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OT氏の陳述書ー後藤氏の解放当日の様子を語る

この陳述書は、統一教会の本部職員であり、後藤氏を保護したOT氏によるものです。
2008年2月10日、監禁現場から放り出され後、約10キロの道のりのほとんどを歩いて統一教会の本部までたどり着いた後藤徹氏の当日の様子が記された貴重な証言です。


このOT氏は、クリスチャン出身の統一教会員であり、拉致監禁から脱出し教会に戻ってきた教会員のケアもしてきたということです。後藤氏が解放される10年前にも、拉致監禁被害者から東京で3年間監禁されている人がいるということ、その人物が後藤という名前であるという情報を得ていたのです。

後藤氏が本部教会に到着し保護を求めたところ、当初は不審者扱いでした。
ですが、守衛が判断を仰いだのがこのOT氏だったのは本当に幸運でした。
守衛から知らせを受けたOT氏の頭の中で、10年前に知らされた3年間監禁されている人物とすぐさまリンクしたのです。

OT氏はどれほど驚いたことでしょうか?

もしも・・・・・

このOT氏と連絡が取れず、後藤氏が不審者のまま門前払いを食わされていたらどうだったでしょう。
凍死していたかもしれません。

ちなみに2008年2月10日の東京の天候

天気
晴れ
気温 最高気温 10.8℃
最低気温 0.5℃
露点温度 -3.8℃
湿度 37%
風 風向 北北西
風速 4m/s

またその翌日の2月11日の天候

天気
晴れ
気温 最高気温 10.4℃
最低気温 2.6℃
露点温度 -4.2℃
湿度 36%
風 風向 南
風速 2m/s


監禁生活によって皮下脂肪がほとんどなくなってしまったうえに防寒具もない後藤氏の肉体にはあまりにも過酷すぎる寒さだったでしょう。




陳 述 書


東京地方裁判所民事第12部 御中
2012年11月6日
東京都渋谷区松涛1-1-2
世界基督教統一神霊協会
****

 私は世界基督教統一神霊教会(以下、「統一教会」と言う)において****を務める者です。2008年2月10日(日)夜、後藤徹さんが監禁から解放された後、助けを求めて統一教会本部に来られたとき、私は守衛からの連絡を受けて本部に駆け付け、本部にてご本人とお会いしました。そのときの状況について陳述いたします。
 なお、私は統一教会と出会う前、福音派の信仰をもつクリスチャンでした。今回の後藤さんの監禁事件は1966年以降、長年に亘って一部のキリスト教牧師やその関係者らの関与によって引き起こされてきた「脱会強要事件」の流れを汲む事件であり、そこにはキリスト教信仰の問題が深くからんでいます。
その参考として、最初に、私のキリスト教信仰の体験談、統一教会に導かれたときの経緯について述べた上で、後藤さんが本部を訪ねて来られた状況、および脱会強要活動の問題点について述べておこうと思います。

1.略歴
私は1957年**月**日、●●県●●市にて、父・●●、母・●●の間に、三人兄弟の三男として生まれました。
父は、私が6歳の時に、長兄は、私が9歳の時にそれぞれ死去しました。長兄は森永ひ素ミルク中毒の被害者で、幼児期から虚弱体質でしたが、友人が川で溺れているのを見て助けようと川に飛び込み、共に溺死しました。相継ぐ二つの不幸を通じ、私は人間の「死」について深刻に悩みました。
家にあった聖書を読むなか、「イエスを信じれば永遠の命が与えられる」という内容に心惹かれ、キリスト教の信仰を持つようになりました。

高校1年の時、●●の市街地で伝道するキリスト教伝道師を見て、自分から声をかけました。伝道師は、隣市の●●●●●キリスト教会(現:●●●●●教会)所属で、私はその熱意に感動し、その教会に通うようになりました。その年の暮れ、信徒仲間から「韓国に偽キリストが現れている」との話しを聞き、聖書の預言(マタイ伝24章4節~28節)が成就しているのだと思いました。このとき信徒仲間が語っていた「偽キリスト」とは、今にしてみれば文鮮明師のことを言っていたのだと思います。

