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原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その3)-偽装脱会するも解放されず,父の葬儀にも参列は許されず・・・・

主尋問も3回目になります。
後藤氏が連行された新潟のパレスマンション多門は、すべての窓にウィインドウロックで施錠され、玄関も内側から施錠されていました。
後藤氏は偽装脱会の意思を表明した後も解放されることも外出を許されることもありませんでした。
父親が他界し、厳重な監視体制の下、東京にワゴン車で移送され、荻窪プレイスというマンションに連行されました。父の葬儀への参列もかなわず、ついに荻窪フラワーホームに監禁場所を移すことになります。
ここで後藤氏は10年余りを過ごすことになります。
後藤氏の人生にとって、もっとも過酷で、孤独で、絶望的な10年間です。




部屋の窓は内側から,あなたが自由に開けられる状態でしたか。

いいえ,すべての窓がウィンドウロックという防犯錠で施錠されておりました。


玄関は。

私か入れられた後に,何らかの形でそれは開けられないように施錠されました。


そのことはどうして分かったの。

松永牧師が後で訪問してきたときに,私かトイレに入っておりまして,松永牧師を迎えに来た父親の手に解錠するための鍵が握られているのを見て,そのことは間違いないと思いました。


内側から施錠されて部屋の外に出られないことについて,あなたは抗議したんですか。

はい。あのとき,私は「もうこんなことしないでって言っただろう,これは人権侵害だ。」そして,窓の施錠がありましたので,「この鍵は何なんだと,こんなのは犯罪だ。」と言って,抗議しました。


それに対して,家族は何と答えましたか。

父親は「確かにそのようなことは言った。しかし,ほかにどうしようもなかったんだ。」と言いました。そして,兄は「言っておくが,この問題は絶対に許さんからな。この問題を解決するまでは絶対に妥協しないし,この環境もこのままだ。我々はどんな犠牲を払っても決着をつける。お前もそれは覚悟しておけ。」と,そのように言いました。


それは、あなたが棄教するまで絶対に監禁から解放しないということですか。

はい。


そのほかに何か言われたことがあるんじやないですか。

はい。そのときに兄は「窓から飛び降りたら絶対に死ぬぞ。」そして,「死なない程度に悩め。」と,そういうことを言いました。


その部屋に監禁されていた間,誰があなたの監視に当たりましたか。

母と妹と兄嫁です。そして,最初の1か月間は叔父のOもおりました。


お父さんもいたんじゃないですか。

父もおりました。はい。


被告■<後藤徹氏の兄>は常駐しなかったんですか。

兄は東京で仕事をしておりましたので,時々顔を見せる程度でしたけれども,来るときには私からいろいろ話を聞いて,脱会説得はどのくらい進行しているのかということをチェックしておりました。


このパレスマンション多門にいた間に,被告■<後藤徹氏の兄嫁>が体調を崩して,しばらく実家にいたということはありましたか。

いいえ,ありません。


被告■<後藤徹氏の兄嫁>の陳述書によりますと,■<後藤徹氏の兄嫁>は体調を崩したため1995年末頃にマンションを出て,実家で生活するようになり,生活費の心配もあったのでアルバイトを始め,アルバイトをしながらたまに新座にある自宅のマンションに帰り,新潟のマンションにも時々顔を出していた,ということを言っているんですが,どうでしょうか。

兄嫁はほとんどの期間,パレスマンション多門にいたと思いますし,兄嫁がそういう体の調子が悪くなったということは,私は兄嫁白身からも家族からも誰からも聞いたことはありませんでした。


あなたは,祝福を受けたSKさんと近い将来家庭を持つ話もしていたのに,こうして再び監禁されてしまって,彼女のことが気がかりでしょうがなかったんじやないですか。

その前の月に彼女と祝福を受けまして,本当に将来に二人で希望を持っておりましたので,彼女が私のことを今探し続けているだろう,どういう気持ちでいるかということを思うと,胸が締め付けられる思いになって,本当に彼女に申し訳ない思いでいっぱいになりました。


被告らは自由意思であなたが新潟に行き,自由意思で留まったんだと言っているんですが,そうなんでしょうか。

いえ,そんなことは絶対にありえません。


婚約者に何の連絡もしないで,そんなことするわけないよね。

はい。私かあのときに,そこがもうどこだが分からないわけですね。その場所さえもよく分からない。そして,その婚約者に電話1本連絡もせず,一歩も出ないで,誰にも連絡しないで,私かそんなところに留まるはずは絶対にありません。


