原告後藤徹氏本人尋問(反対尋問 荻上弁護士編その2)-ベランダから逃げなかったのかと何度も質問する荻上弁護士
この萩上弁護士のベランダへの執着は尋常ではありません。
後藤徹氏に何度もベランダから逃げようとしなかったのかと質問攻め。
ざっとこんな感じです。↓↓↓↓
・そしたら,ベランダから出られるんじゃないですか。
・ベランダありましたよね。
・マンションなので,基本的にはベランダづたいで避難できるように設計されているわけですよね。
・ベランダから避難できるような仕組みになってるでしょう。
・あなた自身は,ベランダから逃げようということは全く考えなかったということなんてすか。
・また同じ質問なんだけど,やっぱりベランダから逃げていこうということは全然考えなかったの。
何だか、ベランダから逃げれるのに、逃げなかった。だから監禁ではないという結論に持ち込もうと、躍起になっている感じがしました。
今回から、法廷の臨場感をできるだけ皆さんにお伝えできるように、ト書き(右寄せ)を記載するようにしました。
はい,そうです。

<この荻窪栄光教会から後藤氏はトイレに行くふりをして逃げた>
荻窪のマンションから栄光教会まで,大体歩いて20分くらいかかったと思うんだけど,間違いないですよね。
20分弱くらいですね。
当然,歩いて通われていたわけですよね。
歩いて通っていたと思います。
そのときは御両親と■<後藤徹氏の兄>さんと歩いていたということだから,そのとき紐とか鎖とかで縛られていたんですか。
それはないです。
そうすると,お母さんの体格を考えると,いてもいなくても影響ないと思うので。■<後藤徹氏の兄>さんとお父さんが基本的に後ろから監視をしていた,そういうことでよろしいですか。
はい,そういうことだと思います。
荻窪のあの辺りで,栄光教会に行くまでには環八もありますよね。.
はい。
全く本当に普通の住宅街だし,バス通りもあるし,ここを走って逃げられないというのはちょっと考えられないんだけど。逃げられなかったって本当ですか。
逃げられませんでしたね。
逃げようと思わなかっただけじゃないの。
あのときというのは,必ず私か目に入る範囲に,そういう監視状態にありますので。完全に一人になる,そういう状態が来たときに逃走するというのが一番確実でありますので,そのときに捕まることはないと。ですから,遠くないうちにそういう機会が必ず訪れるだろうと。完全に自分か例えば一人で本屋に行けたりとか,そういう状態が来るときまでは待とうと。で,完全に私か誰の視界にも入らない,家族の視界に全くなくなる,その瞬間が来るまで待とうということをずっと忍耐して待っていました。
だけど,あなた,先ほど常に厳重な監視下と言うんだけど,先ほど栄光教会まで歩いていくような,一緒に歩いているというくらいに,こんなの全然厳重な監視でも何でもないと思うんだけど。
私にとっては厳重でした。
あなたにとってはそうなんだ。ちょっと常識と違うと思うけどね。
常にやっぱり逃走することを念頭に置いて監視しておりますので。
されてるというのがあなたの認識だということでしょう。
はい,そうです。
原告準備書面(4)の9ページを見ると,脱会説得の場では信者は監禁され身体を拘束されたうえに複数の人間に取り囲まれ,来る日も来る日も執拗な中傷,罵倒,非難と吊し上げを受けることになる,と書かれていますが,栄光教会に通っていた当時もこのような目に遭っていたということでよろしいんですか。
栄光教会のときはそういう状態ではないです。
違うんだ。
はい。
そうすると,この準備書面(4)の9ページは間違いだということでよろしいんですか。
ですから,それは結局,偽装脱会がばれて,再び,この人はまだ信仰を持っているという状態になれば,また脱会させるための作業が執拗に行われるという意味だと思いますけど。
それで,原告が結果的にはトイレに行く振りして出てきたわけだけれども,統一教会に戻ったわけですよね。そのときに監禁されていましたと言って,被害を訴えましたか。
帰ってからですね。訴えました。
どんなふうに訴えたんですか。
