伊勢谷俊昭氏の陳述書-荻窪栄光教会に監禁されていたYC氏を救出にいった伊勢谷氏
先回YC氏の手記をご紹介しましたが、この手記に書かれている監禁事件が起きたとき、救出にいったのが、この陳述書を書いた伊勢谷俊昭氏です。
伊勢谷氏は、もともとはクリスチャンだったそうですが、この監禁事件後、森山牧師や宮村氏と面会し、その際、森山牧師に、監禁を是とする根拠が聖書のどこに書かれているのかと質問をしています。
森山牧師の答えもこの陳述書の中に書かれています。
また、YC氏の手記を発見した経緯についても簡単に書かれています。
この手記をはじめ、先回の口頭弁論で原告側から提出された証拠品の中には、伊勢谷氏が収集したものが少なからず含まれています。
伊勢谷氏の拉致監禁をなくしたいという熱い思いが、四半世紀のときを経て、証拠発見につながったのかもしれません。
本書面においては,■■大学にて全国大学連合原理研究会(以下「原理研究会」といいます)に所属していたYCさんが,荻窪栄光教会に監禁され脱会説得を受けていたときの状況,そのときの森山諭牧師及び宮村峻の関与,及びこの事件を契機としてその後宮村が原理研究会及び世界基督教統一神霊協会(以下「統一教会」と言います)の信者らに対する拉致監禁,棄教強要活動に関わるようになった経緯について述べます。
1,経歴
私は,1950年9月30日北海道の二海郡八雲町に生まれ,1976年3月東北福祉大学福祉学部福祉学科を卒業しました。私は小学生の頃から日本基督教団八雲教会に通い,高校3年の12月に洗礼を受けました。1969年4月から東京の大学に1年間通い,1970年4月,19歳のとき東北福祉大学に再入学しました。入学後は下宿近くにあった日本イエス・キリスト教団仙台北山教会に通いました。私は当時,カウンセリングの勉強をしていましたが,自分自身が明確な人生観を持っていないと他の人の悩みや人生相談に答えることはできないとの思いもあり,キリスト教会に通いました。なお,日本基督教団もイエスキリスト教団も一般のキリスト教団であり,どちらも統一教会に対しては激しく反対している教団です。ちなみに当時日本イエス・キリスト教団仙台北山教会の日曜礼拝で配布される週報の折りたたみには「統一教会へは決して行くべからず。」と書かれていました。
1970年6月6日(土),大学の1年先輩だったHKさんが私の下宿に訪ねて来て,統一教会の修練会に誘われました。当初は北山教会の牧師から詳しく話を聞いて,統一教会のことをやり込めてやろうなどと思っていまいましたが,翌日,HKさんが再び訪ねてきて色々と話す中で,統一教会の人達が純粋な気持ちから「伝道」を行っていることに感心し,修練会に参加してみようと思うに至りました。
6月11日,私は渡された統一教会仙台教会の住所と地図を頼りに一人で仙台統一教会を訪ね,4日修練会(6月11日~14日)に参加しました。私はクリスチャンであったため,イエス観の違いに戸惑いましたが,統一教会の神観,罪観にはとても感動しました。
その後すぐに,神奈川県厚木市において行われた統一教会主催の14日間の特別修練会に母親の了承を得て参加しました。この時母は,「学校の勉強だけが勉強じゃないから行って来たら」と言って快く送り出してくれました。7月1日,修練会を終えて仙台教会に戻った日に私は統一教会に入会し,その日の夕方,下宿を引き払って青葉区花壇にあった学生寮に引っ越し,学業に励みつつ統一教会の活動に従事しました。
1973年には仙台に原理研究会(統一原理を研究する学生サークル)を作ることになり,私は他の学生数人と東北福祉大学原理研究会を立ち上げました。
1975年2月8日,韓国ソウルで行われた1800双の国際合同祝福結婚式に参加し,妻・A(2010年8月死去)と祝福を受けました。
1976年3月,大学を卒業し,その後原理研究会の学生の指導員として熊本,群馬,東京など各地をまわったり,原理研究会本部で教育部に所属して修練会の講師を務めるなどしました。
1980年秋から1991年末までの11年間,私は原理研究会本部で法務対策室長及び広報部長を務めました。当時原理研究会に反対する牧師らが会員の親族を巻き込んで行う違法な拉致監禁・脱会強要活動が会員に対して行われていましたが,私は法務対策室長として,人身保護請求などの裁判に関わるなどし,監禁された会員を救出する活動を行ってきました。私がYCさんの拉致監禁事件に関わったのは,この間でした。
