原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 荻上弁護士編その3)-「何とか生き抜きました」と証言する後藤徹氏
危なげに始まった、荻上弁護士の反対尋問ですが、シリーズ最終回ともなると、後藤氏もなれたものです。
弁護士の質問に対し、「それは何に書いてあるんでしょう。」と質問し返したり・・・・。
弁護士が同じような質問を繰り返すと「それは先ほどの話と同じですね。」といってみたり・・・・。
勝ち誇った表情の弁護士に対し、「本件と関係ないと思います。」とダメだししたり・・・・。
先回は、ベランダにご執心の荻上弁護士の様子を紹介しましたが、まだまだベランダのことは頭から離れないようです。
今回もまたベランダがらみの質問が・・・・
甲第9号証添付の写真2を示す

こういう状態だったという記憶は間違いないですか。
いえ、そのときは鎖に南京錠が掛かっていて、出られない状態だったという感じでしたね。
ということは、この写真の状態かどうかという記憶はないということですか。
これと全く同じかというと、そうともいえません。
記憶ははっきりしないけど、こうだということなの。
玄関を見たときに鎖があって、そこに南京錠が掛かっていて、出れない状態になっているというのは当時確認しました。
基本的には、この写真のように短い鎖に南京錠が掛かっていたということでいいんですか。
いや、鎖があって、そこに南京錠が掛かって出れない状態になっているということです。
今言っているのは、鎖がこの写真のように短い状態なのか、もっと長いような鎖だったのかということを聞いている。
それはどっちともいえません。
はっきり分からない。
はい。
じゃあ、この写真のようかどうかはっきりしないということね。
そうですね、はい。
検察審査会の議決書を見ると、玄関ドアの取っ手の部分に鎖が掛けられ、その鎖をつなぐ形で南京錠が取り付けられており、というふうに書いてあるんだけど、そうすると、ちょっと玄関ドアの取っ手の部分に鎖が掛けられと書いてあるんで、だいぶこの図と違うように思われるんだけど。捜査段階でお話しした内容は今言ったような内容でよろしいですか。玄関の取っ手部分に鎖が掛けられという。
調書にそのように書いてあるので、そうだと思いますね。
乙イ第34号証(チラシ)を示す

<画像はこちらから拡大してみることができます。>
2枚目裏側です。このチラシは御自身で作成されたものですか。
そうです。
あなたが使われたものというふうには書いてないんだけど、多くの場合、監禁場の玄関は南京錠と鎖で細工されてますと。この写真を見ると、ドアノブのところ、取っ手が鎖でつながれてて、南京錠がつながれているという表現と、これはぴったり来ると思うんだけど、捜査段階であなたがイメージされていた状態というのは、こういう状態なの。
はっきりとそうかというと。
はっきり覚えてないということでよろしいですね。
はい。
はっきり見てないということでいい。
はっきり見てないというか、鎖があって南京錠があって、出られない状態になっているというのは分かりました。
その形については陳述書に添付されているものなのか、あなたの作ったビラに書いてあるものなのか、この違いもよく覚えていないということでよろしいですか。
そうですね、はい。
それから、偽装脱会を告白したときの話なんだけど、フラワーホームで偽装脱会をしたときに、甲第9号証の陳述書を見ると、意を決して覚悟を決め、兄を呼んで座らせ、偽装脱会をしていた旨を伝え、そして、机を思いっきり叩き、兄を糾弾して抗議をしたと書いてあって、その後、家族や宮村さんからあらゆる非難、中傷、罵倒を受けるようになったというように書かれているんだけど、間違いないですか。
間違いないです、はい。
あなたのお兄さんを糾弾して、その後に誹誇中傷されたということですかね、今の順番で行くと。
そうです。私かそのフラワーホームに入れられるようになって、偽装脱会を兄に告げたその期間というのはそんなに長くなかったと思うんですね。 というか、その間にそういう何かやり取りがあったかというと、ちょっと。
