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後藤徹氏の準備書面(12)その2ー宮村氏をおいて他に「監禁マニュアル」を作成し,指導できる人物はいない。

間が空いてしまいましたが、後藤徹氏の準備書面(12)のその2をご紹介します。
先日、ご紹介した宮村氏の準備書面(第4)に対する反論です。
宮村氏の準備書面では原告の主張は驚くべきねつ造と断じていますが、それに対して、今回の書面は、その1に引き続き、監禁マニュアルを作成したのは宮村氏をおいて他にはいないという主張を展開しています。


後藤徹氏の準備書面(12)の構成
第1 被告宮村が統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関与するに至った経緯
第2 被告宮村の準備書面(第4)に対する反論等
第3 被告松永の準備書面(5)に対して
青字が今回アップしたもの


第2 被告宮村の準備書面(第4)に対する反論等
1 「1」「(3)」に対して
 被告宮村は原対協の事務を担当したものであるが,同会に主催者側として積極的に参加し,集まった全国の牧師等を指導したのであって,「傍聴」したものではない。

2 「2」に対して
 被告宮村は,1987年10月頃には,既に杉並区内の複数のマンション,アパートの一室等に統一教会信者を監禁し,脱会強要を行っていたものであり,1987年9月に原対協の会合が開催された頃には,被告宮村の手法は成功率が高いことで牧師等の間でも評判となっていたものである。そうであればこそ,各地の牧師等は被告宮村の手法を習得しようとして東京の荻窪で開催された原対協の会合にわざわざ地方から集まってきたのであり,「マニュアル」(甲98の3)も,被告宮村が牧師等を指導するために作成したものである。原対協の会合に参加した牧師等,被告宮村以外の参加者の中には(甲96号証の2「5」),「マニュアル」を作成し,指導できる人物はいない。

「マニュアル」(甲98の3)等の資料は,被告松永らによって拉致監禁,脱会強要の被害を受けた統一教会信者が,偽装脱会中に新津教会に通わされるようになり,1988年4月頃,被告松永から資料としてコピーを受け取ったものである。原本を持ち出したものではない。
 「マニュアル」(甲98の3)の記載内容は一義的に明らかであり,何ら曲解などない。これら証拠によって,「拉致監禁との主張は統一教会側がキャンペーンの一環として行っているもので実在しない」との被告ら主張の虚偽性は一層明らかとなっている。

3 「3」に対して
 (1) 「(1)」に対して
 「マニュアル」(甲98の3)の内容は体系化され,統一教会信者を拉致監禁するにおいて必要にして十分な内容をもっており,会合における各人のランダムな発言をメモした程度のものではない。他方,「いざ説得の時のために」(1枚目本文2行目),「それで,4人~6人でとり囲む必要があるのです」(5枚目7行~8行)など,会場における発言をそのまま記載したと見られる臨場感のある記載もあり,後で回想してまとめたものではない。同メモは会場における被告宮村の指導内容を発言通りに記録したものである。

(2) 「(2)」に対して
 甲98の3に記された内容は,被告宮村や被告松永が長年にわたって実践してきた拉致監禁,脱会強要の手法の基礎となったものである。「マニュアル」が作成されたのは1987年9月頃であるが,特に被告宮村が荻窪栄光教会から訣別し,独自に統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動を開始するようになって以降,その態様は益々熾烈を極めるものとなって行くのである。

ア 「ア」に対して
 当時,親族が拉致監禁を準備している気配を感じ警戒するに至った統一教会信者らは,実家に帰宅することを恐れるようになっていた。そこで,水茎会に参加していた父兄にとっての最大の関心事は,いかにして信者を実家におびき寄せるかであった。この点,「マニュアル」には,「本人の願うことをしていくならば必ず出てくる」「いざ説得の時のために」などと,脱会説得に向けて統一教会信者をおびき出すべきことがあからさまに記されているのである。

イ 「イ」に対して
 被告宮村以外の参加者は全員神学者,牧師,副牧師,執事などいずれも聖職者ばかりであるが(甲96号証の2),「ひと暴れさせて逃げられないことを自覚させる」などという発想は,こうした聖職者から出てくる発想ではない。学生時代に全共闘の活動を熱心に行い,脱会説得の手法が暴力的なことで知られる被告宮村以外にはこうした発想はあり得ないのである。ちなみに,被害弁連に今も所属する伊藤芳朗弁護士は,被告宮村がその乱暴な手法の故に,結局牧師等からも疎まれるに至った事実を述べている(甲107号証7頁下から10行~8頁2行)。被告宮村は,あくまでも「被告宮村の発想に程遠い」などと主張するのであれば,甲96号証の2に掲載された参加者等のうちの一体誰が「ひと暴れさせて逃げられないことを自覚させる」などというキリスト者にあるまじき暴力的発言をしたのか明らかにすべきである。

