原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 東麗子弁護士編)-就職試験の面接官のような東弁護士
先回、裁判傍聴記で被告側の大失態をご紹介しましたが、今日はそのしくじってしまったご本人、東京リベルテ法律事務所所属 東麗子弁護士の反対尋問をご紹介します。
東弁護士は、松永牧師の代理人です。
裁判を傍聴した人によれば、東弁護士の尋問は”就職試験の面接"のようだったとのことです。
たしかに前半は後藤氏の経歴についての質問が続きました。
そして、山口広弁護士、木村壮弁護士に続いて、やはり"あの話題"を取り上げました。
なんでなんでしょうね。結局、墓穴を掘ることになってしまったようですが・・・・。
信仰歴について伺っていきます。確認のため重なる部分もあるかもしれません。まず,1986年8月末にお兄さんに初めて誘われて,御徒町のビデオセンターに行ったのが統一教会との出会いでしたね。触れたのはそのときが初めてですね。
そうです,はい。
そのとき,お兄さんからは電話があって,自己啓発の何かをやってるから,1度足を運んでみないかと言われたんですか。
あのときは,兄が確かためになる勉強があるから,人生のためになるから,今度行ってみようということでした。
統一教会だということは言われませんでしたか。
言われません。
あなたとしては,ためになるというのは怪しいなとか思いませんでしたか。
思いました。
行って,どうでしたか。
ビデオか何か見たところですけれども,私はあまりやる気がなかったというか。そしたら,兄があまりにも熱心に勧めるので。
通ってみようという気になりましたか。
兄がここまで言うんたったらという感じでしたね。
その後,ビデオセンターにはかなり頻繁に通われたんですか。
そうですね。通ったと思います。
1986年9月半ばに越谷セミナーハウスの2日修,ツーデイズといわれるものですか,一般的に参加されましたか。初めてビデオセンターに行ってから約1か月後。
行ったと思います。
ツーデイズに参加して,あとその9月中頃から10月初めまでの間にライフトレーニングに参加しましたね。
ちょっと記憶が曖昧ですけれども。
この辺のときに初めて,統一教会と教祖が文鮮明であるということを教わったんじゃないんですか。
そうだと思います。
その後,10月の中頃,ライフトレーニングに参加した後に,今度は4日修,フォーデイズと呼ばれるものですよね,これに参加しましたか。
参加しました。
このとき参加して,どう思いましたが。
感動しました。
どうしていこうと思いましたが,これからの信仰について。
すばらしい内容だと思いましたので,自分の人生の糧にして,それで生きていければなというふうに思いました。
このとき決意表明はしませんでしたか。人生を懸けていこうとか。
ちょっと記憶が曖昧なので。
この時点かどうかは分からない。
それをしたかどうかの記憶が曖昧なので分からないです。
その後,1986年の11月と12月に,泊まり込みで新生トレーニングに参加しましたか。
月まではちょっと分からないですけれども,新生トレーニングは参加しました。
その後,年が明けて,1987年の1月から3月に,今度は学生部に所属されましたか。これが先ほどおっしゃってた台東教会ですか。
学生部に行きました,はい。
このときはもうホーム生活をするわけですよね。
してました,はい。
巣鴨のホームで信者たち共同で生活していたわけですよね。
そうですね,はい。
このときはどんな活動をしていましたか。
そのときは街頭伝道をしました。
どんなふうに街頭伝道をされましたか。
あのときは・・・。
お茶の水や神保町の辺りで街頭伝道をしたんですよね。
その辺りでもやったと思います。
アンケートで街頭伝道してませんか。
アンケートだったと思います。
アンケートはどんなアンケートで街頭伝道するんですか。
いろいろな項目といいますか。そのアンケートがどういうものかということですか。
どういうもので人を誘うんですか。伝道なさるんだから。
その方の関心があることとか。
主にどういうことがアンケート項目として挙がっているんですか。
そのときのアンケートの内容まで思い出せませんので。
アンケートやってますよって,道行く人に声を掛けるのかしら。
そういう感じだと思いますね。
そのときにアンケートに答えた人はどうするんですか。
伝道対象者ですから,何とか伝道しようとするわけですけど。
それで,アンケートに答えて,何となくアンケート内容に興味かありそうだと分かったら,どうするんですか。
ビデオセンターに行ってみませんかと。
最初に徹さんが行ったようなビデオセンターに誘うということですか。
