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後藤徹氏の妹の反対尋問ー原告を一時も一人にしなかったのは、家族として一緒にいたかったから。

後藤徹氏の妹さんの反対尋問を全文公開致します。

みんなさんがコメントに書いてくださっているように、福本弁護士の反対尋問は鋭いです。法廷で生で聴くと、より迫力を感じます。
裁判に傍聴に来ていた拉致監禁経験者の1人は、妹さんに対する福本弁護士の追及は、「怖かった」と言っており、自分が拉致監禁説得を受けていた時を思い出し、体が震えたそうです。
被告側傍聴者の水茎会の会員と思われる1人の女性は、「気分が悪くなった。」と言って、妹さんの尋問が終わった後に帰ってしまいました。

妹さんは、尋問の途中で何度も水を飲みたそうにしていました。しかし、福本弁護士は水を飲む隙も与えぬ程、追及してました。原告側傍聴者の中でも、それを見て「可哀想になった。」と言う人がいた程です。
しかし、妹さんも負けていなかったです。「あの時、文句があったのなら、言いたいことがあったのなら、言えばよかったのよ。」と言わんばかりでした。気の強さは、兄嫁さんに負けず劣らずかもしれません。

後藤徹氏と12年5ヶ月、生活を共にした家族の最後の証言です。ゆっくりじっくり味わって読んでくださいね。
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※兄、兄嫁さんの尋問録、小出医師の診断書の一部引用した部分は青字斜体としました。
※原告側から提出された食事詳細記録、それを元に栄養士が計算した総カロリー、各栄養素の摂取量の表の一部を引用させていただきました。
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<教え込まれた恐怖がありながら、何故話し合いに応じたのか?

原告代理人
あなたの話によると,原告が荻窪栄光教会から脱出後に,池袋で原告と会ったことがあるということですが,栄光教会で皆が祈祷中に,原告がトイレに行くふりをして脱出したんだという話は,そのときに聞いてますよね。

そこまで具体的な話をしたかどうかは,ちょっと私は覚えてません。


■<後藤徹氏兄>の場合ですが,連行される途中に車から脱出を図って警察沙汰にまでなって,結局連れていかれた,これは本人が前々回,証言で言ってましたけども,こういうことも聞いてたね,あなたは,■<後藤徹氏兄>から。

それはいつ聞いたということですか。


いつ聞いたか,いつでもいいですよ。いつ聞きましたか。

そういう話は,聞いたことあります。


いつ聞きましたか。

ちょっといつ聞いたかっていうのは,はっきり覚えてないんですけれども,聞いたことは確かですね。


原告と会ったときに,池袋で,そういう話も聞いているんじゃないの。

いや,それは聞いてないですね。


あなたの陳述書によると,原告は荻窪栄光教会から脱出後に,いろいろ部署を変えて,鈴木祐司という偽名まで使っていたということなんですが,なぜそこまでする必要があるんですか,この人は。

分からないですけど,当時のアベルから,そう言われてやったんだと思いますが。


あなたが原告から聞いた話だと,拉致監禁されたわけでもないというわけでしょう。だったら,何でこんな居場所が分からないようにする必要があるんですか。

ちょっと私は,そのときのアベルじゃないので,分かりません。


京王プラザホテルや荻窪のマンションでの話合いが,出入り自由の中で行われたということであれば,偽名まで使う必要はないわけで,結局この拉致監禁を警戒して,原告は偽名を使ってたと,そういうふうにあなたは思ってたんじゃないの。

いや,何でそこまでするのかは,私にはちょっと分かりませんでした。


何でそんな意味のないことをするのかというふうに,当時,あなたは思ってた。こんな意味のないことをするのは何だと,そういうふうに思ってた,あなたは。

ちょっとよく分からなかったですね。


あなたの陳述書によると,1989年3月に保谷の自宅で両親から統一教会について場所を移して話し合おうと言われたとき,とうとう来たかと思って動揺したということですが,あなたとしては,■<後藤徹氏兄>や原告に起きたのと同じようなことが,自分の身にも起こるんだということで,あなたは動揺したんでしょう。ほかに動揺する理由はないよね。

そうですね。いわゆる統一教会で言う,そういう。


拉致監禁。

っていうことなのかなって思いましだけど,反牧対策を聞いてましたので,私は,それが頭にあって。


先ほどは,実際に統一教会で言う拉致監禁にあったとされるはずの原告からは,拉致監禁なんかされてないというようなことを聞いてたのに,なぜ自分のところに起こったときには,動揺するんですか。