新潟のマンションでは,どういう話があったんでしょうか。

最初に父親からまずは「徹が信じている統一原理を聞かせてほしい。」という話がありましたので,私はこんなところで説明する必要はないと思いましたけれども,何とか早く解放されたい一心で,家族に対してノートを使いながら,その原理の内容を説明いたしました。


すると,お父さんは何と言ってきたのかな。

「お前の話は分かったけれども,どうもやはり納得できん。それで,統一教会に詳しい牧師先生がいるので是非会ってほしい。」と,言いまして,松永牧師が元信者を引き連れてくるようになりました。


被告松永はあなたの希望で話合いに行ったんだというふうに主張しているんです,あなたは希望したんでしょうか。

いいえ,私は希望しておりません。


被告松永はどの程度の頻度で部屋に来ましたが。

多いときには週に3回,20回から30回,合計で来たと思います。


被告松永や元信者が部屋を訪ねてくる際には,何か合図のようなものがあったのでしょうか。

はい。特殊なノックの音がしておりました。これは恐らくほかの訪問者と区別するために,そのような特殊なノックで訪ねてきたのだと思います。


被告松永は訪ねてきて,あなたにどういう話をしてきましたか。

「統一教会は問題のある団体だ。」と言いながら,教会の批判をしてきました。


具体的にどんなやり取りがあったか,覚えているところで話してもらえますか。

松永牧師は,まず聖書と原理講論を比較しまして,「あなたは味噌と糞の区別もつかないのか。」と。そして,「メシアという言葉はもともと聖書から出てきている言葉である。それなら聖書から見て,文鮮明がどうしてメシアといえるのか,説明してごらんなさい。」と言うので,それに対して私か「誰が何を信じようと自由でしょう。私は統一原理に感動して統一教会の信者になったんだ。もし私をやめさせたいならば,統一原理以上のものを私に提示してください。」と,そのように言いました。


そうすると。

松永牧師は「私は御両親からあなたの説得を頼まれているんだ。重要なことは,ここであなたが問題ある統一教会について真剣に考えることだ。ここはその話合いの場なんだ。」と,そのように言いますので,私が「こんなところに閉じ込めておいて,話合いも何もないだろう。」と,そのように言いました。


あなたのもとを訪れた元信者は全部で何人くらいいますか。

20人くらいの元信者が入れ代わり立ち代わり訪れてまいりました。


彼らは誰かに指示されて来ていたんでしょうか。

はい。元信者がマンションに訪れてくるときには,複数の人間で来るときには必ず連れだって来ておりましたし,大体いつも同じような時間に来ており,ローテーションを組むようにして来ておりましたので,恐らくその背後で松永牧師が指示していたのだと思います。


監禁下,皆に囲まれて,寄ってたかって批判されたりする,そういう心境はどういうものなのでしょうか。

監禁されて自由を奪われるだけでも,これは本当に苦しいことだと思いますけれども,棄教目的の監禁の場合には,これは自分の心の中で命よりも大切に信じているそのものが破壊されるまで,そこから出られないという,その状況というのは,その苦しみというのは,本当に言葉では言い表せないものがあります。


それで,あなたは監禁から3か月半後の95年12月末に脱会表明をしましたよね。

はい。


それはどうしてですか。

そのマンションの中でいろいろな批判を言われて苦しいということもありましたし,とにかく婚約者と早く連絡を取って彼女を安心させたいということもありましたので。しかし,ここから脱出するためにはやはり偽装脱会をするしかないと思いまして,偽装脱会を致しました。


それで,統一教会宛てに脱会届も書いて出しましたね。

はい,脱会届も書きましたし,そして自分のホームにありました荷物を父と兄が引き取っております。


脱会届を書いた後,被告松永から,何か書くように指示されたんじゃないですか。

はい。自分が統一教会に入ってから脱会するまでの手記を書くように,指示されました。


被告松永は手記を書いてみてはどうかと提案し,原告自らの意思で手記を書いたと言っているんですが,どうでしょうか。

いいえ。あの状況でその手記を書きなさいと,そのように指示されるということは,書かなければそこから出さないというふうにしか,私はもう受け止めることができませんでした。あの手記というのは,私のどういう状況なのかということを見極める踏み絵であると,私は思います。


偽装脱会をしていたあなたとして,手記を書くのは非常に苦痛だったんじやないですか。

はい。私の心とは違うことをそこに書かないといけませんので,それは苦痛でありましたけれども,とにかくこの松永牧師や家族を何とか彼らに脱会したことを信じさせるには,それを書くしかありませんでした。