当時の責任者ですね,私かいたところの部署の責任者。
弁護士さんには相談してなかったの。
そのときはそういう話にはなりませんでした。
それはどうしてですか。
当時は1980年代,いわゆる失踪してる事件が多発しておりまして。例えば精神病院に強制入院させられて,それで脱会を強要されるとか,それで人身保護請求を提出して,それで解放されると,そういうような,非常に大変な事件,監禁に大変か大変じゃないかでちょっと区別はあれですけれども,そういう事件もあったときなので,それに比べれば,まだ私の事件というものは,まあ軽い程度だということで,周りの方がそういう話はなかったと思いますし,私自身の記憶によると,学生から社会人になったばかりで,まだ世の中のことも疎い状態で,自分のことを何か法的に措置して何かするというような,そういうものが分からなかったというのはあったと思います。
京王プラザに入って間もなくから偽装脱会をして,平穏に話合いが進んでいたということなんで,監禁だとかそういうような状況じゃ全然なかっだからじゃないんですか。
いや,当時監禁されてたという認識はありました。
だって,あなたはそういう素振りは全く見せなかったということなんでしょう。
どこでですか。
最初のマンション。
素振りを見せなかったというのはどういうことですか。
偽装脱会をしたと今言ったからね。そうすると,抵抗をするわけでもないですし,素直に移動して,家族と一緒に話合いをして教会に通っていたという状況だけからすると,別に拉致でも監禁でも何でもないでしょう。
逃げられない状態ですから,監視で。身体が拘束されている状態ですので。
だけど,話合い自体は平穏に行われていたんでしょう。
はい。それは私か偽装脱会をしてましたから。
だから,平面上は何のトラブルもなく移動して,一緒に教会に通って,一緒にマンションに戻ってきて,和やかに話をしてたって,外形的に見たら何の問題もないじゃない。
それは私が逃げなかったからですね,その期間。もし逃げたらまた。
だけど,外形上は少なくとも平穏に移動して,平穏に教会に通って,平穏に戻ってきて,平穏に話をしてたということで間違いないですよね。
外形上はそうですね。
それから,大成建設に復職しなかったというのは,拉致監禁されるおそれがあったということなんてすか。
それはありました。
復職はしたいと思っていたんですか。
もちろんです。
できれば復職したいということであれば,上司なりに何なりに相談をして,何とか復職できる方法はないかというようなことを相談したりはしなかったんですか。
全然しないです。
どうしてしないんですか。
家族が場所を知ってますので,私の職場の。そこでまた監禁されるかもしれません。それで,当時の大成建設というのは父親のあっせんで私は就職しましたので,大成建設の上司と父親というのは本当によく知っている。ですから,父親が大成建設に話をつけて,私の上司に。それで,私か長期間休みを取っても大丈夫なように話をつけたというふうにそちらが主張しているわけです。そのくらい非常に密接な関係がある中で,私かそこに行けば,ああ,徹君が帰ってきましたよと,すぐに父親に連絡が行って,そこで拘束されるということを,私は本当にイメージできました。
だから,いきなりそういうことをするということじゃなくて,例えば弁護士に相談して,大成建設に連絡を取ってもらって,自分か解雇されてるかどうかということも含めて。
弁護士さんというのはお金がかかりますよね。無料でやってくださるんですか。
福本先生にお願いすればいいじゃないですか。<注1>
福本先生は当時知りませんよ,学生じゃないですか。
法廷内は裁判官も原告側も被告側もそして傍聴席も笑いの渦に包まれました。)
裁判長も笑っていたから、「静粛に」も言えず・・・
誰か,顧問はいっぱいいるじゃない。
そんなの知りませんよ,当時,私。
少なくとも,上司には相談しなかったんですか。
ですから,先ほど申し上げましたように。
被害は相談したということですよね。捕まってたということ。
捕まったということは言いました。
