松永堡智氏の準備書面(5)ー「監禁マニュアル」が直筆であることを認めながら、参考にしたことはないと主張する松永牧師
これは、後藤徹氏の準備書面(11)の反論になります。松永牧師は、"監禁マニュアル"(甲98号証の3)が直筆であることは認めていらっしゃるようですが、「マニュアル」ではないとおっしゃっています。原対協で他の参加者から聞いた体験談や意見などをまとめたもので「考え方が異なる部分や,受け入れられない部分が多々あった」のだそうです。
この甲98号証の3の内容に即したビデオ(松永先生自らご出演)も作成していらっしゃるのに・・・・。こういうことをおっしゃってるわけです。
皆さん納得できますか?
とにかく全文をお読みください。
なお、一部プライバシー情報をイニシャルで表示しています。
平成23年(ワ)第2796号 損害賠償請求事件
原 告 岩本 徹
被 告 松永堡智 外5名
原告準備書面(11) に対して,以下のとおり認否反論する。
第1 「1.『原対協』の準備会」について
1 第1段落について
1987年9月3日に,日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師の呼びかけで,「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」の「準備会」(「準備委員会」ではない。甲95号証のレジュメでも「委員」の文字は被告松永の手により二重線で削除されている。)が開催されたこと,甲95号証がかかる準備会において配布されたレジュメであり,手書き部分は,これに被告松永が書込をしたものであることは認める。その余は否認または不知。
2 第2段落について
否認する。
1987年9月3日に開催された原対協準備会において,「父兄対策ビデオ」なるビデオが上映されたことはない。「父兄対策ビデオ」という題名以外のビデオが上映されたこともない。
甲98号証の1は,甲101のビデオを作成するにあたり,被告松永がそのレジュメとして作成したものであり,原対協準備会とは関係がない。
3 第3段落について
(1)第1文
否認する。
甲98号証の1の3枚目の「6.郵送費」から始まるメモは,甲98号証の2の「1.名称」から始まるメモの2枚目にあたる。甲98号証の2のメモは,1987年9月3日の原対協準備会において,被告松永がとったメモである。
(2)第2文及び第3文
認める。
もっとも,甲96号証の1の最下行「尚,くれぐれも内容の機密性を徹底して下さい。」という一文は,1987年4月頃から,統一協会の被害者救済問題に取り組む弁護士らが,自宅近辺に中傷ビラをまかれるなど,統一協会から激しい嫌がらせをされていた。そのため,準備会に参加した牧師等が,同様に統一協会による激しい嫌がらせの対象となって,その活動を妨害されないようにするという目的で,統一協会にこれらの名簿がもれたりすることのないように気を付ける,という趣旨である。
(3)第4文
甲96号証の2が,1987年9月3日の原対協準備会の確認事項を記載したものであることは認め,その余は否認する。
甲96号証の2に記載されている「参加者」は,1987年当時,社会問題となっていた統一協会問題に関心を持っていたキリスト者達であり,「強制的脱会説得に関与していた者たち」ではない。
(4)第5文以下
否認する。
第2 「2.『原対協』発足会」について(原告準備書面(11) 3頁)
1 第1段落
1987年10月16日に,原対協の第2回目。の会合がもたれたことは認め,その余は否認する。
甲97号証は,12行目以降「同封別紙のような相談をいたしました。」とあるとおり,甲96号証の1及び2と共に,1987年9月3日の原対協準備会の出席者に送付された呼びかけ文である。
甲98号証の2の「1.名称」から始まるメモは,1987年9月3日の原対協準備会において,被告松永がとったメモであり,1987年10月16日の会合の内容を記載したメモではない。
2 第2段落(原告準備書面(11) 3頁6行目)
(1)第1文
否認する。
原対協はあくまでも,情報交換の場であって,1987年10月16日の会議では,いかなる内容の「マニュアル」も発表されたことはないし,その他の原対協の会合で,拉致監禁,脱会強要活動の具体的方法についての「マニュアル」が発表されたことはない。
(2)第2文及び第3文
否認する。
