原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その4)-そのへんのへっぽこ牧師とは違うと豪語する宮村氏が73回も訪ねた荻窪フラワーホーム
宮村氏は73回もこの荻窪フラワーホームを訪ね、後藤氏に対し、一方的な人格攻撃をしながら脱会の説得したということが今回の証言で明らかになりました。
この宮村氏や元信者たちの訪問は他の訪問者と明確に区別するための"合図"があったことがわかっています。(本文中に証拠品の画像あり。)
また、後藤氏は脱出を試みた際、家族とも激しいもみ合いになり、流血、骨折の被害にもあっていたようです。
それにしても、73回も通っても、後藤氏を脱会させることができなかった宮村氏は、「俺はその辺のへっぽこ牧師とは違う」と豪語できるのでしょうか?

これがあなたが次に移動させられた荻窪フラワーホームの見取図ですね。
はい,そうです。
ここでも,玄関には内側から施錠されていたんでしょうか。
はい。フラワーホームに連れていかれて,私が玄関の見える位置に行きますと,そこには鎖と南京錠が掛かっておりまして,出られない状態であるということが分かりました。
窓もやはり内側から施錠されていたんですか。
はい,そうです。
この状態については,その後ろに付いている写真の状態ですね。
はい,そうです。
監視体制はどうでしたが。
そのときには,母,兄,兄嫁,妹が監視しておりました。
当時,偽装脱会をかれこれ2年も続けていたということになるんですが,あなたとしては,その2年間,どのような心境でしたか。
偽装脱会をし続けるということは極度の緊張と苦しみを強いられました。本当は自分は信じているわけなんですけれども,その本当の自分を隠して,それとは全く逆の自分を見せ続けなければならないということでありましたし,あるいは監禁をしている,その犯罪的な行いをしている彼らに対して,自分が脱会したふりをして,彼らに調子を合わせ続けなければならないということは,私にとっては本当に大変な苦しみでありまして,私はもうこれ以上,自分の精神をそのまま保つことが難しいというような状態まで,そのときは追い込まれておりました。
それで,どうしたんですか,あなたは。
私は偽装脱会をしていたことを明かすことに致しました。
その旨,伝えたわけね。
はい,家族にそれは伝えました。
そのとき,あなたは偽装脱会をしていたことについて謝罪したりしましたか。
いいえ,そのとき私は謝罪はしておりません。監禁していたことに対して,家族を糾弾しましたけれども,謝罪はしておりません。
謝るような話ではないですね,これは。
そうだと思います。
偽装脱会を明らかにした後,あなたは力づくでの脱出を試みたことが何度かありますね。
はい。
どういうことをしましたか。
フラワーホームに移された最初の頃だと思います,脱出を試みたことがありましたけれども,兄に取り押さえられて,それで組み伏せられてしまいました。
そのため,監視体制が強化されたこともあったんじやないですか。
はい。確か,その私が兄に組み伏せられた翌日だったと思います,叔父のO氏がフラワーホームにやってまいりまして,何日か泊まっていきました。
偽装脱会表明後のことですが,被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書には,「徹は「『統一原理に未練はあるし,文鮮明もすぱっと切り捨てられない。悪いことをしていると言われていることは分かるけど悪いとは思いきれない』と言っていました。」と,こんなことを言っているんですが,そんなことをあなたが言いましたか。
いいえ,それは嘘です。そんなことは言っておりません。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>の陳述書では,98年9月以降,あなたが間違っていようと人に迷惑がかかろうと何だろうと,私はやるんだと言った,というふうに言っているんですが,どうですか。こういうことはありましたか。
私はそのようなことは言っておりません。
被告■<後藤徹氏の兄嫁>と■<後藤徹氏の妹>は,これと同時期に,あなたに対して出ていけばいいと言ったというふうに述べているんですが,どうなんでしょうか。
