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原告側証人MK氏の陳述書(3)その2ーWN氏の陳述書はほとんど宮村が書いたものだー

今回の陳述書は、原告側証人MK氏の陳述書(3)その1の続きです。
先回のWN氏の陳述書の反論です。

WN氏の陳述書はほとんどが宮村氏が書いたものだとMK氏は主張。
その根拠についても詳細に述べています。

第2 WNさんの陳述書(乙ハ18号証)に対する反論
 WN氏名義の陳述書こそは、WN氏自身が情報提供したのは略歴の部分くらいで、殆どの内容は宮村が書いたものだと言えます。
 まずWN氏の陳述書には、WN氏が水茎会にかなり深く関わり、水茎会のことも私の家族のことも熟知し、四六時中宮村氏と行動を共にしてきたかのような記載が多く見受けられます。しかし、現在64歳にもなるこの女性を私は見たこともなければ聞いたこともありません。弟も知らないと言います。水茎会でスタッフをしていたわけでもなく、自分の娘を統一教会から脱会させたわけでもないWN氏が、1992年3月にご自分の姪を脱会させて以降20年間もの間、水茎会と関わり続ける理由は全くありませんし、宮村と行動を共にする理由もありません。
更にこの陳述書には、時期的に見てWN氏が書いたものではありえない記載も含まれています。
以下、順次反論したいと思います。

1 「2」「1)」に対して
WN氏は「1990年にMK氏を「拉致監禁」したのは一体誰なのでしょうか。(中略)MM氏の言うこの救出団体と、水茎会や宮村さんとは何の関係もないのは確か」と述べています。確かに、1990年に私が拉致監禁された際、私の親族が相談していたのは、KY牧師やMF氏が指導していたナルド会であり、この会は、宮村が荻窪栄光教会を追い出された後、同教会に残った元水茎会の父兄等で組織した団体ですので、組織を挙げての拉致監禁への協力体制はそれほどなく、当時の水茎会や宮村とは関係がないと言えます。しかし、WN氏が水茎会と関わり始めたのは、どんなに早くとも姪御さんが統一教会に入会したことを知った1991年8月以降になります。従って、水茎会の分裂の経緯やナルド会のことなど全く知らないはずです。ところが、WN氏は何の躊躇もなく1990年の私の「拉致監禁」について「M家の方々以外にあり得ません」とか「水茎会や宮村さんとは何の関係もないのは確かです」などと言い切っているのです。これは明らかにおかしな記載であり、こうしたことを堂々と書けるのは、宮村以外にはいません。
なお、第1回目の拉致監禁が奏功しなかったため、母はその後、水茎会に繋がっており、1996年に行われた私に対する第2回目の拉致監禁に関与した「救出団体」は、紛れもなく水茎会であり、これを指導していたのは宮村です。水茎OB会から私の実家に送られて来た平成12年6月10日付書面(以下、「水茎会書簡」と言う)の1頁2行目以下には、「水茎OB会の皆様の救出活動に対するご協力に感謝しております。特に会費は救出にとって重要な役割を果たしております。水茎OB会の会費が救出活動を支えている事をお互いに心に刻んで参りたいと思います」と書かれており、また、水茎会書簡1頁11行目から始まるKE氏のメッセージには、「OB会は、Mさんの活動の母体です」「Mさんの活動を支えるために、・・・ご協力をお願い致します」とあります。従って、水茎会が宮村の救出活動を財政面で支える「救出団体」であることは明らかです。また、WN氏自身、陳述書で「延べで数百人の人達がMKさんやその家族との話し合いに協力している」(乙ハ18号証4頁4行~6行)などと述べており、水茎会という「救出団体」が私に対する第2回目の拉致監禁、脱会強要に関わった事実を認めています。
 
2 「2」「2)」に対して
WN氏は「オブザーバーを宮村さんにお願いしているのです。宮村さんは指導など行っていません。各家庭の事情はそれぞれ異なりますから、画一的なマニュアルなどありませんし、各家庭の創意工夫で取り組むべきことなのです」と述べています。しかし、水茎会書簡3頁7行目以下には、「このことを遂行できる人は他にかわりの人がおりません。『余人をもってはかえ難いこと』であるということは皆様が良くご存知のことです」との井口利雄氏のメッセージが記載されています。宮村氏が水茎会で単にオブザーバーだけ行い、指導を行っていないのだとしたら、余人をもっても代えられないはずはなく、WN氏の陳述書は明らかに事実を偽っています。WNさんは、私の母が宮村に何度も相談し、宮村が何度か注意した事実を認めており(乙ハ18号証2頁24行~27行)、宮村がオブザーバーだけ行い指導を行っていなかったとの記載が虚偽であることは明らかです。

