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原告側証人MK氏反対尋問(東麗子&中村周而&山口広弁護士編)-山口広弁護士が弾劾証拠をもって再び登場

 MK氏の尋問は今回で終わります。
東麗子弁護士と中村弁護士,それに弾劾証拠を掲げて再登場した山口広弁護士を一つにまとめました。
まだまだ,尋問録はたくさんありますので。

 ところで、「弾劾証拠」という言葉が出てきましたが,これは実質証拠の証明力を低下させる補助証拠のことをいうのだそうです。
今回の裁判では始めて登場しました。

 通常,証拠というのは,尋問前に日程的にも余裕をもって,裁判所及び相手側に提出することが原則です。
 実際,被告側の弁護士が,直前に書面を提出した事に対し,裁判長が苦言を呈したこともありました。(それについては,松永牧師&後藤氏兄嫁の尋問傍聴記録ー「保護説得の責任はすべて家族」と言い続ける松永氏.「わかりません」21連発の兄嫁さんを参照してください。)
 ところが,弾劾証拠というのは,尋問の当日にいきなり出してもいいのだそうです。

 山口広弁護士がMK氏に突きつけた弾劾証拠とはなんだったのでしょうか?


・原告側証人MK氏主尋問(その1)-後藤氏の監禁現場を見た生き証人MK氏
・原告側証人MK氏主尋問(その2)-「異議あり」 原告代理人に「誤導」だと主張する山口広弁護士
・原告側証人MK氏主尋問(その3)-宮村氏が脱会させた元信者のケアをしていたA牧師との会話
・原告側証人MK氏反対尋問(木村壮弁護士編)-宮村さんの指示に従わなきゃいけない理由なんかあったんですかと何度も訊ねる木村弁護士
・原告側証人MK氏反対尋問(山口広弁護士編)-"み言"が原点(?)の山口広弁護士
・原告側証人MK
・原告側証人MK氏反対尋問(東麗子&中村周而&山口広弁護士編)-山口広弁護士が弾劾証拠をもって再び登場

被告松永代理人(東)
1986年に統一教会に初めて勧誘されたときに,そのときは路上で勧誘されましたか。

はい。


アンケートといって勧誘されましたか。

はい。


そのときは統一教会だということは言われていましたか。

そのときは言ってません。


アンケートだけと言って,ビデオセンターに行かないかと言われたんですか。

ビデオセンターに行かないかじゃなくて,アンケート答えて,こういう学生のサークルがあると,だからもし興味があったら来てくださいと,だから私,別に当日行ったわけじゃなくて,何日かしてから行ったように覚えてます。


その後,ビデオセンターに行くように勧誘されましたか。

勧誘というのが,そういうサークルかあるから来てくださいというふうに言われました。


水茎会の活動に関与されてたんですか。出席されたりとかしてたんですか。

私は下でやってるのを知ってましたけど,出ませんでした。


新宿シャロームビル
<新宿シャロームビル。MK氏が宮村氏の説得により脱会した当時,水茎会はのビル2Fにある新宿西教会で勉強会を開いていた。ちなみにMK氏は脱会後,しばらくの間,このビルの一室に住んでいた。>

水茎会の活動には関与してたという感じではないと。

はい。


元信者の方に誘われて,後藤さんとかのところに訪問してたことがあるということですか。

誘われてというよりも,どこどこに行きますという宮村の指示を言われて,私は,はいということで,そのまま連れていかれるような形ですよね。私は,マンションのまだ中にいたときに,ほかの監禁マンションに訪問してるので,ある意味私のリハビリのために行ってるわけですね。


水茎会の活動には関与してなくて,宮村さんの指示でとおっしゃいましたけど,宮村さんが行けと言ってるんだよというふうに元信者の方から聞いて行ってたんですか。

元信者の人は,実際にはそういうことを言ってませんけれども。


あなたは宮村の指示だと思ってたということなんですか。

ええ,当然だと思ってました。宮村さんがそう言わなければ,私を動かすことができないと思ってました。まだ南京錠も付いてましたから。


あなたは,あなたをやめさせたいがために監禁されたというふうにおっしゃってますよね。やめさせるために,いわゆるそちらの言う監禁をされたという,それが宮村さんの指導だと。

はい。


あなたをやめさせたいのは宮村さんなんですか。

宮村もやめさせたいと思うし,家族もやめさせたいと思ってます。


家族はやめさせたいのは何でですか。

それが分からないんですよ。だから,私は家族にお金を借りたこともないし,家族に何か文句を言われたこともない,何もないのに,何であそこまで。


統一教会信者だということを家族に話したことがありますよね。

はい。


それで家族は心配してるわけですよね。

というか,そのときに心配したわけじゃないんですよ,全然。父親は,うん。


何でそのときじゃないと思うんですか。

だって,一緒にしゃべってるから分かるわけですよ。父親は,そうか,うん。


統一教会信者だと言ったときに,あなたは統一教会がすばらしい教えなんだと,私はだからこの教えに邁進していくつもりだというふうな形で話されたんですか。

私は,統一教会という宗教があって,そこの学生の寮があるから,そこに入りたいんだと,多分そういうような感じで言ったと思います。


でも,御両親がなぜ心配されてるのか分からないと。

そのとき全然心配してなかったんですもん。


そのとき心配してなかった,今後の心配をしてなかったと。

だって,そうです。父親は,うん,そうかと言って,まあ,社会勉強だと言って,母親はそのとき何にも言わなかったんです。母親は,もともと新興宗教とか,そういうのは嫌いだったので。