1992年2月,私は,東京から北海道札幌市に移転し,元衆議院議員秘書,現衆議院議員秘書など,カウンセラーの仕事などを歴任しました。2007年頃からは北海道の教区にて教会職員を務めるようになり,現在に至っています。
2,YCさんの拉致監禁事件について
YCさんは1984年当時■■大学の学生で原理研究会のメンバーでした。YCさんに対する拉致監禁事件が起きるまでは私はYCさんに会ったことはなかったと記憶しています。1984年11月6日の朝,■■大学原理研究会のメンバーから,YCさんが,拉致されたとの連絡があり相談を受けました。当時は東京杉並区荻窪にある日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会において統一教会信者及び原研会員に対する拉致監禁を手段とした脱会強要活動が頻繁に行われていたため,私はYCさんも同教会に拘束されている可能性があると思い,すぐに行って確認してみてはどうかと提案しました。11月7日の昼頃,■■大学原研の学生からYCさんが同教会に監禁されているとの連絡が入りました。私は荻窪警察署を訪れ,Mという警察官と名刺交換し,YCさんが荻窪栄光教会に監禁されていることを伝え,同行を依頼しました。ところがM氏は「問題を起こさないように」と言うだけで同行してはくれませんでした。やむなく私はこの日の夕刻,世界日報社という新聞社に勤務していた井口康雄さん,及び井口さんが連れてきた同社の記者と共に,荻窪栄光教会に行きました。
荻窪栄光教会には,■■大学の学生達が既に来ていました。私が教会横の戸を叩くと男性が出てきて応対しました。私は荻窪署に行った上で来ていること説明し,YCさんのことで来たことを伝えました。玄関左手には2階に通じる階段がありましたが,井口さんが2階に向かってYCさんに呼びかけると,それに呼応して,「ここにいるよ,Yです。助けて!」という女性のせっぱつまった声が聞こえてきました。2階では誰かがYCさんを阻止しており,YCさんは部屋から出てくることができずにいました。そのうち数名の男性が玄関に下りてきて押し問答になりました。その間,事務室らしいところから男性が警察に電話している声が聞こえてきました。後でYCさんに聞くと電話をかけた人物が宮村峻との事でした。やがて荻窪署の警官がM氏を先頭に数人来て,何の説明も聞かず,我々に対して「家宅侵入で逮捕するぞ」と恫喝してきました。私と井口さんとは,「部屋の中からYCさんが助けを求めて叫んでいる。緊急避難だ」と言って抗議しましたが,2人とも無理矢理荻窪署に連行されてしまいました。
荻窪署では,「家宅侵入だ」,「いや緊急避難だ」と押し問答が続きました。このため私は荻窪署の電話器を借りて上野忠義弁護士に電話を入れました。上野弁護士は当時このような拉致監禁事件に対して人身保護請求手続などに熱心に取り組んで下さっていた弁護士でした。上野弁護士は私達の行動について「緊急避難で何も問題がないので,警察の人に弁護士が言ったと伝えなさい」と言われました。そこで私がその旨警察官に伝えると,警察官はすぐに私達2人を解放してくれました。
荻窪栄光教会近くで先に来ていた■■大学の学生達と合流し,様子を聞いたところ,警察官立ち会いのもとYCさんと5分くらい話すことができたとのことでした。YCさんが「後3日間,11月10日まで話すことにしました。11月11日を過ぎても帰ってこない時は助けに来てください」と警察官に向かって言ったとのことでしたので,私達はそのまま引き返しました。
11月11日,■■大学原理研究会から,YCさんが無事に帰って来たとの連絡を受けました。後日YCさんから聞いたところによると,YCさんは山梨県の出身でYCさんのお父さんは高校の教師でしたが,宮村峻はその教え子でYCさんの家によく遊びに来ていたそうです。宮村は学生時代,全共闘運動の活動家で,原研の学生によく理論闘争を挑んでいたそうです。宮村は原研を目の敵にしていたため,YCさんの父親に働きかけて,脱会説得をするよう仕向けたとのことでした。一方,宮村は家が栄光教会の近くにあり,宮村の夫人と栄光教会の朴副牧師の夫人とが知り合いだったそうです。森山牧師が統一教会に対する反対運動をしていると知った宮村は,森山牧師に相談し,今回の事件に及んだとのことでした。この内容は,後に森山牧師,宮村に会ったときに確認しました。
