原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 山口広弁護士編その1)-キーワードは"氏族メシア"
いよいよ宮村峻氏の代理人、山口広弁護士の登場です。
被告側の弁護士の中でも一番手ごわいとされている人物です。
前にご紹介したお二人(荻上弁護士、山口貴士弁護士)は、ベランダに執着したり、霊界や地獄の話を持ち出し、若干引いてしまう内容だったのに対し、山口広弁護士は、後藤徹氏の"献身者"時代の活動についての質問が中心でした。後藤氏と関わりのある元信者の証言を取り上げながら、後藤氏を追い詰めようと試みていたようです。
そして、やはり・・・・
"氏族メシア"というキーワードが登場しました。
あなたは,洪蘭淑さん<ママ 裁判所のミス。洪蘭淑ではなく宋ヨンソプ(前全国祝福家庭総連合会総会長)>という人を知ってますね。
はい。
日本の実質的なトップだった人ですかね。
はい。
あなたは,この人から日本の英雄,世界の英雄,そういう次元を超えて天宙的な英雄ですと,こう褒め称えられているんですか。
知りません。被告側からの書面を見て,ああ,こういうことも言ったのかと。
そう称えられているんですかと聞いてるんです。
そういう事実はあると思います。はい。
洪蘭淑さん<ママ> という日本のトップとは何回も会って,お話をしてるんですね。
何回も会って,深い話というか,長時間話したということはありません。
先ほど,あなたは文鮮明さんの娘さんである仁進さんとも何回も会ったようなことを言ったけれども,四男のクッチンさんとも何回も会ってるんですね。
会ってます。
クッチンさん,公の場で,日本に来て後藤徹さんと出会って話を伺い,ほかの方々の話も聞きながら,拉致監禁が現実のものであると知り,大きな衝撃を受けました,と述べています。あなたはこれまで信者の前で,あるいは先ほど山口貴土弁護士からも聞かれて,海外での集まりでも,あなたの体験を何百回となく話しているのかな。
何百回は話してません。
じゃあ,何十回か。
何十回はあると思います。
何十回は話してるね。
二桁は行ってると思います。
主尋問で随分滔々と水が流れるように答えていたから,相当,あなたの体験の話はし慣れているなと聞いていたんだけれども,そういう感じだよね。
いや,ここで話すような内容じゃないです。もっと信仰的なというか。
違うでしょう。体験自身をしゃべってるでしょう,こうやって。
体験は話してますけれども,ここの内容とはまた違います。
■<後藤徹氏の兄>さんが1986年12月に安藤建設を辞めましたね。
はい。
翌年の1月に献身しましたね。
はい。
あなたはその年の3月に日大を卒業したわけだ。
そのとおりです。
そのときにあなたと■<後藤徹氏の兄>さんと話し合って,二人が一遍に献身したら親がパニックになるから,お前はしばらく勤めてろと,こういう話がありましたね。
それは覚えてないです。
あなた自身,献身したかったんじゃないの,当時。しかしながら,■<後藤徹氏の兄>が既にもう献身しているから,一遍じゃまずいと思ったんじゃないんですか。
そのとき,そういうことを思ったかということははっきりと分かりません。
当時,あなたはYKさんとも一緒でしたよね。
一緒という,一緒の部署におりました。
YKさんは当然,献身が前提だと言ってますよ,法廷で。
YKさんはそういうふうに言っているかもしれませんけれども,私の当時の認識はそこまではっきりと言えるほどではありません。
あなた自身も強い使命感を持って信仰活動をやっていたんでしょう,当時も。
当時というのは。
日大の卒業をする頃です。
日大を卒業する頃というのは,私はまだ信仰を始めて1年以内でしょうか。
あなたは羽毛布団を当時,両親に買わせてませんか。
記憶にありません。
あなたは大学時代に断食道場に1週間いたことがあるんですね。
あります,はい。
その間,断食もしてたんですね。
してました,はい。
乙ハ第35号証(本人調書)<「青春を返せ訴訟」原告YK氏の本人調書>50ページを示す
先はどの断食の話とまた違う話ですか。
一般論として信者がする断食の意味を聞いているんです。
私か先ほど言った断食というのは学生時代にやった断食で。
今,別の話を聞いてるの。信者として,あなたは一般的に断食をしたことがあるでしょう。
あります。
条件を立てるといいますね。
はい。
それはどういう意味合いで断食をするんですか。
それは教会員の立場でということですか。
そうです。条件を立てるんでしょう。
はい。
何か,いろんな迷いがあるとき,あるいは何かの完遂をしなきゃいけないと思ったときに断食をして誓いを立てるんでしょう。
