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原告側証人MK氏反対尋問(山口広弁護士編)-"み言"が原点(?)の山口広弁護士

皆様
更新が遅れてしまってすみません。
おやさしい読者の皆様のなかには,管理人が夏ばてして倒れているのではないかと心配し,メールを下さる方もいらっしゃったのですが,大丈夫です。

まあ,多少ばててますが・・・・。

皆様もお気をつけくださいね。


今回は,あの山口広弁護士です。

前にも言いましたが,被告弁護団の中では一番,声が大きく威圧感があり,一番手ごわい感じの弁護士です。

山口弁護士は,非常にMK氏のプライベートのところまでよく調べてましたね。

その割には,MK氏本人は余りよく覚えてない・・・・

また,後藤氏の時と同じく,統一教会創始者である文鮮明氏の説教文(所謂"み言")を朗読し,"み言"を根拠になにか誘導しようとしていらっしゃいましたが、当のMK氏は

「読んでないです」


なんだか拍子抜けです。

・原告側証人MK氏主尋問(その1)-後藤氏の監禁現場を見た生き証人MK氏
・原告側証人MK氏主尋問(その2)-「異議あり」 原告代理人に「誤導」だと主張する山口広弁護士
・原告側証人MK氏主尋問(その3)-宮村氏が脱会させた元信者のケアをしていたA牧師との会話
・原告側証人MK氏反対尋問(木村壮弁護士編)-宮村さんの指示に従わなきゃいけない理由なんかあったんですかと何度も訊ねる木村弁護士
・原告側証人MK氏反対尋問(山口広弁護士編)-"み言"が原点(?)の山口広弁護士
・原告側証人MK氏反対尋問(荻上守生弁護士編)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(東麗子弁護士編)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(中村周而弁護士編)-???


被告宮村代理人(山口広)
あなたが99年1月に就職した株式会社徳川,この会社はハン・ヨンソンという人物が取締役にいますね。

分かりません。


この会社は統一教会の信者さんがやってる会社じゃないですか。

全然違うと思います。


ハン・ヨンソンという方は6000双と聞いてますよ。違いますか。

そんな人が会長をやってる,会長はキシケンイチという日本人だったと思います。


キシケンイチさんも統一教会の信者じゃないの。

知りません。そうですか。知りません。私はそうじゃないと思っていました。


どういうつながりで,この徳川を知ったんですか。

ハローワークです。


違うでしょう。知り合いの紹介で行ったんじゃないの。

ハローワークですよ。新宿のハローワークに行って,そこで紹介してもらったんです。


あなたは統一教会に戻る気になったのはいつからですか。韓国に行ってますね。

清平修練場<注 清平修練所の誤り>に入るまでも,まだ統一教会に戻るとか,通うなんていうのは,別に一切なくて。


清平に行くということは統一教会の信者になるということでしょう。違いますか。

違うと思います。だって,私,それまでに教会なんて1回も通ってなかったし,別に清平に行ったからって,統一教会の信者になるなんていう意識は全くありません。


K村さんと初めて連絡をとったのはいつですか。

98年です。マンション出てからです。


98年の秋ぐらいには連絡をとったの。

はい。


あなたは重要な事実誤認をしてるので確認しますが,あなたの婚姻無効の判決が下されたのは実は99年4月20日です。

ああ,そうですか。


あなたがフラワーマンションを出て1人で住み始めたのは,98年9月ということですね。

そうです。


これはあなたの婚姻無効の裁判が起こされた頃ですよ。

いや,だって,それまでに私。


あなたが紀藤弁護士に頼んで婚姻無効の裁判を起こしたのが98年9月です。

それちょっと,私自身も調べたいと思います。私のマンションから何度も紀尾井町の事務所に通ってるので。


何回ぐらい通いましたか。

もう五,六回ぐらい。


もっと通ったでしょう。

詳しい回数までは記憶に。


あなたが最初に紀藤弁護士のところに行ったのは97年12月ですよ。その後,翌年1月に調停を起こしましたね。覚えてますか。

というか,別に私に事務所で説明したのかもしれませんけれども,ほとんどもう行って,これにサインして,じゃあ,これでいいですかという内容で,私は確認というような意識はほとんどありませんでした。


婚姻無効の裁判には,訴状とか陳述書が必要でしたね。

だと思います。


あなたは陳述書に署名押印しましたね。

そうだったと思います。


しかも,これをハングルに翻訳して,外国送達という手続をしなきゃいけなかったね。

そんなこと言ってました。


ハングルに翻訳したのはあなた自身だと。

いや,私じゃないです。


あなたでしょう。

いや,私じゃないです。


あなたは,ハングルに翻訳するために韓国語の勉強もしなきゃいけないと,ぼやいてたじゃないですか。

韓国語の翻訳の仕事を始めたのもその後です。2000年になってから,延世大学の語学院に通って,その後,本格的に翻訳の仕事を始めました。それまでは,とても翻訳ができるような実力ではありません。


