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後藤徹氏の準備書面(12)その1-宮村氏は,「マニュアル」を通して自身の手法を統一教会に反対する全国の牧師等に指導した

今回は、後藤徹氏の準備書面(12)をご紹介します。
 この準備書面はかなり長文となっていますので、3回に分けて掲載します。

後藤徹氏の準備書面(12)の構成
第1 被告宮村が統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関与するに至った経緯
第2 被告宮村の準備書面(第4)に対する反論等
第3 被告松永の準備書面(5)に対して
青字が今回アップしたもの


第1回目の今回は、宮村氏が統一教会の信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関与するに至った経緯について説明しています。先回先々回の記事でご紹介したYC氏のことにも触れていますが、特にこの手記の信憑性について言及しています。
 また、水茎会の主宰者であることをつよく否定している宮村氏ではありますが、その水茎会の受付簿には、宮村氏の自署があることも言及しています。
 またさらに、この水茎会の受付簿の通し番号から水茎会を訪れた父兄の人数を割り出しています。宮村氏の脱会説得の手腕を頼り、実に多くの父兄が水茎会に足を運び、宮村氏の面接を受けたことになります。
 またこの準備書面では宮村氏が全国の反対牧師に自身のマニュアルを通して指導したということを論証しています。

 なお、プライバシー保護のため、個人名等、イニシャル標記もしくは伏字とさせていただいているほか、証拠書面の一部はマスキング処理をしています。ご了承ください。
準備書面(12)


平成24年11月20日


東京地方裁判所民事第12部 御中

原告訴訟代理人弁護士  福 本 修 也



 本書面においては,被告宮村が統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関与するに至った経緯について述べた上で,被告宮村の準備書面(第4)及び被告松永の準備書面(5)に対して反論する。



第1 被告宮村が統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関与するに至った経緯
 1 森山諭牧師との提携
(1) YCに対する拉致監禁
 被告宮村は明治大学法学部に在籍中,全共闘の活動に加わり,当時より原理研究会の学生と路上で激しく論争するなど,統一教会,及び原理研究会に対する激しい敵愾心を持っていた。
 大学を卒業後の1984年8月,被告宮村は高校時代の恩師であるYUの長女YCが■■大学原理研究会に入会したことを知り,YCを脱会させるようYUを説得した。折りしも近所の日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会において森山諭牧師が統一教会信者を拉致監禁して脱会強要を行っていたことを知った被告宮村は,森山牧師にYCの脱会説得を依頼し,森山牧師,YU及びYCの母Sらと共謀の上,同年11月5日,T駅駅ビル前路上においてYCを拉致し,荻窪までワゴン車で連行して荻窪栄光教会の牧師館2階の部屋に同女を監禁した。この時,被告宮村は,ワゴン車に同乗してYCの拉致に関与したものである。また,YCが荻窪栄光教会牧師館2階に監禁されていることを知った原理研究会の伊勢谷俊昭らが牧師館に訪ねて来た際には,被告宮村が警察に連絡を入れ,警官を言いくるめて伊勢谷らを連行させ,YCに対する監禁を続行したものである。当時森山諭牧師は,拉致監禁した統一教会信者がどうしても同牧師の説得を受け入れない場合,解放していたため,YCは約1週間の監禁後,無事解放されている(甲125号証)。
 YCに対する脱会説得を機に被告宮村は森山牧師より脱会説得の手法を学び,荻窪栄光教会を拠点に森山牧師と提携して統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動を行うようになった。

(2) YCの手記の信憑性
  被告等は,拉致監禁,脱会強要の被害を受けた統一教会信者の手記等について,「家族との話し合いを防ごうとする統一教会側が信者に恐怖心を抱かせるために書かせるもので真実ではない」などの主張をするので,YCの手記の信憑性について述べる。

