原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 荻上弁護士編その1)-ちょっと危なげな始まり・・・
荻上弁護士は、リンク総合法律事務所(以下「リンク」という)所属の弁護士です。同じくリンク所属の山口貴士弁護士とともに、後藤徹氏の兄、兄嫁、妹の代理人を務めています。
ちなみにリンクの所長は紀藤正樹弁護士です。
紀藤弁護士は、この裁判では、被告側の代理人にはなっていませんが、どうもこの裁判に関心がおありのようで、ツイッター 監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会 @gotousaibanもいつの間にかフォローしていただいているようです。(笑)
荻上弁護士による反対尋問は、訴状、陳述書の矛盾点などを指摘され、後藤氏が記憶があいまいだったと証言するなどちょっと危なげな始まりではありました。
原告が荻窪フラワーホームを出たのはいつですか。平成20年の2月とかでよろしいですか。
2008年2月10日です。
刑事告訴をその後されていますけれども,それはいつされたんですか。
一且告訴いたしまして,なかなか最初,受理されなかったんですね。告訴したのが6月頃ですかね。それで,荻窪警察署で受理されたのが8月頃だと思います。
不起訴処分になったのはいつですか。平成21年9月ということでよろしいですか。
はい,その頃だと思います。
刑事告訴をするにあたって,どなたに相談されましたか。
当時は一心病院に入院しておりまして,そのときにいろんな方がお見舞いに来てくださったんですね。その中で特に本部の方がいろいろ世話をしてくださって,その方は一心病院の近くに住んでらっしゃるので,私のところにお世話をしやすいということでいらっしゃいまして,そういう方何人かに相談いたしまして。もちろん,私のほうで何とかこれを法的手続したいということを相談いたしまして,それでじゃあどういう方法があるか,弁護士を立てるかということで,いろいろと相談していただいて,それで決めました。
刑事告訴の代理人は福本先生でよろしいですよね。
はい,そうです。
そうすると,当然,告訴するにあたって,告訴状を作ったりとかいろいろ資料を作ったりとかされるわけで,福本先生とも当然御相談されてますよね。
そうです。
不起訴処分になって,検察審査会でも22年10月6日で議決書が出ましたよね,不起訴が相当だと。
はい,出ました。
原告はどう思われましたか。
非常に残念でありまして,不正であると思います。
インターネット上等で,この議決書の内容に対して反論の内容とかいろいろ出ているんですけれども,それは原告御自身も確認された内容ということでよろしいですか。
ちょっとどういう内容か分かりませんけれども,全部分かりませんけれども,具体的に言っていただければ,それを示していただければ。
御自身も書かれましたか。
私も書いたと思います。
そうすると,議決文は詳細に検討されましたよね,批判するわけですから。
そうですね。
少なくとも,議決文は読みましたよね。
はい,読んだと思います。
22年10月6日に不起訴処分相当だということで議決が出て,23年1月31日この裁判を起こされているんだけど,提訴にあたっては,1度,刑事事件として不起訴になっているわけなんで,どういう内容で裁判を起こそうかということについて,弁護士さんときちんと相談されましたか。
はい,相談しました。
提訴するにあたって,訴状というのはきちんと御自身で内容を確認されましたか。
確認したと思います。
それから,準備書面,十何通出されていますけれども,これはきちんと御自身で内容を確認してますか。
はい,してます。
特に何か間違った内容とかありますか。
すぐにはちょっと思い出せないので。
それで,この裁判で原告側では米本さんという方を証人申請されてますよね。
はい,してます。
結果的に採用されてませんけれども,陳述書は出されていたり,報告書を出されていたりするんですけど,米本さんというのは信用できる方なんですか。
できると思います。