あなた自身が書いた,ハングルで書いた訴状の翻訳文とか,あるいは陳述書の翻訳文がありますが,それはあなた自身が書いたという事実を聞いてるんだけど,違いますか。

私,書いてないんですよ。だから,内容も全然覚えてないんです。聞かれたことは恐らく答えたと思いますけれども,私,書いてないんですよ。


人に頼むとお金がかかるということで,あなた自身が訳文を作成して清書したと聞いてます。

いや,私,訳文なんかしてません。そんな陳述書なんか,とても当時訳文なんかできません。


KGという人があなたの相対者でしたね。

はい。


99年8月<3万双の合同結婚式が行われたのは92年8月なので,99年というのは誤りかと思われる>,3万双の合同結婚式で初めて会った人ですね。

はい。


当初は言葉が通じないので,漢字で筆談してたんですね。

はい。


それじゃ好きも何もないでしょう。

最初はそうですよ。会うときはそうです。その後,私,3年もずっと韓国にいて。


メシアが選んでくれた相手,真の家庭を作らないといけないという使命感で,ずっと何とか祝福を壊しちゃいけないという思いでいたんだよね。

祝福を壊す,壊さないというよりも,韓国,結構自由に会うことができて,いろんな話が,彼が要するに私にハングルを教えてくれたわけですよ。彼からいろいろハングルを学んで,少しずつ会話できるようになってくる。そうすると,だんだん気持ちも近づいてくるわけです。


だから,守らなきゃいけないとか。
渡韓して,あなたは世界日報,韓国で世界日報で言ってるようだけど,その本社の国際修練研修院に住んだんですね。

はい。


そこの研修院に日本人女性信者らと共同生活しながら,世界日報の拡販活動をやってたんだね。

拡販というか,そうですね,配達をして,向こうで時々営業活動しました。


あなたは93年2月に渡韓したと陳述書に書いてますね。

はい。


これは渡航ビザ,同居ビザを取るために大変な手間がかかって,そのために入籍したということでいいですね。

いえ,だから。


あなたは同居ビザで行ったんですね。

そうですね,そのときにはもう同居ビザで行ったと思います。


だから,韓国大使館まで行って,そのビザを受け取ったんですね。

はい,そうですね,領事館で受け取ったと思います。


その同居ビザを取るために入籍したんじやないんですか。

というか,要するにその先には結婚がある,普通の結婚があるわけですから,その過程として同居ビザも必要なわけですよ。


聖別期間が96年1月14日までと決められてたでしょう。96年1月14日と決まってたんじやないですか。

それ,いや,私はそういう意識は全くなくて,それ,決まってなかったと思いますけど。結構,その家庭,家庭の,要するにカップル,カップルの事情で,研修院からもうどんどん地方にも行ってたし,ソウル市内も違う教会にも行っていたし,別に96年の何とかというのは,あんまりほとんど意識してなかったですけど。


96年1月14日に1000日のホウシインの修了式があって,そこにあなたは参加したでしょう。

ええ,それは参加しました。だけど,参加したからといって,私はまだ若かったし,相対者の人も最後までやったらいいということで,それて私,最後までソウルにいたわけですよ。別にその日にちを守らなきやいけないから,そこにいたわけではなくて。


96年のこの1月以降まで頑張らないと,その次の世界日報配りの担当者がいなかったんじやないの。その前の年の95年8月に36万双がありましたね。

はい。


だから,あなたたち3万双の韓日の女性信者たちが世界日報配りをやった後,36万双の女性信者たちが代わりに世界日報配りをやったんでしょう。違いますか。

いや,そんなに人は必要なかったわけですよ。だから,次の人が来るのを待つという感覚ではありません。だから。


当時,国際研修院に280名ぐらいの韓日の女性信者たちがいたと聞いてますよ。

そうです。だから,そんなに本当は要らなかったんだと思うんですよ。だって,私の支局だって20人ぐらいいたんですけど,私か新聞を配ったのはアパート5棟か6棟ですよ。そんな狭い範囲を,だから人が多すぎて小さくなっていくわけです。だから,そんなに,正直言うとそんなに人員は要らなかったと思うんですよね。


あなたは95年11月に大田に移ったんですね。

はい。


KGさんと合流したかもしれないけども,そのKGさんが交通事故を起こして数百万ウォンが必要になるという事態になりましたね。

ええ,交通事故起こしました。


KGさんは親からも100万ウォンを借りたし,ほかにもお金を都合しなきやいけなかったんじゃないの。

いや,お金は必要だと言ってましたけど,幾らかって,私,聞いてないですけどね。


その後,あなたは一旦日本に帰って,帰った理由は韓国で家庭を持つための資金作りじゃないですか。

いえ,資金作りではなくて,そんな1ヵ月ぐらいで何か,ではなくて,要するにあのときはもう新婚,家庭,家ももう用意してたわけです。場所もあったわけです。だけれども,その直前に彼が事故になってむち打ちになってしまって,それでこの状況ではー旦仕事も休まないといけないし,家は用意したけど,まだちょっと時間かかかるということで,それでそれだったら私は別に何もやることないしそれだったら一緒に住み始めたら,もう日本にもあまり帰れなくなるだろうからと思って,その合間を縫って,要するにだから1ヵ月,1ヵ月だけ両親に挨拶してくると,ついでにどこかヤマザキパンの工場でも1ヵ月だったら仕事でもしたらいいやと思って,それで1ヵ月という約束で帰ったんです。