YCさんに対する拉致監禁に関わったことがきっかけで宮村はその後森山牧師と組んで原研会員及び統一教会信者に対する拉致監禁にかかわるようになりました。
なお,残念なことにYCさんは,その後実家に帰った際,再度宮村等により脱会説得を受け,1988年5月頃脱会してしまいました。その後1991年には「東京青春を返せ裁判」の原告の一人として,統一教会に損害賠償請求をするに至っています。
3,森山諭牧師,宮村峻との面談
1985年2月頃,ある原研会員が行方不明になり,私は荻窪栄光教会に監禁されているのではないかと思って同教会を訪ねました。行方不明になった会員は同教会にはいませんでしたが,私は同教会の会議室のようなところに通され,そこで,森山諭牧師,及び宮村の2人と4~5時間にわたって面談しました。私は統一教会に入会する以前には仙台にて森山牧師と同じ日本イエス・キリスト教団に所属する教会に通っていましたので,同じクリスチャンとして誠意を持って話し合いに臨みました。ところが,宮村はこれ見よがしにタバコを吸いながらふんぞり返り,「自分は左翼で信仰も持っていないし,教会の信者ではない」と言い,面談中しばしば怒鳴り声を上げました。
また,森山牧師の話の内容や態度から,私は同牧師の偽善性を強く感じました。私は森山牧師に対して「あなたが統一教会に反対するのは自由だが,あなたのやり方は監禁であり,到底許されるものではない。あなたが『監禁ではない,保護だ』と言っても,自由を束縛し,棄教するまで解放しないというやり方は間違っているし犯罪行為だ。信仰者として神様の目から見ても許されない恥ずべき行為だ。聖書で言っている偽善な律法学者,パリサイ人とはあなたのような人だ。イエス様の当時あなたが生きていれば真っ先にイエス様を十字架に掛けただろう。もしあなたの行為が正しいというのなら,聖書のどこに正しいと書いてあるのか,聖句で示して欲しい」と詰め寄りました。これに対し森山牧師は返答に窮し,15分くらい沈黙した上で,新約聖書のマタイによる福音書第11章12節の「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで,天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」という聖句を持ち出しました。そして,「この奪い取るというのが,自分の行為の正当性だ」などとまったく信じられない暴言を吐いたのです。普段は「聖書を勝手に解釈するのは許されない。聖書は真理であり,すべての尺度は聖書である」と述べていながら,いざ自分が不利になると勝手な聖書解釈を施して自身の行為を正当化しようとする偽善性,欺瞞性にあきれ果て,私は「どこにそのような解釈があるか聖書事典,解説書を持ってきて見せて欲しい」と言いました。すると森山牧師は「解説書には載っていないが先輩の牧師が言っていた。その牧師はすでに亡くなった」などと支離滅裂な言動を行いました。
4,古い資料の発見
私は,1992年2月に東京から北海道札幌市に移転した際,拉致監禁に関連する資料等を土浦にあった原研の施設の倉庫にしまっておきました。最近になってその倉庫を訪れたところ,YCさんが監禁から解放後に書いた手記,昔私が撮影した水茎会のアジトの写真,及び私が作成した水茎会のアジトの一覧表などが出てきました。

<写真右手が当時の水茎会のアジトの一つ、荻窪栄光教会(伊勢谷氏撮影)>
YCさんの手記には,宮村がYCさんの父親を説得して「重い腰をあげ」させ,拉致監禁を実行させていたことなど,当時の状況が明記されていました。また,荻窪栄光教会での監禁中,YCさんに対して脱会説得したのは森山諭牧師ですが,YCさんを■■から同教会まで拉致する際には,ワゴン車の中に宮村も待機して,拉致に協力していたことも明記されています。
