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原告側証人MK氏の陳述書(3)その1-「自称・NIさん」の陳述書は「頭隠して尻隠さず」

皆様お待たせして申し訳ありません。
4月8日はいよいよ、証人尋問の日です。
先回、ご紹介した陳述書は、4月8日に証言台に立つ被告側の証人OB氏の陳述書ですが、4月8日のもう1人の主役といえば、今回ご紹介するMK氏です。

MK氏といえば、すでに当ブログで下記の2つの陳述書を紹介しています。
MK氏の陳述書ー後藤徹氏の監禁現場に宮村氏と同行したMK氏の驚くべき陳述書
MK氏の陳述書(2)-竹を割ったようなさっぱりした性格だったYKさんがなぜこんな白々しい嘘を・・・・

MK氏は、後藤徹氏の監禁現場を宮村氏とともに訪問したこともあり、この事件の生き証人ともいうべき人です。
大変重要な証言をするはずです。
ですので、MK氏の上記の陳述書に対しては、被告側から下記のように反論陳述書が提出されています。
NI氏の陳述書ー宮村氏の強力な助っ人登場。原告側の陳述者を一刀両断???
YK氏の陳述書-監禁中の後藤氏にお茶をぶっかけたYK氏が、後藤氏とMK氏の主張をバッサリ否定
SJ氏の陳述書ー私は嘘と騙しのテクニックにより統一協会の信者にさせられた~
NI氏の陳述書(2)その1-原告側証人のMK氏に反論。私は正真正銘のNIであり、「自称・NIさん 」ではない!
YK氏の陳述書-偽装脱会は自分自身で考えることから逃げる行為だと主張するYK氏
このほかにまだご紹介していないものもあります。

またMK氏の弟MM氏はかつて、姉を脱会させるために、自分の家族を犠牲にしてまでも宮村氏に指示に従った人物でもあるのですが、そのMM氏が原告側から監禁の事実を認める内容の陳述書を提出すると、被告側の女性二人組がMM氏の自宅をアポなし訪問したのです。

アポなし訪問は不発に終わりましたが、この事実を重く見た原告後藤徹氏の代理人である福本弁護士が上申書を裁判所に提出しています。(上申書はこちらからみれます。)

このMK氏がこの裁判でどれだけ重要かがこの経緯を見ただけでもわかります。

今回の陳述書はNI氏の陳述書(2)その1-原告側証人のMK氏に反論。私は正真正銘のNIであり、「自称・NIさん 」ではない!の反論です。

陳 述 書




 本書面においては、2012年7月4日付NIさんの陳述書(その2)(乙ハ第19号証)、及び6月12日付WNさんの陳述書(乙ハ第18号証)に対して、反論したいと思います。


第1 NIさんの陳述書(その2)(乙ハ第19号証)に対する反論
1 NIさんの陳述書の作者
 私はNIさんの陳述書に対して、本人が経験していない内容が含まれているとの反論を随所で行い、陳述書の作者のことを「自称・NIさん」(甲86号証10頁)と表現しました。するとNIさんは陳述書(その2)では、冒頭からご本人が「自分の記憶を補完するために・・・多数の元信者の話を聞いたり、確認した」事実を認めるに至っています(乙ハ19号証1頁下から10行目以下)。要するに、NIさんが体験していない部分については、他人の記憶や認識をご自分の記憶・認識として書いたというわけです。しかし、これでは「自称・NIさん」と言われてもしょうがないのではないでしょうか。
 乙ハ19号証ではNIさんは、「自称・NIさんという表現は非常に失礼です」と述べています。しかし、私はNIさんの陳述書の真の作者は宮村峻だとずっと感じてきました。それは、発想の仕方や攻撃の仕方が、監禁中に聞いた宮村の言動と重なって感じられる部分が多くあったからです。ご自分は気づいていないのかも知れませんが、文章には自然と人柄が出てきます。そして今回、乙ハ19号証を読んで益々その感を強めるに至りました。この点については個々の表現ごとに改めて述べます。