いや、私か聞いてるのはそうじゃなくて、偽装脱会をしていたと告白をしたときに、まずあなたから兄を呼んで座らせ、偽装脱会をしていた旨を伝え、そして、机を思いっきり叩き、兄を糾弾して抗議をしたということが書かれているから、だから、偽装脱会を告白してすぐにお兄さんたちに対して抗議をしたということで間違いないですかって聞いてる。
そうですね、はい。
だけど、乙イ31の米本さんのブログに書いてある陳述書によると、陳述書⑥の9分の3のところなんですけれども、偽装脱会を告白したところ、家族らから激しく批判されたので、原告が強く抗議したと書かれているんだけど。ちょっと順番が違うよね。
何が矛盾があるんでしょうか。
順番が違う。
何と何の順番が。
あなたは偽装脱会を告白して、今回裁判に出している陳述書だと、偽装脱会を告白して、その後すぐにお兄さんに対して糾弾をして、そしたら皆から誹誇中傷されるようになったと書いてあるんだけど、その前の時期に出した陳述書によると、偽装脱会を告白したところ、家族らから激しく批判されて、それに対して原告は強く抗議したと書いてあるんだけど。記憶がはっきりしないということでよろしいですか。
いや、はっきりしてます。あのときは偽装脱会を表明することを決意したんですね。それで兄を私の部屋に呼びました。で、ちゃぶ台の前に兄を座らせて、それで実は自分はまだ信じているんだと。それで、監禁なんかするあなた方のほうが悪いんでしょうと言って、そこで初めて、だから、それがいわゆる責めたということですね。それが一番初めですね。それから、宮村たちが来て、糾弾するようになったと。
そうすると、甲第9号証に書いてあるほうが今の記憶としては正しいの。
そうです、はい。
同じく甲第9号証の陳述書の18ページを見ると、原告は宮村さんや元信者の方々からあらゆる誹膀中傷、罵倒を浴びせられたと書かれているんだけど、間違いないですか。
間違いないです。
具体的には、先ほど主尋問で言われていた内容が宮村さんに言われたという内容をおっしゃっていたものですね。
そうですね。
それから、同じ甲9の20ページには、人間性を無視した数々の言葉、罵声、暴力による強制棄教を受けた、一日中糾弾されていたというようなことが書かれているんだけど、間違いないですか。
一日中って書いてありますか。
書いてますね。
申し訳ございません、それは何に書いてあるんでしょう。
陳述書。
一日中って書いてありますか。甲9号証ですか。
はい。
それはフラワーホームの場面で。
そうですね。一日中というか、「一日の彼らの」と書いてありますね。「一日の彼らの糾弾が終わると身も心も疲労困憊し」と。
それは一日中じゃないです。宮村が来たのは午後6時から8時の間です、大体。その後、8時から9時から10時くらいまで、家族の糾弾が。だから、1日大体、当時は4時間ですね。
その4時間というのはひたすら誹誇中傷、罵倒されていたと、そういうことなんですか。
ずっと複数でガーガーという感じじゃないですけれども、概ね、私にとっては本当に人間性を無視されて、統一教会信者は人間じゃないと。それを反省もせずに弁明もせずに弁解もせずに、平気で座っているお前が信じられないというような雰囲気でした、周りがですね。
基本的に、我々なんかも相談を受けることもあるけれども、カルト宗教に、統一教会はカルトって怒るかもしれないけれども、一般的に問題があると言われている宗教の親族会議したときに、その入ってしまった信者に対して接する態度として、頭ごなしに批判してはいけないというのは、家族の側からしたら常識なんだけど。本当にあなたは誹誇中傷、罵倒ばかりされてたの。
それは、あなたが知らないだけです。
だって、あなたがあらゆる誹誇中傷、罵倒をし続けると書いてあるんでね。
あの宮村が来た現場にあなたがいれば、はっきりと分かります。
それは我々が聞いている事実とは違います。だって、あらゆる誹誇中傷、罵倒を続けてたりなんかしたら、普通やめませんよ。こういうことはやめてくださいというふうに指導しますよね。アドバイスしますよね。
宮村のやり方というのは硬軟織り交ぜといいますか。宮村の陳述書には、詳細に私との会話の内容が出てきますけれども、確かに私は会話はあったと思いますね。あれが誹誇中傷かと言われれば、そうではないように一見思いますけれども、監禁下で。
