被告松永牧師の反対尋問ー全て家族が決めて行ったこと。私は頼まれて話し合いに行っただけ。
被告松永牧師は主尋問では実によどみなく答えていましたが、反対尋問になるととたんに沈黙としどろもどろでした。以下にアップする証言録の「・・・」の多さは注目です。
沈黙としとろもどろが始まるとともに、松永氏は心臓の苦しさを頻繁に訴えるようになりました。裁判長が休憩時間を入れるほどでした。主尋問ではなかったことです。
「良心に従って真実を述べる。」これは特殊法廷ではなく、牧師の日常的な規範であるはずです。良心に従って真実を述べれば、心臓が苦しくなることはなかったはずです。
松永氏の証言で注目されたのは、原告が提出した、原告が指摘するところの「拉致監禁を成功させるためのマニュアル」にどう答えるかです。(甲98の1、甲98の2、甲98の3、甲99号、甲100号証) なにしろ、松永牧師と代理人たちはこれらの証拠物は「教会から盗まれたものだ」と騒ぐほど、門外不出のものだったからです。
被告側の対策は、「私は知りません」「私は関係していません」「家族、元信者の意見、体験をメモしただけです」
想定問答通りに答えれば良かっただろうが、やはり呵責すべき良心が少しばかりあったのだろう。それで、沈黙としどろもどろに・・・。
証言録には、妊娠している食口への強制説得のことも登場します。堕胎という言葉も飛び出しています。
今回も長文です。途中、気分が悪くならないように、休み休み読んでください。
※最初と中盤で解説を2か所入れています。解説は茶文字としています。



以下の尋問録にはどういうわけか記録されていないが、証人尋問にはいる前、法廷は緊張感に包まれた。当ブログの傍聴記録から、その部分を引用しておく。
(引用はじめ)
法廷に緊張感がみなぎったのは松永氏への反対尋問が始まった冒頭のことだった。
原告代理人の福本弁護士が怒りに満ちたひときわ大きな声で、「尋問妨害だ!」と松永氏の代理人東麗子弁護士、中村周而弁護士を糾弾したからである。
福本弁護士はなぜ怒ったのか。
書面提出の期限について、裁判長は「準備が必要なので尋問日の1ヶ月前に」と指導していた。
ところが、松永の代理人は尋問日の3日前の5月31日(金)の夕方になって、福本弁護士の事務所、裁判所に書面をFAX送信してきたのである。
それも1、2枚の簡単なものならともかく、準備書面、松永陳述書、元信者陳述書など松永氏の3日後の尋問に必要不可欠なものばかり。頁数にして66頁!
福本弁護士は、土日にかけて、その膨大な書面を読み込み、完成していた反対尋問案を大幅に見直さなければならなくなった。「尋問妨害だ」と糾弾したのは当然のことであった。
被告代理人のこの怠惰で不誠実な弁護活動には、いつも柔和な表情の裁判長も内心怒りを抑えきれなかったようで、裁判の最後に、厳しい顔つきで、「裁判所も土日の休日を返上して読まなければならなかった」「遺憾だ」と、被告代理人を叱責した。
(引用終わり)
原告代理人
乙口第16号証を示す。(被告松永陳述書3通目)

これは先ほど,あなたは自分で署名押印したと言いましたね。
はい。
5月28日付け,2ページ目から違うね。
そうですね。
これはあなたは確認して,何でこうなってるの。確認したでしょう。
はい・・・。
答えられないですか。
・・・・・。
28日に署名した。私のところに来たのは31日。その間,3日間あったんだけど,その間に内容を弁護士が書き換えて,2ページ以下を変えたからこうなったんでしょう。違いますか。
分かりません。
あなたは28日に署名してから,この陳述書の変更内容について確認を受けたことはありますか。
・・・ありません。
被告松永陳述書をめぐってのやりとりは、どういうわけか、以上のことしか尋問録に記載されていないが、もっと多くのやりとりが行われていた。当ブログの傍聴記録から、その部分を引用しておく。
(引用はじめ)
福本弁護士が追及したのは、そればかりではなかった。
新たに提出された「松永陳述書」の1頁目と2頁目がつながっていないのだ。陳述書を自ら書いたはずの松永氏は、そのことを福本弁護士から質問されても、なんのことかわからないといった風で、しどろもどろ。福本弁護士の厳しい声が静まり返った法廷に響き渡った。
「被告松永に表紙だけ署名捺印をさせて、2ページ以下は、弁護士が作成して差し替えたために陥ったミスなんでしょっ!」
当たり前の話なのだが、陳述書は陳述者が書面を書いて、それを代理人に提出する。陳述者が書面を書いた証の担保として、書面の冒頭に署名、捺印する。
福本弁護士の推論が正しければ、「松永陳述書」(証拠)は被告松永氏ではなく、被告代理人が2頁目以降を書いたということになり、被告代理人がやった行為はまさに証拠改竄である。
そればかりではない。「元信者の陳述書」も代理人が勝手に修正した痕跡(二重線で削除、削除したという陳述者の捺印がない)があるのである。

<クリックしたら、画像が大きくなります。>
<松永牧師の代理人である東麗子弁護士の事務所(東京リベルテ法律事務所)から原告代理人福本弁護士の事務所にFAXで届いた元信者の陳述書の一部。削除した部分に陳述書の捺印がない。>
つまり、松永氏と元信者に書き直してもらう時間がなく、弁護士が勝手に差し替え、修正したということなのだろう。
お粗末にもほどがあろうというものだ。
(引用終わり)
なお、証拠改竄がそのまま裁判所に認定されてしまえば、当然被告側の不利になる。
末尾に記載されているが、被告代理人は再主尋問で修正を試みている。
<原告が提出した一連の資料についての争い>

<新宿西教会入り口>
原告代理人
原対協の準備会が1987年9月に行われて,<この年月、後の尋問にも出てきます。>10月には結成集会が行われたということですが,原対協というのはいつまで続きましたか。
私の記憶では2000年くらいだと思います。
その後,キリスト者以外の人たちも参加するようになって,名称変更してますね。
それ知りません。
変更してないですか。
・・・・・。
東京の新宿西教会を会場として集まりを持ってましたね。
荻窪でした。
新宿西教会。
それは原対協のことですか。
原対協でもいいです。あなた方の集会。先ほど,私は名前を変えたと言いましたけど,やってませんか。
いや,やってないと思います。
神戸真教会の高澤牧師は神戸地裁で証言したとき,こう言ってます。この会合によく参加する人として,あなたや宮村の名前を挙げて,東京で開催するときは新宿西教会を会場としていたと法廷で証言してる。あなたはそこへ行ってたでしょう。
それはいつのことですか。
高澤が証言したのは1996年です。先ほど,あなたは2000年までやってたと言ったじゃないですか。
ちょっと記憶がないですね。
高澤は,あなたが来てもいないのに新宿西教会でやったというふうに嘘の証言をしたの。
被告後藤隆外2名代理人(山口貴士)
異議あり。誤導だと思います。高澤牧師がそこにいたかいないかについて,あなたは質問していません。言ってないでしょう。
原告代理人
何で。異議として成り立ってません。
裁判長
続けてください。
原告代理人
甲第98号証の3を示す。(被告松永直筆の拉致監禁マニュアル)
これは先ほど,あなたが書いたものだということですけど,1ページの1項に「本人の願うことをしていくならば必ず出てくる。」というふうに書いてあるんだけど,あなたは陳述書でこれについてこういってますよ。信者である子供が願うことをしてやることであって,子供をおびき出すという意味ではなく,親が統一教会について理解し,信者が統一教会の指示に従って行動してることを家族が理解できるようになれば,必ず信者である我が子から会おうとしてくれるという意味だというふうに書いたのは覚えてる。
覚えてます。これは・・・。
親が統一教会について理解することで,何で別人格の子供が親と会おうという気になるんですか。
本人は親が自分のことを理解してくれたと思えば,会うと思います。
ここに書いてある。本人の願うこととしては「イヒ粧品を買う,ビデオセンターに通う,講演会に出席する」「いざ説得の時のために。」と。化粧品を買ったり,ビデオセンターに通うこと,あるいは講演会に行くこと,これはいざ説得のためだと書いてある。いざ説得のため,これはどういうことなの。
これは私が原対協に参加したときのいろんな人たちの意見をまとめたものなんですよ。私の意見じゃないんですよ。それでこういう意見があったということです。
これは自分の意見じゃないことを書いたということなの。
そうです。
これはあなたの信念でしょう。
いいえ,違います。
このようにあなたは指導してたでしょうが。
いいえ,違います。
2項に「家か,親戚の家で一論争し,ひとあばれさせる。そして,逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である。」,これについて先ほどもあなたは,これは原対協に参加してた人のある人の意見だというふうに言ってますよね。
いえ,意見じゃない,体験。
98号証の3というのは集会で話されたことを録取したメモなの。
そうです。
よく見てくださいよ。 1ページ目「子の救出に関して」,2ページ目「車に乗せる前の話し合い」,3ページ目「家族との話し合い」,これは要するにあなた方がいう保護,説得の手順に従った内容をまとめられてるんですね。続く4ページ目「両親に対して」,これは両親に対する言う事項を書いてある。5ページ目「説得中」,これではマンションに保護してからの注意事項がまとめられてる。6ページ目「判定規準」,これは脱会したかどうかを確認する規準。これは,あなたが人の意見をただ単にまとめたんじゃなくて,はっきりいって,手順に従ったマニュアルでしょうが。違いますか。
とんでもないです。マニュアルではありません。参加者がそれぞれ経験したことを私かメモったもの,それをいろいろ聞きながらまとめたものであって。
あなたの陳述書では,この会議では信者本人の了承を得ることが大事という発言があったということを,信者の意思を尊重すべき発言が多々あったというふうに断定的に書いてあるんだけど,そんな発言あった。
もちろんです。
それが多々あったのに,何でここには何も書いてないの。あなたは拉致監禁にかかわるようなことばかり書いて,何でそれをここには書いてないの。一番大事なことじゃないの。
本人の意思を確認するとか,それは当然のことでしょう。
当然だから書かなかった。じゃここに書いてあることは当然のことなんですか。めちゃめちゃじゃないの,これ,書いてあることは。これはまともなことが書いてあるんですか,当然のことが。
当然なことが書いてある部分もあります。
じゃないものもあるよね。
私は賛成できない部分もあります。
5ページ目の「説得中」というところで「絶対に逃げられないのだという意識がない限り,聞こうとはしない。それで4人~6人でとり囲む必要があるのです。」というふうに書いてある。これは信者の了承を得ることを前提とした記述ですか。
これは参加した人の意見なんですけども,経験なんですけども,参加者の中に,家族と話し合おうとするとその話合いから逃げてしまうという。だから話合いに直面するというか,向き合うということ,その向き合うという意識がない限り,実は話合いができませんよと。
それで4人から6人で取り囲む必要があるの。
ですからその当時,おっしゃった方の意見は,親戚や友人,本当に心配して,あなたがきちっと話し合わないと解決しないよと。だから話し合ってほしいと,そういうことを経験として語っておられましたね。
甲第102号証(メモ)を示す。(被告松永直筆の信者父兄向けて書いた拉致監禁計画書)