いいえ。2006年以降にそのようなことを言ったことはありましたけれども,その時期は言っておりません。
あなたが信仰を維持していたことが分かると,再びあなたに脱会説得が始まったんじゃないですか。
はい。案の定,宮村が元信者を引き連れてまいりました。
宮村は合計で何回来ましたか。
73回です。
それはどうして分かるの。
原理講論に正という字を書いて記録しておりました。
あなたは被告宮村に対し,監禁に対する抗議をしたんじゃないですか。
はい,いたしました。
どのように。
「ここから出せ,統一教会は人権侵害をしていると言うが,統一教会は人を監禁したりしない。あんたらのほうが人権侵害をしてるんじゃないか。信教の自由を何だと思っているんだ。」,そのように宮村に言いました。
被告宮村は何と。
「偉そうなことを言うな。お前に人権など主張をする資格はない。俺はお前を監禁なんかしない。家族が保護してるんだ。出してもらいたければ家族に言え。お前は人の話を全然聞いてない。自分の頭で考えろ。お前が自分の頭で考えられるようになるまでは,ここから出られないぞ。」と。そして,こんなことも言いました。「もし,自分の子どもが統一教会をやめなければ,俺はこの家に座敷牢を作って,一生そこに閉じ込める」と。そして,頻繁に私に対して,馬鹿,アホと言って,私を本当に愚弄しました。
被告宮村のいう話合いは話合いというたぐいのものなんでしょうか。
いえ,一方的な人格攻撃,統一教会批判で,本当に頭にきました。
被告宮村の陳述書によると,フラワーホームでの話合いの目的は,あなたの意思を尊重しつつ,あなたと家族を通常の生活に戻すことにあったんだ,なんて言っているんですが,どうですか。
全くそんなことはありません。宮村の目的は私の信仰を破壊して,私を脱会させることでありました。
なぜ,そのようにいえるんですか。
宮村はよく,統一教会の間違いが分かるまでは10年でも20年でもそうしていろというようなことを言っていましたけれども,これは,結局,統一教会の間違いが分かるまではお前は監禁されたままの状態だというのと同じことだからです。
被告■<後藤徹氏の兄>らの陳述書によると,話合いの目的が,あなたが統一教会について検証し,統一教会の正しさを家族に説明して納得させることであったというふうに述べているんですが,どうですか。
いえ,それは全く違います。兄弟たちの目的は私を脱会させることでありました。それが彼らの本音であります。それを彼らなりに表現しているのだと思います。現に私か新潟で偽装脱会をして脱会表明をして,脱会届を送ったにもかかわらず,彼らは私のことを解放しませんでした。
被告宮村からはほかに具体的にどういう話がされたのか,覚えていることはありますか。
はい。宮村は「もし文鮮明が正しくて統一原理が真理であれば,俺はこの場で腹を切る。もし文鮮明が偽物で統一原理が真理でなかったらお前はこの場で腹を切る覚悟があるか。」,そして,「原理のどこが真理なんだ,説明してみろ。こんなものを信じ続けることができるのは,お前がマインドコントロールをされている証拠だ。」と。そして,統一教会の初期には教祖とのセックスリレーがあったという話,血分けということをよく言っておりました。それで,「文鮮明はなんであんなに女が好きなんだ。何人の女と寝たか,分からない」と。当時の脱会した幹部の伝聞にすぎないような,そういうおぞましい話を,聞きたくないにもかかわらず,一方的に聞かされて,私は本当に精神的苦痛を受けました。
それらに対して,あなたは何と言ったんですか。
私は「分かった。じゃあ,私は統一教会に帰って,自分で調べてみるから,ここから出せ。」と言いました。
すると,宮村は。
「駄目だ。」と。で,「お前が統一教会に帰ったって,どうせ本当のことは分からん。なぜならば統一教会はいつも嘘をつくから。」ということで,一蹴されました。
聞きたくもない話を強制的に何日も延々と聞かされた結果,あなたはどういう状態になりましたか。
連日,私一人に対して多いときには10人くらい周りに集まってまいります。そして,そういうのが連日,当時連れてまいりましたので,1日の彼らの私に対する批判が終わると,本当に疲労困憊になりまして,また明日もこれが続くのかと思うと死にたい気持ちになったこともありました。