翌1974(昭和49)年4月14日のイースター、私は●●●●牧師から洗礼を受けました。この年、統一教会に関する印象深い出来事がありました。「キリスト新聞」紙上で、キリスト新聞主筆の武藤富男氏が、統一教会の小山田秀生氏と「『原理』と語る」と題し、計8回にわたって対談したことです。
それを機に、日本のキリスト教界全体に反統一教会の気運が巻き起こったという印象があります。その火つけ役が、故・森山諭牧師でした。
森山牧師は、『統一協会のまちがいについて』という批判書を1966年5月に出版し、一貫して反統一教会活動に取り組んできた牧師です。
私は「偽キリストが現れたので、再臨も近い」という確信をもち、終末意識が高揚して、信仰心が燃えあがりました。私も市街地で伝道し、友人等を誘って自分の教会に連れて来たりしました。
韓国人宣教師を招いた集会があり、そこに知人を勧誘している姿が、熱狂的に見えたのでしょう。基督兄弟団に所属するクリスチャンが「あなたは統一教会では?」と勘違いし、統一教会批判をしてきました。すぐ誤解は解けましたが、彼女の批判は、統一教会は「洗脳している」「淫らな集団」「物売りをしている」「殺人も平気でする」という森山牧師の批判を受け売りしたものでした。

翌1975(昭和50)年は「昭和ヨベルの年」と呼ばれ(注:ヨベルの年とは、旧約聖書レビ記25章に基づいて、50年に1度の大恩赦の年を迎えるというもの。昭和50年をそれに見立てた)、私は伝道に励みました。同年春、●●●県●●●市で「聖会」があり、それに参加したところ、私は、聖会で聖霊体験をし、また、悪霊現象を目の当たりにして、神の実在だけでなく、サタンが実在することを確信しました。
この実体験から、私は「牧師になろう」と思い、牧師に相談すると「そうしたらいい」との指導を受けました。しかし、親族の反対で悩んだ末に、ゆくゆくは神学校へ行くと決意し、教会信徒が駅で見送るなか、1976年3月、大阪へ上阪しました。その1年半後に統一教会と出会いました。
大阪で読んだ1976年3月21日号「クリスチャン新聞」第2面に、森山牧師の記事が掲載されていました。再臨待望同志会が「統一協会問題対策セミナー」を開催したことの報告でした。その記事を以下、抜粋します。

「統一協会は理論と実践の二重構造によって信徒を支配している。このような信徒をどのようにすれば説得できるのか。また福音に導けるのか。……説得にあたっては信徒一人に対して四時間から、八時間くらい連続して聖書解釈を中心に、対話を続ける必要がある……統一協会と正統派の教会の争点となる聖書の箇所――贖罪論・メシヤ論・再臨論――などの聖句を読ませ、まず彼らにその学んだ解釈を語らせてから、改めて、その聖句の前後関係を示し、原理福音の解釈の誤りを指摘しながら、彼らの思考力が働くように誘導する……
聖書解釈の比較ができるようになると、彼らの確信していた教理も空中分解し、中には泣き出す者も出てくる。この時点で彼らの精神状態は虚脱状態、混迷状態に陥る。それが少し冷静になるのに一日か二日かかるが、その後に、正しい福音を伝えると、みごとに救いに導かれる。それから彼らの原理から受けた後遺症がとり除かれるまでにはひと月ぐらいかかる。その間は、その信徒を牧師の手許に置いて導く必要がある。この結果、回心した彼らはその後、りっぱなクリスチャンとなり逆に統一協会の信徒を救い出そうと伝道を始めるようになる」

 このセミナーの参加者は、再臨待望同志会の有志、統一教会問題に関わる教職信徒、被害者父母の会役員、元信者ら計47人であり、彼らを森山牧師が指導したと書かれています。荻窪栄光教会で森山牧師による最初の監禁事件が起きた1966年から10年後であり、「信徒救出を焦点に」と銘打ち、全国から50人規模の人員を集めてセミナーを開催するなど、すでに組織的に動いていた事実がわかります。

