松永堡智氏の準備書面(4)-拉致監禁による脱会強要についての情報交換などはしたことがないと主張する松永牧師
先回の記事で、松永牧師の「監禁マニュアル」についての反論を次に掲載すると予告したのですが、うっかり、掲載し忘れていた松永牧師の準備書面がありましたので、そちら(準備書面(4))を掲載します。
この準備書面は後藤徹氏の準備書面(8)の反論となります。
後藤徹氏の準備書面(8)で後藤徹氏側は、松永牧師が、拉致監禁による脱会強要の先駆者とも言うべき森山諭牧師と強制的脱会説得について情報交換をしていたのではないかと主張していますが、松永牧師はこの準備書面でこのことを否定をしています。
森山牧師の勉強会に参加した事は認めているものの、「森山牧師から,聖書と統一協会の教えがいかに乖離しているか,どのように乖離しているかについて話を聞いた」だけだと述べています。
森山諭牧師は、『夕べ雲焼くる』と題する著書で,統一教会信者の意思に反する強制的な脱会説得を行っていたことを自ら認めてます。
森山先生は、著書で熱く語っていらっしゃることを、じかにお話になる事はなかったのでしょうか?
それに松永牧師は「監禁マニュアル」(松永牧師ご本人は監禁マニュアルではないと否定)や「監禁指南ビデオ」(こちらは、試作品とおっしゃっています。)は、どのように説明なさるのでしょうか?
東京地方裁判所民事第12部 御中
以下のとおり,原告準備書面(8)に対して反論する。
第1 「第1」について
1 「1」について
(1) 脱会届・偽装脱会と拉致監禁について(原告準備書面(8)1頁目13行目以降)
まず,原告は,脱会届や反省文を作成したのは,そうしなければパレスマンション多門から脱出できない状況にあったからに他ならないと主張するが,これは,事実に反する。
実際,原告が■<後藤徹氏の妹>らと話し合いをしていた新潟のパレスマンションには,備え付けのもの以外に窓や玄関に鍵はなく(乙イ5被告■<後藤徹氏の兄嫁>陳述書28頁21行目以降,乙イ10号証被告■<後藤徹氏の兄>陳述書15頁23行目~16頁4行目),原告が出て行こうと思えばいつでも出て行かれる状況であった。しかし,原告が家族との話し合いを公然と拒絶して出て行こうとしたことはなく,原告の意思でパレスマンションにとどまっていたものである(乙イ7号証被告■<後藤徹氏の妹>陳述書22頁11~15行目)。
さらに,脱会届は,原告の意思で書かれたものである(乙イ7号証被告■<後藤徹氏の妹>陳述書21頁18~22行目)。結局,手記や手紙などを作成した後も,そして被告松永がマンションを訪れなくなったあとも,原告は,家族との話しあいを継続するために,パレスマンションにとどまり続けている。そして,このパレスマンションには,1996年3月頃に故■<後藤徹氏の父>が療養のために東京に戻ってからは,ほとんど母■と,被告■<後藤徹氏の妹>と原告しかいなかったことからすれば,原告が,自分で出ようと思えばパレスマンションを出ることの出来る状況にあったことは明らかである。このように,原告は自らの意思で,手記等を作成し,その後も家族との話し合いのために,マンションにとどまり続けたのである。
また,原告は,「(松永準備書面(3)に記載の)『偽装脱会』しなければ,『家族との話し合い』を回避できない状況とは,すなわち,信者が,家族らによって拘束されている状況に他ならない」などと主張し,偽装脱会したことが,家族によって拉致監禁されている証拠である等,被告松永の主張の一部分を取り上げて,わざと曲解している。
しかし,まず,原告は,■<後藤徹氏の父>らと場所を保谷市の自宅から移動して話し合いをすることについて,了解して,話し合いを開始した(乙イ5号証被告■<後藤徹氏の兄嫁>陳述書26頁)。これは,原告が父の必死かつ真摯な訴えに,家族と話し合うことを拒絶できないと考えたからであり,原告本人の意思である。
また,パレスマンションは,上述のとおり,特別な鍵など設置しておらず,拉致監禁状況などではなかった。しかし,統一協会では,家族で話し合いをするときは,拉致監禁状況におかれる,と教え込まれる。そのために,鍵などなかったのにもかかわらず,あったと思い込んでしまうのである。実際に原告は鍵を見ていない。
したがって,原告が「偽装脱会」したのは,パレスマンションを出るためではない。原告は自らの意思で家族と話し合いにのぞんだものの,■<後藤徹氏の父>らと統一協会について,あるいは自らの信仰について話しをしているうちに,統一協会の欺瞞生に気づき,これ以上統一協会についての話し合いを続ければ,信仰を失ってしまうと考え,話し合いをさせないようにするためである。統一協会信者が,欺瞞生に気付き始めても信仰を失うことに非常に恐怖を覚えることは,元信者である■<後藤徹氏の兄嫁>の陳述書で説明されているとおりである。
(2) 松永の関与について(原告準備書面(8)2頁6行目以下)
原告は,「被告松永が原告の許に行かなくなったのは,原告が脱会の意思表明をし,それ以上被告松永として話すべき内容がなくなったからにすぎない。被告松永においては,原告が未だ偽装脱会をしている疑いを持っていたからこそ,被告■<後藤徹氏の兄>らをして原告の監禁を継続させたものである。」と主張するが事実と異なる。
まず,原告は拉致監禁されていたのではない。原告が自らの意思で家族と話し合いの場に行く,ということを選択したのである。もっとも,話し合いの場には自らの意思で行ったものの,そこで,原告は■<後藤徹氏の父>らときちんと向き合って話しをしようとはしなかったのである。それは,原告と話し合いをしたいという故■<後藤徹氏の父>の必死の願いを叶えると同時に,家族と本質的な話しをすることを禁ずる統一協会の指示を両立させるための手段であった。
そして,自ら家族と話し合いをすることに応じたにもかかわらず,原告が現在その話し合いについて強制的に拉致監禁されたと主張しているのは,統一協会のキャンペーンの為にすぎない。
