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後藤徹氏陳述書(1)

後藤徹氏陳述書(1)
5月17日、第2回の公判が開かれた。その時に提出された書面の掲示に入る。拉致監禁という暴力を伴う統一協会からの脱会説得(推進派は「保護説得」と呼称している)は、初めて読む方には分かりにくい部分もあるかと思われる。適宜注釈を付け、脚注で解説する。また、提出書類にはないものの、理解の為に必要に応じて記した部分については、斜体で表示する。このページから先に目にした方は、後藤徹氏の訴状(1)後藤徹氏の訴状(2)後藤徹氏の訴状(3)、およびポイント解説世話人のつぶやきに目を通されることをお勧めする。量的に少しうんざりする向きもあるかと思われるが、何が争点になっているのかを念頭に読まれると、原告陳述書の意図するところが理解できるはずだ。
また拉致監禁を伴う脱会説得全般に関しては、ルポライター米本和広氏のブログ「火の粉を払え」、および宮村峻氏を研究した専門ブログ「統一教会脱会請負人・牧師『宮村峻・高澤守』研究」を必読ブログとして推薦する。

といういうことで、今回は、本訴訟の主人公、後藤徹氏の陳述書である。これが本訴訟で一番注目される陳述書である。長文なので、数回に分けて連載する。

後藤徹氏陳述書の構成
1.略歴
2.統一教会への入会
3.第1回目の監禁

4.第1回目の監禁から脱出後の経緯
5.第2回目の監禁(今回)
(1)新潟のマンション(パレスマンション多門607号室)での監禁
(2)東京のマンション(1カ所目・荻窪プレイス605号室)での監禁
(3)東京のマンション(2カ所目・荻窪フラワーホーム804号室)での監禁
(4)宮村等による脱会説得
(5)ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)
(6)ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)
(7)ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)
(8)監禁からの解放
6.入院後の経緯
7.最後に
青印が今回アップしたもの


陳述書

平成23年4月21日
東京都北区浮間5-16-25サニーハイムE203
        
後藤徹氏の署名  印

後藤徹氏
後藤徹氏

1.略歴

私は,1963年11月2日,山形県米沢市にて父(昭和6年11月25日生まれ,1997年6月22日死去),母同(昭和7年12月10日生まれ。現在78歳)の間に次男として出生しました。兄弟は,兄(昭和35年3月28日生まれ。現在50歳)と,妹(旧姓後藤)(昭和42年2月14日生まれ。現在43歳)とがいます。

1970年4月,私は東京都武蔵野市立大野田小学校に入学し,1972年9月に東京都保谷市立保谷第一小学校に転校し,1976年3月,同小学校を卒業しました。

1976年4月,私は保谷市立青嵐中学校に入学し,1977年に熊本県八代市立八代第二中学校に転校し,1979年3月,同中学校を卒業しました。
1979年4月,私は熊本県立氷川高等学校に入学し,1982年3月,同高等学校を卒業しました。
1983年4月,私は日本大学理工学部建築学科に入学し,1987年3月,同大学を卒業しました。
1987年4月,私は大成建設株式会社に入社しました。

2.統一教会への入会

1986年8月31日,大学4年生だった私は,同じく東京に住んでいた兄に呼び出され東京御徒町のビデオセンターに連れて行かれました。そこは,世界基督教統一神霊協会(以下,「統一教会」と言う)の信者らが運営するビデオセンターで,既に信者になっていた兄にそこで学ぶように誘われました。私は,あまり乗り気ではなく,学ぶつもりはありませんでしたが,兄があまりにも熱心に勧めるので,その情熱に根負けしてビデオセンターに通い学ぶようにになりました。

私はビデオ教材を通して,また,その後は,ツーデーと呼ばれる2泊3日の修練会,及びフォーデーと呼ばれる4泊5日の泊まりがけの修練会に参加して,統一教会の教理である統一原理を学びました。