だから,統一教会でそういうふうに聞いてたので。


実体験者である原告の話よりも,統一教会の教え込みのほうが本当だと思ったわけだ。

結構,統一教会で言われていたことは,アベルに言われていたことは,私に結構強烈にありましたので。


同じように,あなたは統一教会の教え込みで,宮村については,相当怖い男だというふうに教え込みを受けてたんじゃないの。

アベルからですか。


アベルでも教会でも,誰でもいいですが。

私は正直,宮村さんのことは,あんまり。


聞いたこともなかった。

うん,何か森山先生の話は,聞いたことはあったんですけど。


あなたは,陳述書によれば,宮村との話合いについて両親から切り出されたときに,承諾したと言うけど,本当に承諾したんですか。

しました。


承諾したにもかかわらず,先ほどの話だと,宮村が実際来ると,押し入れに閉じこもって出てこなかったんでしょう。

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はい。


承諾して,何で閉じこもるの。

それはさっき言ったとおりなんですけども,やっぱりとっさにその場面になると怖くなって,私は押し入れに入って,ちょっと祈って,神様に聞こうとか,そういうふうに思ったんで,それもありました。


宮村が来た瞬間に,そういうふうに心が変わったということですか。

うん,そうですね,とっさにやっぱりそういうふうに。


あなたは,このときのやりとりを,陳述書で何て書いているか覚えていますか。あなたが書いた陳述書でしょう。何て書いてあるの。このときの宮村が来たときのやりとり,何て書いてあるの。

宮村さんが言った言葉ですか。


どういう経緯で話合いになって,どういう話を宮村が言ったか,どういうふうに書いたか,覚えているか。あなたはここで,押し入れに入ったことなんて,一言も書いてない。

はい。


何て書いてあるの。

忘れてました。


忘れてた。

忘れてました。


押し入れに入ったことを,あなたは忘れたんですか。

忘れてましたよ。


何日間,入りましたか。

いや,そんなに,そのとき1回くらいですよ,押し入れに入ったのって。


1回だけじゃないでしょう。しばらく出てこなかったでしょう,あなたは。

いや,そんなことないですよ。


それも忘れたと。

いや,忘れてましたよ,本当に。


あなたの陳述書によると,統一教会にいた当時,「反対牧師の素顔」という冊子を読まされたり,同じ内容のビデオを見せられたり,講義で反対牧師が信者を拉致監禁して無理やり脱会させられるという話を聞かされていて,反対牧師はとても怖いという印象を植え付けられていたというふうに書いてあるんですけど,そのときは,一度,拉致監禁されたら,ほとんど解放されないというふうに教え込みを受けたのね。

え。


だから,教え込みでは,一度,拉致監禁されたら,解放されないよというふうに,教え込みを受けたんじゃないですか。

いや,そこまでは,ちょっと覚えてないですけど,とにかく怖い存在だっていうふうには残ってます。


それだけ。

うん,そうですね。


あなたは,統一教会では,反対牧師対策の中で,家族との話合いが始まった場合には,逃げてこいという指導をしている,そういうことだよね,統一教会の反牧対策,逃げてこいと。そういうふうに言ってるよ,あなたは,陳述書で。違いますか。

うん,そうですね。


逆に,マンションに連れていかれそうになったら,素直についていくようにという指導をされていますか。

私は,そういうふうに教わりました,アベルから。


マンションについていけという指導をしてますか,統一教会で。

いや,私は言われましたよ。


ついていって,それで,あなたの話によると,偽装脱会して逃げてこいという指導なのね。

はい。


最初から行かないほうがいいじゃないの。

いや,でも私は,そういうふうに言われたので。


あなたは,あなたの陳述書の別の箇所で,話を聞いたふりをして,隙を見て逃げるというふうに言っているけども,同じことだけども,あなたが保谷市の実家から荻窪のマンションに連れていかれたときは,隙がなかったから逃げられなかったんだ,そういうことだね。

いや,そうじゃないですよ。


どうして。

だって,私はマンションに行って話は聞こうと思ったから,別にそういうふうにも。


でも話を聞いたふりして,隙を見て逃げろと言われたんだったら,それをやればよかったじゃない。

いや,そういうふうにも思いませんでしたし。


その時点では,教え込みはすっ飛んでいたんだな,頭の中から。そういうことですか。

いや,っていうか,そのときは,私はマンションに行こうっていうふうに思ってましたから。


マンションに行って,そのまま話合いをずっと続けるというふうに,そのとき気が変わったんですか。

いや,気が変わったっていうか,最初から行くつもりでした。


最初から,話を聞いたときから,行くつもりだったの,あなたは。

そうです。


それは,マンションについていくようにという指導を受けてたからだ,そういうことか。

ついていくように指導というか,だって話合いをして,それで偽装脱会してっていうことを言われてたので。


あなたの陳述書には,アベル・カインの法則に従って,逐一アベルに報告,連絡,相談をしていたと,お母さんが大阪から保谷の実家に出てきたときや,大阪に帰ってきたときですら,逐一アベルに報告していたというふうに言っているけども,ここまで綿密な連絡をやっているあなたが,荻窪のマンションに行くという重大な局面で,何で連絡を入れないの。

いや,そのとき私は,連絡しようと思いませんでしたよ。


それまでは,アべル・カインの法則に従って,報・連・相をやっていたのに,なぜこのときは,そう思わなかったの。

でも,それもアベルの指示じゃないですか。


アベルの指示で,いざ保護されるときには,教会に連絡をするなという指示があったんですか。

いや,そうじゃなくて,話合いのところに行って,偽装脱会するようにっていうふうに言われましたから。


あなたは,偽装脱会した。

しようとは思いましたけども。


してないでしょう。

うん,してないです。


結局あなたは,アベルの指示だと言いながら,実際はアベルの指示に全然従ってないのね。

だって・・・。


従ったのは,アベルの指示に従って,マンションについていけということだけした,そういうことだ。

だって,それは私か決めることなので。



<家族の話し合いに何故他人が関わるのか?

