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被告後藤徹氏の兄の主尋問-この裁判自体が拉致監禁反対キャンペーンだと主張


被告の一人である後藤徹氏の兄の主尋問です。
被告の中では尋問時間が一番長く,午前午後にわけての尋問でした。
したがって,先回の記事にもまして,かなりの長文です。


この主尋問の様子はこちらに記載されています。
傍聴者によれば,「まるで役者のセリフが合っているかどうか、舞台監督(被告代理人の弁護士は6人)が脚本を見ながら確かめているような感じ。朗読劇を鑑賞しているみたい」だったとのことです。


なるべく読みやすいように、画像などを随所に貼り付けましたので,是非最後までお付き合いください。


<後藤兄、移動途中に車から脱出をはかりもみ合いに。警察の介入を受ける>

被告■<後藤徹氏の兄>外2名代理人(山口貴士)
山口貴士弁護士
乙イ第10号証(陳述書)を示す
この陳述書は,あなたが内容を確認した上で署名押印したものに間違いありませんか。

はい。


第1回目の話合いのことですけども,徹さんを呼び出したのは誰でしょうか。

父です。


話合いの計画を立てて,ホテルの部屋や荻窪のマンションを手配したのは誰ですか。

父です。


水茎会に,順番待ちの名簿というのはあるんでしょうか。

私の知る限り,ありません。


uketsukebo1.jpg
<後藤氏の兄は否定しているが、原告側が順番待ちの名簿と主張している水茎会の受付簿。右上の771という数字こそが順番待ちの通し番号だと原告側は主張している。>

あなたが宮村さんの手伝いをしたために,徹さんに対する話合いの順番が早まったということはあるんでしょうか。

ありません。


あなた自身が話合いによって脱会したとき,宮村さんはかかわっていましたか。

はい。


宮村さんは,どのような形でかかわっていましたか。

話合いの場に来て,話をしてくれました。


何回来たんでしょうか。

1回です。


時間はどれくらいですか。

1時間ぐらいです。


それだけですか。

はい。


徹さんは,あなたが車に押し込められて拉致されたんで,車の中から出ようとしてもみ合いになって,警察官が来るような騒ぎになったと,そういう趣旨のことを述べているんですが,事実ですか。

事実ではありません。


どのように違うのでしょうか。

拉致ということではなく,父に話合いをしようと言われて,ちょっと強引さも感じましたが,車に自分で乗りました。


途中,あなたは車から降りようとはしましたか。

はい。


それは,なぜでしょうか。

統一教会にいるときに,精神病院に何か入れられて,薬を打たれて廃人にさせられるような話を聞いたことを思い出したからです。それで,ちょっと怖くなりました。で,車から出ようしました。


その際に,もみ合いにはなりましたか。

なりました,はい。


なぜもみ合いになったんでしょうか。

私がちょっと窓から出ようとしたもんですから,危ないと思って止められたからです。


警察官は来ましたか。

はい。


警察官が来て,どうなったんでしょうか。

八王子警察に連れていかれて,そこで事情を聞かれました。


その事情を聞かれた結果,どうなったんでしょうか。

事件ではないことが分かって,私も落ち着きを取り戻して,家族,父親としっかり話し合ってくださいとも言われたので,父とまた一緒に車に乗りました。


車の手配をしたのは,誰なんですか。

父です。


先ほどあなたは,お父さんが話合いしようと言ったときに,ちょっと強引だと思ったということなんですけども,そのときのエピソードを宮村さんに話をしたことはありますか。

はい。後日,したことはあります。


宮村さんは何と言ってましたか。

しようがないな,君のおやじさんはと言ってました。


あなたは,青春を返せ訴訟の裁判の陳述書によると,保護されたという表現を使ってませんでしたか。

はい,使ってます。


保護ってどういう意味なんですか。

統一教会の邪魔が入らないところで,家族で話合いをするという意味合いで使いました。



<京王プラザホテルでの話し合い、その後荻窪へ>

京王プラザ
<後藤徹氏が家族に呼び出されて"話し合い"をした京王プラザホテル>

お父さんは,何と言って徹さんを京王プラザホテルに呼び出したんでしょうか。

統一教会のことで話をしようと言ってです。


徹さんは,話合いに入ることについて同意しましたか。

はい。


なぜ徹さんは同意したんだと思いますか。

父なり私の真剣な態度にほだされたんだと思います。


徹さんは,2名の男性信者についてきてもらったと述べてますが,あなた,もしくはお父さんは気がつきましたか。

いや,気がつきませんでした。


京王プラザでの話合いのことですけども,ドアに細工をして,中から開かないようにしたことはあるんでしょうか。

ありません。


部屋には電話はありましたか。

ありました。


電話線を抜いたりして,電話をかけられなくしたことはありますか。

ありません。


食事はどうしたんでしょうか。

弁当を買いに行ったり,ルームサービスを取ったりしていました。


徹さんがトイレの中に鍵をかけて閉じこもったことはありますか。

ありません。


例えば,部屋の掃除,シーツの交換とかベッドメーキングとか,それはどうしたんでしょうか。

係の人が来て,やってくれてました。


頻度はどれぐらいでしょうか。

1日1回だったと思います。


徹さんがホテルの人に助けを求めたことはありますか。

ありません。


ホテルの人がうるさいとか,静かにしてほしいと,こう苦情が出たことありますか。

ありません。


京王プラザホテルの監禁部屋見取り図
<後藤徹氏が"家族との話し合い"をした京王プラザホテルの見取り図>

京王プラザホテルから荻窪のマンションに移動するときのことなんですけど,移動手段は何でしたか。

車です。


車には,どこから乗りましたか。

正面の車寄せからです。


京王プラザホテルの車寄せということですね。

そうですね。


徹さんは,車寄せまで移動する最中に,ホテルの人に助けを求めたことありますか。

ありません。


徹さんは,荻窪栄光教会に通うことは,納得したんでしょうか。

はい。


荻窪のマンションから荻窪栄光教会までは,どのような手段で通っていましたか。

徒歩です。


時間はどれぐらいかかりましたか。

20分弱ぐらいです。


徹さんは,1人で通ってたんでしょうか。

いや,私と父と母とです。ただ,父は途中から仕事に戻りましたので,私と母ということです。


Inuneko
<後藤徹氏が京王プラザホテルを出てから,しばらく滞在していたマンション。犬猫マンションと呼ばれていた。後藤氏はこのマンションから荻窪栄光教会に通っていた。>
MFさんという人,乙ハ36の陳述書を出して,その3ページで,徹さんが1人で教会に来たこともあると,そういうことを書いてるんですが,あなたの記憶ではどうですか。

MFさんがそう書いてるのでしたら,そういうこともあったのかと思います。


荻窪のマンションから荻窪栄光教会までは,どのような道順になるんでしょうか。

住宅街を抜けてバス通りに出て,環八を渡って,また住宅街があって教会という,そういうルートです。


徹さんは,足に何履いてましたか。

スニーカーだったか,革靴だったか,いずれにしても靴ですね。


徹さんの財布は,誰が管理したんでしょうか。

自分で持ってました。


徹さんが逃げようとしたことはありますか。

いや,ありません。


徹さんの話合いに対する態度はどうでしたか。

普通の,平穏な感じでした。


それは,京王プラザでの話合いから荻窪栄光教会での話合いに至るまで,そうでしたか。

はい,そうです。


徹さんは,マンションの1室で糾弾されてどなられているMFさんという信者のところに連れていかれんだと,こう述べているんですけど,これはどうなんでしょうか。

それはないと思います。ないです。

(ここに登場するMFさんは,脱会し,原告側証人であるMK氏の脱会説得をした人物。MK氏の尋問でも登場する。)

<原告は、いずれ大成建設を辞めていた?!>

話合いを始めたとき,徹さんは大成建設に就職したばかりでしたよね。

はい。


話合いをするということは,その間,勤め先への出勤はどうなるんでしょうか。

休むことになります。


徹さんは就職したばかりで,休みをとるということは可能だったんでしょうか。

はい。


なぜ可能だったんでしょうか。

もともと大成建設さんに入社したのは,父のコネといいますか,父が勤めていた会社の工場,その工場長だったわけですけども,そこが大成建設さんの重要な顧客でしたので,いろいろ配慮をいただきました。


徹さんは,話合いに入ることは納得したんですか。

はい。


会社を休むことについても納得してましたか。

ええ。父から,会社のことは上司の人に話もちゃんとしてあるし,欠勤扱いにもならないからということで,安心したようでした。


話合いの最中に,会社側に連絡をとったことはありますか。

はい。


具体的に説明してください。

当時徹が所属していた船橋の現場に,父と3人で行って挨拶をしてきたことがあります。


父と3人でというんですけども,その船橋の現場に行ったのは誰なんでしょうか。

父と徹と私です。


そのとき,会社の方の対応はどのようなものだったんでしょうか。

たしか所長と営業の人だったと思うんですけど,仕事のことは心配ないので安心しなさいと,待っていますというふうに言っていただきました。


徹さんの給料とか出勤は,どういう扱いだったんですか。

給料も出ていましたし,欠勤扱いにもなっていませんでした。


徹さんは,家族や宮村さんのせいで会社に戻れなくなって,辞めざるを得なくなったという主張をしてるんですけど,これは事実ですか。

いや,違います。


なぜ違うと言えるんでしょうか。

そもそも家族は拉致監禁などしていませんし,徹が会社に戻ったところで,家族が拉致などするわけもありませんし。


ただ,家族との話合いがなければ,徹さんは大成建設を辞めることはなかったと,そうは思いませんか。

いや,辞めたと思います。


なぜでしょうか。

もともと会社を辞めて献身するのは既定路線でしたし,私が統一教会に行った頃に,徹が卒業した後どうするかという話をしたこともあって,徹は燃えてましたので,すぐ献身したいと言ってたんですが,今2人献身してしまうと両親もすごい心配するだろうし,まして父が骨を折ってコネで入社させてもらうわけだから,一旦会社に入社しなよということを言っていたからです。


