YK氏の陳述書-偽装脱会は自分自身で考えることから逃げる行為だと主張するYK氏
後藤徹氏にお茶をぶっかけたYK氏の2つ目の陳述書を紹介します。
この陳述書は、富澤裕子氏の陳述書とMK氏の陳述書(2)の反論です。
富澤氏が大阪で高沢牧師の指導を受けていた家族に監禁されていたとき、その監禁現場に宮村氏とともに訪れた元信者の1人が、YK氏なのです。
YK氏は、富沢氏の陳述書に書かれている高圧的な「宮村像」を否定し、宮村氏をとてもいい人のように述べています。また、富澤氏が偽装脱会によって、監禁からのがれたことを「富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまった」と断じています。
また原告側の証人でもあるMK氏の述べていることにも"意図的なごまかし"と反論しています。
MK氏が統一教会に戻ってしまったこともMK氏の両親が不仲であったことが一因であるかのように述べています。
監禁され、逃れるために仕方なく偽装脱会をすれば、自分自身で考えることから逃げたと言い、一度は完全に脱会した人が統一教会に戻れば、それはその人の両親のせいだという。
何とも勝手な言い分のように思いますが、まずは全文読んで見てください。
第1 甲第51号証の富澤裕子陳述書について
1.2012年3月29日付で作成されたという、富澤裕子さんの陳述書 (甲第51号証) を読みました。その3ページ (2) に書かれている、1998年3月9日頃に富澤祐子さんが住んでいたマンションヘ訪ねていった2人の元統一協会信者のうちのひとりとは私のことです。
富澤さんの陳述書の中で書かれていたことが、その時実際に起きたことと余りにも違う内容なので、ここにその時のことを思い出す限り正確に記します。
2.98年3月大阪へ
1998年3月6日(金)に新大阪駅の近くのホテルで今回霊感商法対策弁護士連絡会主催の集会が開かれました。私たち元信者はこの集会に参加しました。この集会に参加して統一協会の実態を知り、また多くの弁護士さんたちの考えを聞くことが私たちの気持ちの整理にもなると考えたのです。宮村さんも参加していました。全国から集まった弁護士さんや宗教者、元信者など200人程集まった充実した会だったと記憶しています。元信者の体験談を聞いていると自分の体験と重なって、涙なしでは聞けませんでした。
その会場で私は初めて高沢牧師を紹介されました。翌日は、せっかく大阪に来たのだからと少し大阪神戸を見物しました。その時、一緒だった宮村さんから、「高沢牧師が話し合いをしている富澤さんという信者がいるらしいので会ってみるんだけと一緒に会ってみますか。」と聞かれたので、私は 「いいですよ」と応じて、行くことにしたのです。
たしかに一緒に行ったのは宮村さんと私だけではなく、もう一人元信者がいました。しかし、富澤さんと会った時の状況は、甲51の富澤さんの陳述とは全く事実と違っています。
3. 初対面の富澤さんと
まず3ページ13行目、「宮村は部屋に人って間もなく、『タバコを吸いたいんだが、窓は空いているのか? 』と言い、窓のかぎを確かめるふりをしました。」とありますが、宮村さんは、初対面の人に対してそんな無作法なことをする人ではありません。 もし宮村さんがそんなことをする人ならぱ、私も宮村さんの人間性を疑います。実際今までこの後藤徹さんを含め、多くの人たちの話し合いをしてきた宮村さんの信者との話し合いに私は何回も一緒にいっていますので、これは全くの嘘だということは、断言できます。
宮村さんは、この時、「初めまして、宮村です。」と自己紹介をしました。そして 「いろいろ辛い思いをして大変でしたね」と声をかけていました。
その時の宮村さんは、富澤さんが「お仕事は何をしていらっしゃるんですか?」とか 「どこにお住まいですか?」とか、「ご家族はいらっしやいますか?」などと質問してきたので、それにひとつひとつゆっくり丁寧に答えていました。
また富澤さんが、このマンションに来た経過を聞いて、「仮にそれが本当だとしたら辛かったね。」と話しかけていました。そして、「この子たちは仲間を大切に思っているんです。どうしてそんなことをしたんですか?」と富澤さんのご両親を叱っていました。 このとき富澤さんは、「あまり親を責めないでください。私も悪かったんです」と言って少し困ったような表情をしていました。私は仮に自分が富澤さんと同じ状態だったらそんな風には言えないだろうと富澤さんが親思いの優しい人なのだと思ったのをよく覚えています。
4. 話し合いの中で何が
しばらくして宮村さんがご家族に、「タバコ吸ってもいいですか?」と聞き、お父さんが 「どうぞ。」 と言われたので、宮村さんがタバコを吸いました。
この陳述書でも他の統一協会の信者達が提出している陳述書もそうですが、宮村さんは甲51に書かれているような乱暴なしゃべり方はしません。宮村さんは、たとえ相手がご自分より年下の方でもまして統一協会の信者との話し合いの時には、必ず敬語を使っています。富澤さんの陳述書にあるような言葉づかいをしているのを私は見たことも聞いたこともありません 。
その富澤さんが、3ページ17行目「宮村は私が言葉をはさむことができないほど、とても厳しい口調で統一協会批判をしました。そして、一方的に自分の言いたいことをまくし立てては、ブイつと横を向いて私と視線を合わせないという仕草を何度もしました。」と記述していること等については一体いつの誰の事を言っているのだろう、本当にあの富澤さんが書いた文章だろうかと思ってしまうほど事実とかけ離れています。
