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原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その1)-統一教会入会から一回目の監禁まで

いよいよ3月11日に行なわれた原告後藤徹氏の本人尋問の調書の連載をスタートします。
先回の記事でも書きましたが、調書の電子化には多くの支援者の皆さんが協力をしてくださいました。この場をお借りしてご協力いただきました皆様にお礼申しあげます。

今回ご紹介するのは、後藤徹氏の代理人である福本弁護士による主尋問の内容です。何回かに分けて掲載したいと思います。



基本的に、原文に忠実に下記のようなルールで掲載していきます。

1.下記のように被尋問者の発言は、尋問者の発言より段を下げて表記する

尋問者の発言

被尋問者の発言


2.個人名は適宜、伏字(後藤徹氏の家族の場合"■<後藤徹氏からみた続柄>")、アルファベット(他人とアルファベットの組み合わせがかぶらないように配慮するため、必ずしも、苗字と名前の頭文字とは限りません。)で表記する

3.発言以外の部分(証拠を示すときなど)は、朱書きで表記する

4.提示された証拠品等は可能なかぎり、直接画像を添付、もしくは、当ブログの関連記事へのリンクを貼り、証拠品を閲覧できるようにする

5.必要に応じて記事の末尾に注釈をつける


後藤徹氏は証言に先立ち、下記のような宣誓文に署名をし、緊張した面持ちで尋問に臨みました。

後藤さんの宣誓文
<後藤徹氏が証言台に立つ前に署名した宣誓文>






原告代理人
あなたは,1986年にお兄さんである被告■<後藤徹氏の兄>の紹介で,統一教会に入信したということですね。

はい。


教えは,どういうところに感動したんですか。

当時,私は大学生でありましたけれども,人生に希望を見出すことができず,非常に悩み苦しんでおりました。そんな折に,兄を通じて出会いました統一原理に,私は非常に感動いたしました。特に神の存在,神の愛を通して,私は人生に大いなる希望と喜びを与えられました。


その被告■<後藤徹氏の兄>は,1987年5月頃に統一教会を脱会しているんですが,その脱会の経緯について,御本人から聞いたことはありますか。

はい,あります。


どういう話でしたか。

これは兄から直接聞いた話ですけれども,兄が父親に呼び出されて,保谷市の実家に帰った際に,路上で拉致されて,神戸まで連行された話です。


それから,どうなったの。

兄は連行されるときに,踏切で車が止まったときに車から逃走したそうなんです。そこで,激しい揉み合いになったときの様子を,自分がしていた腕時計が飛んでしまうほど激しかったと,そのように言っておりました。場所は確か八王子だったと聞きました。そのときに,その揉み合いのさなかに警察官が介入したということですけれども,兄はその警察官に自分が拉致されたことを訴えたところ,当初その警察官が両親に対して連行をやめるようにと言ったそうなんですけれども,ある上役らしい警察官の助言で,その措置が覆り,結局,兄は神戸まで連行されてしまったということを聞かされました。そのときのことを兄は振り返って,もしあの警察官がいなかったならば,自分は統一教会から救われることがなかった,あの警察官には本当に感謝していると, そのように拉致に加担した警察官のことを称賛しておりました。


その被告■<後藤徹氏の兄>の脱会にかかわったカウンセラーは誰だというふうに聞きましたか。

OAと被告宮村と聞いております。


被告■<後藤徹氏の兄>は脱会後,被告宮村か経営する会社タップの社員になり,統一教会信者への脱会説得活動の手伝いをするようになったということですよね。

はい,そうです。


やがて,あなたは最初の監禁に遭うわけですが,そのときのカウンセラーは被告宮村でしたよね。

はい,そうです。


あなたを拉致監禁する順番について,何か被告■<後藤徹氏の兄>から聞かされたことはありますか。

はい,あります。本来,水茎会の名簿順では私の順はずっと後だったそうなんですけれども,当時,兄が宮村の脱会説得にあまりにも熱心に手伝ったがゆえに,私の脱会説得の順番が早められたということを聞かされました。


第1回目の監禁の件についてお聞きします。当時,あなたは突然失踪した兄のことを非常に心配していましたよね。

はい。


具体的に何か探したりしていたんですか。

本当に熱心に信仰していた兄が突然失踪してしまいまして,全く連絡が取れなくなりましたから,私はやはりこれは拉致監禁された可能性が高いと思いまして,夜も眠れないほど心配いたしました。当時,実家に兄の消息を尋ねたり,あるいは兄がいたというそのキリスト教会を訪ねたりしましたけれども,結局,全く兄の消息をつかむことはできませんでした。


