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星野結美氏の陳述書-両親が宮村によって完全にコントロールされ、宮村の計画通りにことが進められていた

原告側から出された陳述書を紹介します。
この星野結美さんは、1988年に宮村氏に監禁下の説得を受けた経験を持っています。
後藤氏の1回目の監禁とあとになります。

監禁場所には、後藤徹氏の兄もきたようです。
また、文中に出てくるNと名乗る女性の元教会員とは、NI氏のことと思われます。

なお、星野結美さんが実名掲載を承諾してくださいましたので実名になっていますが、ご家族、元信者、団体名、地名などは、適宜、伏字もしくはイニシャルとなっています。
陳 述 書

星野結美



                                   
 


1.初めに
 私は、1988年の11月の中旬ごろ、世界基督教統一神霊協会(以下、統一教会)の信仰から棄教させようとした親族らによって拉致され、東京都杉並区荻窪のマンションに連行された後、その一室に監禁され、約4ヶ月間にわたって脱会を強要されました。このとき私に対する拉致監禁、脱会強要に関与したのは、後藤徹さんの事件で被告となっている宮村峻でした。以下その経緯を述べます。

2.略歴
私は19●●年●月●●日に父・●●●●、母・●●の長女として●●県●●市で生まれました。兄弟は2歳下の弟が一人いて●といいます。地元の公立小、中、高等学校を卒業後、1981年に東京都●●●区にある●●●●●●●●大学の●●科に入学して1983年3月に同大学を卒業しました。その後、しばらく東京で就職活動をしていました。
父は●●県●●市で●●●●●●●●●を経営し、母はその会社の経理を担当していました。その後、父は、1997年12月に胃癌のために他界しました。現在は、父の事業を弟が受け継ぎ、母は、弟の会社を手伝っています。  

3.統一教会への入教
 私は、短大を卒業後、自分に合う仕事を見つけるために東京の下宿先に残り、アルバイトをしながら就職活動をしていました。仕事をするなら一生涯続けられる事をやりたいと思っていた私は、中途半端な気持ちで就職したくなかったので、なかなか仕事が見つかりませんでした。そんな折、1983年の3月に東京都●●●で買い物をしていた時に路上で●●●●さんという方に声をかけられて、吉祥寺にあったビデオセンターを紹介され、そこに通うようになりました。ビデオセンターとは、統一教会の教義である統一原理をビデオで紹介している所をそのように呼んでいました。2ヶ月ほどそのビデオセンターで教義を学びましたが、私の就職を心配した両親によって●●の実家に呼び戻され、ビデオセンターには通えなくなりました。その後、今度は●●駅の近くの路上で●●さんという方に声をかけられて、千葉市のビデオセンターで再び統一原理を学ぶようになりました。私は、父親が紹介してくれた実家の近くで●●●●●●●のインストラクターをしながら、●●市の実家から週に1、2回程度●●市のビデオセンターに通いました。
 半年ほどそこで統一原理と統一教会の創始者である文鮮明師について学ぶなかで、文師が神のため、世界平和のため、人類のために生涯を捧げられた人物であった事を知り、私も同じような生き方をしたいと思うようになりました。もともと人生の師を探していた私は、この文鮮明師こそ私が捜し求めていた人物だと思うようになりました。 
それまで私が宗教と関わりをもったのは、両親が檀家をしていた日蓮宗と小学校の時に通っていた実家の近くのキリスト教会でしたが、どちらも私にとってはあまり魅力のないものでした。一方、統一教会は教義だけでなく実際に世界平和を実現するために献身的に活動している事を知って、この統一教会の信徒の方達と共に世界平和の為に働く事こそ私が探し求めていた一生涯を捧げられる仕事だと思うようになりました。
しかし、それでもこの統一教会が本物なのか、あるいは、何か詐欺まがいの宗教に騙されているのではないかと確信が持てなかったので、統一原理を紹介していたビデオセンターだけでなく、創価学会、真光教、生長の家など、他の新興宗教団体にも通ってみました。そうする中で、私は統一教会に対する確信を得て1984年4月に勤めていた●●●●●●●を辞めて、統一教会の活動に従事するようになりました。
  
4.親族の反対
 私が千葉のビデオセンターに通うようになって、頻繁に家を空けるので何かおかしいと思ったのか、私がまだ統一教会の事を親に話す前であったにもかかわらず、ある日、突然、父が「今通っているのは統一教会じゃないのか?」と聞いてきました。当時、父は統一教会だけでなく、新興宗教全般をよく思っていないようでした。私は「実際にどんな所か確かめもしないで、悪い印象だけで決め付けないで欲しい」と言いましたが、父は娘がわけもわからない所に行くのを恐れているようでした。母は特に反対しませんでしたが、時々私が仕事の帰りに統一教会に行くのではないかと職場まで見に来たこともありました。

