原告側証人MK氏主尋問(その1)-後藤氏の監禁現場を見た生き証人MK氏
いよいよ、最終弁論まで90日を切りました。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、「重要なお知らせ」の欄にカウントダウンを設置しました。(地味で目立たないのですが・・・)
まだまだ裁判の尋問録はありますからもうちょっとスピードアップしなければと反省する今日この頃です。
ところで、今日から原告側証人の尋問の内容を8回に分けてご紹介します。
・原告側証人MK氏主尋問(その1)-後藤氏の監禁現場を見た生き証人MK氏
・原告側証人MK氏主尋問(その2)-???
・原告側証人MK氏主尋問(その3)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(山口広弁護士編)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(荻上守生弁護士編)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(東麗子弁護士編)-???
・原告側証人MK氏反対尋問(中村周而弁護士編)-???
MK氏は、これまでもいくつかの陳述書を裁判所に提出してきました。実際に後藤氏が監禁されている現場を見てきた貴重な生き証人です。
また、MK氏自身も、非常に過酷な監禁生活を余儀なくされた1人です。
原告代理人
あなたの経歴等については,甲11号証の陳述書,1ページに書いてあるとおりで間違いないですね。
はい。
これによると,あなたは原理研究会に所属していたということですね。
はい。
あなたが1回目の監禁にあったのは, 1990年夏から91年初めまでの6ヵ月間というふうになってますが,そういうことですか。
はい。
このときのカウンセラーは被告宮村ではなかったようですね。
はい。
誰でしたか。
荻窪栄光教会のK牧師とMFという元信者でした。
このときは6ヵ月で監禁は解放されたんですか。
はい,私が頑として脱会を拒否したので,両親が解放してくれました。
あなたは原研に戻ったわけですね。
はい。
6ヵ月間の監禁を経て,解放時の健康状態はどんな状態でしたか。
閉じ込められて,ほとんど運動もしていなかったので,足のふくらはぎが全くなくなった状態で,膝から下が棒のようになってしまいました。それで歩こうとすると,ふくらはぎがつってしまって,脇を友人に支えてもらって最初は歩いてました。
その後,両親はどうしたんですか。
母が水茎会につながるようになって,宮村から拉致監禁の脱会説得の指導を受けるようになりました。弟と父も,母に引きずられるようにして水茎会に通うようになりました。
甲43号証で,弟さんのMMさんの陳述書が出てるんですけども,これによると,お父さんは水茎会で被告宮村から何度か叱責を受けたことから,あんまり水茎会の勉強会に行きたがらなかったというようなことを書いてあるんですが,そうなんですか。
ええ,弟もそう言ってるんですが,父も何度か愚痴をこぼしたことがあります。
家族が被告宮村につながってるということについて,あなたにはおくびにも出さなかったんですか。
ええ,一切知りませんでした。
92年8月にあなたは3万双の祝福を受けて,韓国人男性と婚約をしてますね。
はい。
祝福を受けることは,事前に両親にも伝えたんですか。
ええ,職場に来てもらって話をしました。
あなたは,婚約者と所帯と持つ準備のため,93年2月に渡韓していますよね。
はい。
あなたのお母さんは,婚約者に会いにわざわざ韓国に来たり,修練会にも参加をしたということですか。
はい,そうです。
あなたとしては,お母さんがあなたの信仰を理解しようとしてるというふうにそのときは思ったんですか。
そうです,そう思ってとてもうれしく思いました。
しかし,実際それは宮村に知恵づけされた,油断させるための策略だったんじゃないですか。
はい,母が後から言ったところによると,2回とも宮村に相談して,そして私の警戒を解くために韓国に行ったらいいとアドバイスを受けたために,嫌だったけれども韓国に行ったというふうに言ってました。
96年1月,あなたは家庭出発に当たり,実家に挨拶をしようと一時帰国をしましたね。