韓日信者の女性たち,あなたも含めて,韓国で家庭を持つために日本にー且帰ってお金作りをしてますよ。あなたもその一環でしょう。違いますか。

1ヵ月で一体どれくらい作れるんですか。家庭出発のためのお金じゃないですよ。


幾ら作りましたか。

途中でそれも辞めさせられたじゃないですか,監禁しちゃって。ヤマザキパンに,私,辞めますも何も言わないで,いきなり行方不明ですよ。


あなたは95年11月に家庭修練会に出ましたね。要するに大田に移った後,家庭修練館<家庭修練会の間違いと思われる>というのがあるでしょう。

いや,私はそのときはもっと前に出たと思います。


じゃ,何月に出ましたか。

いや,覚えてないです。


家庭出発に当たって,家庭修練会というのは必須でしょう。違いますか。

修練会はあります。これから,ええ。いつ受けたか覚えてません。


90年3月に日大文理学部を卒業して,ミスターミスユニバーシティビューティーペイジェント事務局に勤めたと書いてますね。

はい。


これはうそでしょう。あなたは,学生だった88年3月から,このミスターミスユニバーシティビューティーペイジェントの事務局をやってたんじゃないですか。

やってたというより,それはまだ学生として手伝ってただけで,別にそこからお給料が出たわけでも何か出たわけでもない,ただ学生の立場として,それ,手伝ってただけです。


K南さんと原研の本部で会って面接をして,それで,じゃ来てくださいということで,このBASAの事務局に入ったんじゃないの。

というか,それは私は学生なので,事務局に入る何だかんだというよりも,要するに学生のお手伝いが欲しいということで,何人か面接があったそうです。それで,その面接に行って,じゃ事務局のお手伝いしてくださいということで,行くようになりました。


そこに専念したんじゃないの。スタッフが七,八人いましたね。

はい,いました。


あなたたちは,90年4月以降,給料をもらってたんですか。

はい,もらいました。


幾らですか。

その値段まで覚えてません。


つまり,あなたは日大の卒業後も,原理研の組織活動の一環として活動してたということでしょう。

ミスターミスのその大会は,ビューティーオール学生協会という学生の協会と,あと平和教授。


世界平和教授アカデミー,違いますか。

その教授の組織と,その2つで運営されていたんです。


その運営をしてるのは原理研究会ですね。

原理研究会ではないでしょう。


原理研究会が実質的に資金を出してるんでしょう。違いますか。

私たちは自分で機関誌を出して,キャンパス・アイという機関誌を出して,その営業もしたし,配るのもやったし,営業活動をやってました。


半年に1回,ペイジェントなるものをやってましたよね。

はい。


1回に700万とか1000万かかるでしょう。

内訳まで分かりません。幾らかかってるのか,分からないです。


あなたは700万というふうに言ってたと聞いてますけど,違いますか。

誰から。


国内のペイジェントをやるのが700万,国際的なものをやるときは1000万の資金が必要だったと。

記憶にありません。


それは実質は原理研究会が出してたと。

というか,幾らかかってるのか,よく分からないので。


90年夏から約6ヵ月間の話合いをした,その話合いもあなたは監禁だったというんですか。

1回目のことですね,はい。


K牧師やMさんが来て,脱会説得をしたということですね。

そうです。


このときも罵言雑言を浴びせられたんですか。

K牧師は聖書の話を中心にしてきました。別に。


Mさんは。

Mさんは,御旨と世界か,あと原理講論などの批判をしてました。


そうすると,あなたから見ると罵言雑言じゃなかったということになるの。

別に2人から悪口を言われたような記憶はありません。


このときの監禁も,あなたに言わせるとKさんやMさんが親に指示したということになるんですか。

私か親から感じる範囲では,親は1回目のときは筆談で話をしたり,まだ私か統一教会をやめたくないんだと。


結論を言ってください。

全く雰囲気が違うんです。水茎会の,宮村がやってるときと,1回目と全く違うんです。2回目は一切やめるまでは出させない,やめてもまだ出させなかったわけですよ。私がリハビリ中でも出させなかった。だから,1回目のときは結局出してくれたわけですよ。私か嫌だってやったら出してくれたんです。


1回目のときも,あなたは先ほど来,主尋問で監禁だ,監禁だとおっしゃってたけど,その監禁は誰が決めたということなんですか。あなたは先ほど来,誰かに操られたと,繰り返し言ってたよね。

親がどうしてあそこまで監禁するのか,私は本当に理解ができません。
だから。


理解ができないから,誰かに操られたと決めつけてるわけですか。

いや,決めつけてるわけではなくて。


1回目の話合いの監禁,あなたが言う監禁は,誰が決めたの。

母親は,最初荻窪栄光教会に通ってましたから,そこでいわゆる水茎会,まだ荻窪栄光教会にあったときに水茎会に通って,そして宮村が出てから,K牧師がそこのナルド会ですけども,会の名前が変わって,そこを統括していたわけです。そこの方だもの協力を得て,あそこのマンション,ナルド会が提供をしてくれたのをうちが使って,私を閉じ込めて説得をしました。