甲98号証の3は,原対協の会議に出席した際に,被告松永が参加者らから聞いて,その場でメモしたものを,後にまとめたものである。参考になるかと考えてまとめたが,被告松永と考え方の異なる部分もあり,これをそのまま利用したりすることはなかった。被告松永は,1985年ころに統一協会信者の友人から相談を受けたのをきっかけに,統一協会信者家族の相談にのってきたが,右も左もわからないまま試行錯誤の状態であった。そのような時期にこのような会合に出席する機会を得たので,これらの会議においてされた意見交換についてとりあえず自分でまとめてみたのである。
原対協において,甲58号証の1の40頁に「原対協改宗マニュアル」と題して記載されているような内容のマニュアルが作成されたことはない。むしろ,同記事は,甲98号証の3とほぼ同一の内容であること,記事中に「マニュアルとも言うべきノートのコピーを入手。…(次ページの資料参照)」(甲58号証の139頁)と記載されていることから,甲58号証の1の「原対協改宗マニュアル」こそ,甲98号証の3を元に作成されたものと思われる。
第3 「3.マニュアル」について (原告準備書面(11) 3頁)
否認する。
1 甲98号証の3の内容について
甲98号証の3は「マニュアル」ではない。原対協で他の参加者から聞いた体験談や意見などを,その頃まだ統一協会問題についての経験が浅かった被告松永が,このような考え方もあるのだと考えて,まとめたものにすぎない。
しかし,被告松永も,かかるメモを作成してみたものの,考え方が異なる部分や,受け入れられない部分が多々あった。例えば,家族で話し合いをするにあたって,5~6人の人手を要するとする考え方もあったが,形式的に人数さえそろえればいいというものではないし,むしろ不自然な大人数は信者にいらぬ恐怖心や反発心を招くことになるので,被告松永は不要と考えた。また,「説得者の許可なく外出しない」という部分についても,説得者が誰なのかは別としても,話し合い中にどうするかについては,家族で意見が分かれるのであれば,家族で話し合って決めればよく,誰かに許可を得るような話しではない。さらに「判定基準」についても,結局家族で満足のいく話し合いができたどうかは家族が判断すべきことであり,被告松永が判断することではないから,これらの基準を一応書き留めておいたものの,被告松永自身が直接参考にすることはなかった。
なにより,相談にくる家族はみな家族の状況が異なり,画一的に対応できるものではないことから,このメモをそのまま被告松永が利用することはなかった。
2 「説得者」の指導のもとに組織的・計画的に拉致監禁,脱会強要活動が行われている,との主張について。
上述のように,甲98号証の3に記載されていることは,あくまで原対協参加者がそれぞれの考えを述べたものを後に松永がまとめたものであり,これが原対協参加者の今後の方針ややり方として発表されたりマニュアルとして確立されたりしたものではなかった。被告松永自身,話しをきいたものの,自分の判断で,取り入れたこともあれば,上述したように取り入れなかったこともあるのであって,これらの方針に基づいて,「組織的・計画的に」「拉致監禁,脱会強要活動」が行われているという原告の主張はこじつけである。
3 高澤牧師の発言について(原告準備書面(11) 5頁12行目)
原告は高澤牧師の証言について「強制脱会説得活動が,上記原対協の発足やマニュアルを用いた指導によって全国に拡大したことを指している」と主張するが,こじつけにすぎない。原対協は,右翼団体を利用したりせず,また路上で信者を無理矢理車に押し込んだりするなどの方法をとらずに,あくまでも「キリスト者としてふさわしい手段で」家族との話しあいを実現させるために,お互い情報交換するための場だったのであり,これを全国の牧師に拉致監禁手法を広めた会議であるとするのは,原告による根拠のない決めつけにすぎない。
第4 「4.原対協での指導内容と被告松永の新津教会のおける指導」について(原告準備書面(11) 5頁)
1 第1段落ないし第5段落まで
(1)すべて,否認する。
被告松永が,これらのメモを元にして,メモの内容を相談にきた家族らに指導していたなどという事実はない。
(2)甲44号証と甲98号証の3について
甲44号証のノートの記載については,記載した本人であるKCが,「父兄や元信者の体験談をメモしたもの」と記載しており,被告松永がまとめた甲98号証の3とは関係がない。
甲98号証の3のメモは,作成後,新津教会の書庫にしまわれたまま利用されなかった。今回,原告から証拠として提出されるまで被告松永はかかるメモの所在を気にしたことはなかったが,原告からの提出を受けて,新津教会の書庫を探したがかかるメモの原本は見つからなかった。甲58号証の1の「ゼンボウ」の記事の内容が甲98号証の3のメモとほぼ同一であることからしても,「ゼンボウ」昭和64年1月号発刊時(「ゼンボウ」が月刊誌であったことから,おそらく1988 (昭和63)年12月には発売されていたものと思われる。)には,既にメモが新津教会から失われていたものと考えられる。