ちょっと待って。そうすると、ひたすら誹諧中傷、罵倒をされたりしているというわけじゃないじゃない。そういったきちんとした、宮村さんの陳述書で書かれているのはやり取り自身が実際あったということは事実なのね。
それは事実です。
そうすると、ひたすら罵倒されてるというのとはだいぶ違うよね。むしろ、そういうことはやらないでくださいとアドバイスしますよね、普通。普通はしてるんです。そんな頭ごなしに罵倒して中傷して、馬鹿だ、アホだなんて言ったら、それはやめる人もやめないと思いますよ。
それはやり方があるんですね。本人の人格を否定して、それで本当に自分は駄目なんだと。それで、そうだろうって、また硬軟織り交ぜてくる。非常にうまいんですね、彼は。
そうすると、半分くらいは軟なんだね、あなたがおっしゃる事実としても。
いや、それは監禁下でやられているということは、ずっと暴力を振るわれているのと同じですね。
それから、甲9の20ページには、兄の■<後藤徹氏の兄>さんが「統一教会をやめろと言っているのではない。家族としては、これほど問題のある団体でお前を活動させておくわけにはいかない。だから、いったんニュートラルになって自分の頭で考えてほしいんだ。」ということを言ったと書かれているんだけど、こういう発言があったこと自体は間違いないですか。
間違いないです。
それから、統一教会の信者さんに対しては、多数の民事判決なり刑事判決なんかもありますけれども、そういう統一教会は社会的に問題のある団体だと世間から言われているということは認識されていますか。
評判はあまりよくないですね。
統一教会の責任を認めるような判決というのは、御自身からすると、それは判決が間違っているんですか。それとも、判決自体は事実として認めていらっしゃるんですか。
一つ一つの判決を私は知らないので、何ともいえません。
御自身は統一教会の活動には社会的な問題があるという認識はあるんですか。
宗教的じゃなくて社会的な問題。
一つ一つの案件によると思います。
御自身がやってらっしゃった活動の中で、社会的に問題がある活動というのはありましたか。
ないと思います。
それから、御自身の認識として、統一教会あるいは統一教会信者は、献金と先祖の因縁とを殊更に結び付けた献金奨励勧誘行為や霊能力に長けていると言われる人物をして、その霊能力を用いた献金の奨励勧誘行為は行っているという認識はありますか。そういう事実を知っていますか。
知りません。
そういう行為に対して注意がなされているということは知ってますか。
注意というのは、誰が誰に注意するということですか。
徳野さんのほうから。
教会内部でということですか。
うん。
そういう通達があったということは知っています。
統一教会又は信者は、教会員の経済状態に対して過度な献金をさせないようにという、そういう通達もありましたよね。
あるということでしたら。私の記憶は分かりませんけど。
御自身もそういうことはしちゃいけないという認識はありますよね。
それはあります。
社会的に問題のある活動をしていると言われている統一教会に家族が入ってしまったら、家族としては心配する気持ちになる、これ自体は分かりますか。
分かります。
家族が心配しているということを理解されるのであれば、とりあえず誤解を解こうとか、話して何とか納得してもらおうということは考えないんですか。
私が家族に対して。
うん。
それはいつの時点でですか。
常に、どの時点でも。
それは時期によります。
そういう時期もあったということですか。
ありました、はい。
「現代用語の基礎知識」とか「広辞苑」を差し入れてもらうのを断られたというのは本当なんですか。
はい、本当です。
テレビは頼んでもいないけど入れてくれたということですか。
はい。
それから、2001年の2月のことについてお伺いしたいんですけど。あなたは基本的に、確実に間違いなく逃げられる機会をとにかく待っていたということをおっしゃってましたよね。
はい。
それはもうずっと、最初の京王プラザホテルのときから一貫して同じですか。
はい。
そうすると、どうして2001年2月に暴れたということなんですか。