 なお、乙ハ19号証には、殆どの元信者は家族に嫌がらせや危険がおよぶことを心配して陳述書を書くことができなかったと書かれていますが、これは嘘です。かつて宮村によって脱会した多くの信者が東京青春裁判を提起して統一教会を訴えましたが、果たして原告や原告の家族に対して何か嫌がらせがあったのでしょうか?また私も、脱会後の監禁継続中に宮村から言われて婚姻無効裁判を提起しましたが、統一教会側からは何らの嫌がらせも受けていません。実際には、宮村がしている拉致監禁・強制棄教について、事実を偽った陳述書を書いてまで協力してくれるような元信者は殆どいなかったというのが実情と思います。現に私の弟も、二度と宮村等には協力したくないと言って拒絶感を露わにしています。

2 家族が心配する理由
 NIさんは最初の陳述書(乙ハ第13号証)では、私と家族との関係についての記述の中で、「帰宅は夜遅くなり、友達づきあいも悪くなります。さらには、勤めていた会社も退職し、実家にもめったに戻らず、貯金もなくなってしまい、知らせていた住所には住んでいる気配がないとなれば、家族が心配するのは当然です」(3頁1行)と書かれていました。ところが、私が甲86号証で、この記載が私には全く当てはまらないことを述べて具体的に一つ一つ反論したところ、NIさんは陳述書(その2)(乙ハ19号証)では、これは「ほとんどの統一協会信者に通用する一般論」だと反論してきました。しかし、NIさんのいう「一般論」にあてはまらない統一教会信者はたくさんいます。NIさんが脱会した1980年代ならまだしも、多くの信者が一般の仕事をし、趣味を持ち、それぞれの家庭で信仰生活を営む現在においては、この描写は著しく偏っています。

 NIさんは最初の陳述書では、「めったに実家にも戻らず」「異常に食べてぐうぐう寝てしまい」「非常に疲れている」といった私に関する嘘の描写に続けて、「(ご両親は)これは大変だ、なんとかしてやめさせなければと考えたとお話されていました。私はMK本人ともご両親ともよく話をしているので、甲11の虚偽もよく判ります」(乙13号証9頁1行)と、すべてを知っているかのように書いていました。そこで私が、「実家にも戻らず」どころか、家から5分しかかからない距離にいたことを指摘すると、陳述書(その2)では、その点には触れず、「自宅から自転車で5分の場所に下宿するというのは、普通は親ならだれでも反対するでしょう。(中略)もしこれが自分の娘だったらなぜ自宅から通わないのか疑問に思います」(乙ハ19号証11行目~)との反論を展開するに至っています。しかしこれも完全な当て推量で、私の両親は私が下宿することに反対しませんでした。ところで、初めは「めったに実家に戻らない」と批判しておきながら、その主張が事実でないことが分かると、今度は、家から近いのに寮に入るのはおかしい、と論旨をすり替えて批判、反論してくるというこの手法こそは、監禁下での宮村の脱会説得の手法そのものです(以下、この手法を「論旨ずらし」と表現します)。監禁中には宮村は威圧的に畳み掛けて人の意見を踏みにじり、あたかも相手を論破したような形をとります。狭い監禁場所で多勢に不勢での言い合いだと感情的に追い詰められるので、このような「論旨ずらし」を受ける側は冷静に対処することができませんが、こうして監禁下に無い状況で文章になったものを落ち着いて見比べると、見事なばかりに「論旨ずらし」が見えてきます。この箇所以外にも今回の陳述書には、宮村の「論旨ずらし」の手法が随所に見受けられます。
 