荻窪栄光教会


誰が決めたんですか。あなたの推測でいいから言ってください。

K牧師とMさんだと思います。


じゃ,K牧師とMさんがあなたの両親を操ったというわけね。あなたはそう思ってるわけですか。

はい。


あなたの陳述書には,両親らは監禁から解放してくれたと書いてある。ここにはMさんやKさんの名前は書かれてない。これはどういう意味ですか。

それは筆談をしながら最初は断られたんで,そんなこと,いや,というか,断られたというか,家族はもう弱気になって私を出そうとしていたけども,時間がたっとまた話がひっくり返るわけですよ。私は最初どういう内容を伝えたかといったら,ここで閉じこまらないで,私があなたが聞いて,家族が聞いてほしいというところに私が通ったらいいじゃないかと言ったわけ。それを聞かせたいんだったら,私か通うことでいいじゃないかと言ったわけです。そしたら,家族が,うん,それもそういうやり方もあるなと,私側に寄ってきたのが,また何日かするところんと変わって,私か帰ったら絶対通ってこないというふうにまた意見が変わるわけです。そんなことが何回かあって,誰かともう相談してるのはよく分かってました。それはもう毎日来ていたK牧師だろうし,その次にずっと来ていたMさんだと思いますけれども,相談しながらずっと私と接してたわけですよ。


解放してくれたのは両親じゃなくて,MさんとKさんなんですか。

と相談の結果,私を解放したんだと思います。


そのKさんに,あなたは2 0 12年,去年の2月にわざわざ横浜栄光教会に訪ねてますね。

はい。


あなたは,国境なき人権の報告書か何かをK牧師に見せて,宮村追及に協力してほしいと頼んでますね。

はい。


その後には,Mさんのもとも訪問して,宮村追及の協力を要請しましたね。

あれはちょっと違ってて。


Mさんのところにはいつ行きましたが。

いつ行ったのか,ちょっと覚えてないですね。いつだろう。


去年の12月じゃないの。

K牧師のところに行く前に行ったと思います。


あなたが直接行ったんじゃなくて,KSという足立教会の信者さんのつてで行ったんだよね。

そうです。


あなたは,2012年,去年の3月にはMさんにメールして,後藤徹がMと交流したがってるので,メールアドレスを教えていいかと聞いてますね。

はい。


あなたがMさんに,統一教会は霊感商法の問題はあるけれども,あれは民事裁判の問題だと,宮村かやってるのは拉致監禁は刑事犯罪だから質が違うんだと抗弁してますね。

はい。


あなたはその考えは今も変わらないんですか。

もちろん,はい,そうです。


ところが,Mさんはそれに対して,霊感商法で刑事事件にたくさんなって,何人も逮捕者が出てるよという指摘をされてますね。

はい。


このような交流をあなたはMさんとやってるんだけども,あるいはK牧師もそういう協力の要請もしてるんだけど,それでもあなたに言わせると,MさんやKさんは親に対して拉致監禁を操ったということになるわけですか。

いえ,私からすると,1回目は私の抵抗に向こうはもうこれは帰してあげたほうがいいという,要するに解放してくれた。まだ良心的だと思ってるんです。多分私は最後,筆談で訴えてやると,弁護士に言って裁判にして訴えてやると,たしかそういうふうに書いたと思います。
だけれども,最後,K牧師とかの話合いをして,私を解放してくれたので,それで私はそこまではしないというふうに思ったわけです。
だけど,2回目は。


そういうことでわざわざあなたは1人で,K牧師や。

だけど,2回目は全くそれとは違うんですよ。宮村とK牧師は全く違うんです。次元が違うんです。


先ほど,あなたは1回目の拉致監禁にK牧師やMさんがかかわって指導したと言った。そのKさんやMさんのところに,あなた1人で自ら会いに行っている,そうですね。

そうです。


しかも,あなたはA牧師のところにも行ったと,先ほど証言しましたね。

はい。


いつ行ったんですか。

だから,2011年の秋と,あとその後二,三回行ってます。


どこに行ったんですか。

青梅教会です。


あなたにとっては,A牧師は怖くとも何ともないということですか。

A牧師は,私はもう元信者ですから,新宿西教会で一旦はお世話になった,そういう気持ちのつながりがあるんです。私か2011年の秋に行ったときに,A牧師は私は統一教会に戻ったということを知らなかった。だから,私はまず自分の今までの経緯とお話をして,それでいろんな話をしましたけれども,A牧師は。