その後で,2回目に家族と話合いをされた後,信仰を失ったとおっしゃってましたね。

はい。


その後でマンションを出たのがいつかは別として,K村さんという友人の方に連絡をとったと。

はい。


その後で,株式会社徳川に勤めて,そのときはもう統一教会の信仰は失ってるわけですね。

もちろんです。


統一教会にだまされたと思ってるわけですよね。

はい。


だまされたというのは,統一原理が真理じゃなかったというふうにお聞きしいいん<ママ>ですか。先ほども説明があった。

それでも構わないです。


そうすると,真理だと思ってやったものが真理じゃなかったと,私はだまされたというふうに思ったと。

はい。


その後で,K村さんに何かよい仕事がないかと思って訪ねたところ,清平修練苑という統一教会系の修練所のアルバイトを募集してるとのことでしたと。

それは2004年のことですよね。


何年かはここに書いてないんですけど。

随分たってからです。それ,韓国行ってからだし。


その頃はまだ信仰は失ってなかったんですか。

その頃は,要するにいろいろ考え始めた頃,韓国へ行ってから,生活が安定して,もう余裕ができて,いろんなことを考え始めたときに,何年か前の拉致監禁のことも,いろいろ自分の中で整理しようとするわけです。その中で。


いつ頃,信仰を考え始めたかというのはいつなんですか。

統一教会に関しては,だから清平に入ってからなんですよ。清平に入るときは,私は別に信者でも何でもないし。


なかったんですよね。

そうです。


でも,清平というのは,統一教会信者のための施設じゃないですか。そして,あなたがまさにだまされたと言ってる統一原理を教えるところなんじゃないんですか。

というか,そのときにはもうだまされたという感覚はありません。ああ,私は宮村にだまされたんだという感覚です。だけれども,別に統一教会に戻るうというふうには思ってなかったんです。清平で面接を受けたときも,別に私は聞かれなかったわけですよ,統一教会員か何かなんて。


清平に行く頃,統一原理はいいものでもないけども,悪いものでもないぐらいに思ってたということですか。

清平に入るときは,というか,要するに宮村の言ってたことはうそだったんだと,そしたら,じゃ彼が批判してたこともうそじゃないかとじゃ統一教会って,統一原理って本物なのかしらと思い始めたわけですよ。だけれども,だからと言って,統一教会にすぐ入りたいなんて思わないわけです。何でかと言えば,あんな拉致監禁なんて,もうあんなことを経験してるから,またそういうことにかかわるようなことはやりたくないんです,本当は。


真理だったら,でもやるんじゃないんですか。真理かどうかは分からないということなんですか。

その時点では別にまだ,別に統一原理を勉強しようとか,そこまでは考えてませんでした。



被告松永代理人(中村)
甲第11号証のあなたの陳述書によりますと,98年9月にフラワーホームから解放されたということでしたね。

はい。


このときに,その後にマンションで一人暮らしをするようになったということなんですが,軽いうつ病にかかったという記載がございますね。

はい。


これは,あなたは病院に行って治療をされたんでしょうか,それともお医者さんからそういうふうに診断されたんでしょうか。

いえ,それは診断書があって私はそう書いたのではなく,恐らくそうだったんだろうということで書きました。


御自分の気持ちとして,そういう状態だったのではないかというふうなことなんですね。

はい。


特に例えば薬を飲んだとかいうようなことはありましたか。

それはないです。


98年9月以降ですけれども,それまであなたは家族とか宮村さんに暴力を振るわれたとか,あるいは監禁されたというふうなことを受けたというお話があったわけですけれども,それについて刑事問題にしようという気持ちはありましたか。

私は,要するに統一教会やめてますから。


刑事問題にしようということで。

とは思いませんでしたし。


それは思わなかったんですか。

というか,そこまでの余裕が当時は全くなかったし,もうかかわりたくなかったんですね。


御自分の御家族に対しても,宮村さんに対しても,刑事問題にしようということで訴えようとしたことはなかったということですね。

また監禁のことを掘り返して,それでどうのこうのなんて,とてもそんな余力はありません。


したか,しなかったかで結構ですが,それはなかったということですね。

はい。


後藤さんが監禁されているということについては,あなたは98年5月に知ったということでしたね。

98年の5月に知ったわけじゃなくて,それは行ったんであって,その前にもうYKさんが言ってたんですよ。


そうすると,98年5月に実際にごらんになったということですか。

そうです。


その後,98年9月以降ですけれども,後藤さんについて警察に相談して救出してもらおうというふうな,そういった動きをしたことはありましたか。

いや,私はもう何か自分のことでも精一杯。


それもなかったということですね。

はい。


被告宮村代理人(山口広)
後に提出する乙ハ第40号証の1及び2(戸籍謄本)を示す
これはあなたのお父さんの改製原戸籍,それからあなた自身の改整原戸籍なんですが,まず乙ハ40号証の1を見ますと,平成4年12月14日に韓国籍のKGさんと入籍してますね。