その米本さんのブログの中で,原告が刑事告訴事件で提出したという陳述書というのが掲載されているんだけど,それは御存じですか。
先週の金曜日に被告側からそれを示されて思い出しました。それまでは,多分,当時,米本さんから要請を受けて,私が承諾をして,それでプライバシーに配慮して掲載していただくということになったと思うんですけれども。
弁護士さんから要請されたの。
米本さんからです。
そうすると,内容は一応御自身で作られたもので間違いないんですよね。
はい,そうです。
1987年の京王プラザホテルの話合いが始まったときのことなんですけど,そのときに誰に呼び出されて,どういう形で部屋で話合いが始まったのかということは,だいぶ前の話ですけれども,原告御自身ははっきりと明確に覚えてらっしゃるんですか。それとも,だいぶ前なんであまり覚えてらっしゃらないんですか。
記憶にあるところと,そうでないところがありますね。
先ほど主尋問でお話しされたことというのは,はっきり記憶されている内容ということでよろしいですか。陳述書にも書かれている内容ですけれども。
はい。
原告御白身は,京王プラザホテルで話合いが始まった当時,どこに住んでらっしゃいましたか。
・・・・・。
統一教会の,いわゆるホームというところですか。
そのとおりです。
御自身は,ホームから大成建設のほうに通われていたということですよね。
そうです。
御自身は,そのホームから通われて,いずれ近いうち献身しようということは考えてらっしゃいましたか。
考えてません。
それはどうしてですか。
当時,私はまだ修練生という立場。修練生というのは,要するに私は86年8月に,8月31日だったと思うんですね,確か,兄の紹介で御徒町にあるビデオセンターに行ったんです。その後いろいろな修練会に参加したりとかして,学生部とかで活動しながら,そのときは,私はいよいよこれから本格的に信仰生活を始めるためのトレーニングの部署といいますか,そういうところにおりまして,その修練生の立場でしたので,まだ。当時,兄は献身しておりましたので,献身ということも考えるかどうかというのは,当時の私としてはまだそこまでは考えてませんでした。
すぐに,来月,再来月ということではなくて,すごく深い信仰を持たれているようなので,いずれは献身したいという御希望はあったということですか。
それは京王プラザホテルで監禁される前の話ですよね。
監禁かどうかは別としてね。話合いが始まる前ね。
・・・・・。
じゃあ,献身したくないという意思はありましたか。
それはなかったと思います。
乙ハ第30号証(反訳書)<注1>20ページを示す
これは徳野英治さんの昔の発言なんですけど,卒業してからやっぱり献身というルートが主流なんです。これは嘘偽りなく,私しょっちゅう言うことですから主流なんです,というようなことで,卒業された後,献身していくのが主流だというようなことをおっしゃられてるんだけど,御自身も基本的にはその考え方に反対ではないですよね。
それは当時ですか。
うん。
信徒それぞれの家庭の事情とか考えがありますので,教会が何か強制するというか,そういうことはあってはならないと思いますね。
そういうことを聞いているんじゃなくて,御自身が大変親交<ママ 「信仰」の間違いと思われる>が深いようなので,いずれは献身されるというようなことを考えていたんじゃないのかなと,そういうふうに単純にお聞きしているだけなんだけど,
考えていたかどうかというのは,ちょっとはっきりとは言えませんけれども,献身したくないということはなかったと思いますね。
それから,甲9号証の陳述書を出されてますけど,その陳述書だと,京王プラザホテルに呼び出された場面について,お父さんの■さんから,要は統一教会の話をするということは聞かされないで,■<後藤徹氏の兄>が会いたがっていると言って呼び出されたということが書かれているんですけど,間違いないですか。
間違いないです。
そのときに拉致監禁されるかもしれないと警戒して,男性の2名の信者に付いてきてもらったと。で,付いてきてもらったけれどはぐれてしまって,京王プラザホテルの部屋に突然監禁されたというふうにおっしゃられてるんですけど,それは間違いないですか。
