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原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その2)-1回目の監禁から解放されてから、2回目の監禁まで

さて、後藤徹氏の主尋問の2回目です。

後藤氏は、1回目の監禁から逃れ、大成建設を辞め、再びの監禁を恐れ身を隠すようになりました。
しかし、このままでは埒が明かないと徐々に家族とも交流をするようになり、家族で食事などもするようになりました。
また、1995年8月には、合同結婚式に参加し、婚約者と将来について語り合うなどしていました。しかし、その幸せな時は、ほんの短い時間で終わりました。
後藤氏は、まさに幸せの絶頂期に奈落の底に突き落とされることになるのです。

1回目の監禁から8年の月日が流れていました。









ところで,この間,勤務先の大成建設にも一切連絡を取らずに何週間も欠勤を強いられたわけでしょう。

はい,そうです。


被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書によりますと,脱会説得を始める前にお父さんが大成建設の上司に直接事情を説明し,長期間会社を休んでも無断欠勤にならないように話をつけ,そのことをあなたにも告げたというふうに述べているんですが,これは事実ですか。

いいえ,それは違います。


そういう話は聞いてない。

はい,私はそういう話は聞いておりません。


そもそも,お父さんが事前に大成建設の上司に長期休暇を断りに行ったという話が,それは事実かもしれないけれども,それがそうだとすると,彼らは何を考えていたかというのは明らかだよね。

結局,私が全くあずかり知らないところで,私の長期休暇を私の上司と父親だけで段取りしていたということでありますから,家族の脱会説得というものが私の意思を全く無視したものであるということが明らかだと思います。


また,被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書によると,栄光教会に通っていた頃,あなたとお父さんと■<後藤徹氏の兄>の3人で会社の上司に会いに行ったとまで言っているんですが,そんなことはありましたか。

いえ,ありません。


被告らは,会社が家族との話合いについて,あなたからも説明を受けて事情を承知していたため解雇にならなかった,と主張するけれども,監禁中,あなたから会社に電話連絡等をやったことはありますか。

いいえ,ありません。電話自体,全く使わせてもらえませんでした。


さらに,その陳述書によると,あなたが欠勤していた期間も給料がきちんと振り込まれていたんだというふうに言うんですが,それは事実ですか。

いいえ,そんなことは全く聞いたことはありませんし,私もその給料を受け取った覚えはありません。


あなたは統一教会に逃げ戻ってからは,再度拉致監禁されないよう,部署を異動したり偽名を名乗ったりしていたようですね。

はい,そうです。


その間,妹の被告■<後藤徹氏の妹>とも会ってますね。

はい,会ってます。


どういう話をしたんですか。

自分の拉致監禁の体験を手短に話して,やはり妹に対して危ないから拉致監禁される危険があるから気を付けるようにと言いました。


このとき,自分が落ちたがどうしても確かめたいことがあって教会に戻ったというふうに話しましたか。

いいえ,話してません。そもそも,私は統一教会をやめてませんので。
もしやめていたら教会に帰るはずがありませんので,そういうことは言っていません。


1989年には,その被告■<後藤徹氏の妹>も脱会してますよね。

はい,そうです。


一人教会に残っていたあなたは,その後,それでも徐々に家族と交流をするようになったということでしたよね。

はい。


それはどういう形で。

監禁から解放されたときは断絶状態でしたけれども,このままでは埓が明かないと思いまして,電話から始めて手紙を書いたり,あるいは家族の誕生日になればプレゼントを贈ったりしまして,少しずつ交流して,関係回復に努めました。


お父さんは,もう拉致監禁はやらないと言ったんじゃないんですか。

はい。あるとき電話で父がもうあんなことはやらないと,もう疲れたよと,そのように言いました。


そういった言葉もあって,家にも帰るようになったんじゃないですか。

そうですね。もう拉致監禁をしないということを約束してくれましたので,その後私は実家にも帰ることができるようになりまして,夕食を共にするような,そういう場を持つことができるようになりました。


