいかな。


それ以外は,もらってないということですか。

ないです。


甲第12号証を示す
M様

6枚目,下の段の3行目末尾から,「ある意味ではM様に無理なお願いを強いている面があると共に,そのご家族に犠牲を出させております。そんな訳で,会員の方にはM様を応援して頂きたいのです。その一助として会費の納入をお願い致します。」と書いてありますね。

はい。


これは,あなたのために会費の納入を家族に募っているという意味ではないんですか。

違います。


どうして,こういう記載があるんだと思いますか。

水茎会という会は,非常に経済的に金銭的に苦しい会でして,時々みんなにカンパをお願いされます。当然,私もカンパをします。それが親御さんにとっては負担になるということを,よくおっしゃってますんで,そういうことがないように,私の負担を減らしたいという意味だと思います。


水茎会であなたが話合いに入ったときに,あなたに対して,何らかの報酬を支払わなければいけないという規定はありましたか。

ないです。


水茎会からではなくて,あなたが実際に話合いをしたご家族から,話合いの後に,お礼としてお金を受け取ることはあったんでしょうか。

ありました。


それは,荻窪栄光教会時代の水茎会でもあったんですか。

荻窪栄光教会時代は,森山先生に,あるいは教会にお払いになってたでしょうから,僕は全く受け取っていません。


そうすると,新しく結成された水茎会のときに,あなたが話合いをした家族から,もらったことはあるということですか。

あります。


新しく水茎会が結成されて以降,あなたは大体何家族くらいと話合いをしているんですか。

80家族を超えていると思います。


それは,何年の間でということですか。

25年くらいたちますか。


25年の間で80強の家族と話合いをしたということですか。

はい。


そのうち,お礼としてお金をくれたのは,大体何家族くらいなんですか。

3分の1くらいです。


そうすると,二十数家族ということですか。

はい。


謝礼というのは,大体どれくらいもらってたんですか。

多ければ20万,30万,少なければ5万,そんな感じです。


決まったお金を要求してたということではないんですか。

こちらから要求することは,全くありません。


実費とか,そういうものをもらったことはあるんですか。

はい。


それは,謝礼以外にもらったことがあるということですか。

そうです。


大体何家族くらいから,もらったことがありますか。

3分の1が,そういう謝礼をいただくとしたら,3分の1くらいは実費だけ,交通費とかガソリン代,駐車場代,簡単な食事代として,何万という,3万とか4万というレベルでいただくことはありました。


3分の1は謝礼をくれて,3分の1は実費を払ってくれて,それ以外の家族は,何もくれないということですか。

はい,何もしないで終わりです。



<原対協での役割は雑務。マニュアルは宮村の考えとは全く異なる!?>

甲第128号証(創立30周年記念誌)を示す
記念誌

4枚目,下に5ページと書いてあるページを示しますが,一番下の段の右から6列目,「原理運動(統一協会)被害者対策キリスト者協力会の事務所も当教会内に設けられ,その事務は,もっぱら水茎会,並びに統一協会から救われた青年たちと,半ば専門的に携わっている宮村峻兄があたり」と書いてありますね。

はい。


この原理運動被害者対策キリスト者協力会というのは,何のことでしょうか。

通称原対協。


通称原対協,原理対策キリスト者全国連絡協議会のことですか。

はい。その名前を,森山先生がそういうふうにお書きになったんだと思います。


その原理対策キリスト者全国連絡協議会のことを原対協と言いますが,その原対協に,あなたはかかわっていたということですね。

はい。


これは,いつから,どういう経緯で,かかわるようになったんですか。

86年頃,森山先生が,そういうものを作ろうというお話をなさって,87年ぐらいに準備会があって,その連絡や手紙を出したり,レジメを作ったりするということを,僕が仰せつけられました。


森山先生の指示で,参加するようになったということですか。

はい。


それで,もう一度,担当してた役割というのは,何をやってたということですか。

雑務ですね。


雑務。

はい。例えば遠くから来る先生が道に迷うのを迎えに行ったり,お茶を出したりとか,それから資料をプリントアウトしたりとか。


あなたがこの会合で自分の意見を述べたりすることは,なかったんですか。

はい,よほどのことがない限り,ありません。


甲第98号書証の3(ノート)を示す
甲98の3_2枚目
<甲第98号書証の3(ノート)の一部>

訴訟になってから,この記録は見ましたね。

はい,拝見しました。


これは,原対協でこういう話があったということなんですか。

はい,あったと思いますが,はっきりは記憶していません。


原対協で,こういう内容で話合いをしようということで,取り決めをしたわけではないんですか。

そういう取り決めは,なかったと思います。


原対協で,統一教会信者との話合いの方法について,一定の方針を決めたということはないんですか。

ないです。


それは,なぜなんでしょうか。

キリスト教の世界は,聖書観とか信仰観,活動において,いろんな先生がいろんな意見をお持ちですから,そういう統一見解を求めることも大変だろうし,そもそも原対協というのは,情報交換の集会ですから,そういう統一見解を出すとか,それの指示で行こうというものではないからです。


甲第98号証の3を示す
これに記載されていることですが,これはあなたの考え方とは同じなんですか,子の救出についてということ。

これは,全く私の意見とは異なります。


森山牧師の意見とは。

違うと思います。



<拉致監禁を指示することなどあり得ない!?  >

話を変えますが,あなたは統一教会の問題は家族の問題だというふうに考えているんですか。

はい。


それは,家族の問題だというのは,どういう意味でしょうか。

家庭が破壊され,家族の関係がばらばらになって,それを修復しなければならないという意味での家族の問題だと思います。


統一教会信者になると,家族の間で,どういう問題が起きるということなんですか。

統一教会信者になるということは,本人が嘘をついたり,ごまかしたり,高額な金品を家族に要求したりして,家族との間にものすごい対立と不和が生まれるんですね。だから,結局その原因を家族が探していくと,どうしても統一教会問題の中で,家庭がめちゃくちゃになるという意味です。


なぜ,あなたがそういう家族の問題について,話合いに参加していたんですか。

そういう家庭が破壊された状態を修復するのに,やっぱりある程度の統一教会とか聖書とか,そういう知識がないと無理だし,そういう知識を持っているご家族が圧倒的に少ないからです。


知識という点もあるんでしょうけど,あなたは先ほど,水茎会において,聞かれれば,家族に対して話合いでの対応の仕方を話していたということですね。具体的には,家族に対して,どういう対応をとるように,説明してたんですか。

頭から頭ごなしにどなったり,あの韓国生まれの気違い宗教をやめろとか,それから世間体が悪いとか,妹が嫁に行けなくなるぞとか,そういうふうな方法で本人と話合いをするのはやめてくださいという話をしてました。


なぜ,そういう頭ごなしに話をするやり方をやめなさいと,あなたは言ってたんですか。

ご本人がかたくなに余計なって,さらに対立が深まるおそれが非常に強いからです。


頭ごなしに話しても,統一教会信者の理解は得られないということですか。

はい。


あなたは,家族に対して説明をしていたのと同時に,家族が話し合いを始めたときに,統一教会信者に実際に話をしに行ってたわけですね。

はい。


そのときに,具体的にどういう話をしていたんですか。

統一教会の信者さんというのは,そもそも入り口で名前を隠されて,何をしている団体か,どういう終点があるのか知らされないままに,ごまかされながら,いろんな勉強を重ねていって,やがて教義をすり込まれて,そしてそこが統一教会の思考パターン,教えが入ってから組織名を明かされて,活動に入りますから,その辺をもう一度原点に戻って考えようじゃないかという話がメインです。