間違いないです。
事前に話合いに呼び出されたときに,統一教会のことで話がしたいって言われてませんでしたか。
父親からですか。
父親かどうかは別にして,この京王プラザホテルに呼び出されたときに,教会のことで話がしたいというふうに言われてませんでしたか。
あのときは父親から連絡を受けたと思うんですね。
端的に答えてください。教会のことで話がしたいというふうに呼び出されてませんか。そういうことを言われてませんか。
ちょっとそれは記憶がないですけれども。
それは言われてないということなのか,言われたかどうかもはっきりしないということなんですか。
■<後藤徹氏の兄>が会いたがっていると言われたと記憶してます,私は。
それは分かったんだけど,教会のことで話がしたいというふうに言われてませんか,ということを聞いてるんです。
・・・・・。
はっきり覚えてないということね。
はい。
訴状4ページを示す
これはあなたの,先ほど内容を確認して読まれたという訴状なんだけど,4ページの3(1)のところで,「被告■<後藤徹氏の兄>から『教会のことで話をしたい』と言われて新宿に呼び出された。」と書いてあるんです。訴状にこうやって書いてあるんだけど,教会のことで話がしたいと言われていたんじゃないんですか。
それは,まず■<後藤徹氏の兄>じゃないですよね。
これ,訴状なんですよ。そちら側か作られた文章なのでね。
その部分はちょっと。かなり昔の話なので記憶が曖昧だったところもあると思いますけど。
それはいいんだけど,訴状のほうが陳述書を出すより前の話だから,記憶が薄れることはあったって,その前に書かれている訴状なわけですよ。だから,教会のことて話がしたいとはっきり書いてあるのでね。だから,言われたんじゃないんですか。
・・・・・。
乙イ第31号証(ブログ抜粋)を示す<ルポライター米本氏のブログの抜粋>
これは,先はどのあなたの信頼されている米本氏のブログに書いてあるものなんですけれども。後藤徹の陳述書②,2頁真ん中辺り,1987年10月,しばらく音信不通となっていた兄から突然連絡があり,教会のことで話がしたいと言われて,私は新宿に呼び出されました,と書いてますね。これはあなたが提供した陳述書なんだから,当時,こういう記憶があったんじゃないんですか。
教会のことで話がしたいという部分は,ちょっとそこがなぜそうなってるのかというのは。
あなたが書いた文章ですよ。
記憶が曖昧だったと思います。
陳述書でも書いて,訴状にも書いてあるんですね。■<後藤徹氏の兄>が会いたいと言ってるというのは,その後の陳述書で出てきた内容なんですよ。あなたが陳述書ではっきりと書いてるんですね。
教会の部分ですね。
教会のことで話がしたいって。曖昧な記憶だったら,こんなこと書かないでしょう。それから,不起訴になった後の訴状でも書いてるんですよ。陳述書を提供した後の訴状でも同じことが書いてあるんですよ。だから,覚えてらっしゃったんでしょう。
・・・・・。
それから,拉致監禁されることを警戒して,2名の男性の信者に付いてきてもらったって本当ですか。
本当です。
エレベーターに乗るときにはぐれてしまったわけですよね。そのときに拉致監禁されることを警戒してきているのに,その自分を守ってくれるはずの2名とエレベーターで別れてしまったら,これはまずいと思うと思うんだけど,思わなかったんですか。
あのときは確か,例えば路上拉致みたいな,そういう場合に備えて,例えばワゴン車がいきなり乗り付けてきて,それで暴力的に拉致するというようなことを想定して付いてきていただいたので。その行ったところが京王プラザホテルですので,高級ホテルですので,まさかこんなところでというような,そういう思いは私もやはりありましたし,付いてきた二人も多分あったんじゃないかと思うんですね。ですから,そのときはまだそこまで緊迫したような状態ではなかったと思います。
付いてきたお二人の方には,もしかしたらどこか連れていかれるかもしれないから,そのときは頼むというようなことはお話しされてたということですよね。