甲第124号証(写真説明書)を示す
93年の宮村氏
<この写真は、後藤ファミリーは写ってませんが、甲124号証写真の一部です。>

写真3から6は,あなた方が写っているものだけど,これは1993年5月当時,水茎会にあなた方家族が参加してたときの写真なんですけど,ここにお父さんは写ってないんですが,お父さんは水茎会には余り参加しなかったのかな。

そうですね。


仕事が忙しかった。

うん,それもあったかもしれませんし。


専らそこに写っているご家族が行ってたということですか。

時々は行っていたっていう感じです。


水茎会参加の目的は,何ですか。家族そろって,何のために水茎会に行ってたの。目的は何ですか。

私は,元信者の方もいらしたので,その方と話し合って,自分のリハビリというか,そういうことにもなりましたし,また自分の経験もお話しすることがあれば,したいなというふうに,そのとき思って。


お母さんまで,何で行かなきゃいけないの。

母は,元信者の方ですとか,そのご家族の体験談などを,やっぱり聞きたいというふうに思ってたんじゃないでしょうか。


この時点では,今の写真の時点では,原告1人だけが,統一教会に残っている。

はい。


原告を脱会させることが,この水茎会に,あなた方が家族で参加してた最大の目的ですよ。違いますか。

いや,脱会させることが目的じゃないですよ。


放っておこうと思ったの,原告を。

いや,脱会するっていうのは,その過程の中であることで,最終的にはやっぱり家族の信頼が回復しないと,どうにもならないことなので。


脱会という言葉が嫌なら,保護をすることが目的だった。

いや,違います,それは。


保護する気もなかった,それでいいんですか。

保護をすることが目的っていうことじゃない,目的としては,家族の信頼回復のためっていうことですよ。


原告との家族の信頼を回復するためには,保護という手段が必要なんじゃないんですか,あなた方によれば。

いや,保護というか,話合いが必要だと思います。


実際に行ったのは,保護でしょう。

話合いをしました。


この写真が93年5月,2回目の原告保護が,95年9月,あなた方は,この95年9月の直前まで,水茎会に行ってましたね。

いいえ,行ってないです。


いつまで行ってた。

その年の初夏くらいまでだったと思うんですけども。


あなた方の主張によると,松永のところに行き始めた,要するに松永のところに勉強会に行くから,水茎会はお休みしたということになりますな。そういうことになるよね,時期的に言ったら。

行ってなかったです,実際。


要するに,松永のところで勉強会に行くから,水茎会はお休みしたということでよろしいですね。

お休みしたっていうことなのかどうか,分からないですけども,行っていなかったっていうだけです。


あなたの陳述書によると,新潟で原告と話し合うために,3年間勤めていた立教大学内の書店での仕事を,95年8月に辞めたということなんですが,今回,原告を保護すれば,相当長期間,仕事ができなくなるということを,当初よりあなたは覚悟していましたね。

どのくらいかかるかっていうのは分からないですけれども。


覚悟してたと。

いや,覚悟をしてたというか,仕事は辞めましたよ,そのとき。


なぜ原告が新潟のマンションに行くことを同意してから仕事を辞めずに,あらかじめ辞めたんですか。

それは別に,その辞める時期というのは,特に考えてなかったんですけれども,この職場は正社員じゃなかったんですよ。アルバイトだったんで,いずれは辞めて,違うところで働いてもいいかなと思ってたので,タイミングっていうのもあったのかもしれません。


最初から,原告の意思なんか無視して,連れていくことが前提だから,あらかじめ辞めたんでしょう。

いや,そういうことじゃないですよ。


■<後藤徹氏兄嫁>は,先日の尋問で,95年9月11日の夜,原告を保護するに当たって,前もって各自の待機場所や,誰からの連絡で所定の位置につくかなどを打合せをしていたことを,大筋で認めたんですけども,9月11日の保護に向けて。

今,指摘した庭にいた男,あなたのお兄さん,O<後藤徹氏の叔父>,皆,原告に対する保護実行のそのときを見計らって,それぞれの持ち場にあらわれてるんですが,これはあらかじめそのように決めてあったんですね。