何で一旦会社に入社しないといけないんでしょうか。

ですから,父親の顔をつぶすことになってしまうというのが,大きいですよね。


父親の顔をつぶすと,どういう不都合があるんですか。

それは,家族との関係というのは,統一教会信者にとってとても大事なことなので,その関係を悪くしたくない,伝道に支障が出てくるからです。


伝道というのは,家族への伝道という意味ですか。

そうです。


1回目の話合いから2回目の話合いの間のことなんですけど,徹さんが家族のところに顔を出すようになったのは,いつ頃なんでしょうか。

1994年頃からだったと思います。


徹さんは,大成建設を辞めたことについて,家族を恨んだり,責めるようなことは言ってましたか。

いや,言っておりません。


徹さんは,家族のところに顔を出すようになる以前,あなたは統一教会にいる徹さんの様子を見に行ったことありますよね。

はい。


それは,いつ頃ですか。

1993年頃です。


あなたはどこに会いに行ったんでしょうか。

当時徹がいた葛西のビデオセンターです。


ビデオセンターとは,どのような施設ですか。

統一教会ということを伏して伝道する拠点です。


徹さんと話はできたんでしょうか。

はい。


徹さんから,拉致監禁されたとか,会社を辞めざるを得なくなったんだとか,そういう恨み言を言われましたか。

いや,言われておりません。



<1995年9月11日の保護について>

2回目の話合いの最初のことなんですけども,徹さんが2回目の話合いを始めることについて,大体どれぐらい時間をかけて徹さんと話をしたんでしょうか。

1時間半ぐらいです。


徹さんは,話合いをすることについて同意しましたか。

はい。


どこに行くかは伝えましたか。

はい。


徹さんは,左右両脇を抱えられ,ワゴン車に無理やり押し込められたと述べていますが,これは事実ですか。

いや,事実ではありません。


実際はどうだったんでしょうか。

自分で立って,玄関で靴を履いて,歩いて,自分で車に乗りました。


徹さんが車に乗る前に抗議したり,抵抗したことはあるんでしょうか。

いや,ありません。


徹さんは財布を持ってましたか。

はい。


新潟に向かう途中,ノンストップだったんでしょうか。

いえ。途中,給油に寄りました。


ガソリンスタンドですか。

ガソリンスタンドです。


ガソリンスタンドで,徹さんが助けを求めたことはありますか。

いや,ありません。


徹さんは,車の中で暴れて逃げようとしたことありますか。

ありません。


新潟のパレスマンション多門607に着いたとき,徹さんはどうしましたか。

自分で車を降りて,普通に歩いてエレベーターに乗って,普通に部屋に入りました。



<新潟パレスマンション多門にて>

パレスマンション多門
<パレスマンション多門全景>

パレスマンション多門607のドアの鍵とか窓のストッパーとかに細工をしたことはあるんでしょうか。

いや,ありません。


このマンションを利用することになった経緯というのは,どのようなものなんでしょうか。

もともと,妻の■<後藤徹氏の兄嫁>の祖父が住んでらしたマンションで,その祖父が亡くなられて空き家になっていたところを,父がお願いして貸してもらいました。


松永牧師の指示,指導のもとに,マンションを決めたのではないですか。

そうではありません。


なぜ新潟で話合いをすることになったんでしょうか。

徹が東京で活動してましたので,物理的に離れたほうが妨害も受けにくいということもありましたし,■<後藤徹氏の兄嫁>が話合いをした際に,松永先生にもお世話になったこともあり,信じていましたので,松永先生と新潟で話合いをしようということになりました。


徹さんは,松永牧師がこの話合いの場に来ることについて,どうでしたか。

了解していました。


話合いが始まった当初,新潟のマンションにいたのは誰なんでしょうか。

父と母と■<後藤徹氏の妹>と■<後藤徹氏の兄嫁>と山形の叔父さんのOYさんです。


OYさんは,いつまでいたのでしょうか。

一月ぐらいおられました。


■<後藤徹氏の兄嫁>さんはいつまでいたんですか。

95年の暮れぐらいから97年3月まで,ちょっと体調を崩して,週に二,三回顔を出すような状況でした。


パレス多門607号室見取り図
その間,週に二,三回は顔を出してたんですか。

そうですね。


お父さんはいつまでいたんでしょうか。

父は,96年3月に心筋梗塞で倒れまして,手術を受けて,ちょっと入院して,それからは東京のほうで療養していましたので,96年3月までです。


お母さんはいつまでいたんでしょうか。

母は,97年3月に,2月か,父に肝臓がんが見つかって,その看病するために東京に戻りましたので,それ以降はいなかったですね。ただ,その前も,心筋梗塞で東京に父が帰ったわけですけど,そのフォローをするためにも,東京にも行っていました。ですから,しっかり一緒にいたというのは,96年3月までということです。


96年3月から97年3月まで,マンションにいたのは誰なんですか。

ですから,徹と■<後藤徹氏の妹>です。


あなたはどうだったんですか。

私は東京で仕事してましたので,月に1回か2回顔を出す程度でした。



<新潟から荻窪へ。2箇所目のマンション、荻窪プレイスにて>

次に,97年6月22日に新潟から荻窪プレイスに移動するときのことなんですけど,あなたは,パレスマンション多門から東京に移動する際には付き添っていますか。

いや,いません。


徹さんは,お父さんの葬式には出席していますか。

出席してません。


なぜ出席しなかったんでしょうか。

父は,それなりに名の通った会社の役員をしてましたので,訃報を見たりして統一教会の人たちが押しかけてきて騒動になるようなことを心配しましたので,徹は出席しませんでした。

(後藤徹氏の兄は上記のように証言しているが,原告側は主要な新聞(朝日,読売,毎日,産経,日経,東京の6紙)に後藤徹氏の父の訃報が掲載されなかったことを甲115号証で明らかにしている。)

徹さんは,葬式に出たいというふうに言っていましたか。

いや,言ってませんでした。


家族でお父さんの葬式に出席したのは,誰なんでしょうか。

母と私です。


何で■<後藤徹氏の妹>さんと■<後藤徹氏の兄嫁>さんも参加しなかったんですか。

徹を1人残すのもふびんだなということで,彼女たちが自分で残るからと言ってました。


徹さんは,お父さんの法事には参加してるんですか。

いや,してません。


なぜでしょうか。

徹は統一教会員ですし,私たちはクリスチャンですので,法事に参加するということ自体,余り重きを置いてなかったということがあります。親戚との関係もありますので,母と長男の立場で私が,全部ではないですけど出席したこともあります。