原告が偽装脱会をしたのは,故■<後藤徹氏の父>らとの真剣な話し合いを避けようとしたからである。偽装脱会をやめなかったのも,偽装脱会を疑われているからではなく,ただ家族との,真剣な話し合いを避けるためである。
もし仮に,原告が主張するように,原告を強制棄教させるために拉致監禁して被告松永が原告と話をしているのであり,原告が自分の気持ちを偽っていることが被告松永にとって明らかならば,被告松永がとるべき手段は単に監禁の継続ではなく,原告と被告松永との話し合いの継続であるはずである。しかし,本件では,被告松永は原告との話し合いをやめ,原告は家族との話し合いを継続したのである。かかる事実は,話し合いの目的が強制棄教であるとする原告の主張と矛盾するし,全て被告松永の指示のもと行われているとする原告の主張とも矛盾する。
被告松永が原告と話し合いをするのは,家族の一人が統一協会に入ったことで裂かれた家族の間の絆を家族自身が元どおりにするための話し合いをする手助けをするためである。だからこそ,最終的には,家族が自分たちで話し合って,家族の絆を取りもどさなければならないし,家族同士で腹を割って話し合える関係にならなければ,家族は,話し合いをやめるという結論には至らないのである。本件で,原告が脱会を表明し,手記を書き,被告松永が話し合いに参加しなくなった後も,家族で話しあいを続けていたのは,故■<後藤徹氏の父>らと原告とが家族の絆を取りもどすための話し合いを継続しようとしていたからであり,この話し合いが,原告と家族の意思によるものであり,被告松永の主導によるものではないことの証左である。
話し合いの最終的な目的は脱会ではなく,家族関係の修復である。家族の問題であるのにもかかわらず,統一協会は信者にこれを拒絶させるために都合良く歪曲して強制改宗と吹聴しているに過ぎない。もし,原告の主張するように,強制改宗であるなら,家族が関与することなく,カウンセラーと呼ばれる人達と信者だけで行えばよいはずであるが,実際は家族が主体となって話し合いをしている。それは家族が信者との間に溝ができたことに悩んで,これを解決したいと考えるからである。そもそも家族がなぜ悩みを抱えるようになるのか。最初は信者が統一協会の活動に従事することを黙認していた家族ですら,その後,信者らが霊感商法で他人に迷惑をかけていることを知り,そのことを話し合おうとすると,信者が違法な霊感商法すら正しいと信じ込んでいるために,家族の対話が成立しなくなることを知って相談に来るのである。このことからも明らかなように,この問題は,信仰の問題とか,宗教の問題ではなく,家族の問題なのである。被告松永は,この家族の話しあいの手助けをするだけである。
(3) 『親は何を知るべきか』の推薦文について(甲24)
また,被告は『親は何を知るべきか』という書籍に,被告宮村が書いた「脱会には特別な知識と経験を持つ,医師のような先生が必要不可欠」などと一部分のみを取り出して,前後の文脈,同書の構成を無視して,かかる部分についてその先生に頼る以外に道はないことを強調し」ている,などと解説する。
しかし,この解説自体,被告宮村の記述を曲解するものであり,被告宮村記述部分全体を読めば,信者と話し合おうとする家族が,自分たちの理屈をただ信者に押しつけるだけでは信者が心を開いてくれず,話し合いは成立しないから,両親はそういった自分を変える必要がある,ということを述べているに尽きることがわかる。親が信者を見下したり,自分の意見を押しつけたりせずに,信者に心を開いて話しをしてもらうためには,信者がどのような状況にあるのかを理解することが必要だし,親自身が,自分たちがそのような態度をとりがちであるということに気がつくことも必要だが,統一協会の実態を何も知らない親が,本などの情報だけから統一協会及びその信者について理解をすることは難しく,そのために専門家が必要だと述べているに過ぎない。親が,信者となった子と話し合うに当たって,その一挙手一投足について,「先生」にお伺いをたてるという,まるで統一協会におけるアベルカインの教えと同じことを説いているわけではない。
また,同書は,被告宮村のみならず,この統一協会が家族を引き裂くと言う問題に,長年にわたって取り組んできた数名の各分野の専門家が記述をしている共著である(乙ロ8)。原告は,被告宮村が書いた本について被告松永が推薦文をよせているかのように主張するが,被告松永は,同書が,まさに統一協会によってその絆が引き裂かれていることに悩む家族に対する道標になることを期待し,この統一協会による家族分裂の問題に取り組む一人として,パスカル・ズィヴィ氏の依頼に応じて,推薦文を寄せたものである。あたかも,被告宮村が,統一協会問題に悩む家族に対して,統一協会のアベルカインの教えのような指導をし,これを被告松永が推薦しているかのような記述は,恣意的に書籍の一部のみを取り上げて,事実を歪曲した解説をつけて裁判所を欺こうとするものであり,事実とは異なる。
2 「2」について
(1)新潟のパレスマンションで,原告は拉致監禁されておらず,また,松永が拉致監禁の指導などしていないこと
原告は「被告松永は…勉強会において拉致監禁の指導を行っている」と主張するが,このような事実はない。
被告松永が,元信者およびその父兄らによる勉強会において話したのは,心の対応についてである。この「心の対応の仕方」については,甲44号証にもメモが有り,被告松永が,信者と話し合うにあたって,信者に心を開いてもらうためにはどうしたらいいのかということを話していることは明らかである。