はい。
この帰国はあらかじめ両親には伝えてあったんでしょう。
ええ,もちろんです。
実家に帰ったらどうなったんでしょうか。
韓国に帰る直前頃に,急に両親が家族で統一教会について話し合いたいと言い出しました。
あなたはその意図をすぐに察知したんじゃないの。
はい,もう2回目の拉致監禁だとすぐ思って,何しろ思いとどまってほしいと思って,母親に向かって土下座をして,お母さん,ごめんなさいというふうに言いました。
そしたら。
そしたら,母親は急に怒り出して,父親に向かって,この子,ひっぱたきなさいというふうに言って,父親は私の髪の毛をつかんで,顔を上げて,私の頬を何度も叩きました。
お父さんは,お母さんからたたいてと言われて,何でそんなことをするのかとか,そこまでやる必要はないだろうとか,躊躇するような様子はあったんですか。
いえ,全くなくて,待ち構えていたように叩き始めました。
お父さんはそれまでにあなたを叩いたことがありましたか。
いえ,父は私を叩いたこともないし,母が誰かを叩けと言ったことも一度もありません。だから,もう誰かに言われて,連れてくるときは叩いても連れてこいと言われた指導をそのまま行ってるような,非常に不自然な流れでした。
あなたは叩かれた後,どうされたんですか。
家族に外に出されて,いつの間にか,そこにあった見知らぬワゴン車に入れられました。
その場には家族以外に誰かいたんでしょうか。
親戚がいつの間にか待機してました。
抵抗をあなたはすることはできなかったのかな。
そのときはもう家族に裏切られたショックで,もう父親に生まれて初めて叩かれたあたりから無気力状態になって,抵抗するという考えは一切浮かんできませんでした。
親から裏切られるというのは,それほどショックだったんですか。
今まで良好だと思ってた親子関係が実はうそで,その背後に,親の背後に誰かがいて,それに操られていたんだということが,そのときに一瞬に分かるわけですから,私としては想像以上にショックで,背信感にうちのめされるような感じになります。
あなたはワゴン車に乗せられて,それからどうなったんですか。
荻窪のほうに行って,荻窪のアパートの2階に閉じ込められました。
このアパートはどういう経緯で用意されたのか,後で知りましたよね。
はい,陳述書には親が用意したというふうに,母の言ったことをそのまま書いたんですが,弟の話によると,後からそれが分かって,水茎会が用意したというふうに言ってました。
そのアパートの玄関はどういうふうになってましたか。
チェーンなどで厳重に施錠されて,家族,親族が出入りするときにガチャガチャ,ガチャガチャ,そのチェーンをいじる音があって,開錠したり,施錠したりしていました。
その部屋にあなたは監禁されたわけですけども,それからどうなったんですか。
私はショックと憤りでほとんどしゃべりませんでしたけれども,それではらちがあかないので,二,三週間たったくらいに,会わせたい人がいるならば,連れてきたらいいというふうに家族に言いました。
すると。
翌日にはもう宮村が訪問してきました。
被告宮村と話はあなたはしたんですか。
いいえ,ほとんど話をしませんでした。彼は,何だ,威勢よく,会わせたいやつがいるなら連れてこいと言いながらだんまりかというふうに言うもんですから,昨日家族に言ったその言葉,そのまますぐ宮村に報告してるんだなというふうに思いました。
被告宮村があなたに話した内容で,このとき印象に残ってるものがありますか。
私の1回目の拉致監禁に関与したK牧師と,MF元信者の脱会説得の活動について,あれはもうまねごとだと,俺はそんな甘っちょろくないぞと,しゃべらなければ,もうこのままだと,ここにいたいだけいていいと,両親もそのつもりだというふうに言いました。
それで,横で聞いてた両親はどうしてましたか。
大きくうなずいてました。
ずっとこのままだというのは,監禁から出さないんですか。
はい,そういうことです。ですから,母親がもう大きくうなずいているのを見たときは,非常に失望しました。
このままだと監禁が続くということだから,あなたは話をすることにしたんですか。
いえ,もうほとんど話をせず,宮村はもとより,家族とも,それから6ヵ月間,一切口をきかなくなりました。
宮村は,口をきこうとしないあなたに対して,どういう話をしてきましたか。