新宿シャロームビル


Aさんは怖くなかったのかとだけ聞いたの。なぜそんなにいろんなことを言うの。

怖くはないです。


あなたは,23年12月に静岡県のTYの実家まで行ってますね。

はい。


何しに行ったの。

御両親の文句を聞きに行きました。


お母さんから,もう迷惑だから帰ってくれと言われたんですね。

じゃなくて,御両親の文句です。だから,御両親の文句を聞きに言ったんです。


御両親が宮村さんに対して文句を言うかなと思って,聞きに行ったということですか。

そうです。


そしたら,宮村さんの文句を両親は言いましたか。

忘れたいというふうに言いました。もう何十年も昔のことだから,あること,ないこと,もう全て忘れたい,もうこれから一生懸命生きるということで,お互い一生懸命生きるということでねというふうに,それでもう中に引っ込まれたわけですよ。もうすごいちょっと私は相当胸が痛くなりました,お母さんと話をして。


TY氏について若干の説明をします。
この女性は,かつて宮村氏に脱会説得を受けたあと,宮村氏の愛人になったとうわさされる人物。
米本和広氏の陳述書(3)-かつて「青春を返せ訴訟」の原告代理人だった弁護士激白!!!宮村氏の脱会活動は脱会活動に名を借りた金儲け。実態は拉致監禁だーにも登場します。
伊藤弁護士によれば,TY氏の父親が宮村氏の家に乗り込み、「娘の脱会は頼んだけど、あんたに娘を情婦にしてくれと頼んだ覚えはない」と怒鳴り込んだということです。


93年の夏の話ですが,両親がソウル観光に行きましたね。

はい。


あなたは,ソウル市内の統一教会の本部などの施設を案内したんですね。

そうかと思います。


そのときに相対者も一緒だったんですね。

そうです。


両親は,あなたの相対者がついてきたことに対して,不愉快な顔をしてましたね。

はい,してました。


そうすると,あなたは先ほど主尋問では93年2月にわざわざ相対者と会うために両親が来たと言ったけど,これは違うんですね。

いや,私は最初から会いに来てというふうに,相対者もいるから会いに来てというふうに言ってます。それが。


両親は,あなたの相対者と会うのは嫌だったということをはっきり言ってたでしょう。違いますか。

いや,はっきりは言ってませんよ。じゃなくて,もうそういう表情をするわけです。私は,もう最初に両親に,目的は相対者を紹介することが私か両親を誘った目的ですから,まず相対者がいないと話にならないわけです,私としては。そこに両親が来て,だけど両親は嫌な顔するわけですよ。


両親はあなたが心配だから来たんじゃないですか。あなたの相対者に会いに来たんじゃないでしょう。

私はそういうふうに言って両親を誘いました。


あなたはそう誘ったかもしれないけど,両親はわざわざ相対者と会うために来たわけじゃないでしょう。あなたは主尋問でそう言ったけど,違うんじゃないですか。

宮村に1回言ってきて,警戒をとったらいいと言われて,それで来たと言ってました。


そのとき,韓国,ソウルに行ったとき,そう言ってたの。

いいえ,それは私か2回目の監禁されたマンションの中でそう言ってました。


94年の末にお母さんが1人でわざわざ修練会に来たんですね。

はい。


あなたが誘ったんでしょう。

そうです。


これは当時,KGの母親が耕耘機に足を挟まれて,大怪我をするというような状態だったんですね。

記憶にないです。


水茎会で,水茎会の会員になるのは,信者の両親など,家族などの方々ですか。

はい,そうだと思います。


その水茎会で順番待ちをしてるのは,あなたは見たんですか。

いえ,順番待ちをしてるのを見たというよりも,単番を待っている父兄たちがたくさんいるのを見ました。私は新宿西教会に通ってますから,水茎会に来てる父兄もその礼拝に出るわけですよ。そうすると,待ってる父兄だちなんて,いるわけです。会うわけです。


何を待ってるんですか。

宮村が説得してくれるときを待ってるわけです。その順番を待ってるわけです。


順番か何かの番号が書いてあるの。

私は,そういうリストがあったようですけれども,リストまでは目にしてないので,それは見てないです。


順番の何かリストがあると,うわさを聞いたということですか。

あれ,何か証拠で出てませんでしたか。水茎会の入会書じゃなくて,何か。


受付の順番が書いてある紙ですか。
uketsukebo1.jpg


はい,そんなものが。


それをあなたは順番待ちだと思ってるわけですか。

私か認識した順番待ちと,その紙が出てきたことで,ああ,こういうふうに待つのかというふうに私は思いました。


自分の子供さんを,あるいは自分の家族を,いつどこでどういうふうに話し合うかというのを決めるのは両親じゃないですか。

というか,話合いだったら,両親と私か決めることじゃないですか。


そうだよね。

そうですよ。


両親が決めりゃいいんだよね。

両親と私か決めることじゃないですか。私,韓国にいるのに。


あなたは日本に帰ってきたじゃないですか。

1ヵ月で帰る予定だったんですよ。それももう帰らさせられないで,そのままどこかに連れていかれて,もう行方不明ですよ。


あなたの陳述書にも,両親が急きょアパートを借りて決行したと書いてある。

はい。それは,母親が話したことをそのまま陳述書に書いて,そういうふうになりました。


あなたの場合,もう自宅で両親と兄さんがあなたに話合いを求めたということでしたね。

弟です。


お父さんがどなったり,わめいたり,物を投げたりしたんですか。

全然。どなったり,わめいたりではなくて,見た目は静かですよ。話し合いたいと言ってきて,私,すぐ分かりましたから,もう一,二秒もせず母親に土下座をしたんです。もうどうにか思いとどまってほしいから,連れていかれてほしくないから,そしたら。