当時,私はこれから就職して社会人になるという,本来なら希望に満ちた時期であるにもかかわらず,世の中で横行する戦争や犯罪や離婚など,利己的な人間の姿に接するたびに気が滅入り,また,利己的な自分自身も好きになれず,人間と人生に希望と価値を見い出せず,悩み苦しんでいました。そして,このような明確な回答がない悩みに対しては誰にも相談できず,切羽詰まった末,精神修養と求道のために,大学の休みを利用して当時,神奈川県藤沢市にあった断食道場に行って,一人思索にふけったりもしていました。

宮村峻氏
宮村峻氏

そんな時に兄の紹介で出会った統一原理の内容は,大変衝撃的なものでした。神が実在すること,神の創造目的が愛と喜びの実現であり,神と人間の関係が親子であること,不幸と罪の原因が人間始祖の堕落にあり,そして,人類歴史が神の救済の歴史であったこと等々。この統一原理の内容により人生の目的と価値が明確になり,希望が与えられ,絶望の淵で悩み苦しんでいた私は,躍りあがらんばかりの喜びの中で死んでいた自らの魂が新しい命へと生き返った思いでありました。そこで,私は,統一教会に入会することにしました。

修練会に参加した後は,学生部という大学生の信徒らで組織する部署に所属し,ホームと呼ばれる寮で寝泊まりして生活しました。兄は私に続いて,当時短大生だった妹も伝道しました。妹は短大近くのビデオセンターで統一原理を勉強するようになり,統一教会に入会しました。

1987年3月,私は日本大学理工学部建築学科を卒業し,同年4月より大成建設株式会社に入社しました。同社入社後は,御徒町のホームに寝泊まりしつつ,通勤していました。

3.第1回目の監禁

当時,1987年という年は,マスコミの影響もあって統一教会信者に対する棄教目的の拉致監禁による強制脱会説得が頻発しており,そのような中で同年5月頃,まず,兄が,自宅に帰った際に,両親らによって拉致・監禁され脱会説得を受けました。兄が後日話したところによると,自宅に帰る道すがら,なぜか父親が出迎えに来ていて,その時,兄は「父親がわざわざ迎えに来るなんて,めずらしいな。」と思ったそうです。そして,父親と一緒に自宅の方に歩いていると,突然,父の手が兄の体にかかり,父が「それ!」と叫ぶと,物陰から見知らぬ男たちが突然襲いかかってきて,兄は,付近に停めてあった車の中に拉致されたそうです。そして,その車で連行される途中,踏み切りで車が止まった際,兄は,とっさに車の窓から外に逃げ出したそうです。そこで,路上で父らと揉み合いになり,誰かが警察に通報したらしく交番に連れて行かれ,兄が,拉致されたことを警察官に必死に訴えて助けを求めたにもかかわらず,結局,警察は親の言い分を聞き入れ,再び車に乗せられて監禁場所に連れて行かれたとのことでした。

兄に対して脱会説得をした脱会説得専門家の一人は宮村峻といい,株式会社タップという広告代理店を経営している人物で,後日,私に対する2度に亘る拉致監禁に関与したのもこの宮村です。宮村は,当時,荻窪にある日本イエスキリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師と組んで,同教会を拠点に複数の統一教会信者の父兄等から,彼らの子である信者を脱会させる依頼を受け,父兄等に順番待ちをさせ,順番が来るまでの間,拉致監禁による脱会説得の手法を父兄らに指導していました。宮村が組織していた父兄らの会を「水茎会」と言い,水茎会では,順番が回ってきた父兄は,既に信者の脱会に成功した父兄らの協力を得て自分の子を拉致し,荻窪栄光教会近隣のマンションの一室に監禁するというシステムができており,そこに宮村が来訪するなどして脱会説得が行われました。私も後日順番待ちの父兄の名簿を見ましたが,そこには父兄等の名前がびっしりと記載されていました。聞くところによると,順番待ちの父兄の最後尾は数百番代になるとのことでした。