法事に行ってる間,家にいたのは誰なんですか。

■<後藤徹氏の妹>と■<後藤徹氏の兄嫁>です。


と,徹さんですね。

と,徹です。


荻窪プレイスの手配をしたのは,誰なんでしょうか。

父です。


荻窪プレイスに向かうことについて,徹さんにはどのように説明をしたんですか。

父が徹のことを最期まで心配しておりましたし,徹と話をしたいということを望んでいたので,東京に場所を移すからというふうに言いまた。


徹さんは,荻窪プレイスに移るということは承諾してくれたんですか。

はい。


徹さんは,95年12月末頃に統一教会を脱会するという旨を表明して,あと,脱会手記というのも書いてますね。

はい。


何で話合いが続くんでしょうか。

徹の雰囲気に,何か葛藤を抱えてるような感じもありましたし,徹自身話合いをやめるというふうに言わなかったので,続けておりました。


荻窪プレイスのドアに,ダイヤルロック式の錠前というのをつけたことあるんでしょうか。

いや,ありません。


荻窪プレイスで生活していたときのことですけど,あなたはずっと徹さんの部屋にいたんですか。徹さんと一緒に部屋にいたんですか。

いえ,そういうわけではないです。仕事してましたし,日中はいませんでしたし,最初の一月は自宅のほうにいましたし,ずっと一緒にいるということではありません。


仕事をしてたというのは,平日の昼間ということですか。

そうです。


お母さんはどうなんでしょうか。

母は,父が亡くなったこともあって,自宅でいろいろとその整理等をしておりましたので,一月くらいは自宅のほうにおりました。


今言った自宅というのは,保谷の実家のことですか。

保谷の自宅です,はい。実家ですね。


そうすると,最初の1ヵ月ぐらい,徹さんと一緒にいたのは誰なんでしょうか。

■<後藤徹氏の妹>と■<後藤徹氏の兄嫁>です。


徹さんは,財布をパレスマンション多門に置いてきたと言ってるんですけど,財布はどうしましたか。

後日,母が返したと思います。



<3箇所目のマンション、荻窪フラワーホームへ。南京錠は何のために?>

なぜ荻窪プレイスから荻窪フラワーホームに移動することになったんでしょうか。

大家さんの都合です。


徹さんは,荻窪フラワーホームに移動することについて,何か言っていましたか。

いや,特に言っていません。


徹さんは,荻窪フラワーホームへの移動に際して,抗議したり,反対したりしたことありますか。

いえ,ありません。


荻窪フラワーホームで,徹さんの居場所というのは,どうやって決まったんでしょうか。

自分から奥の部屋に行って,そこにいるようになりました。


ふすまを開けとけと,そういう指示をしたことあるんですか。

いえ,ありません。


玄関に近づいた徹さんを追い払ったことありますか。

ありません。


荻窪フラワーホームの玄関には,南京錠というのはつけていたことあるんでしょうか。

一時つけていました。


なぜ南京錠をつけていたんでしょうか。

統一教会のほうから押しかけて来られたり,妨害されることを心配したからです。


どのように南京錠をつけていたんでしょうか。

ドアが余り開かないように,ドアチェーンを詰めるように南京錠をかけていました。


南京錠による玄関ドアの施錠状態の再現写真


これまでマンションだと南京錠をつけてない,なぜ荻窪フラワーホームのときだけ南京錠をつけたんでしょうか。

統一教会の杉並教会が近かったので,信者さんがかなりうろうろしてたことと,あと,東京で宮村さんがつけられたりしたことがありましたので,妨害の可能性がかなりあり得るなということで,そういったことをしていました。


徹さんは脱会届も出したし,あなたとお父さんは荷物も取りに行ってるのに,何でそんな心配したんですか。

心配してたんですよね。杉並教会が近かった,で,信者さんをかなり見かけてたということが大きいです。


乙ハ第44号証の1(道路地図)を示す
地図なんですけども,ここに赤い字で,荻窪フラワーホームとか荻窪駅とか統一教会杉並教会とか宮村さんのいるところとかが書いてあるけど,位置関係としては,あなたのご認識と比べて間違いありませんか。

はい。


荻窪フラワーホームなんですけど,荻窪駅の近くにあるんですか。歩いて大体どれぐらいの距離なんでしょうか。

駅からは,歩いて五,六分です。


南京錠の鍵というのは,どこに置いていたんですか。

玄関のげた箱の上です。


南京錠がついてたのは,いつ頃までですか。

98年ですね。98年4月頃です。


なぜ南京錠を外したんでしょうか。

宮村さんが来られたときに,鍵をしてるのかと,そんなことしなくて大丈夫だろうというふうに言っていたからです。


宮村さんがそう言ってたのは,いつですか。

98年1月だったと思います。


何ですぐ外さなかったんですか。

ちょっと,やっぱり心配でしたので。


窓にロック式のクレセント錠というのをつけてたのは,なぜなんですか。

発作的に,徹が窓から外に出るみたいなことがあるかもしれないと思って,その予防のためにつけていました。


これまでのマンションのときには,そういうロックつきのクレセント錠等はつけてないのに,なぜ荻窪フラワーホームのときだけつけたんですか。

フラワーホームで,徹が偽装脱会だったということを告白してくれて,また,話合いをするに当たってというか,話合いをする中で,感情的に今まで以上になる可能性があるかなと思って,用心のためにつけかえました。



<フラワーホームにはいつ誰がいたのか?2001年の騒動は原告のデモンストレーション?>

荻窪フラワーホームでの話合いで生活が行われてたのは,いつからいつまでなんでしょうか。

97年12月から2008年2月までです。


2月何日ですか。

10日ですね。


荻窪フラワーホームに住んでたのは,誰なんでしょうか。

住んでたのは,徹と母と私と■<後藤徹氏の兄嫁>と■<後藤徹氏の妹>です。


徹さんが荻窪フラワーホームにいた状況についてですけど,まず,あなたがタップを辞めるまでは,荻窪フラワーホームにいた時間というのは,どんな感じだったんでしょうか。

日中は仕事しておりましたし,週末とか平日の夜,新座の自宅に帰ることも多かったです。


タップをあなたが辞めたのは,いつなんでしょうか。

2001年1月末です。


それから,再就職したのはいつなんですか。

2004年3月です。


再就職先はどこですか。

派遣会社です。


2001年1月末から2004年3月まで,荻窪フラワーホームにいたのは,あなたはどういう状況でいたんですか。

週末以外,週5日はいたと思います。


2004年3月に派遣の仕事を始めてからは,どうですか。

それから1年から2年くらいは,フラワーのほうには行っておりません。


■<後藤徹氏の兄嫁>さんは,フラワーホームにいた状況について,どうだったんでしょうか。

98年春頃から99年の末頃まででしたかね,体調を崩して,フラワーのほうにはほとんどいないで,時々顔を出すような感じでした。


時々って,どれくらいの頻度ですか。

週に二,三回だったと思います。


■<後藤徹氏の兄嫁>さんがずっとフラワーホームにいるようになったのは,いつ頃からですか。

ずっとというと,2004年の春頃です。


荻窪フラワーホームで生活してた間,ずっとマンションにいたのは誰なんですか。

母と■<後藤徹氏の妹>です。


お母さんと■<後藤徹氏の妹>さんの体格というのは,どういうものなんですか。

小柄で,きゃしゃです。


徹さんと比べてどうでしょうか。

体力差は歴然だと思います。


2001年2月頃,徹さんは,この頃何度も監禁に抗議して,部屋から脱出を試みて,助けを求めて叫んだりして,家族に取り押さえられて,布団でくるまれて声を出さないようにされたりしたんだと,こう述べているんですけども,これは事実ですか。

いえ,事実とは違います。


どう違うんでしょうか。

出ようとしたということじゃなく,私への反発から,何か物を壊したり,叫んだりし始めましたので,それを止めるようなことはありました。


徹さんは,拉致監禁されて,統一教会の信仰を捨てるように強要されたことについて抗議したのではないんですか。

いや,そうではありません。拉致監禁等をしてはおりませんし,そうではありません。


なぜ違うというふうに言えるんでしょうか。

そうだとしたら,いつでも出ていけましたので,出ていってしまえば,別にそれで済むことだからです。


徹さんが暴れるときというのは,何か特徴というか,共通点があるんですか。

私がいるときにだけ,ねらうような感じでやっておりましたので,何かデモンストレーションというか,嫌がらせというか,そういったニュアンスを感じました。


何であなたに対する嫌がらせとかデモンストレーションを徹さんがするんでしょうか。

私が統一教会に誘ったという立場でもありますし,男兄弟特有の反発心的なものもあったのかもしれません。


あなたは,2004年8月にタップに再就職してますよね。

はい。


なぜですか。

当時,派遣の会社に勤めながら,正社員として就職する就職先を探してたわけなんですけど,なかなかうまいこといかずに,派遣会社のほうもちょっと仕事の内容に疑問があって,7月,8月,いずれにしても辞めたんですけども,そんなときにタップの先輩から連絡があって,欠員が出たからもう一回一緒にやらないかという話をいただいて,なかなか就職も難しい状況でしたので,勝手もそれなりに分かってはいるし,もう一回戻って頑張ってみようかなということで,戻させてもらいました。


タップにおいて,徹さんのことが話題に上ったことはあるんでしょうか。

それは,ありましたけど,数えるほどです。


どっちが話題として上げたんですか。

私のほうからです。


あなたのほうは,どういう話をしたんですか。

引きこもりみたいになってるということとか,断食してるということは,話したことがあります。



<「ありません」「知りません」連発。原告の主張をことごとく否認。トイレに閉じ込められた一件について。>

あなたは,徹さんを殴ったことありますか。

いや,ありません。


徹さんに対して,緊急避難的保護という言葉を使ったことはありますか。

ありません。


徹さんは,■<後藤徹氏の兄嫁>さんから背中に氷水を流し込まれたり,平手打ちされたりとか,あと,何かちゃかすような絵を見せつけながら食事をさせられたりとか,そういうことを言われてるんですが,あなたはそういう状況を認識していますか。