で,仕事をどうしようということは相談しなかったんですか。
私はもう自分の職場には復帰しませんと言いました,相談の前に。
誰に言ったんですか。
両親に言ったと思います。相談の前に,私のほうからもう嫌ですと,会社には行きたくないので行きませんと,そういうふうに言ったと思います。
誰に。
その当時の私の直接の責任者か,いわゆる上司の方ですか。
統一教会の。
はい。
会社には全く連絡しなかったということでよろしいんですか。
その辺はちょっと記憶にないんですけれども,改めて挨拶したとか,そういうことはないと思います。
じゃあ,御自身からは全く連絡しなかったということなの。
してないと思います。
それから,あなたの甲第9号証の陳述書の7ページによると,95年の9月11日に実家に帰った際に,その後移動する際に父と■<後藤徹氏の兄>さんに両脇を抱えられ,力づくで持ち上げられてしまい,父,兄,母,兄嫁,妹,見知らぬ男たちに四方八方囲まれ,抵抗できない状態にさせられ,家の中を引きずり出されたと書いてあるので,間違いないですね。
はい。
それから,引きずられたと書いてある一方で,特に怪我をしたというようなことは書いてないんだけど,このときは怪我はしなかったんですか。
はい,してないと思います。
家の玄関から出た後も引きずられていったんですか。
その辺はちょっとはっきり記憶にないんですけれども,引きずられるようにして行ったと思います。
車が止まっているところまで,玄関から10メートルくらいありますよね。
引きずられてたら怪我すると思うんだけど。
どういう具合に引きずられるように行ったかということは,はっきり覚えてないですね,気が動転していて。
先ほど,靴を履いていたかもしれないということをおっしゃっていたけど,今は,そういう記憶でよろしいですか。
はい,そうです。
時間は午後9時頃ですよね。
8時から9時の間ですね,はい。
大声を出して助けを求めなかったということなんだけど,どうしてですか。
あのときはやはりまず家族が場所を移そうと,そういうふうに言い始めたときに,私は嫌だというふうに主張しましたけれども,全く家族はそれを受け入れるような。例えば話して何か受け入れてくれるかなというようなものがあれば別ですけれども,始めからもう連行するというような雰囲気がありありと分かりましたし,それで,叔父さんは始めからいたわけじゃないんですね,食事の場に。突然,問答しているときに今に現れてきたわけで。そういう中で,ああ,この人たちはやるんだと,私としてはこれはもう抵抗しても難しいというふうに思わされました。
物理的にはいっぱい人がいたんだとすれば,なかなか立ち去れないというのは分かるんだけど,ここ,すごく閑静な住宅街じゃないですか。本当に大声で叫べば,すぐに近所の騒ぎになると思いませんか。
いや。その当時,多分,当然,両親というのはずっと近所付き合いというのがありますから,それで私か何か叫んで,当然両親が対応しますよね,何か問題があれば。例えば誰か来れば。それで何か警察沙汰になるとか,そういうことは考えにくかったと思いますね。両親ですから。
あなたの言う話だとすると,ワゴンに無理やり押し込められてどこかも分からない場所に連れていかれるという状況で,ここで何とかしようと思えば,普通は叫んだり何だりするんじやないの。特に御近所で,閑静な住宅街だったら,ものすごい叫び声が聞こえたら,誰だ誰だって出てくると思いますよ。
普通はそうかもしれませんけれども,当時は,8年前に監禁された経験があって,本当に家族がもうやらないというものを私は本当に信じておりますので,そこで,またやられるという瞬間というのは,本当に大声を出すような気力さえ失われるような,そのくらい,ああもう駄目だというような,そういう状態でした。
それから,このお家に来る前に先はどの主尋問の中で,拉致監禁はもうしないというふうに言われたと言ってたんだけど,正確な言葉として,「拉致監禁はもうしない。」という言葉を言われたんですか。
「もうあんなことはしない。」
「拉致監禁しない。」と言葉として言われたわけではないんですよね。