はい,そういうことです。
あなたはそういう断食を信者のときに何回くらいやったことがあるんですか。
はっきりと覚えてませんけれども,7日断食は1回はやってます。
あなたの父方の祖父,GTさんは駒渾大学の教授で,米沢の●●寺の住職だったんですか。
そのとおりです。
あなたと■<後藤徹氏の兄>さんは,父の実,つまり●●寺に行くと座禅を組んでお経を上げたりしていたんですね。
あれをお経というかどうか分かりませんけれども,二人で道場の中で座禅を組んで,何か唱えていたというところまでは覚えてませんけれども,そういう体験は兄と共有していると思いますね。
次は京王プラザホテルから荻窪のマンションに移ったときの話を聞きます。
荻窪栄光教会の礼拝にも参加しましたね。
しました。

<荻窪栄光教会>
森山牧師という方が中心牧師でしたね。
はい,そうです。
この方はどんな方でしたが。
とんでもない人だと思いました。
どういう意味で。信仰的に優れているとか,そういうことは思った。
あの方は,私が監禁下で宮村の説得を受けている中で自分のところに来てるんだなということを認識してたと思いますけれども。ひどいと思います。
荻窪栄光教会で礼拝があって,森山牧師は信徒さんの前で説教していたわけですね。
そのとおりです。
あなたもそれに参加してたわけだ。
参加してました。
それから,その向かい側に柳川道場というのがあったんですね。
柳川道場というんでしょうか,名前は知りません。
空手道場。
はい。
その地下が先ほどあなたが言ってた水茎会の会合のあった場所ですね。
はい。私は名前とかそういう場所とか地下とか,そこまでは断定できませんけれども,恐らくそうだと思います。
そこで,元信者さん,あるいは現役信者の家族の方々が集まって,講演会というか,話合いみたいなことをやってたんですね。
はい,そうです。
そこで司会をしていたのがTYさん<後藤徹氏の監禁マンションにも訪れたことのある女性元信者>とかNIさんみたいな人たちでしたね。
司会の方がどういう感じだったかというところまでは,ちょっとはっきり記憶がないです。
覚えてないの。
はい。
そういうところに森山諭牧師がおいでになって,家族に統一教会の信仰というのはどんなものなのかということを御説明したりしていたんでしょう。
森山牧師がそこに来ていたという記憶は,私はないです。
あなたは,MFさん<後藤徹氏が一回目の監禁後偽装脱会していた時、このMF氏の監禁現場を宮村氏と共に訪れている>の名前が出ましたけれども,MFさんがいるマンションに行ったことはあるんですね。
はい。
MFさんに聞いたら,これは後で陳述書にも出てますが,もうその頃やめてたって言ってますけど。
いや,彼は当時,私が行ったときにはやめてませんでしたよ。それで,TYさんからものすごい。
ちょっと待ってください。MFさんは,あなたがいるマンションにも何回も遊びに行ったと言ってるけど。
それは,私記憶ないですね。私は彼が脱会説得されているときに,宮村峻に,今説得している信者がいるから一緒に行こうということで連れられていって,それでTYさんがMFさんに対して,あんた,へなへなしててどうなってんのみたいな感じで,ものすごい糾弾してて,ものすごいかわいそうだなというのは覚えてるんですよ。
MFさん,傍聴席に来てますよ。
はい,さっき会いました。
彼は,あなたのいるマンションに何回も遊びに行ったと言ってるけど。それは覚えてないの。
私は記憶ないです。
京王プラザの話があった後,■<後藤徹氏の妹>さんに会いましたね。
はい。
あなたは先ほど,主尋問では手短に拉致監禁の話をして気を付けるようにと言ったと,こう言ったね。
はい。
当時,■<後藤徹氏の妹>さんは御両親のいる,あるいは御両親がいた実家の保谷の住まいに住んでましたね。そこから普通に通勤してたでしょう。で,勤労青年だったんだよね。
そこは,私はよく分からないんですね。なぜなら,その頃は妹ともそんなに接触を取ってなかったんです。ですから,あの妹と会ったときも抜き打ち的といいますか,そういう感じだったと思うんです。
じゃあ,■<後藤徹氏の妹>さんも脱会するかもしれないと思ってたの。
私としては,妹は信者ですけれども,もうこちらの居場所さえも妹にはっきり伝えることさえも恐ろしいという感じでしたので。
■<後藤徹氏の妹>さんに,あなたは霊人体がぐちゃぐちゃになったよと言ったよね。宮村と話してて,霊人体がぐちゃぐちゃになっちゃったよと。実際,本当かどうか確認したくて,統一教会に戻ったんだと,■<後藤徹氏の妹>にそう言いませんでしたか。