5. この時、宮村さんは、「統一協会批判」などしていません。ただ、3ぺージ25行目にある 「統一協会では、仕事も結婚も自由でほない」という指摘はしていたと思います。私も自分の話し合いの時に、宮村さんから同じように言われましたからよく覚えていますが、この発言は、富澤さんが書いているような意味ではありません。
「統一協会では、すべてがアベルの命令により決定きれ、基本的人権が守られていない。それゆえ、恋愛の自由も、結婚の自由も、住居選択の自由も、すべてアベルの指示と許可がないと決められない。あなたはそれをどう思いますか。」
と言う話でした。その問いかけをうけた時、富澤さんは、ただ黙っていました。
6. 富澤さんの対応
またその後の文章も、全くの嘘です。
4ページ1行目から8行目に、書いてある内容も違います。この時、富澤さんは 「分かりました。もうやめます。」とはいっていません。私たちが、統一協会での経験を話し、宮村さんが、「苦しみはみな同じだよ。貴方も良く考えてごらん。自分でしっかり確認すればいいのだから。」と言った時に、富澤さんは涙ぐんでいました。その後、しぼらく私たちが話している時に、宮村さんが、富澤さんに、「3人だけで話してみますか。この人たちも、統一協会で、貴方と同じ苦しみを経験してきたのだから。僕もご両親も外に出ているから。」と話されると、富澤さんは、小さな声ではっきりと「はい。お願いします。」といいました。
私たちは、統一協会にいた時、どんな生活をしていたか、だまされて、違法を違法と考えないように教育されていたことや、祝福がどれだけでたらめだったかといったことなどを話し合いました。富澤さんは、最初に会った時、目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度で私たちと目を合わせないようにしていた時と違って、この時は、落ち若いて穏やかにご自分の事も話していましたした。
7. その後の話し合いの内容
4ページ18行目から20行目の話も事実とちがいます。
宮村さんは、30分ほどして戻ってきましたが、私たちが楽しそうに話している様子を見て、「3人で統一協会に戻る相談をしていたの?」と明るい言葉で冗談話をしかけて来ました。
そして16行目は、富澤さんが、「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる。どうしたらいいかしら」などと宮村さんに聞いた時の宮村さんの返事も違って書かれています。
宮村さんは、「鳥取教会の人たちや相対者の事を思うからこそ、統一協会がどのような団体で何をしようとしているのか、しっかり確認し、そのうえでまた考えたらどうですか。その時にはどんな協力でもします。」と話していました。
また、この時、宮村さんが後藤徹さんのことを話したことはありません。当時私も後藤徹さんのところに何回か行って話していましたが、実質的な話し合いにならないことが続いていました。初めて会った信者の人と別の話し合い途中の人のことを話すはずがありません。もし、この時、後藤徹さんのことを宮村さんが話したとしたら「えっ」と驚くのですが、そんな話は富澤さんにはしませんでした。」
8.富澤さんの本意とは思えない
富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません。今またこういう嘘のことを書かれた文書に署名押印までさせる統一協会に激しい怒りを覚えます。これは韓国で生活している富澤さんが書いたのではなく、日本で対策の責任者をしている信者たちのした作文に富澤さんが署名押印したのだと思います。
第2 甲第86号証のMK陳述書について
甲86のMK陳述書にも、意図的なごまかしと間違いがあります。
1.11ページについて
ここでMKさんは、私の乙ハ第7号証の2の次の陳述部分を引用しています。
「(3) 「私はMKさんが後藤徹さんの部屋へ行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした」(6頁17行~19行目) 。
これに対しMKさんはこう反論しています。
「しかし、1998年の5月まで南京錠等で施錠をしていた事実や、常時窓を開閉不能にしていた事実は、被告らも認めていたはずです。YKさんは、監禁を否定することにやっきになる余り、むきになって事実を否定したものとしかいいようがありません (中略) 私が後藤さんの部屋に行った時でさえ、玄関ドアは開閉に手間取るほど厳重に施錠されていました。(中略) 南京錠や鎖がなかったのなら、1回行こうが何回行こうが判るはずはない一方、存在する以上、1回行けば判るはずだからです。」
まず、私は、MKさんが、後藤徹さんの部屋に行ったということを知らないと言っただけです。また1998年5月まで南京錠で施錠されていたかどうかについて、私は知りません。私が行った時には、施錠などしていなかったと言っているだけです。