ただ教義の矛盾とか,統一教会の実態とか,そういうことも説明するわけですね。

はい,ご本人が聞きたいと言えば,話します。


それは,なぜなんですか。

そういうふうになってしまうと,やっぱり根本からこの問題をきちんと考え直すような思考形態ができなくなっているからです。


そうすると,あなたがそういう教義の矛盾とかを話すことによって,考え直してもらうきっかけになるということですか。

ご本人が自分の力で考え直すきっかけになると思います。


そのために,あなたは話をしに行っているということですか。

そうです。


統一教会の教えを考え直さないと,家族の信頼関係というのは,回復しないんですか。

と思います。


それは,なぜでしょうか。

やっぱり統一教会の教えとか信仰が,かなりな部分,反社会的で非常識ですから,そういう発想や考え方のまま,普通の家族の一員になることは,不可能だと思ってます。


あなたのそういった考えを前提にして,頭から統一教会は間違っているとか,統一教会を中傷したり罵倒したりして,統一教会からやめさせるということは,可能なんでしょうか。

不可能です。


そうすると,あなた自身は,話合いの場において,中傷や罵倒はしないということですか。

はい。


実際にしたことはないんですか。

ないです。


暴力を振るったことはありますか。

ありません。


統一教会信者を拉致したり監禁したりすると,家族と信者との話合いは,どうなるでしょうか。

最悪の状態になって,本人はますます固い殼の中に閉じこもると思います。


そうすると,あなたが家族に対して,拉致したり監禁したりすることを指示することはないということですか。

あり得ません。



<宮村と後藤家との関わり>

後藤家との関係ですが,後藤家から初めて相談を受けたのは,いつですか。

87年1月だと思います。


後藤家の誰から,相談を受けたんでしょうか。

後藤家のお父さん,お母さんが,森山先生を訪ねて,荻窪栄光教会にお見えになりました。


あなたも一緒に話を聞いたんですか。

はい。森山先生が横で話を聞きなさいとおっしゃるんで,私が隣で話を聞きました。


その1987年1月に後藤家の両親と話し合って以降,あなたは両親と会ってますか。

会ってません。


しかし1987年の夏頃に,後藤■<後藤徹氏の兄>さんが神戸で話合いをしているところに,あなたも話をしに行きましたね。

はい。


これは,なぜ行ったんですか。

当時,Oさんという方がいらっしゃって,この方がやっぱり統一教会の親の会,神戸集会という名前の会を作っていて,そこに森山先生に来てくださいという招請が来て,森山先生が行けないもんですから,私に行けと命令をされて,私かその集会に出ました。出た後,Oさんから,後藤さんって知ってますかというから,今年の正月頃お見えになったけど,それっきりですと,そう言ったら,■<後藤徹氏の兄>君と話合いをしているんだけど,お父さん,お母さんも■<後藤徹氏の兄>君も話を聞きたいというから,来てくれませんかと言われて,それで行きました。


そうすると,あなたがOさんに,後藤■<後藤徹氏の兄>さんとの話合いを依頼したり,照会したりしたわけではないですか。

違います。


あなたは,そのときまで,後藤■<後藤徹氏の兄>さんが家族と神戸で話合いをしていることは,知らなかったんですか。

はい,知りませんでした。


話合いの後に,1988年2月に,■<後藤徹氏の兄>さんはタップに就職していますね。

はい。


それは,なぜですか。

その後,お父さん,お母さんは,たしか大阪に住んでらっしゃる方で,■<後藤徹氏の兄>君が脱会した後,荻窪栄光教会に,森山先生のところにご挨拶に見えて,私もお会いしたんですが,その■<後藤徹氏の兄>君が荻窪に住んで,森山先生のところで聖書の勉強をしてました。で,時々,礼拝なんかで会って話をする仲になってましたから,何かの加減で,仕事を当時してませんでしたから,広告に興味があるというんで,私の会社も忙しくて欠員があったんで,じゃ,うちで働いてみるかということで,うちで雇いました。


徹さんや■<後藤徹氏の妹>さんとあなたとの話合いを早急にやってもらうために,タップに就職したということではないんですか。

違います。


タップの従業員は,みんな元統一教会信者なんですか。

いえ,違います。


元統一教会信者もいるということですか。

はい。


そうじゃない人もいると。

もちろんです。


タップの従業員に,業務として水茎会の活動をさせることはありますか。

あり得ません。


タップの業務中に,統一教会関係の話をすることはあるんでしょうか。

会社は,いろんな人が見えます。もちろん統一教会の「と」の字も知らない社員もいるし,デザイナーやライターやカメラマンが来ます。お客も来ますから,社内で統一教会についての話はしてはいけないと,厳命してあります。



<京王プラザホテルは家族が決めた!?>

原告と京王プラザホテルで話合いをしていますね。

はい。


これは,どういう経緯で,話合いにあなたが参加することになったんですか。

当時,後藤君のお父さんから,荻窪栄光教会の森山先生宛に電話が入って,先生がお留守で,私が出たら,今,京王プラザホテルで徹と話合いをしているから,来てくれないかと言われたんで,私は森山先生に連絡をとって,どうしましょうという話をしたら,放っておくわけにいかないから,あなた行きなさいと言われて,行きました。


そのときに,徹さんは,あなたとの話合いを承諾していたんですか。

はい,お父さんからは,そう聞いてます。


あなたから後藤家に,徹さんを脱会させるように働きかけたということではないですか。

違います。


そもそも1987年10月から,京王プラザホテルで話合いをしているんですが,その10月以前に,後藤家の両親は,荻窪栄光教会時代の水茎会に通っていたんですか。

お母さんが来ていたけど,時々来ていて,お父さんは,ほとんど来なかったように記憶しています。


そういうあんまり来ない状態にもかかわらず,あなたが後藤家の話合いに参加したということなんですか。

はい。


それは,なぜなんでしょうか。

やっぱり放ってはおけないという森山先生のお気持ちもあったし,私もそう思いましたから,それで行きました。


京王プラザホテルを利用したのは,なぜですか。

ご家族がお決めになったことだと思います。


あなたが,京王プラザホテルに徹さんを連れてくるように,指示したんではないですか。

違います。


京王プラザホテルは,ほかの家族との話合いでも使っていますね。

はい,行ってます。


当時,あなたは何回くらい,京王プラザホテルに行ったことがありますか。

だから,後藤家のほかには,2家族か3家族か,京王プラザをお使いになったと思います。


水茎会で,京王プラザホテルで話合いをするようにと,決めていたんではないですか。

そんなことはありません。


京王プラザ以外のホテルを使って,話合いをしたこともあるんですか。

はい,あります。


先ほどあなたは,原告があなたとの話合いを承諾していたというふうにおっしゃってたんですけど,それは誰から確認したんですか。

京王プラザのときは,お父さんと■<後藤徹氏の兄>君だと思います。


あなたが京王プラザホテルに行った際に,徹さんの様子は,どのようでしたか。

普通でした。


特に変わった様子はなかったですか。

はい。


あなたに対して原告が,自分は拉致監禁されているという発言をしたことはありますか。

ありません。


原告が,あなたとは話をしないと言ったことがありますか。

ないです。


そうすると,原告とは,どういう話をしたんでしょうか。

やっぱり親が何を心配しているのか,それをよく考えてほしいこと,それから統一教会の教義や活動,それから聖書の正しい教え,そういうものをちゃんと検証しなければだめだという話は,した記憶があります。