3 母親が韓国へ行った理由
 私に対する1回目の監禁後、母が韓国での統一教会の修練会に参加したことに関し、2回目の監禁の際、母は荻窪のマンションの中で、宮村から私の警戒心をとるため「韓国へ行ってきたらいい」と勧められたことを白状しましたが、このことを私が陳述書に書いたところ、NIさんは1通目の陳述書(乙ハ13号証)では、「何年も会うことができない娘の顔を見たくて、はるばる韓国に出かけて行ったのだと思います」との当て推測を述べていました。そこで私が次の陳述書で、3年間に母が2回も韓国に来た事実を書くと、NIさんは陳述書(その2)では、「MKさんが3年間も韓国にいて帰省もしなかったので(中略)全く日本に帰ってこない娘には会おうと思ってもなかなか会えない」と述べ、私が帰省していたか否かの問題にすり替えた上、「ご両親と宮村さんの話し合いの場に私も何回も居合わせたので、覚えているのです」などと述べるに至っています(乙ハ19号2頁15行~)。しかし私は1994年の夏に一週間ほど実家に帰省していますので、「3年間も韓国にいて帰省もしなかった」というのはまったく事実に反します。知らなければ知らないで余計なことを書かなければいいのに、わざわざ作り話をした上、「覚えているのです」などとダメをおすのですから、ここまでくると「自称・NIさん」の陳述書はもはや茶番としか言いようがありません。 

 実は、次から次と作り話を簡単に作出するのも宮村の得意とするところです。実際私が脱会を決意するにいたったきっかけは、宮村の「あいつは、ボンネッコルで原理原本を書いたなんて言ってるが、原理原本なんてもとからないよ。ありゃ、文鮮明のでまかせだ」という嘘でした。マンションの説得現場では、統一教会信者は監禁されているため、宮村の嘘をじっくり検証する機会がなく、簡単に騙されることが多かったと思います。このため宮村は、「統一教会信者なんてちょろいものだ。俺の嘘が簡単に通用する」と誤信し、「裸の王様」になっていたのだと思います。しかし、今私達は監禁されてはいないのです。自由な環境で冷静に事実を確認できるし、いくらでも反論が可能なのです。「自称・NIさん」の陳述書の嘘を暴くことで、監禁されていない環境がこうもありがたいものかと、改めて強く実感します。

4 「統一教会をやめると不幸になる」という主張について
 NIさんは最初の陳述書で「統一教会では、考え方も規制されます。その一つが統一教会をやめることです。統一教会の信仰を捨てた人は、交通事故にあったり、結婚して子供が産まれても障害児だったりして、絶対に幸福にはなれないと教え込まれています」と述べていたので(乙ハ13号)、私が陳述書(甲86号証)で、そのような教育は受けなかったし、実際教会をやめる時もそのような恐怖心はなかったと述べると、今度はNIさんは陳述書(その2)で「しかし、私は信者であった時に実際そのように教えられました。すべての元信者がそのような教えを話していましたし、元信者も共通に言っています」と述べるに至っています(乙ハ19号証2頁26行~)。しかし、NIさんは「すべての元信者」が「話して」いたのを本当に聞いたのでしょうか?宮村によって脱会した人達以外にも元信者は日本全国に大勢いますし、自主脱会者もいます。私は拉致監禁に反対する活動の中で多数の元信者の人達と接してきましたが、皆NIさんと面識のない人達ばかりです。NIさんはこのような元信者からも話を聞いたというのでしょうか?仮に、宮村によって脱会した信者に限っても、例えば私自身も、NIさんとこのような話題をしたことはありません。
この記載にも、簡単に作り話をすることのできる宮村の性格がよく表れていると感じます。