YCの手記(甲125号証)によると森山は当時既に120名にも上る統一教会信者を脱会させたとのことであるが(同No19),YCは「森山牧師は七六才の実直そうな老人でした」(同No18),「私の目から見た森山牧師は,敬虔なクリスチャンであり,邪宗を信じたならば皆,地獄に引かれて行ってしまう,という強い確信から,信仰をかけて統一教会や,エホバの証人や,その他の異端,あるいはマルキストに対して激しく戦っているように見えました」(同No34~)などと,森山をキリスト者として評価する記載が正直になされ,更に森山の信仰的な奇跡や慈善活動についても正直に記されている(同No35~)。仮に統一教会ないし原理研究会側が,信者に恐怖心を植え付けようとするなら,森山を悪人として書くのが自然であるところ,そのような記載は一切ないのである。また,被告宮村についても,かつて被告宮村がYCを可愛がったことや,誕生日・クリスマスの度に被告宮村がYCにプレゼントをしたことなど,被告宮村の良き側面について正直に記しているのである(同No8~9)。

 他方,被告宮村については,YCの拉致監禁計画全般を計画したことや(同No14),ワゴン車に同乗してYCを拉致したこと(同No7),YCがトイレに行く際監視したことなどが記されている(同No15~16)。しかし,この手記が書かれた1984年当時,統一教会ないし原理研究会にとって,被告宮村はYCの知り合いであったことからたまたまYCの拉致監禁に関与したに過ぎない未知の人物でしかなく(YC拉致監禁が最初の経験),その後,宮村が拉致監禁,脱会強要活動に深く関与するなど想定外のことである。したがって,被告宮村を「脱会請負人」として殊更に悪人に仕立て上げるべき事情など全くない。
 したがって,YCの手記の被告宮村の行動に関する記載は極めて信憑性が高いと言える。

  (3) 水茎会の結成
 1985年,荻窪栄光教会に相談に来ていた父兄等が水茎会を結成した。甲126号証の1ないし9は,子弟に対する統一教会からの脱会強要を希望する父兄等の受付簿である。甲126号証の1はYUが記載したものであり,Y家では前記1984年11月の脱会強要が奏功しなかったため,その後発足した水茎会に登録して再度の脱会強要を被告宮村らに依頼したものである。同号証の「現在までの経緯」欄には「強引に森山先生のところに連れてきて」との記載があり,前記YCの手記の記載が事実であることがこれら記載からも裏付けられる。
yazaki_uketsukebo.jpg
<甲126号証の1 水茎会の受付簿 YC氏の父であるYU氏が記載したもの>
 
 甲126号証の8及び9には右上に「受付」欄が新たに設けられ,いずれも被告宮村が自署している。右上部余白に記されている番号は通し番号である。YUが受付を行った1985年3月17日時点では,まだ水茎会発足後間もなかったため,受付番号は「20」であるが,昭和63年(1988年)12月24日に受付を行ったKMの受付番号は「771」であり(甲126号証の9),水茎会発足後3年9ヶ月ほどの間に約750件もの受付があったことになる。
uketsukebo1.jpg
<甲126号証の9 水茎会の受付簿 KM氏が記載したもの 上部にうっすらと’89 1 救出という文字が見えるがこれは、89年1月に脱会説得に成功したことを示したものと思われる>

 これを単純に月平均すると1ヶ月18件ないし19件となるが,当時1人の脱会に1週間から数ヶ月を要したことからすれば,被告宮村らは複数のマンション・アパートに統一教会信者を拉致監禁し,同時並行で脱会強要を行っていたことが窺われる(甲127号証の1~3)。ちなみに,当時原理研究会の会員であった前記伊勢谷が1988年頃作成した監禁場所等の一覧表(甲127号証の2)には,原告が監禁された荻窪フラワーホーム804号室と部屋は異なるが,同マンション705号室が列挙されており,この頃から被告宮村が同マンションを拉致監禁,脱会強要に利用していた事実は明らかである。

 なお,水茎会の参加家庭数が瞬く間のうちに膨大な件数に膨れ上がった事実は,荻窪栄光教会が1988年9月15日に発行した「創立30周年記念誌」(甲128号証)からも明らかである。即ち,同書5頁最下段には,1985年の水茎会発足以降,礼拝参加者が激増し,400名を越えたことが2回あったと森山自身記しているが,巻末に報告されている「教勢と財勢」を見れば,水茎会発足以降,礼拝出席人数及び会計収入が飛躍的に増加している事実が明らかに見てとれるのである。