ウ 「ウ」に対して
 前記「イ」同様,被告宮村の発想である。被告宮村は「警察の介入はむしろ歓迎すべきこと」などと述べる。これは,YCの手記に見られるように,警察が信者を監禁中の親族側の肩を持つことを意味している(甲125号証No32の8行~No35の5行)。しかし,逮捕監禁,脱会強要という法に触れる行為をしている以上,警察官によって必ずしも同じ対応を期待できるとは限らない(現に警察官によって解放された事例がある)のであるから,警察の介入を警戒していたであろうことに疑いの余地はない。

エ 「エ」に対して
 被告宮村等は,統一教会信者の親族等が被告宮村等の指導に絶対的に従うようになるまでは,その信者の拉致監禁には着手しない。被告宮村の共著である『親は何を知るべきか』(甲24)においても,OFの家族は「どんなことでもできます」と,被告宮村に何度も誓いを立てさせられているのである(同188頁4行)。統一教会信者の家族等が被告宮村に絶対的に従うようにならない限り脱会説得には応じない,とするのが被告宮村の断固たる方針である。

オ 「オ」に対して
 「手配人員数」について,被告宮村は,「このような形式的な人数あわせですむことではない」と述べる。確かに,状況に応じては,ここに書かれた「5~6人」では足りないこともあるのであって,被告宮村による拉致監禁の被害者の中には,20人程度の多数によって拉致監禁された者もいるのである(甲27号証小出浩久陳述書3頁9行,甲18号証TY「監禁250日『脱会屋の全て』」14頁8行~9行,甲50号証TY陳述書2頁19行~21行)。

カ 「カ」に対して
 被告宮村は誤りであるとか,記憶にないとか,不可解であると述べる。しかし,この「マニュアル」に記されたことに比べ,被告宮村が荻窪栄光教会と訣別後に実際に行ってきた態様は更に違法性が高い。『親は何を知るべきか』(甲24号証)の175頁以下を「マニュアル」と比較して見れば,そのことは明らかである。OFの手記によれば,同人の兄は,脱会説得のため連れて来られたマンションにて,OFらに対して「信頼していたのに,裏切られた」(同183頁末行~184頁1行),「勝手に連れて来て」(同185頁10行),「このマンションも見ればわかります。改宗に使う部屋でしょ」(同187頁6行),「こんなことをしてよいと思っているのか!訴えてやる!」(同189頁2行~3行),「みんなが裏切ってうそをついて,ここへ連れて来た。信じられない。立ち直れない」(同191頁12行),「あの人(宮村さん)がやれと言ったから<断食を>やるんだ。そうじゃなければ出られない」(同192頁)などと発言し,OFの兄が「ここから出る!」と言って立ち上がると,家族全員で拘束して脱出を阻んでいる(同189頁13行~14行)。一方,被告宮村は,部屋の状況に激怒したOFの兄が障子を蹴り壊したとの報告をOFから受けるや,家族を挙げて本人を押さえつけ,腕にかみついてでも拘束するよう厳命しているのである(同187頁7行~188頁末行)。また,被告宮村は,OFの兄に対し「五年でも十年でも整理がつくまで,ここにいなさい」などと言渡し(同189頁12行~13行),OFの兄が抗議のハンガーストライキ(断食)を決行すると,40日間断食した信者もいたので10日くらいは大丈夫などと余裕をもって答えるなど(同195頁6行~7行),監禁された信者が長期断食をしようが何をしようが,頑として監禁から解放しない。こうした手法を見れば,被告宮村が実際に行ってきた態様は「マニュアル」以上に違法性が高いことが明らかである。

