宮村氏答弁書を俯瞰する(1)
以下に掲載する記事は、「統一教会脱会請負人・牧師「宮村峻・高澤守」研究」(宮村氏答弁書の要点と異常性)に掲載したものをベースとし、加筆修正したものである。この裁判では、大変重要なポイントとなると思われるため、加筆して転載するものである。
後藤徹氏が宮村峻・㈱タップらを相手取って提訴した拉致監禁訴訟を記録する本ブログで、宮村氏の答弁書の連載が終了した。答弁書の要点としては、まず第一に、以下の文面に見られるように、後藤氏陣営が主張する拉致監禁の事実について全否定している。
次に、この裁判について、宮村氏陣営は、以下の文面にあるように、統一教会の拉致監禁キャンペーンの一環と位置づけ、この目的のもとに提訴されたものとしている。
宮村氏答弁書は後藤氏の提訴について本文の最後に「このような不当な目的に悪用するねらいで提起された本件訴訟」と位置づけ、速やかな棄却を主張。統一教会の霊感商法その他の裁判事例を多数掲げ、統一教会を悪く印象付けている。
一読して感じられる点は、以下の通りである。
(1)後藤さんの訴訟は、統一教会のキャンペーンの一環か?
一昨年夏以来の、後藤氏の訪米による米国著名宗教家への訴えかけや、ジュネーブでの人権委員会での報告、外国特派員記者クラブでの記者会見などの活動を見れば、一見、この宮村氏らの主張は的を射ているように見える。だが、米本和広氏の「火の粉を払え」ブログによると後藤氏の拉致監禁からの解放が2008年2月、宮村氏らに対する告訴が同年4月(拉致監禁by宮村の裁判記録)、同年6月荻窪警察署が後藤氏から告訴状を受理、といった流れを知ってみると、この統一教会キャンペーン説は明らかに誤りであることが理解できる。統一教会が後藤氏に積極的に肩入れし始めたのは、2009年夏に文鮮明師の四男文國進氏が号令をかけて以降である。つまり、後藤氏が宮村氏を提訴する動きはすでに統一教会が肩入れする前から始まっていたのである。
それより以前はどうだったのか。筆者が「拉致監禁をなくす会」(小出浩久代表)の役員であったころ聞いた話では、統一教会側は拉致監禁をなくす会のビラ配りなどの活動に冷淡であり、迷惑顔をしたことさえあったという。さらにその以前には江利川安栄会長時代(1998年~1999年)に「監禁二五〇日証言『脱会屋』の全て」の著者鳥海豊氏を事務局長として「拉致・監禁による強制改宗被害者の会」が組織されたことがあったが、これも鳥海氏が統一教会本部内に事務局を置きたいと申し出たところ、断られたという経緯がある。つまりは統一教会本部は当時それほど本腰を入れていたわけではないのだ。これを統一教会による拉致監禁キャンペーンと呼ぶことができるのかどうか。
以上の点から見たとき、後藤氏の提訴を統一教会による拉致監禁キャンペーンの一環であるとする宮村氏の答弁書は、明らかに誤謬を犯していると言える。少しでも調べれば分かる誤りを、答弁書の根幹に据えるということは、あってはならないことである。
(2)後藤さんを統一教会の活動に追い込んだのはだれか。
宮村氏の答弁書は
(3)後藤さんの人生を奪ったことへの反省はないのか?