これはあなたが書いたメモですね。
はい,そうです。
あなたの筆跡ですね。
はい。
左上に「救出」「話」とあって,その下に「多数5~6人」と書いてあって,これは保護に動員した人数じゃないの。
それは先ほど言った,保護じゃなくて家族の話合いに,本人が話合いに向き合ってほしい,そして本人の承諾を得たいために家族がこのようにして話し合うわけですよ。
これは保護に関する,あなた方の言う保護,Xデーに関する実行メモでしょう。
いえ,違います。
車に乗せてどこか移動する。バツが後部座席の真ん中にある。これは本人をここに乗せて,車でどこかへ連れていくということでしょう。
これはある方の記録をメモしたものに過ぎません。
それはあなたのかかわった保護でしょう。だからあなたが書いてるんでしょう,これ。人のせいにするんじゃないですよ。
いいえ。
これはあなたがかかわった保護でしょう。
いいえ,これは・・・。
違うんですか。あなたは全くあずかり知らない保護というの。
これは・・・。
被告松永代理人(中村)
異議あり。脅迫的なことを言わんでください。冷静に聞いてください。
原告代理人
脅迫じやないですよ。冷静ですよ。
被告宮村代理人(山口広)
今の異議の部分も調書に残しておいていただきたいと思います。
原告代理人
どうですか。これも実は右翼で出されたその子の・・・。

被告宮村代理人(山口広)
福本さん,あなた離れなさいよ,少し。離れなさいよ。
<原告代理人が証言席に近寄って質問していることへの抗議。>
右翼で離れた・・・。

被告松永代理人(中村)
離れなさい。
これは先ほど言いました朱光会,暴力団で家に帰された子。この子は北海道で一度,話し合ったんですよ。そして分かったと言って帰ってきたんですよ。でも,帰ってきたとはいえ,まだ親としては心配が,その言動を見てて。それで親が親戚を集めて話し合った。そしてアパートに連れてきて話し合ったと。実はそういう経過なんですが。
原告代理人
そういう話が書いてあるのね。
いや,そういう経過なんですが・・・。
裁判長
あなたが関与したことですかという質問なんです。
原告代理人
あなたが関与してないんだったら,それでいいじゃん。
いえ,説明させてくださいよ。
裁判長
あなたが関与したかどうかをまずお答えください。
原告代理人
この保護にはあなたは関与してないのね。
いいえ。
関与したの。
いえ。
裁判長
イエスかノーかでお答えください。
いいえ,関与したとかしないじゃなくて。
裁判長
イエスかノーかでお答えください。
関与した,しない・・・。
原告代理人
朱光会と言ってたじゃない。関係ないんじゃないの。あなたは朱光会とつるんでたの。
・・・・・。
裁判長
関与したかどうかをお答えしてください。関与してないなら先に進みますから。
これは話合いに関与しました。
原告代理人
この下のほうに「連絡時間」,1日朝,2日,3日7時とか7時半,9時から10時と,これは誰に対する連絡なの。
ですから,これはある方が実はこういうふうにやったんですけども。
私が聞いてるのは誰に連絡をするのかということを聞いてるんです。結論を答えてよ。
説明しないと分からないんですよ。
結論を答えてください。
裁判長
聞かれたことだけお答えください。
被告松永代理人(中村)
関与というのがどこまでが関与なのかとよく理解してないと思うんで,どういう関与ですかというふうに言ってください。
裁判長
先に行って結構です。
原告代理人
これはあなたに対する連絡じゃないのかと私は確認してるの。どうですか。
ですから,これ・・・。
違うんだったら違うと答えりゃいいじゃないですか。
これは私が,もし私に連絡するなら,この時間しか私は連絡とれませんよということです。。
甲第98号証の3を示す。(被告松永直筆の拉致監禁マニュアル)
4ページ目に「説得者の許可なく外出はしない。」「(1)のことは絶対に本人に言わない。」「親の目から見て,まだ信用できない。ということにする。」と。これは体験談なの。体験談じゃないよ。これはマニュアルだよね。
いいえ,これはそこに,原対協に集まった方の意見です。そしていろいろ苦労して苦労して,そういう苦労の中から,実はこういうことがあったんだという,その体験談ですよ。
このページ全体を見てください。ここに書いてあるのは,親に対する留意事項がたらたら書いてあるんですよ。これはマニュアルでしょう。違いますか。
いえ,マニュアルではありません。
「説得者に許可なく外出はしない。」と書いてある。説得者というのは牧師やカウンセラーを指す言葉ですね。そうですね。
いいえ,それだけじゃないです。
ほかに誰がいるの。
先ほど言いましたね。高校の教師とか。
高校の教師も説得者なんですか。
ええ,いろんな方がかかわってますので。
じゃ原対協には高校の教師も来てましたか。
いえ,高校の教師・・・。
来てないでしょう。
ええ。原対協に来てくださった方は牧師やカウンセラーや,そのほか,元信者の方とかいらっしゃいましたね。
説得者というのは元信者を指してるの。
いや,だからいろいろな説得する人がいるわけですから,これはそういう意見でした。

<これはマニュアルでなく、体験談だと語る松永牧師>
98号証の3の5ページ目の3「親の権威をもってつぎのことは制止する。」「外に出してくれ」「話を聞け,それは信用できない。」これは話を聞けと言って,出すのを制御するということですか。だめだと,認めないということなんですか。
これも参加者の意見をまとめたんですけども,このような話,経験をして,そして本人がそのことを聞いてくれたと。だから親の権威が本人の・・・意思を尊重しながら権威をもって話合いをしてほしいと,そういう意見がありましたね。
そういう意見を書いただけだと。
はい,そうです。
「②話したくない」「私がお願いにきてもらったのだ。話を聞きたくないなら,いつまでもこの状態が続く。」とあるけど,このいつまでもこの状態が続くというのはどういう状態が続くんですか。
これはその方が言うには,家族で話合うんだけども,いつまでも並行状態が続くという,そういう意味で話合いが進みませんよという,そういう意味でおっしゃってました。
「③断食」「どうぞ,どうぞ,断食して下さい。動けなくなったら逃げられないぞ」。この逃げられないというのはどこから逃げられないの。断食しようとする人はどういう状態にあるの。
ですから,この意見があったということなんですけども,私は,これは少しどうかなと,そういうふうに思います。
その人のケースは監禁されてたケースでしょう。あなたがお聞きになったというそのケ-スは。違いますか。
いや,私はそれは分かりません。
その方はそう言ってませんでしたか。
ええ。
監禁してましたと。
いえ,そんなことは聞いてません。

<あくまで原対協で出た意見を書いただけのものと主張する松永牧師>>
98号証の3の6ページ目「判定規準」「以上をクリアーして,外出は許される」云々といっぱい書いてあるね。
うん。
二の1項目から8項目,これをクリアしないと外出は許可されないということなんだね。
・・・これも参加者の話でありますが,私は陳述書に書いたんですけども,家族の中で,自分の子供が本当に自分の間違いに気づいたり,あるいは家族の関係が回復したかというのをどうやって判定したらいいか,そういう相談に対して,こういうことがありますよということをおっしゃったと言うんです。
違うでしょう。どうやったら外出を許可するかについて,具体的に本人がどうなってるかという基準を書いてあるんですよ。そんな話じゃないですよ。どうやったら外出許可するかの条件が書いてあるんだよ。
外出するかどうかは,これは家族と本人が話し合って決めればいいことですよ。ですから私はこの判定規準については反対です。
ここまで見ると,このあなたのメモには3力所,外出の許可が要るんだということが書いてある。これは単にあなたが人の意見を書いただけじゃないでしょう。あなたの信念でしょう。
とんでもない。
他方において,本人の了解を得るなんて一言も書いてないよね。
それは当然ですよ。本人の意思を尊重しなければ話合いなんかできないんですよ。