原告は,この甲44号証について,小出浩久の甲45号証の陳述書において解説を加え,かかる陳述書をもとに,被告松永による拉致監禁の指導があったと主張するが,小出浩久の甲45号証は,事実に反する解説である。甲44号証のノートの記述そのものは,何ら拉致監禁指導を内容とするものではない。にもかかわらず,小出浩久が,統一協会の主張にそって,かかるノートが拉致監禁の証拠であると決めつけて解説したのが甲45号証の陳述書である。小出浩久は実際に,甲44号証のノートにとられた勉強会には出席しておらず,甲45号証の解説は全て想像と根拠のない決めつけにすぎない。なお,甲45号証が事実に反する虚偽の内容の陳述書であることについては追って証拠を提出する。
実際に,原告が故■<後藤徹氏の父>らと話し合いを行っていた新潟市内のマンションの玄関ドアや窓には,もともと備え付けのもの以上の鍵等の取付はなかったのであるし,原告は,マンションを出ようと思えば出ることの出来る状況にあったのである。
第2 「第2」について(原告準備書面(8)3頁5行目以下)
1.被告松永が被告宮村と共謀した事実はないこと
(1) 1(1)について
原告は,被告松永が被告宮村及び故森山諭牧師と,会ったことがあるというだけで,他に何の根拠もないのに,「拉致監禁を手段とした脱会強要について情報交換を行っていたものと考えられる」とか「強制的脱会説得について情報交換を行っていたものと決めつけるが,事実ではない。
まず,被告松永が,相談を受けている件について,家族と信者が話し合いに入る前に,被告宮村に話したりすることはない。繰り返しになるが,被告松永が行っていることは,家族の絆を取り戻すための話し合いの手助けであり,これは非常にプライベートな問題であること,また話し合いについてもケースバイケースであること,さらに,話し合う方法や内容については,取り組む人の間でも人それぞれであることから,これらについて個別にも一般的にも,情報交換することはない。もっとも,話し合いが始まった後に,被告松永の他に,元信者なども話し合いに来る中で,たまたま被告宮村と関係があるとか,あるいは,被告宮村など被告松永以外の人の話もきいてみたいと信者が希望し,被告宮村と都合があう場合には,被告宮村を信者に引き合わせることもある。
被告松永が被告宮村と会ったときに,お互いに話すのは,主に統一協会の現況についてである。信者は,自分の所属部署のことしかしらず,統一協会が現在全体でどのような活動を行っているかということをしらない。統一協会がどのようなところなのか,全体をみて判断させるために,様々な情報を知っておく必要があり,これらの情報を交換していたのが主である。
また,被告松永は,森山諭牧師との間でも,「強制的脱会説得」について情報交換を行ったことはないし,個人的に森山牧師と会って統一協会問題について話しをしたこともない。森山牧師は,統一協会のことをキリスト教の異端である,との考えから統一協会問題に取り組んでいた。そのため,統一協会が聖書をもとに説く教えが,いかに聖書の教えそのものと乖離しているか,という点を重視していた。そこで,被告松永は荻窪栄光教会等で森山牧師が開いていた勉強会や相談会に出席し,森山牧師から,聖書と統一協会の教えがいかに乖離しているか,どのように乖離しているかについて話を聞いたのであって,教えの違い以外の事柄について,森山牧師と個別に話をしたことはない。
また,原告は原告準備書面(8)3頁31行目以降において「全国霊感商法対策協議会」において「統一教会信者に対知る監禁手法に関する謀議が行われていた」と主張するが,このような事実はない。
まず,「全国霊感商法対策協議会」なる組織は存在せず,被告松永がこのような会に出席したことはない。したがって,高澤牧師の発言も,被告松永は全く知らない。原告は,高澤牧師の発言についても一部分のみをとりだして解説を付けることによって,発言の趣旨を誤解させようとしていることは全体の文脈から明らかである。
被告宮村と被告松永は,本件に限らず,共謀して信者を拉致監禁したり,強制的脱会説得したことはない。
被告松永が,原告と故■<後藤徹氏の父>らの話し合いに関与することとなったのは,故■<後藤徹氏の父>から相談されたからである。相談を受けたとき,被告松永は,原告が被告宮村と話し合いをしたことがあることは知らなかったし,その後も被告松永が原告と話し合う前に,被告宮村と連絡をとったことはない。
(2)「1(2)」について
被告は,小出陳述書(甲45号証)の内容について,甲29号証「人さらいからの脱出」と同じであるから信用性があるなどと主張する。
しかし,統一協会は,原告の訴訟が始まってから,拉致監禁キャンペーンを開始したのではない。1980年頃に,「親泣かせの原理運動」ということで,原理研究会の活動が世に知られることになり,これに対する批判が高まってから,統一協会は,一貫して,反牧らによって拉致監禁による強制改宗がなされているという拉致監禁キャンペーンをうって,統一協会に対する批判をかわそうとすると同時に,内部的にも信者に対して脱会防止対策を行ってきたのである。1996年,小出浩久によるかかる書籍の出版は,まさに本件訴訟と同じく,統一協会の拉致監禁キャンペーンの一環として出版されたものであり,事実を内容が似通っているのは当然の事である。このように,統一協会の違法行為に対する社会的非難を,自らが被害者であると主張して,論点をすり替えることによってかわし,同時にわかりやすい外敵を作ることによって,信者の結束を固めて脱会防止を図ると同時に,信者により一層精誠を尽くすよう仕向ける,即ち,資金および信者獲得活動に励ませるようにしているのである。
新津教会で,統一協会問題に悩む家族の為に行われていた元信者やその父兄らによる勉強会は,被告松永が主催していたものではなく,また,そこで被告松永が家族らに,拉致監禁の指導をしていたわけでもない。TTのような元信者らが,相談にくる家族に対して,自分達の体験談を話すことを主軸として,統一協会の実態や,信者の実態などを家族らに話していたのである(乙ロ4号証TT陳述書3頁~7頁)。また,TTによれば,小出浩久は,甲27号証の自身の体験についての陳述書においても,統一協会に都合がいいように,また被告宮村や被告松永を陥れるべく,虚偽の事実を記載していることが明らかであり(乙ロ4号証11頁以下),小出浩久の陳述書を判決の基礎とすることができないことは明らかである。