そうしていたところ,1987年10月,あなたのところにお父さんから電話があったということでしたよね。

はい,そうです。父から■<後藤徹氏の兄>が会いたがっているということで,連絡がありました。


それで会うことにしたわけね。

はい,そうです。


待合せ場所は新宿駅だったということですが,あなたは念のため,誰かに付いてきてもらってたんじやないですか。

はい。やはり拉致監禁される可能性があるということで,男性信者二人に付いてきてもらいました。


それで,新宿駅でお父さんと会って,それからどうなったんですか。

付いていくと,京王プラザホテルに入っていきました。


付いてきてくれた二人の信者はどうなったの。

少し離れたところから付いてきてくれたために,私がその京王プラザホテルのエレベーターに乗ったときにはぐれてしまいました。


エレベーターを降りて,ホテルの部屋のほうに入ったんですかね。

はい,そうです。


部屋に入ると,どうなりましたか。

そこには兄が待機しておりまして,実は統一教会をやめることにしたと。是非話を聞いてほしいと,そのように言ってきました。


それで,どういう話になったんですか。

統一教会のことをいろいろ調べた結果,とんでもないところであるということが分かった,徹にも是非話を聞いてほしいということを言われまして,非常に私はショックを受けました。


それから,あなたに対して統一教会をやめるようにという話が始まったわけね。

はい,そうです。


そういう会話がしばらく続いた後, 何かその部屋に異変を感じたわけですか。

はい。しばらくして,私かふと自分のホテルの部屋の入口のドアのところを見ると,何らかの細工によってそこが開けられないように固定されてありました。私はやはり呼び出した目的が監禁するためであったということで,非常にショックを受けました。


その部屋の構造はどういう構造だったんでしょうか。

隣接する二つの部屋が間でドアで一つにつながっているタイプの部屋で,私のいた部屋の入口が何らかの形で施錠された後は,必ずその部屋はその隣の部屋を通じて外と出入りをしておりました。


その部屋は,後でネットで調べてどういう部屋かというのが分かったよね。

はい。インターネットで調べて見ましたけれども,1泊10万円以上する部屋でした。


京王プラザホテル間取り図
<後藤徹氏が監禁された1泊10万円以上するという京王プラザホテルの部屋の間取り>

その部屋には被告宮村もその日のうちにやってきたんですか。

はい。その日のうちに宮村は元信者を引き連れてやってきました。


被告宮村と話すことについて,あなたが承諾した上で来たということなんでしょうか。

いいえ,承諾はしておりません。被告宮村は待ち構えていたように,やってきました。


それで,被告宮村はどういう話をしてきましたか。

統一教会とその教祖に対する批判をしてきました。本当に聞くもおぞましい話でした。


あなたはそれに対して,何か抵抗をしたんですか。

はい。私はあるときにトイレに立てこもって, 中から鍵をかけて出せ,助けてくれと,そのように騒ぎ立てましたけれども,外から鍵を開けられて,兄と父にそこから引きずり出されて,そして組み伏せられてしまいました。


その後,どうなったんですか,組み伏せられて。

すぐに宮村が来まして,どうしたんだ,騒ぐな,何があったんだ,というようなことを言っていました。


待機していたということですか。

そうですね。恐らく隣の部屋で待機していたんじゃないかと思われました。


その後も引き続き批判などを聞かされ続けたということですか。

はい,そうです。


そういった状況下で,あなたはどうしようと思ったのかな。

自分が信仰を保ったまま,ここから脱出するためにはやはり信仰を一且失ったふりをするしかない,そのように思いました。


脱会したふりをするということにしたわけね。

はい,そうです。


私はもうやめることにしたというふうに言ったわけね。

はい,そうです。


そういった偽装脱会をした後,どうなりましたか。

京王プラザホテルから荻窪のあるマンションに連行されて,そこで1か月弱監禁されました。


京王プラザホテルから荻窪のマンションに移動するときには逃げられる状況でしたか。

そのときは両親と兄,そして元信者の男性が連行要員でおりまして,あるいはまた偽装脱会をしておりましたので,自分の偽装脱会がそこでばれてしまうような行動はとれない状況でありましたので,逃げることはできませんでした。


ところで,あなたが連れていかれた荻窪のマンションの場所が最近特定できましたよね。

はい。


それは,どういう経緯で分かったんですか。

1980年代に原理研究会の伊勢谷氏という方が,当時の荻窪栄光教会が関連する監禁場所のリストがありまして,それを見たときに分かりました。


それで,何というマンションだということが分かったんですか。

通称,犬猫マンションと言われていました。1階にペットショップがある,そのマンションの5階でした。


この場所は実は非常にある場所と近かったですね。

そうですね。その後,私か監禁されることになる荻窪フラワーホームの目の前のマンションでした。


甲第127号証の2(メモ)を示す
これが先ほどあなたが証言していた,伊勢谷氏が作ったアジト監禁場所。この中の下から2番目の犬猫マンション,ここですね。

はい,そうです。実際にこの場所に行って確認してきました。


Inuneko
<後藤氏が京王プラザホテルから移動させられ、1ヶ月ほど過ごしたマンション。犬猫マンションと呼ばれていたこのマンションはのちに10年余り監禁生活を強いられた荻窪フラワーホームの目の前にあった。>