5.拉致監禁に至った経緯
 当時、弟は、●●県●●にある●●●●大学に通っていました。後に母から聞いた話によると、弟は、私が仕事を辞めて統一教会の仕事に従事し始めた事を知ると、友人の紹介で反統一教会で有名だった東北学院大学の浅見定雄教授(当時)に会いに行ったそうです。浅見氏は自分が統一教会の脱会説得をしてあげても良いが●●からは遠いということで、弟に東京都杉並区荻窪にある日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会(以下、栄光教会)を紹介したそうです。その後、両親と弟で栄光教会を訪ね、礼拝の後に行われる集会に参加するようになったそうです。この集会は、当時、栄光教会の主任牧師であった森山諭牧師(故人)と宮村峻が中心となって統一教会信者となった子供を脱会させるための父兄会で「水茎会」と言います。後に述べますが、私の両親と弟は、この水茎会の集会に参加するようになり、そこで宮村を紹介されました。私の両親は、宮村から統一教会と文鮮明師に対するあらゆる誹謗中傷を聞かされ、恐怖心を煽られた挙句、私を拉致し監禁してまでも脱会させなければならないと思い込まされたようです。両親等は、私の前では、両親の方から宮村に子供を脱会させるように説得して欲しいと個人的にお願いして、その結果、宮村がわざわざ私のために監禁場所まで来るようになったという形をとっていましたが、実際のところは全く逆で、宮村によって全てがお膳立てされた中で、両親の方が宮村によって完全にコントロールされ、宮村の計画通りにことが進められていたのでした。

6.拉致、監禁の兆候
 私が統一教会の活動に従事して約3年経った1987年春ごろ、教会の責任者の方から「あなたが統一教会反対派グループによる拉致監禁のリストに載っている事が分ったから、気をつけないといけない。」と言われました。私は、それまでにも反対派のグループによって教育された家族によって、統一教会の信仰をもつ仲間が拉致監禁されて脱会を強要されていることは知っていましたが、まさか自分の親がそんなことを計画しているとは夢にも思いませんでしたので、責任者の方からその事を聞いてもどうしても信じられませんでした。しかし、もしもの事を考えて私は、統一教会反対派グループがどのような手口で拉致監禁による強制説得を行っているのかを学びました。しかし、心の中ではうちの親に限ってそんなひどい事はしないとタカをくくっていました。
その後、1988年の春に母親が突然、●●のビデオセンターを訪ねてきて、「統一教会の勉強をしてみたい」とビデオ受講を申し込んできました。それまでにも私は実家の両親に何とか統一教会を理解してもらおうと、教義のビデオを実家に持って行って見てもらおうとしたこともありましたが、両親は全く関心を示しませんでした。私は、母親が自分から理解しようとしてくれたことが嬉しく、すっかり喜んでいました。しかし、これも後になって考えてみれば、宮村や水茎会の人たちのアドバイスを受けて拉致監禁を実行するための準備として、私を油断させるための行動だったと思うと悔しくてなりません。もともと真面目な性格の母親は宮村の指示をきちんと守ろうとしたのだと思います。