徹さんは,どういう様子で,あなたの話を聞いてたんでしようか。

普通に聞いていました。


あなたは,京王プラザホテルで,原告のことを罵倒したり中傷したりしたことはありますか。

ありません。


ばかと言ったことはありますか。

ないです。


京王プラザホテルから,原告は外に出られないような状態でしたか。

いえ,そんなことはありません。普通の伏態でした。


なぜそう思うんですか。

普通のシティーホテルの普通の状態でしたから。


ホテルの部屋に,特に変わった様子がなかったということですか。

ないです。


話合いを始めて1週間強で,徹さんは京王プラザホテルを出ているんですが,その判断をしたのは,誰ですか。

ご本人とご家族だと思います。


あなたが,もう京王プラザホテルから出ていいと言ったんではないですか。

違います。


でも原告は,京王プラザホテルを出た後も,荻窪栄光教会に通っていますね。

はい。


それは,なぜなんでしょうか。

家族とご本人で決めたんだと思います。


あなたは,原告が荻窪栄光教会に通っていた頃,原告と話をすることはあったんですか。

すれ違ったり会ったりすれば,会釈する程度の話でした。


特に突っ込んだ話をすることはなかったんですか。

はい。


あなたが原告を,あなたとほかの家族との話合いの場に,連れていったことはありますか。

ないです。



<水茎会に通い続けた原告の家族>

あなたは,1989年3月に,■<後藤徹氏の妹>さんと話合いをしていますね。

はい。


これは,どういう経緯で,■<後藤徹氏の妹>さんと話合いをすることになったんですか。

やはり■<後藤徹氏の兄>君とお父さん,お母さんから連絡があって,■<後藤徹氏の妹>も話を聞きたいと言っているから,来てくれませんかと言われて,行きました。


事前に話合いをするということは,後藤家の家族から聞いてたんですか。

はい,■<後藤徹氏の兄>君から,■<後藤徹氏の妹>のときが来たら,また話合いに入りますんで,よろしくというようなことは,言われていたと思います。


その後,あなたが■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いのための準備を進めていたんではないんですか。

いや,私は全く関与していません。


当時,■<後藤徹氏の兄>さんは,タップに勤めていましたね。

はい。


■<後藤徹氏の兄>さんがタップに勤めていたことから,あなたが早く話合いに入ったということではないんですか。

違います。


■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いについて,いつ,どこで,どのように話合いをするのかは,あなたが決めていないんですか。

はい。


決めてないということですか。

決めていません。


かかわってもいないんですか。

かかわってもいません。


■<後藤徹氏の妹>さんが脱会した後ですけど,後藤家は水茎会に通っていましたか。

後藤■<後藤徹氏の兄>君は,時々来ていたくらいですね。


後藤家の両親や■<後藤徹氏の妹>さんは,通っていなかったんですか。

はい,来てなかったと思います。


甲第124号証(写真説明書)を示す
93年の宮村氏
<甲第124号証の写真のなかの1枚>
これは1993年当時の写真のようなんですが,これは水茎会の会合から,後藤家の家族やあなたが出てきたところのシーンということでいいんですか。

そうです。


そうすると,1993年頃は,後藤家の両親や■<後藤徹氏の妹>さんも,水茎会に通っていたということですか。

通っていましたけど,毎週来るという通い方ではなかったように記憶しています。


どれくらいの頻度で来てたか,覚えていますか。

月に二,三度は,なかったかな。


お父さんは,水茎会に来ることはありますか。

ありました。


どれくらいの頻度でありましたか。

年に数回くらいですか。


甲第124号証を示す
タップ社員
<甲第124号証 写真16 後藤氏が実家から拉致された際、後藤氏の実家の庭に潜んでいた男性とされる。>

写真16,この男性は,あなたはご存じですか。

全く知りません。


タップの従業員ではないですか。

違います。


頻度はともかく,後藤家の家族は,水茎会に通ってたわけですね。

はい。


それにもかかわらず,何であなたが原告との話合いをすることはなかったんですか。

ご家族が,そうお決めになってないからです。


1995年の初夏に,後藤家から,松永牧師のもとで話合いをすると報告を受けたんですね。

はい。


どのような内容の報告でしたか。

家族で相談して,新潟で話合いをして,松永先生にも加わっていただくというご報告だったと思います。


あなたが後藤家に松永牧師を紹介したんですか。

違います。


水茎会に通っていたにもかかわらず,松永牧師に話合いに入ってもらうと聞いたときには,どう思いましたか。

いや,それは,どの先生と話合いに入ってもらうかは,ご家族のお決めになることですから,普通にどうってことはありません。


水茎会に通っていても,ほかの牧師やカウンセラーを頼って話合いをする家族はいたんですか。

たくさんいました。


そうすると,後藤家の判断も,特別なこととは認識しなかったということですか。

はい。


後藤家が新潟で話合いをすると聞いた後に,あなたから松永牧師に,原告とのことについて,報告をしたり助言をしたりしたことはありますか。

ありません。


なぜ連絡しなかったんでしょうか。

それは,ご家族が決めて,松永先生とお話をなさることですから,部外者の僕が,とやかく言うことではないからです。



<1995年9月11日のことは、全く知らない!?>

原告と家族が,1995年9月11日に話合いを始めているんですが,あなたはこの日から話合いを始めることは,知っていましたか。

いえ,知りませんでした。


原告の陳述書によると,この日,タップの従業員が後藤家の庭にいたそうなんてすが,あなたはそのことを知っていましたか。

知りませんでした。


あなたが,従業員に行くように指示したことはないんですか。

ないです。


新潟で後藤家が話合いをしているときに,■<後藤徹氏の兄>さんはタップで働いていましたね。

はい。


■<後藤徹氏の兄>さんから,原告との話合いの状況は,聞いていましたか。

聞いていませんでした。


一緒に働いていたにもかかわらず,聞かなかったんですか。

はい。仕事の内容とクライアントが違いますから,会社で何かをするということが,非常に広告では少ない仕事なんです。だから,直接,家から客のところへ行ったり,直接,客のところから家に帰ってしまうということが多いですから,余りふだん顔を合わせることはないんです。それに,そもそも会社でそういう話はしないようにと言ってありますから。


それで,話をしなかったということですか。

はい。


後藤家が新潟で話合いを始めた後,後藤家から,いつ原告と話合いをしてほしいと,あなたは頼まれたんですか。

95年かな。


95年9月11日に,後藤家が新潟で話合いを始めてますね。

失礼しました。97年4月頃だと思います。


この頃は,後藤家のお父さんは,がんになってましたか。

はい。


それで,あなたはお父さんから,どのように頼まれたんですか。

つらい話なんですが,そのとき後藤さんのお父さんは,余命3ヵ月だと言われていて,徹の様子がどうも偽装脱会に私は思えると,このまま徹を残して逝ってしまう,死んでしまうのは非常に忍びないと,何とか治療も東京でするから,徹を連れてくるから,一緒に話をしてくれないかと頼まれました。


それで,あなたは,どういう返事をしたんですか。

本人が承諾すれば構いませんと,返事しました。


具体的に,そのときに,どういうふうに話合いを進めていくことにしたんですか。

いや,何も決まっていません。


具体的なことは,何も決まらなかったということですか。

はい。


その後,あなたのもとに,お父さんは相談に来ましたか。

来てません。


お父さんの死は,どういう形で知りましたか。

入院している病院から■<後藤徹氏の兄>君が電話で,今,父が息を引き取りましたというご報告をいただきました。


それで,お父さんの葬式には,あなたは出たんですか。

出ました。


葬式には,原告も■<後藤徹氏の兄嫁>さんも■<後藤徹氏の妹>さんもいなかったことは,気づきましたか。

はい,何となく薄々分かりました。


あなたは当時,彼らがどこにいるか,知ってたんですか。

知りません。


葬儀の後に,誰かから,どこにいるか聞きましたか。

葬儀が終わって,落ち着いて,■<後藤徹氏の兄>君が出社してきて,私のところに来て葬儀のお礼を述べて,ついては徹と東京に来ていると,で,話をしているんだけど,徹の了解がとれたら来てくれないかという話をされたと思います。