そうです,はい。
そこで初めて統一教会の教えに触れることになるわけですよね,伝道された方は。
統一教会の教えというか,そこのビデオの内容はそれだけじゃなくて,いろんな内容かありますね。
統一教会の教えもある。
あります,はい。
そのときに統一教会だということは話をするんですか。アンケートを取る段階で,これから統一教会の教えも含む教えを教えるビデオセンターに行きますよって話はするんですか
その方に聞かれない限りは特に言うことはなかったと思います。
聞かれれば,正直に答えるんですか。
聞かれれば正直に答えました。
統一教会ですと話して,一緒にビデオセンターまで行く人というのはどのくらいいましたか。
そういう人は私の関係した人ではいませんでした。
その後,1987年3月に大学を卒業されて大成建設に入社されますよね。
今度は:1987年4月,大成建設に入社されてからほとんどは実践トレーニングに入りましたね。
はい。
実践トレーニングは,やっぱり御徒町のホームに寝泊まりしつつ通勤して,それで実践活動をされてるんですかね,週末とか空いた時間とかに。
そうだと思います,はい。
その実践活動は,先ほどちょっと聞かれたかと思うんですけど,具体的にどんなことをしていたか,教えてもらえますか。
先ほどと同じです。
学生部と同じですか。伝道なさってたということですか。
そうですね,はい。
このときもアンケートを使って伝道をなさってましたか。
そうだと思います。
その後も一且,京王プラザに行って統一教会からは離れるというか,ホームには行かないということになると思うんですけれども,この京王プラザのときに,さっきちょっと,森山先生と宮村さんがおっしやってたお話がどっちなのかなと思ったみたいにおっしゃったんですけど,そこをちょっと具体的に教えていただいていいですか。
当時偽装脱会をしてたんですね。それで,栄光教会の中で森山牧師が統一教会のいろんな批判的な話も出てくるわけですよ。あるいは,宮村がいろんな,いわゆる統一教会に対する悪い情報を,いろんな機会で触れるわけです。そうする中で,自分としてはやっぱり混沌としてくるわけですね。何か本当か分からない状態になってくると。そういうときが少しの期間あって,それで,ああ,ちょっと混沌となったということで,神に祈ってみたんです。神というのは統一教会の神ですけれども。それで,ちょっと混沌としました。どちらか分からなくなってきました。
どっちか分からなくなったときに祈るのは統一教会の神なんですか。
統一教会です。それはちょっと不公平と感じるかもしれませんけれども。統一教会の神に祈って,それで,どっちが本当でしょうかというようなことを祈ったら,それは文鮮明氏がやっぱりメシアたんだよと。
と言われたので,統一教会に戻ることにした。
そうですね。もちろん戻ろうとは思ってましたけど。戻ろうというか,逃走する機会は狙っていましたけれども,そのときはそういう祈りの中で。
戻ってから,アベルとか,そういった人たちにこんなことを言われたんだけど,これは本当なのかなみたいな話は聞きましたか。結局,受けたのは神の啓示だけなわけだから,実際にそれがどうかという話は聞いてないと思うんですけど。つまり,混沌としちゃった理由についてはね。それはアベルとかに聞いたりしましたか。
アべルという概念が,おっしゃっているところがちょっとはっきりしないので。
じゃあ,どなたか‥上位の信仰歴の方に聞いたりしましたか。
それがちょっと私もはっきりと言えるような記憶がなくて。
じゃ,その神の啓示みたいなのだけで,統一教会の信仰がやっぱり正しいんだと思ったということですか。
そのときはちょっと迷いが生じたという感じだったんですね。
あと,1987年の11月末,栄光教会から統一教会に戻ってきた後のときは,江戸川教会の青年部ですか。
青年部ですね,はい。
東京第10支部の青年部ですか。
はい。
ここではアルバイトをしながら,週末は伝道活動をしていたということでいいですか。何していましたか。
仕事はしておりましたね。アルバイトもしたことはあったと思います。どこのバイトに勤めたかというと,何年かの期間がありますので,そのときに自分かどういう仕事でというのは,ちょっと記憶があれです。
この青年部にはいつまでいましたか。
・・・・・。
ちなみに,青年部というのはどんな人がいるところなんてすか。
勤労青年といいますか,働いて信仰を持っていらっしゃる方ですね。
いつまでいましたか。
ちょっとはっきりといつまでというのは分からないですね。
1990年頃にはもう青年部にはいなかったんじゃないですか。
いません,はい。