拉致監禁をしないとは言ってません。
そうすると,先ほどのは間違いということで,訂正でよろしいですか。言葉として「拉致監禁しない。」というふうに言われたとおっしゃったんで,それ自体は訂正するということでいいですか。
それは違います。はい。
それから,ワゴンの中の後部座席で,お父さんは終始,原告の腕をつかんでいたという話なんだけど,本当ですか。
はい,本当です。
ワゴンの中にもう乗っているんだから,腕をつかむ必要ないんじゃないの。
つかんでました。
先ほど,パレスマンションで,絶望されて抵抗する気力を失ったという話なんだけど,それは本当なんてすか。絶望されて文句を言う気力もないようなことをおっしゃってたんだけど,それは間違いないの。
糾弾するくらいの気持ちはあったんですよね。
はい,そういう状態だったと思います。
だけど,あなたの甲第9号証の陳述書の8ページを見ると,パレスマンションに入った後,家族に対して「この鍵はなんだ。こんな人権侵害が許されると思っているのか!」,「こんなの犯罪だ!」と糾弾したというふうに書かれているんだけど,これは間違いないですか。
それは間違いないです。
糾弾するくらいの気持ちはあったんですよね。
そのときはありました。気力を振り絞って何とか言いました。
マンションに着いたのは夜中ということなんだけど,このときも大声を出して特に騒いだりしなかったということでよろしいですね。
はい。
それから,甲第9号証のあなたの陳述書の8ページを見ると,パレスマンションの玄関の鍵について,松永牧師らを迎えに玄関に向かう父親の手に解錠するための鍵が握られていたことから,玄関か内側から施錠されていたことに間違いない,というようなことが書かれているんだけど,その記憶は,先ほどもおっしゃってたけど,間違いないんですか。
間違いないです。
だけど,検察審査会の議決書によると,原告の供述調書には,窓が内側から開けられない状態だったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思った,ということが書かれているんだけど。内容が食い違いますよね。
ないと思いますけど。特殊な鍵がそこに付いていなかったということは同じ意味です。
検察審査会の議決書には,あなたの供述調書には,窓が内側から開けられない状態だったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思った,ということが書かれているということが議決書に書いてあるんですが,そのような供述調書を作成されたことは間違いないですね。そういう供述調書がありますか,ないですか。
そこにありますから,あるんだと思います。
そういう調書があるということは,そういうお話を捜査段階でお話しされたということですよね。
そのときにどういう調書だったかということはちょっと記憶にないんですけれども,あのときは私がマンションに入れられて,トイレと玄関が近かったので,1回玄関を見て,何もなかったので。
いいです。そんなことは聞いてない。それから,陳述書に書いてあるような,お父さんが鍵を持って玄関に行く様子を見たというのは調書になってないと書かれてないと思うんだけど,そのことは捜査機関に話したんですか。
話しました。
そしたら,大変重要な事実なんて,当然引用されると思うんだけど,引用されてないんですよね。
不当なんじゃないですか,審査会が。
調書の内容になってないということは間違いないですよね。
いや,分からないです。内容になってるかもしれません。そこまで言ったかどうかというのは,はっきり記憶ないですけど。言ったと思うんですけど,私。あの記憶は私ははっきりしてますので。松永牧師が来たときに,コンコンという,そういう合図の音がして,それでちょうど父親がそこに来て,父親がこういう感じで鍵を持ってきているのを私ははっきり見ましたから。
立たなくてもいいです。
間違いありません。
話をしたのかどうかは知らないけど,調書の内容にはどうもなってないのね。