<松永牧師は、この判定基準に反対と言う。>
甲第101号証の3を示す。(被告松永拉致監禁指南講義VTRの反訳書)
13ページの4行目に「第1,電話をします。第2に逃げます。今までの例でお風呂に入るふりをして逃げるとか,トイレに行った,トイレに行ったらトイレの窓から逃げるとか。親というのはそこまで考えないですよ。トイレに行ったら窓があるわけでしょ。だったらちゃんと窓を見張らにゃいかんですよね。ドアのとこだけ,ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね。窓なんですよね。」と書いてあるね。あなたのこれに対する陳述書はこういってるんです。このドアというのは玄関部ではなくて,トイレのドアのことなんだと。信者がトイレに立てこもるという話だと弁明してるよね。
はい。
これをよく読んでくださいよ。 これはトイレに立てこもるんじゃなくて,トイレから逃げていくという話だよ。何でトイレに立てこもる話なんですか。違うでしょう。
これは自宅で家族で話し合ったとき,話し合うときのことなんです。けども,私はまだこれを作ったとき,よく分からなかった面もあるんですけども,ここでは自宅で話し合うとき・・・鍵なんか,ドアの鍵なんか,ドアの鍵っていうのは外から入ってこれないようにするものですよね。トイレのドアは中から鍵かけるものですよ。だから本人はトイレの中に入って,実は立てこもることですよ。ですから鍵かけられちゃったら話合いができないわけですよ。
ずばり聞きましょう。あなたがかかわった案件で,トイレから逃げた例がありますか。
ありません。
ないのに何でこんな注意をするんですか。
そういうことを元信者の方から,こういうことがあったですよということを聞いたからです。
「同じページの下から9行目に「それからこういうこともやりますよ。こういう紙にメモ書きして,そしてしわくちゃにして,知らんぷりして親が見ていない隙に窓からポンと投げるんですね。私は何の誰べえです。今どこどこに監禁されています。電話,どこどこのどこどこの教会に電話して下さい,そういうことを書いて投げるわけですよ。親はそういうのを知らない。」と。こうやって信者が救出依頼メモを外に投げるのを警戒する注意喚起をあなたはしてるんだね。
これは,統一教会の対策の中でこういうことが言われてたので,こういうことを親は知っておかないかんですねって,そういう意味ですよ。
実際にそういう例があったでしょうか。
ありました。
あなたのかかわった例で何回ぐらいありましたか。
これは1件ぐらいですね。
そもそも救出依頼メモ,私は監禁されてますという救出依頼メモを出すということはどういう状態にあるんですか。
ですから本人は監禁だと言うんだけど,家族は話し合いなんですよ,これは。
先ほどの原対協の会合だけども,信者がトイレから逃げた事例や,あるいは救出依頼メモを投げた事例,こういった情報交換がありましたね。
・・・私はあんまり聞いてません。
高澤はこう言ってるんですね。 1980年代中頃から,高澤だけではなくて,全国の牧師等も統一教会信者を部屋に拘束して話し合うようになったというふうに証言してる。そこを具体的に読むと甲20号証の1,高澤調書の25ページの1行目以下,これは尋問期日が96年5月。問い,「そうすると,拘束しだしたのはいつからですか。」,高澤は,「今申し上げたように10年ぐらい前からだと思いますが,それは私だけではなく,全国的なそういった救出に携わってくださっている牧師さんたちも大体統一した,そういうことだと思います」と書いてある。あなたはこの原対協で高澤とこういう話をしてたでしょう。違いますか。<甲20号証は、高澤守牧師が神戸地裁で証言した調書>
いいえ。
高澤は法廷でこう言ってる。
高澤先生は知ってますけども,高澤先生がそういうことを話したかどうか私は知りません。
証言調書を証拠で出してますよ。読みましたか。
読みません。高澤先生がそういうことをやってたことすら知りません。
先ほど,原対協が,そういった会合を新宿西教会でやってたことについてあなたは否認してましたけども,栄光教会以外でどこでやってましたか,東京で。
・・・東京の・・・教会だったり会館だったりしたので,ちょっと私,いつかどこだが記憶してません。
88年7月に森山牧師が倒れて,また,宮村も扶を分かって出ていったんですけど,それ以降は栄光教会じゃないはずですよね。どこですか。分からない,覚えていない。
・・・一応,いろんなところでやってましたね。
そこに高澤は来てましたね。
いらっしゃったりいらっしゃらなかったりしたと思います。
来てたことは来てたということね。
はい。
<資料は作成前に盗まれた???>

先ほどのあなたのビデオ,これは87年10月頃に偽装脱会中の信者に盗み出されたんだというふうにおっしゃってましたよね。
はい。
87年10月ということでいいんですか。
その頃だと思います。
その他の資料,100号証だとか98号証の1,2,3とか,この辺もそうですか。一緒に盗まれた。(甲98号証は拉致監禁マニュアル、甲100号証は松永直筆の新津地区原理対策協議会レジュメ)
・・・いつ盗まれたとか,それは私自身が確認してないわけですから,ですから私はいつ盗まれたか分からないんですよね。
Mさん<被告松永に説得を受けた元信者>の陳述書では, 1987年10月頃に自分は通ってたと。87年11月頃からは統一教会に復帰する準備を始めて,T部長<当時の統一教会の対策部長>ら,アベルらと話し合ったりしてたと。そのときにTさん<被告松永に説得を受けた元信者>がT部長に対して,自分が新津教会から盗み出した資料についてゼンボウから取材を受けたと話していたと。ということは,この話によると87年10月に資料をTさんという人があなたのところから持ち出して,ゼンボウの取材を受けたということですかね。そういうふうに言ってますね。
うん。
その頃に持ち出されたということですか。
Mさんの証言によればそうですね。
このあなたのビデオですけども,これは先ほどのあなたの証言だと,元信者と父兄に見せたところ,これはちょっと適当ではないということで使うことをやめましたと言ってましたね。
はい。
それ以外の人にも見せたでしょう。
いいえ,見せてません。
牧師とかにも見せたでしょう。
そこにH牧師とか,そういう名前書いてありますよ。
H牧師にも見せた。
相談したんです。
あとは。
ありません。あと・・・荻窪の森山先生にも相談しました。それ以外,見せていません。
先ほど,私が,元信者と父兄以外,見せてないんですかと言ったら,何で、いや見せてませんと言ったの。
私,陳述書にそう書いてあるんですよね。H先生とか森山先生にちゃんとお見せした。さっきそう言ったと思うんですけどね。私,ちょっと確認しないと。
このビデオだけど,父兄に貸し出してましたよね。
いいえ,貸し出してません。
実際,これは父兄に貸し出してたやつを偽装脱会中の信者がコピーして,教会に持ってきたんですよ。違うんですか。
いえ,貸し出ししておりません。
先ほどのMさんの話だと,持ち出した資料,ビデオとかその他の資料,87年10月頃だと思われるんだけども,甲100号証,これは88年4月17日に作ってるものなんだけど,おかしいよね,87年に持ち出したやつに何で88年のものが含まれてるんですか。
ちょっと意味が分かりません。
甲第100号証を示す。(松永直筆の新津地区原理対策協議会レジュメ)

<後の尋問でもつっこみが入ります。>
これはあなたが書いたものですね。
はい。
4月17日とあるんだけど,これは新津地区原対協ですから,ということは,もともとの原対協の発足が87年9月ぐらいだったかな,87年でしょう。新津の原対協だからその後。 したがって,これは88年4月17日と,曜日を見ると,どうもそれは88年と思われるんだけど,そうすると,盗み出そうにも87年10月にこれはないよね。
それとどう関係あるんですか。
ないものを盗み出したんですか。
いえ。
Mさん<前出の被告松永に説得を受けた元信者>が盗み出したと言ってるんだから。でも違うでしょう,これ。
いえ,そういう意味じやないでしょう。もうちょっと時系列に考えてください。
<甲99号証(相談依頼手続き書)は誰が作成したのか?>
甲第99号証(相談依頼の手続きについて)を示す。(被告松永の教会に信者脱会依頼に訪れた父兄に向けて作成された相談依頼の手続書)

これはあなたが作ったものじゃないとおっしゃいますね。
はい,私か作ったものではありません。
誰が作ったの。
分かりません。
保護に当たってる父兄が作ったの。
・・・私は知りません。
ここに書いてある事実について,事実かどうかについて確認します。
でも知らないものなんですよ。
これに書いてある事実の内容について確認します。本文の1行目に「相談依頼の手続きは以下の要領にて申し込んで下さい。 1.「依頼者相談記録」に必要事項を記入し,最新の写真を添付して提出して下さい。」。あなたのところの勉強会では,最初にまずこういう手続をとってましたか。事実として確認します。
私は直接かかわってなかったので,確かなことはちょっと言えません。
でも,こういう申込書があったら,当然,あなたはカウンセリングするために,その申込書の内容を見て,どういう人なんだろうかとかどういう問題があるのか確認してるでしょう。
特にこういう記録は,私は覚えてないんですよね。
でも写真までついてるわけでしょう。本人の写真を見るじゃないですか。
被告松永代理人(東)
これはなかったというふうな前提なので,写真がついてるか記録があったかどうかは前提にしないでください。
私,分からないんですよ。
原告代理人
次に「説得依頼受諾条件」と書いてあって,1から6まで書いてあるんだけど,あなたはここに書いてあるのは知らないというわけ。
だって,これそのものを私,書いてませんので。
ここに「説得者」と書いてあるんだけど,これはあなたのことじゃないの。
ですから,これは私,誰が書いたのか分からないんですよ。
新津教会で説得者というのは,あなた以外に誰がいますか。
話し合う人は元信者もいれば,いろんな方がいました。ですから説得者なんていうのは私だけじゃないです。
そんな多数の人を指して,ここでは説得者云々と書いてあるんですか。
ですから,これは私か書いたものではありませんと。
そうすると,あなたは知らないと言うけども,父兄が,父兄かどうか知らないけど,勝手にこんな説得受諾条件という,勝手に設けるの。
いや,だから私は分からないですよ,これ,言われても。
条件の2というところです「説得終了後,被説得者の意志を十分尊重すること。特に本人が信仰を持ちたいと願う場合はそのことを勧める。」とあります。要するに本人が脱会した後,キリスト教の信仰を持ちたいという場合,親は反対しないで勧めろということでしょう,ここに書いてあるのは。
ですから私が書いてないのを聞かれても答えようがないじゃないですか。
父兄にそういう発想があると思いますか。
そう聞かれても私,何とも言えないですね。
3というところに「救出の順番の前後の家族と協力すること。始めて経験することは,対応が困難です。協力しながら,経験を積んでください。また,救出終了後は未経験者と協力して良き相談相手になってください。具体的には2~3日泊り込んだり,夜だけでもいいから,協力すること」。あなたの教会ではこういうことはやってましたか。
こういうことはしていません。
「救出の順番の前後」と書いてあるんだけど,そういうものは存在しない。
しません。
そうすると,自分のところは今日保護しますとみんなばらばらにやっていくと,あなたは手いっぱいで,できなくなっちゃうんじゃないですか,説得者として。順番がないとそういう事態になりますけど。
いえ,順番なんかありません。
4というところに「救出後は「すみれ会」に加入し最低6ヵ月は役員となり,毎月の父母会に参加し,また,毎週の学習会に参加し,未救出者の相談にのったり,積極的に協力すること。」とあります。あなたの教会ではこういうことをやってたわけね。(「すみれ会」とは被告松永の教会の父兄会のこと)
ですから,これは私が書いたものじゃないんですよ。
事実として,そういうことがあったかどうかを聞いてるの。
いえ,こういうことはありません。
甲第100号証を示す。(松永直筆の新津地区原理対策協議会レジュメ)
これはあなたが書いたというよね。2というところに「どのような協力ができるのか。(1)日旺日の午後の相談会に出席し,末救出者の相談にのる。(2)脱会者十父兄で救出計画の相談をする。」「3.役員係の選定」と。これは先はどの4項と同じ内容ですよ,趣旨は。あなたが書いてる内容じゃない。
どこが共通してるんですか。
どのような協力ができるかといって「日曜日の午後の相談会に出席し,未救出者の相談にのる。」「救出の順番の前後の家族と協力すること。始めて経験することは,対応が困難です。協力しながら,経験を積んでください。また,救出終了後は未経験者と協力して良き相談相手になってください。」いってる内容は同じ内容じゃないでか。
ですから,このことは私,分かりません。
でも,私は100号証について聞いた。
ただ,これについては。
あなたが書いたんでしょう。
ええ。ただ,これは協議会というか,その案であって,それをどうするかについて話し合って,そして父兄の方がこういうことをやりますと言っただけであって,こういうことを相談しましたよということなんですよ。。
その結果,99号証になってるわけでしょう。<被告松永の教会に信者脱会依頼に訪れた父兄に向けて作成された相談依頼の手続書>
違います。
![Cafe10_anniversary[1]](https://blog-imgs-59-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/201308241657135e7s.gif)
<次の尋問に入る前に、コーヒーと音楽でおくつろぎください。>
<H家族との関わり>
ここからかなり長く、H家族に関する尋問が続く。登場人物が多く、しかもイニシャル表記にしているため、わかりづらいと思われる。
そこで、関係を整理しておく。
拉致監禁された人は、HYu(次女、当時妊娠5カ月。結婚相手は韓国人)。
長女のHMも統一教会員だったが、拉致監禁はされていない。
拉致監禁した人は、HY(母親)、CH(三女)、HA(伯母)、KH(叔父)、HS(いとこ)。
尋問録を読んで頭が混乱するのは、監禁した側のHY(母親)とHA(伯母)の立場が監禁を批判する側のそれとなっているからだ。2人は、監禁したことを後悔し、原告側から陳述書を提出した。母親は、陳述書の代わりに長女の質問を答えるビデオ録画を提出。
なお、三女のCHは被告側から陳述書を提出している。
甲第44号証(ノート)を示す。(三女が被告松永の教会で行われた「父兄勉強会」や「2DAYS」参加したときにノート)
これはHY(母親)さんの娘でHYu(次女)さんの妹,CH(三女)さんが書いたノートですね。事前にあなたはご覧になりましたね。
はい,見ました。
12枚目の右側の段で「心情教育」と題するところの本文3行目「「イ可故窓にカギがかかってるの?」ときかれたら「新聞やTVで5階から飛び下りてケガをした子がいて,心配だからだよ」」。下から8行目「だいたい1週間位は興奮が収らないし,文句ばかりいっている。」13枚目の左側の1行目「あばれたら「大人しくしなさい」「静かにしなさい」と言ってもムダなので,まずはあやまる。それでもあばれてたら「こうしなければ話し合いできなかった」。7行目「家で1時間話すのが原則。」「ラチがあかないから…」といってやや強引につれてくる方が,ウソついて連れてくるよりずっとまし。」。下から4行目「人身保護願いが出されたら…? 留守宅に届けられたら留守人が郵便局に返す。」,こういったアドバイスが書いてあるんですけども,あなたのところの教会の学習会ではこういうアドバイスがされてるんですね。