 森山牧師の統一教会信者を説得するポイントは、記事を読んで分かるように、正統と言われる聖書解釈をぶつけることで行われています。いわゆる、正統異端論争です。牧師をして説得活動に駆り立てる動機とは、「異端審問」と同様の意識です。森山諭著『現代日本におけるキリスト教の異端』(CLC暮らしの光社)には、取り組む動機として、「彼らがキリスト教を名乗らなければ、問題にする必要もありません。しかし、彼らがキリスト教を名乗り、文鮮明を再臨のキリストに担ぎあげ、聖書をでたらめに解釈して人々を惑わすので、放っておけないのです」(132ページ)と書かれてあります。要するに、「統一教会の教義が許せない」との動機のもとに、森山牧師は統一教会信者を監禁してまで脱会説得を行っていたのです。後藤さんの裁判で被告となっている宮村峻氏は、高校の恩師であったYY氏の娘、YCさんを統一教会から脱会させるために森山牧師に相談したのがきっかけで、森山牧師に協力して拉致監禁・脱会強要活動に従事するようになっていますが、この森山牧師の脱会説得の手法が上記のようなものであった以上、森山牧師の方法を学んで自らも脱会説得をするようになった宮村氏の脱会説得の手法も、必然的に当初は統一教会の教義批判がメインとなりましたし、その目的は棄教以外の何ものでもありません。なお、宮村氏は自身の陳述書で、「この話し合いもあくまで、信者本人が私と話し合うことを了解していない限り成立するものではありません」などと述べています(乙ハ2号証)。しかし宮村氏は、1984年11月にYCさんを荻窪栄光教会の牧師館に拉致監禁する際には自らもワゴン車に同乗して連行を手伝っており、信者の了承など当初から念頭にはないのです。

さて、私は、1977年9月の深夜、●●●●●●●駅前路上で伝道していた統一教会信者と出会いました。すれ違い様に「イエス様が…」と通行人に話しかけている声が聞こえ、すぐ伝道だと分かり、感動しました。その後、毎晩伝道する姿を目撃し、「燃える信仰の人だ」との親近感から、「よき信仰の交わりをしよう」と思い立ち、自分から声をかけ、数日後、統一教会を訪ねました。
統一教会の教えの学びを深めるなか、従来のキリスト教の教理と「統一原理」を比較した場合の相違点が問題となりました。特に、大きかった問題が、三位一体および十字架予定と贖罪論、さらに再臨論の問題でした。これらはまさに、森山牧師が問題視していた「正統異端論争」のポイント部分でした。

その後、私は統一教会に対し「結論」を出すため、格闘しました。そして、深く考察するなか、「文師や統一教会は不当な誹謗中傷を受けている」と感じ、やがて2000年前のイエス様の生涯と、文師の半生が、あまりにもよく似ている事実に気づき、何度も涙しました。その体験から、私は統一教会の正統性を確信するようになりました。
キリスト教の福音派(保守的信仰)は、再臨とは、2000年前に復活したイエス様そのものが天の雲に乗って、エルサレムに来られることだと信じます。

ゆえに、韓国で、女の腹から生まれた文師は、その一点で「偽キリスト」のレッテル貼りをされています。「異端」と目される人物に対する攻撃は、キリスト教の異端審問を見れば分かるように、激しい憎悪がぶつけられます。まして、偽キリストに対する攻撃はもっと激しいものとなります。それは、「偽キリスト=サタン」という信仰的判断に基づくものです。私は、福音派の信仰をもつクリスチャンとして、そこに向けられる「憎悪」がよく理解できます。

私は、イエス様と文師の類似性を、個人の信仰体験で掴み取ったため、揺るぎない信仰を持つに至りましたが、そうでない人は、私を「サタンに魅入られた人物」と思い、敵意をもつことでしょう。
後藤徹さんは、絶対的信仰を持っていたがゆえに12年5か月の監禁に耐え、信仰を保持しましたが、個人の深い実体験がなければ、多くの人は牧師がぶつける聖書解釈などによって信仰を奪われることでしょう。なぜなら、牧師らは文師や統一教会に対する激しい「憎悪」をもって臨み、奸智に長けた説得が行われるからです。いわば、その毒素に冒され、多くの信者の心霊が麻痺し、棄教させられるのだと言えます。