耐えられなくなったからです。
そのとき、■<後藤徹氏の兄>さんはいましたよね。
いや、いないと思いました。当時は平日で、私は普段の生活的な話もしませんでしたので、何をしているかって分かりませんけれども。出勤したと思って、それで行動しました。
そうすると、出勤して間もない時間くらいにこの行動に出られたということ。
どのくらいの時間かというのはちょっと記憶があれですけれども。もういないなと思ったときに行ったと思います。
だけど、何年にもわたって確実に出られる機会を窺っていたというのであれば、ちょっと慎重さが足りないと思うんだけど。だって、■<後藤徹氏の兄>さんがいないときのほうが間違いなく出られやすいですよね。確実にいないのを見計らって行動に出るというんだったら分かるんだけど。ちょっと不用意に過ぎるなと思うんだけどね。
そのときはそのように行動しました。
甲第9号証の陳述書では、いないと思って行動を起こしたら、たまたま■<後藤徹氏の兄>がいたので逃げられなかった、ということは書いてないと思うんだけど。 どうして書かれなかったの。
陳述書には書いてないだけです。
準備書面(3)までは書いてないんです。逃げようと思ったら、たまたま■<後藤徹氏の兄>さんがいたという重要な事実が全然書かれてなかったんですね、準備書面(3)が出されるまでは。だけど、逃げようとしたらたまたま■<後藤徹氏の兄>さんがいたというのは、原告準備書面(4)で初めて出てきた内容だと思うんだけど、どうしてこの段階になって、初めてそういうことを言い出したんですか。
どうしてもこうしても、初めからそういう認識はありましたけれども、そこで主張したということです。
また同じ質問になるんだけど、フラワーホームでもあくまでも玄関から出ようということを考えていたということでいいんですか。
はい。
この2001年2月というのは意を決して行動したわけですよね。
はい。
1か月間にわたり行動を繰り返してたんでしょう。
そうです。
そのときにベランダから出ようということは全然考えなかったんですか。
ベランダは難しいと思いましたね。
せっかく1か月間も逃げようとして頑張っていたんだよね。どうしてベランダから出るということを考えなかったのかなと思うんだけどね。
ベランダから出るということは窓を割るということでしょう。針金が入っておりましたし 8階でしたので、そこから出て、逃走できるというのは私の想定にはありませんでした。
先ほども言ったように、マンションというのは火事に遭っても避難できるようになっているんで、ベランダから逃げられるようになっているのね、通常。
それは先ほどの話と同じですね。
それから、今、御自身の認識として、網入りガラスというのは強いガラスだという御認識なの。
それを割って、それを破壊してすぐに人が出られるような状態になるということはないという認識です。
ということは、飛び散って危険だという認識ではなかったということね。
それもあると思います。
網入りガラスって基本的に割れても大丈夫なように網にしてあるわけだし、むしろ壊れやすいというのが常識だと思うんだけど。
それは知りませんでした。
建築科出身なんですよね。それで知らないんだ。
申し訳ございません。
ちゃんと勉強されてたの。
本件と関係ないと思います。

<なぜベランダから逃げようと思わなかったのかと執拗に質問してくる荻上弁護士でしたが、ベランダにはこのような施錠があり、逃げることは難しかった>
それから,準備書面(4)を見ると,極度の運動不足とハンガーストライキ後の食事制裁によって衰弱し,女性からも簡単に取り押さえられるような体力しか残っていなかったことが書いてあるんだけど,逆にいうと,断食する前には,それなりの体力があったということでよろしいですか。
ないです。
1回目の断食の前から,もう。
相当体力的には衰えていました。
何キロくらい体重はあったんですか。
体重ははっきり分からないですね,量ってないので。
それから,陳述書にも書いてあるんだけど,フラワーホームを出るまでの間,毎日15分程度の運動をしていたというのは間違いないのね。
間違いないです。すみません,毎日かどうかは記憶はないです。