なってるかなってないかは,議決書からは分からないじゃないですか。前提が間違ってます。
被告後藤ら代理人(荻上)
調書の内容になってるかどうか分からないけど,あなたは確認はしましたか,調書の内容になってるか。読み聞かせがあると思うんだけど。
それはしましたね。
じゃあ,書いてるか覚えてないということね。
覚えてないですね,はい。
それから,あなたの陳述書なり証言を聞いていると,常に信仰を捨てないで確実に逃げられる状況を待っていたというお話ですよね。確実に逃げられることを待っていたということなんて,どうやったら確実に逃げられるかということは当然慎重に考えてらっしゃったですよね。
はい。
準備書面(2)の10ページを見ると,パレスマンションにおいては常時二人以上の人間が監視しており,監視する人が一人だけになることはなかったと書かれているんだけど,間違いないですか。
はい,間違いないです。

<後藤氏が常時二人以上の人間が監視している状態で監禁生活を送っていたパレスマンション多門>
同じ甲第9号証の陳述書12ページには,■<後藤徹氏の兄>さんは東京で仕事をしていたので,時々顔を見せる程度だったということで間違いないですね。
はい。
それから,主尋問で,必ずパレスマンションには■<後藤徹氏の妹>さんと■<後藤徹氏の兄嫁>さんがいたと言っているんだけど,それも間違いないですか。
いました。
平成8年3月以降は,パレスマンションには,原告と■<後藤徹氏の妹>さんだけだという状態が多かったんじゃありませんか。96年。
いや,私とあと一人だけという状態になるときは,私の記憶ではありません。
検察審査会の議決書によると,パレスマンションには原告と■<後藤徹氏の妹>さんだけという状態が多かったことは原告自身も認めている,というように書かれているんだけど,こういう認定がされてるんで,捜査段階でそういうお話をされてたんじやないんですか。
私はそういう認識でした,ずっと二人がいると。
捜査段階で,要は議決書によれば,パレスマンションには原告と■<後藤徹氏の妹>さんだけという状態が多かったことは原告自身も認めている,というふうに書かれているんで,そういうことをお話しされていたんじゃないんですか。「原告自身も認めている」と書いてあるのでね。
私が警察と検察にそのときに具体的にどういう話をしたかというのは記憶にないんですけれども。なぜ審査会の議決書にそういうふうに書いてあるのかというのは,ちょっと私も疑問なんですけれども。ずっと私は二人を視線の中に入れてるわけじゃありませんので,そういう意味では誰がいるか分からないというのもあるわけですよね。ずっと24時間二人を監視しているわけではないので,私も。ただ,私か認識している中では必ず二人いた,そういうことですね。
だけど,お父さんががんで東京に戻っちゃった後は,お母さんは戻りましたよね。■<後藤徹氏の兄>さんも東京にいますよね。
はい。
それで,■<後藤徹氏の兄嫁>さん,■<後藤徹氏の妹>さんしかいなければ,どちらかがそれは出たり入ったりするわけだから,■<後藤徹氏の妹>さんと■<後藤徹氏の兄嫁>さんどちらかしかいないときというのもあるんじゃないですか。
私の記憶では,最低限,食事のときには二人はいたと思います。
それから,議決書を見ると,原告はこのパレスマンション当時,182センチ,体重は65キロで70キロ前後と書かれているんだけど,大体そんなものですかね。
そのくらいだと思います。
そうすると,■<後藤徹氏の妹>さんというのは153センチで39キロということなんだけど,これ,いくら鍵が掛かっているといっても,脱出しようと思えば出られるというのは,そんな難しい話だとは思わないんだけど。
無理です。どうやって出ればいいでしょう。鍵が掛かっているのに,その玄関に。窓からは6階ですのでちょっと危ないです。どうやって。飛び降りるのか。兄は飛び降りたら死ぬぞと言ってましたので。
あなたのお話だと,玄関から出られないというお話をされてますよね。
はい。
そしたら,ベランダから出られるんじゃないですか。
ベランダからどうやって出るんでしょう。窓も施錠されてました。