いや,知りません。


■<後藤徹氏の妹>さんから徹さんは押されたんだと,こういうことを述べてるんですが,そういう状況は認識していますか。

いや,知りません。


徹さんは,あなた方から,家族から無理やり,要するに強要されたんだと述べてるんですけど,これは事実なんでしょうか。

いえ,事実ではありません。


無理やり統一教会の信仰を捨てるように強要させるということは,できるんでしょうか。

いいえ。無理やりやめさせるということは,できないと思います。


話合いを通じて,信者が統一教会を離れるのは,なぜなんですか。

自分の頭で考えて,冷静になって,だまされたっていうことが分かるからです。


フラワーホームにいる間,宮村さんと松永牧師以外のカウンセラーが話合いのために来たということはあるんですか。

いや,ありません。


荻窪フラワーホームに,家族以外の人が立ち入ることはあったんでしょうか。

ありました。


どういう人が立ち入ったんでしょうか。

排水管の清掃の人ですとか,家電品の修理ですとか,外壁の工事の人とか,給湯管の交換工事,その他です。


要するに,もろもろの設備点検をするような人というのは普通に来てたということですか。

そうですね,はい。


OBという人が来たことありますか。

はい。


OBさんは,なぜ来たんでしょうか。

私がトイレに入ったときに,ドアノブが壊れて外に出れなくなってしまったことがあって,それを,ドアの鍵,ノブのところを壊して外に出してくれたことがありました。


あなたがトイレから出られなくなってからOBさんが来るまで,大体どれぐらい時間かかったか分かりますか。

30分ぐらいだったと思います。


あなたがトイレから出られなくなった間,徹さんは何をしてましたか。

■<後藤徹氏の妹>に,ドライバーないのかとドライバーを持ってこさせて,鍵のところをガチャガチャやって,直そうとしてくれてました。


そのとき,部屋にいたのは誰なんでしょうか。

■<後藤徹氏の妹>と母です。


OBさんは,徹さんがざまあみろというふうに言ってたという,そういう旨を供述してるんですが,あなたは聞いてますか。

いや,私は聞いてないです。


徹さんがそういう発言をすることはあり得るんでしょうか。

私に対して反発心があったようですから,そういう軽口的なことは言うかもしれません。


徹さんは,設備点検とか工事の業者とか,あとOBさんに対して,自分は監禁されている,そういうことを訴えたことありますか。

いや,ありません。



<宮村の関与を否認>

宮村さんが荻窪フラワーホームに話合いのために来てたのは,時期として,いつ頃からいつ頃までなんでしょうか。

98年の初め頃から,その年の9月下旬ぐらいだったと思います。


98年の初め頃というのは,1月ということでよろしいですか。

1月ですね,はい。


徹さんは,宮村さんが来て話し合うことについて,同意していましたか。

はい。


徹さんは,宮村さんが来てるときに,激しく反発したり,抗議したり,暴れたりしたことはありましたか。

いえ,ないです。


徹さんは,暴れ始めた最初の頃,2001年2月頃のことですけど,あなたが宮村さんを携帯で呼んだんだと,こう主張しているんですけども,それは事実ですか。

いえ,事実ではありません。


徹さんは,風呂場の浴槽に上って,通気口に口を当てて助けを呼んでる最中に宮村さんが来て,襟首をつかんで引きずり下ろされたんだと,そういうこと言ってるんですが,これは事実ですか。

いえ,事実ではありません。


実際は何が起きたんですか。

私と話してたときに,徹が何かでふてくされたような感じで風呂場に行って,何かすねてるような状態になっていたところを,ちょうど宮村さんが来られて,こっちに出てきなよということで,服を引っ張る感じで出していました。


徹さんが風呂場に入ったのは,宮村さんが来る前か来た後か,どっちですか。

来る前です。


このエピソードがあった時期は,いつ頃なんですか。

98年の夏頃です。



<玄関前のドアの施錠は仕事に集中するため?!>

徹さんは,風呂場の浴槽に上って,通気口に口を当てて助けを呼んだと,そう述べているんですが,これは事実ですか。

いや,事実ではありません。


徹さんは,このとき,話合いを続ける気をなくしていたんではないですか。

であれば,もう出ていけばいいことで,そんなことはないと思います。


なぜ話合いから,正面から向き合わないような対応をとるんでしょうか。

まともに話し合ってしまうと,自分の信仰が脅かされて,信仰を捨てることになってしまう,そういう怖さがあったんだと思います。


それだったら,話合いの場から離れてしまえばいいと思うんですけども。

ただ,一方では,家族の救いというのは,自分の救いにもつながることですので,家族を断ち切るということもできない。その狭間で葛藤していたんだと思います。


あなたは,玄関とリビングの間のドアノブに鍵をつけたことがありますよね。

はい。


甲第9号証(陳述書)添付図面4を示す
荻窪フラワーホーム804号室間取り図

あなたが鍵をつけたのはどの扉か,この図面上において指示してもらえますか。

これです。


これというのは,Dのところですか。

Dです,はい。


なぜ鍵をつけたんでしょうか。

仕事に集中したかったからです。


甲第9号証添付図面4を示す
あなたが仕事を集中するために使っていた場所というのは,どこですか。

ここです。


ここというのは,玄関からDの扉までの通路上の場所ということですか。

そうです。


Dの扉に,鍵はどういうふうについてたんでしょうか。

玄関側が,回すと外れるボッチのついた,反対側は鍵で開ける,そういうドアノブに交換しました。


鍵はどこに置いてたんでしょうか。

居間の衣装ケースの上です。


ここに鍵をつけたのは,いつ頃からいつ頃までですか。

2000年の暮れ,末から2001年2月です。


何でこの時期に仕事に集中しなくてはならなかったんでしょうか。

私の業績が思わしくなくて,仕事どうしようかと。結局辞めることにしたんですが,その残務整理にちょっと時間がかかっていて,次の人が分かるようにという引継ぎ的なこともありましたし,そういう資料ですね,ちょっと仕事を集中してしないといけない伏況にあったからです。


何でタップではなくてマンションで仕事をしたんですか。

残業するなというふうに注意されてたからです。


誰からですか。

宮村さんから。


徹さんが,先はどの鍵のかかったDの扉を開けて,外に出ようとしたことありますか。

ありません。



<断食は、蕩減条件?!>

徹さんは,3回断食してますね。

はい。


徹さんは,監禁への抗議のハンガーストライキだというふうに言ってるんですけど,それはどうなんですか。

いや,そうではないと思います。


なぜですか。理由を言ってください。

きっかけが,ノートをくれとか,韓国語のテキストをくれとかいうことに対して,家族の側がそれに,そのようにすぐに応じなかったことがきっかけで,そもそも拉致監禁ということをしてませんので,それに対する抗議というのもあり得ないと思います。きっかけは,そんなささいなことでした。


なぜ徹さんは,自分の要望が通らないと断食するんでしょうか。

統一教会では,蕩減条件というものを立てて,それが成就できると,神が条件として立てた内容,願いをかなえてくれるという,そういう願かけ的なことがありまして,断食もその条件としてよくされていましたので,今回もそういうことだろうなというふうに見ていました。


徹さんは,テキストやノートが欲しいがために,何週間も断食したんですか。

というよりも,やはり家族が統一原理を受け入れてくれるようにという,そういったことだったんじゃないかと思います。


徹さんは,断食後に食事制裁を受けたんだと言ってるんですが,事実ですか。

いや,違います。


断食明けの食事というのは,特別なものが何か必要なんでしょうか。

そうですね。急に戻しますと体に負担がかかるというふうに聞いてましたので,重湯からだんだん戻していくというふうにしていました。


聞いていたというのは,どこで聞いてたんですか。

統一教会でも聞いてました。


断食明けの食事を用意したのは,誰なんでしょうか。

母と■<後藤徹氏の妹>です。


徹さんが,食事について不満を漏らしていることはありますか。

いや,ありません。


徹さんは,何か空腹の余り生ごみや生米に手を出したというふうに述べているんですが,どうですか。

いや,そういうことは知りません。


そういうことはあったと思いますか,なかったと思いますか。

なかったと思います。


それはなぜですか。

それなりに食べてましたので。また,食べるものも冷蔵庫とかにありましたので,そういうことはなかったと思います。


徹さんが間食したりするのをとがめたことというのはあるんですか。

いや,ありません。


炊飯器を買い替えたことはありますか。

ありません。


徹さんが3回目の断食を始めた頃,母方のおばあさんが亡くなりましたね。

はい。


急に亡くなったんですか。

そうです。


おばあさんが亡くなったことを,徹さんには伝えましたか。

伝えました。


徹さんは何と言ってましたか。

ああ,そうなんだと,兄貴たち,葬式に行かないのと言ってました。


徹さんは,葬式に行きたいとは言いましたか。

いや,言ってません。


葬式に行ったのは,誰なんでしょうか。

母と■<後藤徹氏の妹>です。


何であなたは行かなかったんでしょうか。

ちょっと仕事の都合で,東京を離れられなかったからです。



<徹がマンションを出て行く気なら出て行けた!?それでも出て行かなかったのは氏族メシアのため!?>

徹さんが,もう話合いをやめて,このマンションを出ていくんだというふうに言ったら,あなたはどうしていましたか。

それはもちろん話をして,しっかり話を,検証しようよということで,思い直してくれるように努力はしたと思います。


それでも,徹さんの意思が堅かったら。

そのときは,しようがないです。


徹さんは,本気で話合いをやめて,マンションを出ようとしたことはあるんですか。

いや,ないです。


徹さんは,あなた方の話によると暴れたことがあるんですけども,それは,話を終えたかったからではないんですか。

いや。そうではなく,自分への反発,何かデモンストレーション的なニュアンスを感じました。


あるときから,徹さんは何か話合いにも真摯に向き合おうとしないし,出てもいかないという状況になりましたよね。

はい。


その徹さんに対して,何度もマンションから出ていくように言ってますよね。

はい。


それは,いつ頃からなんでしょうか,大体そういう状況が始まったのは。

98年9月ぐらいからです。


徹さんは,何でこのマンションから出ていこうとしなかったんでしょうか。

ですから,家族との関係が切れてしまう,家族の救いというのは,私もそうでしたけども,統一教会員にとって非常に重要なことで,それに支障を来たすのが目に見えていたから。また,自分でそれを決断して,自分で行動したときに,その責任は自分にかかってくるという,そういうおそれもあったのかと思います。


自分で決断したことの責任は自分にかかってくるというのは,これはどういう意味だか,もう少し敷衍して説明してもらえますか。

基本的に,統一教会員は,アベルの指示でより天国に近い,神に近いアベル,上司の指示で動きますけれども,ですから,常日頃から指示で動くということが習慣化してるわけですが,自分で考え,自分で行動するということは,当然自分の責任ということになってきます。