キ 「キ」に対して
 被告宮村は,「脱会したか否かの判定」は本人のことを最もよく知っている家族がすればよいことであるなどと述べる。
しかし,宮村の共著『親は何を知るべきか』(甲24)において「マインド・コントロールから本人がいつ解放されるか,そしてそれはどうしたら確認できるのか。とても重要なことですが,答えは,残念ながら明らかにできません」と述べている(144頁16行~末行)。即ち,家族では判定できないということを前提に,信者の脱会判定は,被告宮村等,脱会カウンセラーの専権事項としているのである。したがって,「脱会したか否かの判定」は本人のことを最もよく知っている家族がすればよいなどという主張は,被告宮村の認識とは正反対の主張である。

 そして,被告宮村が「残念ながら明らかにできません」と同書で述べていた脱会判定基準こそが,この「マニュアル」には明記されているのである。


(3) 「(3)」に対して
 被告宮村は,信者と家族はそれぞれ個別の事情を抱えているので,脱会カウンセリングにマニュアルはあり得ないなどと述べる。しかしながら,個別事情如何に関わらず共通する部分もあるからこそ「マニュアル」にして他の牧師等を指導したのである。実際,「マニュアル」に記された方法は,信者の個別事情如何にかかわらず実行可能な内容ばかりである。

4 「6」に対して
(1)「(1)」に対して
 被告宮村は,高澤が証言する全国霊感商法対策協議会について,「何かの思い違い」であるとか,「実在しない団体」などと主張する。しかしながら,東京で会合が開催される際の開催場所として高澤が証言する日本基督教団新宿西教会は,前述の通り被告宮村が一時期提携していたAT牧師が主任牧師を務めていた教会であり,当時水茎会の勉強会の会場として利用していた場所である(甲124号証,甲18号証137頁・151頁,甲50号証13頁~15頁,19頁~20頁)。したがって,被告宮村が全国霊感商法対策協議会を知らないはずはないのである。なお,「全国霊感商法対策協議会」は,原対協,即ち「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」が,「キリスト者」以外からも広く参加を募るために名称変更したものである。

 なお,同会合では「騙されて逃げられていく」ことを防ぐにはどうしたらいいかといったことが話し合われていたということであるが,これは,監禁されている統一教会信者が,信仰を失った振りをして監禁から脱出しようとするので(偽装脱会),真に信仰を失ったか否かを判断するにはどうすればいいかという議論である。まさに「マニュアル」6枚目の「判定基準」のことが話し合われていたものに他ならない。 
判定基準
<甲98の3号証 6枚目の「判定基準」>

(2) 「(2)」に対して
 後日,富澤裕子が高澤を訴えた事件の判決でも認定された通り,富澤裕子は当時,大阪市東淀川区の藤和シティコープ801号室にて厳重に身体を拘束されていたものであるが,同室は玄関ドアに防犯チェーンが施錠された上で,もう一つのチェーンがまかれ,これらそれぞれに南京錠が施錠されるという厳重な態様で施錠されていたものであり,また,ベランダに面した窓は,針金によって開閉不能にされていたものである(甲52号証富澤陳述書(3)1頁15行~2頁3行)。このような密室に招かれ,脱会説得の協力を求められるということ自体,相当の深い信頼関係がなければあり得ないことである。

 なお,富澤は1997年6月に統一教会の地方公認教会である鳥取教会を襲撃した約20名ほどによって拉致されたものであるが(鳥取教会襲撃事件),同年9月頃東京で開催された,統一教会に反対する牧師等の会議(全国霊感商法対策協議会と見られる)では,同事件について報じる統一教会の機関誌・中和新聞(平成9年9月15日号)のコピーが配布され(甲51号証富澤裕子陳述書の添付資料),同事件のことが話題となった。その際参加牧師の間から,「こんなことをした牧師は誰だ?こんなことをされたら自分達がやりにくくなる。こんなことは親だけに任せておけばいいのに」との声が上がった際,高澤は「私がやりました」と答え,他の牧師ら全員から非難を浴びている。ところが,同会議に参加していた被告宮村だけは,会議の後高澤に「私も同じことをしただろう」と言って高澤を擁護したものである(甲52号証富澤陳述書(3)9頁14行)。こうした経緯もあって,被告宮村のみは,富澤のもとを訪れたのであった。こうした信頼関係がない限り,教会襲撃という犯罪行為によって拉致監禁された被害者の脱会強要に協力することはあり得ない。