栄光教会1
<甲128号証「創立30周年記念誌」巻末に報告されている「教勢と財勢」この表から各年の礼拝平均出席人数と通常会計収入がわかる。ちなみにMAX記録を打ち立てた87年の通常会計収入は3000万円越えである。>

栄光教会2
<こちらのグラフは伝道集会平均出席人数(実線)、祈祷会平均出席人数(点線)、受洗者数(棒グラフ)の推移がわかる。>

  (4) 被告宮村の手法の悪質性・厳重性
 元々森山牧師は,YCに対する1回目の拉致監禁事例からも明らかなように,監禁した統一教会信者が頑として森山の脱会強要に応じない場合,説得を断念して解放していた。また,監禁された統一教会信者の依頼によりその親族が統一教会側に連絡をとることを特に禁じてはいなかった。また,そもそも拉致監禁の具体的実行については信者の家族に任せ,自身は特に具体的な指示をしてはいなかった。

 ところが,被告宮村は,こうしたキリスト教牧師らの手法を「手ぬるい」として厳重な方針をとった。即ち,監禁した信者が統一教会の信仰を完全にやめない限り絶対に解放しないとの方針を採り(甲24号証『親は何を知るべきか』189頁12行~13行),拉致監禁の実行自体にも積極的に関与し,信者の家族に具体的な指示を出した。信者が統一教会側に連絡をとることを禁じるのみならず,その依頼を受けて親族らが統一教会側に連絡をとることも禁じた(甲125号証No31)。拉致監禁された統一教会信者がトイレを口実に逃走を図ることを警戒し,これを厳重に防ごうとする発想(甲98号証の3の2枚目)も,森山牧師のようなキリスト教牧師から出たものではなく,被告宮村の発案によるものであり,YCの拉致監禁に際し,YCの親族及び被告宮村はYCがトイレに行く度に終始複数で監視を行っている(甲125号証No15の末行~No16の6行)。被告宮村は,過去の監禁中の統一教会信者らの逃走事例を精査した上で,YCをして「計画は完璧でした」と言わしめる程の手法を立案したのであった(同No8の2行~5行,No14の4行~9行)。
甲98の3_2枚目
<甲98号証の3の2枚目>

 被告宮村がこうした厳重な手法を採ったため,被告宮村が本格的に拉致監禁活動に加わって以降は,ひと度監禁された信者が解放されるには,①真に脱会するか,②脱会を偽装するか(偽装脱会),③脱出するかのいずれしかなくなった。これに対し被告宮村の方では,信者が真に脱会したのか(①),偽装脱会なのか(②),を見破る必要に迫られ,自ら判断基準を確立するに至った。「マニュアル」(甲98号証の3)の6枚目にある「判定基準・・・以上をクリアーして外出は許される」は,被告宮村が確立した判定基準の集大成である。また,信者の脱出(③)を防止する必要から,監禁は厳重なものとなり,監禁期間も1週間から数ヶ月と長期化していった。
甲98の3_6枚目
<甲98号証の3 6枚目>

 被告宮村の手法は,統一教会信者の人権を無視した極めて悪質な手法であったが,脱会成功率が高かったため,水茎会父兄等の絶大な支持を得た。このため評判は瞬く間に広がり,元々20件くらいの家庭しかいなかった水茎会に,僅かの期間に771件もの家庭が参加することとなったのである(甲128号証)。
こうした厳重な手法は,元々「キリスト教福音に恥じないありかた」を模索した森山牧師の方針(甲96号証1枚目「4」)とは異質のものであったが,森山も被告宮村の実績の前には何も言えず,被告宮村の手法を黙認せざるを得なくなったのである。
甲96の2_4
<甲96号証の2の「4」>

被告宮村が,自身の厳重な拉致監禁,脱会強要が森山ら統一教会に反対するキリスト教牧師らと極端に違うことを指して,「俺はその辺のヘッポコ牧師とは違う」と言っていたことは,本件裁判よりも遙か以前に刊行されたTUの書籍に明記されているが(甲18号証22頁6行),YS,及び星野由美<ママ 正しくは結美>の陳述書にも,被告宮村が「成功率は限りなく100パーセントに近い」「俺はそのへんのへっぽこ牧師とは違う」(甲34号証9頁11行~13行),「俺はそこら辺のへっぽこ牧師とは違うからな!」(甲47号証7頁14行~15行)などと豪語していた事実が記されているのである。