ガラスを割って。
あそこは確か針金は入ってなかったと思うんですね。ものすごい大きいベランダのサッシですよね。あんな大きいのを割ったら,ガラスが飛んでって,下の階の人に当たったら死ぬかもしれません。
ベランダありましたよね。
ありました,はい。
マンションなので,基本的にはベランダづたいで避難できるように設計されているわけですよね。それは御存じですよね。
施錠されてますので。窓を割るしかないです。
窓,割れますよね。
危ないですよ。
そんな難しい話じゃないと思うけど。
あなたは,窓から逃げればよかったと言っているんですか。
ベランダから避難できるような仕組みになってるでしょう。
そんなの分からないですよ。
分かるでしょう,あなた,日大の建築科出身でしょう。
日大の建築科が全部知ってるとは限らないでしょう。
あなた,だって建築に関しての知識は一般の人よりありますよね。
それはあなたの決めつけですよね。
建築科を卒業されてるんですね,ちゃんと。
そうです。
それは,一般の人よりは建築の知識があるのは普通なんじゃないですか。
ありますけれども。
いいです。あなた自身は,ベランダから逃げようということは全く考えなかったということなんてすか。
施錠されているのもありましたし,それは難しいと思いました。
それから,新潟から荻窪への移動なんだけど,甲第9号証のあなたの陳述書によると,再度ワゴン車に監禁され,東京の自宅に連行されたと書かれているので,東京に移動することはあなたの意思に反しているということでいいんですか。意に反しているということですよね,連行されて監禁されたという話なんだから。
当時は偽装脱会中でしたので,被告側の意向に沿うようにある程度行動をせざるを得なかったというのはありました。
私が言ってるのは,あなたも東京に行くということに同意してませんでしたか。
同意してます。
そうすると,別に連行でもないんじゃないの。
いや,連行ですね。なぜ元信者がいるんですか,そこに。
そういうことじゃなくて。東京する<ママ 「上京する」の誤りかと思われる>ことにあなたは同意されてたんですよね。ここに監禁だとか連行だとか書いてあるから,あなたの意思に反して,嫌だと言ってるのに,東京に連れていかれたのかなと思ったから聞いてるんです。
・・・・・。
来いと言われて,何か知らないけど周りを囲まれてワゴン車に乗せられて,東京に連れていかれたのかなって読めるじゃない,連行されたとか監禁されたと書いてあるから。そうなのかなと思って聞いてるんですよ。それから,あなたの意思に反して,東京に行くことに同意してなかったのかなと思っているから聞いてるんです。
行くしかないかなと思いました。父親が亡くなったということなので,そこで,また行かないとか言ってもあまり意味がないと思いました。
じゃあ,東京へ行くよと言って,分かったと言って,行ったのね。
行きました,はい。
偽装脱会をされていたということなんで,特に移動するとき自体には,被告の方々とか見知らぬ人たちから何かされたということはないのね。
常に周りを囲まれてました。
特に有形力を行使されるということはなかったわけね。
手は掛けられてなかったと思いますね,多分。
それから,主尋問で窓に鍵が掛かっていたことは覚えていないということを述べられたと思うんだけど,パレスマンション。覚えてないということでよろしいんですか。
施錠されてたと思うんですけれども,どういう状態でというのは覚えてないです。なぜなら,私がいた部屋というのはベランダがある部屋だったんですね。普通,洗濯すればそこに干すはずなんですけれども1回もそこのベランダのサッシが開けられたことはありませんでしたし,そこに洗濯物を干したことも1回もなかったので,開けられない状態になってたんだなと。
それから,荻窪プレイスの玄関のかぎのことをお聞きします。甲9の原告陳述書の15ページを見ると,「ドアノブのあたりに数字を合わせるダイヤルロック式の鍵がはっきりと見えました。」と書かれているんだけど,はっきり見えたという記憶は間違いないですか。
見えました。