7.荻窪のマンションへの拉致、監禁
 私は統一教会の教義に触れてから、それまであまり関心を持っていなかった家庭の重要性に気付かされました。そして結婚するなら尊敬する文鮮明師に相手の方を紹介して頂きたいと思いました。希望が叶って、私は文鮮明師によって同じ統一教会の信仰を持つHHさんを紹介して頂き、1988年10月30日に韓国で行われた統一教会の合同結婚式に共に参加しました。この合同結婚式に参加することは親にも話してありましたので、その後すぐに母親から連絡があり「結婚相手の方のご両親に一緒に挨拶に行きたいので、帰って来るように」と電話で言われました。母は、合同結婚式に参加することに対して特に反対する様子もありませんでしたし、電話の様子は賛同的な感じでしたので、私としては、まさかこの時に拉致監禁されるとは全く予想していませんでした。
1988年11月の中旬だったと思いますが、母親に連絡してHHさんのご両親に母と一緒に会いに行く日を決めて、●●県●●市の実家に夕方帰りました。家に帰った時から両親は何かおかしな雰囲気で、特に父親が落ち着かない様子でした。そして、私を居間に座らせて、「これからお父さん達と行って欲しい所がある。統一教会について話を聞いて欲しい人がいる。」と言われました。父が襖度を開くと、隣の部屋には大阪にいるはずの弟の●や、当時、長野県に住んでいた伯父の●●●と従兄弟の●●●が現れました。また近くに住む叔父の●●●●、●●●●や従兄弟たち●●●、●●●なども来ていたと記憶します。親戚の人たちは何の挨拶も無く黙っていたので、私は誰が来ていたかはっきり確認できませんでしたが、来ていた親戚は、ほとんどが男性で7人~8人はいたと思います。突然の只ならぬ様子に、私は直感的に、これは拉致監禁されるんだと思い、背筋が凍りつきました。父親が、「統一教会はとんでもないところだ。統一教会について詳しい人がいるので、会って話を聞いて欲しい。ここではなんなので別な場所へ行こう。」と言いました。私は、「どこに行くの?」「誰に会うの?」と聞きましたが、父は、「行けばわかる」と言うだけで、教えてくれませんでした。しばらく押し問答をした後、両手を父と弟につかまれ親戚に周りを囲まれながらそのまま家の前に停めてあった見たこともないワゴン車に無理やり乗せられました。私は、まったく予想だにしなかった出来事に対するショックと、いつもは仲がいい親戚たちが、すっかり変わってしまい、私のことをまるで気の狂った人を見るような目で見ながら拉致に加担するのを目の当たりにし、パニック状態になりました。帰宅してから、ワゴン車に連れ込まれるまでの時間は15分ほどでしたが、あまりにも手際が良く、抵抗する暇さえありませんでした。ワゴン車には父、母、弟と親せきが乗っていました。私は恐怖を感じて、車の中で「行く前に連絡しておきたい所があるので電話させて欲しい」と頼みましたが許されませんでした。途中、何度か連絡を取ることを願いましたが、とうとう最後まで連絡は取らせて貰えませんでした。「どこに連れて行くの?」「誰と会うの?」「これからどうなるの?」等、私が何か質問しても「行けばわかる」と言うだけで、皆、表情が硬く、緊張している様子でした。

 車は、●●から高速道路を通って東京方面に向かいました。この時、外はすっかり暗くなっていました。車の中では殆ど誰も口をききませんでした。途中、逃げようと思い「トイレに行かせて欲しい」と頼みましたがそれも許されず、行き先を聞いても教えて貰えませんでしたので、益々不安は募りました。私は、拉致監禁された経験者の話を聞いていたので、今から監禁されて、統一教会を脱会するまで閉じ込められるのだと思うと、心は真っ暗闇になりました。車があるマンションの前に到着してドアが開けられると、見たこともない10人くらいの人達が車を取り囲んでいました。私は恐怖心で頭が真っ白になりましたが、逃げるなら今しかないと思いとっさに走って逃げようとしました。しかし、そこにいた男の人たち数人に捕まえられ、地面から持ち上げられてエレベーターまで無理やり運ばれ、押し込まれました。そして、そのまま強引にマンション5階の一室に入れられました。後から分かったことですが、このマンションは、杉並区荻窪のマンションでした。そこには既に私が長期滞在できるように着替えや、生活用品が準備されていました。私は、ずっと前から拉致監禁を準備していたことを知り愕然としました。その日は家族と親戚、そして全く見覚えのない他人を含めて10人くらいが2DKの狭いマンションにごった返していました。私は、大勢で拉致監禁して脱会させる卑怯な手口に腹が立ち、「こんな卑怯なやり方は間違っている。すぐにここを出して欲しい。そうすればきちんと家族と話し合う。」と両親に言いましたが、両親は黙っていました。私は、半ばパニック状態になりながらも、自分が監禁されていることを外の人に知らせようと思い「ここから出して!」「だれか助けてください~!」「警察を呼んで下さい!」と大声で叫びました。さらに、壁を蹴飛ばしたり、コタツをひっくり返したり、物を投げたりもして抗議しました。ドアを見ると、取っ手の所にチェーンが何重にも巻き付けられていて、南京錠で施錠してあるのがはっきり見えました。また、窓は外が見えないように障子が閉めてあり、障子の格子は釘が打ち込まれ開かないように細工されていました。しかし、パニック状態の私に対し、その場にいた他の皆は冷ややかな目で私を見つめ、いくら騒いでもそこから出れるような様子はありませんでした。また、私は何よりも疲れてしまっていたので、脱出をあきらめるしかありませんでした。この時、母親が私の言葉に耳を傾けずに見ず知らずの他人と親しげに話していたので、これは相当前から準備されていたのだと思いました。私は奥の6畳くらいの畳の部屋に座らされていました。トイレに行こうと立ち上がって隣のキッチンを通りトイレのある所へ行こうとすると、そこから出入り口が見えました。玄関ドアは相変わらず鎖が巻きつけられて、南京錠がかけられてあり、玄関ドアの近くには逃げられないように男性が数人座っていました。私がトイレに立つと、急にその男性達が立ち上がりました。このことから、私が逃げるのを見張っている人達であることがよく分りました。仲の良かった従兄弟たちがそのように私を閉じ込めるためにここに来ているのかと思うと本当に悲しくなりました。
 私は、家族に対して何度も「こんなやり方は間違っている。ここを出して欲しい。そうすればきちんとと話し合うから」と言いましたが、父は、相変わらず「会って欲しい人がいる」「話を聞いて欲しい人がいる」の一点張りで、全く取り合ってくれませんでした。私は、家族とのやり取りや雰囲気から、「家族は誰かの指示に従っている」と確信しました。その理由は、私は、家族に監禁の不当性を訴え、「これからどうなるのか?」「いつまでここにいるのか?」「なぜ、こんなことをするのか?」など、いろいろな質問をして説明を求めましたが、家族は、自分たちの考えや言葉で説明することは一切せず、「会って欲しい人がいる」「話を聞いて欲しい人がいる」と言うばかりでしたので、家族が自分たちの意思で行っているのではなく、他人に意思決定をゆだねていると思いました。また、家族だけの考えで、こんな用意周到に手際よく、また、他人まで大勢動員して拉致監禁という犯罪的なやり方をするなど、とても考えられませんでした。さらに、これまで仲の良かった親戚や優しかった両親の様子ががらりと変わってしまい、自分たちの情を押し殺して無理なことを行っていることがありありと見て取れましたので、本人達の意思ではなく誰かの指示に従い必死で行っているとしか思えませんでした。私は、信じていた家族が私の意思を全く無視して、私の言うことよりも他人の指示に従っている事への悔しさと悲しさでいっぱいになりました。