また,小出浩久の甲45号証の小出陳述書に至っては,自分が,甲44号証に記載された勉強会に出席しておらず,また,甲44号証のノートの記述者ではないのに,統一協会の主張にそって,虚偽の解説をくわえ,あたかも拉致監禁の指導があったかのように陳述するものであって,全く信用性がない。ノートのどこにも拉致監禁との記載がないのにもかかわらず「拉致監禁」であることを前提として,さりげなく「拉致監禁」という単語をちりばめながら,ノートを読む人を誤導する解説であり,悪質極まりない。
小出浩久によるこれらの陳述は,本件と全く無関係であるだけでなく,虚偽であるという点で真実の究明に有害であるともいえる。
2 被告松永による拉致監禁による強制改宗などなく,その指導も行っていないこと
(1)「2 (1)」について(原告準備書面(8) 4頁25行目以下)
原告は,HY(甲40号証)及びKCのノート(甲44号証)などを根拠として,被告松永による拉致監禁指導があったと主張する。
しかしHYの陳述書は,事実を記載したものでないことは,KC,KH,HYらの陳述書(乙ロ5ないし7号証)から明らかである。またKCの甲44号証のノートに関しても,小出浩久の解説は全く事実とことなることも明らかである。この点については,おって詳述する。SKの陳述書も,TT陳述書や,KC陳述書と内容が異にするものであり,虚偽であることは明らかである。
(2)「2(2)」について(原告準備書面(8)5頁4行目以下)
被告松永が拉致監禁の指導などをしておらず,むしろ家族関係の回復を目的として,家族が円満に話し合いをできるようになるために,信者家族らの相談にのっていることは甲44号証からも明らかである。H家の家族関係が悪くなったのは,被告松永のためではなく,HYらが統一協会によって信者とさせられ,家族を顧みなくなったことが原因である。すなわち,H家は,地域で一番大きな商店を経営する一家であったが,長女Mを糸口として,二女U,そして商店を実質的に切り盛りしている母Yまでが入信するに至り,店のものを統一協会に持ち出したりするようになるなど様子の変わってしまった母親と,そのために家族関係が悪化したことに悩んで,三女Cが家出をしたり,あるいは親戚をも巻き込んだ離婚問題が生じるなどして,あと一歩で,家族が崩壊する,という事態にまでなったのである(乙ロ5号証KC陳述書,乙ロ6号証KH陳述書,乙ロ7号証HY陳述書)。
今回も,拉致監禁キャンペーンの一環として,原告をして本件訴訟をおこさせたために,原告と被告■<後藤徹氏の兄>らの溝が深まるであろうことが容易に想像できたにもかかわらず,統一協会のために原告を利用し,さらに,統一協会にとってはキャンペーンの目玉となる本件訴訟において,事実と異なるHYらの陳述書を,本人に了解なく提出することで,田舎でのんびりと生活していたH家とその親戚に再度混乱を生じさせたものである。このように家庭が再び崩壊することなど一顧だにせず,組織の都合で,信者とその家族をいいように利用していることが明らかである。家族の絆をさき,あるいはその信頼関係を踏みにじっているのは統一協会である。
また,偽装脱会については,先般述べたとおりであり,高沢牧師の発言は,本件とは別の件の話であり,本件と全く関係が無く,また原告の引用は全体の文脈を無視した恣意的な引用であって,「偽装脱会をしなければ監禁から解放されない状況」があるとの主張の根拠とならない。
(3)「2(3)」について(原告準備書面(8)5頁23行目以下)
原告は繰り返し,被告松永が,拉致監禁による強制棄教を指導し,その目的は,教勢拡大であったと主張する。
被告松永が,拉致監禁による強制棄教をした事実がないことは前述のとおりであり,また教勢拡大というのはこじつけにすぎない。
被告松永が,信者と家族の話し合いに関与したうち,新津福音キリスト教会において,キリスト教の信者となったものはほんのわずかである(乙ロ9号証K陳述書5頁13項)。相談に来る家族は,統一協会によって壊された家族関係の修復を願って相談にくるのであって,宗教に興味を持っているわけではなく,この点では統一協会とは無関係の人々と同じであるし,さらに,相談に来る家族や元信者は,統一協会に苦しめられた経験から,自分が宗教を信仰することに抵抗を感じるものも少なくないからである。
原告や統一協会は,自分たちの理屈では,被告松永が,なぜ見返り一つ求めず,統一協会信者との家族関係の修復を望む家族に,献身的に相談に乗るのか,理解できないだけでなく,これに利欲的な理由をつけなければ,被告松永の活動を非難しがたいがために,いいがかりとも言うべき理由をこじつけているに過ぎない。また,被告松永のこの献身的な活動が,統一協会信者の心すら動かすことがあることをもおそれているのである。また,原告は再度高沢牧師の発言をあげて,被告松永も同じである,と主張するが,根拠がない。
以上のように,原告の主張は,根拠がなく,合理的な推認が一つもないので,速やかに棄却されたい。
この準備書面は後藤徹氏の準備書面(8)の反論となります。
後藤徹氏の準備書面(8)で後藤徹氏側は、松永牧師が、拉致監禁による脱会強要の先駆者とも言うべき森山諭牧師と強制的脱会説得について情報交換をしていたのではないかと主張していますが、松永牧師はこの準備書面でこのことを否定をしています。
森山牧師の勉強会に参加した事は認めているものの、「森山牧師から,聖書と統一協会の教えがいかに乖離しているか,どのように乖離しているかについて話を聞いた」だけだと述べています。
森山諭牧師は、『夕べ雲焼くる』と題する著書で,統一教会信者の意思に反する強制的な脱会説得を行っていたことを自ら認めてます。
森山先生は、著書で熱く語っていらっしゃることを、じかにお話になる事はなかったのでしょうか?