 一方,水茎会の父兄の間で被告宮村が高く評価されていたことは,平成12年6月10日に同会より全会員に送られた手紙の中で,「このことを遂行できる人は他にかわりの人がおりません。『余人をもってはかえ難いこと』であるということは皆様が良くご存知のことです」(甲12号証「水茎OB会の皆様へ会費の協力のお願い」3頁7行目~)などと記されていることからも明らかである。


  (5) 「マニュアル」による被告宮村の手法の全国化
 被告宮村の実績は統一教会に反対する全国の牧師らの間でも評判となり,牧師等は被告宮村から指導を受けることを欲するようになった。全国の牧師等の要望を踏まえて森山は,被告宮村の手法を全国の牧師等に教育するために「原対協」を発足させたのである。
 被告宮村が原対協において,「マニュアル」を通して自身の手法を統一教会に反対する全国の牧師等に指導したため,実に悪質な拉致監禁,脱会強要の手法がこの頃から全国化した(甲20号証の1の25頁)。


  (6) YCに対する第2回目の脱会強要 
 YCは再度被告宮村等から脱会説得を受け1988年5月ころ統一教会の信仰を失うに至っている。この時は被告宮村がYCに対する脱会強要に本格的に加わっため,1回目の森山による脱会強要によっては統一教会の信仰を失わなかったYCも遂に信仰を失うに至り,被告宮村の指導下,「東京青春を返せ裁判」の原告の一人として統一教会を訴えるまでに至っているのである。
 なお,Y家ではYCに対する2度に亘る拉致監禁,脱会強要の費用がかさみ,家土地以外の全財産を失うに至っているものである。

  (7) 被告宮村の追放と水茎会の分裂
 森山が病床に伏して以降,被告宮村は次第に横暴な振る舞いをするようになり,1989年頃には荻窪栄光教会から追い出されるに至っている。このとき,水茎会も,宮村に従う一派と,荻窪栄光教会に残る一派とに分かれた。荻窪栄光教会に残った一派は,ナルド会なる名称の会を組織し,KY牧師や元統一教会信者のMFの指導を受けて信者の脱会強要に当たった。
 ちなみに,MKに対する第1回目の拉致監禁時には,同人の親族はナルド会に相談しており,同人に対する脱会強要にはKYらが関与している(甲11号証2頁6行~18行)。

2 AT牧師との提携
 荻窪栄光教会を追い出された被告宮村は,当初,中野区の日本基督教団聖書之友教会を借りて水茎会の会場としたこともあったが(甲34号証13頁16行~18行),間もなく日本基督教団新宿西教会の主任牧師であったATと提携するようになり,毎週土曜日に同教会を借りて水茎会の会合を行い,統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を続けた。会合では最初勉強会が行われ,その後,個別の相談会が行われた。
 原告の両親,被告■<後藤徹氏の兄>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>も毎週土曜日に同教会に通って水茎会の会合に参加し,1987年10月の第1回目の拉致監禁から脱出した原告に対する第2回目の拉致監禁,脱会強要に向け,謀議を巡らし,着々と準備を進めたのであった(甲124号証)。

 水茎会の存在目的からして,被告宮村の指導を受けるという理由以外に被告■<後藤徹氏の兄>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>及び原告の母が被告宮村の主宰する水茎会の会合に参加する理由はなく,甲124号証の写真だけからしても,その後に敢行される第2回目の原告拉致監禁(1995年)につき,被告■<後藤徹氏の兄>,被告■<後藤徹氏の兄嫁>,被告■<後藤徹氏の妹>ら原告の家族と被告宮村との共謀事実は明らかであると言えるところであるが,この点については,上記第2回目拉致監禁よりも以前の1993年4月8日に書かれたYYの上申書添付資料「関与者一覧表」の「15 ■<後藤徹氏の兄>」欄には(甲35号証の2),「3人兄妹で本人が一番先に入会し弟と妹も伝道したのだが、結局本人は監禁され離教してしまい、次に妹も監禁されて同じく離教、弟はまだ現在も統一教会に入会しているようだが、家族ぐるみで宮村の指示を受けながら陰で監禁の準備をしているようである」と記されている。同記載は本件発生以前に本件裁判を意識せずに記されたものであるだけに,極めて信憑性が高い。