<荻窪プレイス外観>
だけど,検察審査会の議決書を見ると,トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ,番号の付いた鍵が見えた感じがした,としか書かれてないんだけど,これはどうしてこういう形になってるの。捜査官には今言ったような形で話をしたんじゃないんですか。
私がそのときにどういう話をしたかということは,はっきりと記憶がないんですけれども。
記憶ないんだったらいいです。捜査段階で作られた調書は,御自身で,必ず読み聞かせをしてもらって,確認をしてからサインしたということで間違いないですよね。
間違いないです。
それから,甲第9号証のあなたの陳述書の15ページを見ると,荻窪プレイスは,■<後藤徹氏の兄>さんは昼間は仕事で出ていたけれども,母,妹,兄嫁が常駐し監視し続けたと書かれているんだけど,母,妹,兄嫁というのは常にずっと一緒だったんですか。
・・・・・。
先ほどの主尋問では,常に一緒だったとおっしゃってた。
3人が常に常駐ですか。
3人に常に監視されてたというお話をされてたから。
常駐という意味は。
いないときもあったということでよろしいですね。
いないときもありました。
さっき,お母さんは最初の1か月は葬儀等の後始末で実家にいたということを否定されていたんで。
それは,実家に泊まってプレイスには帰ってこないで,プレイスを空けた日はなかったという意味です。
じゃあ,例えば日中にお母さんが出ていったりとか,兄嫁の■<後藤徹氏の兄嫁>さんが出ていったりとか,そういう場面は日々あったということでよろしいですか。
それはありました。
部屋の中では,特に紐で縛られたりということはないですよね。
ないです。
それから,部屋の中は,物理的には一応自由に歩けたということでよろしいですか。
はい。
先ほどと同じなんだけど,やっぱり御自身としてはプレイスから出られなかったというのは,玄関に鍵が掛かっていたからという御認識なんですか。
はい。
また同じ質問なんだけど,やっぱりベランダから逃げていこうということは全然考えなかったの。
考えられませんでした。
お母さん,■<後藤徹氏の妹>さん,■<後藤徹氏の兄嫁>さんというのは,皆あなたよりはるかに小さいですよね。お母さん,■<後藤徹氏の妹>さのほうから150センチ前後だし,■<後藤徹氏の兄嫁>さんだって160センチもないんだから,そうすると,■<後藤徹氏の兄>さんがいなければ,普通に考えれば逃げることはそんな難しいとは思わないんだけど。
普通に考えればそうでしょうけれども,普通の状態ではないので。
この頃は体力がなくなったとか,そういうことはありますか。
体力は落ちていたと思います。
それは,女性3人だったら取り押さえられちゃうくらいにひ弱になっていたということ。
いや,そこまでではないと思います。
97年,プレイスからフラワーホームに移動した際なんだけれども,甲第9号証の16ページを見ると,お母さん,兄,兄嫁,妹,数人の見知らぬ男性によって,再度ワゴン車に監禁され,連行されたと,また同じようなことが書いてあるので,これは無理やり意に反してワゴン車に連れ込まれたとか,そういうことがあるんですか。
移るということなので。無理やりというのは,いわゆる体の強制力をもってということですか。
はい。
それはないです。
当然,縛られたりというのもないわけですね。
ないです。
原告の準備書面(4)の26ページを見ると,移動の際にもう足腰の筋力が減退して,健常者を振り切って逃走することは到底不可能であった,と書かれているんだけど,この時点で,それほど体力の衰えというのは実感されてたの。到底不可能って相当衰弱してたのかなと思ってお聞きしてるんです。
そのときには男性が4人いましたので。そのときの私の体力に比べれば,そういう表現になると思います。
それはあくまでも4人相手がいるということを前提にした表現で,特に体力が衰弱していて,走れないような状態だったということではないのね。