その当時,もう話合いをしているということだったんですか。

はい。


そのときに,あなたに話合いに来てほしいということで,■<後藤徹氏の兄>さんから頼まれたんですか。

いや,その後です。


そのときは,話合いは,原告が了承したら来てほしいという話だけだったということですか。

はい。


そのときに,後藤家が荻窪プレイスに滞在していたことは,知っていましたか。

知りませんでした。


荻窪プレイスを借りたのは,あなたが手配したわけではないんですか。

違います。


いつ,■<後藤徹氏の兄>さんから,原告との話合いをしているから,で,原告も了承したから来てほしいと言われたんですか。

その年の暮れに,電話をいただいたと思います。


1997年の年末ということですね。

はい。



<荻窪フラワーホーム804に宮村現る>

あなたは,後藤家がなぜ荻窪フラワーホームに移ったか,知っていましたか。

知りません。


あなたがフラワーホームを手配したんではないんですか。

違います。


Oさんとか,MKさんとか,ほかの家族も,フラワーホームで話合いをしてますよね。

はい。


あなたの指示で,このマンションを使うようにしていたんではないんですか。

違います。


では,なぜいろんな家族が,フラワーホームで話合いをしていたんでしょうか。

フラワーホームは,非常に古いマンションだそうです。で,設備もよくないし,それから空き室がいっぱいあるし,交通の便もいいから,借りやすいと,家賃も安くてという話は聞いたことがありますから,そのせいだと思います。


実際にどこのマンションで話をするかというのは,誰が決めるんですか。

ご家族です。


■<後藤徹氏の兄>さんから頼まれて,荻窪フラワーホームに行くようになったということですね。

はい。


このとき,徹さんは,あなたとの話合いに了承していたということですか。

はい,そう聞いてます。


あなたが行ったときの原告の態度は,どのようでしたか。

立て膝をして,後ろに両手を突いて,反り返った格好で,顎で返事をしていました。


あなたに対して原告が,監禁するなとか,ここから出せということを言ったことはありますか。

聞いていません。


あなたが原告に対して,いきなり来ないと,君たちは逃げるからなと言ったことはあるんですか。

いや,記憶にありません。


あなたは,フラワーホームで,原告とどういう話をしたんですか。

統一教会の教義が本当に正しいのかどうか,やっぱり聖書の教えの本当のところはどうなのか,経済活動と呼ばれる霊感商法や偽募金や,反社会的な霊感商法に代表されるような活動,名前を隠した伝導というのは,一体どういうことかという話を中心に,話をしました。


それに対して,原告はどういう受け答えをしていましたか。

否定はしないで,深い意味があると言ってました。


その深い意味について,原告から説明はありましたか。

ないです。


そうすると,話をはぐらかすような状態だったということですか。

そうです。


ただ,あなたと話をすることについて,原告は了解はしてたんですか。

はい。


あなたとは,もう話をしたくないと,原告が言ったことはありますか。

ないです。


あなたの陳述書,乙ハ2号証,28ページ以下に,あなたと原告との話合いの様子が記載されていますね。

はい。


こんにゃく問答
<乙ハ2号証,28ページの会話の一部。いわゆる"こんにゃく問答"。Mは宮村氏,Gは後藤氏。>

これは,録音があったんですか。

いえ,ありません。


そうすると,あなたの記憶に基づいて記載したものということですか。

そうです。


かなり詳細に記載されているんですが,このとおり記憶されているということですか。

そうです。


どうして,こんな詳細に記憶しているんですか。

そういう話を,何回も何回も繰り返しやりましたから。壊れたテープレコーダーのように話しましたから。


それで記憶されているということですか。

はい。


あなたが原告を罵倒したり中傷したりしたことはありますか。

ないです。


ばかと言ったことはあるんですか。

あります。


これは,何回くらいあるんですか。

4回とか5回,あるんじゃないですか。


どういうときに,原告に対して,ばかと言ったんですか。

やがて霊界のことが生中継でテレビに出るとか,そういう荒唐無稽なことを言うんで,そんなばかなと言って,あきれ返って言ったことは,何度もあります。


そうすると,あなたとしては,原告の人格を非難するつもりではなかったということですか。

はい。


原告の陳述書では,あなたは自分の頭で考えられるようになるまでは,ここから出られないぞと原告に対して言ったことになっているんですが,そういう話はしましたか。

してません。


あなたが,もし自分の子供が統一教会をやめなければ,家に座敷牢を作って死ぬまで閉じ込めておくと,原告に言ったということはありますか。

そういう発言は,していません。


あなたが,もし文鮮明がメシアで原理が正しければ,俺はこの場で腹を切ってやる,しかしもし文鮮明が偽物で原理がでたらめだったら,おまえは腹を切る覚悟はあるかと,原告に迫ったことはありますか。

ないです。

(宮村氏の"腹切り"発言は何人もの被害者が聞いています。いわば宮村氏の決まり文句です。)
元信者も,原告と話合いに行っていますね。

はい。


それは,あなたが手配をしていたんですか。

違います。


MKさんは,あなたが手配していたと証言していますが,違いますか。

彼女の勘違いか,嘘です。


原告と話をした元信者から,話合いの状況については,報告を受けていましたか。

そういうシステムがありません。


報告を受けるシステムがないということですか。

はい。


全く話を聞かないんですか。

後日,こういうことがあったよぐらいの雑談っぽい話は,出ることはあります。


話を聞かないこともあるということですか。

はい。



<1998年9月以降>

1998年9月頃に,あなたは原告との話合いをやめましたね。

はい。


これは,9月の大体いつ頃まで,話してたという記憶ですか。

かなり後半に近いと記憶しています。


なぜ原告との話合いをやめたんですか。

話をしている最中に,突然,徹君が顔色を変えて,統一原理が真理でないということも分かった,文鮮明がメシアでないことも分かったと,だけど俺はこれをやりたいんだと,俺がやりたいことをやるのに,なぜ他人のあなたに文句を言われなきゃならないんだと,えらい興奮して食ってかかってきました。そのとき■<後藤徹氏の兄>君が横にいて,徹,そういうことを言っちゃだめだよと,で,徹君をなだめて,■<後藤徹氏の兄>君がちょっとしばらく家族で話をして,きちんと話合いをしますと,それまでは,またお願いしますから,宮村さん,今日はお帰りください,また改めてご連絡を入れますというんで,帰りました。


その後,あなたは,フラワーホームに行ったことはありますか。

ないです。


原告は, 1998年9月以降も,あなたが2回来たと言っていますが,違いますか。

違います。


あなたが,原告が風呂場で叫んでいるところに来て,風呂場からあなたを引きずり出したと言っているんですが,そういう事実はありますか。

ないです。


あなたが,風呂場で叫んでいる原告を,風呂場から出したことはあるんですか。

あります。


それは,いつ頃のことですか。

98年の夏だったと記憶してます。


そうすると,まだあなたがフラワーホームに通っていたときということですか。

はい。


その際に,あなたが原告の首根っこをつかんで,風呂場の縁に立っている原告を引きずり落としたということを,原告は主張しているんですが,そういう事実はありますか。

ないです。


あなたは,身長何センチくらいですか。

168センチです。


あなたが身長182センチの原告,そして風呂場の縁に上っている原告の首根っこをつかむことは,できるんですか。

できません。


風呂場から力ずくで引きずり出すことは,できるんですか。

できないと思います。


1998年9月以降,あなたは原告との話合いの状況について,報告を受けていましたか。

受けていません。


話合いを続けていることは,知っていたんですか。

はい,了解してました。


後藤家の家族から,話合いの件で相談を受けていたことはありますか。

ないです。


全くないですか。

はい。


後藤家は,東京で話合いをしていた間は,水茎会には来ていなかったんですか。

はい,出席されませんでした。


あなたが,原告をフラワーホームから出してはいけないと,指示や助言したことはありますか。

ありません。


甲第127号証の2(栄光教会アジトリスト)を示す
アジトリスト

ここに栄光教会アジト監禁場所という記載がありますね。

はい。


このうち,あなたが統一教会信者と話合いをしたマンションというのは,あるんですか。

コスモマンション,犬ねこマンション,フラワーホームぐらいですね。


それ以外は,話合いに使っていないということですか。

はい。


それ以外のマンションで,あなたが知っているマンションはありますか。

西央マンションは知ってますね。あと,このエルムシャトレは,誰かやめた子が住んでたアパート,南荻窪コーポも,この南荻窪ハイツも,やめた子が住んでいたり,家族で,コーポ宇田川だったかな,森山先生の話を聞くために,近所にアパートを借りて家族で住んで,森山先生のところへ来てたというようなマンションだと記憶してます。