2 第6段落について(原告準備書面(11) 6頁17行目)
(1)認否
甲100号証及び甲102号証が被告松永のメモの写しであることは認め,その余は否認する。
(2)甲100号証について
甲100号証が,被告松永が作成したものであることは認める。
1988年ころには,統一協会による信者に対する脱会対策などが組織的に徹底して行われるようになり,そのために信者が心を開いて話してくれなくなって話し合いが長引くなど,被告松永の心身の負担が大きくなってきた。そこで,元信者やその父兄らと今後も統一協会問題に取り組むにあたってどのようにしていくかについて話し合うこととし,その協議のために,被告松永が作成したレジュメが甲100号証である。
(3)甲102号証について
かかるメモは計画書などではなく,別の父兄の体験談をある父兄に対して話したときに,被告松永が説明のために走り書きしたものである。
3 「(1)『ひまわり会』,『すみれ会』」について
甲99号証の作成及び内容については不知。「すみれ会」の前身が「ひまわり会」であるとの主張は否認する。
甲99号証は被告松永が作成したものではなく,また,新津教会に相談に来た信者の父兄らに配布したこともない。
被告松永は,家族らの相談にのったり,あるいは家族と話し合いをしている信者と話し合いをするために,信者の家族に対し,日曜礼拝の参加を条件としたり,「すみれ会」への参加を条件としたりしたことはない。
4 「(2)『新津地区原理対策協議会』」について(原告準備書面(11) 8頁)
否認する。
甲100号証を作成した経緯は上述したとおりである。今まで,信者家族の相談には,被告松永が応じていたものの,その負担が課題になったことから,元信者やその家族が協力することになったのである。これで,被告松永が,それまで行っていた,統一協会問題以外の牧師業務に時間を割けるようにするためであって,「拉致監禁の指揮・監督及び脱会強要に専念することができるようなった」というのは原告の邪推に過ぎない。
5 「(3)」について(原告準備書面(11) 9頁)
争う。
原告の主張はまったく根拠がない。
第5「6.霊感商法対策連絡協議会」について(原告準備書面(11) 9頁)
「全国霊感商法対策協議会」なる団体の会合に被告松永が参加して「統一協会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関し,恒常的に情報交換及び謀議を図っていた」と主張する点,及び原告が新潟で家族と話し合いをしていたときに,被告宮村と被告松永が連絡を取り合っていたと主張する点は否認し,その余は不知。
被告松永の準備書面(4)でも述べたとおり,「全国霊感商法対策協議会」なる団体は存在せず,被告松永はそのような団体が主催する会合に出席したことはない。
第6 「7.原告に対する犯行」について(原告準備書面(11) 11頁)
1 「(1)原告に対する第1回目の拉致監禁,脱会強要との関係」について不知。
しかし,前述したように,原対協の会議で,「父兄対策ビデオ」なるビデオは上映されたことはない。また甲98号証の1は被告松永が甲100号証のビデオを作成するにあたって作成したレジュメであるし,甲98号証の3は原対協で発表されたマニュアルなどではなく,被告松永が原対協の会議でメモした参加者の発言内容をまとめたものである。
したがって,これらの書証は,原告に対し「マニュアルに基づく拉致監禁,脱会強要が行われた事実」の裏付けには全くならない。
2 「(2)原告に対する第2回目の拉致監禁,脱会強要との関係」について(原告準備書面(11) 12頁)
(1) 第1段落
信者との話し合いに主体的・積極的に関与しているのが被告松永らであるという点及び被告宮村と共謀していたとする点は否認し,その余は不知。
ここで原告が引用する甲99号証は,被告松永はその存在を知らず,またこれを相談にきた家族に対して配布したこともない。しかも,甲99号証には「説得者と相談の上で救出に取り組むこと」と記載してあるのを,原告は「共謀し,指導をうけつつ」「拉致監禁,脱会強要」に取り組む事だと勝手に決めつけているが,全く根拠がない。統一協会においては,アベルカインの教義から,アベルに相談することは,即ちアベルからの指示をうけ,それに逆らってはいけない,という意味であるが,統一協会以外では,相談はあくまで相談であり,意見を聞いて参考にするということを意味するのであって,共謀し指導をうける,という意味ではない。家族における話し合いの主体はあくまでも家族であり,「『説得者』の指揮・監督を受けて動く手足」などではない。