5 「反対牧師の素顔」等でデマを教え込んでいるとの主張について
 NIさんは乙ハ13号で、統一教会では「拉致監禁」に対しても強い恐怖感を植え付けられるとして、「私の時には『反対牧師の素顔』という小冊子やビデオを見せられました。それには、反対する家族によって鎖で柱につながれて逃げないようにされている信者や、薬を注射されて精神病院に入れられる信者が描かれており、自分もこんなことされたらどうしようと恐怖で一杯になりました。実際は、そのようなことは全くありませんでした。統一教会では、信者が簡単にやめないようにするために、このようなデマを教え込んでいるのだと思います」と述べていました。しかしこれらの事例は実際にあったことで、デマでも何でもなく、統一教会信者が鎖に繋がれた事件は朝日新聞でも報道されていましたし、精神病院に違法に入院させられた事例については、人身保護請求によって解放された信者が複数いました。そこで私は先回の陳述書(甲86号証)で、朝日新聞記事と裁判記録とを添付して反論しました。すると今回NIさんは陳述書(その2)で、「この新聞記事は、前述の『反対牧師の素顔』という本にも掲載されていました」と述べるに至っています(乙ハ19号証3頁14行~)。しかし、そこまで覚えているのだとしたら、NIさんは、「反対牧師の素顔」に書かれていた鎖につながれた信者の事例が、デマではなく実際に新聞沙汰にまでなった事件だと知っていながら、先回の陳述書(乙ハ13号証)では、「デマ」と述べていたことになります。これは余りにも悪質です。勿論、この陳述書の真の作者は、統一教会を陥れるためであれば平気で嘘をつく「自称・NIさん」、即ち宮村が書いたものだと思いますが、しかし、そのような嘘の陳述書に署名捺印したという点ではNIさんも責任を免れません。

 伊藤芳朗弁護士の証言を米本氏が書いた陳述書(甲107号証)には、宮村によって脱会した元統一教会信者は、宮村を神格化し宮村の支配を受け続ける人と、宮村を毛嫌いする人の2つに分かれると書かれていましたが、NIさんは間違いなく前者です。そして、このタイプの人達は、裁判所に提出する書類に嘘が書かれていても、宮村の命令さえあれば躊躇無く署名捺印できる人達なのだということを、裁判所にも良くご理解頂きたいと思います。

 NIさんは、今回の陳述書(その2)では、「そのようなことを私はされなかったという意味で、私の実体験です。私が脱会してから後も、家族を統一協会からやめさせようと、鎖につないだり精神病院に入れたりすることは、少なくとも水茎会がかかわった件では一切ありません」と弁明しています(乙ハ19号証18行~)。しかし、NIさん自身の実体験や水茎会に関してそのようなことがないというだけなら、統一教会の「デマ」にはならないはずですので、全く弁明にはなっていません。そして、最初は、「鎖に繋がれたなどというのは統一教会のデマだ」と言っておきならが、その証拠を示されると、今度は、「あれは自分はそういうことはされなかったという意味で言ったものだ」と開き直り、自分の体験に話をすり替えてしまう「論旨ずらし」の手法が、ここにもよく表れています。

6 私が自宅で叩かれワゴン車に乗せられたことについて
 私は自宅からワゴン車に乗せられる時の様子を最初の陳述書でこう書きました。「拉致監禁するのを何とか止めて欲しいと思い,先に謝った方がいいと思って母親に土下座して,『お母さんすみません』と言いました。ところが母親は却って逆上し,『お父さんこの人叩いて』と叫びました。すると,これを聞いた父親が,私の髪の毛を掴んで私の顔を上に持ち上げ,平手打ちで私の顔を何度も叩きました。父親が私の顔を叩いたり,母親が私を叩くように言ったことは,それまで1度もなく,まるで誰かから,『連れて来るときは,叩いてでも連れてこい』と事前に言われていてそのシナリオ通りに行動しているかのような不自然な行動でした。私は両親,弟によって外に連れ出され,いつの間にか用意されていた見覚えのないワゴン車に乗せられました」(甲11号証3頁)。
 ところがNIさんは最初の陳述書で次のように書いてきました。「MKさんがお父さんに叩かれたという記述がありますが、私も当時MKさん本人からその話を聞いて同情した記憶があります。MKさんは家から出たくなかったので、家具にしがみついていたら、お父さんに殴られたと話していました」(乙ハ13号9頁18行)。