あなたの目から見ると,両親の仲はいいんですか,悪いんですか。

そんなにいいと思いません。


弟さんがあなたに暴力を振るったということがあって,あなたは泣いてたのね。

泣くという以前に,もう不安で怖くて。


宮村さんが来たとき,あなたの顔はくしゃくしゃになってましたね。

そんなこと私,分かりません。


くしゃくしゃになってたんじゃないの。

分かりません。私,鏡を見てるわけじゃない。


それで,洗面台で顔を洗ったらどうだという話になったんじゃないの。

私,鏡も何も見てないのに,何で私の顔がくしやくしゃになってるか,私か分かるんですか。


宮村さんは,「青春を返せ裁判」で,統一教会を訴えていた元信者の方々の陳述書を読んで聞かせましたね。

どうだろう,記憶にないです。


あなたは,その元信者たちの陳述書を読んで,どうして元信者さんが統一教会の救出活動をしているのか分かったと話してますね。

記憶にないです。


当初から,あなたは両親が自分を手元に置きたい,連れ戻したいとだけ思ってるんだということで,もうそれが見え見えでうんざりしてたんですね。

ええ,母親がそうです,私に執着してました。


とにかくあなた自身が自分で考えて行動したいと思ってるのに,両親はあなたを縛り付けようとしてるということが,あなたとしてはたまらなかったのね。

というより,私はもう自分で自分の意思で生活をしてるのに,それをもまた自分のところにたぐり寄せようとしてるような感じを受けました。


マンションでの話合いのときに,OBさんも何回か来たと先ほど言ってましたね。

はい。


元信者のW君があなたの星占いをしてみせたとか言って,笑い話をしてましたね。違いますか。

いや,覚えてません。


Wさんというのは覚えてますか。

覚えてないです。


OBさんは,あなたのマンションでお笑いばかり言ってたと述べてましたけど,違いますか。

そういう印象はありません。


後藤徹さんの部屋に行ったのが98年のいつですか。

5月です。


何で覚えてるの。

そのときはもう新宿西教会に毎週日曜日通ってましたから,それ,何で覚えてるのかというと,ある新宿教会の信者さんが私のことを加わいそうだと思って,礼拝が終わった後,一,二時間コーヒーを飲みながら話をしてくれるようになったんです。それが5月なんです。私,その人につい最近見た後藤さんの話をするべきか,しないべきかを非常に悩んで,本当は話したかったけれども,関係ない人にこういうことを話してはいけないと思って,それで思いとどまりました。だから,それから逆算すると,後藤さんのところに行ったのは5月になります。


大分陳述書と違うね。あなたの陳述書には98年に入ってからと書いてある。
普通入ってからというと初めの頃かというふうに思うんだけど,5月だったらこんな書き方をしないよね。

というか,その後,一生懸命,だから思い出したわけですよ。いろんな周辺のことを思い出しながら。それ,逆算すると5月なんです,後藤さんのところに行ったのは。


そのときに,元信者というのは何人いたのか,よく分からなかったんだけど。
後藤さんの部屋に行ったときですよ。

もう私か行ったときは,宮村が真ん前にいて,その両側にたしか3人ぐらいだと思います。


3人ぐらい元信者がいたの。

元信者じゃなくて,私か知ってるのは,OBさんとかYKさんとか,そこら辺の元信者スタッフではなくて,全く見慣れない人でした。


そうすると,あなたとAさんという人と,それからまだ脱会カウンセリング中の3人がいたということですか。

もしかしたら,そこにSJさんもいたのかもしれないんですけど,私ちょっとそこまで記憶がはっきりしないので,陳述書に書きませんでした。


ほかには後藤家の人は誰がいたんですか。

家族がどなたかいらっしゃったようですけど,誰だかは分かりません。ドアを開けたのもお兄さんのような気がするんですけれども,それも定かではないので,陳述書には書きませんでした。


そうすると,今そこにあなたの右側に座っている3人のうちの誰がいたかも覚えてないの。

そうです。


それでも元信者,あるいはカウンセリングを受けてる人が3人いたというのは覚えてるというわけですか。

新しい人が3人ぐらいいたということですね。


それもぐらいなの。

そう。要するにだから宮村かいて,両側に1,1じゃなくて,複数だったわけですよ。 1か2か,2か1か,そこはよく,そこまでは覚えてないです。


あなたの陳述書には,元信者と書いてあるけど,Aとは書いてない。今回初めて出てきた名前だ。

ええ。私を迎えに来たのはAさんです。


それは今えらい確信ありげに言ってるけども,陳述書では名前が思い浮かばなかったんですね。

というか,それが重要だともあんまり思わなかったからです。呼びに来た人が誰というのが重要とも別に思いませんでした。


陳述書に書いてあるとおり覚えてたけど,書かなかっただけですか,それとも,覚えてなかったの。

そのときに考えれば思い出したと思いますけど,どうだろう,ちょっとそれは思い出せません。


あなたの陳述書,8ページには,下から二,三行目なんだけども,あなた自身は後藤徹の説得にはほとんどかかわらなかったと書いてあります。ほとんどかかわらなかったということで,少しかかわったということなんだけど,何をあなたは後藤徹さんに言ったの。