話はしてたんじゃないでしょうか。


事前にそういう打合せがなされていたということですね。

そうですね。
兄嫁反対尋問より一部引用>


被告宮村代理人(山口広)
山口広弁護士
異議があります。誤導。
原告代理人
認めました。認めております。
被告宮村代理人(山口広)
そういう評価を前提にした尋問は,誤導です。
原告代理人
いいや,認めております。認めている。
裁判長
続けてください。
原告代理人
あなたも,その打合せには,出ましたね。

いや,別に打合せっていうことは,特にしていないので。


じゃ,■<後藤徹氏兄嫁>は,嘘をついたんだ。

■<後藤徹氏兄嫁>がどういうふうに。


あなたは目の前で聞いてたでしょう。

いや,綿密に打ち合わせしてたとは言ってないと思いますけど。


■<後藤徹氏兄嫁>のお兄さん,そして叔父さんのO,そして庭に潜んでいたタップの社員,こういう人たちが参加するわけですよね。しましたよね。

何に参加するんですか。


保護に,当日,参加しましたね。

そこにいたっていうことなんです。


この人たちには,あらかじめ何時頃に実行すると,場所はそれぞれどこに配置するか,あらかじめ話をしないと,動けないでしょう。

いや,それは分かりません,私は。


実際は予行演習もやったでしょう,原告役をつけて。

いや,別に予行演習っていうことは,やってないですよ。


タップの従業員に庭に来てもらうように頼んだのは,■<後藤徹氏兄>自身が,自分じゃないということを言ってたんですが,誰ですか。

いや,知りません,私は。


分からない。

分からないです。


おかしいですね。これは■<後藤徹氏兄>の同僚であり,元信者。筋から言ったら,■<後藤徹氏兄>が頼むわね,普通はね。ところが,■<後藤徹氏兄>が頼んでない,じゃ,誰が,こういうことを指示するんですか。

いや,分かんないです。


この従業員は,何のために庭にいたんでしょうか。

いや,それも分かんないです,本人じゃないので。


分からない,明らかでしょう。逃げるのを防止するため。

いや,それは分かんないですよ,ご本人がどういうことで来られたっていうのか。


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この人は他人ですよね。

家族じゃないですよ。


他人が,こんな夜中に,自分のところの庭に来て,何の目的ですか。

いや,分かりません,私には。


あなたは盛んに家族家族と強調するけども,庭に来た人間は,これは家族じゃない。家族でやっているわけじゃないよね,この保護は。この保護は,家族でやったわけではないよね。

どういう意味ですか。


あなた方は,家族家族と言うから,保護はね。でも違うでしょう。他人がかかわってますよね。

いや,家族で話し合いたいと思って,行ったんですけど。


そのために,ガードを頼んだわけだ,他人に。

いや,別にガードを頼んだっていうことではないですけど。


荻窪フラワーホームの防犯チェーンの件ですけども,あなた方の主張だと,統一教会が原告を奪回に来るんだと,そういうふうに言っているんだけども,統一教会信者らは,保護されている信者が嫌だというのを,無理やり連れて奪回していくんですか。そういう例がありますか。

でも何かそういうことは,聞いたことがあります。


聞いたことがある。

うん。


どこでありました,そんな件が。

どこか分かんないですけれども,何か連れていかれたっていうのは,聞いたことがあります。


本人が嫌がっているのに。

いや,嫌がっているのかどうか分かりませんけれども。


本人が嫌がっているのに連れていかれた例なんか,1件もありませんよ。そんなもの刑事事件になる,一発で。信者が助けに来て,そこで解放される物理的条件が整ったら,本人は喜んでついていくわけでしょう,そうでしょう。そういう事例なら,ありますよ。

いや,でも私は,何か聞いたことがあります。


どこで,誰から,いつ頃。

ちょっとはっきり覚えてないですけども。


無理やり本人が嫌がるのに連れていくと。

だから,そういうことを聞いてたので,私も統一教会の人に会ったら連れていかれるんじゃないかと思って,心配になったことはあったんです。



<後藤徹氏の食事は断食後の体によかったのか?>

食事制裁についてですが,荻窪フラワーホームで,原告が3回目の断食をした2006年7月以降の食事,あなたの陳述書によると,何度も断食をしているので,栄養面などの体のことを気遣って食事を作ったというふうになっているんですが,具体的に原告の食事に対して,どういう気遣いをしたんですか。