兄は統一教会を脱会後,宮村が行う統一教会信者に対する脱会説得活動を手助けするようになりましたが,更に前記株式会社タップに就職し,宮村のもとで鞄持ちのようにして働くようになりました。順番待ちの父兄の名簿上は,私に対する脱会説得の順番はずっと後だったようですが,兄が余りにも熱心に宮村の脱会説得活動を手助けしたため,私を脱会説得する順番を早めてもらったということを後で兄から聞かされました。

当時,統一教会で熱心に信仰生活をしいていた兄が,実家に帰ったまま突然失踪したため,拉致監禁された可能性が高いと見ていた私は,兄のことが心配で夜も寝れないほどでした。そこで,実家や兄が滞在していたというキリスト教会に行くなどして兄の行方を方々捜しまわりましたが,見つけることはできませんでした。

京王プラザホテルの監禁部屋見取り図

1987年10月,父から突然連絡があり,「(後藤氏兄)が会いたいと言っている」と言われて私は新宿に呼び出されました。私は,拉致監禁されるかもしれないという不安もあったため,統一教会の男性2人が拉致に備えて密かについて来てくれていました。父に言われるままついていくと新宿の京王プラザホテルに入っていき,エレベーターに乗りましたが,その時に,ついて来てくれていた男性2人とは離れてしまいました。かなり高層階の一室に入ると,部屋の中には既に兄が待機しており,私は兄から「実は統一教会をやめることにした。徹にも話を聞いてほしい。」と切り出されました。

気がつくと,部屋の入り口のドアは何らかの細工により中から開かないように固定され,部屋から出られない状態になっていました。その部屋の構造は,隣接する二つの部屋が一つのドアでつながっているタイプの部屋で,ホテルの廊下からその部屋への出入りは,常に隣の部屋を通して出入りしていました【図1】。これは,もちろん隙を見て脱出されないようにするためです。私はやはり兄が呼び出したのは監禁して脱会説得をするためであったことが分り,たいへんなショックを受けました。

しばらくすると,宮村峻が元統一教会信者を数人連れて部屋に来るようになり,脱会説得を受けました。その一つの場面として,宮村が,元信者の男性の一人に,「今の君にとって,文鮮明とはどんな存在だい」と尋ねると,その男性が,ヘビースモーカーである宮村が吸った灰皿のタバコの吸い殻を指さし,嘲笑して「こんな感じです」と侮蔑に満ちた顔で言った時の屈辱感は忘れることができません。私は,騙し討ちのように監禁されたことに憤慨し,トイレに入ると中からカギをかけ立てこもり「出せー!助けてくれー!」と叫んで騒ぎ立てました。すると,外からカギを開けられ,トイレから引きずり出されると,父と兄と取っ組み合いになりましたが,多勢に無勢のため取り押さえられました。

荻窪栄光教会
荻窪栄光教会

監禁下で宮村や元信者に教会や教理に対する批判を強制的に聞かされる中,私は,何とか脱出したいと思い,椅子をガラスに投げつけたい衝動に駆られ,一度椅子を持ちあげたこともありましたが,高層階であり,地上の通行人にあたってはいけないと思い,投げつけることを思いとどまりました。私は,毎日,教会や教祖の悪口を強制的に聞かされ,耐え難い苦しみを味わいました。そして,3日くらい後,私は信仰を持ったままでは部屋から出られないと判断し,意に反して脱会した振りをしました(偽装脱会)。

約1週間後,京王プラザホテルから杉並区荻窪のマンションの一室に連れて行かれ,同室にて1ヶ月弱監禁されました。私は常に両親及び兄によって監視される中,同室から前記荻窪栄光教会の礼拝等の集会に参加させられたり,近隣のマンションの一室で監禁されている統一教会信者の脱会説得に同席させられました。