そうすると,そのマンションで,今挙げた4つのマンションで,あなたが統一教会信者と話合いをしたことはないということですか。

ないです。



<宮村と松永牧師の関係は?>

被告松永代理人(東)
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あなたが松永牧師と初めて会ったのは,いつ,どういった経緯でしたか。

86年に,松永先生が森山先生をお訪ねになって,そのときに森山先生が,一緒に話を聞くように言われて,森山先生から松永先生を紹介を受けて,その場で松永先生を知りました。


その後で,松永牧師と会ったのは,いつですか,2回目。

原対協の準備会じゃなかったですかね。


それは,87年9月3日の原対協準備会ということですか。

はい。


その後,松永牧師と連絡をとり合っていましたか。

その後というのは。


2回目,原対協の準備会でお会いになった後,連絡をとり合ったりとか。

いや,私がちょっと仕事柄,新潟に行くことはあるんで,そのときに表敬的な電話をすることがあったかないかというぐらいです。


そうやって,たまに新潟に行ったときとかに電話されてたというんですけど,新潟に行ったときは,必ず電話してたんですか。

いいえ。


頻度としては,どれくらいでしたか。

年に1回か2回かな。


本件の原告の話についてですけれども,松永牧師と,原告のことについて初めて話したのは,いつだというご記憶ですか。

私がたしか新潟に行ったときに電話をしたのかな,それで当然,松永先生のところで話をしてるっていう話は,後藤家から聞いてましたから。


というと,96年の初夏以降で。

そうです。


月日はちょっと思い出せない。

ちょっと。


お父さんの心筋梗塞があって。

そうすると7月だから,6月ですね。お父さんは7月じゃなかったでしたっけ,心筋梗塞。


お父さんの心筋梗塞がある前だったか,後だったかというのは。

ある前だと思います。


直前,それとも大分前ですか。

いや,直前に近い前ですね。


お父さんが心筋梗塞で倒れられたのは,96年3月なんですけど,その直前ということですか。

はい,その前です。


その直前ぐらいに。

ええ,心筋梗塞で倒れた前ですから。


松永牧師と,それは電話で話ししたということですか。

はい。


そのときは,どういう話をしましたか。

普通の話をして,私が徹君,元気ですかと言ったか,そしたら松永先生が,いや,脱会届けを書いたというような話を聞きました。


そのときまでに,松永牧師のほうでは,あなたが原告が新潟で話し合ってるということは知らないような感じでしたか。

私は知りませんでした。


松永牧師は,知らないような雰囲気だったかどうかです。宮村さんは先ほどおっしゃってましたけど,95年の初夏頃に,後藤家から聞いてたわけですよね。

はい。


その後,松永先生とは,さっき連絡をとってなかったとおっしゃってましたけれども,松永牧師と96年3月頃,心筋梗塞の直前に電話をして,そのときに,原告が新潟で家族と話合いをしていることを宮村さんが知っていたかどうかについて,松永牧師は知っていた様子でしたか。

知らなかったと思います。


それまで,原告のことについて,松永牧師と話し合ったことはないということでしたけれども,それはなぜですか。

松永先生が,松永先生のお考えと方針で後藤家と相談してやることに,私が口出しをすることではないからです。


その間,あなたは98年1月から,徹さんと話合いをしていますね。

はい。


あなたが98年1月から原告と話合いをするに当たって,松永牧師と相談したり,あるいは連絡したりしたことはありますか。

ありません。


それは,なぜですか。

逆に松永先生に私が報告する筋合いではないし,する必要があれば,家族がなさるでしょうから。


98年春頃に,あなたがフラワーホームで原告と話し合っているときに,松永牧師と一緒に,フラワーホームに行ったことがありましたね。

はい,あります。


なぜ,このとき,松永牧師と一緒に,原告のところに行くことになったのか,お伺いしたいんですけれども,最初,松永牧師から連絡があったんですか。

はい。松永先生が,教団のご用事で上京してらっしゃると,で,やっぱり暇だったらお茶でもしようかみたいな電話をいただいて,ああ,そう言えば,後藤君の件も突然だから松永先生は心配してるだろうなと思って,私がたしか,徹君元気ですよと,お会いになってみますかという話をしたと思います。


それで,会っていきましょうかという話になったんですか。

はい。


それは,ご家族と原告は了解してたんですか。

はい。■<後藤徹氏の兄>君に連絡したら,ぜひ来ていただきたいという話でしたので,お連れしました。


そうすると,先ほど96年3月に電話で話をしたとおっしゃってましたね,手記のことについて,松永牧師と。

はい。


その後,98年春頃に,またその話をしたわけですけど,その間,松永牧師と,原告のことについて話したことはないんですか。

ないです。



<宮村と松永牧師が協力して説得した信者  >

ほかの信者さんのことについてですけども,86年10月頃,TAさんと話し合ったことがありますね。

あります。


松永牧師は,その後,89年4月に,Tさんと話合いをしているんですけれども,このときあなたは,このときというのは89年4月のことですけど,松永牧師がTAさんと話し合うことを知っていましたか。

TFさんが松永先生と話し合うことは,知りませんでした。


その後,あなたは,松永牧師や家族と話合いをしてたTFさんのところに,訪問していますね。

はい。


これは,誰からどのような連絡があって,行ったんですか。

ご両親とお兄さん夫婦からご連絡があって,Fも承知しているから,ぜひ会ってほしいって言うから,わざわざ新潟まで行きました。


87年5月,今度はKHさんと話合いをしたことがありますね。

あります。


これは,話合いには,どういう経緯で行ったんですか。

新潟に本間先生というやっぱり牧師の先生がいらっしゃって,その先生のご相談を聞きに行って,そして終わった後,新潟は松永先生の地元ですから,縄張りですから,黙って帰るのは気が引けるから,先生,実は新潟にいますと,ご挨拶かたがた,ちょっとご連絡を入れましたというような話をしたら,こういうわけでK君が話を聞くって言ってるから,宮村君も来てくれるって言うから,いいですよと言って,行きました。


91年1月頃に,松永牧師と今度は後藤■<後藤徹氏の兄嫁>さんが話し合っているときに,あなたも■<後藤徹氏の兄嫁>さんと話し合ったことがありますね。

あります。


これはどういった経緯で,■<後藤徹氏の兄嫁>さんと話し合うことになったんですか。

やっぱり別件で小千谷に行って,帰りに電話を松永先生に差し上げたときに,当時,H■<後藤徹氏の兄嫁>さん,現,後藤■<後藤徹氏の兄嫁>さんが,韓日の祝福の後でしたから,三日行事とか新生式とか,家庭出発の儀式とか,怪しいおどろおどろしい儀式について,本当のところを知りたいと言っているけど,私はよう分からないんで,宮村さん,来て説明してくれませんかとお願いをされましたから,いいですよと言って,行きました。