あなたはこの間,被告■<後藤徹氏の兄>のことについて,誰か宮村の被害に遭った信者から話を聞いたことがあるんじゃないですか。

はい。1992年頃だと思いますけれども,宮崎台の修練会に拉致監禁被害者の勉強会があったときに,そこでTUさんという方に声を掛けられまして,私の兄について話を聞きました。TUさんの話によると,兄は宮村の手下のようになっていて,TUさんのところにも何回か訪れてきたと,そのように言っておりました。


あなたはそれを聞いて,どういうふうに思いましたか。

兄の当時の様子を,宮村の手下になっていると。拉致監禁の熟練した,もうプロのような,そういう状態になっているんじゃないかという思いがしまして,非常に恐ろしい思いをしました。


さて,本件である2回目の拉致監禁についてこれからお尋ねします。1995年9月11日は前触れもなく突然帰宅したわけではないですね。

はい。父から連絡がありまして,今度うまいものでも食わせてやるから帰ってこいと言われまして,あらかじめ日を決めて帰りました。


その日は日帰りの予定だったんでしょう,あなたは。

はい。信者仲間にその日に帰ると伝えて帰りました。


その日,実家には誰がいましたか。

両親と兄,兄嫁,妹がおりました。


その日,どういうことがありましたか。

いつものように食事を済ませまして,一息ついていますと,父親のほうから,徹,話があるということを切り出されまして,それでいろいろ統一教会に対する批判を言い出しました。そして,ここでは何だから,別の場所に移ろうと,そのようなことを言われました。


それを聞いて,あなたはどういうふうに答えたんですか。

私は,話ならここですればいいだろうと,私はもう今日帰らなくちゃいけないんだと,私がいないと困るんだと,いきなり言われても駄目だと,そういうことを言いました。


あなたは断ったんだけれども,家族はどうでしたか。

それに対して全く耳を傾けるような様子はなく,だんだんと圧力が強まってまいりました。それで,私はもうこれはまたやられるんじゃないかということを思いまして,非常に恐怖を感じました。


実家には家族のほかに誰かが潜んでいたんじゃないですか。

はい。家族と押し問答をしておりますと,山形の米沢にいつもは住んでおります,叔父のOが突然居間に無言で現れました。


叔父さんは,どんな体格の人でしたか。

がっしりした体格の方でした。


叔父さんが現れて,それからどうなったんですか。

兄嫁が,こんなことをしていてもどうしようもないから早く行きましょうと言って、父と兄が立ち上がりました。


あなたはそれでどうしたんですか。

私はその場に座り込んで,そこを動くことを拒絶しましたけれども。


家族は,それに対して何をしてきたの。

父と兄が私の両側から両脇を抱えて,私を引きずるようにして玄関まで運んでいきました。


そのとき,あなたは玄関で靴を履いたのかな。

気が動転していたのではっきりと覚えてませんけれども,もし私がそのときに靴を履いたとすれば,引っかけるようにしてかろうじて履いたのだと思います。


玄関から出ると,家族,親戚のほかに誰かがいたんじゃないですか。

玄関から門までの間に,左側に庭があるんですけれども,そこに見知らぬ男が立っていまして,逃走を阻むように立っておりまして,私と目が合いました。


実は,この男とは後に会うことになりますよね。

はい。その後,荻窪フラワーホームで会いました。


この男の素性は,どういう人物なの。

宮村の会社,タップの社員の元信者の男性で,名前はちょっと記憶が確かではないんですけれども,確かTというような名前だったと思います。


この人物について覚えていることはありますか。

1998年のフラワーホームにたくさんの元信者がそこに訪れてきましたけれども,一人だけそのフラワーホームに泊まっていった元信者かおりまして,それがその人でありました。そのときのことで覚えているのは,帰りが遅くなっているのでその人が泊まっていくごとになったんですけれども,母親が彼のために新しい歯ブラシをおろして,そして彼が使っていたのを覚えております。


甲第124号証(写真説明書)写真16を示す
水茎会の集会から出てきた人の写真のこの16番の人、この人が今言った人に似ているということですか。

はい,この人に似てます。


家の外に引きずり出されて,それからあなたはどうなったの。

家の近くに止められてあったワゴン車に無理やり押し込められました。


運転手は誰でしたか。

当初は分かりませんでしたけれども,被告たちの陳述書によって,兄嫁の兄であることが分かりました。


実家でお父さんが話を切り出してからワゴン車に乗せられるまでの時間帯は何時頃で,所要時間はどれくらいでしたか。

午後8時から9時の間で,所要時間は30分くらいだったと思います。


被告■<後藤徹氏の兄>らは,陳述書で,もしあなたがどうしても嫌だ,行きたくないと拒絶し続ければ,場所を移動して話し合うことを諦めたんだというようなことを言っているんですが,そうですか。