そこで私が先回の陳述書(甲86号証)でそれを正すと、NIさんは今回の陳述書(その2)では、「MKさんが土下座して謝っただけで、母親が逆上し、父親が叩くはずがありません。(中略)私たちのアドバイスが、MKさんのご家族には理解してもらえなかったとしたら、大変残念です」と述べ(乙ハ19号3頁32行)、「父親が叩くはずがありません」という推量を述べつつも、最後は、「私たちのアドバイスが、MKさんのご家族には理解してもらえなかったとしたら、たいへん残念です」と結論づけています。この結論は、当然のことながら、私が謝っただけで父親が叩いたとする私の主張が事実であることを前提としたものです。ということは、「家具にしがみついていたら、お父さんに殴られた」と私から聞いた、とする、先回のNIさんの陳述書における記載は、実際には作り話だったことを白状したことになります。作り話であったからこそ、今回は事実の前に譲歩せざるを得なくなったのだと言えます。

「自称・NIさん」としては、私が叩かれワゴン車に乗せられた一連の行為が「シナリオ通りに行動しているかのような不自然な行動」であったことを否定したかったのだと思います。しかし、そのことに意識を奪われるあまり、逆に、ご自分が作り話をしていた事実を認める結果となってしまったようです。
NIさんは先ほどの箇所で、「私たちや宮村さんが『連れて来るときは、叩いてでも連れてこい』などと言うことは絶対にありません。家族には暴力はやめてくださいと言っているし、また、南京錠も使わないようにお願いしています」と述べています(乙ハ19号証4頁1行~4行)。しかし、『親は何を知るべきか』(甲24)という宮村の共著には、OFさんのお兄さんが,マンションの部屋の状況に激怒して障子を蹴り壊したところ、OFさんから相談を受けた宮村がOFさんに対して,家族でお兄さんを取り押さえ,腕にかみついてでも拘束するよう指導した旨記されています(187頁7行~188頁末行)。これは「暴力」の指導ではないのでしょうか。これでは、「自称・NIさん」の陳述書は「頭隠して尻隠さず」を地でいっているようなものです。また、私自身、最初の陳述書で述べた通り、宮村から髪を掴まれて流しに連れて行かれるという手荒な仕打ちを受けています。従って、「暴力はやめてください」どころか、暴力に積極的なのが宮村のやり口であると言えます。

2012年4月7日、及び9日にNIさんらが弟を突然訪問したり、電話を架けてきたことに対し、10年以上経っている弟が今もなお相当に神経を使い、警戒している様子がよくわかりました。これは、宮村が異常なカリスマ性をもって暴行、拉致監禁といった犯罪を平気で指導する人物だということや、秘密結社のような組織力をもってこうした犯罪を実行してきたことを弟が良く知っているからだと思います。
『親は何を知るべきか』(甲24)の先程の引用箇所には「今まで、父も母も私も、『どんなことでもできます』と、宮村さんに何度言ったことだろう」とのOFさんの言葉が書かれており(188頁4行)、宮村がOBさんの家族を服従させていた様子がありありと伺えます。宮村等は父兄等が勉強会を通して絶対的に宮村の指示に従うようになるまで、その家の信者の拉致監禁には着手しないと聞いたことがありますが、それは私の家族についてもあてはまることです。私は甲第11号証の陳述書でこう書きました。「宮村の話は統一原理批判や文鮮明教祖の批判が主でしたが、宮村は時に私の肩をもって両親を批判し、『あんたの親はこんなことをするなんて馬鹿だねー』などと、あからさまに両親の批判をしました。宮村からどんなに批判されても、両親はただ首をうなだれて聞いているだけでした。この様子を見て、両親は宮村の言うことに対しては平身低頭で、一切逆らえないのだということが良く分かりました」(5頁)。この様子は弟も例外ではありませんでした。宮村が監禁部屋に入って来ると、今までそこで胡坐をかいて座っていた父と弟は急に正座に座りなおすのです。私は、宮村が家族の崇拝している教祖か何かであるかのような印象を受けました。