被告らはあなたのことを不誠実,不真面目,真剣でないというふうなことを言っているんですが,そうなんでしょうか。
それは,私が彼らの思いどおりにならない,その様を彼らなりに不誠実というふうに表現しているだけです。
そのような状況下で,もしあなたがフラワーホームで自由に出られるのであれば,どうしましたか。
もちろん,すぐに出ていきます。そんな地獄のようなところには1秒たりともいたいとも思いませんでした。
ところで,宮村は部屋を訪れるとき,呼び鈴を鳴らしていましたか。
いいえ,呼び鈴が鳴ったことは1回もありませんでした。
そうすると,ノックしていたんでしょうか。
私は玄関から離れたところにおりましたので,ノックがあったかどうかというのは分かりませんけれども,松永牧師のときも特殊なノックをしておりましたので,多分同じだと思います。
甲第9号証の添付図面4を示す
先ほどの添付図面4,あなたがいたのは,このMと書いてある一番奥の部屋。
そうです。
玄関は,一番離れたところ。
そうです,はい。
ノックしても聞こえない距離なのかな。
ノックは聞こえませんでした。
ただ,呼び鈴が鳴らないのに,宮村らは訪問してくるということは,別な何かの合図があったんじゃないでしょうかね。
はい,特殊なノックをして来ていたのだと思います。
それを裏付ける証拠がありますね。
はい。SWさんのお母さんでRさんの,宮村の勉強会でとられたであろうメモに訪れたときのノックの音というのがあります。
甲第146号証の2(写真報告書)6ページを示す

<統一教会員の母親であるRさんが宮村氏の勉強会に参加した際、その内容をメモしたノートの一部>
上から4行目,訪ねてきたときの合図のノックと書いてありますね。これをやっていたんじゃないのかということてすね。
はい。
この特殊なノックのことについては,いろいろあなたも聞いたことがあるんじゃないですか。
はい。同じような拉致監禁被害を受けた信者の方から,やはり同じようなノックの音を聞いたということがあります。
ところで,被告宮村の説得の際,家族も一緒になって責めてきたんじゃないですか。
はい。あるとき兄は私を糾弾している最中に,興奮しながら「お前のその態度は何だ。本当ならぶん殴って半殺しにしてやるところだ。」と絶叫しておりました。そして,妹は「そんな調子だったら,一生このままだから覚悟してて」,そのように言いました。
家族は宮村が帰った後も糾弾を続けてきたんじゃないですか。
はい。宮村が帰った後,あるとき兄は「お前,ここまで言っても分からんのか。目を覚まさせてやる。」と言って,私に平手打ちをしてまいりました。また,私が気分転換のために屈伸運動をしておりましたら,兄嫁から「こんなときによくそんなことやってられるわね。」と言って怒鳴られました。
当時から,家族らはこれは拉致監禁ではなくて保護説得なんだということを主張していたんでしょうか。
はい。兄はよく「これは監禁じゃない。緊急避難的保護だ。」と言っておりましたので,私が「そんなはずはない。」と言って,私かそこから出ようとすると,兄が捕まえて押し倒すわけですね。「ほら見ろ,これが監禁じゃなくて何なんだ。そんなのは欺瞞だ。家族でもこんなことをすれば犯罪になるぞ。私はあなたを犯罪人にしたくない。ここから出しなさい。」と言いますと,兄は「じゃあ,ほかにどういう方法があるっていうんだ。教えてくれ。」と叫びました。
98年2月か3月頃,被告宮村と一緒に再度,被告松永が来ていますね。
はい。
このときはどんなやり取りがあったんですか。
松永牧師が来たときには,私は新潟で偽装脱会をしていたことを告げました。そうしましたら,同席していた宮村がそんなことをしているから長引くんだというようなことを言って,そして松永牧師は「1度あなたの頭の中を割って,その構造がどうなっているのか見たいものだ。」というふうに言われました。
この日初めて,被告宮村と松永がそろい踏みで登場してきたわけですが,本当は最初からこの二人はあなたの脱会説得について連携していたんじゃないですか。何か思い当たる節がありますか。