MKさんは、ドアが施錠してった根拠として、「開閉に手間取るほど。」とも述べていますが、勿論外から中が見えるはずがありません。南京錠や鎖が特別にかかっていたというのは、これは単なる推測のはずです。部屋から出るときに、南京錠でも見たり、誰かがそれを解錠しているのを見ていれば、陳述書にそう書くはずですが、そんな記述もありません。要するにMKさんは南京錠を実際に見たわけでないことを甲第86号証で認めているのではありませんか。
そしてMKさんは、甲第86号証の11ぺージで、『2年間煮え切らない態度でいる人が 「昂然とした表情」とは、どうやったらできるのでしょうか。』とも言っていますが、そんなことは、私にはわかりません。私は、後藤さんの態度がそう見えたから陳述しただけです。
『また、「馬鹿」を始めとした悪口を言うのは、NIさんがすでに自ら陳述しています』とありますが、これは、NIさんの陳述書をもう一度読んで頂くしかありません。この部分でMKさんが引用しているような内容でないことは明らかです。
2
(1) また、甲第86号証の12ぺージの2行目以下で、MKさんは、
「これが、私が後藤さんの部屋に行っていないと主張する根拠なのでしょうか。私が嘘をついていると自信を持って言うことのできるという根拠なのでしょうか。」と書いています。
この部分についてもう一度説明致します。私は、MKさんが 「後藤さんの部屋には行っていない。」と陳述したのではありません。MKさんが、「後藤さんの部屋に行ったことは知らない。」と言ったのです。
(2) 更に、甲第86号証の12ページの5行目以下でMKさんは、
「また信仰をなくすことと、親子関係が悪いこととにどのような相関関係があるのでしょうか。親子関係が悪いままで心の整理ができなかったというのは、何を指摘しているのでしょうか。」と述べています。
これは、親の元に帰るのが嫌だから、逃げ出した先が統一協会だったという意味です。M家の内情について、ここで多くを語ることは控えますが、ともかく、MKさんのご両親はあまりにも不仲で、双方子供であるMKさんやMMさんへの配慮がほとんどできていない実情でした。このため実家に戻って両親の生活に入ってみても平穏でいられないとMKさんから聞きました。私はMKさんからそんな悩みを再三聞き、これではまた統一協会に戻ってしまいかねないと本当に心配していたのです。ご両親とも色々話し合いましたが、結局家庭内でのトラブルを、きちんと解決できていなかったと思ったのです。当時その話をMKさんと沢山話しました。それが 「信仰をなくすこと」によってそれ以後の 「家族でのMKさんの居所」につながるということです。
(3) また、甲第86号証の12ページの4項のすぐ上に
「後藤徹さんが統一協会の信者だからといって、12年間も監禁していいなどということはあり得ないからです。」と書かれています。
この部分もMKさんの創作です。そんなことは誰も言っていないし、私の陳述書のどこにそんなことが書いてあるのでしょうか。
(4) 甲第86号証の12ページ 「最後に」のところで私がMKさんの 「監禁部屋」に私がよく訪れたとか、「宮村さんに聞いてみたら」などと助言したと書いています。
この個所で言う、スタッフ (そんな人はいませんが) ではなく、話し合いに行っていた元信者の中の一人が、何を隠そう私、YKです。この時は、ご両親、特に父親について、色々な愚痴や文句や不平をMKさんからこぼされて、私には、対処できない、複雑な家庭問題だと思っていました。このため私は 「宮村さんにも相談してみたらどうかしら」と助言しました。しかし、当時私はMKさんが監禁されているという認識はありませんでした。
また、MKさんの実弟のMMさんの陳述書にも、話し合いの場の設定の仕方がやり過ぎだと言っていると聞きましたが、ご家族で決めてなさったことを他人のせいのように言うこと自体理解できません。また、この弟MMさんとMKさんの二人で西央マンションに行ったというのですから、そのままご自宅に帰ればよかったのではないでしょうか。本当にMKさんの陳述は一体誰が書いているのと言いたくなるほど不自然なことだらけです。
ーお知らせー
すでにご存知の方が多いと思いますが、3/11 いよいよ裁判は尋問に入ります。
トップバッターは原告の後藤徹氏です。10時から17時までの間、後藤氏は数人の弁護士を相手に1人で尋問を受けることになります。1人で5時間以上の長時間に渡って尋問を受けるというのはあまりないことだそうです。
是非とも応援よろしくお願いいたします。
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この陳述書は、富澤裕子氏の陳述書とMK氏の陳述書(2)の反論です。
富澤氏が大阪で高沢牧師の指導を受けていた家族に監禁されていたとき、その監禁現場に宮村氏とともに訪れた元信者の1人が、YK氏なのです。
YK氏は、富沢氏の陳述書に書かれている高圧的な「宮村像」を否定し、宮村氏をとてもいい人のように述べています。また、富澤氏が偽装脱会によって、監禁からのがれたことを「富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまった」と断じています。
また原告側の証人でもあるMK氏の述べていることにも"意図的なごまかし"と反論しています。
MK氏が統一教会に戻ってしまったこともMK氏の両親が不仲であったことが一因であるかのように述べています。