私はあのときは宮村の話を聞いて,あるいは森山牧師の話を聞いて,もうどっちか分からなくなりました。 どっちが本物か分からない。
霊人体がぐちゃぐちゃになったというのは,どういう意味なんてすか。
そういうことを言ったかどうかは分かりませんけれども。
■<後藤徹氏の妹>さんに言ったような気はしませんか。
それは記憶にない。多分,妹がそのときに私から聞いた話というのは,本当に混沌となってどっちか分からなくなったんだけれども,あのとき私は神に本当に祈ったんですね。そうしたら,やっぱり本物だという回答を得て,分かりましたということで,意を決してその教会からそのチャンスが来たので脱出したと。
統一教会に戻ったと。
そうです。ですから,私は落ちてないんです。落ちたなんていうはずがありません。
そうすると,■<後藤徹氏の妹>さんにあなたは拉致監禁の話を■<後藤徹氏の妹>さんは聞いてないと言ってるんだけど,あなたはしたというの。
しましたね。
したように思う。
あの場面で。
あの場面ってどこで会ったんですか。
場所はちょっと覚えてないです。
何分くらい話したんですか。
時間も記憶にありませんけれども。
あなたは,TUから,■<後藤徹氏の兄>さんが拉致のプロのようになったと聞いて恐ろしかったと,主尋問で答えましたね。
そのとおりです。
ところが,あなたはその後,■<後藤徹氏の兄>と何回も二人だけで会って話し合ってますね。
はい。
矛盾しませんか。
恐ろしかったです,半分は。ですから,あのときはあの葛西の施設から駅までは近かったんですね。だから,本当だったら送っていけばいいんです,その駅まで。でも,私は恐ろしかったので,玄関でいつも別れていました。
あなたが統一教会に87年11月から戻って,どんな活動をしたかについてお聞きします。野の花会の会員証を持って,物品販売の活動をしましたね。
してないです。
野の花会の活動はしてないの。
してないです。
会員証がありましたよ,自宅に。
見せてください。
あなたは会員証を持ってないと言ったけど,当時,持ってませんでしたか。
いや,そんな記憶はないです。
じやあ,野の花会で物品販売活動をしてない。
してないと思います。
したかもしれないの,してないの。
してないですね。
あなたが所属してたのは江戸川教会なんてすか。それとも荒川教会なんですか,それとも台東教会なんですか。しょっちゅう名前が変わってるからね。
名前は変わってません。私が行く場所が変わっているだけです。
どういうふうに変わったのか,言ってください。
私が最初に所属したところは台東教会で,その後監禁されて,兄が知っている同じ部署だと危ないということで,江戸川教会に私は移って,その後,また名前が変わった荒川教会に来たと思います。
IAさんなんかと一緒にいたのは,荒川教会の当時でしたか。
そのときは荒川教会といったか,ちょっとあまり記憶に。
城北支部だよね。
そうですね,はい。
城北支部で,あなたは実トレの隊長をやってたんですね。
はい,そうです。
実践トレーニングというのは,端的に言えば,あそこで一,二か月あるいは数か月間ホームで一緒に生活して,トレーニング生を教育して献身するか,あるいは勤労青年にするか振り分けると,こういう責任ということになりますかね。
振り分けるのが使命じゃありませんけれども,そういうことも一つはあったと思います。
つまり,実践活動をして,そのうえで献身か勤労青年になっていっていただく,そういう教育ですね。
非常に表面的な表現だと思うんですけれども。
そういう活動をしていたことは間違いないですか。
間違いないです。
問題は実践なんだけど,実践というのは,要するに物品販売と伝道と,両方ありますよね。万物復帰と伝道と両面あるわけでしょう。
それは,どこでの活動ですか。実トレの。
そう,実トレの隊長としての活動です。
実トレの隊長としての活動は伝道です。
伝道のほかに,これはIAさんも陳述してますが,伝道で対象になった信者になりかかっている人たちに,例えば物を買ってもらうとか,あるいは献金をお勧めするとか,そういう活動もしてたでしょう。
修練生本人にはそういう話はしたと思います。
その物品を買ってもらうのは,どういう意味があるんですか。その修練生にとって外形的には金銭負担なんだけど,買ってもらうのはどういう意味があるんですか。なぜ売りつけるんですか。
売りつけてません。
じゃあ,なんて買ってもらうんですか。
・・・・・。
統一教会として,青年支部として,毎月何人に,何百万円を合計で売るかと,こういう目標があるでしょう。
統一教会では,そういうのはないと思います。
伝道コース,何人を今月は伝道するか,コース決定をするか。それから,何百万円万物復帰をするかと,こういう目標が毎月立てられてるじやないですか。違いますか。