あなたは脱会表明をしたのちも解放されませんでしたよね。

はい。


なぜ脱会表明をしても,彼らは監禁を続けたと思いますか。

それは1回目の監禁のときに私か偽装脱会をして逃走いたしましたので,多分,慎重になったのだと思います。


あなたとしては,脱会したのになんて出してくれないんだということを言ったんじやないんですか。

はい。あのときは「マンションの中ばかりにいると息苦しいので,たまには散歩くらいさせてくれ。」あるいは「もう1年も経つじやないか。なんて散歩くらいさせてくれないんだ。」と,そのようにして家族に迫りましたけれども,家族は全く聞き入れてくれませんでした。


それで,あなたはどうすることにしたんですか。

私は,そのときの雰囲気というのは,私かそういうことを言えば言うほど,これはもう出してもらえないというふうに判断いたしまして,そのようなことを言うことをやめました。


監視役が女性だけになるときもあったんでしょうか。

ありました。


それでも脱出を試みることはできなかったんですか。

はい。玄関は施錠されておりましたし,やはり偽装脱会をしておりましたので。もし私かここで逃走を試みて,それが失敗したときのことを思うと,やはり逃走することはできませんでした。


ところで,お父さんの病気とその後のことなんですけれども,胸の緊急手術を受けたということでしたよね。

はい。


その後,被告らの主張では,療養のためにお父さんは実家に帰ったんだというふうに言っているんですが,そうなんてすか。

いや,そうではありません。


実際はどうだったんですか。

父はあのときは胸の緊急手術を受けて,その手術が成功した後には,またマンションに帰ってきて留まっておりました。


東京の実家では,誰かお父さんの面倒を見られる人はいたんでしょうか。

いません。


このときはお母さんはどこにいたっけ。

マンションです。


誰もいないよね,あっちに行っても。

はい。


1997年3月にお父さんががんを宣告されて,お母さんがその看病でマンションを空けるようになりましたね。

はい。


マンションには誰がいましたか,その頃は。

兄嫁と妹かおりました。


必ず二人がいたんですか。

はい。私か見た限りは,必ず二人おりました。


1997年6月にあなたのお父さんが亡くなって,父と最後のお別れをするからという理由で,東京の自宅に行ってますね。

はい。


財布や免許証,現金,新潟のマンションに置いたままにして来たんですか。

はい。


それはどうしてですか。

またここに連れ戻されると思いまして,置いておきました。


東京へ移動するワゴン車を運転していたのは誰でしたか。

TTという元信者です。


当初,被告■<後藤徹氏の兄>らは元信者がワゴン車に乗っていたこと自体,2度にわたって準備書面で否認していましたけれども,その後に急遽認めてきたんですが,その背景に何かあったんじゃないですか。

はい。兄たちが否定いたしましたので,私は自分で確かめようと思いました。それで,TTさんが新潟で瓦屋を営んでいるということを聞きまして,インターネットで検索いたしましたら,T瓦工業というのがありましたので,私はそこに電話を致しました。そしたら,TT本人が出まして,当時のことを聞いたところ,確かに父が亡くなったということで,頼まれて新潟から東京まで運転したということを,あっさりと認めました。そのときはそれだけの話で終わったんですけれども,後でまた話を聞きたいと思って,連絡をしましたけれども,何度連絡しても着信拒否になってしまいました。TTさんと兄嫁,兄は元信者同士で懇意にしておりますので,恐らくこのことが何かしらばれてしまうのを恐れて,一転して認めてきたんだということに間違いないと思います。


車内には誰がガードで付いていましたか。

一番前の席には元信者のTT,そして助手席には兄嫁,その後ろの席には兄嫁の二人の兄,そして元信者の女性,そして一番何人後ろの席には私と,その横には妹とSと名乗る元信者かおりました。Sというその元信者の方は二十代前半くらいの人で,中肉中背のがっちりした感じの人でした。