宮村が森山諭牧師と組んで以降,荻窪栄光教会を拠点とする拉致監禁活動は激しさを増していきました。複数のマンション,アパートを監禁場所として使用し,多くの原研会員や統一教会信者らを拉致監禁し,同時並行で脱会強要を行うようになったのです。しかも,脱会が確実となるまでは絶対に解放しないという徹底した態様を採るようになったため,監禁期間が長期化するなど,極めて悪質なものへと変化していきました。前記水茎会のアジトの写真には,拉致監禁,脱会強要に継続して使用していたマンション,アパート等が写っています。また,私が昔作成した水茎会のアジトの一覧表の中には,荻窪フラワーホーム705号室も挙がっていました。これは,後藤さんが監禁された804号室とは異なりますが,1991年頃までの間に既に宮村が荻窪フラワーホームを監禁場所として使用していたことが明らかです。
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伊勢谷氏は、もともとはクリスチャンだったそうですが、この監禁事件後、森山牧師や宮村氏と面会し、その際、森山牧師に、監禁を是とする根拠が聖書のどこに書かれているのかと質問をしています。
森山牧師の答えもこの陳述書の中に書かれています。
また、YC氏の手記を発見した経緯についても簡単に書かれています。
この手記をはじめ、先回の口頭弁論で原告側から提出された証拠品の中には、伊勢谷氏が収集したものが少なからず含まれています。
伊勢谷氏の拉致監禁をなくしたいという熱い思いが、四半世紀のときを経て、証拠発見につながったのかもしれません。
陳 述 書
本書面においては,■■大学にて全国大学連合原理研究会(以下「原理研究会」といいます)に所属していたYCさんが,荻窪栄光教会に監禁され脱会説得を受けていたときの状況,そのときの森山諭牧師及び宮村峻の関与,及びこの事件を契機としてその後宮村が原理研究会及び世界基督教統一神霊協会(以下「統一教会」と言います)の信者らに対する拉致監禁,棄教強要活動に関わるようになった経緯について述べます。
1,経歴
私は,1950年9月30日北海道の二海郡八雲町に生まれ,1976年3月東北福祉大学福祉学部福祉学科を卒業しました。私は小学生の頃から日本基督教団八雲教会に通い,高校3年の12月に洗礼を受けました。1969年4月から東京の大学に1年間通い,1970年4月,19歳のとき東北福祉大学に再入学しました。入学後は下宿近くにあった日本イエス・キリスト教団仙台北山教会に通いました。私は当時,カウンセリングの勉強をしていましたが,自分自身が明確な人生観を持っていないと他の人の悩みや人生相談に答えることはできないとの思いもあり,キリスト教会に通いました。なお,日本基督教団もイエスキリスト教団も一般のキリスト教団であり,どちらも統一教会に対しては激しく反対している教団です。ちなみに当時日本イエス・キリスト教団仙台北山教会の日曜礼拝で配布される週報の折りたたみには「統一教会へは決して行くべからず。」と書かれていました。
1970年6月6日(土),大学の1年先輩だったHKさんが私の下宿に訪ねて来て,統一教会の修練会に誘われました。当初は北山教会の牧師から詳しく話を聞いて,統一教会のことをやり込めてやろうなどと思っていまいましたが,翌日,HKさんが再び訪ねてきて色々と話す中で,統一教会の人達が純粋な気持ちから「伝道」を行っていることに感心し,修練会に参加してみようと思うに至りました。
6月11日,私は渡された統一教会仙台教会の住所と地図を頼りに一人で仙台統一教会を訪ね,4日修練会(6月11日~14日)に参加しました。私はクリスチャンであったため,イエス観の違いに戸惑いましたが,統一教会の神観,罪観にはとても感動しました。
その後すぐに,神奈川県厚木市において行われた統一教会主催の14日間の特別修練会に母親の了承を得て参加しました。この時母は,「学校の勉強だけが勉強じゃないから行って来たら」と言って快く送り出してくれました。7月1日,修練会を終えて仙台教会に戻った日に私は統一教会に入会し,その日の夕方,下宿を引き払って青葉区花壇にあった学生寮に引っ越し,学業に励みつつ統一教会の活動に従事しました。
1973年には仙台に原理研究会(統一原理を研究する学生サークル)を作ることになり,私は他の学生数人と東北福祉大学原理研究会を立ち上げました。