そこに書いてあるとおりなんですけれども。


何と。どういう,どの辺を気遣ったんですか。

まずご飯,5分づきにしました。


それで。

私が読んだ本によると,肉類はあんまり体によくないということでしたので,魚関係で出してました,つみれとか。


あなたは,先ほど食事健康本ですか,それを参考にしたわけですから,当然,カロリー計算してましたよね。

そうですね。


当時の原告の食事,1日何キロカロリーで計算したんですか。

大体2000キロカロリーくらいかなと思いましだけど。


食事内容
<原告から提出された2006年12月から解放までの食事内容詳細記録>

Hirt Hirt
<原告が提出した食事写真再現写真 クリックすると写真が大きくなりますので、下の被告側が提示した写真(乙イ第37号証)と比較してください。>

栄養士からの返答
<上の表は、一心病院以外の栄養士が上記記録を元に計算した摂取カロリーと摂取量。Cが最後の1年数か月の食事の摂取カロリーと摂取量。ABはそれ以前の摂取カロリーと摂取量。下の表は、一般成人男性の基準量。当時後藤徹氏は、総カロリーが成人男性の基準量の45%、蛋白質が70%しか摂取してなかった。>
1年5ヶ月間は、朝200カロリー、昼400カロリー、夕450カロリーで、合計1050カロリー(当院<一心病院>管理栄養士の推定による計算)という食事しか家族から与えられていなかったとのことである。
甲第4号小出医師診断書一部引用>

乙イ第37号証を示す
食事写真
被告側食事説明
<撮影者「私」は後藤徹氏の妹です。撮影日時を覚えておいてください。>

これが,あなたが再現した当時の食事だということだけども,この上の写真が朝食,下の写真が昼食と夕食ですか。

そうですね。納豆がどっちかだったかもしれないですね。


仮にこれだけ食べてたら,原告はあんなにがりがりになるでしょうか。

だから,それはおかしいなと思いますよ。


あの写真がねつ造だということですか。
宮村峻氏,後藤徹氏,保護説得,統一協会,脱会 原告の入院直後の写真
<一心病院入院直後の写真>

少なくとも,あそこまでは痩せていなかったです。


原告は,そこに写っているおかずも,みそ汁の具も,ご飯の量も,こんなに多くなかったというふうに怒っているんだけど,これは嘘の再現メニューでしょう。あなたは嘘で作ったでしょう。

いや,違いますよ。だって,私が作ってましたから。


あなたは,前々回の■<後藤徹氏兄>に対する私の反対尋問兄の尋問は5月14日でした。>で,原告の食事に関して,随分厳しい追及を受けて,答えに窮していたのを見て,代理人から再現メニューを作れというふうに指示を受けましたね。

いや,別に指示は受けてないですよ。


じゃ,誰がこれを作る,写真を作って写真を出すというふうに言ったか,誰ですか。

私も,だって,あれみそ汁がないじゃないですか,あの写真。


誰が,それを指示したか,聞いているんだよ。

私と弁護士で相談して決めましたよ。


何で■<後藤徹氏兄>の尋問の後に,慌ててこんなものを作ったの。

いや,別にそういう意味はないですけども,みそ汁の写真がなかったので,みそ汁に結構,具を入れてたので,ちょっと分かりづらいんじゃないかなっていうふうに思いましだから。


あなた方家族は,1リットルのパック牛乳をよく買ってきて,それにヨーグルトの種を入れて,自家製ヨーグルトを作ってましたよね。
ヨーグルト

そういうときもあったかもしれませんけど。


このことを原告はよく覚えていて,お昼の食後に,あなた方家族が欠かさずヨーグルトを小鉢に入れて食べていたと,そのヨーグルトには,よくキウイやミカンとかイチゴとか,フルーツが入って食べていたと。腹が減っているから,よく覚えているんだ。事実だね。

ヨーグルトを食べてたときも,あったと思いますけども。


昼のヨーグルトが,本人に言わせれば,のどから手が出るほど食べたかったというふうに言っているんだけど,あなたは原告の体に配慮して,原告のメニューを考えたというんであれば,何であなた方が毎日食べているヨーグルトを,原告には与えなかったのかな。

そのときは,徹に出していたのがベストだと思っていましたし,本当に食べたければ,言えばいいことだと思うんですけども


だって,家族でしょう。あなたは家族家族を強調するんだ,同じ家族でも,なぜ原告だけヨーグルトがない。同じ家族じゃない。

そのときは,それがいいと思ってましたし,乳製品があんまりよくないって書いてある本もあったんですよ,実際。


ヨーグルトが健康にいいというのは,半ば常識じゃないですか。

いや,でも日本人の体には,乳製品は合わないって書いてる人もいるんですよ。


あなたも日本人じゃないですか。

うん,だから,その人の体質で,とらないほうがいいって書いてあるのもあります。


原告の体質は,乳製品を受け付けない体質なんですか。

でも断食を何回も繰り返してましたので,そういう点では,気は使ってましたよ。


断食を繰り返している人間には,ヨーグルトはよくないと,むしろ整腸作用があっていいんじゃないですか。

いや,ですから私が読んだ本は,両方あったんです。


この37号証の写真,写真2の昼夜のおかずが載っている皿なんだけど,これはよく調べると,スーパーやデパートでよく売っているイワキというメーカーのファミレットという名前の皿で,直径19センチあるんだけど,原告の食事を出すのに,こんな大きな皿を使ってないよね。