なお、私はこのように一般のキリスト教の信仰をもち、統一教会を異端視していた背景がありながら、それでも統一原理を学んで真理と確信し、文師を再臨のメシヤとして受け入れた背景から、統一教会に反対する者たちが主張する「マインド・コントロール理論」の虚偽性がよく分かります。一般のキリスト教の信仰をもった者でも、冷静に偏見無くして統一原理を学べば、それが真理だということは理性的に十分理解できるのです。日本や海外のキリスト教牧師の中に統一原理を真理として受け入れた人たちも大勢います。これはキリスト教の信仰のなかった人の場合も同じです。彼らは、理性的に統一原理が真理だと確信したからこそ統一教会に入会したのです。「最初に統一教会と明かされなかったから信仰をもった」というのは、統一教会に対する損害賠償請求を殊更に正当化し、あるいは、信者を脱会させるための拉致監禁活動を弁明するために反対派が作出したご都合主義的な理論でしかありません。

2.TYさんとの面談
私は、元々クリスチャンであった立場から統一教会に導かれたため、反対派の牧師らが統一教会の何を問題視し、どういう観点で批判し、どのように信仰を奪おうとするのかが手に取るように分かる面があります。そのため、監禁による脱会説得から逃れてきた信者の信仰面をケアしてきました。
被害者に共通した感想は、「発狂しそうだった」「死んでしまいたい衝動に駆られた」というものです。実際、監禁中に自殺を図り死亡した信者もいます。
逃れてきた人でケアした人のなかには、ドアのノックに怯え、監禁を思い出すだけで腰を抜かし、恐怖に震えて失禁してしまう人もいました。明らかなPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状でした。
特に、監禁が長期間に及んだ人に、前述の症状が見られることが多く、心が痛みました。「焦らなくていいですよ」と言いながら、時間を掛けてケアをするように心掛けました。

1998年9月15日、高澤守牧師から約1年3か月間、新大阪のマンションで脱会強要を受けたTYさんが監禁から脱出してきました。
彼女と東京で会い、時間を掛けて信仰面のケアをしました。脱出当初は心身共に疲れておられる様子で、痛々しい姿でした。しかし、一つずつ疑問を整理していくと、「統一原理は真理だった」「文師は再臨主だった」と涙を流し、凛とした態度になりました。自分が信じるものを破壊し不信させようとする行為が、どれほどまでに人の心を傷つけるのかを実感いたしました。
TYさんは、私と会ったとき、開口一番「東京に3年間、監禁されている人がいます」と訴えました。彼女の説明では、宮村峻氏が新大阪のマンションに説得に来たとき、その横柄な態度に悔しくなって泣いたそうですが、彼女の泣く姿をみて宮村氏は、「もう墜ちてるじゃないか」と言ったそうです。それを聞いて彼女は偽装脱会を決意したそうです。「脱会」させることが目的なので、説得者が「この信者は脱会した」と判断しなければ、監禁から解放されません。彼女は、さらに数ヶ月監禁された後にようやく解放されました。

彼女に対し宮村氏は「説得し始めてもう2年半になるのに、まだ抵抗している奴がいる。後藤という奴だ」と言ったそうです。彼女は、「私は1年3か月でこんなに大変だった。もし後藤さんから脱会届けが来ていないのなら、もう3年ほどになっている」と訴えました。そして「後藤さんは、後藤3兄弟と呼ばれていた人です」とも言いました。
私はそれを聞いて大変驚き、「後藤さん大丈夫かな。発狂でもしてなければいいが」と思い、その名前が強烈に印象に残り、ずっと頭の中から離れませんでした。