それに松永牧師は「監禁マニュアル」(松永牧師ご本人は監禁マニュアルではないと否定)や「監禁指南ビデオ」(こちらは、試作品とおっしゃっています。)は、どのように説明なさるのでしょうか?
準備書面(4)
2012(平成24)年6月5日
東京地方裁判所民事第12部 御中
被告松永堡智代理人弁護士 中 村 周 而
同 東 麗 子
同 東 麗 子
以下のとおり,原告準備書面(8)に対して反論する。
第1 「第1」について
1 「1」について
(1) 脱会届・偽装脱会と拉致監禁について(原告準備書面(8)1頁目13行目以降)
まず,原告は,脱会届や反省文を作成したのは,そうしなければパレスマンション多門から脱出できない状況にあったからに他ならないと主張するが,これは,事実に反する。
実際,原告が■<後藤徹氏の妹>らと話し合いをしていた新潟のパレスマンションには,備え付けのもの以外に窓や玄関に鍵はなく(乙イ5被告■<後藤徹氏の兄嫁>陳述書28頁21行目以降,乙イ10号証被告■<後藤徹氏の兄>陳述書15頁23行目~16頁4行目),原告が出て行こうと思えばいつでも出て行かれる状況であった。しかし,原告が家族との話し合いを公然と拒絶して出て行こうとしたことはなく,原告の意思でパレスマンションにとどまっていたものである(乙イ7号証被告■<後藤徹氏の妹>陳述書22頁11~15行目)。
さらに,脱会届は,原告の意思で書かれたものである(乙イ7号証被告■<後藤徹氏の妹>陳述書21頁18~22行目)。結局,手記や手紙などを作成した後も,そして被告松永がマンションを訪れなくなったあとも,原告は,家族との話しあいを継続するために,パレスマンションにとどまり続けている。そして,このパレスマンションには,1996年3月頃に故■<後藤徹氏の父>が療養のために東京に戻ってからは,ほとんど母■と,被告■<後藤徹氏の妹>と原告しかいなかったことからすれば,原告が,自分で出ようと思えばパレスマンションを出ることの出来る状況にあったことは明らかである。このように,原告は自らの意思で,手記等を作成し,その後も家族との話し合いのために,マンションにとどまり続けたのである。
また,原告は,「(松永準備書面(3)に記載の)『偽装脱会』しなければ,『家族との話し合い』を回避できない状況とは,すなわち,信者が,家族らによって拘束されている状況に他ならない」などと主張し,偽装脱会したことが,家族によって拉致監禁されている証拠である等,被告松永の主張の一部分を取り上げて,わざと曲解している。
しかし,まず,原告は,■<後藤徹氏の父>らと場所を保谷市の自宅から移動して話し合いをすることについて,了解して,話し合いを開始した(乙イ5号証被告■<後藤徹氏の兄嫁>陳述書26頁)。これは,原告が父の必死かつ真摯な訴えに,家族と話し合うことを拒絶できないと考えたからであり,原告本人の意思である。
また,パレスマンションは,上述のとおり,特別な鍵など設置しておらず,拉致監禁状況などではなかった。しかし,統一協会では,家族で話し合いをするときは,拉致監禁状況におかれる,と教え込まれる。そのために,鍵などなかったのにもかかわらず,あったと思い込んでしまうのである。実際に原告は鍵を見ていない。
したがって,原告が「偽装脱会」したのは,パレスマンションを出るためではない。原告は自らの意思で家族と話し合いにのぞんだものの,■<後藤徹氏の父>らと統一協会について,あるいは自らの信仰について話しをしているうちに,統一協会の欺瞞生に気づき,これ以上統一協会についての話し合いを続ければ,信仰を失ってしまうと考え,話し合いをさせないようにするためである。統一協会信者が,欺瞞生に気付き始めても信仰を失うことに非常に恐怖を覚えることは,元信者である■<後藤徹氏の兄嫁>の陳述書で説明されているとおりである。
(2) 松永の関与について(原告準備書面(8)2頁6行目以下)
原告は,「被告松永が原告の許に行かなくなったのは,原告が脱会の意思表明をし,それ以上被告松永として話すべき内容がなくなったからにすぎない。被告松永においては,原告が未だ偽装脱会をしている疑いを持っていたからこそ,被告■<後藤徹氏の兄>らをして原告の監禁を継続させたものである。」と主張するが事実と異なる。
まず,原告は拉致監禁されていたのではない。原告が自らの意思で家族と話し合いの場に行く,ということを選択したのである。もっとも,話し合いの場には自らの意思で行ったものの,そこで,原告は■<後藤徹氏の父>らときちんと向き合って話しをしようとはしなかったのである。それは,原告と話し合いをしたいという故■<後藤徹氏の父>の必死の願いを叶えると同時に,家族と本質的な話しをすることを禁ずる統一協会の指示を両立させるための手段であった。
そして,自ら家族と話し合いをすることに応じたにもかかわらず,原告が現在その話し合いについて強制的に拉致監禁されたと主張しているのは,統一協会のキャンペーンの為にすぎない。
原告が偽装脱会をしたのは,故■<後藤徹氏の父>らとの真剣な話し合いを避けようとしたからである。偽装脱会をやめなかったのも,偽装脱会を疑われているからではなく,ただ家族との,真剣な話し合いを避けるためである。
もし仮に,原告が主張するように,原告を強制棄教させるために拉致監禁して被告松永が原告と話をしているのであり,原告が自分の気持ちを偽っていることが被告松永にとって明らかならば,被告松永がとるべき手段は単に監禁の継続ではなく,原告と被告松永との話し合いの継続であるはずである。しかし,本件では,被告松永は原告との話し合いをやめ,原告は家族との話し合いを継続したのである。かかる事実は,話し合いの目的が強制棄教であるとする原告の主張と矛盾するし,全て被告松永の指示のもと行われているとする原告の主張とも矛盾する。