<Hさんが勉強会に参加した際のノート>
<クリックしたら、画像が大きくなります。>
これは元信者や父兄の方がいろいろな体験をここでも話し合ってることですので,私はそのことを一つ一つ確認してるわけじゃないんです。
じゃあなたの関与してないところで,学習会でこういう話がされてるということですな。
私はいつも繰り返し言うことは,本人の意思を,それに反することはしないでほしい。私,何回も言うんですよ。その中で父兄たちがそれぞれ経験したことを分かち合って,こうだった,ああだったという,これはその記録だと思います。
HYu(次女)の保護ですけども,あなたはHYuさんが妊娠中であったということはあらかじめ知ってたということですね。
妊娠中であったことは知ってました。
先ほどのあなたの話だと,元信者が妊娠中だから反対した。しかし家族が押し切った。じゃあなたは反対しなかったの。
<注釈:Hさんの話しは初めて出るので、あなた(松永牧師)の陳述書によると、の言い間違いと思われる。>
いいえ。反対よりも,家族は何とか娘を幸せにしたいと思って。
私が聞いてるのは,あなたが反対したかどうかを聞いてるの。家族のことは聞いてないの。
私が反対したかどうか。
あなたは元信者が反対したとしか書いてないから,あなたは反対しなかったの。
私は・・・。
結論を答えてよ。イエスかノーか。
・・・もうちょっと・・・。
答えられないんでしょう。
いえ,そんなことないです。
じゃ答えてよ。
私が反対したかどうかっていうのは,家族の方は・・・要するに。
裁判長
家族の方はよろしいので,あなたが反対したかどうかだけをお答えください。
私は賛成ではなかった。だからそれはいけないとか,それは基本的には妊娠中の方を,それは私は反対です。反対しました。
反対した。
反対っていうか,これは・・・難しいですよと。こういうことしちゃいけないですよと。
原告代理人
実際,保護しちゃいましたね。その場にあなたは行きましたよね。妊娠中で保護されてる人のところになぜ行ったの。
それはいつも言いますように,話合いというのは本人の了承なしに私たち,行かないんです。本人が話してもいいと言わない限り,私たち行けないんです。だから本人の人権っていうか,本人の意思を,それに逆らうような形で私はできないんです。
本人がいいと言ったから行ったわけだ。
本人が来てほしいと言うから行ったんですよ。話したいと言うから行っただけであって。
HYuさんは当時,妊娠5ヵ月,妊婦に必要な定期検診に一度も行かせてもらってない。これもあなたの指示ですか。
いいえ。
誰の指示。
家族です。
家族の指示。
家族の話合いの中でそれはなされていくことです。
甲第105号証の2(反訳書)を示す。(母親のビデオ録画を文章にしたもの)