不当な監禁下で脱会説得を受け苦しんでいる信者を目の前にして助けたい気持ちに駆られましたが,ここで偽装脱会がばれると再び厳重な監禁下での執拗な脱会説得を受けなければならなくなると思うと断念せざるを得ませんでした。荻窪栄光教会の集会には,宮村や森山によって脱会させられた元統一教会信者等が多数来ていましたが,その中の一部は,兄のように宮村らの脱会説得活動に積極的に荷担していました。また私は,同教会のほぼ向かいにある一軒家で「水茎会」の集会が開催された際,これに参加させられ,宮村が父兄らを拉致監禁による脱会の指導している場面を目撃したこともあります。

私はこの年の春に建設会社の新入社員として千葉県船橋市の建設現場に配属されて現場監督として仕事をしていました。しかし,突然拉致されたため,何の連絡もできずに何週間も欠勤を強いられ,監禁ないし監視されている間は会社にもいっさい連絡を取ることは許されなかったため,会社に迷惑を掛けてしまったことが苦痛でなりませんでした。

11月下旬頃,逃走する隙を窺っていた私は,荻窪栄光教会の日曜礼拝に参加させられた際,トイレに行く振りをして教会建物から脱出し,ホームに逃げ帰りました。
2011-05-29(Sun)
 

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順番待ちの待ち料金 

陳述書の一節
>宮村は,当時,荻窪にある日本イエスキリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師と組んで,同教会を拠点に複数の統一教会信者の父兄等から,彼らの子である信者を脱会させる依頼を受け,父兄等に順番待ちをさせ,順番が来るまでの間,拉致監禁による脱会説得の手法を父兄らに指導していました。

 この時点でのことか、もう少し後になってからの話か、時期はわかりませんが、宮村氏は順番を待つ人から、「脱会説得の伝授代」(勉強会の費用)として、毎月1万円を徴収していました。常時、200人の父兄が順番待ちをしていたと言いますから、「待ち料金」だけで、毎月200万円の収入を得ていたわけです。

 この話は、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に所属する弁護士から聞いたものです。
2011-05-29 13:36 | 米本 | URL   [ 編集 ]

RE:順番待ちの待ち料金 

伝授代で月1万円、順番が回ってくると、マンション借りて、家賃や、親兄弟は検診(仕事をやめてつきっきりですからね)し、生活費も出さないといけないということで、ひと財産なくすと。

これじゃ、セミナー代で月々支払い、献金や壺多宝塔、宝石絵画の購入でひと財産なくすという、どこかと瓜二つですね。カルトと反カルトは瓜二つ。唐変木さんも言っていたが、宮村破壊的カルトの誕生ということですね。
2011-05-29 19:08 | 川北 広 | URL   [ 編集 ]

原田和彦 

川北さん
>これじゃ、セミナー代で月々支払い、献金や壺多宝塔、宝石絵画の購入でひと財産なくすという、どこかと瓜二つですね。カルトと反カルトは瓜二つ。唐変木さんも言っていたが、宮村破壊的カルトの誕生ということですね。

お言葉、耳に痛い部分もありますが、瓜二つでない部分もあります。統一教会は拉致監禁して教義を吹き込んでいるわけではないので。自分の意思で教会に入り、出るのも自由です。
2011-05-30 00:07 | 原田和彦 | URL   [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011-05-30 10:12 |  |    [ 編集 ]

宮村と京王プラザホテル 

 ホテルの間取り図が示され、より文章の意味がわかりました。

 後藤さんからホテルでの話を聞いたとき、正直、理解できないところがありました。なぜなら、2部屋あるホテルに泊まったことがなかったからです。
 間取りからすると、スィートルームですね。
 当時はいくらだったかわかりませんが、今は1泊10万円強と書いてあります。

http://www.keioplaza.co.jp/stay/rooms/suite.html?OVRAW=%E4%BA%AC%E7%8E%8B%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%20%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%80%80%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0&OVKEY=%E4%BA%AC%E7%8E%8B%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%20%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%20%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0&OVMTC=advanced&OVADID=4680204041&OVKWID=44247747541&OVCAMPGID=250039041&OVADGRPID=4106729929