被告松永が原告と話し合いをするのは,家族の一人が統一協会に入ったことで裂かれた家族の間の絆を家族自身が元どおりにするための話し合いをする手助けをするためである。だからこそ,最終的には,家族が自分たちで話し合って,家族の絆を取りもどさなければならないし,家族同士で腹を割って話し合える関係にならなければ,家族は,話し合いをやめるという結論には至らないのである。本件で,原告が脱会を表明し,手記を書き,被告松永が話し合いに参加しなくなった後も,家族で話しあいを続けていたのは,故■<後藤徹氏の父>らと原告とが家族の絆を取りもどすための話し合いを継続しようとしていたからであり,この話し合いが,原告と家族の意思によるものであり,被告松永の主導によるものではないことの証左である。
話し合いの最終的な目的は脱会ではなく,家族関係の修復である。家族の問題であるのにもかかわらず,統一協会は信者にこれを拒絶させるために都合良く歪曲して強制改宗と吹聴しているに過ぎない。もし,原告の主張するように,強制改宗であるなら,家族が関与することなく,カウンセラーと呼ばれる人達と信者だけで行えばよいはずであるが,実際は家族が主体となって話し合いをしている。それは家族が信者との間に溝ができたことに悩んで,これを解決したいと考えるからである。そもそも家族がなぜ悩みを抱えるようになるのか。最初は信者が統一協会の活動に従事することを黙認していた家族ですら,その後,信者らが霊感商法で他人に迷惑をかけていることを知り,そのことを話し合おうとすると,信者が違法な霊感商法すら正しいと信じ込んでいるために,家族の対話が成立しなくなることを知って相談に来るのである。このことからも明らかなように,この問題は,信仰の問題とか,宗教の問題ではなく,家族の問題なのである。被告松永は,この家族の話しあいの手助けをするだけである。
(3) 『親は何を知るべきか』の推薦文について(甲24)
また,被告は『親は何を知るべきか』という書籍に,被告宮村が書いた「脱会には特別な知識と経験を持つ,医師のような先生が必要不可欠」などと一部分のみを取り出して,前後の文脈,同書の構成を無視して,かかる部分についてその先生に頼る以外に道はないことを強調し」ている,などと解説する。
しかし,この解説自体,被告宮村の記述を曲解するものであり,被告宮村記述部分全体を読めば,信者と話し合おうとする家族が,自分たちの理屈をただ信者に押しつけるだけでは信者が心を開いてくれず,話し合いは成立しないから,両親はそういった自分を変える必要がある,ということを述べているに尽きることがわかる。親が信者を見下したり,自分の意見を押しつけたりせずに,信者に心を開いて話しをしてもらうためには,信者がどのような状況にあるのかを理解することが必要だし,親自身が,自分たちがそのような態度をとりがちであるということに気がつくことも必要だが,統一協会の実態を何も知らない親が,本などの情報だけから統一協会及びその信者について理解をすることは難しく,そのために専門家が必要だと述べているに過ぎない。親が,信者となった子と話し合うに当たって,その一挙手一投足について,「先生」にお伺いをたてるという,まるで統一協会におけるアベルカインの教えと同じことを説いているわけではない。
また,同書は,被告宮村のみならず,この統一協会が家族を引き裂くと言う問題に,長年にわたって取り組んできた数名の各分野の専門家が記述をしている共著である(乙ロ8)。原告は,被告宮村が書いた本について被告松永が推薦文をよせているかのように主張するが,被告松永は,同書が,まさに統一協会によってその絆が引き裂かれていることに悩む家族に対する道標になることを期待し,この統一協会による家族分裂の問題に取り組む一人として,パスカル・ズィヴィ氏の依頼に応じて,推薦文を寄せたものである。あたかも,被告宮村が,統一協会問題に悩む家族に対して,統一協会のアベルカインの教えのような指導をし,これを被告松永が推薦しているかのような記述は,恣意的に書籍の一部のみを取り上げて,事実を歪曲した解説をつけて裁判所を欺こうとするものであり,事実とは異なる。
2 「2」について
(1)新潟のパレスマンションで,原告は拉致監禁されておらず,また,松永が拉致監禁の指導などしていないこと
原告は「被告松永は…勉強会において拉致監禁の指導を行っている」と主張するが,このような事実はない。
被告松永が,元信者およびその父兄らによる勉強会において話したのは,心の対応についてである。この「心の対応の仕方」については,甲44号証にもメモが有り,被告松永が,信者と話し合うにあたって,信者に心を開いてもらうためにはどうしたらいいのかということを話していることは明らかである。
原告は,この甲44号証について,小出浩久の甲45号証の陳述書において解説を加え,かかる陳述書をもとに,被告松永による拉致監禁の指導があったと主張するが,小出浩久の甲45号証は,事実に反する解説である。甲44号証のノートの記述そのものは,何ら拉致監禁指導を内容とするものではない。にもかかわらず,小出浩久が,統一協会の主張にそって,かかるノートが拉致監禁の証拠であると決めつけて解説したのが甲45号証の陳述書である。小出浩久は実際に,甲44号証のノートにとられた勉強会には出席しておらず,甲45号証の解説は全て想像と根拠のない決めつけにすぎない。なお,甲45号証が事実に反する虚偽の内容の陳述書であることについては追って証拠を提出する。