その頃,伝道機動隊にいましたよね。1990年頃。
新しいところからずっと下りていきますと,私に記憶があるのは,まず城北支部。
順番に聞かせてください。伝道機動隊にいたことはありますか。
いろんなところに行ってるので。これをはいと言っちゃうと,後で違ったというとあれなので,ちょっとはっきりとは申し上げられません。
伝道機動隊にいたかどうかはちょっと記憶にない。
はい。
1991年頃なんですけど,マイクロ隊というのをやったことがありますか。
茨城県のほうを1か月間回ったりしませんでしたか。
場所は分かりませんけれども,マイクロ隊といわれるそういうものは乗ったことがあります。
それはどんなことをするんですか。
珍味を売りました。
マイクロ隊というのはどんな生活をしながら珍味を売るんですか。
何人かでキャラバンに乗って。
車ですか。ワゴン車か何か,マイクロバスみたいな。
そうです。そこに信者仲間が一緒に乗って,それでいろんなところを回りながら,いわゆる珍味の販売。
珍味を訪問販売するということですか。
そうです,はい。
幾らぐらいで。
値段はちょっとはっきり覚えてないんですけど。
それって稼ぎなんですよね,売上だから。
私の当時のそれは売れるときもあったし売れないときもあったという感じだと思いますけど。
アベレージでは。
それは本件とは何の関係かあるか疑問なんですけど。
でもお金をどれくらい稼いでいて,あなたはこのときどうやって生活していたんですか。
私かマイクロをした期間というのは非常に短いですよ,でも。それを問われて,そんな時間を使うのが一体どういう意義があるんだろうかという。
じゃあ,次に行きます。次に1991年度中に千葉にある研修店舗に人事になりましたね。店舗に行ったことはありますか。
ないですね。
印鑑を売ったこともない。
ないです。
じゃあ,その後で,葛西の壮婦部のビデオセンターの講師になりましたね。
はい。
このビデオセンターというのは,要するに徹さんが一番最初に連れていってもらったようなところなわけですよね。
そういうところです。
そこでは統一教会とは言わないで,徹さんは何を教えていたんですか。
統一教会とは言わないでというか,表現がちょっとあれですけど。私の立場といいますか,例えば伝道するときがありますけれども。
私の質問は,ビデオセンターで原理講論を教えてましたか。壮婦たちに。あるいは統一原理と言わずに教えてましたか。
その辺,言ってたか言ってないかということははっきりと記憶にないので分かりません。
そうすると,原理講師をしていたというようなお話もあると思うんですけど。
原理講師とは言いませんでしたね,当時。
原理講論を教えていたことにないんですか,ビデオセンターでは。
原理講論といいますのは,統一教会の教えの中の。
じゃあ,統一教会の教えを統一教会と言わずに,壮婦たちに教えていたことはありますか。
そこで私か教えてたのは,いろんなお話なんです。講話みたいなものもいろいろしてましたし。
その中で,統一原理を教えたりしてましたかって聞いてます。
統一教会の教理の内容は含まれている部分もありましたね。
先ほど1992年に拉致監禁被害者の修練会に出席されたと言ってましたね。
それはどんなことを教わる修練会なんてすか。
そこは,いわゆる拉致監禁をされた被害者というか,その経験者がいろいろ勉強するために集まるんです。
何を勉強するんですか。
例えば,やはり監禁現場では原理講論とか教祖に対するいろいろな批判がなされるわけですね。それは自由な場であればいいんですけれども,監禁下でそういうのが一方的に出てきますので,強制的に聞かざるを得ないという状態になって,そうするとやっぱり信徒の皆さんがいろんなトラウマを抱えたりとか,混沌状態になったりとか,そういう状態になるわけです。ですから,そういう拉致監禁経験者の,まず心のケアですかね,そういうものと,あとは教義の問題でいろんな混乱がありますので,それを紐解きながら,いろいろ疑問点をそこで解決していくという,そういう修練会だったと思います。
その後,1993年頃に今度は荒川教会の青年支部に人事になりましたね。このときにIAさんの実践トレーニングの隊長をやっておられたということでよろしいですか。
はい,そうです。
そのときにIAさんは親にばれちゃって問題ができたということをおっしやっておられる陳述書かおるわけですけど,このときに,覚えてらっしやらないとおっしやってましたけど,実トレの隊長として実トレ生がそういうふうな状態になることというのはままあることなんだと思うんですけど。
ままあるかどうかはちょっと。
ないですか。御経験ではどれくらいでしたか。