それはやっぱり,■<後藤徹氏の兄嫁>さんとご家族の了解があったということですね。

もちろん,事前にそれは,了解をとってくださいと,松永先生にお願いしてありますから。


92年6月に,小出さんと話し合ってますよね。

はい。


小出さんと話し合うようになったのは,どういった経緯ですか。

お父さん,お母さんから連絡があって,話に来てくれと,本人が聞きたいと言ってるというから,行きました。


その後,松永牧師も,小出氏と話し合っているんですけれども,この当時,どういった経緯で,松永牧師が小出さんと話し合うことになったかについては,知っていますか。

小出家が,松永先生とどういう経緯で話を行うようになったかの経緯は,知りません。


その後,あなた自身は,新潟で松永牧師と話し合った小出氏のところに,話合いに行ったことはありましたね。

あります。


これは,ご両親から連絡があってということですか。

はい。


今挙げた信者や元信者というのは,信者との話合いを始めてから,たまたまあなたが話合いに加わる,あるいは松永牧師が話合いに加わるといったケースですよね。

そうです。


こういったケースとは別に,話合いをそもそも始める前に,信者とどこでどうやって話合いをするかということについて,あなたと松永牧師で相談したりすることはあるんですか。

全くありません。



<親には「強引な手法をとらないで」とアドバイス!?>

被告後藤■<後藤徹氏の兄>外2名代理人(荻上)
荻上守生弁護士(2)

第1回の水茎会から離れた経緯なんですけど,栄光教会の幹部の方たちと意見が合わなかったということなんですけど,具体的には,どういう内容なんですか,意見が合わないというのは。

ちょっと長くなりますから,できるだけはしょりますけど,聖書という教えの捉え方,その捉え方によって信仰観の違い,それによって日常の活動の仕方,そういうものが微妙に差を生んで,解離の状態ができてきます。その状態で,いい加減なもので水茎会の活動をすることは,僕にはできなかったから,話合いをした結果,それじゃ私は水茎会から手を引きますと言って,その日の打合せの後,打合せを出て,それっきり行ってません。


森山牧師が倒れられた後,当時,栄光教会のほうに,ご家族が統一教会に入ってしまったということで相談に来ていたご家族の話合いの場に,あなたが行くことが多くなったということですか。

はい。すいません,森山先生が倒れた後は,ないです。倒れた前です,それは。


お一人で,今度行くようになったということですよね。

いえ,若干違いますかね。森山先生がお倒れになる前に話合いに参加してた家族が,森山先生も含めて,いるわけですね。それが継続してやらないことには,俺も知らないよって言って,放り投げるわけにいかないですから。


ちょっと前から行ってたと。

うん,そういうことはあります。


1987年10月に,原告とご家族が話合いを始めるわけだけれども,その前に,■<後藤徹氏の兄>さんとご両親が,あなたのところに挨拶に来たというようなことが陳述書に書いてあるんですけど,そういうようなことがありましたよね。

はい。


そのときに,どういうことをおっしゃってたんですか。

だから,徹君と話合いをして,本人が了解をとったら,宮村さん,話しに来てくれませんかというような話でした。


京王プラザホテルで話合いをして,それから荻窪のマンションに移動することについて,あなたは,相談自体もされていないんですか。

はい。


■<後藤徹氏の妹>さんが家族とお話合いを始めることについて,一応話合いを始めたら来てくださいと,本人がいいと言えば来てくださいというようなことを,相談されたということなんですけども,ご家族は水茎会できちんと通って勉強されていたんですか。

水茎会のほうの勉強が,どれがきちんとかと言うと,本当に評価に困るんですが,出席に関して言えば,そうたくさん来てたとは思ってません。


先ほどちょっと,宮村さんの代理人のほうからも質問がありましたけど,あんまり熱心に勉強に通っているわけでもないのに,家族で話合いを始めて,当人がいいという状態になったら,話をしに来てくださいというような状態だったということですね,後藤家の場合。

はい。


そういうようなパターンというのは,結構,当時は多かったんですか。

はい,ありました。


その一方で,やっぱりきちんと,これから話合いを始める家族がどのような家族なのかということを,きちんと勉強会に通ってもらったりして来る方に対しては,アドバイスするわけですよね。

はい,基本原則は,そうですね。


そうすると,今回の後藤家だったりとか,このようにきちんと家族の心構えを勉強してからにしてもらえませんかというようなことは,言わないんですか。

今は言いますけど,当時,後藤家の話合いに参加した時代は,ちょうど水茎会が,森山先生が倒れた機会に2つに分かれましたね。かなり混乱している状態だったんで,どさくさに紛れるというのは,よくない言い方ですけども,やってしまえば何とか頼めば来てくれるんじゃないかと考えた方が,いらっしゃるかもしれません。だけど,以前から森山先生は,始めているんじゃ,もうしようがないだろう,放っておくのは不欄だよというお考えですから,その影響で,私も始めたら来てくれますか,いいですよぐらいの返事をしてたと思います。


そうすると,あなたがご家族のあり方だとか,そういうことも含めて,アドバイスを求めてくる家族に対しては,具体的にどういうアドバイスをしているんですか。

先ほど木村先生の主尋問で答えましたけど,家族の心構えとしては,やっぱり信仰ですから,統一教会といえども,はなから信仰は認めない,神はいない,俺は無神論者だということだとか,俺はアーメンソーメンは嫌いだとか,うちは代々仏教だからイエスは嫌よとかっていう話は,まず抜きにして,まず本人と一緒に勉強して考えるつもりで,話合いをしてくださいねということは,強調します。


話合いを始めるに当たって,つい親がやってしまいがちなこととか,そういう何かアドバイスする,こういうことはしないでくださいねということは,ほかにありますか。

あります。話合いをするに当たって,嘘をつかないこと,強引な方法をとらないこと。


強引な方法をとらないというのは,具体的にどういうことですか。

例えば歩いているところを,簀巻きにして連れてくるとか,車に引きずり込んで連れてくるとかっていうことを,やっているご家族がいるやに聞きますから,そういうことは絶対だめですよと言います。


相談に乗る立場としては,そういうような形で始まった話合いで,話合いに参加するというのは,とても難しいですよね。

そうですね。


一心病院についてですけれども,今回裁判で出ている一心病院から出ている医療記録については,ところどころ不自然な記載があるように思われるんだけど,一心病院というのは,どんな病院なんですか。

基本的には統一教会の医療局という部局がありまして,そこの所属で作った病院です。


何かこの統一教会との絡みで,何かエピソードになるような,問題になることはありますか。

最近は知りませんけど,以前は統一教会の信仰を持った医者だけでは足りなくて,外部から雇ったりしてたことがあったようですけど,どうしても医者が寝不足になりますから,あるいは看護婦が寝不足になりますから,看護婦さんが手術中に患者さんのおなかの中に何度も頭を突っ込みそうになったなんていう信者の看護婦さんもいましたね。


何か特に不正なことをしてるとかといううわさとか,そういうのを聞いたことがありますか。

はい,例えばこの裁判で陳述書を出している小出君なんかは,無謀運転で,明け方,車をひっくり返して,そのまま寝込んでしまって,朝まで気がつかなかったような事件を起こして,対策がもみ消したという話を知ってます。



<伊藤弁護士の陳述書について>

伊藤芳朗弁護士のインタビュー内容だという内容が,原告側の証拠から来ているんだけれども,読みましたか。

読みました。


内容については,どう思いましたか。

何も知らないで,よくあんな嘘がつけるなと思っています。


ちょっと若干,全部聞いていると切りがないんで,幾つかだけお聞きしますけども。

例えば会費を私しているとか。


あなたはテレビ局に信者を手配してたということがあるんですか。

ありません。


何人か紹介したことはあるんですか。

はい。


伊藤弁護士は,あなたが現役信者を車で尾行して,隙を見て捕まえて,無理やり車に連れ込んで,マンションの1室に連行監禁することを常習的にやっているというようなことを述べているんだけど,そんなことをしてますか。