実トレでは立てられてます。
その達成に向けてやるから,その一環として,この修練生に幾らを出してもらう,あの修練生にいつまでに幾らを出してもらうと,こういう目標を決めて会議をやっているわけでしょう。違いますか。
伝道の目標はありましたけれども,お金の目標はありません。
先ほどあるって言わなかった。
目標なんかないですよ。そういうふうに買ってもらうことはあったかもしれませんけれども,何か買ってもらうといったって。
伝道目標は毎月何人くらいですか。
ちょっと記憶にないですけれども,二桁だったと思います。
乙ハ第10号証(陳述書)を示す
末尾添付のノートのコピーを示します。これは,IAさんによると,あなたが実トレの隊長としてお話しになったことをメモしたものだということなんですが,見たことはありますか。
概ね間違いないと思います。
この添付資料の資料3の第3号の右上に,足立が30から40,城東が30から40かな,それから城北が60から70,こう書いてありますね。
はい。
こういう形で,あなたが所属していた城北が実績が上がっていたというようなことをあなたがしゃべったことはあるんですね。
それは目標がそういう数字だったと思います。
目標,これは。
目標か実際にそれが現実として,そういうものがあったかということはちょっとどっちか分かりませんけれども。
あなたは時々修練生の前でもお腹をゴロゴロと鳴らしてたんですか。
鳴らしてました。
当時,実践トレーニングのホームというのは飛翔館にあったんですね。
はい,そうです。
実践トレーニングの活動としては,サンソレイユ,その後シリウスと称したようですが,ビデオセンターに誘うと,こういう活動ですね。伝道というのはビデオセンターに誘う活動のことをいうんでしょう。
ビデオセンターに,そうですね,お連れする。
ところで,祝福の意味を聞きます。あなたは92年8月に3万双ということで,合同結婚式に参加しましたね。
参加しました。
それで,SYさんという方とカップルになられた。
はい,そうです。
ところが,この方は家族との話合いで脱会されてしまった。
はい。
結局,家庭を持つに至らなかった,そういうことですね。
はい,そうです。
あなたは川崎経子牧師のところに会いに行って,このSYさんがやめた理由について聞こうとしましたね。
しました。
どうだったの。 どういう話を聞きましたか。
二人で話し合ってみたらいいじゃない。
で,SYさんと話したの。
話しました。
そしたら。
私としては何とか。彼女に一体何かあったのかと。私の前から突然いなくなりましたので,事情をお聞きして。
そしたら,もう脱会したんだから,あなたと一緒になる理由はないと,こうお答えになったんですよね。
簡単に言えばそんな感じだったと思います。
次にSKさんのことをお聞きしますが,この方とは先はどの尋問でも出ましたけれども,95年8月の合同結婚式のときに何日か行動を共にしたと。
はい。
つまり,数千人の信者さんだちと一緒に行動したわけですね。
SKさんとはもちろん,婚約者ですから,二人になる機会もありましたし,ずっとそれぞれの家庭事情,そういうのも結構長い時間。あのときは確か何日間かあったんですね。
二,三日ね。
はい。
その後は会ったんですか,会わないんですか。
その後会う機会はなかったと思います。
そしたら,先ほど主尋問で,あなたは将来家庭を持ちたいねとか,いろいろ言ったというんだけど,それはその合同結婚式のあの大きな騒動の中の二,三日の語り合いの中でそういうことも話が出たと,どういう話ですか。
簡単におっしゃいますけれども,統一教会における国際合同結婚式でようやく出会った方と話し合う場というのは本当に貴重な場なんです。
今,SKさんはどこにいるんですか。
韓国にいらっしゃいます。
再祝福を受けて,韓国で韓国人の男性と暮らしてらっしゃるんですね。
そのとおりです。
あなたは,95年1月に■<後藤徹氏の兄>さんと■<後藤徹氏の兄嫁>さんの結婚式にも参加しましたね。
はい,参加してます。
このお二人は,東京●●教会という教会の信者さんだったんですね。
当時もそうだったかどうかというのは,ちょっと。
教会で結婚式をしたんじゃないの。
そうだと思います。
氏族メシアの使命ということについてお聞きします。
乙イ第2号証(研修教材)を示す
これはどうもあなたが持っていた冊子のようなんだけど。
そのとおりです。
一番後ろのページに,江戸川教会,後藤徹とあるからあなたが持っていたんでしょうね。
これは私のものですね。