そうすると,自分の意思で話合いの場から離れるということは,徹さんにとってどういうことになるんですか。

非常に難しいことだったと思います。


それは,なぜ難しいんですか。

ですから,家族を断ち切るということが自分の救いにもつながりますし,統一教会の氏族のメシアとしての使命を放棄してしまうということにもなってしまうからです。


今,氏族のメシアという言葉を使われましたけど,氏族のメシアとして振る舞うんであれば,もっとまじめに話合いをして,家族に統一原理の正しさを説こうとするんじゃないですか。

ですから,まともに話をしてしまうと,統一教会,統一原理のおかしなところが分かってしまうので,要は,まともなやりとりはしたくないという気持ちだったと思います。


でも,先ほどから言われてるように,その場を離れることによって,家族との関係も断ち切れて危ないと。

そうですね。


徹さんがそういうふうに考えていたという根拠は,何かあるんですか。

徹は,信仰的に神様が働いてくだされば,あなた方も改めて統一原理を受け入れてくれる,そういうことだって全然あり得るんですよと,常日頃言ってましたので。


ほかに根拠はありますか。

あとは,徹の所持品の中に氏族のメシアに関する本があって,線を引っ張って,熟読した様子がありましたから,やっぱりこのことを非常に大事に思ってるんだなというふうに見ていました。


乙イ第2号証(祝福と氏族メシア)を示す
祝福と氏族メシア表紙

所持品の中にあった本というのは,この本ですか。

そうです。


ただ,徹さんは,人生を10年以上も家族との話合いで費やしてしまうことへの不安ってなかったんでしょうか。

統一教会の価値観は普通とは違いまして,この世で生きてる時間よりも死んでからの永遠の時間のほうを重視します。家族とともに天国に入るというふうに教えられてもいましたので,不安とか不満的なものはなかったと思います。


<2008年2月10日に,徹さんをマンションから外に出したのは,なぜなんでしょうか。

何かこう,のらりくらりとした態度がなかなか変わらないので,ちょっとしっかり真剣に向き合ってほしいという気持ちがあって,そういう刺激を,ドアの外にまで出すということで,しっかり話合いに向き合ってほしかったので,そういう行動に出ました。


徹さんは,外に出された後,どうしましたか。

かなり抵抗しました。


徹さんがいなくなることは,予想外だったんですか。

はい。



<原告の痩身写真を見て・・・「断食をよくするところなんで,断食したのかもしれません。」>

甲第1号証(写真撮影報告書)を示す
後藤徹氏

写真の1番,2番,3番,4番,5番,6番,7番,8番,9番,10番,11番,12番,徹さんの体なんですけど,あなたの認識と比べて,どうなんでしょうか。

あんなに,そんなに痩せているとは思ってませんでした。


なぜこんなに痩せた写真が残ってるんでしょうか。

いや。分かりませんけど,断食をよくするところなんで,断食したのかもしれません。


甲第42号証(報告書)を示す
重ね着

徹さんが着てた衣服の写真,着てる様子なんですけども,この服というのは,大体あなたの認識と一致しますか。

はい,見覚えのあるものもあります。


徹さんは,何でこんな厚着してたんでしょうか。

2月10日以前に,かなり前から,身の振り方を考えたらどうだと,出ていって自活したらどうだという話をかなりしてましたので,いずれ外に出される,追い出されるという可能性を感じていたのかもしれません。


徹さんは,体力が衰弱しきってて,倒れそうになるのをやっとのとこで渋谷の松濤まで歩いた,こういうふうに言ってるんですけど,あなたの認識と比べてどうですか。

ですから,渋谷まで歩こうって発想が出ること自体,体力的に問題なかったということであって,実際歩けたんじゃないかと思います。


何か徹さんに体力があったことについて,根拠ありますか。

結構運動してましたし,1日30分ぐらいスクワットとか,かなり重いテーブルを持ち上げて筋トレ的なことをしてもいましたので,体力的にはかなりある。また,外に出すときに抵抗がありましたけど,その力もかなり強いものでしたので。


徹さんが食べていた食事について,原告のほうから写真が提出されてるんですけど,あなたの認識と比べて,それはどうですか。

いや,もっと量があったと思います。


それは,御飯のことですか,おかずのことですか,それとも,汁物のことですか。

両方ですか。特に御飯は。


おかずもどうですね。

もっとあったと思います。


みそ汁について,どうでしょうか。

みそ汁もそうですね。


最後に,裁判所に言いたいことがあれば,言っていただけますか。

私たち家族は,徹を本当にかけがいのない家族として思い,統一教会で活動していることを本当に心配してきました。私白身も経験したことですが,ぜひ反社会的な問題まで起こしてしまうところなんですから,自分の頭でしっかり統一教会とその教えについて確認してほしい,検証してほしいという思いで,家族も一緒に検証するからということで,その話合いの場を設定したわけです。当然ですが,12年間もこういったことが続くとは思ってません。今日こそは,明日こそはと,徹が真剣に向き合って,自分の頭で考えて判断してほしい,また,それを期待して一日一日を過ごしていくうちに12年たってしまったというのが,正直なところです。本当に父も母も,父は1997年,母は去年亡くなりましたけれども,最期まで徹を心配しておりました。また,父の遺志も継いで,徹と向き合ってまいりました。もともと,私もかつて統一教会におりましたので,自分で言うのもあれですが, 統一教会に取り込まれてる人たちは,本当にいい人たちばっかりです。徹もその1人です。ぜひもう一度,統一原理,統一教会を自分の頭でしっかりと検証してほしいと思います。どうか裁判所におかれましては,この裁判自体が,統一教会の反社会的活動に対する糾弾の,信者がそちらから目を覚まさせるための拉致監禁反対キャンペーンであるということをそんたくしていただいて,適正な判決をいただけるようにお願いいたします。以上です。



<水茎会の主宰は統一教会の家族?!>

被告宮村代理人(木村)
木村弁護士
<向かって右側が木村弁護士>
あなたが脱会したのは,Oさんという方との話合いでということですね。

はい。


そのOさんとあなたが話合いを始めるに当たって,宮村さんは関与してるんですか。

してないです。


だけど,宮村さんが1回神戸のあなたのところに行って,話合いをしてくれたということですね。

はい。


どうして宮村さんは神戸に来たんでしょうか。

何か用事があって,そのついでに寄ったというふうに言われてました。


あなたはそのときに,宮村さんと話をすることについては承諾してたんですか。

はい。


宮村さんと話合いをしたとき,どんな話を宮村さんはあなたにしてくれたんでしょうか。

統一原理の教えと聖書の内容との矛盾ですとか,統一教会の立ち上げ時,草創期の様子,元幹部の人から聞いた,そういった話をしてくれました。


宮村さんは,どんな口調であなたに話しかけてたんですか。

紳士的で,普通の穏やかな調子で話されました。


あなたのことを罵倒したり,統一教会のことを中傷したりということはなかったんですか。

ありません。


あなたは,このときの宮村さんについて,どういう印象を持ちましたか。

自分で韓国まで行って事実確認をしてきているという話があって,統一教会員の人が持ってないような資料を持ってらしたりしたので,この人は,そういう確認をして言ったり動いたりする人なんだなという印象を持ちました。


ちゃんと統一教会について事実を確認してる人だという認識だということですね。

そうです。


あなたは,脱会した後,荻窪栄光教会に通ってますね。

はい。


それはなぜですか。

森山先生という,やはり統一教会のことに詳しい先生がいらして,その先生の話も聞いてみたらどうだというふうに宮村さんに言われてもいたからです。


荻窪栄光教会に通ってるときに,宮村さんとの付合いというのはあったんでしょうか。

ええ。それは,お会いすれば挨拶したり,お話ししたりということはありました。


それ以上の深い付合いというのはなかったんですか。

そうですね,はい。


荻窪栄光教会では,主に森山先生の話を聞いてたということですか。

そうです。


あなたは水茎会に入会してますが,これは,誰からの紹介で入会したんでしようか。

森山先生のご紹介だったかと思いますけど。


入会したのは,あなた1人ですか,それとも家族ですか。

家族です。


家族単位で入会したということですか。

そうです。


どうして水茎会に入会したんでしょうか。

弟,徹と■<後藤徹氏の妹>と話合いをしたかったからです。


入会に当たって,宮村さんの許可とかは必要なんですか。

いや,ないです。


水茎会という団体は,宮村さんが主宰してる団体なんでしょうか。

いえ,違います。


誰が主宰してるんですか。

家族です。話合いをしようと思っている家族です。


統一教会員の家族が,自主的に運営してるということですか。

そうですね。


運営に,宮村さんはかかわってるんでしょうか。

いや,かかわってないです。


そうすると,宮村さんは,水茎会ではどういう立場なんですか。

家族の求めに応じて,話合いの場に出向いて,統一教会に関するいろんな情報を提供してくれたり,聖書と統一原理の矛盾点などを説明してくれる,カウンセラー的な立場です。



<水茎会の実態、会費は5000円?!>

水茎会の会合には,何人くらい集まってたんでしょうか。

100人ぐらいだったと思います。


家族単位でいうと,どれぐらいですか。

ですから,四,五十家族ぐらい。


会合では,どういうことが行われてたんでしょうか。

家族で何グループかになって話合いをするという感じでした。


グループに分かれて話合いということですが,どんな話をするんですか。

ですから,それぞれのお宅の状況ですとか,その他,もう既に話合いを終えた方たちのお話を聞いたりもしましたし,森山先生が聖書の話をなさるということは大体ありましたので,それを聞いてから,そういう話合いをするという感じでした。