私の記憶では,IAさんの陳述書ができて,確かにこんなことがあったなということを思いましたけれども。メンバーがそういう・・・。
じゃあ,いいです。IAさんもこういう問題があったなというのを思い出されたということでしたけれども,そういうときにどういうふうにしろと,隊長としては指導するんですか。
拉致監禁にはやっぱり気を付けないといけないと。
それだけ。
はい。
親に対する対策というのは教えないんですか。
いや,そういうものはなかったと思います。私はとにかく自分の拉致監禁体験というものはものすごくあったので,多分IAさんに対しても,もしかするとこういう危険性もあるかもしれないので,是非気を付けなさいということをお話ししたんだと思いますけど。
次に1995年9月11日,新潟に移動するときのお話を伺います。新潟に行かれたときのことはいろいろ既に聞かれていると思うので,新潟に行った後のことをお伺いします。玄関は何らかの形で内側から施錠されてましたと。パレスマンション多門,おっしゃってましたよね。
はい,そうです。

<後藤徹氏が連行されたパレスマンション多門外観>
それはなんで分かったかというと,松永が来て,玄関をノックしたら父が鍵を持って迎えに行ったから分かったとおっしゃいましたよね。
はい。
松永先生が来たのに,徹さんがパレスマンションに着いてから,どれくらい後でしたか。
そのときが一体いつなのかというのは,私も非常に。
甲第9号証には,原理講論の講義をされたと書いてありましたよね。
そうです。最初はそういう感じです。
その講義が終わった後ですか。
その後だと思います。
そうすると,松永先生がパレスマンションに来られるまでの間には,幾らか時間かあったと思うんですけど,その間,玄関に行こうとしたことはなかったんですね。
1回行きました。行ったというか,見ましたね,玄関。
そしたら,どうでしたが。
何もありませんでした。
鍵なかった。
はい。鍵というのは。南京錠みたいなのはないです。
内側から何らかの施錠がされてるというふうにおっしゃってましたよね。
そんなこと言ってません。
玄関は何らかの形で内側から施錠されましたっておっしやいましたよね。
はい,施錠されてたと思いますね,もちろん。
玄関を見に行ったら,そういう内側からの鍵は何もなかったと。
何もなかったです,はい。
じゃあ,鍵は全く御覧になってないんですか。
見てないです。
新潟に行ってからの生活なんですけど,最初はリビングでお父さんとお母さんと3人で寝ていましたか。
私のほかに誰か寝てたと思います。
そのうちに,徹さんはやっぱり夜,原理講論とかの勉強をされていたということでしたよね,新潟とか。
原理講論の勉強をしていたかどうか分からないですけれども,何か読んでいたことはあったと思います。
わりと夜遅くまで起きておられた。
どのくらいまで起きたかというのは分かりませんけれども,それなりの時間まで起きてたと思います。
夜は,お母さんがうどんやラーメンなどの夜食を作ってくれたことがありましたか。
あったと思います。
お父さんが,まず徹か信じている統一原理を教えてくれと言ってきたと。これは拉致監禁によって強制棄教するときの脱会説得の専門家が家族に指導するいつものやり方,というふうに陳述書に書いてあるんですけれども,これはどうしてそういうふうにいえるんですか。
私もいろんな被害者から話を聞いて,全くそのとおりなんです。
被害者から聞いた話で聞いてたから,お父さんがそう言ったときに,ああ,これはそれだなと思ったということですか。
それもありますし。
そうすると,これ,お父さんがそう言っているのは,要するにいつものやり方なんであって本気で言っているわけじゃないと。だけど,解放を思っているわけですよね。
はい。
でも、早く解放されたい一心から統一原理を説明しました、とあるんですけど、そうすると統一原理を説明する必要はなかったんじゃないですか。
そんなことにないです。一応、そのプログラムに乗ったわけです、私も。
そうすると、一応、お父さんの話合いをしようというのには。
家族にまずはしょうがないから説明しようかなということですね。
家族に理解してもらおうという気持ちはなかったんですか。
ないですね。
全くないんですか。
はい。
その後、予想どおり、父が統一教会に詳しいと言ってきました、というふうに書いてありますけれども、松永先生が話すことについては承諾してるんですか。
してません。
来てほしくないと言ったんですか。
何も言わずに来ました。
でも、お父さんは松永先生と話してほしいとおしゃったわけですよね、徹さんに。
そうですね、はい。
それについては、何も言わなかったんですか。
それに対して・・・。