いや,それはありえません。もし,私の意思を始めから確認するのであれば,家族たちが人を手配したりとか車を手配したりとか,マンションの準備をしたりとか,あるいは仕事の長期休暇を取るとか,そういうことをする前に,もちろん私の意思を確認するはずですので,絶対にそんなことはありません。


検察審査会の議決文には,申立人が大声を出して救助を求めることは容易にできたのに行っていないとあって,あなたの同意のもとで移動したから拉致ではないかのごとく書いてあるんですけれども,どうなんでしょう。

確かにあのときは私は大声で叫んで助けを求めるようなことはありませんでしたけれども,それはそもそもそのときの状況が大声を上げて抵抗できるような状況ではありませんでした。


理由は。

あのときはやはり用意周到なる家族の準備,計画を見せつけられまして,もう私はこちらがどんなに必死に抵抗してもこれは無駄な抵抗に終わると,そのように思わされました。そのときに現れたのは家族はもちろんですけれども,突然叔父が現れ,そして見知らぬ男たちまでもそこに次々に連行要員として現れてまいりましたし。あるいは私がもう本当にそこを移動したくないという意思表示をしているにもかかわらず,全くそれに耳を傾けるような状況はありませんでした。 もうそこに集まった人たちの状況が始めに連行ありきという状況がありありと分かりましたので,私はこれは抵抗しても無駄だと,そのように思わされました。


ほかにも理由があるんじゃないですか。

信じていた家族に裏切られた,そのショックが大きかったと思います。当時は最初の監禁から8年が経過しておりましたけれども,その間,いろいろありましたけれども,何とか家族と信頼関係を回復して,父親からはもう拉致監禁はしないと,そういう約束をしてもらっておりましたから,私も何とか実家に帰ることができるようになっておりましたけれども,その矢先に突然,見知らぬ他人まで現れて,またやられると,そのように思った瞬間に,私は本当に抵抗する,大声を出す気力さえも失われてしまいました。


この日に向けて,人も車も準備万端整えていたわけですが,家族自身も自分の職場に関して何か事前に手を打っていたんじやないの。

はい。父親は会社の役員をしておりましたので,事前に長期休暇を取る手続をしていたと思いますし,妹も私の拉致監禁に先駆けて,その1か月前に職場を退職しておりました。


そういうふうに聞いたのね。

陳述書に書いてあります。


あなたは,家族がこうした用意周到な準備をしていることを事前に知らされていましたか。

いいえ,全く知らされていませんでした。全く私のあずかり知らないところで計画は進められていました。


先はどの甲98号証の3のマニュアルには,家か親戚の家で一論争し,ー暴れさせる。そして逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人くらいの大人が必要である。場所を変えて話し合おう。そのとき電話をさせない。電話のない部屋で話し合う,といった指導が書かれているんですけれども,実際,どうでしたか。