いや,そんな,イワキですか。よく分かんないですけど。


大きさのことを問題にしている。

いや,19センチ,いや,このくらいあったと思いますけど。


原告の話では,カタクチイワシ,すなわちゴマメと言われる煮干しの小さいものをフライパンで煎って,少し味をつけて,毎日昼に出されていたということだけど,そういうことだね。

いや,それはありましたけど,ほかにも出してました。


ゴマメというカタクチイワシを,煮干しの小さいやつですから,ゴマメを載せるのに,そんな19センチもあるような皿は要らんわね。

いや,でもこのぐらいはありました。


ということは,あなた方家族は,朝食にパンと飲み物のほかに,キャベツを刻んだものなど,生野菜を食べてましたね,サラダ。

朝ですか,ちょっと覚えてないですけども,食べてたときもあったかもしれません。


どれくらいの大きさの皿で,野菜を食べてましたか。

いや,ちょっとはっきり覚えてないですけども。


15センチぐらいの皿じゃなかったですか。

いや,そんなに大きい皿じゃないと思いますけども。


原告はよく覚えていて,家族は毎朝キャベツを刻んだものに,干しブドウ,コーンや蒸したカボチャ,プチトマトを入れて,それにマヨネーズ,ポン酢をかけて,あなたは食べてたと,そうですか。
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ちょっとそこまで覚えてないです。


いろいろバラエティーあって,覚えてない,一々ね。

ちょっと覚えてないです。


どうして原告には食べさせなかったの。

いや,だから体のことを考えて。


先ほどの写真,朝食を見てください。パンと粉と飲み物,これじゃ寂しいでしょう。これに生野菜をつけてやればよかったじゃない。

うん,でも体のことを考えてましたし,私も実際,青汁しか飲んでなかったので。


あなたが参考にしたという「断食・少食健康法」,これを私は読んだんですけども,少食を実行する際,注意すべきこと,まずは食物の質がよくなければなりませんとして,具体的メニューを挙げてて,第3というところに,ビタミン,ミネラルの供給源として,生野菜や海藻類を必ず献立の中に入れることと書いてあるんですけども生野菜を入れるって書いてあるじゃない,この本には。

うん,だから,生野菜を入れてましたよ。


生野菜は,入ってないじゃない。

あさつき。


朝に何でつけてやらないんですか。あなた方は食べているんだよ。

だから,ここにつけてます。


昼につけているから,いいんだと。

うん。


これは生野菜,これだけ1日。

いや,夜も出してました。


なぜ朝に出してやらないの。

いや,別に。私も青汁しか飲んでなくて。


ほかの人は食べてたでしょう。

ほかの人が食べてたかどうかも,ちょっと覚えてないんですけれども。


さっきあなたは,認めたじゃない。
被告宮村代理人(山口広)
認めてないですよ。
原告代理人
認めましたよ。
被告宮村代理人(山口広)
覚えてないって言ったでしょうが。

いや,はっきり覚えてないです。


誘導が過ぎますよ。
原告代理人
あなたは,原告の健康を配慮して,少食にしたというふうに言うんだけども,原告は少食にしてくれというふうに,自分から言いましたか。

いや,別に何も。


言わないよね。

言ってません,それは。


なぜ原告だけ別メニューにして,あなた方は,普通の食事をするの。この差は何なの。

それは,だからやっぱり,何回も断食してたので,やっぱり体のことは,それなりに気を使ってたんですよ。


断食明けて随分たって,1年半ぐらい,この食事をさせられたわけでしょう,原告は。断食明けて,1ヵ月もすれば,普通の胃腸に戻りますよね,普通はね。

うん。


それなのに,1年半,これを食べさせ続けるというのは,どういうことなの。

そのときは,それが体にいいんじゃないかと思ってやってたので。


少食にしてカロリーを減らすというんであれば,わざわざ原告だけ別メニュ一にするんじゃなくて,原告<ママ 家族>と同じメニューで,少ない量にすればいいだけじゃないの。どうして,なぜ別メニューにしたの。

やっぱり本を参考にしながら,どうすれば体に負担が少ないかなと思って,そこは考えながら出してましたので。


あなた方は,毎日カレーやラーメン,餃子,豚カツ,スパゲティー,焼き肉,焼き魚,日替わりで食べてましたよね。

カレー ラーメン餃子 v2[3] スパゲッティ ピーマン v2[2]

ええ,さっきも言いましたけども,豚カツ,カツ丼は食べてないです。


カツどん

でも,それ以外は食べた。

ハンバーグとか肉類は,そんなに食べてないんですよ。


ハンバーグ

原告には一切与えてませんね。体に毒だと思ったわけですか。

でも魚類は,結構出してましたので。


それと,このメニューなんだけど,何で毎日,ほぼ同じメニューなの,原告は。

でもみそ汁の具は変えてましたし,このお皿に載っているのも変えてました。


日替わりで変わってた。違うでしょう。

いや,でも内容は変わってましたよ。


でも,ほとんど同じような食事でしょう。

でも中に入れる具とかも,実際変えてましたので,魚とかも。


原告が望んだわけではないわね,これを。これを毎日,あなたは自分が食べさせられるという身になって考えたことはありますか。毎日。原告の身になって,考えたことはありますか,作りながら。