陳述書には何も書いてありませんよね。重要な事項は陳述書には書いてあるんじゃないですか。もし拒否したとかそういうことがあれば。
そのときは抗議はしてないですね、多分。
結局、その後で、陳述書のほうにはいろいろ松永先生から言われたということが書いてあるんですけど、その前にこのことを誰かに話したりしてますか。松永先生からいろいろ言われたことについては、米本さんの本にも、それからブログのほうにも一切松永先生から言われたことについては書いてないんですけど。陳述書で突然出てきてますよね。
ええ。言われましたよ、ああいうことを。
それを米本さんには話してないんですかね、じゃあ。
いや、話したかもしれませんけれども、分かりませんね、ちょっとその辺は。
でも、ブログは確認されていて、ブログは拉致監禁の首謀者と徹さんが思っている方に対してやめてもらうように注意喚起を促すためのものですよね。
はい。
そこに記載されてないことについては、何も言わなかったんですか。
何を言われているのか、よく分からないんですけど。
じゃあ,いいです。次に、松永先生かいらしたときに、最初に自己紹介をもちろんしましたよね。
したと思いますね、はい。
その後で、家族が何を心配して、あなたと話合いをしたいと思っているのかということは、松永先生から聞かれましたか。
そういう記憶はないですね、私は。
霊感商法とか合同結婚式についてどう思うか、聞かれましたか。
霊感商法という言葉はどこかで出たと思いますね。
それにどう思うかって聞かれたことはないんですか。
どう思うかというふうな質問だったか、一方的な批判だったかは、ちょっと記憶にないですね。
松永先生と話している間は、あなたが暴れたりとか、そういうことをしたことはありますか。
暴れたことはないですね。激しく抗議はしましたけど。
3か月ほど経った12月末に偽装脱会をしたと、脱会表明したというふうにおっしゃってますけれども、そうしないと監禁状態から抜けられないと思ったからとおっしゃってますけれども、その話合いをする気もないし、そうですよね。
ないですね、はい。
それで、鍵も掛けられてて出られないとおっしゃってましたね。
ええ。
それだったら、さっさと偽装脱会をすればよかったんじゃないですか。
そんな簡単にできませんよ、偽装脱会。
前のときも偽装脱会をしてますよね。
いや、1回目のときと2回目のときはやっぱり違うんですよ。それはもう、こう言っちゃなんですけど、私にしか分からないんですね。
この後、年が明けてから、被告松永はほとんど来なくなりましたね、だんだん。御記憶では何月頃から来なくなったんですか。
合計で20回から30回という。
週3回くらいだったとすると。
多いときには週3回。
10週も来れば。
そうですね。だんだん月日が経って来る回数は減ってきたと。
全然来なくなったのは何月頃からのことなんてすか。
ちょっと分からないですね。時々来ていたかもしれませんし。
その後で、新潟から東京に戻りましたよね。
はい。
この間は、車で行ってると思いますけど、トイレには行ってませんね。
はい。
あと、ちょっとお伺いしたいんですけど、先ほど主尋問のほうで出ていた甲第98号証の3、マニュアルとおっしゃってたやつ、あれについては、いつ徹さんは見ましたが。初めて見たのはいつですか。
本件裁判が始まってからです。

<甲98の3号証の6枚目>
どうやって入手したかというのは、徹さんは聞いてますか。
統一教会の資料。
どこにあった資料だということは。
分からないですね。
聞いてない。
はい。
先ほどの乙ハの27号証、徹さんが代表になっておられる団体が作っている、先ほど御覧になった。これで、拉致監禁をやめてほしいからこういうふうにやってるというんですけど、愛人がいるって曝露することが拉致監禁をやめてくれるということになるんですか。
もう1回お願いします。
愛人がいるって、括弧書きの愛人で、どういう意味合いで使ってらっしゃるか分かりませんけれども、そういうことを不特定多数の人に知らしめることで拉致監禁をさせないと、防止になるんですか。
あの方は元信者の方なんですね。これは、はい、いいえで答えられるようなものじゃないんですけれども。
じゃあ、いいです。
おそらく後藤氏は、宮村氏と宮村氏自身が脱会させた元信者との不適切な関係に言及しようとしたのでしょうけれども、東弁護士はうっかり"いいパス"をあげてしまったことに気づき,"じゃあ、いいです。"といったのでしょう。

<宮村氏は自分が脱会説得した元信者と親しい関係になっていた・・。>
次回は後藤徹氏の本人尋問最終回。トリは松永弁護士の代理人、中村弁護士です。
後藤徹さんを応援してくださいね!!
↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村
トラックバック
やる気ある?
知るか!
東麗子弁護士は松永牧師の弁護を積極的に引き受けたのでしょうか。
本当に勝訴したい、って気持ちがあるのでしょうか。
なんか、尋問時間をどうにかこうにか全うするために(時間報酬を確保するために)、どうでもいい質問を繋げているようにしか見えませんね。
まさか、ベテラン弁護士ではないでしょ。
先輩から依頼され、しぶしぶ引き受けた、って感じですね。
ま、いずれにしても、つまらない弁護を引き受けてしまいましたね。残念。
東さんの今後の弁護士生命、パッとしないと思いますよ。
No title
福本弁護士のほうが酷いですね。
とても面白かったこと
(引用はじめ)
先ほどの乙ハの27号証、徹さんが代表になっておられる団体が作っている、先ほど御覧になった。これで、拉致監禁をやめてほしいからこういうふうにやってるというんですけど、愛人がいるって曝露することが拉致監禁をやめてくれるということになるんですか。
もう1回お願いします。
愛人がいるって、括弧書きの愛人で、どういう意味合いで使ってらっしゃるか分かりませんけれども、そういうことを不特定多数の人に知らしめることで拉致監禁をさせないと、防止になるんですか。
あの方は元信者の方なんですね。これは、はい、いいえで答えられるようなものじゃないんですけれども。
じゃあ、いいです
(引用終わり)
この部分の管理人さんの解説記事は的を射ている。すなわち、
(引用はじめ)
おそらく後藤氏は、宮村氏と宮村氏自身が脱会させた元信者との不適切な関係に言及しようとしたのでしょうけれども、東弁護士はうっかり"いいパス"をあげてしまったことに気づき,"じゃあ、いいです。"といったのでしょう。
(引用終わり)
この鋭い解決を平たく説明したい。
私の娘が統一教会に入信した。
さて、誰に説得を頼もうか無責任に考える。
そうしたところ、後藤徹が配っていたビラを手にする。
ひぇ~、宮村に頼めば、うちの娘は彼の愛人にされるかもしれない。バタン、死んだ。
東麗子先生曰く。
「愛人がいるって曝露することが拉致監禁をやめてくれるということになるんですか」
先生に謹んでお答えします。
「そうなります」
ところで、私の老母の人の評価は頭の形である。
<頭のいい人は、頭の形でわかる>
とりわけ頑として自説を曲げないのは、<頭の大きい人は脳味噌も大きい。だから、頭がいいのだ!>
東麗子さんの尋問する姿を見ていて、老母の言葉が蘇った。
うむうむ、こいつは頭がいいぞ。
アニハカランヤ、シュルンルン。
裁判の傍聴を終えて、松江に戻って、老母に「頭が大きい人が必ずしも頭がいいとは思えいない!」と説明しようと思ったが、お宝鑑定団をニコニコしながら見ている母(90)にはとても言えず、「えっ!このすごいお宝がたった9000円かよ」と相槌を打つばかりでした、とさ。
コメントの投稿