あなたは105号証の1で提出されてるHM(長女)さんとお母さんのHYさんが会話してるビデオは見ましたか。
見ました。
14ページの10行目「長女:次女の拉致監禁に向けて,次女の帰国前に,松永牧師とも協議したんでしょうか。母親:はい,しましたね。」
しません。
「長女:夜,次女を●△からマンションに連れて行くとき,次女はどんな様子だったんでしょうか。母親: 怯えていましたね。」。15ページの17行目「長女:妊婦だった次女を拉致監禁して,脱会説得したことを,どう思いますか? 母親:後悔してます,すっごく。絶対今度はそういうことできない。本人の心にもズタズタに切り裂いてね,絶対そういうことを今度,できないです。申し訳ないと思っています」。下から5行目「長女:監禁中の次女の状況は,松永牧師に報告はしていたんでしょうか? 母親:報告は,報告する人が決まっていて,報告していたと思います,その状況は。長女:決まっていたというのは,誰がやっていたんでしょうか? 母親:私の考えでは,KH(叔父)さんではないかなっと思ってます。長女:部屋の窓を開けていいかどうかとか,次女を何時解放するかといったことは,全て松永牧師の許可がなければできなかったことだったんでしょうか? 母親:そうです。長女:次女以外の信者も含めて,統一教会信者に対する拉致監禁を手段とした脱会説得を指導しているのは松永牧師だったんでしょうか?母親:そうです。」今,読んだ内容,これはビデオで見ましたよね。こういうふうにやりとり,娘とお母さんがしてる内容。
見ました。
これをあなたは見て,どういう感想ですか。
これは全然違うことを言ってますね。
全然,嘘。
そうです。
でたらめ。
でたらめというか,そういうことよりも,私たちはいつも,私は本人の意思を大事にしないけないと再三言ってるわけですよ。
親戚で保護に駆り出されたHA(伯母)さんという方も甲134の1で陳述書を書いて,すべて松永牧師の指揮下においてHYu(次女)さんの監禁を行い,自分自身も松永牧師の許可が出ないためにマンションから外出を禁止されたというふうにいってますが,これも嘘ですか。
そのようなことはしていません。
甲第49号証の4(メモ)を示す。(被告松永直筆のH家に向けて書いた拉致監禁計画書)
これはあなたが書いたものですね。
私の字ですね。
先ほど,これについて,これはHY(母親)さんとCH(三女)さんの希望を聞いて,あなたが話した内容だというふうに言ってましたね。
はい。
そうなんですか。
そうです。
希望とは何なんですか。
HY(母親)さんは少し依存的なところがあったので,何をしたいんですか,どうしたいんですか,それで私か,娘の救出をしたいって言うから,この方は多分, 2400万と下に書いてあるから,借入れをしてたわけですよね。経済的な被害があったわけですよね。その被害の回復を自分はどうしたらいいんだろうかって。そういうのは弁護士さんにお願いするしかないよと。そして長女が帰ってきたら,どうしたらいい,あなたどうしたいんですかって私のほうからHYさんに聞いて,HYさんがこうしたい,こうしたいって言うから,ああそうですかって私は書いただけなんですよね。
先ほど,あなたは私が尋問した中で,あなたは妊娠中のHYu(次女)さんの保護について反対したんですかと聞いて,随分,もじもじした後,最終的には反対しましたと言いましたよね。反対した人がこういう保護の実行の計画みたいなものをお母さんから言われて,書きますか。
このときは,HYu(次女)さんが妊娠してるなんてことをお母さんは言っていません。
だって,これは保護の実行直前に書いてるものでしょう。
いや,違うと思いますよ。随分,前です,これは。
随分,前からこういう計画を立ててたんですか。
いえ,本人の希望を聞いただけです。
HYu(次女)さんが妊娠してるかどうかって極めて重要な事実で,それを言わないでこういった具体的な,どうやって連れてくるかという,こういう話をするわけないですよ。
ここに妊娠ってこと,書いてありませんように,これはずっと,お母さんがやめて間もなくのことだと思います。
中段の線で囲われたところですけども「訪ねてきた→①1人,②2人」とありますが,これはHYu(次女)さんが1人で帰ってくる場合とHM(長女)さんと2人で帰ってくる場合について,それぞれ場合を挙げて想定した内容ですね。
これはお母さんがこういうふうにしたいと。でも,それは私は本人の気持ちを大事にしないかんですよと,娘さんの気持ちを大事にしないかんですよと,そういうふうに何回も言ったんです。
私が聞いてるのは,①,②として1人の場合と2人の場合と書いてあるからHM(長女)さんと2人で帰ってくる場合とHYu(次女)さんが1人で帰ってくる場合に,想定を分けて当時,書いてたということでしょうと聞いてるの。違うんですか。
いえ,これはだからお母さんがこういうふうにしたいけども,いいですかって。とんでもないって。これは本人の気持ちを無視しちゃだめですよと。
1人の場合のところを見ると「むかえに来て」と書いてあって「新潟のマンション」と書いて,その下のほうにはテーブルか何かに2対2で向き合ってて,周りに人が囲んでるような,それから車が出発する,そういう図になってるんだけども,これは要するに1人が来たら,そのままマンションに連れて直行する。2人なら一旦,家に行って,大勢で取り囲んで,HYu(次女)さん1人だけをマンションに連れていく。こういう計画じゃないんですか。
ですからこれはお母さんがそう言ってたんですよ,こういうふうにしたいと。でも,これは本人の気持ちを大事にしないと話合いには入れませんよと,そう言ってただけですよ。
お母さんはここまで考えてたわけだ。
いえ,お母さんからいろいろ聞いて,これ書いただけですよ。
HYu(次女)さんは監禁中にいとこのHSさんに,妊娠5ヵ月を過ぎても堕胎手術をしてくれる先生を探してあげたと言われてるんですけど,妊娠5ヵ月過ぎて中絶するのは違法というよりも,堕胎罪,犯罪ですよね。これはあなたの指示ですか。
いいえ,そんな指示は一切ありません。
あなたの指示じゃないとしても,親族としてここまでのことを考えさせるというのは一体,誰のせいですか。
いや,私,関係ありません,それは。そんなこと指示するはずありません。
あなたはHYu(次女)さんから,窓の外くらい見せてくれるようにしてほしいと懇願されたとき,私は知りません。そんなことはお母さんがしているんだから,お母さんに言いなさい。HYu(次女)さんの陳述書の5ページ。そう言ってませんか。
ですから保護している,話し合っている。それは家族の責任でやってることですから,私の責任ではないです,それは。
そのときは,窓の外ぐらい見せてくれと言ったにもかかわらず,それはお母さんに言えと言ったの。
いえ,私はそれ聞いてません。
言ってないの。
そういうことは聞いてません。
でも先ほど,家族がやってることだと言うから。
ですから話合いの場とかそういうことは,私たちは本人と家族の方が来てほしいと言うから行くだけです。
<その他原告側から提出された陳述書等の確認>
あなたはW,旧姓SSさんに対する説得にかかわっていますけども,Sさんのお父さんのSKさんの陳述書<甲26参照>は読みましたね。
はい,読みました。
SK(父親)さんはあなたから,拉致監禁の方法について具体的な指導を受けて,親族を集めて予行演習までやった上で,Sさん(娘)を拉致監禁し,あなたの許可があるまで解放しなかった。そしてあなたへの報酬支払で一財産取られたというふうにいってるんですが,これは事実ですね。
事実ではありません。
これは全部,嘘。
そうです。
あなたは川嶋英雄に対する説得もやってますが,川嶋英雄は当時,監禁されてたんじやないですか。
家族の話合いをしてたようです。
甲第118号証(陳述書)及び甲第19号証(拉致監禁百二十日間)を示す。(川嶋英雄の陳述書と彼が書いた冊子)
118号証の資料,日記,及び甲19号証の32ページ以下の監禁現場での日記ですが,まず手書きのやつ。それとワープロに直した日記,甲19号証。この内容はあなたは読みましたが,この日記は。
はい,読みました。
19号証の38ページの冒頭「まさに出口なし。である。おりの子がはい出ることもできない。」同43ページ下段の6行目「「出してほしい」と訴えても,家族は「牧師にきかないと分からない」言い,牧師に言うと,「それは家族の問題だから」と逃げられる。ひどい話だ。」。ここに書いてある内容は監禁以外の何物でもないでしょう。アリも出られない。
この話合いの主体はあくまでも家族なんです,私たちはそれを聞いて,少し資料を提供したりしながら,本人の家族のサポートをするだけです。ですから,これは家族が決めることです。
じゃ家族はこういうことをしてたということだね。違いますか。あなたは知らないけども,家族はこうしてたと。
家族に対しても私は,本人の意思を重視してくださいと何回も言ってます。
小出医師に対する説得についてですが,92年7月にそれまで宮村のもとで荻窪に保護されていた小出医師をあなたのほうで引き継いで,新潟で保護することになりましたよね。
はい。
このとき,小出医師について人身保護請求<甲32の1>が出されてることは知ってましたよね。
いいえ,知りませんでした。
いつ知った。
いいえ,知りません。
ずっと知らなかった。
はい。
ずっと知らない。
はい,知りません。
新潟にずっといた間,全然知らない。
知りません。知らされてませんし,分かりません,それは。
一般論でいいです。あなたがかかわる保護で,保護する場所って大体1力所ですよね。
どういう意味でしょうか。
1人について何力所も使いますか。
それは行く家族もそれぞれの家庭で,自分たちのために子供が帰ってきたら,話合いしようって用意しておられるところはあります。
だから普通は一カ所でしょう,やるのは。原告の場合も新潟では1ヵ所。
もちろんいろんなケースがあります,それは。そんな1つとか,それはできません。
小出医師の場合,どうかというと,最初はヴェルドミール万代というマンション,1ヵ月後にはビジネスホテル,ホテル・サンシャイン,さらに10日後には上越市内のアパート,その後,新津ロイヤルコープのマンション,その後,再びヴェルドミール万代,さらにその後は山荘,真光寺ビレッジ,その次,新津市内の中山マンション。場所を転々としてるんですけども,何で小出医師のときはこんなに転々とするんですか。
家族の会がありまして,小出さんと相談しながらやってたことですよ。
小出さん本人。
いえ,お父さんですよ。
お父さんと相談して,お父さんの要望で・・・。
お父さんの依頼で,これ進めてるわけですよ。もちろんお父さんは,本人の承諾をとってたと思いますよ。
これだけ転々としたのは,人身保護請求が出されてたからでしょう。それ以外ないです。
分かりません,それは。私は知りません。
先ほども示したCH(H家の三女)さんのノートにこう書いてあったじゃないですか。人身保護請求が出された場合の対処方法として,裁判所から書類が来ても郵便局に返して受け取らないんだと。さっき書いてあったよね。これはそもそも小出医師の教訓をもとに書いたのね。
いや,そうじゃないと思います。
どういう教訓ですか。この人身保護請求,ほかにどういう事例が。
家族の会の中で経験した人がいたからだと思います。そういうことはじゃなくて・・・。
誰が経験したの。
それは,ちゃんとそれは,新潟の場合は私,記憶がちょっと定かでないんですけども,ちゃんと裁判所に出て,自分は監禁されていませんと,話し合っていたんですと。
私の知る限りでは,新潟関係では小出医師だけです。違いますか。
違いますよ。
その方からそれを聞いて,こういうやり方がいいんだというふうに書いたの。
だから,その方の経験だと思います,そのご家族の。
ご家族の経験とはいえ,裁判所から保護請求が来たら,それを受け取らないで返すというやり方はあくどくないですか。そんなことをあなたが指導してるんですか。
いや,そういうことは指導していません。

<ここで美しい日本の風景でも眺めて、心を一度浄化しましょう。クリックしたら、画像が大きくなります。>
<新津教会の信者はどこから?収入はどこから?>
小出医師の陳述書<甲27参照>によると,新津教会を建設する資金に関連して,あなたが脱会させた元信者やその父兄に献金を要請して,借入れも依頼していたということですが,これは事実ですね。
いいえ。献金っていうのは誰かに言われてするものじゃないですよ。私はそういうことをされるときに受け取りません。本当にそういうことをしたいんならば,したいと望まれる,どうしても。それだったら献金は自由ですからしてくださいというか,私のほうからお願いするわけじゃないですよ。
教会は自己資金だけで建てたの。
借金はしましたよ,それは。
借金はあるかもしれないけど,頭金もなしじゃ銀行は貸してくれませんよね。
土地がありますからね。ですから私たちは私たちの名義で借りたんじゃないです。包括法人の名前で借りたんです。
その借金はどうやって返したの。
被告後藤隆外2名代理人(荻上)
献金を受けてないとは言ってませんよ。
原告代理人
借金はどうやって返しましたか。
教会の献金によって返しました。
甲第128号証(創立30周年記念誌)を示す。(荻窪栄光教会創立30周年記念誌の巻末「教勢と財勢」)
後ろから2枚目,これは教勢と財勢ということで,どういうふうに教会の教勢人数と献金,どう伸びたかと書いてあるものなんですね。80年代から急激に人も金も増えてる。これは時期的に,統一教会の信者をあなた方でいう保護をし始めてから急激に伸びてるんですよ。あなたの教会でも同じことが起こってるでしょう。同じことをやってるんだから。