そうすると,森山先生の話があった後は,基本的には,家族がグループになって,それぞれの体験談を話してたということですか。

そうですね。


宮村さんは,その会合では何をしてるんでしょうか。

カウンセラーという立場で,うまくいったケースの事例とかも話されたことがあったですし,統一教会の状況ですとか,そんなことを話ししていらしたと思います。


宮村さんは,自分から積極的にみんなに向かって話しかけるということはあるんですか。

求めに応じてというのが,基本的な感じで。


家族が質問したときに答えるって感じですか。

そうですね。


宮村さんが,会合に集まったみんなの前で講義することがあったんでしょうか。

講義というか,時々,統一教会が今こうなってますというような情報を話されてたことはありました。


原告は,宮村さんが水茎会で拉致監禁の講義をしてるのを目撃したと言ってるんですが,そういうことはありましたか。

そんなことはないですし,あり得ないですね。


水茎会の会費は払ってたんですか。

はい,払ってました。


幾ら払ってましたか。

5000円です。1家族5000円です。


月に5000円ですか。

はい。


水茎会の経理は,誰がやってたんでしょうか。

家族ですね。家族というのは,会員の家族。OBのご家族だったかもしれません。


宮村さんが管理してたんではないんですか。

違います。


水茎会の収支報告を,あなたは聞いたことありますか。

はい。


これは,口頭での報告があるんですか。

そうですね。

(伊藤芳朗弁護士は,米本和広氏の陳述書(3)で,水茎会の会計報告は行なわれていなかったと指摘している。やはり文書での報告は行なわれていなかったと思われる。)
月々の収入というのは,どれくらいあったんでしょうか。

二,三十万はあったと思います。

(伊藤芳朗弁護士は,大体毎月300万円くらいの金額を宮村氏は得ていると主張している。内訳は、これから脱会説得を行う順番待ちの人が200人で、毎月200万円。残りの100万円が支援金、謝礼金。後藤徹氏の兄の証言とはだいぶ食い違う)

支出というのは,どんなものが多かったんですか。

全部は覚えてませんけど,会合の会場費が大きかったと記憶してます。


新宿西教会入り口
<新宿西教会入り口。一時期毎週土曜日の水茎会の集会の会場になっていた。いったいいくらぐらいの会場費がかかったのか????>

水茎会のお金が宮村さんに渡ってるということあったんでしょうか。

それはないです。


あなたは,水茎会に通っている中で,ほかの家族が話合いをしてる際には,そこに行って自分の体験談を話したということなんですが,これは,どうして話しに行ったんでしょうか。

それは,自分の体験をお伝えして,統一教会の真実を知ってほしいと思ったからです。


宮村さんの指示があったんですか。

そうではありません。


宮村さんが元信者を差配して,いろんな家族の話合いの場に同席させていたということはありますか。

いや,ありません。



<京王プラザでの宮村は平穏に話した?!タップと水茎会の関係は?>

京王プラザホテルでの徹さんとの話合いについてですけど,これは,誰が話し合うという判断をしたんでしょうか。

家族で相談して,父親が決断しました。


京王プラザホテルを利用したのは,どうしてですか。

父が決めたんですけど,水茎会で京王プラザホテルを使ったという話を聞いたんだと思います。


宮村さんの指示ではないんですか。

そうじゃないです。


京王プラザホテルに来たとき,宮村さんは徹さんに対してどんな話をしてたんでしょうか。

やはり,統一原理と聖書の矛盾,統一教会の草創期の話,そういったことです。


このときの宮村さんの口調は,どんな様子でしたか。

普通に平穏な感じで話をされてました。


宮村さんが徹さんを罵倒したり,中傷したりすることありましたか。

いや,ありません。


あなたは1998年にタップに就職してますが,それはなぜなんでしょうか。

就職,生活しないといけませんし,広告の仕事,クリエイティブな仕事にもともと興味もあって,お客さんが住宅関係,建築関係のお客さんがメインだというふうにも聞いてたので,興味あったので。


あなたが建築関係の学科を卒業してるからということですか。

それもありますね,はい。


宮村さんに,徹さんとか■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いを早期に行ってもらうために,タップに就職したということではないんですか。

いや,そうではありません。


タップの業務と水茎会とは何か関係あるんですか。

いや,ありません。


タップの従業員として,宮村さんの指示で水茎会の活動を手伝うことはあるんですか。

いや,ありません。


タップの仕事中に,宮村さんとはどの程度会話する機会があったんでしょうか。

数えるほどです。


タップの仕事中にということですよ。

うん,そうですね。


それは,どうしてなんでしょうか。

会社では,統一教会問題は全然知らない人もいますので,会社ではそういう話はしないようにというふうに言われてましたので。


あなたは,会社ではいつも宮村さんとは一緒にいるんでしょうか。

いや。たまに営業で,単独で動いてますので,余り一緒にはいないです。


その後,■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いを始めたんですが,これは,誰が話合いをすると決めたんですか。 

父です。


宮村さんの指示ではないですね。

違います。


■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いの段取りは,誰がどのように決めたんでしょうか。

父が中心になって決めました。


お父さんが段取りを組んだということなんですか。

はい。


あなたは,当時タップの社員で,あなたが宮村さんにお願いして段取りを組んでもらったんじやないんですか。

いや,違います。


■<後藤徹氏の妹>さんとの話合いの際の宮村さんの態度というのは,どんな感じでしたか。

普通に,穏やかな調子でした。


■<後藤徹氏の妹>さんを罵倒したりということはなかったですか。

いや,ありません。



<兄は宮村に報告してない?!>

■<後藤徹氏の妹>さんが脱会した後,1995年に徹さんとの二度目の話合いを始めるまで,あなたと宮村さんは,徹さんとの話合いについて,何か相談はしてたんですか。

相談はしてません。


水茎会に参加してたことはあるんですか。

あります。


その中で,話をしたことはありますか。

水茎会でも,あったと思います。


具体的に,宮村さんにお願いするとかという話はしてないですか。

そういうことではありません。


新潟で徹さんと話合いをすることについては,宮村さんと相談したんですか。

相談というより,報告はしました。


そうすると,新潟で話合いを始めるという決断については,宮村さんは関与してないんですか。

してません。


宮村さんに新潟で話合いをすると報告した際に,宮村さんからはどういう話がありましたか。

家族が決めることだから,それはそれでとおっしゃってました。


新潟で話合いをしてた際に,松永牧師と宮村さんが徹さんとの話合いについて連絡を取り合ってたことはあるんでしょう。

いや,ないと思います。


あなたから宮村さんに対して,新潟での話合いを逐一報告してたことありますか。

いや,ありません。


東京に戻ってきてから,最初は荻窪プレイスにいたわけですね。

はい。


その後,フラワーホームに移ったんですが,どうしてフラワーホームを選んだんでしょうか。

大家さんの都合です。


フラワーホームを移った先として選んだのは,どうしてなんですか。

プレイスを出ることになって場所を探してたわけですけど,フラワーホームが空いてるということが分かって入ったんです。


宮村さんの指示でフラワーホームに移ったんではないんですか。

そうじゃないです。


宮村さんと徹さんとの話合いなんですけど,あなたは,宮村さんの陳述書,乙ハ2号証,これは読んでますか。

はい。


乙ハ第2号証(陳述書)を示す
28ページ以降で,宮村さんと徹さんの話合いが書いてありますね,ずっと。

はい。


29,30,31,32,33,34,35ページまで。

はい。


これ,読んでますね。

はい。


こういう内容の話合いがあったのは,あなたは記憶してますか。

そういう話があったというのは記憶してます。


こういうふうに,宮村さんと徹さんは一応ちゃんと会話はしてたということですね。

はい。


宮村さんが徹さんを罵倒したりすることというのはあったんですか。

いや,ないです。


声を荒げるようなことはありましたか。

ないです。


今の会話の内容なんですけど,何か家族で録音したというようなことはあるんですか。

いや,ありません。


宮村さんが訪問してくるときのことですけど,宮村さんが訪問する際に,ノックの仕方を決めてたりということあるんですか。

いや,ありません。


宮村さんが来る予定というのは,あらかじめ決められてたんですか。

いや,あらかじめ決められてたということではないです。


事前に連絡はあったんですか。

大体あったと思います。


元信者があなたたちの部屋に訪れたことがあると思うんですが,これは,どうして元信者たちが来ていたんでしょうか。

水茎会の会合のときなどに,話合いが始まったら,ぜひ話しに来てくださいとお願いしていたからです。


家族でお願いしてたんですか。

そうです,はい。


宮村さんからあなたたち家族に対して,徹さんが脱会するまで外に出すなというような話をしたことがあるんですか。

いや,ありません。


宮村さんが1998年9月末以降来なくなってから家族で話合いを続けたのは,これは,宮村さんの指示なんでしょうか。

いえ。徹の態度が,宮村さんと話をし続けるような感じではかったので,家族のほうで,徹と家族で話をして,宮村さんとも普通に話ができるような,そういうのを目指しますので,もう結構ですというふうに言ったんです。