実際に,原告が故■<後藤徹氏の父>らと話し合いを行っていた新潟市内のマンションの玄関ドアや窓には,もともと備え付けのもの以上の鍵等の取付はなかったのであるし,原告は,マンションを出ようと思えば出ることの出来る状況にあったのである。
第2 「第2」について(原告準備書面(8)3頁5行目以下)
1.被告松永が被告宮村と共謀した事実はないこと
(1) 1(1)について
原告は,被告松永が被告宮村及び故森山諭牧師と,会ったことがあるというだけで,他に何の根拠もないのに,「拉致監禁を手段とした脱会強要について情報交換を行っていたものと考えられる」とか「強制的脱会説得について情報交換を行っていたものと決めつけるが,事実ではない。
まず,被告松永が,相談を受けている件について,家族と信者が話し合いに入る前に,被告宮村に話したりすることはない。繰り返しになるが,被告松永が行っていることは,家族の絆を取り戻すための話し合いの手助けであり,これは非常にプライベートな問題であること,また話し合いについてもケースバイケースであること,さらに,話し合う方法や内容については,取り組む人の間でも人それぞれであることから,これらについて個別にも一般的にも,情報交換することはない。もっとも,話し合いが始まった後に,被告松永の他に,元信者なども話し合いに来る中で,たまたま被告宮村と関係があるとか,あるいは,被告宮村など被告松永以外の人の話もきいてみたいと信者が希望し,被告宮村と都合があう場合には,被告宮村を信者に引き合わせることもある。
被告松永が被告宮村と会ったときに,お互いに話すのは,主に統一協会の現況についてである。信者は,自分の所属部署のことしかしらず,統一協会が現在全体でどのような活動を行っているかということをしらない。統一協会がどのようなところなのか,全体をみて判断させるために,様々な情報を知っておく必要があり,これらの情報を交換していたのが主である。
また,被告松永は,森山諭牧師との間でも,「強制的脱会説得」について情報交換を行ったことはないし,個人的に森山牧師と会って統一協会問題について話しをしたこともない。森山牧師は,統一協会のことをキリスト教の異端である,との考えから統一協会問題に取り組んでいた。そのため,統一協会が聖書をもとに説く教えが,いかに聖書の教えそのものと乖離しているか,という点を重視していた。そこで,被告松永は荻窪栄光教会等で森山牧師が開いていた勉強会や相談会に出席し,森山牧師から,聖書と統一協会の教えがいかに乖離しているか,どのように乖離しているかについて話を聞いたのであって,教えの違い以外の事柄について,森山牧師と個別に話をしたことはない。
また,原告は原告準備書面(8)3頁31行目以降において「全国霊感商法対策協議会」において「統一教会信者に対知る監禁手法に関する謀議が行われていた」と主張するが,このような事実はない。
まず,「全国霊感商法対策協議会」なる組織は存在せず,被告松永がこのような会に出席したことはない。したがって,高澤牧師の発言も,被告松永は全く知らない。原告は,高澤牧師の発言についても一部分のみをとりだして解説を付けることによって,発言の趣旨を誤解させようとしていることは全体の文脈から明らかである。
被告宮村と被告松永は,本件に限らず,共謀して信者を拉致監禁したり,強制的脱会説得したことはない。
被告松永が,原告と故■<後藤徹氏の父>らの話し合いに関与することとなったのは,故■<後藤徹氏の父>から相談されたからである。相談を受けたとき,被告松永は,原告が被告宮村と話し合いをしたことがあることは知らなかったし,その後も被告松永が原告と話し合う前に,被告宮村と連絡をとったことはない。
(2)「1(2)」について
被告は,小出陳述書(甲45号証)の内容について,甲29号証「人さらいからの脱出」と同じであるから信用性があるなどと主張する。
しかし,統一協会は,原告の訴訟が始まってから,拉致監禁キャンペーンを開始したのではない。1980年頃に,「親泣かせの原理運動」ということで,原理研究会の活動が世に知られることになり,これに対する批判が高まってから,統一協会は,一貫して,反牧らによって拉致監禁による強制改宗がなされているという拉致監禁キャンペーンをうって,統一協会に対する批判をかわそうとすると同時に,内部的にも信者に対して脱会防止対策を行ってきたのである。1996年,小出浩久によるかかる書籍の出版は,まさに本件訴訟と同じく,統一協会の拉致監禁キャンペーンの一環として出版されたものであり,事実を内容が似通っているのは当然の事である。このように,統一協会の違法行為に対する社会的非難を,自らが被害者であると主張して,論点をすり替えることによってかわし,同時にわかりやすい外敵を作ることによって,信者の結束を固めて脱会防止を図ると同時に,信者により一層精誠を尽くすよう仕向ける,即ち,資金および信者獲得活動に励ませるようにしているのである。
新津教会で,統一協会問題に悩む家族の為に行われていた元信者やその父兄らによる勉強会は,被告松永が主催していたものではなく,また,そこで被告松永が家族らに,拉致監禁の指導をしていたわけでもない。TTのような元信者らが,相談にくる家族に対して,自分達の体験談を話すことを主軸として,統一協会の実態や,信者の実態などを家族らに話していたのである(乙ロ4号証TT陳述書3頁~7頁)。また,TTによれば,小出浩久は,甲27号証の自身の体験についての陳述書においても,統一協会に都合がいいように,また被告宮村や被告松永を陥れるべく,虚偽の事実を記載していることが明らかであり(乙ロ4号証11頁以下),小出浩久の陳述書を判決の基礎とすることができないことは明らかである。