  宮村の絶大な支配力については、伊藤芳郎弁護士の証言を記した米本和広氏の陳述書にもこう記してあります。「宮村氏のやり方を体験している元信者を紹介してくれないかと、刑事に頼まれました。それで付き合いのある数人の元信者に声をかけましたが、みんな『宮村さんが恐い』としり込みをしました」(甲107号19頁5行)。元信者でさえ宮村の拉致監禁、強制棄教の口外を極度に恐れていたのです。それも一般市民を守る警察にすら説明するのを嫌がるという異様ぶりです。これほど宮村は水茎会父兄、及び元統一教会信者に対しては脅威であったということを念頭に置いていただきたいと思います。

7 NIさんの監禁マンションへの訪問について
 NIさんは「私は宮村さんとMKさんの話し合いに5回程度同席しました。(中略)その後元信者数人と一緒に何回もMKさんとの話し合いに行きましたし、脱会後も話をしています。MKさんは『NIさんと話した記憶があるのは2回だけです』と書いていますが、それは違います」と書いています(乙ハ19号4頁6行~)。「宮村さんとの話し合い」は宮村が一方的に話すものですから、私はNIさんとの話し合いの数には入れていません。私が2回と言ったのは、NIさんと一対一で話した時のことを言っています。私はこのときどんな様子でどんな話をしたかまで覚えています。NIさんは最初の陳述書で「私はMK本人ともご両親ともよく話をしているので、甲11の虚偽もよく判ります」(乙ハ13号9頁3行)と述べていましたが、知らないはずのことを述べ、嘘も多く、わかっていても故意に嘘を書いていることが多いので、私はすぐNIさんではなく、「自称・NIさん」が書いていることを感じ取りました。

8 TBSのインタビューについて
 私は1992年の末にTBSから取材を受けましたが、このことについて私は最初の陳述書でこう書きました。「私は,当時『霊感商法』と言われる活動には一切関わっていませんでしたので,その通り答えたところ,年末に放映された番組では,私の『霊感商法』問題に関する応答はカットされていました。後日宮村から聞いたところでは,下村氏が番組の編集段階で宮村にお伺いを立て,『この部分はまずい』との判断を受けたために,カットしたのだそうです。このことを私は2回目の監禁の最中に宮村から聞きました」(甲11号証2頁)。
これに対してNIさんは最初の陳述書では、「社外の人間である宮村さんがカットしろと言ってそのとおりになることはあり得ない」(乙ハ13号9頁8行)と述べたので、私は先回の陳述書で、「普通に考えればその通りです。私もそう思います。しかし宮村は不遜な態度でそのように言うのですから、こちらも驚きます」と述べました。するとNIさんは今回の陳述書(その2)では、「『宮村は不遜な態度でそう言った』というのは、MKさんの捏造です」(乙ハ19号4頁12行~)と述べるに至りました。しかし、その時監禁マンションに居なかったNIさんが、どうしてこの時の宮村の発言について、「捏造です」などと言えるのでしょうか。被告側でこのとき居合わせた人物は、宮村以外にいません。こうした記載からも、この陳述書はNIさんが書いたものではなく、「自称・NIさん」、即ち宮村が書いていることが明らかです。

 なお、上述の通り先回の陳述書では、社外の人間である宮村がカットしろと言ったからといってそのとおりになることはありえないとするNIさんの主張に対し、「普通に考えればその通りです。私もそう思います」と述べましたが、前述の米本氏の陳述書(甲107号証)に記された伊藤芳朗弁護士の証言によると、宮村氏はTV局に対して「手配師」のようなことをしていたのことです。だとしたら、監禁マンションで宮村氏が言っていた話もあり得ることではないかと思います。
 