8.宮村峻による脱会強要
 監禁された最初の日、夜遅くに突然、中年の男が何人かの若い青年男女を引き連れてマンションの部屋に入って来ました。私の家族は、特別に偉い先生を迎えるかのように振る舞いました。その男が宮村峻でした。私が家族に何を聞いても「会って欲しい人がいる」と言っていた、その主がいよいよ現れたと思い、緊張しました。宮村は部屋に入るや否や「ここはマンションの5階だからな、飛び降りたら足を折るだけじゃ済まないぞ。以前、逃げようとして足を折った馬鹿なやつがいたからな。俺はそこら辺のへっぽこ牧師とは違うからな!」と威圧的な態度で私を脅しました。タバコを口にくわえ威圧的な雰囲気の宮村に対し、その場にいた人たちは「宮村先生」と崇拝していましたが、私にはヤクザ者にしか見えませんでした。宮村は更に「俺は10年でも20年でも付きやってやるから、ここでゆっくりと勉強するんだな」と言いました。私には、この宮村の言葉は、あたかも「お前はもう統一教会をやめるまではここから逃げられないぞ」という脅しにしか聞こえませんせした。宮村は私に話しているというよりは、両親や親戚など、その場に同席している全員を威圧するかのように話していたので、益々その場は「宮村先生の言うとおりにしなくては」という雰囲気になりました。私は、「ここでは誰も私の味方はいないんだ」、と思いながらも「このヤクザのような男がどのように説得して脱会させるのか見てやろう」と半ば開き直りました。私は聖書の勉強をするように薦める宮村に「あなたはクリスチャンですか?」と尋ねました。宮村は「俺はクリスチャンではないが、聖書は信じている」と言いました。私は、聖書を信じているということはイエス・キリストを信じていることで、そういう人をクリスチャンと言うのではないかと思っていたので、不思議な事を言うなと思いました。信仰を持つ人間とは思えませんでした。聖書を持ち出しながらも神様やイエス・キリストを信じているとは一言も言わず、自分がクリスチャンだとは言わないので、私は聖書を脱会説得のために利用しているだけだと思いました。
また、私は宮村に「あなたは統一教会に反対する共産主義者ですか?」と尋ねました。すると宮村の態度が急に変わって、「何だと!」といきなり私の胸倉をつかんで殴ろうとしました。すると私の父親が「宮村さん、私が殴ります。」と言って拳で私の顔を殴りました。私はそれまで父には殴られたことがなかったので、ショックでした。娘を殴ったことのないその時の父の態度はぎこちなく、やらされているかのようでした。父親が私を殴る姿を見ながら薄ら笑いを浮かべる宮村の態度に、これは宮村が指示していたのだと思いました。また、私がトイレに入ろうとすると宮村は「何だ、祈祷するのか?」と言いました。宮村はこれまで監禁下で脱会させた教会員たちの行動と私の行動を照らし合わせているようで、一々私の行動に干渉しました。また、この時、宮村は、私がトイレで自殺でもすると思ったのか「そう言えば以前、醤油を飲んで自殺しようとしたやつがいたな。」とも言いました。そのためか、キッチンでは包丁や醤油や調味料などは一切隠されていました。また、窓は相変わらず障子の格子が釘で打ち込んであり、窓を開けることも外を見ることもできなかったため、私は息が詰まりそうで、気が変になりそうでした。宮村は何度も「お前が正しい判断ができるまで、10年でも20年でも付き合う」と繰り返し言い、その日は帰りました。
その日から、宮村はマンションにたびたび訪れました。宮村は、一人で来ることはほとんどなく、統一教会を脱会した元教会員を連れて来ることが多かったです。この時に訪れた元教会員で名前を覚えているのはTYですが、他にもたくさん来ました。A、K、Nと名乗る女性の元教会員も来たと思います。宮村は、よくその元教会員たちに統一教会で自分はこんなことをやらされた、と話をさせていました。また、後藤徹さんのお兄さんのGTさんがしばしば宮村や元教会員と共に監禁現場を訪れました。GTさんは宮村と違い紳士的な態度で、「一緒に原理の勉強をしましょう。」と言い、「もし誰かが私に統一原理が真理であることを説明してくれたら、私は統一教会に戻りたい」とも言っていました。
また、監禁されて最初の一ヶ月くらいは、家族の他、親戚や見たこともない年配の人がいつも必ず一人か二人いて、ドアの近くの部屋に座って交代で監視していました。
私が水茎会という言葉を初めて聞いたのは、監禁現場にいつも米を運んでくる人がいて、母に「あの人は誰」と聞いたところ、母が「水茎会の人」と言った時でした。また、監禁現場には見たこともない年配の人が何人も訪れて、時々、親戚に代わり玄関近くで私を監視しました。私が「あの人達は誰なの」と聞くと、母が「あの人達も子供が統一教会に入ってしまったのよ」と言っていましたので、水茎会の父兄なのだと思います。
私は、宮村が、統一教会員を説得する以上、聖書の内容や、統一教会の教義を良く理解して脱会説得に当たっていると思っていました。しかし、彼の話す内容を聞いて唖然としました。ある日、原理講論(統一教会の教理解説書)を持ち出して、「お前らは、この原理が真理だと言っているが、一体これはどういう意味だ」と言って原理講論の一部を引用して話しました。「“全てのものは陽性と陰性の二性性相からなっている”とここに書いてあるが、それじゃあ、この箸の陽性と陰性はどこだ?」と、箸を示しながら言うに及んで、「この人は、全然わかっていない」と思いました。宮村の言うことは教義の本質を離れた重箱の隅を突くようなもので、哲学や思想を知っている人の言葉ではなく、ただ、原理講論の一部分を切り取って、けなしているだけとしか思えませんでした。私は呆れて話す気も無くなりました。それに、どんなに話し合いの場と言っても結局、宮村の目的は統一教会員を脱会させることにあるので、いくら統一教会の教義を説明しても、このように重箱の隅を突いた嫌がらせのような質問で私の闘志を奪い、結局は無気力にさせ、もうどうでもいいと思わせて、信仰を捨てるように仕向けるのだと思いました。そこで、私は統一教会の正当性を話しても無駄だと思い、その後は宮村とはまともに話をするのをやめようと思いました。私が宮村の質問にのらりくらりと返答するので、再び宮村は「お前が話を真剣に聞くようになるまで、10年でも20年でもここにいろ!」と怒鳴りました。また、婚約者のHHさんに対しても、「今頃お前の相対者(婚約者のこと)は、祝福(結婚)を破棄してマッチング(結婚相手との見合い)を希望している。諦めたほうがいいぞ。」と私を脅し(後で、この宮村の話は全くの嘘であったことが分かった)、嘘をあたかも事実のように言って、脱会を促しました。
 この頃から、私は宮村とは適当に話しをしましたが、家族に対しては真剣に訴えました。「とにかく、このやり方は間違っている。ここから出て家族だけで話し合おう」と言いましたが、家族は「(ここを出てもいいか)宮村さんに聞かないといけない」と言い、頑として私の話には耳を傾けませんでした。それでも私の父親がある時、「統一原理の内容は正しいかも知れないが、今のこの時代にはまだ、受け入れられないとお父さんは思う。」とそのように言っていたのを聞いて涙が出るくらい嬉しく思いました。結局、宮村は「統一原理が真理かどうか確認しろ」と言いましたが、彼が話しに出すのは根拠のない文鮮明師の女性とのスキャンダル問題や、霊感商法のことばかりでした。そして、文鮮明師の誹謗中傷を繰り返し、私が質問に答えないと「こいつは基準が低いからだめだな。」などと人を馬鹿にした態度を示しました。宮村の話はとても神や聖書を信じる者の態度とは思えない、他人を侮辱するものでした。宮村が話している時に、話をする人は、一人もいませんでした。家族や親せきは自分たちの意見や考えを、言うことは全くなく、全ての判断を宮村にゆだね、任せきっていることがよくわかりました。この様子を見て、拉致監禁は、家族の考えや計画でなされたものではなく、水茎会の勉強会の場などで家族が宮村等から教育された結果であったことがよくわかりました。