1975年2月8日,韓国ソウルで行われた1800双の国際合同祝福結婚式に参加し,妻・A(2010年8月死去)と祝福を受けました。
1976年3月,大学を卒業し,その後原理研究会の学生の指導員として熊本,群馬,東京など各地をまわったり,原理研究会本部で教育部に所属して修練会の講師を務めるなどしました。
1980年秋から1991年末までの11年間,私は原理研究会本部で法務対策室長及び広報部長を務めました。当時原理研究会に反対する牧師らが会員の親族を巻き込んで行う違法な拉致監禁・脱会強要活動が会員に対して行われていましたが,私は法務対策室長として,人身保護請求などの裁判に関わるなどし,監禁された会員を救出する活動を行ってきました。私がYCさんの拉致監禁事件に関わったのは,この間でした。
1992年2月,私は,東京から北海道札幌市に移転し,元衆議院議員秘書,現衆議院議員秘書など,カウンセラーの仕事などを歴任しました。2007年頃からは北海道の教区にて教会職員を務めるようになり,現在に至っています。
2,YCさんの拉致監禁事件について
YCさんは1984年当時■■大学の学生で原理研究会のメンバーでした。YCさんに対する拉致監禁事件が起きるまでは私はYCさんに会ったことはなかったと記憶しています。1984年11月6日の朝,■■大学原理研究会のメンバーから,YCさんが,拉致されたとの連絡があり相談を受けました。当時は東京杉並区荻窪にある日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会において統一教会信者及び原研会員に対する拉致監禁を手段とした脱会強要活動が頻繁に行われていたため,私はYCさんも同教会に拘束されている可能性があると思い,すぐに行って確認してみてはどうかと提案しました。11月7日の昼頃,■■大学原研の学生からYCさんが同教会に監禁されているとの連絡が入りました。私は荻窪警察署を訪れ,Mという警察官と名刺交換し,YCさんが荻窪栄光教会に監禁されていることを伝え,同行を依頼しました。ところがM氏は「問題を起こさないように」と言うだけで同行してはくれませんでした。やむなく私はこの日の夕刻,世界日報社という新聞社に勤務していた井口康雄さん,及び井口さんが連れてきた同社の記者と共に,荻窪栄光教会に行きました。
荻窪栄光教会には,■■大学の学生達が既に来ていました。私が教会横の戸を叩くと男性が出てきて応対しました。私は荻窪署に行った上で来ていること説明し,YCさんのことで来たことを伝えました。玄関左手には2階に通じる階段がありましたが,井口さんが2階に向かってYCさんに呼びかけると,それに呼応して,「ここにいるよ,Yです。助けて!」という女性のせっぱつまった声が聞こえてきました。2階では誰かがYCさんを阻止しており,YCさんは部屋から出てくることができずにいました。そのうち数名の男性が玄関に下りてきて押し問答になりました。その間,事務室らしいところから男性が警察に電話している声が聞こえてきました。後でYCさんに聞くと電話をかけた人物が宮村峻との事でした。やがて荻窪署の警官がM氏を先頭に数人来て,何の説明も聞かず,我々に対して「家宅侵入で逮捕するぞ」と恫喝してきました。私と井口さんとは,「部屋の中からYCさんが助けを求めて叫んでいる。緊急避難だ」と言って抗議しましたが,2人とも無理矢理荻窪署に連行されてしまいました。
荻窪署では,「家宅侵入だ」,「いや緊急避難だ」と押し問答が続きました。このため私は荻窪署の電話器を借りて上野忠義弁護士に電話を入れました。上野弁護士は当時このような拉致監禁事件に対して人身保護請求手続などに熱心に取り組んで下さっていた弁護士でした。上野弁護士は私達の行動について「緊急避難で何も問題がないので,警察の人に弁護士が言ったと伝えなさい」と言われました。そこで私がその旨警察官に伝えると,警察官はすぐに私達2人を解放してくれました。
荻窪栄光教会近くで先に来ていた■■大学の学生達と合流し,様子を聞いたところ,警察官立ち会いのもとYCさんと5分くらい話すことができたとのことでした。YCさんが「後3日間,11月10日まで話すことにしました。11月11日を過ぎても帰ってこない時は助けに来てください」と警察官に向かって言ったとのことでしたので,私達はそのまま引き返しました。