 ちなみに,MKに対する前記第1回目の拉致監禁で脱会に成功しなかった同人の母Tにおいても,被告<後藤徹氏の兄>らと同様に同会合に参加し,被告宮村の指導のもと,第2回目の拉致監禁,脱会強要に向け準備を進めていたものである(甲124号証写真11)。
 新宿西教会を拠点とする水茎会においては,順番が迫ってきた父兄らは,西央マンション301号室において,被告宮村から直接の指導を受けつつ,統一教会信者の拉致監禁,脱会強要に向け入念な謀議を行った。このような,新宿西教会での勉強会と西央マンションにおける被告宮村による指導の2段構えで拉致監禁,脱会強要が実行されることは,MKを拉致監禁した同人の弟,MMも陳述書で認めているところである(甲43号証2頁3行~19行)。
また,同陳述書に対する反論の陳述書として提出されたWNの陳述書においても,被告宮村の同席のもと,M家の親族を集めて会合がもたれた事実が記されている(乙ハ18号証2頁下から11行~3行)。なお,WNは,西央マンション301号室でのM家の会合は,親戚の人達と話し合う場所がなかったので西央マンションを使うことを水茎会として「応急措置」として了承したなどと述べる。しかしながら,元々統一教会信者に対する脱会説得の目的の下に水茎会が借りている部屋を使うのに,「応急措置として了承」するなどという特別の手続が必要なはずはなく,実際には同室が順番の迫った家族,親族と被告宮村との謀議の場所として継続的に使用されていたものである。

 新宿西教会で水茎会の勉強会を行うようになって以降も,被告宮村は複数のマンション,アパートに統一教会信者を拉致監禁して脱会強要を行った(甲34号証YS陳述書14頁下から3行~15頁1行,甲18号証TU「監禁250日『脱会屋の全て』」154頁~155頁,甲50号証TU陳述書21頁10行~13行)。
 被告宮村の強引な拉致監禁,脱会強要の手法と横暴な振る舞いは,被告宮村が荻窪栄光教会を追い出された頃から,全国の牧師達の反発を買うところとなったが,水茎会が会計報告も出さないことが全国弁連弁護士等の間でも取り沙汰され,遂に全国弁連からも排除され,出入り禁止となっている(甲107号証14頁12行~15頁7行)。こうした中,AT牧師も被告宮村に愛想を尽かし,2002年5月に同牧師が日本基督教団の新宿西教会から青梅教会に異動になってから後は,協力関係を断つに至っている。

3 原告の第1回目の拉致監禁と第2回目の拉致監禁の比較
 1987年10月における原告に対する第1回目の拉致監禁時には,未だ森山牧師が健在であったため,原告は監視付きながら監禁されていたマンションから荻窪栄光教会に通うなど外出することも許され,監視の隙をついて脱出することもできたのであった。
 しかし,荻窪栄光教会を追い出されてより後,被告宮村は,誰も被告宮村のやり方に口を挟めない中,拉致監禁,脱会強要においても極端に非人道的態様を採るようになったのであった。監禁期間も長期化し,数ヶ月から数年に及ぶこともしばしばとなった。このような長期間の監禁を要することは,被告宮村自身,著書の中で記している通りである(甲24号証145頁2行~3行)。また,被告宮村自身が,監禁された信者に対し,「五年でも十年でも整理がつくまで,ここにいなさい」などと発言することも,同書に記されているところである(同189頁12行~13行)。このため原告においては,12年5ヶ月間に亘りマンション間の移動時以外は一切外出を許されず,インフルエンザで高熱を発しても病院にも行けず,食事制限により瀕死の状態にまで追い込まれるという,極端に人権を無視した虐待を受けたのであった。勿論,この間,婚姻の自由や選挙権行使の自由まで侵害されたのであった。