9.偽装脱会
 1988年11月中旬から1989年3月中旬頃まで監禁されていた約4か月間の内の最初の約3分の1の期間、私は、拉致監禁という不当なやり方に憤り、反抗的な態度を示していました。しかし、どんなに反抗しても脱出できないと分かると、私は、脱会を偽装してここから出るしかないと思うようになりました。そこで、拉致監禁から1ヶ月半くらい経った頃、今まで宮村から聞いた話に沿って統一教会の組織や教義の問題点や間違いを手紙に書いて宮村に渡しました。書いた内容は、心にもないことでしたが、これで、私が信仰を棄てたことを示そうと思いました。話をするのでなく手紙に書いたのは、もう、これ以上、宮村と直接話をしたくなかったし、話だと偽装脱会がばれるかもしれないと思ったからです。しかし、その手紙を読んでも宮村は「そうやって偽装脱会して、ここから逃げ出そうとしたやつがいる。お父さん、お母さん、こいつらの言う事を信じちゃだめですよ」と言いました。また「俺はそこら辺のへっぽこ牧師とは違うぞ」と言いました。私はそれからも何度か統一教会に対する批判的な内容を手紙に書き、宮村に渡しましたが、宮村はなかなか信じませんでした。宮村の言葉の暴力によって屈辱を受け続け、心が傷つき、私は徐々にここから一生出られないのではとの絶望感に襲われて、また自分が統一教会の信仰を捨てるようなことになったら神に対してあまりにも申し訳ない、神様を悲しませてしまう、と思い自殺しようかとも思いました。そうやって自殺したら、この拉致監禁の犯罪が世の中に知れて、宮村達の犯罪行為が裁かれると思いました。真剣に自殺を考えて、その夜に神に祈っていると涙が出てきました。そして、死んではいけない、死ぬことは神様の願いではない、と思い再び偽装脱会の道を決意しました。宮村は本当に私に脱会の意思があるかどうか確認する為に、知っている教会員の名前や、婚約者のHHさんの実家の連絡先などを書くよう強要しました。私は迷惑がかかることを承知の上でしたが、これを書かないと信仰を棄てたこと信じて貰えないので、仕方なく踏み絵を踏まされる思いで書きました。この時の苦しみは、今、思い出しても涙が出てきます。
ある時は、トイレに小さな窓があったので、外に助けを求めるために、そこから「私は、このマンションに監禁されています。助けて下さい。」と、ノートのはじを切った小さな紙切れに書いて落としたこともありました。見つかるとまずいと思い、折りたたんで落としました。障子に釘が打ってあるため、窓も開けられず、窓から外に通じるのはそのトイレの窓しかなかったため、一縷の望みをかけて紙を落としましたが、結局、誰も助けに来てくれませんでした。