11月11日,■■大学原理研究会から,YCさんが無事に帰って来たとの連絡を受けました。後日YCさんから聞いたところによると,YCさんは山梨県の出身でYCさんのお父さんは高校の教師でしたが,宮村峻はその教え子でYCさんの家によく遊びに来ていたそうです。宮村は学生時代,全共闘運動の活動家で,原研の学生によく理論闘争を挑んでいたそうです。宮村は原研を目の敵にしていたため,YCさんの父親に働きかけて,脱会説得をするよう仕向けたとのことでした。一方,宮村は家が栄光教会の近くにあり,宮村の夫人と栄光教会の朴副牧師の夫人とが知り合いだったそうです。森山牧師が統一教会に対する反対運動をしていると知った宮村は,森山牧師に相談し,今回の事件に及んだとのことでした。この内容は,後に森山牧師,宮村に会ったときに確認しました。
YCさんに対する拉致監禁に関わったことがきっかけで宮村はその後森山牧師と組んで原研会員及び統一教会信者に対する拉致監禁にかかわるようになりました。
なお,残念なことにYCさんは,その後実家に帰った際,再度宮村等により脱会説得を受け,1988年5月頃脱会してしまいました。その後1991年には「東京青春を返せ裁判」の原告の一人として,統一教会に損害賠償請求をするに至っています。
3,森山諭牧師,宮村峻との面談
1985年2月頃,ある原研会員が行方不明になり,私は荻窪栄光教会に監禁されているのではないかと思って同教会を訪ねました。行方不明になった会員は同教会にはいませんでしたが,私は同教会の会議室のようなところに通され,そこで,森山諭牧師,及び宮村の2人と4~5時間にわたって面談しました。私は統一教会に入会する以前には仙台にて森山牧師と同じ日本イエス・キリスト教団に所属する教会に通っていましたので,同じクリスチャンとして誠意を持って話し合いに臨みました。ところが,宮村はこれ見よがしにタバコを吸いながらふんぞり返り,「自分は左翼で信仰も持っていないし,教会の信者ではない」と言い,面談中しばしば怒鳴り声を上げました。
また,森山牧師の話の内容や態度から,私は同牧師の偽善性を強く感じました。私は森山牧師に対して「あなたが統一教会に反対するのは自由だが,あなたのやり方は監禁であり,到底許されるものではない。あなたが『監禁ではない,保護だ』と言っても,自由を束縛し,棄教するまで解放しないというやり方は間違っているし犯罪行為だ。信仰者として神様の目から見ても許されない恥ずべき行為だ。聖書で言っている偽善な律法学者,パリサイ人とはあなたのような人だ。イエス様の当時あなたが生きていれば真っ先にイエス様を十字架に掛けただろう。もしあなたの行為が正しいというのなら,聖書のどこに正しいと書いてあるのか,聖句で示して欲しい」と詰め寄りました。これに対し森山牧師は返答に窮し,15分くらい沈黙した上で,新約聖書のマタイによる福音書第11章12節の「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで,天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」という聖句を持ち出しました。そして,「この奪い取るというのが,自分の行為の正当性だ」などとまったく信じられない暴言を吐いたのです。普段は「聖書を勝手に解釈するのは許されない。聖書は真理であり,すべての尺度は聖書である」と述べていながら,いざ自分が不利になると勝手な聖書解釈を施して自身の行為を正当化しようとする偽善性,欺瞞性にあきれ果て,私は「どこにそのような解釈があるか聖書事典,解説書を持ってきて見せて欲しい」と言いました。すると森山牧師は「解説書には載っていないが先輩の牧師が言っていた。その牧師はすでに亡くなった」などと支離滅裂な言動を行いました。
4,古い資料の発見
私は,1992年2月に東京から北海道札幌市に移転した際,拉致監禁に関連する資料等を土浦にあった原研の施設の倉庫にしまっておきました。最近になってその倉庫を訪れたところ,YCさんが監禁から解放後に書いた手記,昔私が撮影した水茎会のアジトの写真,及び私が作成した水茎会のアジトの一覧表などが出てきました。