宮村さんが来なくなってからは,家族で宮村さんに対して話合いの状況を報告してたんですか。

いえ,してません。


たまに話すことくらいは。

それはありました。


1998年9月末以降に,宮村さんから家族と徹さんとの話合いについて,何か指示とか助言とかはあったんでしょうか。

指示とか助言はないです。



被告松永代理人(東)

<松永に説得を頼んだ理由は?!>

1回目の京王プラザでの話合いの後に,徹さんが結局黙って統一教会に戻ってしまいましたよね。

はい。


その後,徹さんとはもう一度話し合いたいと,家族としては思ってたんですか。

そうです。


その後で,■<後藤徹氏の兄>さんは,葛西に通って徹さんと話してたことがあったそうですね

はい。


何を徹さんと話そうと思ってたんですか。

何をというより,徹の様子も知りたかったですし,徹とコミュニケーションをとりながら,もし話が,要は,統一教会に少しでも何か疑問ですとか,そういうものを持ってるようでしたら,そこから統一教会についての話をできたらなという期待はありました。


結局,半年ほど葛西に通って,その後,徹さんとも葛西に通って話をするのはやめてますよね。

そうです。


それはどうしてですか。

やはり,統一教会の施設の中で話をするというのは,ちょっと難しいかなと。統一教会の影響下にあるわけですし,また,徹の態度にも何か疑問を持つような様子もありませんでしたので,これはちょっと,やっぱり場所を備えて話をしないと無理かなというふうに思って,通うのはやめました。


影響下にあると話合いをするのは難しいというのは,具体的に言うと,どういうことなんですか。

統一教会では,アベルの指示で動くというのが前提ですし,客観的な,冷静な見方ができなくなる,統一教会に都合のいいことしか考えられなくなってしまうので,そういうことです。


その後もずっと,家族としては徹さんと話合いをしたいというふうに思ってたという感じですか。

そうです。


葛西に行くのをやめたとしても,徹さんと話をするチャンスはいつか欲しいと思ってたんですか。

そうです。


その後,1995年になって松永牧師を訪ねていますよね。

はい。


このとき,家族以外の人に話をしてもらうことにしたから,松永牧師を頼んだと思うんですけど,何で再度家族以外の人に,一度宮村さんと話し合ってもらってるのに,家族以外の人に再度話合いをしてもらうということを考えたんですか。

やはり,家族という立場では,なかなか聞く耳を持ってもらえない面もあります。特に統一教会の内容については,家族からの話を本当に真摯に受け止めてくれるということは難しいので,本人,徹以上に統一教会に詳しい人の話のほうが説得力があるというふうに思ったからです。


なぜこのとき,松永牧師に依頼することにしたんですか。

先ほど申し上げたように,東京が徹の活動拠点でしたので,物理的にちょっと離れたほうが安心かなということと,■<後藤徹氏の兄嫁>を通じて松永先生と面識があったからです。


宮村さんから紹介されたというわけではないんですね。

そういうことではないです。


松永先生には,いつ頃誰が連絡をとりましたか。

連絡を最初にとったのは,95年の初夏頃だったと思います。父がしました。



<新津福音キリスト教会に通って何を見、何を聞いた?会費は水茎会より安い3000円!?>

松永牧師に連絡をとった後に,今度は新津福音教会に通ってますよね。

はい。


それは,なぜ通い始めましたか。

先生に,家族としての心構えを勉強してくださいねというふうに言われたからです。


新津福音キリスト教会
<新津福音キリスト教会と松永牧師。この建物は1994年に建てられた。>

どれくらいの頻度で誰が通いましたが。

ですから,9月に話合いに入るまで,五,六回だったと思いますが,家族で新津の教会に出向きました。


家族というのは,ご両親と。

両親と私,■<後藤徹氏の妹>,■<後藤徹氏の兄嫁>です。


新津福音教会に通って,どのようなことをしていましたか。

先ほど申し上げたように,同じ立場のご家族とディスカッションしたり,元メンバーの人たちの話を聞いたり,あと,ビデオを見ることもありました。


ビデオというのは,どんなビデオを見たんですか。

元信者の人が統一教会について,教えについても解説するような内容でした。


今回,原告から甲第101号証というビデオが出てるのはご覧になりましたか,松永さんが話している。

見ました,はい。


あれを見たことはありますか。

いえ,ありません。



<後藤徹氏の兄が見ていないという松永牧師のビデオ>

先ほど,元信者が統一原理を解説したビデオを見たというふうにおっしゃってましたけれども,それは,そのビデオを松永牧師や元信者から見るように言われたんですか。

いえ。何かビデオが上映されてて,見たい人は見るという感じでした。


そうすると,新津福音教会では,そういう元信者とか,あとは相談に来てる家族とかの集まりというのは,どういう感じで行われてたんですか。

日曜の午後に,礼拝の後,別館で三々五々集まって,家族がそれぞれ,それなりに自主的に動いて勉強するという感じでした。


そうすると,主に話をしてるのは家族ということなんですか。

そうですね。あと,元信者の方たちです。


その会は,誰が運営してるのかというのはご存じですか。

いや,よく分かりません。


会費が徴収されたりするんですか。

会費はありました。


月にどれくらい。

月に3000円です。


それは,1家族ですか。

そうです。


献金したりはしましたか。

礼拝のときに席上献金はしてました。


それは,献金するようにと言われてたわけではなく。

いや,普通のことです。


信者の家族とかが集まってる会合で,松永牧師の話を聞く機会というのはありましたか。

はい,ありました。


それは,どういう形であったんですか。

聖書のお話もありましたし,家族の心構え的な,そういうお話でした。


家族としての心構えというのは,具体的にどういう話なんですか。

身内が統一教会に入ってしまう家族にありがちが,親御さんのちょっと高飛車な上から目線的な態度,そういったものが一番障害になりますよと,ぜひ,入ってしまってる家族の立場になって,一緒に真剣に考えてあげられるような姿勢をとってくださいと,そんな簡単なことじゃないですけども,そういうお話をなさってました。



<松永ビデオ、拉致監禁マニュアル、ことごとく否定?!>

甲第101号証のビデオの反訳が甲第130号証で出てますけれども,このビデオの内容と反訳の内容をご覧になったかと思うんですけれども,こういった内容を松永先生から聞いたことはありますか。

いや,ありません。



甲第98号証の3(ノート)を示す
98-3 5
<甲第98号証の3の一部>
これは,証拠として提出されてるんでご覧になったと思いますけれども,こういった内容が書かれたレジメというのは,ご覧になったことありますか。

いや,ありません。


ここに書かれてるような内容の話を,松永先生から口頭でも聞いたことはありますか。

いや,ありません。


1995年9月11日に徹さんと一緒に新潟に移動したとき,徹さんがご実家に戻ってきて,皆さんで夕食を食べた後に,1時間半ぐらい話をして移動したというふうに,さっきおっしゃってましたよね。

はい。


1時間半ぐらい話をしたというのは,何を話したんですか。

主に父が話をしておりましたが,なぜ家族が徹の信仰,統一教会の活動を心配してるのかという話ですとか,ぜひ家族も一緒に検証したいから話合いをしようということを,順々と話をしていました。


甲第98号証の3を示す
1枚目なんですけれども,2のところに,一論争して暴れさせるとか,あるいは,統一教会の活動について説明させたり,私は納得できないとか,そういうふうに書いてあるんですけども,こういうことを実践したんじゃないんですか。

いや。実践したというよりも,家族で考えて,どういうふうに話をしたらいいかということでしたことです。


徹さんは,最初から新潟に行くということに同意してくれてたわけではないのですね。

最初からではありません。


何で最終的には,徹さんは新潟に行くって同意してくれたんですか。

それは,家族の真剣な態度に心が動いたんだと思います。


このとき,家族以外に■<後藤徹氏の兄>の叔父さんと■<後藤徹氏の兄嫁>さんのお兄さんが来てますね。これは,何でですか。

叔父さんは,事情を話したときに心配して,自分も行くからと。また,普段山形に住んでる叔父さんが東京に出向いてきてるということで,やはり事の重大さというか,家族の真剣さを分かってほしいという思いもありましたし,■<後藤徹氏の兄嫁>のお兄さんに関しては,新潟のマンションに行くのに地の利があるので,また,買って出てくれたので,お願いしました。


甲第98号証の3を示す
1枚目に,同じように,「逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である。」というふうに書いてあるんですけど,そのために集めたんじゃないんですか。

いや,違います。


新潟に移動する際の車の中では,両脇を父と■<後藤徹氏の兄>に挟まれて後部座席に座ったというふうに徹さんがおっしゃってるんですけれども,実際はどうだったか。

父と母が両脇に付き添うような形で,徹は自分で靴を履いてましたし,歩いて,その流れで自然に座りました。


座席順は決まってたんですか。

いや。何か自然な流れで,そうなりました。


新潟へ移動するときには,簡易トイレを持っていきましたね。

はい。


それは,何のためでしたか。

父が持ってたからです。


徹さんは,車中で携帯トイレを使わせると,準備するのは常套手段だというふうに言ってるけれども,そうなんですか。

いや,そうではありません。



<「家族が決めます」松永の指示をことごとく否定?!>

新潟に移った後のことですけれども,先ほど,パレスマンション多門の窓や玄関ドアに細工をしたことはないというふうにおっしゃっていましたけれども,松永牧師から,話合いの場所の窓や玄関について,何か指示を受けたことはありますか。