10.監禁からの脱出、解放
 私の棄教を宮村がなかなか信用しなかったため、密室の環境が長引き、その上、一歩も外に出して貰えないので、気が変になりそうでした。このような中で、私は「淫教のメシア文鮮明伝」など、統一教会を批判する本を5~6冊読ませられ、また、文先生の女性関係のスキャンダルを執拗に聞かされました。 
監禁期間が3ヶ月を過ぎるようになると、私はいよいよ精神的にまいって来ました。密室で3ヶ月も一歩も外に出られず監禁状態が続けば、誰でも気が変になるのは当然だと思います。このままではまずいと思い、何とか脱出方法を探さなくてはと焦りました。ボーっとしてしまうことも多くなり、また何の抵抗もしなくなったのを見て、両親や親戚の人たちは私が信仰を失ったと信じるようになりました。そのため徐々に監禁の程度が緩んできました。釘で固定してあった障子が開けられて外が見られるようになりました。しかし、相変わらず窓は開けてもらえませんでした。また、母親と二人だけになることも多くなりました。この頃になると、家族は私が信仰を棄てたことを信じていたようでした。それで、母に、どうして早く家に帰らないのかと聞きました。母親は「私たちもそうしたいけど宮村さんが良いと言わないんだよ」と言いました。私はこのままでは本当に気が変になると、大変な切迫感にかられ、脱出するための方法を必死で考えました。その時は、すでに玄関の南京錠も解かれていてロックを解除するだけで外に出られるようになっていました。この時、私がすぐに脱出しなかった理由は、偽装脱会中だったので、万が一失敗したら、また監禁が厳重になり、最初からやり直しと思ったからです。もし、そのような事態になったら、もう自分の精神がもたないと思うと、生きた心地がしませんでした。このため、確実に逃走できるチャンスが訪れるまで、ひたすら忍耐して待つしかありませんでした。私が、脱出方法を必死に考えると、自分でも不思議なくらいにアイデアが与えられ、ついに脱出のチャンスが訪れました。 
母親と私だけがいたある日、まず、私が浴室で洗濯をして、母親に「これをベランダに出して干して欲しい」と頼みました。母親は疑いなくベランダに出て洗濯物を干し始めました。そしてベランダに出る窓の鍵をかけて母親をベランダに閉じ込めたその隙にマンションから脱出しました。この時、自分の靴を隠されていたので、母親の靴を履いて逃げました。母親が「誰か助けて!」と叫んでいた声が耳を離れませんでしたが、私は、まずこの監禁状態から解かれなければ何事も解決しないと思ったので、後ろ髪を引かれながらも走りました。120日間殆ど歩いていなかったので、上手く走れるか心配でしたが、とにかく無我夢中で逃げました。自分でもどこをどうやって逃げたのか良く覚えていませんが、監禁中に話のはずみで荻窪駅の方向を教えてもらっていたので、荻窪駅を目指しました。しかし途中で、荻窪駅だと捕まるまもしれないと思い、タクシーに乗って外から見えないようにかがんで身を潜めました。この時にどこで降りたのか無我夢中でよく覚えていませんが、しばらくタクシーに乗った後、気がつくと映画館にいました。そこで2時間くらい身をひそめていましたが、いつ見つかるか、恐怖でいっぱいでした。荻窪近辺には水茎会のメンバーが複数住んでいたので、万が一見つかったらまた監禁されるという恐怖が襲ってきて、一瞬たりとも安心できませんでした。 
その後、しばらくして統一教会の責任者の方に電話して、近くに知り合いの飲食店があるということで、そこに向かいました。そこで知り合いの教会員の方に会って、初めて自分は無事に助かった、解放されたと思いました。