監禁され、逃れるために仕方なく偽装脱会をすれば、自分自身で考えることから逃げたと言い、一度は完全に脱会した人が統一教会に戻れば、それはその人の両親のせいだという。
何とも勝手な言い分のように思いますが、まずは全文読んで見てください。
陳述書 (その2)
(甲51富澤、甲86MKの両陳述書について)
(甲51富澤、甲86MKの両陳述書について)
2012年7月6日
YK
YK
第1 甲第51号証の富澤裕子陳述書について
1.2012年3月29日付で作成されたという、富澤裕子さんの陳述書 (甲第51号証) を読みました。その3ページ (2) に書かれている、1998年3月9日頃に富澤祐子さんが住んでいたマンションヘ訪ねていった2人の元統一協会信者のうちのひとりとは私のことです。
富澤さんの陳述書の中で書かれていたことが、その時実際に起きたことと余りにも違う内容なので、ここにその時のことを思い出す限り正確に記します。
2.98年3月大阪へ
1998年3月6日(金)に新大阪駅の近くのホテルで今回霊感商法対策弁護士連絡会主催の集会が開かれました。私たち元信者はこの集会に参加しました。この集会に参加して統一協会の実態を知り、また多くの弁護士さんたちの考えを聞くことが私たちの気持ちの整理にもなると考えたのです。宮村さんも参加していました。全国から集まった弁護士さんや宗教者、元信者など200人程集まった充実した会だったと記憶しています。元信者の体験談を聞いていると自分の体験と重なって、涙なしでは聞けませんでした。
その会場で私は初めて高沢牧師を紹介されました。翌日は、せっかく大阪に来たのだからと少し大阪神戸を見物しました。その時、一緒だった宮村さんから、「高沢牧師が話し合いをしている富澤さんという信者がいるらしいので会ってみるんだけと一緒に会ってみますか。」と聞かれたので、私は 「いいですよ」と応じて、行くことにしたのです。
たしかに一緒に行ったのは宮村さんと私だけではなく、もう一人元信者がいました。しかし、富澤さんと会った時の状況は、甲51の富澤さんの陳述とは全く事実と違っています。
3. 初対面の富澤さんと
まず3ページ13行目、「宮村は部屋に人って間もなく、『タバコを吸いたいんだが、窓は空いているのか? 』と言い、窓のかぎを確かめるふりをしました。」とありますが、宮村さんは、初対面の人に対してそんな無作法なことをする人ではありません。 もし宮村さんがそんなことをする人ならぱ、私も宮村さんの人間性を疑います。実際今までこの後藤徹さんを含め、多くの人たちの話し合いをしてきた宮村さんの信者との話し合いに私は何回も一緒にいっていますので、これは全くの嘘だということは、断言できます。
宮村さんは、この時、「初めまして、宮村です。」と自己紹介をしました。そして 「いろいろ辛い思いをして大変でしたね」と声をかけていました。
その時の宮村さんは、富澤さんが「お仕事は何をしていらっしゃるんですか?」とか 「どこにお住まいですか?」とか、「ご家族はいらっしやいますか?」などと質問してきたので、それにひとつひとつゆっくり丁寧に答えていました。
また富澤さんが、このマンションに来た経過を聞いて、「仮にそれが本当だとしたら辛かったね。」と話しかけていました。そして、「この子たちは仲間を大切に思っているんです。どうしてそんなことをしたんですか?」と富澤さんのご両親を叱っていました。 このとき富澤さんは、「あまり親を責めないでください。私も悪かったんです」と言って少し困ったような表情をしていました。私は仮に自分が富澤さんと同じ状態だったらそんな風には言えないだろうと富澤さんが親思いの優しい人なのだと思ったのをよく覚えています。
4. 話し合いの中で何が
しばらくして宮村さんがご家族に、「タバコ吸ってもいいですか?」と聞き、お父さんが 「どうぞ。」 と言われたので、宮村さんがタバコを吸いました。
この陳述書でも他の統一協会の信者達が提出している陳述書もそうですが、宮村さんは甲51に書かれているような乱暴なしゃべり方はしません。宮村さんは、たとえ相手がご自分より年下の方でもまして統一協会の信者との話し合いの時には、必ず敬語を使っています。富澤さんの陳述書にあるような言葉づかいをしているのを私は見たことも聞いたこともありません 。
その富澤さんが、3ページ17行目「宮村は私が言葉をはさむことができないほど、とても厳しい口調で統一協会批判をしました。そして、一方的に自分の言いたいことをまくし立てては、ブイつと横を向いて私と視線を合わせないという仕草を何度もしました。」と記述していること等については一体いつの誰の事を言っているのだろう、本当にあの富澤さんが書いた文章だろうかと思ってしまうほど事実とかけ離れています。
5. この時、宮村さんは、「統一協会批判」などしていません。ただ、3ぺージ25行目にある 「統一協会では、仕事も結婚も自由でほない」という指摘はしていたと思います。私も自分の話し合いの時に、宮村さんから同じように言われましたからよく覚えていますが、この発言は、富澤さんが書いているような意味ではありません。
「統一協会では、すべてがアベルの命令により決定きれ、基本的人権が守られていない。それゆえ、恋愛の自由も、結婚の自由も、住居選択の自由も、すべてアベルの指示と許可がないと決められない。あなたはそれをどう思いますか。」
と言う話でした。その問いかけをうけた時、富澤さんは、ただ黙っていました。
6. 富澤さんの対応