はい。


つまり先ほどお話があった1992年8月の合同結婚式の後の,その年の12月に入籍したということですね。

ええ,そうですね。


婚姻無効で籍が抜けたのが平成11年6月16日になってます。つまり先ほど言ったように,平成11年,つまり1999年4月に婚姻無効の判決が出て,それからようやく籍が婚姻無効で抜けたという私は認識でいるんだけども,それでよろしいですか。

どういうことですか。このとおりでいいですかということですか。そうだと思いますよ。


判決が出たのは,この99年,平成11年4月ということではないのですか。

ええ,そうみたいですね。


乙ハ第40号証の2ですが,その後,あなたは平成17年7月に再祝福を韓国人の男性と受けたんですか。

はい。


それは翌年に離婚したということなんですね。

そうです。


後に提出する乙ハ第41号証(陳述書)を示す
この1枚目の署名欄はあなた自身の署名でしょう。

そうです。


「きよみ」というのはハングルで書いてあるんですね。

そうです。


このハングルの「きよみ」という字と,本文のハングルと同一人物が書いたと思えるんですが,違いますか。

これ,私,覚えてないんですね。


宮村さんがあなたが書いたということで,あなたから預かったと言ってるんだけど,違いますか。

これを私が宮村に預けたんですか。陳述書。


そう。ハングルで頑張ったと。

紀藤弁護士じゃなくて。


うん。それも覚えてないの。

はい。


言われてみれば,あなたが自分でハングルで訳したかもしれないなということでよろしいですか。

・・・・・。


乙ハ第38号証の1(写真)を示す
これはIAさんという方がこの写真で,その写真8,成約断食勝利の記念撮影をしてます。9では,その成約断食が終わった後の重湯を飲んでるところですが,こういう場面をあなたも経験してますか。

7日断食は私1回やりました。


そうすると,こういう形で成約断食ということでやるわけですね。

私のときとは随分違いますけど,私の場合は92年の3万双の祝福の前にやって,要するにすばらしい相対者が天からいただけるようにということで,7日断食をやりました。


                                



以上


次回からは,被告側の証人OB氏の尋問録をUPします。
これからも後藤徹氏を応援してくださいね!!

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2013-07-30(Tue)
 

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記事とは直接関係ない内容で申し訳ないですが・・・ 

統一教会員への拉致監禁問題とも通じるところがあるブログ記事があったので、紹介させていただきます。

以前、みんなさんが紹介してくださいました「オセロ中島さん」に関する内容です。

「なぜ家族問題は洗脳騒動、強制入院へすり替わったのか」
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/54174962.html
(精神科医の犯罪を問う)

是非、一読していただけたら、と思います。
2013-07-31 00:29 | koyomi | URL   [ 編集 ]

引き裂いておきながら 

<それは翌年に離婚したということなんですね>

よくもまあ、淡々とこんなこと聞けるもんだ。お前らが無理矢理、離婚させたくせに。

1992.8 入籍
★拉致監禁される
1999.6 離婚(婚姻無効)
2005.7 再婚
★拉致監禁される
2006  離婚

拉致監禁がなければ、美山さんが今頃、どんな人生を送られていたことでしょうか。
お子さんに恵まれ、いいお母さんとして幸せな家庭を築かれていたに違いありません(統一教会は離婚を許さず、多産を奨励している)。

拉致監禁して、人の人生をめちゃくちゃにしておいて、まだ自分たちの非を認めようともしない。

山口ら監禁一味をゆるさない。
半沢流に、やられた分、やりかえしてやりましょう。“倍返し”だ!
2013-07-31 08:47 | みんな | URL   [ 編集 ]

みんなさんのコメントを少し訂正 

美山さんが、一回目監禁されたのは、90年夏から91年初め。

92年の3万双祝福を受け、12月に入籍。

2回目の監禁は、96年1月。
99年4月に婚姻無効。

2005年に再祝福を受け、2006年に離婚。

この、2005年の離婚と拉致監禁は直接は関係ないと思います。
2013-07-31 19:05 | koyomi | URL   [ 編集 ]

RE:みんなさんのコメントを少し訂正 

そうでしたか。
訂正、ありがとうございます。

拉致監禁被害者だけが十字架を背負い、加害者がしゃーしゃーと生きている状況に、ついつい被害者よりの解釈をしてしまいます。

顔を出して闘っておられる美山さんには、心底、その無念を晴らしていただきたい、今後の人生を監禁前よりもずっと幸せなものにしていただきたい、と願います。

改めまして。
夫婦を引き裂いた拉致監禁派(洗脳利権集団も含む)に倍返しをしてやりましょう!
2013-08-01 08:38 | みんな | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
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