 鳥海さんの最初の監禁もこのホテルだったと記憶しています。宮村氏は当初、京王プラザホテルをよく利用していたようです。ホテルのドアにカギの細工をすることができるのだから、ホテルにとって宮村氏は上顧客だったのでしょう。

 約1週間ここにいたのだから、後藤さんの父上が支払った宿泊代金は今の料金だと70万円ですね。それにドアの補修費も払ったのかもしれません。

 ホテルを利用する利点は、ホテルだと「まさかここで監禁されることなんかないだろう」と、それほど抵抗感なく入ってくれるという点にあるでしょう。見知らぬマンションだと、暴れますからね。
2011-05-30 10:52 | 米本 | URL   [ 編集 ]

兄がキーパーソン? 

<兄が後日話したところによると,…(中略)…兄は,付近に停めてあった車の中に拉致されたそうです。…(中略)…車に乗せられて監禁場所に連れて行かれたとのことでした>

兄が拉致監禁され、棄教し、考え方を180度変え、監禁側に回った、ということが徹さん監禁の重要なファクターだと思いますが、兄は被告ですから、これらのことをすべて「それは作り話だ」と言って、しらを切ると思われます。

その意味で、兄がキーパーソンのような気もします。

兄がしらを切り続け、「宮村氏が(監禁場所に)来たかどうか記憶にない」「弟(徹さん)の証言はすべて嘘だ、作り話だ」と言い逃れれば、証拠がないので、原告側はかなり不利になるように思います。

シビアに考えると、ここら辺がポイントかな、と悔しい思いで見ています。
2011-06-01 08:50 | みんな | URL   [ 編集 ]

兄がシラを切っても 

兄がシラを切っても、当時の兄をよく知っている人、あるいは行動を共にしていた人が証言すればねえ、兄のシラもひっくり返るんじゃないかな。逆に偽証を問われることになれば面白いんでねえの?たぶんそのために後藤さんは必死に探していることだろう。
2011-06-02 01:35 | 唐変木 | URL   [ 編集 ]

Goto's statement to the Tokyo District Court 

後藤徹さんの陳述書英語版。
日本人以外、日本国外にもしっかり読んでもらいましょう。

http://humanrightslink.blogspot.com/

Goto's statement to the Tokyo District Court - Part 1
Mr.Toru Goto (victim of 12 years and 5 months confinement) filed a civil suit in Feb. 2011.

There were already two hearings in Tokyo District Court. First hearing was held on Mar. 22, 2011 followed by May 17 session. They were basically for submission of the documents and to determine the next hearing dates. (Next two sessions will be held on Aug.16 and Oct.11, 2011)

Goto (Plaintiff) submitted complaint, brief(preparatory writing) and statement. The defendants submitted defendant's answer to the complaint and statement.

Support Committee for Toru Goto't Court Case has published all the documents submitted to the court on its website. It includes the defendant's side documents. http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/

I've decided to translate the documents uploaded in the Support Committee's website into English, so people in the world would know what's happening on the civil case.

Already many documents from both parties were submitted to the court. I skip some earlier submitted documents, and I've picked up the Goto's statement which should be one of the most important documents in the case.

Toru Goto's Statement - Part 1 (1 to 4 in the index below)

Index of the statement
Personal History
Joining Unification Church (UC)
First Confinement
After Escape from First Confinement
Second Confinement
(1) Confinement in Niigata
(2) Transferred to First Apartment in Tokyo
(3) Transferred to Second Apartment in Tokyo
(4) Miyamura's deprogramming work
(5) First Hunger Strike – 21 days
(6) Second Hunger Strike – 21 days
(7) Third Hunger Strike – 30 days
(8) Release from Prison
After Hospitalization
At the End

続きはこちら
http://humanrightslink.blogspot.com/
2011-06-13 02:21 | 秀 | URL   [ 編集 ]

No title 

記事を更新しました。
2011-06-23 12:15 | 白い旅団 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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