12年5カ月もの間、マンションの一室に閉じ込めた例は他にあるのだろうか。世間を驚かせた新潟の少女監禁事件でさえも9年である。この12年5カ月を、宮村や家族はどう思っているのだろうか。ブログ「統一教会脱会請負人・牧師『宮村峻・高澤守』研究」の連載「検察審査会議決通知書を読む 」を読むと理解できるが、宮村氏陣営はこの12年5カ月を、後藤氏が自分で閉じこもった期間とし、逆に妹がその閉じこもりの被害者であるかのような表現をしているのである。何とも、いやはやである。
以上三点ほど感じたことを記して見たが、とてもまともな感覚で書かれたと思えない。訴訟を通じて統一教会をつぶそうという意図が見え見えである。今後も裁判の行方を注視せざるを得ない。
もう一つ、この答弁書に添付された統一教会関連訴訟の内容が、後藤氏の受けた12年5カ月の拉致監禁と、どう関連があるのかというところも、疑問が生じるところである。別に稿を改めて、検証してみたい。
後藤徹氏が宮村峻・㈱タップらを相手取って提訴した拉致監禁訴訟を記録する本ブログで、宮村氏の答弁書の連載が終了した。答弁書の要点としては、まず第一に、以下の文面に見られるように、後藤氏陣営が主張する拉致監禁の事実について全否定している。
原告は、3項(3)エにおいて、被告宮村について、原告の滞在していた荻窪フラワーホーム804号室に来訪し、原告に対して、「非難、中傷、罵倒を原告に浴びせかけ」て、「棄教強要」をしたと、それ自体著しく事実に反する、抽象的な主張に終始するのみで、具体的な被告宮村の実行行為の内容及び損害との因果関係について、請求を根拠づける事実の主張及び法律上の主張はなく、主張自体失当である。
次に、この裁判について、宮村氏陣営は、以下の文面にあるように、統一教会の拉致監禁キャンペーンの一環と位置づけ、この目的のもとに提訴されたものとしている。
第3 被告宮村の主張
1 本件訴訟は、原告が所属する統一協会がその組織活動方針として展開している「拉致監禁」キャンペーンの象徴的事件として提起したものである。
4 折から2008年2月、マンションの室内に居すわり続けていた原告が、被告後藤隆らによってマンションの部屋の外に出されたことを奇貨として、これを拉致監禁キャンペーンの中心的事件にすることとし、多くの事実を歪曲、ねつ造して刑事告訴するに至った。
5 この刑事告訴については、平成21年12月9日不起訴となり、原告は検察審査会に申立したが、これも乙第1号証のとおり、不起訴相当の議決がなされている。
6 原告及び統一協会は、何としても「拉致監禁」キャンペーンを継続する必要があって、そのために本件訴訟を提起したのである。
宮村氏答弁書は後藤氏の提訴について本文の最後に「このような不当な目的に悪用するねらいで提起された本件訴訟」と位置づけ、速やかな棄却を主張。統一教会の霊感商法その他の裁判事例を多数掲げ、統一教会を悪く印象付けている。
一読して感じられる点は、以下の通りである。
(1)後藤さんの訴訟は、統一教会のキャンペーンの一環か?今回はこれらの点について検証してみたい。
(2)後藤さんを統一教会の活動に追い込んだのはだれか。
(3)後藤さんの人生を奪ったことへの反省はないのか?
(1)後藤さんの訴訟は、統一教会のキャンペーンの一環か?
一昨年夏以来の、後藤氏の訪米による米国著名宗教家への訴えかけや、ジュネーブでの人権委員会での報告、外国特派員記者クラブでの記者会見などの活動を見れば、一見、この宮村氏らの主張は的を射ているように見える。だが、米本和広氏の「火の粉を払え」ブログによると後藤氏の拉致監禁からの解放が2008年2月、宮村氏らに対する告訴が同年4月(拉致監禁by宮村の裁判記録)、同年6月荻窪警察署が後藤氏から告訴状を受理、といった流れを知ってみると、この統一教会キャンペーン説は明らかに誤りであることが理解できる。統一教会が後藤氏に積極的に肩入れし始めたのは、2009年夏に文鮮明師の四男文國進氏が号令をかけて以降である。つまり、後藤氏が宮村氏を提訴する動きはすでに統一教会が肩入れする前から始まっていたのである。
それより以前はどうだったのか。筆者が「拉致監禁をなくす会」(小出浩久代表)の役員であったころ聞いた話では、統一教会側は拉致監禁をなくす会のビラ配りなどの活動に冷淡であり、迷惑顔をしたことさえあったという。さらにその以前には江利川安栄会長時代(1998年~1999年)に「監禁二五〇日証言『脱会屋』の全て」の著者鳥海豊氏を事務局長として「拉致・監禁による強制改宗被害者の会」が組織されたことがあったが、これも鳥海氏が統一教会本部内に事務局を置きたいと申し出たところ、断られたという経緯がある。つまりは統一教会本部は当時それほど本腰を入れていたわけではないのだ。これを統一教会による拉致監禁キャンペーンと呼ぶことができるのかどうか。
以上の点から見たとき、後藤氏の提訴を統一教会による拉致監禁キャンペーンの一環であるとする宮村氏の答弁書は、明らかに誤謬を犯していると言える。少しでも調べれば分かる誤りを、答弁書の根幹に据えるということは、あってはならないことである。