それから,マンションにいろんな業者が出入りしていたと思うんだけど,どうして助けを求めなかったんでしょうか。
助けを求めることはできませんでした。
それはどうしてですか。
まず,兄がずっとおりましたので,その場に。
マンションにいる間に給湯管の交換業者とか排水管の清掃業者,それから外壁工事業者,ガスの機器の点検業者,水漏れの調査の業者などが出入りしていたということは覚えていますか。
全部が全部覚えているわけじゃないですけれども,そういう方が来たというのは何回か認識したことはありました。
それから,2007年にあなたのいた部屋の南側の窓の雨どいが壊れて,業者が来て,2日ほど修理をしていたという事実は覚えてますか。
2日かどうかは覚えがないですけれども,そういうことがあったというのは覚えています。
あなたの部屋に業者の人が来たのね。
来たのは覚えてます。
それから,クーラーの業者が来たときに,宮村さんと通じている業者だと思ったので,以後,ほかの業者も通じているんじゃないかと思ったというお話なんだけど,マンションの排水管の業者とか外壁の業者とかガスの業者とか給湯管の交換の業者,この人たちも家族と通じている,宮村さんと通じている業者だと思ったのかな。
私はそういうおそれがあるというふうに思いました。
排水管の清掃業者なんていうのはマンション全体で頼むわけだし,宮村さんと通じているという可能性は考えられないんだけど。
何といいましょうか,その人がはたしてこちらが助けを求めたときにすぐにこちら側に立って,家族とか宮村側じゃなくて,それで何とかしてくれるというふうなことというのは,私は閉ざされた情報と閉ざされた環境の中にしかないので。それで,向こうはずっと出入りしながら,何でも。
私か聞いているのはそうじゃなくて,排水管業者とか給湯器の交換業者とかそういうのも宮村さんの息のかかった業者だと思ったんですかと聞いてる。
そのおそれはあると思いました。
エアコンの業者が来たというのは,陳述書によると,2000年の7月頃ということで。その前も排水管業者なんかは毎年,年2回くらい来ていたということなので,このエアコンの業者が来る前にも業者の出入りはありましたよね。
それは記憶にないですね。
毎年排水管の業者というのは来るのでね。それから,排水管の清掃業者がいるときに,当然,太いホースみたいなのがトイレとかのところに来たと思うんだけど,そのシーンって覚えてますか。排水管の業者が来たということは覚えていますか。わりと来る頻度が高いと思うんだけど。
来たかどうかというのは分かりません。
要は,排水管をきれいにするときに,ホースを。
私はそういう方が来たときに,兄のようにそれをずっと見守ったりとか,そういうことではなくて,奥の部屋にいましたので,その現場をそんなに見る機会というのもありませんでしたので。誰がどういうことをやっているかということは,そんなにはっきりと分からないです。
清掃業者とかそういう人が来たときに,お前は奥の中に入って閉じこもっていろと言われたりするわけではないの。
それは言われてません。
じゃあ,誰かが来てるなと,見ようと思えば見られるということだよね。
見られますね,はい。
それから,■<後藤徹氏の兄>さんがトイレから出られなくなったときの話なんだけど,そのときにも,あなたは,■<後藤徹氏の兄>さんが中に閉じ込められて出てこられないから,これを機に逃げようと,そういうふうには思わなかったの。
一瞬思いましたけれども,妹と母がいたので駄目だと思いました。
駄目というのは,やっぱり玄関の鍵が開けられないから逃げられないと,そういう趣旨ですか。
そうですね。玄関あるいは木戸の施錠。
妹さんとお母さんを張り倒したらどうにでもなると思うんだけど。玄関なりを破壊して出ていこうとか,そういうことも考えなかったの。
破壊はどうやってやるんですかね。簡単にできないと思います。
考えたかということを聞いている。考えなかったのね。
時間がかかると思うんですね。すぐに破壊して。
だから,逃げようとしなかったということですね。
そうですね,はい。
行動はしてないということね。
はい。
しばらくして来たのはOBさんということなんですかね。