(2)第2段落
否認する。
甲98号証の3のメモは,原対協の参加者らがあくまでの個人の経験に基づく考えとして話したものを後日被告松永がまとめたものであり,被告松永個人の考えでもないし,原対協出席者共通の認識でもない。また,原告が,拉致監禁の根拠とする「逃げられないという自覚」(甲98の3 5枚目)や,「絶対ににげられないのだという意識」(甲98の3 5枚目)というのは,決して物理的な「逃げられない」状況を指しているのではなく,親が信者と話し合うことについて相当な覚悟を決めており,家族の話しあいを避けられない状況であることを信者にわかってもらうと言う趣旨である。
さらに,原告は,さらに甲101号証の1および3で「ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね」という部分を引用して,「玄関ドアを内側から開閉できないように施錠すべきことは」「敢えて指導するまでもないほど前提となっている」と主張するが,ここで被告松永はドアに内側から施錠すべきなど一言も述べていない。かかるビデオで被告松永は自宅で家族が話し合いをしていることを前提としており,さらに原告自身指摘するとおり,備え付けのもの以外の鍵をかけていない前提での発言である。被告松永はここで一言も,「玄関ドア」の鍵を内側から開閉できないようにすべきなどと述べていない。また,この「ドア」についても被告松永は一言も「玄関」ドアとは言っていない。
原告はさらに,KCの甲44号証11枚目の「何故窓にカギがかかっているの」という記載があることをもって「窓を開閉不能にすべき事が厳重に指導されるに至っている」と主張するが,これも根拠なく事実を曲解し主張するものである。
甲44号証のノートの作成者であるKCが説明するとおり,かかる記載は元信者らの話を聞いていて「統一協会の対策が信者に教え込まれているためいつ飛び降りるか知れないし,実際に飛び降りたことがニュースに出たこともある,それに,外からほかの信者がやってきて話し合いを妨害するかもしれない」から窓にカギをかける必要があるときもある,そのときは正直にそのためにカギをつけていることを話した方がいい,と思ってメモしたものであり(乙口11号証16頁),信者を脱出不可能にするためのものではない。
(3)第3段落(原告準備書面(11) 13頁)
否認する。
被告松永は,信者と家族との話しあいをするにあたって,信者を逃げられない状態にしなければならない,など,強度の拘束力をと指導したことはない。
(4)第4段落(原告準備書面(11) 14頁)
否認する。
甲102号証は,被告松永が,コーポ矢代田を利用した父兄の体験談を,了解を得て別の父兄に説明したときに,その説明を補足するために作成したメモであり,計画書ではない(乙ロ12号証)。
(5)第5段落(ポータブルトイレについて)
否認する。
原告が,新潟の移動の際に利用したポータブルトイレは,被告松永が準備を指示したものではない。甲98号証の3の2枚目にある「トイレ」もこれは「車に乗せる前の話し合い」という表題のもとで記載されているものであるから,決して車で移動する際にポータブルトイレを用意するという趣旨で記載しているものでないことは明らかである。
また,甲101のビデオにおいて,被告松永がしている「トイレ」の話も,自宅で話し合いをしているときに,信者が,真剣な家族の話しあいを避けるために統一協会の指示に基づいて自宅のトイレにこもる場合がある,ということを話しているのである。
原告の主張は,客観的な文脈を無視して,トイレという単語だけを結びつけて検察審査会の認定を批判しているが,かかる批判は全く的外れである。
(6)第6段落(手記について)
否認する。
結局,被告松永は甲98号証の3のメモを利用していないし,原告が手記を書いたのは,原告の心の整理のためである。また,話し合いをやめるかどうかは,話し合いの目的である,家族がその絆を取り戻せたかどうかが問題なのであるから,手記をみて第三者が形式的に判断できるものではないのである。
原告の場合は,家族と原告とで話し合いを続けることを決めたものであり,実際,被告松永は,1996年の春以降は原告と継続的な話し合いを行っていないが,原告と家族は,その後も場所を東京に移して家族での話し合いを継続することにしたのである。
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この甲98号証の3の内容に即したビデオ(松永先生自らご出演)も作成していらっしゃるのに・・・・。こういうことをおっしゃってるわけです。
皆さん納得できますか?