そうですね,はい。
結果的には,その後しばらく原告と付いてきた二人とは連絡が取れなくなったわけですよね。
そうですね。
その二人というのは原告を探したのかどうかというのは,その後お聞きしてますか。
分からないです。
そうやって,自分が連れていかれたら頼むと,助けてくれということをお話しされていたお二人が原告とエレベーターではぐれちゃったわけですよね。それでちっとも降りてこないわけですよね。で,ホテルの下のロビーにいたってちっとも出てこないわけですよね。これは何かあったって,普通は考えるんじゃないですか。
当時の二人がどういうふうにその後行動したかというのは,ちょっと推測でしかないんですけれども。
いいです。それからエレベーターではぐれたことは認識されましたよね。
はい。
降りたときにどうして一人で部屋に。そんなに拉致監禁されるかもしれないって警戒してるんだったら,ちょっと一人じゃ入るの嫌だっていうふうに,どうしておっしゃらなかったの。
やはり兄に対する思いがあって,どうしているのかなというのがあって。やっぱり高級ホテルですので,ものすごい立派なホテルの中で,本当にやれるということは私もなかなか想像できなくて。
部屋に入るときというのは,特に別に両腕抱えられたりとか,そういうことはなかったですか。
それはないです。普通に入ってると思います。
京王プラザホテルの部屋に入ったとき,部屋に誰がいましたか。
兄はいたと思いますね。もちろん兄はいましたい母親がそこにいたかどうかというのは。
甲第9号証の陳述書の内容からすると,後から来たというふうに書かれていると思うんだけど,その辺はどうなんですか。
その辺の記憶ははっきりしないですね。兄はもちろんいましたけれども。兄の陳述書には母親が夜に来たというふうに書いてあるので,その辺はどっちか,私もよくは覚えてないです。
乙イ第31号証を示す
先はどの次の段ですけれども,兄に言われるまま京王プラザホテルの一室に入ると,部屋の中には既に両親が待機しており,と書いてあるんですね。今のお話と食い違うんですけど,どっちが正しいんですか。
どちらかというのは・・・。
はっきり分からないということでよろしいですか。
そうですね。それを作ったときは,両親だというふうに思ったと思います。
そうすると,この刑事告訴のときに陳述書を作ったときには,お兄さんに呼び出されて連れていかれてホテルに入ったら,御両親がいたという記憶だったけれども,この裁判になったら,お父さんに■<後藤徹氏の兄>が会いたいと言っていると言って呼び出されて,お父さんにホテルに連れていかれて,部屋に入ったらお兄さんがいたという記憶に変わったということでよろしいんですか。
兄はいたということですね。
それで,甲第9号証のあなたの陳述書の4ページに,「ホテルの入りロのドアは何らかの細工により中が開かないように固定され」と書いてあるんですけど,何らかの細工って何なんですか。具体的にどういう状態ですか。
あのときのドアの状態というのは私も今ははっきりと記憶がなくて,あのときはそのドアを見たときに,ああ,もう出られないような状態になっているということは分かったんですね。
それで,内側から細工がされて出られないようになっていたという鍵は,でも,御自身のいた部屋からは見られる場所にあったんじゃないんですか。
見られる状態にあったと思いますね。
甲第9号証の添付図面1を示す

これによると,上の図の原告が監禁された部屋という,ここに御自身がいらっしゃったわけですよね。
はい,そうです。
その部屋のドアの鍵が細工されてたということですよね。
そうです。
そうすると,丸見えですよね。
そうです。
そうすると,御白身が本当にそんな細工がされて監禁されてたという状態だったら,じっくり見て忘れるなんてことはちょっと考えられないと思うんだけど。だってずっと見られるわけですよね,自分の監禁されている細工を。
はい。
ほかのフラワーホームとかプレイスとか,そういう見られないというような状態と違って,これはずっと見られますよね。