知りません。
先ほど,声も聞こえなかったって言ってたんだけど,本当ですか。
本当です。
だって,襖1枚だよね。
そうです。
声は聞こえるんじゃないの。
いや,記憶にないですね。今回,彼から陳述書が出てきてびっくりしました。
それから,甲9の28ページで,投げ文を出そうとしたけどガラスが補強用針金の通ったガラスは簡単に割れるものじゃないから諦めたというようなことだったと思うんだけど,その御認識は今でも同じですか。
そうです,はい。
そうすると,御自身は網入りガラスは強度が強いものだと思っていたのね。
そうですね,はい。
投げ文をしたら,その後,どんな仕返しを受けるかもしれないと思うと躊躇せざるを得なかったと書いてあるんだけど,原告としては■<後藤徹氏の兄>さんとか■<後藤徹氏の妹>さんとかお母さんからも制裁を受けると思っていたの。
思ってました。
それから,兄嫁の■<後藤徹氏の兄嫁>さんのことをお聞きします。甲9の29ページだと,興奮して半狂乱になると畳の上に座っていた私の目の前に正座して座って,前身の力を振り絞って平手打ちで思いっきり叩かれ,多いときには四,五回平手打ちされたというふうに書いてあるんだけど,本当なんですか。
事実です。
前身の力を振り絞ってというのは,力んでという感じ。
そういう感じでした,はい。
顔面に常に痛みがあったというのは顔に直撃したということなの。
直撃しました。
力んでモーション付けて叩くというんたったら,叩かれるって分かりますよね。
はい,分かったと思います。
なんでよけないの。
私かそういう行動をとると,余計大変な,その10倍返しくらい,ものすごいことになるんじゃないかという恐怖がありました。
これは,統一教会の信者の立場からして,こういうひどい仕打ち,誹膀中傷,罵倒を毎日されていて,信仰を捨てようという気になるんですか。
そうですね・・・。
後藤家の皆さんとしては,元信者ですので,現役の信者に対してそういうようなことをすればますます逆効果になるということくらいは十分分かっているので,そんなことをするはずがないということを我々は言っているんだけど。こんなことをしているとは到底思えないんだけど。本当にされましたか。
されました。私は当時,本当に怖かったです。 ここにいらっしゃいますけど。
それから,1回目の断食,甲9の30ページを見ると,21 日の断食の後,約1か月かけて重湯からお粥,お粥から普通食にと戻していきましたと,さらっと書いてあるんだけど,これ自体は別に特に普通のことということで,よろしいですか。断食明けの食事として。
違いますよ。5か月間ですから,それ。
1回目だよ。
1回目はそれでいいと思います。
これは別に特に問題ないんだ。
問題ないです,はい。
2回目も21日間ですよね。
はい。
1回目は約1年かけて元の体重に戻ったと書いてあるんだけど,元の体重に戻ったと書いてあるから何キロだったかって覚えてると思うんだけど,何キロだったの。
大体の目安です。体重は量ってませんので。
また断食を21日間やりましたよね。 1回目のときに21日目の断食後は飢餓状態の人のようだったということなんだけど,2回目も21日間断食されてるんで,やっぱり終わった後は飢餓状態のような状態なんてすか。
そういう状態でした,はい。
このとき普通食に戻すのに7か月かかったって本当なんてすか。
本当です。
お粥だったのは何か月ですか。
はっきりとは覚えてないですけれども,そのときの記憶というのは,私は克明に自分の中に記憶しておこうというのがはっきりありましたので,その7か月は絶対間違いありません。
でも,21日の断食が終わった時点ですら飢餓状態だったのに,そんな食事をしてたら死んじゃうと思うんだけど,被告たちがおっしゃるように,本当は1か月くらいで普通食に戻したんじゃないんですか。
人間はそんな簡単に死なないですよ。ずっとそれから少しずつ戻していくんですね。 3分粥,5分粥。それでお粥だけじゃなくて,お椀の味噌汁らしきものも付くんです。それを1日3食ずっと続けていけば人間は生きられます。
それから,3回目の断食の後,したのは30日ですよね。
はい。
これは1回目,2回目以上に当然飢餓状態は激しいですよね。