4ページ,「氏族的メシアたれ」とは,成約時代を歩む統一教会の全食口の目的であり,それをなくして,私たち個人の完成もありえないし,復帰摂理歴史の目的である地上天国実現もありえませんと,極めて信者としては重要なことであるということが書かれているようですね。
重要であります。
16,17ページを示します。氏族的メシアは自分のすべてを父母の前に捧げることによって,おじいさん,お父さん,兄弟の三代を自然屈服させたとき皆さんの父母は堕落しなかったアダムとエバの位置に立つようになるのです,とありますね。
はい。
ここでいう,すべてを父母の前に捧げることによってという, この父母というのは誰のことなんてすか。 これはやっぱり真の御父母様の文鮮明御夫妻のことですか。
この父母というのはちょっと。普通は真の父母という言葉を使いますので,この父母というのが何のことをいっているのか,ちょっと前後の文脈を見ないと,はっきりここでは言えません。
いずれにしても,氏族メシアというのはそういうような,あなたにとっては御両親あるいは兄弟,場合によっては配偶者や子どもさんたち,そういう人たち一族を統一教会の信者になってもらう,これが至上の使命であるということになるんでしょう。
それも一部ですね。
先ほど,氏族メシアの使命というのは極めて重要だと,あなたは言ったよね。
極めて重要です。
ここにも家族を復帰することが前提のような書き方がされてますよ。
そうですよ。
55,56ページなんですが,末尾の2行目から。そこから神の救いの摂理がなされるのです。故に死ぬ境地に入らなければなりません。みんな自分の故郷に帰って,まず反対する人を訪ねていかねばなりません。アべル的伝道を持った統一教会の人たちが入っていかねばならない舞台がどこかというと,その村で一番反対する者の所だというのです,とありますね。
はい。
つまり,信者というのは統一教会に反対する人を屈服させる,そのくらいの決意を持ってやらなきやいかんと,そう書いてあるんじゃないですか。
そういう部分もあると思いますね。
あなた自身,そういう決意を持って,信者として活動してたんじゃないんですか。
それもありますね。
IAさんがあなたの会,つまりあなたの指導のもとで実トレの修練生であったときに,親に内緒にしてたのが,IAさんが信者だとばれたということがありましたね。
そんなことがあったんでしょうね,多分,はい。
そのときにあなたはどう対応するべきかという指導もしてますよね。
あの陳述書に書いてあることがあるんですけれども,IAさんの陳述書の内容がすべて正しいわけではないですね。
どこが違ってますか,IAさんの陳述書の。
とにかく昔の話ですので,私もそんなに記憶は鮮明じゃないですけれども,確実に言えることがあります。私は拉致監禁を当時,1回目ですよ,もちろん。すさまじい体験をしたという,その認識があって,
それは当時,飛翔館にいるメンバーであれば知らない人はいませんでした。
あなたのいう拉致監禁に遭ったということをね。
そうです。それはなぜかというと,3人兄弟を伝道されて,3人ともやられたと。それで,二人は離れてしまって,私だけが何とか戻ってきたけれども,また私ももしかするとやられるかもしれないということで,私か非常に苦しんできたということを,よく私は話してましたので。
修練生にね。
ええ,修練生にも話してました。ですから,みんな知ってるんです。当時,私は統一教会に反対する山口先生とか,そういう方の本をたくさん集めてまして,それで勉強しながら,修練生の皆さんにこういう拉致監禁の問題というのがあると。反対する方はこういうことも言っているけれども,皆さんも是非注意しましょうというような話をしてまして,ですから,IAさんの陳述書には,私か偽装脱会をしたということは言っていたけれども,拉致監禁されたとは言ってないと,わざわざ書いてありますけれども,あれは嘘です。ですから,全く信用できません。
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決意だけで12年?
山口広弁護士は、原告が献身者であり、断食もやる相当の決意で氏族メシア活動に臨んでいた、って言いたいんでしょうね。
まあ、仮に裁判長がそういう論理も成り立つなぁと思ってくれたとして、でも、いくらなんでも長いでしょ、12年5ヶ月は。
しかも、一度も外出しないなんて…。
山口さん、あなたが何が何でもやりたいことがあって、そのために一室に閉じこもって12年5ヶ月を過ごせますか?
論理構成自体に無理があるんだよねぇ~。苦しすぎる。
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