とにかく全文をお読みください。
なお、一部プライバシー情報をイニシャルで表示しています。
準備書面(5)
平成23年(ワ)第2796号 損害賠償請求事件
原 告 岩本 徹
被 告 松永堡智 外5名
東京地方裁判所民事第12部 御中
被告松永堡智代理人弁護士 中村周而
同 東 麗子
同 東 麗子
原告準備書面(11) に対して,以下のとおり認否反論する。
第1 「1.『原対協』の準備会」について
1 第1段落について
1987年9月3日に,日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師の呼びかけで,「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」の「準備会」(「準備委員会」ではない。甲95号証のレジュメでも「委員」の文字は被告松永の手により二重線で削除されている。)が開催されたこと,甲95号証がかかる準備会において配布されたレジュメであり,手書き部分は,これに被告松永が書込をしたものであることは認める。その余は否認または不知。
2 第2段落について
否認する。
1987年9月3日に開催された原対協準備会において,「父兄対策ビデオ」なるビデオが上映されたことはない。「父兄対策ビデオ」という題名以外のビデオが上映されたこともない。
甲98号証の1は,甲101のビデオを作成するにあたり,被告松永がそのレジュメとして作成したものであり,原対協準備会とは関係がない。
3 第3段落について
(1)第1文
否認する。
甲98号証の1の3枚目の「6.郵送費」から始まるメモは,甲98号証の2の「1.名称」から始まるメモの2枚目にあたる。甲98号証の2のメモは,1987年9月3日の原対協準備会において,被告松永がとったメモである。
(2)第2文及び第3文
認める。
もっとも,甲96号証の1の最下行「尚,くれぐれも内容の機密性を徹底して下さい。」という一文は,1987年4月頃から,統一協会の被害者救済問題に取り組む弁護士らが,自宅近辺に中傷ビラをまかれるなど,統一協会から激しい嫌がらせをされていた。そのため,準備会に参加した牧師等が,同様に統一協会による激しい嫌がらせの対象となって,その活動を妨害されないようにするという目的で,統一協会にこれらの名簿がもれたりすることのないように気を付ける,という趣旨である。
(3)第4文
甲96号証の2が,1987年9月3日の原対協準備会の確認事項を記載したものであることは認め,その余は否認する。
甲96号証の2に記載されている「参加者」は,1987年当時,社会問題となっていた統一協会問題に関心を持っていたキリスト者達であり,「強制的脱会説得に関与していた者たち」ではない。
(4)第5文以下
否認する。
第2 「2.『原対協』発足会」について(原告準備書面(11) 3頁)
1 第1段落
1987年10月16日に,原対協の第2回目。の会合がもたれたことは認め,その余は否認する。
甲97号証は,12行目以降「同封別紙のような相談をいたしました。」とあるとおり,甲96号証の1及び2と共に,1987年9月3日の原対協準備会の出席者に送付された呼びかけ文である。
甲98号証の2の「1.名称」から始まるメモは,1987年9月3日の原対協準備会において,被告松永がとったメモであり,1987年10月16日の会合の内容を記載したメモではない。
2 第2段落(原告準備書面(11) 3頁6行目)
(1)第1文
否認する。
原対協はあくまでも,情報交換の場であって,1987年10月16日の会議では,いかなる内容の「マニュアル」も発表されたことはないし,その他の原対協の会合で,拉致監禁,脱会強要活動の具体的方法についての「マニュアル」が発表されたことはない。
(2)第2文及び第3文
否認する。
甲98号証の3は,原対協の会議に出席した際に,被告松永が参加者らから聞いて,その場でメモしたものを,後にまとめたものである。参考になるかと考えてまとめたが,被告松永と考え方の異なる部分もあり,これをそのまま利用したりすることはなかった。被告松永は,1985年ころに統一協会信者の友人から相談を受けたのをきっかけに,統一協会信者家族の相談にのってきたが,右も左もわからないまま試行錯誤の状態であった。そのような時期にこのような会合に出席する機会を得たので,これらの会議においてされた意見交換についてとりあえず自分でまとめてみたのである。