だから私は私なりに考えて,出していたことなので,嫌だったら,それならそういうふうに言えばいいことですし,それは私が気を使って出していたので,それがいいんじゃないかと,そういうふうに思ってました。


あなたは気を使って出しているのはいいんだけど,原告の立場になって考えたことがあるかと聞いている。

うん,だから,その立場に立って,体にいいものと思って出してました。


原告が喜ぶだろうと思って,出したわけだ。

そうですね,体のことを考えてましたから。



<家族として一緒にいたかった。>
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先ほどあなたは尋問の中で,2007年1月に,原告からスポーツクラブに行ったらどうかというふうに言われて,行ったというふうに言ってましたね。

はい。


何で原告は,自分も一緒に行きたいんだと,自分も一緒に連れていってくれと言わなかったの。

言いませんでした。


あなただけ行ってこいと。

運動にでも行ったらって言ってました。


原告は,あの狭い部屋で屈伸運動,あなたはフィットネスクラブで運動,余りにも差が激しいんじゃないですか。

でも別に,それで何か文句を言われるっていうこともなかったですから。


原告も一緒に行きましょうやと,あなたは言わなかったの。

言いませんでした。


■<後藤徹氏兄>は,前々回の尋問で,呼び鈴は鳴らないようにしてあったというふうに証言してたんだけど,呼び鈴が鳴らないようにしてあるということは,人が来たときは,どうやって認識をしてましたか。

呼び鈴が鳴らないようにしてあったというのは,どこのことですか。


フラワーホーム。

鳴らないようにしてあったっていうよりは,最初はちょっと鳴ってたんですよ。だけど,そのうち鳴らなくなったので,放っておいたっていう感じです。


いや,■<後藤徹氏兄>は鳴らないようになったって,私はばっちり聞いてますから,そう言ってましたよ。

フラワーホームの呼び鈴は鳴らないようになってましたね。
  鳴りませんでした。
鳴らないように細工がされてたと,もう切ってあった。
  鳴りませんでしたね。

後藤徹氏兄の反対尋問より一部引用>

そうですか。


そう言ってますよ。調書に,いずれ出てきますから。後で■<後藤徹氏兄嫁>がそういうふうに修正してきたのは,また聞いてます。でもそれは嘘だと思っているから。本当は,鳴らないようにしてあったでしょう。

いや,最初,何か変な音で鳴ってたんですよ。


鳴らなくなってからは,どうやって来訪者,特に宮村だ,あるいは元信者,こういった人たちが来たときに,認識をしたわけですか。

ノックしてこられたので,それで分かります。


ノックには,合図があったでしょう,特定の。

いや,別に特定の合図とかっていうのは。


証拠にもいっぱい出ているんだけど,ノックの合図というのは,これも決まり事のように決まっているんですよ。何か決めてったでしょう。

いや,決めてないですよ,別に。


だったら,統一教会のあなた方が言うように奪回に来たときと,そうでない場合とで,どうやって見分けるんですか。開けてしまったとか思って,教会が来たら,どうするんですか。決めてたでしょう。

いや,別に特定して決めていたわけではないので。


決めてなかった。

いや,決めてないですよ。


あなたは先ほど,お父さんが松永に対して,95年の秋頃に,新潟に連れていくということを言ったということでしたね。

はい。


秋頃に連れていくということなんですか。そういうふうに言ったのね。

そうですね,新潟に行くっていう。


だって,原告が了解するかどうかも分からないのに,そういうふうに伝えたの。行かないかもしれないし。

そうですね。そうなったらなったで,しょうがないでしょうけど。


2001年2月,原告が実力行使で脱出を試みた件についてですが,あなた方から言えば,原告は騒いだということなんだけども,あなたや■<後藤徹氏兄>の陳述書によると,このとき原告は2週間いらいらして,家の中をうろうろして,大声で騒いだり,障子やふすまを壊したりしたということなんだけど,原告は何と言って騒いでましたか,このとき。

何か暴力魔とか,そんな感じでしたかね。


暴力魔とか,それだけ。2週間も騒いでおったのに,たったそれだけ。

暴力魔。


それだけ。2週間だよ。暴力魔だけ言ったの。

いや,ちょっとはっきり覚えてないですけども。


覚えてない。

暴力魔とか。


独裁者ですか。

独裁者,うん,そうですね,独裁者とか暴力魔とか。


あなたや■<後藤徹氏兄>の陳述書によると,原告はフラワーホームで,よく自分の思いどおりにならないと,監禁なんかしてとか,監禁していいのかと決まり文句のように言って,家族を非難してたということですが,そうすると,このときも監禁されてると,警察を呼べとか言ってたでしょう。