1回もしたことはありません,そんなことは。


カウンセラーの立場からすると,そういうことをすることは,話合いをかえって難しくしますよね。

そうです。


あなたは,家族の話合いに南京錠は必要だというふうに考えていたんですか。

いえ,私は必要ないという考えです。


不要だということですか。

ええ,私は必要ないという考えです。


南京錠をする状況というのは,話合いにとってプラスになるんですか。

マイナスです。


TYさんの親は,あなたのおうちに乗り込んできたことはあるんですか。

ありません。


伊藤さんの陳述書には,そう書いてある。

はい,どこで聞いたか,いい加減な話です。


山口広弁護士が,宮村さんの拉致監禁を知っていたというようなことを言っているんだけど。

さあ,私は山口先生が水茎会に来たことが何度かあると認識してますし,そこで拉致監禁がどうのこうのなんていうことを,山口先生が認識するはずはありません。


私も見学しに行ったことがありますけど,そのような話は全く聞かなかったんですけど,そんな話はされてませんよね,水茎会で。

はい,してません。


伊藤弁護士によると,あなたは高額な事件だけ紀藤弁護士にだけ回していたというようなことが書いてあるんだけど,そういうことがあるんですか。

高額というのが,幾らを高額な統一教会の被害事件か知りませんが,殊さら紀藤先生を選んで,高額な事件を回したという実例は,私は知りません。


そんなに多く回してないというふうに聞いていいですか。

そもそも統一教会の問題を,例えば紀藤先生に過去にお願いした例は,そんなに,片手ほどもないと思います。


それは,原告側も恐らく分かりますよね。

はい,調べれば,すぐ分かることです。


伊藤弁護士によると,あなたは毎月300万円もらってるというようなことも書いてあったんだけど,そんなにもらっているんですか。

それは,会からですか。


会なり,相談に来ている方なり,あなたが300万円もらっていると。

あり得ません。


そんな裕福な暮らしも,されてませんよね。

ええ。とてもあほらしくって,反論する余地もないくらい,あほらしい話です。


伊藤弁護士は,あなたが俺は失敗したことがないと,何か自慢して歩いているようなことを聞いたことがあるよと言っているんだけど,あなたが話合いに参加して,ご家族の話合いがうまくいかなかったケースというのは,1件もないんですか。

いや,そんなことないです。


結構ありますよね。

結構あります。


結構あるにもかかわらず,一度も失敗してないなんていう発言を,するはずがないですね。

だから,そういう発言をするはずがないし,どこで言って歩くのか。


伊藤弁護士は,別のカルト的な自己啓発セミナーの問題となったオオバアキコ事件でも,紀藤弁護士が被害者あさりをして探してきたとか,全くでからめな内容の意見書を,実際裁判で出しているんだけど,どうしてこんないい加減な意見書を出しているんでしょうか。

さあ,私には分かりません。少なくとも,私が当時から知っている範囲内だけで言えば,伊藤芳朗先生がマインド・コントロールという問題,統一教会問題について,古くから存じ上げている山口先生のように熟知してらっしゃるとは,到底思えませんでした。



<宮村と栄光教会との路線の齟齬>

被告宮村代理人(山口広)
山口広弁護士②
森山諭牧師の著書に,「偽りのメシアから真のメシアへ」という著書がありますね。

はい,あります。


森山先生の脱会カウンセリングのあり方は,統一教会の教義の間違いを信者の方に説明して,納得してもらって,真のメシアはこのイエス・キリストなんですよということで,あえて言えば,統一教会のシャッポを引っぺがして,別のシャッポをあてがってあげるというような脱会カウンセリングのやり方ですね,違いますか。

脱会に関しては,そういう別の帽子を被せるということはないですね,私の認識では。脱会までは,統一教会の教義とか文鮮明という男のでたらめな経歴だとかを説明なさることは,よくあります。脱会した後,ご本人がどうするかは,それから聖書をきちんと勉強するのかどうするのかは,また改めてご本人が考えることで,その過程で,森山先生が,キリスト教の信仰の世界に導き入れるようになさることはあります。


誤解を恐れずに聞きますが,日本キリスト教団の牧師さんは,脱会カウンセリング,あるいは本人が脱会するということで,本当に脱会された後は,あえてキリスト教会の教義のことを学ぼうということは,余り積極的に働きかけはなさいませんね。

うわさでは,そういうふうに聞いております。実際は,余り聞いたことがないです,直接,日本キリスト教団の先生方から。


つまり,脱会のあり方という場合,脱会した後に,真のメシアであるイエス・キリストのことを学びましょうということを強く働きかけるか,あるいは脱会した後は,後は自分で考えて,自分で生き方を考えなさいと言うかと,これはかなり大きな違いだと思うんですが。

そうですね,そう思います。


そのあたりで,あなたの考えと,森山先生が倒れた後の栄光教会の役員の方々との考え方の違いというのは,ありましたか。

ありました。


そこら辺は,議論しても収れんしないところなんですか。

だから,やめて,当然キリスト教の世界に入って,洗礼準備会に出て受洗をするというコースが,荻窪栄光教会には確かにありました。私は,それは一度ゼロに戻して,信仰も何もかも,そして白紙になって,もう一度考え直して,それからキリスト教の世界の門を叩くんだったら,叩けばいいという考え方でしたから,そういう役員さんの強い求道者に対する伝道意識というのは,私には全くありませんでしたから,その辺はちょっと相入れませんでしたね。


先ほど京王プラザのことについて,少し話が出ましたが,後藤徹の話合いは,京王プラザであなたが行った何人目の信者だったか,覚えていますか。

3人目くらいだと思います。


鳥海豊という信者についても,どうもこの京王プラザを使ったことがあったようですね。

はい。


別にあなたが推奨したわけじゃないんですね。

違います。


鳥海豊の本に,あなたが指導して拉致監禁をしたようなことが書いてあるんですが,これは反論書を書こうかということで,準備したことがありますね。

あります。


どうして出さなかったんでしょうか。

あほらしくて,こんなもの,反論する意欲もなくなりました。


嘘ばっかりということですね。

そうです。


あなたは,後藤家のお父さんが危篤状態にあるということは,知ってましたか。

はい。


それは,どうして知ってたんですか。

当時,後藤■<後藤徹氏の兄>君は,私の会社の社員だし,それから会社を時々早引けして,お父さんの様態を見に病院に詰めていましたから,そういうときに,実はこういうわけで,ちょっと危ないから,今日は早めに退社していいかとかっていうことは聞いてましたから。


そういうことで,お父さんの状態が危ないということは,知ってたということですね。

はい。


ただ原告との話合いがどうなっているかということについては,特に聞いてなかったということ。

聞いてません。



<救われるよりは忌み嫌われる方がいい>

乙ハ第45号証(念書)及び乙ハ第46号証の1及び2(名刺)を示す
朱光会の関係の資料なんですが,これをお持ちだったんですね。

はい。


この念書の意味は,ちょっと分かりにくいんで,説明いただけますか。

当時,IMさんという人が,朱光会と話をつけて,統一教会に子供を取られて困っている親の間を巡って,その朱光会というところが統一教会と話をつけて,子供を取り返してくれると,ついては150万払いなさいということで,そのときに関係ないですよというのを,統一教会の総務部長が出した念書の文書です,各親御さんに。


下に名前が書いてある人たちの。

これは,信者ですね。


その親御さんたちが,1人150万,1家族150万払ったということですね。

はい。


それは,どう。

親御さんの話では,何人かに聞きましだけど,50万はIMさんが,50万は朱光会が,50万は統一教会が受領すると言ってました。


こんな脱会のやり方は,ちょっと考えられないですね。

論外の外です。


乙ハ第27号証(チラシ)を示す
宮村&村田
<乙ハ第27号証(チラシ)に掲載されている写真 宮村氏と仲良く手をつないでいるのは,宮村氏から脱会説得を受けて脱会した元信者Mさん>
あなたには,愛人がいるんですか。