最初は何か監禁を正当化するようなことを言っていました。私に,保険料を払ってるのか,税金を払ってるのか,どうせおまえたちは払っていないくせに人権を語る資格はないと,統一教会は宗教じゃないと,そういうようなことを言っていました。
それでも,あなたは口をきかなかったの。
はい。
それで宮村は来なくなったのかな。
二,三回来て,-,二時間ぐらい話をして,それからあとはぴたりと来なくなりました。
その後,監禁場所が移されてますよね。
はい,家族がほかのアパートに移ると言い出して,荻窪のフラワーホームの5階に移送されました。

その移動の際ですけども,誰かが護送をする,護送要員が付いたんですか。
家族,親族と,それから陳述書には見知らぬ人が運転したというふうに書きましたけれども,よくよく考えてみると,元信者スタッフのAという人が運転をしてました。
当時,荻窪フラワーホームの8階にある804号室には原告が監禁されていたんですけども,あなたの監禁された部屋とは,部屋の構造は同じなんでしようか。
ええ, 2LDKの同じ構造です。
甲第9号証(陳述書)添付図面4を示す

これがその原告がいたフラワーホームなんですけども,あなたのいたのもこれと同じ構図だったんですか。
そうです,全く同じです。
ただ,あなたはベランダのほうに若干,5階は突き出した部分があったんじゃないですか。
いえ,そこはもう障子になっていて,雨戸が閉まってるようで,全く光も何にも入ってきませんでした。
あなたはこの図で言うとどこにいたんでしょうか。
Mの部屋です。
あなたは部屋の中での自由はあったんですか。
いえ,隣のトイレまでは行くことができましたが,そこから先は行くことが許されませんでした。私が不満そうに窓に近づいたりとか,仕切りをしてるカーテンをうらめしそうに見るだけで,家族は非常に不機嫌になって,そんなことをする必要はないと私にどなってきました。
あなたは,そういうところに閉じ込められて,どういう気持ちになりましたか。
私は閉じ込められた上に,外も見ることができないし,外に出ることもできないなんて,何か両親の強圧的な姿とか様子に非常に私自身がみじめになって,何か急に彼らの奴隷にでもされたかのような,惨めな悔しい気持ちになりました。
この玄関ドアなんですけども,フラワーホームではどういうふうにされてましたか。
玄関ドアは内側から施錠がかかっていて,両親が持ってる鍵がなければ開かないようになってました。
ベランダの窓はどうなってましたか。
ベランダの窓は雨戸が閉まっていて,恐らくその向こう側に何かが積んであると思うんですが,そこからは風の音も雨の音も何にも聞こえてきませんでした。もう1つのほうの窓は,そこはセロハンが貼ってあって,中から外が,外から中が見えないようになってました。
最初のアパートも,このフラワーホームの部屋も,家族が自分で用意したものじゃないんじゃないですか。
それは弟が話していたんですけれども,両方とも水茎会が用意して,諸経費と家賃を水茎会に払っていたと言っていました。
このフラワーホームの部屋には,被告宮村は来たんですか。
しばらくたってから,元信者を引き連れて様子を見に来ました。
どんな話をしてきましたか。
そのときは,私の口を割らそうとして,私の悪口とか,あと原理研究会の当時の会長の徳野さんの悪口とかを言っていました。
弟さんのMさんも部屋に常駐していましたよね。
はい。
もう結婚して,子供さんもこのときはいらっしゃったんじゃなかったですか。
そうです,結婚して子供も2人いました。
奥さんから文句が出たんじゃないの。
離婚の話が出ました。
それで,弟さんとしてはどうしたの。
相当彼もいら立っていて,ある日,私の前に来て,こたつの天板にティッシュ箱を叩きつけながら,ピシピシピシピシ音を立てて,私を威嚇して,ついには私の髪の毛をつかんで,後ろの壁に頭を叩きつけ始めました。
そんなことをするぐらいだったら,もうさっさと自分の家に帰って,奥さんのもとへ帰ればいいと思うんだけど,どうなの。
そうなんですけれども,宮村に厳命をされているようで,一切彼らは自由に家に帰ることができなかったんですね。それで,もう相当フラストレーションがたまってたようでした。
ちなみに,この弟さんというのは,昔,不良をしてたの。