私もそこは一生懸命思い出そうとしたんですけれども,何分ちょっと昔の話ですので,その状態が具体的にどういう状態かというのは思い出せません。
細工なんかされてなかったんじゃないですか。
いや,もし出れるような状態だったら,絶対そこから出ます。すぐ前ですので。トイレの中に立てこもって騒いだりなんか絶対しません。で,あのときにそれを見たときに,ああ,もうこれは出られない状態になってるというふうに,それは認識したんですね。
だけど,具体的にドアがどうなっていたかは,全然覚えてないということですね。
はい。
それから,御自身で京王プラザホテルに椅子を持ち上げてガラスに叩きつけようかと考えたと。けど,危ないからやめたというのも間違いないですか。
間違いないです。
ガラスにぶつけたら確かに危ないけど,例えばホテルのドアに叩きつけたりだとか,そういうことをしようとは思わなかったですか。もちろん破壊する行為だからよろしくない行為だけれども,だけど,本当に監禁されてたという状況であれば,当然,正当化されると思うし。
そのときは本当に突発的行動といいますか,理性が飛んでるといいますか,ですから,そういう行動なので・・・。
いいです。それで,ホテルの一室なんて,それこそ本当に大声出して騒げば普通に考えれば騒動になると思うんだけど,部屋の中で大声出したり騒いだりってことはしなかったんですか。
1度トイレに立てこもって,それで暴れて,それで外に引きずり出されたときに,そこで騒いだことはあったと思いますね。
だけど,特にホテルの方がちょっと静かにしてくださいというようなことを言ったということはない,ということでよろしいですね。
それはないですね。
それから,バスとトイレの中で閉じこもって騒いだということですよね。
そうですね。
通常,京王プラザホテルくらいのホテルになると,バストイレの中には非常用の連絡用の電話があると思うんだけど,それで連絡しようとは思わなかったんですか。
気づきませんでした。覚えてません。
普通,目立つところにあるはずなんてね。苦しくなった人が緊急用に使うものだから,目立つようにきちんと設置されているはずですよ。
まず,ああ,これは監禁されたと思ったときに,一つの私のやり方として,あまりまだ自分は熱心に信仰してない,そういうふりをしようというふうに考えたんですね。なぜなら,今からものすごい説得が始まると,いろんな情報を与えるだろうと。
それはいいんですけど,そういうことを聞いてるのではなくて,あなたがバストイレの中で大騒ぎをされたと言っているんで,大騒ぎをして家族と揉めるよりは,鍵閉めてこっそり電話しもやったら家族にもばれないで連絡取れるわけだから,そちらでそういうことをすればよかったんじゃないかと言ってるんですよ。まさにあなたの言ってるとおり大騒ぎにならないようにするためには電話したほうがよかったんじゃないかって聞いてるんです。
そのときにトイレに入って騒いだ行動というのが突発的な行動なんてすね。
あなた,今,この状況ではこうしたほうがいいというようなことを冷静におっしゃろうとしたから,ちょっと矛盾してるんじゃないですか。
ちょっと言ってらっしゃる意味が。
こういう場面ではこういうことをしたほうがいいということを考えていたと今おっしゃってたんで,そうだとすると,バストイレに入ったときにこっそり電話する。トイレというのはそのときだけじゃないですよね。
もちろんです,はい。
そしたら,電話できたんじゃないの。なんでしなかったの。
そこに電話があったという記憶はないですけれども。
それから,偽装脱会をしていたかどうかは別にして,準備書面(2)には,この京王プラザホテルの話合い自体は平穏になされていたということが書いてあるんですけど,それは間違いないですか。
はい,間違いないです。
それから,ホテルから荻窪のマンションに移動する際には,先ほどは連行されたというようなことをおっしゃっていたんだけど,具体的に何人に連れていかれたの。
父と母と兄と,あと元信者の方が,人数は分からないんですけれどもいらっしゃいました。