またその後の文章も、全くの嘘です。
4ページ1行目から8行目に、書いてある内容も違います。この時、富澤さんは 「分かりました。もうやめます。」とはいっていません。私たちが、統一協会での経験を話し、宮村さんが、「苦しみはみな同じだよ。貴方も良く考えてごらん。自分でしっかり確認すればいいのだから。」と言った時に、富澤さんは涙ぐんでいました。その後、しぼらく私たちが話している時に、宮村さんが、富澤さんに、「3人だけで話してみますか。この人たちも、統一協会で、貴方と同じ苦しみを経験してきたのだから。僕もご両親も外に出ているから。」と話されると、富澤さんは、小さな声ではっきりと「はい。お願いします。」といいました。
私たちは、統一協会にいた時、どんな生活をしていたか、だまされて、違法を違法と考えないように教育されていたことや、祝福がどれだけでたらめだったかといったことなどを話し合いました。富澤さんは、最初に会った時、目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度で私たちと目を合わせないようにしていた時と違って、この時は、落ち若いて穏やかにご自分の事も話していましたした。
7. その後の話し合いの内容
4ページ18行目から20行目の話も事実とちがいます。
宮村さんは、30分ほどして戻ってきましたが、私たちが楽しそうに話している様子を見て、「3人で統一協会に戻る相談をしていたの?」と明るい言葉で冗談話をしかけて来ました。
そして16行目は、富澤さんが、「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる。どうしたらいいかしら」などと宮村さんに聞いた時の宮村さんの返事も違って書かれています。
宮村さんは、「鳥取教会の人たちや相対者の事を思うからこそ、統一協会がどのような団体で何をしようとしているのか、しっかり確認し、そのうえでまた考えたらどうですか。その時にはどんな協力でもします。」と話していました。
また、この時、宮村さんが後藤徹さんのことを話したことはありません。当時私も後藤徹さんのところに何回か行って話していましたが、実質的な話し合いにならないことが続いていました。初めて会った信者の人と別の話し合い途中の人のことを話すはずがありません。もし、この時、後藤徹さんのことを宮村さんが話したとしたら「えっ」と驚くのですが、そんな話は富澤さんにはしませんでした。」
8.富澤さんの本意とは思えない
富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません。今またこういう嘘のことを書かれた文書に署名押印までさせる統一協会に激しい怒りを覚えます。これは韓国で生活している富澤さんが書いたのではなく、日本で対策の責任者をしている信者たちのした作文に富澤さんが署名押印したのだと思います。
第2 甲第86号証のMK陳述書について
甲86のMK陳述書にも、意図的なごまかしと間違いがあります。
1.11ページについて
ここでMKさんは、私の乙ハ第7号証の2の次の陳述部分を引用しています。
「(3) 「私はMKさんが後藤徹さんの部屋へ行ったことは聞いていません。一回行って、「特殊な施錠」があったということが判るはずがありません。現に私が再三行った時は「特殊な施錠」なんてありませんでした」(6頁17行~19行目) 。
これに対しMKさんはこう反論しています。
「しかし、1998年の5月まで南京錠等で施錠をしていた事実や、常時窓を開閉不能にしていた事実は、被告らも認めていたはずです。YKさんは、監禁を否定することにやっきになる余り、むきになって事実を否定したものとしかいいようがありません (中略) 私が後藤さんの部屋に行った時でさえ、玄関ドアは開閉に手間取るほど厳重に施錠されていました。(中略) 南京錠や鎖がなかったのなら、1回行こうが何回行こうが判るはずはない一方、存在する以上、1回行けば判るはずだからです。」
まず、私は、MKさんが、後藤徹さんの部屋に行ったということを知らないと言っただけです。また1998年5月まで南京錠で施錠されていたかどうかについて、私は知りません。私が行った時には、施錠などしていなかったと言っているだけです。
MKさんは、ドアが施錠してった根拠として、「開閉に手間取るほど。」とも述べていますが、勿論外から中が見えるはずがありません。南京錠や鎖が特別にかかっていたというのは、これは単なる推測のはずです。部屋から出るときに、南京錠でも見たり、誰かがそれを解錠しているのを見ていれば、陳述書にそう書くはずですが、そんな記述もありません。要するにMKさんは南京錠を実際に見たわけでないことを甲第86号証で認めているのではありませんか。
そしてMKさんは、甲第86号証の11ぺージで、『2年間煮え切らない態度でいる人が 「昂然とした表情」とは、どうやったらできるのでしょうか。』とも言っていますが、そんなことは、私にはわかりません。私は、後藤さんの態度がそう見えたから陳述しただけです。
『また、「馬鹿」を始めとした悪口を言うのは、NIさんがすでに自ら陳述しています』とありますが、これは、NIさんの陳述書をもう一度読んで頂くしかありません。この部分でMKさんが引用しているような内容でないことは明らかです。
2