あのときは大人が8人おりましたし,先ほども言いましたように,やはり当時はこれはもう全く逃げられないと,そういう自覚をさせられました。


ところで,あなたがいなくなると,どのようなことが予想されましたか。

私は当時,青年組織の責任者をしておりましたので,私がいなくなれば大変な混乱に陥るということはよく分かりました。


あなたには,このとき婚約者がいましたよね。

はい。8月25日に祝福を受けまして,SKさんという方がいらっしゃいまして,近いうちに家族にも紹介をして,所帯を持つことに希望を持っておりました。


そういう事情の中で,家族の場所を変えて話し合おうという申出にあなたは同意しますか。

いえ,それはもう絶対に同意するはずはありません。


ワゴン車での連行途中,トイレにも行かせてもらえませんでしたよね。

はい。車の中で用を足したくなって,トイレに行かせてほしいと言いましたけれども,車中にビニール製の携帯トイレが用意されまして,そこで用を足すように言われました。


被告らは給油のためにガソリンスタンドにも寄ったのだと言っているのですが,本当ですか。

いいえ,寄っておりません。そもそも,このビニールトイレを事前に用意しているということはノンストップで行くということですから,寄るはずもありません。


そもそも,携帯トイレを用意するというのは拉致監禁の際の必須道具じゃないの。

そうですね。私も多くの被害者の話を聞きましたけれども,車中で携帯トイレを使わせる,準備するというのは常套手段となっております。


被告■<後藤徹氏の妹>は,陳述書で,このときにあなたがトイレの世話までさせて悪いねと言ったというふうに言うんですが,これは事実ですか。

いいえ,事実ではありません。あのときは無理やり車に乗せられて,それで,家族でもない人間も乗っている中で,そこで用を足させられたわけですから,私がそんなことを言うはずがありません。


ワゴン車が目的地に着いたとき,何時頃でしたか。

夜中になっていたと思います。


どこか分かりましたか。

相当長い時間走っておりましたので,遠くまで来たということは分かりましたけれども,その場所が具体的には分かりませんでした。


もちろんどこだとか教えてもらえませんでしたよね。

はい。


ワゴン車から出たときの状況はどうでしたが。

父と兄に押し出されるようにして,そこから出たときにはもう周りを取り囲まれるような状態で降ろされました。


それから,どうなりましたか。

マンションの中に,周りを取り囲まれながら連行されました。


パレスマンション多門
<後藤徹氏が監禁されたパレスマンション多門外観>

そのとき,逃走することはできなかったのですか。

やはり一つは用意周到なる彼らのやり方を見て,本当に抵抗する力を失っていたものもありますし,やはり周りをがっちりと囲まれていた状態でありましたので,私としては逃走することはできませんでした。


マンションの中に,パレスマンション多門というところのようですけれども,そこに入れられたということですね。

はい,そうです。


パレス多門607号室
<後藤徹氏が連行されたパレスマンション多門 607号室ドアの前>

甲第9号証(陳述書)を示す
多門の見取図,こんな感じの部屋だったわけですかね。

はい,そうです。


パレス多門607号室見取り図
続く・・・・・・


まだまだ主尋問は続きます。
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2013-04-24(Wed)
 
「拉致監禁はもうしない。疲れたよ」父の電話を信じた息子、そして裏切りの事件が!!《後藤裁判》
拉致監禁by宮村の裁判記録 3月11日に行なわれた原告後藤徹氏の 本人尋問の調書の連載が始まっています。 すでに2回目です。  原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その1)―統一教会入
[いつも私のとなりに神さま]  2013-04-26 10:13

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無断欠勤 

<被告■<後藤徹氏の兄>の陳述書によりますと,脱会説得を始める前にお父さんが大成建設の上司に直接事情を説明し,長期間会社を休んでも無断欠勤にならないように話をつけ,そのことをあなたにも告げたというふうに述べているんですが,これは事実ですか。
いいえ,それは違います>
<給料を受け取った覚えはありません>

兄の陳述書はウソだらけのようですね。
やはり、一端の社会人が電話一つしないで大手企業を無断欠勤(しかも長期)した、という事実が明らかになると、強制的な拉致監禁がバレバレですからね。被告側としては、なんとしても、本人了解の上でマンションに行った、ってことにしなければならないのでしょう。

<何とか家族と信頼関係を回復して,父親からはもう拉致監禁はしないと,そういう約束をしてもらっておりましたから,私も何とか実家に帰ることができるようになっておりましたけれども,その矢先に突然,見知らぬ他人まで現れて,またやられると,そのように思った瞬間に,私は本当に抵抗する,大声を出す気力さえも失われてしまいました>

父親の裏切り―。
この時の徹さんのショックは大きかったでしょうね。
絶望でしょ。人間不信の極みではないですか。
逃げる、とかを考える以前に、放心状態で、生きる気力すら失っていたのではないでしょうか。

8人がかりで寄って集って強制連行。
逃げる素振りを見せなかったから本人は同意してた、って、そんな言い分はコジツケだ。
2013-04-25 08:43 | みんな | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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