はい。私は新潟で松永牧師から説得を受けているときに,宮村の話を聞きました。それは「宮村さんのところには統一教会のあらゆる資料が集まっている。宮村さん以上に統一教会について詳しい人はいない。」と,宮村を称賛しておりました。また兄は当時タップの社員でありましたので,始めから宮村か関与していることは当然だと思います。
宮村が連れてきた元信者らとのやり取りで覚えていることはありますか。
はい。TYという元信者は宮村が最初に来たときに胡坐をかいてたばこを吹かして,そして,「あんた,あのとき逃げたでしょ。卑怯者。」と言って,私が最初の監禁で逃げたときのことを非難いたしました。MKという元信者は話している最中に興奮して,私の顔面にお茶をぶっかけました。そのとき私の着ていたTシャツはびしょ濡れになりました。
監禁がどんどん長引いて,2001年2月頃には再度力づくで脱出しようとしたことがありましたね。
はい。当時は監禁から5年が経っておりまして,私はこの社会から隔絶されたまま,このままどうなってしまうんだろうかと,本当に不安に駆られました。それで力づくで脱出することを決意しました。
そのとき,どのようにして行動を起こしたんですか。
2001年2月の初めの平日でありました。その午前中に,私か小分けの段ボールに荷物をまとめて,玄関に向かっていきました。
すると。
そこには母と妹と兄がおりました。
で,取り押さえられてしまったんですか。
はい。そこで兄に取り押さえられてしまいました。
大声で助けを呼んだりもしたんじゃないんですか。
はい。出せ,警察呼べ,助けてくれ,私は何度も何度も繰り返し叫びました。
あなたが大声を出すと,家族はどうしてきましたか。
私を羽交い絞めにして,そして押し倒して,私がぎゃーって大声で助けを求めておりましたので私の口を塞いで,上からふとんをかぶせて,思いっきりそれで締め付けるんですね。ですから,私は窒息しそうになりました。
このときの揉み合いで出血したり骨折したりしたんじゃないですか。
はい。とにかく私か叫ぶときに,家族は私の顔を思いっきり押さえ付けるんですね。ですから,私の顔と手が血だらけになって,着ていた服もぼろぼろになってしまって,兄と母と妹が私か倒れたときに思いっきり私のことをつかむんですね。体じゅうがその圧力であざだらけになるんです。その痛みのために,私は夜も眠れなくなりました。
あと指も骨折したんじゃない。
はい。そのとき揉み合いのさなかに指をひねってしまいまして,その痛みが二,三か月続きましたので,恐らくこれは骨折したものと思われます。その曲がったのが今も治りません。
ちょっと見せてもらえますか。
薬指です。
右手薬指の第1関節が前方に折れ曲がったまま,まっすぐ伸びない状態。これはもう治らない。
治りません。

<裁判官の目の前で後藤氏は高く右手をあげた。右手薬指は第一関節が前方に折れ曲がっている>
まだまだ主尋問は続きます。
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ぶんなぐることは不可能
かつて統一教会幹部が「たらふく食べて、チャンスを見つけて逃げろ」というようなことを言っていましたので、私は「なんとか成るだろう」「宮村が来たら、その顔を思いっきり、ぶんなぐってやろう」などと簡単に考えていました。
ところが、今回の証言を読んで、私の考えが甘すぎたることに気付きました。そして、拉致監禁被害者の窮状を分かっていなかった、と反省しました。
延々と監禁が続く―。
脱出の素振りを見せると、監視・監禁がますます強化される―。
筋肉トレーニングをしようものなら、食事を減らされ、犯行的な態度を示せば、さらに行動を制限される…。
果たして、宮村の顔面をなぐることができるか(それだけの体力を維持する自信があるか)?、逃亡を図ることができるか?
否。
そう、脱会(信仰を棄てる)しか、自由になれない―。
改めて、拉致監禁に恐怖する。
それから、原告は徹さんが「話し合いを望んだ」「引きこもった」と主張しているが、なぜ、話し合いの場を転々と移動しなければならないのか、説明がつかないと思う。
引きこもりに困っているのに、引きこもりをわざわざ別のマンションに移動する??
改めて、原告側の詭弁には腹が立つ。
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