<クリックしたら画像が大きくなります。>
起こっていません。
本当はあなたが行う信者の脱会活動というのは,信者獲得と収入の獲得でしょう。違いますか。
違います。
甲第142号証及び甲第143号証(いずれも上申書)を示す。(いずれも、被告松永によって、拉致監禁、脱会強要の被害を受けた人の上申書)
甲142の13ページの6行目「その礼拝参加者は,ほとんどが松永牧師が統一教会から強制的に脱会させた人達やその父兄らであったことから,私は松永牧師が信者獲得の為に統一教会への迫害を行っていることを知り,非常に腹立たしく思いました。」。甲143の11ページの2行目,これも同じ年,昭和63年に書かれたものですが,同様の被害を受けた別な方の陳述書ですけど「松永牧師は,統一教会を脱会させたあとは,脱会者と家族らを自分の教団の信者になるようにしており,信者獲得の為に,卑劣な監禁・改宗作業を行なっており,悪質であると言わざるを得ません。」と。これは昭和63年,まだこの裁判が起こるも起こらないもない昔に書かれた陳述書にこう書かれてる。これはあなたのやってる活動の真実を突いてるんじゃないですか。
これは事実ではありません。
あなたは被告教団との使用・被用関係を否定して,新津教会は独立していると主張してますけども,教団も答弁書で認めてるんですが,牧師に対する研修を行い,著しい非行があれば,牧師の資格を剥奪することができ,法人参加の牧師人事も個別教会と被告法人本部との合議で決められるというふうにいってるんだけど,そういうことでしょう。これは被告教団も認めてる。
そうです。
一般論としてですけど,仮に被告教団の傘下の教会牧師が違法な手段を用いて,暴力,拉致監禁を用いた教勢拡大を行ってる場合に,被告教団としては当然,調査して,事実関係を確認して,場合によっては資格の剥奪をしなきゃいけない事案じゃないですか。
ですから・・・。
一般論として聞いてる。あなたがそうだと言ってるんじゃない。一般論として。
強制改宗とか監禁作業とか,まずそういうことは私のところではしてないことと同時に,本当にそういうことをしてるんだったら,教団のほうからちゃんと調査が入ると思います。。
あなたが統一教会信者に対する拉致監禁を行ってるということが被害者からの告発をもとに出版された雑誌や書籍で流布されてますけど,被告教団のほうからこの点について調査,確認を受けたことありますか。あんた,こんなこと書かれてるぞというふうに。
書かれていること自体がどこまで真実なのか,私はそういうことを一切してないんです。教団もそのことを分かってます。。
分かってるから,教団から確認もしなかった。
もちろんそうです。
甲第36号証(陳述書)を示す。(被告松永によって、拉致監禁、脱会強要の被害を受けた人の陳述書)
26ページの後ろから5行目以下,これは平成6年に書かれたものなんですけど,この人は本件と同様にあなたと宮村から脱会説得を受けた人ですが「松永牧師の新津福音教会には,統一教会の元信者だった若者六,七人通っていました。彼らがいるので教会が復興しているという印象があり,「(若者が多く集まり)復興する教会のモデルケース」ということで,教団からも注目されていました。」と書いてあるね。注目されてたの。
いいえ,注目なんかされてません。
でも,教勢が拡大して,献金も上がってる。当然,教団のほうからそういうふうにどうしたんだということを聞かれたんじやないですか。
そういうことはありません。私たちのところに残る信者はおりません。本当わずかです。みんな,それぞれの自分の故郷に帰っていきます。ですから私たちのところに残る人はそんないません。みんな,家庭に戻るわけです。
<Xデーは誰が決めるのか?>

甲第13号証(ノート)を示す。(被告松永によって拉致監禁、脱会強要を受けた元信者、KHが拉致監禁されている原告、後藤徹のもとを訪れたことなどを記した日記)
この日記を書いたKH,これはあなたが説得して脱会させた人ですね。
話し合ったことはあります。
この人は脱会したんでしょう。
・・・・・。
違いますか。
やめましたね。
この人は脱会後,あなたの子供の家庭教師とあなたが経営する幼稚園のバスの運転手をさせられてたと書いてあるんですが,そうですか。
いいえ,させられたわけじゃないです。
自分がやりたいと言ったわけ。
本人が経済的に大変だから,何かやることないかと。私のほうで,じゃこういうことをアルバイトの形でやってくれたら,あなたの生活の足しになるかなということで,本人の願いに応じただけです。
13枚目,95年11月16日,木曜日の箇所ですが「昨年の今日,僕は拉致された。そして,今は,当時,考えてもいなかった。反牧の息子さんの家庭教師,それから反牧の経営する幼稚園のバスの運転手になっている。僕は早く原理に戻るべきだ。」,下から3行目「だが,言おう。僕は前の職場で責任があった。そして,公園の設計を頼まれていた。11月の下旬までには提出する予定だった。」とあるけども,この人は拉致監禁されて,前の職場の仕事ができなくなったんですね。そういうことですか。自分で拉致されたと。そういうことですか。
拉致じゃなくて,家族の方が息子の将来を案じて,息子と話し合って,そして本人が私たちの話,私たちに来てほしいと言うので話し合って,それでやめただけですよ。
4枚目の冒頭,95年8月3日「汚ねえー」「俺はマンションの中でうそをつかれて説得された。」「すべて裏工作があった。」「牧師よ。あんた,いったい何なんだ。早く,ここをおさらばしたい。」,この人,あなた方が主張するような保護の実態だったら,こんなことを書きますか。この人,拉致監禁されてたからでしょう。あなたに感謝なんかしてませんよ。
・・・先ほどから繰り返すようですけども,家族が本人の意思を尊重しながら話し合ったんです。その中で彼の状況がこうだった。これは私もちょっと陳述書にいうんですけども,やめても心が揺れるわけです。それで彼はこういうときもあったんだなと思います。
あなたたちは保護の実行日をXデーと呼んでますね。
それは家族の中で,あるいは親の会の中で,家族の会ですけど,中でそういうふうに言ってたことはあったと思いますけども,私はそれを特に強く言ったわけではありません。
あなたの話だと,原告の家族が95年6月頃から,初夏ですか,五,六回,新津教会に来て,礼拝や家族の相談会に参加し,その年の10月半ば頃,■<後藤徹氏の父>から電話があって,今,新潟のマンションで徹と話し合ってるので来てくださいということで,元信者と一緒にマンションを訪ねたということですか。
そうですね。でも,ちょっと・・・徹さんの会いたいというか,会うということについて認めてくれたので,来てほしいと,そういうふうにお父さんにお願いされたんです。
私が聞きたいのは原告の場合には,保護実行直前の打合せも何もなく,あなたの知らないところで家族が勝手に保護して,新潟に連れてきて,然る後にあなたに説得を頼んだということなのかということ。
そういうことです。
先ほど,お尋ねしたHYu(H家の次女),あるいはSSのときにはXデーに当たって,事前にあなたが身柄確保,保護の指導をしていますよね。
いいえ,していません。
甲第102号証を示す。(前出の、被告松永直筆の信者父兄に向けて書いた拉致監禁計画書)
先ほど,あなたは,午前中に示したこの右の下のところ,これはあなたが書いたところね。1日朝、2日,そして3日,連絡時間7時、7時半,9時,10時,これについて,父兄から連絡するんだったらいつだったらいいですかと言われて,もし連絡するんだったらこの時間ですよというふうにあなたは言ったというふうに言いましたよね。
これは,実は話合いが終わったその方の話を聞いて書いたんです。
先ほど,あなたに聞いたら,いつがいいですかと聞かれたんで,この時間ですよと答えましたと言ったんです。
ですから,その話合いが終わったその人が私に対して,連絡する時間がどの時間帯がいいですかと言われて,私はその人に,私の空いてる時間はこの時間ですよと言っただけです。
それは事前の話じゃないですか。
いえ,ですから同じことを繰り返すようですけども・・・。
被告松永代理人(東)