9 宮村の罵詈雑言について(乙ハ19号4頁26行)
 私は最初の陳述書で再三、宮村の口汚い悪口を指摘しました。それに対しNIさんは最初の陳述書では、「宮村(ママ)や元信者がMKさんや原研の会長や教祖の悪口を言い続けるので心が傷ついたようなことが、何度も書かれていますが、(中略)自分自身で考えて判断するという作業のなかで、『馬鹿』という単語にしかひっかからなかったとしたら、その認識の低さに、残念に思うばかりです」(乙ハ13号10頁10行)と述べていました。ここでは「馬鹿」という言葉が「悪口」の意味で使われていました。そこで私が先回の陳述書で、宮村の説得には「馬鹿」を始めとした口汚い言葉が多く出てくると指摘すると、今回の陳述書(乙ハ19号証)では、手のひらを返したように、「嘘とか口汚い悪口は言っていません。『こんなことを信じてしまうなんて、なんて馬鹿だったのかしら』などと話す言葉のどこが口汚いのでしょうか」と見事に主語をNIさん自身、ないし説得を受けている女性信者に置き替えて述べています。ここでも「自称・NIさん」の陳述書には、宮村の「論旨ずらし」が使われているのです。

10 「新しい友達」について
 NIさんが、陳述書(乙ハ13号証)で私に「新しい友達もできなかったようです」と記載したことに対して、私が2通目の陳述書で「NIさんの言う友達とは、宮村の脱会説得を受けた後、彼のまわりで監禁説得のお手伝いをしている元信者たちです」(甲86号証8頁)と指摘したところ、NIさんは今回の陳述書(その2)では、「私が意図したこととは違います。私は、MKさんが社会復帰してから、就職した会社などでいろいろ話ができる友人ができなかったのは、残念だという意味で書いたのです」と書いてきました(乙ハ19号5頁8行)。しかし、NIさんも宮村も、1998年9月に私が荻窪フラワーホームを解放されて以降のことは知らないはずであり、その後に私が就職して以降のことは、一切知らないはずです。

 私は、翌1999年1月に就職しましたが、私は職場のメンバーとすぐ友達になり、新橋によく飲みに行きましたし、韓国へ渡ってからは、統一教会と全く関係のない韓国人と一緒に部屋をシェアして住んだりしました。特にこの韓国の友達とはとても親しくなりました。

11 監禁事実を告発するビラについて
 NIさんは陳述書(その2)でこう述べています。「中傷ビラが撒かれた理由について、MKさんは『警察も検察も何の捜査もせずただ放置していたとなれば、世間一般の人に訴えないでしょうか。』と述べています。しかし、警察も検察もちゃんと捜査して不起訴になったと聞いています。それなのに、宮村さんの写真まで入れて誹謗するビラを撒いています。しかも、『世間一般の人に訴える』といいながら、宮村さんの自宅や西央マンションの付近だけ撒いており(後略)」(乙ハ19号5頁19行~)
 後藤さんが解放され緊急入院先の一心病院の医師が巣鴨警察署に通報したのは平成20年2月22日です。しかし、警察が後藤さんの刑事告訴を受理したのは同年9月になってからです。この間、いったい「捜査」とは何をしていたというのでしょうか。私には警察の不作為以外の何ものにも見えません。この間の警察の不作為に業を煮やして後藤さんはビラ配布などの活動をしたのです。
 また、監禁事実の告発ビラを撒いたのは「宮村の自宅および西央マンション付近だけ」などということはありません。これも「自称・NIさん」がそう思い込んで書いているだけです。

12「第4.MM氏訪問について」について
 NIさんは「4」で、「MKさんは私たちが何か働きかけること全てが脅迫であり、強制的と決めつけているように思われます」と記しています。しかし、裁判で争っている事件で、自分が陳述書を出した側と反対の当事者側の人物が突然家に訪ねて来たら、それだけでも一般人には大変な脅威です。ところが、先にも書きましたように、宮村は統一教会信者に対する拉致監禁、強制棄教活動を、まるで秘密結社のようにして父兄まで意のままに服従させて行っていたのですから、そのような犯罪集団の側から人が訪ねてくれば、それは突然訪ねること自体が悪質な嫌がらせであり、脅迫に違いありません。