 なお,富澤が高澤を訴えた際,本件被告宮村を被告にはしていない。したがって,富澤が上記陳述書を記載した当時,本件被告宮村のことを殊更に悪く述べる理由は一切なく,上記記載は信憑性が高い。
 ところで,被告宮村が1998年3月6日に富澤の監禁マンションを訪問した理由について,被告宮村は「別の用で神戸に行った時に,高澤牧師に声をかけられ」たと主張し(被告宮村準備書面第3の7頁),この時被告宮村に同行したYKは陳述書にて,3月6日に全国弁連の集会が大阪で開催された際,被告宮村と共に参加し,翌日大阪・神戸を見物した際,被告宮村から富澤との面談を誘われたと陳述する(乙ハ17号証1頁)。したがって,被告宮村としては,「別の用」とは,3月6日の大阪での全国弁連の集会及び翌日の大阪・神戸観光であると主張したいようである。

 しかし,全国弁連の伊藤芳朗弁護士によれば,被告宮村は1994年ないし2005年の間,全国弁連から締め出されている(甲107号証14頁~15頁)。しかも,伊藤芳朗弁護士自身が作成した陳述書によれば,本件被告宮村代理人山口広弁護士を含む5人の弁護士メンバーが意思一致して被告宮村を全国弁連から締め出したというのである(甲122号証の1)。したがって,被告宮村が1998年3月6日に全国弁連の大会に参加することなどあり得ないのである。なお,この点については,原告本人が2012年11月14日に麹町のクレスト法律事務所を訪れ,伊藤芳朗弁護士と直接面談した際にも,YKの陳述内容を引用した上で上記事実関係を直接確認を得ているので間違いない。


(3) 「(3)」に対して
被告宮村は,富澤に対して原告のことを話した事実を否定する。しかしながら,被告宮村が話さなければ富澤が知るはずがなく,富澤が知らなければ,統一教会広報部長のOAに伝えることもできなかったはずである。OAは,富澤から原告のことを聞いていたからこそ,平成20年2月10日の夜,統一教会本部の守衛から不審者が13年間監禁されたと言って訪ねて来ているとの連絡を受けたとき,直ちに原告と分かったのであって,富澤から聞いた知識がなければ原告と認識することができなかったはずである。なお,この日,守衛から連絡を受けた後,OAが渋谷の統一教会本部に向かう電車の中から,当時の統一教会総務局長STに対して送ったメールにも,富澤からの伝聞事実が明記されている(甲123号証の1の6頁下から4行~7頁13行,甲123号証の2)。

 被告宮村は,当時富澤が自身の脱会強要によって信仰を失ったと判断したために,油断して原告のことを富澤に話したものである。しかし,実際には富澤は信仰を失っておらず,しかも,その約7ヶ月後に奇跡的に脱出できたために,被告宮村による原告に対する拉致監禁,脱会強要の事実を太田に伝えることができたのである。
被告宮村が原告を監禁していた事実については,元被害弁連の伊藤芳朗弁護士も認めている。米本が伊藤弁護士に取材して作成した甲107号証には,「後藤徹さんが拉致監禁されてから1年半か2年後のことですが、日本基督教団の牧師さんから『宮村さんがある信者を拉致し、1年半だか2年だったか、ずっと監禁している』と聞いたことがあります」との記載がある(17頁27行~29行)。さらに,伊藤芳朗弁護士自身が作成した陳述書によると(甲122号証の1),被告宮村が長年にわたり1人の統一教会信者を監禁している事実を日本基督教団の牧師からも元信者からも聞いたとのことであり,それは原告に対する監禁後8年経過した頃だという(2頁21行)。

 この点について原告が伊藤弁護士と会った際直接確認したところ,実は統一教会に反対する牧師や元統一教会信者らの間では原告のことが取り沙汰され噂になっていたとのことであった。そして,原告の監禁後1年半か2年頃に日本基督教団牧師から原告に対する監禁の事実を聞き,更に監禁から8年経過した頃にも日本基督教団牧師や元統一教会信者らから被告宮村が同一の統一教会信者に対して監禁を継続している話を聞いたので,同弁護士は「まだやっているのか」と驚き憤ったとのことであった。同弁護士は被告代理人等と同じ全国弁連,被害弁連に所属して中心的な活動をしていた弁護士であって,正に内部情報を知り尽くす立場にあり,その供述は極めて信憑性が高い。