(2)後藤さんを統一教会の活動に追い込んだのはだれか。
宮村氏の答弁書は
原告は昭和62年11月末から、平成7年9月までの間、統一協会の献身者として、その組織活動に専念する生活をしていた。原告は、信者らが共同生活をするいわゆる「ホーム」と称する施設で起居し、一般社会の職に就かず、組織の指示に従ってビデオセンターヘの誘い込みや、物品販売等の組織活動に従事していた。と統一教会の悪いイメージと後藤氏を結びつけようと躍起となっている。しかし、後藤氏の訴状によると、実は後藤氏が統一教会の活動に熱心にならざるを得なかったのは、拉致監禁のためであることが分かる。訴状によれば
原告は、ホームに帰ってから後は、職場に戻ると再度家族等から拉致されるかも知れないという恐怖心があったため、戻ることができず、大成建設を退社するを余儀なくされた。その後は、信徒組織において献身的に伝道活動や教育活動に従事するようになった。つまり第一回の拉致監禁の後献身したのは、職場に戻ると再度家族らから拉致されるかもしれないという恐怖心からであった。2008年2月に解放された後はどうであろうか。解放されたのは後藤氏44歳の冬のことであった。つまり、人生の大事な時期を逸した後藤氏は、もはや通常の一般人のようにこの先社会生活を充実させることが難しい状況であったと推測される。彼がそれからの生涯をどう過ごすかということを考えてみた場合、統一教会内で拉致監禁被害者の立場を地固めする以外に、道はなかったものと推測するのが自然である。つまり、就職先の大成建設を辞めざるを得なかったのも、解放後の人生行路を統一教会寄りにせざるを得なかったのも、すべて拉致監禁の結果なのである。
(3)後藤さんの人生を奪ったことへの反省はないのか?
12年5カ月もの間、マンションの一室に閉じ込めた例は他にあるのだろうか。世間を驚かせた新潟の少女監禁事件でさえも9年である。この12年5カ月を、宮村や家族はどう思っているのだろうか。ブログ「統一教会脱会請負人・牧師『宮村峻・高澤守』研究」の連載「検察審査会議決通知書を読む 」を読むと理解できるが、宮村氏陣営はこの12年5カ月を、後藤氏が自分で閉じこもった期間とし、逆に妹がその閉じこもりの被害者であるかのような表現をしているのである。何とも、いやはやである。
以上三点ほど感じたことを記して見たが、とてもまともな感覚で書かれたと思えない。訴訟を通じて統一教会をつぶそうという意図が見え見えである。今後も裁判の行方を注視せざるを得ない。
もう一つ、この答弁書に添付された統一教会関連訴訟の内容が、後藤氏の受けた12年5カ月の拉致監禁と、どう関連があるのかというところも、疑問が生じるところである。別に稿を改めて、検証してみたい。
2011-05-01(Sun)
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No title
どちらがうそを言っているのか!それを、本当に知りたい!当事者ではない、一般の人は、そう思ってこの裁判を、注目しているのに違いない。強制的に監禁されなかったのに、12年5ヶ月も、監禁されたと、うそを言っているのか、それとも、12年5ヶ月も、強制的に監禁したにもかかわらず、そのようなことはなかったとうそを言っているのか!
本来ならば、裁判という過程を経なくても、自分に、真実であるならば、うそを言っている方は、じぶんでよくわかるはずである。どちらかが、うそを言っているのは、明らかだ。この、うそを言っている人の、人間性は、信頼できない。たとえ、どのような、知恵や、知識を駆使して、裁判官を説得しても、真実は、決して、消すことは出来ない。真実は、必ず現れる。
裁判に、持ち込まなければならなかったのは、どちらかが、うそを言っているからだ。両方の側が、すべてを知ることは難しい、人間である裁判官に訴える前に、自分の心が知る,善である天のまえに、自分の心を正してから、この裁判に、臨んでほしい!!
本来ならば、裁判という過程を経なくても、自分に、真実であるならば、うそを言っている方は、じぶんでよくわかるはずである。どちらかが、うそを言っているのは、明らかだ。この、うそを言っている人の、人間性は、信頼できない。たとえ、どのような、知恵や、知識を駆使して、裁判官を説得しても、真実は、決して、消すことは出来ない。真実は、必ず現れる。
裁判に、持ち込まなければならなかったのは、どちらかが、うそを言っているからだ。両方の側が、すべてを知ることは難しい、人間である裁判官に訴える前に、自分の心が知る,善である天のまえに、自分の心を正してから、この裁判に、臨んでほしい!!
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鳥海です。拉致監禁による強制改宗被害者の会が発足したのは、1994年の5月のことです。事実の間違いがあってはと思って指摘しておきます。この記事を今ようやく見ました。失礼しました。
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