原対協において,甲58号証の1の40頁に「原対協改宗マニュアル」と題して記載されているような内容のマニュアルが作成されたことはない。むしろ,同記事は,甲98号証の3とほぼ同一の内容であること,記事中に「マニュアルとも言うべきノートのコピーを入手。…(次ページの資料参照)」(甲58号証の139頁)と記載されていることから,甲58号証の1の「原対協改宗マニュアル」こそ,甲98号証の3を元に作成されたものと思われる。
第3 「3.マニュアル」について (原告準備書面(11) 3頁)
否認する。
1 甲98号証の3の内容について
甲98号証の3は「マニュアル」ではない。原対協で他の参加者から聞いた体験談や意見などを,その頃まだ統一協会問題についての経験が浅かった被告松永が,このような考え方もあるのだと考えて,まとめたものにすぎない。
しかし,被告松永も,かかるメモを作成してみたものの,考え方が異なる部分や,受け入れられない部分が多々あった。例えば,家族で話し合いをするにあたって,5~6人の人手を要するとする考え方もあったが,形式的に人数さえそろえればいいというものではないし,むしろ不自然な大人数は信者にいらぬ恐怖心や反発心を招くことになるので,被告松永は不要と考えた。また,「説得者の許可なく外出しない」という部分についても,説得者が誰なのかは別としても,話し合い中にどうするかについては,家族で意見が分かれるのであれば,家族で話し合って決めればよく,誰かに許可を得るような話しではない。さらに「判定基準」についても,結局家族で満足のいく話し合いができたどうかは家族が判断すべきことであり,被告松永が判断することではないから,これらの基準を一応書き留めておいたものの,被告松永自身が直接参考にすることはなかった。
なにより,相談にくる家族はみな家族の状況が異なり,画一的に対応できるものではないことから,このメモをそのまま被告松永が利用することはなかった。
2 「説得者」の指導のもとに組織的・計画的に拉致監禁,脱会強要活動が行われている,との主張について。
上述のように,甲98号証の3に記載されていることは,あくまで原対協参加者がそれぞれの考えを述べたものを後に松永がまとめたものであり,これが原対協参加者の今後の方針ややり方として発表されたりマニュアルとして確立されたりしたものではなかった。被告松永自身,話しをきいたものの,自分の判断で,取り入れたこともあれば,上述したように取り入れなかったこともあるのであって,これらの方針に基づいて,「組織的・計画的に」「拉致監禁,脱会強要活動」が行われているという原告の主張はこじつけである。
3 高澤牧師の発言について(原告準備書面(11) 5頁12行目)
原告は高澤牧師の証言について「強制脱会説得活動が,上記原対協の発足やマニュアルを用いた指導によって全国に拡大したことを指している」と主張するが,こじつけにすぎない。原対協は,右翼団体を利用したりせず,また路上で信者を無理矢理車に押し込んだりするなどの方法をとらずに,あくまでも「キリスト者としてふさわしい手段で」家族との話しあいを実現させるために,お互い情報交換するための場だったのであり,これを全国の牧師に拉致監禁手法を広めた会議であるとするのは,原告による根拠のない決めつけにすぎない。
第4 「4.原対協での指導内容と被告松永の新津教会のおける指導」について(原告準備書面(11) 5頁)
1 第1段落ないし第5段落まで
(1)すべて,否認する。
被告松永が,これらのメモを元にして,メモの内容を相談にきた家族らに指導していたなどという事実はない。
(2)甲44号証と甲98号証の3について
甲44号証のノートの記載については,記載した本人であるKCが,「父兄や元信者の体験談をメモしたもの」と記載しており,被告松永がまとめた甲98号証の3とは関係がない。
甲98号証の3のメモは,作成後,新津教会の書庫にしまわれたまま利用されなかった。今回,原告から証拠として提出されるまで被告松永はかかるメモの所在を気にしたことはなかったが,原告からの提出を受けて,新津教会の書庫を探したがかかるメモの原本は見つからなかった。甲58号証の1の「ゼンボウ」の記事の内容が甲98号証の3のメモとほぼ同一であることからしても,「ゼンボウ」昭和64年1月号発刊時(「ゼンボウ」が月刊誌であったことから,おそらく1988 (昭和63)年12月には発売されていたものと思われる。)には,既にメモが新津教会から失われていたものと考えられる。
2 第6段落について(原告準備書面(11) 6頁17行目)
(1)認否