私は何も言いませんでした。


じゃ,ほとんどかかわらなかったというのは違うね。

それはどういうふうに違うということですか。


ほとんどかかわらなかったということは,全くかかわらなかったと違うというのは分かりませんか。

でも,宮村側で脱会説得をするほうに私は座ってたわけですよ。後藤さん本人からしたら,かかわったということになるんじゃないでしょうか。


甲第11号証(陳述書)を示す
同じページの下から4行目に「人格を否定するような悪口を聞くのが嫌で」と書いてあるよね。人格を否定するような悪口というのは何ですか。

もうばかだとか,思考停止してるとか,おまえはばかかと,あと,もっと自分の頭で考えろと,本当に何か人をばかにしたように,上からもっと,自分の頭で考えろと,全くおまえは頭が働いていない,あほな状態だというような様子で言うわけですよ。それ,もう十分に人格を否定,相当傷つきますよ,それ言われると。


「宮村から罵冒雑言を浴びせられる中」と書いてある。どんな罵冒雑言を浴びせられてたのか,言ってください。

ですから,そういうことですよ。もうばかとか,おまえ,思考停止してると。今,具体的に言葉として思い出せるのはその3つです。あとはそれがずっと続いてるわけです。言葉は具体的には思い出せません。


あなたは,3月11日の後藤徹の主尋問,反対尋問を聞いてましたね。

はい。


傍聴人席にいましたね。

はい。


後藤徹さんは,毅然として証言してたようなことをあなたは言ってますね。

はい。


そのときの法廷での態度と,このときのフラワーホームでの態度とは,どう違ってましたか。

全く違ってます。


どういうふうに違ってましたか。

もう首をうなだれて,何かかわいそうでした。もうただ,ただ,ただ,その時間を堪え忍んでるというような感じです。


もっと何か言えないの。どう違うのか。
原告代理人
十分言ったと思います。

私の中にはもう絵になってるんですよ。上がトレーナーか何か着て,下,ジャージであぐらをかいて,で,髪の毛はもうちょっとたくさんあって,それで髪の手入れもしてないような感じですよ。それで,あぐらをかいてずっと,ばかとか何とか言われながらも,ずっと何の反応もせず,ずっとこのままです。


被告宮村代理人(山口広)
下を向いてたの。

そうです。


あなたの陳述書によると,外にいつ出れるのかというのは,宮村さんにどきどきしながら聞いたら,婚姻無効裁判が終わるまでだめだと言われたとあなたは書いてるけども,そうなると婚姻無効裁判が終わったのに,判決が出たのは99年4月なんですよ。

私も今それ,知りました。


この発言は違うかもしれないんだと。

いや,発言は同じで,そういうふうに言われたのは確かなんです。ですから,恐らく弟もそういう認識だと思います。


乙ハ第33号証(「ファミリー」)を示す
これは前回証拠に出してますが,あなたは読んでますか。

読んでないです。


このファミリーの掲載の「先生のみことば」というのは,文鮮明さんのみことはということでいいですね。

はい。


それの12ページ,「この方式に対して不平をいう人はすでに下降線をたどっている人です。下降して行き着く先はどこですか,地獄です。統一教会に入ってきた後で,何かほかに良いものを求めて教会を去って行く人は,必ずいずれはみじめな立場にならざるを得ません。」ということを文鮮明さんが言ってること,あるいは教会で話をしてることは,あなたも知ってますね。知ってますか,知ってませんか。

この話の内容で,私,話したことはありません。


つまり,統一教会の信者になった人が脱会するというのは,恐怖ではないのかということを聞いてるんですよ。違いますか。

私は全然恐怖ではありませんでした。


そういうことをこの人が,文鮮明さんは言ってるんじゃないんですか。

違うと思います。


乙ハ第39号証(「御旨と世界」)を示す
これの87ページ,「血統的転換をいったい誰がするかというんだね。これは誰もできない。先生がやってきた。これは涙ぐましい。並々ならぬ心情的十字架を背負ってきたということを」云々とありますね。

うん。


あなたが合同結婚式に参加したときの心情というのは,こんなもんですか。

というか,はっきり正直言うと,よく意味が分からないんですね。


合同結婚式というのは,血統転換の1つの機会じゃないんですか。

ええ,要するに自分の今までの罪を清算するという意味合いはあります。


108ページ,「孝を全うするためには,不具になってもかまわないのだ。
そのような人は時が至れば,太陽のように輝くであろう。」と,「弁明する人になってはいけない。登れと言えば登るし,下れと言えば下らなくてはならない」ということで,不具になる覚悟でも,あるいはこういう御指示があれば,それに従うという覚悟が必要なんだということを言われてるんじやないんですか。もちろん御本人はそういうふうに言ってるんですが,それをそのままそういうふうにできる入って,ほとんどいないと思います。
893ページ,「その命令に従わずして落第生になったらどうなるか?霊界へ行ってみな。これは先祖たちはみんな怒るよ。「この野郎」。大変なことになる。君,統一教会に君のために入ったと思うな。背後の先祖の功労によって入教させたのに何で落第したのか。我々がもし霊界へ行ったら,それはその最初の目的を成し得た者として侍られるべきなのに何だ。」と言ってますね。つまり,頑張るのはあなた自身のためじやなくて先祖のため,あるいは氏族のためということなんですか。