<写真右手が当時の水茎会のアジトの一つ、荻窪栄光教会(伊勢谷氏撮影)>
YCさんの手記には,宮村がYCさんの父親を説得して「重い腰をあげ」させ,拉致監禁を実行させていたことなど,当時の状況が明記されていました。また,荻窪栄光教会での監禁中,YCさんに対して脱会説得したのは森山諭牧師ですが,YCさんを■■から同教会まで拉致する際には,ワゴン車の中に宮村も待機して,拉致に協力していたことも明記されています。
宮村が森山諭牧師と組んで以降,荻窪栄光教会を拠点とする拉致監禁活動は激しさを増していきました。複数のマンション,アパートを監禁場所として使用し,多くの原研会員や統一教会信者らを拉致監禁し,同時並行で脱会強要を行うようになったのです。しかも,脱会が確実となるまでは絶対に解放しないという徹底した態様を採るようになったため,監禁期間が長期化するなど,極めて悪質なものへと変化していきました。前記水茎会のアジトの写真には,拉致監禁,脱会強要に継続して使用していたマンション,アパート等が写っています。また,私が昔作成した水茎会のアジトの一覧表の中には,荻窪フラワーホーム705号室も挙がっていました。これは,後藤さんが監禁された804号室とは異なりますが,1991年頃までの間に既に宮村が荻窪フラワーホームを監禁場所として使用していたことが明らかです。
以上相違ありません。
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2012-12-04(Tue)
後藤徹氏の準備書面(12)その1-宮村氏は,「マニュアル」を通して自身の手法を統一教会に反対する全国の牧師等に指導した « ホーム
» 宮村氏の恩師の娘、YC氏の手記-宮村氏の計画は完璧だった。路上拉致を立案、実行した宮村氏
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- 「拉致監禁by宮村の裁判記録」に 新しい陳述書が紹介されていました。 伊勢谷俊昭氏の陳述書-荻窪栄光教会に監禁されていたYC氏を救出にいった伊勢谷氏 先日、私の記事でも紹介し...
- [いつも私のとなりに神さま] 2012-12-08 07:59
物的証拠
この拉致監禁に関して、物的証拠というものが少なく、難しかったこともあると思います。伊勢谷氏が、20年も前に、しまっておかれたものをこの時に発見されたことは、驚きです。それも、宮村氏と直接の関係あるものですから、ゆるがぬ証拠です。次の口頭弁論、がんばってください。
聖書的根拠
<新約聖書のマタイによる福音書第11章12節の「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで,天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」という聖句を持ち出しました。そして,「この奪い取るというのが,自分の行為の正当性だ」などとまったく信じられない暴言を吐いたのです>
監禁を正当化する聖書的な根拠(大義名分)って、いいかげんなんですね。
参考までに。
聖書には、イエスが、教会施設内で店を出していた露店商を批判し、店を壊した、といった話が載っています。
キリスト教系の大学で、CARP学生に対して暴力をふるっていた自治会の学生らはよくこの聖句を引き合いに出して、暴力を正当化させていました。
まあ、日本基督教団にしろ、他のキリスト教会では「異端だから」という理由で、統一教会の信仰を破壊することは、暴力でもなんでもOKなんでしょうね。
監禁を正当化する聖書的な根拠(大義名分)って、いいかげんなんですね。
参考までに。
聖書には、イエスが、教会施設内で店を出していた露店商を批判し、店を壊した、といった話が載っています。
キリスト教系の大学で、CARP学生に対して暴力をふるっていた自治会の学生らはよくこの聖句を引き合いに出して、暴力を正当化させていました。
まあ、日本基督教団にしろ、他のキリスト教会では「異端だから」という理由で、統一教会の信仰を破壊することは、暴力でもなんでもOKなんでしょうね。
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