また,小出浩久の甲45号証の小出陳述書に至っては,自分が,甲44号証に記載された勉強会に出席しておらず,また,甲44号証のノートの記述者ではないのに,統一協会の主張にそって,虚偽の解説をくわえ,あたかも拉致監禁の指導があったかのように陳述するものであって,全く信用性がない。ノートのどこにも拉致監禁との記載がないのにもかかわらず「拉致監禁」であることを前提として,さりげなく「拉致監禁」という単語をちりばめながら,ノートを読む人を誤導する解説であり,悪質極まりない。
小出浩久によるこれらの陳述は,本件と全く無関係であるだけでなく,虚偽であるという点で真実の究明に有害であるともいえる。
2 被告松永による拉致監禁による強制改宗などなく,その指導も行っていないこと
(1)「2 (1)」について(原告準備書面(8) 4頁25行目以下)
原告は,HY(甲40号証)及びKCのノート(甲44号証)などを根拠として,被告松永による拉致監禁指導があったと主張する。
しかしHYの陳述書は,事実を記載したものでないことは,KC,KH,HYらの陳述書(乙ロ5ないし7号証)から明らかである。またKCの甲44号証のノートに関しても,小出浩久の解説は全く事実とことなることも明らかである。この点については,おって詳述する。SKの陳述書も,TT陳述書や,KC陳述書と内容が異にするものであり,虚偽であることは明らかである。
(2)「2(2)」について(原告準備書面(8)5頁4行目以下)
被告松永が拉致監禁の指導などをしておらず,むしろ家族関係の回復を目的として,家族が円満に話し合いをできるようになるために,信者家族らの相談にのっていることは甲44号証からも明らかである。H家の家族関係が悪くなったのは,被告松永のためではなく,HYらが統一協会によって信者とさせられ,家族を顧みなくなったことが原因である。すなわち,H家は,地域で一番大きな商店を経営する一家であったが,長女Mを糸口として,二女U,そして商店を実質的に切り盛りしている母Yまでが入信するに至り,店のものを統一協会に持ち出したりするようになるなど様子の変わってしまった母親と,そのために家族関係が悪化したことに悩んで,三女Cが家出をしたり,あるいは親戚をも巻き込んだ離婚問題が生じるなどして,あと一歩で,家族が崩壊する,という事態にまでなったのである(乙ロ5号証KC陳述書,乙ロ6号証KH陳述書,乙ロ7号証HY陳述書)。
今回も,拉致監禁キャンペーンの一環として,原告をして本件訴訟をおこさせたために,原告と被告■<後藤徹氏の兄>らの溝が深まるであろうことが容易に想像できたにもかかわらず,統一協会のために原告を利用し,さらに,統一協会にとってはキャンペーンの目玉となる本件訴訟において,事実と異なるHYらの陳述書を,本人に了解なく提出することで,田舎でのんびりと生活していたH家とその親戚に再度混乱を生じさせたものである。このように家庭が再び崩壊することなど一顧だにせず,組織の都合で,信者とその家族をいいように利用していることが明らかである。家族の絆をさき,あるいはその信頼関係を踏みにじっているのは統一協会である。
また,偽装脱会については,先般述べたとおりであり,高沢牧師の発言は,本件とは別の件の話であり,本件と全く関係が無く,また原告の引用は全体の文脈を無視した恣意的な引用であって,「偽装脱会をしなければ監禁から解放されない状況」があるとの主張の根拠とならない。
(3)「2(3)」について(原告準備書面(8)5頁23行目以下)
原告は繰り返し,被告松永が,拉致監禁による強制棄教を指導し,その目的は,教勢拡大であったと主張する。
被告松永が,拉致監禁による強制棄教をした事実がないことは前述のとおりであり,また教勢拡大というのはこじつけにすぎない。
被告松永が,信者と家族の話し合いに関与したうち,新津福音キリスト教会において,キリスト教の信者となったものはほんのわずかである(乙ロ9号証K陳述書5頁13項)。相談に来る家族は,統一協会によって壊された家族関係の修復を願って相談にくるのであって,宗教に興味を持っているわけではなく,この点では統一協会とは無関係の人々と同じであるし,さらに,相談に来る家族や元信者は,統一協会に苦しめられた経験から,自分が宗教を信仰することに抵抗を感じるものも少なくないからである。
原告や統一協会は,自分たちの理屈では,被告松永が,なぜ見返り一つ求めず,統一協会信者との家族関係の修復を望む家族に,献身的に相談に乗るのか,理解できないだけでなく,これに利欲的な理由をつけなければ,被告松永の活動を非難しがたいがために,いいがかりとも言うべき理由をこじつけているに過ぎない。また,被告松永のこの献身的な活動が,統一協会信者の心すら動かすことがあることをもおそれているのである。また,原告は再度高沢牧師の発言をあげて,被告松永も同じである,と主張するが,根拠がない。
以上のように,原告の主張は,根拠がなく,合理的な推認が一つもないので,速やかに棄却されたい。
以上
2012-10-19(Fri)
松永堡智氏の準備書面(5)ー「監禁マニュアル」が直筆であることを認めながら、参考にしたことはないと主張する松永牧師 « ホーム
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