そのときにどのくらいの距離感覚で周りに付いてくるんですか。
その辺の記憶ははっきりしませんね。
ホテルの中なんて,それこそ両手をつかんで引きずるようにしてたら騒ぎになると思うんで,特にそういうことはなかったということでよろしいですか。周りを囲んで付いてきたというくらいでよろしいですか。
ちょっと記憶にないですね,どういう状況かというのは。
だけど,当然ホテルの部屋から車に乗るわけですよね。
そうですね,はい。
当然,ホテルですから,人が周りにもいらっしゃいましたよね。
いたと思います。
車はどこから乗ったんですか。
そのホテルからマンションに行くときですね。
正面玄関に待たせておいてという感じでいいのかな。
どこから乗ったのかというのは,ちょっとはっきり覚えてないです。
普通にエレベーターで降りていって,ロビーを通って車に乗ったということでよろしいですか。
記憶にないです。
じゃあ,特に騒動になるようなこともなかったということでいいんですね。
そのときは騒動はなかったと思います。
本当に監禁されてたりだとか,移動することに了承しないで隙あらば逃げようと思っているんだったら,ホテルで車に移動するときなんて簡単に逃げられると思うんだけど。
そのときは逃げられませんでした。
どうして。
偽装脱会をしておりましたし。そこで逃走を試みて,当然私の見える範囲にいますから,近くにですね,そこで捕まる可能性ももちろんありますから,そうすれば,また宮村のおぞましい説得が始まるということを思うとそれはもう逃走を試みることはできませんでした。
だけど,ホテルというのは人がいろんな人がいるわけですね。京王プラザホテルだったら,食事している人もがたくさんいますから。そこで走って逃げられないということは考えられない。
いや,そんなことはないと思います。現に逃げようとして難しかった例はありますので。逃げようとしても逃げられない例はありますので。
誰のですか。
TUさんなんかそうですね。
そのときにそういうことをしたんですか。
同じ京王プラザホテルに。
その時点で,そういうことをしていたんですか。今,御自身が出るときの話ですよ。TUさんの話って後で知ったことじゃないんですか。
そうです。
じゃあ,今関係ないですよね。
そういう事例がある。
それは後で知った話ですよね。
ええ。
1回目の監禁時、誰から京王プラザホテルに呼び出されたのかと荻上弁護士に質問されましたが、後藤徹氏は、記憶があいまいだったという証言をしました。
すべての反対尋問が終った後、再度、原告代理人(福本弁護士)による尋問がありました。
この尋問には、京王プラザホテルに後藤徹氏を呼び出したのが誰であるのか、また、原告側から出された書面によって内容が違っていることについての明確な答えとなっている内容が含まれていますので、該当箇所を下記に追記しました。
5/7 12:47追記
原告代理人
京王プラザホテルに呼び出されたときのことなんですけれども、あなたは刑事の段階では、訴状もそうなんですけれども、■<後藤徹氏の兄>から連絡があったと、そう思ってたんですよね。
はい、そうです。
訴状にもそう書いた。
はい。
答弁書で、いや、あれはお父さんだということで、■<後藤徹氏の兄>らから認否がありましたね。
それで確認しましたよね、あなたに。
はい。
それで、どうだったんですか。
父でした。
あなた、思い出したのね。
思い出しました。
ああ、そう言われればそうだったということで、陳述書の段階では被告らの答弁と同じ内容になったということですよね。
はい、そうです。
<注1>乙イ30号証
被告側から提出された証拠
このブログでも紹介したYC氏(宮村氏の脱会説得により脱会した元信者)の両親と徳野英治氏との会話を録音した内容を文書に書き起こしたもの。ちなみに徳野氏は現統一教会会長。録音当時は、統一教会の友好団体「原理研究会」の責任者でした。YC氏の父は宮村氏の恩師。
次回も荻上弁護士の反対尋問です。
応援よろしくお願いいたします。
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