いや,いません。


こういうチラシが,荻窪一帯に,かなり広範に配られたんですね。

はい。私の子供宛にも,送られてきました。


あなたの子供さんは,公務員をやっているんですね。

はい。


上司から何か言われたんですね。

校長に呼び出されて,どういうことかと釈明を求められたと言っています。


どうしてあなたは,統一教会に,これほど忌み嫌われるんだろうか。

救われる<ママ 「好かれる」の間違いかと思われる>よりは,忌み嫌われたほうがいいですから。


なぜ,これほど攻撃されるんだと思いますか。

いや,僕は分かりません。


あなたが話し合ってやめることになったお二人が,統一教会の幹部信者が特定商取引違反で,東京地裁で公判請求された事件の検察側の証人になられましたね。

はい。


それは,統一教会も知っていることなんですね。

そこまではちょっと,統一教会がどう認識しているか,私には分かりません。


あなたが話合いにかかわったKMさんという女性の合同結婚式の相手方の男性が,ストーカー行為で公判請求されたんですね。
(この裁判については、米本和広氏のブログをご参照ください。)

はい。


この方は,最後はどうなりましたか,判決は。

最高裁で確定したのは,懲役3ヵ月,執行猶予3年だったかな。


有罪になったわけですね。

はい。


これも,あなたのほうが話合いにかかわった方なんですね。

はい。KMさんの最後の部分を,私が面倒見たというか,頼ってきたんで,私がやりました。


KMさんは,もう結婚されたんでしたっけ。

結婚されました。

(宮村氏に説得された女性元信者の非婚率が高いことで知られていますが、ついこの前まで、宮村氏の保護下にあった女性がもう結婚とは・・・・)


次回は、宮村氏の反対尋問です。福本弁護士の"倍返し"をご期待ください。

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2013-09-19(Thu)
 

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自分が後藤家族だったら 

長文だが、あまりにもふざけた言い様がおもろすぎて、一気に読んだぜ。

自分は宮村の爺さんとは無関係だから、「おもろい」で終わるからいいけど、宮村と関わった奴らはそうはいかんだろ。

自分が宮村の説得受けてたら、もしくは宮村爺やんに説得を依頼してたら、確実に〇しめるな。

宮村爺やんよ・・命拾いしてよかったな。
自分も犯罪者にならなくてよかった。
宮村爺やん如きで人生台無しにしたくないもんな。

んで、宮村の爺やんの尋問を側で聞いてたとっちゃんのあんちゃん、兄嫁はん、妹はんは正気でいられたんやろか?

自分があんちゃんだったら「嘘つくんでない!」「おまえはあんときああ言っただろ!」と胸ぐらつかまえて唾吐き掛けるだろ。
兄嫁か妹だったら、「あんたのアドバイスに従ったから、子作りもできなかったし、婚期も逃した。私の〇子を返して!」と平手打ちにして、ラクダの唾を背中に流しこむだろ。
ほんで、裁判官から「退廷」を命じられ、傍聴記に書かれる。・・

「話し合いは家族が勝手に始めた」
「家族が話し合いを始めて、家族から来てほしいと頼まれたら、放ってはおけないと思ったから話し合いの場に行った。」
どこまで人を悪者にして、自分をいい人にしたいのだろ!

自分にもし、ガキがいたら、「こんな大人にだけはなるんじゃねえぞ!」と言い聞かせるとこだな。
そういや、そんなコメントもあったな。
2013-09-19 22:39 | 元信者の春 | URL   [ 編集 ]

こんな大人になりたくない 宮村のお爺様編 

皆さん~、台風の被害は大丈夫だったかしら?
夜中に地震もあったらしいね。
地上も大変ねぇ。

良い子の皆さん~
秋の作文コンクールの作文は書けたかしら?
まだだったら、こんなのどう~?

お題:こんなおとなになりたくない みやむらのおじいちゃん

なつによんださいばんのようすをかいたブログが、まだつづいている。

今は、みやむらのおじいちゃん。
みやむらのおじいちゃんは、12年もごとうのお兄ちゃんをとじこめた人。
そんなこわいおじいちゃんがなぜろうやに入ってないかというと、みやむらのおじいちゃんがとじこめたわけではなく、ごとうのお兄ちゃんのお兄ちゃんとそのおよめさんといもうとがとじこめたからだと言う。
だけど、とじこめるほうほうは、みやむらのおじいちゃんがおしえた。
そのしょうこもいっぱいある。

ごとうのお兄ちゃんをとじこめたかぞくも、ろうやに入っていない。
なんで、とママに聞いたら、ママが「それはごとうのお兄ちゃんは、とういつきょうかいというわるいところに入っていて、やめさせようとしたからよ。」
「ごとうのお兄ちゃんがとじこめられたことはだれもしんじないからよ。」「ごとうのお兄ちゃんがじぶんでとじこもっていたとおもわれてるからよ。」といった。

なんだか、よくわかんないけど、ママからおとなになるとすこしはわかるよ、といわれた。
そうなのか。

だけど、ぼく(わたし)はみやむらのおじいちゃんみたいなおとなにはなりたくない。
人をとじこめるほうほうをおしえ、そうしろ、と言いながら、ろうやに入りそうになったら、「しらない」「そのひとたちがかってにやった。」とずるいにげるおとなにはなりたくない。

いまはやりの「はんざわなおき」のぎんこうのえらい人みたいだ。

と、ここまで書いたら、「あんた、いい加減に漢字覚えなさい!」とママに叱られた。シュン
2013-09-20 19:56 | ジャスミンの茉莉ちゃん | URL   [ 編集 ]

宮村さんと話したい??? 

宮村の証言を元に「話し合い」活動を年表にするとこうなる。

1987.1  後藤家の両親から相談を受ける
1987.夏  兄(信者)の話し合いに参加(神戸)
1987.10  徹(原告)の話し合いに参加(プラザホテル)
1988.2  兄(元信者)をタップで雇う
1989.3  妹(信者)の話し合いに参加
1991.1  女性(信者)の話し合いに参加 ※その女性は1995年に兄と結婚
1996.夏  徹と松永牧師が新潟で話し合いをしていると聞く
1997.4  両親から「徹が偽装脱会している」と相談を受ける
1997.12  兄から「徹が話したいと言っている」との電話を受ける
1998.1  徹と話し合い(荻窪)
1998.9  徹との話し合い終了

これから分かることは、
・最初に相談を受けてから11年以上にわたって、宮村は後藤家の話し合いに関与している、ということ。
・宮村が話し合いに関与して、兄、妹、兄嫁がそれぞれ1年程度で次々に脱会している、ということ。
・兄は宮村の会社に雇い、その兄と、同じく話し合いで脱会した女性が結婚している(おそらく宮村が仲人)、ということ。
・統一教会を嫌う両親に、脱会して反統一教会になった兄、妹、兄嫁が加わり、反統一教会一色、後藤一家全面協力の状況の中で、徹との話し合いを継続している、ということ。

要するに、宮村の話し合いは、唯一脱会していない徹さんを脱会させるためだけに必要だったのだ。

11年におよぶ話し合いを徹さんが了承し、「話し合いに来てください」などと言うはずがあろうか。

現に、宮村が証言しているように、その話し合いは徹さんにとって有難いものでは全くなかった。

宮村:「説明してよ」
徹:「う~ん」
宮村:「説明できないわけ?」
徹:「う~ん」


こんな話し合いを徹さん本人が希望し、自由に出入りできるマンションから一歩も外に出なかった、なんて、全くありえない話だ。

こんな大ウソつきを反省させるには、倍返し、10倍返し、100倍返しでも足りませんよ。
2013-09-20 20:40 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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