このメモの作成経緯を確かめていただけませんか。
原告代理人
いいです。
被告松永代理人(中村)
Hさんとは全然違いますよ。
被告松永代理人(東)
かみ合ってないと思うんで。
全然,意味が違うんですよ。
原告代理人
HYu(H家の次女)さんの件で先ほど,あなたのメモを示していろいろお聞きしましたよね。
HY(母親)さんでしょう。
HYu(H家の次女)さんの保護の件で。
HY(母親)さんでしょう。
HYu(H家の次女)さん,妊娠してる。
そのメモはHY(母親)さんのことでしょう。
HY(母親)さんのときじゃないでしょう。
いえ,だからHY(母親)さんに,HY(母親)さんのそれを聞いたってことでしょう。
希望を聞いて書いたとおっしゃってましたよね。
はい。
そこでは,2人で帰ってくる場合と1人で帰ってくる場合,いろいろ想定されてましたけども。
私が想定したんじゃないんです。
想定したのをあなたが書いてあげたんでしょう。
だからそれはお母さんがどうしたいのかって聞いて,私はそれを書いただけです。
でも事前にそういう話があったことは間違いがないわけだね。
・・・・・。
事前にそういう話があったことは間違いないわけね。
そういう相談があったことは間違いないです。
原告の場合,何で事前に保護実行のXデーの話がないの。
ですから先ほど言ったように,HY(母親)さんは少し依存的なところがあって,それで自分はこう考えてるんだけど,そういうことを相談,実はされたんです。けども,後藤さんは,後藤さんのこれは,こういう話し合いっていうのは家族が主体でやることですから,人に相談してやることじゃないんです。
あなたのところに原告の説得の依頼の話が来たときに,原告の家族は水茎会に入ってることは知ってましたね。
そのことは私は知りません。
だって水茎会に出入りしてる写真が撮られてるんだけど。
いや,でも私は知りません。
あなたに一切,そういうことを言わなかった。
だって水茎会,入ってる入ってない,それは私の大事なことじゃないですもん。
同じ保護をやるわけでしょう。
いいえ,保護じゃないです。話合いです。
保護じゃないんですか。
はい。
保護も違うということ。
・・・・・。
重要な話でしょう。これから保護しようという人があなたのもとに五,六回も通ってきた。しかも■<後藤徹氏の兄嫁>さんはあなた自身が脱会させた人,そんな疎遠な人じゃないですよね。東京で水茎会に出ているという事実をあなたに話さないわけがないでしょう。
話さないです,それは。ですから依頼された場合は,その話,内容を聞くことはあります。聞くことはあるけれども,いろいろ詮索することはありません。お父さんのおっしゃることをメモするだけです。
あなたは先ほどの話だと,原告が新潟に来てるということを知ったのは,95年10月半ばにお父さんから電話があって,説得を依頼されたことで知ったと。
はい。
それ以前は知らなかったの。
はい。
全然。
ええ,もちろん。
じゃ何で10月半ばと特定して覚えてたの。
電話があったからです。
だって随分,昔の話だけど,10月半ばってどうして分かるわけ。
ですから電話があって。
手帳を見た。そのとき,手帳を見て。
いえ,手帳なんか見ないですよ。あの頃だったなとただ思い出しただけです。だって考えてみりゃ,95年っていったらもう十何年たってるわけでしょう。思い出すの大変ですよ。だから10月頃と書いたんですよ。
10月半ばと書いてある。
ええ,そうです。大体10月頃だなということが分かっただけで。
半ばというのはどうやって確認したの。
だから記憶を思い出して,半ば頃だったなと思って,それを書いただけです。
要するに9月15日に保護されて,あまりに早く知ったらちょっとまずいと1ヵ月ぐらいずらしたと。
そんなことないです。
あなたは何度も原告のもとに訪ねていったようだけども,最初の頃,原告の様子というのはどんな様子でしたか。
最初の頃,少し緊張したかなと思いましたけども。
平然としてた。
そうですね。
全く動じていない。
はい。ちょっと緊張は感じましたけども,しばらくすると普通に接してくれましたよね。
先ほど,あなたは元信者と同行したというふうに言ってたけど,具体的に誰を連れていったの。
その頃,世話人をしておりました多分,I(松永の説得を受けた脱会者)さんだと思います。
Iさんだけ。
はい。
何人も来たと言ってるよ。
いや,そのときは。
そのときというのは最初に。
最初に行ったときのことです。
それ以降は。
それ以降は・・・。
Kも行ってるよね。
いや,私は一緒には行かなかったと思います。
Kは一緒に行ってないの。
はい。
Kはいつ頃,行ったの。
いや,覚えてません。
でも,あなたに言われなきゃ行かないよね。
そんなことないですよ。
何で。
だって元信者の方は,行くときは私の指示で行くわけじゃないです。
甲第13号証を示す。(前出の、被告松永によって拉致監禁、脱会強要を受けた元信者、KHが拉致監禁されている原告、後藤徹のもとを訪れたことなどを記した日記)
12枚目,95年10月4日「もう新潟に来て一年になる。今日,後藤さんの所へ行った。今,後藤さんはどんな気持ちでいるか。本当に一人孤独に戦っている。かわいそうだ。どうか,神がいるならいるならなんとかしてくれ」と書いてある。先ほど,原告は平然としてたなんて言ってたけど,こんな様子だったんじゃないですか。
いいえ。ご本人がよく知ってますよ。
KHが書いたのは,これは勝手に嘘を書いてるということですか。
こんなことじゃないです。後藤さんはお元気でしたよ。
あなたのかかわる保護で,マンションに連れてこられたその日に,私は嫌だと言って出ていった人はいる。
私は知りません。
そんな人,いないでしょう。
知りません。いないんじゃなくて知りません。
あなたが保護にかかわったWEさん<被告松永によって拉致監禁、脱会強要を受けた信者>という人は知ってますね。
はい,ありました。
甲第27号証(陳述書)を示す。
33ページの下から12行目,これは小出医師が偽装脱会中にあなたのもとで脱会活動に従事していたときのことを書いてるものなんですが「私は,松永牧師と元信者の女性一人と共に,ロイヤルコープの部屋の準備のために行きました。部屋の入り口のドアを本人が開けられないようにするためのチェーン式の鍵も,教会から持って行きました。窓は内側から開けられないようにする器具を取り付け,障子戸なども開かないように釘で打ち付けました。このような拉致監禁のための事前準備は,全て松永牧師の指示どおりに行いました。部屋の準備が整うと,彼女の到着を待ちました。やがて親戚10人くらいに取り囲まれて,本人が運ばれてきました。WEさんは「離してよ。離してよ」と叫び続けていました。」。あなた方がやってる保護というのはこういうものですな。
違います。

<クリックすると画像が大きくなります。>
<偽装脱会を疑っていた!?話し合いで家族がバラバラに!?>
あなたは先ほど,原告をリハビリに出させなかったのは,本人がリハビリをしたいと言わなかったから。それと家族の話合いを優先したからというふうに言ってましたね。
そうです。
リハビリって本人が申し出てくるものなんですか。家族が行け,あなたが行けと言うものじゃないんですか。
それは話合いを終わるにしても始めるにしても,家族が主体になって話し合ってるわけですから,私はただお願いされて,話しに行くだけなんです。
ずばり聞きますけれども あなたは原告が脱会表明をしたけけれども,偽装脱会を疑ってましたよね。
いいえ。
疑ってなかった。
分かりません。偽装脱会なんて分かりません。
分かるか分からないかじゃない。疑ってるかどうか。
いえ,疑っていませんでした。
過去にこの人が偽装脱会で逃げたのは知ってましたよね。宮村のもとから逃げた。これは知ってますね。
それは聞きました。
そうしたら当然,またじゃないかと普通は思うわけ。
けれど,本人がやめたと言うならば,それを信用して付き合うのが牧師の務めです。
だったら,なぜリハビリに行かせなかった。
家族が,まだ家族の話合いが不十分なのでもう少し話し合いますと。家族の願いはそうでしたから,私は言えません。
あなたは日頃から偽装脱会を疑えと,警戒しろというふうに指導してるでしょう。
いえ,そんなことしてません。
あなたはビデオでそういう注意をしてるじゃない。だまして逃げていきますよと。
それは私が注意するって,統一教会では反牧対策があるからこうですよと言っとるだけです。
本人たち,家族がまだ話合いが必要だということで,結局,それから1年半,新潟に居続けたんだよね。
1年半ですか,もっと短いでしょう。
1年半ですよ。その1年半,話合いが延々と続いたの。
そうです。
一歩も外に出ないで。
それは家族が,本人も話し合ってることですから,私は何とも言えません,そこは。
脱会すると言ってるんだから,さっさと社会復帰させたらどうかとか,あなたは助言しませんでしたか。
しません。
何で。
だってそれは家族のことでしょう。家族が主体になって話し合ってるのを私はそういうところに口出しできません。
あなたは家族の対話が重要だとか今も言ってるけども,しかし結局,その結果,あなた方がやってるほうの結果,家族間の信頼関係がめちゃくちゃに破壊されてる例がたくさんありますよね。
いや,もともと統一教会の教えによって,多分,私はほとんどが,家族がめちゃくちゃになってるのかなと私は思いますよ。それを何とか互いに話し合って,よい関係にしてほしいっていう家族の願いがあるからこそ,相談に来るんだと思いますよ。
原告の家族はいうに及ばず,小出医師の家族,Hさんの家族,川嶋君の家族,みんなめちゃくちゃですよね。それは誰の責任ですか。
・・・・・。
統一教会の責任。

ですから,それは誰の責任じゃないですよ。家族が話し合って話し合って話し合って,そこで家族の信頼関係が築かれるならば,その家庭は僕は回復していくと思うんですよ。
原告を東京に連れていく際に,教会の車を使って,ワゴン車を使って行ってますね。
いいえ,違います。
あれは何の車なんですか。
何の車って,誰の。
そのとき,使った車はレンタカーですか,それとも元信者の個人の所有物ですか。
それは分かりません。私は知りませんから。
教会にはワゴン車があるよね。
教会,ワゴン車というよりも,園児のためのバスです。
それしかないんですか。
はい。それにはちゃんと教会の名前もロゴマークも入ってるわけですよね。
T<元信者>が運転していったんだけど,それ以外にもSとかいう元信者と女性の元信者が同行してるようなんですが,これはあなたの指示で。
いいえ,知りません。
東京に移動する。そこで原告の話し合い,説得を担当するのは宮村だということは知ってましたね。
知りません。
荻窪に行くわけでしょう。
だから荻窪に行ったことすら知らないんですよ。
荻窪に行ったことすら知らないで,あなたが初めて宮村のもとにいるというのを知ったのは,先ほどの話だと98年の春。
そうです。
それまで一切知らなかった。
はい,そうです。
しかし,あなたも何年も原告の説得にかかわっていながら,その後のことは一切知らないというのは無責任じゃないの。
ですから話合いっていうのは,私たちのできることはわずかなんですよ。家族が話合いの主体の中でやって取り組むわけですから。
97年12月に原告は偽装脱会してたということを家族に明かしてるんですが,このことはいつ誰から聞きましたが。
・・・聞いておりません。
あなたは先ほど,98年に宮村から知らされたときも聞いてない。
いえ,知らされて分かったんです。
後藤徹は偽装脱会しとったんだということを宮村から知らされた。
そうです。
あなたのもとで説得を受けて,脱会した人が偽装脱会だというのを表明して,家族はあなたに一言も言わなかった。
そうです。
その後,あなたは原告のもとに一度,訪れましたね。荻窪フラワーホーム。
はい,訪れました。