ええ,中学のときに相当荒れていて,担任の教師を頭蓋骨陥没にさせたりしてたもんですから,ちょっと私も相当,叩きつけられたときには不安になりました。
ずっとあなたがしゃべらずにいて,どういう精神状態になりましたか。
来る日も来る日も,もう同じ壁を見て,同じ天井を見て,開かない窓を見て,ここから出られないということにいら立って,神経がきりきりしてきます。それで,激しい怒りで神経がぷちんと切れるような感覚です。もう興奮すればするほど,余計外に出たくなりますから,その欲求はすごく耐えがたいものになります。落ち込みの激しいときは,夜寝るときにもう朝が来ないでほしいとか,私の意識がそのままなくなってほしいとか,私という存在がなくなってほしいとか,そのように思うようになりました。
―切口をきかない対抗措置は,ずっとあなたは続けたんですか。
いえ,もうその頃になると,統一原理は真理だとか,真理ではないとか,もうそういうのはどうでもよくなってきて,なんだけれども,両親とは一切話す気にはとてもなれなくて,筆談で宮村が話したいのであれば応じるというふうに伝えました。
そのときはきちんと話せたの。
いえ,私は6ヵ月も話さなかったので,陳述書には神経が麻痺したようにというふうに書きましたけれども,麻痺というよりも,筋肉が全く動かない状況で,ですから,「あいうえお」というのが「はひふへほ」という,息が漏れる音になってしまって,うまく発音のできな状況でした。
それで筆談でその旨を伝えたわけね。
はい。
宮村と話をすることになったわけよね。
ええ,翌日早速宮村が来て私に話しかけましたけど,私がうまく話すことができませんでした。
それで宮村はどうしたの。
私がきちんと話せないのを見て,いきなり前まで迫ってきて,私の後ろ髪をつかんで引っ張り上げて,台所までそのまま引っ張って連れていって,台所のシンクに私の顔を突っ込みました。それで,水道の蛇口を開けるので,私はそのまま水道の水に頭を突っ込まれるのかと思っていたんですが,頭の上でうがいをしろというので,私はそのまま横向きになって,水道の水をすすって,その後,上体を起こしてうがいをして,そのときにはもう手が離れていたと思うんですが,何かもう怖くて,宮村のされるがままに私が動いてました。
それでも声が出なかったんじゃないの。
声は,きちんと発音できるようになるまでは3日ほどかかりました。
それ以来,宮村は頻繁に来るようになったんじゃないですか。
それから週に3回ぐらいの割合で,元信者を引き連れて説得に来始めました。
その説得のやり方というのはどういうものなんでしょうか。
大体,統一原理の批判と,あと文鮮明氏の批判が主ですが,時として私の前で親に,こんなことをするなんて,本当親はばかだねというふうに私の肩を持つような感じで,硬軟織り交ぜたようなやり方でした。
この説得をしてくる宮村の態度というのは,どういうものだったんでしょうか。
統一教会とか,文鮮明氏とかについての圧倒的な情報量で,おまえなんかより俺のほうがよっぽど知ってるんだという,何か居丈高な勢いで言ってきました。私は,閉じ込められてるもんですから,それが本当なのか,うそなのか,確かめることもできずに,だんだんそれが頭の中にすり込まれていくような感じでした。
他方,先ほど宮村からばかとか言われた両親ですが,それに対してどういう反応をしてましたか。
両親はもうただうなだれてるだけです。
それを見て,あなたはどう思いましたか。
両親も,もう宮村に対しても平身低頭で,一切逆らうことができないんだということがよく分かりました。
そういった説得の中で,あなた自身,結局どうすることにしたの。
私は相当心理的なストレスがたまっていて,あるとき統一原理が文鮮明師でなくて,金百文という牧師が考え出したんだというふうに聞かされて,それで私は信仰が崩れ落ちました。統一原理も偽物だし,文鮮明師も偽メシアだし,統一教会が私をだましたんだと,そのように思って信仰を失いました。
しかし,被告宮村の話はうそでしたよね。
ええ,実際はうそでした。そのときも,閉じ込められて一方的に聞かされる話をうのみにしてはいけないと思うこともできたんですけれども,もう宮村の悪口や批判で,自分の信仰を守る,維持しようとする力はもうほとんど萎えて,ただ宮村の言ってる言葉が頭の中に入ってきて,それを信じたというような感じでした。