甲100号証及び甲102号証が被告松永のメモの写しであることは認め,その余は否認する。
(2)甲100号証について
甲100号証が,被告松永が作成したものであることは認める。
1988年ころには,統一協会による信者に対する脱会対策などが組織的に徹底して行われるようになり,そのために信者が心を開いて話してくれなくなって話し合いが長引くなど,被告松永の心身の負担が大きくなってきた。そこで,元信者やその父兄らと今後も統一協会問題に取り組むにあたってどのようにしていくかについて話し合うこととし,その協議のために,被告松永が作成したレジュメが甲100号証である。
(3)甲102号証について
かかるメモは計画書などではなく,別の父兄の体験談をある父兄に対して話したときに,被告松永が説明のために走り書きしたものである。
3 「(1)『ひまわり会』,『すみれ会』」について
甲99号証の作成及び内容については不知。「すみれ会」の前身が「ひまわり会」であるとの主張は否認する。
甲99号証は被告松永が作成したものではなく,また,新津教会に相談に来た信者の父兄らに配布したこともない。
被告松永は,家族らの相談にのったり,あるいは家族と話し合いをしている信者と話し合いをするために,信者の家族に対し,日曜礼拝の参加を条件としたり,「すみれ会」への参加を条件としたりしたことはない。
4 「(2)『新津地区原理対策協議会』」について(原告準備書面(11) 8頁)
否認する。
甲100号証を作成した経緯は上述したとおりである。今まで,信者家族の相談には,被告松永が応じていたものの,その負担が課題になったことから,元信者やその家族が協力することになったのである。これで,被告松永が,それまで行っていた,統一協会問題以外の牧師業務に時間を割けるようにするためであって,「拉致監禁の指揮・監督及び脱会強要に専念することができるようなった」というのは原告の邪推に過ぎない。
5 「(3)」について(原告準備書面(11) 9頁)
争う。
原告の主張はまったく根拠がない。
第5「6.霊感商法対策連絡協議会」について(原告準備書面(11) 9頁)
「全国霊感商法対策協議会」なる団体の会合に被告松永が参加して「統一協会信者に対する拉致監禁,脱会強要活動に関し,恒常的に情報交換及び謀議を図っていた」と主張する点,及び原告が新潟で家族と話し合いをしていたときに,被告宮村と被告松永が連絡を取り合っていたと主張する点は否認し,その余は不知。
被告松永の準備書面(4)でも述べたとおり,「全国霊感商法対策協議会」なる団体は存在せず,被告松永はそのような団体が主催する会合に出席したことはない。
第6 「7.原告に対する犯行」について(原告準備書面(11) 11頁)
1 「(1)原告に対する第1回目の拉致監禁,脱会強要との関係」について不知。
しかし,前述したように,原対協の会議で,「父兄対策ビデオ」なるビデオは上映されたことはない。また甲98号証の1は被告松永が甲100号証のビデオを作成するにあたって作成したレジュメであるし,甲98号証の3は原対協で発表されたマニュアルなどではなく,被告松永が原対協の会議でメモした参加者の発言内容をまとめたものである。
したがって,これらの書証は,原告に対し「マニュアルに基づく拉致監禁,脱会強要が行われた事実」の裏付けには全くならない。
2 「(2)原告に対する第2回目の拉致監禁,脱会強要との関係」について(原告準備書面(11) 12頁)
(1) 第1段落
信者との話し合いに主体的・積極的に関与しているのが被告松永らであるという点及び被告宮村と共謀していたとする点は否認し,その余は不知。
ここで原告が引用する甲99号証は,被告松永はその存在を知らず,またこれを相談にきた家族に対して配布したこともない。しかも,甲99号証には「説得者と相談の上で救出に取り組むこと」と記載してあるのを,原告は「共謀し,指導をうけつつ」「拉致監禁,脱会強要」に取り組む事だと勝手に決めつけているが,全く根拠がない。統一協会においては,アベルカインの教義から,アベルに相談することは,即ちアベルからの指示をうけ,それに逆らってはいけない,という意味であるが,統一協会以外では,相談はあくまで相談であり,意見を聞いて参考にするということを意味するのであって,共謀し指導をうける,という意味ではない。家族における話し合いの主体はあくまでも家族であり,「『説得者』の指揮・監督を受けて動く手足」などではない。
(2)第2段落
否認する。