5 「7」に対して
(1) 「(1)」については準備書面11で述べた通りである。

(2) 「(2)」に対して
 被告宮村は「ア」において,原告の「拉致監禁・脱会強要」の主張は被告宮村の考え方と違うと主張する。しかしながら,被告宮村が信者の親族を手足のごとく用いて拉致監禁・脱会強要を行う事実,被告松永と共謀している事実及び信者を監禁している事実は,かつて被告宮村と共に反統一教会闘争を行った被害弁連の伊藤芳朗弁護士も認めている(甲107号証)。なお,原対協の会合の趣旨は,統一教会信者の「救出」に向けて,「我ら同志が緊密かつ,迅速に連絡しあい,協力しあって,これからの対策を積極的に推進」することにあるという(甲95号証1枚目挨拶文)。「迅速」なる表現からしても,単に拉致監禁,脱会強要の手法に関する事前の情報交換に留まらず,個別の拉致監禁,脱会強要事件において会員同士が相互に「緊密かつ,迅速に連絡しあい,協力しあって」いくことを企図したものであることは明らかである。しかも甲96号証の2「4」においては,原対協自体が活動内容として,「救出活動」,即ち統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を「実施」することが明記されるに至っている。こうした方針に則り,被告宮村と被告松永とは原告に対する拉致監禁,脱会強要においても,「緊密かつ,迅速」に連絡を取り合い,協力し合って拉致監禁,脱会強要を共同実行したのである。

 被告宮村は,「ア」において,玄関ドアを内側から開閉できないように施錠することは被告宮村の考えと対立すると述べ,「イ」においては,「原告についても,内鍵をつけて自分の判断で外に出にくい状況」があった事実は認めるものの,被告■<後藤徹氏の兄>らに対して「それは外した方がよくないか」と述べたと主張する。しかしながら,だとしたら何故1998年3月に富澤が監禁されていた藤和シティコープ801号室を訪れた際には,玄関ドアや窓の施錠について反対しなかったのか,全く矛盾としか言いようがない。実際には被告宮村は,統一教会信者を厳重に監禁して脱会強要すべきとの考えの持ち主なのであって,そうであればこそ,鳥取教会襲撃事件の首謀者として高澤が他の牧師等から非難された際にも,「私も同じことをしただろう」と言って高澤を擁護し,さらには,襲撃事件で拉致された被害者と知りつつ,藤和シティコープ801号室の富澤のもとを訪れ,監禁状態を利用して脱会強要を行ったのである。

 被告宮村が関与した拉致監禁事件で玄関ドアに厳重な施錠が施されていたことは,監禁から逃げ帰って来た多くの信者が目撃しているところである(甲11号証MK陳述書3頁最下行,甲34号証YS陳述書6頁15~16行,甲27号証小出浩久陳述書4頁6行,同6頁下から5行,甲47号証HY陳述書6頁6行~8行,甲35号証の2YY上申書7枚目15行~16行)
 被告宮村は,「(2)」「(イ)」において,「信者の親族こそ信者との話し合いの主人公であり,責任者・判断権者だと考え,そのように家族にも説明してきた」などと述べる。
 しかしながら,被告宮村が事務局を担当して立ち上げた原対協自体が,「救出活動の実施」即ち,統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を目的としてたいものであり(甲96号証の2「4」),脱会強要の主体が同会に参加していた被告宮村等,「説得者」らであることは明らかである。
甲96の2_4
<甲96号証の2 「4」> 

 被告宮村は荻窪栄光教会から訣別後には特に,統一教会信者の親族等が被告宮村等の指導に絶対的に従うようになるまでは拉致監禁に着手しないとの方針をとり,信者の親族に対しては「どんなことでもできます」と何度も誓いを立てさせている(甲24号証188頁4行)。また,信者がいつ「マインド・コントロール」から解放されるかの判断基準を信者の家族には敢えて教えず,被告宮村の専権事項とすることによって(甲24号証144頁16行~末行),監禁中の信者の親族までも完全にコントロールするのである。被告宮村にしか判断できない以上,信者の親族としては,常に被告宮村の指示・判断を仰ぐ以外にないのである。また,信者の親族を被告宮村に絶対的に従わせるため,被告宮村は親族に対して「どんなに苦しくても,どんなにつらくても,途中でくじけたり,あきらめたりしないでほしい」(甲24号証118頁末行~119頁1行),「子どもを救い出すために,親に命がけで考えて行動してほしい」(同152頁10行~11行),「失敗は許されない」(同144頁3行~),「何か月,ときには何年という場合も少なくありません」(同145頁2行~3行)などとけしかけ,命がけで自分の指示・命令に従うよう仕向けているのである。

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2012-12-28(Fri)
 

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