(1) また、甲第86号証の12ぺージの2行目以下で、MKさんは、
「これが、私が後藤さんの部屋に行っていないと主張する根拠なのでしょうか。私が嘘をついていると自信を持って言うことのできるという根拠なのでしょうか。」と書いています。
この部分についてもう一度説明致します。私は、MKさんが 「後藤さんの部屋には行っていない。」と陳述したのではありません。MKさんが、「後藤さんの部屋に行ったことは知らない。」と言ったのです。
(2) 更に、甲第86号証の12ページの5行目以下でMKさんは、
「また信仰をなくすことと、親子関係が悪いこととにどのような相関関係があるのでしょうか。親子関係が悪いままで心の整理ができなかったというのは、何を指摘しているのでしょうか。」と述べています。
これは、親の元に帰るのが嫌だから、逃げ出した先が統一協会だったという意味です。M家の内情について、ここで多くを語ることは控えますが、ともかく、MKさんのご両親はあまりにも不仲で、双方子供であるMKさんやMMさんへの配慮がほとんどできていない実情でした。このため実家に戻って両親の生活に入ってみても平穏でいられないとMKさんから聞きました。私はMKさんからそんな悩みを再三聞き、これではまた統一協会に戻ってしまいかねないと本当に心配していたのです。ご両親とも色々話し合いましたが、結局家庭内でのトラブルを、きちんと解決できていなかったと思ったのです。当時その話をMKさんと沢山話しました。それが 「信仰をなくすこと」によってそれ以後の 「家族でのMKさんの居所」につながるということです。
(3) また、甲第86号証の12ページの4項のすぐ上に
「後藤徹さんが統一協会の信者だからといって、12年間も監禁していいなどということはあり得ないからです。」と書かれています。
この部分もMKさんの創作です。そんなことは誰も言っていないし、私の陳述書のどこにそんなことが書いてあるのでしょうか。
(4) 甲第86号証の12ページ 「最後に」のところで私がMKさんの 「監禁部屋」に私がよく訪れたとか、「宮村さんに聞いてみたら」などと助言したと書いています。
この個所で言う、スタッフ (そんな人はいませんが) ではなく、話し合いに行っていた元信者の中の一人が、何を隠そう私、YKです。この時は、ご両親、特に父親について、色々な愚痴や文句や不平をMKさんからこぼされて、私には、対処できない、複雑な家庭問題だと思っていました。このため私は 「宮村さんにも相談してみたらどうかしら」と助言しました。しかし、当時私はMKさんが監禁されているという認識はありませんでした。
また、MKさんの実弟のMMさんの陳述書にも、話し合いの場の設定の仕方がやり過ぎだと言っていると聞きましたが、ご家族で決めてなさったことを他人のせいのように言うこと自体理解できません。また、この弟MMさんとMKさんの二人で西央マンションに行ったというのですから、そのままご自宅に帰ればよかったのではないでしょうか。本当にMKさんの陳述は一体誰が書いているのと言いたくなるほど不自然なことだらけです。
ーお知らせー
すでにご存知の方が多いと思いますが、3/11 いよいよ裁判は尋問に入ります。
トップバッターは原告の後藤徹氏です。10時から17時までの間、後藤氏は数人の弁護士を相手に1人で尋問を受けることになります。1人で5時間以上の長時間に渡って尋問を受けるというのはあまりないことだそうです。
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2013-03-05(Tue)
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YKよ
0FF]宮村さんは、たとえ相手がご自分より年下の方でもまして統一協会の信者との話し合いの時には、必ず敬語を使っています。[/色]
うっそでぇ。
宮村の爺さんが敬語?笑わせるんでねぇ。
聞いたぞ。宮村の爺さんに電話をしたことある元信者に。
会ったこともなく、初電話だったのに、ぶっきらぼうで横柄だったとさ。
おまけに、かけたのは元信者の方だったのに、その元信者の用件はろくに聞かず、自分の質問だけして、さっさと切ったと。
富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません。[/色]
YKよ、
お主も偽装脱会しなかったか?
しかも、偽装脱会した後、お主の元でカインをしていた奴に言わなかったか?
[太字]「反牧は嘘ばかり言う。」[/色]
偽装脱会が自分の頭で考えることから逃げたとのたまうなら、お主も自分の頭で考えることから逃げたということだな。
自分の頭で考えることから逃げた奴が、カインに何指導してたんだか?
MKさんのご両親はあまりにも不仲で、双方子供であるMKさんやMMさんへの配慮がほとんどできていない実情でした。このため実家に戻って両親の生活に入ってみても平穏でいられないとMKさんから聞きました。私はMKさんからそんな悩みを再三聞き、これではまた統一協会に戻ってしまいかねないと本当に心配していたのです[/色]。
両親が不仲だとなしてMKが統一に戻るわけ?
わからん。
統一を拉致監で脱会した奴の両親が、不仲という家庭はけっこうあるだろ。
脱会したものの実家に居場所がないという奴もけっこういるだろ。
そいつら、統一に戻ってるか?