甲98号証の3のメモは,原対協の参加者らがあくまでの個人の経験に基づく考えとして話したものを後日被告松永がまとめたものであり,被告松永個人の考えでもないし,原対協出席者共通の認識でもない。また,原告が,拉致監禁の根拠とする「逃げられないという自覚」(甲98の3 5枚目)や,「絶対ににげられないのだという意識」(甲98の3 5枚目)というのは,決して物理的な「逃げられない」状況を指しているのではなく,親が信者と話し合うことについて相当な覚悟を決めており,家族の話しあいを避けられない状況であることを信者にわかってもらうと言う趣旨である。
さらに,原告は,さらに甲101号証の1および3で「ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね」という部分を引用して,「玄関ドアを内側から開閉できないように施錠すべきことは」「敢えて指導するまでもないほど前提となっている」と主張するが,ここで被告松永はドアに内側から施錠すべきなど一言も述べていない。かかるビデオで被告松永は自宅で家族が話し合いをしていることを前提としており,さらに原告自身指摘するとおり,備え付けのもの以外の鍵をかけていない前提での発言である。被告松永はここで一言も,「玄関ドア」の鍵を内側から開閉できないようにすべきなどと述べていない。また,この「ドア」についても被告松永は一言も「玄関」ドアとは言っていない。
原告はさらに,KCの甲44号証11枚目の「何故窓にカギがかかっているの」という記載があることをもって「窓を開閉不能にすべき事が厳重に指導されるに至っている」と主張するが,これも根拠なく事実を曲解し主張するものである。
甲44号証のノートの作成者であるKCが説明するとおり,かかる記載は元信者らの話を聞いていて「統一協会の対策が信者に教え込まれているためいつ飛び降りるか知れないし,実際に飛び降りたことがニュースに出たこともある,それに,外からほかの信者がやってきて話し合いを妨害するかもしれない」から窓にカギをかける必要があるときもある,そのときは正直にそのためにカギをつけていることを話した方がいい,と思ってメモしたものであり(乙口11号証16頁),信者を脱出不可能にするためのものではない。
(3)第3段落(原告準備書面(11) 13頁)
否認する。
被告松永は,信者と家族との話しあいをするにあたって,信者を逃げられない状態にしなければならない,など,強度の拘束力をと指導したことはない。
(4)第4段落(原告準備書面(11) 14頁)
否認する。
甲102号証は,被告松永が,コーポ矢代田を利用した父兄の体験談を,了解を得て別の父兄に説明したときに,その説明を補足するために作成したメモであり,計画書ではない(乙ロ12号証)。
(5)第5段落(ポータブルトイレについて)
否認する。
原告が,新潟の移動の際に利用したポータブルトイレは,被告松永が準備を指示したものではない。甲98号証の3の2枚目にある「トイレ」もこれは「車に乗せる前の話し合い」という表題のもとで記載されているものであるから,決して車で移動する際にポータブルトイレを用意するという趣旨で記載しているものでないことは明らかである。
また,甲101のビデオにおいて,被告松永がしている「トイレ」の話も,自宅で話し合いをしているときに,信者が,真剣な家族の話しあいを避けるために統一協会の指示に基づいて自宅のトイレにこもる場合がある,ということを話しているのである。
原告の主張は,客観的な文脈を無視して,トイレという単語だけを結びつけて検察審査会の認定を批判しているが,かかる批判は全く的外れである。
(6)第6段落(手記について)
否認する。
結局,被告松永は甲98号証の3のメモを利用していないし,原告が手記を書いたのは,原告の心の整理のためである。また,話し合いをやめるかどうかは,話し合いの目的である,家族がその絆を取り戻せたかどうかが問題なのであるから,手記をみて第三者が形式的に判断できるものではないのである。
原告の場合は,家族と原告とで話し合いを続けることを決めたものであり,実際,被告松永は,1996年の春以降は原告と継続的な話し合いを行っていないが,原告と家族は,その後も場所を東京に移して家族での話し合いを継続することにしたのである。
以上
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2012-10-22(Mon)
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