ありません。


新潟に移動した際は,最初は家族だけで話し合ってたみたいですよね。

はい。


これは,どんな話をしてたかは聞いてますか。

徹から原理の教えについて話を聞き,家族はそれに対して質問したり,そういうやりとりだったと思います。


こういった家族だけで話をするようにというのは,松永先生の指示なんですか。

いえ,私たちで考えてやりました。


その後,松永先生が来るようになるわけですけども,松永先生が来るということは,徹さんは了解してたわけですか。

はい。


徹さんは,松永先生が来るときに特殊なノックの音がしていたというふうに証言してるんですけれども,松永先生との間で,ノックの音などについて何か決めていたことはあるんですか。

いや,ありません。


■<後藤徹氏の兄>さんも新潟にほとんどいなかったということなんですけど,新潟で話合いをしてる間,徹さんが暴れたりしたとか,そういうことを聞いたことはありますか。

いや,ありません。


徹さんが脱会を表明したことというのは,それは,誰から聞きましたか。

家族からだったですね。


脱会表明後の徹さんの様子については,■<後藤徹氏の兄>さんはご覧になりましたか。

いや,すぐにではないです。家族,■<後藤徹氏の兄嫁>とか■<後藤徹氏の妹>の話から,あれっていう感じで聞いてました。


■<後藤徹氏の兄>さん自身は,脱会表明後の徹さんと会って,どういうふうに感じましたか。

いや,どうなんだろうなと,半信半疑でしたね。すっきりし切ってないのかなという印象を持ちました。


徹さんが脱会手記を書いたことは知っていますか。

はい。


どういう経緯で書いたかは知っていますか。

手記を書くと,自分自身なぜ統一教会に引かれたかとか,整理ができるので,松永先生とのやりとりの中で,書いたら整理できるよというふうに言われたんじゃなかったかと思います。


徹さんは,信仰を試す踏み絵のようなものだというふうに陳述書に書いてるんですけれども,この手記というのは,そういうもののために書くんですか。

いや,違うと思います。


徹さんの主張としては,判定基準というふうにおっしゃってるんですけれども,これが話合いを終了させる判定基準なんですか。

いや,違います。


話合いを終了させるというのは,誰が決めるんですか。

徹も含め,家族で決めます。決めますというか,はい。


それは,何で家族と徹さんなんですか。その話合いを終了させるかどうかというのは,何で家族と徹さんが決めるんですか。

そもそも,統一教会のことだけでなく,家族の回復ということを,我々は1つの大きな目標にしてましたので,もともとうちの家族は完全ではないですから,気持ちの面で分かり得ないところも,また素直に話ができないという状況もなくはなかったので,そういう意味で,本当のいい家族になるための話合いっていう観点がかなりありました。そういう意味で,話合いをする,しない,そのあたりは家族みんなで決めるという,そういう感じでした。


松永先生が来なくなった後も,家族での話合いは続けていましたね。

はい。


新潟にとどまって家族の話合いを続けてたというのは,松永先生の指示があったからなんですか。

いや,そうじゃないです。



被告松永代理人(中村)
中村弁護士

新潟から東京のほうに徹さんが移りましたですね。

はい。


移る際は,松永牧師にあらかじめ相談したとかというようなことはありましたでしょうか。

あらかじめではないですね。


移るというふうに決めたのは,どなたでしょうか。

父がもともと東京で徹と話をしたいというふうには言ってました。家族で決めました。


もちろん,徹さんも承知の上で新潟を離れた,こういうことになるんでしょうか。

はい。


松永牧師に,新潟を離れましたよというふうな連絡はしたんでしょうか。

それは,したと思います。


それは,離れた後のことなんですね。

離れた後っていうか,いずれにしても,しましたですね。



被告宮村代理人(山口広)
山口広弁護士

乙ハ第44号証の1を示す
先ほど示されたものですが,1回目の話合いのときに徹さんたちがいたところは,ここでいうと分かりますか。

1回目の話合いのときに・・・。


京王プラザホテルから移ったところですね。

このフラワーホームの前です。


フラワーホームの前の,いわゆる犬ねこマンションとかいうところですね。

そうです,はい。


それから,Mさんがいた場所も分かりますか。

Mさんは,この辺のマンション。


フラワーホームの右側辺りにあるマンションなんですね。

だったと思います,はい。


あなた方は,フラワーホームから荻窪栄光教会に通ったわけですよね。

はい。


これは,歩いていったということですね。

そうですよ。


今,どういう道で歩いたかを言えますか。犬ねこマンションから荻窪栄光教会に歩いた道,さっと赤字で,ボールペンで書いていただけますか。

毎回一緒じゃないというのはありますけど,こんな感じですね。



裁判長
被告■<後藤徹氏の兄>に対し,乙ハ第44号証の1の写しに赤字ボールペンで経路を筆記することを命じる。
被告■<後藤徹氏の兄>は乙ハ第44号証の1の写しに上記命令のとおり筆記したので,これを調書の末尾に添付した。

被告宮村代理人(山口広)
大体今,赤いボールペンで書かれたようなところを歩いたわけですね。

そうですね。


当然人通りもありますね。

はい。


あなたとお父さんは,いつも徹さんの後ろから歩いて監視したんですか。

いや。後ろにも,それはいることもありましたけども,横へ行ったり,前へ行ったりという感じです。


Mさんと一緒に,マンションと栄光教会の間を歩いてるということはありましたか。

出会ったことがあったような気はします。ちょっと記憶が定かではありません。


乙ハ第43号証(青春を奪った統一教会)を示す
「青春を奪った統一教会」という書籍なんですが,この書籍を出すいきさつはご存じですよね。

はい。


どういうことで出すことになったんでしたか。

金銭的な代償のある和解を勝ち取って,そのお金で記録を残そうということでした。


この和解をすることについて,原告の中にも,あなたもかなり強い反対をされましたね。

そうですね,はい。


この書籍の,私か報告文を書いてるんですが,それの27ページ,和解金が3900万払われるに当たって,どうしてもそれじゃ納得できないということで,3名の原告があえて取下げをしたという事実があるわけですが,あなたは取り下げられたんでしたか。

いや,取り下げてないです。


この本の29ページ以下に,この原告の概要という一覧表をつけてますが,この33ページのTGと書かれてるのが,あなたのことですね。

そうです。


                                 
以上



超長文にお付き合いいただきありがとうございました。
水羊羹

次回は,後藤徹氏の兄の反対尋問です。
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2013-08-14(Wed)
 

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>どうか裁判所におかれましては,この裁判自体が,統一教会の反社会的活動に対する糾弾の,信者がそちらから目を覚まさせるための拉致監禁反対キャンペーンであるということをそんたくしていただいて,適正な判決をいただけるように

↑この文章が何か不可解です。
でも何か変ではないかと。

「拉致監禁反対キャンペーン」という用語を持ち出したのは監禁する方なわけで、意味はもう拉致監禁は悪いことだからやめましょう!ということ、、、
しかしその用語を使うことによって、わざわざ監禁という行為が行われていることを明言してるようだし、、、

何だか変な矛盾を抱え込んでいるような気がするのです。
2013-08-14 18:31 | 名無しさん | URL   [ 編集 ]

窓から逃亡 

長文ですね。

それにしても、兄の話は白々しくて、つまらないですね。
ウソを付くにしても、もっとマシなウソをつけ、って。

でも、名無しさんも感じているように、「監禁していました」って白状しているようにも読めます。

車の窓から出ようとしてもみ合いになり、警察騒ぎになった…。

これで、どうして「自分の意思で話し合いの場に行った」ってことになるのか。
走っている車の窓から逃げ出す、って、一般的にはありえへんことですよ。
無理がありすぎでしょ。

マンションの玄関には南京錠、窓にはクレセント錠…。

これって、徹さんが希望したの?
どう見たって監禁アイテムですがな。
「発作的に窓から出るみたいなことがあるかもしれないと思って」って、高層階マンションの窓から出る、って尋常じゃないよ。
そこまで追い詰める「話し合い」って、何?

ずっとマンションにいたのは…。
「徹と■<後藤徹氏の妹>です」

妹はさぞかし話し合いが好きなんですね。
妹は日がな日がな、どんな話し合いをしたのでしょうか。
徹さんは何と話し、妹は何と言ったのか。具体的な内容を聞いてみたいです(話し合いをしていたとするなら、ね)。


徹さんがいなくなることは,予想外だった…。

そりゃそうだ。12年5ヶ月、兄たちと徹さんとの認識は食い違ったままだったのだから。
不適切な例えかもしれませんが、熟年離婚みたいですね。
徹は外では生きていけないので必ず頭を下げて戻ってくる、そう思っていたのに、あれっ、戻ってこない、出て行っちゃった…。
財布も免許証もすべて奪い取っていたのに逃げやがった…。
出て行かれて当然のことをやっておきながら、頭を下げて戻ってくると思っていた兄…。
独りよがりが過ぎますね。

今後、妻や周りの人間が逃げていかないか、心配です。
宮村もいつまで味方でいてくれるか分かりませんよ~。
2013-08-15 08:49 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

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