3 「2」「3)」に対して
WN氏は私の弟が陳述書で「勉強会にずっと通いました」と書いていたことに対して「私は毎回出席してきましたが、MM氏は私の記憶では時々しかお出になっていませんでした」と述べています。
弟のMMが水茎会の勉強会に通ったとしたら1991年から1996年の約5年間です。WN氏はこの頃、ご主人と共に川崎で建築会社を営んでいたそうですが、今から約20年前の1992年3月に姪を統一教会から脱会させたというWN氏が、それ以降、忙しい中ずっと水茎会の勉強会に通い続けたなどということは考えられませんし、通う理由もないはずです。また、仮に通っていたとして、弟の出席をチェックする担当であったならまだしも、特別の面識もない弟の出席について一々覚えているということも考えられません。一方、宮村であれば、毎回水茎会の勉強会に参加しており、家族がどれほど救出に熱心に取り組んでいるかに強い関心をもっているのでこうした記載も可能と思います。従って、この記載は宮村が書いたものと考えられます。

4 「2」「5)」に対して
 WN氏は、私の父が酔って母に暴力を振るったり、セクハラに近い行為をするのでどうしたらいいかと宮村に泣きながら何度も相談したとか、これに対して宮村が母<ママ 正しくは父>に「やめて下さい」と注意するのを何度も見たと述べています。しかし宮村は、子弟の統一教会からの脱会だけでなく夫婦関係についてまで水茎会に集う父兄等から相談を受けていたのでしょうか?またそれに対しても指導を行っていたのでしょうか?もしそうだとすると、娘の私でも知らないような相談を受けていた宮村は、水茎会の父兄等からは、まさに教祖のように信奉されていた存在だったと言えます。
宮村峻氏
<水茎会の父兄等からまさに教祖のように信奉されていた宮村峻氏>

 しかし、そもそも母がこのような家族間のプライバシーに深く関わる問題を、WN氏のような第三者の目の前で宮村に相談したとは思えません。一方、仮にそうした相談があったとしたら、宮村としては、本来そのような場で相談を受けるべきではなく、第三者のいない場に席を移してから相談するよう促すべきであって、他人の聞いているところでそのような相談を受けたり注意したりすること自体、異常なことです。更に言えば、この部分の記載は、本件と全く関係のないM家のプライバシーに関することですから、仮にWN氏が目撃したとしても、敢えてこのような書面で書くことはしないはずです。従って、この部分の記載も、人権感覚が麻痺した宮村が書いているとしか思えません。

5 「2」「6)」に対して
 WN氏は、私の親族を集めた西央マンションでの打ち合わせに宮村が参加したことに関し、私の親からの要請で宮村が参加したとか、親戚の人達と話し合う場所がなかったので西央マンションを使うことを水茎会として応急措置として了承したとか、この時の打ち合わせをWN氏も聞いていたと述べています。
 ところで、「・・・考え方を述べたということを当時聞いていました」との記載部分は、宮村が「述べた」という過去の事実を、その場に居合わせなかったWN氏に対し宮村が後から話して聞かせたと理解できる表現になっています。ところがその数行あとの「この時の打合せも私は聞いていましたが」の部分は、正にWN氏がその場にいたとの表現になっています。この辺りも後日の作り話であるために、場当たり的な表現になっているとしか言いようがありません。
 
そもそも、スタッフでもないWN氏が、何故M家の親戚の人達との話し合いに同席することがあり得るのでしょうか。また、スタッフでもないWN氏が何故「水茎会として了承」するなどということができるのでしょうか。また、応急措置とありますが、親戚が予期しないところに突然集まってくるはずはなく、招集に応じて集まるのですから、予めM家の自宅なりレストランなり、打ち合わせの場所はいかようにも指定できたはずであり、「応急措置」などという大袈裟な表現自体、子供だましというか全く馬鹿げているとしか言いようがありません。また、水茎会が父兄から募った会費で西央マンションを借りている目的も、宮村等が言うところの「救出」にあるわけですから、「救出」に向けて、親族を集めての打ち合わせ場所として提供することはその本来の目的に最も叶った利用法のはずです。もしもそのような会合に使うことが例外的にしか認められないのだとしたら、一体西央マンションは何のために借りているのでしょうか。宮村の休憩所だとでも言いたいのでしょうか。