3.TYさんから聞いた「10年前の話」の記憶と「後藤徹氏」
2008年2月10日(日)夜、8時40分頃と記憶しています。本部の守衛から私の携帯に連絡が入り、「今、変な人が本部に来ている。13年近く監禁されていて、今日解放されたと言っています。どうしましょうかね」と伝えてきました。守衛の言葉には、明らかに不審者として疑っている様子が感じ取れました。

しかし、私は「13年」の言葉に、即座にひらめくものがありました。TYさんの言葉が忘れられなかったからです。TYさんから話を聞いたのが10年前。その時点で3年だった。ならば今、13年になっていると思いました。
そこで、守衛に「その人は、何という名前ですか」と聞きました。守衛は不審者と思ったためか、名前を聞いていませんでした。守衛は「ちょっと待ってください」と言い、電話口の向こうで「お名前は?」と聞いていました。私には、かすかに「後藤と申します」と聞こえたように思え、守衛が「後藤さんです」と伝えてきました。私は感動し、思わず大声で「その人は本者です。鳥取教会襲撃事件の被害者、TYさんが言っていた人です」と叫びました。
私は、落ち着かねばと自分に言い聞かせ、まず、守衛に「後藤さんをすぐ保護してあげてください。私はこれから本部に向かいます。それから、後藤さんは食事をしていますか?」と尋ねたところ、しばらくして守衛が「していないそうです」と言いました。私は「すぐコンビニで何か買って、食べてもらっていてください」とお願いし、着替えをしてから急いで電車に乗り、渋谷に向かいました。

私は、気持ちが高ぶると同時に、「後藤さんは、精神に異常を来してないだろうか」と不安に駆られました。もし、明らかに精神異常が見られた場合、どう対処しようか?とも考えました。後藤さんには失礼なことですが、真剣に心配しました。
2008年度は2月12日(火)が文師の満88歳の生誕日で、本部の責任者たちはほぼ全員、お祝いのために韓国に行っていました。
私は、13年目の監禁からの解放という、極めて重要な事件であること、および万一、後藤さんの心身に重大な事態が起こっていたらと心配し、韓国に行っているST総務局長(当時)に、渋谷の本部に向かう電車の中からメールし、その旨を伝えました。メールは21時18分発信で、次の文面です。

 「先程、松濤本部から連絡あり。13年間にわたって監禁され、脱会説得を受けていた3万双の兄弟が助けを求めて本部に来たそうです。名前は後藤さんです。鳥取襲撃事件で監禁されて逃げてきたTYさんの情報では、1998年に逃げてくる際に、高澤牧師と宮村峻が、すでに3年監禁して説得しているのに、抵抗して頑張っている後藤という男(反対派の間では後藤3兄弟と呼ばれ、3番目とのこと)がいると言っていたという情報がありました。今、直接会って事情を聞くために、私は本部に向かっています。直接確かめるまでは、確かなことは言えませんが、対応したT部長の情報では、足元もふらついて、体力も衰えている模様とのことです。祈りの協助をお願いいたします」

 メールの本文中、「3万双の兄弟」とあるのは、3万双の国際合同結婚式に参加した男性信者の意味です。また、「反対派の間では後藤3兄弟と呼ばれ、3番目とのこと」とあるのは、実際には2番目でしたが、メールした時点では、3番目と思い込んでいたため「3番目」と書いています。
この朗報は、韓国にいた大塚克己会長(当時)にもすぐ伝えられ、大塚会長は全体集会のとき、日本の責任者らの前で「13年間監禁されていた兄弟が無事解放されました」と語って声をつまらせ、涙を流したとのことです。