11.監禁解放後
監禁から解放された後も、いつまた見つかって拉致監禁されるのではないかと、なかなか外を一人で歩けませんでした。そこで、約3年間は自分の居場所が知られないように本名を隠し、名前を変え(本名はUYでしたが、SYあるいはKMと名乗っていました)、居場所を転々としました。家族に会いたいとも思いましたが、宮村との縁が切れていない限り再び監禁される恐れがあると思い、約3年間は家に帰れませんでした。この間、私は家に電話をして様子を窺っていました。ある時、電話での会話で、両親がもう監禁はしない、好きにしろ、と言ってくれましたが、なかなか信じることができませんでした。しかし、このままではどうしようもないと思い、1991年に約3年ぶりに実家に帰り、その後、1993年の夏から、再び両親と一緒に住むことにしました。この時は、もしかしたらまた捕まるかもしれないと決死の覚悟でした。こうして、1年間くらい実家に住んだ後、1994年の9月に北海道の夫のもとに行き、同年11月に北海道で結婚生活を始めました。
その後、夫が2005年にアメリカの大学に留学したので、私も2005年の夏に子供を連れてアメリカへ行き、現在はアメリカのニュージャージー州に住んでいます。

12.最後に
私が体験した拉致監禁、強制棄教において、水茎会の父兄が監禁の見張りをすることもありましたが、直接私を拉致しマンションに監禁して監視し続けたのは、私の家族であり親族が中心でした。しかし、以上述べた通り、拉致監禁という脱会強要の方法を考え、計画したのは家族や親族ではありません。私の父、母、弟が、宮村にその判断を全てゆだね、その指示を受けて行動していたことは間違いありません。また、監禁中、母から聞いた話によると、両親は水茎会の集会に●●の実家から約3年間通ったということです。また、監禁中に父は、「自分はあまりまじめに(水茎会の)集会に参加していなかったから、宮村さんに叱られた。」と言っていました。
 どのような方法をもってすれば、子供の脱会を成功に導くことができるのか。その「ノウハウ」について何の知識も持ち合わせていなかった家族が拉致監禁という凶行に走ったのは、自分たちの考えや計画によるものではなく、3年間足しげく水茎会に通って宮村等から学んだことを実践したとしか考えられません。水茎会の中心に君臨していたのは宮村峻でした。私と同じように拉致監禁され、宮村峻により被害を受けた複数の統一教会信者も同じように証言しています。
私が拉致監禁されてから既に23年経ちましたが、今でもその時の事を思うと、宮村から受けた精神的屈辱、一生、この監禁状態から出られないのではという恐怖心、両親や親戚との関係が最悪の状態になったショックが蘇ってきて、うつ状態になることがあります。これまでの人生の中でこんなにひどい仕打ちにあったことはありません。今回、私がこの陳述書を提出しようと思ったのは、私の拉致監禁に関与した宮村峻によって12年以上に亘って拉致監禁、脱会強要を受け、精神的・肉体的に計り知れない苦痛を受けた後藤徹さんのことを知ったからです。今でも、この後藤さんと同じように多くの統一教会の信者が、拉致監禁されて苦痛を強いられていると思うと、悔しく、また、このような卑劣な手段で統一教会から信者を脱会させようと、画策する宮村峻の横暴をこのまま見逃すことは絶対にできません。