それで,結局あなたは信仰を捨てて,脱会することにしたんですよね。
はい。
あなたの場合は偽装脱会ではなかったわけですよね。
いえ,違います。だまされたと思って,脱会の意思をもって脱会しました。
被告側は,原告が氏族メシア伝道のために居座ったんだというふうに主張してるんですけれども,そんなことはあり得るんでしょうか。
いえ,それ,とても理解できません。例えば教義上で考えても,祝福を受けたら祝福を一番に考えます。ですから,相対者に電話の1本もしないで,相対者を捨てて,家族で一緒にこもって祝福を壊すというのは教義にも反してますし,もし家族を伝道するのに何で24時間家族と向き合って一緒の部屋に,ずっと一緒にいないといけないのかというのは,ちょっと理解できません。そういう伝道を聞いたこともないし,もし家族を伝道するんであれば,かえって相対者と幸せな家庭を築いて,自分の子供を親に見せたりしながら,そのほうがよっぽど伝道につながると思います。実際,自分の孫を見て,親が教会に反対しなくなったという話はよく聞きます。
あなたが脱会を表明してから,どうなったんでしょうか。
宮村も私の脱会を認めたようで,その後から日本基督教団新宿西教会のA牧師が訪ねてきて,聖書の話をするようになりました。
このときも,まだ外には出してもらえなかったのかな。
はい,マンションの生活はそのまま続いて,リハビリと呼ばれる生活が続きました。
何のためにリハビリをするんですか。
信仰が崩れると,信者は非常に不安定な状態になります。「親は何を知るべきか」の本にもありますけれども,揺れ戻し状態というのがあって,自分は信仰を捨てたと思っても,宮村が言ってることはうそかもしれない,統一原理は本当かもしれないという思いが押し寄せてきます。これは宮村もよく知っていて,私が完全に揺れ戻しがなくなるまで,元信者とともに続けて統一教会批判をします。大きな揺れ戻しがなくなれば,宮村より元信者のほうが数多く訪ねてきて,体験談などを語りながら,統一教会に対する未練を断ち切る作業をします。
結局,監禁は解かれないで,リハビリ生活が続いたということですか。
はい。
玄関の施錠なんかもそのままと。
そうです。玄関の施錠もそのままで,私もあるとき施錠を見て,いつまで犯罪人扱いするんだと,非常に頭に来たことがありました。
揺れ戻しが続くかどうか,彼らで言うと,マインドコントロールが解けたかどうか,監禁を解く,解かない,これは誰が判断するんですか。
それはもちろん宮村です。
あなたのもとを訪れた元信者にはどういう人がいましたか。
OBという男性と,あとA夫妻とTY,それからYKさん,SJという男性,それからMさんという女性と,それからNIさん。
彼らは,それぞれ思い思いにあなたのもとに訪問してきたんですか。
いえ,元信者と宮村が最初から来る以外は,決して2つのグループが重なってくるようなことは一切ありませんでした。
何かの計画どおりに来てるという感じですか。
ええ,ですから,いつ誰がどこのマンションに行くかということを前もって決めていて,その決めたとおりに動いてるというのが分かりました。
彼らは,被告宮村に逐次,訪問した報告をしてたんじゃないですか。
私の前では電話をするような様子は一切ありませんでしたが,部屋を出てから連絡をしていたようでした。
それはどうして分かったの。
宮村は私の前でそのまま電話を受けるからです。これから行くとか,今終わったとか,そういう元信者の話に,うん,うん,そう,はい,御苦労さんというような受け答えをしょっちゅうしていました。
それは宮村の携帯にそういった報告の連絡が入ってきてたわけね。
はい。
あなたのもとを訪れたOBは,あなたがいた部屋について何か言ってませんでしたか。
俺がこの障子を切り壊したというふうに言っていました。
ということは,あなたが入る前まで,OBがその部屋にいたということなんですか。
「親は何を知るべきか」の本によれば,彼が仙台から東京に連れてこられて,一番最初に入った部屋があそこだったようです。
時期的にも一致するということですね。
はい。
フラワーホームに排水管清掃等の業者が来ましたか。