走ることができたかといえば,走ったことはなかったので分かりませんけれども,そのときにはもう普通に歩いて生活したり,あるいは階段の上り下りをしたり,普通の人が生活する,そういう生活がない状態で2年半,そういう状態でしたので,相当足腰は普通の人よりも弱っていた状態でした。
それは実感していたということね。
そうです,はい。
甲第9号証の17ページを見ると,お兄さんに取り押さえられたときに,自分が思っていた以上に体力が落ちていることに驚いたと書かれているんで,この時点までは逆に体力が落ちていることに気づいてなかったんじゃないかなと思って。
・・・・・。
驚いたと書いてあるのでね。むしろ,それまでは逆に体力が落ちていることを実感していなかったんじゃないかと。
いや,体力が落ちているというのは,要するにほとんど足を使わない状態ですので,体力は当然落ちていると思いますけれども,そこでは具体的に,物理的な関係があって,そこで実感できるわけですね。
荻窪プレイスの玄関の鍵の件は、原告代理人による再尋問でも取り上げられました。以下、原告代理人の再尋問の内容を記載します。
原告代理人
あと、荻窪プレイスの玄関のダイヤルロツク式の鍵、これをあなたははっきり見たと言ってますけれども、どうも検察審査会では見えた感じがしたというような調書を取られているのが、捜査報告書なのかちょっと分かりませんが、そうなっているようであると推測されるんですけれども、この辺はどうなんでしょうか。
はっきり見たと言いました。
調書の段階では、それを見落としたのかな。そういう、見えた感じがしたというような調書になったのは。
そうだと思います。
<注1>蛇足ながら、少々解説を・・・
後藤氏の第1回目の監禁は、1987年。荻上弁護士は後藤氏に福本弁護士にお願いすればといっていますが、福本弁護士が弁護士登録をしたのは2000年のこと。福本弁護士は1987年当時まだ、弁護士になっていないのでお願いしたくてもできないわけです。傍聴席から失笑がもれたのは無理もありません。このような失笑をマナーに反すると批判する人もいるようですが、質問があまりにもばかばかしい内容だと笑いを押さえるのもたいへんです。もちろんマナーもたいせつですが・・・
次回も荻上弁護士の反対尋問です。
応援よろしくお願いいたします。
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窓を割ってベランダから逃げる・・!?
窓割ってベランダ伝いに逃げられる・・・なら、メ〇ボ弁護士よ、試しにやってみろ。
オタク弁護士は、とっちゃんが歩いた10キロの道を歩いて陳述書を書いたぜ。
メ〇ボ弁護士も、「こうすれば、マンションの外に出られる」という手本を示す位しろや。
メ〇ボがあざやかにベランダを伝い、見事地上に着地したら、翌日のローカル新聞くらいは載るぜ。・・
(東京にはそんなのねえか・・)
メ〇ボ弁護士よ
過去に、統一教会員が家族の話し合いの場から脱出しようと、マンションの高層からベランダ伝いに地上に降りようとして落下して大けがしたよな。
それを知りながら、ベランダ伝い云々とぬかしたのか?
腹ばかりに栄養を貯めねえで、頭と心にも栄養貯めろよな。
No title
もっとリアルに!
「弁護士さんというのはお金がかかりますよね。無料でやってくださるんですか」
このときの場面を、管理人は「後藤氏、語気を強める」としか説明していませんが、法廷内は裁判官も原告側も被告側もそして傍聴席も笑いの渦に包まれました。
裁判長も笑っていたから、「静粛に」も言えず・・・(笑)
<弁護士に頼めば金がかかる>
苦笑かその通り笑いかはともかく、みんなそう思っているから、場内爆笑となったのです。
管理人にお願いです。
証言録は地裁の資料室に行けば、誰でも閲覧可能です。
それを読んでもわからないのは、証人尋問の雰囲気です。
ぜひ、雰囲気の再現を!
米本様ご指摘ありがとうございました。
ご指摘ありがとうございました。
記事に反映しましたので、ご確認ください。
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