話を戻しますが,ホテルからこのマンションに移ってからも,あなたは解放されませんでしたね。

はい。


被告■<後藤徹氏の兄>は,陳述書で,当時家族でマンションから荻窪栄光教会に歩いて移動した際に,お父さんが同行したのは最初だけで,しばらくしてお父さんが仕事に復帰し,その後はお母さんと被告■<後藤徹氏の兄>の二人だけがあなたに同行した,というふうに述べているんですが,これは本当ですか。

いいえ,それは違います。父は私がマンションに監禁されている間,ずっと同行しておりました。それは私が栄光教会から逃げる,そのときの礼拝のときも父親が参加しておりましたので,それは間違いありません。


栄光教会に歩いて移動した際の家族の行動で特徴的だったことがあるんじゃないですか。

はい。これは栄光教会とマンションの行き来もそうでありますけれども,生活全般にわたって,私の逃走を監視するような,私を視野から外さない,そういうことを感じました。


甲第98号証の3(ノート)4枚目を示す
両親に対してというマニュアルの中の6番,外出するときがあったら,二人以上で本人の前には歩かない。必ず本人を視野に入れて歩くと,このとおりだったわけね。

はい,全くそのとおりでした。


98-3 4枚目
<甲第98号証の3(ノート)4枚目>

偽装脱会してからはどのような生活をあなたはしていたんですか。

両親と兄に監視される中で,逃走するその一瞬が訪れるのを,その機会を何とか探りながらも,栄光教会のその礼拝に参加させられたりとか,森山牧師の話を聞かされたりとか,あるいはその当時監禁されていた信者のところに同席させられたりしました。


当時,ほかに監禁されていた信者さんのもとに行った,それは何人のところに行きましたか。

一人です。

 
名前は。

MFさんです。


この監禁されているMFさんを前に,あなたはどういう思いになりましたか。

不当な監禁下で糾弾されているMFさんを見て,何とか助けたいという衝動に駆られましたけれども,自分が偽装脱会していることもあって,これで自分がばれてしまってまた監禁が継続して,ますますそれが長引くということになると,それは大変だということで,どうしようもありませんでした。


あなたは水茎会の集会にも出たことがあるんじゃないですか。

はい,あります。


当時,どこにあったんですか,その集会の場所は。

栄光教会の近所の一軒家で。私はその集会に参加させられました。


そこで,あなたは何を目撃しましたか。

被告宮村が信者父兄に対して拉致監禁の脱会説得を指導しているのを目撃しました。


どういった指導をしていたんですか。

そのとき,宮村は保護するためには絶対に統一教会に連絡をさせては駄目だと。そして,統一教会の環境を遮断する環境でなくては脱会は成功しない。そして,親兄弟,その親威か一致団結しなければ脱会説得は成功しない。そして,泣こうが喚こうが,私がいいと言うまでは外出させてはいけないと,そのようなことを言っておりました。


被告らは,マンションから栄光教会に歩いて通っていたんだから,その場から容易に立ち去ることが可能であったというふうに言うんですが,それはどうですか。

当時,私は両親,兄に監視される中で逃走する隙を伺っておりましたけれども,やはりとにかく私を視野から外さないんですね。それで,何度か逃走を試みて,しかしそれで失敗したときに,より監禁が厳重になり,そしてまた追及が始まると思うと,私は逃走することができませんでした。


確実に逃げる機会を狙っていたわけですね。

はい,そうです。


最後,どうやって逃げたんですか。

荻窪栄光教会の礼拝のときに全員で目を閉じて祈祷するときがあるんですけれども,そのときに隣に座っていた母親にトイレに行くと言って,そのまま栄光教会を出て全速力で走って,偶然通りかかったタクシーに乗って,それで逃げました。



続く


甲98号証の3について
主尋問で福本弁護士によって示された甲98号証の3というのは、被告松永堡智牧師直筆の「監禁マニュアル」です。
全文はこちらからも見ることができます。

参考記事
後藤徹氏の準備書面(11)-出たー!松永牧師直筆の監禁マニュアル!!!全文公開
松永牧師の直筆監禁マニュアルを大解剖!!! 

ちなみに、松永堡智牧師は、このマニュアルが直筆であることは準備書面で認めています。
松永堡智氏の準備書面(5)ー「監禁マニュアル」が直筆であることを認めながら、参考にしたことはないと主張する松永牧師

さらにこの「監禁マニュアル」の内容に沿って収録されたビデオもあります。こちらも松永牧師自らが出演しているものです。こちらからご覧になれます。



次回も主尋問の続きを掲載します。
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寝返った兄VS屈しなかった弟 

<被告■<後藤徹氏の兄>の脱会にかかわったカウンセラーは誰だというふうに聞きましたか。
  OAと被告宮村と聞いております>

宮村によって寝返った兄 VS 宮村に屈しなかった弟。

宮村を庇おうとする者の弁明 VS 宮村に12年間対峙し続けた者の証言

とくと読ませていただきます。
2013-04-23 09:17 | みんな | URL   [ 編集 ]

ここまでくるのに5年かかりましたね 

タイトルそのままであります。今までのうっぷんをはらす意味でも、真実を堂々と述べて下さい。後藤さん応援しています。
2013-04-23 16:44 | 小川寿夫 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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