4.後藤徹氏の当時の状況
 私が渋谷の統一教会本部に到着したのは、夜9時35分頃だったと記憶しています。後藤さんは食事を食べ終わった後で、玄関を背にするかたちで応接室の椅子に座っていました。
私は「精神的に大丈夫か?」ということが一番心配でしたので、おそるおそる本人の前に座り、後藤さんに、まずTYさんの話をし、「後藤さんのことがすぐ分かった」旨を伝えました。
後藤さんは、監禁された経緯について話しました。監禁場所には、宮村峻氏が73回ほど説得にやって来たこと、および、親族らからの冷たい仕打ち、特に兄嫁から背中に氷を入れられたという話をしました。そして、「自分は食事制裁を受けていた」と言いました。そのとき、メニューの詳細を話してくれました。今ではよく覚えていませんが、とても毎日続けられるような食事ではない質素な内容でした。いつも決まったものしか出されず、朝は何々、昼は何々、夜は何々で、「一切お替わりはなし。腹が減って、とても辛かった」とのことでした。 

  後藤さんは、監禁中の食事制裁で辛かったことは、「大好きなアンパンが一切食べられなかったこと」、「カレーを作ったとき、強烈に食欲をそそる臭いなのに一切食べさせてもらえなかったこと」、また、「肉も一切食べられず、デザートも全く出なかったこと」等と語りました。そして、先程本部の守衛がコンビニで買ってきたものが、監禁中、食べたいと思っても食べることができなかった「カツカレー」「アンパン」「フルーツヨーグルト」であったそうで、後藤さんは「食べたかったもの全てが出され、神様を感じた」と言って声を詰まらせました。

また、荻窪のマンションから解放された後、行く宛てがなく歩いて本部まで来ようとしたこと、最後にどうしても動けなくなり、道も分からず困ったとき、2人目に声を掛けた女性が統一教会信者で、その人がタクシーを拾い、タクシー代を払ってくれたお陰で、ここまで辿り着くことができたこと、そうでなければ、自分は辿り着けなかったであろうことを話し、涙を流しました。

私は、きちんと自分の経緯を説明し、監禁期間中はどうだったのかをしっかり話すことのできる後藤さんの姿を見て、「精神には全く問題がない」と判断しました。ところが、後藤さんはこの時点で歩行困難になっており、トイレにも行けない状態でした。また、長期に亘る食事制限が肉体に及ぼす影響も心配でした。この時、後藤さんは、上はセーター3枚とトレーナー2枚を含む計7枚、下はジャージ2枚を含む計3枚と極端な厚着をしていたのですが、その厚着に気づかず、痩身状態が明確には分かりませんでした。歩けないことが判明した以外にも、後藤さんの身体にいかなる深刻な異変が起きているか、我々では判断がつきませんでしたし、夜中に異常を訴えても本部では対応できません。そこで、一心病院に連絡したところ、病院側ではすぐ来てもらって構わないとのことでした。そこで、自宅が一心病院から近い職員に同行してもらって、タクシーで一心病院に向かってもらいました。 

5.SKさんの消息と、彼女への電話連絡
後藤さんは、監禁される日の約2週間前の1995年8月25日、韓国ソウルで開催された36万双の国際合同結婚式に結婚相手として参加したSKさんの消息を心配していました。そこで私は、SKさんのことを調べました。彼女は、36万双の祝福から約3年半後の1999年2月、韓国ソウルで開催された3億6000万双の合同結婚式に参加して韓国の方と再祝福を受け、渡韓していることが分かりました。
その後、SKさんの連絡先も分かり、2008年9月に、彼女に電話しました。

彼女は最初、大変驚いた様子で絶句していましたが、後藤さんが無事に帰還したことに対して「本当に良かった。すごいことです」と素直に喜びました。
私は、1995年の祝福式参加後のSKさんの経緯を尋ねました。彼女は、「後藤さんはきっと監禁から帰還してこられるだろう」と思い、ずっと待っていたとのことでした。しかし、音信不通状態が続くなか、どこにいるのかさえも皆目見当もつかず、3年半もの月日が流れてしまったそうです。女性の場合は、高齢出産という問題があり、いつまでも無期限に待つわけにもいかなかったのだと思います。34歳を過ぎたSKさんは、教会の方の勧めもあって、ついに1999年2月、再祝福を受けたのでした。後藤さんの帰還を待つべきかどうか、彼女は苦渋の選択を迫られたのだろうと思いました。