新潟から東京

東京の実家に着いて,お父さんの亡骸と対面させてもらいましたね。

はい。


その後,あなたはどこかに連れていかれたんじゃないですか。

はい。荻窪プレイスというマンションに連行されました。


車を降りてマンションに入れられるまで,誰か,そこに待機していませんでしたか。

当時は暗くなっていたんですけれども,その暗がりの中で,見知らぬ人が何人か車の到着を待って待機しておりました。


甲第9号証の添付図面3を示す
これが,あなたが荻窪で最初に入れられたマンションの見取図ですね。

はい,そうです。


荻窪プレイス605号室間取り図

このマンションの玄関は,どういう状態でしたか。

当時,私は偽装脱会をしておりましたので,なかなかじっくりと見ることはできなかったんですけれども,玄関にはカーテンがかかっておりまして,それをさっとめくってドアノブのところを見たときに,番号式の鍵が掛かっておりまして,その玄関が開けられないようになっているということが分かりました。


窓も内側から施錠されていたんじやないですか。

はい。窓はどのようになっているのか,記憶にはあまりありませんけれども,窓は1度も開けられたことかおりませんでしたし,あるいは6階でありましたので,そこから逃走することはできませんでした。


葬儀には参列させてもらえませんでしたね。

はい。


あなたのほかの家族は全員参列しましたか。

兄嫁と妹も参列せずに,マンションに留まっておりました。


なぜあなたが葬儀に参列できないのか,説明はありましたか。

いいえ,ありませんでした。


被告■<後藤徹氏の兄嫁>と■<後藤徹氏の妹>までも参列しない理由について,何か説明はありましたか。

いいえ,ありませんでした。


あなたから理由を聞きましたが。

いいえ,聞きません。


なぜですか。

親の葬式に参加しないということですから,よほどの理由があると思いました。恐らく私の偽装脱会を疑っていて,それで監視するために二人が残ったんだということが,私は明らかだと思ったからです。


同じ東京にいながら家族のうち3人が出ない,異常ですよね。

はい,異常だと思います。


1997年6月,荻窪プレイスに移ったのち,被告らは最初の1か月ほどはお父さんの死後の手続のため,お母さんが保谷の実家にいたというふうに言っているんですが,事実でしょうか。

いいえ,事実ではありません。母は用があって出かけることはありましたけれども,必ずマンションに戻ってきて,そこで寝泊まりしておりました。


被告■<後藤徹氏の兄嫁>らは,陳述書で,お兄さんが時々新座市の自宅に寝泊まりしていたんだというふうに述べているんですが,事実でしょうか。

いいえ,事実ではありません。兄は出かけることはありましても,プレイスに戻って,そこで寝泊まりしておりました。


被告■<後藤徹氏の兄>はどこで寝てたんですか。

一番奥の部屋で,私と一緒に寝ておりました。


被告■<後藤徹氏の兄>の言動で印象に残っていることがありますか。

はい。当時は監禁が長くなっておりましたので,恐らく兄はイライラしていたのだと思います。私か玄関の近くに行ったときに,兄は突然「不愉快だ,向こうに行ってろ」,そのように怒鳴りつけられました。私は玄関に近づくだけでそういうことを言われて,本当にそのとき恐怖を感じました。


1997年12月に荻窪フラワーホームへと移動させられましたね。

はい。


陳述書では12月末としているんですが,そうなんでしょうか。

それは12月初旬の間違いでした。


事前に場所の移動を知らされていましたか。

いいえ,全く知らされませんでした。そのときは,移動する直前まで私には全く何も知らされなくて,しかも,私か移動するときには,運ぶべき荷物はすべて運び終わった状態で,準備万端整えた状態でありました。私は,私に何も知らせずに突然の移動の要請に対して,またかと思いました。


家財道具の移動など,大掛かりの引越しだったんですか,このときは。

あのときはタンスとかそういう家具,あるいは冷蔵庫,そういう電化製品を移動した形跡はありませんでしたし,恐らく衣類などの身の回りのものだけの移動だったと思います。


被告■<後藤徹氏の兄>らの陳述書によると,このときに動員された男性3人が被告■<後藤徹氏の兄>の高校時代の友人であるということなんですが,そのように聞かされましたか。

いいえ,全く聞かされておりません。その3人の方は,私か移動させられる玄関のところに立っておりまして,そしてそのままエレベータに兄と一緒に私を囲みながら乗ってきて,そして車の中にそのまま乗り込んできました。


結局,何人に取り囲まれて移動したの。

7人です。


荷物運びに人が動員されたのではなくて,あなたを連行するために動員されたんじゃないの,この人たちは。

はい。移動するときには,家族あるいは友人の方は何も荷物を持っておりませんでしたので,私を連行する目的であったということは間違いないと思います。


ogikuboflowerhome2
<後藤氏が7人に取り囲まれて連行された荻窪フラワーホーム>

続く・・・・・・


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2013-04-27(Sat)
 

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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