自分の知り合いにも、拉致監で脱会したものの、親子関係が悪く、実家に居場所がない奴いるけど、「統一にはぜってぇ戻んね。」と言ってるぜ。
それに某説得者が言ってた。
「統一の間違いが本当にわかれば、たとえ、統一教会のホームの隣に住んでいても統一教会には行かない。」
統一がどんなとこかわかれ理の嘘っぱちがわかれば、脱会後、どんな悲惨な人生になろうとも、それを統一脱会のせいとも思わない。統一にどんな甘い言葉をささやかれても統一には戻んね。
当たり前~♪当たり前~♪当たり前体操~♪
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8A%E5%89%8D%E4%BD%93%E6%93%8D&tid=d10dc801419234e33ad8b41fc681e01f&ei=UTF-8&rkf=2
しかるに、宮村の爺さんは、統一の間違いをきちんられなかったってこと。
統一に戻るような説得しかできなかったってこと。
誰かが言ってたよな。
宮村はへっぽこって。
それは大当たりだな。
そんなへっぽこを「素晴らしい」と思っているYKは、結局、文鮮明をメシヤと仰いでいた信者時代と何も変わってないってこと。
南無阿弥陀仏。
うっそでぇ。
宮村の爺さんが敬語?笑わせるんでねぇ。
聞いたぞ。宮村の爺さんに電話をしたことある元信者に。
会ったこともなく、初電話だったのに、ぶっきらぼうで横柄だったとさ。
おまけに、かけたのは元信者の方だったのに、その元信者の用件はろくに聞かず、自分の質問だけして、さっさと切ったと。
富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません。[/色]
YKよ、
お主も偽装脱会しなかったか?
しかも、偽装脱会した後、お主の元でカインをしていた奴に言わなかったか?
[太字]「反牧は嘘ばかり言う。」[/色]
偽装脱会が自分の頭で考えることから逃げたとのたまうなら、お主も自分の頭で考えることから逃げたということだな。
自分の頭で考えることから逃げた奴が、カインに何指導してたんだか?
MKさんのご両親はあまりにも不仲で、双方子供であるMKさんやMMさんへの配慮がほとんどできていない実情でした。このため実家に戻って両親の生活に入ってみても平穏でいられないとMKさんから聞きました。私はMKさんからそんな悩みを再三聞き、これではまた統一協会に戻ってしまいかねないと本当に心配していたのです[/色]。
両親が不仲だとなしてMKが統一に戻るわけ?
わからん。
統一を拉致監で脱会した奴の両親が、不仲という家庭はけっこうあるだろ。
脱会したものの実家に居場所がないという奴もけっこういるだろ。
そいつら、統一に戻ってるか?
自分の知り合いにも、拉致監で脱会したものの、親子関係が悪く、実家に居場所がない奴いるけど、「統一にはぜってぇ戻んね。」と言ってるぜ。
それに某説得者が言ってた。
「統一の間違いが本当にわかれば、たとえ、統一教会のホームの隣に住んでいても統一教会には行かない。」
統一がどんなとこかわかれ理の嘘っぱちがわかれば、脱会後、どんな悲惨な人生になろうとも、それを統一脱会のせいとも思わない。統一にどんな甘い言葉をささやかれても統一には戻んね。
当たり前~♪当たり前~♪当たり前体操~♪
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8A%E5%89%8D%E4%BD%93%E6%93%8D&tid=d10dc801419234e33ad8b41fc681e01f&ei=UTF-8&rkf=2
しかるに、宮村の爺さんは、統一の間違いをきちんられなかったってこと。
統一に戻るような説得しかできなかったってこと。
誰かが言ってたよな。
宮村はへっぽこって。
それは大当たりだな。
そんなへっぽこを「素晴らしい」と思っているYKは、結局、文鮮明をメシヤと仰いでいた信者時代と何も変わってないってこと。
南無阿弥陀仏。
話し合いの途中?
<富澤さんが、このマンションに果た(ママ)経過を聞いて、「仮にそれが本当だとしたら辛かったね。」と話しかけていました。そして、「この子たちは仲間を大切に思っているんです。どうしてそんなことをしたんですか?」と富澤さんのご両親を叱っていました>
これは富澤さんを無理矢理、連れてきたことに関するやり取りではないかと思いますが、宮村が叱るほどに、強引なやり方で富澤さんを“話し合い”の場に連れて行ったことを物語っていますね。
<富澤さんは、最初に会った時、目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度で私たちと目を合わせないようにしていた時と違って、この時は、落ち若いて穏やかにご自分の事も話していましたした>
「目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度」で「目を合わせないようにして」…。これは自ら“話し合い”に臨んでいる人の態度でしょうかねぇ?