そのとおりです,はい。
それを70日間,重湯しかもらえなかったという話ですよね。
重湯とポカリスエット2本です。
だけですか。
それだけです。
4か月間は重湯,3分粥,7分粥というふうに書いてあるんだけど,本当ですか。
本当です。
到底生きてられないと思うんだけど。
はい。だから,生ごみを食べたり,生米ですね。
生米をちょっと齧ったくらいで大丈夫なような食事じゃないと思うけど。
何とか生き抜きました。
■<後藤徹氏の兄嫁>さんたちのおっしゃる,2か月くらいで普通食に戻ったというわけじゃないんですか。
それは嘘です。
それから,お母さんも一緒に住んでたんだよね。
はい。
お母さんも一緒になって食事制裁をされてたんですか。
そうです。
お母さんはとても優しそうな方だし,そんなことをするような人物には全く見えないんだけど。
してました。
とても事実とは思えないんでね。
事実です。
それから,交番の警察官にとりあえず寄ったときに,まず私は監禁されてたんですということを訴えたの。
訴えました。
陳述書を見ると,相手にされないので仕方ないので電車賃を借りようとしたけど拒否されたと,そのとおりなんですか。
はい。
最初から渋谷に向かおうとしていたわけではないんですか。
いや,向かおうとしてました。
だけど,乙イ31の原告の陳述書の12を見ると,向かう途中で交番があったので電車賃を借りようとしたと書いてあるんですね。だから,最初から電車賃を借りようと思って交番に行ったんじゃないんですか。
その目的もありました。 どちらもです。
交番に行ったときというのは,相当飢餓状態がひどいですよね。
そうですね。本当に腹減ってました。
でも,全然助けてくれなかったんだ。
くれませんでしたね。
救急車を呼んであげようかとも言われなかったんだ。
当時は1日15分くらい運動をしていたのが功を奏してか歩けましたので。私の写真がありますけれども,あのときはああいう状態なんです。ただ,そこに8枚の厚着をしてましたので。
とりあえず,呼んでもらえなかったということでいいのね。それから,歩いている途中で公衆電話があっても救急車を電話しようとは思わなかったのね。
思いませんでした。気が付きませんでした,大体そのことを。

<後藤氏が解放当日着用していた衣服。これだけ重ね着していたら相当着膨れするでしょう>
あなたは,■<後藤徹氏の兄>さん,■<後藤徹氏の兄嫁>さん,■<後藤徹氏の妹>さんも拉致監禁されたと書かれているんだけど,どうして分かるんですか。■<後藤徹氏の兄>さんはさっき本人から聞いたと言ってるんだけど,■<後藤徹氏の妹>さん,■<後藤徹氏の兄嫁>さんはやめた話はどうして知ってるの。
■<後藤徹氏の妹>の場合は。
本人から聞いたということですか。
本人からは聞いてませんよ。
■<後藤徹氏の兄嫁>さんについても本人から聞いてないのね。
はい。
あなた,39キロって,さかんにビラとかで書かれてるんだけど,今では,量り間違いだという認識でよろしいんですか。
そうだと思います,恐らく。
次回から山口貴士弁護士の反対尋問です。
応援よろしくお願いいたします。
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避難ばしごで逃亡?
<はっきり覚えてないということでよろしいですね>
原告(徹さん)は南京錠が掛かっていたことをはっきり覚えていない→思い込み→証言の信憑性が薄い→南京錠は掛かっていなかった…
荻上弁護士はこのように仕向けたいようですね。
もし、あの時、徹さんがドアや施錠の様子をジロジロ見ていたら、果たして、どうなっていたか。
すぐに脱出の意図を勘ぐられて、家族からの監視・制限は強められていたことだろう。
徹さんとしては、まさにチラっと横目で見るしかできなかったわけだ。
荻上弁護士は当人の立場になって物事を推理する力が乏しすぎる。
窓硝子を割って、ベランダの避難ばしごをつかって、颯爽と逃亡を図る…、なんてことは小説か映画の世界。荻上弁護士の人間性を疑ってしまう。
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