このように、作り話を次から次へと真顔でできるのも、監禁場所では統一教会信者に対していくらでも作り話が通用した宮村の普段の行い、ないし習慣がそのまま書面に表れたものと言えます。あるいは、このような作り話が裁判で通用すると思っていること自体、本人にとっては、作り話と現実との区別がつかなくなっているのかも知れません。
実際には、当時、水茎会の父兄を集めての勉強会は日本基督教団新宿西教会で行い、拉致監禁の実行日が迫った父兄については、親戚を集め、宮村や水茎会スタッフ等が具体的な実行方法について指導するという手順が完全に定型化されていたのです。

6 「2」「7)」に対して
 WN氏は陳述書で「水茎会が、特定の家族のためにマンションを借りることはありません」と述べています。確かに次から次へと脱会説得を依頼する家族等のために借りているものなので、そのような意味では「特定の家族のため」に借りることはないというのは正しいです。しかし、私の家族が自分で部屋を用意したというのは間違いです。仮にそうだとしたら、不動産屋を通しての賃貸借契約や退去時の解約、水道、ガス、電気などの契約や解約など、全部自分達でしなければならないはずですが、そのような手続を私の家族がしているところを私は一切目撃していません。

7 「2」「8)」に対して
 監禁のための部屋の施錠についてWN氏は「宮村さんはむしろ逆にそのような行為は本人を傷つけるから、やめてほしいといつも、そのような話が出ると話していました」と書いています。宮村は私の部屋に何度もきましたが、施錠は良くないなどの話は一度もしていません。もちろん、私が元信者に連れられて、当時後藤さんが監禁されていた同じ荻窪フラワーホームの804号室に行った時もそうです。もし宮村氏が施錠に反対のスタンスなら、何故施錠によって統一教会信者が監禁された部屋に脱会説得に行くのでしょうか。「私はそういう犯罪まがいのことにかかわることはできません」と言って断るのが、本来ではないでしょうか。実際には、多少手荒なことをしてでも信者を連れてくるように、そして、自分が信者を出していいと言うまで絶対に解放してはいけないし、そのために厳重に施錠をするようにというのが宮村の指導です。

8 「2」「9)」に対して
 弟が陳述書で「配下のスタッフ」と書いているのは、西央マンションにつめかけている元統一教会信者らのことです。今回、自分が訴えられているわけでもないのに宮村の意向を受けて弟を訪問したNIさんやSHさんも、勿論宮村の「配下のスタッフ」です。

9 「2」「10)」及び「11)」に対して
 WN氏は、弟からの電話で宮村がすぐに駆けつけたことについて「たまたま近くにいた」と聞いていたと述べています。また、私の問い合わせに対し、宮村が「まだ滞在するように」と言ったことについてWN氏は「宮村さんがここに書かれているようなことを言うはずがありません」と述べています。しかし、WN氏は四六時中宮村氏と共にいて、常にM家の動向について報告を受けていたとでもいうのでしょうか。極めて不自然な記載であり、この部分も宮村が書いていることは間違いありません。

10 「3 総括」に対して
 WN氏は、私の家族が「都内のテレビ局まで行き、水茎会を紹介して貰ったと聞いていました」と述べています。しかし、私の家族が水茎会に繋がったのは1991年のことであり、20年以上も前のことです。大勢の父兄が集う水茎会で、WN氏がM家の事情を一々覚えているとは全く考えられません。 
WN氏は更に、「水茎会はM家から何度も本人と話し合いをしたいので協力して下さいとお願いされた」と、あたかもWN氏が水茎会を代表してM家からのお願いを受けたかの立場で書いています。しかし、「何度も」お願いしなくても、水茎会は一度お願いすれば入会させて貰えるはずです。
ところで、私の母が水茎会に繋がった1991年の段階では、まだWN氏はご自分の姪を脱会させていません。WN氏の姪が脱会したのは1992年3月です。即ち、母が水茎会に繋がったときには、WN氏は水茎会を代表して母からのお願いを受ける立場にはなく、逆にWN氏自身が水茎会にお願いする立場だったのです。水茎会では子弟の脱会に成功する以前の段階の父兄同士の交流は禁止されています。情報が統一教会側に漏れることを防ぐためです。従って、母が水茎会に繋がった時点でWN氏は、母からお願いされるどころか、母とは一切交流もなかったはずです。従って、この部分の記載もまた宮村が書いたものと言えます。