彼女は、後藤さんの消息を知りたくて、1998年初秋、後藤さんの実家(東京都保谷市)を訪ねたとのことでした。閑静な住宅街で、後藤さんの家はひっそりと静まりかえり、人気がなかったそうです。

6.最後に
人類歴史に記録された戦争の主要な原因の一つに、宗教問題があります。諸宗教間で起こった戦争は、十字軍戦争に見るように血なまぐさいものでした。
諸宗教間においても、キリスト教はその母体であるユダヤ教から迫害されました。2000年を経た今も、ユダヤ教はイエス様をメシヤとは信じません。また、反対に、ユダヤ教徒はキリスト教徒から「キリスト殺し」の名のもとに、虐殺されたという悲惨な歴史があります。

ルターから始まるプロテスタント教会は、カトリック教会から異端とされ、迫害された経緯があります。このカトリックとプロテスタントの間で起こった30年戦争では、ドイツの人口が約1600万から600万人にまで激減する凄惨な結果となりました(ウォーカー著『キリスト教史③宗教改革』202頁)。
また、キリスト教はイスラームをサタン視し、反対にイスラームはキリスト教の“三位一体”は間違いだと言って痛烈に批判しました。それ以外にも、神仏論争があります。このように、宗教的信念をお互いに主張し合えば、終わりなき論争、果てしなき闘争となってしまいます。

 宗教的な真理を、監禁という閉じ込められた空間、拘束された環境で、どちらが正しいかを論争すること自体が、かつての“魔女狩り”の歴史的過ちを繰り返すものに他なりません。宗教的真理を究めるには、もっと開かれた拘束のない自由な環境で、幅広く対話をする必要があります。
 限られた神学的知識しか持たない一般の信者を相手に、キリスト教の専門家と言える牧師やキリスト教関係者らが、親族と組んで揚げ足取りの論争を行い、多数で責め立てて脱会するまで解放しないという脱会説得の手法は、「暴挙」以外の何ものでもありません。
 後藤さんの12年5ヶ月間にもわたる「監禁事件」の責任を追及することなく放置するなら、もはや日本は法治国家と言えなくなるでしょう。
 このような、法の及ばない空間での蛮行が、一刻も早く終わりを告げることを願うばかりです。
― 以上 ―



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2013-02-25(Mon)
 

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アンパン 

<監禁中、食べたいと思っても食べることができなかった「カツカレー」「アンパン」「フルーツヨーグルト」であったそうで、後藤さんは「食べたかったもの全てが出され、神様を感じた」と言って声を詰まらせました>

涙の出る話です。

神学的知識の乏しい後藤さんを取り囲んで「キリスト教の専門家と言える牧師やキリスト教関係者らが、親族と組んで」延々と追及。それでも信仰を棄てようとしない後藤さんに対して、“食事権”を牛耳る被告家族らが食事制裁。

ついには困り果て、最低気温 0.5℃の屋外に、一文無しで放り出した。

<後藤さんの12年5ヶ月間にもわたる「監禁事件」の責任を追及することなく放置するなら、もはや日本は法治国家と言えなくなるでしょう>

後藤さんは12年5ヶ月間、「アンパン」すら我慢して自分からマンションに「居座った」のか、外に出たくても「出してもらえなかった(監禁されていた)」のか、法治国家・日本の最高裁は責任ある判断をしなければならない。
2013-02-27 08:33 | みんな | URL   [ 編集 ]

勝利してください 

OT氏の陳述に感謝します。

>もしも、このOT氏と連絡が取れず、後藤氏が不審者のまま門前払いを食わされていたらどうだったでしょう。
凍死していたかもしれません<

本当に、そうだと思います。
普通だったら、10年も前に聞いたことなど、忘れてしまいます。即座に後藤さんのことを思い浮かばれて、愛する子を救わんとされる神がOT氏に働かれたと思います。それに、彼が元クリスチャンであったということが、不思議です。
公判まで、11日です。健康に気をつけて、勝利を信じてがんばってください。
お祈り申し上げます。
2013-02-28 04:09 | 灯 | URL   [ 編集 ]

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プロフィール
拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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