私は現在アメリカに在住して、「アメリカ聖職者リーダーシップ協議会」(American Clergy Leadership Conference【ACLC】)という団体に所属し活動しています。ここでは、様々なキリスト教会の牧師に出会うことができます。アメリカの聖職者の方たちの中には、文鮮明師を素晴らしい宗教指導者として尊敬している牧師も沢山おられますが、中には異端の教祖として見ている方もいます。しかし、教派は違っても同じ神を信じ、イエス・キリストを信じる信仰者として、お互いの宗派をけなしたり、ましてや棄教させるために家族を利用して拉致監禁を教唆する聖職者などいません。2010年に後藤徹さんがアメリカに来て12年間に亘る拉致監禁の体験談を聖職者の方たちに証されたことがありました。その時に多くの牧師が後藤さんに同情されるとともに、信教の自由と人権が保障された先進国の日本で、今もこのような拉致監禁による強制棄教が行われていることに驚き、ショックを受けていました。私は同じ日本人として恥ずかしくなりました。もし、今後もこのような犯罪行為の野放し状態が続けば、日本は精神的な後進国になります。
後藤徹さんの裁判で公正な判決が下され、拉致監禁による脱会強要が二度と日本で起こることがないよう、心から願います。
以 上


拉致監禁撲滅のため
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2012-11-13(Tue)
 
まとめ【星野結美氏の陳述書−】
原告側から出された陳述書を紹介します。この星野結美さんは、1988年に宮村氏に監禁下の説得を受けた経験
[まっとめBLOG速報]  2012-11-17 04:46

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宮村大先生は読んでいるかしら? 

宮村お爺様、あら大先生に対して失礼いたしましたわ。
ごめんあそばせ。

宮村大先生のことは、宮村教信者さんのみならず、統一現役信者さんまで「凄い説得者」とおしゃってるようで、それをご本人は真に受けているようです。

だけどね、
宮村大先生も、いつ文ちゃんと同じ釜の風呂に入ってもおかしくないお年ですので、ここらで己を知ることも必要だと思います。

はっきり申しますわよ。

「ヘッポコ説得者!」

あ~、言っちゃった。
す~っきり。

俺はそこら辺のへっぽこ牧師とは違うからな!」

確かにね。

そこらへんの牧師は、
「“全てのものは陽性と陰性の二性性相からなっている”とここに書いてあるが、それじゃあ、この箸の陽性と陰性はどこだ?」

なんて聞かないわよ。

そんな質問したら、笑い話になって
大笑い!反対牧師の素顔
なんて漫画を光言社から発売されちゃう。

彼が話しに出すのは根拠のない文鮮明師の女性とのスキャンダル問題や、

そ~ね、そんなはしたないことも、そこらへんの牧師じゃ、話せないわよね。
だけど、そこらへんの牧師でないS牧師や故K牧師は平気で話せそうだけど。
故K牧師は、漫画を描きながら具体的に示したかもね。(その漫画見たかったわ~。)

宮村大先生、今度、統一さんと家族に文ちゃんの女性スキャンダルを話すなら、ついでに自分の女性遍歴も話すことをお勧めするわ。
「俺はこんなにモテルんだ~。」と例の如く威張って言えば、宮村大先生への尊敬は更にアップよ。

話し変わって

宮村大先生、
今まで何人説得に失敗したかしら?

宮村大先生の説得のための監禁期間は長いわよね。

長く監禁説得して失敗する

ヘッポコヘッポコヘッポコ~。

ある説得者が申してましたわよ。
「宮村さんは何もわかっていない。」

The end
ご愁傷様
南無阿弥陀仏
アーメンソーメン冷やしラーメン





2012-11-14 00:13 | koyomi | URL   [ 編集 ]

タクシー 

<偽装脱会>
  ↓
<ベランダに出る窓の鍵をかけて母親をベランダに閉じ込めたその隙にマンションから脱出>
  ↓
<タクシーに乗って外から見えないようにかがんで身を潜め>逃走

ホッ。本当に良かったですね。奇跡的な脱走・生還。心から嬉しく思います。

もし、徹さんのように財布とかをすべて取り上げられていたら、タクシーに乗れず、途中でつかまって、再監禁になっていたかもしれません。
この貴重な証言は絶対に無にできません!
2012-11-14 08:59 | みんな | URL   [ 編集 ]

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拉致監禁被害者後藤徹氏の裁判を支援する会
世話人:宿谷麻子 <2012年10月15日逝去>
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