 会話文を読むと、弟が突然の水茎会メンバーの訪問にどう対応したらいいのかしどろもどろになっている様子が見てとれます。監禁現場を暴露してしまった弟の立場からすれば、水茎会の裏切り者です。何を言われるか何をされるかわからず、どう対応していいのか困ったのでしょう。ここではっきり断ったらいいのか、はっきり断ってその後何か嫌がらせをされないか等、弟の困惑ぶりが伝わってきます。その夜、弟が私にこの状況を話した時には、まさか水茎会のメンバーが自宅まで来るとは思わず、相当激怒し、うろたえ、「何しろ帰って欲しいの一心だった」と言いました。それで名刺を渡したそうですが、「名刺でいったん帰したものの、どうしたらいいか」と言うので、私は「言うことは何もありません。そちらから言いたいことがあれば弁護士を通してください」と言えばいい、きっぱりと言ったほうが裁判の案件なんだからこれ以上つきまとわれずに済むとアドバイスしました。

 ところで、NIさんは「1」で、甲43号証の陳述書が本当に弟の書いたものか確認するために訪問したと述べています。ところが、4月7日の会話ではNIさんは「MKさんが、また戻っちゃったようなことを聞いて」、「でそれで、ちょっとお話を伺いたいなと思ったんですけど」と発言しています。また、4月9日の会話では、既に弟が陳述書を裁判に出したと述べているにもかかわらず、SHさんが「私はお姉さんと以前関わったので、統一教会に戻ったと聞いてびっくりしたんです。それで個人的にお姉さんがどうしているかを聞かせてもらいたいのですが」と発言しています。ということは、2人が弟に接近した真の目的は、弟が甲43号証を書いたのか確認するためというよりもむしろ、私に関することであったと言えます。そして、4月9日の会話文を読むと、SHさんは、私の父が既に他界した事実を知らずにいたことが分かります。このことから、2人が実は恐ろしい計画を持っていたと思われます。

 即ち、宮村の指示を受けたNI、SHの両名は、実際は私の父とコンタクトをとって、父を自分達の側につけ、再度私を拉致監禁しようとしていたのです。先程も述べたように、一度は「どんなことでもできます」と宮村に絶対的に服従することを誓ったであろう、私の家族らです。再度呼びかければ、必ずや協力するだろうと考えたに違いありません。一度は宮村、松永を告訴したKH氏でさえ、その後拉致監禁され統一教会を脱会するに至っているのですから、これはあり得ないことではないのです。
実は私が今回このように、自由に陳述書を書けるのも、既に父が他界し、母は寝たきり状態のため、二度と拉致監禁される危険はない状況に至ったからです。両親が健在であれば、いつ宮村の魔の手が伸びてくるか分からないし、いつまた監禁されるか分からない状況があったため、このように自由な活動はできなかったと思います。

13 宮村のカリスマ性
 宮村のようなカリスマ性をもち、家族が家族の一人を何年間も監禁するよう仕向ける人物がいることについて、どんなに活字で記しても裁判所にとっては全く実感の伴わないことだと思います。ところが、最近兵庫県の尼崎市で実に奇怪な事件が起きました。カリスマ性をもった60代の女性の指示で、家族が身内を監禁し、暴行を働き、殺害してドラム缶に詰めて遺棄したというのです。「何で家族同士でそこまで」、と思いますが、カリスマ性のある人物に支配された人間には、その指示に従う以外の選択肢はなくなってしまうために、家族に対してまで異常な犯罪を犯すようになるのです。
 この尼崎の事件でも、親戚から相談を受けた警察が取り合わなかったために、被害が放置されたと報道されています。
 後藤さんの事件では、警察が取り合わなかったために、結局民事裁判に訴える以外になくなったわけです。この上は裁判所以外に宮村の人権侵害を止める機関はありませんので、裁判所には是非とも厳重な裁きを下して頂きたいと思います。

続く


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2013-04-06(Sat)
 

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2013-11-25 09:46 | Etsuko | URL   [ 編集 ]

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(強制脱会者)
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(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
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