何のために会いにいったの。
徹さんが偽装脱会したっていうことを聞いて,そして家族ともう一度向き合ってほしいなと,そういう気持ちがあったからです。
原告はあなたに会いたいというふうに言ったか。
家族の方が,ぜひ会ってくださいと。
家族の方が言ったかもしれないけど,本人の了承がなきゃあなたは行かないと言ってるから聞いてるの。本人が来てくれと言ったの。
私は直接,本人からは聞いてませんけども,家族の方から聞いてます。
本人があなたに会いたいと言ってると。
はい,私が行ってもいいですかっていうこと。本人は・・・来てもいいですよということを。
本人は否定してるよ。
ですから分からないです,私は。家族の方がおっしゃったことですから。
当然,あなたは新潟でだまされてたわけでしょう,偽装脱会で。そのことについてあなたは原告に対して何と言ったんですか。
いや,私は何にも言いませんよ。
だって,あなたが2年間だまされてたことについて,何も話に出ないわけないじゃやないですか。
ですから本人が私をだましていたことをすみませんでしたって謝っていることは,私は徹さんの気持ちを素直に受け取ってるわけですよ。
その後は,訪れた日以降は原告はどうなったかとか,あなたは聞いてましたか。
聞いてません。
一切聞かなかったの。
はい。
原告は2008年2月に解放されてから,刑事告訴だ何だということで騒がしくなりましたよね。
はい。
それまで知らなかった。
そうです。
実際には牧師や元信者の間では,宮村が長年,信者を監禁し続けてるということはうわさになってたでしょう。
だから知りませんって。
被害弁連にいた伊藤弁護士はこのうわさを2回ほど聞いてる。原告が,原告という個人名ではないけども,長い間,宮村のもとで監禁されてる信者がいるということを2回も被害弁連の伊藤弁護士は聞いてる。このことは被害弁連や元信者の間では有名な話だったと。その話があなたの耳に届かない。
届きません。
青春を返せ裁判というのがずっとありましたよね。
ありました。
その青春を返せ裁判では伊藤先生も新潟でやってましたよね。
被告松永代理人(中村)
やってません。冗談じゃないよ。
原告代理人
青春を返せ裁判の話の中で,こういう原告の話が出てませんか。
知りません。
<被告側弁護士のフォロー尋問>
![thumb_20130607070624_51b107e0bf938[1]](https://blog-imgs-59-origin.fc2.com/a/n/t/antihogosettoku/20130828021643995.jpg)
被告松永代理人(東)
乙口第16号証を示す。(この尋問録の冒頭に登場した松永の陳述書)
先ほど,あなたは内容を確認してないとおっしやいましだけど,内容を確認していますね。
はい。
これはあなたが書いたもので間違いないですね。
はい,そうです。
これが1個ずれてしまったの,さっき確認してないと言ったのは何を確認してないとおっしやったんですか。
1行抜けてるなということ,そのことを,ちょっと急いでたもんですから,見落としてしまいました。それだけです。
これはあなたが書いて,確認したものをこちらのほうに送ってくださったものということで間違いないですよね。
そうですね,はい。少し郵送期間が遅れて申し訳ありませんでした。
改行ミスということですか。1行抜けてしまったということは。
そうですね,はい。
甲第102号証を示す。(前出の、被告松永直筆の信者父兄向けて書いた拉致監禁計画書)
先ほどから問題になってるやつですけど,あなたはどういう作成経緯だったか言っていただいていいですか。これは誰に対して何を話したものなんですか。
これはこれから救出しようとする方が,以前,救出された方のことについて聞きたいと,そういう願いがあって,ただ,聞きたいと言った相手の方は右翼の朱光会によって娘を出してもらったということがあって,話合いが終わった後も,実は親の会,家族の会に来なくなったんです。それでどうしても聞きたいと言うので,その方に,こういう方がいるんだけども,あなたの実情をお話ししてもいいですかと許可をとって,そして,この方がどういうふうにして救出したのかということを,救出というか,話合いをしたのかということを相談に来てる方にしつこく聞くもんですから,こんな形で話したんですよと。そして,その右翼から出された人のことですけども,その方に対しても,もし私に連絡するならば,この時間しか私,家にいませんから,何かあったときだけに連絡下さいと。それで時間を書いたんです。
そうすると,このメモを作成したのは,相談に来た家族に対して,あなたが説明した内容を書いたものですね。
そうです。
その相談した家族のこれからやろうという計画ではなくて,前にあなたが話し合いに関与したと先ほどおっしゃってましたけど,その家族の話し合いに至る経緯をあなたがその家族から聞いた話を伝えたものと,そのときに作成したメモということでよろしいですか。
はい。ですから,前にやめた方が来てくださって説明してくだされば分かることなんです。
結局,これはあなたの手元にあったということなんですね。
そうです。
甲第100号証を示す。(前出の、松永直筆のH家に向けて書いた拉致監禁計画書)
これはさっき,私がまとめて95号証から102号証までがロッカーから出されたものというふうに言ってしまいましたけど,100号証はあなたが誰かに渡したものでいいわけですね。
そう思います。
ここに「△△△△△」と書いてありますけれども,この方に渡したものということなんてすか。
と思います。
甲第101号証の3を示す。(前出の、被告松永拉致監禁指南講義VTRの反訳書)
13ページですが,下から8行目,9行目あたりのところにマーカーが引いてあるところかおりますね。ここの部分について先ほど,あなたは,本人が監禁したと言っていても親と話合いなんですということを言ってましたけど,それはどういう趣旨ですか。ちょっとあなたは焦って言ったようだけれども,言ってもらっていいですか。
本人は家族の話合いであることを分かってたんですよ。けれども,統一教会に入りまして,その対策講座の中で何でも拉致監禁,拉致監禁って言われるので,こういうふうに書いたんだと私は思います。
そうすると,あなたは統一教会の対策講座では,承諾して行ってる話合いでもこういうことをしろと言われてるから,こういうことをしてしまうことがあるので注意してくださいという内容を言ったということなんてすね。
はい,そうです。
先ほどからあなたは,本人の意思を尊重して,あるいは家族が主体になって話合いをしてということでしたけど,今回,原告が主張してるのは,本人の意思に反した話合いをしてるのだというふうに言っていますけれども,あなたは牧師として相談を受けるわけですけど,もし本人の意思を尊重しないで話合いをしたりしたら,それはどういう結果になりますか。
それは家族の関係がなかなか回復しません。
あなたとしては,相談に来た家族には,家族の関係を回復してもらいたいと思ってるわけですよね。
もちろんです。
そうすると,あなたとしてはやはり本人の意思を尊重しろというふうに言うということなわけですか。
そうです。
被告宮村代理人(山口広)
先ほど,原告代理人のほうから陳述書を示されて,あなたのやってることについての非難の陳述書を読まれましたね。
はい。
あなたは事実と違うんだとおっしゃいましたね。
はい。
どうして事実と違う内容の陳述書が信者から出てくるんですか。
・・・多分,私か話合いというと,それは監禁と書くんですよね。それから本人と話合って,本人がやめると強制改宗になるわけですよね。ですから私は何で,あんな98号証の3をマニュアルだ,マニュアルだと,そうじゃないにもかかわらず,マニュアルであるかのように言ってくる。
それは分かりますが,私が聞いてるのは,原告側から出てきてる現役信者の陳述書の中にあなたの認識と違うことが随分書かれてるわけでしょう。
はい。
それはどうしてそういうふうになるんだと思ってますか。
・・・統一教会の対策なんだろうなと思います。
対策というのはどういう意味ですか。
話合いを拉致監禁,そして本人が間違いに気づくと強制改宗というように言わせられてるんじゃないかと思います。
先ほど来,あなたが関わることによって家族の絆がズタズタになったじゃないかという非難の質問もありましたけど,あなたの認識では,あなたが話合いをすることによって,家族はどうなってますか。
家族は回復しています。
家族の絆を取り戻すことを手伝ってるという,そういう実感があるわけですか。
はい。
原告代理人
先ほど,現役信者があなたに不利益なことをいっぱい書いてるのは対策だというふうにおっしゃったけども,SK(SSさんの父親)さん,HY(母親)さん,HA(伯母)さん,この人たち,信者じゃない。でも,あなたから拉致監禁を指導された。あるいは外出許可を認めてもらえなかった。何でこの人たちはこういうことを書いてるの。ビデオにも写ってる。
それは事実と違います。
何でこの人たちは。この人たちは教会の教え込みじゃないでしょう。何でこういうことを言うんでしょうか。
それは対策だと思います。信者に対する対策じゃない。家族に対する対策です。
家族が教会からこういうふうに嘘を書いてくれと言われて書いたということですか。
私はそう思います。
以上

傍聴者の呟き:今夜は、松永牧師は悪夢にたいそう苦しむのだろうな。アーメン。



怪しい伝道師のささやき:もしもしそこの牧師さん、悪夢で眠れないなら、一服どうですか?今夜はぐっすり明朝はパラダイスですよ。
<画像をクリックしたら、怪しい伝道師・・いや、可愛いスーミンが大きくなります。

次回は、兄嫁さんの主尋問です。
これからも後藤徹氏を応援してくださいね!!
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知らぬ存ぜぬで通せばよかったのに…
この尋問録を元に一部再現してみたいと思います。
妊娠した次女(HYu)の脱会説得(保護)を計画している母(HY)が松永を訪ねてきたシーン。
HY:「HYuが1人で帰ってきたら、そのままマンションに直行。もし、2人で帰ってきたら、一旦、家に行って大勢で取り囲んでHYuだけをマンションに連れて行こうと、考えてますのよ」
松永:「そうですかぁ。1人で帰ってきたら、…(メモを取る)。で、2人で帰ってきたら、…(メモを取る)。そんなことを考えているんですね」
HY:「うまくいけばいいんですけどね。緊張しますわ」
松永:「私はそういうのは反対ですよ。本人の意思に反することをしてはいけませんよ」
〇保護計画実行
HY:「なんとか計画通りに行きましたわ。松永先生、話に来てくださいませんか。HYuが話したいと言ってますので」
松永:「そうですか、では、参りましょう」
こんなストーリーはまずあり得ないが、無理して、松永の証言どおりに(松永に有利になるように)再現してみました。松永の言うとおりに再現したのだが、それでも松永はクロになる。
松永は、HYuが無理やりマンションに連れてこられたことを知っており、その上で、マンションに行っているのだから。
どんなに「家族が決めたことで、自分は呼ばれたから行っただけ」「自分は本人の意思を尊重するように再三言って聞かせていた」と連発したって、保護計画にスタートから関わっていたことには変わりない。
知らぬ存ぜぬでしらばっくれるしか逃れる道はなかったのに、裁判長から尋ねられて「反対していた」「関与していた」と答えて、犯罪行為に対する認識・関与を認めてしまったのはマズかった。
お気の毒様です。
よい子の皆さんへ
作文の宿題がまだなら、「こんな大人になりたくない」というのはどう?
例えば
ぼく(わたし)は、ブログで本当のさいばんのようすを読みました。
ビデオとか、メモとかしょうこをつきつけられても、「人のはなしをメモしただけ。」「作ったけど見せてない」と言ってました。
おなかに赤ちゃんがいる人をとじこめたことも、「自分ははんたいした。」「かぞくがきめた。」「来てとおねがいされたから、行った。」と言ってました。
赤ちゃんをおなかから出すはなしもありました。
それも、「知らない」と言ってました。ママに「どういういみ?」と聞いても、「わからない」というへんじでした。
わからないこといっぱい言ってた人は、ぼくしさんです。
ぼくしさんはかみさまについてお話しする人です。
ぼくしさんがうそついたり、ごまかしたり、人のせいにすることに、びっくりしました。
ぼく(わたし)は、うそついたり、ごまかしたり、人のせいにする大人にはなりたくないです。
正直な大人になりたいです。
と、ここで、地上のママに、「人の宿題じゃなくて、自分の宿題しなさい!」と怒られた。シュン。
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