 ちなみに,MKに対する拉致監禁においても,KYらが関与した第1回目の拉致監禁時には,最後まで信仰を貫いたMKは脱会強要を断念したKYらにより解放されるに至っているが,被告宮村が関与した第2回目の拉致監禁時には,統一教会の信仰を失うまで断じて解放しないとの被告宮村の強固な方針により,遂にMKは信仰を失うに至っている。しかも,監禁を手段とした被告宮村の強要により,意に反して婚姻無効裁判を提起させられるに至っている(甲11号証7頁24行~35行)。

続く




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2012-12-13(Thu)
 
1986~88年、UC史上最多の拉致監禁数、魔の3年間に反牧教会でおこっていたこと
後藤裁判ブログに新記事が 掲載されました。 新記事は、先回の裁判で提出した 原告準備書面の第一弾です。  後藤徹氏の準備書面(12)その1- 宮村氏は、「マニュアル」を通し
[いつも私のとなりに神さま]  2012-12-16 08:24

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画像を追記しました。 

本文中に甲128号証「創立30周年記念誌」巻末に報告されている「教勢と財勢」のグラフを追記しました。
これをご覧になれば、荻窪栄光教会が脱会説得でどれだけ潤ったかが一目瞭然です。
2012-12-13 21:28 | 管理人 | URL   [ 編集 ]

どっちがへっぽこ? 

森山は当時既に120名にも上る統一教会信者を脱会させたとのことであるが(同No19),

被告宮村が,自身の厳重な拉致監禁,脱会強要が森山ら統一教会に反対するキリスト教牧師らと極端に違うことを指して,「俺はその辺のヘッポコ牧師とは違う」と言っていた



森山牧師は、厳重な拉致監禁をしなくても、短期間でも120人の統一教会員を脱会させた。

それに比べて宮村さんは、厳重な長期の拉致監禁でも失敗している。

普通に考えたら、どっちがへっぽこなのよ、と言いたい。

被告宮村が「成功率は限りなく100パーセントに近い」

嘘ばっかり。

2012-12-14 00:06 | koyomi | URL   [ 編集 ]

レーニン像のごとく 

771人もが入会した水茎会の「受付」を被告宮村がやっていた―。

その水茎会発足以降、荻窪栄光教会の教勢と財勢が急増(3年間で2.5倍)―。

「俺はそこら辺のへっぽこ牧師とは違うからな!」

被告宮村が神のごとき自覚を持つのも頷けます。
教会の牧師たちは、どう頑張っても礼拝参加者を増やせない。そんな中で、奇跡に近い参加者2.5倍化をやってのけたのだから、まさに“神”だ。

「このことを遂行できる人は他にかわりの人がおりません。『余人をもってはかえ難いこと』であるということは皆様が良くご存知のことです」

その “神”の “み言”は「五年でも十年でも整理がつくまで,ここにいなさい」―。

“神”として崇められてきた宮村の偶像は近く倒れることになるだろう。レーニン像のように。
その歴史的瞬間を見たい。
2012-12-14 17:49 | みんな | URL   [ 編集 ]

荻窪栄光教会は何故宮村氏と縁を切ったか? 

荻窪栄光教会が宮村氏との関係を絶ったのは、女性問題と聞いてる。

なるほど、納得。それはそうでしょう。
教会の風紀は乱れるから。

しかし、それ以前の問題もあったのでは、とみんなさんのコメントを読んで思いましたとさ。

私はクリスチャンではないので、間違っていたら、メンゴですが。

キリスト教では「人が神の如くなろうとする、神のようにふるまう」ことは罪とされている。
キリスト教が統一教会に「けしからん」と言うのは、霊感商法etcの社会問題というより、「神への冒涜」ともとれる文ちゃんの発言や「イエスの十字架は失敗」という教えの方が大きいと思われる。

となると、宮村氏の神の如くふるまう姿は教会内でよく思われないのは必至。
特に、統一教会と関係ない純粋なクリスチャンにとっては、宮村氏の態度は理解できなかっただろう。

YCさんの拉致監禁に関わった時やその前の聖書の勉強をしている時は、普通の変わった人だった宮村氏が、拉致監禁説得を次々していき成功し、周りから崇められていくうちに、神の如くふるまうようになり、ミニ文鮮明になった。