<富澤さんが、「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる。どうしたらいいかしら」などと宮村さんに聞いた時の宮村さんの返事も違って書かれています。
宮村さんは、「鳥取教会の人たちや相対者の事を思うからこそ、統一協会がどのような団体で何をしようとしているのか、しっかり確認し、そのうえでまた考えたらどうですか。その時にはどんな協力でもします。」と話していました>
「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる」富澤さんは、電話一本かけることもしなかった、ってことですよねぇ。普通、誰だって電話一本入れるところですが…。電話一本かけさせてもらえなかった、ってことでしょ。
<当時私も後藤徹さんのところに何回か行って話していましたが、実質的な話し合いにならないことが続いていました。初めて会った信者の人と別の話し合い途中の人のことを話すはずがありません>
「話し合いの途中の人」…。話し合いの途中、って何なんでしょうか?
一方は途中でマンションを出て、後藤さんはマンションから一歩も出ないで、話し合いを中断???
<富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません>
マンションで話し合う=自分自身で考える、マンションから出る=自分自身で考えることから逃げる、って?
“話し合い”の場で、自分自身で考えていた人が、明くる日、それをやめて逃げていった??
なんですかね、この論理は。
<当時私はMKさんが監禁されているという認識はありませんでした>
YKさんは、この詭弁を繰り返して逃げ切るしかないのでしょうね。裁判での追及から、宮村からの要求から、自分の良心の呵責から。
これは富澤さんを無理矢理、連れてきたことに関するやり取りではないかと思いますが、宮村が叱るほどに、強引なやり方で富澤さんを“話し合い”の場に連れて行ったことを物語っていますね。
<富澤さんは、最初に会った時、目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度で私たちと目を合わせないようにしていた時と違って、この時は、落ち若いて穏やかにご自分の事も話していましたした>
「目をぎらぎらさせて落ち着きなくあたりを伺うような態度」で「目を合わせないようにして」…。これは自ら“話し合い”に臨んでいる人の態度でしょうかねぇ?
<富澤さんが、「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる。どうしたらいいかしら」などと宮村さんに聞いた時の宮村さんの返事も違って書かれています。
宮村さんは、「鳥取教会の人たちや相対者の事を思うからこそ、統一協会がどのような団体で何をしようとしているのか、しっかり確認し、そのうえでまた考えたらどうですか。その時にはどんな協力でもします。」と話していました>
「鳥取教会の人たちや相対者の事が気になる」富澤さんは、電話一本かけることもしなかった、ってことですよねぇ。普通、誰だって電話一本入れるところですが…。電話一本かけさせてもらえなかった、ってことでしょ。
<当時私も後藤徹さんのところに何回か行って話していましたが、実質的な話し合いにならないことが続いていました。初めて会った信者の人と別の話し合い途中の人のことを話すはずがありません>
「話し合いの途中の人」…。話し合いの途中、って何なんでしょうか?
一方は途中でマンションを出て、後藤さんはマンションから一歩も出ないで、話し合いを中断???
<富澤さんが偽装脱会と言う方法で自分自身で考えることから逃げてしまったことは、残念でなりません>
マンションで話し合う=自分自身で考える、マンションから出る=自分自身で考えることから逃げる、って?
“話し合い”の場で、自分自身で考えていた人が、明くる日、それをやめて逃げていった??
なんですかね、この論理は。
<当時私はMKさんが監禁されているという認識はありませんでした>
YKさんは、この詭弁を繰り返して逃げ切るしかないのでしょうね。裁判での追及から、宮村からの要求から、自分の良心の呵責から。
監禁下の富澤さんにとって、偽装脱会は唯一の選択肢
いろいろとありますが、1箇所だけ。
> 富澤さんが偽装脱会と言う方法で
> 自分自身で考えることから
> 逃げてしまったことは、
> 残念でなりません。
偽装脱会は、自由を奪われた人が、自由を取り戻すための、監禁された者に残された、ほとんど唯一の選択肢だと思います。「自分自身で考えること」 は、物理的にも、精神的にも、なんら拘束のない場所でしかありえません。
YKさんは、富澤さんの居住の状況について、言及すべきです。自由が拘束されていたのかどうか言及すべきです。
富澤さんの件に関しては、2002年2月22日に広島高等裁判所松江支部で、「監禁を明確に認めた」判決が下っています。
http://www7.ocn.ne.jp/~murou/
スコープの■強制棄教・強制脱会 > ● 統一教会信者の〃鳥取~大阪・監禁裁判〃 > 「監禁」を認めた広島高裁判決 (2002年2月25日)
> 富澤さんが偽装脱会と言う方法で
> 自分自身で考えることから
> 逃げてしまったことは、
> 残念でなりません。
偽装脱会は、自由を奪われた人が、自由を取り戻すための、監禁された者に残された、ほとんど唯一の選択肢だと思います。「自分自身で考えること」 は、物理的にも、精神的にも、なんら拘束のない場所でしかありえません。
YKさんは、富澤さんの居住の状況について、言及すべきです。自由が拘束されていたのかどうか言及すべきです。
富澤さんの件に関しては、2002年2月22日に広島高等裁判所松江支部で、「監禁を明確に認めた」判決が下っています。
http://www7.ocn.ne.jp/~murou/
スコープの■強制棄教・強制脱会 > ● 統一教会信者の〃鳥取~大阪・監禁裁判〃 > 「監禁」を認めた広島高裁判決 (2002年2月25日)
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