そのときだったかどうかは分からないですけれども。


原告は,こういうふうに言ってますね。私は,このままでは世の中から隔絶されたまま,一生ここから出られないとの抑えがたい不安感に襲われました。そのため私は玄関目がけて突進し,脱出を試みるようになりました。そして,家族から取り押さえられるたび,私は力の限り,近所中に聞こえるくらいの大声で,出せ,助けてくれ,警察を呼べと何度も何度も繰り返し,及び命がけで脱出を試みました。原告が一番叫んでいた言葉は,出せ,助けてくれ,警察を呼べでしょう。違いますか。

ちょっとはっきりは覚えてないですけれども。


そういうことも言ってたでしょう。

ちょっと覚えてないです。


あなた方の主張では,原告をこの12年5ヵ月間,1人にしたことはないということで,これは■<後藤徹氏兄>の尋問で聞きましたが,そういうことですが,何で1人にしたことが一度もないんですか,子供じゃないのに。

私は家族として一緒に住んでいたっていう,そういうことです。


家族として一緒に住んでたって,幼稚園児だって,幼稚園に行くときは,1人だよね。何で原告だけ1人にしないの。

やっぱり家族として,話合いをしたいと思って,一緒に住んでいたっていう,それまでのことです。


なぜ24時間,付き添わなきゃいけないの。

別に24時間付き添ってたわけじゃないですよ。


24時間でしょう。24時間じゃないですか。1時間でも1人にしたことはありますか。

いや,だって,あれですよ,買物とかにも行ってましたし。


あなたは,その場を離れたことはあったとしても,交代要員がそこにいるわけだから。

でも母が別に1人いたって,それでどうっていうこともないと思いますけれども。


私が端的に聞きたいのは,1時間でも2時間でもいいから,原告をマンションに1人置いて,全員ほかの家族がいなくなった,そういう状況がなぜないのかということです。なぜ。

家族として一緒にいたかったですし,徹もそれを嫌がっていたことはないですから。


徹が24時間付き添ってくれというふうに言ったんですか。

でも,少なくとも,それを拒みませんでしたから。


拒まないけども,そういうふうに望んでいるというふうに,あなたは思ったの。

はい,そうです。



<被告側弁護士フォロー>

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被告■<後藤徹氏兄>外2名代理人(荻上)
荻上守生弁護士(2)

食事の話が出てたんだけれども,その食事内容について,原告は文句を言ってきましたか。

いいえ,言ってきません。


ご飯の量なんかも,随分食べていたということですよね。

はい。


主尋問でも同じ内容が出てましたけど,よく拉致監禁だとかというようなことは,原告は,発言としては,よく言ってたということですね。

話合いに詰まったりすると,拉致監禁だとかって,そういうふうに言って,どこがそれで監禁なんだとか,出てけばいいじゃないっていう,そういうやりとりはあったので。


しょっちゅうあったと,数え切れないぐらいあったということですね。

それは,言ってました。


先ほどスポーツクラブの話とかもあったんだけど,原告のほうから,実際に出ていきたいんだというようなことを言ってきたということは,ないわけですよね。

はい。


出ていけばと言ったって,出ていかない,そういうことですよね。

はい。


だから,あなた方としては,実際暴れたりだとか,そういう発言は,パフォーマンスなんじゃないかと,そういうふうに思ったということですね。

はい,そうです。


被告■<後藤徹氏兄>外2名代理人(山口貴土)
山口貴士弁護士

荻窪フラワーホームのドアなんですけども,ドアにのぞき穴ってありましたか。

はい,ありました。


それは別に普通に使える状態だったわけでしょう。

そうです。


来客が来た場合,そののぞき穴というのから,確認はするんですか。

はい,それは見ます。


徹さんに対して,出ていきたければ出ていけばいいじゃないのということは,ずっと言ってたということですよね。

はい,言ってました。


お母さんと徹さんが2人だけのことというのも,結構あったんですか。

はい,ありました。


あなたと徹さんが1対1のときというのは,結構あったんですか。

はい。


そのようなときに,あなたと徹さんが1対1のときに,徹さんが部屋を出ようとしたことはありましたか。

いいえ,ありません。


お母さんと1対1だったときに,後でお母さんのほうから,徹さんが部屋を出ようとしたと,そういう話を聞いたことはありますか。

いいえ,ありません。



以上

110815_0957~01
<最後に中学生の合唱をお聴き下さい。♪>

次回は、宮村氏の主尋問です。お楽しみに。

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2013-09-12(Thu)
 

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痴呆症にまで 

一年半、同じメニュー。
12年間、四六時中、付き添われるー。
「暴力魔!」「独裁者!」「警察を呼べ!」と叫ぶものの、「外に出たい」「別なものを食べたい」とは言わないー。

う〜ん、こんな人いるか?
痴呆老人くらいでしょうねぇ。

痴呆老人とよくもまあ、話し合いができたもんだなあ。

兄を引きこもりにし、痴呆症にした妹に神様のお許しがありますように。
2013-09-16 21:52 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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