その姿に森山牧師も荻窪栄光教会のクリスチャンもだんだんと耐えられなくなり、女性問題を機にマグマが爆発した如く追放した・・。

なんて、シナリオを勝手に作ってみた。

しかし、宮村氏が神だなんて、笑っちゃうね。
みんなさんは、レーニンさんに例えていたけど、「レーニンさんに悪いわよ~」
宮村氏は、神どころかサタンどころかやくざにもなれないへっぽこ。
ついでに、とりまきがいないと何もできない小心者。

小小小小小小小小小小悪人・・・やっぱり単なるへっぽこ。

で、話しは変わって
荻窪栄光教会も宮村氏と縁を切ったのをきっかけに、「拉致監禁による強制説得」の問題点を考えればよかった。
拉致監禁による説得をしているうちに、自分の言葉で脱会を決意し、自分に従い、家族までいいなりになれば、しかもそういう人が続々と出てきたら、人はどうなるか?
宮村氏でなくても、中毒になり、「自分は神のようになった」と誤解する人も出てくるだろう。

キリスト教は、そのことを考えるべきではなかったのか。

しかし、荻窪栄光教会は宮村氏と縁を切っただけで終わった。
拉致監禁による強制説得は宮村氏ほど酷くはないにしても続いている。

学習しないことは、統一と同じ。
南無阿弥陀仏。

アーメンソーメン味噌ラーメン

あ~味噌ラーメンが食いてぇ。

2012-12-15 18:23 | koyomi | URL   [ 編集 ]

可視化と抑止力 

今、私のブログで、「国境なき人権」フォートレ代表のスピーチを紹介しています。

http://humanrightslink.seesaa.net/article/307738071.html#more

フォートレ代表のスピーチにキーワードが二つあります。Visibility (可視性、可視化)と Deterrent (抑止力)です。

フォートレ代表は、「3つほどの民事裁判の判決を引用し、可視化が成され、拉致監禁の抑止力となった。(特にエホバの証人の拉致監禁事件)」と発言しています。

極論すれば、「可視化」 → 「拉致監禁抑止力」ということでしょう。

拉致監禁事件を、一般により多く目に見えるように(読んだり、触れたりすることができるよう)すれば、すなわち、可視化すれば、それが抑止力となっていくということでしょう。

貴ブログは、拉致監禁の被害者である後藤さんの民事裁判の資料をアップすることにより、「可視化」を進め、「拉致監禁抑止力」となっていると確信いたします。

「可視化」こそ、拉致監禁グループの恐れることなのでしょう。幹事の方は、大変かと思いますが、興味深い裁判資料を、これからも待っています。
2012-12-16 20:22 | Yoshi Fujiwara | URL   [ 編集 ]

荻窪栄光教会は拉致監禁とは手を切っていない! 

koyomi さん
>拉致監禁による強制説得は宮村氏ほど酷くはないにしても続いている。

 全くその通り!
 荻窪栄光教会の主事黛藤夫氏は、強制説得をいまだ続けている。
 http://www.eiko-church.com/annai/archives/000010.php

 同教会信者の神保女史は、「全国統一協会被害者家族の会」の代表である。この会は強制説得家を相談者に斡旋している。

 宮村氏にやられて脱会した黛氏は彼のことを嫌っているのは事実だが、荻窪栄光教会が宮村氏と完全に関係なくなったのかどうかは大いに疑問である。

 なぜなら---
・宮村氏を同志とする有田国会議員と、神保氏とは仲良し。
・宮村氏による監禁説得中に逃げたMさんの両親は、家族の会に相談していた。
・宮村氏と同会は、有田氏の選挙応援をしていた。
・同会のクローズドされた集会には、宮村氏と親しい田中清史氏(エイト君)も参加し、発言していた。

 人と人との関係は、ある目的を共にする場合、白か黒かのように竹で割ったようにはならないもの。


 
2012-12-17 18:20 | 米本 | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
(強制脱会者)
世話人:koyomi
(強制脱会者)
世話人:小川寿夫
(自主脱会者)
世話人:yama
(強制脱会説得体験者。教会員)

連絡先:gotosaiban-contactus@yahoo.co.jp

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