WN氏の陳述書には、「両親の不仲などのため、MK氏が平穏に生活できる場がM家で提供できなかったという側面があったのではないか」などという勝手な推測が、私が統一教会に戻った理由として述べられています。しかし、両親のことなど、私が統一教会に戻った理由とは全く関係がありません。更にWN氏の陳述書には、このことを「これからの教訓ともすべきことです」などと述べています。しかし、既に64歳にもなるWN氏がこれから統一教会信者に対する脱会説得を行うとでもいうのでしょうか。この記載は、今後も統一教会信者に対する拉致監禁、脱会強要を継続しようとしている宮村の認識そのものです。

WN氏の陳述書には、M家の人達が脱会説得後、水茎会に全く出席することがなかったとか、その後誰にも御礼の挨拶をしなかったとの記載があります。しかし、水茎会のスタッフでもないWN氏が、そのようなことを把握できるはずはなく、これも宮村が自分の認識を書いたものです。
また私と私の家族のために延べ数百人の人達が協力したとか、その交通費や実費さえM家から頂いていないと書かれていますが、そのような費用は水茎会で支払う取り決めになっているはずです。もし、各家庭が支払うことになっていたとしたら、水茎会から請求がきても良さそうなものですが、水茎会からは一切請求は来ていませんし、私の知らないところで請求が来ていたとしたら、さしてお金に困っていなかった私の両親は支払ったはずです。そして、上記記載も、水茎会の会計でもないWN氏が知っていることではあり得ず、宮村の認識を書いたものに違いありません。


以 上

お知らせです。
ついに、後藤徹氏の本人尋問調書を入手いたしました。なんと167ページもの量です。後藤氏の尋問は、朝の10時から夕方の5時まで、お昼休みを挟んで実に6時間に及びましたから、そのぐらいの量になるんですね。
この167ページにわたる書面を手分けして電子化する作業をしているところです。
作業を手伝ってくださっている皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。
ということで、次回からは、後藤徹氏の本人尋問を連載します。
後藤徹氏の本人調書
<後藤徹氏の本人調書の表紙>
裁判に傍聴にいけなかった方も是非、当ブログの連載を読んで後藤徹氏の尋問の様子を肌で感じてみてください。

皆様の「知る権利の行使」にどこまでも寄与していきたいと思っています。
どうぞよろしくおねがいいたします。





次回からはいよいよ後藤徹氏の本人尋問調書をUPします。
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2013-04-17(Wed)
 

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なりすまし 

<私の母が水茎会に繋がった1991年の段階では、まだWN氏はご自分の姪を脱会させていません。WN氏の姪が脱会したのは1992年3月です。即ち、母が水茎会に繋がったときには、WN氏は水茎会を代表して母からのお願いを受ける立場にはなく、逆にWN氏自身が水茎会にお願いする立場だったのです>

<WN氏名義の陳述書こそは、WN氏自身が情報提供したのは略歴の部分くらいで、殆どの内容は宮村が書いたものだと言えます>

なるほどね。
宮村をかばって陳述してくれる人がいないんですねぇ。
だから、脱会家族に頭を下げて、金を渡して「プロフィールだけでいいから使わせてくれ」って、か?

苦しい宮村(被告)サイドの台所事情。

しかも、丁寧に反論・陳述しようとすればするほど、プロフィール提供者とは無関係な事実が浮き彫りになって、書き手(宮村or山口or…)の正体がばれてしまう…。しんどいねぇ。

“宮村教”の熱心な“弟子”は後藤兄、OBくらいなもので、ほとんどの弟子は“宮村教”から足を洗いたいと思っているのかな。裁判での勝ち目はなくなっていて、下手にウソをつくのも後でバカを見ることになりそうで、できれば関わりたくない…。

“弟子”が去り、崖っぷちに立たされた教祖・宮村。
それにしても、他人になりすまして陳述書を書くとは、法廷を冒涜している。見苦しすぎる。
2013-04-18 08:45 | みんな | URL   [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013-04-19 16:12 |  |    [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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