いや,私はあんまりそういう意識を持ったことはあんまりないですけど。たくさん言われている1つ1つ,絶対こうなのか,ああなのか,どうのこうのと言われても,そんなことみんな守る人は誰1人もいないわけですよ。


あなたは宮村さんと話をして,統一教会は虚偽だと思ったと言ったと。それが統一教会に戻って,統一教会のほうが本当だと思ったと言った。

いや,統一教会に戻ってじゃないです。戻る前です。
原理講論が真実だと言ったと言ったね。

はい。


どこがうそだと思い,どこが真実だと思ったのか,言えますか。

というか,まず私か韓国に行って,非常にもう何の,自由にもう本当に何の監禁の恐怖もなく,自由に考えたときに,宮村はまず原理原本なんか本当はないんだと,あれは金百文が書いたものを劉孝元がそのまま書いて,メシアは文鮮明がやるか,劉孝元がやるか,何か会議を開いて,それで文鮮明になったんだと,そういうふうに説明してきたわけです。当時の私はそれをそのまま信じたわけですよ。ずっと頭の中に入ってきて信じたわけです。それで,自分はもうだまされたと思ってやめた。直接韓国へ行ってみたら,そんなの,うそだったわけです。そしたら,何だ,自分はだまされていたんじゃないかと,だまされたというふうにだまされたんじゃないかと思ったわけですよ。


その点はあなたにとっては重要なところだったというわけね。

そうです。



山口広弁護士の反対尋問終わり



次回は荻上弁護士の反対尋問です。
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2013-07-20(Sat)
 

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監禁下での説得の限界 

待ってました~!
尋問録アップ、ありがとうございます。

<ほとんどかかわらなかったということは,全くかかわらなかったと違うというのは分かりませんか。
――でも,宮村側で脱会説得をするほうに私は座ってたわけですよ。後藤さん本人からしたら,かかわったということになるんじゃないでしょうか>

お見事!
これは完全に理論的に美山さんの勝ちですね。

山口は何か、統一教会の組織図や活動内容を細かく暴露させて、統一教会の今後の活動にダメージを与えようとしているように見えます。
まるで、裁判に勝とう、宮村を擁護しよう、ということはあきらめてしまったかのように。
もしかして、裁判で負けることを念頭に、とにかく、この際、統一教会に致命傷を与えてやろう、と思っているのかな。

<自由にもう本当に何の監禁の恐怖もなく,自由に考えたときに,宮村はまず原理原本なんか本当はないんだと,あれは金百文が書いたものを劉孝元がそのまま書いて,メシアは文鮮明がやるか,劉孝元がやるか,何か会議を開いて,それで文鮮明になったんだと,そういうふうに説明してきたわけです。当時の私はそれをそのまま信じたわけですよ。ずっと頭の中に入ってきて信じたわけです。それで,自分はもうだまされたと思ってやめた。直接韓国へ行ってみたら,そんなの,うそだったわけです。そしたら,何だ,自分はだまされていたんじゃないかと,だまされたというふうにだまされたんじやないかと思ったわけですよ>

閉ざされた監禁マンションで、話し合いの末に脱会を決意させた、はずが、拘束のない自由な空間の中で考えるようになり、それが巧妙な「だまし」だったと気付いてしまった!
はやり、宮村教の教えは監禁下でしか通じないみたいですね。残念。
2013-07-22 09:00 | みんな | URL   [ 編集 ]

お見事広&へっぽこ峻 

広はすげえな。
現役信者も読んでない文のみ言葉を読んでるわけだから。


お見事!


それにひきかえ、峻は。
監禁下をいいことに、何テキテ~なことぬかしてるんだよ。

いいか
真偽はともかく、文が金百文の教えをパクった。
これは、どの説得者もぬかしてる。


でもな~
金百文の教えを劉孝元が丸写ししたとか、劉と文がどちらがメシヤになるか会議で決めたとか・・・

そんなの誰も言ってないぞ。
峻より、何倍も救出率の高い説得者に説得されて、脱会した奴も、「そんなの聞いてない。もし、そういう話しがあったなら、あの人は、意気揚々と話してるはずだし。」

つまりは、調子に乗って出鱈目しゃべったわけ。
どうせ、後で調べんだろう。
幾つか嘘があってもかまわんだろう、と思ったかもしれねえが。


ホント
峻はへっぽこだな。
こんないい加減で、へっぽこに12年も翻弄された、とっちゃんは可哀想だ。

ついでに、12年も信じた後藤ファミリーも可哀想だ。

2013-07-22 19:32 | 元信者の春 | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
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