いや,私が黙り込んでいた6ヵ月と,その後のリハビリの生活も通して,もう1年ぐらいは一切外部の人は来ませんでした。私がもう教会をやめて随分たってから,一,二回外部の人が来たように思います。
あなたがフラワーホームにいた間に,外から人が来たとき,呼び鈴が鳴ったことはありますか。
呼び鈴の音は一度も聞いてません。呼び鈴は使えないようにしていたと思います。来訪者が来たとか,これからドアが開くというようなことを私に知らせたくなかったと思います。
リハビリ期問中なんですけども,あなた自身も監禁中の信者のもとを訪れたことがあるんじゃないですか。
はい,ほかの監禁マンションで脱会説得をしているところを数回同席しました。
そのとき,あなたが呼び鈴を押して,ドアを開けてもらうんですか。
いえ,呼び鈴を使わずにノックを,合図のノックをします。そうすると,中の鍵を開けてもらうわけです。
そのノックというのは,中の信者にも分かるようなノックなんですか。
非常に小さい,もう本当に合図のノックなので,奥にいる信者にはほとんど聞こえないと思います。
まだリハビリ期間中のあなたを訪問させるというのは,何か目的なんでしょうか。
まだ信仰を保ってる信者が監禁されて,全く反論できず情けない様子を私に見せることによって,私が信仰を持っていたときはこんな情けない姿だったんだということを自覚させて,社会復帰するにはまだリハビリが必要なんだという自覚を持たせるためです。
監禁中の信者訪問は,直接誰があなたに指示してるんですか。
元信者が私の部屋に来て,誰々さんの部屋に行きますと,宮村の指示を伝えてきました。
例えば,どういうふうにして監禁されてる信者のところに行くんですか。具体的にお話ししてもらえますか。
先に宮村が監禁マンションに行って,もう脱会説得を始めていて,それと同時に元信者が私の部屋に呼びに来て,それで一緒にマンションに行って,後ろでそれを見るというふうになります。
何か女性信者がいたところに,2回ほどあなたは行ったんですか。
はい,そうです。
監禁部屋に行くと,どういう手順で中に入るんですか。
まず元信者に連れられてその部屋まで行って,元信者が合図のノックをします。そうすると,中の信者の家族が監禁のための施錠を取って,私たちを中に入れます。そして,また後ろで施錠をします。
あなた方が終わって,外に出るときはどうなるの。
終わって出るときは,宮村と一緒に外に出て,そうすると,まず家族が施錠を開けて,そして私たちが出ます。で,出ると,また後ろでガチャガチャガチャガチャと,監禁のための施錠をします。
最終弁論まで90日を切りました。
これからも後藤徹氏を応援してくださいね!!
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村
トラックバック
指示を受けて
監禁部屋って、窓から光くらいは入ってくるものと勝手に想像していましたが、光すら遮断されているんですね。刑務所以下ですね。
<宮村は私の前でそのまま電話を受けるからです。これから行くとか,今終わったとか,そういう元信者の話に,うん,うん,そう,はい,御苦労さんというような受け答えをしょっちゅうしていました>
宮村は、美山さんの前で電話受けちゃったんですね。
家族は分からないように気を使って、いちいち外に出て電話連絡しているというのに…。
美山さんは脱会していずれ味方になるとタカをくくって、何気なく電話受けをしちゃったんですね。
<元信者が私の部屋に来て,誰々さんの部屋に行きますと,宮村の指示を伝えてきました>
<まず元信者に連れられてその部屋まで行って,元信者が合図のノックをします。そうすると,中の信者の家族が監禁のための施錠を取って,私たちを中に入れます。そして,また後ろで施錠をします>
<終わって出るときは,宮村と一緒に外に出て,そうすると,まず家族が施錠を開けて,そして私たちが出ます。で,出ると,また後ろでガチャガチャガチャガチャと,監禁のための施錠をします>
宮村の指示を受けて、他の監禁されている信者の部屋に美山さんは何度か行ったわけですね。自分の意思ではなく。
しかも、ノック、ガチャガチャも目の当たりにした…。
決定的ですね。
宮村の指示がなければ、他の信者の「家族との話し合い」(脱会説得)に加わることはなかった。
宮村はもはや、言い逃れができないですね。
コメントの投稿